長いんですけどお付き合い下さい。
生物学的な性別、オスであるかメスであるかは先天的なもので、個人の選択によるものではないじゃないですか。その人自身ではどうしようもない、偶然与えられてしまっただけのものですよね。
でも個人の社会における性役割、男であるか女であるかはほとんどの場合その人の生物学的な性別によって周囲から規定されます。オスであれば男をやることに、メスであれば女をやることになる。そこに選択の余地はなくて、自分がどう思うかに関わらず(ほとんどの人は「自分がどう思うかについて考えるタイミング」さえ飛ばすことになる)、気づいたら人は男/女になっている。
生物の中で人間だけが、オス/メスと別に男/女という概念を持っていますよね。これは単なる性別ではなく、人間が社会を形成するために作り出した役割だと言えるのではないかと、僕は考えます。
個人(というか人間の力では)どうしようもない生物学的な性差に基づいて、人をオス/メスではなく男/女という役割に仕立てあげ、男女それぞれに仕事を設定することで回してきたのがこれまでの社会。
偉いものでこれまでの社会は合理的な形になるようにやってきているなあと思います。
こんなことを言うと怒る人がいるので怖いのですが、どう考えても男は働いて女子供を養った方がいいし、女は子供をうみ、育て、男を支えた方がいい。
従来の人類の発展を続けるのであれば。
人が増え、発展していかなきゃいけないという昔から信じられている人類の発展を今後も続けていこうという前提があれば、この考え方は正しくて、超合理的だと思います。
元来人の社会のシステムが拡大、発展するためには、男が働き、女が支え、耐え、食い物にされなければなりません。
人間の行為にはしばしば男女どちらが適しているかが明確なものがあります。
確かに赤ちゃんを育てるのは男でもできるかもしれませんが、一般的には女が育てる方が合理的です。
戦争をするのであれば、女も戦うことはできるでしょうが、兵士は男である方が合理的です。
そして総体的に、これまでの人類の発展に際しては、女が割を食うことが合理的でした。誰かがそのように社会を作られたのか、わかりませんが。
女が割を食う筋合いはないし、男が体を張らなければいけない理由もない。
それもそうです。そもそも男/女なんて、自分がたまたま人間のオス/メスだったがために周囲から規定され、男/女としての役目を果たすことを求められているのだから。
実は男も女もいない。
人間が成長するにつれ男や女という役割を課せられてしまうだけだし、その区別の元になっているオス/メスの区別も先天的なもの、偶然のものであって、その人自身がどうあるかとは何ら関わりがない。
ここまでが前提です。
僕は今、生物学的な性と、それに基づいて個々人に与えられている社会的な性役割を、あんまり意味がないものなんじゃないかと思い始めています。
〇子供を産むことについて
今の社会では女をやっている皆さんが割を食っていることは周知の事実であり、それをどうにかしようという流れはありつつも、まだ割を食っていただいているとで緩やかに従来の人類の発展を続けているような状態です。
従来の人類の発展は女をやっている皆さんが割を食うことで成されるものでした。
ではここで聞きたいのですが、
みなさんは人類を発展させていきたいですか?
みなさんは自分が死んだあとも人類が発展していくことを望んでいますか?
あなたが人類の拡大、発展に最も簡単かつ効果的に貢献できる方法として、「子供を作り、育てること」があげられるでしょう。
子供を育てることは人類全体から見て非常に生産的な行為だと言えます。そもそも生物は繁殖してなんぼてすから、子作りは生き物として正解です。
でもあらためて考えてみると、子供を作ることははたして本当に良いことなんでしょうか。
あ、特に深いことや説得力があるデータを言うわけではないのですが。
単純に、僕はたまたま男だったので思ったのです。
その女が抱えるリスク(妊娠、出産のリスク)と仕事(僕が手伝うにしても、主として子供を育てていくこと)は、その人がたまたま女であった(たまたまメスとして生まれた)がために抱えざるを得なくなったリスクと仕事なのです。
僕には女を孕ませ、リスクと仕事を負わせた罪が生じます。女と子供を作るという合意があったとしても関係ありません。女は僕と同じ一人の人間なのに、たまたま妊娠と出産ができる人間のメスであり、かつ人間のオスである僕がいたために子供を作るという選択肢をとることができてしまい、それにまつわるリスクと仕事を背負ってしまった。
これは、幸せだとされてきたのです。
男は女と結婚して子供を作ることが幸せ。女は男と結婚して子供を産むことが幸せ。
しかしこれは、たまたま女に分岐していっただけの人間に、たまたま男に分岐しただけの人間がとてつもない重荷を背負わせているだけです。
人間対人間として見れば、とてつもなく残酷な行為に見えてしまいます。
しかしそれを男/女のレベルにとどめることで、「そういうもの」とすることができます。女は子供を産むものだし、男は孕ませるものなのだ、と決まっているなら飲み込めるというものです。
実は子供を作ることは、人間が人間にひどい仕打ちをしているだけなのではないかと、僕は思うようになったのです。
〇男女平等について
男も子供を産む苦しみを知れと(あるいは男もそれを知ろうと)、同じ重さの重りを背負ってみたり、鼻からスイカ出したりしようとします。
あれ本当にしょうもなくないですか。
今の男女平等の目指し方を考えた時に、僕は天秤を思い浮かべました。
天秤の片方の皿を男の苦労、もう片方の皿を女の苦労だとしましょう。今までは女の側に大きく天秤が傾いていました。
何度も言うように、社会は合理的なので、女の皿も男の皿と同じ高さにしてあげようと合理的に考えます。
そして、女の皿の下にどんどん台を噛ませ、不器用にも高くしていくのです。
女性専用車両、レディースデー、女性料金などといった「女自身でも正直ちょっと優遇されちゃってるなと思うこと」の数々は、あとから男の皿と高さを合わせようとテコ入れした結果のものです。
そして重要なのは、男女それぞれの皿にはもう片方の皿には決して載せることが出来ない重りがあるということです。
たとえば先程の妊娠と出産は、女だけが持っている重りだと言えるでしょう。男側にはどうやったって妊娠、出産の苦労の重りを載せることはできません。
この天秤は、男女が男女として関わりを持つ限り、その間に必ず現れます。そしてどれだけ双方の重りを調整しようとしても、必ずどちらかに傾きます。絶対にです。
今の社会は天秤の重りをいじり、皿の下に台を噛ませて見た目上の皿の高さを同じにしようとしていますが、それで男女平等が達成されることは永遠にありません。
ではどうすればよいのか、僕は「天秤そのものをなくすこと」がその答えなのではないかと考えました。
次で最後です。
〇本当の男女平等について
人間はたまたま男や女に仕立てあげられているだけで本当は男も女もいないという話、子供を産ませることは、人間が人間にひどい仕打ちをしているだけだという話、今の男女平等の目指し方では永遠に平等になることはないという話をしてきました。
では本当の男女平等とは何なのか。それは、異性との性的な関わりを持たず、異性を異性と思わず接することです。
僕が異性だと思っていたものは、たまたま異性になっただけの同じ人間です。よって、僕と同じだけの自由があります。
僕はかつて、女と付き合い、結婚し、子供を作りたいと思っていました。しかし、そうしようと思っていた女も僕のような男になるかもしれなかった人間で、たまたまメスに生まれたがために女として育てられ、男とつがいになることが幸せとされる存在の一員とされてしまいました。
女には付き合うことも付き合わないことも、結婚することもしないことも、子供を作ることも作らないことも自分で選択する自由がありますが、僕と関わることで選択肢が狭まる可能性があります。そして僕がアプローチをかけでもすれば選択の機会は奪われてしまいます。
同じ人間の選択や機会を同じ人間が奪うことは恐ろしいことだと思いました。やってはいけないとも思いました。
よって僕は、女と関わりを持つことをやめようと思いました。
女と関わりを持つ限り、先程の男女の天秤が現れます。この天秤はどういじってもどちらかに傾くので、関わり続ける限りどちらかが負担を強いられます。
そこで僕は女を女と思わないことにします。そもそも同じ人間なので、やろうと思えばできないことでもありません。
努めて同性と接する時のように、目の前の存在が女性であることに目を向けないように接します。
目の前の人が不当に低い扱いを受けていれば(周りはその人が女だから低く扱っています)、同じ人間なのにどうしてそんなことをするんだと怒りますし、不当に良い扱いを受けていれば(周りはその人が女だから良く扱っています)、同じ人間なのにどうしてそんなことをするんだと怒ります。
そして僕は、女と性的な関わりを持たなかったので、一人で死ぬことになります。
僕は本当は一人で死ぬことだけは嫌で、女を手に入れ子供も作ったことを幸せだと感じて死んでいきたかったのですが、そうするためには同じ人間を害する必要があることに気づきました。そこまでして幸せになるほどの者でもないので、あと他人を害することを躊躇う倫理観がある自分でいたかったので、一人で生きて死のうかなと思いました。
男女という概念を自分の中から徹底的に排除すると、男女という概念を基本として成り立っているこの社会からははみ出すことになります。自分もこの社会で育ったので、ここの幸せを理解しているし、本当は欲している自分もいますが、女が同じ人間であることに気づいてしまったからにはもう女を手に入れるという男の幸せは得ることがどうしてもできません。
最後に一つだけ。
この社会で幸せだと信じ込まれているものは、実は人類の発展に寄与するもの(そして結果的に同じ人間を害したり、同じ人間から害されるものだと僕は思います)です。
みなさんはそれでも人類を発展させていきたいですか?
みなさんはそれでも自分が死んだあと人類が発展していくことを望んでいますか?
僕はここまでずーっと考えていて、もうちょっと疲れてしまって、別に長くも短くもなく、今課されている責任を果たしたら、一人すっと死んでしまってその後になにも残らなくてもいいのかなと思いました。
人工子宮とVRという方向もあります。
うんち
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