はてなキーワード: 廣松渉とは
われ発見せり
かつて真木悠介が『現代社会の存立構造』においてサルトルや廣松渉を踏まえて指摘していたように、疎外と物象化は労働の出来事なのではない。一般的等価物としての貨幣への物象化とは、貨幣経済としての資本主義、そしてその下で生じる労働疎外という現象の別の名なのだ。この両者の根底には、紙幣への物心的崇拝が潜んでいる。
ところで、二クラス・ルーマンによれば、近代社会とは社会的機能の機能分化が徹底して行われた社会なのだという。この徹底した機能分化により、教育や政治、経済、法、宗教などなどといった機能システムはそれぞれ他の機能システムとは無関連に自律的に作動するようになった。また、こうした特徴を持つ近代社会にとって、「社会を維持すること」とは「コミュニケーションを維持すること」を意味するようになる。そして、このコミュニケーションの接続にとって重要な鍵を握るのが、コミュニケーション・メディアと呼ばれる特殊なメディアなのであった(主なものとしては、経済システムにおける貨幣や、家族システムにおける愛などなどがある)。もしルーマンの言うように、現代社会が機能分化した諸機能システムと、その内部におけるコミュニケーションによって特徴付けられるとするなら、私たちはもはや物象化と疎外についても、それを経済領域だけに留めておくことはできない(また、当然ながら、経済領域は「土台」なのではない)。したがって、疎外/物象化論はその他の機能システムへも敷衍される必要があり、それぞれの機能システムにおけるコミュニケーション・メディアにおいて疎外/物象化が論じられなければならない。たとえば、「愛」をめぐっては、そこからの疎外として「非モテ」が論じられているが、しかしこれは「愛」というメディアへと関係性の価値を物象化、物神化しているがゆえに生じる議論なのだ。多極化/疎外状況を捉え、象徴的メディアへ批判を加えること。それが今なお可能な「唯物論」だろう。
編集後記 今回の徹底議論のタイトルにある「スカラベ」は『マルドロールの歌』に由来すると同時に、等しく『中島らも列伝』に依拠する。太陽をころがして地平線に消えたスカラベは、暗闇のトンネルを抜けて、今はまたここにいる。永遠の不断製。生者と死者は分かたれず、反転されたパースペクティブにおいて過去はそのままで未来だ。※中島らもという作家は他者を知らない。彼に語りかけられる言葉は彼の言葉であり、またそれは私の言葉として偶然に開かれるページに飛来する。だからこう言おう――「私はスカラベは知らない。そして知っている。」※特集にあたって多大なご協力を頂きました中島美代子氏に感謝します。(Y.S)
ユリイカ 2月号 第40巻第2号(通巻547号)
発行人・清水一人
発行所・青土社
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