はてなキーワード: コラテラル・ダメージとは
Colaboの件で、「家出少女が路頭に迷ったらどうするんだ!」というような批判を見かけるが、普通におかしいと思う。
たとえば弁護士は懲戒処分を受けると弁護士としての営業ができなくなるので、どれだけ悲惨なDV被害者の裁判を受け持っていたとしてもその裁判から抜けないといけなくなる。これは仕方ないことだ。あるいは、国内屈指の凄腕の外科医が人を殺したら逮捕されても仕方ないし、そのせいで手術を受ける予定だった患者さんが手術を受けられずに死んじゃっても、犯罪の追及が悪いということにはならないと思う。
同様に、仮にColaboが何らかの不正をしていたとしたら、Colaboへの処罰(よくわからんけど解散させられたりすんの?)は、Colaboが匿っている家出少女たちの保護よりも優先されても仕方ないでしょう。それでもし家出少女が路頭に迷ったとしても、それは不正をしていたColaboの責任であって、不正の追及者や追及者への賛同者が責任を負うような話ではない。刑事は凄腕の外科医を逮捕するときに患者に配慮する責任があるのか?
もしColaboが潔白で、なんの不正もしていないというなら、処罰を受けるようなことにはならないはずだから堂々としていればよい。暇空茜氏がしているのはあくまで「Colaboへの支出に関する都への監査請求」であって、Colabo本体への法的措置ではない(少なくとも現段階では)。
仮に何もやましいところがなくてもあれこれ探られるのは不愉快だ、という気持ちはわからないでもないが、公金を使うというのは情報公開の責任を負うということなので、ある程度公文書を漁られるのは甘受するべきだ。森友学園問題で黒塗りの公文書を出して平然としていた安倍晋三氏のような恥知らずな人間――生きて監獄にぶち込まれるべきだったのに、凶弾に斃れてしまったのは実に残念だ――になりたくないのなら、公文書を可能な限り開示することに協力しなければならない(もちろん、たとえば被保護者の個人情報とかシェルターの位置に関する情報とかは黒塗りでもやむを得ないし、おそらく暇空氏も納得するだろうが、定款すら黒塗りにするのは異常と言ってよい)。市民には主権者として行政を監視する権利と責任がある(っていう正論を言うのが共産党の役目だと思ってたんだけど、なんで今回は追及に反対してるんですかね……)。
もちろん、「いや、いかなる場合であってもコラテラル・ダメージには配慮すべきだ」という道徳的立場はありうるだろう。
しかし仁藤夢乃氏やその他の「表現に意見を言う」フェミニストの人たちは、コラテラル・ダメージに配慮してきたのか?
温泉街の町おこしの一環なのだから、あんまり強い批判をすると地域経済にダメージが……のような意見はいくつもあったと思うが、仁藤氏はそのような意見に耳を傾けてきたのか? 献血量が減ったらどうするんだ、という点に配慮して献血ポスターに「意見を言った」フェミニストはどれくらいいたんだ?
当たり前だが、『温泉むすめ』へのバッシングによって温泉街の売上が落ちようが、『宇崎ちゃんは遊びたい!』とのコラボへの批判によって献血量が減ろうが、それは直接的に仁藤氏やその他のフェミニストの方々に責任がある話ではない。それは正しい。彼女たちにコラテラル・ダメージへの責任を求めるのは間違いだ。彼女たちにはそれらの表現を批判し、少なくとも主観的には正当な追及をする当然の権利があり、権利行使にあたってコラテラル・ダメージに配慮する必要はない。
だったら、別に彼女たちを批判し追及する側もコラテラル・ダメージを気にする必要はないんじゃないか? 少なくとも主観的には正当な不正追及をしているに過ぎないのだから、その権利行使にあたってコラテラル・ダメージへの配慮は不要だ。彼女たちだってそうしてきたじゃないか。彼女たちの対立者が同じことをして何が悪い?
だいたい、彼女たちが保護しているのは家出少女だろう? 赤ん坊でも重度の火傷患者でもない、つまりしばらく放り出されたことで直ちに生命の危険が生じるようなことはない。Colaboには多くの支援者がいるんだろう? もしも仮にColaboの不正が証明され、もう家出少女たちがColaboに頼れないような状況が生まれたとしたら、支援者の皆さんからカンパを募ってビジホにでも泊まったらどうだ? 支援者の企業で清掃のバイトでもさせてもらえばいいんじゃないか? 沖縄や韓国で座り込みやデモに参加できる程度には健康体なんだろう? そんなのは不正の追及にあたって配慮されるべきコラテラル・ダメージではない(仮に重い症状で枕から頭も上げられないというなら行政や医療に助けを求めるべきだ)。
以上の2点から、「家出少女が路頭に迷ったらどうするんだ!」式の批判にはまったく賛同できない。
そーいえば、イージス・アショアで防衛省が地元住民に舐めた態度を取って計画が頓挫した件で、ネトウヨ諸氏が「これで国防が危機に瀕したらどうするんだ!」って大合唱してましたね。いや、そんなに国防上大事な施設なら、地元を舐め腐って反感買うような真似はよしなさいよ、仮に国防プランが大幅な再検討を強いられたとしてもそれは住民の責任じゃないでしょ、って増田は思ってたし、多くのリベラル派の人たちもそう思ってたはずだと思いたいんだけど、なんで対象がColaboになるとリベラル派の人たちがネトウヨの皆さんみたいな理屈を振りかざすようになるんですかね……っていうか、森友学園の件でマジギレしてて、選挙権を得てこのかた自民党には入れたことがないアンチ自民マンのワイからすると、あんな海苔弁公文書が出てくる時点でありえないんですけど。あんな市民の知る権利を侵害する気マンマンな公文書出してきてどこが都民ファーストだよ。さすがは関東大震災時の朝鮮人虐殺を否認する歴史修正主義者がトップにいるだけあるわ。あーやだやだ。もっと公文書をきちんと開示する「普通の国」になってほしいよ。
経済が大打撃とか医療崩壊で人が死ぬとか,そういうピンチばかり取り沙汰される世の中だけれども.
もっとマクロな視点で見たときにチャンスなんじゃないかってずっと思っている.
だって,社会保障におんぶにだっこな生産性皆無どころか生産者破壊を継続的にやってる連中を合法的になし崩し的に消し去れるんだぜ?
みんなで自粛!耐えて乗り切ろう!みたいなお題目は,いくら唱えても解決しないし金は増えない.時間とともに溶けていくだけ.
だったらもういっそ社会全体がこの災禍に罹患して,一定割合はコラテラル・ダメージとして退場してもらうのがいいと思う.
年代ごとの重症化率やら死亡率やらを見たときに,どうにもいい感じに,それこそ”神の見えざる手”のごとく人口調整がなされる気がしてならない.
きっと今の政府はこれを自覚してて,他の国々みたいなカネカネカネで解決しようと思えば出来たはずなのにそれをしなかったんだと思う.
中枢にはマジの切れ者(だけど日本史に残るサイコパス野郎)がいて,
「もしカネを出して乗り越えようとすれば,期限である〇〇年以内に収束しなかったときに致命的に立ち直れなくなる」
「もし機に乗じて人口を調整できれば,社会保障その他歪な構造をこの短期に改革し次世代に希望をつなげることができる」
男が憎くて仕方がないフェミの皆様は今すぐ武装して目につく男をリンチしたらいい
匿名で言ってもバズれるのなって一部の一部、日本死ねぐらいです
だから実際に行動を起こしましょう、目につく男をリンチして殺し、子供を押し倒してタマ潰して去勢
そんぐらいやりゃいいじゃないですか、出来るんでしょ?男が嫌いなんだから
まさか逮捕されるのが嫌だとか言いませんよね?男だけディストピアな家畜人ヤプーな世界を望んでいる様ですが
革命には暴力と犯罪が求められます、暴力と違法行為を用いまくって全てひっくり返してから、支配者の権利として「なかったこと」「コラテラル・ダメージ」にしたらいいでしょう
さあ、やれよ、女ども
GoToって観光業界を助ける為だけどここで金注いでもそもそもコロナ後に観光の人気が戻るのだろうか?あの時倒れてた方が損害少なかった、ってならんかな?
ひどい言い方になるけどこの先どう頑張っても潰れる見込みの業界なら助ける意味ないよね?あくまでもコロナ後に回復するという前提でやってるよね?
とりあえずピークは過ぎたとして特効薬とかできない限り元のレベルには戻らない気がするんだけど皆どう思ってるんだろ?
他の業種にも言えることだけどレコードの針を作る業者みたいにほとんど淘汰される見込みの職、という認識になった物に対して支援するべきなのだろうか?
コロナを戦争に見立てた国はそういう覚悟を決めているのだろうか?そう言えばコロナ以前にもう日本は終活するべきって言ってた人も居たなぁ。
トリアージっていうかコラテラル・ダメージっていうか、政権とその支持者は暗黙のうちにライブハウスとかエンタメ業界は見捨てたよね?
本当、許しちゃいけないよね、ロリコン
そういう事もわからずに、Twitterとかで無邪気に「男湯に幼女キター」とか呟いちゃう
人を殺そうと思ってるわけでもない
たまさか1tの鉄の箱を時速60kmで動かしているだけで犯罪者予備軍とか考えるのは頭がおかしい異常者
あなたも、あなたの親兄弟も、あなたの恋人も友人も同級生も同僚も、免許持ってる人はみんな2・30kmの速度超過くらいやったことあるはず
眠気を我慢して長距離運転したことを武勇伝のように語のも普通にいるはず
それを、人殺しの予備軍として社会的に抹殺しようとか、キチガイでしかない
車は便利だから、少々の被害はコラテラル・ダメージだし、事故を起こした人が悪いだけ
【私は大丈夫】
ロリコン?
現実で襲ってない?
ただの絵?
患者本人ないしは家族であった場合は、「A医師を呼んでくれ」と思うだろう。しかし、制度論のレベルでは、やはり「C医師に任せるべきだ」と言わざるを得ない。制度論というのは目的実現のために何かを犠牲にする場合がある。「えいやっ」と決めてしまわないと、A医師が呼ばれてしまう個別具体的な事案は際限なく広がって、優秀なA医師の負担はこれまでと同じように増えて積み重なっていく。これを避けようというのだから、「呼ぶな」と言うしかない。それで「救える命」が「救えなかった」としても、コラテラル・ダメージ…というか、そもそも「救えなかった命」であったと考えるしかない。まあ、具体的状況で納得できるかというと、たぶん怪しいが、それはそれ。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120226.html#p01
パ: お待たせいたしました。こちらでタイムズのシステムについて確認をさせていただいたんですけども、パスモからタイムズにお客様のお名前等の情報は一切提供しておりませんので、
私: そんなこたー訊いてないよ。
パ: はい、どういったことでしょうか。
私: え?何を調べてきたんですか?
パ: ……。あの、お客様が、さきほど、タイムズを含め事業者が情報を持っているのであれば、マイページを閲覧できてしまうのではないか、危険ではないだろうかというお話をされていたので、鉄道事業者に関しましては、パスモについて個人情報徹底管理をこちらから指導させて頂いておりますので、そういった勝手にお客様の履歴について閲覧をしてしまうということは、ないように指導させて頂いておりますので、その、タイムズについてどういった情報を持ち得ているかという状況を確認させて頂いたという状況でございます。
私: ええ、そしたら?
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20120226ddm002070124000c.html
社会学者のジグムント・バウマンは「ゲーテッド・コミュニティー」を例として、過剰な「安全」の追求は何をもたらすかを述べている(「コラテラル・ダメージ」青土社)。彼の卓抜な比喩によれば、それは「子供たちが完全に安全な環境で水泳を覚えられるようにと、プールから水を抜くようなもの」なのだ。
安全とセキュリティーには「これで十分」という基準がない。それゆえに放射能のように、「これ以下は安全」というしきい値が未確定で、なおかつ眼(め)に見えない存在に対する場合ほど、安全性の追求は「強迫観念」に似たものになる。
そうした強迫観念は、バウマンも指摘するように「恐怖心や不安、敵対心、攻撃性、道徳的な衝動の弱まりや抑制に伴う、不安定さの縮小ではなく、むしろその急速な増大」をもたらす。また長期化することで、相互信頼が掘り崩され、猜疑(さいぎ)心(しん)の種がまかれ、意思疎通が難しくなる。
三点。