2019-02-24

もっと有意義時間の過ごし方

それは、何もしないことだ。

最近やっと分かってきたんだ。

社会的生物としてはそれは×印をもらう行動のように思えるが、

それ以前に人間という生物として自分のことを捉えなきゃいけなかったんだ。

何もせず過ごす時間は何よりも大切で、有意義で、生物の基礎として譲ってはならない時間だったんだ。

他の哺乳類霊長類を見てみろ。彼らは圧倒的に、何もしていない時間が長い。そこに気づきを得るべきだ。

動物人間は違う、などという考え方はただの驕り高ぶりにすぎない。

何もしない時間のことを休息と呼ぶなら、睡眠も似たような文脈で語られることがあるが、それとは別だ。

十分な睡眠も当然、何よりも死守すべき時間のうちの一つではある。

脳のデフラグタイムである睡眠大事だが、それをハードウェアデバッグとするならば、

覚醒時における何もしない時間は、ソフトウェアデバッグだ。

別に瞑想というほど作法にこだわる必要はない。

何もしないでいられるほど、日常タスクやら何やらに追われずに済む時間

それがあって始めて、人間精神は強固な安定を得られる。

精神の安定は、何もしない時間きっかけに始まる自省によってもたらされると考えられる。

自省を「する」という感覚ではなく、ぼーっとすることが自省に「なる」のだ。

自省というと説教臭い印象が出てしまうが、言うなれば自分輪郭を正しく認識するための時間だ。

世界自分境界線キャリブレーションする、ということだ。

そういう機会を失ったまま毎日をすごし、それを何年かつづけると、人間は壊れる。

たいてい肉体よりも先に精神が壊れ、最終的には自殺へ向かうように脳が動き出す。

思うに、鬱になった時点でやっと何もしない時間を得られても、ほとんど手遅れなのだ

不適切コードの上に不適切コードを何重にも重ねたスパゲッティコードが、

致命的なエラーを吐きはじめた時にやっと手直しを始めようと思っても、ほぼ諦めざるを得ないレベルに困難なのと同じなのだ

これは、休日にしっかり休息をとる、という話ではない。

おそらく、睡眠と同じように毎日必要時間なのだ野生動物のように。

1日に何分、あるいは何時間、どれくらい必要かは分からないが、長ければ長いほどいいだろう。

これ以上何もせずにいられない、と自発的に動き出す気になるまでは、ぼーっとするべきだ。

これは個人的体感なのだが、睡眠場合、前日にたくさんの経験をした密度の濃い日ほど、多くの睡眠時間必要になる。

それと同じで、たくさんの情動を抱える人、精神が揺さぶられた日ほど、多くの何もしない時間必要になるのではないか

その点でいうと、このサイトに書き込んだり閲覧したりという行為は、人によるがいたずらに情動を激しくする行為と言っても過言ではない。

増田を利用するのなら、同時にぼーっとする時間も摂らねばならないと考えられる。

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