はてなキーワード: 教授とは
これ。
件のお嬢様に苛つく気持ち自体はよーーーーーーーーーーーーく分かるんだけど。
引用RTでバラモン左翼だのリベラルだのと言われているのが不思議でならない
常々思うんだが「上級国民」や「親ガチャ」という言葉を好んで使ったり、社会階層や格差の問題に対して敏感な事を言う人達に限って何故か
左翼やリベラルを叩いてどうやったら自分達の境遇がよくなると思ってんの?
大体、「バラモン左翼」認定される人達ってせいぜい地方の開業医や大学教授といった中流の出で
この手の親の金で良い経験をさせてもらったお嬢様のようなお金持ちが左翼やリベラルであった試しがないと思うんだけど
どうして左翼やリベラルこそが強者で真の敵だーって思考が抜けない訳?
一見民衆の味方のような善人に見える者こそが本当の悪だって思い込んでいるなら、漫画やアニメの見過ぎなんじゃない?
https://twitter.com/abcabcabc999666/status/1562189495818403844
ねこパ〜スタ
@abcabcabc999666
金持ちの家に生まれたお嬢様が「経験は唯一お金では買えない」とコメントしてたけど、たぶん本気でそう思ってそう
親が金払うところとか見てないんだよ
知恵袋の数学者気取りには数学用語以外の言葉についてはいちいち定義を求めて来る奴がいる。
察しようという発想は皆無らしい。
「クラインの壺は二次元多様体なのですがそれを四次元というのはどういうことですか」などとあろうことか抜かしてきた。クラインの壺は四次元で普通の数学者でも通じるので、そこに食って掛かる奴はそうそうおらんだろ。
人として欠陥があるとしか思えない。
あんなんじゃ人に教授したり人の上に立つ仕事は任されないこと請け合いだな。
高校の野球部のノリでいつまで立っても草野球してる奴と同じで、数学の分野で重職につけなかった輩が知恵袋にくすぶって人を馬鹿にするというしょうもない人生送ってるんだろう
Twitterのタイムラインを見ていると、功成り名を遂げたはずの立派な研究者が、若い頃のルサンチマンをいつまでも持ち続けていることがわかる。
とりわけ多いのがアカデミズム内の年長の左翼系教授からかつて受けた屈辱、についての告発である。
暴力を振るわれた、罵倒された、土下座させられた、村八分に遭った、そんなものは研究ではないと嘲笑された、と枚挙にいとまがない。
また、若手の非正規研究者も、安全圏からリベラルな発言をする大学人を冷めた目で見ているようである。
彼らはそれが昂じてネット上で何か議論が沸き起こるたびに、「左翼」「リベラル」の主張を必要以上に強く批判しているように思われる。
学術会議問題の時、意外と研究者の間でも「自業自得だ」的な意見が見られたのも無関係ではないだろう。
もっとフラットな議論ができればよかったのだろうが、今となってはどうしようもないのかもしれない。
南無。
つーか連合は壺やん
はよ手を切れよ
https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202208200000084.html
ここで松下正寿なる人物に触れておこう。松下はキリスト教家系に生まれ1922年に立教大学を卒業。コロンビア大学でPh.Dを取得。カールトン大、ミネソタ大、ジョンズ・ホプキンズ大でも学ぶ。29年、28歳で母校・立教大教授に。67年には自民、民社党推薦で都知事選に出馬。翌68年に民社党から参院東京選挙区で当選。1期務めている。議員時代の73年、統一教会の文鮮明に面会し心酔。74年に統一教会が主導する世界平和教授アカデミー初代会長に就任。世界日報論説委員なども歴任した。アカデミズムと反共保守野党化していく民社党、それを支える同盟系民間労組。松下の役割は大きい。
松下は民社・同盟系の富士社会教育センターの2代目理事長も務めた。現在の理事長は元連合事務局長・逢見直人。芳野が反共思想を習得した富士政治大学は同センターの教育部門だ。今も旧同盟系労組幹部や国民民主党議員らはここで研修を受けている。
サンデーはこの中で売上が下の方らしい、そして
今のジャンプははっきり言ってマガジンサンデーよりも書ける人が揃っていない、でもジャンプのほうが売上が大きいらしい。
読める作品を思い出してみると
サンデーは、龍と苺、コナン、MAO、シブヤニアファミリー、白山と三田さん、舞妓さんちのまかないさん、この漫画のヒロインは森崎あまねです、ラストカルテ、BeBlues、君は008、魔王城でおやすみ、レッド・ブルー、第九の波濤、十勝一人ぼっち農園、あおざくら、葬送のフリーレン、古見さんはコミュ症ですの17作品
チャンピオンは、弱虫ペダル、ゆうえんちバキ外伝、あつまれふしぎ研究部、ディエゴ、ハリガネサービス、SANDA、ヤンキーJKクズハナちゃん、もういっぽん、メイカさんはおしころせない、木曜日のフルット、グラップラー刃牙、BEASTARS、バチバチBURST、Gメンの14作品
マガジンは、はじめの一歩、ダイヤのA、黙示録の四騎士、シャングリアフロンティア、カッコウの許嫁、カノジョも彼女、それでも歩は寄せてくる、幼なじみとはラブコメにならないの8作品
ジャンプは、ワンピース、WitchWatchの2作品 (Dr.STONE終わったのが痛い)
Web漫画アンテナ登録作品は(現在更新されてないのが多々ある)
2.5次元の誘惑
38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみたヤバい結果日記
47歳、V系
Artiste
DYS CASCADE
GROUNDLESS-アリストリア改国戦記-
Helck
MANGA Day to Day
New's Network
SPY×FAMILY
あそこではたらくムスブさん
アニメタ!
アルテ
イジらないで、長瀞さん
おちたらおわり
おとなりに銀河
お下がりのオンナ
カナカナ
クマ撃ちの女
ゲーミングお嬢様
コーポ・ア・コーポ
こういうのがいい
この世界は不完全すぎる
コワモテ後輩が一日一回好きって言ってくる
サバエとヤッたら終わる
ざんげ飯
それでも歩は寄せてくる
ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド A.S.O
ドルフィン
ドンケツ
なれの果ての僕ら
ぬけぬけと男でいよう
のボルダ
はぐれアイドル地獄変
ひとりでしにたい
ブスなんて言わないで
ペイル・ブルー・ドット バトルアスリーテス大運動会 ReSTART!
ぽちゃこい
マイ・ブロークン・マリコ
まいまいまいごえん
マチネの終わりに
マリッジグレー
ミドリノバショ
やり直し姫は夫と恋したい
ラーメン赤猫
ロリータ飯
悪の糸
囲の王
宇宙の卵
俺たちつき合ってないから
家が燃えて人生どうでも良くなったから、残ったなけなしの金でダークエルフの奴隷を買った。
家性婦とシタ 2
怪獣8号
間くんは選べない
帰ってください! 阿久津さん
境界のエンドフィール
君の心を漢字たい
拳児2
言えないことをしたのは誰?
公爵令嬢の嗜み
好きなオトコと別れたい
高嶺のハナさん
佐倉は私を好きすぎる
最果てから、徒歩5分
三十路病の唄
子供になった俺を妻がめちゃくちゃ愛でてくる ~曜路と乙菜の夫婦生活~
私と夫と夫の彼氏
灼熱カバディ
純猥談
女の解体新書
傷だらけのピアノソナタ
新しいきみへ
推しが辞めた
青とオレンジ
青に、ふれる。
青のオーケストラ
戦争は女の顔をしていない
創世のタイガ
早朝始発の殺風景
誰かのことを好きなだけ
蜘蛛ですが、なにか?
都合のいい果て
東独にいた
独身貴族は気づかない
美木さん、大好きです!
片喰と黄金
僕が夫に出会うまで
僕たちは繁殖をやめた
僕の心のヤバイやつ
僕の生徒はオトナギャル
僕より目立つな竜学生
万引きGメン たつとら!!
夢中さ、きみに。
明日の恋と空模様
綿谷さんの友だち
木根さんの1人でキネマ
柚子川さんは、察して欲しい。
幼馴染とはラブコメにならない
踊れ獅子堂賢
龍と苺
隣のお姉さんが好き
隣のガキに懐かれた話
恋とゲバルト
恋人以上友人未満
凛子ちゃんとひもすがら
鬱ごはん
罠ガール
既婚だと伝えても、ミドサーで、お金もないし、仕事でも大して活躍もしてないけど、モテる。
モデルや女優の卵みたいな20代前半の子から、女子大生で小綺麗にしているような子とかからもモテる。
もちろん同世代からもモテる。経営者や外資で数千万稼ぐ女性とか、大学教授もいたな。
ほどほどの高身長で、細身。
顔はハーフぽくて、学生時代はモデル事務所にスカウトされたりもした。
でもそれもあと数年で終わるだろうなと思う。
努力とリターンが見合わないことが世の中には多すぎる。
どうしようかなと思いながらまたマッチングアプリを開く。
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
あんまり言いたくはないですが地方国立大学とか見ればそんな程度のレベルだと思いますよ。
僕の母校にも「あなたたち学部生は高卒と同じ職場でしか働けないんですよ」「大学卒業して短大生や高卒と同じ程度の仕事しかさせてもらえないわけです」とか講義の時間の半分使って言っちゃうような教授がいるわけで。自分の発言が学歴差別ばりばりなの気づいてないんですかね。
そういう思想って強いから一時でも「自分は国立大学に潜り込めた」という無駄なプライドやら所詮は駅弁大学という劣等感やらから心酔しちゃうんですよね。
まあ、植え付けられた差別意識に気づいたら気持ち悪過ぎてその教授のこと嫌いになりましたけどね。二度と顔も声も思い出したくないですよ。
理学部で助教をやっている。社会人ドクターを取った後大学に戻った。
幼さを感じた。
増田は、頭というか論理的に考える力は高いんだろうが、この内容は身勝手すぎる話だ。まぁつまり、小学生のような幼さを感じる。自分のことしか考えられない幼さを前提にすれば、まぁ筋は通っているだろう。
結局言っていることは小学生が夏休みの宿題に対して「これなんの役に立つの?」って言ってるのと変わらない。
日本の大学なら18以上だよね?成人しているのだから、何が役に立つのかどうか、何をやるのかどうかは自分で判断せねばならない。
卒論が役に立たないというのならば、大学を辞めれば良い。そうすれば、研究なんてやらなくて済む。その代わり内定は無くなるかもしれないけどな。増田はそれが嫌だから、いやいや卒論を書いている、だから、こんな文章が出てくるのだろう。しかし、世の中はそんなに都合良くはできていない。
卒論をやって就職をするか。卒論をやめて就職しないか。その二択を判断しろ、という話だ。自分の納得できる選択肢がないから『おかしい』というのは、あまりに幼くないか?
お金を稼ぐために、自分には不要に思える仕事をやらなきゃいけないことなんて沢山ある。自分が不要だと思っても、本当は必要だったり、本当に不要としか思えないものもある(上司のプライドのせいで増えた仕事とかね)。その度に、教授に言ったように、そういう文句を上司や取引先に言うのか?そんな必要はない。今後の仕事につながる人間関係と、その仕事にかかる手間を天秤にかけて、やるかやらないか判断すればいいだけだ。というか、本当に不要なら、やらなくても問題は起きないだろう。
自分が何をやるかは自分で決定しないと、他人のせいになってしまう。この場合は自分の欲しい選択肢を与えてくれない教授や、大学のせいにしている。しかし、他人のせいにするのは楽だけど、自分の人生に無責任だ。
もちろん制度に不満があって、それを変えようとしている人は世の中に沢山いる。現状追認が大人の証などというつもりは全くない。だから、増田が学長や学部長に掛け合って、何らかの資格取得や、技術の開発を卒論に相当する単位としてくれるよう嘆願しているというなら応援する(当然教授1人にゲームの例え話をするのとレベルが違うのはわかるよね?)。
大学の教員としては、基本的に専門知識を学生に与え、その知識がちゃんと学生の中で有機的に結合し、能力として発揮できる状態になっていれば、大卒と言えると思う。授業の勉強だけしても、それぞれがつながっていて、かつ意味がある形で使える必要がある。微積線形があって初めて、微分方程式や関数解析ができる。その積み重ねだけではダメで、それらを使って何ができる人なのか?というのが大事だ。個別の知識だけなら本を読めば良くて大学は全然必要ない。何ができるかを確認するために卒論がある。
何ができるか?を問われているので、アイデアが既にあれば、それに必要なだけの知識さえあれば良い。アイデアもなく、b3までに知識を得てこなかった人は、当然それを発揮する場である卒論には苦労する。
それを踏まえて、数学科では普通卒論はない(研究できるレベルの最新の数学をやるにはb4では難しい)から、自分の修論の経験を語る。
修論の経験が社会人になって生きたか?というと、スキル的な意味では怪しい(研究職なら直接役に立つだろうが)。アナリストや記者など、文章の経験を役に立たせている人はいるだろう。また、コンサルやマーケティングなど自分のアイデアをpdcaで回す必要がある職の人も役に立つだろう。しかし、一般化できるとはとても思えない。
だから増田の言うことは増田目線では正しい。文系に行くから行列は要らない!とか、一生コンビニ店員でやってくから三角関数は要らない!言われたら、そうですか、と言わざるを得ない。
しかし大学は上で書いたような学生を養成することが目的であって、就職先で役に立つようなことは想定していない。そういう社会的要請があるのもわかるし、それに阿った判断をして卒論を無くしたりしている大学があることも認識しているが、社会で「一般に」活躍できる人材を輩出したい!と思ってるわけではない。もちろん、資格系や職業人が教授をやるケースなど、その分野で活躍する人材を輩出したいという研究室は存在するが、社会人として役に立つ教育ではなく専門家の養成を目的としている。
一般化できない以上、大学で学んだことをどう人生に生かすのかは、学生次第だ。学生が、自分の判断で、自分の将来に役に立ちそうな大学や学部、研究室を選ぶのだ。
大学が提供するプログラムは上の観点で設計されている。自分の人生に必要かは人によって違うということを認識する必要がある。その中で、そのプログラムでは、多くの学生にとって卒論が、教育上の能力の判定として役に立ってきたからこそ、必修として存在し続けているのだ。教育する側には役に立ってるかもしれない、という視点に立ってみて欲しい。能力の鍛え方が足りない者を大卒として認定するわけにはいかないんだ。
大学はあなたに能力を伸ばしてもらうために卒業研究を課しているわけではないです。あなたが「〇〇大学☓☓学部卒」という資格を持つに足る能力があることを証明するために、卒業研究を完成させなければならないのです。あなたが証明する側です。
増田は「全学生には4年間を自由に過ごす権利があるため、様々な4年間の過ごし方が認めるべきだ」と言っています。それはその通りです。
しかし、「〇〇大学☓☓学部卒」に足る能力があることを証明せずに卒業資格を得たい、というのは完全におかしいです。エゴで研究を強要しているのではないです。「〇〇大学☓☓学部卒」という資格を得るためには、あなたが能力を証明しないといけないのです。
あなたの主張は「医学部で6年間過ごしたんだから医師国家試験に受からなくても医師免許を交付してくれ」と言っているようなものです。
また、「研究が社会人生活でどのように役に立つのか教えてくれ、定量的な根拠を示してくれ」と言っています。これも勘違いです。
大学は社会人生活であなたに役立ててもらおうと、卒業研究を課しているわけではないです。大学は「学部卒の資格を与えるには、卒業研究を完成するという形で、能力を示してもらう必要がある」と考えているのです。
資格を与えるのは大学で、あなたは大学に対して証明する必要があるのです。
追記で「卒業研究をやらずとも技術職の内定4社からもらった」と書いてあります。その事実で「だから卒業研究が必要ない」と言いたいのかと思いますが、端的に間違いだと思います。
内定は卒業見込みの形で出ていると思います。その場合、あなたが入社するためには卒業する必要があり、すなわち卒業研究が必要です。なので、卒業研究をやらなくても内定がもらえる、は間違いです。
企業が内定を出したのはあなたが卒業研究を(就職するまでの間に)やるからです。やらずに退学したら、おそらく内定取り消しです。
学部によっては卒論がないところもあります(ブコメ等で多数指摘があります)。そういった学部は必須単位が多かったり定期テストが難しかったりします。そのようにして、大学はその学部卒の人の能力を担保しているのです。
なので、卒業研究が必須の学部で卒業研究だけを無しにすると、能力が担保できなくなるでしょう。あなたが内定をもらえたのは卒業見込みがあるからで、それは卒業研究をやる前提です。なので卒業研究は任意ではないのです。
「今はインターネットを探せば、大学から提供されるものよりも分かりやすいものはいくらでもある。社会から隔絶された場所に籠っている教授は極めて視野が狭い。」と書いてあります。
あなたの大学の教授はインターネットにアクセスできないのでしょうか?インターネット上に(信頼性はともかく)様々なコンテンツがあることは、おそらく全ての教授が知っていますよ。レポートでインターネット上のコンテンツから丸パクリする人とかいっぱいいますから(Twitterとかでも話題になります)。
そういったことが想像できない、情報が入ってこないあなたも、だいぶ視野が狭いと思いますよ。
「卒研やらなくても学位もらえる大学あるの初めて知ったわ。看護大学とかじゃないよね」と書いてあります。
なんで看護大学だって思ったんですか?もし看護大学のことを偏差値を基準に下に見ているのだとしたら、改めた方がいいですよ。
日記の書き出しにいきなり「まぁまぁ偏差値の高い大学」と書くあたりその辺りに自信があるようですが、そういう態度で人に接すると失敗します。定量的な根拠はないですが。
働くことに必要な技術を習得するために大学に行く、というのはあり。
卒業研究が必須だと大学や教授が判断しているのに、それを経験の浅い学生ごときが不要とすることがおかしい。
そして大学は学生の幸せを提供する場では無い。学生がその中に幸せをみつけるのは問題ないけど、それが見つけられないからって大学を責めるのはお門違い。それは学生側の資質欠如。
会社の社食でカレーフェアをやったら「自分は辛いものが苦手でカレーが食えない、なのにカレーフェアをやるのは平等じゃない云々」と突っかかった社員の話を聞いたことがあるけど、それと同じ匂いがする。
当然の与えられた権利だと思うな。システムの中で不満を感じるなら、まずは自分が変わって、そして余裕が出来たらシステムを変える働きかけをする。
働くことに必要な技術を習得するために大学に行く、というのはあり。
卒業研究が必須だと大学や教授が判断しているのに、それを経験の浅い学生ごときが不要とすることがおかしい。
そして大学は学生の幸せを提供する場では無い。学生がその中に幸せをみつけるのは問題ないけど、それが見つけられないからって大学を責めるのはお門違い。それは学生側の資質欠如。
会社の社食でカレーフェアをやったら「自分は辛いものが苦手でカレーが食えない、なのにカレーフェアをやるのは平等じゃない云々」と突っかかった社員の話を聞いたことがあるけど、それと同じ匂いがする。
当然の与えられた権利だと思うな。システムの中で不満を感じるなら、まずは自分が変わって、そして余裕が出来たらシステムを変える働きかけをする。
一緒に新聞配達にさそってくれたり
帰り道を一緒に歩きながら雑談しているといつも、「そんときどう思った?」「なんで?」ととにかくしつこいくらい質問されてキレたことはある笑
夢の内容
大学とホテルがくっついたような建物に一緒に学生として来てた。
集合場所に行ったけど連絡がつかない。
みんなは気にしてなかったけど、気になって探すことにした。
いると言われた3階を探しまわったがいない。
各階にある食堂で聞き取りすると、「その人なら5階に移動したよ」といわれたので、5階へ移動した。
5階でも食堂で聞き取ろうと思って食堂にいくと、3階の学食っぽい雰囲気とは違いバーのような店でスーツの人が沢山いた。
受付の人に聞くと、「その人なら後ろの掲示板に新聞記事になってるよ」とのことで見に行ってみた。
そこには2日前に警察に職質された際に言い合いに発展し、急死したと書いていた。
どうやら教授に1ヶ月でソニックの商品コンセプトのデザインをしろと言われて、がんばりすぎていたらしい。警察との言い合いは最後のひと押しで、根本的な原因は過労死らしかった。
まったくもって理不尽でなんともやりきれない気持ちで、しばらく放心しながら歩いていた。
反対の道からは知り合いも鎮痛な顔で歩いていた。
他の友達に会ったところ、「みんな気をつけよう」と言っていた。
歩いているとテニス部や野球部が目に付き、呑気にスポーツなんかしやがって!と嫌な気持ちになった。
自室に帰ろうとエレベータに乗った。
エレベータには4歳くらいの男の子がいて、「だっこして」といわれたので持ち上げると、おしっこ、鼻水、よだれ、ととにかく出せる水分を出し始めたのでそれを避けながらだっこを続けて、目的の階で降ろした。
そこで目が覚めた。
怖かったので友達を初めてネットで検索してみると、堂々と写真も載っていて、尊敬する職業についていた。いかつくなってる笑
よかった。
ここまで強い言葉で言う気にはならないけど、気持ちはとてもわかる。勉強全般はかなり得意な方だが、研究がとにかく嫌いだった。卒業して数年経つけど、いまだに嫌悪感が抜けない。たまたま卒論が必須でない学部に進んで就活も終えてて単位も余りまくってたから夏前にゼミを辞めて卒論を放棄することで(ゼミに入っていると卒論を書かないといけなかった)問題なく卒業できたけど、もし卒論が必須だったら4年生の1年間は楽しめなかっただろうし最悪留年していたかもしれない。成績が良かったから院進を勧められていた時期もあったけど、本気にしていたらどうなっていたかは想像したくもない。
普通に大学生活を送ると4年生になっていきなり卒論/研究とかいう存在だけは聞いていたよくわからないものが降ってくることになるんだが、その段階になって初めて適性が判明するからゼミや研究室の厳しさや求めるコミットと本人の適性や興味次第では心理的にめちゃくちゃ大きな負担・苦痛になるし、教員や大学院生にはたぶんそれが理解できていない(そういうのが好きでそこにいる人間なんだから当然だが)。怠慢と切り捨てられたらそれまでだけど、片脚がないのにサッカーをさせられている人というのはこういう感じなのかな、と思ったりもした。
増田と同じ感覚なのかはわからないけれど、とにかく自分がそこに時間を割く意味があるとは思えなかったし、そういう言わばエイリアンだらけの空間で時間を過ごしてエイリアンの決めたルールに従って何かをするというのが気持ち悪くて仕方がなかった。いま学生を指導している立場の人が読んでいたら、そういう人間もいるんだ、ということは知っておいてほしい。
そんなわけでゼミを辞めて卒論で身につけるはずの能力を身につけなかったのだが、それで困ったことは全くない。仕事も楽しいばかりではないが充実してやれていると思う。増田がどういう選択をするかわからないけど、卒業さえしてしまえばどうにかなるはずだからなんとか耐えてほしい。
増田を叩くコメントも多い。確かに大学は研究機関だと言われたらそうなんだろうけど、ほとんどの人は研究するために入っているわけではない。(それは大学院の役目だと思う)
難関大とされるところであればあるほど「高校の次に行くもの」という認識になっているし、周りのほとんどが大学に行く中で自分だけ「研究をする気がないから」なんて理由で行かないやつは見たことがない。もちろん、入学の段階で卒業論文の有無を気にするやつなんているわけがない。入試でも研究に向いているかなどは一切問われない。そうして入った中の一部にたまたま研究に全く興味のない、向いていない人間が存在したとしても仕方ないだろうと思う。しかも、それで3年生までは問題なくやれてしまうんだよな。
問題は卒論・研究に全く興味のない、意義を感じない人間に逃げ場がなく、しかも4年生になるまでそれを自覚しないで過ごせてしまうシステムじゃないだろうか。1年生からゆるゆると研究の真似事に触れるようになっていて、研究との関わり方の自由度も確保されているなら、自分が向いていないことを自覚して所属する学科やコース、研究室を選んだりもできるが、多くの大学だと入学時点で詰んでいる気がする。(自分のいたところはわずかにそれらしき「研究に触れよう」のような授業があった&学部レベルで入学後に選択できたので、事態をわずかに想定して卒論が必須でないところを選べた)
長くなったが、とにかくこういう人間が一定割合で出てきてしまう仕組みになってるんだから個人を叩いても仕方ない。増田にも責任はない。大学側にこういう人間が発生したときの対処法が確立していたらとは思うが、まあ無理だろう。同情するしかできないが、強く生きてほしい。
現実的には増田の卒論が免除されることは考えづらいから、教授とかには下手に喧嘩を売らずに媚びまくって負担を軽くしてもらえるように働きかけるか、あるいは「やる気がないわけではないが本当の無能だ」と思わせて院生あたりの助力を得るようにした方がいいと思うけども。