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はてなキーワード: 齟齬とは

2022-12-22

anond:20221222123835

そら生きてる事自体そもそも辛い事だからな。

それを無理やり正当化しようとしたら齟齬がでるだろ。

2022-12-19

anond:20221218112232

西側防衛予算ぶら下がりで儲けるぜ〜!

ロシア攻撃は当たり前って理論作ってやっからな〜!

日本防衛予算先制攻撃も期待してるぜぇ〜!」

って軍産金融業界が目的を果たしたんでしょ

メディア政治家に金をばらまいて、黙らせたり喋らせたり齟齬齟齬だと言わせない

2022-12-18

人に頭を下げる機会があまりいから、と彼は言った

彼と自分は同い年である

年代の友人という関係学歴なんかも似通っており、穏やかな性格であり、まあ仲良くやれるんじゃないかと思っていた

が、いつから敬語を使わない彼に違和感を感じ始めた

友人とはいえ知り合って日も浅く、自分はある程度敬語で話すべきだと思っており、実際そうしていた

が、彼からタメ口だった

一度、なぜ敬語を使わないのかと聞いた時の彼の答えが、仕事でも使う機会がないからということだった

上司と呼ばれる関係人間と接する機会も普段ほとんどなく、普段基本的に出入りする業者に話すばかりで、と

自分は出入りする業者側の立場で長らく仕事をしてきた

そうなんですね、と返したが内心モヤモヤしたのを覚えている

その後いろいろあって彼と縁は途切れてしまった

今思い返せば彼なりの親しみの表現だったかもしれないが、当時の自分馬鹿にされたように感じていた

そんな認識齟齬も含めて合わなかったんだと、住む世界生きる世界が違ったんだと

そう思う他ない

2022-12-11

発達障害的には、これはたとえばの話だが、「頭が割れるような痛み」って言葉使っててちゃん意思疎通できてるのかと思う。

脳か頭蓋骨の膨張によって骨か頭皮を内側から押し上げて圧迫するような感覚の痛みなのか、頭頂を斧でおもいっきり叩かれたらこんな痛みだろうなって想像したのと等しい痛みなのか。

特に後者は単に激痛というのと変わらない気もするが、その一方で、わざわざ激痛と言わず割れるような痛みというからには、何か具体的な質感を伴ってるはずと思うんだよな。

しかしどっちにしろ明らかなのはどういう意味でこの言葉が使われているのが判然としないということ。

痛みがあるときに痛みがあると告げられた相手に期待される行動は限られているから、この痛みの中身がブラックボックスでも、つまり話者側が前者の意味で言っていたのを受け取り側が後者意味で捉えた場合、あるいはそのその逆の場合があったとしても問題が起こっていないというだけではないか。やり取りのすれ違いは起こっていないが、意味のすれ違いはそこかしこで起こっている。

それ以前に安易に「割れるような痛み」を使っている人が多すぎないか。なんとなく陳腐比喩表現を使いたがってるさがみたいなものはないか。同じ陳腐ならだったら「激痛」で済ませた方が簡潔で合理的だと思う。

発達障害文章で「コックピットに乗っている俺が俺自身身体を操縦しているような感覚」とか「ビデオを同時再生している感覚」とか書かれていることがあるがこれが気になる。

まりにも軽々しくないか表現がおおげさではないか。それはちゃん自分意図する実体通りのものを読者に想像させる表現なのか。

なかにはまさしくそういう状態の人もいるのかもしれないが、多くは筆が乗って大げさに書いているというのが実態だと思う。

これはかえって認識齟齬を生み、本当にコックピットに乗ってるようなと比喩するに等しい感覚なんだねと思った支援者もそう書かないときよりもうまい支援を難しくしていると思う。

文章から立ち上がって来る実体安易比喩であふれている。そういう比喩に「規格化」されている。本当は痛みについても現実にはもっときめ細かに言語上の差別化可能多種多様な痛みがあるのに、それらが「頭の割れるような痛み」に文章上では規格化され、かくして読者が想像する痛みが実際に存在し得る痛みよりはるかに限られている。

小説なんか規格化という現象のさいたる対象だ。世の中いろいろな形の鏡が考えられるが、小説に登場する多くは、丸型か、縦長の長方形か、あるいはハート形か、変わり種で星型といったところか。

無修飾、あるいは「不定形の鏡」とでも表現すればその形は読者次第となりかなりありとあらゆる形の鏡が誰かしららの読者の頭の中で形成されうるが、それこそありうる各形鏡に割り振られた想像され得る割合というのは先述の丸型とか長方形に比べれば無限小に等しいだろう。

元素成分分析グラフで何か所(広義に有限な数だけということ)かだけ極端な高さでピークを持っていて、それ以外の領域では全てほぼ0みたいになっているという感じだ。

まあこの比喩自体規格化されてるかもしれない。ただまあこれは確率分布元素分析にあてはめてるという点でグラフという次元では同等なのでそこまで齟齬はないと思う・

擦りガラスとはちょっと違うかもしれない隔てた先があまり透けて見えないガラスも全部すりガラス(もちろんマジックミラーならそう書くだろうけど)。

dorawiiより

2022-12-02

大好きなアイドルとかアーティスト結婚できる人、本当にすごい。

絶対に無理だもん、好きなら好きであるほど結婚できない。結婚するならそれなりの人が1番いいと思ってるし、実際婚約相手もそういう人。

好きな人には、自分のよいところだけを見て欲しいんだよね。憧れのアイドルとか好きなアーティストかいるけど、現場ときだけものすごく頑張ってる。

それ以外の日とか、ユニクロ服にすっぴんでボサ髪ポニテにして終わり。まともな女とはおよそ思えない格好だけど、楽なんだよね。

根本的にオシャレとか好きじゃないので、家で洗濯できればなんでもいいし、感覚過敏だからメイクはかゆくなるのでしたくない。

髪も切るのるめんどくさいから結べる長さに必ずしてる。めんどい日は風呂すらサボってしまう。

こんなの、絶対絶対絶対推しには見られたくない。無理すぎる。でもこの生活を手放して好きな人のために努力♡とかまず無理。

そういう自分の裏側の汚さを知らないでいてほしいし、逆に自分もそんなの知りたくないんだよな。本当は私生活ルーズとか、まじでいらない情報

本人がどう思ってるかは知らないけど、虚像でいいんだよね。完璧人間なんかいるわけないからさ。演出された『偶像』をずっと見ていたい。

結婚したらそうはいかないのが1番怖い。自分旦那がどんだけブサイクでもキモくても人間だとわかってるからどうでもいいが、アイドルがその位置にきたら齟齬に耐えられないと思う。

からいわゆるガチ恋の人、すごいなと思ってしまう。自分勝手だけど、他人にそこまで献身的にはやっぱりどうしてもなれない。憧れには憧れのままでいてほしい。

2022-11-30

やりたい仕事がある

やりたい仕事ほとんど東京しか求人がない

でも今住んでるのは別の都市

そこから通えなくもないけど通勤絶対きつい

新幹線通勤ならいけるけどさすがに東京からさらに乗り継ぎは避けたい

引っ越したいけど家族仕事がこっちだから無理

産休とれるかもかんがえなきゃいけない

業界的に産休取れない(産休退職みたいな)ところも少なくない

受けられるところがない

12月だからしょうがないのか

いつもこんな感じなのか

働いてない罪悪感と貯金が減っていく恐怖

じゃあ日払いのバイトなり在宅ワークなりやれよw

それはそう

なんか今日スーパーレジ行ったらちょっとした齟齬があってさ

それを伝えようとしたらめっちゃもっちゃった

思えば前もそんなことがあった

家族と話すときも興奮してるとたまにどもってる

吃音なんかな

つい最近からだしストレス性ってやつか

ますます面接鬱になるじゃん

しぬ

だれか私のこと一撃で轢き殺してくれないかなあ

2022-11-26

anond:20221126123242

増田若いときの話なんだからむしろ今時だったら虚構では

あとインキ増田がヨウキャの習性に詳しかったら話に齟齬があるやん

2022-11-23

メタバース文化エヴァンジェリストインタビュー内で語った内容が、調査レポートの内容とかけ離れていた問題

結論から言うと

メタバース文化エヴァンジェリストさんが、インタビュー内で語った

現実世界で起きたハラスメントとくらべて~今回調査実証された」までの発言内容は

そうした調査分析レポートになく、そもそも現実世界ハラスメントの程度について

触れた記述自体レポートに全くないという、調査レポート内容のでっち上げに近い発言であった

②「今回調査実証された」といった発言内容が、もし新聞に載ったとしよう

当然だが「現実世界で起きたハラスメント比較した調査なんだ」と誤解する人が、間違いなく多数出てくる

(現に、調査レポート読まずに誤解したまま、読売記事問題を語るブコメツイートが多数確認された)

メタバース文化エヴァンジェリストさんのインタビュー

新聞記事に載せなかった、読売判断自体妥当であったと言わざるを得ない

 

ここで、どうしてメタバース文化エヴァンジェリストさんは

調査レポート齟齬する内容をインタビューで語ってしまったのか

疑問に思う人が出てくるかもしれないが

そもそもメタバース文化エヴァンジェリストさんはメタバース大規模調査

共同実施者として名を連ね、調査に協力を勿論してはいもの

ハラスメントに関する調査レポートをまとめたのは、スイス人類学者・ミラさんで

メタバース文化エヴァンジェリストさんではない

 

ここに気づいてない人が多いから、メタバース文化エヴァンジェリストさんの主張を鵜呑みにしてしま

残念な人が多くなってしまったのだろうと思う

まあ、調査レポートを少しでも読んでいれば気づくはずなんですがね

 

2022-11-21

anond:20221116204815

ラストバトル直前のシーンでシュリ王権争奪相撲に欠席している。同時にエムバクは挑戦を宣言している。

と、シュリ王位継承離脱と次期王権のエムバクへの移動が明確に描写されているのに何故増田のような解釈になるのか全く理解できない。

そうやって事実に目を背け見たいものだけを見て、現実との齟齬妄想で埋め合わせてきたのだと思うと悲しくなるな。

も一回映画館に行ってきなされ

2022-11-20

[]11月20日

ご飯

朝:なし。昼:なし。夜:串カツビール。間食:ばかうけ

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

明日仕事なのに遊んだゲーム面白くてその余韻を楽しみたい気持ちで飲んじゃった。

AIソムニウムファイル ニルヴァーナイニシアチブ

はじめに

美少女ゲーム文法作品構造自体に仕掛けがあるSFを書くことと、こめっちょのクオリティに定評がある infinityシリーズや極限脱出シリーズライター打越鋼太郎さんのAIシリーズ第二段。

前作から3か月後、身体を真っ二つにされその半身だけが見つかるハーフボディ連続殺人事件が発生する。

なんとその6年後に、見つからなかった半身が見つかる、しかも6年経ったとは思えない真新しい死体が。

6年越しに見つかる半身を巡る殺人事件を、前作から3か月後を舞台新人捜査官の龍樹と、それから6年後を舞台捜査官になったみずきの二つの視点で追うことになる。

AIシリーズお馴染みの人間関係の解きほぐしが面白

そんな明らかなミステリ的な導入で、確かに序盤はそう。

しかし、話を進めていくと、事件捜査二の次人間関係、愛をテーマにしたそれの解きほぐしが始まる。

ソムニウムパートと呼ばれる対象者の夢に潜り込む装置を使って、彼らが人間関係の中で秘めた気持ちスッキリさせる。

そんなカウンセリングパートストーリーの大半を占める。

という物語構造は前作を踏襲している。

前作は家族愛多めだったが、今回は男女の恋愛が多め。

大きく分けると3組のお話が主軸になっている。

売れないお笑い芸人父親が息子を思う気持ち、そんな父親に向ける子供の本当の気持ちを解きほぐす、米治、祥磨ルート

犯罪者ながら成り上がろうと努力する男性と、大金持ちの娘という立場その男性のプロポーズに悩む、ライアン、絆ルート

醜くい自信の肉体を受け入れてくれたがそれを信じきれずにいる苦悩のお話の、厳、亜麻芽ルート

この3組の相手を思うが故に相手を守りたいと思うが故の苦しみが、ソムニウムパートによって解きほぐすされていくのが感動する。

特に最初ストーカー気質な上に元犯罪者というヤバさのせいでドン引きライアンが、本当の本当に絆のことが好きだと伝わってくるパートが僕は好き。

お嬢様ながら「興奮するとオシッコ漏らしちゃう犬みたい」と下品な例えをされてしま激情的な絆とのカップリング面白く、今作のソムニウムパートの主役と言っても良いだろう。

探偵役の仮説に困惑する事件捜査パート

そんなわけで、人間関係感動パートがかなりの文量あるのだけれど、当然このゲームそれだけではない。

最初に書いた通り、6年越しに死体の半身が見つかる、それも死亡推定時刻は6年前ではなく最近、という奇妙な謎を解かないといけない。

ところが、事件捜査部分はどうにもしっくりこない。

読者であるからするととんでもない謎なのだけど、どうにも登場人物たちは謎と思っていない。

それどころか彼らの話す仮説の方がより謎を深めていく。

正直、今までそれなりの量のミステリを読んできているので、殺人事件の仮説の要点を踏まえることは得意だと思っていた。

その通り今作も最初のうちはふむふむと読み進められる。

しかし、ある事件以降、どうにも歯車が噛み合わない。

歯車というか、そもそも主人公たちと読者である自分との間に齟齬ありすぎる。

しまいには、根本的な生死すらも……

と、事件の謎よりも、謎の仮説の方がどんどんと混迷を極めていく。

いったいぜんたい、根本的に「ナニが起きて、ナニを解決しないといけないのか?」そういう枠組みから疑う必要がある、そう気付かせられる。

物語構造に仕掛けがある

まあ、そりゃそうなのだ

打越鋼太郎という作家性、どう考えても物理不可能な不可解な事件現場、登場人物と読者との情報齟齬

これらを踏まえれば、物語構造に仕掛けがある類のトリックであることは明白だった。

なのだけど、僕はかなりあっさり引っかかってしまい、おどろきの声を上げてしまった。

ゲーム物語を遊ぶという構造的に疑うことをやめてしまう部分をうまく利用しているのが面白い。

正直ちょっと前作を踏まえると矛盾するのでは? と思わなくはないのだけど、どうも作者自身もそれはわかっていたらしく、かなりわざとらしいフォローが入っていた。

グランドフィナーレは泣けて笑える

そんな物語構造に仕掛けられたトリックを乗り越えて、お話は幕を下ろす。

完全にシリーズ恒例にする気満々のアレで締め括られる。

前作で始めてみた時の衝撃は本当にすごく、今作でも期待していたのと同時に、このハードルを越えられるか? と不安だった。

なのだけど、全くもって問題なし、前作並みのアレでの締め括りで感動的で、泣けて、笑える。

前作でも感情が泣き50パー、笑い50パーで半々になってしまいどんな顔して良いかからずただただ感動したが、

今作も泣きと笑いの感動が同時に味わえた。

いやあ、よかったよかった。

AIシリーズ最高! これからよろしく

物語構造に仕掛けがある」という構造に仕掛けがある

そんな前作並みの感動の完結後、前作ではたった一文で示唆され、シリーズを跨いで追っているファンの度肝を抜いた、打越鋼太郎作品で度々登場する「アイツ」の件。

今作では1文ではなく、短いながらもちゃんとしたシナリオが展開することになる。

物語構造に仕掛けがある」という構造に仕掛けがあることが明かされる。

これ自体は、シリーズは異なるが同じ作者の作品を踏まえるとさもありなんではある。

しかし、その味わいは全く異なっていた。

そもそもこの種明かしがグランドフィナーレの後に来るという構成根本的に何かおかしい。

これを「アイツ」の功績によって得られたシナリオグランドフィナーレにするのではなく、「アイツ」が少ししか登場しないシナリオグランドフィナーレにする。

これになんの意味があるのか。

AIシリーズは、まだ終われない。

2022-11-15

anond:20221115182031

ただでさえ後釣り的な「横だけど」宣言自体信頼性が皆無なのに、

よりによって自分最初に「横だけど」と言わなかったことにより生じた会話の齟齬を、

口撃すれば自分が有利になると思い込んでるのがマジで気持ち悪いんだよな

これに関してはマジで「後から宣言」する奴みんな同じ立ち回りするし、この手を使ってなんとかレスバに勝とうと頑張ってるのは多分かなり少数なんだと思う

2022-11-13

anond:20221113111419

電話か直接会えばリアルタイム齟齬を訂正しながら話せるから

メールは悪文の解読コスト相手押し付けるクソみたいな伝達手段

んで悪文書くやつはそれに気付いてないのでメール好きと

2022-11-11

anond:20221111133624

うちはタスク管理ツール社長命令ださせて徹底させた。

おかげでコミュニーケーションの齟齬はかなり消えたと思う。

個人間のチャットSEのワイ以外見れない)も奨励したし

・・・前職で会社メール不倫をやってたやつおったが今回は大丈夫やろ!

2022-11-06

anond:20221106132121

あなた美少女動物園に対する認識は間違っている

よく分からんけど、美少女動物園って安く手軽に儲かるジャンルじゃねーの?

本当に儲かるんだったら、こんなに減ったりはしねーよ。


美少女動物園齟齬が生じやすいので、次のように簡易的な定義をする。

とにかく、登場人物になるべく男性がいないことが重要。誰にも自己投影ができないようにすることで、現実動物園で檻の外から動物を見るように、画面からかわいい女の子の掛け合いを見て楽しむことができる。

それに加えて、厳格な定義としてニコニコ大百科の「難民」における「難民キャンプ扱いされやすいアニメの特徴」というところから引用する。


きららアニメで続編決定した作品はいくつかあるけど、それ以外の美少女動物園は「ゆるゆり」と「のんのんびより」ぐらいしかない。

したがって、美少女動物園簡単に儲かるジャンルとはいえない。


ちなみに、続編が決定したきららアニメはこんな感じだな。


そんな中、アニメ産業海外売上が2014年ぐらいから急速に伸びていき、2020年には国内売上を超えてしまった。詳しくは「アニメ産業レポート」を見てくれ。

当然、アニメ業界国内人気より海外人気を重視するようになる。


海外人気の高いジャンルジャンプ原作マガジン原作ラブコメとかあるけど、最も象徴しているのがなろうだ。

まず、なろうアニメ配信に非常に強い。実際、dアニメやAbemaの再生回数が非常に多い。

そういうところがあるのか、海外動画配信サービス業者が配信ライセンス料を高い金額で買ってくれる。だから、たとえ国内全然話題にならなくても続編が簡単に決まる。

特にデート・ア・ライブ」や「月が導く異世界道中」は時代象徴している。前者は、中国を中心に人気が爆発して続編がどんどん決まる。後者の方は、日本テレビ史上最高の海外セールスを記録した決算資料アピールするぐらいだ。

来期の2023年アニメは全なろう時代といえるクールだ。作品数は50作ぐらいあるけど、そのうち19作はなろうアニメだ。

※「デート・ア・ライブ」はなろうアニメではない。


一方で、海外人気のない美少女動物園は廃れていった。

放送されるアニメはどんどん増えているのに海外人気のないジャンルはほどんどない。


オワコンかどうかは俺たち買い手が決めることではない。売り手が決めることだ。

から、俺は経営者目線ならぬ製作目線で「きららアニメオワコン」と言っているんだ。(製作アニメを作る資金提供するところ。)

2022-10-29

anond:20221029223137

うん言える。

恋とか愛以外の話は普通にみんなと仲良くできるし、友達も多い…まあまあ多いほうだとおもう。

自分自分の良しあし判断するのはむず痒いけど、少なくとも周りから仕事や遊びに誘ってもらえるうちは、嫌われたり、煙たがられたりしまくるようなタイプではない、とおもう。

だとすると、ほかの話題問題はとくにないってこと。

じゃあ何らかの問題かなんかは、恋や性に関する部分の食い違いか何かだってことでしょ?

その他の部分に何も問題はないし、じゃあたぶんセクシャルの話とかになってくるんじゃない?

あほかに原因があるのなら知りたいけど、私が齟齬差異を感じるのは本当に恋愛に対する感覚だけだから、その部分としか言えないと思ってたんやけど、ちゃうかもしれんなら教えてほしいな?

あと発達障害とかそういうんはわかんねえのでノーコメント

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(2)※末尾に追記

(1)anond:20221023223518からの続き

 いくら視覚的な識別手段機能しない状況下で重要な働きをするとはいっても、これらの三感覚によって人間は、本当に相手のことを知ること、理解することが果たして出来るであろうか? 例えば、聴覚によってパートナーの本性を知ることが、人間に出来るであろうか? 正直に言えば、私はそうは思えない。

 例えば、和漢朗詠集などに収められている和歌に次のようなものがある。

 「いつはりの 無き世なりせば 如何ばかり 人の言の葉 嬉しからまし(もしも、この世界に嘘[ウソ]というもの存在しなかったならば、どれほど素直に、想い人の口にした言葉を喜ぶことが出来ることか)」

 二人きりの閨(ねや)で同衾して、耳元で甘い愛の言葉を囁かれても、それでもなお。これは、そういう歌ではないかと、私には思える。あるいは逆に、愛の言葉を幾ら紡いでも、想い人がこの歌のようなことを言って信じてくれない。そういう人の役割を演じて詠まれたとも考えられる。

 このように、視覚が働こうが働くまいが、嗅覚聴覚・触覚が働こうが働くまいが、それらの感覚によって得た情報から築き上げるパートナー像は、畢竟、想像産物であって、実像とは異なるところがある。したがって、引用した箇所に示した小松和彦言葉想像力による夢幻世界における営み」という記述は、現実を的確に表現した、極めて正しいものであると言える。

 ただし、そのような現実を突きつけられた時に抱く感慨が、男と女との間で大きく異なるのではないだろうか。

 視覚的な情報を強く志向する男という種族は、その視覚の働かない状況下で、代替手段として精一杯に駆使した嗅覚聴覚・触覚によって得た情報を元に、必死で作り上げたパートナー像という理解が、単なる想像産物に過ぎないと言われたら、大きな心理的ショックを受ける人が大多数なのではないだろうか。

 それとは対照的に(と言っても私は女性ではないから、あくまでも私の[それこそ]想像に過ぎないのであるが)、女性の多くは、昔の人でも現代人でも、仮に「視覚によってであろうと、嗅覚聴覚・触覚によってであろうと、あなたの得たパートナー像とは、あなた想像産物に過ぎませんよ」と言われたとしても、案外あっさりと「そうでしょうね」と言って受け止めることが出来る人も少なくないのではないか。そのように私には思える。

 もし仮にそうなのだとしたらの話ではあるが、それは「覗き見の禁忌」の本質として小松和彦も指摘した、あの「『本来女性の姿』を晒すことの禁忌」によって、多くの女性日常的に、好むと好まざるとにかかわらず、化粧その他の余所行き用の装いを強いられる経験、すなわち「今現在(明かりの存在する状況下≒現世)の我々が互いに見ている/見せている姿は、そもそも仮の姿である」という経験を積んでいるからではないだろうか。だから、上で述べたような「想像力による夢幻世界における営み」と言われても、女性の心の中では男性のようには齟齬や混乱を生じ難いのではないだろうか。

 もしかしたら「虫愛づる姫君」の中で言われる「鬼と女とは人に見えぬぞよき」という言葉は「本当の自分他人に見せること/知らせることが許されないのは、辛いことである」という抑圧の面と同時に「本当の自分他人に見せずに/知られずに済むのは良いことである」という解放の面をも併せ持つ、アンビバレント言葉なのではないだろうか。

 『鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴は、女性作家であると推測されている。だから、ここで私が言うような「嗅覚聴覚・触覚により相手(人間)の本性を看破・把握する[できる]というのは、畢竟、幻想に過ぎない」ということも「女は本当の自分を隠さざるを得ないように強いられている」という現実も、先刻承知の上で作品執筆したものと思われる。

 『鬼滅の刃』の主要な女性キャラクターには、胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ甘露寺蜜璃のような「本当の自分他人に見せられない/見せられなかった」という女性たちが登場する。その中でも、胡蝶しのぶの印象深い場面として、竈門炭治郎の鋭敏な嗅覚によって「何か怒ってます?」という言葉を掛けられ、彼女の心の裡に秘めていた鬼に対する強い怒りと、その元となった深い哀しみの感情が察知されるという場面がある。この描写には「虫愛づる姫君」の「人に見えぬぞよき」という言葉類似する、女性のアンビバレンスが込められているように私には思われる。亡き姉の生前笑顔溢れる姿を理想像として、それを模倣して演じているとはいえ、胡蝶しのぶには、甘露寺蜜璃や栗花落カナヲとは異なり「本当の自分」を隠すべき強い理由は、さほどないようにも思えるが、しかし、それでも何らかの理由で思いを隠したかったのであろう。その上で、他人から隠したいという思いと他人に知って欲しいという二つのアンビバレントな思いを、胡蝶しのぶは抱いていたのではないだろうか。炭治郎に本当の感情を察知された時の胡蝶しのぶの表情には、そのアンビバレンスが顕れているように見えたと言ったら言い過ぎだろうか。そんな胡蝶しのぶに似た女性は、現実世界にも多数存在するように思われる。

 そのような思いを抱いて生きざるを得ない女性たちに対する、救済の思いを込めて、嗅覚により心の本音を察知するという描写を『鬼滅の刃』の作者・吾峠呼世晴は生み出したのではないだろうか。

 それは虚構に過ぎないかもしれないが、それでも「この世界と人よ、斯くあれよかし」という、慈しみを込めた虚構である

 そして、そのような虚構には捨て得ない価値があると、私は思う。何故なら「過酷現実を知っても、それでもなお」という、表現者としての覚悟のようなものを感じるからである

(了)

(2022/10/25追記)香り嗅覚による本性の察知・看破または偽装について論じるならば、珠世様の血鬼術にも言及するべきであった。完全に失念しており、これは初歩的なミスである。お恥ずかしい限りである

2022-10-22

「生きづらい私は発達障碍者でした」の作劇について

なんか両極端な感想が多いのは、あえて主語を大きくして言うと「男性には忌避される」「女性は受容しうる」物語構成になっているからだと思うな。

https://anond.hatelabo.jp/20221022121601

この感想、読解について少し思うところがあったので書いておきたい。自分漫画よりも演劇とか脚本の方が馴染み深いので。

最初に書いておくと、他人様の人生他所のご家庭に物申せるほど人生を生きてないので、あくまでも"漫画"や"作劇"としての話になるよ。

コミックエッセイとしてどうか?

まず、エッセイなんだから随筆、いわゆる散文であって、そもそも構成パターンが無い。何しても良い。

そういう意味で、例えば三幕構成じゃないとか起承転結が無い、みたいな批判はできない。

別にエログロじゃなきゃいかんとか、カタルシスが無いと、みたいなのも無い。

商業作品じゃないから、売れ線かどうかも無視できる。

じゃあ、何を言いたいのか、それは伝わってるのか、という点だけ気にすれば良い。

その意味で、"ある特定の読者には受容される"お話の流れになっていると思う。

それが、"漫画が読めるハッシュタグ"と銘打つには弱いのがポイントだと思う。

作劇としてどうか

良い点と悪い点をリストアップしてみる。

これはそのまま、忌避される理由、受容される理由になる。

良い点
  • 努力するがうまくいかない、何故か嫌われるという質感
  • 生きづらさが、自分生得的なものだったという表現
  • 過去はやり直せないが、わが子の理解者として生きていこうとする前向きさ

最初に"受容される理由"からだけれども、共感を得られやす物語構成になっている。

多かれ少なかれ自身ではどうにもならない理由で嫌われたり上手くいかないことは、まあ良くある。

そして、それを克服するのではなく、受け入れる、その上で前に進むというのは、前向きなメッセージ性を持つ。

から特に前半の「生きているだけで嫌われる」という部分に共感する人には、とても良いコミックエッセイになっていると思う。

悪い点
  • 職場で虐められる描写のみで始まる
  • わが子への感想が「いじめられそう」
  • 自身の診断結果への感想が「ただ生きているだけなのに嫌われる」
  • 私が悪いわけじゃなかったんだ、さらに、わが子の理解であることができる
  • 祈りを込めて、わが子が笑ってくれれば自分も救われる、と結ぶ

次に"忌避される理由"だけれども、何の解決も行われていないから、に尽きる。

例えば、嫌われる理由最後まで明らかにならない。"生きているだけで嫌われる"ことが自明のこととして描かれている。

空気が澱んできた、という描写も、特に解消されない。なんかよくわからないけど嫌われる、そして虐められる、という流れが覆らない。

そうすると、わが子を見て「ただ生きているだけで嫌われることがありませんように」という祈りは、ゾッとする描写しかならない。

文字通り、祈ることしかしていないから。

なんなら笑顔じゃなくなったわが子と折り合いが付けられない可能性すら感じさせるコマで終わっている。

どういう作劇なら良いのか

コミックエッセイなんだから好きにしたら良いんだけれども)一般受けする形式に寄せる場合ね。

例えば、包丁を突き付けられるっていうのは結構インパクトがある。そんなバイトある?と思うかもしれないけどワリとある

俺は一度角材でぶん殴られたことがある。まあ、工事現場交通誘導に失敗したからなんだけど。

まあ、「ドタマかちわったろか!」みたいなのは、生死に直結してしま職場では結構ある。

から、例えば調理場で色々言われて慌てふためいて、フライヤーの油を高温のまま床にぶちまける、みたいな事故も起こる。

作業中閉めるな」と書かれた札をうっかり見落として、閉めて鍵をかけたうえで、定時に職場自分しかいないので困って鍵を持ったまま自宅に帰り、次の出社日に返せば良いかとノホホンとしていた実例を知っている。(警察沙汰になったが幸い閉じ込められた人は無事)

何でこんな話をしたかというと、「あの包丁を突き付けられたのには、実はこういう前フリがあった」という対比があれば、ずいぶん違ったと思うから

そういう意味では発達障害を持った人にとっては、これは"話を盛る"って部分にあたる。

「私が調理場に入ると、いろんな人にフォローしてもらっていた。それは私だけだったかも」とか。

「手順書や説明書理解できずに、いつも必死努力して自分なりに書類を埋めていた」とか。

事務職無視されるようになったきっかけは、自分では努力しても覚えられないので、同じことを5回ほど聞いた時だったかも」とか。

捏造してでも、「なぜ」を入れることで、「虐めや悪意」が「怒りや失望」に転換される。

忌避と受容

自分のせいじゃなかったんだ、発達障害から虐められたんだ、この子は虐められないと良いな、少なくとも私は理解者だよ。

これは、共感する人もいると思うし、受容されやすメッセージ性を持つと思う。

まったく同様の意味合いで、これがホラーの導入部だと受け取られたり、苛立ちをもって忌避される構造を持っている。

ある人が日本職場で生きづらい特性を持つ、そういう人も生きやすい世の中になると良いね、というのと

その特性職場のどこかに負荷をかけたり、ことによって生き死に関わる危険を持つというのは、同時に満たせてしまう。

でも、件のコミックエッセイにおいては、虐めとして表現され、自分のせいじゃなかったと安堵までされている。

受容の物語が、"自身の受容"以外を一切排除した形で描かれると、忌避感を持たれやすい。

これは、夫や両親、友人や過去の同僚への回想でも良いけれども、他者とのやり取りを通じてその受容が描かれると忌避されることがグッと減る。

例えば、今は特性理解のあるバイト先に行っています、とか。

もしくは職場では無くて人間関係で悩んでいたという前半部に置き換えて、いまは特性理解してもらえるよう人間関係を構築しています、とか。

他者を交えた分かりやすい受容の物語の方が、受け入れられやすい。

物語構成としてどうか

結構な数の物語が、ある障害を乗り越えるもしくは乗り越えられなかった、というパターンを持つ。

前半部で示された障害が「虐め」であり、乗り越え方が「受容」であるなら、オチは「許し」であろう。過去虐めていた人を許す。

前半部で示された障害が「生き方(労働)」であり、乗り越え方が「受容」であるなら、オチは「生き方を変える」であろう。労働以外に生き方を見出す。

まり、「生きづらさ≒虐め」を「受容≒私のせいじゃない」としてオチが「祈り理解者」とすると、次の展開は「わが子が虐められる≒生きづらい(≠私だけはわかってあげられる)」になってしまう。これは「虐め」という障害を、「受容」して乗り越えた結果になっていない。わが子にバトンが繋がってしまっているがゆえに、解消が行われなくなっている。

いまのままだと、わが子にも同じ苦難が待ち受けており、特にそこに救いはない。

(辛い時期に「お前も結婚して子供を持てば救われるよ」と母から言われるのってバッドエンドでは?)

逆に言えば「わが子が虐められる≒生きづらい≒私だけはわかってあげられる」にするのであれば、障害は「誰もわかってくれなくて苦しい≒理解者がいなかった」にする必要がある。

この場合は、「理解者がいない」という障害を「診断結果を受け入れた自分理解者になる」ことで乗り越えて、オチが「わが子には理解者がいる(私はダメだったがこの子大丈夫)」になる。

まとめに代えて

エッセイなんだから自由なんだけど、狭い読者層向けのつもりで一般的な人に読まれハッシュタグをつけると、齟齬が生じて疲弊することがある。

あんまりエッセイ漫画では乗り越えられなかったパターンを見ることは無いんだけど、実は演劇なんかだとそういうのも良くある。

まあ、「失踪日記」とかは乗り越えられていないパターンになるのかな。あれも他者目線が入ることでああ困った人だなあでも楽しそうだなあ関係者の皆さんは大変そうだけど、みたいな可笑しさが生まれていると思う。

そういう意味では作劇とか全無視して、とても良い質感のクソ職場の虐め描写と同じ質感で今の家庭の会話を描き出すだけでも、かなり一般からもらうフィードバックは変わると思う。

一部読者が「私はわかってるよ」とラブレターを出すだけで救われる作者が多いのは事実だけど、やっぱ一般受け狙うなら一般に受け入れられやす構成の方がお得よ。

2022-10-21

ひろゆきは何にも条件を追加していない

事実関係

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1602904.html

(一部抜粋

ひろゆきさんが提示した21日午後7時から取材インターネット配信することを前提に調整を進めてきた。配信仲介者のユーチューブチャンネルを想定していた。

調整を進める中、ひろゆきさん側から19日、他メディアチャンネルでの配信必須とする新たな条件を提示された。

最初から第三者Youtube取材内容を配信して公開することについて事前で合意したので間違いない。

・その時点では具体的なチャンネルについては指定がなかった。(おそらく)

・その後、10/19に具体的な配信先がFM軽井沢であること、生配信であることがひろゆきから連絡された。

ひろゆき配信場所交渉

ひろゆき取材の打診時点では配信先を確定させていなかったのが分かる記録がある。

10/18のFM軽井沢放送にて、ひろゆき放送局に配信について交渉してる場面がある。

https://www.youtube.com/watch?v=iu-0JrsEBzo&t=2836s

19日に条件を報告したので、配信先について連絡したのがこの後だ。

ひろゆきは当初から配信となることを想定していたが、琉球新報は全く考えていなかった

メディア側の常識として、取材をする側が独占的に第一報を出す権利があると思っている。

琉球新報新聞なので、どんなに早くても報道は翌日以降となる、

生放送されてしまったら、取材しにいったメディアなのに後追い報道になってしまう。

これではわざわざ取材しにいく意味が無くなってしまう為、琉球新報は当然第一報の権利がある録画配信となるのが当然だと認識していた。

一方ひろゆきYoutube上での配信というのはライブ配信を含んだ概念であり、生放送も当然含まれると考えていた。

ひろゆき自身Youtubeチャンネルでもほぼライブ配信しかやってない。ひろゆきにとってYoutube配信とは生配信ことなのだ。

Youtube配信を条件に取材を受けるというのは、ひろゆきからしたらライブ配信を含んで当然の話なのだ

・21日午後7時から取材インターネット配信することを前提

という表現取材ライブ配信することを当初から意識してるなーという印象だ。

配信を伝えられ驚愕、そしてお断り

19日に具体的な配信チャンネル生放送であることを伝えられて琉球新報ビックリ仰天!お断りするハメになってしまった。

ひろゆきは当初の想定通りの条件を確定させただけなのだが、琉球新報は当たり前と思い込んでいた録画配信の条件でないことを条件追加だと思ったのだ。

これは双方の認識齟齬引き起こしものであり、どっちが悪いというのは微妙な話だ。

ライブ配信で決定するというのは新聞からすると、独占的に取材記事を出せる立場から後出し記事を出す側に逆転してしまう。

スクープを出す側から提供する側になってしまう。ライブ配信取材をするという意味オールドメディアアイデンティティを潰す位の話なので。

それを今まで条件に無かった!追加だ!というのはメディア側の驕りも含んでるかなーとも思うけど、

ひろゆきメディア特性理解した上で意図的新聞社の取材価値を潰しにいってそうでカスだなーと思うのでした。

追記

https://twitter.com/hirox246/status/1583360777259712512

ひろゆき「言った言わない」になるから公開のLiveでやりたい。

配信URLを送る

琉球新報「条件が追加されたため、準備が整いませんでした。」

どこに追加の条件が?

また、配信URLクリックするのにどんな準備が必要なのですか?

取材から「言った言わない」になるとは思わなかった。。。

やっぱひろゆき配信=Youtubeライブ配信だったね

メディア云々ってのはスクープを先に盗られることね。

2022-10-16

anond:20221016180711

anond:20221016104530

↑の増田

追記

文章中で結構疑問文あるけど、それらはお互い面倒くさいだろうから全く答える必要なし。なんなら返信自体くれなくていい。それよりゆっくり考えて。善人を騙るのであれば全部読んで端的に反論して俺を納得させろ。

個人的に、善人って名乗る奴は荒らしとか誹謗中傷する奴より苛つくんで、つい噛みついた。悪かった

俺以外の誰かが漫画とかで正義感養うこと自体否定しない。ただ「完全に理解した」で思考停止するのはバカのやることなんで、気をつけて。

追記




まともなトラバが返ってくると安心するなあ。

ちゃんと律儀に返すのは誰にでもできることじゃない。

さんざん小馬鹿にしてくる俺のことを本心でどう思ってるかはともかく、そこは元増田美徳だと思うわ。

ただし、それすなわち善行ではないか勘違いすんなよ。




結論から言う。

あえて断言するけど、元増田は善人ではない。

これから結構キツいこと言うけど、善人でありたいと願うなら、俺がこれから偉そうに言うことを肝に銘じとけ。

ちなみにかなり長いから、あんま傷つきたくないなら最後のまとめだけ読んで。

過去善行

  • 道に迷っている人を見かけて道案内をした
  • 電車で席を譲った
  • 店員に対してありがとうなどの謝辞を都度行う

1つ目に関してはまあ善行でいい。

3つ目は正直、俺からすると「いただきます」「ごちそうさま」並に当たり前で日常行為だ。自ら善行宣言するにはいちいち覚えてられないほど小さい。

というかこれは元増田自身言ってるが、ただの感謝しかない。

追記

感謝って何か分かるか?

感謝ってのは、相手が先に何かしてくれた結果、それを得難いものだと思ったから出てくる気持ちなんだよ。

まり、「相手が先に何かしてくれた」の時点で相手にとってはマイナスで、感謝言葉を伝えたところでマイナスが精々プラマイゼロにはなっても、善行と呼べるほどプラスになることはない。

この場合善行と呼べるのは元増田行為じゃない。先に施してくれた相手行為だ。

いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」全部そうだ。

そこに気づいてない時点で考えが浅い。

追記

一番の問題は2つ目だ。一見善行に見えるだけにタチが悪い。

重要情報が2つ抜けてる。「誰に譲ったか」と「席を譲るまで元増田がどのように席を確保していたか」だ。

情報を補足して、たとえば「電車で席に座っていた元増田は、目の前にいた高齢者を見て席を譲った」だとする。

このような場合だと、やっぱり自ら善行宣言するには弱過ぎる。

別に高齢者じゃなくて妊婦でも子連れでも障がいのある人でもそうだけど、大抵の人は一、二回遠慮するもんだ。そういうやり取りによるストレスが、座れたことによる安心感を上回る場合もある。

さらに、目の前に席を譲る対象がいなかった場合元増田は「誰に席を譲ろうか」と考えて車内を見回すだろう。その選択はどのようにしている?自分の中で優先順位があるんじゃねえの?見た目じゃ分からない辛さを抱えてる人だっているだろう。ホントにそれは善行なのか?

からしたら、席を譲るというのは独善的行為だ。譲らないよりはよっぽどマシだけど、「不良が子猫を拾う」みたいなもんで自ら宣言するほどのものじゃない。

それに比べたら、「電車ん中?譲ったりすんの面倒だからずっと立ってる」って奴の方がよっぽどまともだ。

元増田自身普段は座ってないと辛いタイプ人間だったらすまんけど。

てか、それくらいのことしか挙げられないの?本当に小さすぎる。それくらいならいくらなんでも俺だってするぞ。

駅構内で明らかに困ってる男性外国人声かけて乗るべき電車教えたらめっちゃ感謝されて無理矢理駅構内の回らない寿司奢られたとか普通にある。いやこれは俺的にすげえ対価貰ってるし、善行じゃねえけど。

追記

ちなみに上記以外にも道案内したことが何度かあるけど、俺は八方美人しがちで「人助けしてる俺カコイイ」って欲がある。だから俺の道案内は善意じゃないし善行でもない。自慰行為たまたま近くにいた他人を巻き込んだだけ。

追記

人名乗るレベルが低過ぎるだろ。

善意

基本的には「他人に対して良い結果になるよう想える意思」が善意かなと思います

結果的にその「良い結果」が人を殺したり、他人迷惑をかけることになるとしても「想い」自体善意かなと思います

他人」て誰?心理的に身近な人?その選定基準は?

他人迷惑をかける」の他人とは同じ人なの?別の人なの?

「良い結果」ってのはその他人にとっての良い結果なの?それとも元増田にとっての良い結果なの?

元増田善意による「良い結果」が人を殺したら、元増田は事後的にその善意についてどう考えるの?反省するの、しないの?

「良い結果」と、「良い結果が人を殺した」って事実とをどう(追記:「どう」っていうのは、「人を殺したり、他人迷惑をかけた」以外にもどこかに影響が出てる可能性があるだろ、その影響範囲の内外を線引きする覚悟は出来てんの?みたいな意味)天秤にかけて、誰が(追記:どちらがより悪いかを)判断するの?

考えが浅すぎる。善人を名乗る決意が安っぽすぎる。むしろ一周回って悪人に見える。鱗滝左近だって色々言ってるだろうが。漫画からなんも学んでないじゃん。鬼滅読んでないなら知らんけど。

善人

最初記事で、元増田

俺は自分を善人だと思ってます

学の無さや配慮の無さ、怠惰性がたたって良い結果にならない事があるのは自分でも認めるところですが、基本的他人には善意を持って接したいと思っていますし、自分に関わった人間には良い気持ちでいてほしいと心から思っています

と言ったな。

これを俺は、元増田が「俺は基本的に善人である」と個人的に思っているのだなと捉えていた。

から元増田に噛みついたわけだ。こいつ信用できねえと。

で、俺の質問元増田の思う『善人』の定義は?」に対する回答はこうだ。

上記のような想い(善意)を持っている人間は「善人」かなと思います

逆に同じ人でも「悪意」を持っているタイミングでは「悪人」と捉えることができるかと思います

善人悪人は二分されるものでなくその時の状態を表す言葉と捉えるのが個人的にしっくりきますね。

おいおい。

それ最初追記:元記事の時点)に言わないといけないやつだろ。

元増田は以下のどっちなんだよ。

  1. その時々で善人だったり悪人だったりするが、たまたま記事を書いた瞬間は善人の状態であると思っていた
  2. 基本的に善人の状態であると思っている

どちらにしろそれ以外にしろ、善人でありたいなら「善人」って言葉に対するそのクソ甘い認識は改めろ。

自分は善人である」、そう思うのは自由だ。自己暗示かもしれないし。

だけどそれを人前で言った瞬間に、その言葉元増田自身定義「二分されるものでなくその時の状態を表す」をもって矛盾か、嘘か、傲慢になる。

その矛盾や嘘や傲慢は、自覚のありなしに関わらず、少なくとも俺にとっては悪意以外の何物でもない。

かろうじて元増田にとって悪意ではなくても、その矛盾や嘘や傲慢は、善人であろうとすればするだけ元増田自身を苦しめるだろうが。

その定義に沿うなら、せめて「俺は常日頃からできるだけ善人の状態を維持したいと思ってます」と言え。

倫理観

文化するのは難しいですが「社会で生きていく中で他人とのトラブルを避けることができるような考え方、マインドセット」という感じですね。

辞書定義と合ってるかは置いとく。そういう話じゃないし。

でもそれ(追記元増田定義)、元記事の「善意を良しとする考え方(正しい正義感)」と何か関係あるんか?

要は事なかれ主義ってことだろ?そうとしか読めねえよ。(追記元増田の言う)善意だとか正義感とかと全く関係ない。

ハッピーエンド

誰かの視点で納得のいく、モヤモヤとしたものが残らない結末。ですかね。

それは個々に変わると思います善意はその主観的ハッピーエンド押し付けかなと。

長い追記

善意はその主観的ハッピーエンド押し付け」について。

いやも〜、この言葉がまじで意味分かんなすぎて、俺、あんま考えずに強い言葉で断じちゃったよ。

ちょっと反省してる、ごめん。

お互いの認識齟齬があるかもしれないから、修正するために補足する。修正できるか分からんけど。ややこしいし。

まず、「善意はその主観的な〜」の「その」ってのがどれを指してるのかすっげえ分かりにくい。

指示語(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/指示語)の多用は読者に要らぬ誤解を招きやすいから気をつけた方がいいよ。俺も気をつけるわ。

で、今んなってよ〜く読むと、なんとな〜く「その」は「誰か」のことで、「その主観的ハッピーエンド」は「誰かの視点で納得のいく、モヤモヤとしたものが残らない結末」のことなんかな〜ということがかろうじて分かる。

すなわち「善意はその主観的ハッピーエンド押し付け」を読み替えると、「善意とは、『対象自身が納得でき、かつモヤモヤとしたものが残らない結末』を、同対象に対して押し付けることである」ってことになる。

元増田が言いたいのは、そういうことなんだよな?

いやいやいや、分かりづれえって。

俺はさあ、この記事を書いた当時、「え、意味分かんね」ってなった後ちょっと考えて、「その」は直前の「善意」のことなんかなと思ったんだよ。

そうすると、「善意はその主観的ハッピーエンド押し付け」って言葉は、「善意とは『元増田主観的に考えたハッピーエンド』を『誰か』に対して押し付けることである」って読める。

から当時はまじでイラッとした。

違うんだな。やっと分かった。あ〜疲れた

以上の追記と、元増田が思うハッピーエンド定義総合し読み直して、ついでにちょっと言葉遣いもアップデートして俺の主張をあらためると、以下のようになる。

ハッピーエンド押し付けとき対象が善人の状態悪人状態かは気にしねえの?「善人悪人は二分されるものでなくその時の状態」なんだろ?

押し付けときに善人か悪人かで結末が違ってくるかもしれないし、同じ結末でも善人か悪人かで納得したりしなかったりするんじゃねえの?

押し付けるって言葉曖昧だし情報不足だよ。

元増田対象に、ハッピーエンド押し付けることの合意を事前に取るの?取らないの?

合意を取るのであれば、ハッピーエンド押し付けるのは元増田であるって情報対象に知らせるの?知られないようにするの?

合意を取らないのであれば、どうやって対象が求めるハッピーエンドを導き出すの?

ていうかそもそも「結末」ってなに?どの時期・どの場所・どの目標ゴールポストを置くの?置くところは誰がどういう基準で決めるの?

たとえば、一旦元増田善意でなんらかの形で結末の位置が決まってハッピーエンドを迎えた善人が、後の人生でバッドエンドを迎えたらどうすんの?心を痛めるの?反省するの?あるいはバッドエンドを迎えないようにその善人の一生をずっと見守るの?それともハッピーエンドの後については関知しないの?

もうね、いくらでも出てくる。正直ツッコミどころが多すぎてキリがない。

「あっ、元増田ハッピーエンドが好きなんだね〜良かったね〜」ってことしかからない。

なんで俺がわざわざネチネチこんなにツッコんでるか。

ツッコミの回答がどうあれ、元増田の善人を標榜した上での態度は無責任なんだよ。

もっとクリティカルツッコミしてやるよ。

対象が考えるハッピーエンドが「人類滅亡」とか「不老不死」とか「異世界転生」とか「世界平和」とかだったらどうすんの?

そういう、ゴールポストが遠すぎて現状実現可能性の著しく低いハッピーエンドを、元増田は見て見ぬふりするんじゃねえの?

見て見ぬふりしねえなら、善行もっと出てくるだろ。

なんにしろ元増田がやってんのは善人じゃない。

元増田が俺に見せてるのは最初から最後まで、善人のフリを見抜かれてもなお無邪気に見せかけの善意を振りまく悪意だよ。

やべえ、もっと言葉強くなっちゃったかも。

一応元の主張も残しておく。

追記

誰かって誰?特定第三者ランダムに選んだ第三者元増田?その人自身?それとも不特定多数の人?

モヤモヤとしたものが残らなければ良いんだったら、バッドエンドだってそうなり得るだろうが。その「誰か」が具体的に誰を指すかは知らんけど、いずれにせよ元増田定義により、「善人の状態」とは限らないんだから

主観的ハッピーエンド押し付けは、それはもう全くもって善意じゃねえ。

偽善で、独善で、余計なお世話だ。

まとめ

全体的に考えが浅い。徹頭徹尾自己中心的曖昧模糊で矛盾が多すぎる。

あえて元増田定義をガン無視して言うけどなあ。

善人ってのは、自分自身でそうと判断するんじゃねえ。

ただただ黙々と善人で「あろうとして」、何かに尽くした元増田言動を、元増田意志とは関係なしに「たまたま」見た「誰か」が判断するんだよ。

から「誰かにとっての善人が、他の誰かにとっての悪人」ってことが起こる。

善人ってのは、自分で名乗るもんじゃねえんだよ。んなもん、言った瞬間に、元増田の想定しない「誰か」にとっての嘘になる。想定してる「誰か」だって幻滅するかもしれない。「森羅万象にとっての善人」なんてあり得ねえんだから。どっかにいるんなら具体例を挙げてみろ。

かにとって嘘と判断されることを受容できてなお善人を自ら名乗るってんなら、元増田はもはや善人じゃない。いつでもどこにでもいくらでもゴキブリみてえに湧いてきやがる、クソったれな偽善者だ。

そう言われるのが嫌なら、発言する前にもっとよく考えろ。

んでもって善意とは何かと考え続けろ。

これは漫画百万冊読んだくらいじゃ到底解決できない。ひたすら長くて、複雑で困難で苦しくて、だけど唯一真っ当で、一生つきまとう課題だ。

2022-10-12

anond:20221012180553

からだが、編集担当仕事作品の種類によって割と違うぞ。


出版社による「編集」というのは大きく分ければふたつの側面がある。

雑誌 (とか出版社として得意な種類の出版物) を企画してそれに沿うように作家監督する」という企画者としての編集

作品を成立させるための資料集めや手続きマーケティングなどを行う」という代理人としての編集


漫画ラノベなどのエンターテイメントは前者寄りになる。 出版社意向に従えという力が強く出る。

作品の質が一定以上に面白いということは当然の大前提だけど、人気が出るには広く人目に触れるというのが重要なので広告力がものをいう。

まず存在を知っているという前提がないと選択肢に入らないんだから当たり前だよね。

更に言うと単純接触効果と呼ばれる現象があって、内容にかかわらず頻繁に目にするものには好感を持つものなんだ。

誰もが知っている大人作品であるワンピース」「名探偵コナン」「プリキュア」などより面白い作品というのは世の中にいくらでも埋もれているよ。

でも、これらに人気があるのは大手が大々的に広告しているからだ。


作品の人気に作家が貢献している割合というのは (たぶん作家自身が思っているよりは) ずっと小さい。

とはいえ、前述の「一定以上に面白い」というラインを越えられる作家すら割合で言うとそんなに多くは無い。

そしてどれが一定以上に面白いと思ってもらえるかってのは事前にはわからん

からある程度には多様性を維持するしかないし、その中でもなんとかウケる手法確立しようと出版社努力する。


状況が変わったのはいわゆる「なろう小説」の存在だ。

ウェブ上に投稿された素人作品の内でそこそこ人気があるやつを出版するという方法

ある程度はウケているということがわかっている作品出版する形になる。

どうすればウケるのか考えなくなるし、作家を育てるということもなくなる。

出版社存在価値が手続き流通だけになっていって作品に口出しするだけの知恵が失われているんだ。

口出しできるだけの能力がないのに昔のようなやり方が通用すると思ってるからいろんな齟齬が生まれグダグダだ。

2022-10-09

倫理観の共有のために何が嘘なのか検討してみる

anond:20221008113321

倫理観の共有」をするためには、

  • 何が嘘だと思ったのか(対象
  • どうして嘘だと思ったのか(理由

まずこれらの認識を共有する必要があるよね。

そもそもどこにも嘘はないと思っている人もいるし、あなたが嘘だと思っている点が誰かにとってはそうではないかもしれない。

倫理観の共有っていうのはその先にあるんじゃないのかな。

というわけで自分検討した5つのポイントを共有し、最後倫理観の共有を試みてみるよ。

1点目

対象座り込みを行っている人達24時間座り込んでいないこと

理由辞書に「座り込みとは24時間座り込むこと」と書いてあるから

調べてみたけど、24時間座り込むことが座り込みだと書いてある辞書は見つからなかった。

どの辞書にも座り込む時間についての指定特にいから、何時間座り込んでいれば座り込みと呼ぶかは特にまりがないみたい。

2019年河村名古屋市長表現不自由展への抗議のため行った座り込みは7分間だったみたいだけど、まあ座り込み座り込みなのかな。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/takashi-kawamura1008_jp_5d9bf259e4b09938980543a6

よって自分は嘘ではないと判断した。

座り込み時間論議結論がないか不毛だね。

2点目

対象座り込みを行っている人達24時間座り込んでいないこと

理由あなたが「座り込みとは24時間座り込むこと」と思っているか

これはね、座り込みをやっている人達は「座り込みとは24時間座り込むこと」と思ってないんだよ。

座り込みの参加案内にも「座り込み時間は平日の午前8時から午後4時までです」と書いてあるから、それが彼らが決めた現時点における座り込みルールなの。

(あとは参加案内にはないけど「搬入車が来るタイミング座り込みます」もか)

https://lovehenoko.org/%e5%ba%a7%e3%82%8a%e8%be%bc%e3%81%bf%e5%8f%82%e5%8a%a0%e6%a1%88%e5%86%85/

少なくともそのルールに基づいて座り込みが行われている限りは嘘ではないよね。

別の観点で「世間一般で使われている意味と違うから嘘」と言う人もいるけど、ある言葉についてよく知っている人とあまり知らない人の間で意味齟齬が生じることは結構あるよ。

2点目も嘘ではないと判断した。

ちなみに世界各地の座り込み(sit-in)運動を紹介してくれてる人がいるけど、世界規模で見ると「座り込みとは24時間座り込むこと」は共有されてない感じ。

https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1577279730537365505

24時間やってそうな座り込みを探したらパキスタン学生デモが見つかった。だけど「座り込みとは24時間座り込むこと」ルールに基づくなら「寝てるから座り込みじゃない」ってことになるね。

https://twitter.com/QasimBaluch/status/1578670118787108865

3点目

対象座り込みを行っている人達看板で「連続座り込み3000日」とアピールしていること

理由:休んでいる日があり連続ではないか

なんかこれを言ってる人もいるみたいだけど、看板のどこにも「連続」って書かれてないよね。

https://twitter.com/oogesatarou/status/1577827323209928704

4点目

対象

でも、先月時点の看板には「常時監視」って文言があったのね(ひろゆきが来た時点ではなぜか消されてた)。

理由

常時監視運動関係者発言からするとかなり昔にやめていたようなので、嘘の可能性が高いよね、これ

まず、関係者は「以前は搬入時間が決まっていなかったので24時間監視していた。今は決まった時間搬入されるのでやめている」と言っているから辻褄は合っていると思う。

それが嘘かどうかは誰も辺野古に行って確認していないか判断のしようがないね

よって「嘘」とも「嘘の可能性が高い」とも判断しない。

次に、あなたひろゆきさんが見に行った時点での看板問題にしているんじゃなかったの?

過去任意の時点まで遡って看板記載に1つでも誤りを見つけたなら現在は誤りがなくても嘘つき認定していいってこと?その倫理観は共有できないなあ。

5点目

対象ひろゆきさんが「座り込みとは24時間座り込むことと辞書に書いてある」と言ったこ

理由辞書に「座り込みとは24時間座り込むこと」とは書かれていないか

ひろゆきさんは質問に答える形で「24時間してないと座り込みと言わないという定義辞書に書いてある」と言ってるね。

https://twitter.com/atsushi_mic/status/1577552578485030912

1点目に書いた通りどの辞書にもそういう記述はなかった。だからこれは嘘だと判断するよ。

まとめ

ひろゆきさんは悪い人だね!(倫理観の共有)

あなたはどうかな?倫理観を共有できたかな?

2022-10-05

anond:20221004223342

オレオレ、俺だよ。

この増田への返答を絡めた、前回の俺の主張の補足

ごく稀な例外的事象根拠として反論するのは無意味

厳密には俺の主張の帰結としては反論ではなく、元増田情報不足に対する補足なんだけど、これは俺がそうとも読める書き方をしたのが悪いな。

「この増田の主張を前提に」俺から言わせれば、ごく稀だからこそ、取り上げることに意味がある

俺の主張の一番重要なところは、「人間が警備する限り、起こらないってことはないでしょ」ということ。

そこを

人間が警備計画策定する限り、本事故のようなことは今後も起こり得る

シチュエーション限定して書いてしまったところは俺の反省するところだけれども。実際他の増田にツッコまれたし。

この増田への反論

明石事故を「ごく稀な例外的事象」とする根拠は?

例外的事象」については、元増田の主張を前提の発言ととればまあ、「俺は」理解できなくもない。

ただ、少なくとも明石事故当事者にとっては例外的事象ではないだろ?

元増田擁護した増田についたブクマカの中にも、当事者として明石事故言及した人たちがいるかもしれない。

その当事者たちは、明石事故経験によって、元増田の主張する「雑踏事故を甘く見過ぎてはいけない」ということを身をもって知ったわけだろ?

そんななかで明石事故例外的事象として捉えてしまって良いのか?

んでもって、「ごく稀」とはどれくらいだ?

どれくらいの期間のうちどれくらいの件数であれば、「この増田にとって」「ごく稀」であると言える?

よく言われることだし、元増田

日本警察であればこんな事はまず起きない

の「まず」にも係るけれども、曖昧言葉遣いは、読み手側に書き手側の意図しない解釈を与えやすく、批判の糸口になりやすから気をつけた方がいいよ。自戒を込めて。

過去の雑踏事故を調べる

さて、ここでまた、このやさしく暇をもてあました俺がこの増田の代わりにちょっとだけ調べてあげよう。

まず、当初俺は「雑踏事故」というワードで調べたのだけど、「群集事故」という呼び方もされているようだ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/群集事故

ここに書かれている内容に元増田の主張と齟齬があるようには感じられなかったので、以下群集事故を調べることにする。

調べた限り、一番事例が載っていたのはこれ。

https://www.wikiwand.com/ja/事故の一覧#群集事故

で、元増田1972年以降の事例を(宇崎ちゃん以外に)挙げていないので、

の条件で絞り込んで拾い上げると、2001年明石事故までに少なくとも2件起きている。

一つずつ挙げていく。

1978年1月27日 札幌市 中島スポーツセンター レインボーコンサート

Wikipediaには項目がなかったが、昭和54年警察白書に事例として記載がある。

https://www.npa.go.jp/hakusyo/s54/s540800.html

ただし、警察事故の起きた当時警備業務に関わっていたか、事前にコンサート概要を把握していたかは読み取れない。以下白書より引用

1月札幌中島スポーツセンターで開催されたイギリスロックバンドブラックモアーズ・レインボー」ショーで、興奮した観客約500人が開演と同時にステージ殺到し、このため、いすにつまづいて倒れた観客が将棋倒しとなり、下敷きとなった1人が死亡、7人が負傷した

1987年4月19日 ラフィンノーズ公演雑踏事故

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ラフィンノーズ公演雑踏事故

この公演に3000人の観客が集まり開演と同時に観客がステージ近くにまで駆け寄り演奏に興奮した一部の観客がステージに上がろうとし、それに続こうとした後続の観客が重なるようにして転倒・下敷きになったのが原因であった。この事故で死者3人・重傷1人・軽傷19人の計23人が被害に遭った[要出典]。主催者は公演前日に警察署に届出をしたが、当日は主催者スタッフのみで警備員の配置を全くしていなかったことも事故を増幅させた。

これは当時の音楽ファンの間では有名な事故みたいなんだけど、情報源を探すのに苦労した。

オークション事故翌日の新聞を出品してる人がいた。

https://aucview.aucfan.com/yahoo/s1053964729/#&gid=1&pid=3

ちょっと目を通すだけでも、Wikipedia記述と相違があるように見受けられる。速報だからかも知れないけど。

画像の中で重要と思われる部分を目を皿にして探すと、

主催者は、公演の一週間ほど前に警察消防管理事務所へ開催届(?)を提出した、と話している

主催者は会場定員の2400人を超える2900枚のチケット販売した

主催者側が警備を依頼したはずの会社は、「契約した当社の業務は観客の案内・誘導だけで、警備は含まれていない」と話している

ことが辛うじて読み取れる。

本件に関するこれ以上の調査図書館行って当時の新聞を読み漁る必要があり、こもりびとである俺の行動できる範疇を超える。誰か調べてちょ。

とにかく、本事故Wikipediaによれば、

これらの雑踏事故が続いて起きたため警察庁は要綱を制定した

らしい。

その要綱の内容は、やっぱり探すのに苦労した。Wikipedia記載警察庁への外部リンクhttpリンク切れになっていて、httpsにしてみてもnot foundだった。

代わりに見つけてきたのは↓。栃木県警上記の要綱を受けて、内部通達した資料と思われる。

https://www.pref.tochigi.lg.jp/keisatu/n15/jourei/documents/11_2.pdf

一応、時期的にも内容的にも一致しているように見える。

詳細は各自で読んで欲しいし、俺も全文はさすがに読んでないんだけど、要綱の

警察は、施設使用公演等に伴う雑踏事故の防止対策資するため、これら事故過去における発生実態及び原因等の分析を行うとともに、タレント等の人気度、観客層の構成等の実態について、平素から把握に努めるものとする。

という記述をみるに、この事故は、その発生以前と以後で警察の雑踏事故に対する態度が変わったという意味で、取り扱っても良い事例かもしれない。

まり元増田の言う、

に、

がこの時点で加わったわけだ。

明石事故は「ごく稀」か?

元増田は主に戦後日本の雑踏警備について話しているので、ここでは戦後1945年以降)に限って話を進める。

群集事故件数の年次推移的な資料を探したのだけどなかなか見つからなかったので、ここは妥協して「報道されるほどの被害をもたらした事故」に限るとし、先ほどの群集事故の一覧で数えることにする。

自分で数えた限り、1945年から現在までの80年弱で、日本では明石事故含め21件ほどの群集事故が起きている。

明石事故前後は、前は先述の1987年ラフィンノーズ公演雑踏事故、後は2003年中日阪神戦でのファン乱入乱闘騒ぎ

ちなみに後者では死者は出なかったものの、誰が使ったか知らないが防犯用の催涙スプレーが使われたとある。なんでや阪神関係あるかわからへんやろ。

んでもって、1945年以降1972年までの28年間に13件、1973年以降現在までの50年間に8件。

当然、

といった点は考慮すべきではある。

これらを見て、この増田やみんながどう思うかは各自に委ねる。

けれども俺としては、明石事故がというよりは、報道されるほどの被害をもたらす日本の雑踏事故自体が、数年に1〜2回程度しか発生しないという印象を持つに至った。

まとめ

大きな事故は、数年に1〜2回程度。

からこそ、恐らく雑踏警備は難しい。

ラフィンノーズ公演雑踏事故の教訓を受けて、「常日頃から情報収集に努める」という要綱を施行した14年後に、明石事故が起きた。

そしてその主たる原因は、過去イベントの警備計画をほぼ流用した警察らの怠慢にあった。

その14年間に色々なことがあったであろうことを隅に置いて物事を単純に捉えると、明石事故当事者の方々には大変申し訳なく思いつつも、警察のこの失敗に共感してしま自分がいる。

もし俺が雑踏警備を主たる業務とする警察官(仮定が成立するかは知らん)で、5年も10年も雑踏事故が起きなかったら、全てではないにしてもいくつかの雑踏警備に手を抜いてしま可能性を否定できない。俺怠け者だし。

長期にわたって怠慢に抗うのは、少なくとも俺にとっては、とても難しい。

ここで元増田の文を引用する。

日本警察がこんな事をしないのは人間の扱いの違いだけでなく技術的に経験を蓄積しているかである

最後

警察って大変な仕事だなあ。

おわり。

2022-10-04

anond:20221004001606

テーマ不明瞭なので〆の

「どうすればいいんだろう」に回答する。

 

一言で言えば「オマエが悪い反省しろ

 

以下詳しく、

そもそも結婚に対する認識が甘い。

どうせ恋愛結婚でしょ?

ダメだよ、流行ってるけど

結婚は家同士のもの

好きだの愛してるだのふわついた気分で結婚しちゃダメ、遊び相手にとどめておけ。

結婚以前にお互いの家(親)同士でネゴシエーションするの

家柄や宗教やら両家の価値観全般齟齬が無いことを確認した相手同士で顔合わせする。お見合いと言う。

それで両者フィーリングが合えば結婚すりゃいい

伝統的なプロセスを踏めばオマエが悩むような事は起きない

 

結婚後のトラブル中立第三者が関与できるように仲人を置く。

仲裁人の選定も両家で合意しなければならない。

仲裁人に盆暮れの挨拶も欠かせない。

 

こういうの面倒くさいと全部すっとばして、だって好きなんだもん、で

いまさら常識が違う、価値観が違う、思ってたのと違う、死にたい

アホですか?w

先人の叡智を蔑ろにした罰だわ

 

それでも結婚続けたけりゃ、価値観の異なる人間を許容すべきという価値観を周りと共有できるように努力しろ

まずは自分価値観他人押し付け傲慢生き方を改めろ。

妻の言い分も、妹の言い分も認めるしかねぇんだよ

解決しようなんて思うな、無理だから、お互い価値観が違うんだから笑って誤魔化してりゃいいんだよ

「まぁみんなそれぞれで、みんな正しいよねーーてへへへへ」

言うとけばええねん

なぁに地球が滅びるわけではない

 

最悪なのは自分価値観の正しさを信じて主張し調整し周りを従わせるの

ハレーションしか起きない

苦労が増すだけ

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