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2019-03-17

anond:20190316152849

似た場面を見たことある

前のロリハンカチ落として、その後ろにいたサラリーマンが呼びかけてた

リーマン幼女距離はそこそこ離れててハンカチは真ん中ぐらい。女児結構勢いよく走ってたんだろうね。

ちょっとハンカチ落としましたよ!」と割と大きな声で叫ぶリーマン

かわいい女の子が振り返ってハンカチ気づき、来た道を駆けて戻ってハンカチを広い、リーマンに軽く頭を下げるとまた駆けて言った。

その間リーマン微動だにせず、ハンカチを拾うどころか駆け寄ることすらしない。ただ大声上げただけ。

いや気持ちは分かるけどそれはどうなんだ?と。

やるなら責任もって助けてやればいいし、誤解うけたくないなら無視すればよかった。

半端な義務感ばかりが先行してそこまで意識するのははっきり言ってキモいよね

2019-03-14

anond:20190314063922

あっごめん預言者気取り妄想でしたか 

それはそれは気づきませんで。

早めに病院いったほうがいいですよ

2019-03-11

anond:20190310214530

やり取りをみてて、ひとつ思ったこと。

表現の自由を守りたいという意見は、それを原則論として語りつつも、背後にある危機感はなんだろう。

ようするに、「快不快」によって表現流通が左右される社会が是か否か、ということが動機のように思えた。

そうであれば、すごくよくわかる。いや、わかるというのは、同意しているわけじゃなくて、なるほどな、だから日本表現の自由ってふわっとしてるんだなということ。

振り返ってみる。

日本表現規制の有り様は、戦前エロ・グロ・ナンセンス発禁にあるように、当局国民の大多数が不快と思うであろう「不健全」で「公序良俗」に反する表現対象としてきた。

そう、「健全」これこそがキーワードなんだな。たぶんね。

まり、割り切った言い方をすれば「健全」と戦っているのが表現の自由戦士だというふうに思える。

でも、ひとたび、「表現の自由」の思想的な出発点をヨーロッパアメリカ歴史から振り返ってみると、戦士動機づけとしてはあまりにも心もとない。

表現の自由とひとことでいっても、思想的な背景は、それぞれ背負っている歴史が異なる。

ここで、それを動機づけという視点比較してみる。

例えば、アメリカ合衆国。日本憲法がお手本とした国だ。

この国の憲法憲法判例が示してきた表現の自由は、ヨーロッパのそれとはかなり異なる。

17世紀にアメリカ最初に渡ったピルグリムファーザーズの世代特に、当時のヨーロッパプロテスタントに対する不寛容被害者であった。

メイフラワー号の協約に象徴されるように、お互いに異なるFaith信条)を持つ者同士が、どちらが正しいとして糾弾することなく、社会を構築しようという、社会多様性の確保が原点だ。

1970年代には、ヘイトスピーチを巡ってさまざまな紛争連邦最高裁まであがり、不協和音こそ社会の強さとまで判決意見で述べているものがある。

当時の裁判官のたとえを援用すれば、空気浄化しようとするやつが社会の敵なのだ

人間は不完全なのだから、正しいものなど、最初から先験的に決められない。ということから、この国では、思想の自由市場などという言い方も生まれてくる。

一方、大陸でも、表現の自由は大切な価値とされている。

しかし、他方で伝統的な価値観や習慣もそれなりに強い。いやかなり強い。

そういう土地柄では、動機づけとして、多様性の確保というのは、正直、あまりピンとこない。

しろ、彼らの原点は、教会から弾圧された経験であり、その反動としての「神を冒涜する権利」だ。

伝統的にカトリック教徒でありながらアンチクライストを叫ぶ、そんな権利を求めている。

とくにフランスでは、公共空間設計するにあたり、真理の判断権を持つかのように振る舞う教会がとてもまずい存在だった。

権力をふるいたがる教会に口出しをさせないことが重要テーマだった。

それゆえ、その解決のため、一方では、表現の自由というコンセプトで権利宣言し、他方で、政教分離という原則確立して、公共空間設計のための理論武装をしていく。

からイスラムスカーフ公立学校から排除しようとしたりする動きが起きるし、

ひとたびムスリムの神を冒涜するような表現したことで、襲撃を受けたりすると、社会は「涜神の権利はいずこに」とがぜん盛り上がるわけだ。



アメリカにしても、フランスにしても、それぞれ動機づけは異なるものの、表現の自由を守ろうとする信念というか確信の力は、

極めて強い。テロがあったり、社会情勢の変化で揺れ動いたりするものの、いざ事が最高裁までいくと、

じゃあ、国づくりの原点に戻ろうじゃないかという話になって、17世紀の悲惨経験が思い出として蘇ってくる。

その動機づけの強さにこそ、新大陸にしても、旧大陸にしても、表現の自由を将来に渡って確保しようとするエネルギー再生産があり、いわば持続性がある。



翻って、日本

健全なるものとの戦い、かぁ。うーん。

不快のような勝手基準で決めつけられたくはないよね、誰しも。

でも動機づけとして、やっぱり弱いんだよね。

ここで、仮に、日本は、アメリカ式の表現の自由を真似っ子しているのだ、としようか。

でも、日本社会は、アメリカほどには、多様性を求めてないでしょ。むしろ移民なんか大嫌いでしょ。

多様な意見なんか、どの組織でも出てこないでしょ。会議でも右に習えでしょ。

普段から多様性を確保しようというマインドベースにあって成り立っている社会とは全く違う。

そんな社会では、エロい表現ときだけ急に表現の自由だのと盛り上がるのは、歯が浮くような思いがする。

公共空間におけるエッチものの取扱なんて、はっきりいって、社会合意していればどっちだっていい。

じゃあ今度は、大陸が17世紀に経験した熾烈なコンフェッショナリズム、この思想的な背景を

表現の自由として日本憲法が参照している、と仮に想像してみる。

この場合仮想敵は、いってみれば、国家神道ファシズムかな。

(*ところで大河ドラマの「いだてん」って、健康ファシズム視点でみると面白いらしいね。みてないけど)

「国によって右へならえを強制され続けた結果、自分たち戦争に動員されてひどい目にあった思い出」とでもいうべき動機づけは

定期的に思い出す機会があるかぎりは、ある程度は持続的たりうるのかもしれない。

でも、第二次世界大戦を思い起こしてみると、国民国家キャンペーンに煽られて動員させられる、というのは、

なにも敗戦国ドイツ日本に限った話じゃないし、アメリカ含め、あちこちの国でウイルスのようにファシズム蔓延しかけていたのが現実

またファシズムコントロールできた国もない。その意味で、真の意味ファシズムに抗し切った国はないように思う。

表現の自由っていったところで、自然の摂理かのように、神がバランスをとってくれるわけじゃないんだよね。

流されるときは、人は流されちゃう。常在菌みたいなもの

そうすると、いざ日本にとって対外的な脅威(例えばアジアの隣あたりの国らへん)が増せば、

表現の自由なんか、どうでもよくなっちゃう程度のものなんじゃないか

他国の脅威に比べればファシズムのほうがマシだろ!みたいな。

このあたりの感覚は、動機づけとしては重要なんだけど、日本場合ちゃん思想として、自分たち言葉自分たちを守る武器として昇華してないんだよね。

敗戦で混乱していた時期にすかさず、日本憲法戦勝国からもらった、というところで思考停止になった、という面はあるかもしれない。

もらったもので、とりあえず勉強して運用してみよう、という時期が最初はあってもいいかもしれない。

でも、戦後30年、40年、とりいそぎ運用していたものが定着していく、という過程

例えば「思想の自由市場」ってよくよく考えてみると、日本社会では、あまりピンと来なくね?みたいな気づきがあっても良かった。正直、「思想の自由市場」って日本社会じゃ、なんの役にも立たない理屈だと思うんだよね最近

また、フランス公立学校でのムスリムスカーフ論争。大方の日本人は、何あれ?状態。背景となる歴史が違うんだから

歴史を知らないと理解できるはずがない。

それを知らずに無理やり、政教分離って憲法に書いてあることを適用しようとしてきて、実は消化不良を起こしているんだけど、

日本人は雑食なもんでなんとかなっちゃうという。。。

そういうことがよくわかったという話。

2019-03-07

婚活

近頃、件の相談ブログを中心に巷の婚活話を見聞きするうちに、

地獄かな?と思うに至った。

目的遂行に向けて全精力を注ぎ、結果あえなく振られるならまだしも、その前段階で足切りに合うとか、

共通一次時代東大かよと震えたのだった。私はセンター世代だけど。

実は当方にも結婚したいと言いつつなかなかアクションを起こさない身内がいて、

言ってるだけじゃ何も起こらないよと感じ、そう口にもしてきたが

思い返すに彼には結婚相談所に登録していた時期があり、なのに活用している素振り

見せないことに身内として苛立ったりしたわけだが、あれはもしかして

マッチングしたくても実らず、起こせるアクションがなかったということなのではないか

見た目で選別にかけられ、年齢でふるい落とされ、いたく傷つき嫌気が差したのかもと

さら気づき、軽く胸がつぶれたのでこちらに書き込むことにしたのだった。

そんな家族にも(家族からこそ?)言えないような体験を、婚活に挑むあの人もこの人も

我が事として抱えざるを得ないとしたら、なかなかすごいことだ。

そう考えると、件の相談員さんのあのテンションや行動力には、衆生救済的な意味での

何かしらの必然性があるのだろうという気がしてくる。

スパイダーマンおかしなやつとして描かれるのと似てるよね)

まあうちの身内の場合、外見や毛髪に恵まれないのは家系的にいたしかたないとして、

人一倍持っている金

世界通用するマイペース

世界通用する生命力

カード相殺できそうな気がするが、輪をかけて性格に難ありってことなのかな。難しいものだ。

2019-03-05

娘が寝てるとうれしい

うつ病ひどかった話は前に書いた、あとでここにトラバするかも

人力にまた子のうつ対応できない親が来たか最近日記つけてないと思い出しメモ

とりあえず学校企業も切り離しつつアッシーしてあげたり友達とはなるべくつないだりした

娘は寝られなかった、ずっと溺れるひとがわらを掴むようにスマホにしがみついて腹ばいでベッドにいた

朝方ようやく疲れ果ててねるので午後起きで1日ベッドにいる、シーツが二枚擦り切れた、なお風呂は疲れ果てるからなかなか入らない

よるひとりになると寂しさ、というよりイライラに耐えかねスナック食べ血糖値ごまかす。ひるも食べる、のむ。太って肝臓黄色信号甲状腺ホルモン疑いで二回検査、二回とも正常値、ただ経過観察とはいわれた。気持ちの安定のためスナックは以前より多めに買っている

たまにカラオケなどでかけると低血糖なのか自室まであるいてあがれず四つん這いで階段にいて泣いていたことがある、尻を押した。

低血糖発達障害の本よんだのがだるさの理解に役立った

とにかく寝られないのだ、寝ようとする努力などしたくもないくらイライラしていたのだ、最初常識判断して逆だと思ってしまっていた

転機というか、向上への気づきはたくさんあった、とにかくむりじいはしない、とは言え、でかけたがる(認めてヘルプしないと医者必要場所にも行かない)のでアッシー補助する、お金を財布から抜かれても気づかないでいてあげるなど。家計簿が合わない額は年間30万くらいだから小遣いが月3万弱足りなかったのだろう。最近現金をあまり降ろさないのと、抜いてもいいけどメモ残してといって知っていることをしらせている、うつ病介護がなくなったら30万どころか100万くらいはパートでかせげるので安いものだが、どうしてもがなりつけたいしだめならチクチクくらいはいいたいだんなの説得に手間取った

で、睡眠の転機のひとつはかゆみが出たこと。貧血治療のため鉄剤を飲ませたら鉄剤の飲み過ぎか体が夕方かゆくなった。毎晩9時になると出て痒すぎて寝られない。風呂に入ってる最中にもかいみみずばれがふえる。寝ると治る。毎晩違うところに出る。アトピーなどの普通の湿疹は固定されたところに出るのでこれとは違う。調べたところ精神安定剤有効だということだ。そこでSSRIと一緒にもらってあったが過眠になるとおもってたため使わなかった睡眠精神薬を飲ませてみたら楽になったと言うので毎晩、かゆみが出るすこしまえの時間帯に継続して飲ませることにした。その後医者相談して飲ませていいと言質をもらって追加処方された。

まあ、お金のほうが効いてるのかもなあ。まじめな親って経済DVなのかもなとおもう。うちもダンナテストの成績で決めるとかいって進学校なのに無理言うからだんだんさがって私がいさめなければ月3000円のまま高校卒業するところだった。もちろん服やスマホは買って与えてるけど、曲などに課金できるお金がないのがつらかったようだ、夏は一日一本アクエリ買ったらなくなる額だし、月末に通学定期を盗癖ある同級生に盗まれたら一巻の終わり。

小さい頃からお金頂戴なんてずうずうしいことをいったことがない。高校になってもお年玉もらえるから帰省したがったけど実の娘でもがなりつけたくなるような失礼すぎる祖母相手に頑張り過ぎたことで心の折れが始まってたんだろう。

折れてからニートにはしたくないって頑張っても意味ない。けっきょく正社員なんて多分なれなそうだけど、勉強できないってバカにしてた幼馴染にも学歴では抜かれたけど、なんとks大学に通ってるし、そういうしあわせな家庭もいっぱいある。うつ病は図々しくなれずに幸せ自分で遠ざけてしまう。いちどそうなるとじゃぶじゃぶうえから幸せをかけないとなおらない。というよりかこころ幸せ受け入れ窓口が年間360日くらい閉じてるので毎日薬飲ませて確率上げながら朝今日は窓口開いてる?と確認し、空いてたら質のいいのをねじ込むって感じ。

ようやく治っても再発するっていうけどね。

みんなは子供幸せにしてね。

2019-03-04

女は人間だとわかったら一人で死ぬ決意をすることになった

長いんですけどお付き合い下さい。

〇前提:生物学的な性も社会的な性も無視していいという話

生物学的な性別、オスであるかメスであるかは先天的もので、個人選択によるものではないじゃないですか。その人自身ではどうしようもない、偶然与えられてしまっただけのものですよね。

でも個人社会における性役割、男であるか女であるかはほとんどの場合その人の生物学的な性別によって周囲から規定されます。オスであれば男をやることに、メスであれば女をやることになる。そこに選択余地はなくて、自分がどう思うかに関わらず(ほとんどの人は「自分がどう思うかについて考えるタイミング」さえ飛ばすことになる)、気づいたら人は男/女になっている。

生物の中で人間けが、オス/メスと別に男/女という概念を持っていますよね。これは単なる性別ではなく、人間社会形成するために作り出した役割だと言えるのではないかと、僕は考えます

個人(というか人間の力では)どうしようもない生物学的な性差に基づいて、人をオス/メスではなく男/女という役割に仕立てあげ、男女それぞれに仕事を設定することで回してきたのがこれまでの社会

偉いものでこれまでの社会合理的な形になるようにやってきているなあと思います

こんなことを言うと怒る人がいるので怖いのですが、どう考えても男は働いて女子供を養った方がいいし、女は子供をうみ、育て、男を支えた方がいい。

従来の人類の発展を続けるのであれば。

人が増え、発展していかなきゃいけないという昔から信じられている人類の発展を今後も続けていこうという前提があれば、この考え方は正しくて、超合理的だと思います

元来人の社会システムが拡大、発展するためには、男が働き、女が支え、耐え、食い物にされなければなりません。

人間行為にはしばしば男女どちらが適しているかが明確なものがあります

かに赤ちゃんを育てるのは男でもできるかもしれませんが、一般的には女が育てる方が合理的です。

戦争をするのであれば、女も戦うことはできるでしょうが兵士は男である方が合理的です。

そして総体的に、これまでの人類の発展に際しては、女が割を食うことが合理的でした。誰かがそのように社会を作られたのか、わかりませんが。

でも今、それはおかしいという流れがあります

女が割を食う筋合いはないし、男が体を張らなければいけない理由もない。

それもそうです。そもそも男/女なんて、自分たまたま人間のオス/メスだったがために周囲から規定され、男/女としての役目を果たすことを求められているのだから

実は男も女もいない。

人間が成長するにつれ男や女という役割を課せられてしまうだけだし、その区別の元になっているオス/メスの区別先天的もの、偶然のものであって、その人自身がどうあるかとは何ら関わりがない。

ここまでが前提です。

僕は今、生物学的な性と、それに基づいて個々人に与えられている社会的性役割を、あんまり意味がないものなんじゃないかと思い始めています

子供を産むことについて

今の社会では女をやっている皆さんが割を食っていることは周知の事実であり、それをどうにかしようという流れはありつつも、まだ割を食っていただいているとで緩やかに従来の人類の発展を続けているような状態です。

従来の人類の発展は女をやっている皆さんが割を食うことで成されるものでした。

ではここで聞きたいのですが、

みなさんは人類を発展させていきたいですか?

みなさんは自分が死んだあとも人類が発展していくことを望んでいますか?

あなた人類の拡大、発展に最も簡単かつ効果的に貢献できる方法として、「子供を作り、育てること」があげられるでしょう。

子供を育てることは人類全体から見て非常に生産的な行為だと言えますそもそも生物繁殖してなんぼてすから、子作りは生き物として正解です。

でもあらためて考えてみると、子供を作ることははたして本当に良いことなんでしょうか。

あ、特に深いことや説得力があるデータを言うわけではないのですが。

単純に、僕はたまたま男だったので思ったのです。

例えば僕が女と所帯を持ち、子供を作らせたとします。

その女が抱えるリスク妊娠出産リスク)と仕事(僕が手伝うにしても、主として子供を育てていくこと)は、その人がたまたま女であった(たまたまメスとして生まれた)がために抱えざるを得なくなったリスク仕事なのです。

僕には女を孕ませ、リスク仕事を負わせた罪が生じます。女と子供を作るという合意があったとしても関係ありません。女は僕と同じ一人の人間なのに、たまたま妊娠出産ができる人間のメスであり、かつ人間のオスである僕がいたために子供を作るという選択肢をとることができてしまい、それにまつわるリスク仕事を背負ってしまった。

これは、幸せだとされてきたのです。

男は女と結婚して子供を作ることが幸せ。女は男と結婚して子供を産むことが幸せ

僕もそう思っていたことがあります

しかしこれは、たまたま女に分岐していっただけの人間に、たまたま男に分岐しただけの人間がとてつもない重荷を背負わせているだけです。

人間人間として見れば、とてつもなく残酷行為に見えてしまます

しかしそれを男/女のレベルにとどめることで、「そういうもの」とすることができます。女は子供を産むものだし、男は孕ませるものなのだ、と決まっているなら飲み込めるというものです。

実は子供を作ることは、人間人間ひどい仕打ちをしているだけなのではないかと、僕は思うようになったのです。

男女平等について

女は子供を産むものだと言うと、怒る人がいます

男も子供を産む苦しみを知れと(あるいは男もそれを知ろうと)、同じ重さの重りを背負ってみたり、鼻からスイカ出したりしようとします。

あれ本当にしょうもなくないですか。

今の男女平等の目指し方を考えた時に、僕は天秤を思い浮かべました。

天秤の片方の皿を男の苦労、もう片方の皿を女の苦労だとしましょう。今までは女の側に大きく天秤が傾いていました。

何度も言うように、社会合理的なので、女の皿も男の皿と同じ高さにしてあげようと合理的に考えます

そして、女の皿の下にどんどん台を噛ませ、不器用にも高くしていくのです。

女性専用車両レディースデー女性料金などといった「女自身でも正直ちょっと優遇されちゃってるなと思うこと」の数々は、あとから男の皿と高さを合わせようとテコ入れした結果のものです。

そして重要なのは、男女それぞれの皿にはもう片方の皿には決して載せることが出来ない重りがあるということです。

たとえば先程の妊娠出産は、女だけが持っている重りだと言えるでしょう。男側にはどうやったって妊娠出産の苦労の重りを載せることはできません。

この天秤は、男女が男女として関わりを持つ限り、その間に必ず現れます。そしてどれだけ双方の重りを調整しようとしても、必ずどちらかに傾きます絶対にです。

今の社会は天秤の重りをいじり、皿の下に台を噛ませて見た目上の皿の高さを同じにしようとしていますが、それで男女平等が達成されることは永遠にありません。

ではどうすればよいのか、僕は「天秤そのものをなくすこと」がその答えなのではないかと考えました。

次で最後です。

〇本当の男女平等について

人間たまたま男や女に仕立てあげられているだけで本当は男も女もいないという話、子供を産ませることは、人間人間ひどい仕打ちをしているだけだという話、今の男女平等の目指し方では永遠に平等になることはないという話をしてきました。

では本当の男女平等とは何なのか。それは、異性との性的な関わりを持たず、異性を異性と思わず接することです。

ここからは僕だけの結論なので、主語を僕にします。

僕が異性だと思っていたものは、たまたま異性になっただけの同じ人間です。よって、僕と同じだけの自由があります

僕はかつて、女と付き合い、結婚し、子供を作りたいと思っていました。しかし、そうしようと思っていた女も僕のような男になるかもしれなかった人間で、たまたまメスに生まれたがために女として育てられ、男とつがいになることが幸せとされる存在の一員とされてしまいました。

女には付き合うことも付き合わないことも、結婚することもしないことも、子供を作ることも作らないことも自分選択する自由がありますが、僕と関わることで選択肢が狭まる可能性があります。そして僕がアプローチをかけでもすれば選択の機会は奪われてしまます

同じ人間選択や機会を同じ人間が奪うことは恐ろしいことだと思いました。やってはいけないとも思いました。

よって僕は、女と関わりを持つことをやめようと思いました。

女と関わりを持つ限り、先程の男女の天秤が現れます。この天秤はどういじってもどちらかに傾くので、関わり続ける限りどちらかが負担を強いられます

そこで僕は女を女と思わないことにします。そもそも同じ人間なので、やろうと思えばできないことでもありません。

努めて同性と接する時のように、目の前の存在女性であることに目を向けないように接します。

目の前の人が不当に低い扱いを受けていれば(周りはその人が女だから低く扱っています)、同じ人間なのにどうしてそんなことをするんだと怒りますし、不当に良い扱いを受けていれば(周りはその人が女だから良く扱っています)、同じ人間なのにどうしてそんなことをするんだと怒ります

そして僕は、女と性的な関わりを持たなかったので、一人で死ぬことになります

僕は本当は一人で死ぬことだけは嫌で、女を手に入れ子供も作ったことを幸せだと感じて死んでいきたかったのですが、そうするためには同じ人間を害する必要があることに気づきました。そこまでして幸せになるほどの者でもないので、あと他人を害することを躊躇う倫理観がある自分でいたかったので、一人で生きて死のうかなと思いました。

男女という概念自分の中から徹底的に排除すると、男女という概念を基本として成り立っているこの社会からははみ出すことになります自分もこの社会で育ったので、ここの幸せ理解しているし、本当は欲している自分もいますが、女が同じ人間であることに気づいてしまたからにはもう女を手に入れるという男の幸せは得ることがどうしてもできません。

最後に一つだけ。

この社会幸せだと信じ込まれているものは、実は人類の発展に寄与するもの(そして結果的に同じ人間を害したり、同じ人間から害されるものだと僕は思います)です。

みなさんはそれでも人類を発展させていきたいですか?

みなさんはそれでも自分が死んだあと人類が発展していくことを望んでいますか?

僕はここまでずーっと考えていて、もうちょっと疲れてしまって、別に長くも短くもなく、今課されている責任を果たしたら、一人すっと死んでしまってその後になにも残らなくてもいいのかなと思いました。

ここまでの話には自信がありますが、全てバッチリ否定されて再び従来の幸せを求めることを正当化させたい気持ちもあります

どなたかこてんぱんにしてくれることをお待ちしています

2019-03-03

anond:20190303233211

あの、正直見た目めっちゃ怪しいことに書き終わってから気づきました笑

やばい勧誘みたいじゃないですか!失敬な!

2019-02-28

半休

今日までの絵画展みたいなイベントが近所であったんです。

あんまり規模が大きいイベントでもなくて、開催期間も一週間かな。無料だったしそれで告知もひっそりとだったのかも。

昨晩、仕事から帰る途中でポスター気づきまして、ああこんなんあったんだと。

で、今日夕方までだったから行けないかなと思っていたんですけど、嫁さんに話すと行きたいといいまして。

嫁さんの仕事今日は午後出だったから一人で行こうかなって言っていたので、じゃあ僕も行こうと思ったわけです。

幸い、僕のほうも午前中は急ぎの仕事もなかったため、朝から職場電話して半休を取りました。

それで、いつも通りに子供たちを保育園小学校に送り出したあと、いつもよりゆっくり目に家を出たんです。

嫁さんと二人で絵を見て回って、平日の午前だし、告知もほとんどなかったのもたって、ほかにお客がいなかったのはよかったです。

そうして一時間くらい見て回って、すごく楽しんだんですけど、なんだか久しぶりにデートみたいだねって笑いあいながら。

一通り見て、ちょっと早いけどご飯食べてからそれぞれ仕事に行こうという時間になりまして、回転寿司にいきました。

二人席で向かい合って、いろいろ話しながら食べる料理はおいしくて。

それで分かれて仕事に向かったんですけど、正直、すごく心が軽いですよね。

幸せってこういう感じだなって思うし、また嫁さんと二人で出かけたいです。

2019-02-27

キャサリンフルボディはマジでLGBTへの偏見に満ちたゲームだと思う

キャサリンフルボディ。

同性愛者として、凄いイラついたゲーム

購入してプレイしたこと証明したくてamazonレビュー投稿したらamazonレギュレーションに反するとかで掲出されなかった。

日曜日に6時間もかけてせっせと書いたのにのらなくて超ショック。

まあ、性器だの肛門だのセックスだの書いたからか。それともジェンダー書き込みamazonさんNGなの?

どちらにせよ、書いたのが無駄になるのが嫌なのではてなさん初投稿

誰か読んでくれることを祈る。

以下投稿した内容をコピペ

___

エンディングまでのネタバレまで書いているので、ネタバレが嫌な人は読まないでください。

セクシャリティに関して語りますので、性的用語も書き込むと思いますので、その点もお許しください。

私は同性愛者、性別女性です。

以下の感想は私の主観に基づくもので、全ての同性愛者やトランスジェンダーの方がこのゲームに対してそう思うというものではありません。

ですが、プレイした結果、私はこのゲームシナリオはとても差別的だと思ったし、私(とプレイを傍らで見ていたパートナー)はアトラスゲームが大好きな者として、とても悲しく思いました。

レビューでは主にどこが差別的だと感じたかに関して書きますので、シナリオへのレビューが主になりますパズルゲームとしてのレビューをご覧になりたい方は他の方のレビューをご参照ください。ちなみに本編パズルよりラプンツェルのほうが私は好きです。

リンとの恋愛成就するルートクリアしました。(初回は恋人ルートだったので、たぶん、リンルートかと思います)

最後まで一緒に見ていたパートナーはとても悲しい思いをしました。主にどこに感じたかというと、リン同性愛者として描かれていますが、その描かれ方にとても差別的もの同性愛者へのステレオタイプ偏見を感じたからです。

詳細を書いていきます。ここからネタバレが沢山書いてあります

リン記憶喪失ヴィンセント出会い、寄る辺がなくヴィンセントに世話になり、親しくなっていき、惹かれあっていきます

リン自分のことをワタシと呼称していて、どうやら記憶喪失ではあるものの、自分セクシャリティに関しては自覚があったようです。なので、自分同性愛者というか、ワタシというからには自分トランスジェンダー認識していたのでしょう。

その上で、ゲーム中盤でリン男性器がついていることをヴィンセントに目撃されます

コミカル描写の上で、リンを拒絶し、リンを押して転倒させてしまう、というシーンがあります。全編コミカル映画ならまだしも、真面目なトーンのキャサリンのようなドラマなら、欧米ではこんなシーンはもう流せないですよね。日本は遅れてるな、こんなシーンがあるなんて、と思いました(同性愛者は自分セクシャリティを隠して異性愛者に近づくものだという偏見ですよね。そんな同性愛者は今時いないと思うんだけど)。強い違和感がありました。

ゲームを徐々にすすめるにつれて、これは製作者の偏見で、つまり差別なんじゃないか、と少なくとも私たちカップルはこのシナリオがとても差別的だと思いました。感じたことを書いていきます。まとめる能力がないので、ちょっと支離滅裂かもしれません。その点はお許しください。

リンはその後、ヴィンセントの前から姿を消すのですが、その後電話で「私、受け入れられてると勘違いしちゃってました。ごめんなさい」とヴィンセントに言います。このセリフにすごく違和感を感じました。

エロ目の携帯写真を送ったりして気を引き、明らかな恋愛眼差しを向けていたにも関わらず、リンヴィンセント自分セクシャリティを語りませんでした。何故だろう。普通、言うよね?なんで言わないの?と疑問に思いました。恋愛なんですからヴィンセント同性愛かどうかなんてわからないんだから意思の疎通を図ると思うんです。意思疎通しないで恋愛しないでしょ?自分恋愛対処相手確認とるでしょ?リンのしたことはヴィンセントへの不義理であり確かに謝罪するべきかもしれません。けど、そもそもになんで謝罪するようなことになってしまったんでしょう?なんで、自分セクシャリティを言わなかったんでしょう?

違和感はまだあります。「(男性であることを)受け入れる」っていう言葉が私にはわかりませんでした。私はパートナー人間としては受け入れてもらってますが、恋愛としては受け入れる入れないではなくて、私とパートナーにとって同性を好きなことは当たり前のことで受け入れる入れないということではないのです。だって両方とも同性が好きなんですから

そういった、リンセクシャリティはなんなのか?意思のようなものはなんなのか?が物語ではこの時点では明かされなく、そして最後まで明かされないというか、存在しないように思います

なので、このあたりから先ほど書いた「同性愛者は自分セクシャリティを黙っていて、異性愛者を騙して寄ってくる」という作り手側の偏見からも、このゲームでは偏見によって物語がつくられているのではないか?と感じはじめました。

ヴィンセントはその後、リンを選ぶべきだと仲間から促される形でリンを選びますが、その選ぶ理由がとても希薄です。ヴィンセントダメ自分リンは受け入れてくれた、と言いますがその程度で異性愛者であった彼がリンとの恋愛を選ぶことはとても抵抗がありますヴィンセントバイセクシャルでだったということでしょうか?多くの同性愛者は異性愛者が恋愛をするように自然に同性を愛していると思います

あと、全編にわたってエロというか性愛が凄く大切かのようにゲーム表現されていますので、ヴィンセントリンと付き合うということは、リンセックスをするということかと思います。が、セックスのシーンはリンに限ってのみないように思えました(他のルートであったらごめんなさい)。ヴィンセントセクシャリティ確認し、リンセクシャリティ確認し、どうお互いがセックスするのかということがリンルートにはありません。男性同士のセックスにも多様性があると思うので一概には言えませんが、通常は肛門による性器接触かと思いますが、ヴィンセントリンとの行為ができるということなのでしょうか?リンに限っては出来る、ということでしょうか?リンが口内による行為を求めたらヴィンセントはできるということでしょうか?セクシャリティとかセックスってそういうお互いのしたいことの調整だと思うんですが、この流れの恋愛の上でそれがヴィンセントにできるとは思えませんでした。

セックスを題材にしているゲームなのに、リンだけセックスがぽっかりと抜け落ちていて、それが凄く凄く違和感があり、偏見というか、差別を感じました。恋人に関しては初夜のシーンすらあるのに。

描写したり言ったりしたら世の中の多くの人は引くんじゃないか、とか、そういう同性愛の性を描くことがグロテクスと感じているかのような、そんな空気をこのゲームからは強く感じますリンセクシャリティを軽んじている感じをとても受けます。そういったことを異性愛と同列に扱えないならばこのゲームテーマと反するので軽々しく同性愛を扱わないで欲しかったです。

ここから先は同性愛者としての感想というよりは、個人的なことがらなのですが、その後、リンは様々あって人間ではないということが判明します。それが判明したときの私のパートナーは絶叫して泣き出しました。パートナーは親兄弟同性愛理解されず、化け物、人間じゃない、宇宙人だ、などと散々と言われてきて、ようやく都会に出てきて自分と同じ同性愛コミュニティに入り、平穏を取り戻しました。そんな彼女が、このゲームの終盤にリン宇宙人であることを知ったときの悲しみはとても深かったと思います。大好きなゲーム会社ゲームからすら、同性愛者は人間扱いされないのか、と、泣きました。

そのほかにも、記憶がもどったら一人称がボクになったり、宇宙人のお兄さんたちと再会したさいに、女装をしている理由もお兄さんたちが好きな格好をさせていた、という理由で、それもリンセクシャリティのなさを感じ、強い違和感を覚えました。

あと、お兄さん宇宙人容姿がお尻のカタチなのも同性愛テーマにしているリンルートにおいて悪趣味だなと思いました。

映画の「モールス」のように恋愛対象が性別を超えた性器存在しない者で、それとの恋愛ということであれば納得できたのですが、そこにセクシャリティが絡むと、全てがチグハグになり、製作者の偏見が全面に感じられて極めて不快に感じられました。

アトラスゲームPSPペルソナ3vitaペルソナ4、真女神転生4とファイナルプレイしたことがありますペルソナ3と4は特に社会に馴染めない悩みを抱えた若者たちにより添い、共に歩んでいく弱い人間によりそうような優しさがあり、とても好きでした。こんな感情ゲームから得られるなんて思っていなかったので、本当にアトラスという会社はすごいゲームを作る会社だと、大好きになりました。プレイステーションの3も4も持っていないため、ペルソナ5プレイできていませんが、アニメは見ていて、同じような優しさを感じるので、やっぱり好きなだなぁと思い、vitaでこのゲームが出たので買いました。ですが、このゲームにはそういった優しさは一切感じません。同性愛者をただゲームネタセンセーションな一部として扱っているような感じと、製作者の偏見が全面に出ていて凄く残念です。

リンのみならず、ゲームの本筋ではないですが、エリカトビー関係でのエリカの扱いがトランスジェンダーへの偏見というか不理解助長する扱いをされていると同様に感じました。

とくにトビーエリカとのはじめてのベッドインをバーで報告するシーンのセリフで、「経験がないからわからないけど、なんか入れた時に違和感あったんだよね」というようなセリフがありましたが、ゲームを終えて考えてみるとエリカトランスジェンダーとして劇中では扱われているので、まるでトランプ大統領が話すような最低なトランスジェンダーへの差別ギャグのようだったんだと気づき極めて不快でした。

私の疑問はエリカトランスジェンダーで性転換を行なっていたとしたら、性転換後の女性であることを言うでしょうし(セックスに潤滑オイルのようなもの必要なはずなので)また、アナルセックスをするならば男性器はまだついているということでしょうから、ベッドインした段階で気づくでしょうし、性器がついていることが不快で除去したとしても、はじめてのセックスといえど女性器と肛門を間違えるとかありえないし、エリカ男性器がついているなら、豊乳手術をうけて胸を作っているのはどうしてなのかとか、よくわかりません。エリカという人のセクシャリティが極めて不明瞭でかつ、エリカもまた自分セクシャリティ恋愛相手に共有していないことに強い違和感を覚えますし、エリカへの扱いはこれ以外にも一つ一つが彼女存在を軽んじていて、オヤジギャグネタのために存在させているような偏見不快感を感じました。

私自身はLGBT権利を声高に主張するようなことはしたことはありません。(そもそもに私はLGBTというくくりも好きじゃないです。)が、同性愛者としてまた一個人として、お金を出して買ってプレイしてとても不快な思いをしたので、その不快を書き込む権利はあるはずだと思って書いていたら長文になってしまいました。読んでいただきありがとうございます

2019-02-26

花粉症化学物質過敏症人間はどうしたらいいのか

高校在学中に花粉症発症して早20年余り、毎年花粉症シーズンになるとクシャミと目の痒みと戦ってきたが毎年アレグラなどの鼻炎薬善戦むなしく風邪まで併発して改善の一途が見えなかった。

しかし、ここ最近気づいた事がある。

私自身、化学物質過敏症で該当するのは「柔軟剤」。部屋干しされると喉がイガイガしながら頭がボーっとして風邪の初期症状のような物となる。

タオル工場などを見学した際も居ても立っても居られなくなり出ていった事もあり、おそらく、不織布や絹などの最終工程で使われる柔軟剤系だと乾いた後でも強くアレルギー反応が出るらしい。

ここまで書けば分かると思うがどうやら今まで花粉を防いでいてくれていた「マスク」そのものが私の化学物質過敏症に引っかかっている事に最近気づき、今まで味方だと思っていた物が突如、敵として認識してしまった。

さて、私はこれからどうやって花粉症と戦ったらいいのだろう。

鼻炎薬を飲みながらやり過ごすのか、粘膜を焼く方がいいのか、そもそも化学物質過敏症は治るのか・・・悩みがつきない。

2019-02-25

愉快犯を改心させることは出来ない

増田に時々煽りを楽しむ馬鹿が現れるのと同じように

バカッターインスタ蝿など目立ちたがり屋が多く、感情のままに行動する。

単に「人が怒るのが面白いから」「こんなことできる俺凄い」「若気の至りw」

などなど様々な理由があるのだろう。

こういう奴らを改心させることは、まず無理だろう。

一番改心させるのが難しいのは、愉快犯だろう。

デマ流したり、相手が怒るようなことをわざと言い、怒らせて笑ったり。

周囲の人間が怒ったとしても、全部「怒ったやつが悪い」「俺は悪くない。遊んだだけ」となるのだ。

俺も一時期適当なことを言って遊んだことはある。

だが無駄時間を過ごしているということに気づき、すぐやめた。

やっぱ自分で気づかないと対処はできないんだ。

ここで遊んで怒られても全然からないようなやつは、ずっと愉快犯のままだ。

他に楽しいことは無いのかもしれんな。

2019-02-24

どこかにキモいおっさんを世話するのが好きっていう資産家の女いねえかなぁ・・・

今すぐ結婚してあげるのに




この増田は金に困ってるから資産家の女を所望するのだろうが

ということは、空から降ってくる美少女を切望しているオタクは少なくとも切羽詰まるほど金に困っているわけではないんだなあ

という気づきを得た

もっと有意義時間の過ごし方

それは、何もしないことだ。

最近やっと分かってきたんだ。

社会的生物としてはそれは×印をもらう行動のように思えるが、

それ以前に人間という生物として自分のことを捉えなきゃいけなかったんだ。

何もせず過ごす時間は何よりも大切で、有意義で、生物の基礎として譲ってはならない時間だったんだ。

他の哺乳類霊長類を見てみろ。彼らは圧倒的に、何もしていない時間が長い。そこに気づきを得るべきだ。

動物人間は違う、などという考え方はただの驕り高ぶりにすぎない。

何もしない時間のことを休息と呼ぶなら、睡眠も似たような文脈で語られることがあるが、それとは別だ。

十分な睡眠も当然、何よりも死守すべき時間のうちの一つではある。

脳のデフラグタイムである睡眠大事だが、それをハードウェアデバッグとするならば、

覚醒時における何もしない時間は、ソフトウェアデバッグだ。

別に瞑想というほど作法にこだわる必要はない。

何もしないでいられるほど、日常タスクやら何やらに追われずに済む時間

それがあって始めて、人間精神は強固な安定を得られる。

精神の安定は、何もしない時間きっかけに始まる自省によってもたらされると考えられる。

自省を「する」という感覚ではなく、ぼーっとすることが自省に「なる」のだ。

自省というと説教臭い印象が出てしまうが、言うなれば自分輪郭を正しく認識するための時間だ。

世界自分境界線キャリブレーションする、ということだ。

そういう機会を失ったまま毎日をすごし、それを何年かつづけると、人間は壊れる。

たいてい肉体よりも先に精神が壊れ、最終的には自殺へ向かうように脳が動き出す。

思うに、鬱になった時点でやっと何もしない時間を得られても、ほとんど手遅れなのだ

不適切コードの上に不適切コードを何重にも重ねたスパゲッティコードが、

致命的なエラーを吐きはじめた時にやっと手直しを始めようと思っても、ほぼ諦めざるを得ないレベルに困難なのと同じなのだ

これは、休日にしっかり休息をとる、という話ではない。

おそらく、睡眠と同じように毎日必要時間なのだ野生動物のように。

1日に何分、あるいは何時間、どれくらい必要かは分からないが、長ければ長いほどいいだろう。

これ以上何もせずにいられない、と自発的に動き出す気になるまでは、ぼーっとするべきだ。

これは個人的体感なのだが、睡眠場合、前日にたくさんの経験をした密度の濃い日ほど、多くの睡眠時間必要になる。

それと同じで、たくさんの情動を抱える人、精神が揺さぶられた日ほど、多くの何もしない時間必要になるのではないか

その点でいうと、このサイトに書き込んだり閲覧したりという行為は、人によるがいたずらに情動を激しくする行為と言っても過言ではない。

増田を利用するのなら、同時にぼーっとする時間も摂らねばならないと考えられる。

2019-02-23

anond:20190223110633

わが国の「正義アレルギーが深刻だという話はもう何度も何度もしてるので食傷気味ではある。

が、左翼(的主張)が「大人が喚いている感じ」というのは着眼として悪くなく、気づきまでもう二、三歩という印象を受けるのでコメントしておくかな。

社会公共というのは、放っておいて勝手にできるものじゃないんだよ。

われわれが構想し、創りあげていくものなわけ。

からちゃんとした大人は、よりよい社会とはどのようなものかということを真面目に考え、それを実現するためにきちんと汗をかく。

この国では、「正義は人の数だけある」だとか「自分の考えを他人に押しつけるな」だとか、そんなことばかりが声高にとなえられている。

でもそうした主張の多くは、単に斜に構えて社会を創りあげていく責任他者に押しつけているだけの、甘えた意見子ども意見だ。

元増田言葉をかりるなら、「中二」的ということだ。

われわれはもう少し、自分にも社会を創りあげていく責任があるのだということを自覚する必要がある。

大人になろう。

万有引力発見みたいな気づきが、いま俺の中で起きてる(SF)

りんごが木から落ちる。

それは

世界構成する4つの力のうちの「重力」によって起きる自然現象

まだまだ世の中には解明できていないことがたくさんあるけれど、

ほとんどの物理現象はこの4つの力によって回っている…らしい。

…ここまでは分かる。

すげえわかる。

世の中の色んな物理現象は、何かの法則に則って起きてるんだな。

詳しい事は良く分からんけど、そこには何かしらのルールがあって、

細かなパラメータの誤差は有れども、物事規則的に起きているんだろう。

…ここまでは分かる。

ただ俺は小さなからずっと疑問に思っていたことがあって、

「世の中の全ての物が物理法則に従って動くなら、生物だって当然そうなんじゃない?」

生物も全て物理法則に従って動くだけなら、脳の動きだってそうなはずで、

じゃあ意識とか意思決定なんて存在しないんじゃない?」っていう奴。


この疑問を持つのもも定番ネタみたいなもので、

別に俺に限らずありとあらゆる人がこの疑問を持っていて、

それに対してこう結論付けているのも、今までさんざん見てきて知っている。

意識なんてものはない、そんなものは脳がつくりだした幻だ」

って奴。

でもいやちょっと待てよと。

俺の意識は確かに有るぞと。

俺は俺の意思を持って行動している。

今ここに俺がどんな文章を書くか。それは今俺がリアルタイム意思決定して行っている事であって、

決して物理法則に則って元から決まってた状況なんかじゃあねえぞと。

ただ、それを証明する事はどうしても出来ない。

この矛盾と疑問を子供のころからずっと抱えてた。

…ここまでが前説

で、

最近になって発想がそもそも逆なんじゃないか

と思い至り、

(ここからSFです)

生物とは、世界物理法則抗う事が出来る存在なんじゃないか

と思うようになったんだ。

より正確に言うと、

生物とは、世界確率に僅かに干渉出来る存在なんじゃないか

と。

何が言いたいかっていうと、

ネットにはじかれたボールがどっちに落ちてもおかしくない、みたいな状況で、

どっちに落ちるかを"意志"の力で選択する。

そんな感じの処理を実行していて、それが意思決定に相当する行為なんじゃないかと。

もう一歩踏み込むと、

意思決定の力による世界への干渉が出来る、

という状態が"生物"の最小単位であって、

それが出来なくなり、

物理法則なすがままに成らざるを得なくなる事が"死"に相当する。

という事なのでは無いかと。

そう考える事で、俺の中で色々と合点が行ったんだ。

まず生物起源について。

生物は「代謝して自己複製する、自己と外界の間に境界を持つ存在」で、

それが何度も何度自己複製して、複製時の微妙な誤差を積み重ねて多様化し、

多様化と淘汰を繰り返して進化してきたという考えが、今広く支持されている考えだと思う。

これもまあ分かるよ。

万年何億年とトライアンドエラーを繰り返していれば、

単細胞生物もそのうち人間になるだろうと。

でも最初最初代謝して自己複製する、自己と外界の間に境界を持つ存在

そんなもん、自然現象で産まれるか?

地球をこね回していたらそんなものが産まれると?

確率的に凄い奇跡なんじゃないのか?って。

ただ、そもそもその奇跡自体生物なんだ、

世界干渉して、どうにかギリギリ生物としての必要条件を満たした最初奇跡、それが生物なんだと。


次に生物進化繁殖とその目的、あと今後の世界の行く末について。

生物はどんどん進化繁殖を繰り返し、

単細胞生物から細胞生物になって、

ついには人間になって(人間以外にも色々居るけど)、地球中に満ちるようになった。

更に人間は群れて行動して、群体として生物のように振舞っている。

もう「会社」とか「国」とかは生物の一単位と言っていいんじゃないかなと思う。

この進化繁殖は何のために繰り返され続けているのか。

その答えは「世界干渉するサイズを大きくするため」なんじゃないかと俺は思う。

最初奇跡自然現象としてはそうそう起きないような確率インチキ)は、

極小サイズ自己を複製するっていうだけの、小さな干渉だけだった。

それが今では、

海を埋め立てたり、山を削ったり、月に辿り着いたり、

太陽系外に機械飛ばしたりするレベル奇跡を起こせるようになった。

この進化繁殖を繰り返していくと、

この世界は今後どうなっていくのか。

そのうち生物は、地球の引力に当たり前のように抗う存在になって

地球規模、太陽系規模、銀河規模で世界干渉するようになり、

そしていつか、宇宙のありとあらゆる全ての現象干渉するようになる。


そこから先はどうなるのか

宇宙の全てに生物干渉できるようになった時代

今の人類がやってる「ちょっとここにビル建てるわ」的なノリで、

ちょっとこの宇宙デザインいじるわ」みたいな干渉を出来るようになったとしたら。

それはもう、新しい宇宙誕生みたいなもんで。

そうしていじくり回された宇宙の中の、

どこかの銀河のどこかの星で、

また極小サイズ奇跡が起きて、生物が産まれてる。

そんな設定のSFが読みたい。

2019-02-17

増田の奴ら、サタンとか信じなさそう

7歳あたりで薄っすらと気づきそれ以降

 

世界に倒すべき敵は居ないのだと達観してそう

増田の奴ら、サンタとか信じなさそう

7歳あたりで薄っすらと気づきそれ以降

なにかについて夢を見なさそう

anond:20190217081215

意識が高い低いはしらんけど、外国にしばらく滞在するとまったく違う文化で生きてる人がいるんだなと実感する

そういう気づき意識高いと言われるのか視野が広がると言われるのかわかんないけど、なにかは変わると思う

感受性の豊かな若い頃にいくといいよ、やっぱり

2019-02-15

小1の息子が漢検9級を受けた

大丈夫合格するよと言って送り出したのだが、終了時刻を過ぎて、怒りで号泣しながら帰ってきた。

何事かと驚いてギュッと抱いて何があったのか問うと、

「(ぼくに)て゛き゛るち゛か゛らがあるって゛(お父さんたちが)いって゛だの゛に゛!」

って。

親が大丈夫だと言ってたのに、数問わからなかったので怒っていたらしい。何事かと思ったよ。超かわいい

何というか、自己評価確立してなくて、「親ができると言うのだから自分はできるのだ」という考え方をするんだなと気づいた。いい気づきだった。

その後、何日かして無事合格通知が届きました。

2019-02-10

anond:20190210163149

ブリッジSEやって、あっ、海外エンジニア差別化出来る材料を持ってないわって言う気づきはよくあること

まぁオフショアに限らないんですけどニアショアでも同じ現象起きる

2019-02-09

自分はいままで何を希望にして生きてきたんだろう

30歳になった。

何もない。何かに秀でてるわけでもないし、何か生きがいがあるわけでもない。この歳まで生きてこれた自分不思議だ。どうして絶望して死んでしまわなかったんだろう。何を希望にして生きてきたのだろう。高校大学は日々が楽しかたか絶望なんて気にも留めなかったんだろう。

これから何を希望にして生きていけばいいのだろう。何もない。結婚もしていない。ただ生きるためにつまらない仕事をひたすらやるだけ。過ぎていく毎日死ぬまでこの毎日が続くことは予想がつく。ただそんな予想は受け入れたくない。

何か自分人生を変えてくれるような出会いとか、気づきとか、そういうものがないともうこれ以上耐えられる気がしない。地獄のようだ。なのに周りの人たちは平然と生きてる。不思議だ。あの人たちみたいになりたい。誰かこの地獄から引きずり出して欲しい。

anond:20190209034711

他人の俺がこんなこと言うの本当に申し訳いかも知れないが言わずにいられない。

まず前提としてあなたは何も悪くない。

俺はそういうご両親の状況はあまり幸せとは思えない。

あなた自分で気づかぬうちに、日常生活ではなかなか気づきにくい状態で心のどこかを壊されているのではないかちょっと心配

気に障ったらすまん。

2019-02-07

野田市の一件で思い出したこと

連日、報道が続いている野田市小学4年生の虐待死の件

これを見ていたら、もともと風邪調子が悪かったのに加えて、

どうやら心も風邪をひいてしまったようで、テレビネットを見るのが辛くなっていることに気づきました。

なんでかな??と思ったら、

私にも「助けて」が届かなかった記憶があったからなんです。

3才から8才くらいまでの間、身内に虐待された経験があります

まれて間もなく父が事業に失敗しまして、

我が家は大借金を抱えてしまいました。

その返済のため、父は年に数回帰宅するだけで、

地方都市単身赴任して馬車馬のごとく働いていましたし、

母も平日はフルタイムで働いていました。

そのため、私は民間保育所に預けられたり、

親せき宅をたらい回しにされたりしていました。

虐待を受けていたのはその頃です。

相手は15才年上の従兄弟でした。

====

怒鳴られたり、はたかれたり、ぶたれたり・・

まあ突然、乳幼児の面倒をみろと押し付けられ、

仕方なく引き受けたものの、

どう扱ってよいものか困ったのでしょうね。

いうことも聞かないし‥

それで小さい子供に"言うことを聞かせるため"に必要なのは「力」だと思ってしまったのだと思います

さな子供にとって大人の「力」って圧倒的なんです。

でも力をふるう方って得てして、相手との「差」をあまり意識していません。

それまで、従兄弟のことはどちらかといえば、いいお兄ちゃんと思っていたのですが、

虐待がはじまってから恐怖の対象しかなくなりました。

叔母のことは好きだったので、

叔母宅に行くのはむしろ楽しみですらあったのですが、

それ以来、今日は叔母の家に預けられる日だ思うと憂鬱になりました。

苦しくって、つらくなって、

母にももちろん言いました。

虐待」なんて言葉は知らなかったから、そのとき自分なりの伝え方で・・

でもね、一切信じてくれないんです。

なぜかっていうと、

兄弟にとってはあくまで「躾」のつもりから

いうことを聞かないから、いい子にしてないか叱った。

相手にそう言われてしまえば、

からすれば預かってもらっている立場だし、

申し訳ないという気持ちもあるからそこでおしまい

あげくこちらは「〇〇お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞きなさい!!」さらに叱られます

しかも、そうやって「S.O.S」を出してしまたことで、

「余計な事しやがって」と、虐待さらエスカレートしていきました。

いじめでいう「チクった」あとと一緒です。

怒鳴られる、ぶたれるくらいのレベルから

モノを投げつけられたり、刃物を振り回されたりと恐怖レベルが上がりました。

で、そのトラウマってずっと残ってるんです。

====

これ、実はもう40年前の話です。

どんな友達がいたとか、どんな場所に遊びにいったとか、

まして家族楽しい団らんの思い出とか・・

その頃の記憶なんてほとんどないにもかかわらず、

悲しいか

「殺される!!」と思った恐怖感

首を絞められたときの手の感触

繰り返される怒鳴り声

とても鮮やかに、そこだけ4K映像のように、

リアルに生々しく、昨日のことのように思い出せてしまます

時間が経ったから、セピア色になる・・・なんてことはありません。

その後も母にS.O.Sを出し続けたのですが、

同じバターンの繰り返しでした。

しろ言えば、言うほどにエスカレートしていきました。

そのうち大好きだった母のことさえも、

自分がこんなに言っても信じてくれない、

まったく頼りにならないという不信感を持つようになりました。

その母も年老いて、いま介護をしていますが、

正直、いまだにそのとき気持ちは拭えません。

そんな中で、唯一、私のS.O.Sを受け止めてくれたのが母方の祖父でした。

====

兄弟による虐待エスカレートしていく中、

気が付けば、叔母の家を飛び出して、

電車に乗っていました。

一人で電車に乗ったの自体がそれがはじめてでした。

叔母の家から祖父の家までは電車で1時間くらい離れていました。

年に何回か行く程度でしたし、

我ながらよく迷子になることもなくたどり着けたものだと思います

当然ながらケータイも、GPSもありません。

祖父は私が物心ついたときには、

パーキンソン病を患っていて、ほぼ寝たきりの生活でした。

しかし、まだ小学校1,2年生の私が

一人で泣きながらやってきたことに驚いて飛び起き、話を聞いてくれたのです。

その上で母や叔母に電話をかけて、一斉招集をかけてくれました。

夜になって、祖父母宅へ全員が集まりました。

叔母に連れられて、従兄弟もやってきました。

そして急遽始まった親族会議

祖父は従兄弟虐待事実を問いただしました。

気が付けば、祖父と従兄弟が殴り合いの大げんかになっていました。

戦争を生き残ったとはいえ

もう70過ぎの、しか普段寝たきり生活祖父です。

兄弟は当時二十歳そこそこで血気盛んな年でしたから、

いきなり呼びだされて、殴られたことで、

「このじじい」みたいな感じで殴り返していました。

それでも祖父は顔を真っ赤にして踏みとどまり

最後は従兄弟を叩きのめしました。

「力」には「力」で教えないとわからないんだ!!

しか、そんなようなことを言っていたように思います

この一件があってから、さすがに状況は改善され、

虐待されることもなくなりました。

一人で祖父の家までいけてしまうということがわかったためか、

今までのように叔母の家に送られて、迎えに来るまで待つ必要もなくなり、

親が仕事で忙しいとき祖父の家まで行くようにもなりました。

母を含めて、身近な何人かの大人必死でS.O.Sを出していたのに、

それをちゃん受け止めてくれたのは祖父だけでした。

いまもどこかにあの日の私みたいに「助けて」を言っている子はいのでしょう。

それを聞いてあげられるかどうか、気づいてあげられるかどうか

子供の言うことだから聞く耳を閉じてしまっていないか

この社会にいる人みんなに考えてもらえたらと思います

2019-02-06

49歳 50人程度規模企業での収入晒す (追記あり)

https://anond.hatelabo.jp/20181201054847

を見て、参考になるかと思い、書く。

生立ち

母子家庭だし、裕福ではなかった。喘息

公立小学校公立中学校高等専門学校。なお、貧乏から高専行った、という事情の人はめっちゃいるようで。私もその一人。奨学金と言う名の借金の返済が早い&破産が少ないのは高専卒だと、どこかで読んだ。

高専にしたのは正解だった。なぜか頭良さそうに見えるらしい。世の中のほとんどの人は大卒or高卒のため、高専卒をイメージできないのではないかと。ふろむださんの「錯覚資産」みたいなものか、、

社歴

1社目: ちょうどバブル全盛期で、母校にも空前の求人が来ていたらしい。一人あたり5社~10社。同期もみんな社名を聞いたことがある企業に。私は一部上場の子会社就職しかし、大企業の子会社でも、やってることは業者 (って言ってもNEC・Unisys・IBM) に仕事放り投げるだけ (のように見えたのよ、若いから)。つまらなくて、あっという間に辞める。

2社目: 現在の勤め先。当時は20名弱の会社自分で手を動かせる仕事ができそう、と選んだ。吹けば飛ぶような超零細企業だと思っていたが、、まだ存続しているし、従業員が倍以上になった。

現時点の認識だが、この転職も正解だった。

会社は、人数の大小ではなく、元請けかどうかというのはかなり大きい。もう一つは、業界競争が激しいかどうか。勤め先は超ニッチ業界

正直なところ、偶然そうなっただけ。

収入

現在役職技術系の部署担当課長とでも言うのか、課長相当・部下なし。まわりからは、それなりにリスペクトされている、ようだ。年収は約950万円。月の手取りは40万~45万くらい。残業代全額支給 (30H/月くらい)。数年前は90H/月近く働いて1000万を超えた。賞与は年間6ヶ月前後

年収が1,000万超えたときは、マクドナルドバーガーキングにしたが、BK閉店でマクドナルドに戻る。

家族

妻とは職場で知り合って、現在専業主婦子供は1男1女。小学生と2歳。娘超可愛い

支出

妻はお金管理からっきし駄目なようで、私が管理している。

食費は、、約3万。ほぼ外食しない。

保険料、、約6万。

住宅ローン、、約4万。フラット35。家は結婚前 (40前) に建てた。月々6万。10年経って、フラット35でも借り換えできることに気づき、実行。金利3%→1.3%になり、2万支払いが減った。ローンは1,000万を切った。繰り上げ返済はできるけど、うっかり死んじゃったときは団信が払ってくれるから、そのまま。

ローンは、当時の年収 (600万) の3倍以下になるようにした。結果的に2.5倍でローン組んだ。頭金を同額以上突っ込んだ。

お小遣いは、、決まってない。無制限。妻は、私がお金使わないのを知っているため、何も言わない。一度だけ「私に隠れてお金を使っているでしょ」と疑われたのでExcel小遣い帳を見せてあげた。「x月の支出: 3千円」を見て、クスッって笑われた。

車は (運転が) 怖いので持っていない。

電気・ガス・水道含めて1ヶ月8千円から1万5千円。

通信費は、携帯・光合わせて1万円/月。

NHKは、、契約していませんので、って言ってたら最近来ない。

預金は4,500万、投資信託450万。なお全部インデックスファンド、、

毎年、預金が3-400万増えていく。

から収入になっても、この暮らしぶりが続くなら、15年はもちそう。

まとめ

私と妻に共通しているのは、貧乏、でしょうか。そのため、慎ましく生きてます

妻のほうが倹約家で、ケチな私が、そこまでしなくても、、と思うレベル

美容院殆ど行かない。毎月QBハウスに行く私のほうがお金かかってます

妻は、他の家庭が家族旅行かに行くのを、うちより収入が多いから、と思っているようですが、多分違います

おそらく、他の家庭は、収入なりにお金を使っているのだと、、

でも、生活レベルを上げるのに躊躇する、というか、そんな気が起きないです。

子どもたちには、自分のような思いはさせたくない、それだけですね、、

追記

皆さんブクマありがとうございます

皆さんのコメントの中からいくつか選びコメント書いてたのですが、全部消えてしまい、心が折れました、、

なので、超端折ります

anond:20190206125513

   汚れつちまつた悲しみに

               中原中也

汚れつちまつた悲しみに

今日小雪の降りかかる

汚れつちまつた悲しみに

今日も風さへ吹きすぎる

 

汚れつちまつた悲しみは

たとへば狐の革裘

汚れつちまつた悲しみは

小雪のかかつてちぢこまる

 

汚れつちまつた悲しみは

にのぞむなくねがふなく

汚れつちまつた悲しみは

倦怠のうちに死を夢む

 

汚れつちまつた悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れつちまつた悲しみに

なすところもなく日は暮れる……

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