どうやら心も風邪をひいてしまったようで、テレビやネットを見るのが辛くなっていることに気づきました。
なんでかな??と思ったら、
その返済のため、父は年に数回帰宅するだけで、
母も平日はフルタイムで働いていました。
親せき宅をたらい回しにされたりしていました。
虐待を受けていたのはその頃です。
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怒鳴られたり、はたかれたり、ぶたれたり・・
仕方なく引き受けたものの、
どう扱ってよいものか困ったのでしょうね。
いうことも聞かないし‥
それで小さい子供に"言うことを聞かせるため"に必要なのは「力」だと思ってしまったのだと思います。
でも力をふるう方って得てして、相手との「差」をあまり意識していません。
それまで、従兄弟のことはどちらかといえば、いいお兄ちゃんと思っていたのですが、
叔母のことは好きだったので、
叔母宅に行くのはむしろ楽しみですらあったのですが、
それ以来、今日は叔母の家に預けられる日だ思うと憂鬱になりました。
苦しくって、つらくなって、
母にももちろん言いました。
「虐待」なんて言葉は知らなかったから、そのときの自分なりの伝え方で・・
でもね、一切信じてくれないんです。
なぜかっていうと、
あげくこちらは「〇〇お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞きなさい!!」とさらに叱られます。
「余計な事しやがって」と、虐待はさらにエスカレートしていきました。
いじめでいう「チクった」あとと一緒です。
モノを投げつけられたり、刃物を振り回されたりと恐怖レベルが上がりました。
で、そのトラウマってずっと残ってるんです。
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これ、実はもう40年前の話です。
悲しいかな
「殺される!!」と思った恐怖感
繰り返される怒鳴り声
時間が経ったから、セピア色になる・・・なんてことはありません。
その後も母にS.O.Sを出し続けたのですが、
同じバターンの繰り返しでした。
そのうち大好きだった母のことさえも、
自分がこんなに言っても信じてくれない、
まったく頼りにならないという不信感を持つようになりました。
そんな中で、唯一、私のS.O.Sを受け止めてくれたのが母方の祖父でした。
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気が付けば、叔母の家を飛び出して、
電車に乗っていました。
叔母の家から祖父の家までは電車で1時間くらい離れていました。
年に何回か行く程度でしたし、
我ながらよく迷子になることもなくたどり着けたものだと思います。
一人で泣きながらやってきたことに驚いて飛び起き、話を聞いてくれたのです。
その上で母や叔母に電話をかけて、一斉招集をかけてくれました。
叔母に連れられて、従兄弟もやってきました。
いきなり呼びだされて、殴られたことで、
「このじじい」みたいな感じで殴り返していました。
「力」には「力」で教えないとわからないんだ!!
虐待されることもなくなりました。
今までのように叔母の家に送られて、迎えに来るまで待つ必要もなくなり、
母を含めて、身近な何人かの大人に必死でS.O.Sを出していたのに、
いまもどこかにあの日の私みたいに「助けて」を言っている子はいるのでしょう。
それを聞いてあげられるかどうか、気づいてあげられるかどうか