2019-02-07

野田市の一件で思い出したこと

連日、報道が続いている野田市小学4年生の虐待死の件

これを見ていたら、もともと風邪調子が悪かったのに加えて、

どうやら心も風邪をひいてしまったようで、テレビネットを見るのが辛くなっていることに気づきました。

なんでかな??と思ったら、

私にも「助けて」が届かなかった記憶があったからなんです。

3才から8才くらいまでの間、身内に虐待された経験があります

まれて間もなく父が事業に失敗しまして、

我が家は大借金を抱えてしまいました。

その返済のため、父は年に数回帰宅するだけで、

地方都市単身赴任して馬車馬のごとく働いていましたし、

母も平日はフルタイムで働いていました。

そのため、私は民間保育所に預けられたり、

親せき宅をたらい回しにされたりしていました。

虐待を受けていたのはその頃です。

相手は15才年上の従兄弟でした。

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怒鳴られたり、はたかれたり、ぶたれたり・・

まあ突然、乳幼児の面倒をみろと押し付けられ、

仕方なく引き受けたものの、

どう扱ってよいものか困ったのでしょうね。

いうことも聞かないし‥

それで小さい子供に"言うことを聞かせるため"に必要なのは「力」だと思ってしまったのだと思います

さな子供にとって大人の「力」って圧倒的なんです。

でも力をふるう方って得てして、相手との「差」をあまり意識していません。

それまで、従兄弟のことはどちらかといえば、いいお兄ちゃんと思っていたのですが、

虐待がはじまってから恐怖の対象しかなくなりました。

叔母のことは好きだったので、

叔母宅に行くのはむしろ楽しみですらあったのですが、

それ以来、今日は叔母の家に預けられる日だ思うと憂鬱になりました。

苦しくって、つらくなって、

母にももちろん言いました。

虐待」なんて言葉は知らなかったから、そのとき自分なりの伝え方で・・

でもね、一切信じてくれないんです。

なぜかっていうと、

兄弟にとってはあくまで「躾」のつもりから

いうことを聞かないから、いい子にしてないか叱った。

相手にそう言われてしまえば、

からすれば預かってもらっている立場だし、

申し訳ないという気持ちもあるからそこでおしまい

あげくこちらは「〇〇お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞きなさい!!」さらに叱られます

しかも、そうやって「S.O.S」を出してしまたことで、

「余計な事しやがって」と、虐待さらエスカレートしていきました。

いじめでいう「チクった」あとと一緒です。

怒鳴られる、ぶたれるくらいのレベルから

モノを投げつけられたり、刃物を振り回されたりと恐怖レベルが上がりました。

で、そのトラウマってずっと残ってるんです。

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これ、実はもう40年前の話です。

どんな友達がいたとか、どんな場所に遊びにいったとか、

まして家族楽しい団らんの思い出とか・・

その頃の記憶なんてほとんどないにもかかわらず、

悲しいか

「殺される!!」と思った恐怖感

首を絞められたときの手の感触

繰り返される怒鳴り声

とても鮮やかに、そこだけ4K映像のように、

リアルに生々しく、昨日のことのように思い出せてしまます

時間が経ったから、セピア色になる・・・なんてことはありません。

その後も母にS.O.Sを出し続けたのですが、

同じバターンの繰り返しでした。

しろ言えば、言うほどにエスカレートしていきました。

そのうち大好きだった母のことさえも、

自分がこんなに言っても信じてくれない、

まったく頼りにならないという不信感を持つようになりました。

その母も年老いて、いま介護をしていますが、

正直、いまだにそのとき気持ちは拭えません。

そんな中で、唯一、私のS.O.Sを受け止めてくれたのが母方の祖父でした。

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兄弟による虐待エスカレートしていく中、

気が付けば、叔母の家を飛び出して、

電車に乗っていました。

一人で電車に乗ったの自体がそれがはじめてでした。

叔母の家から祖父の家までは電車で1時間くらい離れていました。

年に何回か行く程度でしたし、

我ながらよく迷子になることもなくたどり着けたものだと思います

当然ながらケータイも、GPSもありません。

祖父は私が物心ついたときには、

パーキンソン病を患っていて、ほぼ寝たきりの生活でした。

しかし、まだ小学校1,2年生の私が

一人で泣きながらやってきたことに驚いて飛び起き、話を聞いてくれたのです。

その上で母や叔母に電話をかけて、一斉招集をかけてくれました。

夜になって、祖父母宅へ全員が集まりました。

叔母に連れられて、従兄弟もやってきました。

そして急遽始まった親族会議

祖父は従兄弟虐待事実を問いただしました。

気が付けば、祖父と従兄弟が殴り合いの大げんかになっていました。

戦争を生き残ったとはいえ

もう70過ぎの、しか普段寝たきり生活祖父です。

兄弟は当時二十歳そこそこで血気盛んな年でしたから、

いきなり呼びだされて、殴られたことで、

「このじじい」みたいな感じで殴り返していました。

それでも祖父は顔を真っ赤にして踏みとどまり

最後は従兄弟を叩きのめしました。

「力」には「力」で教えないとわからないんだ!!

しか、そんなようなことを言っていたように思います

この一件があってから、さすがに状況は改善され、

虐待されることもなくなりました。

一人で祖父の家までいけてしまうということがわかったためか、

今までのように叔母の家に送られて、迎えに来るまで待つ必要もなくなり、

親が仕事で忙しいとき祖父の家まで行くようにもなりました。

母を含めて、身近な何人かの大人必死でS.O.Sを出していたのに、

それをちゃん受け止めてくれたのは祖父だけでした。

いまもどこかにあの日の私みたいに「助けて」を言っている子はいのでしょう。

それを聞いてあげられるかどうか、気づいてあげられるかどうか

子供の言うことだから聞く耳を閉じてしまっていないか

この社会にいる人みんなに考えてもらえたらと思います

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