はてなキーワード: 竹本とは
https://twitter.com/pink_yellowish/status/1057925168406773761?s=20
【2012年】
□第2次安倍内閣発足
【2013年】
●アベノミクス発表
●東京五輪決定
【2014年】
●消費税8%引き上げ
□第3次安倍内閣発足
【2015年】
【2016年】
【2017年】
●森友問題
【2018年】
【2018年続き】
●省庁の障害者雇用水増し発覚
【2018年続き】
□第4次安倍改造内閣発足
【2018年続き】
●平井大臣 選挙運動費用収支報告書に約700万円分の無宛名領収書61枚
【2018年続き】
●片山さつき 暴力団交際者から事務所無償提供&秘書給与肩代わり
【2018年続き】
【2018年続き】
【2019年】
【2019年続き】
【2019年続き】
●安倍首相「自衛隊募集は都道府県6割以上が協力拒否」実際は9割協力
●政府統計 2018年1月から日雇労働者120万人外し賃金操作
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
●消費税8%据え置きの軽減税率食料品 政府指針で増税前値上げを推奨
●エジプト・シナイ半島で活動する多国籍軍に陸上自衛官の派遣決定
●塚田一郎副国土交通相 下関北九州道路建設計画「私が忖度した」発言辞任
●新元号「令和」に米NYタイムズ紙「Order and Peace(命令と平和)」
【2019年続き】
●米WSJ紙社説 日本の消費増税が「自傷行為」になるとの見解
●F35戦闘機 米報告書で未解決欠陥966件 100件以上は安全に関わる重大欠陥→政府100機追加購入
【2019年続き】
【2019年続き】
●WTO逆転敗訴 政府の「日本産食品の科学的安全性認められた」は虚偽説明
●日の丸掲揚と君が代斉唱に従わない教職員の懲戒処分 国際労働機関ILOが是正勧告
【2019年続き】
○元号が令和となる
●経産省キャリア職員 覚醒剤使用で現行犯逮捕 省内の机から注射器押収
●自民党兵庫県議谷口氏 選挙期間中当て逃げ 親族が身代わり出頭
【2019年続き】
【2019年続き】
●トランプ氏来日 過剰接待 大相撲でソファ土俵にスリッパ 日米で批判
【2019年続き】
【2019年続き】
●人口自然減 初の40万人超 出生率3年連続減 出生数過去最少更新
【2019年続き】
●国家戦略特区 政府WG委員関連会社 提案者から指導料200万円
●非正規雇用者 10人中4人に増加 年収200万円未満75%
【2019年続き】
●老後2000万円報告書「質問への答弁控える」政府が閣議決定
【2019年続き】
【2019年続き】
●国連特別報告者 日本メディア独立性疑念への日本の拒絶反応に「驚愕した」
【2019年続き】
IT担当大臣って何するの、今まで何をやってきたのとググったけれどよく分からない。
前内閣で平井卓也氏が情報通信技術政策担当の肩書は持っていたようだが、クールジャパン戦略担当大臣や知的財産戦略担当大臣のように「大臣」とは付いていなかったように見受けられる。
内閣府ホーム > 大臣・副大臣・大臣政務官 https://www.cao.go.jp/minister/ を見てみたけれど、竹本氏にIT担当あるいは情報通信技術政策担当の説明は付いてないな。IT担当大臣ってなんなんだろう?
平井卓也氏の個人のホームページを見るとまだ書き換えていないのだろう、IT担当大臣を名乗っている。曖昧過ぎていよいよ分からない。
過去には山本一太氏をIT担当大臣と書く記事もあるが、やはり経歴には書かれていないような。〇〇大臣という肩書とは別に「所管事項」として情報通信技術政策を任せられていたようだ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 86 | 15718 | 182.8 | 45 |
01 | 56 | 6417 | 114.6 | 47.5 |
02 | 59 | 16519 | 280.0 | 44 |
03 | 22 | 3240 | 147.3 | 53 |
04 | 3 | 130 | 43.3 | 50 |
05 | 9 | 3171 | 352.3 | 86 |
06 | 8 | 603 | 75.4 | 44.5 |
07 | 39 | 8236 | 211.2 | 29 |
08 | 65 | 7213 | 111.0 | 65 |
09 | 157 | 8780 | 55.9 | 28 |
10 | 223 | 15520 | 69.6 | 30 |
11 | 162 | 10276 | 63.4 | 36.5 |
12 | 188 | 11964 | 63.6 | 30 |
13 | 181 | 11437 | 63.2 | 33 |
14 | 163 | 10809 | 66.3 | 32 |
15 | 126 | 8916 | 70.8 | 31 |
16 | 100 | 5747 | 57.5 | 32 |
17 | 94 | 4624 | 49.2 | 32 |
18 | 140 | 8429 | 60.2 | 27 |
19 | 79 | 5901 | 74.7 | 31 |
20 | 103 | 9546 | 92.7 | 41 |
21 | 94 | 25701 | 273.4 | 37 |
22 | 123 | 7311 | 59.4 | 29 |
23 | 89 | 7386 | 83.0 | 26 |
1日 | 2369 | 213594 | 90.2 | 32 |
タグ機能(6), 竹本(4), List(12), 今井絵理子(5), 居合(4), 乳がん検診(3), マンモ(3), 担当相(5), 78歳(6), 入閣(6), ジェイソン(7), 大臣(33), 停電(21), 千葉(23), ハンコ(10), ダジャレ(8), おしっこ(11), 一文(6), ムーブ(6), ゾ(7), ワシ(5), IT(31), 両立(6), 膝(6), デビュー(7), 歌詞(9), ポケモン(9), しとる(6), 露出(7), フリー(8), 実装(8), 騙さ(13), 聞け(13), 乙(11), 人数(10), BL(8), 信者(9), 真似(8), 曲(14), 議員(8)
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今さらだけど、2019年7月18日の京アニ事件で亡くなられた方々への感謝と追悼を。
今が40過ぎのおっさんで、物心ついた時からアニメと特撮が好きで、でも制作スタッフは有名な方しか存じ上げず、
でも、竹本康弘さん、木上益治さんらがなくなったという報道を見て、かかわった作品歴を見て、
wikiに並んだ関わったアニメ名を見たとき、思い出が走馬灯のように駆け巡り、
あの感動を、自分の心をあんなに震わせてくれた作品を作った方が、
こんな悲惨な最期を遂げたなんてことが、本当に辛くて悔しくて涙が止まらなかった。
旧ドラえもん大長編シリーズ、クレヨンしんちゃん映画シリーズ、AKIRAに、京アニの作品群、、
どれだけ多くの子供たちや多感な大人たちに夢と希望とユーモアを与えたか!
小手先の上手さじゃなくて、伝えたいことを伝えようという明確な意思がなければ、
実名報道がされて以来、京アニ事件の記事が目に入る度、いろいろな事を思って涙が止まらなくなる。
自分の半径5m外で起こった事件だと思っていた出来事に自分の大切な恩人が巻き込まれていた感覚。
彼らにいっぱいありがとうと伝えたいし、みんなからのありがとうは伝わっていたのかなと心配になる。
亡くなっても作品が残り、いつまでもいつまでも作品がメッセージを残し続けてくれる、
100年経って、表現や画質が古びようが、伝えたい思いは伝わる。
俺は今はなにも出来ないけど、生まれたばかりのうちの子供が大きくなったら、
竹本康弘さん、木上益治さんらが作ったたくさんのアニメを見せたいと思ってます。
たくさんの作品の数々、本当にありがとうございました。
最後のコマの直前、見開きでぶっ倒れてる時に出血量もヤバいし、目を見開いてるし、
どう見ても致命傷だよな
ホームレスがおでんの差し入れに気づく場面があるが、あれも集金した金でウシジマがおでん買ってやったってことなのかな?
金の亡者のウシジマがそんなことするってことは、死期を悟って金持っててもしょうがねぇやって思ったってことだよな?
風俗嬢の弟に、その先に何もないぞって警告してるのは、
奪い奪われる戦いを繰り返してきたウシジマが、争いの先に何もないと気づいたとも解釈できるし、
結局、幼馴染の竹本の忠告に従わなかったウシジマが、最後には死んで終わると。
だが疑問も残るんだよな
まあみんな既に突っ込んでると思うが、一家洗脳監禁事件の主人公が、
仮出所してきた時に、まだ金貸しやってるんだよな
風俗嬢の弟の年齢や状況から考えると、ウシジマが刺された時から何年もあとと考えざるを得なくて、
時系列を考えると、ウシジマは刺されたけど生き残ったと考えないと矛盾するんだよな
結局、ウシジマは死んだのか?
10月15日放送の「おはよう日本」で"誤解を招く表現"があったからか、26日の「おはよう日本」で1分ほど長い尺で同じニュースを扱っていた。
僧侶パワーすごい。
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京都の西本願寺の僧侶らが、檀家が減少する中で新たな収入源を得ようと、中国地方で電力の小売り事業に参入することになりました。
参入するのは教徒の西本願寺の僧侶らが新たに作った会社、TERAEnergyで中国地方の5つの県で、来年4月から家庭向けに電気を販売する計画です。
中国地方には全国的にも多い3000余りの西本願寺派の寺があり、この会社では、競合する中国電力よりも料金を2%程度安くしたうえで、檀家のネットワークを活用しながら、まずは4000戸の契約を目標にします。
販売する電気は、太陽光やバイオマスなどの発電事業を手がける福岡県みやま市の会社から供給を受けますが、僧侶らは、事業が軌道に乗れば、みずから発電事業に参入することも検討するということです。
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7:29 - 7:31ごろ
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寺の僧侶たちが会社を作り、寺のネットワークを使って、太陽光などで発電された電力を販売していくことになりました。
ねらいは地球温暖化の防止と、過疎化などで厳しさが増す寺の運営の支援だとしています。
この会社は、京都市下京区に本社があるテラ・エナジーで、竹本了悟さんら有志の僧侶らが設立しました。
会社では、太陽光などで発電された電力を調達し、来年4月から中国地方と四国地方で、主に家庭向けに電力の小売り事業を始めるとしています。
初年度は、寺のネットワークを使って、およそ5000戸の顧客の獲得を目指していて、収益の一部は手数料として、協力してくれた寺に還元し、建物の維持費や地域貢献の活動費用などに充ててもらう計画です。
社長の竹本さんは、僧侶として、自殺防止の活動などに取り組んできましたが、今回、新たに電力の小売りに乗り出すのは、地球温暖化防止を目指すとともに、過疎化などで厳しさが増す寺の運営を支援するねらいがあるとしています。
このニュースを今月15日にお伝えした際、西本願寺が電力の販売に乗り出すような誤解を招く表現がありました。正確には、今お伝えしたとおり、僧侶たち有志が新たに設立した会社の事業であり、西本願寺は事業には関わっていません。失礼しました。
片想いだけど好きな人の言動で一番辛いのって、自分の好きって気持ちに対して負の感情を持たれることだと思った。
片想いだけど好きな人がいた。その人が他の人と付き合ってるとか振られるとかいろいろあって、そのたびに悲しい気持ちになった。
それでも表面上は友達みたいな関係でみんなで遊んだりするときは普通に接してくれてた。
それがだんだん参加してくれなくなって、その人と一番仲の良い人にどうしたのか聞いたら、どうやら人間関係がめんどくさいらしい。
自分の好意が何も生まないどころか、負の影響を及ぼしてることに驚いた。
ま、結局好きって感情は自分の独り善がりであって、自己満であって、夢見がちな阿呆なのですね。馬鹿が一人いるだけで周りが被害を被る。
頭ではわかってても、ハチミツとクローバーの竹本君みたいにたとえ報われなくてもあの人を好きになって良かったと言いたかったなぁ。
最近微妙にはてな界隈が毒親関係の話題で盛り上がっている気がする。
「家族を捨てることにした。」
http://anond.hatelabo.jp/20140416141321
http://tigtig8.hatenablog.com/entry/2014/04/02/182519
「親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係」
http://anond.hatelabo.jp/20140402111648
私自身、毒親育ちなのでこれらの記事を興味深く読んで、そのうち何か描ければなあ・・・
などと思っていた時にアニマルの連載で読んだ「三月のライオン」がトラウマものの毒親話だったので描く。
まあネタバレというほどのものではないけど単行本派の方はスルーしていただければ幸いです。
さていまさら三月のライオンについて私なんぞが語る必要もないとは思いますが、読んでもいない人の為にものすごい端折ってあらすじを説明すると
両親を亡くした桐山零は父親の友人でプロ棋士の幸田の家に引き取られ、期待に応えるために将棋の腕を磨き続けプロ棋士になる。一方で幸田家の本来の子供である香子と歩は零に自分達が到底及ばない事に気づき挫折し、香子は家を出て、歩はひきこもりになり家庭は崩壊する。
罪悪感を覚えた零は幸田家を出て、一人暮らしを始めるが、すでに将棋に対する動機を失っていた。
そんな彼は近所の川本家や多くの人々との関わりにより少しずつ将棋に対する思いを取り戻して行く・・・
というストーリー。
よくある動機を失った天才がそれを取り戻し、凡人どもを駆逐していくというお話ですな。
曽田正人の昴、松本大洋のピンポン、最近だと四月は君の嘘、とか。
それはさておき幸田家の話に移る。
幸田家はプロ棋士の父親(作中ではそれなりに強いがタイトルに絡めるような存在ではないように描写されている)、見合いで結婚した主婦である幸田母と将棋を学ぶ二人の子供、香子と歩で構成されていた。
率直に言えば世間知らずで価値観が将棋の強さ以外ない視野狭窄な父親、同じく世間知らずだが気が弱く、夫のような自分自身の価値観がなく、父親の追従者でしかない母親が両親であったわけだ。
それでも子供たちは父親同様に将棋を愛し、家族は円満に運営されていた。
彼は将棋しか価値観がない父親にとってその歪んだ価値観を補強してくれる、理想的な子供であり、また引き取られた負い目から家事なども率先してこなす母親にとっても理想の「いい子」でだった。
それ以来この二人はこう思い続ける「なんでうちの子供はこうじゃなかったんだろうか?」と。
ここらへんまではいままで発行された単行本の中でも語られていた話だが、今回はそれが母親の視点から語られている。
零はとても「いい子」なのに、なんで自分の子供はそうならなかったのか?と感じ続け、零が家を出たとき心底ほっとしたこと、
歩が将棋ができなくなり、「努力できるのも才能だ」といい投げ出した時に、父が冷笑して見捨てた事(この時の父の表情がもの凄い)。
そして自分はそういう芸道の世界は理解できないけど、ごはんを作って家族を待ち続けることにしよう、と思うこと。
いや~気持ちいいくらい極悪な毒親っぷりですね。
要するに彼女は父親の偏狭な価値観と零の存在に子供達が苦しめられ続けたことを知っており、もう一方の親として多用な価値観を提示して中和剤になる役目があるであろうにそれを放棄し、「私は知りませんし、これからも何もしません」といっているわけです。
そもそも拾われた子供がいい子であるなんて当たり前のことだし、それを自分の子供に当てはめる時点で狂っている。
結局この両親がやっていることは目の前の自分の子供たちをみず、零に理想の子供の姿を投影し続けているにすぎない。
竹本君みたいに学生のうちに自転車で北海道でもいってそういう夢見がちな性分からは解脱しておいてください。
あの父親とこの母親の翼君岬君ばりの毒親ゴールデンコンビのカルトな家庭で育ちながらも、なんだかんだで零を気にかけてあげる香子さんは実に人格者だし、ひきこもってゲームしている程度のグレ方しかしなかった歩君も実に立派だと思う。
父は零に「最近香子が何を考えているのかわからない・・・」などと漏らしていますが、私はこの夫婦が何を考えているのかさっぱりわからないです。
そもそも将棋で子供を劣等扱いするんだったらまず自分がタイトルの一つもとってきてほしいものです。
現在、香子さんは現在派遣社員やりながらも、妻ある父親の弟弟子の棋士と絶賛不倫中で相変わらず家族に縛られている。
とりあえず、歩君には地方の大学でも受けてさっさと家庭から逃げ出してほしい。
そして社会に出て「自分が劣等感を感じた父親も零も所詮は将棋という閉ざされた世界でのみ特別な人間だっただけなんだ」と気づいてほしいものです。
羽海野チカという人はハチクロの頃から一貫して才能というものの残酷さを圧倒的な才能で書き続けるという色々とすごい人だけど、同時に凡人の気持ちも丹念に描写してきた人です。
ハチクロの男キャラでいうなら天才の森田、それに憧れ嫉妬する凡人の竹本、才能と関係のない生き方を選んでいる真山といった感じで。
ハチクロではよくあるマンガのように竹本が覚醒して才能に目覚めるといった事はまったくなく、結局凡人なりに一歩一歩進んで行こうと決意して旅立ったって終わったし。
三月のライオンにおいて、恩人を救うということで動機を得た零は、多分親友の死によって完全体となり、最強の棋士への道を上り続けるのでしょう。
だけどそれ以上に将棋においては凡人であった幸田姉弟の物語はどのように着地するのかをとても楽しみにしたいと思う。
マンガの登場人物に深刻な憎しみを感じ、自分の家庭思い出してトラウマスイッチがオンになってこんな駄文を書き散らすなんて人生でも初です。
アニマルの他の漫画家からフリーザ様扱いされるのがよくわかる。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131110/p5
ロッキンオンがハチクロをオシャレマンガと勘違いして「なんだよ羽海野って。羽いらないじゃんw」とか頭の悪いこといってコケにできた時代が本当に懐かしい。
あ、そういえば川本家という毒親とは違うけど、ある意味幸田家以上に闇が深い家庭もありますがそれは私の手に余るんでスルーさせていただきます。
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2014/04/23/093914
という文章について。
文章のはじめで「新本格ミステリってなんやねん、というひとを意識してる軽いもの」「ざっくり主観的に書きます」と逃げは打っていますが、単純な事実誤認があるのでコメントします。
この文章では
これらを読むと解るんですが、新本格とは「古典的な本格ミステリのコード(お約束、定番)を意識しながら現代風に書かれたミステリ」を指します。ですから何でもかんでも今のパズラーミステリを「新本格」と呼ぶのは誤用なんですね。
と書いています。
しかし引用している島田の文章は、1995年(ここ重要)に出た『本格ミステリー宣言II』に載っている「新本格の七則」というもの。
また「新本格宣言」と書いているのは、おそらく『本格ミステリー宣言』を指すのだと思いますが、これが出たのは1989年12月。
一方、一般に「新本格」という言葉が使われたのはそれよりも前、1988年に発表された綾辻行人の第2作『水車館の殺人』の帯の言葉
とされます。
とありますが、デビューはそれぞれ、綾辻87年、法月88年、有栖川89年。しかも有栖川有栖は東京創元社からのデビューです(「鮎川哲也と十三の謎」の一冊として)。
また『本格ミステリー宣言』の内容は、新本格の作家からも異議や反発する発言があったように記憶しています。
したがってそもそも島田荘司の言葉を引いて「新本格はこういうもの」と言うのはおかしいわけです。
80年代終わりの状況としては、講談社(おもに講談社ノベルズ)で、綾辻のデビューをきっかけとして本格を書く新人をデビューさせていくという流れがありました(京大勢の場合、書ける人を募ったところ法月と我孫子が手をあげた)。
一方、東京創元社で海外ミステリだけでなく日本人作家も扱うようになり、その手始めに日本探偵小説全集が編まれて(デビュー前の北村薫が実質的な選者、出版は1984年~1996年)、叢書「鮎川哲也と十三の謎」(1988年~1989年)、鮎川哲也賞(1990年~)、『創元推理』(1992年~)という流れがありました。
こうした同時代的な流れに与えられた名称が「新本格ムーブメント」だったので、
『メフィスト』「メフィスト賞」にしても宇山秀雄(宇山日出臣)の立ち上げたもので、少なくとも出発点としては明白に新本格でしょう。京極夏彦、森博嗣、清涼院流水などはデビュー当時はっきりと(良くも悪くも)新本格作家とみなされていましたし。
京極夏彦は、講談社に原稿を送ったのは講談社ノベルズで新本格を読んでいたから、というような発言もしていたはずです。『姑獲鳥の夏』裏表紙の推薦文が綾辻、法月、竹本健治という時点で(※当時(今も?)竹本は新本格に属する作家と見られていた)、自身を新本格作家だと思っていたかどうかはともかく、デビュー初期において新本格の流れにのっていたという認識はあったでしょう。
以前、大阪市が公開した文楽問題に関するメール交信記録を読んで一文を記したが、
文楽の問題に関して、Twitterを見ていていくつか誤解があるようなので、書いてみたい。
産経の記事によれば、
橋下市政 揺れる文楽 補助金凍結…地方公演厳しく+(2/2ページ) - MSN産経ニュース
同協会の収入は興行収入が8割、補助金が2割を占め、その内訳は国が8千万円、市が5200万円、府が2070万円(23年度)。
記事中「同協会」とは文楽協会のこと。今すぐ見当たらなかったが、たしか本公演に影響が出る額ではなかったように記憶する。少なくとも文楽の存廃に関わる額ではない。
公開されたメール記録から。池末浩規参与の3月24日付メール。
http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html
③-1.技芸員のマネジメント機能のうち、「都市魅力向上に資する伝統芸能に関する若手技能者の育成支援事業」に対する事業補助を行う。これは当 初金額を××円(試案:2,000万円)とするが、××年度(試案:平成27年度)以降の分については、前年に(府)市の文化・芸術に関する補助についての委員会(名称未定)により決定する。
③-3.経過措置として、✕年間(試案:平成24年度に限って)は、✕✕万円(試案:3,200万円…現状の5,200万円と上記2,000万円 との差額)を新たな公演の試み、協会の機能向上の試みに対して事業補助する。この補助の使途および成果については、事後に報告するものとする。
ただし、同じく池末参与の6月5日付メール中、橋下市長とのやりとり部分。(→は池末参与の返事)
文楽についてはその構造 も、担当者以外は理解していないところもあります。
文楽を守る役割は結局国に あるということがはっきりとしてきました。
→結局文楽の振興については国しかコントロールできない形にしておきながら、大阪府市も金入れろという図式ですね。
そうなると若手育成も国では?
→本来はそういうことになります。
また若手育成について、国 と地方の役割はどうなのでしょうか?
→原則国主体でやるべきという考え方がベースになると思われますが、国が新たなスキームに乗ってくるまでの短期間(3年以内を想定)人材育成につい ては大阪も奨励金を出す考え方もあるかもしれません。
市長とその周辺の意図としては、「文化財保護」よりも「振興(観光資源としての活用)」なのでこういう書きぶりになる。しかし、文楽においても、もちろん「家業」となっている場合もあるが、原則的には歌舞伎と違い、あくまでも実力主義だという側面が全く閑却されている。
文楽は伝統に胡坐をかいている、敷居が高いなどという意見を散見したが、事実は文楽も新作を試み、様々なチャレンジをしてきた。たとえば、子供向けに作曲された新作があげられる。
文楽の入門編として最も手軽だと思われるのは、国立文楽劇場で毎年夏の公演で演じられる演目だ。夏休みのため子供の観客を対象としたものが必ず演目にあがる。今年は「西遊記」がかかっている。
そこで近年演じられてきた演目を振り返ると、「舌切雀」「雪狐々姿湖(ゆきはこんこんすがたのみずうみ)」「瓜子姫とあまんじゃく」「東海道中膝栗毛」「金太郎の大ぐも退治」「鼠のそうし」「大江山の鬼退治」。。。などなどがあげられる。ただし、必ずしも中身が充実している演目ばかりとは言えない。
こういった子供向けの演目だけでなく、大人向けの演目も様々な試みが繰り返されてきた。
例えば歌舞伎演目のコピーがある。そのなかで、「勧進帳」はもっとも有名な演目の一つだろう。
またあまり知られていないかもしれないが、近松門左衛門の「曽根崎心中」は歌舞伎の影響で戦後に復活した演目だ。その事情は次のサイトにコンパクトにまとめられている。
その人形浄瑠璃にとって難題だらけの「曽根崎心中」の復活上演を、まず試みたのが本家の人形浄瑠璃ではなく、歌舞伎であった。
昭和28年(1953)8月、近松門左衛門生誕300年を記念して宇野信夫が「曽根崎心中」を新しい歌舞伎に脚色し、の新橋演舞場の舞台にかけたのである。徳兵衛を上方歌舞伎の第1人者の2代中村鴈治郎、お初を長男の2代扇雀(のちの3代鴈治郎)というコンビで演じたところ、大評判をとって扇雀ブームまで起こった。
この反響の大きさに驚いたのが、本家の文楽座である。人形劇としての「曽根崎心中」復活上演に意欲を燃やし、現代向きにという松竹の大谷竹次郎会長の意向を入れて、西亭(にしてい)こと三味線弾きの初代野澤松之輔が脚色・作曲を担当、鷲谷樗風(わしたにちょふう)の演出で、昭和30年(1955)四ツ橋文楽座1月公演の舞台にかけたのである。
よく復曲といわれるが、昔通りの演奏曲復元は不可能で、新しい作曲と割り切った方が誤解が少ない。語りを8代竹本綱大夫、三味線を10代竹澤弥七のコンビ、主人公・徳兵衛役の人形は序列7番目だった吉田玉男が遣った。
これらのものは本公演でもしばしばかけられる演目だけれども、より実験的な演目としては、蝶々夫人、ハムレット、テンペスト(「天変斯止嵐后晴」)など。また、市長が再三ふれている三谷幸喜の新作に代表されるようなそれも、しばしば作られる。聖書の福音書物語を文楽で、といった試みまである。
つまり、文楽に携わる人たちは、新しい観客開拓への意欲はあり、チャレンジ精神も問題意識もある人たちなのであって、この点は文楽を知らない人たちによく認識しておいてもらいたいと切に願う。
したがって、ちゃんとした台本さえあれば、たとえば百合文楽でもけいおん!文楽でもなんでもできるはずだ。文楽人形は、女子高生でもイエス・キリストでも、なんにでもなれるのである。
しばしば、歌舞伎や落語と並行して文楽を論じられているのを目にする。しかし、文楽は他の古典芸能と全く違う側面があるので、「伝統芸能」「大衆芸能」という大雑把なくくりで論じられるとやや面食らう。
まず、文楽は音曲として非常に格の高いものだったという歴史的な事情である。これは歌舞伎の竹本葵大夫さんが軽く書いている。
人形芝居で創りだした演目も歌舞伎に流出して、歌舞伎で大当たりを取る。それがために、人形芝居は経営に打撃を受ける。これは対策を講じなければいけない。そんなこんなで、人形芝居の組合で「歌舞伎に出演した太夫・三味線は除名処分にする。歌舞伎の太夫・三味線とは同席しない」などと取り決めます。「われわれは宮中のお召しがあると参内して芸をお目にかける。そして掾号も受領することさえある。歌舞伎などの河原者とは身分が違う」と息巻いたかどうかは知りませんが、これくらいのことは充分おっしゃられたでしょう。
今でこそ、私など文楽の9綱大夫師にご指導いただいたり、ほかにも三味線の方が文楽の方のご指導をいただいたりしておりますが、昔でしたら考えにくい現象でしょう。
もちろん実力の裏付けがあってこそで、
ただいまでも「文楽座出演」と銘打って歌舞伎の演目に文楽座の皆様が演奏で出演なさると、たいがい新聞劇評は「○大夫、△△以下、文楽座の演奏に量感がある…」というようなことが書かれます。ところが、同じ曲を私ども竹本が演奏いたしますと、あまり賛辞を頂戴することがございません。
ということになる。
葵太夫さんも触れておられるが、そもそも人形浄瑠璃は皇室と関係の深いもので、その一つの表れが掾号だろう。名人上手は皇族から掾号を受領することがあり、豊竹山城少掾、人形遣いの吉田難波掾を最後に掾号受領するものはいないが、しかしながら皇室との関係はあったわけで、昭和38年に松竹が興行権を手放し文楽協会が成立したとき、松竹がこれを「献納」と言っているのは故なきことではないのだ。
繰り返すが、このような人形浄瑠璃における格の高さは、実力の裏付けがなければ意味を持たないし、まして現代において補助金の投入を正当化するものには必ずしもならない。
しかし、他の芸能と一括りで論ずることができないという側面の若干は感じてもらえるのではないか。
また、義太夫節の特性について若干ふれておきたい。
義太夫節の構造そのものは簡単で、決まったメロディーのパターンを詞章に合わせて組み合わせて行くだけだ、という説明でいいと思う。したがって、このパターンの組み合わせは無限に広がる。
ところがそう簡単にいかないのは、文楽の古典の場合、演目に合わせて様式が成立しており、義太夫節ではこの様式を「風(ふう)」という。かねて様々な論者により、風を語り分け伝承するのが最大の難物だとされてきた。というのも、非常に微妙・繊細なものだからだ。
以前書いたように、私は国立文楽劇場に通って図書閲覧室にもよくお邪魔をするような人間だったが、さすがに義太夫節を語るところまではやらなかった。だから断定はできないけれども、この様式の問題は最後は幼少時の音楽環境の問題になると思う。と考えたくなるくらいに、微妙な代物であって、これだけ洋楽が氾濫して耳が慣れてしまっている現代日本で、こういうものを継承することが可能かどうか、はなはだ疑問だと言わざるを得ない。
やや話がずれたかもしれないが、たしかに落語や歌舞伎などのように、時代に合わせて姿かたちを変えることで人形浄瑠璃においても生き延びることだけなら可能かもしれない。しかし、文楽の場合、繊細な中身が変わってしまってはもはや文楽ではなく、ただの人形芝居、「文楽のようなもの」が残るだけだろうと強く危惧するものだ。
この点が、私の文楽の将来に対する悲観や「古格を維持している限りは、文楽は補助されるべきだ」と考える所以でもある。
大阪市長やその周辺が模索しているように、観客動員を増やそうとする努力、そのための宣伝や統括的なプロデュース・マネジメントが必要だろうというのは、私もかねがねそう思っていた。まんざらではないと思う。
ただし、それには一定の限界があるだろうとも思う。要因はいくつでもあげられる。
音楽環境がもうまったく変わってしまっている。古典に対する教育がほとんど日本ではなされないのだから理解できなくて当たり前。そもそも、松竹ですら経営が難しくて50年前に放り出したものを今の時代に観客が増えるわけがない。ちゃんと語れる人がもういなくなりそうだ等々。
一定の限界を認めなければ、たとえば市長がいろいろ言っているように古典であっても演出をもっと現代的にしなければならなくなるだろうし、本も変えなければならない。本来、国立劇場国立文楽劇場での公演は一作品全部を舞台にかける「通し」を主として行われるべきだが、観客動員を上げたいのであれば歌舞伎のように「見取り」だけでプログラムを構成し、有名な売れそうな場面だけ舞台にかけておけばよい。しかし、それで本当にいいのか。
つまり、観客動員をどうしても上げたいのであれば、中身にも伝承にも確実に影響が出てくるだろうと思われるのだ。これで本当に「古格」が維持できるんだろうか。
私は、文楽だけでなく、歌舞伎も好きだし(そもそも文楽に触れるきっかけは歌舞伎で知っている演目は文楽ならどうなのかという興味だった)、西洋古典音楽も大好きな人間だ。そうやって比較をすることで両方を消化するのが、誇張して言えばあるいは日本人だけの楽しみだとすら思っている。
そこで西洋音楽と比較した場合、文楽に匹敵するものはワーグナーの楽劇ぐらいしかないのではないかな、と感じている。長大さや感動の深さの点で比肩する物は相当に限られてくると思う。
それだけの値打ちがあるんだということ、それだけの値打ちがあるものに対して、日本のものなのに、その日本人の大多数が興味関心全くゼロだということは、まず言っておきたい。
その上で、しばしば「補助金なしでやっていけない芸能芸術は滅び去るべきだ」という意見が見られる。非常にもっともな意見で、公によって支えられている文化事業は常にこういう問いを問われるべきだと私も思う。
ただ、一方で、ヨーロッパのオペラにしろオーケストラにしろ、「補助金なしでやっていけない」わけだが、「だから滅び去るべきだ」とは言われない。ここは必ずしも論理としてリンクするものではない、ということも、またもっともなのだ。
文楽に匹敵するのはワーグナーくらいしかないのではないかと書いたけれども、ワーグナーには過去の歴史から政治的な問題が色々あり、また採算が取れないからといってドイツ人がワーグナーを「過去のもの」として捨て去るだろうか。欧州においてすら西洋古典音楽のファンはそれほど多くないはずだが、さらにそのなかのごく一部のワグネリアンしかたいした興味関心をもたないからワーグナーの上演は無駄だと批判されるだろうか。そういうことは今のところまずあり得ないと思う。なぜなら、ワーグナーはドイツの宝だからだ。文楽よりはるかにカネがかかるにもかかわらず。
大阪の先人たちは、文楽という芸能に対して文字通り心血を注いできた。一時期を除いて基本的には客が入らない芸能だったので、名人上手ですら「明日のご飯がない」という貧乏話は普通にある。奥さんが小料理屋を営んでいてそれで食わしてもらったりしている。それでもなお、大阪の偉大な先人たちはこの芸能に打ちこみ、奇跡的に現代に伝えてきた。
彼らはお金はなかったかもしれない。貧乏だったかもしれない。その代わりに得られたのは、感動を与える喜びであったり、誇りだった。掾号の問題はまさしくそれで、名誉だけが彼らの糧だったと言っても言い過ぎではない。ワーグナーにも匹敵する芸能であるからこそ、それだけ打ち込む価値があったのだ。
ただ、現代社会では、残念ながらこの芸術の価値に見合うだけの犠牲を技芸員たちに求めるのは、無理になって来ている。(それでも彼らは贅沢な生活をしているわけでは決してない)
現代の大阪人はそういう偉大な先人の子孫だ、そういう偉大な芸術を生んだ共同体の中にすむ一員なんだという矜持、その矜持が文楽に金を払わせるのであって、他に理由は見あたらない。
そして、、、私はこれが最も大事な点だと思うけれども、、、大阪人に持ってもらいたいこの矜持に対して、文楽に携わる人たちはお返しをしなければならない。
それは、新しい観客を獲得する挑戦を一方で続けながらも、文楽の本格を維持すること、継承すること、古格を守ることではないか。それが、文楽座に課せられたミッションであって、それが出来なくなった時、文楽は文楽でなくなり、公金を投入する理由もなくなるだろう。
もちろん、大阪市長やその周辺の人々が考えるように、観客動員を上げて観光資源として活用されるように生き延びる方向もある。しかし、それはもはや「文楽」ではない。
もし「文楽のようなもの」という形でしか生き延びられないのであれば、偉大な先人の名誉のために、大阪人の矜持のために、近い将来、しかるべきタイミングで文楽の死を宣告してもらいたい、最低でも名前だけは変えてもらいたい、無形文化財や世界遺産の認定も返上してもらいたい。私がこのように希望する気持ちやその理由も、これまでつらつらと書いてきたことから感じ取ってもらえるのではないか。
そして同様のことは、なぜ国が補助金を文楽に対して投入するかという理由づけにもなるように思う。大衆に受け入れられない芸能は補助金を打ち切ればいい、この財政難の折から文化事業に投ずる財源はないとよく言われるが、ことはそう単純ではない。
予算全体から見れば、補助金として文楽に投入される額は巨額とは全く言えない。しかも大阪の場合は、対象を悪玉・敵に仕立て上げて財政削減しても、すぐに無駄なプロジェクトに走るのでせっかくの財政削減が全く無意味なことになっている。大阪市長は文楽に対して様々な批判を繰り広げているが、予算と比較した場合にあまりにも不釣り合いな煽りであると言わざるを得ない。
日本の偉大な芸術、しかもまだかろうじて本格が維持されている繊細な芸術に対して矜持を持って維持するに、大阪はもとより、日本の市民社会全体「も」維持しなくて他に誰が維持するというのだろうか。
(追記)
これまで書いてきたように、私自身は文楽の将来にはかなり悲観的であるし、芸の質についても相当程度批判的だ。したがってTwitter を見ていて古典芸能ファンによる「日本の伝統芸能なんだから維持されるのが当たり前」や「とにかく文楽は素晴らしい」に類する議論を見ると鼻白む思いをする。自分の楽しみのために税金の投入を是認しろというのであれば、それはまさに橋下市長の批判通りなのではないかと思う。
したがって、古典芸能ファンの言動にもいささかついていけないものを感じる時があると、これは明記しておきたい。
また、もし何かご意見などあれば、Twitterの私のアカウントに何か書いていただきたいというのは、前回の増田に書いたとおりだ。https://twitter.com/SignorTaki