はてなキーワード: 全面的とは
お金借りた側が貸した側に「金巻き上げられて、良かったですね」って言うのが分からない。コピペの元ネタ知らんけど。
客観的に見たら借金踏み倒してる方がお金を巻き上げてるんだし、記事を全面的に信じるなら初回の比較的スムーズに返済した以外は返済されてない。その初回の1回が『巻き上げた』と思われているんだろうか?
あと書き手側がそれに「巻き上げてない」と軽い否定も入れてないのはやや気になるところで、記事以外に強引に金銭のやり取りをしたのがあったんじゃないかと勘ぐってしまう。
とりあえず
っていう情報はとてもためになった。
今、自分で読んでも訳が分かりません。まず身分制度の話と暴漢に襲われる話が全くリンクしていません。皆さんが読んでも意味が分からないと思いますが、僕が今読んでも意味が分かりません。ただ、とんでもない差別発言であることは、まぎれもない事実であることに気づきました。
江戸時代を含めた中世・近世の身分制度について、きちんとした知識を有しないにもかかわらず、安易に「一部の身分の被差別者を犯罪集団だった」と言及したことは、「差別の助長」「差別の再生産」を聴衆の皆さんにもたらす弁解の余地のない差別発言です。
私自身の「潜在意識にある予断と偏見」「人権意識の欠如」「差別問題解決へ向けた自覚の欠如」に起因する、とんでもない発言です。
人間としてあってはならないことを犯してしまい、慙愧の念に堪えません。
自分の講演会で自分が話したことなのに、自分で読んでも訳が分かりません。なんてこと、実際にあり得るんだろうか?
唯一の可能性は、長谷川 豊が多重人格者であり、別人格が講演で話しをした・・・くらいなんだが、そんな奴政治家にしたらヤバい気がする。
『自動車や、それを用いた交通の仕組みって、想像していた以上に性善説というか、
運転する人間の良識や適切な注意力にゆだねらているんだと思って正直ゾッとした』
・交通ルール、事情をいままで知らなかっただけでそもそもこの世の中自体が良識と注意力に委ねられているだろう。
『ましてやもらい事故、不意な飛び出しなんかに至っては、どんなに気をつけていても回避不可能の運ゲーに近い
それを解決する手段が「かもしれない運転」って、なんというか個人の注意力や能力や時々の運にゆだね過ぎじゃない?みたいな』
・急に強盗に入られるのも一緒。自分に落ち度なくても運が悪いのはそりゃどうしようもない。
『地方や郊外に住むとなったら、もう「乗らない」っていう選択肢自体が存在しない 社会インフラが車前提に整備されてるもんね
おとなもおじいちゃんもおねーさんも、好むと好まざるとにかかわらず運転することを「強いられているんだ」って感じ』
・人は皆生まれてくるところを選ぶことはできないから生きていくところを選べるようになるしかないよ
『そういう「運転しない自由」「自動車社会に参入しない自由」が実質的に与えられてないよね
ましては最近は公共交通が衰退して、街の中心部の店が潰れ郊外ショッピングモールに集約、みたいにどんどん流れがそっちに行ってる
高齢運転者問題もそうだけど、車前提でインフラや制度設計しておいて
他方で「能力や覚悟が足らないやつは運転するな」っていうのは、それはそれで「死ね」って言ってるのに近くない?』
・残念ながら口にしないだけで社会は死ねって言ってると考えていいでしょう。でもその現状は資本主義に基づいた合理化、効率化の結果なので不満があるなら違う環境にうつるか、自分が環境を変えられるようになるしかないかと。
『「お前は車の恩恵を受けていないのか?荷物配送やバスやタクシーも使うなよ」
→それはプロドライバーの仕事じゃん。運転の技量がある(大型なり二種免許をとっているような)人達が、業として行ってるわけで
例えば飛行機の運行がプロのパイロットだけに許されているように、自動車の運転もプロのみに許されていれば、
状況はまたちょっと違うことになっていたと思う』
・違う環境になれば違う結果を呼ぶのは当たり前。あともしも運転はプロドライバーだけがすればいいと考えたなら人類には早すぎるではなくてヘタクソは運転するな、になるわけで。
『もちろん、現状の自動車社会をすぐに転換することは現実的には不可能だと思う
だから、上記の記事などにも指摘されているように、現在の技術でできる限りの安全装備やシステムをどんどん義務付けてしまったり、
(具体的には信号の右直分離・歩車分離の徹底や、エンジン起動時の免許・ドライバー状態のチェック、など)に変えて、
可能なタイミングがきたら、一気に完全自動運転社会に転換してしまったほうが良い』
・車の安全装備の高水準化、交通整備システムの徹底などに関しては全面的に同意。関係ないけど完全自動運転って事故が起きたとき誰が悪いのかで揉めそうで実現すんのかなぁと思う。
『そういう極めてスポーティかつハイリスクな行為を公共インフラとして存置させてくのはどうなのよ
エンタメは、サーキットや有料道路の中でやってくれよ、という感じ
免許取り立ての若者から80代の爺さんまで参入する「交通社会」に持ち込むべきものではないよね』
・自動運転技術の成熟した未来がきたらもしかしたら自分で操縦するという行為は安全性の観点から任意の趣味でしか行えなくなるかもしれないが、当然今の社会にはまだまだ運転技術が必要なシーンは多くそして適切に運転している人々からすれば危惧されるのは心外でしかないと思う。
あと、小説家の力量の話だけど、力量はある程度分かった上で出版社は発注してるわけで
納品後の価格設定や刷り部数、宣伝の方法等は出版社に全面的に決定権があるので
責任が0%とは言わないが、ほぼない
むしろ、今回のケースは作家自身のネームバリューが出版社の宣伝力を上回ってると言える。だから即別の出版社から発売が決まる。
宗教ってのは生きる上での助力になるものって思ってて、新興宗教だろうと意味不明な儀式があろうと基本的には理解はできるんだよね。(共感ではない)
もちろん、エホバの証人みたいに輸血禁止とかは現代においてどうなの?って思うし、オウムみたいなテロを起こすのはありえないけど。
大半の宗教の信者、つまり原理主義的ではない宗教の信者はそこまで極端ではないと思う。
パワースポットとかパワーストーンみたいなのもまだ理解できる。
パワースポットって言われるような場所に行ったらリフレッシュできるようなところが多いだろうし、
パワーストーンだってオシャレすれば気分が変わるっていう延長線上にあるとも言えなくはない。
んで◯◯パワーみたいなやつってのは嫌い。
「◯◯パワーを整えると病気が治る」みたいなやつ。
ここまで書いてて気が付いたけど、◯◯パワーが嫌いって言うか、身体に関わる非科学的主張が嫌いみたいだわ。
ちょっと考えがとっちらかりすぎてわからなくなってきたから終わるけど、とにかく非科学的なやつ、特に身体に関わるやつは嫌い!
タイトルにもあるのだが満員電車にベビーカーを乗せるのは反対である、とだけ書くとなんとなくだが、とても炎上しそうである。
ここで、賛成の方々やお母さんたち(お父さんかもしれないが今まで目についた意見に女性が多かったため、お母さんとさせていただく)にお願いがある。
まず、反対というだけで目の敵にしないでほしいのだ。反対派の人間に理不尽な理由で反対する方々や実際に罵声を浴びせられればそんなことは難しいのかもしれない。
それはもう仕方がない。
他人にあたりたくなると思う。
これを読んでも納得できなければ気が済むまでどんな言葉を投げていただいても結構である。
何があってもベビーカーには絶対に配慮すべきで私には人の心が足りないというのであればきっとそうなのだろうと自戒をしようと思う。
また、これも炎上しそうなことではあるが、お母さんたちは日々の子育てや家事に加えて仕事に行かなければならない現状でいっぱいいっぱいなのだろうとは思う。
ただ、そのうえで更に、というのは酷なのだろうとは思うが自分の事情は他人には理解してもらうことは難しい、無理に理解させるのは悪手だとわかってほしい。
お母さんたちがいっぱいいっぱいであるように、子供をもっていないその他の人にもなんらかの事情があるということを分かって欲しいのである。
そのため、これも無理には読まないでほしい。これもあくまで私の考えであり、誰かに強要するものではないからである。
あと自分の考えをまとめながら書いたらめっちゃ長くなってしまった。申し訳ない。
※以下に述べるのは既婚・子なし(いずれ欲しい)・東京-埼玉間の電車ユーザーの意見である。
前提として今回の満員電車の条件は混雑率200%(体が触れ合い相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める)程度のものとする。
・まず反対する理由としては単純に「お互いに、危険であるから」である。
・こちらからお母さん方へは、お子様に意図せず危害が加わってしまう場合である。
ある程度身動きが取れる、全員がつり革や手すり(?)に掴まれる様な状態であればよいのだが、それ以上の混雑率になってしまった場合、急ブレーキや電車の揺れで自分の体を支えることすらままならずにベビーカーのほうへ倒れてしまう可能性がある。Togetterに、このような記事もあったので参考にしてほしい。
子連れで満員電車に乗ることはなぜ危ないかの具体例→「首都圏に詰め込みすぎ」「フレックス勤務を進めて」(https://togetter.com/li/1301648)
こちらも細心の注意を払っていても、万が一、億が一のことがある。
そのときに私も後悔したくないし、後悔をさせるようなことは嫌なのだ。
・お母さんたちからこちらにはベビーカーで轢いてしまうといった危険がある。
痛かったし、轢いた方は謝罪の言葉もなしにどこかに行ってしまわれたためあまりよくない記憶として残ってしまっている。
しかし人の密集していない場所でも人を轢いてしまうものを密集している車内へ持っていった場合、車輪で足を踏んでしまい、ケガを負わせてしまう、といったケースも想像に難くない。
その場合、子持ちの方への印象が悪くなるだけであればまだしも、気が立っている方によってお子さんやお母さんにまで危害が加わってしまうかもしれない。
朝の電車に乗っている方が全員いい人とは限らない。
むしろ気が立っている方が多いように感じる。
全員が性格に難があるのではなく、冒頭にも述べたがおそらく多くの人ががいっぱいいっぱいなのだと思う。
そのような人に不満をぶつけても良い結果は返ってこない。むしろお互いが嫌な思いをするだけなのだ。
・また、この話になると出てくる意見が「ベビーカー使用していない人間が次の電車を利用し、ベビーカーを乗せるように努力すればいいじゃない。」といったもの。
(恐らくこれは反対派の中でも「ベビーカーのせいで自分のスペースが侵されるため不愉快」といった考えの方に向けたものだと思うが、)
これも混雑具合によるが、人間が一人降りたくらいで解決するものなのだろうか?といった疑問がわく。一人降りたところで満員なのも危険なことも変わらない。
・以上のことを踏まえると、ここまでのリスクを冒してまで満員の電車に乗る理由が分からないのだ。
きっとお母さんたちと私の溝はここにあるのだと思う。
この件で炎上してしまう一部の発言の原因も(全面的に悪意が出ているものは別だが)ここなのではないかと思う。
私は理由を知りたくて調べてみた。
子供の病院、仕事へ行くために保育園に預けなければならないというのが主な理由であるように思う。
しかし、私はそれがどうしても満員電車に乗らなければいけない理由とは結び付かないのだ。
もっと言うと大切な我が子を危険にさらすことと天秤にかけてまでやらなければならないことなのかが疑問なのだ。
病院であれば通勤ラッシュの時間をさけて予約なり受診とはいかないのか。
仕事にしても在宅ワークや電車に乗らない範囲での仕事をするということはできないのか。
子供をもつ前からの仕事であっても、時間を遅らせての出勤等も難しいのか……。
私には子供がいない。
だから想像するしかないので現実そんなに甘くねーよといわれたらそれまでである。申し訳ない。
それは誰もが分かっているし、この問題に関するいろいろな記事等の結論もそのようなものだった。
しかし、それが分かったところで、明日からすぐに満員電車をなくすこともできない。
危険なことも変わらない。
だからこそ、その子供が危険な目にあってしまうことが怖いのである。
今のところまだ起ってはいないと思うが死亡事故が起こったとしてもおかしくない現状で、子供を守れるのは親だけなのだ。
この現状が、何とか変わればよいとおもう。
AKS側の第三者委員会が発足して、AKSの記者会見が行われたが、結局は不十分な説明と対応が露呈した。
第三者委員会のやり直しの意見が出たが、AKSとしてはそれは無理な話である。
そうすると別な第三者委員会を立ち上げるとするなら、メンバー側での労働組合、任意団体たいな形で出来なかったものかと思う。
無論、年長者で二十歳そこそこである。しかし未成年者が居ることを考えれば保護者達が強く介入できたのではと思う。
メンバーにしても、黒側、白側、そもそも無関係又は、厄介ファンと手を切った等、立場はいろいろであろう。
だからこそ、弁護士だけではなくカウンセラーのような立場の人も入れる事で、犯行Gとの接触があったメンバーに対しても、処分の落とし所が作れたのではないかと思う。
まず、犯行後逃走せずに公園に移動し話し合いに応じたこと。また罪に関しても全面的に認めている
犯行Gマンション内の部屋を借りていたことで、ご近所トラブル程度に収めようとした?AKSの管理が行き届いてないじゃない?的な警察の判断。
示談書は作成されてないが、今村氏が取り調べで犯行Gに「よく言い聞かせる」メンバーにも「注意する、再発防止対策をする」事件のイメージを表に出させないよう、穏便に済ませたい証言をしたのでは?
又、犯人は初犯であり今後も続くようなら、ストーカー規制法を適用するとの警察の判断(今村メール最初は暴行・強盗・傷害 その後のメールでストーカ規制法で対応)
初犯で起訴、結果執行猶予でもストーカー規制法で、逮捕歴有りで実刑?でも大差ないからなのか?
NGTをやめるとの決断は尊重したい。ただ心配なのは、活動について今後AKSの圧力とかがなければ良いなと思う。
秋元氏と話が付き今後の活動が、不利にならないよう約束されていればいいけど。
民事裁判に証人として出ることもできるが、ある程度の円満というかファンが今後を期待しているだけに、これ以上の泥沼化は必要か?とも思ってしまう。
犯行Gからの慰謝料より、ファンからの温かい思いをたくさん受けてほしいと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190426211521
同人誌とはいえ有料で商品を売っておいて、誤字脱字を指摘されると「親しくもないのにお節介」とは凄まじい。農家が傷物の野菜を売っておいて、客に指摘されたら「親しくもないのにお節介」と開き直るようなもの。「うちが八百屋をやっているのは、あくまで趣味なんです」ってか? 「親しくもない人」に商品を売ることを選択したのは増田なのだから、いいことであれ悪いことであれ、その選択の結果に責任を持つのは当り前だ。「趣味」を言い訳にすんな。
はい、また来ました。「趣味」の特権化。だったら完全無料でやれよ。有料ならそれは商品なんだよ。一定額以上儲けたら課税対象にもなるんだよ。
何、その謎ルール。変な俺様ルールを作って勝手に一般化してんじゃねえよ。頭大丈夫か?
おまえ本当に紙の本読んだことある? 正誤表って見たことないか。
だから製品として販売してるっつーの。他人に批評されたくなければ誰にも見せず、大事にしまっとけ。永遠に。
だったら報告が来ないように自分で誤字脱字をなくせばいいんじゃね?
努力しているのに延々と間違いを繰り返す人は既に病んでるね。
余暇活動だと瑕疵の指摘を受けない聖域になるのかね。ならないよ。公共空間で文字以外に何を読んでもらいたいのやら。お前の脳内だけの俺様ルールか? 「実費頒布」と自称していれば大儲けしても税務署は見逃してくれると思ってるの?
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きりがないからこれぐらいにしておくが、趣味で書いたものをただ人に読んでもらいたいだけなら紙の本にする必要はなく、どこかのウェブサイトに投稿しておけばいいだけの話だ。コメント欄を閉じ、メールアドレスを非公開にしておけば誤字脱字の指摘は一切来ないよ。もっともその場合「私が貰って嬉しいと思うタイプの感想」も貰えなくなるけど。知り合いだけに読ませてヨイショだけしてもらいたいなら会員制のメーリングリストで配信する方法もある。そうしなかったのは何故か?
2 図書館員に過失はなく、問題の原因はクレーマーにあるので私は図書館員の味方であるということを明確に意思表示してください。(既にされているようですね)
3 上記1と2が書き込まれた画面を図書館の職員の方に見せて「これはあなたのことです」と説明してください。これはあなたでもあなた以外のどなたでもかまいません。
4 クレーマーを目撃した方は、上記1と2が書き込まれた画面をクレーマーに見せて「ここに書かれたクレーマーとはあなたのことです」と説明してください。
(追記)
これは本当にちゃんとご理解頂きたいのですが、私を含む大多数の読者は、あなたを全面的に支持しています!
3と4は他の協力者でもできますが、1は元増田のあなたしかできません。
これ以上被害者を出さないためにも、是非勇気を持って実名告発をお願いします!
(追記2)
http://b.hatena.ne.jp/entry/4668535131682274402/comment/camellow
ツイッターのフォロワーに熱狂的な48グループのファンがいて、
その人を介して、新曲出るんだな、今こういう子を推してるんだな、と知ってきた。
彼女の順位が上がれば、仲良くしているフォロワーも喜ぶだろうという気持ちだった。
わたしは自分で、事件について色々調べている人のアカウントをフォローした。
その中に、
「運営が、犯人を不起訴にしただけでなく支配人まで隠したのは、総選挙に関しての後ろ暗いところを隠したいから」
という説があって、総選挙に関してなにか知られては困ることがあるなら、あの不自然な対応も、ありえるとは思うんだけど。
話がしたかっただけなら顔を掴む必要ないし、仮にレイプ目的だったなら、なんで運営が犯人を隠すの?全面的に訴えて勝たなきゃいけないでしょそれ。
総選挙の黒い話が本当だとしても、大量に投票していた客が性犯罪で捕まられると運営が困るの?なぜ?
メンバーが関わっていた説もあるけど、「メンバーがメンバーを襲うようにけしかける」と「総選挙の不正を隠匿したい」がいまいち繋がらないの。
メンバーが犯人と繋がってたから、繋がってないひとが襲われる?えっなぜ?
繋がったメンバーが上位になる、繋がらなかったメンバーはランクインできない、それだけでしょ?
「総選挙の不正に関わっていた犯人と繋がっているメンバーがいて、帰り道で襲うようけしかけた」
なぜ?
襲わせてどうしたかったの?心に傷を負わせて辞めさせたかったとか?
だとしたら運営は、めちゃくちゃ、繋がってたメンバーを怒らなきゃいけなくない?
総選挙の不正が世の中にバレてしまうかもしれない、重大な、めちゃくちゃ余計なことしたんだよ、なぜ不問?
あとは週刊文春が犯人と繋がってて、スキャンダルを捏造しようとして失敗した説もあって、
それもまた運営が「おいおいおい余計なことしてくれんなよ」ってなると思うんだけど。
犯人に、訴えたら全部喋るとかそういう風に言われてるのだろうか…
やっぱどう考えても、「繋がることを拒否していたメンバーに危害を加えた」理由がわからない。
どうしても繋がりたかった、けど拒否された、それが許せなかった?だとしたら悪いのは、犯人だけでは?
犯人に、総選挙の不正をバラすと脅されてるの?だとしたら、今もうけっこうバレちゃってるけど…
この件についてなんにも言わないから。
心のなかでは色んなことを思っているのだろうけども。
俺はもちろん専門家じゃないし当事者でもないので、読んだ幾冊かの本や番組からの判断となるが、
昭和天皇や東条英機が当初は開戦反対派(というより、開戦を望む主戦派を押さえるために東条が登用された)というのは、誰が良識的で誰が空気に流されてしまったのかという点について示唆的だと思っている。
当時の背景として原油が採れない日本が、中国大陸をめぐる権益で米国と対立していたにもかかわらず、戦力の源である原油の輸入を米国に頼らざるを得ないという、外交的にやってられないほど厳しい環境下にあり、
もう一方の背景として、米国と和平を続けるには中国大陸から(全面的ではないにせよ)大きく手を引く以外の選択肢がなかったにも関わらず、
中国大陸の陸軍は戦友の血であがなった中国から黙って手を引くなど到底受け入れられず、統帥権干犯を楯にして政府からは撤退命令を出せない状態だったと認識している。
で、陸軍が言う事を聞かなきゃ米国と和解できないんだから「陸軍大将であり開戦反対派」である東条英機を首相に任命した所までは筋が通ってるのだが、
その先がなんだか不透明で俺にははっきり分からなくなっている。
・陸軍は西でしか戦ってないので、東の米国なんて海軍がなんとかすりゃいいだろとしか思ってなかった。
これは分かる。
・海軍は米国がやべえ相手と認識していたが、山本五十六ですら「勝てない」とは言わなかった。
これは本気で勝機はあると思ってたのか、単に立場上「勝てない」と言えなかったのかは分からない。
ただ、昭和天皇も東条英機も「米国と戦いたくない」とは思っていても、「米国と戦ったら絶対負ける」とまでは考えていなかったであろうと思っている。
だって、陸軍が統帥権を理由に政府にたてついてるなら、統帥権を持ってる天皇に逆らえるわけないから、天皇が引けといったら引かざるを得なかったはずだからな。
実際、終戦時だって最終的に天皇がやめろと言ったからやめたんだし。
そう考えると、昭和天皇は「米国と戦えば敗滅必至」とまでは考えていなくて、あくまで「東条が上手い事、波風立てずに陸軍を纏めてくれる事」位しか期待してなかったのだろう。
その状態で米国から原油輸出打ち切りを告げられ、昭和天皇も東条も「陸軍にあくまで中国から手を引かせて米国の要求に屈するか、勝つ可能性に賭けて米国と戦うか」の二択となり、後者を選んだ、というのが俺の認識。
東条と同じ状況なら俺でもそうすると思うよ。
そこで屈して原油の禁輸を回避したとしても、その先の将来像が全く描けないからな。
そんなわけで、ここに至るまで、大衆の「た」の字も出てきてないんで、
正直、当時の大衆が開戦賛成だろうと反対だろうと結果は変わらなかったんじゃないかと思う。
仮に大衆になんらかの決定権があったとしても、それが「隠忍自重して開戦を回避する」という判断を下したとは想像しにくいし。
そういう情勢だった事を考えると、よく言われる「軍部の暴走」というのは、当たらずとも遠からずであるとは言える。
陸軍は統帥権を楯にして政府の外交の足を引っ張ったわけだし、海軍は正しい戦力分析を政府に渡せなかったわけだからな。(俺としては、負けるものを負けると言えなかった海軍の責任は陸軍より大きい気がしている)
米国との開戦が避けられれば後はどうでも良かったかと言えばそんな事はないと思うが、少なくとも「なぜ天皇も総理も開戦反対派だったのに最終的に開戦に賛成したか」と言えば、この陸軍と海軍の間違いが主要因の一つだったと言える。
統帥権とか無くなって総理大臣が自衛隊最高司令官になったから、陸軍が外交の足を引っ張る事は一切できなくなったのは大きい。
(※だから、ちょっと前に首相が自衛隊の最高指揮官だと言った事に対して妙なバッシングが加えられた事について、俺はバッシングした人たちこそ正気を疑いたい。
首相が最高指揮官である事は、自力で勝ち取ったとは言い難いにせよ、第二次大戦で流れた数万トンの血で贖った成果の一つと考えているので)
ただ、もう半分は戦後も直せていないんじゃないかと思っている。
もう半分というのは、『陸軍と海軍がそれぞれの組織内の空気を読んでしまい、「上の言う事も聞かねーし、上に正しい状況分析も提供できねえ」って状態だった』事で、これが何よりヤバかったと思ってるんだが、
なんか最近、記録隠しとかさ。
それヤバくない? って思うんだけどね・・・。
日米開戦時と同じ轍を踏まないようにするには、
・国民は国家が重大な二択を迫られた時に最終的な決断を行う。(結果の良否はともかく、brexitの投票みたいなやつね。戦前なら天皇がこの役割だが、今は主権在民だし)
子を持つと否応なしに人間の動物としての本能を認識させられます
例えば私が経験したことから抜粋すると公園で息子を遊ばせていたら散歩中の大型犬が無邪気に走り寄ってきて、逆毛立つような感覚に全身が覆われ、息子と大型犬の間に入り大型犬を静止しました
左手の手のひらを大型犬に向け、右手は無意識に強く拳を握りしめ、大型犬が更に近付くようであれば私はその拳を全力で振り下ろしていたでしょう
まともな喧嘩の1つもしたことない私の身体が意識せずとも戦闘態勢に入ったことへ対し、大型犬が静止したことでハッと我に返った際に驚愕しました
大型犬を殴ろうという意志はなく、殺そうとする意志もありませんでした。意識にあるのは目の前の危険な存在を排除するという一心でした
冷静な方々は気付いていることでしょう。結果として私が理性を失って大型犬を殺そうとしていたことを。私は私の本能がそれを実行しようとしていたことを全面的に認めます
私は男ですから妻の妊娠がわかり、そして息子が産まれて少し経っても私の中にはそこまで親としての本能は芽生えていなかったと思います
妻の妊娠がわかり、そして息子が産まれて少し経っても私の中には理性が訴える「常識的に考えて夫は出産したばかりの妻と新生児たる子をしっかりと支えるものだ」ということしかなかったと思います
その当時の小さな変化と言えば街を歩く小さな子供を見かけては「息子もあのように育つのだろうか?」「新生児抱えて電車とは大変そうだな」と頻繁に考えるようになったくらいです。子供へ視線が向くようになりましたね
私が動物的な父親であると自覚したのは今回お話させて頂いた大型犬を切っ掛けとしてです。自身の本能を自覚しました
おそらく女性の場合は妊娠期間があるのでもっと早期に動物的な母親であると本能を自覚するのではないか?と考えてます
そういう切っ掛けがないと父親としての本能的な自覚が持てないのか?という疑問を持つかもしれませんが、それも何か違うような気はします
そうでなければ自分の身よりも咄嗟に息子を優先する行動は取れないのではないか?と思うのです
「普通は弱者を守るだろう」という理性的な判断なく無意識に身体が動くことを説明するには、私がそれ以前から動物的な父親だったと考える他ないのではないでしょうか
はっきりとしない態度ではありますが、私はいつの間にか息子と過ごしているうちに理性でも本能でも父親になっていたわけです
スタジオアリスで撮影された子供の写真は可愛いのか?と問われたとき返される言葉は肯定です
皆さんが疑念を抱くのも仕方がない。何故なら皆さんは理性的で冷静だからです
親としての本能に踊らされ過ぎるのも難ではありますが、この程度のことであれば苦笑しつつ暖かい目で見守って頂けると大変ありがたいと感じます
※タイトルから察せる通り、以下はMCU作品群(特にエンドゲーム)の重大なネタバレを含むので、自己責任で読んでくれ。
まず始めに言っておくと、この記事は通りすがりの他人のクソデカ感情を吐き出すために書いたお気持ちブログであることを承知の上で読んでほしい。
暇でもなんでもいい、別に誰一人として読まれなくてもぜんぜん構わないけど、自分一人で抱えるには大きすぎる感情のジェットコースターを体験した私が気持ちを整理するためのもので、読み終わった後に胸くそ悪くなったとか、そんなどうでも良いことで喚くなとかいう苦情は受け付けてない。
私が私のために書く私の気持ちを整理するお気持ちブログだ。ここまでで、なんだコイツと思ったヤツは悪いが帰ってほしい。
まず始めに言うと、このたび2019/04/26(日本公開)の「アベンジャーズ エンドゲーム」は最高の映画だった。
私は前作「インフィニティー・ウォー」を劇場で見てから「エンドゲーム」が公開されるこの日を、ずっと待ち遠しにしてきた。と同時に、死刑宣告を言い渡される日だと思ってきた。
そこについての詳しい話しは後ほどとして、弊推しはキャプテン・アメリカだ。ここからは8割かれの話しになるので、それを念頭に置いて読んでほしい。
上映が始まり、私はすぐにこう思った。
最高だ。
キャプテン・アメリカのカットはかなり多い方だと言って良いし、何よりその美しい顔面が際立つシーンが多くて終始動悸が止まらなかった。
登場初っぱなの髭を剃り終わったシーンなんかは大変興奮した。鏡越しに送られる目線にゾクゾクした。青い瞳が堪らなく美しかった。
過去に跳んだ先で、「アメリカの尻」と揶揄され腰からのヒップラインがドアップになって私が失神しそうになったり、宿敵のフリをするために「Heil HYDRA」と言って見せたり(!)、タイミング悪く過去の自分VS.現在の自分の凄まじい戦闘を繰り広げたり。
最終決戦なんかムジョルニアを使って(持てたの!知ってた!!でも公式でやると思ってなかった!!)、盾とのコラボ技を披露して無双するシーンなんかもあって、私は終始死にそうだった。
公式で見られないだろうから、二次創作に期待していたアレやソレがすべて公式で起こった。
何を言っているかわからないだろうが私にも未だによくわからない。公式が最大手だった。
上映中、頭に過ぎるのは命日の二文字だけで、あまりの怒濤の展開に呆然とスクリーンを見守るしかなかった。
こんなにも美しくもたくましい推しの姿をこんな大画面で見てしまって良いんだろうか。私は明日死ぬんじゃないだろうか。
決戦が終わったとき、私は本当にそう思ってたし、うぉーがしびってあれこれの解消し切れてない部分も、これなら許せそうだと思った。
あまりにも美しい終わりに涙すら出そうになった。
そう思ったこの瞬間の私をぶん殴ってやりたい。
私の地獄は、このおおよそ2時間半が終わり、あとはちょっとしたエピローグと、長い長いエンドロールだけだろうというタイミングで始まった。
彼は“キャプテン・アメリカ”の仕事として最後の後始末を受け持った。それはインフィニティー・ストーンを過去へ戻す仕事だ。
なるほど、それは重要だな。
このときまだ、呑気にも私はそう思っていた。今すぐそこで見るのを辞めろ。
しかし、装置を作動させても彼は戻ってこない。訝しんで、彼を見つけて。
彼は年老いて戻ってきていた。近くのベンチに座って。だから帰還に気付かなかった。
「もう自分の人生を歩んでも良いんじゃないかと思った」彼がそういった。
目の前が真っ暗になった。
自分の人生を歩むこと自体が悪いことではない。それは私が何処かで迎える彼のハッピーエンドだと思っていたから。
しかし、そうじゃない。そうじゃないんだ。
“自分の人生を歩む”と言っていいのは、戻ってきて、この先の未来を生きての話しではないのか?
なんで?
どうして?
彼が過去をやり直して戻ったと言うことは、“キャプテン・アメリカ”として行った任務を、石を返した時点で完遂したと自己判断し放棄して、過去を改竄して戻ってきたということだ。
MCUが何処までマルチバースを採用していて、タイムトラベルによる世界の分岐やパラレルワールドを取り扱っているのかはわからない。
あの正規の世界線の歴史が変わったわけではないのかも知れない。
それでも、だ。
吐き気すらも覚えた。
散々、タイムトラベルで過去を変えるコトは禁忌であるという下地を本作で作った上での、コレ。
キャプテン・アメリカというキャラクターを馬鹿にされているのかと思った。
頑固で考え方が古いかも知れないが、高潔なる精神の持ち主ではなかったのか。
自分が幸せになるために歴史を書き換えるような、そんな軽率な人間であったのか?
彼の信念は何処に行ってしまったんだろう? 呆然としてしまった。
私の知識はまだまだ浅い方だ。アメコミという沼はあまりに深すぎて年浅い私にはまだまだ知らないことの方が多いだろう。
それでも、複数の媒体から感じ取った「キャプテン・アメリカ」の信念と、今回の彼の行動はあまりにかけ離れていたと思う。
彼は、犠牲を尊んで、彼らのためにも前を向いて歩くタイプの人間ではなかったのか?
今までのMCUでの彼の扱いは、キャラ解釈の違いで殺されるかと思ったシーンが幾度もあった。(それもすべてエンドゲームの監督の作品だ)
それもコレも今日で終わりだと思った。そのはずだった。「シビル・ウォー」からずっと抱えてきたモヤモヤが解放されると思っていた。
まさか最後の最後で私が彼を好きになった信念そのものをたたき折られるとは思ってなかった。
この事実を認識した途端に、私は堪らなくトニー・スタークに嫉妬した。
怒りを感じたと言っても良い。但しこちらは、制作陣に対して、だが。
確かにトニーの最後は、ハッピーエンドではなかったかもしれない。
それでも、彼は誰にも害のない形で己の幸せを享受した上で、自己の“ヒーローである信念”を貫き通して死んだのだ。
誰にも疑いようのない唯一無二の英雄となったのだ。
それに比べて、彼は、スティーブは?
制作陣の都合で言いように改変を繰り返されて、彼のズタズタになった信念を、きっとこの最後で修復してくれるんだと思った。
そうじゃなかった。作品を丸く収めるために良いように使われただけだった。何一つ変わらないどころか、より最悪の形で悪化した。
彼だけではない、ソーだって、前三作で作られてきた彼をすべて壊して何事もなかったように進んだ。
スティーブよりは違和感は少なかったかも知れないが、何故このタイミングで、と言う気持ちが拭えなかった。
ツイッターでは英雄が一般人となって自己の幸せを歩んだ作品だとか、脱マッチョイズムだとか言われてたけど。
だからなんだ?
それって既存のキャラクターの基盤をぶち壊しにしてまで展開してイイモノなのか? しなければいけないものなのか?
仮にやるとしてもこの集大成とも言える全員揃う映画でやるべきコトではないんじゃないだろうか。
本当に、今も怒りで視界が赤くなる。
この映画は巨大なトニー・スターク賛美のための墓場となったのだ。
トニー・スタークを恨むモノは誰もいない。
これほどまでにキャラクターを理解され、制作陣に愛されていた。
本当に本当に妬みで爆発しそうなほどだった。
それなのにトニー派の連中はスティーブを薄情者だといって責める。
スティーブの劇中での言動は推しの私でもフォロー仕切れないところがある(だからといって全面的にトニーを擁護も全く出来ないが)。
だからそれ自体は、特に訂正しようとか思わない。どんな思惑に巻き込まれて信念がたたき折られたとしても、それは“現実”(そと)のはなしであって、“MCUの世界”(なか)には関係ないはなしだから。
それはまるっと彼の罪なのだ。
それでも。
心底羨ましいよ。
脳の神経がすり切れそうなほど羨ましい。
なんで、彼ら彼女らはこんなにも恵まれていて、私はこんなにも苦しんでいるんだろう。
私は作中に責めることの出来る人間などいない。あえて言うならキャプテン・アメリカ本人だが、自分の推しを悪意的に見るほど苦痛なことなどない。
悪人が悪人である所以を好きになったというなら、また話しは違うだろうが、生憎私が好きになったのはヒーローの彼なのだ。
多少の欠点の他に、悪意的に捉えられるところなど、少ないはずなんだ、本来なら。
「エンドゲーム」を見てから、一晩経った今でもずっと脳内をこの言葉が占めている。
私に過去に戻る力があるなら今からでも「ウィンター・ソルジャー」の撮影まで戻ってあの監督を始末してしまいたい。
彼の、キャプテン・アメリカのこのエンディングは、「エンドゲーム」で一区切り(実際は次作スパイダーマンで区切りだが)着くMCUという作品群を丸く収め、また次のフェーズ4に繋げるためには必要で、全体的に見れば“正解”であり、納得のいくモノだったのかも知れない。他人様の感想を読んでいて、そういう気持ちに全く為らないという訳ではない。
でも、理解が出来たからといって、納得が出来るからといって、許容できる訳ではないのだ。
だって彼は、すべての人を置き去りにして、己の幸せに走ったあの男は、もはやヒーローではないのだから。
それは、私の好きになった彼ではないのだ。
信念を貫くことを辞めた人間は、大体にしてこう言われる。
「昔とは別人だ」
MCUの世界では彼にそうなる資格があると思っている人間が多かった。だからこそ中の世界では受け入れられたんだろうが、確かに人は変わってしまっているのだ。
別人なのだ。
私はそれが受け入れられない。
ヒーローを辞めた彼には、もうムジョルニアを持つ資格はないだろう。
だからこその二代目、なのかもしれないが。
今一度言うが、私の推しはキャプテン・アメリカだ。
そもそものMARVEL作品を見始めた切っ掛けとして、彼の単独シリーズの第一作「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト アベンジャー」を見て、彼に一目惚れしたからだ。
そんな私の推しの彼を演じるクリス・エバンスは「エンドゲーム」を最後にMCUから卒業すると宣言していた。冒頭でこの日が死刑宣告の日だと言ったのは、そういう理由だ。
もう二度と推しを見ることは出来ないのだから、私は死ぬんだと思っていた。
だけど、違った。死んだのは私ではなかった。
死んだのはキャプテン・アメリカの信念だ。
巨大なトニー・スタークの墓場の奥深く下に虐げられ、無残にもうち捨てられた彼の正義が崩れ去った日となってしまったのだ。
キャプテン・アメリカの信念はすでに散々あのクソ監督兄弟に改変されまくって、ボロボロで、もう雀の涙ほどだったけど。
それでもわたしはかれらしいさいごをのぞんでいた。
一生消えないだろう傷を負った。
それなのに周りには「エンドゲーム」を賞賛する声しか聞こえてこない。
私にとっては、それこそが何よりの“彼が死んだ証明”だった。
私の推しの新作がもう来ることはない。
この先、カメオで出演するとしても、マルチバースの信念の折れてない彼でもない限りはそれは彼ではない。
この記事を投稿することによって私はキャプテン・アメリカの、スティーブ・ロジャースの死した信念への手向けとする。
どーも、田中です。10年ほど勤務した会社を会社都合で解雇された。解雇されたことについては会社自体に恨みはない。むしろありがとうとお礼を言いたい。実際、社長には「感謝しています。」とお礼を言ったくらいだ。感謝の理由は伝えてないけど。社長が、軽く微笑んだのを覚えてる。バカめ。お前は、地獄に落ちろ。いや、落ちるはずだ。楽しみ。
社内でとんでもなく嫌いになっていた同僚から離れるチャンスを棚ぼた方式でゲットできたのだった。嫌いになった同僚のプロフィールをさっくりと。歳は10上のバツイチ。子供は二人。奴が入社してきて数年後トラブルを起こす。内容はよくある話で、社内恋愛を内密にしていて、それをある日ぽろっと表したら次の日から口を聞いてもらえなくなったのだ。彼女は彼に好意を寄せていたのかもしれない。相手にはその時の心境を根掘り葉掘り聞き直していないから、私だけが全面的に悪い事になっていると思う。多分、他の同僚にもそう言いふらしている。私も若かったし、相手に花を持たすつもりで三年後なんとなく仲直りした。彼氏とは別れていた。
その頃彼女は同窓会で再会した同学年の男性とデートした翌朝は私を呼び出してお茶をするのが恒例となっていた。彼氏の話をこちらから特に聞くことはしなかった。まるで興味がなかったからである。彼女も彼氏のことを二言三言喋る程度で、あとは会社の悪口くらい。数月後、お別れしたと落ち込んでいた。多分不倫だと思う。パートナーにバレそうになって相手に切られた感があった。それを聞くつもりはなかった。落ち込んでいる人を傷つけられるほど私も悪人じゃない。そっとしておいた。
共通の趣味もあり、何度か遊びに誘われた。せっかく誘ってくれているし、年上の方だから立てないといけないなと、付き合ってはいた。年を追うごとに誘いは増えた。子供が成人し、手がかからなくなったからだ。職場も同じで、部屋も同じで、スマホでフェイスブックをいじってる以外は他の同僚とおしゃべりばかりしている彼女にだんだんと苛立ちと嫌悪感を覚えるようになった。一緒に遊びに行っても楽しさ反面とても疲れる事に気がついた。歳上ということもあり、10代に接する様な物の言い方の時もあった。田中もアラフォーなので、まともな金銭感覚で一通りの躾も入っており、一般常識はもっているつもりだったので軽く驚いた。他の上司・同僚の悪口の内容が凄まじいのだ。なんだったら数年前のことを持ち出しては愚痴を吐きまくる。その場にいない上司や同僚が気の毒なくらい。その人のことそんな風に見ていたのかと、引くぐらい。「自分はいいけど、他人はダメ」自分が旅行に行ったり、ブランド物買ったり、するのはいい。でも、上司や同僚はダメ。とんでも理論で周りを見下す発言ばかり。今思えば、劣等感と嫉妬心の塊をむき出しで愚痴っていたんだと思う。気持ちいいからね。
愚痴を聞かされる次くらいに嫌だったのは飲み屋に行って、頼んだ料理を「みんなが食べれるでしょ」と得意げに一口大に切ること。手作りのつくねなんかほろほろですから、四当分にした日にゃ粉々ですわよ。また誰かの悪口散々言いながら飲み食いした後で言う定番のセリフ「美味しいもの食べると嫌なこと忘れちゃうよねー」出来れば悪口聞かないで食べたかった。
休憩時間に漫画を読んでいたら「また漫画買いやがって」と嫌味を言われるのは軽いジョブ程度。気がつけば必要のないところで怒鳴られたり、ストレートにバカやアホと言われる様になっていた。旅行に行っただけで、「なぜ行った!」と怒鳴られたり、昼に頼む弁当の種類に少し迷っただけでも怒鳴られた。こちらとしては仕事も手伝って貰わないといけない立場だし、何かとお世話になっている。ましてや10年上の人に歯向かえなかった。なんとかヘラヘラしてやり過ごすしかなかった。真面目で小心者の私は二年近く悩み苦しんだ。毎日残業で疲れた、しんどい、苦しい、今後の遊びは断るしかない。しかし、観劇の誘いも、飲みの誘いも、旅行の誘いも断っても、断ってもへこたれずに誘い続けてくる。メンタルが無駄に強すぎる。さすがバツイチ。なんでこんなに引っかき回されているんだろう?「(田中の)バカ!」と暴言を吐かれたら、自分も「バカ!」と怒鳴り返せばよかったのだろうか?
その他、私用の頼みごとを勤務中にさせられそうになったり。(ちゃんと断って家でやった。)休日に一緒に出かける予定を入れていても身内の用事が急に入った時は、「水道管の修理を待ってる」等とテキトーな理由をつけて断られたりしたのに腹が立った。当たり前の話だけれども、親として身内を優先するのだ。寂しい時だけしつこく呼び出して、散々振り回しておいて、超自己中じゃん!やっと、目が覚めた。
ついに離れられる決定打起きた。またもや下らないことで怒鳴られた上に解雇通知が同時に重なった。これはダイナミックダイナマイトチャンス。何も言わずにそっと離れて私のことを忘れてもらってフェイドアウトしよう。このまま、50・60歳付き合って行って、偉そうな態度取られるのは我慢できない。ましてや私は彼女の部下じゃない。悪者になりたくない一心で残りの1ヶ月は何も匂わせず、通常通り勤め上げた。ところがどっこい、辞めた後でも連絡が来るのだ。無視した。それでも飲みに行こうと連絡が来るので根負けして行った。案の定、料理は粉々にされ「美味しいもの食べると嫌なこと忘れちゃうよねー」の定番のセリフ。殺すぞ。
他の同僚とは連絡を取っている。他の同僚に彼女とは離れたいと詳細を伝えたらとても驚いていた。「そんな風に田中ちゃんが思っているとは見えなかった」しかし、同僚から伺う彼女の発言には驚いた「田中は解雇されたことがショックで、私からの連絡に応じれない」お前さんのことが嫌いになったから無視している。偶然写っていた肉料理を取り分けられている写真見るだけでもムカつくから、あなたが写ってる写真は全部消した。「今も会社から戻って来いと言われるのを待ってるはず」な訳ねーよ。時間が立てばいつか会うことができるかなんて軽く考えている自分もいたけど、フォローしていたSNSはブロックした。もう、無理。嫌いすぎて、辛い。
会社を辞めてから、一人で部屋にいるからなのか、思い出しては怒り、思い出しては怒り、もやもやが消えない。いいこともあった。楽しい時もあった。優しい時もあった。どうしてなんだろう?頭に湧いてくるワードでひたすら検索してブログや記事を読み漁った。たどり着いた言葉はモラハラだった。地味にモラハラを受けていたのだ、どうりで傷ついている訳だ。相手はモラハラしている感覚がないから、急に連絡が付かなくなったことにオロオロしだしているらしい。理由を想像しているだろうか?まさか、そんなことぐらいで嫌われているなんて思いもしないだろう。日々の積み重ねで嫌悪感と憎悪をたぎらせてくれるには十分すぎる仕打ちでした。全国の部下を持つ上司の皆さん、部下への言動には気をつけましょうね。パワハラは思った以上に相手を傷つけていますからね。今回は同僚からなので、モラハラになるんですけど。一生、会いたくない人リストに追加致しました。さようなら。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190419/k10011889531000.html
喫煙者でいるだけで、間接的に非喫煙者にリスクやコストを負わせてる。
受動喫煙で生じる健康リスクとか、喫煙設備のために法人が負担するコストだけじゃない。
そこには社会保障費が割かれる。
喫煙は「個人の自由」と言うなら、その結果生じることは全て「個人の責任」のはず。
でも、そうなってない。
「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担」って言う人がいたけど。
喫煙者でいることこそ、そうなるよ?
2020にはいわゆる受動喫煙対策法により、対象となる個人には罰則が適用される。
「法律で禁止されていない」ものが、「法律で禁止されていなくはない」ものになる。
これまで吸う権利があり、その結果罹ったニコチン中毒は意思だけでコントロールできないものだ。
でも社会は変わっていく。性的少数者の配偶者関係。親子間のセックス。個人の嗜好?
認められるものがあり、認められなくなるものがある。それはチンポではない。進歩だ。
セクハラもアウトだ。
たとえばハワイ州議会では、段階的にたばこ購入年齢を100歳に引き上げる法案を審議しているとのこと。https://www.cnn.co.jp/usa/35132262.html
本人が健康被害を受けるものであってさえ、社会はいきなりポリコレ棍棒で殴ってはない。
今この社会で喫煙者でいるようなアホは大学の教職員として不適だから採用したくないんだろう。
でも一般企業で既に基準とされることが許される状況で、ほとんど十分合理的な理由が出揃いながら、たとえば公立だからという理由でダメと言うなら、一度自分で自分のことをポリコレ棍棒で殴ってみてはどうか。それで痛くも痒くもないなら、まあ・・・石頭なのかなと。