はてなキーワード: 区画とは
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191212/k10012212311000.html
こういう住みやすい街ランキングに絶対にランクインすることはないけど、住みやすい街だと私が思っている場所について話をしたい。知る人ぞ知る街である「センター南」「センター北」の港北ニュータウン中心部である。センター南とかセンター北と言っても首都圏に住んでいても横浜の北側に住む人以外でピンとくる人は殆どいないだろう。センター南とセンター北は横浜市営地下鉄の駅で新横浜・横浜へは一本で行ける。都内に出るときはあざみ野から田園都市線か日吉から東横線・目黒線を使う。都内までおよそ1時間圏内にあるのがこの2つの駅である。乗り換えがあるという点で通勤の利便性は少し落ちると思う。それもあまり注目がされないし、誰からでも人気になるとは言い難い理由である。
センター南と北の港北ニュータウン中心部は横浜市によって計画的につくられた街である。どちらの駅も駅前に巨大な広場がある。そして道路が車道と歩道が完全に分離している。子育て世代に完全に特化していると言ってもいい。この区画にある小中学校に通う子供は住んでいる場所によっては一度も横断歩道を渡る必要がない。車とすれ違うことがなく通える場所もある。また歩道が東京都など比べて考えられないほど広い。子育てをしている親にとって歩道が広いというのは完全にプラスである。実際センター北と南に住んでいる人は子供のいる家庭がほとんどである。歩道が独立しているので、ランニングにも向いている。港北ニュータウンの緑道は信号一切なしで片道12km走ることができる。どの時間でもだいたい誰かは走っている。ただ、夜は暗いのでちょっと緑道を歩くのは怖い。
あとこの2つの駅の周りではよくテレビや映画のロケでやっている。もう芸能人やエキストラを見るのは慣れた。ヒーロー物の撮影もやっていたがあまりに少人数のスタッフで回していたので驚いたこともある。道も広いし、広場もあるので街を歩くシーンを撮影するのにはもってこいなのだろう。電気グルーヴの人間大統領のインタビューシーンもここだった。
他にセンター南と北の中心部の面白いところは商業施設が充実している。ショッピングセンターは5箇所もある(港北東急、都筑阪急、ノースポート・モール、るらら港北、港北みなも)。エンターテイメントでいうなら映画館は2館(109シネマズ港北とイオンシネマ港北ニュータウン)ある。だいたいの人気先はここ2つで網羅できる。なぜか本屋は4つもある。この本屋が儲からないと言われているご時世におかしい。そして一番おかしいのはスーパーの数である。大小含めて少なくても14箇所もある、それ以上かもしれない。センター南と北からそれぞれ半径500メートル以内でそれである。センター南だけ(早渕川以南)でも8箇所もある(ロピア、あおば、相鉄ローゼン、三和、生協、まいばすけっと、オリンピック、港北マルシェ、最近できたわくわく広場)。こんなに作る必要が一体どこにあるのかわからない。だからなのかもしれないがコンビニは少ない。少ないと言っても6、7件はあると思う。あまり行かないので数えていないが。あと奇妙なのが歯医者と美容室はコンビニよりも密集している、数え切れない。美容室の2件隣が美容室である。センター南と北の住人はよほどの頻度で髪を切っているか、歯を抜いているに違いない。
あと飲食店に関して言うと家族連れか会社帰りのサラリーマンに特化している。特にチェーン店ばかりである。マクドナルドは4店舗もある。みんな大好きサイゼリアは3箇所である。居酒屋はなぜか鳥貴族とかチェーン店の居酒屋ばかりが入ったビルがあったりする。独り者やグルメな人にとってはあまり開拓しがいがない街ではあるのだが、そういう人は都内で飲んで帰ってくるのだと思う。
なぜ絶対にランクインしないと断言できるかというと新築分譲マンションが殆どないから。今年2棟マンションが作られたが、その前は4年前である。規模としては20戸ぐらいの小規模なマンションである。ここは区画上タワーマンションが作られることはないので、某武蔵小杉のような人口超過によるカオスになることはない。今後また数年間新築分譲マンションが建つことはない。今作っているマンションはすべて賃貸目的である。不動産屋は賃貸目的でマンションを作ってもすぐ入居者で埋まってしまうので、わざわざ売る必要がないのだ。賃貸で回していったほうがよほど儲かるのだろう。売る物件がないなら分譲物件を取り扱う不動産屋や金融機関に取り上げる理由はない。しかも中古物件ですらめったに売りに出ない。中古で良い条件の物件が出たら一瞬で売れてしまう。売れ残るのは間取りが悪いか北向きなど日照条件が悪いかのどちらかである。なお駅から20分ぐらい離れたところに大規模マンションが昨年作られたが、それは駅中心部から離れすぎているので今回の対象とは考えない。
あと子育て世代が多すぎて、あまり一人暮らしで住んでいる人は多くない。実際に一人暮らし用物件は駅から離れたところにしかない。商業施設的にも若者にとってあまり楽しい街ではない。どれも子供向けなのだ。だから吉祥寺みたいに若者に人気の街にもならない。実際若者が騒ぐことはあまりないので静かな街である。
他にもセンター南と北のいいところはいっぱいあるのだが、これだけでも十分うざいし満足したのでやめておく。ここは手の届くところに全て揃いすぎていて離れがたくなる。そしてなによりあまりここのいいところがあまり発見されていないので人がごちゃごちゃしていないところもいい。これからもランキングに乗ることもなく、気づいた人だけがわざわざこの場所を選んで住むことになるのだろう。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191212/k10012212311000.html
こういう住みやすい街ランキングに絶対にランクインすることはないけど、住みやすい街だと私が思っている場所について話をしたい。知る人ぞ知る街である「センター南」「センター北」の港北ニュータウン中心部である。センター南とかセンター北と言っても首都圏に住んでいても横浜の北側に住む人以外でピンとくる人は殆どいないだろう。センター南とセンター北は横浜市営地下鉄の駅で新横浜・横浜へは一本で行ける。都内に出るときはあざみ野から田園都市線か日吉から東横線・目黒線を使う。都内までおよそ1時間圏内にあるのがこの2つの駅である。乗り換えがあるという点で通勤の利便性は少し落ちると思う。それもあまり注目がされないし、誰からでも人気になるとは言い難い理由である。
センター南と北の港北ニュータウン中心部は横浜市によって計画的につくられた街である。どちらの駅も駅前に巨大な広場がある。そして道路が車道と歩道が完全に分離している。子育て世代に完全に特化していると言ってもいい。この区画にある小中学校に通う子供は住んでいる場所によっては一度も横断歩道を渡る必要がない。車とすれ違うことがなく通える場所もある。また歩道が東京都など比べて考えられないほど広い。子育てをしている親にとって歩道が広いというのは完全にプラスである。実際センター北と南に住んでいる人は子供のいる家庭がほとんどである。歩道が独立しているので、ランニングにも向いている。港北ニュータウンの緑道は信号一切なしで片道12km走ることができる。どの時間でもだいたい誰かは走っている。ただ、夜は暗いのでちょっと緑道を歩くのは怖い。
あとこの2つの駅の周りではよくテレビや映画のロケでやっている。もう芸能人やエキストラを見るのは慣れた。ヒーロー物の撮影もやっていたがあまりに少人数のスタッフで回していたので驚いたこともある。道も広いし、広場もあるので街を歩くシーンを撮影するのにはもってこいなのだろう。電気グルーヴの人間大統領のインタビューシーンもここだった。
他にセンター南と北の中心部の面白いところは商業施設が充実している。ショッピングセンターは5箇所もある(港北東急、都筑阪急、ノースポート・モール、るらら港北、港北みなも)。エンターテイメントでいうなら映画館は2館(109シネマズ港北とイオンシネマ港北ニュータウン)ある。だいたいの人気先はここ2つで網羅できる。なぜか本屋は4つもある。この本屋が儲からないと言われているご時世におかしい。そして一番おかしいのはスーパーの数である。大小含めて少なくても14箇所もある、それ以上かもしれない。センター南と北からそれぞれ半径500メートル以内でそれである。センター南だけ(早渕川以南)でも8箇所もある(ロピア、あおば、相鉄ローゼン、三和、生協、まいばすけっと、オリンピック、港北マルシェ、最近できたわくわく広場)。こんなに作る必要が一体どこにあるのかわからない。だからなのかもしれないがコンビニは少ない。少ないと言っても6、7件はあると思う。あまり行かないので数えていないが。あと奇妙なのが歯医者と美容室はコンビニよりも密集している、数え切れない。美容室の2件隣が美容室である。センター南と北の住人はよほどの頻度で髪を切っているか、歯を抜いているに違いない。
あと飲食店に関して言うと家族連れか会社帰りのサラリーマンに特化している。特にチェーン店ばかりである。マクドナルドは4店舗もある。みんな大好きサイゼリアは3箇所である。居酒屋はなぜか鳥貴族とかチェーン店の居酒屋ばかりが入ったビルがあったりする。独り者やグルメな人にとってはあまり開拓しがいがない街ではあるのだが、そういう人は都内で飲んで帰ってくるのだと思う。
なぜ絶対にランクインしないと断言できるかというと新築分譲マンションが殆どないから。今年2棟マンションが作られたが、その前は4年前である。規模としては20戸ぐらいの小規模なマンションである。ここは区画上タワーマンションが作られることはないので、某武蔵小杉のような人口超過によるカオスになることはない。今後また数年間新築分譲マンションが建つことはない。今作っているマンションはすべて賃貸目的である。不動産屋は賃貸目的でマンションを作ってもすぐ入居者で埋まってしまうので、わざわざ売る必要がないのだ。賃貸で回していったほうがよほど儲かるのだろう。売る物件がないなら分譲物件を取り扱う不動産屋や金融機関に取り上げる理由はない。しかも中古物件ですらめったに売りに出ない。中古で良い条件の物件が出たら一瞬で売れてしまう。売れ残るのは間取りが悪いか北向きなど日照条件が悪いかのどちらかである。なお駅から20分ぐらい離れたところに大規模マンションが昨年作られたが、それは駅中心部から離れすぎているので今回の対象とは考えない。
あと子育て世代が多すぎて、あまり一人暮らしで住んでいる人は多くない。実際に一人暮らし用物件は駅から離れたところにしかない。商業施設的にも若者にとってあまり楽しい街ではない。どれも子供向けなのだ。だから吉祥寺みたいに若者に人気の街にもならない。実際若者が騒ぐことはあまりないので静かな街である。
他にもセンター南と北のいいところはいっぱいあるのだが、これだけでも十分うざいし満足したのでやめておく。ここは手の届くところに全て揃いすぎていて離れがたくなる。そしてなによりあまりここのいいところがあまり発見されていないので人がごちゃごちゃしていないところもいい。これからもランキングに乗ることもなく、気づいた人だけがわざわざこの場所を選んで住むことになるのだろう。
まあ「公然わいせつの範囲を見直してもいいんじゃないか?」って議論はある。例えば「エロ漫画のモザイク規制とか無くしていいんじゃないの?」とか「ヌーディストビーチみたいな区画は(実際に誰かが運営するかは別として)合法でもいいんじゃないの?」とか。
流石に「なんでもありにしろ」と主張してる人でまともな人は見たことないが。
ちなみに↓参考。
トークイベント「わいせつ表現規制を考える」第1回に参加しました。海外の事例や日本における規制の歴史から最近の事情まで興味深い話であっという間の時間でした。会場は満席。 https://t.co/jAAiEykzbH— やぶはら太郎 立憲民主党 武蔵野市議 (@t_yabuhara) October 19, 2019
擁護しないと最終的にあらゆる男性向けオタクコンテンツが潰されるからね
それが分かってるんだよ
フェミさんはゾーニングの問題TPOの問題って事をやたら強調して宇崎ちゃんとかオタコン自体を攻撃してはないって言うけど
全然信用できない、というか真っ赤な嘘だよねあれ
最終的には秋葉原も公共空間には変わりないんだから最低限配慮しろってなるに決まってるんだよなぁ
現にロリコンテンツが溢れてるとかわざわざ外国から叩きにきたおばさん記者もいたし…
じゃあきちんとゾーニングされて販売されてる本の表紙は批判されないのかと言うと
献血ポスターに不適切なら誰でも歩ける街のどこに出しても一般的な店のどこに置いても不適切ってなるよ
それこそコミケの一区画とか18禁コーナーみたいな場所じゃないと
宣伝も出来ない
すでに今回の件を受けて慎重になってる企業団体も多いだろうし
二次元は実在人物じゃないんだから女性の方も多めに見てくれない?
まぁ無理か
両方いける人も多いしね
nofrills
もっと大々的に全国で表示されてるってんならともかく
ほんとごくごく一部の地域の、献血ルームのあるフロアのごく一部の区画でしか見れなかったものだぞ。
「ほら見てみてみておっぱいどーん!」って大騒ぎしたのは太田と謎のフェミ外国人だぞ。
見られたくない絵をわざわざDMMかどっかで探して見せつけようとしたのはシュナムルだぞ。
見たくない権利を一番侵害してるのはツイフェミであって俺らじゃねえよ。
真のフェミは、ネットで嫌なものを見たくないならまずシュナムルと太田をつぶせよ。
話はそれからだ。
昔々、横浜は関内に住んでいた時のことだ。この関内、は文字通りであってJR(さすがにもう国鉄ではなかった)の駅から海側のエリアである。諸氏はそんなところに住居があるのかと驚くかもしれないが、当時は雑居ビルの上の方に思ったよりは多く転々と貸間があった。ただし、下の方からは常に酔客の声やカラオケのだみ声(後学のために申し上げると、カラオケ騒音で一番外に響くのはよりにも寄って音痴なおっさんの胴間声であって、BGMは全く聞こえぬ)が常に聞こえ、よく言って華やか悪くいうとそりゃ真っ当な借り手はなかなかつかねぇよね、ということになる。
その時は-このシノギだけは真っ赤な嘘の話だが-、石化パイプライン屋の営業部隊に属して、港町には良くある怪しい中東系商社から注文を取って糊口をしのいでいた。中東系商社は母国の都合で動く。つまり、朝は遅く夜は次の日が来るぐらいまでが仕事のピークである。こっちもそれに合わせて変則的な労働時間で暮らす。それはいい。だが困るのは飯だ。飲み屋以外で食い物屋なぞない。コンビニと牛丼屋ぐらいはあるが、毎日ではつらい。トドメに、下戸である(中東屋さんとしては問題ないのだが)。飲み屋の線はこの段階で選択肢としてはさすがに消える。
ある雨の日、所要があって珍しく海側から我が雑居ビルへと帰途を辿っていた。いつものように腹が減っていた。あの辺り一帯は、細長い区画が一応碁盤の目状に並んでいる。一回右に曲がって一回左に曲がれば、どの通りを選んでも貸間に帰りつけるのは、小学校でやった懐かし「場合の数」だ。ただし、客引きのおねぇちゃんがうるさい通りというのがあり、こいつは敬遠せざるを得ない。
考えもせずひょいっと辻を曲がった先にあったのが、未明なのになぜか営業していたイタ飯屋だった。外のケースに入れられていたメニューは、いつもの夕食よりはちょっと高めだが、出せないほどではない。いい加減雨にも追われている、パスタとグリルを頼めばまあ恰好はつくだろう、たまには人がましいものが食いたい、そう思って扉を開ける。慇懃で痩せぎすのウエイターが案内したのは入り口近くの窓際の席だ。他に客はいないが、フリの怪しい安スーツに着られたような小僧っ子には、そんなもんだろう。
出されたメニューから慎重に安めのパスタとグリルを頼む。グリルは肉、シンプルに塩だ。呑むのはお冷。酒は頼まないし、ソフトドリンクに金を払うのは当時としては、ばかばかしく感じられていた。人心地ついて、水をすすりながらぼうっと薄暗い店内を見渡すに、どうもややちゃんとしたリストランテなようだ。しかし客は他にない。いればどんな店かも推量が利くというのに。そもそも、ちゃんとしたリストランテが酔狂にもかくも深夜まで空けているのか、さすがにいぶかしんだが尋ねるほどの気安さもない。ウエイターはほぼ厨房の入り口あたりの定位置に戻って、こちらには目もくれない。
ほどなくして出てきたパスタ、そしてグリルは確かに旨かった。これこそ久々のちゃんとした食事という奴だ。しかしただの大喰らいの悲しさ、昔の料理を思い出して論評するなどということは出来ない。しかしいくらなんでもちゃんと仕事をしてある2皿だ、ということ位は判る。悪くない。遅い晩餐の唯一の欠点は、こちらがやたらと水を飲むことだ。端から置いてあったグラスにサーブされたお冷は数回おかわりした。そしてさすがにリストランテ、見ていないようでウエイターは、こちらの水が切れると音もなくお代わりをちゃんと入れていく。それはちゃんと冷えていて、薄手のグラスに汗をかかせる。全く悪くない。
少なくとも追い出されはしなかった、塩を撒かれるほどの醜態でもなかったはずだ。そう思って、月に一回ぐらいは帰りがけに足を延ばした。向こうからすれば余程奇矯な客なんだろう、二回目からは、パスタと一緒に銀の水差しがサーブされてきた。嫌味かもしれないし、サービスかもしれない。お互いそっちの方が楽だもんな、それも悪くない(というとさすがに上から目線過ぎるか)。ウエイターは今度こそこっちの方を見ないで済んだはずだ。
佳き日は往々、突然に終わりを迎える。ある日、また人がましいものを食おうと思って店の前にたどり着くと、レストランは深夜営業をやめていた。そりゃそうだ、通った間、一度として他の客なぞ見たことはなかった。店としては、同伴とかお仕事帰りのお姐ぇ様方が使う心づもりだったんだろうが、どうしたって来たのは貧乏神めいた小僧だけだったのだから。さすがに空気よりはましだった、とは思いたいが、そんな細っちい客は切って捨てるのが当然の経営判断だ。
今にして思えば、どう考えたって利幅の薄い立派な不良顧客である。あのウエイターだってその奥にいるシェフだって、態々残業してきたのがあんなのだった、というのは落胆した事だろう。しかし、出てきた料理は真っ当だったし、ウエイターもあからさまに追い立てるそぶりはかけらも見せなかった。あの当時なら少なくとも匿名で世間様に晒されるようなことはなかった。もっとも晒されたとしたところで、こっちの低いアンテナに引っかかるものかは疑問が残るが。
ほどなくしてこちらも横浜を引き払った。まだあの店があったとして、出世払いに赴けるほどの立身は遂にしなかった。或いはケチって水ばかり飲んでいたツケかもしれない。そして時々人がましいものを食いたい時、まだ入る店には迷うのである。
献血ポスターのイラスト問題が、連日タイムラインを賑わせている。私のタイムラインでは大元のツイートは流れてこなかったが、オタクがオタクの献血を賞賛し、"環境セクハラ"をこき下ろすツイートがちらほら見られた。シンプルによくわからん、と思った。私自身もオタクだから人のことを言えないのかもしれないが、オタク、オタクを賞賛するのが好きすぎる。献血は確かにえらいが、そんなに過剰にオタクだけ褒めそやすのはどうなのか?それにセクハラは色々な問題を抜きにしてもまず透明化したらダメなのでは?とさまざまな思いが巡り、このオタク献血賞賛ムーヴがどこから来たものなのか調べることにした。
先に結論を述べておくと、「二つの議論を一緒くたにして考えるからダメなのだ」である。
この一文だけで察してくださる方もたくさんいることだろう。そんな方にとっては、以下の文章にさして内容はないと思う。煮るなり焼くなり好きにしていただきたい。
さて、今回の件の発端となったのは、恐らく弁護士のこの方による引用リツイート。
https://twitter.com/katepanda2/status/1183729350207623169?s=21
渦中のポスターは、漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」のヒロイン、宇崎花ちゃんと献血のコラボキャンペーンポスターである。
『文字通り絵に描いたような爆乳で困り眉の女の子が、挑発するような台詞・表情で』献血を促している。
多分、弁護士の方がここで問題にしたいのは『』の部分だけだ。献血を促すこと自体に文句を言っているわけではない。ポスターに採用されたキャラクターの造形に問題があるという話で、漫画・アニメ作品が採用されることに不服があるわけではない、と思いたい。このていで話を進める。
話は変わるが、Twitterランドはスラム街である。日々クソデカ主語や極右極左、クソリプパクツイデマツイお気持ちマシュマロと戦うオタク諸君はこのあたりよくご存知のことであろう。こんな環境で、果たしてまともな議論ができるだろうか?できるわけないのである。揚げ足取りは腐るほどいるし、文脈が読めないまま発言の一部のツイートだけが一人歩きしたり、過激な思想を持った影響力の強い人々が発信する偏った意見が多くのRT・いいねを獲得していたりするのだから。一つの議論をまともに話そうというのがそもそも無理な話だ。
ここで話を戻そう。
先のツイートは、一見すると問題提起に見えなくもない。いや、そのつもりがあってしているのかもしれない。この弁護士さんはフェミニストの方々の間では有名な方だと聞いた。だとしたらこの方の主張は、『環境型セクハラに配慮しないポスターを貼るのは無責任だが、日本の環境は麻痺していてそれを問題にする人もいない』であろうと思う。
環境型セクハラと言っているもののそもそも微妙に意味が違う気がする(気になったら各自調べてください)のだが、今回のを要約すると"生きているだけで目に(女性が客体である)性的なイラストが目に入ってくる"というところだろう。
私はこの主張にのみ関して言えば、議論されるべき問題であると思っている。女性身体の過度な客体化とアニメ文化が密に結びついた日本では、驚くほど性的アイコンが強調されたイラストがそこら中にあふれている。性的アイコンは巨乳とか服の上からでも分かるマン筋とか、困り眉赤面涙目とか、濡れてんのか?みたいなピタピタの服によるわかりやすいボディラインとかそういうものである。生きていれば上述のアイコンの何かしらを目にしたことがあるだろう。それこそ都会ならば場所や時を選ばず、どこにいても見られる。コンビニのエロ本撤去が少し前に話題になったが、あの区画に限らず様々な場所にあの手のイラストや漫画があふれているのだ。意識して見てみるとわかるが、そのイラストに感じる独特の「気持ち悪さ」はよっぽど理解がないと感じ取れないかもしれない。それだけ、この国の女性客体化思想は深く深く根付いてしまっている。
とまあこんな具合に、この問題は一朝一夕140字ちょっとでは到底語りきれない深刻な問題なのである。そして悲しいかな、今回の件について、この文脈で議論を展開している人はあまり見られない。
「萌えアニメのキャラを献血ポスターに使うのの何が悪いのか?」
「セクハラだかなんだか知らんが献血量が減ってないならなんの問題もないし知ったこっちゃない」
「我々はオタクの献血で命を救われた。オタクが献血に行くことのなにが悪いのか」
こんなもんである。そもそも論点がズレていることに、一体この話題に参加したオタクの何人が気づいているのか。指摘しているツイートも少なからずあったが、そちらはバズらずじまい。なぜだろう。原因はわからない。
そもそもこの問題の要点は『性的アイコンが強調されたポスターはセクハラだ』であり、『オタクが悪い』『アニメキャラ(クソデカ主語)はポスターに相応しくない』とは誰も言っていない。誰も言っていないのに、勝手にオタクの好きなものが批判された、こき下ろされた、エログレーゾーンのアニメキャライラストを全て規制しろということか、表現の不自由だと逆ギレしているのである。
何故?これもわからない。表現の自由が誰かを不快にするのを厭わず行われるべきだというのなら、なぜ「表現の不自由展」はあんなにバッシングを受けたのか。人に不快感を与えるという点でそこに上も下もないと思うのだが。
結局日本は右寄り日本人男性の視点優先の社会構造が浸透しすぎており、女性の視点や気持ちはほぼ透明化されているということなのであろうが、このあたりは話しだすと論文一本じゃすまないので今回は割愛しておく。右寄り日本人男性というカテゴリーも微妙なところだ。男性というだけで生きやすい国なのだ、ここは。
一方で、もし発端の弁護士の方にアニメキャラ全般をこき下ろす意図があるとするならば、それはそれで問題である。過度なミサンドリーという点でもそうだが、このご時世、アニメイラストというだけで拒絶反応を示していてはキリがないし、正当なフェミニズム思想や反論の材料にならない。アニメイラストが不快、というだけでは「個人の問題」になってしまうのだ。とにもかくにも、今回の件は議論にするには材料や前提となる問題提起の部分が弱すぎた。
長々書いたが結局のところ、今回の騒動は
①性的アイコンが強調されたキャラのポスターが誰にでも見えるところにあるのは不快だしハラスメント
②ポスターにアニメキャラが採用されることはなんの問題もなく、それを規制することは表現の自由の侵害である
という二つの問題がごっちゃになったまま拡散され、憤るオタクたちが様々なツイートをし、歪みに歪んで広まったというわけである。繰り返すが、誰もオタクがダメともオタクの血が不快とも言っていない。だから「女は献血への貢献度が低いくせにごちゃごちゃ言うべきではない」とか、「巨根男性がポスターについてたら男は嫌だろ?」とかはまた全然別の議論を立て直さなくてはいけないのだと思う。このあたりはミソジニーとミサンドリーが混ざりすぎて本来の目的を失っているようにも見える。個人の快・不快ではなく、議論はフラットな目線で行いたいものだ。私自身それができているか甚だ不安ではあるが、特大スラム街・Twitterにいるともう何が何だかわからない。そしてその辺りを踏まえて、発端の方のツイートが個人の快・不快に帰結するものかどうかについても、議論すべきかもしれない。私は社会全体の問題だと思うけれど。
ついでに今回の問題をこねくり回したツイッターの人々を十把一絡げに「オタク」と言ってしまったが、これも本来良くない話だ。まさにクソデカ主語。目につくツイッタラーが皆オタクに見えてしまうのは、ツイ歴五年になるクソオタクこと私の決定的に良くない点である。反省。
さて、散々色々とりとめなく書いたので、このあたりで渦中のポスターのメインキャラについてもひとこと。
失礼ながらタイトルも知らなかったのだが、「宇崎ちゃんは遊びたい!」はTwitter発の漫画作品らしい。現在はニコニコ静画などで連載しており、コミックスも三巻まで出ているようだ。以下あらすじ。
一人でいることが好きな先輩を「ぼっち」扱いするウザい後輩が絡んでくるドタバタラブコメディ。非日常的な要素はなく、基本は主人公とヒロインを中心に大学での青春を描く。
ヒロインはショートカット、巨乳、八重歯、~ッス口調、アホの子というキャラクター性を持つ。ただし他の女友達と過ごす時や独白では標準語で話す。(Wikipediaより引用)
清々しいほど分かりやすくオタクの好きなやつである。私も好きである。属性は盛りすぎてもいけないが、あって悪いことは一つもない。かわいいことはいいことだ。こんな後輩欲しかった。いつか思う存分揉めると、その柔らかい触り心地を夢見て大学生活を送りたかった。
この宇崎花ちゃんは今回なにも悪くない。だから過剰に擁護すべきでも、過剰にディスる必要もそのいわれも全くない。じゃあ誰が悪くて、なにがいけなかったのか。今回の話はこのあたりが議論されるべき点だったと思う。そしてすでに意見を述べている人々は、反対意見の人々の意見も詳しく聞いてみるべきだ。
最後に、今回の件で一つ良かったことがあるとすれば、献血に興味を持つ人が少なからず増えた点ではないだろうか。結果的に宇崎ちゃんのポスターは本来の目的を大幅に逸れて拡散され、献血を広めることになった。そして宇崎ちゃんの読者もさらに増えたことだろう。よかったね。
献血は人類のために必要不可欠な活動であることはわかっているつもりだし、今更その重要性について語る必要はないだろう。ツイッタラー各位は特に、今回の件で献血に救われた人間の話をたくさん見たことと思う。私はウッキウキでカントリーマアムをもらいムシャムシャ食べながら献血を待っていたら、ヘモグロビンと鉄の量が足りず献血ルームから追い出されてしまったが、今後も献血をする人が増えるよう祈るばかりである。
去る9月29日に 株式会社ラフィネ さん主催の南アフリカワインイベントに参加してきました。
ラフィネさんは南アフリカの生産者のワインを多く扱う都内のワインインポーターです。今秋、日本でRugby World Cup 2019が開催されることから大会観戦を兼ねて南アフリカの8生産者に来日していただき、日本各地でイベントが開催されました。このうち6生産者に今回限定のスペシャルワインを造っていただき、RWC(Raffine Wine Collection)として6本セットで販売、今回はその記念イベントでした。各ワイナリーがスペシャルワイン1種+通常のキュヴェ1種を出典、もちろん生産者ご本人とお話しでき、またお料理や素敵な記念品もついてくるという大変豪華なイベントでした。
バーデンホーストのアディさんのYuuuuupppppaaaaaa!!!で乾杯!からスタート。
ラフィネさんのFacebookにテクニカルの詳細が載っていますので詳しくは是非そちらもご覧ください。
A.A.Badenhorst (Swartland)
・Raffine Wine Collection by A.A.Badenhorst
パールドバーグのエイトケイクという単一畑からのシラーズ100%を全房率100%で醸したキュヴェ、無濾過無清澄。シラーズ100%のキュヴェを造るのは初めてとのことでした。イメージとしてはイエローラベルのシラーズ単一品種版でしょうか。果実味がピンと張ったエネルギーに満ち溢れている液体ですがあからさまに濃厚!というわけではなく、非常にクリーンでエレガント。言葉尻からの印象ですがシラーズ!というよりはエレガント系シラーの美質を存分に感じさせてくれました。他の単一シリーズもそうなのですが、ご本人からは豪快な印象を受けるのにとても繊細に造られているなーと思います。
・Ramnasgras Cinsault 2017 (double magnum bottle)
先日のワインショップでの試飲会でもいただいたキュヴェですがこちらはなんと3Lのダブルマグナム、軽々と持ち上げてらっしゃったのがすごい!前回同様にハーブ、スパイスの香りとジューシーな果実味、土のニュアンスがバランス良く融合した素晴らしいワインでした。
Alheit Vineyards (Hermanus)
・Raffine Wine Collection by Alheit Vineyards
2015年ヴィンテージからリリースしているLa Collineと同じ畑からのセミヨン(+セミヨン・グリ)100%、通常版との違いは最上部の区画からのみ造られていること。全房率100%。La Collineがリリースされる前はセミヨン・グリ主体でスキンコンタクトをしたAllow Heartというキュヴェでリリースされており、Allow Heartの再現としてスペシャルワインが出てくるかなーなどと勝手に妄想しておりましたがLa Collineのスペシャル版として造ったとのことでした。La CollineはAlheitの上位レンジであるシングルヴィンヤードシリーズ唯一のセミヨン単一(他は全てシュナン・ブラン)ということもありふくよかさが印象的なのですが、今回のRWC版は区画を上部に限定することで酸やミネラルに伴う骨格をより強く感じることができる大変気品にあふれたキュヴェとなっていました。
・Cartology 2017
アルヘイトと言ったらカルトロジー、ヴィンテージは昨年リリースされた2017年です。冷涼系グレートヴィンテージということもありリリース当初は酸とミネラルがぎっちり詰まった印象でしたが、それらが徐々にほぐれつつも非常に美しい味わいでした。
Sadie Family Wines (Swartland)
・Raffine Wine Collection by Sadie Family Wines
南アフリカワイン界の大御所です。白のブレンドで公式からの引用ではシュナン・ブラン26%、ルーサンヌ16%、ヴェルデーリョ15%、コロンバール9%、セミヨン9%、パロミノ9%、グルナッシュ・ブラン8%、ヴィオニエ4%、クレレット・ブランシュ4%と多数の品種がブレンドされています。土地の表現と古木に拘りのある生産者ですが、樹齢5年程度の若木のイタリア・ギリシャ系品種が入っている、ワイナリーとしても極めて試験的なキュヴェのようです。酔っぱらいながらのメモですがアサンティコ、カタラット、フィアーノ、グレロ(グレーラ?) が入っているとのこと。公式記載品種のシノニムとかでしたらすいません…。これらの品種が古木になった時にワイナリーの新しいページを刻んだら素敵ですね。ベビー・パラディウスのイメージとのことですが、よりスパイシーでビビットな印象を受けました。若木のブドウが使われていることからの先入観もありそうですが。もちろん暴れるようなことは無く、非常に綺麗な造りで熟成した姿が非常に楽しみです。
・Columella 2017 (double magnum bottle)
赤のブレンドのフラッグシップであるColumellaの最新ヴィンテージ、しかもダブルマグナムです。エレガントながらも濃厚な果実味に浸れる素晴らしい造りです。ワインだけで満足できる度の高い一杯。
・Raffine Wine Collection by Crystallum
クリスタルムのピノ・ノワール上位レンジであるマバレル、キュヴェ・シネマ、ボナファイドを1/3ずつブレンドしたスペシャルキュヴェ。この字面だけでも心が躍ります。全房率はマバレル10%、キュヴェ・シネマ50%、ボナファイド60%とのことですのでシネマはホール・バンチ版ではなく通常版由来と思われます。1/3ずつというブレンド比率ですが、色々と試した上でこの比率が一番しっくりきたとのことで個人的には偶然の神秘性のようなものを感じてしまいました。おそらくマバレル由来の透明感のあるアタックから充実した果実味、コクと旨味からの満足感、美しい余韻への一連の流れが一切の継ぎ目・ストレス・違和感なく展開される完璧なバランスでした。
・The Agnes Chardonnay 2018
シャルドネの2種あるうちの下位レンジ、先日入荷したばかりの最新ヴィンテージです。乾燥した2018年の性格を反映した凝縮感のある味わいです。酸や骨格は2017年の方が豊かである印象ですが優劣というよりは性格の違いを楽しむ、あるいは各個人の好みによる程度の違いと考えます。上位版であるクレイ・シェルスは今年の分をまだ飲めていないのでどんな感じになっているか気になります…。
・Raffine Wine Collection by Rall Wines
ピケニルスクルーフの単一畑のグルナッシュ100%。全房率50%、無濾過無清澄とのことです。このメンバーの中からグルナッシュ100%で思い出すのはサディのソルダート、ピノ・ノワールと間違うほどの繊細でエレガントな造りですが、こちらはもう少し果実の充実感に寄っておりグルナッシュのイメージにより近い印象でした。一方、けして派手ではない綺麗な造りで、静かな波打ち際の漣のように寄せては返す旨味がじわじわと長く続く静謐な美味しさ。Rall AVA Grenache noirと勝手に名づけたくなりました。
・Rall Red 2016
こちらはおなじみのバランスのとれたローヌ系品種のブレンド赤(シラー70%、サンソー15%、グルナッシュ8%、カリニャン7%)で、よりしっかりと力強さを感じされる明朗な美味しさが印象的でした。
◎ソーン・ドーターズ(ボット・リヴァー)
Thorne&Daughters (Bot River)
・Raffine Wine Collection by Thorne&Daughters
スワートランドにあるパールドバーグ(現地の言葉で馬の山という意味らしい)の畑のシュナン・ブラン、セミヨン、セミヨン・グリのブレンド。公式情報だとセミヨン66%、シュナン・ブラン34%とあります。セミヨンとセミヨン・グリの比率も聞いておけば良かったと反省。パールドバーグは風化した花崗岩質の土壌で、良い古木のブドウ畑が沢山あるとのことです。馬と聞くと今回も出ていたRocking Horseが思い起こされますがこちらは使い古しの樽で娘さんのために作った木馬が由来でありたまたまとのこと。一条の光がすっと通るがごとくまっすぐと背筋が通った味わい、もちろん単調ではなく果実味や複雑さも備えていてそれらを酸がぐっと引き締めている感じでした。フォーカスが絞られ、はっきりとした輪郭が掴める!
・Rocking Horse Cape White 2017
ワイナリーの看板的な銘柄でステレンボッシュのルーサンヌ&クレレット・ブランシュ&シャルドネ、パールドバーグのシュナン・ブラン、フランシュックのセミヨンと南アフリカ各地からのブドウをブレンド。もとの造りに加えて2017年というヴィンテージもあり酸がしっかりした綺麗な味わい。
お料理は鮨3軒、天ぷら1軒、焼鳥1軒、焼肉1軒、肉レストランのカレーをケータリングとこちらも豪華。スペシャルワインを一通り味見した後にあまり考えずにケータリングスペースに入ってしまい初手で〆カレーを選ぶことをしでかしつつ大変堪能しました。
・バーデンホーストでgrilled beefに合わせるならばシラーとサンソーのどちらが良いかお聞きしたところ割と悩んだ後でサンソーとのお返事。
・サディ・ファミリーでColumellaにgrilled beefはどうか?とお聞きすると肉はいらない。ワインだけでOK!!と言われました。確かに…!
・白身主体の鮨を片手にRocking Horseもらいに行ったところvery nice for SUSHI!!と言われました。
・カレーがスパイス感あるのにワインを全く邪魔しない…。じっくり煮込まれた肉カレーの旨味とRallのRWCスペシャルのしみじみとした旨味を堪能しました。
・マグロとCrystallumのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
・天ぷらとAlheitのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
生産者の方々との交流、ワイン・料理の美味しさ、大変貴重な経験ができた素晴らしいイベントでした。
生産者の皆様、料理人の皆様、運営のラフィネの皆様への最大限の感謝を!!
そして一週間たった今もそれぞれの味わいを思い出しつつセットの追加購入をどうするか悩む日々です…。。。
これなんかツリーで論点がぐちゃぐちゃになってるんで整理しないと俺の意見が説明できなさそう
https://anond.hatelabo.jp/20190722182852
なんで整理するな。俺の立場は反規制派。元増田の分類では右派に属すると思う
自認としてはオールドリベラルで比較的素朴な自由主義者だと思ってる
以下では表現の権利について俺が守りたいもの、不要だと思うもの、その中間などについて説明する。
権力者に好ましくない情報は隠蔽してもいいという法律が作られそうになったら
真っ先に反対する
記者クラブのあり方に反対するとかの問題はここに分類されるはず
これは左右で意見が別れる。ヘイトスピーチとかエロのゾーニングとかが相当する
俺としてはここにそこまで忌避感はない
というか見せる/見せないの二律背反ではなく、テクノロジーでバリアフリーにすべき
ネット上では情報に適切なタグをつけるとか、親ツリーに分類するとか
うっかり見てしまう前にメタ情報にアクセスできることで解消するだろうし
リアル社会では難しいけどエロとかヘイトとかが問題になりそうであれば、特定の区画の特定の時間帯は情報が裏に隠れるとかできればいいと思う
ポイントは欲しい人は簡単にアクセスできるようにすべきという点で
例えばエロが高スキルの人間がアングラで探さなくてはいけないような社会であってはならない
あくまでスキルではなく、その人が望むかどうかがフィルターになるべき
これは邪悪。ここに無自覚に手を出すのは左派パターナリストであり、反規制派として仲間にしたくない
何を根拠にご自分は今までの規制のない世の中で「正しい」思想に目覚め、
他人を悪の道に進ませたくなければ自分が善だと思った情報で上書きすればよいだろう、かつての自分のように
と、まあ大きく3段階に権利の認識が別れていて、共闘できたりできなかったりするのはどのレベルか見定めたら
「あいつはこっちとあっちで言うことが違ってダブスタだ」みたいな
好ましいかどうかは自分で判断できると思ってる。正しいかどうかは非常に慎重に判断しなきゃいけないので、複数の基準がある方がよいというのが俺の考え。
ちなみに左派よりの人は正しいことを判断するのは誰だという立場にたつのかな?ブコメではそこが読み取れなかった
すまん。右派パターナリストも好ましくない表現にアクセスさせないよう行動する。
左右の違いはおそらく自覚的かどうかで、右派はハナから自由主義を重視していないと思われる
そう、俺とお前にとって2番目と3番目は大きく異なる権利なんだが、ツリー見てわかる通りここがシームレスだと感じる人も多い。
どの政党もパッとしないのは確かだが、今の自民党の不誠実さは許容できない。どんな政策を主張しても嘘やごまかしはなしだ。あと、日本会議、てめーもダメだ。
自分は富裕層ではないが、雇われ会社員としては平均よりはるかにもらっている。しかし、貧富差をより是正しようとする勢力に票は投じたい。これは思いやりとかそんな美しいものではなく、もっと現実的な利益に基づいている。要はアメリカの都市部みたいに夜は出歩けないとか、昼間でも近づいてはいけない区画があるような世界を望んでいないからだ。貧しさで社会がきしんでいる世界よりきしんでない世界に自分は住みたい。おっさん同士が夜中にポケモンゴーで殴り合えてるうちはまだ平和だ。
しかし、経緯を説明すると長くなるので、タイトルに関して手早く読みたい方は一番下の区画だけ読んでいただきたい。
弟はコミュニケーションが苦手で周囲に溶け込みづらく、小中学生の頃はいじめに逢っていたようだ。
特に幼いころからゲームをしているときにその性格が如実に表れた。
ゲームで気に入らないことがあると、イラついてコントローラを投げるのだ。
こうなったら周りが注意しても「うるさい!」と聞く耳を持たず、注意した家族にあたる始末。
結果、家には壊れたコントローラーが大量に溜まっていった。
友達の家でゲームをするとき、たくさんコントローラーを持っているのに壊れているのが恥ずかしくて持っていけなかったことを今でも鮮明に覚えている。
弟が成人してもその性格は改善するどころかむしろエスカレートしていった。
特に対人オンラインゲー(僕もそのゲームが好きなので実際の名前は出したくない)をするようになって、破壊衝動を抑えられなくなっていたのだ。
僕ら家族は母子家庭、3人で賃貸に暮らしているのだが(実家と呼べる家は借金まみれの父と共に手放した)、夜な夜なゲームでブチ切れてはコントローラーや本体を投げ、殴り、踏みつけ壊すのだ。
賃貸のマンションの一室なのに、弟の部屋はいくつも大穴が空いている。
ガラスを割ったこともあったし、ゲーム機やコントローラーも数えきれないくらいガラクタにしていた。
幸い防音はそれなりにしっかりしている家だったからか直接苦情が来ることはなかったが、隣室の人には結構迷惑をかけていると思う。
キレている際に僕や母が「いったんやめたら?」と注意しようものなら、「うるさい!消えろ!」と怒鳴りつけ、それでも僕が食い下がるといとも簡単に手を出す。
隣の部屋で寝ている母が泣きながら怒るのをやめるよう伝えても無駄。
気が済むまでゲーム内の敵を駆逐するか、ゲーム機を破壊しつくすまでは止まらない。
僕は弟がゲームをいくら壊そうが自分の責任なので気にすることはなかったが、人様に迷惑をかけたり増してや母親に危害が加わるのは許せなかったので、ある時徹底的に食い下がった。
もちろん取っ組み合いの喧嘩になるのだが、完全に理性を失っている弟は手加減することなく僕を殴りつけてくる。
不幸にも僕は華奢な体格だし、弟は太っていて体重も20キロ以上上回るので、抑え込むだけでもかなりの労力がいる。
弟の怒りが収まるまで殴り殴られながら説得したことも何度もあるが、そのたびに母は悲鳴を上げて仲裁し、弟は逆上して母にも手を出そうとする。
そんな日々の繰り返しで僕たち家族の精神は日に日に疲弊していったが、それに反して弟のキレ方は悪化していった。
母に手を上げることを厭わなくなった。
殴るだけでは飽き足らず、首を絞めてくるようになった。
そのたびに僕と母は泣きながら静止し、弟も力尽き果てると泣いた。
だが、母はそれを受け入れなかった。
「もともとコミュニケーションが苦手な弟を家族である母すら見捨てたら、今よりも弟のイライラは悪化するのではないか」と。
僕は僕で、母と弟を2人で住まわせる訳にはいかないので、ずっと3人の生活を続けていた。
僕はその日、キレる弟にゲームを止めるように言ったが、聞く耳を持たずに部屋から出ろの一点張り。
それはできないと食い下がると、なんのためらいもなしに手を上げてくる。
こうなると僕が殴り返そうが返すまいが結果は一緒なのはわかっている。
僕は弟の気が済むまで殴らせることにした。
弟は僕の首を絞め、眼をえぐり、壁に頭を打ち付け、うずくまった僕の顔面に容赦なく蹴りを入れてきた。
僕は泣いて静止しようとする母を遠ざけ、通報した後にスマホで一部始終を撮影するように伝えた。
また、僕が一回も殴り返していないことを本人も認めていることから、兄弟げんかではなく傷害事件として処理することができるだろうと言った。
僕はそのまま救急車で運ばれ、レントゲンを撮ったり診察を受けた。
全身打撲と結膜下出血くらいで脳や骨の異常はなかったものの、念のため診断書をもらった。
弟はというと、母親の同意のもと警察の紹介した精神病院に連れていかれた。
とりあえずは2週間の治療?らしい。
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ゲームでキレた弟を止めようとして暴行を受けた僕は、果たして被害届を出すべきなのだろうか?
・警察は現場の状況と僕が一度も殴り返していない証拠があることから、被害届を出せば傷害事件として処理できるだろうと言っている。
・母は、「前科がついて仕事に就けなくなったら状況が悪化するかもしれない」と僕に被害届を出してほしくないらしい。
・被害届を出そうが出すまいが弟は2週間経てば家に戻ってくる。
僕は弟のしたことは人間としてやってはいけないことだと思うし、したことに対してちゃんと罰を受けてほしい気持ちがある。
しかし、母のいうように弟が社会からも拒絶されたと感じてしまえば、今まで以上に事態が悪化する気もする。
仕事に就けなければ当然、一人で暮らさせることもできない。
無難な選択としては被害届を出さないという結論になるのだろうが、このまま有耶無耶にしてしまっていいのだろうか。
自分の感情としては弟のことが許せない反面、もうこれ以上時間や体力を使いたくない気持ちも強くなってきている。
疲れたよ。。。
・山崎紗也夏「NANASE」全4巻
筒井康隆の「七瀬ふたたび」のコミカライズ。女性が描いているからか露悪的な心理描写がエグくて大変良い。
売れっ子作家になった主人公が6歳~19歳の子供(一応すべて自分の子供)を一気に6人育てることになる話。
突飛な設定の割にリアリティがあると思う。
・「殺し屋さん」全4巻
エロ漫画家の春輝とギャグ漫画原作者の一條マサヒデがコラボした4コマ漫画。1巻の最初のページの破壊力すごい。
大阪に住む様々な事情を抱える人々の短編集。ほっこり可愛い絵でえげつない話が展開されるけど読後感はいい。
4巻まではおすすめ。
野球ヲタが日本中の球場内の売店飯を観戦しつつ食レポする話。野球に興味ないけど何故か惹かれた作品。
木村昴のインタビュー読んで、名前だけ知ってはいたけど今まで全く興味のなかった『ヒプノシスマイク』の曲を初めてYouTubeで聞いてみた。
ラップやヒップホップ自体嫌いではなかったけど、いまいちハマれないと思っていたのがヒプノシスマイクを聞いて、曲の構成次第でどんなジャンルでも自分の好みに当てはまるものがあるんだなあという考えに変わった。せっかくだからキャラの背景やストーリーについても知りたいと思い、Wikipediaをのぞいてみたら、ストーリーとその世界観設定のぶっ飛び具合に唖然とした。
大まかな概要は、武力による戦争がなくなって、なぜか女性が覇権を握り、「男性を完全排除」した中王区(ちゅうおうく)と呼ばれる区画があるとのこと。武器が完全に排除されたにも関わらず、争いがなくならないという。そこで、『争いは武力ではなく、人の精神に干渉する「ヒプノシスマイク」』にとって代わられ、このマイクは『人の交感神経・副交感神経等に作用し、様々な状態にする力を持つ』という。ここまで読んでツッコミ満載なんだけど、その「ヒプノシスマイク」だって完全に武器ですよね。
男性は中王区外のシンジュク・ディビジョン、シブヤ・ディビジョン、イケブクロ・ディビジョン、ヨコハマ・ディビジョン等の区画で暮らし、ラップバトルして勝ったら、『決められた分の他の領土を獲得することができる』らしい。最後の締めは『兵器ではなく言葉が力を持つことになった世界で今、男たちの威信をかけたテリトリーバトルが始まる』ストーリーとのこと。
曲を聴いて単純にキャラについて知りたかったからストーリーを調べた女の感想としては、「男性を完全排除」した地区を作った理由はなんですか?武器排除したところで争いの根源が社会において解決されなければ争いがなくならないのは当然として、女性が覇権を握ったからこんなヘンテコな政策に至ったとでも言いたいのかな?なんで8mileみたいに普通にラップバトルして下から上に上り詰めていく各ディビジョンの人間味に力を入れやすそうな設定にしなかったのかな。ヒプノシスマイクの漫画化が炎上したという話を見たけど、こんなめちゃくちゃな設定を可視化することになったら、よほど腕のある描き手でも苦心するわ。
→タバコ吸わない人、マナーを守ってタバコを吸っている人から嫌われている。
→上記同様。タバコのポイ捨ては良く見る。被害を受けるのは大抵マナーを守っている人。
→マナーを守っている飼い主や、ペットを飼っていない人から嫌われる。
→痴漢冤罪被害者や、痴漢被害者、そして痴漢した奴以外全員に迷惑をかけている。
他にもいるとしたら、例を出して欲しい。
こいつらにそれぞれどうなって欲しい?どうなれば改心する?
俺はね、こんな感じ。
歩きタバコ→ 指定区画以外でタバコを吸うとタバコが一気に燃え手を火傷する or どこからか水が飛んできてタバコが使えなくなる
ポイ捨て → そいつの鞄や服に自動的に物が戻る。今までのポイ捨ての分は、家にゴミが自動的に届く。
そこには全てのタスクを「やるべき/やるべきでない」「やりたい/やりたくない」の2軸で4つの区画に分けるという整理法が書いてあった
やるべきでやりたいことは誰でもやるし、やるべきでなくやりたくないことは時間の無駄
だから残りの2つをどうバランスしていくかが人生に差を付けるのだ、みたいな内容だった
ごく当たり前で、言われなくても誰でも知ってるわと言いたくなる、非常に無駄な文章だと思っていた
ところが最近になってふと思い出した時、この整理法の価値が違う意味で増してきた
自分は「やるべきでもやりたくもない」ことばかりやっていた
スマホゲーやったり、楽しくない楽器練習を続けたり、こうして増田に貼りついたり
それでなんだか目が覚めたような気がした
思えば最初は「やるべきでないが、やりたいこと」だったものがほとんどだった
いつの間にか自分の中でその価値が減衰して、惰性で続けているだけの「時間の無駄」に成り下がっていた
ただ一番の悩みは、こうした惰性に人生が支配され続け過ぎた結果、真に「やりたいこと」がひとつも残ってなくて、結局惰性をやめられないことだ