はてなキーワード: 反動とは
八割型東京一工地帝早慶卒みたいな人気企業だけどえげつないもん。
親と一緒に死んでくれって上司から言われてる人もいるし、怒ったときに後輩の椅子ごと蹴っ飛ばしてヤクザみたいに罵倒する先輩とかまあ普通。
チョンは死ねw発言をヘラヘラするようなエース社員とかもいる。
こいつは地帝。
差別やパワハラを問題視するような社員がいようものなら痛々しいモンスター扱い。
それでもこのザマ。
あと、みんな進学校で運動部頑張って引退したら受験勉強に打ち込んで…っていう超体制的な学生時代過ごしてきた反動なのか、
何それ?と思って調べた。
要は月に1回自分と向き合うことらしい。
夢や目標を再確認したり、資産の見直しとかをしてもokらしい。
へー、と思って、すぐにスケジュール帳に「棚卸し」の予定を書き込んだ。
ということで、8月11日土曜日。今日が最初の自分棚卸しの日。
資産とか言える規模感じゃないので見直しなんていちいちする必要ない。アプリで残高推移確認して終わり。
どうしよう。卸すものがない。とりあえず、7月にあった出来事を順に振り返ってみる。
・身内が脱水症状を起こし、救急車を呼んだ。自分がパニックになってしまった。今は笑い話。
・アニメ「恋は雨上がりのように」を全話一気見して3話以降ずっと泣いてた。
・1年ぶりに会う友人たちと話したら楽しすぎた。
・楽しすぎた反動で、家に帰って気分が沈んでいた。
・兄が結婚するという報告を聞いた。
<良かったこと>
人と会って話すと元気がでる。
<反省>
1人の趣味が充実しなかった。
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逆に今まで「現場が頑張ればなんとかできる!」「やる気を持って夢を持てば何でも叶う!」というのが強すぎた反動だと思う。
ただやっぱり頑張っても意味ない環境においては使い潰されて、ヒラメで周りの動向を伺ってるやつより悪い状況で逃げるか潰されるしかない。
まあ、日本が、コミュニケーション能力という名の、忖度社会でヒラメこそが勝てる社会になっちゃったってのもあるかもな。
日本においてはやっぱりマネジメント不全は深刻だよ。あと、人不足というのは、マネージャーが人増やす権限がないというのも大きいし、
それはマネージャーより上が人を増やす権限を与えてないからというのもあり、最終はトップマネジメントに行き着く。
マネジメントがクソな元ではいくら頑張っても無意味。むしろ、やりがい搾取をされるだけというのが知れ渡ってきたからだと思う。
某大学(※1)の医学部入試の問題について、どうしてもぼやきたくなった。
あくまでも個人の意見ではあるが、随分と乱暴な意見だとも自覚しているので、その所予めご了承ください。
あと、これは個人の雑感なので、読み易さは期待しないで下さい(※2)。
最後に、二重括弧で脚注付くって言うからせっせとつけたけど何故か脚注付かないので、手打ち脚注を付けました。もしもミスを見付けても、この間抜けについてはどうか(鼻で)笑って許して下さい。
※1:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない
※2:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人の感想文だから許して下さい
基本的には親戚含め概ね一般家庭であるが、父親とイトコと義大叔父とがそれぞれ医者という、何故か不思議な縁がある。(※4)
タイトルの通り、本人の性別は女で、そして医者では無い。既に女子と名乗る年齢は過ぎたので、(元)女子<コメントへ一言
※3:七大都市圏外に生息。県庁所在地ではあるが、当県には新幹線が通っておらず、未だに女子は親元にいて当然、みたいな思考がまかり通る程度の田舎
「まぁ当然じゃない?何で叩かれてるの?」
※5:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない(二回目)
『入試を受ける許可が降りなかった』ので『医学部受験が出来ず』に『医者になれなかった』『元女子』である。
因みに偏差値は何とか足りてた。まぁ何とか、レベルだったのでもしかしたら国試に受からずに医者になれなかった未来もあるかもしれないが、そこは今は割愛する。
ただの自慢だが、高校二年の頃までは、随分と増田の成績は良かった(※6)。
高校一年までは、まだどうなるか分からず模試の結果にも志望校にも何も口を出さなかった親が、二年最初の模試の結果を渡した時、初めて話し合いの場、というものを設けられた。
結論から言うと、増田はその話し合いを経て『医学部を受けない』事を確定した、という話である。(※7)
事の次第はこうだ。
その模試の結果が返って来たその週末、『模試の事で話したい事があります』と親子三者面談が行われることとなった。
滅多に家に居ない父親がわざわざ昼から家に帰って来ての三者面談であったので、非常に緊張もしたし、内心『エライコッチャ』と思った。
先の通り、まだその頃(※8)は別段叱られる様な成績を取っていたと思っていないので、何故呼び出しを受けたのか分からない、という混乱もあった。
その時まで、得点や偏差値といった所について怒られるものとばかり思っていたから、返答が「へぁっ?」という間抜け極まった返事になった。この面談が何の為に行われているのか、全く理解が追いつかなかったのもある。
娘の間抜けな返答にに、両親は特に叱るでもなく、母は言葉を重ねた。
母の指先が示していたのは、志望校の欄に書かれた、地元の医学部の欄であった。
「いや、そういう訳では…」
それまでのほほんと『まぁ今の偏差値ならこの辺りの学部書いとけばいいだろ』と志望校を書いていた増田は、母親の言葉で『自分が本当に医者になりたいのか』という事を初めて、真面目に、考える事になった(※9)。
我が家は勤務医であったので『実家の病院を継ぐ為に、何が何でも医者にならなければならない』という家庭の事情も無ければ、『パパみたいにおいしゃさんになるのー!』みたいな可愛らしい夢も無く、『医者になりたいのか』という問いに悶々と悩んだが、すぐに答えが降って湧いて出る訳も無い。
いつまで経っても(※10)返答をしない増田に、母は再度口を開いた。
「じゃあ先に、私達の意見を、聞きなさい」
うろうろとテーブルの片隅に置かれていたコップの辺りで彷徨っていた視線をふっと上げると、母の強い視線に当てられた。残念ながらスローモーションにならなかったが、それでも随分と怖い顔をしていると思った。
それまでずっと黙っていた父親は、やっぱり黙っていたけど、母の言葉に追従する様にうんうん、と首を縦に振っていた。
※6:大見得を切った。自慢して歩ける程良くは無かったが、教師や親から叱られる程悪くも無かった
※7:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人の感想文だから許して下さい(二回目)
※8:何の反動か知らないが、この話し合いの後一切勉強をしなくなったので、その後当然成績は真っ逆さまに落ちた。高校二年の頃まで、と書いたのはそのせいである
※10:とはいえ、今考えても三分も経っていない。カップラーメンは待てても娘の返答は待てないらしい
両親の主張は、主に二点であった。
医学部、それも国立の医学部に入る、という事は、日本国民から借金をする(≒投資を受ける)と同義である
これは防大についても同じ事が言えるが、極論、医学部の学生というのは『将来的には国益になる』と信じられているから、通常よりも多く『投資を受けている身分』である。
原資は何か?当然、国民の血税である。その投資を受けた以上は、医者になったならば、労働を通して国民へ返さねばならない。
医学部に入って6年、専門を決め、安定した独り立ちをするまで更に数年。
10年近く投資を受けるのだから、同一年数は働かないと、その投資に見合った返済が出来たとは言えない。
最低でも46歳、そこまで働く気がないなら、税金泥棒になるのだと自覚しろ、と締め括られた(※11)。
『どこでも眠れる』『すぐに眠れる』『すぐに起きれる』『寝溜めが出来る』の何にもかすっていない増田には向いていない。増田はどれも欠落しているから資質が無い。とばっさり切られた
何を想定しているか?無論、当直時、あるいは緊急時に即戦力として対応出来るか否か、という事である。
尚、緊急時には『有事』も含むからな、国立大卒なんだから当然、とも言われて、己の命の使い方も本気で考える羽目になった。
※11:据わった目で『国益』という単語が出た時に、九州系女性の腹の括り具合怖ェ、って思いました(感想文)。尚、両親は特定の党も支持していなければ、右の話も左の話もした事が無かったので、余計ビビりった
→最低限の国資を通った以上、四十歳半ばで辞める優秀な医者よりも、定年まで働く普通の医者の方が国益に勝る
→総数比を考えろ。数が少ないという事は、医師一人に対しての負担は看護師の比率分だけ上がると自覚しろ
・別に定時で帰れる様な小さな病院に勤めれば良くない?例えばアルバイト医師(※13)とかさぁ
→甘 え ん な 阿 呆 (※14)
※12:自分がドベの成績で国試に受かるかもしれない、という思考を持たない愚かな小娘の僅かばかりの抵抗
※13:その当時、我が家の父は副業で日勤のアルバイト医師もしていたのでそういう発想に至ったのだが、若い頃はアルバイト医師として当直ばっかりしていた為、余計家に帰って来れなかったそうである。そりゃ人が居ない時間を埋める為のアルバイトであるんだから当然である
※14:地雷を踏んだ
さて、以上の話は全て母親が話をした。
父親はずーっと『そうだぞ』とか『お母さんの言う通りだ』とか、合いの手しか入れなかった。
口下手、というのもあるが、彼は『父親ではない』というのが大きな理由である。
一行で起こったこの矛盾であるが、彼は『生物学上における父親』であるが『家族構築関係上における父親』でない、という人なのである。
私が幼い頃、まだ医局という所は随分と力があり、若手医師の勤務先は医局の鶴の一存で決まる様なレベルであった。ペーペー医師である父は一週間の大半は家にいなかったし、弟は帰ってきた父親が父親だと理解出来ず、抱かれた瞬間火の点いた様に泣いた、という古典的なエピソードまである程、家に帰ってこなかった。
ペーペーを脱しても主流医師でない(※15)父は、時には単身赴任も交えながら、随分と家から遠いあちらこちらの病院を転々としていた。
結局、父親が我が家を根城に出来る様になる頃(※16)には子供達は反抗期を迎え、ちっとも父親として接していなかった父親は、子供とどんな話をして良いのか分からない、という状態に陥っていた、そんな時期がこの事件の頃合いである。
所謂、『仕事人間で家族と関わって来なかったお父さんが定年を迎え、家族との接し方が分からない』という状態になっていた為、結果娘に何と言えば良いのか分からなかった、というやつである。
彼がそうなった原因の一つに『田舎の医者が少ない』という点がある。
圧倒的に『全体数が足りて無い』が故に、『一人当たりの当直数が多く』なり、またそういう人数が少ない病院ばかり転々としていた(※17)のも相まって、父親はいつだって『住まいは病院です』みたいな生活を送っていた(※18)。
たまに家に帰って来て『今日はお父さんが帰ってきたから、家族四人で外食に行こう!』となっても、たった二時間もしない食事の最後に彼のポケベル(※19)がけたたましく鳴り、家族団らんが解散になった事は数えきれない程あった(※20)。
当然、盆暮れ正月も関係無く、少なくとも我が家は帰省や冠婚葬祭も含め父親を交えて一泊二日以上の旅行に行った事が無い(※21)。
そういう訳で、我が家は常に『母子家庭』と同等であった。何せ基本的な家族行事に、父親はいつだって居ないのである。入学式も卒業式も発表会も、父親がいた記憶が無い。
幸いにして母親は専業主婦ではあったが、代わりに田舎ならではの『旦那(=増田の父親)実家の面倒』を見るという仕事はあり、最近流行り(?)のワンオペを当時より当然の如く強いられてきた。
別段その事については特に思う事は無かったそう(※22)だが、そういう母を間近に見ていながら『私の仕事の穴を他の人が埋めてくれれば良くない~?』みたいなニュアンスの発言を娘が行った(※23)のは、流石に看過出来なかったらしい。
という事で、此処からは若干説経と、あと当初の想定通り偏差値について幾ばくかの説経が入ったので、ここで一端幕を降ろす。
※15:と父親本人が言っていた。本当の所は知らない
※16:医局の力が弱くなってきた事と、勤務先について本人の希望を汲んで貰える程度には中流層に入った頃合い
※17:「していた」のか「させられていた」のかは、今はもう分からない
※18:一度だけ父がインフルエンザに罹った時に、『入院していい?』と聞いたら、師長さんに『(いつも病院で生活してるんだから、)病気の先生の面倒まで見たくありません』と断られ、そのまま家にいた母親に迎えの要請の電話が来た(実話)
※19:少なくとも、私が小学校を上がる頃まではポケベルが主流であった
※20:とある店に行くと、なぜか謀った様に毎回毎回鳴るので、仕舞いには弟と『今日はポケベルが鳴るか鳴らないか』という賭け事(掛け金:翌日のオヤツ)をやっていた(※現金の絡む賭博行為は違法です)
※21:いわんや海外旅行をや
※22:父と結婚するにあたり、ワンオペ育児を行う事になると重々言い含められ、了承の上の結婚だった、と後に語る
※23:自分の穴埋めをしてくれる人(=他の医師)を全力でバックアップする人間(=その医師の家族)に対して軽視し過ぎであり、礼を失した態度である、というお怒り
その後、別日ではあったが、もう一度話をされた。
その時に言われたのは、
・増田が本当に医者になりたくて且つ子供も欲しいなら、孫(=増田の子供(※24))が一人で留守番が出来る年齢になるまでは私がフォローする。私の体力が追いつかなくなったらシッター代も出す。だからそれも踏まえた上で、自分が『医者』になりたいのか、『母親』になりたいのか考えろ
・ただし、その場合は増田の就職は(地元)県一択になるだろうから、そこを前提に考えろ
・田舎から出ていきたいと思うなら、専業主夫になってくれる男性と結婚か、或いは子供を持たない夫婦二人暮らしを選択する事になるが、家事労働を金で買うかのどれかだが、そういう考えに賛同してくれる相手は数が少ないと心得よ
・医者になる幸せと、(増田)の人生の幸せ(※25)と、よく考えてから志望校は決めなさい
そういう話をされ、『そこまでして医者になりたいか?』と考えた結果、以降増田は志望校欄から医学部の名前を書かなくなった。
※24:結果として、母親の想定年齢を超えても増田は一人身だし当然の様に孫も産んで無い為、このくだりを書きながら無駄な気苦労をさせてすまない…、という気持ちで一杯である
※25:生活力の無さを見抜かれた上での発言であり、別に子供を産むことを推奨はしていない。30歳を超えたある日、電話口で母に『孫いなくてごめん』と謝ったら『子供なんて、居たら居た形の幸せがあるし、居なきゃ居ない形の幸せがあるんだから、比較も出来ないし、(母)に謝る事ではない』と叱られた。本当にすみません…
此処まで書いてこんな事を言っても信じて貰えないだろうが、別段増田は『女性が医者になるな』と主張したい訳ではない。
ただ、医者になりたいのであれば『自分が誰に投資をされたのか』という事を忘れないで欲しいし、その投資に対して最低限ペイをする気が最初から無いならば、その道は他に譲ってくれないだろうか。(或いは、現場医師ではなく、研究職といったルートを選択するとか、兎角ペイを出来る道筋を立てて欲しい)
そして、医者の総数が少ない以上、途中で辞めてしまう優秀な医師よりも定年まで働いてくれる平々凡々な医師の方が有難い、と思う程に、医師の少ない地域があるのだ、という事実に少しで良いから目を向けて欲しい。
産休・育休をしても尚女性医師が長く働ける職場を、と言うならば、お互い様精神で、男性医師だって同じ様に休ませて欲しい。女性医師の休みは認めろと声高に叫ぶならば、同じ様に男性医師にも同じ期間だけ育休を取得する権利を声高に叫んでくれ。
『女性は妊娠・出産するから優遇されて当然でしょ!』ではなく、女性であろうが男性であろうが同じ様に当直を行い同じ様に休みを取り同じ様に昇給して同じ様に家族との時間を持てる様にと主張して欲しいだけである。
が、現状、当然比較論ではあるが妊娠・出産を機に投資に見合ったペイもせぬまま医者を辞める女性は多く、その穴埋めを男性医師が当然の如く行っている以上、男性に下駄を履かせたり、女性を少なく取ったりしたって『当然だよなぁ』と思うのである。
少なくとも、医者になりたいし母親にもなりたいの!と思うならば、実家のフォロー/パートナーのフォロー(※26)/民間(例:シッター)のフォローなど、両立出来るだけの道筋を立てられるかどうかを、一度考えてみて欲しい。
※26:我が家の場合は『奥さんに丸投げ=パートナーのフォロー』なので、真面目に女医を成立させるならで自分の代わりに家庭を全て回してくれる人を探す案をおすすめしたいし、現状それで男性医師の家庭は回っているのだから、女性医師が真似ても上手く回る例なのでは?と本気で思っている
まずは一人一人が己の健康を顧みて、医師の負担を減らす事で、医師の仕事量の総数が減り、結果男女共に産休・育休を取りやすくする事を目指しませんか?
具体的には
・日々歩く、と言った最低限の健康管理を行う(成人病のリスクを下げる)
・(今のシーズンだと)熱中症予防をきちんと行う(急患の数も減らし、重篤な熱中症患者を出さない)
・予防接種を受ける(風疹騒ぎ、よもやお忘れではあるまいな…?)(※27)
・健康診断を受ける(数年に一度脳ドッグオプションを付けたり、市町村区でフォローしてくれるガン検診を受けたり、早期発見早期治療を目指す)
みたいな。
少なくとも、そういうフォローの仕方もあると思うので、ご一考頂ければ幸いです(※28)。
※27:予防接種については、医学的に受ける事も出来ない人(例:妊婦の風疹ワクチン)もいるのだから、少なくとも飛沫感染・蚊を媒体にした血液感染系の予防接種は医学的に問題が無いなら受けて欲しい。接触型感染である子宮頸がん、みたいな類のワクチンは医師家族相談の上自己判断で良いと思うけど、少なくとも不可抗力で他人にうつしてしまう可能性があるならば、皆で予防する、というのは基本的な事ではないかと
※28:これ、医者に限らず例えばサービス業に対しても同じだと思うのですが。と申し添えておく。お金も払わずにサービスだけを求めるのを止めて、サービスに見合った対価を払うか、或いは対価を払いたくないのであればサービスを求めないとか。まずは等価交換が基本でしょう?
この間、実家に帰ったら父親にぼそりと『(増田)を医学部にやれば良かった』とか言われた。
オメェ、あの時散々反対したじゃねーかよ。と殴ろうかと思ったけどやめた。
『属性:医者』をようやく辞める事が出来た彼は、ようやく『属性:父親』の練習を始めたばかりであり、目下家族との対話の練習中なのであり、まだまだ足りない日本語(※29)をフォローし、行間を読む日々は続きそうである。
○朝食:牛丼(大盛り)、卵
○夕食:サラダ、カレーパン、アップルパイ、スコーン、チーズパン
○間食:カラムーチョ
○調子
はややー。
今日は飯を食べる日! として、アホみたいに好きなものを好きなように食った。
ここ数日の日課だった、邪眼の姫の物語を最新話まで見終えた反動で、今はちょっと創作物に触れる感じの気分じゃなかった。
なんていうか、いいお話を読んだ後の放心感というか、余韻を楽しみたいというか。
なので、とくに物語がないラジオを聞いたりして、休日を満喫した。
今週は7月31日火曜日の15時ごろに、すんごいイベントがありそうなので、今からもう気が気でない。
どうなるかは、ふたを開けるまでわからないので、心臓がばくばくしている。
状況によっては、数万円の出費があるのだけれど、こればっかりはお金の問題じゃないので、もうマジでドキドキだよ!
○グラブル
島ハードと、マグナと、アーカルムと、とデイリー的な要素を今日も消化。
こうやって少しづつ強くなるゲームなのはわかるけど、さすがに飽きてきたかなあ。
もともと飽きっぽいたちだし。
風と土は割と終わりが見えてきたのだけど、火と水はまだまだし、光と闇にいたってはそもそもマグナを確定流しすらできてないし。
32歳。80人の女性を抱いた。
元々顔は整っている方だったが性格が根暗だったのであまりモテなかった。
貧弱なもやしっ子だったので、小学校ではいじめられ、中学校でもスクールカーストとしては下層だった。
そこで自信がついたのか、高校で文科系の部活に入ったからか、少しずつモテるようになる。
今まで女の子にちやほやされる、なんて経験がなかったのでイキりまくった。
顔が中の上くらいでも、文科系の部活においては「イケメン」キャラだ。
今考えると恥ずかしい話だけど相当イキっていたと思う。3年間で6人と肉体関係を持つ。
大学時代。
大学1年の時、はじめてネットで知り合った人と肉体関係を持つ。
大阪の人妻だった。今考えると人妻の自宅で旦那が不在時にヤリまくったというのも冷や汗ものだが
その時はまごう事なきサルと化していた。ここで、「ネットで女性を抱ける」という自信と経験がついてしまった。
元々、小学校時代に虐げられた経験の反動でプライドが高く、大学時代には「他の人より全ての面で劣っていたくない」と思うようになっていた。
ピグマリオン効果と嚙み合ったか、自己承認の手段がそれしかなかったのか、今となってはもう不明だが
「性の知識と経験」に関して、とにかく(少なくとも周りの男には)負けたくない、と思うようになった。
勿論、自分から他人にあけひらかす事はなかったが、どんな陰口や昔の同級生にバカにされても「でも俺はセフレが複数人いるし」と思うだけで全てを耐えることができた。
大学時代の4年で7人を抱いた。
そんな中、大学卒業時の飲み会で「お前は何人抱いたことある?」という話になった。
いつも通り「まあ、そこそこだよ」と答えていたが、大学の友人が冗談で「コイツ80人は抱いてるって~!」と大声で言ったのをきっかけに
飲み会のテンションなのか「80人を抱いた男」という事になってしまった。
当然、飲み会の与太話、今や誰もその事を覚えていないだろう。
だけど、自分の心には「すごいと思われるラインが80人ならそのラインを越えてやろうじゃねえか」といらぬ闘志が沸いてしまった。
社会人になって、お金を稼ぐ手段が出来た。会社も緩く、時間と金が出来た自分はとにかく手当たり次第に女性を抱きまくった。
知り合い、合コン、ネット、最初はマッチングアプリなんて邪道だと思っていたがそのプライドもとうに捨てた。
ありとあらゆる手段を使い全国を回った。抱きまくった。
自分の中のルールとして「強姦、睡眠、騙すような手口でのセックスと中絶は絶対にしない、させない」という事だけは心がけた。
勿論、失恋直後などの心が弱っている時を狙う事はあったが、全て和姦だった。
自分の性の嗜好で無理やりするのがNGだったことは本当に神に感謝したい気持ちだ。
ストーキングもされたし殺害予告もされた、刺されたり勿論、性病を貰ってしまう事もあった。
そうしてお金や体や精神やその他諸々を犠牲にしながらも先日、風俗などの女性を除いて、80人を達成してしまった。
もちろん、世の中には80人以上抱いたり、校長のようなもっともっと凄いヤツがいたりするのだって分かっている。
ただ、それでも自分の中で、「80」という数字を越える事が出来た。
そんな僕の心の中に残ったのは、「老いへの恐怖」だった。
いつの間にか女性を抱く事が生きる意義になっていた自分にとって、抱けなくなる事は生きる意味を失うことになっていた。
中折れする事が少しずつ発生してきた。3回戦の途中でどうしても勃たない事が増えてきた。
80人も経験すれば、上達もする。今までの感想から、それなりにテクニックがあることも、下半身がよい形である事もある程度自覚をしている。
そんな、自分のセックスの才能(と努力)が失われていくのが怖い。ただただ、老いていくのが怖い。
もはや自分がセックスする事は二次的な楽しみとなり、今は「まだ自分が若くて食べられる内に、一人でも多くの人に美味しいものを食べてもらいたい」そんな驕り昂ぶりの中で生きている。
自分の鮮度が落ちていくのが、怖い。
オチも何もないけれど、ここにひっそりと記しておく。
今33歳だけど、一週間ほど経って落ち着いてきたから話をしたい。
100過ぎた頃まで生きてその辺りから記憶曖昧で、多分死んだと思う
そこで意識がはっきりしたのが一週間前なんだが、若い頃使ったネカフェで目を覚した。
文字にすると頭混乱してくるから文章下手なら申し訳ないが、とにかく情報だけを残しておこう。
読みなおしてみると何言ってるのかよく分からない。
夢って言葉じゃ片付けられないけど夢を見てたんだと思う。
普通に100付近まで生きてたはず。20歳~100歳くらいの記憶がある程度鮮明に残ってる
今は100歳丁度らしいんだが、逆に20歳までの記憶はすごく薄いというかでも今の俺は100年も生きてない状態なんだよ。
とりあえずぱっと思いつく大きい事でよければ書いておくよ。
あと、別に未来からきたーとかそういう事ではないから予知では無いとだけ断っておく。
東海地方と西日本で群発的な災害(地震と水害)があった。とにかくすごい被害の映像はよく見たな
それが原因で東京オリンピックだとか大阪万博の開催がすごい揉めてた気がする。結局開催した
この頃くらいに地球温暖化が悪化しているとか言って社会現象になってた
福島原発のなんか大事な撤去作業で原発の欠陥だかが大きく言われて全国の原発が事実上廃炉となった
Googleがインフィっていう携帯出した。小さいプレステのコントローラーみたいな感じの物で、今の四角い感じの携帯が一気に消えてった
鉄道の公有化や多国籍企業化が進んで交通難民が都市部や地方で大量発生し、公共交通が破綻する。
リニアが走りだして山梨と長野が発展する変わりに神奈川と静岡の衰退が始まった
この頃は日本の人口問題がすごい言われてた。けどこの頃を境に全然話題に無くなった
タイムマシン実現って騒いだ。光じゃなくて量子?だかなんだかの理論を応用したんだってさ
自動運転の車が急激に普及して鉄道会社が世界的に潰れ、東京や大阪など局地的で大恐慌になったと思う
西側諸国各地で社会主義革命が起きて、資本主義がオワコンになっていた
AIの極端な発達で人間の社会が大きく変化し、99%の雇用はまったく違う種類になっている。
この頃から煙草や酒の規制が進みすぎて吸う奴飲む奴いなくなった。
日本だけでこの規制の動きは2040年まで。それ以降は日本が主導で規制してそれに他の国が着いてくる感じだった
日本の人口は移民の殺到や出生率の回復などで1億5000万人に達し、アメリカの人口が4億人に達していた
同時期に世界中が社会主義と共産主義みたいになってえぐい事になってた。日本も影響受けまくってた
電気無線で飛ばすみたいな技術が一気に発展した。電力革命って騒がれた
おそらく地獄の時期というか、戦争でもなんでもとりあえず人類終わるんじゃねって一般的にでも思われだした酷い時期の始まり
あとこの頃は結構雑じゃなく細かい事も覚えてるけど、どうでもいいくらい大きい事多すぎるからそれだけに絞る。
アメリカと日本が技術協力して火星への移民やってるとかいう噂が出来て、日本でもデモが起きた
世界大戦ピークから終わりの時期だったけど、日本人の生活は2000年代に比べて発展しまくってたと思う。
三次大戦の時日本は兵器輸出だけってのが条件だったから生産ライン攻撃されたニュースはよく見た
兵器生産をやめろーとか、この県から兵器生産工場を無くせーってみんな騒いでた
ピーク過ぎくらいから世界中の国々が地球統一を望んでいてソビエト以来の巨大な国の併合の時期になってた
最終的に1つの国だけになった。
終わった後になって戦争の理由が火星への強制移住であることが明らかになって、記憶の中では最大のデモが起こった
俺も参加しちゃったくらい本当に皆デモしてた。首相変えられるくらいの
この頃俺が事故って脳に障害した。3割障害者みたいな感じになった
経済そのものが概念から破綻し、お金が使い物にならなくなり、日用品は配給制に、ぜいたく品は身分によって持てたり持てなくなったりした
食事もファストフードやSF食のような極端なものだけになる。お寿司?何それ?
地球の人口は40億人を切り、火星の人口は環境難から人口が伸び悩む上に災害や戦乱などによる死者が多く、12億人にとどまる。
結局地球の人口減少は32億人の時点で止まるけど、火星の人口はゆるやかな減少に転じる。
人類の病気や障害がほぼ完治できるようになり、また老衰の概念が消えて半永久的に生きられるようになり、死者はごく一部の不治の病と事故死と殺人などを除いて発生しなくなる
タイムマシンは過去と未来の両方に行けて、その技術を応用してワープが開発された
なんか病院でぼんやりしてた。病気と障害の完治治療が確立されてたのは覚えてるけどなんで死んだのか知らない
多分死んだ
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く
自慢じゃないけど、私はほとんどマックとかのクーポンを使わない。単にめんどくさがりで、その日行くかどうか分からないマックのためにいちいちクーポンを持ち歩くのが馬鹿馬鹿しい…というのが最大の理由だけど、もう一つは値引き額がショボいので、クーポンで50円そこらを浮かせることに情熱を傾けるより、余計なものを注文しないようにする方が身体のためにも節約にもいいと思うからだ。
私の場合、マックとかのファーストフードは食事をするんじゃなくて、軽くお茶して休憩するための場所だ。特にあのへにゃっとしたマックフライポテトがわりと好きで、どうしても飲み物やシェイクと一緒にポテトを頼んでしまったりする。摂取カロリーや節約を考えるなら、あまり余計な食べ物は頼まないで、コーヒーだけ飲むのが正解だと思うけどやめられない。
これはドトールとかのコーヒーショップでも同じことで、前は絶対に飲み物&ケーキとかの甘い物という組み合わせが定番だったけど、最近は甘い物を多少軽くて安いヤツ(ワッフルとかね)に変えたり、飲み物をカロリー少なそうな紅茶にしたりしてる。でもほんとは飲み物だけにすべきだと思う。一時期一所懸命ダイエットして痩せたのにリバウンドしたくないというのが最大の理由だけど、ケーキセットってしょっちゅう食べると案外高いよねっていうのもある。私はドトールのミルクレープが好きだけど、こういうのをしょっちゅう食べるより、月1回とか決めて高級なケーキを食べたりする方が自分の身体にもお財布にも優しい気がする。
ウン十円単位の割引にお得感を求めるより、自分の身体やお財布に優しくない余計な買い物を避けるのが賢いのではないかと思う。スーパーとかで「3つ買えば○○円」という安売りをしていたとしても、明らかに消費期限までに食べきれない量で、自分には1個しか必要ないのなら、多少割高でも一個だけ買う方が使うお金は少なくて済むし、それが食べ物であれば余計な食物廃棄を避けることになる。
昔実家で同居していた祖母が、安物をまとめ買いするのが大好きで、いかにもダメになる寸前の果物やら、安っぽいデザインでたたき売りするしかなさそうな服を大量に買ってきて家族に押しつけていたので、その反動で安物のまとめ買いにろくなことはないと思っている。祖母は別にお金に困っていなかったけど、「安く沢山買える」ということに満足感を覚える人で、買ってしまったら買ったものはもうどうでもいいのだった。
最近はいろんな節約術が氾濫してて、私が書いてるようなことは言い尽くされているかもしれないけど、ケータイキャリアのサービスでドーナツが一個タダでもらえるとなると行列する若者とか見ると「バカじゃないの?そんなもんに釣られるぐらいなら早く格安スマホに替えてケータイ料金自体節約しろよ」と思う。節約というのは少しでも何かを安く買うことに力を入れるのではなく、必要でないものを極力買わないことだと思ってる。分かってる人にはとっくのとうに分かってることだと思うけど、時々ちょっとした値引きとか「タダでもらえる」ということに踊らされて必要でないものを買ってしまう人を見ると「バカだなぁ…」と思うので書いてみた。
https://anond.hatelabo.jp/20180704161841
1997年当時の消費の動きは、消費税率引上げ前の駆け込み需要で1997年3月に106.6に上昇した後、同年4月には反動により減少したものの、同年5月には100.5まで回復し、その後、半年程度でおおむね消費税率引上げ前の水準まで戻っている
https://anond.hatelabo.jp/20180704164602