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2024-04-27

anond:20240426132335

そこは女じゃないと矛盾するだろ

フェミ曰くレズにならレイプされていいって事になるぞ

学歴大丈夫か?高卒w

anond:20240427112429

リベラルとは、仮想敵国であった韓国敬愛して止まなかった安倍元首相主従関係だったことが明らかとなったことで自己矛盾解決できなくなったネトウヨが作り出した新しい仮想敵概念であり、実態がないことは数々の識者が指摘している[要出典][誰が?]

「0歳児から投票権」はドイツでどのように議論されているのか?

 維新の会共同代表吉村大阪府知事が、「0歳児投票権」(未成年の子投票は親が代理して行う)を提案し、維新マニフェストに加えたいという意向だという。

https://digital.asahi.com/articles/ASS4T2RNLS4TOXIE01TM.html

 これについて同党音喜多幹事長が、次のようなツイートリツイート(リポスト?)していた。

吉村知事の0歳児投票権=ドメイン投票の実現可能性は兎も角、海外で真面目に議論されて国会まで行った話を、あたかも与太話のようにせせら笑い取り合わない風潮をみると、この国の知識レベル心配になる

海外議論で主な論点はすでに整理されてるが、日本SNS界隈の反応はそのレベルに達してない

吉村知事が言ってるドメイン投票は例えばドイツでは連邦議会において議論され、(https://bundestag.de/resource/blob/531942/6669f3e29651882065938fc6a14fd779/wd-3-157-17-pdf-data.pdf)、無論導入にはいたらなかったものの、第三次メルケル内閣のManuela Schwesig家族相など、賛同者もいた昔からあるアイディアの一つですが

それを「頭がおかしい」はさすがに乱暴すぎでは

https://twitter.com/Barrettm95sp/status/1783579344503529489

 ドイツ連邦議会議論されたというのは、この議論が無理のあるものではないということを示す一つの傍証とされているのだろう。音喜多氏もこれを自分議論を支持する意味でリポスト(?)しているようだ。ただ、リンク先のPDFを見て色々な意味で驚いた。

 第一に、このPDFドイツ連邦議会調査局(Wissenschaftliche Dienste)が作っているものである調査局が作っている立法資料を持ってきて連邦議会において議論されたというのは羊頭狗肉の感がある(※)。たとえば日本国会図書館調査及び立法考査局が資料を書いたら国会議論されたことになるのだろうか。

 第二に、調査局の報告書という体裁上、両論併記的であり、あまり執筆者個人意見は出ていないが、この提案に対する分析の水準は明らかに日本でいま議論されているようなレベルのものではないことに驚いた。なお、ドイツ法に詳しくない方のために申し上げるが、ここから先で述べる「基本法」とは、ドイツにおける憲法典日本憲法のような)にあたる法である

要約すると、

・親に子どもの数分の選挙権付与するモデル(Modell des originären Elternwahlrechts)は、ドイツ基本法38条1項1文が保障する平等選挙原則に反するし、平等原則原則20条の民主的連邦国家原理に含まれる。したがって、基本法79条3項の定めにしたがって、このような提案はたとえ基本法憲法改正によるとしても許されない。(4-5頁でバッサリ斬られている)

・一方子の選挙権を親が代理行使するモデル(Modell des originären Kinderwahlrechts)については、別途の考察必要になる。(同)

基本法38条2項(選挙権年齢)の改正必要という点はともかくとして、実質的な側面としてはやはり基本法79条3項が定める基本法改正限界について検討するべきであるが、そこで重要になるのは、基本法20条の民主国家原理に含まれ平等選挙原則にこのようなモデルが適合するか否かである

・親の代理投票主唱者は、親は子の票を受託に基づいて行使するので、平等選挙原則に反しないと主張する。すなわち、親自身投票権行使と子の投票権行使区別して行うべき制度であれば平等選挙原則に反しない。また、たとえ平等選挙原則に反するのであるとしても、このような制度普通選挙原則選挙権を万人に付与すること)に奉仕するから、その意味では民主主義原理に役立つ(※基本法20条、ひいては79条3項に反しない)。(7-8)

・このモデルへの批判者は、まずもって、望むか否かは別として政治プロセスに参加できない人にも選挙権を与えても、民主主義正統性は得られないとする(※普通選挙の拡大という言い分は見せかけであるということだろう)。そのうえで、親による代理投票は、事実問題として、親に複数の票を与えることに他ならない。親自身の票と子の票を区別して投票するという仕組みは非現実的であるそもそも代理投票という仕組み自体子ども成熟していないということを前提としているのであり、親が子の受託に基づいて投票するという議論矛盾する。加えて、親を通じた代理投票という仕組みは、選挙権一身専属的な権利であり、国家意思形成責任を持って参加する力をその人だけに与えるものだという側面を無視している。結局、基本法20条、ひいては79条3項に反する。(9-11

 ここから分かるのは、ドイツでは親の代理投票制度は、普通選挙の拡大に資するし、かつ、代理投票モデルであれば、平等選挙原則に反しないという形で議論されているということである。少なくとも「消滅可能自治体」があるからかいう「地方創世」で一山当てたいコンサル向けのくだらない理由提案の原点なのではない。また、少なくとも表向きは、少子化対策のために子持ちの票を増やそうという理由でもない(その理由馬鹿らしさはこれでも読めば良いhttps://mond.how/ja/topics/v35a8jk8lwp89el/jw3f2o4dj0z9fo4)。あくまでも普通選挙の拡大に資するというのが理由である。より民主的政治制度への変更を試みようという提案(として自らを位置付けている)というわけだ。ただ、民主主義平等選挙原則も同様に要請するからドイツ人がやっているように、平等選挙原則と両立するかを考えなければならない。

 平等選挙原則に反しないというためには、親自身投票と子の投票を厳密に区別する必要がある。それが現実問題として可能なのかということをしっかり考えなければならない。この仕組みの賛同者がドイツ連邦議会調査局を区別していないというぞんざいなやり方をとっていることからすると、どうもドイツ議論は話の枕に使われているだけで、ドイツ議論を真面目に受け止めて、そのような制度可能なのかを考察する者はあまりいなさそうだ。私個人意見では、親と子の投票を厳密に区分した制度を作ることは無理だろう。というのも、この仕組みが問題になるのは、子の投票意向と親の意向が相反する場合だが、その場合、子は自らの投票意向を開示して親を説得しなければならない。これでは投票秘密も何もあったものではなく、逆に子が投票秘密を守ろうとすると、親の投票意向コントロールすることはできない。それでは子から投票付託されたという代理人という建前が崩れる。また、投票意向が明らかにならない子について親が「代理」するのでは、結局親に二票与えるのと変わりがない。加えていえば、代理権を持つの母親なのだろうか、父親なのだろうか(吉村知事制度実現のあかつきには自身が子の分も含めて4票あるというので、父親が前提なのだろう)。ここは、親と子の投票を厳密に区分するという発想をとれば実は問題が生じない(子の意向に沿うならばその票を投ずるのは父でも母でも他の保護者でも構わない)のだが、先程述べたように、特に投票意向を表示できない子については区分は無理だろう。したがって、事実上「二票」入れられるのはどちらなのかという争いが生じざるを得ない。そのような場合には「0.5票」を両親に付与することも考えられるが、正面から両親に票を与えることを認めれば、ますます平等選挙原則に反しないという建前が崩れる。

 そもそも、ここから分かるように一口子どもといっても投票可能な年齢の子とそうでない子がいるのだから投票可能な年齢の子について代理投票などという面倒な仕組みを採らずに投票権の年齢を下げれば良いだけの話だ。たとえばオーストリアでは16歳まで投票権年齢が引き下げられているが、引き続き14歳投票権議論されていると聞いた覚えがある。このような議論真剣考慮に値すると思う。

 繰り返しになるが、ドイツではこの投票制度平等選挙原則に反しないと言えるか否かが議論され、それが難しいと考えられているようだ。だとすれば、ドイツ議論を踏まえて、この制度賛同者は、この制度平等選挙原則に反しないようになる制度可能性こそを真面目に考えるべきだろう。ただ思いつきでぶち上げても、もう終わった話だと一蹴されるのは当然である(※)。なお、そもそも平等選挙原則について真面目に考えないのであれば、民主主義コミットしていないと思われても仕方がない。上記議論では、平等選挙原則基本法(=憲法改正によっても曲げることは許されないと言われている(※※)。

興味本位で調べてみたところ、ドイツ連邦議会にこのような基本法改正提案が提出されたことはあるようだ(2008年提案)。ただ、連邦議会HP確認する限り、提案委員会付託されたが、その後本格的な審査が行われた様子はない。つまり、賛成・反対の議決もなく、本格的な議論もされずに一蹴された話だということだ。

https://dip.bundestag.de/vorgang/der-zukunft-eine-stimme-geben-f%C3%BCr-ein-wahlrecht-von/14939

※※

これはドイツ基本法79条3項の規定故ではあるが、憲法改正限界という純法律的論点を脇に措いたとしても選挙権平等を真面目に考えないことが民主主義であることを疑わせるのは変わりはない。なお、日本憲法も、14条1項からして平等選挙原則をとっている(そうでなければ一票の格差問題にされることはない)が、平等選挙原則排除憲法改正限界に引っかかる理論可能性はあるだろう。

追記

 それにしても、吉村氏に関しては、自身が子の分も含めて4票あるというから、「代理モデルの利点である平等選挙原則との抵触回避の利点をわざわざ捨てているように思う。利点を捨てるような発言自分からしていくあたり、本当にただの思いつきなのだろう。ドイツ人の議論を持ち出しながら(これをやったのは音喜多氏だが)、ドイツ人が回避しようとしていたことをやってしまうのは無様だ。「消滅可能自治体」に引っかけた話題作りという以上の意味はないのだろうが、話題作りのために民主主義根本原理に手を触れるのはどうかしている。それが弁護士のすることだろうか。

いわゆるドメイン投票制度ドイツでどのように議論されているのか?

 維新の会共同代表吉村大阪府知事が、「0歳児投票権」を提案し、維新マニフェストに加えたいという意向だという。

https://digital.asahi.com/articles/ASS4T2RNLS4TOXIE01TM.html

 当然ながら、投票価値平等に反すると言わざるを得ないのだが、これについて同党音喜多幹事長が、次のようなツイートリツイート(リポスト?)していた。

吉村知事の0歳児投票権=ドメイン投票の実現可能性は兎も角、海外で真面目に議論されて国会まで行った話を、あたかも与太話のようにせせら笑い取り合わない風潮をみると、この国の知識レベル心配になる

海外議論で主な論点はすでに整理されてるが、日本SNS界隈の反応はそのレベルに達してない

吉村知事が言ってるドメイン投票は例えばドイツでは連邦議会において議論され、(https://bundestag.de/resource/blob/531942/6669f3e29651882065938fc6a14fd779/wd-3-157-17-pdf-data.pdf)、無論導入にはいたらなかったものの、第三次メルケル内閣のManuela Schwesig家族相など、賛同者もいた昔からあるアイディアの一つですが

それを「頭がおかしい」はさすがに乱暴すぎでは

https://twitter.com/Barrettm95sp/status/1783579344503529489

 ドイツ連邦議会議論されたというのは、この議論が無理のあるものではないということを示す一つの傍証とされているのだろう。そしておそらく音喜多氏もこれを自分議論を支持する意味でリポスト(?)しているようだ。ただ、リンク先のPDFを見て色々な意味で驚いた。

 第一に、このPDFドイツ連邦議会調査局(Wissenschaftliche Dienste)が作っているものである調査局が作っている立法資料を持ってきて連邦議会において議論されたというのは羊頭狗肉の感がある(※)。日本国会図書館調査及び立法考査局が資料を書いたら国会議論されたことになるのだろうか。

 第二に、このPDFは、調査局の報告書という体裁上、両論併記的であり、あまり執筆者個人意見は出ていないが、この提案に対する分析の水準は明らかに日本でいま議論されているようなレベルのものではない。なお、ドイツ法に詳しくない方のために申し上げるが、ここから先で述べる「基本法」とは、ドイツにおける憲法典日本国憲法のような)にあたる法である

要約すると、

・親に子どもの数分の票を付与するというモデル(Modell des originären Elternwahlrechts)は、ドイツ基本法38条1項1文が保障する平等選挙原則に反するし、平等原則原則20条の民主的連邦国家原理に含まれる。したがって、基本法79条3項の定めにしたがって、このような提案はたとえ基本法改正によるとしても許されない。(4-5頁でバッサリ斬られている)

・一方、年齢にかかわらずに選挙権を付与し、子どもについては親が代理行使するモデル(Modell des originären Kinderwahlrechts)については、別途の考察必要になる。(同)

基本法38条2項(選挙権年齢)の改正必要という点はともかくとして、実質的な側面としてはやはり基本法79条3項が定める基本法改正限界について検討するべきであるが、そこで重要になるのは、基本法20条の民主国家原理に含まれ平等選挙原則にこのようなモデルが適合するか否かである

・親の代理投票主唱者は、親は子の票を受託に基づいて行使するので、平等選挙原則に反しないと主張する。すなわち、親自身投票権行使と子の投票権行使区別して行うべき制度であれば平等選挙原則に反しない。また、たとえ平等選挙原則に反するのであるとしても、このような制度普通選挙原則選挙権を万人に付与すること)に奉仕するから、その意味では民主主義原理に役立つ(※基本法20条、ひいては79条3項に反しない)。(7-8)

・このモデルへの批判者は、まずもって、望むか否かは別として政治プロセスに参加できない人にも選挙権を与えても、民主主義正統性は得られないとする(※普通選挙の拡大という言い分は見せかけであるということだろう)。そのうえで、親による代理投票は、事実問題として、親に複数の票を与えることに他ならない。親自身の票と子の票を区別して投票するという仕組みは非現実的であるそもそも代理投票という仕組み自体子ども成熟していないということを前提としているのであり、親が子の受託に基づいて投票するという議論矛盾する。加えて、親を通じた代理投票という仕組みは、選挙権が一身専属的な権利であり、国家意思形成責任を持って参加する力をその人だけに与えるものだという側面を無視している。結局、基本法20条、ひいては79条3項に反する。(9-11

 ここから分かるのは、ドイツでは親の代理投票制度は、普通選挙の拡大に資するし、かつ、代理投票モデルであれば、平等選挙原則に反しないという形で議論されているということである。少なくとも「消滅可能自治体」があるからかいう「地方創世」で一山当てたいコンサル向けのくだらない理由提案の原点なのではない。ただ、ここでも言われているように、平等選挙原則に反しないというためには、親自身投票と子の投票を厳密に区別する必要があって、それが現実問題として可能なのかということをしっかり考えなければならない。この仕組みの賛同者がドイツ連邦議会調査局を区別していないというぞんざいなやり方をとっていることからすると、どうもドイツ議論というのは話の枕に使われているだけで、ドイツ議論を真面目に受け止めて、そのような制度可能なのかを考察する者はあまりいなさそうである

 私個人意見では、親と子の投票を厳密に区分した制度を作ることは無理だろう。というのも、この仕組みが問題になるのは、子の投票意向と親の意向が相反する場合だが、その場合、子は自らの投票意向を開示して親を説得しなければならない。これでは投票秘密も何もあったものではなく、逆に子が投票秘密を守ろうとすると、親の投票意向コントロールすることはできない。また、投票意向が明らかにならない子について親が「代理」するのでは、結局親に二票与えるのと変わりがない。加えていえば、代理権を持つの母親なのだろうか、父親なのだろうか(吉村知事制度実現のあかつきには自身が子の分も含めて4票あるというので、父親が前提なのだろう)。ここは、親と子の投票を厳密に区分するという発想をとれば実は問題が生じない(子の意向に沿うならばその票を投ずるのは父でも母でも他の保護者でも構わない)のだが、先程述べたように、特に投票意向を表示できない子については区分は無理だろう。したがって、事実上「二票」入れられるのはどちらなのかという争いが生じざるを得ない。そのような場合には「0.5票」を両親に付与することも考えられるが、正面から両親に票を与えることを認めれば、ますます平等選挙原則に反しないという建前が崩れる。

 そもそも一口子どもといっても投票可能な年齢の子とそうでない子がいるのだから投票可能な年齢の子について代理投票などという面倒な仕組みを採らずに投票権の年齢を下げれば良いだけの話だ。たとえばオーストリアでは16歳まで投票権年齢が引き下げられているが、引き続き14歳投票権議論されていると聞く。このような議論真剣考慮に値すると思う。

 繰り返しになるが、ドイツではこの投票制度平等選挙原則に反しないと言えるか否かが議論され、それが難しいと考えられているようだ。だとすれば、ドイツ議論を踏まえて、この制度賛同者は、この制度平等選挙原則に反しないという理由を真面目に考えるべきだろう。ただ思いつきでぶち上げても、それはもう終わった話だと一蹴されるのは当然である(※)。なお、平等選挙原則について真面目に考えないのであれば、民主主義コミットしていないと思われても仕方がないはずである

興味本位で調べてみたところ、ドイツ連邦議会にこのような基本法改正提案が提出されたことはあるようだ(2008年提案)。ただ、連邦議会HP確認する限り、提案委員会付託されたが、その後本格的な審査が行われた様子はない。

https://dip.bundestag.de/vorgang/der-zukunft-eine-stimme-geben-f%C3%BCr-ein-wahlrecht-von/14939

※念のためにいうが、日本国憲法も、14条1項からして平等選挙原則をとっている(そうでなければ一票の格差問題にされることはない)。

いわゆるドメイン投票制度ドイツでどのように議論されているのか?

 維新の会共同代表吉村大阪府知事が、「0歳児投票権」を提案し、維新マニフェストに加えたいという意向だという。

https://digital.asahi.com/articles/ASS4T2RNLS4TOXIE01TM.html

 当然ながら、投票価値平等に反すると言わざるを得ないのだが、これについて同党音喜多幹事長が、次のようなツイートリツイート(リポスト?)していた。

吉村知事の0歳児投票権=ドメイン投票の実現可能性は兎も角、海外で真面目に議論されて国会まで行った話を、あたかも与太話のようにせせら笑い取り合わない風潮をみると、この国の知識レベル心配になる

海外議論で主な論点はすでに整理されてるが、日本SNS界隈の反応はそのレベルに達してない

吉村知事が言ってるドメイン投票は例えばドイツでは連邦議会において議論され、(https://bundestag.de/resource/blob/531942/6669f3e29651882065938fc6a14fd779/wd-3-157-17-pdf-data.pdf)、無論導入にはいたらなかったものの、第三次メルケル内閣のManuela Schwesig家族相など、賛同者もいた昔からあるアイディアの一つですが

それを「頭がおかしい」はさすがに乱暴すぎでは

https://twitter.com/Barrettm95sp/status/1783579344503529489

 ドイツ連邦議会議論されたというのは、この議論が無理のあるものではないということを示す一つの傍証とされているのだろう。そしておそらく音喜多氏もこれを自分議論を支持する意味でリポスト(?)しているようだ。ただ、リンク先のPDFを見て色々な意味で驚いた。

 第一に、このPDFドイツ連邦議会調査局(Wissenschaftliche Dienste)が作っているものである調査局が作っている立法資料を持ってきて連邦議会において議論されたというのは羊頭狗肉の感がある(※)。日本国会図書館調査及び立法考査局が資料を書いたら国会議論されたことになるのだろうか。

 第二に、このPDFは、調査局の報告書という体裁上、両論併記的であり、あまり執筆者個人意見は出ていないが、この提案に対する分析の水準は明らかに日本でいま議論されているようなレベルのものではない。なお、ドイツ法に詳しくない方のために申し上げるが、ここから先で述べる「基本法」とは、ドイツにおける憲法典日本国憲法のような)にあたる法である

要約すると、

・親に子どもの数分の票を付与するというモデル(Modell des originären Elternwahlrechts)は、ドイツ基本法38条1項1文が保障する平等選挙原則に反するし、平等原則原則20条の民主的連邦国家原理に含まれる。したがって、基本法79条3項の定めにしたがって、このような提案はたとえ基本法改正によるとしても許されない。(4-5頁でバッサリ斬られている)

・一方、年齢にかかわらずに選挙権を付与し、子どもについては親が代理行使するモデル(Modell des originären Kinderwahlrechts)については、別途の考察必要になる。(同)

基本法38条2項(選挙権年齢)の改正必要という点はともかくとして、実質的な側面としてはやはり基本法79条3項が定める基本法改正限界について検討するべきであるが、そこで重要になるのは、基本法20条の民主国家原理に含まれ平等選挙原則にこのようなモデルが適合するか否かである

・親の代理投票主唱者は、親は子の票を受託に基づいて行使するので、平等選挙原則に反しないと主張する。すなわち、親自身投票権行使と子の投票権行使区別して行うべき制度であれば平等選挙原則に反しない。また、たとえ平等選挙原則に反するのであるとしても、このような制度普通選挙原則選挙権を万人に付与すること)に奉仕するから、その意味では民主主義原理に役立つ(※基本法20条、ひいては79条3項に反しない)。(7-8)

・このモデルへの批判者は、まずもって、望むか否かは別として政治プロセスに参加できない人にも選挙権を与えても、民主主義正統性は得られないとする(※普通選挙の拡大という言い分は見せかけであるということだろう)。そのうえで、親による代理投票は、事実問題として、親に複数の票を与えることに他ならない。親自身の票と子の票を区別して投票するという仕組みは非現実的であるそもそも代理投票という仕組み自体子ども成熟していないということを前提としているのであり、親が子の受託に基づいて投票するという議論矛盾する。加えて、親を通じた代理投票という仕組みは、選挙権が一身専属的な権利であり、国家意思形成責任を持って参加する力をその人だけに与えるものだという側面を無視している。結局、基本法20条、ひいては79条3項に反する。(9-11

 ここから分かるのは、ドイツでは親の代理投票制度は、普通選挙の拡大に資するし、かつ、代理投票モデルであれば、平等選挙原則に反しないという形で議論されているということである。少なくとも「消滅可能自治体」があるからかいう「地方創世」で一山当てたいコンサル向けのくだらない理由提案の原点なのではない。ただ、ここでも言われているように、平等選挙原則に反しないというためには、親自身投票と子の投票を厳密に区別する必要があって、それが現実問題として可能なのかということをしっかり考えなければならない。この仕組みの賛同者がドイツ連邦議会調査局を区別していないというぞんざいなやり方をとっていることからすると、どうもドイツ議論というのは話の枕に使われているだけで、ドイツ議論を真面目に受け止めて、そのような制度可能なのかを考察する者はあまりいなさそうである

 私個人意見では、親と子の投票を厳密に区分した制度を作ることは無理だろう。というのも、この仕組みが問題になるのは、子の投票意向と親の意向が相反する場合だが、その場合、子は自らの投票意向を開示して親を説得しなければならない。これでは投票秘密も何もあったものではなく、逆に子が投票秘密を守ろうとすると、親の投票意向コントロールすることはできない。また、投票意向が明らかにならない子について親が「代理」するのでは、結局親に二票与えるのと変わりがない。加えていえば、代理権を持つの母親なのだろうか、父親なのだろうか(吉村知事制度実現のあかつきには自身が子の分も含めて4票あるというので、父親が前提なのだろう)。ここは、親と子の投票を厳密に区分するという発想をとれば実は問題が生じない(子の意向に沿うならばその票を投ずるのは父でも母でも他の保護者でも構わない)のだが、先程述べたように、特に投票意向を表示できない子については区分は無理だろう。したがって、事実上「二票」入れられるのはどちらなのかという争いが生じざるを得ない。そのような場合には「0.5票」を両親に付与することも考えられるが、正面から両親に票を与えることを認めれば、ますます平等選挙原則に反しないという建前が崩れる。

 そもそも一口子どもといっても投票可能な年齢の子とそうでない子がいるのだから投票可能な年齢の子について代理投票などという面倒な仕組みを採らずに投票権の年齢を下げれば良いだけの話だ。たとえばオーストリアでは16歳まで投票権年齢が引き下げられているが、引き続き14歳投票権議論されていると聞く。このような議論真剣考慮に値すると思う。

 繰り返しになるが、ドイツではこの投票制度平等選挙原則に反しないと言えるか否かが議論され、それが難しいと考えられているようだ。だとすれば、ドイツ議論を踏まえて、この制度賛同者は、この制度平等選挙原則に反しないという理由を真面目に考えるべきだろう。ただ思いつきでぶち上げても、それはもう終わった話だと一蹴されるのは当然である(※)。なお、平等選挙原則について真面目に考えないのであれば、民主主義コミットしていないと思われても仕方がないはずである

興味本位で調べてみたところ、ドイツ連邦議会にこのような基本法改正提案が提出されたことはあるようだ(2008年提案)。ただ、連邦議会HP確認する限り、提案委員会付託されたが、その後本格的な審査が行われた様子はない。

https://dip.bundestag.de/vorgang/der-zukunft-eine-stimme-geben-f%C3%BCr-ein-wahlrecht-von/14939

※念のためにいうが、日本国憲法も、14条1項からして平等選挙原則をとっている(そうでなければ一票の格差問題にされることはない)。

2024-04-26

anond:20240426182155

遊びで作った借金自己責任であることと

その遊びが詐欺だった場合加害者処罰することは矛盾なく成立しますよ

フェルマー定理について教科書を書いたらどうなるか

   この教科書ではフェルマー定理検討するために必要材料となるそれに関係する専門知識技術について集めることにしたい。

  (1) 不定方程式とは何か?   この問題最初に、ある種の不定方程式の解のふるまいというテーマで開始されたこから不定方程式に関して検討する。

  (2) 無限降下法は技術か?     4,3のときは既に論文があるが、 3の場合は 補題が6つついた定理適用するもので、難解で、哲学者の間でも、理想的構成かどうか

                   はっきりしていない。しかも、3のときは、u^p+w^p+w^p=0 という式も出てきて非常に理解困難である

  (3) エレガントな技術ぬきにして、性格だけに着目した愚直な証明と言うのは存在するのか? 証明とは何か?  証明論  

     例

       背理法による√2が無理数証明   背理法とは何か? 公理系や定義といったその界隈の致命的なところに矛盾させるもの

                        背理法による証明はエレガントであるか?  学会ではまだ意見がない  話にならない

   (4)発見された経緯   整数の分野に対して興味を持っていた人が発見

   専門知識ほとんどない。  技術は、背理法無限降下法による。  受験生でも分かる部分的議論   p^4+q^4 は 整数の2乗にならないことから開始する。

    (2p)^4+q^4 は自然数の2乗にならないことを証明していく。非常に真面目な精神作業となり、苦しい。最終的に無限降下法を適用することも、それがどのような技術なのか皆目不明

   (5)関係する先生   誰もおらず何の生産性もない。    早稲田大学の雪江というご・・・  やる気がない。

                                よびのり       ・・・  Youtubeで4の場合解説しているだけで先に行かない。

   (6)関係する資料   インターネットに、3,4の場合論文があるが信用性がない。

anond:20240426184500

元増田に直接聞いてやって 元増田本人なら自分矛盾に早く気づいて反省して

anond:20240426084445

あんまり便利設定すると、冒険とか物語の意義さえなくなる矛盾が起こりうるから、あんまりフリーレンみたいな設定の仕方は関心せんのよな

ニャル子みたいなギャグなら仮面ライダー方式でもいいんだろうけど…

そういう点でも、ダンジョン飯はやっぱり凄いんだよなあ…

地位が人を作る」

っていうけどさ、長谷川岳とかハラスメントで辞任した町長とかを考えると

しろ逆なんだよな

プーチンとかネタニヤフとか習近平とかエルドアンとかモディとか

自民党裏金もそうだけど、結局カネじゃんね

昔はそうした人間欲望宗教抑制していた面はあったんだろうが

資本論理があらゆる場面で優越的な立場を占めるようになった


からGAFAMに厳しいEU批判的は右派ちょっと矛盾しているなと思う

国家がどうとか言いながら得をすることしか考えていない

そこに彼らが利用する「徳」など存在しない

anond:20240426051312

それ矛盾でもなんでもなく本能だろ

自分DNAを確実に残すための

anond:20240426045900

男性男性女性に対して矛盾する心を持ってるんだよな

身持ちが固く貞淑であることを望む一方で、自分にも身体を許してくれる程度にはガードが固くないことも望む

要するに自分にはビッチ他人には鉄壁処女であってほしい

anond:20240426010705

攻めてる巨人は点を取りたい、守りの阪神巨人に点を取らせたくない。お互い諦めないでほしいは矛盾かい

立場によって求めるべきものは違うだろうさ。

エロいセクシーに線引きすれば良い

フェミニストだけど、この捉え方に唸ってしまった。

エロいセクシーに線引きをすれば良い話

anond:20240425115444

そう、まさに言いたいことはコレなんですよ。

女性の体や水着陸上選手ユニフォーム姿を勝手エロいとみなしてくる、性的まなざしこそが問題

一方で女性自身が自分意思セクシー水着選択するのは自由

この2つは矛盾でもなんでもない。

セクシーな格好をしてるからといって、エロいと見なして良い理由にはならない。

男性欲望を形にしたイラストなどが批判されるのも、それが「エロい」側の表現から

つの矢印を線引きできず混同してしまってる人が多いのが、頻出する小競り合いの要因だと思う。

2024-04-25

人の気持ちとは人の好き嫌いである

矛盾を見抜いて同じ土俵に立てていない、いすなど用意されていないということを悟れということである

anond:20240425185619

別に良いんでない?

株価は上げて欲しい、でも政策は〇〇であって欲しいで矛盾するのは株価を下げずに〇〇ができない時だけだし、既存政党にそういうことできる人がいなかったとしても、意見は言っても良い気がする。

生きづらい哀れなオス

29歳男性のこじらせ日記。よかったら読んでって。


直近こじらせたきっかけは多分2つ。

1つめは大学来の親友結婚報告を受けたこと。

2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまたこと。


それぞれのきっかけと自分精神状態思考方法思想、そういったものを絡めながら言語化していく。


大学来の親友結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。

洗面所にはずっと歯ブラシが2本あったから、半同棲をしていたんだと思う。

そいつ彼女いるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。

から聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。


先週あたりにその連絡がきた。普通にしかったし、本当にめでたいことだと思った。

ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。


匿名で書き込んでいるか説明しておくと、私は一昨年末離婚している。当時27歳だった。

1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。

そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。


ただ自分あさましいというか、自分が叶えられなかった幸せ他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。

どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情コンタミする。それに端を発し、また自己否定フェーズに入る。


我々はそれなりにいい大学卒業した。もっと自分留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。

学歴至上主義否定できない現代日本で、母校の新卒カード結構な効力を持っていることを、今なら知っている。

ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社雰囲気が良い小企業入社した。

社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。

ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業就職して、それなりに稼いでいる。

経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。

ただ、自分生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。

社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。


からそうだ。

第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。

弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモア大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。


幸い、頭だけは良かった。特に物事法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。

から勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校大学に進学した。

そこで出会う友人たちは、どことな自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。


ただ、社会進出孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚

特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。

俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。

頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。


自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。

まあ、優秀な同級生自分の対比はよくやってる内省テーマから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。





続けて、先日の飲み会の話。

その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。

酔っぱらうと、男との物理的な距離ゼロになる。

自分飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。

ただ席が割と離れたので、なんとなくその子の周りを見ていた。


案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。

それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。

どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。

もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。

自分よりイケてない(と自分勝手に思ってる)やつが、その子イチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。


の子彼氏いるんだけど、なぜこんな行動がとれるのか。

たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。

この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論

自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的昭和チックな価値観を持っていると自覚している。

からこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい


うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。


他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。

なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。








最近は金の事ばかり考えている。なぜか。

やはりモテる男は顔がいいか金を持っていると思うので。

ならば自分モテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。


モテたい。もっというとセフレが欲しい。

離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックス普通に好きなので。

自分セックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。


恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。

死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。

同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、

結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、

子供が生まれました」は「NNしました」にしか聞こえない。


おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって

どこでこんなにこじらせた??????

男子中学生レベル100か???

男子中学生男子高校生も、ここまで人生観やライフステージ愛について解像度は高くないと思う。

からこの拗らせ方は、セックスコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。


風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。

からこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。


言語化しなくても気が付いている自分本心直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。

から漠然と「モテたい」と、万人にも分かる言葉で言い直す。


色々努力したつもりなんだ。

元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。

そのへんの1000円カットからカットパーマで15000円する美容院鞍替えした。

眉毛の処理は欠かさずするようになった。

爪磨きを買って爪を磨くようになった。

風呂上りには化粧水とか美容液を付けるようになった。


こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。

ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。

結局、自分でもコンプレックスがある金にとりあえず行き着く。


マッチングアプリモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。

女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。

ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。


…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。

自分が好きになるような同年代女性の大半には彼氏がいる。

正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバいしかいない思っている。

からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。

そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性修正仕様がない。

もしくは高望みしすぎか。





学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。

ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか???

というか、自分モテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。

なんのために「努力」してきたのかもも分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せである


弱者男性言動思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバー引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。

自分の性欲が本当にノイズしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。

去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。

なんかもう詰んでね?


追記

書き方が悪かったせいで、自分と学友のBLを想起する人が少なからずいたため、該当箇所を修正しました。

ブクマコメント言及の中で、特に結婚離婚の話が薄いみたいに言われていたが、確かに離婚の話は自分コンプレックスであって、それはそれで大いに病んでメンクリにも通った。

ただその話は今回の題意にはそぐわないと思っているし、破局原因をすべて言語化することを拒んでいる自分がいることも自覚している。

から離婚の細かい話について、ここで掘り下げて共有するつもりはない。

勝手な推測でグチグチ言われるのは心地いいものではないが、それも匿名性のある意味よさだと思うので、やめてくれとも言わないけど。

それから、一部「本心全然書かれていない」的な意見散見された。

これが本当に分からない。自分でぐちゃぐちゃ書かれていることをなるべくゲロ吐いたつもりだったんだけど、本心ってなんだ。

自分軸で生きてるか他人軸で生きてるか的な論?かと考えたけど、そういう話?

まあ壊滅的に他人軸で生きている自覚はあるよ。

そもそも人間は少なから他人から評価を優先して生きてるっぽいですよ(ソースhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000030921.html


いくつもあった励ましとか、匿名性ゆえの叫び評価してくれた人には改めて感謝を。

みんなの言語能力が高くてちょっとビビる読書量の差を感じた。

書くことでストレス発散できることを知ってるからぶつけてみた。だから今日は割と元気。

今日も無害な市民を演じて生きています

anond:20240425102429

キョロキョロするわけねえだろ

バカそうな奴にお前はこれを差別と呼んでるがこっちは差別じゃないんか?と質問して矛盾を指摘して批判してるだけで

お前みたいな明らかな馬鹿意見なんか興味すらねえよ、馬鹿判断能力思考能力や読解力はないので

世の中の9割よりはワイの方が賢いんで意見を聞けるような相手なんか滅多にいません

anond:20240425015718

男性の生きづらさ論に躍起になるの、確かにナゾだよね。

通説だと男だけで傷を舐め合うのは無理なのが、男性って生き物だったと思う。少なくとも本人たちはそう主張してた。

競争が業で互いを慮らない彼らなのに、男の不幸率改善 = 彼らのうちの不幸な方々を救いたい、と考えるかな? 矛盾してるよ。

何か別の目的があるとしか

anond:20240425003406

グループを作るのは仲間外れを作る行為である

仲間外れを取り込もうとするのは矛盾である

2024-04-24

完全食の人チーズ牛丼なんか絶対食べなさそうなのにチー牛言われてしま矛盾

ミサンドリー持ってることとフェミニストなことって矛盾しないし、フェミニストではなくミサンドリストというふうに排除関係ように語られているのをみると違和感がある

anond:20240424104522

前提。それ自体矛盾を含んでいる場合いくら前提を共有しても、同じ結論に導けないのが論理なんだわ。

隠し事 かくしごと 書く仕事

ほんとうは、伝える仕事なんだが

日本語のクソ言霊の大矛盾

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