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2009-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20090303224617

非コミュ(対人スキル欠陥)

・避コミュ(対人関係拒絶)


って分けたらいいんだよな。

ブコメとかで暴れてる奴は間違いなく前者

多分元増田が被害にあったのも前者

退職する決意がついた

零細IT企業就職して、もうじき1年になる社会人です。

私がいるのは会社の中でも少し特殊な部署で、プログラムの知識があるのが私とマネージャー、残りは別の仕事をやっています。

マネージャーは部署全体の統括管理をやっているので、プログラムを専門でやっているのは私一人です。

何とかデスマーチにならず仕事が回ってはいるのですが、人員が足りないため仕様の決め方もいいかげんで、ドキュメントを書いてる余裕もない、確認テストは私の自己裁量、と非常に悲惨な状況です。

そのため少し前のヒアリングでは「プログラマが私一人ではできる事に限界があるのでプログラマを増員して欲しい」と訴えたのですが、

不況で人は回ってこない、しばらく増田一人の体制が続くと言われて、この時は仕方なく引き下がる。

そういう職場仕事をしていたのですが、先週マネージャーから呼び出しを食らう。

最近職務態度が悪い、職場の仲間を舐めている、との事だった。

私は気が立っている時は目に見えて感じが悪くなるし、(最近ちょっと仕事とは別件でゴタゴタしてて気が立ってた)

本当に周りを見下していないかと言われて違うとも言い切れないのでここは素直に話を聞いておいた。

しかし、この後の説教台詞にどこか違和感があった。

常務と評価の話をするけど、これでは問題がないとは言えないし、出向もさせられない」

(文字に書き出すと普通台詞なんだけど、何か違うものが挟まっている感じ。うまく表現できなくてスマン)

……この時何となくだけど分かった。

このマネージャー、俺をこの部署から手放したくないんだ。「出向させられない」という言葉にそういうニュアンスを感じ取った。

手前味噌だけど、社会人満1年未満の割には多分いい仕事をしているのだと思う。

多分というのは、プログラマがいない部署なので他に比較できる人がいなくて自分の腕の程がどれほどかよく分からないため。無論キャリアのある人と比べたら笑われるレベルだろうけど)

一方で、マネージャーが言っているように対人スキルに難があるというのも自覚してる。

で、「性格は気に入らないがいないと困る」というのがマネージャーから見た私の評価なのだろうと思った。

(私の事を性格の上では嫌っているな、と確信した出来事はいくつかある。私の話を聞かずに同じ部署の人のミス責任を半分かぶせてきたり)

マネージャーの指示が常に場当たりでも、満足のいくプログラムを作れない環境でも我慢するつもりでいましたが、

私を嫌っておきながら必要とし、さらにそれを上司としての言葉で覆い隠す欺瞞には嫌気が差した。

辞表の書き方とか提出方法とか調べてます。この部署の便利屋として扱われていたらこのポジションから抜けられなくなると感じ始めてきた。

http://anond.hatelabo.jp/20090303001304

なんか、でもそれって非コミュ問題に限らず人間普遍的な問題のような気もする。

多分勉強の出来ない子は生まれつき勉強が出来なかったんじゃなくて、周囲の環境にも少し責任があるんじゃないかとか。

DQNは生まれつきDQNだったんじゃなくて、やっぱり周囲の環境にも少し責任があるんじゃないかとか。

 

でもその割にみんな自分の弱点は外部的な要因のせいにしたがるけど、人の問題には自己責任押し付けようとするよね。

非コミュでマジメで頭のいい子は自分非コミュであることを環境のせいにしながら、バカやDQNは「そんなの自分が悪い」と言う。

コミュDQN自分自身のことを「仕方ない」と思いながら、非コミュの子を「自分が悪いんじゃん」と思ってる。

非モテ自分がもてないのは世界が悪いと言いながら、派遣切りにあった人たちを「自己責任だろ常考」とか言っちゃう。

(ふと思ったけど、「仕事なんてその気になれば何でもあるんだからより好みしてんじゃねーよバーカ」って言ってる非モテの人は、

 女の子を寄り好みせずにさっさと身の丈にあった冴えない女の子を選ぼうとは、なんで思いもしないんだろう?)

その辺がやだよねーとか。

2009-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20090302233229

君が「生きる意味が圧倒的にわからない」って言ってるとき、

そもそも「なんらかの『生きる意味』がある」、ってことを勝手に前提にしちゃってるでしょ。

いろんな人に「生きる意味なんてない」って何度も指摘されてるのに、

君は一貫してそれを受け入れるのを拒否してるよね。

根本的な問題はそこにあると思うんだけど。

仮に、厳密に数学的に「生きる意味はない」って証明されたとしたら、君はどういう反応をする?

もし君が「そんな証明なんてどうでもいい」と思うんなら、

多分君が求めているのは「生きる意味」なんかじゃなくて、

自分の今の境遇を少しでも明るくしてくれるアドバイスなんじゃないのかな。

そうだとしたら、「生きる意味」なんて抽象的な概念を持ち出したりしないで、

今君がどういう境遇にあって、どういう行き詰まりを感じているのかを

具体的に書いたほうが、ずっと君自身のためになると思うけど。

阿野似増田の憂鬱

複数人と絡んだりした後、一人になると急に気分が落ち込む。

あと、周りの人が優秀な功績を残したときもまた、気分が落ち込む。周りに察されるのは嫌なので極力明るく振舞うが。

多分、周りはすごいのに自分は何もできない、できてない事に落ち込んでいるのだと思う。

そしてその事をバネにするわけでもなんでもなく普段ボーッとして過ごしている。そして後からそのことを後悔する。

最近もうこんなんばっかり。

そんな自分に必要なのは「自分を受け入れる」か「行動を起こす」なんだろうけど、どっちもできてない。そしてそのことにまた気分を落ち込ませる。

気力が湧く薬とかあったら欲しい。

2009-03-01

祖父がアルツハイマー痴呆症になった

 春の日射しが穏やかな日は、祖父がにこにこ笑っている顔が目にちらついて、私は少し辛くなる。祖父はアルツハイマー痴呆症になり、特別養護老人ホームにいる。もう二年くらいになると思う。祖父が施設でにこにこと笑うようになってから、父も母も笑えるようになった。私も弟妹も笑えるようになった。

 それまでの日々は、家族にとって、特に父と母にとって、地獄のような日々だった。

 祖父は、元々厳しくて頑固なところのある人だった。成人する前に両親を亡くし、大人に混じって農家を切り盛りしていたから、気が強くなってしまったのだろう。祖母と結婚して、父の姉と、父が生まれた。その後、警備員農家兼業するようになった。祖父も祖母も厳しい人で、昔の農家気質だったから、母は嫁入りした当初から辛い思いをすることもあったようだ。ただ、祖父も祖母も、孫である私たちには多少甘い部分をみせていた記憶がある。

 祖父が定年になる前、私がまだ小学生だった頃、祖母が亡くなった。五十代後半の死は、あまりにも早かった。母には、祖母の役目と母の役目、両方がのしかかった。今から約二十年前で、家事は女の仕事、女は男を立てるもの、という価値観はまだまだ当たり前にあった時代の話。祖母が亡くなってから、祖父の母に対する当たりがきつくなったと父は言う。また、この頃から酒量が増えた、とも。

 それから一年経って、私や弟とは歳の離れた妹が生まれた。母は仕事をやめた。祖父は歳の離れた末の孫を溺愛した。しょっちゅうかまうものだから、母は機嫌を悪くして、時々父や私に愚痴を言った。

 祖父と母の関係が決定的に悪化したのは、私が高校生になり、妹にある程度手がかからなくなって、母が再び働きに出るようになった後だ。祖父はとっくに定年になっていて、ずっと家にいるようになった。趣味の合う友人と連れだって遊びに出かけたことも時々はあったけれど、家にいることがほとんどで、昼間は自室に籠もっているか、畑で仕事をしているかだった。祖父には、母が五時過ぎに仕事から帰ると同時に台所の自分の席に座ってお酒を飲み始める習慣があった。母が夕食の支度をしている後ろ姿の、その後ろで二時間くらい、じっと座っているのだ。六時になる頃には私も弟妹も家にいたけれど、居間でテレビに釘付けだったから、その状態には気づけなかった。七時も過ぎて父が仕事から帰ってくると、夕食。六人で食卓を囲む。私と弟妹は思い思いにおしゃべりをする。ひとしきり話し終わった頃、祖父が口を開く。ときどき意味の分からないことを言う。話が通じないことに、私たちはイライラし始めて黙ってしまう。父が間に入って話すけれど、お酒の入っている祖父は興奮しやすく、時々興奮しすぎて母に当たった。祖父が母に当たると父も頭に血が上って、怒鳴り合いになる。しまいには祖父が「そんなに邪魔なら殺せ!包丁で刺せ!」などと叫んで、部屋に籠もってしまう。こんな日々が続いた。

 今思い出すと、この頃にはまだらボケが始まっていたのかもしれない。それで執拗にいろいろと尋ねたのかもしれない。私も弟妹も、学校がお昼頃で終わった日は居間でテレビを見たり、宿題をしたりしていた。そのとき、祖父がいつも居間にあらわれて話をしようとするのをうっとおしがっていた。なにも分かってない子供なんてワガママなもので、無視して自室に籠もることもあった。食卓を囲んでいるとき、怒鳴って気分をめちゃくちゃにする祖父の理不尽さも大嫌いだった。

 学校でもいろいろあるというのに、「殺せ!」と怒号の響く家は気が休まらなくて大嫌いだった。弟は、高校生になると、わざと夜遅く帰ってくるようになった。父が叱ったが聞く耳を持たなかったし、男の子だと言うこともあり、いつしか容認されていった。私にはそんな要領のよさはなかったし、妹はまだ小学生だったから、毎晩のように繰り返される怒鳴り合いをそばで聞いているしかなかった。

 私が大学への進学を考えた頃、両親は地元大学を勧めたけれど、私は県外の大学に願書を出した。願書を出す直前までは、後期試験地元を受けると言っていたくせに、結局後期試験の願書も県外の大学に出した。今思えばふざけた話だが、初めての反抗らしい反抗だった。県外の大学に進学した後は、部活バイト等、わざと忙しくして下宿にいないようにしていた。家からの電話憂鬱だったからだ。下宿に居ないのを両親に詮索されるのも嫌だったし、なにより、家族の誰かが別の誰かを殺したという電話がいつか入ることを本気で心配していたのだ。講義がない時期には帰省憂鬱だった。夏も冬も理由をつけて、一週間くらいしか家に帰らなかった。家に帰るとおなじみの怒鳴り合いの日々だった。帰って一、二日は静かだが、三日目を過ぎると怒鳴り合いが始まる。家から下宿に戻った後はますます電話が怖くなった。酷いときは電話線を抜いた。

 一歳下の弟も大学に進学して、家を離れた。家は、祖父と両親と妹だけになった。私たちは両親と妹を犠牲にしたのだと思う。

 大学三年の夏、父から電話がかかってきた。この時は不思議電話を取る気になった。電話の内容は中学生の妹のことだった。食事を全く取らなくなったという。父は毎晩のように妹の訴えを聞いていたけれど、最後には「頑張れ」と言うしかなく、なにもできないまま悪くなったという。妹に対しては罪悪感があった。夏休みはほとんどを家で過ごした。

 家に帰ってすぐに父と話した。母にはもう無理だからと言われ、母のお薬手帳を見せられた。そこに並んでいる処方薬の名前を調べると、抗精神病薬ばかりだった。母は頻繁に被害妄想を訴えるようになっていた。最初は、家に祖父と二人でいる間、いつも祖父が後にいるから怖いという訴えだった。それがいつの間にか、家の中で誰かに監視されている、家の中に盗聴器がある、近所ぐるみで監視している、警察に狙われている、と徐々に変化していった。祖父の行動ひとつひとつが、何者かによる母への攻撃であるかのように見えていたようだ。父は祖父に、母を刺激しないように何度も言ったが、祖父はその場では返事をするものの、すぐに忘れてしまうらしく、全く変わらなかった。

 その日会った妹はどこか異様だった。何を聞いても無表情で「うん……」と、けだるそうに返事をするだけ。本当に食事を取らなくなっていた。一口食べて箸を置き、体がだるいのかすぐ居間で横になる。重症だと思った。その日の晩、私が自室でうとうとしかけている頃、妹が枕を抱えて部屋に来て「一緒に寝ていい?」と言った。招き入れると、妹はしばらく黙っていたが、突然堰を切ったように話し始め、もう無理だと訴えた。妹は、いつか家の中で殺し合いが起こるといって怯えていた。母の被害妄想が始まってから、夕方の台所で母と祖父の言い争いが起こるようになった。妹はなるべく早く学校から帰り、食事の準備をしている母のそばにずっといた。妹がいる間は、母は穏やかで、祖父の機嫌もそう悪くはならないから。妹は毎日のように母の愚痴を聞いた。しかし状況は変わらず、母は夜中に突然飛び起きて、怖いと言って泣くようになっていった。妹の部屋は両親の寝室のすぐ隣だったから、母の泣く声で眠れないこともしばしばあったという。学校人間関係は、妹にとってあまりよくない状態で、妹の気が休まる時間はどこにもなかった。妹は、父には何かしてくれるようには言えないという。父は毎晩のように祖父と戦っていたし、母をなだめるのでいっぱいいっぱいだから、これ以上無理はさせられないと。

 父に遠慮している妹には悪いと思ったが、現状を父に伝えた。その上で、父にはしばらく黙っていてもらうことにした。妹の体調があまりよくないこともあり、病院に連れて行った。妹は検査採血をされ、胃カメラを飲み、点滴を打たれて「病人みたい」と笑った。「検査に異常はないから精神的なものだと思う、食べられないのが続くようなら精神科を紹介するから様子を見て」と言われた。その日からしばらく、妹は私にべったりと甘えていた。何をするにも一緒だった。帰省してきた弟は、帰ってくると真っ先に「おい大丈夫か?」と言った。進学して家を出てから、これだけ長い間弟妹と一緒にいたのは初めてだった。三人でくだらない話ばかりした。「この家、超不幸だ」と言いながら笑った。妹は、プリンゼリーから始めて、普通の食事も少しずつ摂るようになった。妹が笑うようになった頃、大学講義が始まって時間切れ。私はわざと忙しくするのを止め、電話を取るようになった。

 その後もしばらく膠着状態だった。祖父も母もあいかわらずの調子で、間に立つ父は本当にたいへんな思いをしただろう。

 私が大学卒業した頃、状況がますます悪い方に動きはじめた。昼間のうちに家のあちこちに水たまりができ、家族がしばしばそれを踏んづけるようになった。水たまりの犯人は祖父。時々失禁をするようになったのだ。何度注意しても改善せず、おむつを勧めても頑として受け入れない。以前は熱心に畑に出ていたのに部屋に籠もることが多くなり、同時に食事や入浴を忘れるようになった。部屋に籠もる一方で、ふらっといなくなることもあり、連絡をもらった父が慌てて迎えに行って頭を下げるのだ。時々真夜中に近所の家を訪ねることまであり、消耗した父は何度も祖父に「勘弁してくれ」と土下座したが、状況はまったく変わらなかった。祖父は自分の状況が分かっていなかったか、分かっていてもどうしようもなかったのだろう。他にも、庭先に祖父がどこからか拾ってきた妙なガラクタが増えたりもした。捨てようとすると祖父が怒るので、だんだん量が増えた。祖父は車の免許を持っていたけど、ちょうどこの頃に庭先で車をぶつけたこともあり、危ないので免許証を取り上げて車の鍵を隠した。祖父が車の鍵に執着して家じゅうを探しまわるので、母が影響されて荒れることもあった。

 さすがに近所にも親戚にも隠し通せなくなり、父は、隣県に住む伯母に相談した。伯母はその何年か前にヘルパー資格を取っており、福祉関係仕事も長いのでしばらく預かることを父に提案した。父も母も限界だったから、一ヶ月程度ということで祖父を伯母に預けた。庭先のガラクタを片づけ、荒れ放題になっていた祖父の部屋を片づけ、少し落ち着いたところで事件が起こった。伯母に預けた後、二週間も経っていないうちの出来事だ。伯母はその日も祖父に声をかけ、パートタイム仕事に出かけた。伯母が帰ると、祖父がなにも持たずにいなくなっていた。すぐに探しに出かけたが、祖父は見つからなかった。警察やご近所に連絡し、数日経って、祖父が警察保護されていると連絡があった。伯母宅からはずいぶん離れていた。祖父は警察に、家に帰せと主張していたそうだ。

 父はこの時、もう自宅で見るのは無理だと思ったそうだ。病院検査を受けるように祖父に勧めたが、祖父は昔から親は子よりえらいと思っている人で、このときも言うことを聞かなかった。父は、祖父が唯一頭の上がらない祖父の友人に状況を話し、祖父を説得してもらうことにした。祖父の友人は「もうずっと前からボケておかしくなっていることが分かっていたけど、言われるまで言えなかった」と、父に頭を下げた。祖父は友人の説得でしぶしぶ承諾し、父と友人に付き添われて病院検査を受けた。

 診断、アルツハイマー痴呆症

 アルツハイマー痴呆症には、根本的な治療薬がない。当時あったのは進行を抑えるだけの薬で、祖父を「治す」ことはできなかった。介護施設を探すことを医者から提案されたが、老人病院にも介護施設にも空きがなく、どこも順番待ちの状態で、診断がついても状況は変わらなかった。祖父の友人の協力を取りつけられたおかげで、祖父を説得しなければならないときにその人から強く言ってもらうこともできるようになったのはよかったが、祖父が内容を忘れてしまうことが何度もあったため、どれくらい効果があったのかは分からない。

 注意して祖父を観察するようになると、物事をしっかり認識できているときと、そうでないときがあることが分かった。普通に過ごしていても、時々どこを見ているのか分からないような様子でいることが、しばらくの間続くのだ。その直後の祖父は決まって難しい顔をした。どこか悲しそうで、戸惑っているような表情。話しているときも、前後の文脈が分からなくなっている様子があった。つい一瞬前に話した内容を忘れてしまうのだ。そして何度も直前の話を聞き返す。説明しなおして話が繋がるときもあれば、辻褄が合わないままのときもある。その時の祖父の表情は、やっぱりどこか悲しそうで、戸惑っているようだった。いわゆるまだらボケと呼ばれる症状だ。頭がしっかりしているときは、その直前まで自分が呆けていたことを分かっていたのかもしれない。

 診断がついてから何ヶ月も経って、家からそれなりに近い場所に介護施設が見つかったので、祖父を入居させる手続きをした。これで一件落着のはずだった。ところが、一週間後には「無理なので引き取ってください」と連絡が入った。何度も頼んだが、手に負えないから無理だと断られた。手に負えない原因は、主に精神的な症状だ。場所や状況を認識する能力が低下しているので、そこがどこなのか、なぜそこにいるのか理解できない。家にいたはずがいつの間にか知らない場所に連れてこられたと思いこみ、何度も脱走しようとした。止めようとしても、自分被害者だと思っているから暴れる。祖父は身体も大きく、農作業で身体を動かしていたこともあり、暴れると抑えるのは難しかった。収集癖の悪化も災いした。他の入居者の部屋に入りこみ、物を自分の場所に持ち帰るのだ。職員が返すように言っても、自分のものだと言い張って返さない。そして他の入居者とトラブルになる。こんなことが入居直後から繰り返されたので、ついには断られたのだ。

 それからは施設探し。祖父の身体疾患のこともあり、施設からは精神的に安定するまでは介護施設よりは病院に入った方がいいと言われた。受け入れてくれる病院などそうそうないから、しばらくは再び悪夢の日々。次の病院が見つかるまでに数ヶ月かかった。

 鍵のかかった病院に入ってから、祖父はぼうっとしていることが増えた。薬の影響もあったのだろう。週に一度、一時間かけて病院に行き、洗濯物を預かり、祖父と少し話した。最初の頃は、よく歩いていると職員に聞かされた。その後、車いすに座ってぼうっとしていることがだんだんと増え、歩くことも減った。話しかけると「よく来たなあ」と笑った。祖父から話しをすることはあまりなく、もっぱら私たちの話を聞いた。しっかり話を聞いていると思うと、急にぼうっとしてしまうこともあった。もう慣れていたから、そんなものだと思うようになった。祖父の顔は、だんだん穏やかになっていった。

 入院から半年ぐらい後のことだと思うが、祖父の状態が落ち着き、特別養護老人ホームに空きが出た。すぐに祖父をそちらに移すことになった。ホームには病院と同じように鍵がついており、入居者が自由になれるエリアは鍵の内側だけだったが、病院に比べると明るく開放的で、入居者が昼間に集まっているロビーの雰囲気も、なんとなく暖かみを感じるものだった。祖父をそちらに移してからも、週に一度、洗濯物を取りに行っている。施設に全部まかせることもできたが、父がその程度の面倒は見たいと言って譲らなかった。祖父は他の入居者とは少し離れた場所、ロビーのそばにある職員詰め所の入り口に、椅子を置いて座っている。職員は「いつもあそこに座ってますよ。よく分かりませんけどお気に入りみたいです」と言う。昔、警備をしていた名残だろうか。守衛として座っている時間も長かっただろうから。祖父に声をかけると「よく来たな」と私の名前を呼んで、にこにこ笑う。私が久々に祖父を見舞ったのは、ちょうどこの時期、少し暖かくなってきた頃だ。

 その後も現在まで、父は週に一度は祖父を見舞い、祖父の洗濯愚痴もこぼさず楽しそうにやっている。母は「お母さん、ノータッチだから楽でいいわ」と、のほほんとお茶をすする。一時期の被害妄想は、ほとんどなくなり、よく笑うようになった。家に寄りつかなかった弟は、遠方で就職したくせに「家の方が落ち着く」と、長期休暇のたびにぎりぎりまで長居する。妹は地元大学に進み、家の中ではよい意味ワガママな振る舞いをするようになった。弟妹はときどき、父について祖父のところに行く。以前とは違う意味で家の中がやかましくなった。みんな、笑えるようになった。

 私は結婚して家を出た。ときどき、父と一緒に祖父のところに出かける。このごろ祖父は私のことがわからなくなった。祖父は私を、祖父の娘の名前で呼び、話しかけてくる。私はにこにこしている祖父のために、にこにこながら受け答えをする。内心はかなり複雑だが、もしそれを表に出せば、また祖父を難しい顔にさせてしまうかもしれないから。同じ時間と場所を共有していても、祖父が見ている景色と、私が見ている景色多分違う。それを共有できることももうないかもしれないが、いつも難しい顔をしていた祖父がにこにこと笑っているのだから、これでよかったのだと思いたい。

 そういえば、祖父が楽しみにしていた花嫁姿を、祖父に見せてなかったことを思い出した。

「詩とは何か」

http://2ch-tips.com/archives/3653.html

詩とは魂の慟哭である

何だよ魂って。魂は慟哭するものなの?

厨二病の時なら分かったつもりになってたけど、

今はもう「意味が分からない」と言えるようになった。

ふざけんなよ、バカ。

日本語での詩=そのまま意味が通用せず、定義説明をしてないもの。そしておっさん以降なら何故か解釈出来てしまう物。

これが俺が納得できる一番の定義としてる。

つーか、訳わかんないこと書いて、読んでる奴が

多分、こういう事書きたいんだろうなあ」と推測するのが日本語の詩なんだと思う。

小学校の時とかに教科書に書かれてた詩とか読んで訳分らなかった奴が多いと思うんだよ。

俺も谷川俊太郎とか、こんな短い文章でメシ食えるって羨ましいなあ程度にしか思わなかったし。

でも年食ったら以降にもう一度読んだらなんとなく推測できるじゃん。

コミュニケーションツールとして機能不全の日本語が詩なのかなと思う。

2009-02-28

日本社会蔓延る誤った「学問信仰

http://anond.hatelabo.jp/20090222224732

のブクコメを読んでいて長年疑問に思っていた思いがようやく氷解した。どうして自分が今までいわゆる「大学人」に対して反感のような思いを抱いてきたのかが。

彼らは「大学学問の場である」っていうドグマに囚われすぎていて、「何か学問らしきこと」さえやっていればそれでおkと思っちゃている節があるんだ。まるっきり眼が社会に向いていないのよ。まるで日本の「なんとか道」の考えそのまま。

物理学道」や「数学道」、はたまた最も社会と繋がっていなければいけない筈の経済学ですら「経済学道」に昇華させてしまう。頭の中で勝手世界を作り上げて、現実とかけ離れた美しい学問世界があるものだと妄信している。「道」は辛い修行を経なくてはいけないから、人生を楽しむという発想はまったくない。

「我々の国では、Joy of Life (生きる喜び)を何よりも大切にし、それがすべての価値の基準になっている。それを僕らはJoie de vieと言うのだが、それがこの日本に来てからこの国には全くないのではないかと、僕はいぶかしく思ってきた。」「街を歩いている人も、電車中の人も、生気がなく、何かを楽しんでいるようには到底見えない」「それはどうなんだ、ホントのことを教えてくれ」(http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20090222/1235270656)。

研究「道」なので、当然生活のすべてをささげなくてはいけない。

「道」だから大学大学院という教育サービス受け手(要はお客さん)である学生に対して、「学問自分で掴み取るものだ」なんて厚顔無恥台詞が平気で出てくるし(http://d.hatena.ne.jp/mfurubayashi/20090227)、学生自分弟子か何かと勘違いしてしまう。「道」なので、学生学位を取ったら当然師匠である自分には謝礼を支払うべきだと考えるし、それを恥ずかしいことだとすら思わない(http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200902040233.html)。

自分研究室に在籍していた人間のことを「弟子」なんて言葉で言うのは、日本人だけ。恥ずかしいからやめような、それ。講演などで、「私は海外のなんとか大学のなんとか学の権威のなんとか教授弟子でありまして」なんていうのは、聞いているこちらが赤面してしまうよ......。

社会を見ていないから、研究は当然「役に立たない」。むしろ役に立たないことを何かの誇りのように考えている節すらある。企業ドクター学生を嫌がるもの当たり前の話。「一生懸命勉強しましたねー。んで、君何が出来るの?」って聞かれても、何も出来ないんだもん。それを指摘されると真っ赤な顔をしてファラデーを引用する。

「生まれたばかりの赤ん坊がなんの役に立つのでしょうか?」

そうだね。未来がどうなるのかはわからないよね。でも、多分君の研究はうちの和室にある畳の目の数と同じくらい、どうでもいいことなんだよ、社会にとって。君の口から出るファラデーの台詞は、今ある現実に少しでも影響を与えたくて、散々苦しんだ末に出てきたものじゃないんだよね。君は自分でもよく意味の分かっていない偉大なファラデーの台詞に甘えているだけなんだよ。

研究に莫大な国からのお金が出ているのは、それが社会に対して有用であるからなのに、成果を還元する気がない。というよりも、還元できる成果がない。先の見えない研究を延々と繰り返すだけ。何の戦略もないし、思想もない。なのに、武士と同じで、食わせてもらって当然と考えているんだ。

アメリカでは修士以上の学生に対しては、生活できるだけの収入が保障されるけれど、日本学生にはそんなもの払う必要はない。弟子ですから。向こうでは大学がきちんと産業コミットできていて、研究が真に意味のあるものになっているから、修士であろうがなんだろうが、きちんと収入を手にすることが出来る。博士号をとった人間が、きちんと成果を社会還元しているので、いい流れが生まれている。就職もきちんとできるし、学歴が高ければ高いほど、よりよいポジションを得ることが出来る。

日本では弟子就職活動をしようものなら、「師匠」が必死に邪魔をする。研究のほとんどをろくな審査能力のない国というパトロンに頼っているので、学生企業に送り込むことが出来ない。一度教授になると、いつまでたっても大学という唯一の居場所にしがみ付く。そして、そういう人間しか大学に残れないから、負の連鎖が続きますます大学は陰湿でヒステリックな場所になっていく。騙されてドクターに進んでしまった学生は、すぐに自分の現状に気がついて愕然とする。必死に就職活動しても、ほぼ間違いなく修士学生よりよい条件で職を得ることはない。

まともな人間はある程度割り切って、あっという間に就職するか、海外大学院に行ってしまう。

何十年たっても、大学は常に変わらない。

匿名でも実名でも創作でも実話でも

http://anond.hatelabo.jp/20090228042414

ネット上に存在するものって「事実認定」が難しいよね。

ましてや増田匿名だからこそかける呟きを拾って歩く異次元空間になっていて、それを楽しめる人たちのものなんだと思うんだけど。

多分否定されるだろうけど、増田には「嫌い」なものばかり落ちていると思うのなら、増田を避けるべきと思うが、どうなんだろうか。

明らかに汚物が落ちている道が分かっているのなら、その道に踏み入れないのが自己防衛というものではあるまいか?

元増田自分意見が多数にはコミットされない事実を受け入れるべきだと思うなー。

日大学の合格発表なんだ。

正確には28日の7時にウェブ上で掲載されるらしい。

正直つらかった。はっきりいうとここまで来るのに20年と3ヶ月と21日かかった。

ーーー

おいらは中学時代の3年はほんと無駄に過ごした。一人でゲームしたり自転車乗り回して一人旅したりしてた。当時は「こういう経験は将来役立つ」とか思ってた、本気で、まじで。・・・ねーよ、ばーろー。

勉強が出来なかった俺は中3でどうにか頑張って高専を受けた。そして、合格した。だけど、実は只の定員割れで受験者のほとんどが入れたという状態だった。だから多分俺は落ちてたのに入れたみたいな感じなんだろう。自分でも自分の力で合格したとは思わなかった、思えなかった。

そして、高専という特異な環境寮生活や全然知らない同年代の奴があふれる中で俺は必死に自分の居場所を探した。中学時代みたいに一人で居るよりも誰かと居ることを望んだ。中学時代ではあり得ないほどの行動力を持って友達を作り、先生と仲良くなり、部活にも入り、自分趣味を最大限に生かせられる環境にした。

このとき僕は「やればなんでも出来る」と信じて疑わなかった。そして僕はなんでもやった。同年代には真似の出来ないようなことをやった。15歳からデザイン勉強した。DTP勉強した。PhotoshopIllustratorInDesign自分で買って勉強した。印刷会社バイトもした。一通り制作から入稿アナログデジタル印刷技術・方法まで学んだ。イベント企画した。商店街を巻き込んだ大規模なイベントを作り上げた。地域を巻き込んだイベントを開催しまくった。PAもやった。アマチュア映像作家もやった。なんでもやった。出来るからやった。

出来る。なんでも出来る。僕は最強だった。そして、それを信じて疑わなかった。

ーーー

しかし、高専2年目の半ば。

俺は朝起きるとベッドに血を吐いていた。

病院で見て貰うと胃潰瘍だと診断された。

しばらく入院し、復帰すると何かがおかしかった。体が動かなかった。なんにも出来なかった。食欲も無くなった。食べることもつらくなった。いろいろつらくなった。

うつ病だと言われた。薬を飲みはじめた。泣いた。悔しかった。

色々狂い始めた。体が狂い始め。人間として狂い始めた。留年した。親が心配してきた。だけど、俺がうつ病な事と薬を飲んでることは言わなかった。打ち明けるのがなんだか怖かった。

高専4年目で俺は自主退学の道を選んだ。父親はキレた。祖父祖母もキレた。叔父叔母もキレた。親戚全部がキレた。正月、俺は目をつむり、口をふさぎ、耳をとじた。

ーーー

幸いにも高卒認定は貰えたので、俺は大学受験でやり直すことにした。

しかし、理系学校とはいえ理系らしいことはあまりしてこなかったし、理系で飯を食っていく自信がなかった。

高専時代に楽しかったデザインを学びたかった。それもデザイン理論

そのことを母親に相談したら、とある美大を薦めてくれた。一応5美大の中に数えられる大学でそれなりの難関だった、

その時7月。俺は死にものぐるいでやった。やるしかなかった。

美大受験に父親は理解してくれた。祖父祖母は理解なかった、高卒の俺に働けと言う。自分たちの事業を継げと言う。絶対に従わなかった。月一で呼び出され説教もされた。無視した。暫くすると祖父祖母の兄弟姉妹までもが俺に説教をし始めた。やつら狂ってた。

12月についに俺がキレた。

「残り10年しない内に死ぬお前らに、まだ60年もある俺の人生、夢の邪魔をするな。」

今思うと恥ずかしい。

それっきり、黙った。

ーーー

俺はやるだけはやって、あとは結果を待つ次第。あと4時間で結果が出る。

今までの思い出に浸りながら少し寝ようと思う。

美容院での会話って実際望んでる人いるのか問題

http://kousyoublog.jp/?eid=814

これを見て思ったんだけども。この人、えらいというか健気だなと思ったのは美容師との会話で「自分やらかしてしまった」と反省してるとこ。私(女)もいつもこんな感じだが、はっきりいって反省なんて全然してねぇwww「そんな答え辛い話題ふってくんなや」と大抵一人で憤慨してるだけだから、反省してるのを見て今ビビったところだったwwww

しかし、実際、美容院美容師との会話を望んでる人いるのかなあ。

ネットなんか見ると嫌だって人ばかりじゃないすか。いや、まあネットはどっちかっていうとそういうタイプが集まりやすくはあるけどさ。でもじゃあリア充は、美容師とそんなにおしゃべりしたいのか…?っていうとなんかそれも疑問。ファッション雑誌なんかがいくらでもあるわけだし。

でも美容師多分上から話すよう言われてるのかなんなのか、気遣って(私的には逆効果だけど)妙に話しかけてくる。そしてそれに必死に無難に答える自分。それを拙いながらに続けながら、いつも「何このLose-Loseな関係……」って思っている。

私:35歳男。独身彼女あり。

美容師:20歳前後女性独身恋人の有無不明。

美容師(以下ビ): 「今日結婚式日和なのか、髪をアップにするお客さん多いんですよー。午前中だけでもう三人も」

私: 「そうなんですか。大安なのかなー」

ビ: 「いやー、大安というわけでは無さそうなんですけどねー」

私: 「そうなんですか。雨なのに結婚式なんてみんな大変ですねー」

ビ: 「ですよねー。結婚式をするなら天気良い方がいいですよねー。結婚式するならどんな天気でどんなシチュエーションでとかなにかイメージありますか」…A

私: 「(少し考え込んで)いやー、特にイメージできないですねー」…1

ビ: 「そうですかー。やっぱり男性より女性の方が結婚式は具体的なイメージとかあるんでしょうねー」…B

私: 「どうなんでしょうねー」…2

ビ: 「私もイメージしにくいなー。というか結婚自体出来るかあやしいです(笑)」…C

私: 「(苦笑)」…3

~~微妙な雰囲気になりこの話題終了。数分後別の話題に~~

大体、結婚式に対するイメージとか、そんなプライベートな事聞かれてもさぁ。咄嗟に。無いでしょーよ。タレントじゃないんだし無茶振りされてもと。(といっても、美容師もまた司会やってるわけでもないからそうそう上手い振りができないのもわかってるが…)

そもそもからして「髪をアップにするお客さん多いんですよ」とか言われてもさあ。知らねえよ、そんなこと、って話じゃね?

自分だったら「そうなんですか」「へえ」「いや、特に何もないですね」を繰り返すのみだよ。だって実際それ以外に言うことなくね?「アップにするお客さん多い」ってだから何なのかって話だし、そこから客に対して「ホラ!これで話膨らませて!」とか望んでるんだったらそれは美容師がどうよと思うし。(どう膨らませりゃいいんだそんなんwww大安とか返せただけでスゴイwww)

なんで金払って髪きりにきてるのに、気遣って喋らなきゃいけないのか…大体喋りながらちゃんと切れてるの?と思う。喋らなくていいから手を動かして欲しい。(大抵美容師って絶対切りすぎるし。その上、切り過ぎた後で「どうですか?」とかいうし。どうですかって言われてももうどうしようもねぇだろ…)

常連とだけ楽しめばよくないか?なんでわざわざ会話を試みようとするのか分からない。雑誌読んでるのに…。その雑誌差し出したのは美容師なのに…喋りかけてくるせいで、全然くつろげない。

一体、誰が、望んでるんだよ、美容師の喋りは!!!

くつろげないよ!!緊迫感満載だよ!!

「うちは必要な事以外一切聞きません・喋りません」の美容院があったら流行すると思う。そうすれば口下手だけど腕はあるよって人も美容師になれるしこれこそwinwin関係だよ!!(でも個人的に美容師になろうって思う時点でコミュ能力があってリア充って感じがするけど)

ところで気になったのが

しかし、発言Cのような自虐系発言は女性と話すと定期的に飛び出してとても困るんだよなー。あれは即座に否定するか話題を変えて相手を褒めないと地雷踏んじゃう。とても難しい。上のような苦笑で終わらせるリアクションは最悪の手だった。

発言Cはどう答えるべきか。というのがまだ答えが出ていない・・・

確かに会話に困った時、自虐的発言をついしてしまう。でも、この人、個人的には「美容師の会話で反省とかしてエラいひとやな」とは思うんだけどこれは違うよ!!女性自虐的発言をするときって「即座に否定すること」や「褒めること」を望んでるんじゃないよ!!!(多分)ただ言うことなくなったから適当ネタのつもりで言ってるだけ。正解は笑い飛ばすことだよ!!(まあでも客と美容師レベルの間柄で自虐ネタされても実際困るけど)褒められたりしたら逆に萎縮するよ。「そんなつもりじゃなかったのに……誘い受けみたいになってしまった……恥ずかしい……」と。褒めるのは最悪の手じゃね?

2009-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20090227114324

ぼくもこじかのほうがだいすきです!

しかし多分理由が違う!

ドン引きな話はともかく、題材が同じでも向いてる方向がまるで逆な作品って結構あるよね。

ミナミの帝王」と「闇金ウシジマくん」の差は面白い。

「なんと」の表現に見るGIGAZINE限界

税収不足解消のため、なんと大麻の市販を合法化する法案を提出

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090227_marijuana/

この記事に「なんと」とつけてしまうgigazine限界というか、教養の欠落。

(いや、マリファナを合法にするべき云々の話じゃないよ)

rss海外ニュース追っかけて、世間知らずの学生みたいなのが翻訳して、、。

素人編集者がてきとうにひっかかりそうなタイトルつけて、

結局、個人サイトの拡大版なんだよなあ、、。

多分ニュース画像コピペについての著作権の部分をうやむやに見せるために、

あえて企業運営であることを大きく書かないんだろうけど、そこをあえてクリアーにしないことで

海外ネタを引っ張って、サイトを大きくしている以上、この辺が限界なのかな。

小金儲けには、このくらいの規模でふらふらやってくのがまあ程よくおいしいってことか。

自分プログラミングスタイル

自分の家でプログラミングをする際にどんなスタイルでするのかというと、自分の場合ノリに乗ってくると自然とそのモノがおっ勃って来るんだわ。いやいやいや、俺は変態じゃないよ?

まあ、色々とあるんだけど、「ここの構造はどうしようか?」とか「ここをもっと効率良く実装できんかな?」とか考えて手を止めていると、自然に右手がね、そのあそこに行くわけですよ。いや、ネタじゃないですよ。マジで

んで、良い感じに興奮してくると、動画を開いたり貯めていた画像を見たりしてまあ、ナニをするわけなんですよ。んで、本格的に行為に入る前に、エディタの方に移って再度「ここの構造はどうしようか?」とか「ここをもっと効率良く実装できんかな?」を考える訳です。

その際には面倒なので、動画再生しっぱなしだったりして、音声だけは聞こえる形だったりすんだけど、目の前はコードが広がってる訳。これが結構快適。快適というか自然にこうなった。それでまたコードに詰まったりしたら、再度行為にふけって興奮度を高める。

なんかね、こう自分を盛り上げて盛り上げて考えるとなんか良いんだよね。何が良いノかってのはまた微妙に表現しづらいんだけど、これが調子がよろしい。

こうして「性的興奮」と「知的興奮」を混同させて自分を騙して上手くコントロールしてるんじゃないかと思ったんだけど、多分、ただの変態なんじゃないかなってちょっとだけ疑問に思ったりする。

2009-02-26

村上春樹が分からん

数年前いくつか読んだんだけど「良さ」が分からん。

正直言うと、読んだ直後はなんとなく「いいよね」なんていってた。分からないままに。なんかこのよく分からなさが文学ってやつなんだなとか背伸びして分かった気になってたんだけど、今改めて素直に考えると、分からん。でも当時はそんなことをいうと「バカ」と思われそうでいえなかった(今もリアルじゃ言えないが)。

ぶっちゃけ言うと、文体が「オサレ」なだけじゃないの?オチも意味が分からんし、ストーリー展開も意味が分からない。なにかというとコーラの匂いがしたりする「分かってる」「頭のいい」「超絶美人ってわけじゃないけど魅力のある」みたいな女の子と、恋人になるでもなくセックスをするってだけじゃね?それもなぜか女の子がよくわからないけど主人公に惹かれて、セックスしたがる。なんかかっこつけたポルノっつーか、文学ぶったラノベにしか見えない。特に何も無いけど女の子セックスしようと寄ってくるってハーレムラノベとどう違うんだ?不自然キモいっつーか、「こういうのが理想なのか?」って感じで引く。作者の顔をうっかり見てしまった日には、引くというより何か見てはいけないものを見てしまったような罪悪感にすらかられた。

でも多分それは俺がアホなんだろう、読書力?みたいなモンが足りないんだろう、とは思うけど。

なんか絶賛されてるし。海外でも。でもわからん。

つーかそもそも「文学」ってわからない。なんか読んでるうちに、「つーかうだうだいってっけど結局は男が子供こさえた女捨ててきたってことだろ?」とか思って終わるっつーか。漫画とかラノベの方がまだそういう意味でマシだと思う。世界観も、たいして味わいたいと思うような世界観でもないし。じめじめしてるだけの日本があるだけっつーか。小説ストーリーテリング能力しか求めていないのかもしれない。そしてそれは多分本読みの間では侮蔑対象にあたる……気がする。でも「話が面白い」「キャラがよい」「世界観がいい」くらいしかわからない。それ以外の「よさ」を感じ取れない。中学国語の授業の深読みってほとんどこじつけにしか聞こえないし。

あんまりさ、本読んで「つまらん。ここがつまらん」とか言ってると単に何にでもケチつける人ってだけに終わっちゃいそうで、でも小説を読んでも「結局○○○ってだけのことか?」とか「つまんね」と思ってしまう自分がいる。そう思ってしまうことが嫌で、結局小説って読まなくなったんだよな……俺。誰か小説の面白さを教えて欲しい。

あくびをするなと怒られた

まあ派遣先での話しだし、大して隠しもせずにでかい口を開けてたかもしれないけど、そこまで怒られないといけないのか。

悪いことなのはわかるけど、1時間早起きになってなれない電車通勤で疲れてんだよ。

まだ2日目だし。

せめて1週間くらい様子見てくれたっていいじゃないか。

1週間後に改善してるかはシラナイケド。

不眠症と居眠り症候群睡眠薬と眠気止めの薬をもらってることを話そうかかなり悩んだけど、どうせ「いいわけするな」か「気合が足りない」の2択しか返答が期待できなかったのでやめた。


これを読んだ社会人は「甘えてんじゃねぇよ怒られて当然だろうが」と思い、学生は「そのくらいで怒られるとかマジサラリーマンなんてやってらんねぇ」と思うだろう。多分

http://anond.hatelabo.jp/20090226190006

あんまよくわからんのだけど、池田信夫氏は

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1b94f612486b80ee6bfc0d14a7d63364

で、

その結論は、われわれとほぼ同じだ。危機の背景には、新興国の過剰貯蓄をアメリカが吸収したことによるグローバル・インバランスがあり、高いリターンを実現したようにみえる投資銀行金融商品の中身は多分詐欺的なものだった。それが放置されたのは、オフショアの「影の銀行システム」が銀行規制の抜け穴になっていたためだ。したがって今回の危機の主要な原因は、時代遅れ規制による「政府の失敗」であり、これを「新自由主義の行き過ぎという観点で捉えることは、誤った判断となる」。

と言ってるよね?池田氏が言うには、原田氏も彼同様に『危機の背景には、新興国の過剰貯蓄をアメリカが吸収したことによるグローバル・インバランスにあり』と言う主張だったと述べているように見えるけど、後段のこれでは、

しいて原田氏とわれわれの違いをいうと、彼は「グローバル・インバランスは必ずしも悪くない」という立場です。これはわれわれも、原則論としては同意します。インバランスが永遠に維持可能であれば、そのぶん世界GDPが嵩上げされるので、結構なことです。しかし今回の危機は、それが維持可能じゃないことを示したのだから、原田氏の原則論はちょっとおかしいし、後半の「日本内需主導に」という話とも辻褄が合わない。

『しいて原田氏とわれわれの違いをいうと、彼は「グローバル・インバランスは必ずしも悪くない」という立場です』となってる。これだと正直何が言いたいのかさっぱり分からん。田中氏の指摘を認めているようにしか見えない。田中氏の後段の指摘については反応が無いのがなおのこと良く分からない。

それと、池田氏コメント欄のこれ、

また「日銀はもっと果敢に金融緩和せよ」という話も随所に出てくるけど、FRBが「果敢」にやった金融緩和がこういう悲惨な結果をもたらしたことを原田氏がきびしく指弾しているのと比較すると、ダブルスタンダードの印象はまぬがれない。

つまり、原田氏は金融緩和に肯定的なスタンスであるってことを自ら認めているように読める。

そう受け取ると、田中氏が

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20090226#p1

で指摘していた

 さらに日本内需主導に転換するには云々の文脈に、公務員改革の話はまったく関係なし! それは長期的な効率化の話としてでてきたのであり、当面のこの不況への対応(つまり内需主導への転換)には直接関係ない。内需を増加させるのは、原田ら本では緩和政策。さらに本格的な回復にはアメリカの回復が必要である、というのが原田本の結論なのである。

の後段部分が説得力を持ってくる。前段部分については言及がないけれども、上記議論からの類推では、説得力のある主張なのかどうか怪しく思えてしまうなあ。構造改革を肯定する立場から田中氏に反論をするのであれば、この部分にしっかり反論しておかないとダメなんじゃないかと思うけど(全体的に反論できているように見えない)。

まあ、こういう議論が延々と続くのは確かに不毛なんだろうなあ・・・。

http://anond.hatelabo.jp/20090226180647

元増田なりに嫁が大事で娘が大事なら、別に石田メソッドなんか真にうけなくてもいいのに。

石田結婚生活に失敗しているしな。

多分石田メソッドは人との付き合いを定型的な形式に当て嵌めてしまってるから、

全ての人にある程度受けるけど深い付き合いを継続できないんだと思う。

結婚生活には向かないメソッドだ。

オードリーが好きなんだが。

去年社畜よろしく会社から酷使され滅私奉公してた為、最近流行っている芸人が全く分からない状態。ふとそんな自分に嫌気が差し、元の自分を取り戻すべく正月怒濤のようなお笑い番組ラッシュを見ていたんだけど、自分は老化が進み過ぎたのかお笑いが理解出来なくなったんじゃないかって位得るものなく流して見ていた。だけどそいつ等がダルい感じで見てた画面に現れた時何かがひっかかった。やたら腰が低くて手が早い丁寧な口調の短気な男とやたら居丈高で勘違いしてる男が、ほとんど展開しない話を延々と話続けるだけなのに声を立てて笑っていた。見なくなったM-1の準優勝者なのも年明け知った。

そこから文明の利器Youtubeをチェック。番組表もチェック。

年も同じで思いっきり親近感が湧いた所でmixiコミュをチェックしてみた。

いやーmixi怖い。

というかmixiオードリーファンが怖い。

中学生位だったらともかく、イイ年の大人が

若林カワイイ☆とか、春日の嫁になりたい♪

というの、なんとかならん?

なんか一人盛り上がりすぎてて最後に「旦那がウザイ」とか書かれると

この人にとってオードリー人達ってのは現実じゃない世界の人なのかなあ

とある意味世界観使い分けの上手さに感心する。

ジャニーズは全然好きじゃないんだけど同じノリのジャニ好きいるし、

ビジュアル系バンドの追っかけやアイドル親衛隊(懐かしい言葉)とかもそうだし

なんていうかテレビに出ている人に対する好きの表現が

「抱きしめちゃいたい」とか

結婚したい」

に繋がるのか、わからない。

多分自分は同じジムとか駅のホームとかに好きな芸能人が現れても一瞥して知らない人だから話しかけもしないだろうし、一個人としてみたらカメラの廻ってない時のその人を知らないから恋愛対象とか考えもつかない。

カメラの廻ってない所で話してみたい、っていう気持ちは少しはあるけれど、そんな人は日本中たくさん居るし、そこまで話してみたいかという、別に、という感じ。

それよりライブチケットが取れた方が数段嬉しい。

それはさておき、仕事を思い切ってやめたため、神経症のようになってた顔の表情筋硬直が治りました。

オードリーありがとう

オードリーはあまり関係ないかもしれない。)

怒り方というものがわからない。


最近知りたくて仕方が無いことがあるんだ。

「怒り」っていう感情の状態があるじゃない。 英語ではangerって翻訳される、顔が火照ったり声の抑揚が不安定になって声色が攻撃的になって、緊急に対策が必要だってシグナルをだすときのあれ。他人が怒ってるときはまあ当たり前だけどわかるんだ。

でも最近、俺は怒り方がわからないって気づいたんだ。 怒った記憶も無い。俺は別に仏でも恵まれてるとかボンボンそういうのでもない。 というか抑うつで寝込むことが多い。

・・・多分怒りってのははけ口として、メンタルヘルス免疫機構として作用してるものなんだと思うんだけど、俺免疫不全なんじゃないかと疑っているんだ。

何がどういうときに「よし、今は怒るときだ」って思うんだろう? どうやって「怒る」んだ? 日本語英語でググってみたけど、入門っぽいものはなくて、Wikipediaで「原始的な感情」とか見つけて凹むだけだった。 きっと、「怒る」っていうものを禁じられてきてたんだと思う。 家は色々問題があるから・・・

免疫をきちんと機能させないと本当にヤバい状態なんだ。

どうやったら怒れるんだろう? どうやって足がかりをつかんだらいいのかな?

2009-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20090225123950

元増田です。

たくさんブクマとかついててびっくりした!

 

あの、他の方が色々TBされてるように、もちろん100%がそのような「私を見て!」「同担禁止!」なファンではありません。

多少おおげさに書きました。

ただ、私が最初に一番びっくりしたのが、そこだったので。

コンサート行って、「こっちを見てもらう」っていう発想自体がなかったんですよ。

あと、

だからこそタレントが過剰に誰か一人にサービスするってのがダメなんだよね(私はあまり気にならないんだが)。

嫉妬云々よりも「みんなの●●くん」って空気を壊さない事が大事なんだろうと思う。

こちらに大きく頷きました。

ジャニヲタって「抜け駆け」をもの凄く嫌いますよね。

よく「○○君はルール違反するヲタに対しては厳しいから、今日は移動厨多くて機嫌悪かったよ!」とかいう話が出てくるけど、それって多分「(ほんとはしたいけど)席移動せずに我慢している私」の思い込み入ってると思う(笑)

正直もっと無法地帯だと思っていたのに、ヲタ同士の牽制のし合いによって、意外にもきっちりルールが守られてるんですよ。

こういうとこ、女子校っぽいというか、女の世界だなーと思います。

リア厨とかおばさんは、「そんなの関係ねえ!」とばかりに暴れてるけど(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20090224235316

これはこれで一面の真実なんだけど、10年来のジャニオタである私にはちょっと別の視点もある。

タレントがこちらを見たら確かに揃って「キャー」と喜ぶ。

ただ、それが本当に「この私を見て欲しい」のかというと微妙なんじゃないかと。

アイドルファンって女の子が揃って憧れの君を「見てるだけ」「キャーキャー言ってるだけ」の「ごっこ」遊び、「女の子同士の遊び」って側面がとても強いと思う。

みんなで「格好いい!」「こっち見た!」ってはしゃぐ事に意義があるっていうか。

「彼と私だけの世界」というよりは「彼と私達だけの世界」。

だからこそタレントが過剰に誰か一人にサービスするってのがダメなんだよね(私はあまり気にならないんだが)。

嫉妬云々よりも「みんなの●●くん」って空気を壊さない事が大事なんだろうと思う。

だから、同担嫌いは確かに多いけど、同担好きも案外多いと思うな。

一緒に4連6連のうちわ作って持ったり、ファンレター書いて同じ封筒に入れてとか。

ただ一緒にジャニオタやってると、自然グループ内で「担当」を分けるようにはなるね。

「え、あんたそれ?私もそれ気に入ったんだけど、かぶってもつまんないからなー。こっちにしとくか」的な(笑)

通販カタログでも一緒に見てんのかって感じだけど。

ああ、でも「憧れの君」自体は極端に言えば誰でもいいのだから、カタログからお好みでお選び下さいがジャニーズシステムなのかも。

ジャニオタって、男同士でナンパ競争するとか風俗行くとか、あれの女版みたいな感じがする。

あれって多分、単に女を楽しむというよりも「女を楽しむ俺達を楽しむ」って感じでしょ。

そういう感じっぽい。

http://anond.hatelabo.jp/20090224010925

どうでもいい追記をする。

ブクマコメントに「彼氏がいるって話の時点でそれを思いつかなかったのか」ってのがあったんだけども

実は彼氏ができたことは前に聞いてた。でも、なんていうか、それ自体にはあんまりびっくりしなかったていうか、別に友人は多分処女(というのは今までつきあったことないって言ってたから)ではあるけど、別に外見は普通のイマドキの子だから、そりゃ作ろうと思えばできるわなと思ってた。だからそれ自体には「へぇーかのうじできたん」という感じで私もどっしり構えてた。

ただ何となく、抱擁や接吻などを軽く経験した後なんとなく数ヶ月で別れるんじゃないかと思ってた。何となくというわりに具体的なんだけども。多分コミケが迫ってきて原稿が忙しくなったら別れるんじゃないかなと漠然と思ってた。セックスはするとしても半年はたたないとしないだろうみたいな風に思ってた。オタカップルだったし。最初数ヶ月は昼間のデートくらいで終わるんじゃね?と

だからまあ「キスしてさぁ」とかそのくらいなら「へへへへへぇーーーー」って感じで平気でいられたんだけどまさかセックスしてるとはさ……しかも言い方からして、「もう何度目かのセックスだけど、生でやっちゃってー」……って感じなんだよ。

だから驚いた。まだ2ヶ月しかたってないのに何?セックスに対するこの熟練ぶり。どんだけやったんだよ!!っていう。あああ考えちゃいけないのに考えるううううう

恋愛経験が結局、数本の乙女ゲー(終着点が「告白成功」)しかないから、付き合ってからどのくらいでナニをするかってもう全く想像がつかない……それでいて無駄エロ漫画は読んでるから妙に想像してしまう……

言うなれば「セックス」というのは私にとっておそらくファンタジーであったのに、目の前でそのファンタジーを共有していたと思しき人物がそれをリアル化してしまったからきっと脳が混乱しているのだ…「え?なに?マジなの?漫画じゃないの?どっち?」みたいに。

2009-02-24

もう、すごいダメ。前の恋人結婚するって聞いてから、毎日すごい鬱。夜中に嫌な夢を見て起きたりする。何もかもうまく行ってない。死にたいmixifacebook も鬱なこと書けない位、人がいっぱいだから僕は増田に書くよ。

多分、見た目にはすごくうまく行ってる人なんだ、僕は。みんな仕事ないって中で、転職も成功させたし。でも、わかった。今はなにか物に依存しまくってる。“成功した人”風になることにめちゃこだわってる。

なんでもいいや…

実はそうなんだ

http://anond.hatelabo.jp/20090224010925

僕は初めてのときまで、僕の身の上にそんなことが起こるとは思ってなかった。

勢いって訳ではないけど、なんとなーくそんな感じになるんだなー、ってあとから思い返しても不思議な感じ。

相手のリードが上手かったわけでもなかった。二人とも緊張してがちがちだったし。

でもキスして、なんだかお互いにもぞもぞして、あったかくって、でも恥ずかしくなかった。

嬉しくて泣きそうな気分になったのはなんでなんだろ?

まあ、ね。きっとそういう巡り合せがやって来るんだよ。多分ね。

あ、ちなみに僕はおにゃにょこだよ。

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