はてなキーワード: セカンドオピニオンとは
なあーにがカウンセリングじゃ、薬飲めじゃ!
些細なことでも何でも、夫と一旦喧嘩になってしまうと「僕なんて死ねば良いんだろ」「離婚しよう」と興奮して暴れる。夫はバツイチ。私は初婚でIT関連に勤めている。現在コロナもあって在宅勤務。
夫は平常モードだと、知性も高く朗らかでユーモアもあり、とても素敵な人だ。職場のファンも多い(男女関係なく)。本当に尊敬しているし愛している。恋人だった頃は、距離があったから冷静になる時間もあり、それなりに衝突もあったが互いに謝ったり謝られたりして特に気に留めていなかった。
結婚を境に一緒にいる時間が増えれば増えるほど、まるでジェットコースターのように夫は機嫌が変わることが分かった。ここ数年本当に酷くて悩んでいる。
夫は興奮すると目がすわるし瞳孔が開いて息が荒くなり日頃の理性が全部消え、まるで獣のように咆哮する。喚くだけだったらまだいいほうで、さらに血が上ると皿を割ったり、料理を捨てたり、カバンを投げたり...新婚旅行で買った記念の置物も早々に破壊された。
・ひどく極端なことを突拍子もなく言い出す(僕が死ねば解決する、じゃあ捨てる、全て止めるなど0か100思考)。
・夫の誤解であっても頭に血が上っているときは、意見すら聞いてもらえない。
・誤解を解こうとすればするほど、激昂して余計複雑になる。
・切れる言動に一貫性がなく、こちらが配慮や改善できないレベル。
なんだ。なぜだ。私にはわからない。普通の日常の喧嘩で死ぬとか離婚とか毎回出すのってそれって少し卑怯じゃないのか。
そして翌日もしくは数時間後に、ごめんねと泣きながら謝ってきて、また優しくて柔軟ないつもの夫に戻るんだ。このような言動(平常モードだったら流すような些細な事で激昂し、そうかと思ったらしばらく鬱ぎ込む)数日数週間単位で繰り返される。
ちなみに本人曰く双極性ではないらしい(結婚後診断済。セカンドオピニオンはなし)そして外面はすごく良いのでこの症状は私の前だけだ。誰も知らないから誰にも相談できないでいる。
私も出来た人間ではないけど1度も手だけは挙げたことない。浮気もしたことない。
結婚生活は続けたいし彼が大切なのだけど、最近は「〇〇ちゃん大好き」と手を絡ませてくるときに(彼はいつもベタベタ触れたがる)、獣の形相の顔が脳裏に浮かんで辛い。怖い。自分が引いているのが自分で分かるのが更に辛い。この繰り返しに段々と疲弊している自分がいるのも事実だ。
このような気性のパートナーを持っている方、どうやってうまくやっているの?私は女だから力じゃ絶対勝てないし、直接暴力を振るわれたらどうしようと考えたら肝がヒュッとなる。
楽しい会話の中の冗談でも、気に触ることだと最近はプッツンと(本当に見ていてわかる。笑顔から急に目が据わる)切れて暴れだすので、冗談にも気を付けている。これが食事中にも起こるんだよ。そういう時は飯どころじゃなくなる。何故って床に飯が散乱するからorz...
いつまで続くのだろう。子供とか出来たら変わるのかな。
まさか増田に投稿するとは。。誰か知らないけど最後まで読んでくれてありがとう。吐き出して少しスッキリした。同じ獣でも、けものフレンズだったらサーバルちゃんがすき。
これどうだよ?
元のバージョンでも離婚しろつってる人はある程度いるけど、少ねえよお
男女に筋力差があるから〜ってか?ふだん性差否定してんのにこういうときばっかり十把一絡げにして語るのはマジでどうかと思うぜ 俺は彼女と腕相撲したらほぼ互角やぞ
男にも優しくするか女にも厳しくするか、どっちかにしなさい!
女にばっかり優しくしないの!めっ!
不眠から職場での居眠りが目立つようになり、注意されては凹む、を繰り返しているうちに驚くほどさっくりと鬱になった。
家からとにかく出られず、家から徒歩三分の場所にある心療内科に行けるまでに一ヶ月もかかった。意を決して家から出ても、病院までの三分の道のりは号泣するくらいに怖かった。
病院に何とかかかったものの、これといった薬は出されなかった。カウンセリングでもなく、こちらから一方的な話をするだけの診療だった。
結局、睡眠導入剤だけを渡された。
薬で何とか眠れるようにした。悪夢と付き合いながら眠れるように努力し、体と心はガタガタのまま、束の間の休職の後になんとか復帰した。
同僚たちは優しかった。ずっとこの会社で働きたいとすら思うほどに暖かかったが、上層部は休職した私を暖かく迎えてはくれなかった。
社長から休職前の限界ギリギリだった頃の行いを掘り起こし、イヤミをネチネチ言われ、人事考課の評価を下げられた。昇給は二度見送られた。
やってられるかよ、と会社を辞めたのが昨年夏。
会社を辞めた日に運悪く伝染病にかかり、重症化を引き起こした。
そこから数ヶ月、後遺症が引くまでは特に何もできずに過ごした。
体調も回復してきた。貯金も無くなってきた。そろそろ就活を再開するか…、と思った年明け。
私のメンタルはなぜかズタボロになった。
一日中ベッドに転がり、トイレ以外にどこにも行けないという程に悪化していた。
頭の中は冷えていて何もなく、空っぽなのにうるさく感じた。
耳鳴りやめまいは止まず、寝返りを打つのにも酷く体力を持っていかれた。
頭皮と頭蓋骨の間が痒くなるような、脳みそをぐにゃぐにゃ触られているような気持ちの悪い感覚が常に付きまとっていた。
家事もできず、風呂や着替えすらままならなかった。会社を辞めた頃に実家へと帰っていたため、家族からの言葉や視線が恐ろしくてたまらなかった。家族は私を咎めるようなことは何一つしなかったというのに。
そのうちに「働いてもいないのにご飯を食べていいわけが無い」と思いこみ、ご飯をほとんど受け付けなくなった。
そんなある日、首を吊った。紐を部屋のドアノブにかけて、座った状態で吊ろうとした。
普通に失敗した。
何も考えていなかった。発作的に死のうとしたため、ドアノブに紐を上手く括ることが出来ないまま体重をかけた。
ドアノブが動き紐は外れ、私は無様に床に落ちた。
あまりに情けなさすぎて死にたさが増した。
こんな簡単なことすら失敗するのかと、誰も見ていないのに恥ずかしくなった。
紐を巻き直す力もなく、布団に潜り込んで泣いてるうちに眠っていた。
貯金は既に数百円だった。
何とか手もみマッサージのバイトに滑り込んだ。歩合制だったので日給で数千円をたまに稼ぐことができた。それだけでどうにか生きる気力が戻ってくるようだった。
新人に客がつくわけもない。リピーターだってコロナで自粛して来なくなった。店に行く交通費だけが出ていくようになった。
私はバイトを辞めた。完全歩合制はクソと言いながら、今度はちゃんと求職者と企業を繋ぐ斡旋会社に世話になり、スーツを着て就活に挑んだ。
全て落ちた。
面接にこぎつけても落とされた。
今は仕方ないと皆が口を揃えたが、仕方がないわけがなかった。
段々と時間をかけて「お前はいらない」「必要ない」と社会全体から否定されている気分になって、夜になると毎日泣いていた。
給付金がなければもう一度死を選んでいたと思う。
再び一日布団に埋もれる生活が戻ってきた。
気がつけば朝、気がつけば夜を繰り返した。
人の視線が恐ろしくてたまらず、家の敷地から出られなくなった。
外に出るとどいつもこいつも私を指さして嘲笑っているように感じた。人と目が合わせられない。落ち着かない。消えたい。車道に飛び込みたくなる。希死念慮が払拭できず、動けなくなった。
スーパーに行けば過呼吸を起こし、電車に乗ることを考えるだけで胃が痛んだ。
そんな生活が続いた長雨のある日、缶が開けられなくなったことに気がついた。プルタブを起こすことが出来ない。ペットボトルの蓋も同じだった。
体にとにかく力が入らない。入れているのに、ものを持てない。フライパンすら片手で持てなくなっていた。
階段を挙がるだけで息が切れた。
開けたばかりの牛乳パックを片手で長く持っていられず、あまりの非力さに自分で引いた。
ゾッとして、腹筋をしてみようと考えた。
1度も出来なかった。体が重くて持ち上がらない。
その時の私のBMIの数値は20。私は数値だけを見れば決して肥満ではなかった。痩せてもいなかった。しかし、体脂肪が高く、体のほとんどを脂肪が占めており、とにかく筋肉がなくなっていた。
最低限日常を生きてくための筋肉すらないことは恐ろしくて、何よりも情けなかった。
鏡に映った自分は、生きる気力を失っている豚だった。
豚ですら体脂肪率は15%前後だ。そんなものと比べたら私は脂身そのものだ。豚に失礼だった。
筋肉をつけるための筋肉すらないのなら、今の体すらも重すぎると考えて、まずは体脂肪を減らすダイエットをしようと考えた。
結果が出なかったら今度こそ死のうと考えていたので、勉強は割と真面目にやったと思う。
動画サイトを巡回し、ダイエットブログや本を読み、栄養学に手を出した。痩せるためのノウハウを頭に叩き込んだ。
本当に特別なことは何も無いダイエット方法だ。よく動き、必要なものを摂取し、余計なものは食べない。それだけだ。
まずは白米と別れを告げた。
あとはなんてことは無い。ただ動いた。
最初に有酸素運動を始めた。最初はとにかく家から出られなかったので、雑誌を重ねて養生テープでぐるぐる巻きにした台を作り、ひたすらに昇っては降りた。
踏み台昇降はYouTubeやTwitterを見ながら、たまにゲームをしながらだらだらと、しかし確実に成果を積むようにした。
とにかく体を動かす癖をつけることを重視した。
動いている実感が欲しくて、筋トレ動画にも手を出した。高負荷はかけられなかったので、エクササイズレベルの軽いものを、毎日動画1本分はやると決めた。最初は筋肉痛で眠れなくなった。
効率も、筋肉に効いているかすらも無視し、とにかく習慣になることだけを考えた。
YouTuberの丁寧な編集の動画のおかげで、やる気は折れず、どうにか毎日続いた。
一ヶ月になる頃には確信に変わった。
体重も体脂肪は少し落ちただけだ。ダイエットが成功したとは言わない。
まず、朝が怖くなくなった。食べることへの罪悪感もなくなった。ちゃんと腹が減ることに感謝した。
そのうちに筋トレの質も気にし始めた。ジム通いはできなくても、水を入れたペットボトルは用意できたし、チューブは意外にも安価だった。
車庫に放置していたローラー台を駆使して自転車に乗るようになり、しっかりと栄養バランスを考えたご飯を食べた。
筋肉をつけるためにプロテインを飲み、体内の水分の循環のために水を多く取るようになった。
ふと気がつけば自分から進んで家族の使いとして買い物に出るようになり、プロテインやダンベル欲しさにいつの間にか就活も再開していた。
汗をかくことに気持ちよさを感じ、体の軽さと心の軽さに感動する自分がいた。
「出来ることない無能、早く死にたい」から「こんなゴミでも出来ることあったんだ」へ変化し、そのうちに「少しでも頑張れてる。えらい」になっていった。
ダイエットを初めてから1ヶ月で体重3キロと体脂肪率を約3%落とした。
自転車を漕いだ距離はもう少しで北方領土から東京までぐらいの距離に届きそうだ。
運動後にかいた汗を流すシャワーが何よりも気持ちが良く、夜には健全な眠気が訪れるようになった。
ペットボトルも開けられる。外にも出られる。
人はもうそんなに怖くない。
ここから筋肉を育てていく。ダイエットとしては始まったばかりで、正直ここからが本番だ。
私はまだ豚だ。だが、首を吊ろうとして失敗した頃とは180度違った自分が鏡に映っている。
私は君を長年にわたって裏切ってきたのに、君だけは私を裏切らなかった。
それから普通に裏切る関節や内臓はいたわっていく。あいつらは消耗品だ。
アラサーはもう決して若くねーのだ。
でも遅くはなかった。絶対に。
誰かに私のやり方を真似しろとは言わない。この文章も忘れないために書き散らしたものだ。
医者いらずとは言わないし、万人の鬱が筋肉で全てが良くなるとは思っていない。
ただ、私にとって、メンタルの回復のために、筋肉がとても頑張ってくれたという話だ。
筋肉という名の相棒よ、メンタルは君に預けた。これからも一緒にクソ鬱をぶっ飛ばしていこうな。
【追記】
沢山の反応ありがとう。
かなりフェイク入れてたし文下手だからちょっと矛盾もある。読みにくくて申し訳ない。こんなに反応があると思わなかった。
おめでとうって言葉はすごく嬉しかった。自分で結果出して自分で褒めてたけど人からの反応は全く違うね。
本当にありがとう。死ななくてよかったよ。
【補足とかコメントへの反応】
躁鬱じゃね?病院すすめる
→心配ありがとう。当初はあまりの回復の速さに自分でもそう思った。
なんかあった時の頓服として、私にあう病院が見つかればいいんだけどなあ。難しそうだ。
「言うほど捩じ伏せてない」
→そりすぎてソリになったわね……
バルク全く足りないよ。題名負けしてるからこれからつけてしっかり捩じ伏せていくよ。許してくれ。
→それはあなたの運動中のフォームがしっかりとしていて、負荷もきっちりかかってるからだと思う。
踏み台やってた時は携帯いじりながらダラダラ惰性みたいに昇り降りしてた。汗だくにはなったけど負荷は軽かった。
そもそも1時間の有酸素運動は筋肉の分解が進むから余程の脂身を背負ってる人以外にはオススメはしない。
ダイエットやトレーニングも医者とおなじ。自分の今の体型やなりたい体型に合わせて自分で調べて勉強して試行錯誤をしてほしい。
○○は危ないとか色んな意見について
→先にも書いたけどこれが私にあってただけという話。自分でいいと思った方法を信じるのが一番。餅は餅屋。だがセカンドオピニオンも大事。最後に決めるのは自分。
あなたはその話を信じる。私は自分の導き出した話を信じる。そんでよい。
ただ、つらい人たちをトンデモ療法で騙して金むしり取るアホは許さん。
身も蓋もないし題名と矛盾するけど、筋肉そのものが鬱を治したわけじゃない。
しんどさの根源、壊れた自尊心の修復のために、トレーニングをして成功体験を詰んだというのが真理。
あとは家族。ただ単純にものすごく恵まれてた。ギリギリ金を借りるにはいたらなかったがかなり甘えて頼った。恩はこれから返すよ。
これにて終わり。
読んでくれてほんとにありがとう。
年始めに入院し、危篤状態で我が家に帰ってきた猫(獣医に「このままだとここで息を引き取ることになります。連れて帰りますか?」と訊かれた為連れ帰った)
死に水ではないが、母がミルクを飲ませようとすると健気にペロペロしたと聞き、大急ぎで違う病院へ連れて行った。
ミルクを飲む力があるのなら助かるのではないか?とセカンドオピニオンした(以前通っていた病院だが)
ぐったりはしているものの、彼が家に居てくれるだけで幸せだった。
最初は毎日。次第に3日おき、一週間おき。最近では二週間おきで病院に通った。
獣医に「にゃあ!」と挨拶し、注射に「いてー!」と反抗する元気が出てきて安心していた。
日差しが強くなり気温が上がる頃には自力で家の中の快適な所へ勝手に出向いてドテンと転がっていることもしばしばだった。
うちには3匹猫が居るが、一番下の猫もとても心配して様子を見てくれていた。
容態が安定してから定期検査は2ヶ月に一回になっていた。次は9月の予定だった。
私は毎月検査して欲しいと思っていたが、獣医がそう言うなら良いかとも思った。
しかし先月末、突然療法食を食べなくなった。
猫缶は食べていたが、買っておいた腎臓病用のリキッドを飲ませてみようとした(飲まなかった)
検査すると内蔵全体が悪くなっていた。肺にも白い影がかかっていた。
各種数値は非常に悪い。
帰る時、猫の様子を見るといつも通りゴロゴロと喉を鳴らしていた。
がんばるんだよ。と声を掛け、後ろ髪を引かれる思いで帰宅。
どきどきしながら一晩過ごし、翌日仕事前に見舞いに行った。
その時、母の顔を見てニャー!と一声鳴いた。
こんなに苦しそうなのに、頑張れなどと声をかけることも出来ない。
そう思ったけれども、なんとか生き抜いて家に帰ってきて欲しいと願わずにはいられなかった。
また長く入院して苦しめることになるのかなあと思いながら。
仕事に行き、夕方の休憩時間にスマホを見ると母から着信が入っていた。
力が抜ける思いでLINEを開くと「息を引き取りました」とあった。
ぼんやりしながら仕事をこなし帰宅すると、氷に囲まれて冷え切って固くなった彼が横たわっていた。
冷たくて固いけど、見た目は寝ている様にしか見えない。
腹を撫でると毛並みがさざめいて息をしている様だ。
抱え上げると、病院に連れて行った時よりも重みを感じた。
入院する2日ほど前の夜、私の部屋にドタドタと駆け込んできて何やら沢山鳴いていた。
否、ここ半月程やたら鳴いて甘えていた。
「具合悪い!」と訴えていたのかもしれない。
具合が悪いから、いっぱいよしよししてくれと言っていたのかもしれない。
それなのに、あの日私は「うんうん。どうした?」と顔を覗き込んで頭を撫でるだけだった。
なんで膝に上げてやらなかったんだろう。
元々人の膝で寝るのが大好きな猫だった。
年老いて体が難儀なせいか、その体勢が辛い様であまり上がらなくなっていた。
こちらも気を使って抱え上げたりすることがなくなっていた。
あの温かく柔らかい重みをこの手に抱える最後のチャンスを捨ててしまったのが悔やまれてならない。
彼は本当に人間が大好きな猫だった。
そして何故か私の手を舐めまくるのが好きだった。
ひとしきり舐めさせて手を引っ込めようとすると、爪を出して押し止めるくらい。
美味しかったのだろうか?
他の人間の手を舐めることはなかったので、何かしら意味があったのだろう。
遺骸になった猫を撫で付けながらそんなことを思い出すと涙が止まらなかった。
このまま家の庭に埋葬するのはなんだかとても嫌だった。
部屋に寝かせている姿は以前のままだったから。
家まで来て貰い、家族みんなでお弔いをした。
炉に横たえた彼はやっぱり生前のままだった。
ツヤツヤの白い毛並みの大きな体は、2時間ほどで白い骨になった。
しっかりとした骨を桐の小箱に詰めていく。
股関節が悪くてドタドタ歩いてたけど、骨は立派なままだった。
でも不思議と落ち着いている。
酷いペットロスになるのではないかと思っていたが、何故か一区切りついた様な感覚だ。
亡くなった猫について人と話したり、こうして文章にしたりするとやっぱり涙が止まらないけれども。
前回倒れて奇跡的に回復し、この半年強という時間を与えられ、みんなで見守り続けて出来るだけのことをしたという感覚があるからだろうか。
思い返せば悔やまれることもあるけれども。
病院に居たせいで、家族の誰も看取ってやることが出来なかったのも辛いけれども。
今月7日で18歳になる筈だった彼。
苦しかっただろうに、7ヶ月以上も頑張って生きてくれた。
とても愛しく、大切な子だよ。
これまで傍に居てくれて本当にありがとう。
ここまで揃うと、笑うしかない。
こんな状態なのに、去年介護がワタシにやってきた(サンタが街にやってきた風)。
「お父さんが緊急搬送されたと病院から連絡がありました。あなたの電話番号を病院に教えていいですか?」
という不動産屋からの電話。先方も事情がわからないようで困惑している。
定時で帰ろうと呑気に考えていた春のある日、こんな風に始まった。
当初は脳梗塞も軽く済み、介護サービスを使いながら独居することも可能だった。
その後のリハビリのおかげで、身の回りのこともできるし、簡単な会話もできるくらいには回復したが、細かな判断(お金周りとか)を要する質問には返答できない。
兄弟姉妹もいないので、1ヶ月半おきに北海道に帰省した。終の住処になる施設に落ち着くまで、約1年間続いた。
毎回4泊5日のスケジュールで、病院・役所・父のアパートを何往復もした。お金は勿論のこと、体力的にかなりきつかった。
金額は石狩管内私調べなので、田舎に行くともっとお安いところもある。
CMでよく見かけるのはコレ。あれは金持ち用の至れり尽くせりな施設だ。
母が医療関係者として働いていたことがあり、「料金が高いせいか、入所者になにもやらせない(家族もそれを望んでいる節がある)。結果、入所後にボケる人が多い」らしい。
通常家屋で暮らせる程度の身体能力がある人が入所していて、痴呆症の受け入れも多いようだ。
脳梗塞の後遺症で、通常家屋に住むのはちょいと厳しいので深くは調べなかった。
金額的にはピンキリの様子だが、18万円は高い部類だと思う。都市部のグループホームだろうか?
ただし、終の住処にはなり得ないので、3ヶ月後には退所しなければいけないことが大半。
また、入所中の通院、日用品の買い足し等は家族が行うので負担が大きい。施設に入っているから一安心とはならない。
最近建設された施設は、個室またはユニット個室なので、利用料も12万円台〜。
多床室と呼ばれる大部屋の場合は利用料9万円台〜。
裏技的に特別養護老人ホームの入所待ちに使われることもある(自分もそうだった)。
首都圏では施設数が増え、待機期間が短くなっていると言われているが、空いているのは個室またはユニット個室で利用料は高い。
利用料の安い多床室は、相変わらず入所待ちが続いている。
現在、新しく施設を作る場合は、個室またはユニット個室である。
多床室は昔の制度下で建設された施設のため、建て替えなどで個数が減ったとしても増えることはないと思われる。
特養の利用料は老健と同じようなレベルだが、特養は自宅介護が不可能な人たちが入所してきている。
「終の住処」と呼ばれているが、見取りを行っていない施設もあるし、胃瘻やインスリン注射が必要な人の入所数を制限したり、断っている施設もある。
入所は順番待ちになっているが、介護度が重いほど上位に来るかというと…そうでもなかったりする。
介護度5を最優先にしている所が大半だが、施設によっては、状態の重い人を入れ過ぎてスタッフが疲弊、バランスをとるために、ちょっと介護度低い人にしよう…となることもある。
これは、各施設の方針によるので、見学した時にざっくばらんに聞いてみるといい。ぶっちゃけてくれる相談員もいる。
ありがたいことに、比較的すぐに特養入所ができたため、ほとんど帰省しなくて良い状態になった。
定期検査で通院する時は、施設のスタッフが付き添いをしてくれるし、日用品がなくなると代行して購入し、月末に利用料と一緒に領収書添付の請求書が送付される。
そもそも老健と立ち位置が違うので、比較するのはよくないことなのだが、老健に移動してから負担が恐ろしいほどに減った。
世の中的に介護施設のお給料は少ないと言われてるので、もっとお給料あげて欲しいと思う。
スタッフの献身のみに支えられているのは異常だ(でも、利用料は据え置きでお願いしますw)。
元増田さん
正直、母上のグループホーム18万、父上の20万という利用料は大きすぎると思う。
首都圏では普通にあり得るんだけど、北海道では、高額な部類に入ると思う。
この状況が10年20年続いた時のことを考えなければいけない。
ご両親の蓄えがなくなった時、元増田さんや兄上は金銭的な負担ができますか?負担しても、それぞれの家庭が壊れないと断言できますか?
私は家庭を築く気持ちも能力もない、頭アッパラパーな人間です。
そんな人間に言われるのも心外だと思うけど、自ら作った家庭に対する責任を第一にした方が良いと思うんだ。
多分、老後もそろそろ考えないといけない年齢だよね。
金銭的援助を20年続けたとして、その間に自分たちの老後の蓄えできるだろうか?
玉突きのように、子供たちに負担がいったら…親としては、ものすごく辛いんじゃなかろうか?
どちらもお金が関わっている。
大事なのは「愛」というけれど、世の中の不幸の大半は「お金」で解決できる。
自分は「愛」より「お金」が大事な守銭奴なので、父親の介護に関して持ち出しをしないことにした。
ただ、父には蓄えがなかったので、当初は50万〜は持ち出しした。ボーナスもぶっ飛んだ。
でも、そんなことを続けていたら共倒れするので、病院の「無料・低額診療制度」を利用して、入院費や定期検査を1年間無料で受けられるようにしてもらった。
その他にも、役所にある地域包括センターに相談して施設を探してもらったり、任せきりにせず、自分で施設を探すために電話をしまくった。
「法律は法律を知るものの味方」とはよく言ったもので、介護も制度を知らないと金銭的にも心身的にも疲弊する。
利用できる窓口に相談する以外にも、自力で動く必要もある。そして、それがめちゃくちゃ気が重い。
親の介護やお金のことって、簡単に相談できるものじゃないから、わからないことだらけ。
でも、「助けて!」と叫ばないと、どこにも声は届かないんだよ… 。
つらつら記載したけど比較的両親が若い状況で倒れ、治る見込みもなく医療費が月40近くかかり、実家は資産家でもなく、かつ自分や親族は遠方というベリーハードな状況の人っているのかね?
元増田さんから見ると、ベリーハードな状況から脱しているように見えると思う。
でも、安心してください!
去年から、ずーーと続いてるよ!
続く時は続くというけど、本当だっだねー…元増田さん、まだハードモード続行中なんで安心してください!
でも、私やあなたよりも酷い状況下で戦っている人はたくさんいるはず!ひとりじゃないよ!
あと、毎月医療費が40万円もかかってるなら、高額医療費として払い戻しできるんじゃない?ぜひ調べてみて!
自分は健康診断で「高度」判定されたのだけど、再検査では「低度」になったので自然治癒する可能性があった。…残念ながら、先日の再々検査で「中度」に格上げされてしまったので、このまま自然治癒せず「高度」に上がってしまうと、めでたく手術になる。
案外、自分のことは冷静で、いの一番に「生命保険で手術・入院費が支払われるか」を確認した。
母の方がうるさいくらいで、「セカンドオピニオンしてもらった方がいいんじゃないの?」と心配してくるが、正直かなりウザイ。
この辺りは独身の気軽さで、「ダメになっちゃったら、もう仕方ない」という境地にたどり着いているのが原因かも。
この世にいる以上、生と死があるのは仕方ないこと。
配偶者や子供がいたら、セカンドオピニオンでもなんでも受けると思う。
今のところ、自覚していないだけなのか、手放して惜しいものが一つも思い浮かばない。
先によくある質問への回答
a.1度wais-3を受けて発達障害じゃないと言われ(知能指数は具体的には覚えてないが言語性動作性共に平均値で差もなかった。)、「一つ一つのことをゆっくりこなしましょう」と月並みなアドバイスを頂き、セカンドオピニオンへ。そこでもwais-3や性格診断諸々やったが、発達障害ではないと言われました。発達障害ではないです。
私がワーキングメモリの低さを感じる時は仕事で指示を受けた時や会話をしてる時だ。例えば、作業Aに取り掛かかりに行こうとした時に、上司から「それをしに行くなら作業B(そこそこ時間がかかる)を先にしてきて、帰りに物品Cを取ってきてもらえる?」と言われたとする。聞いた時点では「完全に理解した」状態なのだが、作業Bをやり終えだ後、作業Aも終わった時点で、物品Cの件を完璧に忘れてしまう。メモ書く余裕がある時は忘れないのだが、メモが無しで完遂した事が1度もない。最初は「平気平気」と萎縮させないように気遣ってくれた上司も、転職してから2年目となると「お前時々やる気ない時あるよな?」と釘を刺してくるようになった。なるべくメモは取るようにしているが、メモ取りが酷く遅いので「それぐらいメモとらないでいいから早く行ってきて」と急かされ忘れることが多々ある。
それと、マルチタスクが壊滅的に苦手だ。作業中に電話がくると、作業から電話への頭の切り替えが上手くいかず、電話先の声が音としては聞こえるが情報として処理できない状態になる。謝りながら再度聞き取り、上司に取り付いだりりするのだが、1つ前にやってた作業が何をしていたのか完璧に抜け落ちてしまう。これは通話に限らず、作業中に話しかけられた時にでも発生する。雑談しながら作業が壊滅的に出来ないので、上司や先輩に日常生活会話をもちかけられた時は作業の手を止めて、脳のメモリをフルに会話に使うはめになる。(話し上手ではないので、喋るだけで脳に負荷がかかりすぎてる可能性もある。)
口語でのやりとりを頭に留めておける自信が無いので、チゃットやメールが主軸で仕事が進む業種があればそこに行きたい、とよく思う。
頭が悪いと言われればそれまでだけど、脳機能が改善するなら改善させたい。口語コミュニケーションに難が出てくるので、働くことと自分の将来が酷く怖くなることがある。もしも私のような経験がある人間の改善エピソードがあれば教えていただけると嬉しい。改善の参考にしたい。
死ぬほど絶望したとか、嫌なことがあったとか、そんなことは全然ないんだけど、あまりにクズで社会で生きていくのが難しいので早めに死ぬしかないような気がする。
落ち込むのは昔からネガティブで慣れているから問題がないんだけど、体が言うことを聞かない。
寝れて3時間くらいしか寝れないし、体が動かないし、涙が勝手に出てくるし、注意力散漫だし、動悸がうるさいし、食欲ないし、食べると気持ちが悪い。体の不調を無視して社会生活を送ってたらマジでダメなやつになった。腹痛、嘔吐、発熱、喉の痛みが止まらんくて連続ではないけど計半年くらい寝込む羽目になって(ゲロ撒き散らしながらさすがに働けない……)、治るのに1年くらいかかった。この時、精神科に行ったんだけど、鬱だって言われた。信じられなくて人生で初めてセカンドオピニオンしたけど、そうらしい。
鬱って脳の病気で精神的にスゲーヤバくなっちゃって自傷行為とか自殺しちゃうみたいな感じだと思ってたからびっくりした。自分は思考は平常運転で体の調子がクソなだけなのに。もちろん、元からネガティブってのも伝えたし。
薬を飲んだら体は楽になったし、ご飯も食べれるようになったのはよかったんだけど、ポジティブになったのは怖かった。別人になってしまったみたいで。なんでこんな前向きで希望まであるんだろうって少し焦ってた。
薬をやめてからはネガティブに戻った。良かった。この世はクソで、自分はもっとクソなゴミ屑以下の価値なし人間。心からそう思える。
ネガティブだけど前向きではあるから、そのことを悲観することはないんだよね。世界は概ねクソだけど少しはいいものがあるし、その少しのいいものはすごく価値があるから世界のクソさを打ち消すには十分だと思う。自分は価値がないけど配られた手札で全力を尽くすのが人生だからさ。
でも、また最近体の不調が出てきた。これはまた半年寝込むやつ。治って1年経ってないのに。ヤバげなので会社に辞めたい意向を伝えだけど、受理されなさそう。体調崩したら休めばいいって、体調崩すまで休むなってことでしょう。嫌だなぁ。あれキツいんだよなぁ。
頼まれたり反対されると断れないんだよねぇ。退職代行とかことを荒立てることもしたくないし。
それに今辞めたところで次のところで体を壊すのは目に見えてる。お金も2ヶ月生きられるくらいしかないし。
こんなままならない人生、大人しく手札を捨ててフォールドするのが賢明だと思うんだ。もう遅すぎて掛け金が釣り上がりまくっているけど。70歳まで生きると考えればまだまだ前半だし。50年でも半分だし。
船を係留する用の丈夫な縄も準備オッケー、予行演習もしてる。けど、肝心の死場所がない。家は家主さんに迷惑だし、遠くの土地へ行くのはそこの人に迷惑だし、適当な公共の場所とか病院の近くも迷惑だし、樹海も自衛隊に迷惑だし。死体が出るのって自然死じゃない限りどうやっても無理なのよね。誰かに死体を見つけてもらわなきゃならないけど、死体見つけるなんて最悪だしトラウマものでしょ。
積極的に死にたいわけじゃなくて、苦しんで生きて死ぬor餓死or野垂れ死or自殺のどれかしかねぇ、しゃーないわ一番マシな自殺で行こうって感じだから死ぬのめっちゃ怖いしね!軽く試した感じ首吊りが一番楽でむしろ気持ちいいくらいだったから首吊りに固執してる。餓死は全身の不調がヤバくて早く殺して……って感じで一番ダメ。飛び降りはすっごい怖い。足がすくむって言うか、怖すぎて柵に縋り付いて泣いちゃった。ジェットコースターは好きなのに。バンジーはダメなタイプなのかも。
貧乏っぷりを知ってる知り合いからは国からの補償もらえとか言われるけど、親族には援助できる経済能力があるから無理。そしてそんなものをもらってるなんて許せないだろうし。一方的にこっそりめちゃくちゃ嫌ってるから親族に助けを求めるくらいならそれこそ死ぬわ。
今日も死ねずに明日の仕事に怯えてる。あと、寝れないから夜が暇。
趣味は色々あるんだけど、この状態だとそれすらまともにできねぇの。ゲームはすぐ死ぬし、本は文章が頭に入ってこないし、絵はなんど描き直してもピカソみたいになるし、小説は言葉が出てこない。
今もめっちゃ取り留めなくダラダラ書いてるし。
最初に言うが親を恨んではない。
しかし口には出さないが産まないで欲しかったと今でも思ってる。
醜悪な容姿、ガチャついた歯並び、頭から生える縮れ毛、運動音痴、痩せの多汗症、出来損ないの脳みそ、理解力も物覚えも遅く愚鈍な脳みそ、必要な事を忘れるのとケアレスミス量産が得意な脳みそ、発達障害扱いされる脳みそ、セカンドオピニオンでも健常者認定される脳みそ、低い口語能力、コミュ障、ついていけない雑談、聞き取れない人の言葉、理解できない人の話、ノイズ、打たれ弱く脆いメンタル、他人の笑い声に怯え、他人の怒鳴り声に怯え、ひといきれに怯え、ストレスを感じると湧き出す止まらない眠気。生きていて眠い。眠い。壊れた大脳が元に戻らないのはどうやら本当のようだ。それとも元から壊れてたのだろうか。
産んでくれてありがとうっていつか言えるようになるのかな。言いたいな。学生の時の楽しい思い出なんて何一つ無かった。幼稚園の頃から登園拒否気味だったらしい。同級生達の大きな笑い声が怖くて、中学校では何をしていたのか上手く思い出せない。
近所に住む同級生達は結婚し子を産む。俺は彼女いない歴年齢で、恋人どころか定職すらままならない高卒アラサー。卒業した高校の偏差値は39だった。きっと親に感謝することが出来ない俺の代わりに感謝しているんだろう。サンキュー。
親が俺を育てた苦労も、親なりに俺を愛してくれたことも、理解はしている。それでも感謝の念がどうしても湧かない。もしも戻れるなら精子に戻って他の精子に道を譲りたい、もしもタイムマシンがあったら若い頃の父の睾丸を叩き潰したい。そうして透けて消えていく自分の体を確認してホッとしたい。
アルバイトすらままならない、単純作業ですらままならない、生きてて自他ともに不愉快を与える俺は、どうすれば親に感謝できるようになるんだろう。
せめて気が狂って言葉や感情が壊れる前に、親へ心の底からの感謝を一言でも言いたい。
生まれたくなかった。
以下追記。
書くだけ書いて放置する匿名オナニーのつもりで書き殴ったんですけども、
なんなら「はてな匿名ダイアリー」の存在を知ったのも極々最近で、どこまでがセーフでどこまでがアウトか分からない中、
「まぁ(大人の事情で)消されてるんだろうな……」
って思いつつ、
なんだかんだで薄目で覗きに来てみたら、想像以上の反応があってですね、えーっと、
大袈裟じゃなくて、
2年ぶりに身内、お店の店員さん、病院の主治医の先生、看護師さん、薬剤師の先生
以外の人間に、
(ネット上ではあるけども)反応を返して貰えたのが新鮮過ぎて、
全然上手く頭が仕事しねぇっす……まぁ仕事しないのはいつもなんだけど……
タイトルに堂々と「男嫌い」と書いて、「男」というだけで勝手に嫌悪感を抱いてしまうような私に、
優しい言葉を掛けてくれたり、同情してくれたり、心配してくれたり、
そんな方々の中には間違いなく男性が居るわけで。
(というか多分男性の方が多いですよね)
世の全ての男性が私を傷付けてきたような人間ばかりじゃないってのは頭では分かっているのに、
心身共にこびり付いた苦手意識はちょっともう、どうしようもなくって、本当、申し訳ない……。
そういう男の人が存在してると分かっただけでも、男嫌い克服ワンチャンあるような気がして、
今月か来月、風俗のお仕事に復帰すると書いたし、実際そうするんですけどね。
面接の2日後に突然5年ぶりくらいに口唇ヘルペスができたのと(性病じゃないぞ)、
多分ストレスで白ニキビが顔面にも二の腕にも、毎日20個くらい出来るようになっちゃったので
今は家事しながら絶賛療養中です。
口では働くと言っても身体は正直だな。
全部のコメントをいつでも読み返せるようスクショして、今の段階で5回は読み返してます。本当にありがとうございます。
って自惚れて、ちょっと読み返してみたら、もう全然、読みにくさの極みみたいな文章だったよ……みんな褒めるの上手ね……
てか、なにより、
誰かに心を傾けて貰うってめちゃくちゃ心に染みるんですね~
ひとつひとつ全部に返信したいくらいの思いの丈はあるんですが、
それじゃあ普通のブログとかTwitterみたくなっちゃう?多分よく分からんけど、匿名ダイアリーって名目上、良くない気がするので、やめておきます。
ただ前述の通り、
絶賛療養中の家事しかしてねぇニートで、時間もネタも有り余ってるので、
またすぐクソ読みにくい長文捻り出しにきます。
柵越しに、良ければどうぞ。
あ!!!!
でも、いくつかの質問返し?だけ!
・障害年金
私ではなく、身内が身体障害者手帳1級になるので、ちょうど来週年金事務所に連れて行く予定でした。タイムリー!
でも私が貰うことについては全くもって考えたことなかったです。
人様の税金で養って貰えるような人間じゃないってことはご覧の通りですし、何よりも自分がよく分かってるので、うーん……
・UberEATS
新しい動画配信サービス?って思ってしまうくらいには田舎者の増田なんですけど、
調べたらツイキャスとかSHOWROOMとかとはなんの関係も無かったし、案の定私の住んでいる県には無かったぜ。
条件を見る限り、現状の私でももしかしたらできそうかも……?と思える感じのお仕事だっから
紹介してくれたと思うんですけど、田舎ゆえ、存在してませんでした……申し訳ない……
でも1つ賢くなりもうした!!!!
・障害について
メンタルヘルス系の知識に明るい方はもしやピンときてるかもしれませんが
発達障害です。
アラサーでようやくADHDと診断されましたが、肝心のH(多動性)が抜けた、衝動性と注意欠陥がえげつねぇ
「多動力」の無い発達障害はマジでただの置き物(基本空想の世界に浸ってぼーっとしてる)なので
普通の人なら当たり前に出来ることがまるで出来なかったり、衝動性とやらで人生破錠してしまったようなものなので、
ゲーム、アニメ、漫画が好きなゴリゴリのオタク20年選手です。残念ながら腐らなかったです。
2次元のイケメンも好きですが、ハマるのは男性向けジャンルばかりですね。
昨日もシャニマスで咲夜さんと恋鐘ちゃんのTrue End見て、ドルフロ里8ピックアップで爆死した感じ。
絵を描くのも好きだけど、中学時代にオタク村八分にあって創作を辞めてしまったので、絵のレベルはまぁお察しです。
洋画や海外ドラマも好きで、家具を組み立てたり造ったりするのも好きで、手芸とか洋裁も好きで、ガジェットも好きで(情報集めだけでも楽しい)……
私の人生ゲームの難易度はナイトメアだけど、多分神様がせめてものお詫びに多趣味に創り給うたので
【長すぎる追記、終わり】
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普通のお昼のお仕事に就こうと何度かチャレンジしたことあるけど、色々あってことごとく駄目にしてきました。
なので、働いてお金を得るという経験が風俗でしかない、正真正銘の売女です。
そんな風俗経験も10年近く、歴だけで言えばもうベテランの域。
…ではあるんだけども、私は筋金入りの「男嫌い」なので、安定して出勤ができないので
心療内科とはズッ友、平常がメンヘラだった私も、ここ2年はメンタルを思いっきり病んでしまっていたので、堂々たるニート。
実家の家事や用事をこなすことで屋根のあるお家に住ませてもらい、ご飯食べさせて貰ってます。
貯金が無いから当然毎月のスマホ料金なんて払えず、wi-fi様に足を向けて寝られない日々。
加えて親の方もちょっとアレだったので、すっかり雑魚メンタルになってしまっていた私に田舎DQN男子特有の無自覚で陰湿なイジメはとってもよく効きました。
以来男というだけで怖くなって苦手意識を持ってしまい、プライベートでは全く喋れなくなってしまった。
身内も(気付かれてはいないと思うけど)父以外とはちゃんと喋れません。
良い歳した大人なので建前上の「会話」はできるんだけど、猫を被り仮面を被ってやっとこさっとこ会話のようなものをしているだけであって、「私」として話すことができない。
もちろん異性の彼氏なんていたことないし、欲しいとも思わなかった。
芸能人も全く興味は無いけど、オタクなので(?)例外として二次元だけは何故かずっと好きです。
(声優さんは今流行りの舞台俳優さんとかはもちろん興味ないっす)
あ、男の人と初めて手を繋いだのもファーストキスも初体験も風俗の講習ですね。
今より50kgくらい肥えた藤原竜也を、パイプ椅子で30回程殴ったような顔した店長…だったはず。
デリヘルもエステもピンサロも経験して、そして最終的に辿り着いたのは風俗の職種の中では手取りが1番良いソープ。
何だかんだで自分の容姿の程度を知っていたから接客もテクニックもゴリゴリ磨いたし、
田舎なので言っちゃ悪いけど女の子のレベルも低ければ年齢層も高めなので
出勤すれば大体つきっぱで、12時ラストの時は1日12回くらい違う男の人とセックスセックス!
No.1の時で手取りが160万とか、なんかそんなレベルの価格帯のお店です。
まぁでも男嫌いの私がそんな働き方をしたら、平常が雑魚メンタルなのにもうとことん病みに病むわけで。
出勤前は毎回某風邪薬1瓶飲み干してアッパー状態に持って行って、
合間合間に安定剤をラムネのようにボリボリ噛み砕きながら働いてました。
高級店でも無く、明るくて愛想がいい助平キャラ売りだったので、ちょっと頭パッパラパーになってるくらいが丁度良かった。
そんな自分が嫌で嫌で「なんか罰を与えてやろう」的なよく分からない思考でリストカットやボディピアスに走り、
畳一畳分くらい血を抜いても、貧血でくらっと少し倒れかけただけで、全然ピンピンしてた私。しぶとい。
まぁ外からも中からも自分をイジメ抜きながらソープ嬢してたんだけど、
もうメンタル追いつかなくなってきて全然出勤出来なくなって、月に3回くらいしか出勤できなくなってきた頃。
一昨年の7月だったはず。
夜に街をぶらぶらしてたらしつこいナンパ男に付きまとわれ、案の定上手く交わせないので漫画喫茶に逃げ込んだんですけど、
付いてきているとは知らず、漫画喫茶で適当に漫画を選んで個室に入って何となく漫画を読んでいたら
そのナンパ男が個室に入ってきた。
こんな狭い個室が急にナンパ男が入ってきたらそらパニックですよ。
でも残念ながら私は恐怖で悲鳴をあげられるようなタイプでは無かった。
ただただ男の人が苦手で、何を考えているか分からなくて、どう対応すれば良いのか分からなくて、
そんな風に焦ってる間にもナンパ男は身体を弄ってくるし、抵抗してもどんどん服は脱げていくし、こういう時に限って全く声は出ないし、
そら1日12人のちんこ捌けるような女ですけれども、カッピカピのあそこにいきなり指突っ込まれたら流石に痛いから!
仕事の時はちゃんと中にゼリー入れてるから勝手に濡れてくれてる訳であって、
唾で無理やり濡らそうとしても濡れないから!
って現実はそんな突っ込みも抵抗らしい抵抗もできず、カッピカピのあそこに無理やり突っ込まれて
ちゃちゃっと、サクッとヤ、ることヤられたんだけど、
これって多分レイプ?だよね?
ナンパ野郎は出すもの出したらとっとと居なくなって、残されたのはパンツ降ろされて呆然としてる私。
もう本当に、何だかんよく分からなくて、とりあえずあそこを洗いたくて女子トイレに行って、ビデをポチッと押したら
水が滅茶苦茶あそこに染みて、思わず便座の上で飛び跳ねた。
はい。
以降2年ニートです。
あの無抵抗レイプ?が何だかんだでトドメになったのかは知らん。
以降相変わらず同じレベルで男の人は苦手だし。
まともにお金を稼ぐってどうやるんだろうね。
まぁ今回は2年のニート期間で自分の本当の障害のこととか、病気のこととか、ちゃんと分かったので。
稼いで……
またメンタルぶっ壊して、その治療期間の生活費に消えないように……
どうすりゃいいんだろうね。
結婚も当たり前に無理だから、一生一人で稼いで一人で生きていかなきゃいけない訳なんだけど、
アラフォーアラフィフで働いてる女性もいるけど、風俗でずっと食っていける訳ないし、
身内がメンヘラ家系なもので自殺者多すぎて、自殺した後どれだけ迷惑をかけてしまうか(あと田舎の情報回る速さ)分かっているから
自殺を選べないって、本当情けねぇ。
メンヘラの風上にもおけないな。
切腹して死んだ大伯父を見習え?
てかこんだけグルグル苦しんだんだから、死ぬ時くらい怖くて苦しい思いしたくないってのもあるんだけど。
誰にも言えないことを言うってことを今までしたことがないから、びっくりするくらいおかしな文になってるだろうし、
やまなしおちなしいみなし。
胆のうの摘出手術を行った。
深夜3時くらいになるとみぞおちの右手側の痛みで目が覚めて痛みに苦しんでた。
タイミングよく人間ドックを受けたら、大きめの胆石とポリープが見つかったため精密検査送りとなった。
面倒なので放置していたら、ある日、今までより強く、長い痛みがきた。
そして、今まではなかった吐き気がでたのですぐに病院に行って受診した。
MRI、CT、超音波、レントゲン、採血、胃カメラなどいろいろな検査を受けたが「胆石発作」と言うことになり胆のうを取ることになった。
心配なのでセカンドオピニオンや会社お抱えの産業医などに相談したが、全員一致で「胆のうを取った方がいい」と言うことになり観念した。
手術自体は、2時間程度で終わった。単孔式腹腔鏡下手術と言う手術法で手術されたようで、本当におへその中にしか傷口がないのは驚いた。
3cm弱の楕円形の胆石がきれいな小瓶に入れられて渡された、この胆石のためにここ数カ月苦しんでいたんだな、と思うと変な感じだった。
術後の経過は順調で、さすがに手術当日は痛みがあったが、鎮痛剤がよく効いてくれたのでよく眠ることができた。
寝返りが打てないのは辛かったが、睡眠薬も飲んでしまえばあっという間に寝てたので、きっと楽な方だったのだろう。
手術3日後に退院、退院後は腹筋を使う動作は凄くゆっくりだが、何もかもが元通りの生活だった。医療技術の進歩に感謝感激した。
だが、1週間後にちょっと嫌なことがあった。
摘出された胆のうに、病理検査を実施してもらったところ、癌だったと言うのだ・・・
「上皮内癌」だから転移などはなく胆のう摘出で、治療終了と言われたがちょっと信用できない。そういうものなのだろうか。
そもそも、担当医もセカンドオピニオン医も画像を見て「良性のポリープ」と言ってたじゃないか。
と思ったが、確認したところ「実際問題、胆のうを取ってみないとわからない」と言うことらしい。
単純な腹痛だと思っていたら、胆石があって、その先は胆のう癌だったってお話し。
あ~あ、この先長生きできるのだろうか。。。と思ったが、別に長生きしても楽しくなかったりして・・・☺
はてなブックマークのコメントや、Twitterの反応も見ました。
みんな優しいですね、ありがとう。30代で癌になった方も居るようです、戦友として一緒に頑張っていきましょう!
とにかくラッキーだったと言ってもらって、運がよかったと感じています。
「とにかく脂質を取らない」を徹底しました。草食動物のように野菜と、ご飯やうどんの炭水化物、そしてほんの少量の鳥のササミだけを摂取していました。
胆石発作とわかってから摘出手術するまでのおよそ2か月間、上記の食事をすることで発作は起こりませんでした。
(このことで、自分の中でも原因がすんなり飲み込めて、「胆のう取るしかないのね・・・」と覚悟を決めました。)
大きさは、1.3 x 1.2 x 0.8cm らしい。乳頭状ポリープとの記載がある。
8年前の人間ドックから詳細な結果が手元にあるので確認したところ、ポリープは7年前からあった。ただし、とても小さいので経過観察とのメモ。なお、この時は結石は見つかっていない。
その後、毎年受けている人間ドックでは、ポリープについてのコメントは特にない(見つからなかった?見落とした?)。今年になって急に再度ポリープがあるとの診断になっていた。
この1年で成長したのか、数年間見落としていたのかは不明。
3年前から人間ドックで結石が見つかっている、一度発見されてからは2年前、1年前、今年と毎年見つかっていて順調に成長していた模様。
今年は、「かなり大きくなったんで、ポリープの件と合わせて、そのままで良いか精密検査をうけて」と言われている。
超音波検査の見立てでは3cm弱。摘出後確認したところ、同じサイズだった。超音波検査のあの分かりにくい画面からよくわかるな。と感心した。
手術後、翌日から1人で歩ける。ただし、振動が来ると痛いのでおなかを抱えてゆっくり歩くことになった。
手術後、3日で退院。相変わらず歩くのは遅いがゆっくりであれば、長い距離歩ける。1kmくらい歩いて家まで帰った。
退院翌日から会社に出社。事務職なので椅子に座ってしまえばOKなので業務に特段支障なし。
> えっ昨日夜中の3時に覚えのない腹痛で目が覚めて小一時間うなされてたんだけどもしかして?
すぐに検査を受けてください!
MRIとCTと超音波の検査を全部受けても1万円ちょっとだとおもいます。早めに対応できれば何度も苦しまなくて良いと思います。
(一方で、「わからないまま」って事もあるのが、モヤモヤしますが)
セカンドオピニオンの助言などは、なるほどねーと思いましたので受けてみようと思う。病理検査に回された胆のうは残されているのだろうか。
今回の件は本当にラッキーでした、胆石からいただいたこの命、大切にしたいと思います。
あ、そうだ、病院食はあまり堪能できませんでした。ちょっと好みじゃなかったです☺
半年ごとにCTやMRIの検査をやりましたが、問題ありませんでした。
成長が遅いだけかもしれませんし、もう少し様子を見てもいいのではないでしょうか?
最近のお母さんはむきむき体操とかで息子さんの包茎を治してあげる、と聞いた事がありますが男性側からしたら嫌と感じるようですし、小さいとはいえ息子さんの身体の一部ですから息子さんの育つままで良いのではないかと思います。
本人が成長して小さいのが嫌だと感じたなら策を練るでしょうし……。
それでも気になるというのなら、セカンドオピニオンで他の小児科で診て貰うのも良いかもしれません。
私は母親ではないのでこんなことしか言えなくて申し訳ないです。
でも、自分が幼い頃に「大きくなっておっぱいが小さかったらかわいそう!」と色々されてたら嫌だなぁと思います。
個人的には成長を見守ってあげて欲しいです。