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はてなキーワード: あのころとは

2022-08-17

同人日記

寂しさ(承認欲求)と創作全然関係ないという話

 

好きな作品にハマる

→一万分の一票でしかなくて寂しい

→金を出す(二次創作フィギュア

→金が出せなくなった途端に寂しい

自分自分を満足させるためもあって創作を始めツイッターになげる

→下手でみてもらえなくて寂しい(※現状のツイッターについて https://twitter.com/TomaMusicAct/status/1559491393457778688 参照。要は「つながれなくなってる」。あとテラ流入ピクシブおかしなことになっている。作品投稿節度ある態度でするにはオンラインイベントが有利です)

個性大事!といって自分の狭い性癖にこだわり始める

特殊性癖もち同士でつながれた場合Aへ つながれなかった場合Bへ

 

A→手探り→通話で盛り上がれるように→イベントオフ会←このへんまでは寂しくない

性癖が一段落するとあまり盛り上がらなくなってしまう(新鮮な驚き、尊重気持ちがなくなる)→自分も知らないうちに代わるしまわりもかわってしま孤立

→新しい萌えをさがせたら冒頭へ

→探せなかったらBへ

 

B→いつまでたっても自分は一人だ→もうオリジナルやるしかない→もちこみ編集にもちこもう→プロになれたりなれなかったり→

いまは編集さんと戦略練ってることもあって読者さんから予想通りの反応はくるけど、いってはいけないことを言い合っていたあのころ(A)が一番楽しかったな→年を取って創作できなくなる→普通に死ぬ

2022-08-02

今週金曜

伊豆田舎帰省する。

地元の友人たち、主に中学校の仲間たちが集まるというので、せっかくだから帰って来いよと連絡きた。

40も半ばになると人生いろいろだ。当時仲良かった男女ざっくり8名位だが、男は私以外は未婚と離婚済、

女は全員もれなく離婚済。そんなもんかねえ。ああ、一人だけマツコみたいに巨大化した女がいたな。

あのころ周囲から人気だったあの子もすっかりBBAになっててバツイチ

去年飲んだ時に「こんな身近にアタリ(私のこと。主に社会的立場収入目当て)がいたのになあ」って

ぼやいてて怖かった。田舎悶々として過ごす人生か、都内IT土方疲弊して過ごす人生か、どっちが

いかなんて、誰もわからない。

2022-07-27

ももクロのれにちゃんってもう29歳なのか・・・

初めて知った時はまだ17とか18歳くらいだった気がする

え、まって・・・本当にそんな前なの・・・

USTREAM24時間配信とかやっててあーりんはまだ学生から夜8時くらいで帰宅してて・・・

ググったら24時間配信2013年2014年ことみたい

8年前か

17とか18歳くらいじゃなくその時はもうあーりん以外は20歳超えたてんだな、ちょっと勘違い

USTREAMちょっと前くらいに知ったから古くてもれにちゃんは19歳くらいか

あれ、でも東日本大震災後のライブ動画黙祷してたの見てたか2011年かそこらくらいから知ってたわけか

あのころ増田じゃなく双葉ちゃんねるに入り浸ってたな

毎日ずっといてた板はもうなくなってるけどネットでのやりとりがすごく楽しかった日々だ

ツッコミ用の画像とかたくさん集めてたw

なつかしいなあ

双葉てれび板復活しねえかな

2022-07-20

anond:20220719173639

ごめん1行目までで限界だったわ

まんさんの文章はなぜこうも読みにくいのか

2022-07-19

看護師になった妻が泣きながら帰ってくる

追記 07/20 21:09

これ書いたでしょってライン来て妻帰宅後にちょっと話した。

妻、今の職場に3日くらい前に退職希望と伝えていて手続きも進んでいるらしい。

今回は妻の希望職場地域(妻の地元近く)に合わせて転居して、

そのかわり私はフルリモートで働けるポジションに移動したりと色々あったから、

なんとなく言い出しづらかったようだ。

よかった、ほっっとした。

とりあえず学位がほしいということだから大学資料などいろいろ取り寄せの申込みした。

入学の条件は満たしてるしUoPeopleなんかいいと思うんだけどな。

妻が「いろんなことに興味があってどの学部に行くか迷う」と言うから

「なにも編入じゃなくて、高校生に混じって受験したっていいじゃない。お金にならない勉強でもなんでもいいよ」と言ったら、ニカッと笑った。

なんて二人でいろいろ想像しながら話してたら妻もにこにこしてきて、

久々に明るい将来?(大げさかな)を思い描けてる気がする。

皆さんお世話になりました。

-------------------------------------



思い出と愚痴を、吐き出させてくれ。

妻は私の勤めていた企業派遣として入ってきた。

最初若い男性社員たちは「かわいい若い子が入ってきた」という扱いをしいていた。

それがだんだんと「うちの部署にもあんな子がいれば」という扱いにかわる。

要するに、仕事のできるハケンさんだったわけだ。

雰囲気はぼーっとしている感じがするが書類だとか事務処理だとか気が付いたら終わっている。

ミスほとんどなく、小さなことでも気が利く(女性らしさというわけではない、業務上かゆいところに手が届く、そんな感じ)。

会社主催イベントで少し話した。興味があったのだ。正直、見た目も好きだった。

かなりレベルの高い資格(身バレするかもしれないので控えるが)やなんというか男性っぽい特殊資格も多数もっていた。

「本当は大学に行きたかったけど親が…」と残念そうに語っていた。

私のようなものがなんの障壁もなく適当予備校に行き漫然と大学へ進学したことをどう思うのだろう?と少し不安になった。

そこからアドレスを交換して、デートして…と進展していった。

付き合うことで違う一面もわかってきた。

やや常識マナーにかけるところがある、ややがさつかもしれない、プライベートでは以外とおおざっぱだ。

それも嫌いじゃなかった。何より、よく本を読み、多趣味で、自分より年下ではあるが”できるやつ”であるところが好きだった。

結婚した。そして彼女はいったん働くのをやめ家庭に入った。

強いたわけではない。ただなんとなく「どっちでもいいけど、働かなくてもやしなっていけるよ」と言ったら「そうしてみるか」と彼女が言った、それで、決まった。

子どもがなかなかできなかった。

彼女はまたハケンを始めたが私よりもかなり収入が低いことを悔しがっているようだった。

そして「看護学校に行く」と言い出した。賛成した。

看護師の妻がいる同僚や上司がよく言っていた「稼ぎがよすぎて・・・」となかば迷惑そうに。

それを思い出して「いいね」と内心にやりとした。

学費の安い看護学校に入った妻は頑張っていた。

今の時代どうかと思うが、手書き課題毎日大量にあり、私と夕食を食べた後寝ずにやっていた。

そのころから彼女はよく泣くようになった。驚いた。

会社で働いていた時は、こわもての現場系の社員に怒鳴られてもびくともしなかった、ぼーっとした雰囲気を崩さなかった、そんな彼女が、目を真っ赤にして帰ってくるのだから

実習でああいわれた、こういわれたと落ち込み悔しがり怒る彼女の語ることはにわかには信じがたかった。

いわく「論理的思考力がない」「社会人としてマナーがなってない」「声が小さい」「字が汚い」「やる気を感じない」「馬鹿なのか」「看護師の才能がない」

どれも私のもつ妻像とかけ離れていた、そしてなによりこんなことを言われたくらいで泣く彼女ではないはずだろう?

泣くのがおかしいとか泣くなとかそういったことではない。

会社ではこんなことでは眉1つ動かさなかったのに、なぜ?ただ疑問ばかりが浮かぶ

看護師現場というのはそれほど雰囲気おかし場所なのだろうか?

ウェブ上で「看護師あるある」を見て妻に聞いた「これ誇張だよね」「いや違う、これよりひどい」そう即答した。

実習に毎日行くこと、課題を全て終わらせること、それは大変であったようだ。

だが「看護師資格」を取るための国家試験は妻には簡単だったようで特別な準備はせず相当な正答率で軽々と受かっていた。

実際下位10%にならなければ必ず受かるテストらしい。

そして彼女就職した。とても評判の良い大きな病院だ。

すると、少なくとも2週間に1度は泣いて帰ってくるようになった。

他に泣く人がいるのかと妻に聞いた。

「いるよ。実習時代から、だいたい誰か泣いている」驚いた。

普通会社だとして、インターン絶対に誰か泣くとか30歳を過ぎた社会人が泣かされるとかそのようなことが普通なのだろうか?

それから私の転勤もあり妻は2度、病院をかわった。

しかし、たいてい月に1度は泣いて帰ってくる。そしてもはやその理由すら話さないようになった。

妻は「泣いた分がんばる」というが、どんどん体調も悪くなっているように見える。

やめてほしい。正直に言って、唯一の大切な人間、それも同居人が苦しんでいるのを間近で見るのはストレスだ。

これは私のわがままだが、看護師を辞めてほしい。

彼女を説得する力が自分にない。

でも、もう病院では働かないでほしい。あのころの”できるやつ”に戻ってほしい。

追記07/20 11:30

妻や派遣を見下してる?という問いについては

→見下してないです

どういう派遣イメージしてるかはわからないけど、

私と妻がいたのは外資系の人事評価かなり厳しいオフィス

できない派遣さんはわりとあっさり切られる職場

そして妻のやってた業務はかなり難しいもの

事務作業とぼかして書いたけど特定の専門知識資格が2つほど必要

たぶん正社員なる気があればいくらでもなれたし、

実際うちの会社では珍しく正社員登用の話もあった。

ただ当時妻は実家がごちゃついていて正社員フルタイムはきびしかたか派遣してたみたい。

いまはそれも整理(亡くなった)がついてるけど。

なぜ、その仕事を続けなかったかというと、

妻の学歴と持ってる資格にあまりにも落差があって、なかなかマッチする正社員募集がなかった。

それで大学へ行くか他の道に行ってみるかで、

もともと興味のあった看護学校を選んだということらしい。

ともかく私から見れば妻は“すごくできるやつ”だったよ。

そして理不尽ダメ出しされたりしても泣いたりする人ではなかった。

できるやつに戻ってほしいってのは、

あの頃の自信(落ち着いていて冷静な)のある

にこにこぼやーっとした元気な妻に戻ってほしい。

そんな気持ちで書いた。

普通にやめてみればと言ってもなかなかうんと言ってはくれないから、

ただやめろと言うんじゃなく、学費出すから大学にでも編入して勉強してみたいことをするよう勧めてみよう。

更に追記 07/20 14:30

不妊治療⇒私、妻ともに決定打とはいえないまでもマイナス要素があるので治療はしている。

私はもともと子供に興味がなく、妻はいてもいなくてもどちらでも…と言っていた。私はこれについても少し悩んでいる。

私は良くない夫なんじゃないかそうかもしれない

保健師⇒今の上司最初病院教育担当に、

あなたのような看護師もできない人が保健師をできるわけがない」と言われたらしく、それで乗り気ではないようだ。

なんというか妻は、自分の仕上げた”仕事”にはある程度自負というか自信のようなものがあるが、

自分自身”や自分意見とか考えには、自信がないようで、だから

あなた保健師はできない」と言われると「そうなのか」と思ってしまう、そんな嫌いがあるように思う。

相手であれば、妻は、立て板に水のごとくこの世の森羅万象について自らの考えや感想を述べ、

奇想天外空想や持論を話して聞かせてくれるのだが(会社ではとても静かだったのでおどろいた)、

それ以外となると、かなり静かに仕事必要なことだけ」話すタイプなんである

まあだからこそ、なぜ職場で何らかの標的になるのかわからない。

上司に口答えしたり、自分の正しさを声高に主張したりするタイプではないのに・・・

他の職場にすれば?⇒

妻もずっと大病院(2年くらい)にいたわけじゃなく、それから自分に合う職場模索して、

ゆったりとした療養タイプ病院や小さな施設的なところで働いたりもしてる。

短期バイトで健診センター老人ホーム夜勤体験したりもしている。

ちなみに最初病院ではナースシューズに水をかけられたり、皆の前で大声で晒上げられたりと、

いじめなんじゃないかということもされたらしい(これは最近になってはじめて教えてくれた)。

妻が看護師として働いている現場をこの目で見たことはないけれど、

最初病院や次の病院でも師長さんから評価はよかったようで、

今日面談でほめられた」とニコニコ嬉しそうに話していたのを覚えている。

実際、何かの研修に先輩と一緒に特例的にいかせてくれるという話もあったそうだ。

皆さん、いろいろとアドバイスありがとうございました。

今度お互いの休みの合うときに、妻にこのエントリみてもらいつつ、

妻が自分自身に納得できて、それでいて疲弊しない、そんな答えが出るよう話しあってみたいと思う。

でもこれだけ最後最後追記させてほしいんだけど、

「できるやつ」って本当に下に見てるつもりはない

私にはじめて役職がついたとき先輩に、

「○くんはできるやつだから、僕が推薦させてもらった」

そう言われて体がふわふわ浮き上がるほど嬉しかった。

それからなんとなく、できるやつってのが自分の中で一種すごく良い称号みたいになってるところがある。

あとはまあ妻自身も「〇〇なやつ」とかいいやつとか、

プライベートではよくふざけて言うしね。

こんなに嫌な印象を与える言葉だなんて思ってなかった。

誤解を与えて申し訳ない。

私は妻に「いいやつだなぁー」とか「できるやつ!」と言われることもあるけど普通に喜んじゃってる。

もし部下に先輩はできるやつだと言われたら...まあ悪い気はしないけど、

その部下のこと“面白いやつ“だと思うだろうな。

同僚に言われれば単純に嬉しい。

まあこの話はこの辺にしておこう。

2022-07-19

看護師になった妻が泣きながら帰ってくる

追記 07/20 21:09

これ書いたでしょってライン来て妻帰宅後にちょっと話した。

妻、今の職場に3日くらい前に退職希望と伝えていて手続きも進んでいるらしい。

今回は妻の希望職場地域(妻の地元近く)に合わせて転居して、

そのかわり私はフルリモートで働けるポジションに移動したりと色々あったから、

なんとなく言い出しづらかったようだ。

よかった、ほっっとした。

とりあえず学位がほしいということだから大学資料などいろいろ取り寄せの申込みした。

入学の条件は満たしてるしUoPeopleなんかいいと思うんだけどな。

妻が「いろんなことに興味があってどの学部に行くか迷う」と言うから

「なにも編入じゃなくて、高校生に混じって受験したっていいじゃない。お金にならない勉強でもなんでもいいよ」と言ったら、ニカッと笑った。

なんて二人でいろいろ想像しながら話してたら妻もにこにこしてきて、

久々に明るい将来?(大げさかな)を思い描けてる気がする。

皆さんお世話になりました。

-------------------------------------





思い出と愚痴を、吐き出させてくれ。

妻は私の勤めていた企業派遣として入ってきた。

最初若い男性社員たちは「かわいい若い子が入ってきた」という扱いをしいていた。

それがだんだんと「うちの部署にもあんな子がいれば」という扱いにかわる。

要するに、仕事のできるハケンさんだったわけだ。

雰囲気はぼーっとしている感じがするが書類だとか事務処理だとか気が付いたら終わっている。

ミスほとんどなく、小さなことでも気が利く(女性らしさというわけではない、業務上かゆいところに手が届く、そんな感じ)。

会社主催イベントで少し話した。興味があったのだ。正直、見た目も好きだった。

かなりレベルの高い資格(身バレするかもしれないので控えるが)やなんというか男性っぽい特殊資格も多数もっていた。

「本当は大学に行きたかったけど親が…」と残念そうに語っていた。

私のようなものがなんの障壁もなく適当予備校に行き漫然と大学へ進学したことをどう思うのだろう?と少し不安になった。

そこからアドレスを交換して、デートして…と進展していった。

付き合うことで違う一面もわかってきた。

やや常識マナーにかけるところがある、ややがさつかもしれない、プライベートでは以外とおおざっぱだ。

それも嫌いじゃなかった。何より、よく本を読み、多趣味で、自分より年下ではあるが”できるやつ”であるところが好きだった。

結婚した。そして彼女はいったん働くのをやめ家庭に入った。

強いたわけではない。ただなんとなく「どっちでもいいけど、働かなくてもやしなっていけるよ」と言ったら「そうしてみるか」と彼女が言った、それで、決まった。

子どもがなかなかできなかった。

彼女はまたハケンを始めたが私よりもかなり収入が低いことを悔しがっているようだった。

そして「看護学校に行く」と言い出した。賛成した。

看護師の妻がいる同僚や上司がよく言っていた「稼ぎがよすぎて・・・」となかば迷惑そうに。

それを思い出して「いいね」と内心にやりとした。

学費の安い看護学校に入った妻は頑張っていた。

今の時代どうかと思うが、手書き課題毎日大量にあり、私と夕食を食べた後寝ずにやっていた。

そのころから彼女はよく泣くようになった。驚いた。

会社で働いていた時は、こわもての現場系の社員に怒鳴られてもびくともしなかった、ぼーっとした雰囲気を崩さなかった、そんな彼女が、目を真っ赤にして帰ってくるのだから

実習でああいわれた、こういわれたと落ち込み悔しがり怒る彼女の語ることはにわかには信じがたかった。

いわく「論理的思考力がない」「社会人としてマナーがなってない」「声が小さい」「字が汚い」「やる気を感じない」「馬鹿なのか」「看護師の才能がない」

どれも私のもつ妻像とかけ離れていた、そしてなによりこんなことを言われたくらいで泣く彼女ではないはずだろう?

泣くのがおかしいとか泣くなとかそういったことではない。

会社ではこんなことでは眉1つ動かさなかったのに、なぜ?ただ疑問ばかりが浮かぶ

看護師現場というのはそれほど雰囲気おかし場所なのだろうか?

ウェブ上で「看護師あるある」を見て妻に聞いた「これ誇張だよね」「いや違う、これよりひどい」そう即答した。

実習に毎日行くこと、課題を全て終わらせること、それは大変であったようだ。

だが「看護師資格」を取るための国家試験は妻には簡単だったようで特別な準備はせず相当な正答率で軽々と受かっていた。

実際下位10%にならなければ必ず受かるテストらしい。

そして彼女就職した。とても評判の良い大きな病院だ。

すると、少なくとも2週間に1度は泣いて帰ってくるようになった。

他に泣く人がいるのかと妻に聞いた。

「いるよ。実習時代から、だいたい誰か泣いている」驚いた。

普通会社だとして、インターン絶対に誰か泣くとか30歳を過ぎた社会人が泣かされるとかそのようなことが普通なのだろうか?

それから私の転勤もあり妻は2度、病院をかわった。

しかし、たいてい月に1度は泣いて帰ってくる。そしてもはやその理由すら話さないようになった。

妻は「泣いた分がんばる」というが、どんどん体調も悪くなっているように見える。

やめてほしい。正直に言って、唯一の大切な人間、それも同居人が苦しんでいるのを間近で見るのはストレスだ。

これは私のわがままだが、看護師を辞めてほしい。

彼女を説得する力が自分にない。

でも、もう病院では働かないでほしい。あのころの”できるやつ”に戻ってほしい。

追記07/20 11:30

妻や派遣を見下してる?という問いについては

→見下してないです

どういう派遣イメージしてるかはわからないけど、

私と妻がいたのは外資系の人事評価かなり厳しいオフィス

できない派遣さんはわりとあっさり切られる職場

そして妻のやってた業務はかなり難しいもの

事務作業とぼかして書いたけど特定の専門知識資格が2つほど必要

たぶん正社員なる気があればいくらでもなれたし、

実際うちの会社では珍しく正社員登用の話もあった。

ただ当時妻は実家がごちゃついていて正社員フルタイムはきびしかたか派遣してたみたい。

いまはそれも整理(亡くなった)がついてるけど。

なぜ、その仕事を続けなかったかというと、

妻の学歴と持ってる資格にあまりにも落差があって、なかなかマッチする正社員募集がなかった。

それで大学へ行くか他の道に行ってみるかで、

もともと興味のあった看護学校を選んだということらしい。

ともかく私から見れば妻は“すごくできるやつ”だったよ。

そして理不尽ダメ出しされたりしても泣いたりする人ではなかった。

できるやつに戻ってほしいってのは、

あの頃の自信(落ち着いていて冷静な)のある

にこにこぼやーっとした元気な妻に戻ってほしい。

そんな気持ちで書いた。

普通にやめてみればと言ってもなかなかうんと言ってはくれないから、

ただやめろと言うんじゃなく、学費出すから大学にでも編入して勉強してみたいことをするよう勧めてみよう。


更に追記 07/20 14:30

不妊治療⇒私、妻ともに決定打とはいえないまでもマイナス要素があるので治療はしている。

私はもともと子供に興味がなく、妻はいてもいなくてもどちらでも…と言っていた。私はこれについても少し悩んでいる。

私は良くない夫なんじゃないかそうかもしれない

保健師⇒今の上司最初病院教育担当に、

あなたのような看護師もできない人が保健師をできるわけがない」と言われたらしく、それで乗り気ではないようだ。

なんというか妻は、自分の仕上げた”仕事”にはある程度自負というか自信のようなものがあるが、

自分自身”や自分意見とか考えには、自信がないようで、だから

あなた保健師はできない」と言われると「そうなのか」と思ってしまう、そんな嫌いがあるように思う。

相手であれば、妻は、立て板に水のごとくこの世の森羅万象について自らの考えや感想を述べ、

奇想天外空想や持論を話して聞かせてくれるのだが(会社ではとても静かだったのでおどろいた)、

それ以外となると、かなり静かに仕事必要なことだけ」話すタイプなんである

まあだからこそ、なぜ職場で何らかの標的になるのかわからない。

上司に口答えしたり、自分の正しさを声高に主張したりするタイプではないのに・・・


他の職場にすれば?⇒

妻もずっと大病院(2年くらい)にいたわけじゃなく、それから自分に合う職場模索して、

ゆったりとした療養タイプ病院や小さな施設的なところで働いたりもしてる。

短期バイトで健診センター老人ホーム夜勤体験したりもしている。

ちなみに最初病院ではナースシューズに水をかけられたり、皆の前で大声で晒上げられたりと、

いじめなんじゃないかということもされたらしい(これは最近になってはじめて教えてくれた)。

妻が看護師として働いている現場をこの目で見たことはないけれど、

最初病院や次の病院でも師長さんから評価はよかったようで、

今日面談でほめられた」とニコニコ嬉しそうに話していたのを覚えている。

実際、何かの研修に先輩と一緒に特例的にいかせてくれるという話もあったそうだ。


皆さん、いろいろとアドバイスありがとうございました。

今度お互いの休みの合うときに、妻にこのエントリみてもらいつつ、

妻が自分自身に納得できて、それでいて疲弊しない、そんな答えが出るよう話しあってみたいと思う。

でもこれだけ最後最後追記させてほしいんだけど、

「できるやつ」って本当に下に見てるつもりはない

私にはじめて役職がついたとき先輩に、

「○くんはできるやつだから、僕が推薦させてもらった」

そう言われて体がふわふわ浮き上がるほど嬉しかった。

それからなんとなく、できるやつってのが自分の中で一種すごく良い称号みたいになってるところがある。

あとはまあ妻自身も「〇〇なやつ」とかいいやつとか、

プライベートではよくふざけて言うしね。

こんなに嫌な印象を与える言葉だなんて思ってなかった。

誤解を与えて申し訳ない。

私は妻に「いいやつだなぁー」とか「できるやつ!」と言われることもあるけど普通に喜んじゃってる。

もし部下に先輩はできるやつだと言われたら...まあ悪い気はしないけど、

その部下のこと“面白いやつ“だと思うだろうな。

同僚に言われれば単純に嬉しい。

まあこの話はこの辺にしておこう。

2022-07-05

不登校 バイト 大学進学 うつ病

 今現在不登校に悩んでいる中学高校生の中にも死んでしまいたいと思って日々の時間が過ぎていくのをただ待っているだけの生活を送っている人がいるかもしれないけれど。地獄のような生活から逃げ出したい一心自殺を考えている人には、少しだけでも楽しいと思えることができる日が来るのを待っていてほしい。どうか自殺へと行動を移さずに、今も流れ続ける時間を忘れられる方法で一日を過ごしてほしい。

そんな思いで書いています

 成人して数年、久しぶりに一本の煙草を吸ったらいろいろな記憶が蘇った。あの頃までは元気になんでもできるような気がしていたのに、ある時をきっかけに学校へも通えなくなった。

 時を遡ると、高校入学した15歳のころ。ある程度の学力がある人々が集まっていた高校なのに、私のクラスはいじめがあった。被害者はNくんとしておこう。Nくんは比較的活発なグループからまずいじめられはじめ、もともと彼が仲良くしていたおとなしめのグループからいじめられるようになった。彼がいじめられる姿を見て、情けない姿を皆が嘲笑うようになった。私はそこに存在するただの傍観者だった。

 時々、私は彼と帰った。Nくんは太鼓の達人が大好きで、放課後ゲームセンターで上手なプレイを見せてくれた。彼は確かに挙動不審なことが多かったが、それでもいじめられる理由にはならないはずだった。私はその中で、彼がいじめられ続け精神的に追い込まれ部活も行けなくなったこと。勉強も手につかなくなったことを知った。それでも私は彼とたまに帰宅する程度の仲を保っていた。

 このころ、母が国指定難病罹患してしまった。そして私は最低の行為をしてしまった。うつ病の薬のこともあり記憶にもやがかかっているが、自分が最低のことを母にしてしまたことは覚えている。

 体調を崩し脱衣所で四つん這いになったままの母に、私は「何してるの? 大丈夫?」という声をかけながら、心の中では私だって忙しいしつらいのになんで家事をしてくれないんだろうと母を責めた。もちろんそれは口に出さなかったが、それと同じくらい非道言葉を母に投げかけた。

「体調が悪いふり?」なんて、今考えるとどうしてそんなことを言ってしまったのかわからないほどの言葉を投げかけたのだ。当時私は母が何に苦しんでいるのかつゆ知らず、難病のことも知らされておらず気を許せる友達もいない戦場のような高校必死に通っていた。

 母はまもなく入院となり、それが信じられなかったのかもしれない父は私には何も教えなかった。家庭から笑顔は消え、父は仕事、私は学校へ通い夜は二人で家事をするという無機質な日々だけが続いた。

母が数か月後家に帰ってきたとき彼女は骨と皮だけのような姿になっており、帰ってきて階段を上がりきった途端にリストカットするような素振りで「死にたい」と何度もつぶやいていた。私は綺麗だった母が幽霊のようになってしまたこと、悲壮感に溢れた声にもならない声で言ったことに大きなショックを受けたことは覚えている。

数か月後、母は元気になった。朝に起きられるようになり、私の朝ごはんを作ってくれるようになるまで元気になった。抜け落ちていた髪も、青々と茂る夏の木々のように生えそろった。

 朝ごはんを食べ終わり、自室に鞄を取りに戻って登校しようとしたある日、私は階段下りながら涙を流してしまった。すすり泣く私を母が見つけ、その日は学校を休んだ。思えば、この日が私の不登校と出不精のはじまりになってしまった。今思うと、知らぬ間に心にダメージを負っていたのだと思う。

 この数か月前から、授業を聴いていても何も頭に入らず、自分がひどく落ちこぼれたような気がして意気消沈していたのを覚えている。数学テストでは一桁の点数を取り、頭の良い生徒ばかりの高校ではあり得ないほどの点数を取った私は、周囲から馬鹿にされた。盗み見られたその点数を見て。Nくんをいじめていた悪魔から「あたまわっるいね馬鹿なっちゃった?」と言われたことを、今日煙草を吸いながら思い出した。

 体調が悪いと言って登校しなかったその日から、私は完全に学校に行きたくなくなった。もうすぐ高校二年生になるころだったのに、私は自宅でうつろに日々を過ごすのみだった。このあたりの記憶防衛反応によるものなのかほとんど残っていない。覚えているのは、今でも大好きな昔の映画を観たり、小さいころに観ていたポケモンアニメを見ながら昔は良かったなと思いを馳せていたことくらいだ。まるで老人のようなその生活を見た母は、私を精神科へと連れて行った。そこでひとまず一種類の薬を飲むようになり、だんだんと種類が増えていったあたりから私は昼過ぎまで起き上がれなくなった。

 こうして”立派”な不登校になった私は、デ・ニーロのグッドフェローズダニー・ボイルの(ユアン・マクレガー名前を出したほうが分かる人が多いかもしれない)トレインスポッティングを観たり、破滅的な思考をなんとか創作の中で味わい続け、自殺を耐えていた。

 結局、高校2年生の1年間はほとんど学校に行けなかった。

 詳しいことは知らないが、3年生に上がるころ担任から「3年生になると2年生のころのように不登校のままだと卒業ができなくなってしまう」ことを告げられ、私は仕方なく登校を再開した。

 正直2年生のころも同じようなことを言われて、もうどうせ進級もできなくて中卒不登校ひきこもりになってしま未来しか見えていなかった私は、4月から懸命に学校に通った。死にたいことを何度もほのめかす私を。父と母は応援してくれた。父は通勤用の車を私のために家に残し、毎日40分近く自転車を漕いで通勤していた。母は私を学校と自宅まで送迎してくれた。毎日だ。

 途中、休むときもあったが基本的には登校ができていた。Nくんへのいじめ常態化していたクラスいたことで脳にダメージがいっていたのか、相変わらず記憶が思うようにいか勉強はさっぱりできなくなってしまっていた。1学期、定期テストではひどい点数を取り、受験どころか卒業が危ぶまれた。担任から何とかならないかと言われたけれど、何とかなんてならないことは私が一番分かっていた。

 あのころどうしていたのかは分からないけれど、2学期からは死に物狂いで勉強をし、数学では及第点、1学期で0点に近かった世界史テストでは90数点を取った。とりあえず3学期もまた90点ほど取れれば卒業はできるだろうと考えて、3学期も同じくらいの点数を取った。記憶がうまくできなかったので、本当に反復の反復、さらに反復のような状態だった。(今では治った)

 大学ももともと目指していた高偏差値のところなんて行けるはずもなく、必死に受けたセンター試験を利用してそこそこの大学に入った。幸い、高校入学するまでに相当勉強していたのでほとんど勉強しなくても9割近く3教科は取れたのだ。それでも自分にとってはショックで、大学に入っても落ちこぼれた印象はずっとついて回った。

 心を入れ替え大学に通い始めたけれど、不登校の癖がついてしまっていて社会的生活に恐怖を感じていた私は、数か月で電車通学が苦しすぎて中途退学してしまった。

 今、その大学に入りなおしてそろそろ卒業を迎える。内定も得て、自分のやりたかった職業チャレンジできる未来が見えている。

 それでも、いじめを見て疑心暗鬼になっていたことの私の時間は帰ってこない。電車に乗って高校生を見ると、あのころ違う高校に通っていればあんな思いもせずに記憶障害のようなものに悩まされることもなかったのかもしれない、と思ってしまって稀に目に涙が浮かんでしまう。

 それでも時は流れ、日々は続いていく。あの頃は帰ってこないし、私もも20台中盤だ。物事に折り合いをつけられるようになり、バイトまでできるようになった。他人と話すのが怖かったくらいだったのに、今ではコミュニケーション能力も高いよね、と年齢が上の方々からも言っていただけるようになった。(バイトを通して苦手だったコミュニケーションを何度も何度も練習するつもりで磨いた)

 

 今、どうしようもなく不安になってこの日記を書いてしまったが、最近うつ病のような症状も収まりひきこもる頻度も減った。それでも時折、元気がなくなると数日ひきこもってしまう。大学生活だってストレートはいかなかった。体調を崩しひきこもった瞬間もあった。

 それでも父と母は私を理解してくれ、応援してくれた。父に関しては昭和の男だから鉄拳制裁を喰らって殴り合いのけんかになってしまたこともあるけれど、いつの日かを境にうつ病を抱えている私を理解してくれるようになった。遊びに誘ってくれたり、断っても体調が悪いなら仕方ないと理解してくれるようになった。

 うつ病の薬を断って、大学でのストレスからやせ体形だったはずなのに食にストレスをぶつけてしまって今では30㎏ほど増えてしまったし、今の体形の自分は嫌いだけれどそれでも毎日を楽しくは過ごせている。だからこそ、今不登校に悩んでいたり死んでしまいたいと思っている中、高校生学生の同じくらいの年齢の方々に伝えたい。

 どうか諦めずに、つらい今は好きなことをして時間が経つのを待ってみてほしい。

 男だから泣くんじゃない、女だからはしたないことなんてするななんて声は無視してしまえ。男だって泣いていいし、女だって冒険をしてもいい。

 いつしか心に余裕ができて、何かができるようになるかもしれないから。

2022-07-02

anond:20220702092950

表現の自由戦士命名した増田だけど、「シコい表現無料店頭や街頭でみせてくれないなんて最低!電子書籍じゃ満足できない!」っていってたか最初は「表現乞食」って呼んでたんだけどさすがに定着しなかった。

そして戦士(ただし装備はひのきの棒)ってよんでやったらハマったらしく自称し始めて笑ったw

今でも他称だけなら「無料表現乞食」のほうが合うとはおもってる。

anond.hatelabo.jp/20181109124634 この辺。 

  

追記

ブクマコメ調査ありがとね

少なくともなにも調べない増田よりちょっとかしこいじゃん

じゃあわりと散発的に(別の場所で)考え付いた人がいたんだね

2015・17年の増田はオレじゃなかったけどSJWはその前からもつかってたし本当にあのころ棲み分けできない無料コンテンツ乞食藁人形はひどかった

戦士「このくらいエロくもないありきたりな表現だ!ただで見せるべきだ!」

前後から同時に撃たれた漫画家「そうですねこんなもので金をとろうとして生きててすみません」みたいな

 

追記追記

基本的人権には他人の魂を殺人できる権は入っていません

ここで基本的人権を持ち出すこと自体が僕らの武器(知性)はヒノキの棒レベルですっていってるようなもんですよw

2022-06-14

anond:20220614210342

あのころ教室の中とは違って、世の中にはいろいろなことを最初から知っている人がたくさんいるんだよ

2022-06-08

90年代ってこんな感じだったよね

日本の文化は「マジ」と「なんちゃって」に分けられると思ってるんだけど

80年代なんちゃってが優勢だった時代なんだよ。バブル調子乗っててチャンネーシースーギロッポンとかふざけた時代

テレビだったら秋元康とんねるず時代だよね。真面目が馬鹿にされる時代

それが90年代はマジ優勢の時代になっていくのよ。正確にいうと91年にバブルがはじけてその残り香がなくなった94年くらいからかな。

そして00年代はまたなんちゃってに戻るみたいに繰り返してるとおもってる。秋葉系時代と言っていいから「てへぺろ」でもいいかもしれないw

10年代はけっこう「マジ」が復活してる感あったよね。震災の影響あるのかもなぁ。


90年代は「マジ」の時代から自分作詞作曲しないと音楽で飯食えなくて、不遇だったのがアイドルSMAP

アイドルというジャンル自体が「なんちゃって」になってしまったので、活躍の場がなくアイドル冬の時代なんて言われていた。

から開き直ってなんちゃってを始めたのがSMAPxSMAPで、なんちゃってが得意なフジテレビコントのコーナーを取り入れたアイドル番組を始めたのが戦略的だよね。

マネージャー飯島三智が仕掛けたらしいけど敏腕だよね

でも音楽はマジの中心だったから、彼らは従来のジャニーズがやってた王子様的な少女漫画世界からリアル青年イメージさせたマジに寄せた青いイナズマとかSHAKE勝負したんだよね

ゲンジのだれかがSMAPの歌の路線をうらやましがってた話をしてたのを覚えてるよ

とはいえ中居の超絶的歌唱力でやっぱりSMAPなんちゃって扱いだったけどねw


モーニング娘。もそのマジの時代に生まれアイドルって感じだよね

ASAYANそもそも「マジ」なんだけど、でも平家みちよに決まったオーディション負け組で組まれたっていう流れがなんちゃってだし、いかにもアイドルな売り方だよね

とはいえ00年代みたいに黒髪しろなんてこともなく、金髪後藤真希がそうだけどマジ時代対応したアイドルではあった

からそのあと出てくる00年代の歌が下手で口パク上等でダンスゴミなで、握手だのじゃんけんだので優劣を決めるAKBなんかと比べて歌とダンスは抜群にうまかったから、ハロプロオタクはそこが心のよりどころだったよね。

アイドルなのに「アイドルっぽくない」が誉め言葉という変な時代


アイドル不遇だから芸能事務所新人女の子売りづらくなった。それで発明したのが女優の卵という謎のジャンル

広末涼子代表例で、そういう人材はしれーっと音楽も出してアイドル的な売り方もする。この手法は今でも続いてるよね。

アイドルが好きだと言ったら馬鹿にされたマジの時代に、思春期男子に「アイドルじゃねーから」といいやすく消費しやすくしたのが女優の卵だったり女子アナなんだよね。

音楽は「マジ」の中心地みたいな感じだったか作曲はできないけどせめて作詞やらせろみたいなかんじでマジ売りを事務所におしつけられて

マジ時代対応したよくわからんエセアーティスト売りのアーティスト増えて、歌姫なんていうジャンルが生まれたり、裸足で歌いだしたり、あの時代のマジ対応はよくわからんこと多いw

から椎名林檎みたいなガチ人材業界人から勘違いされて「きみもそうなんでしょ?」みたいな扱い受けてたの笑うよね


松本人志テレビお笑いに「マジ」を持ち込んだ人だよね(談志とか上岡龍太郎とかもいるんだけど)

90年代お笑い芸人が芸能界ヒエラルキートップになった時代といえるんだけど、間違いなくダウンタウンの影響だよね

ビートたけし映画業界ではマジをやってたけど、テレビじゃ「なんちゃって」のキャラコマネチコマネチってやってたからその辺が微妙だった

(余談だけど、彼がプロデュースした伝説の糞ゲーたけしの挑戦状は「こんなげーむにまじになってどうするの」なのが偶然とはいえおもしろい)

お笑い芸人は「なんちゃって」を生業にする職業で、昔はいろもんなんて言われてたが、松本人志はそれをひっくり返しマジをお笑い商売にした人といえる

それでお笑いアーティスト芸能界マジヒエラルキー競争が始まったんだけど

HEYHEYHEYとか、うたばんとかお笑い芸人がMCやり始めて

浜ちゃんに叩かれた!うれしい!浜ちゃんにたたかれると売れるってジンクスがあるんです~なんて言って

お笑い芸人に媚びるアーティストみたいな構図が普通になって、あれでアーティストお笑いの下になったのを感じたよね


M-1がウケてるのは「マジ」だからだよね。あの時だけ、日本の笑いはかっこいい「マジ」が許される。

ただ初期のM-1テツトモみたいなのも交じってたことね。それで談志漫才じゃないとか言われてwあれってマジじゃないってことよね。

そんでM-1終わってフジテレビで始まったTHE MANZAI審査員秋元康がいてずっこけたねw

さすがなんちゃってフジテレビですね。そしてTHE MANZAIが失敗するのも当然よな。


そんな時代オタクキモイキモイいわれてたわけ

それでサブカル野郎AKIRAとか攻殻機動隊は別腹とかいう扱いをしてたよね

ジブリ世間一般でも別腹扱いだったけど

メイドコンテンツにする秋葉原なんちゃって文化の中心と言っていいんじゃないかな

「ご主人様~、萌え萌えキュン!」なんてなんちゃってにもほどがある

そこに秋元康のようななんちゃってでメシ食ってた人間が注目してAKB48始めたのは当然だよね

セガってだせーよなとかいって自虐させたり湯川専務のように実際の専務CMに使うなんて典型的なんちゃって戦略だけど

秋元って90年代のマジに対応できなくてさ、いつまでたっても80年代なんちゃって空気でスゲーダサかったイメージ

それが秋葉00年代ネット文化で復活してしまったのは俺の中で苦々しく思うことの一つ


アニメで一番マジをやってるのがコナンだと思ってる

宝塚歌劇団がマジを提供し続けているなって思ったことあって、コナン宝塚って結構似てるんだよね。

ジャンルは全く違うけど、マジというトーンが似てる気がするんだよね

「マジ」は「スタイリッシュ」「キザ」「見栄」「キメる」「気取る」「媚びない」でもいいよね

「マジ」は女性人気を獲得するのに重要キーワードだと思う。

スーツびしっと着て、テンションパリッと張って、キザで気取ってるのが好きなんだなって思ったよね

それで秋葉オタクはマジが嫌いなのよw

アニメコンテンツのなかでコナンAKIRA攻殻機動隊カウボーイビバップはマジの立ち位置だったけど

秋葉系オタクカウボーイビバップオサレアニメって嫌ってたよね

あとブリーチに至っては、作者の久保さんまでネタにしてオサレオサレって馬鹿にしてた

00年代秋葉オタクたちはネット冷笑ひろゆきみたいなキャラあこがれて、マジなものをなんでも馬鹿にしてた

秋葉がそうだったか2ちゃんねるみたいになったのか、2ちゃんねるがそうだから秋葉がそうなったのかしらないけど

とにかくマジをきらってなんちゃってミニひろゆきみたいな他人馬鹿にするような、中二病黒歴史という言葉をやたら好んで他人攻撃するやつらばかりだった

そのころアメリカテンション張ってるものが好きだからオサレもの、キザなものが好きでまっとうに評価してたよね、さすがハードボイルド母国って感じ

最近アメリカ日本シティポップが評価されてるらしいけど、あれもテンション張ってるキザでオシャレなコンテンツからアメリカ人が好きなのは納得

アメリカ人はエルビスプレスリーマイケルジャクソンとかブルーノマーズがそうだけど、伝統でも今でもずっとマジを真面目にやる国なんだよね。

日本人みたいに恥ずかしがってなんちゃってに逃げないし、他人オサレかいって馬鹿にしない。


あとはゲーム業界かな

ソニーがこの方向でそれ以前までの小学生に向けていたゲーム業界ファミ通などと組んでイメージの変革を起こそうとしていたよね

ソニー参入までは、ゲームを作る人は今でいう歌のお兄さんみたいな特集のされ方だった。「みんな新作まっててね~」みたいな感じだったけど

暗い部屋で間接照明をあてて「ゲームクリエイター」って肩書で、中高学生のあこがれの職業みたいにしていったのはソニーだよね

ソニーゲーム事業母体ソニーミュージックだからアーティストプロデュースノウハウがあったんだろうね

マジをつかったゲームクリエイターのブランディングは見事にはまったよね。

それに対抗しようとしたセガはなぜか秋元に頼ってなんちゃってやってセガってだせーよなとかなんちゃってをやりはじめた

秋元チェキっ子とかいアイドル番組スポンサーになってそらセガぶれるわって当時思ったよ

セガって渋谷の兄ちゃんたちに愛されてたのよ。秋葉っていうよりかは渋谷系だったよね

そんなセガ秋元なんちゃってに取り込まれ、そしてアイドルスポンサーするとか終わってたよね

あのころセガ方向性を見失ってて、サクラ大戦なんかもそうだけど、セガってこんなゲーム作る会社だっけ?っておもったよね

そのあとの話だけど、10年代セガ初音ミクとか、バーチャロンとある魔術の禁書目録コラボみたいに誰が得するんだみたいなことやり始めたり、とにかく秋葉系にすり寄っていくよね

90年代のマジなセガを知ってるからセガサターンを白くしたり、ドリームキャスト最初から本体カラー白だし

マジなイメージ修正たかったのかなあって思うところはある

あとゲーム業界のマジの代表格だったFFFF10になって秋葉系オタクなんちゃって文化に毒された結果が10-2

あれでまじでスクエニは死んだなって思ったし実際ゲームオタクから相手にされなくなったよね。

というか、秋葉なんちゃってに毒されて日本ゲーム業界は死んだよね

今、ゲーム業界でマジを守ってるのはカプコンフロムソフトウェアだなって思う

2022-06-06

今の小中学生って合唱とかするんかな?

全然わからん

歌うとして何を歌ってるんだろ?

グリーングリーンとか今でも歌ってるんだろうか。

あのころの歌った歌、ってふと思い出すといいよな。

2022-05-26

面白さを説明できなくて

HUNTER 面白くない増田に触発されて、キーボードを引き出した。

長い沈黙を破った作者の貴重なモチベーションを守るために。

青春時代の長きを通して少なくない影響を、わたし人生に与えた、かの名作。

今こそ、恩を返すときだ。そう息巻いて反論をしたためようとしたのだけど。

面白さを、説明できない。

すでに三時間が経っている。HUNTER×HUNTER だけじゃない、感動したアニメけものフレンズとか、スレイヤーズとか、小説の三体とか、あらゆる芸術作品を思い出して、黙考に沈んだのに。

どう面白いのか、まるで解説できないのだ。

どの作品についても楽しかった気持ちは思い出せる。オープニングを聞き返すたびに、あのころの胸の高鳴りが戻ってくる。誰に腐されようと、同調圧力だなどと言われようと幸せだった思い出は消せない。

しかしそれでも。誰かに、なぜ面白いのかを解説してみようとすると、どんな言葉も出てこないよ。

わたしは、くだんの増田を努めて注意深く読んだので、彼の論説も、ほとんど「なぜ面白くないか」を説明していないのに気づいている。だらだらとモノローグが続いたから何なの? カタルシス説明必要性には詳しく言及するのに、作品評価は、冗長すぎる・キャラが多すぎる、で断じるのみ。ゴミ、最悪だろ、と言うけれど、同意を求められても、最悪さの根拠は何ひとつ提示されてないでしょうが

そうは言っても、なぜ面白くないかを言えてない、と文句をつけたところで、わたし面白さを説明したことにはならない。

草葉の陰からルフィがひょっこり顔を出し、お決まりセリフを言うだろう。何が嫌いかじゃない、何が好きかで自分を語れよ(※)。長い視聴歴の間で、エンターテイメントは心安らぐ時間提供してくれたけれど、わたし意味レベルでは何ら学ばなかったのか。何が楽しいのか。どう重要なのか。どんな風な意味を持っているか。語る言葉は何もなくて。心のヒダヒダにはごく個人的漠然とした印象しかまれていなかった。空しさが募る。

2022-05-24

10年前と今の洋画不振論での洋画オタクの反応の違い

最近よく聞く洋画不振だけど

10年前にもあったよね、洋画不振の話

あのころ日本人センスが腐ってるからだとか洋画オタは怒ってたけど

最近洋画不振論は洋画オタもどちらかというと当然でしょな空気おもしろ

アメコミだらけで俺も洋画見てねーみたいなのとか、netflixでみてるから映画はもうオワコンみたいな人もいるね

2022-05-19

シン・ウルトラマンまらなかった日記

シン・ウルトラマン本当につまらなかった

正確に言うとつまらなかったことすら認識できないくらい無の閉じきった同人誌だった

だけどそんなことをTwitterで言ったら袋叩きに会うのはわかっているのでここで言う

 

まらなかった

オタクくんが自分の好きなウルトラマンのシーンを一生懸命早口説明してくれる映画

「ここは当時から話題になってwwwwwwwwwwwwwww」

「ここの戦闘シーンが神でwwwwwwwwwwww」

「ここが泣けるんだわwwwwwwww」

「あっここ伏線…っと、ネタバレだったか

みたいなことを映画を観ている間ずっと横で早口で喋られ続けているみたいで

時間ずっと苛々していた

物語を見に来たんであってお前の愛を聞きにきたんじゃないし、

愛を語るなら無言で物語映像を見せてそれで納得させろよってなった

それでも「最後は泣けるから絶対泣けるからエモエモのエモだから」って言うから

信じて座っていたのに最後まで「いやーここめちゃくちゃ泣けるんスわ」っていう鼻息感想だけ聞こえてきて

どこが泣けるかわからないまま終わった

 

セクハラ描写話題になってるらしいけど

単にあの世界が『あのころテレビで見ていた懐かしくて大好きなウルトラマン』のイメージで構築されてるから

世界をくるむ雰囲気があの頃で止まってるだけで

それだってオタクくんからしたら「愛ゆえの演出」なんだろうけど

物語の上では単に説得力なくすノイズしかないわ

 

シャッター前で売られている知らないジャンルの多分すごく巧いんだろう同人誌を読んだ気分

ジャンル知らなくてもこのサークルの神作家同人誌なら面白いし泣けるから作品への愛もすごいし」

それでも知らんジャンル同人誌なんて読まねえわ

2022-04-23

anond:20220423173601

erogeとかアニメも全部終末チックな退廃的なカオスなのがおおかったあのころをすこしでも体験できていてよかった

レインとかさよ教とか

まんねんだよ

作中フィクションなんだけどリアルもわりと冗談抜きて退廃的というかよどんだ感があってさ

コロナになって多少ちかい雰囲気になるかともおもったが繁華街普通に飲み会やるようになったりして全体的にゆるんでるのみると、

やっぱあのころとはちげーなと思ってしまうわ

閉店直前の居酒屋入り口野良猫がまっててさ、のれんしまいにきたおにいさんが猫にはなしかけてたのよ

そんでそのあとすこししてまたとおったらえさたべてた

そういうほっこりけいの世界じゃないんだよな世紀末

オカルト本が本屋にあふれて合成の心霊写真本もあふれててまじでびびってたよ小学生ときはさあ・・・

あーあしにてえな

2022-04-19

anond:20220418162341

かわいいふりしてあの子 ✋(👁👅👁)🤚長そうだねと

言われ続けたあのころ 舐めるのがつらかった

くんずほぐれつ69 あなたと私の恋

いつかどこかで舐められるってことは 永遠の夢

2022-04-10

万引きをする子どもだった。

それなりに名前が知れていて、金銭的には全く困っていないであろう俳優アイドル万引きを繰り返していたというニュース報道された。

彼が出演していた特撮も楽しく視聴していて、ゆるい人間性含めふわっと好きだったので衝撃的だった。

そして、長年忘れていたけど、自分自身万引きを繰り返す子どもだったことを思い出した。

時期としては確か小学校2、3年のころ、関西のど田舎祖父母共働きの両親と暮らしていたときのことだ。

そのころスーパーへの食料品の買い出しは祖父母役割で、自分も車に乗せられ同行するのが常だった。

基本じっとしていられない子どもだった私は、カートを押して店内をまわる祖父母の元を離れ、お菓子売り場や文房具売り場をうろつくことが多かった。

そしてその際、私は誰にも気づかれず、何度もポケットに入るサイズお菓子文房具万引きした。

私の家は田舎にしては収入が安定した世帯であり、チョコでも飴でもかわいい消しゴムでも、「これ買って」と祖母のもとへ持っていけば、大概はすんなり買ってもらえた。

から、何かがほしくて万引きを始めたのでないことは確かだ。

今回真剣に思い起こしてみたけど、盗ったお菓子を食べたり、文房具を使った記憶は全くない。

また、そのころの私は「万引き」という言葉を既に知っており、それが犯罪にあたるという認識もあった。

警視庁24時」的な、顔にボカシがかかった万引き犯がGメンに取り押さえられる場面をテレビで何度も見ていた。

窃盗症」や「クレプトマニア」で検索すると、「監視の目をかいくぐるスリル病みつきになり…」といった記述散見されるが、そういう高揚感を得てもいなかったと思う。

ただ淡々と、万引きを繰り返していた。

私が万引きから得ていたものはなんだったんだろう?

今の私の語彙で言うなら、「やっぱり大人は私のことをちゃんと見ていない」ということを確認していたのだと思う。

私が生まれる前から続く父の不倫、父との関係破綻仕事にのめり込むことで見て見ぬふりをする母、破綻した夫婦に変わって「家」の役割を担う祖父母、早々に実家に見切りをつけ都会の大学に進学した兄、その全員が、私のことを「若干落ち着きがないが聞き分けの良いいい子=放っておいてもいい子」と認識していた。

たぶん万引きをするたび大人を嘲り失望しながら、いつか見たドラマのように万引きが発覚し両親が店に呼ばれ、母親に泣きながら「なんでこんなことをしたの!」と聞かれる展開をどこかで望んでいた。

そしたら私も泣きながら、「さみしい」「かまって」「口を聞いて」と主張できるのに。

書いていて改めて思うが、滅茶苦茶な理屈である

別に聞かれなくても「さみしい」と主張する権利ぐらいはそのころの私も有していたし、お店に迷惑をかけていい理由には全くもってなっていない。

結局、私の万引き癖は突然終わりを告げた。

たまたま休みの日に父が私をスーパーに連れて行くことがあり、調子に乗って小さいサイズ折り紙を盗った私は、不自然ポケットの膨らみを父に看破され、往復ビンタ等の激しいお叱りを受けたかである

その際「以前にもお菓子文房具を盗った」ことを白状し、父とともにスーパー謝罪をし、お年玉貯金から盗品に相当する額の弁償を行った。

子どものしたことですから」と謝罪を受け入れてくれた店長さんには、改めて本当に申し訳ない気持ちだ。

ちなみにこの過程で、「なんでそんなことをしたのか」とは家族の誰からもついぞ聞かれることがなかった。

「いい子」からはみ出そうが、この人たちが自分内面に関心を寄せることはないのだ、と悟った私は、「じゃあ優等生でいた方が得じゃね?」という発想に至り、以後自立まで「聞き分けのいい子」で通した。

その後、家族祖母の大病、両親の離婚再婚などを経て、見る影もなく離散している。

あのころ言えなかった「さみしい」は、心の隅っこの方にまだいる気がするが、別に家族に期待せずともそれなりの人生が送れることも学んだ。

クソ長い自分語りになったが、要は万引き、あるいはその他の嗜癖も、その時のその人に必要な、なんらかの役割を持っているか嗜癖になっている。

不器用な、笑顔の似合う、お菓子作りの得意な、彼にとって万引きとはなんなのだろう。

何か別の、社会的に認められている行動で代替可能だろうか。

彼はそういう道を歩めるだろうか。

歩んでほしい、と思う。

できればそれをゆるいファンとして見届けたい、それが許容される社会であってほしい、と思う。

自分もまだ社会の一員でいたいので。

2022-04-05

クラスタまじか

クラスタちょっと近い業界なので株クラスタツイッターが流れてくる。

あいつらが最近何やってるかしってるか?

岸田総理のコラをせっせと作ってるんだよ。

「何もやってない」とか「増税しかしない」とかを強調して揶揄するとウケるらしい。

そんで前の総理のほうがやることやってて良かったんだってさ。

申し訳ないけど外から見てると心が冷え切っちゃうよな。

俺は岸田総理は「普通」だと思うよ。

クラスタは株が上がる政策をしないから嫌いなだけでしょう。あんたらが嫌いなクソみたいなポジショントークじゃん。

一般的日本国民がみんな脅威にさらされてるのは、コロナであって株は国民の1割も保有者がいないんだから、それなりにコロナ対策やってる岸田が支持率が下がんないのは当たり前だよね。

ロシア関連だって、前の前の首相とかと比べればまじでまともな対応じゃん。前の首相の行動がまだ記憶にあるからまともな行動するだけ好感度上がるんだよ。

クラスタは周り見えてないのがきつい。

だいたい株が下がったらショートすればいいじゃないですか、株が上がんないと儲からないのは自分たちが3流だからじゃないんですかね。

あーアベノミクスでじゃぶじゃぶお金刷って日銀砲をもらって甘やかされて儲けてきたかショートとか出来ないんでちゅか?

まあアベノミクス異次元金融緩和のお陰様で日銀の対外債務が膨らみ過ぎで金利上げられなくなって円安やばいことになってるんですけどね。

クソみたいなスタグフレーションがきたらアベノミクスで甘い汁を吸ってきた株クラスタにも責任があると思うんだが。

それでも自分が儲けることしか頭にないから「アベノミクスよもう一度」と叫び続けるんだろうな。

残念ながら株クラスタあのころ「アベやめろ」って言ってた人たちよりマイノリティだよ。

馬鹿じゃないんだから目を覚ませ。

2022-04-02

初恋の人が結婚した

高校生になって初めて小学生のような足が速いからかっこいい〜!を卒業全然かっこよくないかわいくもない人を好きになった

私と同じでインドアで綺麗な字を書く人だった

どん臭くて変わっていてクラスでもちょっと浮いていてそして私の友達が好きだった

高校の途中から二人が付き合うようになり私は嫉妬心を抱えたまま、ときにその気持ちをぶつけ相手を困らせたり口を聞かなくなったりもした

それでも友達でいてくれた

大人になってからも二人との関係は続いたものの、少しして二人は別れ、私が好きな人は別の人と出会ってしまった

遠い地で私の知らない人と付き合っていることに目を向けたくなくてチャンスは何度もあったのに一度も相手には会わなかった

自分恋愛に忙しかった

先月その人と結婚した、らしい

別に今でも好きだとか結婚したいとおもっているわけではないけれど、あのころの私がやっぱり少し寂しいよと囁いている

2022-03-31

貧乏だけど我慢できてしま時代だよな

世間じゃ日本人給料が~とかいうじゃん?

30年前、俺が子供のころ実家貧乏で大変だったんだけど、あのころと今とじゃ、貧乏難易度ちがうよなという話


昔はPCが30万40万するから買えなかった、通信回線はそのまま電話代として請求され使いすぎて月数万になってしまう人もいた

今は6万円で、6コアCPU、8GBメモリ、512GBSSDのPCが買えてしま

スマホも2万のモデルふつうに使えるし通信回線費用MVNOで1000円

昔は100万円単位の出費だったハワイ旅行が今は往復5万でハワイ行けちゃう


漫画はスタミナ系アプリでタダで読める

スーファミ時代は9800円~1万円超えだったが、今じゃ基本無料で遊べる奴が多い

映画音楽もサブスクで月1000円くらいでOKになってしまった


貧乏だけど今の時代我慢できてしまうよね

何をするにもハードは数十万円、コンテンツは数千円必要だった昔に比べれば

2022-03-15

湾岸戦争のころ日本がカネしかさないことを批判してたアメリカ

あのころ俺は小学生だったけど

高校生になってネットで調べなおす機会があって

2兆円もだしたのに感謝もせず日米関係がこじれたとかなにかで見て

金を出したのに感謝されないなんてアメリカは糞だなって思ったもんだ

日本保守日本スタンス否定的で血を流せとかいってた

勝手戦争に凸ったアメリカについていかない日本のほうが偉いと思ったけど

当時のネットは基本右翼満載だったか日本否定的だった

ウクライナ問題アメリカは参加せずに支援しかしていない

30年かかって日本に追いついたじゃないか?って言ってやりたいよ

俺は今でも湾岸戦争日本スタンスを支持したい

追記

俺のネット環境の話が話題になってて草

1981年まれで年度でいうと40歳

高校パソコン部という陰キャ部に入ってた

俺が高校のころには普通にネットやっとったぞ

つか日本ではWin95でネットが普及してIT革命とか言ってただろ

中学生のころに理科先生私物windows95PCもってきてくれて、ネットみせてくれたな

2022-03-09

プーチン感謝しなきゃだな

ガソリンが180円という異常な数字をたたき出してる

これから予想できることはEV再生可能エネルギーへの移行が加速するって事だよね。

今のところこれらは環境意識の高いマウントアイテムしかなってないが

プーチンのおかげでめでたく経済安保経済合理性の両面でメリットができた

かりに今日プーチン戦争辞めると言っても、だれもロシアエネルギーを信じないだろうから、移行は進むだろう

産油国短期的には潤うだろうけど、長期的には衰退が早まるのでプーチンを恨むだろうね

予定より5年は早くEVに移行が進むと思うし、それはすなわちロシア衰退の加速だよね

プーチン20年も居座ったくせにエネルギー以外にろくな産業を育てることができなかった

そして自分の犯した戦争再生可能エネルギーへの移行が促され、ロシアは予定より早く死ぬことになる

これはもう自殺といっていいだろ


思い出話だけど2008年ごろ、おなじように原油が高騰したことがあった

民主党が大慌てでガソリン補助金出すとかいってたやつね(ガソリン値下げ隊とかいってたよね)

あれはアメリカ住宅バブル需要BRICs(なつかしいねぇ)という成長国家需要急増に石油精製が追い付かないってことだった

それで原油高騰で再生可能エネルギーへの経済合理性ができて産油国が慌ててたよね

短期的には潤うけど、長期的には代替エネルギーへの転換が進む

アラブの国は投資国家に転換するとか言っていまのソフトバンクビジョンファンドにつながっていくんだけど

あのころと今で決定的に違う点は再生可能エネルギー産業は巨大化してるって事だよね

そしてコストも激減している。

まり、移行への動きに答えるだけの技術生産力がある

プーチンエフェクトとでもいうべきとんでもないエネルギー大転換が起こるよ

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