はてなキーワード: 楽曲とは
ちげーだろ。
クラシックってのは著作権フリーだから配信動画のBGMや音楽配信サービスの楽曲数水増しに使うための、「配信音楽」だろうが。
19世紀に市民階級の間でコンサートが流行って昔の曲が発掘されたんです…って、ちげーだろ。19世紀にたかが数万人が聞くようになった程度でそれらの音楽が「市民音楽」になるんなら、配信で数千万〜数億人が聞くようになったら「配信音楽」になるに決まってんだろ。
19世紀に富裕層の市民が聞くようになったっていう変化やその影響に目を向けるのは全然構わないが、それをもって「市民階級の音楽」とか言い出すのはデマでしかねぇ。ここ10年くらい、この耳目を驚かせる為のデマが流行り過ぎてんねん。てめぇらジャコバン派かよ。
いいか、クラシックは「配信音楽」だ。ロマン派より前のクラシックは「市民階級の音楽」ではない。まぁ「宮廷音楽」とか「教会音楽」だと主張するなら話聞いて靴舐めてやるよ。
YouTube上に無断アップロードされた楽曲が何百万再生や何千万再生とかされてるとめっちゃ儲かってるんだろうなと思うけど、著作権侵害で訴訟されて損害賠償が発生するリスクがある。
稼いだ金額に対して損害賠償がはした金で済むのか、稼いだ分におかわりがあるのか、そもそもどれだけ稼げるか、どれだけの期間権利者に見つからずにいられるかが正確には読み切れない。
自分は小市民だからこんなリスクを払った金儲けはできんなー。言い訳がましいが無断アップロードなんて他人の著作物で稼いでるだけで自分は何も作ってないわけで、そんな生き方は自分は好まない。だから小市民から脱却できない。
古くからのAdoファンってワンピース関係に取り込まれてからのことをどう思ってんの?
「ギラギラ」とか「レディメイド」とか、決して多数派ではない立ち位置から、厨ニ丸出しとはいえ陽キャ勢とは一線を画する楽曲でやってきたわけじゃないか。
それが陽キャ勢のクソデカキラーコンテンツたるワンピースに採用されるや
「ヨホホホ〜イwww」「わったしっはさいきょ〜www」だぜ?
「ヨホホホ〜イwww」「わったしっはさいきょ〜www」だぞ?
「正直言って私の顔はそう神様が左手で描いたみたい 必然 この世にあるラブソングは どれひとつ絶対 私向けなんかじゃないでしょう」
とか言ってた十代気鋭アーティストが
「ヨホホホ〜イwww」「わったしっはさいきょ〜www」だぞ?
「不適合者は魔女狩りさ 鼻高々にヒーローぶって きっと楽なんだなあ 社会の外は何処ですか? 金も愛情もクソくらえ」
とか言ってたのに
「ヨホホホ〜イwww」「わったしっはさいきょ〜www」だぞ?
「ヨホホホ〜イwww」「わったしっはさいきょ〜www」だぞ?
反体制文学少女が湘南乃風みたいなチャラ男に引っ掛けられて一夏で黒ギャルになってしまったようなサマに、
おれはさめざめと泣いたね。
お前らはどう思う?
漫画・アニメ・ドラマ、映画でさえもAIで作れるようになる時代が来るだろうけど、エンタメの中で音楽って実は一番影響受けにくいのではないかと思う。
そもそも音楽は量産するのが簡単。AIに頼らずとも、一日一曲以上作るミュージシャンだって普通にいるはず。
本当はその気になれば量産できるけど、注目を集めヒット曲を産むためにわざと発表する楽曲を絞っている。
しかし楽曲が絞られているのに、それでも世の中にはアマチュアが作った楽曲であふれている。漫画はともかく、アニメ・ドラマ・映画ではそんなことはありえない。
AIが一日千曲、一万曲作りますって言ってもあまり意味がない。もともと数があるのは当たり前。
漫画・アニメ・ドラマ・映画は圧倒的なクオリティ差でAI作品に駆逐されるかもしれないが、音楽は元々競争原理が厳しく働いていたから影響少なそう。
同じくらい良い曲なら、AIより人間が作った方を聞きたいでしょ?それが共通認識となるなら、そもそもAI曲を聞くと言う行為自体が酔狂なことになるかも。
それにAI曲は本人歌唱ができないのがディスアドバンテージ。アイドルじゃなくても、詰まるところ音楽って誰が歌ったかが重要なわけで。
近頃平野君と神宮寺君の、というか脱退ジャニーズ関連のニュースが世間を騒がせている。
ジャニーズが卒業・脱退・解散する、というニュースを聞くたびに、私は手越のことを思い出して苦しくなる。
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なんでこのタイミングで書き起こそうと思ったかというと、前述のキンプリの騒動をはたから見る中で、そろそろ一度振り返ってみてみてもいいんじゃないかと思ったからだ。
というか、オルタネートを書いた加藤さんではないけれど、あの出来事から3年という長い月日がたって感情的ならずに思出せるようになって、でもこれ以上離れてしまったらきっと気持ちも記憶も色あせてしまうから、「今」が最初で最後のタイミングなんじゃないかと思った。
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何を話すかといわれると難しいが、結局のところ手越のことをどう思っているかというお気持ちと思い出をたどるための文章である。
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どこから話そうか迷ったが、時系列順で話すのが一番いいのかもしれない。
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なんか女子が騒いでるなあという感じで、当時の関心ごとといえばサッカー観戦、ポケモン、イナズマイレブン、受験勉強、ライトノベル、あとはおままごととかだろうか。
でもVS嵐も、イッテQも、地獄先生ぬ~べ~も、鉄腕ダッシュも見ていたし、キスマイの光のシグナル(ドラえもんの主題歌だった)も大好きだった。
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彼女は歌がうまくて、カラオケが好きで、そして増田担だった。彼女とカラオケに行くと、親友は必ずNEWSの歌を入れる。
当時4+FANの合いの手のリズムがわからなくて苦戦したのをいまだに覚えている。
友達が歌う曲をどうせなら一緒に歌えるようになりたいと思うのがカラオケ好きの性である。
親友に頼んでNEWSのCDを貸してもらい、聞いてみたのが多分2017年。
まずNEWSの歌にはまった。
アルバムを4つくらい借りたのでそりゃ一曲くらい好きな曲もできるし、テゴマスは当時から歌がうまかった。
歌番組の時に親友からアナウンスがあったので、時間が合えば見ていた。
当時日テレっ子だった私は、イッテQで手越を、everyで小山さんを知っていた。
気づけば親友からはテレビドラマやバラエティの番組情報のアナウンスも入るようになり、私はNEWSをしっかり好きになっていた。
親が厳しかったためにファンクラブは入れず、ライブも行けなかったが、私は私なりの最大風速でNEWSのことが好きだった。
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それから2020年まで、のんびりと、自分なりの距離感ではあったが「好き」を貫いていた。
2020年2月、NEWS LIVE TOUR 2020 STORYの当落発表があった。
2017年のNEVERLAND、2018年EPCOTIA、2019年のWORLDISTA、最後に2020年STORY。
4つのライブの頭文字をつなげると「NEWS」になるこの4作品は、通称「4部作」と言われるもので、NEWSにとっても、ファンにとっても思い入れの深い、大事な大事なライブだった。
「STORY(アルバム)」にはファンの将来の夢が収録された楽曲や、メンバーからファンに向けてつづられた思いのこもった楽曲、9人時代からの気持ちに言及するような楽曲、インタビューなどがふんだんに盛り込まれていた。
チームNEWS全員にとって本当に大切なアルバムで、私たちはSTORYのライブの成功を心から願っていたし、心から信じていた。
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様々なイベントの中止が決まっていった。
「来月にはこのパンデミックが収まる」と信じて駆けずり回ってくれた方がどれだけいたのだろう。
大きな会場を抑えてファンのために準備してくれていた。
ライブ直前のラジオ内で行われたマジカルバナナ的なゲームでは、「準備万端といえば?」「「「「STORY!!!」」」」と4人で口をそろえて言ってくれていた。
河川敷をランニング中、桜の舞う中で聞いたその言葉を今でも覚えている。
しかし準備万端だったはずのライブは一公演一公演丁寧に中止を重ねていき、結局全公演中止になってしまった。
実はあの当時、ファンの間でうっすら「STORYが終わったらNEWSは解散or 何かしら節目を迎えるのでは?」という空気があった。
実際どうだったのかは本人たちに聞かないとわからない。
それでも、STORYに込められた気持ちはそれだけ大きかったのだ。
「この作品が最後なのかもしれない。そんなことはあってほしくないけれど、もしそうであれば、悲しいけれどきっとどうにか受け入れることができると思う。」
時が来れば必ず報われると思っていた努力が、世界規模の不幸によってぶち壊されてしまう気持ちは痛いほどわかる。
この辺は一回全員back number 『水平線』と 「入学から、この世界だった僕たちへ。」を聞いてきてほしい。
当時高校生だった私も何度も泣いた。
当時仲の悪かった母親に背中をさすられながら、夜中に号泣したこともある。
高校生活の中で最も大事な思い出になるはずだった最後の合宿が、文化祭が、体育祭が、すべてがなくなってしまうやるせなさに、どれだけ頑張っても結局行われなかったそれらにたいして、声をあげて泣くことしかできなかった。
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彼らは底抜けに明るかった。
少なくとも明るくあろうとしてくれた。
まあ彼らに救われたことに関して詳しく書こうとすると長くなるので割愛するが、ジャニーズWESTと出会ったことで私のジャニーズの世界は大きく広がっていた。
NEWSはびっくりするぐらいジャニーズ内での縦のつながりがない。
気がする。
あったらごめん。
小山さんと手越からちらほら後輩の名前が挙がっていたくらいで、残りの二人に関しては正直ほとんど思い出せない。
加藤さんは正門君と如恵留くんがまあ居るか?と思ったが、名前が出始めたのはコロナ後かもしれない。
少なくともグループ全体でかかわりの深い後輩グループみたいなのはなかったと思う。
NEWSしか見ていなかった時代、全員顔と名前が一致していたのは正直NEWSと嵐とTOKIOだけだった。
ジャニーズWESTはそこが大きく違った。
関西での縦の結びつきは、とんでもなく強かった。
WESTと仲のいいだれだれが出ているなら、時間もあるし見てみよう、という感覚で、芋づる式に「顔と名前とざっくり性格くらいまでなら把握している」程度のジャニーズが増えていった。
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とまあそんな時期、手越が飲んでた。
外で、女の子呼びつけて。
「ねーわ」って思った。
でもまあ手越だし。
そういうやつだし。
そりゃ謹慎くらいするべきやろうけど。
文春では退所報道とかもあった。
正直なところ不安も大きかった。
Johnny’s world HAPPY LIVE with YOUが発表され、NEWSが3人で出演すると知ったときは動揺した。
見るのが怖かった。
それでもNEWSが好きだったから、あとこれは余談だけど、同じ日の出演者がジャニーズWEST(推し)とHey! Say! JUMP(当時好きだった女の子の推し)だったのでその日の配信チケットを買わない選択肢はどちらにしろ無かった。
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泣いた。
それはもうボロボロ泣いた。
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「クローバー」:NEWSからファンへのメッセージソング、4人それぞれが自分のパートの歌詞を書いた。手越のソロパート前半は歌わず、後半は3人で向かい合って歌った。
「weeeek」:6人時代からずっと歌っているライブの定番曲であり、代表曲。
「UR not alone」:4人の代表曲。ライブの最後やアンコールで必ずうたわれる名曲。ラスラビの手越のソロパートはこちらも歌唱ナシ
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手越のソロパート部分を歌わないという選択をした三人を見て、三人は手越の帰る場所を守ってくれているのだと思った。
ほかの2グループがアイドルらしいきらびやかな衣装で華やかな曲を歌っていて、言い方を変えれば自分たちのファン以外の子たちにも楽しんでもらえるような、それでいて自分たちのファンにも愛を届けられるような、そんなバランスの取れたセトリを組んできたのに対して、NEWSははなからNEWSのファンと、それから手越のことしか見ていなかった。
状況が複雑な中、語ることを選ばなかったのかもしれない。
当然だろう。
でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う。
私は手越の部分の空席をあえて作るその演出を「3人は手越が返ってくると考えている、これはその表明である。何も案ずることはない。もう少ししたらまた4人のNEWSになる」と受け取った。
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違った。ダメだった。彼は帰ってこなかった。
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3人での配信ライブが行われた次の日、「18時半に手越に関する重大ニュースがある。おそらく退所報道である」という情報がリークされた。
昨日の配信ライブで得た確信なんてものはいつの間にか崩れ去っていた。
どうしてもその事実を受け入れたくなくて、夕方17時に布団に入った。
ただの現実逃避だ。
知るタイミングを遅らせたからと言って事実が変わるわけではないのに。
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朝起きて、ニュースを見た。
不思議とこの日の朝からの記憶はあいまいで、もしかしたら無意識で封じ込めてしまっているのかもしれない。
泣いた気がする。
気がするだけだ。
3人の側があれだけお前の居場所を作って待っていてくれたのに、なんて不義理なんだ。
あれだけ一生懸命準備してきたものを放りだして「今」退所しなきゃいけない理由があるのか。
事務所じゃできないことって何なんだ。
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でも結局彼がわからない。
今書いている恨みつらみが、どの時点で私の中に生まれた感情なのかも正直わからない。
「やめたくなかった」「まだ続けたかった」という発言も散見されていた時、「じゃあやめなきゃよかったじゃん」「今ならまだ間に合うから、戻らせてくださいって頭下げて戻ってきてよ」と思っていた。
それと同時に、私たちを、四部作を、3人を、すべてを放りだして知らない人たちと知らないところへ行ってしまったことに激しく怒っていた。
暴露にもならないような浅い内容の暴露本を出したことにはぶちぎれていた。
それでも、彼が好きな気持ちもまだあった。
心のどこかで彼を信じていた。
彼を嫌いになることで、彼がいた時代の楽しかった思い出たちまで嫌いになるのは嫌だった。
気持ちの整理がつかなくても手越は勝手にズンドコ進んでいっちゃうし、NEWSの3人も少しずつ動き始めていた。
少しずつ「3人のNEWS」が当たり前になっていって、人数が少なくなっていった自虐もたまに挟まるようになっていって。
あといつの間にかNEWSがKinKi Kidsに次いで上から二番目になっていたことにびっくりした。
ずっと中堅くらいの意識だった。
そういえばもう嵐もTOKIOもV6もSMAPもタキツバもいねえや。
あとたまに忘れちゃうけど、エイトのほうが一年デビュー遅いですよ、これは増田さんへ。
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脱退後のインタビューで、「多くの人は、アイドルや事務所という“魔法”にかかっている」と手越が話していた。
違う。
多分違うと思う。
“ただの手越祐也”ではなく、“ジャニーズ事務所のNEWSのアイドル手越祐也”だったから、私たちはあなたの素行を、すべてひっくるめて、「アイドルの個性」と思って愛することができた。
むろん愛すべきところがたくさんある人だ。
花が開いたようにパッと明るく咲く笑顔が大好きだった。
周りを巻き込んで笑わせてしまうような、自分の信じているものに対する絶対の自信からくるあの笑顔が大好きだった。
人の心に直接刺さるような、それでいて華やかで、のびやかで、何にも縛られないような歌声も好きだった。
いつだかジャニーズみんなでTOKIOの『宙船』を歌ったとき、一人きりで上ハモを担当していた。
あの時の誇り高さは、あれだけの大人数でも埋もれない美しい歌声は、きっと一生忘れない。
運動能力の高さと、周りの空気を作り上げてどんな難題だってこなしてしまうところは、天性のアイドルだと思っていた。
彼以上に「アイドル」という言葉が似合う人間はいないんじゃないかとすら思っていた。
どこにも行かないとは思っていなかった。
それでも、あなたの安住の地が、優しいあなたの探してた場所が、僕らの愛したここであればいいと思っていた。
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今でも正解がわからない。
「NEWSにいたころの手越が大好きだ」「2020年以降のことに関しては絶対に許せない、許さない」という、相容れない感情がいつまでもぐるぐる渦巻いている。
カラオケでSUMMER TIMEのMVなんか見ちゃうとやばい。
あのMV全員ビジュ良いけどその中でも手越さん可愛すぎないか?
気づいた人がいるかどうかはわからないけれど、私いままでこの文章の中で二回だけ「手越さん」呼びをした。
この段落での一回と、3人での配信ライブの内容に言及したときの「でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う」という文章の中。
この三年間、私は手越を恨み続けてきた。
コロナ前までは「手越さん」と呼ぶことも少なくなかったが、退所後はかたくなに「手越」と呼び続けてきた。
ちなみに残りのメンバーはずっと「小山さん」「増田さん」「加藤さん」「山P」「錦戸君」呼びだし、ほかのグループの人のことも呼び捨てをすることはめったにない。
これはささやかな反抗だった。
私は、「私はあなたを許さない」という気持ちを込めて「手越」と呼んできた。それでも、彼のことを愛おしいと思うときには思わず「手越さん」と呼んでしまうのだ。
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結局私は彼に対するこの矛盾した気持ちを抱えたまま生きていくしかないのだ。
退所前後の一連の行動は許していない。
きっと一生許せないけれど、彼が健康で、幸せでいてくれるといいなと思う。
今の彼のことを応援しているファンのことを盲目だとも思わない。
彼にはそれだけの魅力もある、訴求力がある。
あの奔放さを、考えなしな一面を、どうしようもない自我の強さを、許すことができるのであれば私だって今の彼の活動を応援したい。
もう一度あの伸びあがる歌声を聞きに行きたいし、はちゃめちゃさで成り立ってしまう天才的なバラエティ感覚を享受したい。
でもだめだ。
許せないのだ。
何一つ。
愛していたからこそ。
信じていたからこそ許せないのだ。
それでも愛しているのだ。
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結局この話に結論なんてない。
せっかくなのではてなに挙げてみるが、誰かに届くかどうかなんて考えてない。
ただ、こういう折り合いのつけ方をした人間もいる。
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ネットや週刊誌は「ジャニーズ事務所と仲の良い山下達郎が、ジャニーズ事務所を批判した松尾潔を、不当に解雇した」という根拠のない憶測をしている。それについて反論をしたい。
山下の事務所と松尾とは、松尾が顧問料を支払う形での業務提携であり、雇用関係にあったわけではない。松尾が所属アーティストだったわけでもない。弁護士同士の合意文書も存在しており、手続きに問題はない。松尾との契約終了は事務所の社長が判断した。山下が社長に対して契約を終了するよう促したわけではない。山下と松尾は何も話をしていない。山下と松尾はもう長いあいだ会っていない。年にメールが数通という関係である。
松尾が、ジャニー喜多川の性加害問題に対して、憶測に基づく一方的な批判をしたことが、契約終了の一因であったことは認める。契約終了の理由は他にもあるが、その事については触れない。
ジャニー喜多川の性加害問題については、今回の一連の報道が始まるまでは漠然とした噂でしかなかった。山下はあくまで楽曲の提供者であり、ジャニーズ事務所の内部事情などまったくわからない。小杉理宇造から内部事情を明かされたこともない。ジャニー喜多川による性加害が本当にあったとすれば、それはもちろん許しがたいことである。被害者の方々の苦しみを思えば第三者委員会等での事実関係の調査というのは必須である。だが、山下は事件について何も知らないのだから、性加害問題についてコメントを出す立場にはない。
数々の才能あるタレントを輩出したジャニー喜多川の功績に対する尊敬は今も変わっていない。ジャニー喜多川から、数多くのタレントたちとの縁をもらい、時代を超えて長く歌い継がれる作品を提供する機会をもらったことに、心から恩義を感じている。だが、山下が個人としてジャニー喜多川を尊敬していることと、山下が性加害を容認することとはまったくの別問題である。山下は性加害を擁護しているのではない。
また、ジャニーズのタレントたちに対して、山下が敬意を持っていることにも変わりはない。ジャニー喜多川の性加害問題があったとしても、山下はミュージシャンという立場から、ジャニーズのタレントたちを応援していく。タレントの才能を引き出し、良い楽曲をともに作ることこそが山下の本分である。そうした姿勢を、ジャニーズ事務所への忖度だと解釈するのなら、そういう人たちには山下の音楽は不要である。
一つはオールディーズ(戦後〜1980年頃まで)音楽の深い造詣とそれに裏打ちされた初期の作品のファン。
(ちなみにシティポップとして巷でよく聴かれる作品は初期に集中している)
オールディーズのキュレーターとしての達郎に全幅の信頼を置いている。
ただ中期以後の達郎のサウンドは好みでないため、新譜はほとんど聴かない。
当然ジャニーズ提供楽曲も基本的に興味ない。むしろジャニーズ苦手。
こんな調子だからいちいち細かいことにうるさい、面倒な客でもある。
毎年「クリスマスイブなんちゃらエディション」が出る度に買うような、達郎にとっての太客。
多分今回達郎氏が「私の音楽を必要としていない人達」として切断処理し、これに「がっかり」と声を上げている「ファン」は前者が多いのでは?
忠誠心は低いから最近の達郎は聴かないけど、「歌謡」の殻を破って洗練されたものを作ったかつての実績からダサいことはしないというブランドイメージ(これが多分パブリックイメージでもある)は今でもうっすらあって、そのブランドイメージが壊れ、更に自分らはファンでないと切断処理されて動揺しているのだと思う。
ただこれは達郎および狭義のファンからしたら「課金もしないでこんな時だけファン名乗ってんじゃねぇ」となる。
達郎にしても、切断処理することで相対的に信者優遇できる。課金もしないでケチばかりつけてくる面倒くさい客もどきよりは、文句言わずに課金してくれる有難い信者をより優遇するのは至極当然であるし、気をよくした信者も益々推し活に励むことになる。
これだけ聞くと、いわゆる「マニアがジャンルを潰す」的なものを想像する人も多いかもしれないが、達郎の場合「古参=マニア」と綺麗に分類できないところが興味深い。
それもそのはず、達郎は基本的にサブスク反対であり、必然的に顧客層はCDプレイヤー、LPプレイヤーを持っているような年配者となる。たまにいる10、20代ファンは両親が古参という場合も多いし、たまたまYouTubeで知って聴き始めた若者はそもそもCDプレイヤー、LPプレイヤーを持っていないので狭義のファンにはならない。またYouTubeでリコメンドされる達郎曲はそもそも初期中心なので、最近の曲まで辿り着かない。
なのでごちゃごちゃ文句言う層はむしろライト層であり、信者はむしろごちゃごちゃ言う人がふるい落とされて残った後の純度の高い古参なのだ。
そして達郎は元からお金落とさない自称ファンや新規さんは元々相手にしておらず、今回のことも自分の矛盾を咎めず鷹揚にお金を出してくれる信者以外は客じゃないという、従来の姿勢を再確認しただけなのだ。
サブスク時代は誰もが潜在的顧客なので、そもそも客の定義が達郎と世間とで異なっている。
別にアーティストが客を選ぶのは自由だけど、自分らを客だと思っていた世間は客じゃないと拒絶されたら驚くよね。
達郎自身が自他共に認める相当面倒臭い(よく言えばこだわりの職人気質)人だけど、昔はむしろ面倒臭い客を歓迎すらしていた。
だからその時代を知る人ほど今回の切断処理に驚いているのだと思う。
よく今回のことは職人気質が出たせいと擁護されるが、むしろ職人ゆえの緻密さが失われた結果だと思う。
こんな雑になったのはメンターでもあった大滝詠一氏の死の影響が大きいのではないか。
面倒臭い達郎に輪をかけて面倒臭い話を振ってくる人がいなくなり、周りはイエスマンしかいない状況だと、思考や振る舞いが雑になるのは仕方ない。
あとは歳だよね。70だもの。
だから切断処理された俺たちは達郎はジャニーズの人になったのだと諦めて、タッキーのTOBEでも応援しようぜ。
正直音楽的にはこっちの方が期待できる。
みんな自分の中に反道徳的な部分があるのを認めるの耐えられないから、昭和の昔には普通に存在していて自分もスルーしてしまっていた悪徳に関係した話題で他人を攻撃せざるを得ないのよ
昭和のこと忘れてんのよ
もうみんな性加害を知ってた前提で話そうよ
あと、スタッフや関係者何百人いるかわからんけど、その人たちの食い扶持を維持しなきゃいけないのは大変そうだな
生まれたときから芸能界に性加害があるの当たり前で、世界が亀の甲羅の上にあるレベルの話ですよね
近年の価値観で地球は丸くて太陽を回ってるらしいぜってなったから、今はいい時代だし、だんだん改良していってくださいと思いました
ごめんなさい
いま無邪気に誰かを攻撃できてる人は自分が生涯にわたって絶対にジャニーおじいちゃんにならないと信じているのね
膿を出し切るのは理想だけど、それは産業構造が変化するってことだから、ドラスティックに変えると大量に食いっぱぐれる人が出るのでたぶん業界の人は頭をひねってると思うんだけど、それはそれとしていままでジャニーズで稼いだ楽曲を聴くことが、まるで被害者を踏みにじるように感じてつらい気持ちになるリスナーはいると思うのね、そういう場合は精神安定のためにジャニーズ関連楽曲から距離を置くのは、達郎の言う通り、選択としてありだと思うのです。まあコメントの中で二次加害があったというのは、そうだと思う。ただ第三者委員会の話を出したのは、ジュリーの弁明よりも前進していた。
達郎がおじいちゃんなので価値観をアップデートできてないところは大いにあると思うけど、そもそも在京ラジオ局で言えることって限られてるはずなので、結論としては、達郎はTruth Socialをやりなさい。
松尾は批評家として喰っていく都合上、彼が裏で手を回したとしか考えられないジャニーズ関連の言論弾圧は受け入れられない。かといって松尾にとっても正面を切って彼を敵に回すのは部が悪いんだろう。
松尾はこれを理解していて彼と最も近い存在である達郎をリングに引きずり出した。いや、ひょっとすると達郎が加勢して共に小杉理宇造を打倒してくれるかもしれないと期待したんだろう。蓋を開けたらあの通り。彼は小杉理宇造を「ビジネスパートナー」と呼んで庇ってしまった。
ジャニー喜多川への達郎の評価は、それこそティーンの頃から堂本剛のような存在の成長を近くでみていたら掌を返して否定するようなことはできないだろう。自己保身もあるだろうが、達郎が迂闊なメッセージを発すれば彼の存在や人生を否定することに繋がりかねない。これに関しては同情の余地があると思う。
問題は、いくら恩義があるとはいえ、小杉理宇造について無批判でいられるとする態度だ。彼から性加害の事実を知らされなかったからと言い訳するなら、なぜ今それを責めようとしないのか? 旧ジャニーズエンタテインメントの社長をビジネスパートナーとまで呼ぶなら、そのパートナーである達郎はこの言論弾圧にどうして無頓着でいられるのか? 知らぬ存ぜぬに終始することなく、正しい判断ができる立場にあると松尾が踏んだのが達郎だった。が、その願いは敢えなく裏切られてしまった。
この話で何がしんどいかというと、小杉理宇造の息子で現社長のSHUSUIだ。スウェーデン人脈を生かして現地の作家陣とコライトした楽曲をJに提供し成功させることで、それまでの歌謡曲にはなかった制作方法を本格的に導入した実績があり、家柄とは独立に評価されるべき業績と言える。この一連の展開によって、それも単なる親父のコネで仕事が貰えてただけだろうとなりかねない。家業を継がされてしまったばかりに、親父の意見に造反も出来ず、業界の先輩にも頭が上がらない状態でたいへんな板挟みにあっている。社長としての権限があるはずの彼だが、Jと心中する地獄の道の舗装を破壊するルートは、どうも初めから存在していなかったらしい。
あとはもう転がるところまで転がったらよいと思うが、問題にすべきはスマイルカンパニーの小杉理宇造とその院政体制である。
他の部分で盛り上がるのは不毛だと思うよ、という話。
この度、私のオフィススマイルカンパニーと業務提携をしていた松尾潔氏が契約終了となり、そのことについて私の名を挙げたことで、ネットや週刊誌等で色々と書かれております。私は、Twitter・facebook・instagramといったものを一切やっておりませんので、ネットで発信することができません。そのため、私の唯一の発信基地であるこの「サンデーソングブック」にて、私の話をみなさんにお聞きをいただこうと思います。
少々長くなりますがお付き合いください。
まずもって、私の事務所と松尾氏とはですね、彼から顧問料をいただく形での業務提携でありましたので、雇用関係にあったわけではない。
また、彼が所属アーティストだったわけでもなく、従って、「解雇」にはあたりません。弁護士同士の合意文書も存在しておきます。
松尾氏との契約終了についてはですね、事務所の社長の判断に委ねる形で行われました。松尾氏と私は、直接何も話をしておりませんし、私が、社長に対して契約を終了するよう促したわけでもありません。そもそも、彼とはもう長い間会っておりません。年にメールが数通という関係です。
今回、松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して、憶測に基づく一方的な批判をしたことが、契約終了の一因であったってことは認めますけれど、理由は決してそれだけではありません。他にも色々あるんですけれど、今日この場では、そのことについては触れることを差し控えたいと思います。
ネットや週刊誌の最大の関心事はですね、私が、ジャニーズ事務所への「忖度」があって、今回の一件も、それに基づいて関与してるのでは?と言う根拠のない憶測です。
今の世の中は、なまじ黙っていると言った者勝ちで、どんどんどんどんウソの情報が拡散しますので、こちらからも思うところを、正直に率直にお話ししておく必要性を感じた次第であります。
今、話題となっている性加害問題については、今回の一連の報道が始まるまでは、漠然とした噂でしかなくて、私自身は1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした。当時、私のビジネスパートナーはジャニーズの業務も兼務していましたけれど、マネージャーでもある彼が、いちタレントである私にそのような内情を伝えることはありませんでした。性加害が、本当にあったとすれば、それはもちろん許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば、第三者委員会等での事実関係の調査っていうのは必須であると考えます。
しかし、私自身がそれについて知ってることは何もない以上、コメントの出しようがありません。自分はあくまでいち作曲家、楽曲の提供者であります。ジャニーズ事務所は他にもダンス・演劇・映画・テレビなど、業務人材も多岐にわたっておりまして、音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情など、全くあずかり知らぬことですし、性加害の事実について私が知るすべも全くありません。
私は中学生だった1960年代に初代ジャニーズの楽曲と出会って、ジャニー喜多川さんという存在を知りました。何年か後に、初代ジャニーズの海外レコーディング作品を聞いて、私はとても感動してこの「サンデーソングブック」でも特集したことがあります。
1970年代の末に、私の音楽を偶然に聞いたジャニーさんに褒めていただいて、そのご縁で、数年後に私のビジネスパートナーが、近藤真彦さんのディレクターとなったことから、「ハイティーンブギ」という作品が生まれました。その後も、ジャニーズに楽曲を提供する中で多くの優れた才能と出会い私自身も作品の幅を大きく広げることができ、成長させていただきました。
たくさんのジャニーズのライブに接することができたおかげでkinki_kidsとの出会いがあって、そっから「硝子の少年」という作品を書くことができて昨年の「アメージングラブ」まで、彼らとの絆はずっと続いております。
芸能というのは人間が作るものである以上人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界会社組織でおそらく変わらないでしょう。人間同士の密な関係が構築できなければ良い作品など生まれません。そうした、数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません。
ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが戦後の日本でどれだけの人の心を暖め幸せにし夢を与えてきたか。私にとっては素晴らしいタレントさん達やミュージシャンたちとのご縁を頂いて、時代を超えて長く歌い続けてもらえる作品を創れたこと。そのような機会を与えていただいたことに心から恩義を感じています。私の一個人、一ミュージシャンとしてジャニーさんへのご恩を忘れないことや、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと社会的倫理的な意味での性加害を容認することとは、全くの別問題だと考えております。作品に罪はありませんしタレントさん達も同様です。
繰り返しますが私は性加害を擁護しているのではありません。アイドル達の芸事に対するひたむきな努力を、間近で見てきた者として、彼らに敬意をもって接したいというだけなのです。ですから、正直残念なのは、例えば素晴らしいグループだったSMAPの皆さんが解散することになったり、最近ではキンプリが分裂してしまったり、あんなに才能を感じるユニットがどうして?と疑問に思います。私には何も分かりませんけど、とっても残念です。
願わくば、皆が仲良く連帯して素晴らしい活動を続けていって欲しいと思うのは私だけではないはずです。キンキ、嵐、他のグループみんな末長く活動していって欲しいと思うばかりです。先日、あの男闘呼組の再結成って嬉しいニュースがありましたが、同じようにいつか近い将来SMAPや嵐キンプリの再集合も実現するような日が来ることを竹内まりや共々に願っております。
性加害に対する様々な告発や行動というのが飛び交う今でも、そして、彼らの音楽活動に対する私のこうした気持ちに変わりはありません。
私の48年のミュージシャン生活の中で、沢山の方々からいただいたご恩に報いることができるように、私はあくまでミュージシャンという立場から、タレントさん達を応援していこうと思っとります。彼らの才能を引き出し、良い楽曲を共に創ることこそが、私を本分だと思ってやってまいりました。
このような私の姿勢をですね、「忖度」あるいは「長いものに巻かれている」とそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。
以上が今回のことに対する私からのご報告です。
さてこの度、私のオフィス、スマイルカンパニーと業務提携をしていた松尾潔氏が契約終了となり、その事について私の名を挙げたことでネットや週刊誌等で色々と書かれております。私はTwitter、Facebook、インスタといったものは一切やっておりませんので、ネットで発信することが出来ません。そのため、私の唯一の発信基地であるこのサンデー・ソングブックにて私の話を皆さんにお聞きを頂こうと思います。少々長くなりますが、お付き合いください。
まずもって私の事務所と松尾氏とはですね、彼から顧問料を頂く形での業務提携でありましたので、雇用関係にあったわけではない。また彼が所属アーティストだったわけでもなく、したがって解雇には当たりません。弁護士同士の合意文書も存在しております。松尾氏との契約終了についてはですね、事務所の社長の判断に委ねる形で行われました。松尾氏と私は直接何も話をしておりませんし、私が社長に対して契約を終了するよう促したわけでもありません。そもそも彼とはもう長い間会っておりません。年にメールが数通という関係です。
今回松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して憶測に基づく一方的な批判をしたことが契約終了の一因であったことは認めますけれど、理由は決してそれだけではありません。他にも色々あるんですけれど、今日この場ではその事については触れることを差し控えたいと思います。
ネットや週刊誌の最大の関心事はですね、私がジャニーズ事務所への忖度があって、今回の一件もそれに基づいて関与しているのでは?という根拠のない憶測です。今の世の中はなまじ黙っていると言ったもの勝ちでどんどん噓の情報が拡散しますので、こちらからも思うところを正直に率直にお話ししておく必要性を感じた次第であります。
今話題となっている性加害問題については、今回の一連の報道が始まるまでは漠然とした噂でしかなくて、私自身は1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした。当時私のビジネスパートナーはジャニーズの業務を兼務していましたけれど、マネージャーでもある彼が一タレントでもある私にそのような内情を伝えることはありませんでした。性加害が本当にあったとすれば、それは勿論許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば第三者委員会等での事実関係の調査というのは必須であると考えます。しかし、私自身がそれについて知ってることが何も無い以上、コメントの出しようがありません。自分はあくまで一作曲家、楽曲の提供者であります。ジャニーズ事務所は他にもダンス・演劇・映画・テレビなど、業務も人材も多岐に渡っておりまして、音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情などまったく預かり知らぬことですし、まして性加害の事実について私が知る術まったくありません。
私が中学生だった1960年代に初代ジャニーズの楽曲と出会って、ジャニー喜多川さんという存在を知りました。何年か後に初代ジャニーズの海外レコーディング作品を聴いて私はとても感動して、このサンデー・ソングブックでも特集したことがあります。1970年代の末に私の音楽を偶然に聴いたジャニーさんに褒めて頂いて、そのご縁で数年後に私のビジネスパートナーが近藤真彦さんのディレクターとなったことから「ハイティーン・ブギ」という作品が生まれました。その後もジャニーズに楽曲を提供する中で、多くの優れた才能と出会い、私自身も作品の幅を大きく広げることができ、成長させて頂きました。たくさんのジャニーズのライブに接することが出来たおかげでKinki Kidsとの出会いがあって、そこから「硝子の少年」という作品を書くことが出来て、昨年の「Amazing Love」まで彼らとの絆はずっと続いております。
芸能というのは人間が作るものである以上、人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界・会社・組織でもそれは変わらないでしょう。人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれません。そうした数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は、今も変わっていません。
私の人生にとって一番大切なことは”ご縁”と”ご恩”です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては素晴らしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁を頂いて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えて頂いたことに心から恩義を感じています。
私が一個人、一ミュージシャンとして、ジャニーさんへのご恩を忘れないことや、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的・倫理的な意味での性加害を容認することとはまったくの別問題だと考えております。作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。繰り返しますが、私は性加害を擁護しているのではありません。アイドルたちの芸事に対するひたむきな努力を間近で見てきた者として、彼らに敬意をもって接したいというだけなのです。ですから、正直残念なのは、例えば素晴らしいグループだったSMAPの皆さんが解散することになったり、最近ではキンプリが分裂してしまったり、あんなに才能を感じるユニットがどうして、と疑問に思います。私には何も分かりませんけれど、とっても残念です。願わくば、みんなが仲良く連帯して、素晴らしい活動を続けていってほしいと思うのは私だけではないはずです。キンキ、嵐、他のグループもみんな末永く活動していってほしいと思うばかりです。先日、男闘呼組の再結成という嬉しいニュースがありましたが、同じようにいつか近い将来、SMAPや嵐、キンプリの再集合も実現するような日が来ることを、竹内まりや共々に願っております。
性加害に対する様々な告発や報道というのが飛び交う今でも、そうした彼らの音楽活動に対する私のこうした気持ちに変わりはありません。私の48年のミュージシャン生活の中でたくさんの方々から頂いたご恩に報いることが出来るように、私はあくまでミュージシャンという立場からタレントさんたちを応援していこうと思っております。彼らの才能を引き出し、良い楽曲をともに作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれている、とそのように解釈されるのであればそれでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。
鬼滅もるろ剣もジャンプアニメでかつソニー(アニプレックス、るろ剣放映当時はSPE・ビジュアルワークス)が制作に関わっているという点で、実は似たような系譜にあるアニメ作品なのよね。
それはさておき、当時(あるいは今も?)のアニメタイアップ枠(の特にOP曲)というのは「レコード会社系列の制作が入ったアニメでタイアップできるらしいからとにかく作って」という雑な発注でアーティストサイドに話が来るケース(「そばかす」はその典型例)や、既に制作済みの楽曲を当て込むことが結構な割合であり、いざ曲が上がってくると世界観もクソもなく、OPを作る班が試行錯誤してなんとか形にするというケースが多発していたように思われる。
その違和感が逆に良い評判になるパターン(ソニーではないがマサルさんのOPなんかがその好例)もあるし、「曲は良いけど、うーん…」となるパターンもあり、「そばかす」はどちらかというと後者なのでは?というお話。
これは「そのアニメがどういう座組で作られたか?」というのも大きく関係していて、旧るろ剣はゴールデンタイムのアニメ枠で放映されたこともあり、そのへんの大人の事情がOPの選曲に大きく絡んでいることがその人選からもなんとなく推測できる。
なので、2期(無限列車編)以降の鬼滅の主題歌が1期に比べてマッチング度合いが下がったのでは?と感じる気持ちも多分そういう事情(ヒント:2期以降はフジテレビ系列フルネット)から来ているのではないだろうか。
(個人的にはマンウィズが作った3期のOP曲も割とその世界観に配慮されているし、ED曲は一貫して梶浦由記が作ってるので、まあいいんじゃね?という気持ち)
インターネットで見かける意見を眺めていると賛否が非常に多いが、それもなんとなく分かる気がする。
FF16はゲームでありながらゲーム性という部分を大量に捨て去ってストーリーとCGを魅せることに全力を注いでいると言ってもいい。
ゲームを求めて購入した人は失望するしストーリーが好みに合わない人にとっては何も面白くもない、それでもこれを面白いと評価する人が一定数いることにゲームの価値を見出すことが出来るだろう。
序盤〜中盤は良かった、各国の政治が渦巻く中で理想のためにテロ行為をしていくのが主人公の立ち位置だったがこれを上手く表現出来ていたと思う。
終盤、ファンタジーという名を冠する都合なのかテロリストとしての意味が曖昧になってファンタジー色が濃くなっていくところにギャップを感じてしまい、これまで没入させてきたシナリオは何だったのか?と若干しらけてしまった。
まぁ、これは多くのRPGでも似たようなことがあるのだがFF16はストーリーに重点を置いているであろうために、このギャップが非常に強く感じられたのだろう。
ストーリーを重視するというのは難しいのだなとも思った。
とはいえ、総合点で考えれば100点中80点は取れるストーリーだと感じたし、FF16の方向性で新作が出るならば期待出来るだろうとも思えた。
主人公のクライヴが最高によい、下手に主張するようなキャラではなく感情の起伏も怒っているかそれ以外かぐらいなので尺に触ることなくストーリーに入ることが出来る。
個人的な意見としては戦闘中に「爆ぜろ」というセリフを言うことがあるがいい大人なんだからそんな中二病なセリフは言わないで欲しかった…
ヒロインのジルも最高によい、アニメ声が苦手な自分にとっては少し歳がいっている感じの落ち着いた声色はストーリーに没入するには丁度よい声だ。
テーマソングトレーラーの中で「その穢た血の前に膝を折るがいい!」というシーンがあるのだがこれが最高に格好いい、このシーンだけで好きになってしまったキャラでもある。
他にも色々キャラが出てくるのだが印象は薄い、これはキャラが強い主張をすることでシナリオ全体に波が立つことを控えるようにしているからなのだろうか?とも思った。
体験版をプレイしたときにオート操作のアクセサリを付けたまま遊んだのだが、これが付いていると最高につまらなくなると思った。
本当にシナリオにしか興味がないなら戦わなくてもいい戦闘を全部ムービーにしたほうが良かっただろう(そんな開発コストはかけられないから苦肉の策だったのかもしれないが)。
ボタンを押すだけでいいならわざわざPS5でゲームなどせずスマホでゲームをするのであのアクセサリの存在は害悪でしかなかったと思う。
オートアクセサリを外したところから戦闘の面白さが発揮される。
基本的な戦闘パターンは、敵の攻撃を回避して反撃、Willゲージを削ってダウンを奪い大技を叩き込むというのが流れだ。
序盤は回避技が乏しく、相手の攻撃を回避するのが人間の感覚からするとちょっとズレたタイミングで回避する必要がありストレスが貯まる。
アビリティが増えてきて回避やガードするアビリティが増えてくると戦闘アクションも楽しめるようになってくる、敵の攻撃をいい感じにいなしてカウンター技を叩き込んでいくのは爽快そのものだ。
FFシリーズとして残念に思ったことは、属性による有利/不利や状態以上などを駆使して強敵を倒すような戦闘での工夫が無くなっていたことだ。
装備もレベルも低い状態で強敵を倒すには回避技を駆使するしかなく、その他の工夫が必要無いというのは面白みに欠けている。
迫力はあったが面白いかと言われるとそうでもない、やらないと先に進めないからやっているだけという感じ。
通常の戦闘アクションより動きがもっさりしているので操作することに対する快感というのも感じられず、空を飛び出したころには何がなんだか分からんという感じになり、あぁ迫力あるなぁ〜という諦めの感情で遊んでいた。
難易度は適当にやってもクリア出来る程度だったので(バハムート以外)それだけは救いだった。
シナリオ補完の意味合いが強いものがほとんどで、やらなくてもいいものが幾つもあったように思う。
とはいえ、シナリオを楽しむために重要なものもあるので後で遊ぼうと思っている人は取捨選択するための情報が世に出回ってから遊んだほうがいいのかもしれない。
(エンディングの内容を考察する上でも重要な話が幾つかあるので、最低でもそこだけは抑えたほうがいい)
アクション要素を楽しむために配置された敵で、これは良かったと思う。
勝利した報酬として強い装備が作れる素材を得られることもあるので戦うモチベーションにもなる。
Sランクのドラゴンは割りと早い段階から戦えてそれでいて非常に強いのでクリア前からある程度難易度の高いアクションを楽しみたい人には良い配置だったと思う。
無いと思っていい、一応サブクエストを進めたりリスキーモブを倒したりすると強力な装備を作ることが出来るが必須レベルの強さではない。
ほかに、「だいじなもの」というのを集める楽しみもあるがこれはほぼサブクエスト絡みだし、集めたところでこれといったメリットが無いのでトロフィー集めが好きとかでなければやらなくてもいい要素。
このあたりのゲーム性はほぼ捨て去っているのがFF16の特徴といえば特徴か。
なんだかんだケチはつけたもののクリアするまで毎日プレイするのが楽しみだったし良作だとは思う。
人は選ぶのでPS5買ってまでおすすめだよと言えるかというと…という感じである。
コンセプトとしてストーリーとCGで魅せるというのは十分にアリだし今後もこの方向性でより洗練された作品が出ることを期待したい。
【追記】
最近はコイトフクマルの偽物の「コイソワクマリ」も登場したことで
コイトフクマル、フクちゃん、コイソワクマリの三人がセットになることが増えている。
2022年のアニメイトカフェの告知画像に並んでいた小糸と凛世の画像を加工し凛世や小糸をデカパイにしたコラが流行ったことにより
デカパイ化したコイトフクマルとデカパイにコラされた世界史担当杜野先生(杜野凛世)のユニットが生まれ、「デカパイブギ」という楽曲が誕生した。
この楽曲はChatGPTが作詞とコード進行の作成を行っている。
あくらつな乳盛 みんな踊り出すよ
男たちは 目を離せない
女たちは デカパイ恐怖に揺れてる
胸の大きさに 悩む女性もいる
でも、デカパイは 自慢なんだ
ぴゃっ!ぴゃっ!
胸が揺れる音がする
街を歩けば 注目される
男たちは うらやましそうに見ているんだ
女たちは 羨望のまなざしを向けてる
寄ってたかって 踊り明かそうぜ
あくらつな乳盛 みんな踊り出すよ
男たちは 目を離せない
女たちは デカパイ恐怖に揺れてる
あくらつな乳盛 みんな踊り出すよ
あくらつな乳盛 みんな踊り出すよ、ぴゃっ!