子を持つと否応なしに人間の動物としての本能を認識させられます
例えば私が経験したことから抜粋すると公園で息子を遊ばせていたら散歩中の大型犬が無邪気に走り寄ってきて、逆毛立つような感覚に全身が覆われ、息子と大型犬の間に入り大型犬を静止しました
左手の手のひらを大型犬に向け、右手は無意識に強く拳を握りしめ、大型犬が更に近付くようであれば私はその拳を全力で振り下ろしていたでしょう
まともな喧嘩の1つもしたことない私の身体が意識せずとも戦闘態勢に入ったことへ対し、大型犬が静止したことでハッと我に返った際に驚愕しました
大型犬を殴ろうという意志はなく、殺そうとする意志もありませんでした。意識にあるのは目の前の危険な存在を排除するという一心でした
冷静な方々は気付いていることでしょう。結果として私が理性を失って大型犬を殺そうとしていたことを。私は私の本能がそれを実行しようとしていたことを全面的に認めます
私は男ですから妻の妊娠がわかり、そして息子が産まれて少し経っても私の中にはそこまで親としての本能は芽生えていなかったと思います
妻の妊娠がわかり、そして息子が産まれて少し経っても私の中には理性が訴える「常識的に考えて夫は出産したばかりの妻と新生児たる子をしっかりと支えるものだ」ということしかなかったと思います
その当時の小さな変化と言えば街を歩く小さな子供を見かけては「息子もあのように育つのだろうか?」「新生児抱えて電車とは大変そうだな」と頻繁に考えるようになったくらいです。子供へ視線が向くようになりましたね
私が動物的な父親であると自覚したのは今回お話させて頂いた大型犬を切っ掛けとしてです。自身の本能を自覚しました
おそらく女性の場合は妊娠期間があるのでもっと早期に動物的な母親であると本能を自覚するのではないか?と考えてます
そういう切っ掛けがないと父親としての本能的な自覚が持てないのか?という疑問を持つかもしれませんが、それも何か違うような気はします
そうでなければ自分の身よりも咄嗟に息子を優先する行動は取れないのではないか?と思うのです
「普通は弱者を守るだろう」という理性的な判断なく無意識に身体が動くことを説明するには、私がそれ以前から動物的な父親だったと考える他ないのではないでしょうか
はっきりとしない態度ではありますが、私はいつの間にか息子と過ごしているうちに理性でも本能でも父親になっていたわけです
スタジオアリスで撮影された子供の写真は可愛いのか?と問われたとき返される言葉は肯定です
皆さんが疑念を抱くのも仕方がない。何故なら皆さんは理性的で冷静だからです
親としての本能に踊らされ過ぎるのも難ではありますが、この程度のことであれば苦笑しつつ暖かい目で見守って頂けると大変ありがたいと感じます