はてなキーワード: 楽曲とは
鈴木 音楽について決めなきゃいけない打ち合わせの前夜に、ガールフレンドとユーミンのコンサートに行ったんですよ。それが初めてのユーミン体験。それで翌日、監督の宮崎駿と音楽演出をやっていた高畑勲に「ユーミンがいいんじゃないかな」と提案したんです。
こいつホンマに私情を仕事に持ち込むことに躊躇しない男やな。
で、宮崎駿も毎日ラジオで聞くくらいユーミン好きだったからユーミンにお願いしましょうってなって
ユーミン夫妻が全然乗り気じゃなくて1年以上「まだすか?」「どうすか?」って通い詰めてたら
ユーミンの旦那が「なんかちょっと重いんでなしでw」って言ってきたんだよね。
しょうがないので当時のユーミンの楽曲の原盤権持ってたレコード屋の偉い人に頼み込んで
楽曲を使わせてもらうことになったので、
魔女の宅急便にあの2曲が使われることに対しては
大ヒットしたのちに「ええで!」ってなってるんだけども。
それまでの日本の曲にはあまりないリズム感の曲に歌唱法で、なんていうか音楽の幅が広がったような感じがしたかな。
米津玄師さんは、うまく言えないけど、音をどこかずらしてくる。そのずらし方が絶妙で、楽曲が独特な雰囲気を纏ってる印象。
歌い方も思ったより幅が広く、曲の雰囲気に合うよう細かく歌い分けていて、それが世界観によくマッチして耳に残る。
両者とも言えるのが、歌声がしっかり脳に印象として残るってことかなー。
もちろんこれらは個人差があるだろうし、いやおれはYOASOBIの曲や声の方が頭に深く残るぜ!!って人ももちろんいるだろうから、あんま気にせんでもええんじゃなかろーかとは思う。かなー。
15歳で作詞・作曲したデビュー曲で、当時日本ではメインストリームではなかったR&Bを爆発的に広めたアーティストがすごくないことはないでしょ。
ただ宇多田ヒカルについては年齢のことは抜きにして語ることはできないと思う。
宇多田以前にも若い歌手っていうのはもちろんいたけど、青さ、未完成さを味わうみたいな空気は確実にあった。
でも宇多田の場合、こういう音楽をやるには経験とか円熟味みたいなものが必要だよね、っていう認識の、いわば完成された楽曲を15歳の若造がポンと出して来たわけ。
そりゃあ怖いし、こういう人がどんどん出てくるのかな、っていう新しい時代の到来を感じさせるものだったよ。
米津玄師に関しては世間一般の評価はよく知らないけれども、個人的には「タイアップ曲」っていうのを数段上に押し上げたな。っていうのを感じる。
タイアップ曲ってアーティスト売るために別にドラマやアニメ本編に全然関係ない曲流すのが長らく主流(もちろんそうでないものもある)だったんだよね。
今でこそOPやEDの曲はアニメやドラマの世界観を深く掘り下げるのが普通のこと。っていう意識は広まったけれど、そういう風潮を作ったのは米津の力が大きいように思う。
米津は他者の創作物に対する洞察力、理解力がものすごくて、かなり高いレベルで創作物の世界観に寄り添ったもの、下世話な言い方をするとオタクが喜ぶ曲を作る。
YOASOBIもタイアップやりがちアーティストで、曲の完成度もめちゃくちゃ高いけど、そういう「寄り添う力」みたいのは米津には及ばないと俺は思う。
そこでその友達「子供の頃から地方に住んだら美術館とかミュージカルに行けないから文化的素養が身につかない」「ゲームとかに詳しくなっても何も役に立たないやん」
んでその帰りに上下共に布袋のギター柄ファッションでグラサンかけためっちゃ目立つ感じの兄ちゃんが通りがかって
「うわさっきめっちゃ布袋の兄ちゃんおったな」って言ったらなんかピンと来てなくて、どうやら布袋寅泰の楽曲やら布袋寅泰のギターの柄がいろんなところでコスられてる文脈とかそういうの全然知らんかったみたいで
シェイクスピアの演劇知らんのと布袋寅泰のギターの柄知らんので優劣とかあるんかいなって思った。
吉本芸人の漫才が好きなのとオーケストラ好きなのにどっちが上とかあるの?
ただの趣味の違いじゃん
ひさびさにミリオンライブ!の楽しい話をしようと思う。どうコンテンツ消費してるかとか。結論はね、テキトーに触れてみてくれ。あとアニメ楽しいよ(ネタバレ無し)。そんだけ
アイドルマスターミリオンライブ!は、アイドルマスター系列のメディアミックスブランドだよ。765プロに52人居る世界線です。ミリシタってゲームで遊べるよ。
まず、メインゲームこと"ミリシタ"は全然起動してない。そんでコミュは読めてない。新曲はたまにプレイする。MVはすげー可愛い。稀にフルコンボする。
楽曲CDは最近買えてない。けど、毎週のラジオで聴くと急に好きになる。ラジオはよく見逃すけど、思い出したら見る。曲コーナーが後半なので大体そこ。たまに出演者の発言で外野が揉める。
よくTwitter上で学級会してる。見ないふりしてる。絵師同士で揉めて対消滅したりする。知らないふりしてる。よくスペースでアイドル論語ってる。かと思ったらただの作業配信だったりスプラやってたりする。好きに聴いて閉じる。
周年ライブは予習しない。声優MCはすげーグダグダする。身内ノリすぎて心配になる。でも歌になると超上手くて虜になる。簡単に感動して泣く。UOバキバキ折る。告知でオーバーに喜ぶ。一緒に来たオタクとその場で先行応募する。
供給はいつかあるけど担当のアイドルに限ると結構待つ。(でも周期で必ず回ってくる。)待つからといって、過去のコミュ追ったりする気力は起きん。適当にWebで探すと、担当の知らないエピソードがグリー版アプリのアーカイブ(有志サイト)から出てくる。解像度がちょっと上がる。
なんやかんやで他のアイドルも知るとちょっと楽しい。知らないアイドルに狂ってるフォロワーと話すと楽しい。公式の供給と担当フォロワーを合わせて眺めるようになる。なんか面白い。
狂った絵描きフォロワーに釣られて絵を描き始める。自分で描いたアイドルを眺めると楽しい。元気っぽさとか好きな要素が描いた絵から出てくるとテンション上がる。今見るとぎこちない絵だけど、みんな優しく褒めてくれてた。
オンリー同人イベント行くとめっちゃ人が居てびびる。本出したらフォロワーが買ってくれて嬉しかった。自分も買っちゃうし楽しいお祭り騒ぎ。担当の良いところ何回も説明して、好きな劇中劇の二次創作ずっと考えて、好きなカップリングずっと回して、好きなポーズでスクショ撮って、好きな衣装でファンアート描いて、ずっとお祭りしてる。徳川まつりもびっくり。
離れかけてたミリシタに自分の担当アイドルが来たらやっぱ一番嬉しい。暇してた雑多アカウントもガチャや4コマきっかけに顔出してくるのが楽しい。4コマ更新の時間に、可愛さにしてやられてるフォロワーを見るのが楽しい。
漫画は読んでほしい。ゲッサンならキャラ分かりやすいぞ。BCもBNSもあるぞ。大神環ちゃんは……「天色のアステリズム」にてメインを張っているぞ。かわいいですね。
ミリシタのガチャはお財布と相談。10連ガシャのスクショでプロレスするのも常識の範囲内でどうぞ。ネタツイートもコラ画像もご自由に。それが火花になっては学級会に皆いっちょ噛みして延焼、「なんか気まずいっすね」とdiscordで世間話しながらお絵描きして過ごすのも悪くない。
ちょっとTLに辟易してミリシタ立ち上げると以外と面白かったりする。いくらやっても未プレイ曲リストは埋まらない。知らない機能がいつの間にか実装されている。
TLはいつの間にか喧騒を忘れていて、ゲームのスクショ写真を愛でたり狂ったフォロワーの二次創作に息を呑んだり、担当のR18絵を光の速さでミュートしたりする空間に戻っている。クソ楽しい。
俺はこのコンテンツに本気で向き合っていないけど、好きに向き合っている。グリー版アプリ時代のアーカイブ、なんとか踏ん張ってるミリシタ、頻繁に出るドラマCD、10年声優が本気出す周年ライブ、勢いがあるミリオン同人界隈にそこそこマイペースで付き添ってきた。超のめり込んでるのかもしれないし、全然触れてないのかもしれない。
キャラクターの魅力(アイドルの個性、ストーリー)もあるけど、このコンテンツに至っては色んな展開(定期的なゲーム更新/周年ライブ/各種コミカライズ/企業コラボ等)を10年持ちこたえたという、ある種の図太さ、泥臭さも大きな魅力なのだろうと思う。ミリオンライブ!またはミリシタはコンテンツブランドでありながら、コミュニティハブのような存在になっているのだ。周期的/頻繁な供給とマルチメディア展開、そしてそれを続けられる体力。長く展開を続けたからアイドルが魅力的になったのか、アイドルが魅力的だから長く展開出来たのか、その関係はもはや分からない。でも、今は遊べて感謝してる。すげー楽しい。
こんな謎コンテンツだけど、今アニメの先行上映(4話まで)を映画館でやっている。年数で積み重なった色んな背景と世界線に合致するよう作る必要があり、大多数が心配しつつ観に行ったらしい。でもみんな笑顔で出てきた。俺もすげー楽しかった。ライブも行っててよかったかも。
ちゃんとおすすめ出来てるか分からないけど、ミリオンライブ!は面白いよ。適当に触れてみてくれ。先行上映見てつまらない時は容赦なくレビューサイトで★1付けてくれ。逆に可愛い子が一人見つかれば十分。そんだけ
ボカコレ2023夏というドワンゴが主催の音楽イベントで、ルーキーランキングで一位を獲った楽曲の一位褒賞である音ゲーへの楽曲採用が、不明な理由により延期されている。
この楽曲には、その作者が前に投稿していた楽曲も含め、ある一つの音楽ジャンルを継承した特徴がある。作曲者から直接の言及はないが、そのジャンルに与する作品として作られており、それが延期となっている原因ではないかという説がある。
ここでは取り敢えず、近年呼ばれるようになった『界隈曲』という名前で便宜的に呼ぶこととして、ここに覚書を残しておきたい。
10年ほど前に、ある人が一部の楽曲を残し他のすべての作品を削除して引退した。その騒動についてはここに書かない。最終的に四つの作品だけ、一定の条件下であれば転載しても構わないとし、最後に『自分について話をするな』との旨を言い残し姿を消した。関連した業界で今なお仕事をしているのか、それとも完全に手を引いたのかはわからない。
そして、残された四つの作品を転載する条件には、使用されていた素材の規約を守ることといった一般的なものに加えて、「作者の名前を明示しないこと」というものがあった。一般的な引用が名前を明らかにしろというのに対し、その真逆を求めた。
こうした奇妙な結論に至るには、様々な騒動が原因となっている。騒動の経緯は全て割愛する。端的に言えば、氏引退の理由は『解釈に対する敵愾心』とでも呼ぶべきものかもしれない。この文章による言及それ自体が、氏に対しての敬意を欠いている。
氏の作った楽曲群は殆どが消えて、正式に残ったものはたった四曲。それすら名前を出さないようにと請われたのに、氏の願いを聞き届けられないほど良いものであり過ぎたのかもしれない。少なくとも、10年以上の時を経てなお、その歌詞が件の作品に引用される程には。
一般に、音楽のジャンルというものはその先駆者の後追い、リスペクトとも呼ばれる音楽が生まれていくことによって作り上げられるものだと思う。実際に、氏の音楽によく似た楽曲が、インターネットに生まれていった。具体的な楽曲名やアーティストを例示することは、ここでは避ける。例えばノイズミュージック・エレクトロニカであるとか、MVに四角形を種とした幾何学模様やドット絵がリズムやコードなどを示すというような特徴を上げることはできても、その根本的な特徴としての模倣性は、結局のところ、作り手側の意図ではなく聞き手側の意識によって観測される。
『界隈曲』という言葉で今括られている楽曲群には、その系譜を明示している作曲者もいれば、暗黙の了解とばかりに仄めかす作曲者もいる。一切言及していない作曲者もいるし、むしろ否定しているケースまである。
問題があるとするのなら、その『類似性』こそが求められたことだったろう。得てして後追いとなった楽曲群は、特にその当初においては、最初の4曲とよく似ていて、むしろ似せることこそが求められているかのようだった。
時を経て、近年は類似させることも緩やかになっている。しかし、むしろその『類似』であること、氏の系譜であることを求めている、という宗教じみた性質は確固たるものになっていった。
その一つの根拠に、今現在のこれらの楽曲群の呼び名である『界隈曲』という言葉そのものがある。
最初は、ある後追い(とされているが、当人の直接の言及がないため、含めるべきでないという説もある)の作曲者の名前を取って『◯◯◯◯界隈の曲』という枕詞で呼ばれていたことがある。しかし、その後追いの作曲者をして名前を示すことへの疑義はあり、時には氏の名前を取って『XXXXリスペクト(ここのXは最初から伏せ字)の曲』のように呼ばれることもあった。海外では、名前を伏せた最初の四曲に対し(楽曲群のモチーフが全て海産物であることから)「海鲜市场」という名前が付けられたり、一部の後追いの作曲者たちを合わせて「Nameless cult」と呼ばれることもあった。
どうあれ、名前を伏せているせいで、だんだん呼び名それ自体の意味が薄れていくうちに、前の言葉は『例の界隈の』『XXXXの界隈の』と曖昧になり続け、最後にはその頭すら取れてしまった。
呼び名がないことの不自由さに対して求められた名前であっても、『界隈曲』というジャンル名が指すものは、前述した通り端緒となった氏の音楽を起点とした系譜だ。
系譜そのものへの人気は歪なほどに高い。ある作曲者が『界隈曲』とされる楽曲をほんの数曲だけ発表した結果、その数曲だけで、それ以外に投稿してきた楽曲の全ての再生数を足し上げた数の、その数倍以上の再生数を叩き出した。
今回の端緒とした件の楽曲は、その要素を明らかに含めている。それがイベントで一位を獲った最大の理由とは考えないが、一定の役割を果たしていたと思うし、それ自体は悪いことではないと思う。
ただ、氏が引退した理由は最初から何も変わっていない。『自分について話をするな』と言って消えたことに変わりはないのに、それでもなお『界隈曲』という名前で、さも継承してきたことが美しい物語であるかのように語り諂うのは、あまりにも無邪気が過ぎるように思う。
好きな音楽だから聞きたいとして、良い曲であるから肯定するとして、その情報の中に態々『界隈曲』という言葉を組み入れ、その系譜を遡って死人の墓を掘り返し死骸を残骸にし尽くしているのは、作る側ではなく聞く側ではないのかと思ってしまう。その残骸の成れの果てを美しいものだと祭り上げて見せびらかすのは、趣味が悪い気がする。
侮辱してでも聞き足りないほどの音楽だからだと言われれば、返す言葉なんて無いかもしれない。
けれど、無邪気に語るのは嫌だなと思ってしまっている。
37歳(年齢より若く見られます)/ 東京在住/ 170cm/ 56kg/ 年収300万/ 高卒
綾野剛や笠松将系の顔です。その顔が好きな人にとってはイケメンだけど嫌いな人にとってはキモメンかもしれない。
趣味・好きなこと
自分は少しバイセクシュアル気味でジャニーズとか好きです。キンプリが好きでしたが二人体制になってから冷め気味です。
楽曲はシンデレラガールが一番好きですが、MVも含めてアイプロミスが一番好きです。
セクゾもまぁまぁ好きで菊池風磨担当なのでドラマウソ婚にハマっています。菊池風磨初のはまり役だと思います。ファイトソングが酷かったので…
セクゾというかジャにのちゃんねるが好きですね。インパクターズの佐藤新くんを応援する予定でしたが退社はショックでした。
二人体制キンプリがあまりにも酷いのでどこかに移ろうと考えましたがSnow Manの楽曲は微妙だし模索中です。佐久間くんは里親募集の猫を飼っているので好きです。
そういった事情もあってか、猫とかちいかわとかシナモロールとか可愛いものが好きです。
散歩しながら録音した深夜ラジオを聴く。(伊集院光爆笑問題など)野球観戦(ロッテファン)。筋トレ(体脂肪はほぼ無い細マッチョです)
健康オタクで脂肪をつけない料理や食材を調べたり料理するのが好きです。
JAZZが好きで休みの日はディスクユニオンに中古のJAZZCD買いに行くこともあります。
あんまり歳が離れすぎてたらあれだけど、自分を選んでくれるならなんでもいいです。
ジャニーズのコンサートに行ったことがないので一緒に行ってみたいです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2023/08/14466968.html
出た人の関係者から直接聞いたことあるけど、修正なんて初期の頃からバリバリにやってたし、なんなら一発撮りですらないらしいよ。すげー!ってコメント欄眺めてると、世の中ちょろいなって心底思う。
この謎の噂話を元にブコメで一発録りを批判する流れができてるけど、そもそも THE FIRST TAKE に限らずインタビューとかでも載ってる一発録りは同時に演奏して一気に楽曲を録音する事であって対義語は別録りだよ。勘違いしてる人が多そうだけど一回の録音しかしない事ではないよ。音被りとかで機械の打ち込みとかでは出せないライブっぽい一体感が出るって言われてて、レコーディングには一発録りをガイドにして別録りで差し替えるみたいなやり方とかも普通にあるよ。
THE FIRST TAKE でいうとボーカルまで一発録りするのは珍しいからそこは十分なコンテンツの売りになっていると思うので、一発録りの部分でよくわかってない批判をするのだけはやめた方が良いと思うよ。
反応が無かったのでつっこんだ話をします
37歳/ 東京在住/ 170cm/ 56kg/ 年収300万/ 高卒
綾野剛や笠松将系の顔です。その顔が好きな人にとってはイケメンだけど嫌いな人にとってはキモメンかもしれない。
趣味・好きなこと
自分は少しバイセクシュアル気味でジャニーズとか好きです。キンプリが好きでしたが二人体制になってから冷め気味です。
楽曲はシンデレラガールが一番好きですが、MVも含めてアイプロミスが一番好きです。
セクゾもまぁまぁ好きで菊池風磨担当なのでドラマウソ婚にハマっています。菊池風磨初のはまり役だと思います。ファイトソングが酷かったので…
セクゾというかジャにのちゃんねるが好きですね。インパクターズの佐藤新くんを応援する予定でしたが退社はショックでした。
二人体制キンプリがあまりにも酷いのでどこかに移ろうと考えましたがSnow Manの楽曲は微妙だし模索中です。佐久間くんは里親募集の猫を飼っているので好きです。
そういった事情もあってか、猫とかちいかわとかシナモロールとか可愛いものが好きです。
散歩しながら録音した深夜ラジオを聴く。(伊集院光爆笑問題など)野球観戦(ロッテファン)。筋トレ(体脂肪はほぼ無い細マッチョです)
健康オタクで脂肪をつけない料理や食材を調べたり料理するのが好きです。
JAZZが好きで休みの日はディスクユニオンに中古のJAZZCD買いに行くこともあります。
あんまり歳が離れすぎてたらあれだけど、自分を選んでくれるならなんでもいいです。
ジャニーズのコンサートに行ったことがないので一緒に行ってみたいです。
konkatu.hatenaあっとokinawa.li にメールいただけたら嬉しいです。(やり取り後に本メールアドレスに移行します。)
Mes.green apple、ミセス、最近音楽番組とかタイアップとかもたくさん出てるから、音楽とかバンドとかそんな詳しくない人も聞いたことある人が多いと思う。(昔から知ってる人からしたら昔から人気だわ!💢かもしれんが許してな、そういう貶す意図はないから💦)
先日ミセスのライブに行く機会があった。彼女がミセス好きで、ノアの方舟に一緒に行く予定の人が流行りのコロナになって俺に一緒に行ってほしいと頼まれた。彼女が好きなのはもちろん知っていたし、フェーズ2からはかなり露出も増えて俺もあああのミセスね、と思っていた。
でもミセスって、陽キャだし、派手だし、若い子向けのバンドっぽいし、俺みたいな陰の者が行っていいライブじゃなくないか!?だって髪、髪さあ。グループを構成するいろんな要素が強さの定番ですって感じだし絶対学校の中心グループとかにいる系の人間じゃん、絶対男女混合のグループの中心にいて、俺らは授業で何かあった時ぐらいしか関わらないのに話してみたら案外話しやすくて、その内挨拶はするようになるオタクに優しい陽キャ、卒業式にだけ写真撮って、それでそれ以降は特に別に何もない、みたいなところまで想像できそうな人達じゃないか!?ファンだってイケイケアゲアゲなんじゃないか!?とか思いながらも、当日は乗船させていただきました。
ちなみに俺はオタクなので、ライブ当日までに楽曲、インスタやTwitter、Wikipedia、直近のインタビューなどとりあえずインターネッツで得られる情報はあらかじめ得ておきましたぞ。彼女にはそんなに急に多量摂取したら死ぬんじゃないの?と言われた、んなわけねーだろ。
ライブ後、いや乗船後、死んだ。
いや、なんだろうな、今死んでもいいなって思った。
もあるライブレポートに書かれていた、スペクタクルショー、というものが本当にぴったり合うライブだった。素敵にまとめてあるので全人類読むこと。(https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/128308/2)
途中、これはミュージカルだろうかと思った。楽曲は一通り聞いてきた、有名なタイアップのものから、初期の頃のものまで、でもそうじゃない、そうじゃないというか、全くの別物だった。別物って言い方もちょっと乱暴かも、ごめん、そういうつもりはない。ただあの日俺は"ミセスの楽曲"のミュージカルを見ていた。驚いた、放心した、光るバンドをつけた腕を彼女になんとなく合わせて振りながら、声出すところはよくわからないからそこは何となくノリながら、俺はそれでもモヤがかかったような、急に頭に情報がたくさん流れ込んでくるような、はっきりと言葉にできないような、そんな状態だった。
3時間に及ぶライブが終わり、Atlantisへ続く映像が流れた。すごい、俺はまだ冒険の先へ連れて行ってもらえるんだ、そう思って心臓が急にバクバクしだして、帰りながら泣いてしまった。すごかった、とにかくすごかった、人間あれだけのすごいものを見たら泣くんだと思った。今までにない感覚だった、今までオタクをしてきて、こんな気持ちになったことはなかった。彼女は急に泣き出した俺に驚いて、それでも俺がボロボロになりながらミセスがぁほんとにすごくてぇ、とか言ってたらうんうんと言いながら話を聞いてくれた。
俺はとにかく聞く方を優先して歌詞まで読み込んでいたわけじゃなかったから、上に記載したライブレポートでVikingとFeelingの歌詞の対比とか、自分でセトリ組んだプレイリストとか改めてじっくり聞いて、そしたらまた涙が出た。もちろんセトリ以外の曲もじっくりと聞いた。泣いた。
とにかく愛がすごい。
生きることへの執着や希望がすごい。
寂しいのに優しくて、激しいのに切実で、そこにはミセスの、言うなれば大森さんの、人生があった。
若者だけの曲だと思っていたが、ミセスは多分全人類が好きなんだと思う。ただの新参ファンがが何言っているんだって思うかもしれないけど、ライブを通してもそう感じた。
ライブ前に読んだはずのインタビューを改めて読みたくなって読み返したら全然違う、文章から彼らの声がしてくる。インスタの向こうにいるのは陽キャの男たちではなく、音楽を愛し、ファンを愛する、おちゃめなミュージシャンだった。
愛がすごい作品はいっぱいある、サゲの意図はないけどそういう風になったら嫌だから具体的にはあげないけど、これまでの人生で新作を心待ちにしたり、劇場に何度も足を運んだ作品はたくさんあった。今もある、それはそれで本当にすごい、大好きだ。
でも、なんだろう、ライブってこんなにも違うんだと思わされた。ライブが終わったら人生が変わったような気がした、なんとなく聞いていたCMの曲が、映画で使われたセルフカバー曲が、有名な夏の曲が、俺の中で血肉になった。もう一度あの船に乗船したい、そういう気持ちが止まらない。
実はライブに行く前は流行ってるからと逆張り的に、天邪鬼に構えていた時もあった。そうは言ってもさ、みたいな、でも"素直になる勇気はあるか"、我々が歌った(当時は歌えなかったけど、今は歌いたい!)フレーズがまさにそうだ。
俺はもうその先に連れ出してもらえた、新しい音楽に出会ったワクワク、一歩踏み出せた感覚、ミセスが見せてくれる愛、なんとかなる!と暖かく背中を押してくれる優しい彼らに早く会いたい。だからFCにも入った、さすがにFCの配信内容を彼女に見せてというのは反則だからな、俺の知らない時代のミセスのブログを読んでまた泣いた。再始動してくれてありがとう、俺に出会ってくれてありがとう。Atlantisはさすがにチケット間に合わなかったが、次あるライブには是非また参加したい、させてもらえるなら、参加したい。その場にいたい。
現場は男性ファンが多くて意外だった、俺が音楽というジャンルに詳しくないだけだろうが、男性アーティストに男性ファンってこんなにいるんだ!?って驚いた、でも男性も絶対に好きになるから気になる人は是非9月のWOWOWをだな…。
ちなみに、ライブ当日会場で彼女が俺を置いてなんか買いに行ったりして、ほんとひどいよな!?ソワソワしてた俺を気にして隣の人が話しかけてくれて、今回が初めてで、最近知ったから若干申し訳ない気持ちもあるんですって言ったら、全然いいじゃん!むしろこれからたくさん好きになっていけるかもじゃん!って色々話して塩飴もくれた、ありがとうございました。ミセスのファン陽キャなのにみんな話してみると実は話しやすかったり、あれ?デジャヴだなこの話???
初めて。
Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。
けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。
でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。
明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう。
もしまた思い出したら追加で書いたりするかも。
追加:羽生さんのこと基本全部フルネーム表記してますが、ほぼ彼が「羽生結弦」という概念になってると思ってるので敢えてこの表記にしてます。
報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。
読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記。
心から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動で呪いの言葉吐いてしまいそうだったから真剣に落ち込んでみた。
ちなみに、私はスケートという概念と結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。
約10年。
20年ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。
まあいいや。
初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。
元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。
当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子の花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。
(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)
小学生の自分にとって、それまで見たことないタイプの名前が電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんて読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。
なにより今では想像できない踊りで。
まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。
(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)
自分の私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年が五輪金メダリストに変化していた。
何度も何度もソチ五輪の映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。
(このワールドのsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は◯んでくれ。)
その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。
全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。
第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。
羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分の体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。
中学→高校は私生活と勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦」はいつも生活の側にあった。
普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。
母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。
詳細は省くけども、
ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔な存在」にもなっていた。
中国杯の後に増えたファンや民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分の勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。
その頃自分は大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。
スケートは完璧、勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。
また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。
家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて仙台の大学を選んだ。
他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。
羽生結弦は過去にananの表紙を飾っていたが、意味のわからんクソナガ茶色マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。
今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)
どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光だから監視してもらう感じで。
話がズレたな。
平昌五輪も差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか。
当然家族全員反対した。
今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ〜(笑)って感じだったし。
そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフのアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。
どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづのパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。
あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ち悪いから消えて欲しい。
無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的にスケート界隈を視界に入れないようにし始めた。
ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター、仙台駅の本屋、仙台地下鉄のポスター…
競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。
また話ズレるけど仙台大好き。
故郷よりも好き。
都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。
就職を契機に都内へきてしまったから仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。
私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます。
大好きだ仙台。
話を戻そう。
とはいえ、Twitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったからTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも、羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。
(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカスであること自覚して生きような)
TwitterじゃなくてX?
そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。
数年まともに追っかけていなかった間に、さらにスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。
FPの朝。
雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。
FP前日に事実無根の記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。
何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。
タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。
それを考えると結婚したいと思える人と出会えたことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。
そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。
前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。
男子のスケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。
ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからはプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。
みんなのライトで投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、
最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。
数日間ある中でも最後の日に、悲愴は思い入れがあるからと踊って。
じゃあ最初からリクエストの選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。
あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。
adoなんて過去にネットで活動してた人をアンチで自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。
そんないじめていた側の人間の音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。
giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。
いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事やアンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?
この辺から自分の思ってた羽生結弦像から乖離が起きてるのを感じていた。
まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。
notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国のファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。
こちとら鎮魂なり祈り、そこからの希望とか再生を意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。
最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔。
そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。
プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。
ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、
アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?
アイドルは最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。
好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。
世知辛いわね〜
まぁそんなこんなで、勝手に理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓
すごい、馬鹿みたい。
ほんと馬鹿みたい。
みんな勝手に期待して、陽子自体のことなんて考えてもみないで。
Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。
その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。
だってさ…
今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?
悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。
まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。
羽生結弦のファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。
私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。
私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃんと自分の気持ちを書いた。
これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦と結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう。
どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。
ただ、ただ、悲しかったんだと思う。
踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。
どんな場所でも美しく在る男の姿が。
そんな1人の男が好きだったな。
報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。
次はヒカペ目標で。
じゃ。
追記:
報告直後におめでとうと言ってた周りの人ほど今更落ち込んでる。最初に落ち込んでた俺の方がいま元気なの見るに、やっぱり無理するの良くねぇンだな〜に。
Twitterで羽生関係を全部ミュートにしててしばらく見てないけど、羽生結弦に限らずオタクは全員キモいから自覚して生きような。
初めて。
Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。
けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。
でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。
明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう。
もしまた思い出したら追加で書いたりするかも。
報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。
読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記。
心から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動で呪いの言葉吐いてしまいそうだったから真剣に落ち込んでみた。
ちなみに、私はスケートという概念と結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。
約10年。
20年ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。
まあいいや。
初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。
元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。
当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子の花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。
(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)
小学生の自分にとって、それまで見たことないタイプの名前が電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんで読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。
なにより今では想像できない踊りで。
まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。
(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)
自分の私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年が五輪金メダリストに変化していた。
何度も何度もソチ五輪の映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。
(このワールドのsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は死んでくれ。)
その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。
全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。
第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。
羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分の体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。
中学→高校は私生活と勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦」はいつも生活の側にあった。
普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。
母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。
詳細は省くけども、
ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔な存在」にもなっていた。
中国杯の後に増えたファンや民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分の勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。
その頃自分は大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。
スケートは完璧、勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。
また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。
家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて東北大を選んだ。
他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。
羽生結弦は過去にananの表紙を飾っていたが、意味のわからんクソナガ茶色マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。
今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)
どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光だから監視してもらう感じで。
話がズレたな。
平昌五輪も差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか。
当然家族全員反対した。
今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ〜(笑)って感じだったし。
そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフのアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。
どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづのパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。
あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ち悪いから消えて欲しい。
無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的にスケート界隈を視界に入れないようにし始めた。
ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター、仙台駅の本屋、仙台地下鉄のポスター…
競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。
また話ズレるけど仙台大好き。
故郷よりも好き。
都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。
就職を契機に都内へきてしまったから仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。
私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます。
大好きだ仙台。
話を戻そう。
とはいえ、Twitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったからTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも、羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。
(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカスであること自覚して生きような)
TwitterじゃなくてX?
そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。
数年まともに追っかけていなかった間に、さらにスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。
FPの朝。
雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。
FP前日に事実無根の記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。
何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。
タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。
それを考えると結婚したいと思える人と出会えたことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。
そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。
前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。
男子のスケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。
ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからはプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。
みんなのライトで投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、
最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。
数日間ある中でも最後の日に、悲愴は思い入れがあるからと踊って。
じゃあ最初からリクエストの選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。
あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。
adoなんて過去にネットで活動してた人をアンチで自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。
そんないじめていた側の人間の音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。
giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。
いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事やアンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?
この辺から自分の思ってた羽生結弦像から乖離が起きてるのを感じていた。
まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。
notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国のファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。
こちとら鎮魂なり祈り、そこからの希望とか再生を意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。
最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔。
そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。
プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。
ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、
アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?
アイドルは最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。
好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。
世知辛いわね〜
まぁそんなこんなで、勝手に理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓
すごい、馬鹿みたい。
ほんと馬鹿みたい。
みんな勝手に期待して、陽子自体のことなんて考えてもみないで。
Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。
その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。
だってさ…
今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?
悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。
まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。
羽生結弦のファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。
私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。
私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃんと自分の気持ちを書いた。
これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦と結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう。
どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。
ただ、ただ、悲しかったんだと思う。
踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。
どんな場所でも美しく在る男の姿が。
そんな1人の男が好きだったな。
報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。
次はヒカペ目標で。
じゃ。
はてなーが知的で今どきのカルチャーにも明るい人間としてふるまいたいのはお好きにすればという感じだが、日本語ラップへの適当な言及はやめてくれませんかね。
具体的にはこういうやつです:
https://b.hatena.ne.jp/entry/4740207123033680207/comment/tempodeamor
「反面、本邦ではいとうせいこう、ライムスター、ZEEBRAなど山の手のインテリ層が音楽的好奇心と共にヒップホップのローカライズに尽力したので、この傾向は薄い。」(id:tempodeamor)
「この傾向」というのは「抑圧された環境からの一発逆転の手段として金銭を追い求める傾向」のこと(雑要約)だが、現代日本語ラップにそういう傾向がない、というのは完全にフェイク。
一例として、今年の「ラップスタア誕生!」で優勝して注目を集めているShowyVICTORの「genzai!」から引用しよう。
「
その代わりに夢を見れてBingo!
周りの奴らにしてたよ嫉妬
でも真っ赤な愛で心 充満
待ってた この時 この順番」
今年上半期の話題作Lunv Loyal 「高所恐怖症(Remix) feat. SEEDA & Watson」よりLunv Loyalのヴァース。
https://www.youtube.com/watch?v=Ui92EzMDpp4
「
月に10万のWorks
シワくちゃな諭吉に
財布の中10万円もなかったけど
今は10万のKicks
金無きゃクソな日常
奥歯で殺した鬱病
誰も知らぬ間
首を吊って死んだBro
首を吊って死んだ
On the street, under the money
宇宙に上も下もない
彼はDrugを売る砂漠
彼女は体を売り捌く
また1人街のBoowyは部屋でDead
部屋の隅で1人Dead
誰かが生み出すこの貧困
彼らは味わった事ない貧乏
」
同曲よりSEEDAのヴァース:
「
口しなきゃ理解されない
見てた夢とか傷みでさえも
どこか遠くに消えてしまいそう
取調室 地下の地検
鉄格子と狭い窓
子供にねだられても買えなかった
セットどころかポテトさえ
うちにも現れてるサンタクロース
知ったのさ 俺にもう敵はいない
」
ここでは二曲しか挙げていないが、現代日本語ラップにおいて「貧しい環境から成りあがる」系の楽曲は枚挙にいとまがない。
そもそもANARCHYの登場以来、日本語ラップにおいて「貧困からの成り上がり」は中心的主題の一つとなっており、それからかれこれ15年以上になる。
「(「日本にゲットーはないのでヒップホップはなじまない」とされていたが日本も貧困化が進行しており)残念ながら、日本もヒップホップが似合う国になってしまいました」と宇多丸が語ったのもだいぶ前のこと。今や、貧しい環境からの成り上がりを、その激動の人生を売りにしているスターも多い。ANARCHY、KOHH、BAD HOP、SATORU、playsson、Ralph、Watson…
ついでに言っておくと、日本社会の多国籍化を背景に、これら「成り上がり」系のスターには団地育ちの移民二世・三世も数多い(KOHH、SATORU、playsson、Fuji Taito、Ralph、ShowyRENZO、ShowyVICTOR...)。
彼ら/彼女らのラップには、ラップで生計を立てて汚れ仕事から抜け出すのだ、という強い意志があふれている。
それで、インテリ層が何なんでしたっけ...?
ススキノの頭部切断事件が、家族ぐるみの猟奇事件の様相を呈してきたので、さらに野次馬的に解釈して味わうための怪文書です。
共犯の父親が初期ジェネシスのコピーバンドをやっていたのはすでに報道されている。
この時期のジェネシスの楽曲やステージは、悪趣味なアングラ演劇の要素や奇妙な伝承物語の要素が盛り込まれている。
代表作は1971年のアルバム「Nursery Cryme」だ。
装飾的な白い服を着た女性が無表情でクロッケーの木槌を掲げるジャケットで、その足元には切断された男の首が転がる。
アルバム名のナーサリークライムは童謡(ナーサリーライム)と叫び(クライ)と犯罪(クライム)をかけた造語。子供部屋犯罪とも訳せる。
1曲目のMusical Boxの歌詞カードには、次のような短いストーリーが添えられている。
8歳の少年ヘンリーがクロッケーを遊んでいるとき、9歳の少女シンシアは優しい笑顔でクロッケーの木槌を優雅に振り上げてヘンリーの首を跳ね飛ばした。
2週間後、シンシアがヘンリーの子供部屋で彼が大切にしていたオルゴールを見つけた。
オルゴールを開けると「オールド・キング・コール」の曲とともに小さなヘンリーの精霊が現れた。
(「オールド・キング・コール」はマザーグースのひとつで、音楽好きで陽気なおじいさんであるコール王の歌)
ヘンリーの精霊は、心は子供のまま、みるみる年を取り老人になっていった。
彼は一生分の欲求を抱えた性欲モンスターであり、シンシアにこの欲を満たしてくれと迫る。
騒ぎに駆け付けた乳母がオルゴールを投げつけてヘンリーの霊を退治した。
ライブで老人の仮面をかぶって、タッチミー、タッチミー、ナウ、ナウとしつこく迫るさまを叫ぶように歌うのが曲のクライマックス。
ススキノの事件がこの物語に沿っているとは言わないが、仮面を自作してコピーバンドをやるくらいの人なら、このストーリーを知らないわけはないし、
犯罪に手をかけるとき脳裏に浮かんだであろうことも想像に難くない。
ついでに言うと、ルナの名前もよくある日本名ではあるが、この手の趣味の人がルナティックが狂気を表すことを知らないはずはないので、ぎりぎり悪趣味にならない範囲でそういう嗜好の名前をつけたのだろうと想像する。
最初に言っておきたいのが、私はうたプリにもうたプリの運営(ブロッコリーとか)に対しても何の不満も持ってないこと、何にも怒ってないこと。
2013年の春、高校入学とともにiponeを手に入れた私は、当時2000%がドッカンドッカン来ていたうたプリアニメ一期を暇つぶしのために見始めた。それがきっかけだった。
トンデモすぎるシナリオ、無駄にキラキラしているイケメンたち、やたら上手い歌、でもやっぱり意味がわからない演出に笑いまくって、面白い作品は数あれど心を楽しいという気持ちでいっぱいにしてくれる作品は私にとってうたプリが初めてだった。
そのあとはニコニコ動画を検索し、さまざまなキーワードでググりまくって、ドキドキしながらpixivを覗いたり、バイト代を握って初めてアニメイトに行って、金額の高さに卒倒しながら中古ショップでPSPとソフトを買った。
ゲームのうたプリはアニメよりさらにエキセントリックで、どいつもこいつも理解できない、なんでそんなことするの!?と攻略対象にもヒロインにもキレながら全てのエピソードを集めて全てのエンドを回収して、金額に卒倒しながら続編のソフトを注文した。
アニメやゲームだけでなく、プリンスたちが本当にこの世にいるかのようなプロモーションにも私は夢中になった。プリツイ(公式のキャラアカウント)のために毎秒TLを更新して、東京の駅に広告が出されているのをTwitterのレポで見てドキドキし、ポップアップストア(シャニストと言う)に行くために人生で初めて竹下通りに行った。
当時の私は実家との関係が最悪で、とにかく孤独と怒りを持て余して、バイトをギリギリまでしないと携帯代や定期代や食費を賄えないし、まあそういうアレでとんでもなく荒んでいた。うたプリの楽曲は2013年当時でも結構な数があって、少しずつ履修していたころにwelcome to UTA☆PRI worldを聴いて、私の孤独に今1番寄り添ってくれているのはうたプリなんだと感じて、あまりにも優しくてキラキラしている歌に涙が溢れた。
年末年始に風邪を拗らせて、でも掛け持ちで詰め込みまくったバイトは休みたくなくて、お金がなくて食パンを齧っていた年明け、プリツイの更新が急に来て、自担(音也くん)の呟きを目にした時も熱に浮かされながらボロボロ泣いた。あの年って、うたプリアイランドの再リリースは今年中と言っておきながら全然音沙汰ないからもうこのまま来ないんじゃ?と思ってたら大晦日に滑り込みリリースしたよね。みんな覚えてる?
思い出は書ききれないくらい(なんせ10年だから)沢山ある。人生初めてのライブで横アリに行ったこと、学校の校外行事が終わったあとその足でアニメイトに行ってASASを受け取ったこと、ライブのために一人でホテルを取ったこと、専門学校の入学式に向かう電車で緊張を慰めるためにマジラブレボリューションズをえんえんと聴いたこと、社会人になってから社用車で運転する時にひたすらうたプリのプレイリストを流すのが楽しかったこと。
本当に色々な思い出があって、うたプリを通じてたくさんの初めてを経験した。その日々の中で、うたプリはしょっちゅう炎上していたけど(在庫とかグループ不遇とか色々あったよね)、私自身はコンテンツや運営に怒りを抱いたことはなくて、ずっとずっと大好きだった。ライブ物販のために真冬のたまアリを始発から6時間並んだ結果ペンライトが売り切れで買えなかったとか、入場がごたついて会場入りできないままライブが始まってしまい泣きながら歓声が漏れ聞こえる西武ドームを見上げたこともあった(これぞうたプリって感じ)。けどそんなことよりも、ライブの楽しさとか、夕日がドームの中に差し込んですごく綺麗だったこととか、うたプリが好きで胸が苦しいと思った記憶の方がずっと強い。
今年の4月に、10年間オタクをやっていた中でも1番なんじゃないかぐらいの炎上ネタがあって、さすがの私も苦笑いというか、脱力感を強く感じたけど、でもやっぱりうたプリのことも運営のこともちっとも嫌いになれない。
ちっとも嫌いじゃないのに、怒りも失望もないのに、去年の映画だって本当に素晴らしかったのに、蝋燭の火が消えるみたいにうたプリに対する関心が消えてるのが分かる。
前のように夢中になれない。心がいっぱいになれない。うたプリのために働いたお金を全て費やすなんてことは今の私には出来なくて、将来のための貯金がしたいし、休日はゲームをしたりイベントに行くよりも、家のことをして資格の勉強をして本を読みたい。
あんなにも大好きで、人生を捧げたいくらい大切で、何よりも夢中だった作品に対する心の動きを「飽き」の一言で纏めたくない。けれどそういうことなのかもしれない。好きという気持ちを一心に燃やして、燃やし続けた結果もう焦げついてしまったのかもしれない。
うたプリのことは本当に好きで、大切で、世間ではいろいろ言われていたけど、この作品を作るための、表には出てこないたくさんのスタッフさんの努力やキャストさんの愛があるのを知っているし、怒る気持ちも失望する気持ちも少しもない。けれど、私の心はもう昔のようには動かなくて、もう私はうたプリのオタクではないし、さよならを言うタイミングが来たのだと思った。
当時15歳だったころから社会人数年目の今まで、うたプリのことが大好きだった。あんまり沢山のコンテンツに触れるのには向いてなかったので、本当にアニオタでもゲームオタクでもなくうたプリのオタクだった。
うたプリのおかげで知らない場所に沢山行けたし、子どもなりに苦しんでいた10代でも楽しい気持ちが沢山残っているのはうたプリのおかげだし、数えきれないくらい沢山幸せな時間を過ごすことができて、心から感謝している。
今後も、きっとたまにうたプリのプレイリストを再生して、当時この曲を聴きながらどんな気持ちで生きていたか、どんなことがあったのか、曲を聴きながらどんな景色を見ていたのか思い出すと思う。
たかだか作品に飽きたというだけの話でこんなに長くなるか?と今自分で書いてても思うけど、本当にそれくらい大切で、10年間思い切りうたプリに触れながら生きてきた。ありがとうございました。
うたプリにいつか飽きて興味がなくなるくらいなら大好きすぎていっぱいな今この瞬間に死にたいと思っていた10代の私が読んだら本当に憤死するかもしれない。ごめん。あんなに好きだったのに薄情だよね。でも大切な気持ちは今でも本当に変わらないんだよ。