はてなキーワード: 法則性とは
日本の愛国者、、っていうかアメリカやイギリスもそうだけど、生産性は左翼以下だよね。
例えばLGBT、インバウンドなど多様性社会に向けて稼ぐビジネスいっぱいあるのに、右翼的なビジネスなんかある?旭日旗のTシャツか嫌韓の出版物しか思い浮かばない。
結局分断と保守は資本主義、現代国家との相性は最悪で、極右の目指した理想郷は言わば北朝鮮の建国神話ベースの全体主義国家だよね。
自分は台湾出身なので、中国の政治状況を常に観察してる。それで日本のネトウヨと中国の粉紅はかなり似てるとわかった。
粉紅の大金持ちも勿論一定数いるが、ただ全員例外なく農村生まれ、大学同等かその以上の学歴がなく、狭いコミュニティに依存する傾向がある。
また、一定した法則性のあるものが好き、権威に縋りやすいのも特徴。
なぜリベラルな世界観に生きてるのに、自ら思想信条を縛ろうとするのか、、ネトウヨはまさに不思議な存在。
ちなみに個人は粉紅が嫌いだから、メンタリティは粉紅と瓜二つのネトウヨもかなり無理、、想像した謙虚な日本人像とは全然違うから、尊敬できる要素ゼロ。
薄っぺらい感傷主義、なんでも人のせいにしがちなところも、Qアノンかネオナチ以上に気色悪い。
例:沖縄のレイプに関しては米軍側に付くとか、明らかに女性嫌悪、マイノリティ差別という目的で、右翼をあくまで手段として利用してる感がすごい。
ちなみに日本が先進国になったターニングポイント、近代だと大まかに明治維新とGHQの思想改造だと思うけど、前者は反体制で後者は旧帝主義に対する否定、改革だった。
どっちも保守的イノベーションとは言えない(ていうか保守的イノベーションなんてあるかが疑問)、ただ現代の日本社会にとってはこの二つの事件ともに不可欠であった。
最後に質問なんだけど、右翼はなんで自分のことを愛国主義者って言えるんだろう?そしてみんなの思う愛国主義者はどんな人なのか?
日本みたいな島国と違って、地続きなのに、「一緒には住めない」と思ったから別の国として独立してるわけで、「アイツらとは違う」という選民意識はどこの国でもあると思う。
でも、日本の場合、他国と自国の間に線を引く、他国民と自国民の間に線を引くにあたって、日本という国家や日本人という概念があまりないまま、よそ者、外人、くらいの雑なくくりで認識してる。島国で侵略を受けた回数が少ないことや、幕藩体制もその前の戦国も連邦国家だったためだと思う。
偉大な王が興した国も腐敗してグダグダになり遊牧民が滅ぼすというようなのももちろんだけど、いろんな事件や物事を、故事成語や宗教の言葉、古典文学の一節に絡めて総括したがる。
アメリカ人は、歴史に「なぜ?」を求めるけど、誰のどういう決断によってどう動いたかということに帰結させようとする傾向が強く、歴史は個人の決断が動かしたと考えてる。「そのときあなたならどういう決断をすべきか?」という歴史教育をする。
フランス人は社会全体のうねりに帰結させたがる。誰々から誰々の手紙みたいな、膨大な一次資料を歴史の授業の教材にする。フランス革命がアイデンティティなのだと思う。
日本は、歴史にifを求めないし、歴史を責めない。あちら側からしたらそれが正義で、こちら側からしたらこれも正義で、全ての出来事は仕方ない。みたいな考えに落ち着く。
イランの鼻につくところは、選民思想と歴史観が、悪魔合体してるところだと思う。それでいて、こんだけ欧米から干されてもうまいこと綱渡りしてるし、アカデミアは強いし、賢いっちゃ賢いんだろうけど、やっぱ特異的だ。
それより、日本じゃイラン人っていうと薬物関係の犯罪者が多い印象。北朝鮮やロシアといい、欧米に輸出入を禁じられると違法な物品の売買が強くなるだろうか。ならずもの国家だからなのか、欧米が締めつけるからならずもの国家になるのか、卵が先か鶏が先かだね。
舞台は、魔法が日常に溶け込む世界。魔法使いは、呪文を唱え、魔力を操ることで様々な魔法を発動する。しかし、魔法使いの才能は生まれつきで決まっており、才能に恵まれない者は、いくら努力しても強力な魔法を使えない。
主人公は、才能に恵まれない少年・リョウ。彼は幼い頃から魔法使いに憧れていたが、自身の才能の無さに絶望していた。そんなある日、リョウは母親の焼いたパンの出来から世界の確率について気づきを得る。気づきは、データに基づいて未来を予測する知恵だった。リョウは、観察を駆使して魔法を数え、その法則を解き明かしていく。そして、魔法は単なるランダムな現象ではなく、分析することで一定の法則性があることを発見する。
とある日、リョウは学園の不良魔術師である「石礫のケン」と決闘することになるが、事前に調べていた石礫攻撃の分散とパターンを見抜いて勝利する。
リョウは、観察と計算を活かして、畑の収穫を増やし、有効な薬を見極め、のちに「統計学」と呼ばれる強力な魔法体系を編み出していく。彼は、統計学の魔法で、魔力に恵まれない者でも強力な魔法を使えることを証明する。
統計学の魔法は、瞬く間に広まり、世界を大きく変えていく。才能に恵まれない者たちが、統計学を学び、魔法使いとして活躍する時代が到来する。
あとマチアプの女は〜っつってるけど
同じマチアプでも、男向けには「すぐヤれる」を連想させる「胸!」「欲求!」「あなたを待ってる…♥」プリンプリン♥なデザイン表示する一方で
女向けにはスーツの男とオフィスファッションの女が陽射しの中でニコニコ、真面目なお付き合いを〜みたいな、清潔感を押し出したやつ表示しとるんや
そこのズレ知っといた方がええで
直近こじらせたきっかけは多分2つ。
2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまったこと。
それぞれのきっかけと自分の精神状態、思考方法、思想、そういったものを絡めながら言語化していく。
大学来の親友が結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。
洗面所にはずっと歯ブラシが2本あったから、半同棲をしていたんだと思う。
そいつに彼女がいるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。
だから聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。
先週あたりにその連絡がきた。普通に嬉しかったし、本当にめでたいことだと思った。
ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。
匿名で書き込んでいるから説明しておくと、私は一昨年末に離婚している。当時27歳だった。
1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。
そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。
ただ自分があさましいというか、自分が叶えられなかった幸せを他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。
どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情がコンタミする。それに端を発し、また自己否定のフェーズに入る。
我々はそれなりにいい大学を卒業した。もっとも自分は留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。
学歴至上主義を否定できない現代日本で、母校の新卒カードは結構な効力を持っていることを、今なら知っている。
ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社の雰囲気が良い小企業に入社した。
社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。
ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業に就職して、それなりに稼いでいる。
経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。
ただ、自分の生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。
社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。
昔からそうだ。
第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。
弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモアで大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。
幸い、頭だけは良かった。特に、物事の法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。
だから勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校や大学に進学した。
そこで出会う友人たちは、どことなく自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。
ただ、社会進出は孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚。
特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。
俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。
頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。
自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。
まあ、優秀な同級生と自分の対比はよくやってる内省のテーマだから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。
続けて、先日の飲み会の話。
その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。
自分も飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。
案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。
それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。
どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。
もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。
自分よりイケてない(と自分が勝手に思ってる)やつが、その子とイチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。
たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人は日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。
この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論)
自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的で昭和チックな価値観を持っていると自覚している。
だからこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾も気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい。
うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。
他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。
なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。
最近は金の事ばかり考えている。なぜか。
ならば自分はモテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。
離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックスが普通に好きなので。
自分のセックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。
恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。
死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。
「同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、
「結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、
頭おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって。
男子中学生も男子高校生も、ここまで人生観やライフステージや愛についての解像度は高くないと思う。
だからこの拗らせ方は、セックスにコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。
「風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。
だからこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。
…言語化しなくても気が付いている自分の本心を直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。
色々努力したつもりなんだ。
元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。
そのへんの1000円カットから、カット&パーマで15000円する美容院に鞍替えした。
眉毛の処理は欠かさずするようになった。
爪磨きを買って爪を磨くようになった。
こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。
ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。
マッチングアプリでモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。
女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。
ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。
…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。
正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバい奴しかいない思っている。
からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。
そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性の修正の仕様がない。
もしくは高望みしすぎか。
学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。
ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか????
というか、自分のモテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。
なんのために「努力」してきたのかももう分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せまである。
弱者男性の言動や思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバーを引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。
自分の性欲が本当にノイズでしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。
去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。
なんかもう詰んでね?
書き方が悪かったせいで、自分と学友のBLを想起する人が少なからずいたため、該当箇所を修正しました。
ブクマコメントや言及の中で、特に結婚・離婚の話が薄いみたいに言われていたが、確かに離婚の話は自分のコンプレックスであって、それはそれで大いに病んでメンクリにも通った。
ただその話は今回の題意にはそぐわないと思っているし、破局原因をすべて言語化することを拒んでいる自分がいることも自覚している。
だから離婚の細かい話について、ここで掘り下げて共有するつもりはない。
勝手な推測でグチグチ言われるのは心地いいものではないが、それも匿名性のある意味よさだと思うので、やめてくれとも言わないけど。
それから、一部「本心が全然書かれていない」的な意見が散見された。
これが本当に分からない。自分でぐちゃぐちゃ書かれていることをなるべくゲロ吐いたつもりだったんだけど、本心ってなんだ。
自分軸で生きてるか他人軸で生きてるか的な論?かと考えたけど、そういう話?
そもそも人間は少なからず他人からの評価を優先して生きてるっぽいですよ(ソース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000030921.html)
いくつもあった励ましとか、匿名性ゆえの叫びを評価してくれた人には改めて感謝を。
みんなの言語能力が高くてちょっとビビる。読書量の差を感じた。
例題の法則性が見えないので他を求められてもという感じ
オタク特に二次創作を嗜むオタクの間での「考察」って、どうしてこうも鬱陶しいのか
ただその内容かあまりにも定型的で、作品本編の内容を見てないっつーか
例えば、
表紙で一人だけ違う向きを向いているから死ぬ!キービジュアルで立っている奴は生き残って座っている奴は死ぬ!
表紙になった巻の背景が白のキャラは死ぬ!黒のキャラは生き残る!
誕生日にはこういう法則がある!法則に当てはまってないキャラAが死んだから同じく当てはまらないキャラBも死ぬ!
イラストで左目を隠していたキャラは左目を失明する!右手を隠していたキャラは右手を欠損する!
……こんなのばっかり
これって作品を作る側になってみれば分かると思うんだけどなあ…
普通はそんな事前にバレバレになるような書き方する訳ないでしょ
向きが違うのはその方が構図として格好が付くからであったり、その時点での人間関係を表していたりするからです
誕生日に法則性を持たせたりキャラの重要度によって設定の凝り具合を変えたりする事があっても
それが生死に直結する訳ないです
キャラの生死なんて究極的な情報が、本編を読まずにバレバレになったらつまらないじゃん
目や手を隠すのはキャラの心情の表現だったり描くのが面倒だったりするからです
この手の「考察」って何故か、絶対にこうなるに決まっているという断定口調で書いて
外れた後も考えを改めない人ばかりなのは何故なのか
「法則」が外れた後でもそれに固執して、当てはまってないんだから死ぬのはおかしい!絶対に復活する!と断定口調
考察が外れてた事の方を認めなよ
定型発達者同士の雑談的な会話って要するに「鳴き声」だからな。お互いに悪意が無いこと、味方であることなどを確認して関係性を保つことが目的であって、発話してる言葉の意味はどうでもいい、というか関係ない。
ぶっちゃけ、「最高?」「最高!」「最高最高〜!!」「最高最高〜!!」でも会話は成立しているし、これで成立している以上の意味の交換はそもそも無い。
そういう「会話」においては「正しく鳴く」ことだけが重要なんだけど、元増田はみんなが「ワンワン!」と鳴いてるところで「チュンチュン!」と鳴いてる感じ。周りは「なんだこいつ?」となって関係性の確認が成立しなくなる。
どうやったら正しく鳴けるようになるのかは分からん。パターン認識を頑張って大量の教師データから獲得するくらいしかないとは思う。基本的には生まれつき出来るかどうかの問題だからね。
「主語が”I”な発言は厳禁」みたいなノウハウは、本来生まれつき感覚で出来るからわざわざ言語化する必要のない法則性を、できない変な奴向けに仕方がなく無理矢理言語化したものに過ぎないので、記述として不正確で不完全になっていると言える。
反リベラル、反フェミニストのバカさにほんと呆れ果てるな。大学行ってからネットやった方いい
アイツら小卒しかおらんやろ
大体「私は100%の事実であるという自然科学的証明がなくてもほぼ全世界で疑いようがなく帰無仮説を棄却できるとして扱われること」の意味がわかりません。私には分からないので、批判します(?)
とか、
とか、
文字や出来事の解釈は完全に自由で、個人それぞれの考え方に依るだけのものであり、そこに妥当な解釈や法則性などは存在しません
もう倫理や哲学や社会学で議論され尽くしてる内容だとしても、私が知らないから、存在しません
そんなんしか言ってないんだよな
朝活書写とかSNSに上げるの流行ってるけど、下手くそな字を見るのが猛烈に不快でブロックしてしまう。
下手な字、本当に不快。
別に書写のお手本みたいな字でなくてもいいのだが。
一定の法則性を持った癖字ならそういうフォントとして見ることができるから、そこまで不快ではない。
苦手なのは、なんでそこで妙に曲がる? なんで字の大きさ揃えない? 筆の運びからいってそこでのとめ・はね・はらいはおかしいのでは? という感じのバランスの悪い字。
自分の心が狭いのはわかっている。
好きな筆記具で好きな言葉を書いてみんなにみてもらいたいという気持ちは大肯定したい。
ただ、とにかく苦手なので自分の目には入れたくない。
(何かの配慮を求めたいということではなく、こっちで自衛するから本当に気にしないでほしい。ただ苦手だということを言いたかった。)
バーガーキングたまに行くんだけど、何円か以上もしくは注文したらレシートにアンケートがついている
そのアンケートに今回の評価書けば番号が出て、レシートにその番号を書けば次回はドリンクが無料になる
なんだけど、その番号店員さん確認してるようには思えないんだよね。
アルファベット2桁数字5桁の照合しているようには見えず、いきなり注文受け取っているように感じるけど番号に法則性とかあるのか?
魔法に対して仮説を立て実験を行い観測し法則を見出し体系化する……とすればそれは科学的な魔法か
科学的手法が存在する世界では、観測できるものはすべて科学の対象となる、ってことか
別に魔法と科学が相反するものである必要はどこにもないのだろうけど
もし、魔法と科学が相反するものであるとするならば魔法はどのような性質を持つか
パルプンテとか
パルプンテの法則性を突き止めようと人生を捧げる魔法科学者がその世界にはきっといる
科学的手法とは別の魔法的手法とでもいうべき方法論がもしあって、それが科学とは相いれないのであれば対立するか
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『葬送のフリーレン』に「ゾルトラーク」という魔法が登場するが、この魔法は魔族によって「開発」され、人類によって80年間「研究」されたらしい
こういう言説をあちこちで見かけるようになった。
でもそもそも宗教と完全に切り離された状態って人類に存在したのだろうか?
サピエンス全史の暴論を鵜呑みにするのならば「そもそも宗教がなければ人類は知性を獲得していない」という前提が成り立つ。
だが世界の歴史の中には宗教と無縁のままに知性を獲得した民族がいるのではないだろうか?
または、宗教を完全に締め出すことに成功した国家は一度も存在しないのだろうか?
学校の授業ではこの辺を全く習ってない。
特定の宗教が強い国家が、他の宗教を弾圧するという、ヤクザの縄張り争いみたいな話は山程聞かされたが、そもそも何の宗教も存在しない状態については聞いたことがない。
古代文明の話においても土着の信仰についての話題が付きまとってきた。
宗教と完全に無縁な状態の人類とはどういう状態になるのだろうか?
コミュニティの全員が完全に宗教を切り捨ててた状態は存在したのだろうか?
死者を弔うことはあってもそこに冥界を信じる心は持たず、魂の実在も信じることがないコミュニティが成立した時代はあったのか?
学校で習った範囲でしか世界史を知らない俺は全くそういうのが思いつかない。
俺が習った範囲においては、人類は常に何らかの信仰やスピリチュアルな認識と共に生きてきている。
いや……だが……我々が現代科学という信仰を手にしたことでかつて科学と信じていたものを非科学的と切り捨て、それに宗教性を見出しているだけなのか?
じゃあ……幽霊の存在を信じるまではセーフだけど、神様がいてお祈りや捧げ物をするとボーナスタイムに突入するって考え方が存在しないコミュニティぐらいの感じで……。
これでもなさそうだね。
神の存在を科学として認識してそうな気がするんだよな……まともに実験とかやってなかった頃の人類……神がこの世界をプログラミングしたからこの世界はこういう法則で動いてるんだぜ?もしも誰もこの世界を作ってないんだったら再現性が担保されるような法則性が存在するはずがないじゃんだって世界はカオスなはずなんだもの!みたいな感じで無から神がボンボコ湧いてきてしまう気しかしねえ……