はてなキーワード: アクセシビリティとは
7~8年間ぐらいひたすらにメイン機はAndroidを使い続けてきたけど今回の機種変更でiPhoneにして2ヶ月ぐらいたつので感想を。
Xperia→XperiaZ1→XperiaZ3→iPhoneX
XperiaZ1買う前にサブ機で、仕事の事情と特定のアプリがしたいがためにiPhone5sを2年使用(2年後即解約)。
また、2016年12月からiPad mini4も使用。現在も使用中。
単純に言うとAndroidにもとめていたものをiPhoneでも満たせるようになったから。
また、iPad mini4を利用していることもあって、iOSの扱いに戸惑うこともないだろうという判断。
5sからかなり時間を空けてiPad mini4を使用したため、かなり見た目やら動きやら変わっていたのでiOSに対して不安もなかった。5sの時は、ハッキリ言って使いづらいと思ってたのでほとんどアプリ用、仕事の時の制作物の確認用と割り切って使っていた。
風呂場でいろいろチェックする自分にとって風呂場で使用可能な点はかなり大きい。
Z3はキャップ付き防水だったのですぐに充電のキャップがベコベコになる以外は概ね満足していた。
iPhoneX/8共に耐水で一時の着水程度は問題がないということで購入することに決定する。
かなり個人的な話だが、Xperiaの魅力にPS4のリモートプレイがあった。
これは別にしっかりとゲームできなくてもよく、例えば12時ダウンロード開始のゲームをリモートプレイから操作しダウンロードしたり、出先にいながらゲームの内容確認に使う程度なのでがっつり使うわけではない。
しかし、ペルソナ5発売時、急用で実家に帰らなければならない時はこのリモートプレイのおかげで貴重な発売直後の土日を問題なくプレイできたため「いざという時のために必要な機能」だと考えていた。
iOS用のPS4リモートプレイアプリが存在するため、購入への障害はほとんどなくなった。
どうせ2年たったあたりに「容量が辛い」事を理由にバッサリとやめてその後使わなくても辛いこともなくなったため今回は既に障害ではなかった。
また、Androidの魅力の1つのウィジェットについても同じく、最初の内はホーム画面をかなりこってこてにカスタマイズするが、そのうち動作が重くなってくることを機にリセットするため、カスタマイズ性を考えないようにした。
XZ1は神機というレビューが多数あり、機種変更するなら絶対にXZ1という決意はしていた。
Z3もまた神機であり、はっきりというと今でも現役といっても問題無いレベルだと思っている。ただし、ゲームアプリなどは流石にもうキツイ。正直に言うと、限界は来ていると常々思って、機種変更を何回も検討した。
なぜ今回、神機であるZ3を手放そうと決意したのかというと、XZ2を見たからである。ハッキリ言ってあれはXperiaじゃない。あの見た目で「AQUOSフォン」とかついていても問題ないレベルで求めているものではない。(これはAQUOSを貶しているわけではなく、自分が求めているものではないという意味である。)
そう考えると、今まさにZ3を手放せない状況が長く続くだろうと、暫定神機であるXZ1があるこのタイミングで機種変更を決めた。
XZ1とiPhone Xを比べた時、正直に言うとXZ1に落ち度はなく、iPhone XがXZ1に勝るものはない。
どの比較サイトをみても、実際両方を使用している友人に聞いても「大差はない。細かい優劣がしっかりとある。」という返答で大いに悩んだ。
しかし、決め手となったのが、発表が待たれるXZ2であった。
このタイミングでXZ1を手に入れたところで、また2年後、もしくは3年後、Z3を手放せない自分と同じ状況になるのではないかと考えた。
それならば、安定して全体的に性能が上がっていくiPhoneにしたほうが悩みがなくていいのではないか。
というのが決め手である。
今回の選考結果に「Xperia XZ1」自体に落ち度がない事はハッキリと記しておく。
正直に言うとかったばかりのころは「失敗した」と思った。
ホームボタンがないiOSがこんなに不便だとは思っていなかった。
が、実際使えば使うほど、気にならなくなる。慣れてゆく。
しかしこれは事前にiPad mini4でiOSに慣れ親しんだ人間の意見であってAndroidから直接変わった人は慣れでフォローできる範囲ではないと思う。
具体的に言うと、Androidはホームボタンがない作りではあるが、それは実質OSにホームボタンがあるからであってiPhone Xとその点が明確に違う。
Androidの操作が全てスクリーン内ボタンによって行われるのに対して、iPhone Xの操作はすべてがジェスチャー操作である。
この「メインはジェスチャー操作である」事を理解した瞬間にiPhone Xが使いやすい機種へと急激に変貌した。
戻るボタンを押さずに、左端から画面中央にスワイプするだけで良いし、いちいち戻るボタンの反対側にあるタスク一覧ボタンを押さずとも、画面下部から画面中央にスワイプ+長押しするだけでタスク一覧が出てくる。
ジェスチャーを理解してこそ劇的な快適感を得られる。これは初めてMacのMagic Mouseを使った時以来の快適感である。
もし、あなたがiPhone Xに乗り換えようと思う時、新しい操作を覚えようとしないのであれば乗り換えはおすすめできない。それができる人であれば、iPhone Xは最良の選択になりえるだろう。
いくつかはある。これはアップデートで対応できそうな範囲なのでどうにか解消してほしい所。(設定をいじりたおしてるとはいい難いため、設定でどうにかできるところあったら優しく教えてください。)
ロック解除が、iPad mini4や8、Xperia XZ1のような指紋認証であれば、指紋認証がついたボタンを押すだけで画面が開いた。
しかし、iPhone Xでは起動ボタンを押して、フェイスID認証した後、かなり下から上へスワイプするか、通知をタップするという動作が必要。
設定のよってどうにかフェイスID認証後、即ロック画面が外れるようにするようにするか、単純なタップで開くように変更してほしいところである。
ちょうど、電源ボタンと音量UPのボタンは同じぐらいの高さにある。
自分は左手に持って操作すのだが、人差し指を電源ボタンに引っ掛けた時、親指はボリュームアップボタンの位置にくる。ここで人差し指に力を入れて電源を入れようとした時、同時にボリュームボタンにも力がかかってしまい無意味にロック画面のスクリーンショットが量産されることになる。
これは右利き同じだと思う。電源ボタンを親指に添えた時、人差し指はきっとボリュームボタンに掛かるはずだ。
解決策としては自分が気をつけるぐらいしかないが、設定でホーム画面はスクリーンショットしない設定をつけてくれるだけでも無意味なスクリーンショットをしなくてすむと思う。
これは仕方がないことかもしれないが、例えば誤って横画面が強制されるアプリを開いて本人が意図せず横画面になった時に、先程行ったジェスチャーの操作が横向きに切り替わるのがいただけない。
例えば、デモ機のムービーでもよく流れているアプリ切り替えに画面下部を左右に連続してスワイプする操作があるが、起動アプリの中に横向きアプリがあると連続した同じジェスチャーで同じ動きをしてくれない。
個人的には横向きアプリに切り替わった時、ジェスチャーの切り替えに猶予ができるか、固定できるようにしてほしいところ。
現在は一応、アクセシビリティから設定できるホームボタンを画面上に出すやつを出しているものの、このやり方は正直に言うとスマートではない。何より、画面いっぱいに情報を表示できるようになったため、このボタンの居場所にイライラする事も多い。
iPhone Xには満足している。
ただし、無難にXZ1にしておけば上記の不満点を抱えることもなかっただろう。
とにかく、慣れて慣れて使いこなす感覚が身につかないうちは操作が苦痛でしかなかった。
多分、iPhone Xのジェスチャー一覧でも残しておけばブログの記事にでもなるんだろうけど、自分もまだまだ使いこなしが足りないので控える。
AndroidからいきなりiPhone Xに変更するのはおすすめできない。
あくまでもiOSユーザーの次の選択肢としてiPhone Xがあるという事。
ちなみに機体本体が高いこともあって、未だにお風呂ではSIMのないwi-fiに繋がれたZ3を使っている。どうせ風呂の中でガッツリ重いアプリを使うわけでもないし。まだまだ、Z3には頑張って貰う予定である。
アプリ対応が発売時に全然だめだったため今はどういう状況なのかの記事が殆ど無い。
しかし、ほとんど大きなアプリ開発をしているところは無問題かと思う。もしくは、全く対応されないということもないだろ。
例えば、モンスターストライクやFGOやプリコネやアズールレーンは無問題で動作している。(ただし、どのゲームも微課金のため特定キャラによってアプリが異常な動作を起こすなどはわからない。)
はてブアプリは感動級に変わる。メイン画面が上のメニューバー以外全面がフィードなのでフィード表示数が明らかに多く感動する。
逆に下にメニューがあるアプリは、下画面にあるバーとメニューが重なってじゃまになってたり、それを避けて下メニューに余白をつけたために結局表示領域が以前と変わってないということが多くある。
これからのアプリ開発は下メニューに依存しないほうがiPhone Xで見た時に見栄えが良いだろう。
あと、当たり前だが、暗闇でFaceIDが使えないため、寝る前に気の迷いでバリバリ課金するような人間は課金抑止になりそう。逆に、暗闇でFaceIDが使えないデメリットとして夜寝る前にスマホを触ろうと思ったらパスコードに切り替わるのでスマホを触らなくなった。いや、よく考えたらこれは睡眠的にはいいことなのか。
追記
暗闇でも使えるという意見があったのでいくつか試してみたけど、確かに暗闇で使えました。
暗闇ではなく横になった体勢、または顔だけ起こした体制(伝わりにくいですけど上半身だけ設置してない体勢)だと認識しなかったです。その大勢のときって基本的に電気を消して寝る状態なので暗闇で使えないと勘違いしてたようです。
・・・に近いことを実現できるようになった。
アンドロイドでは確か5.0のロリポップくらいから実現されてたはず、
3Dタッチとかクソなものより、このくらいのこと未だに実装しないのはクソとしか思えないけど、今回iOS11で実現に近づいたのでメモ。
さて、ご想像の通り使う機能はAssistiveTouch これは物理ボタンなどの制御を肩代わりしてくれる機能で、その昔ホームボタンの故障が相次いだ頃に搭載された?一躍注目を浴びた機能だ。以下手順
1、一般>アクセシビリティ→AssistiveTouchをON
2,最上位メニューをカスタマイズ→「画面ロック」1つにする。
4、自分がiPhoneを触る手側(左手だったら一番左など)の<下から4列目あたり>に使うことのないダミーアプリを置いておく(時計アプリとか、フォルダとか)
5、その近くにAssistiveTouchを置く。
6、コントロールセンターにアクセシビリティのショートカットを追加する。
7、一般>アクセシビリティ>AssistiveTouchのチェックを入れる。
設定は以上である。
こうすることによって、AssistiveTouchをタップするだけで、画面をスリープさせることが可能になる。
今までのiOSでも可能だったのだが、こいつの存在感が割りとウザくて、活用するには相当のスルースキルを必要とした。
しかし今回透明度を15%まで落とすことができるようになって一気に実用に耐えるものになった(と私は判断した)
当然運用面での注意点が一つある。「AssistiveTouchの近くを触らないようにする」・・・
なんということだろうか、そんな腫れ物対応的なメンドクサイ運用が必要だなんて。。。と思うことだろう。
けど不思議とアイコン数で下から4列目あたりの左右の端を使うことが必要になることは少ない(オレ調べ)
しかし当然、ゲームや写真・動画などを見るときにあると邪魔ってことがあると思う。そのための回避が設定手順6,7のアクセシビリティのショートカットだ。
この設定をするとトリプルクリックでAssistiveTouchをオフにすることができるが、ぶっちゃけトリプルクリックって難易度高い。多くの人にとって決して慣れることのない機能だ。
なので、コントロールセンターの、アクセシビリティのショートカットから、ON/OFFを切り替える設定を追加しておいた。
コントロールセンターの数をぎりぎりまで削りたい人は、自分の運用上いらないと思ったら消せばよいだろう。
また、デフォルトの設定をAssistiveTouchを1タップすればスリープする仕様でご紹介したが、予期せぬスリープが絶対に許せないとおっしゃる御仁も多くおられることと思う。
そんな方には、2つの回避方法を伝授しよう。勘の良い人は上記の設定の途中で気づいているかもしれない。
方法1、設定>アクセシビリティ>AssistiveTouch>最上位メニューをカスタマイズの「1個のアイコン」を+して何もない「2個のアイコン」にする。
方法2、設定>アクセシビリティ>AssistiveTouch>最上位メニューをカスタマイズ 3D touchのアクション>画面のロックを設定(方法1も同時に行っている必要あり)
この方法2はiPhone6sより前のiPhoneでは使えないかもしれない。
しかしこうすることで方法1ではAssistiveTouchを2回タップで画面が消える仕様にできるし、方法2では3Dタッチにて画面が消える仕様にできる。お好きな方法でといった感じだ。
私の個人的な使い方としては、ケータイ見ながら、寝落ちするか、しないか、、なんか画面眩しいな・・・消したい。みたいなシーンでタップすることを想定しているので、できるだけ考える仕様や、バイブレーションは勘弁願いたいところ。
もちろんバイブを完全OFFにして、方法2で3Dタッチを長押し的な扱いで活用する方法もあるのかもしれないが、、まぁこのへんは好みで調整してほしい。
これは夢です。ロングスリーパーなもんで、結構な展開がありました。
夢なんで名前は失念、でも誤字はめんどくさいのでそのままです。
8月終り、本当に痩せなければ。。。ひと夏で2回も熱中症で倒れるなど。。。と思っていたところに届いたメールに書いてありました「自転車で配達をしませんか?」
お昼の時間帯や、何か口さびしくなって食べてしまいそうな時にちょっとひと走り、なんて思い立ったときにバイトができるならいいなと思い9月頭登録。
(あとは話題のスタートアップ、どうせなら頼むだけより体感してみようというちょっとした気持ち)
都内オシャレエリアの地下にある説明会会場には山積みの配達バッグ。
女性には一回り小さいものをっていうけど、3キロはあろうかというバッグ。
折りたたみも出来ないそのバッグを1日持ち運んだら角が背中にあたって腰が痛くなった。
丸1日このバイトしかしないと言うならいいけど、このバッグ持って朝から出歩いて途中で気楽にお仕事って感じじゃないのは厳しいなぁ。
でもまぁせっかくバッグを受け取ったんだから一回はやろう。
UberEATSの配達員をやってみたら、長文になった : akiyan.com
上記ブログを読んだうえで満を持して参戦。主戦場エリアに向かう途中、気のいいおじさまから「今日は恵比寿が忙しいよ!」などと教えていただきバイトのフレンドリーさにほっこり。
学び。
・あれ?アプリから電話できるって言ってた気がするけど、なんでアナログに自分の携帯で電話するの?相手の番号も自分の番号も丸見え。
・つか、恵比寿とか代官山とか青山って坂か!電車とバスで今まで楽をしすぎてたわ
5件を4時間くらい配達した感想は、太もも使われた感がひどい。どれだけ運動してなかったんだ。
私にあたった人、遅くなってごめんね、駅前以外そんなに土地感ないんだ。。。
500円キャンペーン×雨=鳴りやまない呼び出し音
配達中の呼び出し音に、壊れたのか!?と思ってスマホをいじってしまったら、配達完了ボタンを押してしまい、配達中の荷物をどこに持って行けばいいのかわからなくなる。
問合せしなきゃ。。。どこ?アプリの中にあります、すぐわかりますって説明されてたのに。。。
やっと見つけて電話。繋がるまで待たされる時間15分。繋がったオペレーターも働き始めたばかりです感が漂っていた。オペレーターもお客さんの住所情報は見れないらしく、結局お客さんに電話で誘導してもらった。OJTにもほどがある。。。
学び。
・「個人情報だから」という理由で画面が見れなくなってもお客様の電話番号は教えてもらえない
目的地はUberが決めてくれるし、何なら途中で公園によってもよい。
ぼーっと考え事しながら走る夕方はよい風であった。
学び。
・お客様のお怒りもキムタク的なドラマだ、と思ったら笑えてきた
・自転車スペックによる諸々の差は本当に申し訳ない、ママチャリでごめん。
そんなある日、自分のオフィスでオーダーした。
とある方を見習って、クリスピークリームのハロウィンボックス12個入り。
2つ自分で食べてあとはオフィスの人に差し入れるために(売名)。
その時、配達のおにーさんがいいことを教えてくれた。
「銀行口座確認しました?給料はいってない人が結構いるみたいですよ」
私、天下のみずほ銀行ですよ?
・・・・あ、入ってない。入ってないなー。
問い合わせるのか。。。どこに?ああ、これかな?
お世話になっております。 9/28分につきまして銀行口座を確認しましたが振込みがされていませんでした。
ついでなのでお伺いしたいのですが、この週のインセンティブについて応答率が75%だったから80%に満たず支払いがされないと書いてありました。 応答の時間が過ぎる前に消えてしまって取れなかった場合にもパートナー側の応答率が悪いと言うことになるのでしょうか?
回答
お世話になっております。
インセンティブのアプリへの反映は、稼働いただいた週の翌週の火曜日から水曜日にかけて、反映されるものとなっております。
こちらは対象となる期間の応答率により、インセンティブの処理が行われます。
レストランに商品をとりに行く際、また、注文者の方への配達の最中に、システムが効率的だと判断した場合に追加のオーダーが入ります。常にアプリを確認するようお願いします。
応答率を下げないためのヒントとしましては、以下をご参考として頂ければ幸いです。
・常にスマホの音が鳴る設定としておく
・依頼がかかると、画面がフラッシュするよう設定する。「アカウント」→「設定」→「アクセシビリティ」から、こちらの設定を変更できます。
UberEATSのプラットフォームでは、パートナー配達員の皆様に対しても効率よくお仕事をしていただくために、最大限のサポートしたいと考えております。
ご理解とご協力をお願いいたします。
えーっと、お金のことは???どこのできの悪いAIに仕事させてるの?
wats○nではないと信じたいぞ。
ダメだこりゃ!と言うことでオシャレ説明会会場へ直接聞きに行く。
他の配達員のTwitterから巨大バッグに折り畳みバージョンが出て、持って行くと交換できると情報入手したのでついでに。
お給料払われてないでーす
スタッフA
スタッフA
(スタッフBに聞きに行く、つかつかとやってくる)
スタッフB
どこの銀行を指定していますか?マイナー銀行だと出来ない場合がありますので大手にしてください。それに口座の入力をキチンとアルファベットで書いていますか?みなさん全角で入れてエラー出してるんですよね
スタッフA
出来てます(小声)
スタッフB
大手と言ったばかりですみませんが、今振込みができていない人はみずほ銀行の人が多いんです。他の銀行口座お持ちでしたら変えてください。それとこれが口座の入力方法ですからよく読んで(紙渡される)。
今日水曜日ですけど、今変えていいんですか?いつ口座データを読みなおすか把握してないなら入金作業がない土日に変えた方がいいんじゃないですか?
スタッフB
そうですね、そうしてください。
スタッフB
今名刺がありません。
そうかー、名刺がないと名乗らなくていいのかー。英語ができるといいスタートアップで働けるらしい。くいっぱぐれないように子供ができたらとりあえずバイリンギャルにしておこう。あ、でも英語メインにすると礼節がわからなくなるかもしれない、悩ましい。
さておき、目先のめんどくささは回避したいのでもう一度同じ質問をして手書きで名前とメアドを教えていただく。
でも、その後2週間近く、全く連絡がない。
わたくし to B & to 問い合わせ代表 2016年10月24日 11:44
お忙しいところおそれいります。
10/12にお伺いし、9/28の週の分のお給料が入っていないことを申し上げました。
その翌週の10/3-10も入金がありません。
みずほ銀行の口座番号はキチンと入力しており、そちらの管理画面上支払い済みになっている件を調査していただけるとのお話しでしたが現在に至るまで、そろそろ2週間たちますが全く連絡がありません。
翌週、こちらからご提案したように三井住友銀行へ口座番号を変えたところ10/10の週の分のみ三井住友銀行へ入金があったとの明細書が郵送で三井住友銀行から送られてきました。
お伺いした際にも申し上げましたが、立ち上がったばかりのサービスで多少の不具合は仕方ありません。
しかし、お約束した連絡が一切ないことにつきまして、誠意ある対応をお願い致したいと思います。
2週間分の支払いについて回答を至急求めます。
お世話になっております。
ご連絡ができなかったこと誠に申し訳ございません。
現在進行形で調査中なのですが、みずほ銀行の方で口座への入金のトラブルがあったそうです。
口座へ入金されるはずのお支払いが滞っているためそちら2週間分につきましては弊社のPaymentチームでお調べをしています。
こちらでのやり取りは、弊社として履歴には残らないので
何卒宜しくお願いします。
お世話になっております。
ご連絡ありがとうございます。
この度はお支払に関しましてご迷惑おかけして大変申し訳ございません。
お支払しないということはありえません。
ご協力とご理解何卒よろしくお願いいたします。
その他ご質問等ございましたら気軽にご連絡ください。
それでは今後とも何卒よろしくお願いいたします。
オシャレ事務所に行く前にみずほ銀行に連絡し、その上でお伺いしています。
調べていただいているのではないですか?
お返事が遅くなってしまい申し訳ございません。
みずほ銀行については、本店へ入金の通知があった後に、支店への着金の際に不具合が生じている場合が多いようです。
お手数ですが、以前ご登録されていたみずほ銀行にも、直接入金の確認・催促をしていただきたいと思います。
また、お支払いの受け取りの際に、マイナンバーや、明細などの情報提出を求められる場合もあるようです。
partners.uber.com
現在、弊社のペイメントチームも、弊社の取引先銀行に対して状況の照会を行っております。
大変恐縮ですが、もう少々お待ちいただけると幸いです。
何卒宜しくお願いします。
もうみずほ銀行には連絡済みです。
みずほ銀行ほにゃにゃら支店からはなんのエラーもないと言われています。
これについてもお話しています。
そちらのシステム上、支払い済みになっていることも代官山に行った際にお伺いしています。
ほかの方はエラーになっているにもかかわらず、です。
お世話になっております。
ご連絡ありがとうございます。
今回はお支払の件でご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。
同じタイミングで処理を行っている他のパートナーの方から着金の確認がとれた旨をいただいておりますので、速やかに着金いただくために他の銀行へと登録を変更することをおすすめしております。
また、過去の送金分に関しまして、弊社の取引銀行のほうへ支払い不能の通知があった次の清算のタイミングであわせて送金の処理を行わせていただいております。
個人的な意見とはなりますが、三菱東京UFJ銀行をご利用の方が速やかに着金されている印象を受けておりますので、参考にしていただけると幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。
しかもこちらから変更の日時も代官山にお伺いした時に提案しています。
やり取りを見てください。このメールにも三井住友に変更している旨書いてありますよ。
そもそも銀行に問い合わせをとおっしゃいますが、確認するには振込み元のお名前(端的に”UBER”ですか?)、送金元金融機関名・支店名、日時を提供していただくことが最低限必要ではないでしょうか?
みずほ銀行に「Uberから振込みが海外のどこかからあった」という子どものお使いのような問い合わせをぜひUBERさんにもしてみていただきたいです。
お世話になっております。
弊社からパートナー配達員の皆様への送金処理は、弊社オランダ法人 UBER B.V. より毎週、日本時間の水曜日までに行われております。
皆様が明細に関するメールを受け取った翌日には、送金処理が完了しているという流れとなっております。
今回、みずほ銀行から三井住友銀行に既に変更されているが、最初の2周分のお振込みがされていないという状況ですが、弊社のペイメントチームが現在調査中となっております。
弊社がみずほ銀行宛に送金をし、不備により着金が完了しなかったお支払いが、みずほ銀行側から弊社に一旦戻るというプロセスに時間がかかっているようです。
何卒よろしくお願い致します。
しばらくしましたら、三井住友銀行から着金のお知らせお手紙が届きました。
フォローさせていただければみずほ銀行は私への対応として悪いことはしていないと思う。電話のおねーさんはレガシー銀行として素晴らしい対応であった。
返せなくても銀行が悪いから遅れてる!っていうと1か月以上払わなくてもましてや利息払わなくていい!もちろん支払いのめどがついたときに連絡する必要もないよ!
スタートアップという世界はとても狭い。パッとみの金額は大きいけど、どれも純益ではない。狭い世界でユニコーンだと言われても、優秀な人材を集めるための特異な採用制度をとっているとしても、将来2010年代の文化を語る際にこの名前があがるとは思えない。
スタートアップ業界は社会を変える文化を作るために、いつの時代も変わらないお客様、そしてファンの方を、サービスではないところで残念な体験をさせてはならない。
どうやら全般的にこの業界は礼節を忘れているようだ。日本はおもてなしのみならず、社会的礼節でも世界を引っ張ってほしい。私も忘れないようにしようと思う。
一気にバイトが集まったことの要因には一攫千金を狙えるお給金の提示があったと思う。登録している配達員だけで1000人は越えているはず。あからさまにお金で釣ったとしてもサービスに愛をくれる方たちに感動した。
サービスの立ち上げ期、あらゆるリソースが足りない中でTwitterを中心に情報交換がなされていた。一番すごいな!と思ったのは、早い段階でGoogleマップで配達エリアとお店情報をピンで刺したマップを公開してくれたこと。これを見たらどの辺にお店が集中しているか、営業時間は何時なのか、どのあたりで待とうかと検討する要素として一目瞭然だった。割り切って働いていることといい、情報共有の柔軟さなどはさすが新しい形のバイト情報に素早くキャッチアップしている方たちならではと思いました。
ミニカーさん on Twitter: "TIPS:内側・配達員エリア(この中で待機)外側・お客さんエリア(届けたら直ちに配達員エリアに帰還すれば移動中はエリア内扱い)※画像合成 @newt_Uber さんありがとう(*´ω`*) "
AY@UberEATS_配達員 on Twitter: "なんか便利な地図できている。UberEATS用 - https://t.co/QGzEsKLWPq"
たけUberEATS配達員 on Twitter: "全店舗一覧配置地図完成。UberEATSで注文できる全てのお店の地図が完成しました。⇒ https://t.co/PaDVPIxLml #アメブロ @ameba_officialさんから"
もし読んでいるあなたがいい人を採用したいと嘆いているなら、他社がお金かけて拡散戦略に出たとき、不条理な中でも便利ツールを公開してくれる人を自社に採用したらいいと思う。IT界隈のサービスなら、頼むやつも働くやつもIT界隈が多くなる。いい人をあぶりだすには少し潜り込めばわかる。この勤勉さは日本独特だと思う。
副業解禁の機運が出ている中で、効率よく本業も副業もこなし、いい相互作用を出してくれる人はひっぱりだこになるでしょう。ただその前提には日本にお金が落ちてくることが必要。Amazonをはじめあらゆるweb/IT企業が日本に入ってきて雇用を生み出してはいるが、お金が海外に出て行ってしまったらジリ貧確実。
まぁUberがもったいなかったのは、バイトにSNSでのインセンティブなどの情報出しを制限したことかな。にしのあきひろさんの「まだ情報解禁とか言ってんの?」とおっしゃっていたブログにも共通するんじゃないかと思う。
また配達員の中で嫌な思いをしたのはごく一部と信じたい。現にお子さんが小さいママなど急なお休みを取りにくいシフト制のアルバイトよりもよいとおっしゃってる方がいる。現行法上グレーであっても法の趣旨にのっとり、ITの力によるなんらかのソリューションで時代に合わせた新しい働き方が産まれることは歓迎すべきことだ。十分な検証の上、規制緩和をすすめてほしい。ただその場合でも忘れてはいけないのはパソコンの向こうには人がいる、不義理の上に成り立つ商売であってはならない。
来年は景気のいい夢が見たいなぁ。
12/1 1384円でして、確定のメールすら来ません。
いくら以上でないと振込みをしないなど規約がありましたら教えてください。
よろしくお願いします。
お問い合わせいただき誠にありがとうございます。
お問い合わせいただいた件につきまして現在お調べしております。
お世話になっております。
ご連絡ありがとうございます。
明細の反映もあるかと思います。
その他ご質問等ございましたら気軽にご連絡ください。
今後ともUberEATSを何卒よろしくお
コピペしづらいようだけど、テキストで置いてくれたことはアクセシビリティ点でそこだけ評価する
http://www.johnnys-net.jp/page?id=text&dataId=1110
ジャニーズ事務所よりお知らせ
これまで皆様に大変ご心配をお掛けしておりましたSMAPの今後の活動につきまして メンバーと協議を重ねた結果をご報告させて頂きます。
デビューより25年間アーティストとしてグループ活動をして参りましたSMAPは2016年12月31日を持ちまして解散させていただくことになりました。
本年1月にSMAPメンバーより事務所に残りグループ活動を存続させたいという意向を受け、事務所一丸となってSMAPをサポートするべく各部署で様々な準備を進め、2月より8月10日まで半年以上の時間をかけて個々のメンバー並びに全員と面談を重ね、例年通りの音楽番組への出演、ファンの皆様への感謝をこめたコンサートの開催、更には冠番組の20周年とCDデビュー25周年を記念したイベントの企画等を提案し、協議を進めて参りました。しかしながら、議論を続ける中で「今の5人の状況ではグループ活動をすることは難しい」というメンバー数名からの要望を受け、7月の音楽特番を辞退させていただいた経緯がございました。
8月に入り、待っていてくださる方々の為にも、落ち着いて考える時間を持ち、前向きな状況が整うまでグループ活動を暫く休むことを提案致しましたが、メンバー数名より「休むより解散したい」という希望が出たことを受け、苦渋の選択ではございますが、これまで一生懸命に走り続けた彼らの功績を尊重し、全員一致の意見ではないものの解散したいと考えるメンバーがいる状況でのグループ活動は難しいと判断し、本日の御報告となりました。
25周年のコンサートやイベントを待ち望み応援してくださっているファンの皆さまのご支援とご期待に応えることが出来ず、本当に心苦しく、私共の力不足をお詫び申し上げます。誠に申し訳ございません。
本年を持ちましてSMAPは解散させていただくことになりますが、5人それぞれの所属が変わることはなく、より一層個人活動につきましては精進して参ります。
彼らの活動を、これまで同様温かく見守っていただけましたら幸いです。
常々いろんな人に知ってもらいたいなーと思ってることを書き連ねてみる。
誰も読まなくても結構!
んなこと知っとるわボケ、今更言うもんでもないわい!っていう人は、温かい気持ちでスルーしてください。
iPhoneを長らく使ってる人はわかると思うんだけど、経年と共にホームボタンはへたってきます。
買い変えりゃいいんだけどそれのためだけになーって気持ちもあると思います。
そこでお伝えしたいのがAssistiveTouch。
出し方だけど、iOS8.3だと、
設定→一般→アクセシビリティ
と進み、下の方にあります。
それをオンにするだけです。
こいつは使ってみればわかるんだけど、ホームボタンだけじゃなく、コントロールセンターや通知センターも呼び出してくれる。
画面ロック機能もあるので、スリープボタンがへたるのも防げるってわけだ。
是非一度お試しあれ。
余談、充電コネクタの接触が悪くなった時は、つまようじかなんかでほじってみてください。
モロりとホコリが取れて、接触がよくなるかもしれません。
デリケートな部分なので優しくね。
んじゃ、そんな感じで。
「Webデザイナーなんてただの作業者だ。」
最近そんな話を聞かされた。
その他もろもろ。
まあ俺はデザインを知っているんだぞとかそんな話。
理解できる部分はあるし、同意できるところも無くはないなあ。
ツールがなければ何もできないだろうし、Adobeのやつとか?
けれどその人が話していたことはどうも見た目だけの情報を評価の対象としているみたいで、
一般的なユーザーも別に見た目しか気にしないんだろうけど。(見た目も気にしないかもしれない)
デザイナーの世界でもアーティストと区別のつかないような人っているし、
見た目にインパクトのあるものって大事なこともあるのだろうけど、
ことWebデザインに関してはそうもいかない部分が多いと思う。
その辺のこともあるし見た目よければ(もちろん見た目は良いほど良い)みたいなことだと
釈然としない感じはあった。
頭打ちって言っても技術は進化してるし、見た目を作る以外にもWebデザイナーには求められているし、
単純にオワコンって言えないしなあ、とか。
それに同意してる人たちにも納得がいってない。
まあ目上の人の話ではあったから仕方がないんだろうけど。
デザインってなんだろう。
僕らはデザインをしていないのか。できていないのか。
特に日本だと盛り上がっているWeb技術界隈からも浮いている感じはあるけど、
最近は見直されている感じもあったのですがが。
Webデザイナーだってがんばっているんです><とかは思わないけど、
とりあえずこの話を聞いた後から自分が何をしているのかわからなくなっているし、
喉に引っかかりがあるような、ここのところずっとそんな気分です。
となっている事が多い。
書きだしてみると、自分のやったことを、
という尺度で考えているとわかる。
自信が削り取られて更に何も手につかなくなる、
という悪循環に陥っているようだ。
これを単純比較化しないようにすればよい。
1.やったこと(成果)の定量化をやめる
自分で評価することをやめる。もちろん数もカウントしてはいけない。
自分を見ていてくれているヒトの期待に応えようとするのはよいことだが、
その人達は応援しているヒトが潰れることを期待しているわけではない。
コンピューターに入力できるものは大抵は計量できてしまうので、覚えておくと良い。
作成したファイルの数、書き込んだ文章の文字数、閲覧した情報の量。
落ち着いて考えれば、いずれもあなたが本当に求めている成果それ自体ではないはずだ。
また「今日何もやっていない」の「何も」には、あなたの成長はカウントされない。
せいぜい表に出たいくつかの事を指していて、その表に浮かんできたもの以外の部分を
いかに自分自身が大事にできるか、定性的でも価値を認められるかにかかっている。
2.は、時計を捨てろということと等しい。
本当はそれで困らない生活ができるのであれば、それでも良いのである。
午前中何も出来なかった、でも午後は何かできたとしよう。
1日何も出来なかった、1週間何も出来なかった、と思うことがある人は、
十分長い時間までの時間軸(年とか、時代とか)のみを考慮する。意識しなければなお良い。
時間尺度の精緻化は、現代社会の発達に極めて重大に寄与してきたが、
それは機械化の恩恵を生み出した一方で、ヒトがついていける時間軸を既に超越している。
1.も2.も止めて、私は、その勝負の枠組みそのものからも、降りる。
僕らを測る基準は、実は自分の心だけで良い。
時計やカレンダー、ましてやストップウォッチで生産性を測る必要はない。
いつも自分の状態を、自分の心がどう思うかだけに集中すればよいのだ。
いまのこの国の世の中で支配的な価値観は、
生産性=経済的価値 である。それではあんまり幸せにならない気がする。
(1)
垢抜ける必要があったのは賛成。
でも実際は、垢抜けたように見えるだけで全然垢抜けて無い。
それっぽく見えるだけでは、人はいつかない。
(2)
どっちでもいい。
こんなの会社のポリシーで、気に入る気に入らないは個人の問題だとおもう。
1ブクマでピックアップされるのは機能的におかしいだろと思う位。
(3)
同じく賛成。
ここだけは擁護できるポイントが全く見当たらない。
(4)
ここは微妙。
確かに旧バージョンとの併用期間を設ければ、
「代用サービス作りました」なんて記事が出る事は無かったと思う。
下でも書いたけど、機能はかろうじて削られて無いだけで、
アクセシビリティが大幅に低下していて削られているのと大差ない状況にはなっている。
(5)
昔からだけど、初心者がどうやってブックマークしたらいいのかが判らない。
旧バージョンならまだトップページからブックマークする事もできたけれど、
新バージョンでは、個別記事のブックマークコメントまで降りていく必要がでてしまった。
例えばCiNii Articlesみたいに図書館系のDBにGoogleが乗り入れるようになった結果、そのデータつーかメタデータ・レコード自体はWebで容易に目にできるようになったし、その先にあるフルテキストとか資料のアクセシビリティもある程度向上した。
んだけど、これって一方で、図書館情報学系の用語で探す時のノイズを爆発的に増加させたんですよね。
例えば"機関リポジトリ"+hogeで検索すると、機関リポジトリとは関係ないCiNiiに収録されてる論文のレコードがことごとく上位にヒットするようになってしまった。なんでかってとレコードのページにJAIRO(機関リポジトリポータル)へのリンクが必ず含まれてるから。
普通の図書館のOPACのレコードでも、Googleが拾ってくる館では同様の状況があって、「タイトル」とかの書誌的事項というか項目名が明示されている=OPACが返すHTMLに文字列として含まれてるせいで、"[書誌的事項]"+hogeとかで検索してもそうなる。
これって、site指定やinurl使っての除外検索すればなんとかならなくはないんだけど、それだと図書館系DBのリソースは別に検索をしなきゃならないっつうね。
こういう図書館のもってるリソースの存在感が増したせいで(語の)図書館情報学用語(として)の存在感が減ったのって、Web屋と図書館屋のどっちかが責をおうべきものなんですかね。負うならどっちがより重いんですかね。
http://sho.tdiary.net/20120406.html#f20120406-01-01
そもそもが氏の話の本旨でないためアレでナニなんだが
今回の落札案件名には
といったフレーズが含まれている。
つまり、既存のCMSを改造することを主眼に置いた業務だってこと。
で、
これ。
ここから先は憶測なんだけど、
リニューアル前の首相官邸Webを構築したのってIIJなんじゃなかろうか?
そしてIIJが法人・行政向けに独自のCMSを提供していると仮定(業務内容あまり知らないので)すれば
他所の会社がIIJ独自のCMSを改造する真似なんてできるわけもない。
出来てもIIJに劣るであろうノウハウで二ヶ月納期を守れるのかというと正直怪しい。
随意契約になってるのってそんな理由だと思うのだけど。
そんでもって、 Microsoft は持っている。僕同様、みんなも知ってると思うけど、なんと驚くべきことに、 Microsoft はそれをよく理解していない。実に。でも彼らは、純粋に、偶然、プラットフォームを提供するビジネスから始まって成長してきたから、プラットフォームを分かっているんだ。彼らはその領域で30数年やってきた。 msdn.com に行って、少しの間ブラウジングしてみればわかる。もし見たことが無ければ、驚く準備をしておいた方が良い。なぜならそれがとてつもなく巨大だからだ。何千の、何千の、何千もの API コールがある。彼らは巨大なプラットフォームを持っている。実際の処大きすぎて、全く統率が取れていないけれど、少なくとも彼らはやっている。
Amazon は自分のものにしている。 Amazon の AWS ( aws.amazon.com )は途方も無くすばらしい。行ってみてご覧よ。クリックして回ってみるんだ。全く恥ずかしくなる。僕らはこれらのひとかけらも持ち合わせていない。
Apple も、明確に、自分のものにしている。彼らは基本的にクローズな選択を、特にモバイルプラットフォーム周りでしているけれど、アクセシビリティを理解しているし、サードパーティ開発者の力もよく分かっていて、自分たちのドッグフードを食べている。それでさ、わかるだろ?。彼らは実に見事なドッグフードを作る。彼らの APIコールは Microsoft のそれに比べて実にクリーンで、ずっと昔からそれを維持している。
Facebookも持ってる。だからこそ心配になるんだ。ぐうたらな僕をここまでして書かせた理由はそれだ。僕は元来ブログするのも、プラスする(って言うのかどうか知らないけど)のも嫌いだ。そもそもGoogle+はぶっちゃけ話をするのにはひどい場所だけど、とにかくやらなきゃならない。Googleに成功して欲しいと思ったらね。で、僕は成功して欲しい!。まあ要は Facebook が僕を呼んでいるし、きっとそっちでやるほうがずっと楽なんだろうけど、Google は僕にとって家だし、だからこういう家族同士のお節介焼きのようなことをやっていこうよと言ってるわけだ。(訳注:この辺の訳怪しい。トラバで指摘いただいたのがすてきだったのでまるっと差し替え!。"アドバイス" thx !)
Microsoft と Amazon 、それに Facebook (たぶん。実際僕はよく見ていないんだ。だってすごく落ち込むからね…)の提供するプラットフォームに驚いた後に、 developers.google.com に行ってちょっとブラウズしてみて欲しい。ね?大きな差だろう?。まるで君の5年生の甥っ子が、巨大で強力なプラットフォーム企業がもしリソース的に独りの小学5年生しか人を割けないって時に作るようなものをデモしてみなさい、なんていう宿題でもでっち上げたみたいな感じだよ。
どうか悪く思わないで欲しい。 Developer relations チームが、これを外部に提供できる形にするためにとんでもない努力をしてきたってことを僕は分かっている。僕が知る限り、彼らはとにかくケツを蹴り上げつつけている。なぜなら彼らはプラットフォームを理解しているからさ。プラットフォームに対して実に冷淡で、しかも時には敵対心さえあらわにされるような環境の中で、彼らは英雄のように努力している。
僕は率直に、 developer.google.com が外部の人にとってどう見えるかを説明しているだけさ。全く幼稚に見えるだろう。 Maps API は一体どこにあるっていうんだ?。いくつかはなんだかよくわからないラボプロジェクトとやらに入っている。で、いざたどり着いてみれば、そこにある API は全くけちな代物だ。まさに本当の意味でドッグフードだ。オーガニックなんかとは無縁だね。僕らの内部 API に比べれば、まるで不格好な別物だよ。
Google+ についても、悪く思わないで欲しい。到底彼らだけが違反者ってわけじゃない。文化的なものが絡んでいるんだ。僕らが内部でやってることっていうのはさ、基本的には、惨めでマイノリティなプラットフォーム部隊が、無敵で予算も自信もたっぷりのプロダクト部隊に多かれ少なかれ負け続けている、そんな戦争なんだよ。
ゼロから構築したプログラマブルなプラットフォームになるべきなんだってうまく気づいたチームってのはみんな弱者さ。 Maps や Docs なんかが思い浮かぶ。 Gmail もなんとなくそっちの方に進みはじめたように見える。でも彼らがそのために予算を獲得するのは実に難しい。なぜなら、それは僕らのカルチャーじゃないんだ。 Maestro の予算なんか、 壮大な Microsoft Office プログラミングプラットフォームの足下にも及ばないちっぽけなものだ。ふわふわ毛皮のうさぎちゃんと、 T-Rex の対決みたいなものさ。 Docs チームだって、このスクリプティング機能が無ければ Office に太刀打ちできないってのはよく分かっているんだ。でも残念なことに、予算が付かない。つまりさ、そうじゃないとは思うんだけど、現状 Apps スクリプトが Spreadsheet だけで動作して、 API の一部としてキーボードショートカットすらない。まさにチームが愛されていないって思うしか無いよね。
皮肉にも、 Wave は偉大なプラットフォームだった。冥福を祈りたい。でもプラットフォーム的な何かを作るっていうことは、そのまますなわち成功を意味するって訳じゃあ無い。プラットフォームにはキラーアプリが必要だ。 Facebook そのもの(つまり、 wall やら friends やらなんやらというデフォルトの機能)が、 Facebook プラットフォームのキラーアプリだ。そして、 Facebook アプリが、 Facebook プラットフォーム無しで成功できると結論づけるのは、深刻な誤りだと僕は思う。
みんなは、外の人たちが Google は傲慢だって言い続けているの、知っているよね?。僕は Googler だ。だから、みんなと同じように、外の人たちがそう言っているといらいらとする。僕らは全般的に見て全く傲慢じゃ無い。僕らは、まあ、99%は傲慢じゃない。僕はこの文章をこう始めた(遠い記憶をさかのぼってよ)、 Google は「正しいことだけをする」って表現した。僕らはよかれと思ったことだけをしている。だから、人々が僕らが傲慢だって言うときは、まあ大抵彼らを雇ってあげなかったときか、僕らのポリシーに不満があるか、まあそんなようなところじゃないかな。彼らはそれで気分が良くなるから、傲慢だ傲慢だと言っているんだろう。
でも、もし僕らが、僕らは全ての人に対して完璧なプロダクトをデザインする方法を知っているだなんて、そんなスタンスを取るんだとしたら、僕を信用してくれて良いと思うけど、結構そういう話を聞くんだけど、僕らは飛んだ間抜けになる。それを傲慢って言ったり、無邪気さって言ったり、なんて言ってもいいけど、結局の処、それは愚かさに他ならない。全ての人にとって完璧なプロダクトなんて、無いんだ。
デフォルトフォントサイズを設定できないブラウザについて話してこの話題を締めくくろうか。アクセシビリティへの侮辱ってやつについて語ろう。つまり、いずれ僕は年を取って、ほとんど目が見えなくなる。事実そうだと思う。僕は人生でずっと近視だったし、40歳にもなれば今度は近いものが見えなくなる。そうなればフォントの選択ってのは生死を分ける重要なポイントだ。それは君を完全にその製品から追い出してしまう。ところがどっこい Chrome チームってのははっきりと傲慢だから、彼らはゼロコンフィギュレーションプロダクトなんて言ってて、まったく厚かましくも、もし目が見えなかったり耳が聞こえないなりなんなりするなら、お前はファックユーだぜってなもんだ。残りの人生、全てのページを表示する度に Ctrl-+ を押せって言うんだよ。
これは彼らの問題じゃ無い。みんなの問題だ。僕らが徹底してプロダクト企業だということが問題だ。僕らは広くアピールするプロダクトを作った。例えば検索がそうだ。そのあまりにもひどい成功が、僕らの目をくらませてしまった。
Amazon もまたプロダクト企業だった。だから。 Bezos にプラットフォームの必要性を理解させるのには、外部の力が必要だった。その力ってのはどんどんと蒸発していく利幅だった。彼は追い詰められて、脱出方法を考えなければならなかった。でも彼の持ちえたものは、エンジニア達とコンピュータの群れだった。そこからどうにかマネタイズするには…?。結果論だけれど、そうして彼は AWS にたどり着いたわけだ。
Microsoft はプラットフォームとして始まった。だから彼らにはたくさんの習慣があった。
でも、 Facebook は…、彼らは僕を不安にさせる。僕はエキスパートではないけれど、でも、彼らは最初プロダクトとしてスタートして、そしてそれをうまく成功につなげていたことは確かだ。だから、彼らがどうやってプラットフォームへと変革を遂げたのか、僕にはわからない。それは比較的昔のことだったろうと思う。 Mafia Wars のようなものが現れる前に、彼らがプラットフォームにならなければならなかった時よりもずっと昔。
たぶん彼らは僕らを見て、こう自問したのかも知れない。「どうやったら Google を倒せる?。 Google に足りないものはなんだ?」
僕らが直面している問題はとても大きい。僕らがキャッチアップを始めるには、めざましい文化的な改革が必要だ。僕らは内部的にもサービス指向なプラットフォームを持っていないし、同じように外部的にもそうだ。この「自分のものにしていない」感じは、まさに会社全体を覆う風土病だ。 PM は分かってない。エンジニアも分かってない。プロダクトチームも分かってない。誰も分かっていない。たとえ一個人で分かっている人間がいたとしても、もしそれが君だとしても、僕らがそれを総力を挙げて緊急事態として扱わなければ、これっぽっちも意味が無いんだ。僕らはプロダクトをローンチして、それを後から魔法のように美しい外部拡張可能なプラットフォームに成長させられる、そんなふりをし続けることを、やめなければならない。何度もやって、だめだったじゃないか。
プラットフォームの黄金律「自分のドッグフードを食べろ」はこう言い換えることができる。「プラットフォームから始めろ。そしてそれをなんにでも使え」(訳注:"アドバイス" thx !)。後からちゃんとやるなんて不可能だ。少なくとも、簡単には無理だ。 MS Office をプラットフォーム化した人たちに尋ねてみればいい。あるいは Amazon をプラットフォーム化する為に努力した人たちに。遅れてしまえば、正しく立て直すのに10倍の苦労が必要になるだろう。ごまかしはできない。内部アプリが特別な優先アクセスを受けられるようなバックドアを秘密に仕込むなんて、どんな理由があっても不可能だ。難しい問題から、まず最初に解決しなければならないんだ。
僕は遅すぎると言いたいわけじゃ無い。けれど、待てば待つほど、致命的な遅れへとどんどん近づいてゆく。
この記事をどう纏めて終えればいいか、正直よくわからない。言うべきことは全て言ったと思う。この記事はできあがるのに6年かかっていると言える。僕が紳士的ではなくて申し訳ないと思う。プロダクトやチーム、個人を僕が誤解していたら申し訳ないと思う。もし僕らがたくさんのプラットフォームを実は作っていて、僕や、僕が話した人たちみんなが偶然知らないだけだったとしたら、申し訳ないと思う。
でも、僕らは今すぐに始めないとならない。
この努力は僕が Google に来る為に Amazonを離れた2005年半ばも続いていた。でももっとずっと進化していたよ。 Bezos が命令を出してから僕が離れるまでの間に、 Amazon は全てにおいてまず最初にサービスを考える企業へと文化的に変化していった。外部の日の目を決して見ることの無いような、スタッフへの内部的なデザインも含めて、今ではそれがデザインというもの全てに対しての基本的なアプローチになっている。
その時点では、彼らはもはや解雇の恐怖からそうしているわけではなかった。つまり、もちろんビビってはいたけれど、ドレッドヘアの海賊 Bezos 様にご奉仕するのは日常生活の一部だからね。そうじゃなく、彼らはそれが正しいことだと理解したから、サービスを提供しているんだ。確かに SOA のアプローチには長所も短所もあるし、短所を書き出してみたら切りが無い。でも全体として、 SOA ドリブンのデザインというものこそが、プラットフォームを可能にする、これは正しいことだ。
これが、 Bezos が彼の指令書で企んだことだった。彼はチームの健康状態なんて興味もなかったし(今もそうかも)、使われている技術もそうだったし、結局の処のどう取りかかるかなんて結果ができあがるまで気にもしていなかった。けれど Bezos は、 Amazon 社員の大多数が理解する前に、 Amazon はプラットフォームにならなければならないということを悟っていたんだ。
だって考えてもみてよ。なんで一オンライン書店が、拡張可能な、プログラマブルなプラットフォームになる必要がある、なんてことを考える?。そうだろ?
ともかく、 Bezos が気づいた最初の大きなポイントは、本を売り、出荷し、色々とやる仕組みが、素晴らしいコンピューティングプラットフォームに再利用でき得るということだ。だから今、彼らには Amazon Elastic Compute Cloud があるし、 Amazon Elastic MapReduce があるし、 Amazon Relational Database Service があるし、その他たくさんの aws.amazon.com で見つけられるサービスを持っている。しかもこれらのサービスは大成功した企業のバックエンドを努めていたりもする。 reddit なんか僕のお気に入りだね。
もう一つ、彼が理解した大きなポイントは、常にいつでも正しい、そんなものを作ることはできないということだ。これは Larry Tesler が、ママはこのくそったれサイトを全く使えないよと言ってのけたりでもした時に、 Bezos にピンと来るものがあったんだと思う。誰のママのことを言ったのかははっきりしないし、そんなことは問題じゃ無い。問題は、誰のママだろうとそのウンコサイトを使えないってことだ(訳注:アドバイス thx !)。実際、僕自身、そこで5年ほど働いていたわけだけど、あのサイトは胸がザワザワするくらいひどいと思う。でも僕はその気が散るようなサイトに慣れてしまって、トップページのど真ん中あたりの数万ピクセルに集中できるようになったんだからね。
とまあ、実際の処 Bezos がどうやってその理解、一つのプロダクトで、全ての人にとってふさわしいものを作り上げることはできないということに、たどり着いたのかは定かじゃあ無い。でもその方法は問題じゃ無くて、彼は理解してるってことが重要だ。実のところこの現象には正式な名前だってある。そう、それはアクセシビリティと呼ばれるものだ。コンピューティングの世界で最も重要なものだ。
君は思うかも知れないね。「はあ?つまりそれって、目が見えない人や耳が聞こえない人のあれ?あのアクセシビリティ?」ってね。まあ君だけじゃないと思う。とにかく世間には、アクセシビリティってものを正しく理解していない、君みたいな人たちがいっぱいいっぱいいるんだから。ただそこにたどり着いてない人たちがね。だから、アクセシビリティを理解していないのは、目の見えない人や耳の聞こえない人や手足が不自由な人やその他障碍のある人の責任じゃないように、君の責任じゃない。ソフトウェアが(この場合アイデアウェアといった方が正しいかもしれない)何らかの理由で誰かにとってアクセシブルでないというとき、それはソフトウェア自身の、あるいはアイデアの伝え方そのものに責任があるんだ。それがアクセシビリティの失敗というやつなんだ。
人生における重要なその他もろもろと一緒でさ、アクセシビリティには邪悪な双子がついている。小さいときにパパとママの偏った愛情で見捨てられて、今や同じくらいの力を持つまでに育った宿敵って奴がね(もちろんアクセシビリティには宿敵はたくさんいる)。それはセキュリティだ。一体全体こいつらが仲良くやっていること何てあるかい?
でも、僕は主張したい。アクセシビリティは実際の処セキュリティより重要だということを。だって、アクセシビリティを0にダイアルするってことは、何のプロダクトも持たないってことさ。セキュリティを0にダイアルしたって、そこそこのプロダクトを持つことはできるだろう? Playstation Network みたいにさ。
まあつまりですね、僕はみんなが分かってくれないんだったら一冊丸々この話題で本を書くことだってできるよ。分厚くて、僕が働いてた会社のありんことピコピコハンマーのエピソードで一杯の面白いやつをね。でも僕がこの話を公開しなかったら、みんなが目にすることも無いだろう。そろそろまとめに入らなきゃ。
Google がうまくやれていない最後の一つは、プラットフォームだ。僕らはプラットフォームを理解していない。僕らはプラットフォームを自分のものにしていない。みんなの中にできている人はいるだろう。でも、そんな君はマイノリティだ。辛いことだけれど、これはこの6年で僕にはっきりと感じられた。僕は競争相手のプレッシャー、 Microsoft や Amazon や最近じゃ Facebook なんかが、僕らを一斉に目覚めさせて、ユニバーサルにサービスを始めるのを期待したりもした。アドホックな、中途半端なやり方じゃなくて、多かれ少なかれ Amazon がやったようにだ。一度に全てを。マジで。偽りなしに。今その瞬間から最優先事項として扱うというように。
でも、そうはなっていない。10番やら11番めくらいのプライオリティだね。いや15番かも?。知らないけど、とにかく低い。真剣に取り組んでいるチームもいくつかあるけど、多くのチームは考えてもいない。一度もだ。ごく一部の人々がちょっとした規模でやっているだけだ。
多くのチームに、彼らのデータと処理に対してプログラマティックにアクセスできるような、ちょっとしたサービスを提供させるのだって大変だ。彼らのほとんどは、俺達はプロダクトを作っているんだ、って思っているからね。そんでもってそのちょっとしたサービスなんてのはみじめなもんさ。 Amazon の教訓に戻ってリストを見てくれよ。そんで今すぐ使えるサービスを持ってきて見てくれ。僕が知る限りでは、そんなものはない。小ビンってのは便利かもしれないけどさ、そんなの車がいる時だけだろ?(訳注:この人、 Stubby という小瓶のビールと、 stubby という「ちょっとした・不格好な」という形容詞をひっかけてしゃべってます)
プラットフォームが無ければ、プロダクトなんて使い物にならない。いやもっと正確に言うならば、プラットフォームの無いプロダクトは、いずれ同等の機能を持ったプラットフォーム化されたプロダクトに、取って代わられる。
Google+ ってのはまったくまさに、エグゼクティブリーダーシップのとても高いレベルから(やあ Larry 、 Sergey 、 Eric 、 Vic 、やあやあ)枝葉の使いっ走りまで(やあ、君だよ)、全くプラットフォームを理解していないっていう良い例だ。そう、僕らはみんな、全く理解できていない。プラットフォームの黄金律ってのは、自分のドッグフードを食えってことだ。 Google+ プラットフォームってのは惨めなまでに後知恵だ。ローンチ時には一つたりとも API が無かった。そんで最後にチェックしたときには、僕らが提供してたのはわずかばかりのほんのちっぽけな API さ。ローンチの時、あるチームのメンバーが行進してきて僕にそれを説明してくれた。だから僕は訊いたんだ「でさ、これはストーカー用 API?」って。彼女はむすっとして、「ええ」ってだけ言った。いやジョークなんだよ…いや…ジョークじゃ無いんだ…僕らが提供する唯一の API は、誰かのストリームを読み出すだけ…。うーん、僕が間違ってたのか?
Microsoft はこの20年間ドッグフードルールで知られてる。この時代の彼らにとっての文化の一つなのさ。デベロッパにドッグフードを食わせて、僕らだけ人間のご飯を食べようってわけにはいかない。それは単に短期の成功のために長期のプラットフォーム価値を損なう行為だ。プラットフォームってのはまったく長期的な視点が必要なんだよ。
Google+ は脊髄反射の代物さ。 Facebook が成功したのは、彼らがすばらしいプロダクトを作ったからだって言う、まあ実に近視眼的なものの見方の結果として生まれたものだ。でももちろん彼らが成功したのはそんな理由じゃ無い。 Facebook は他の人たちにも何かをさせてあげられる、プロダクトの美しい集合全体を作り上げたから、成功したんだ。だから Facebook はみんなにとってそれぞれ違うものだ。 Mafia Wars に全ての時間を費やす人もいれば、 Farmville で遊ぶ人もいる。何百の、いや何千の、質の高い、暇つぶしができるってわけさ。つまり、みんなのためにふさわしい何かが必ずあるんだよ。
僕らの Google+ チームは、プロダクトを出した後のマーケットを見てこう思った。「おっとっと、我々もいくつかゲームが必要みたいだな。さっそくどこかと契約して、我々のために作ってもらおう」。これが信じられないくらい間違った考え方だってことが、君にもわかってきたかい?。問題なのは、僕らが、人々がほしい物を予測して、それを提供しようとしているということだ。
そんなことは出来ないんだよ。現実的にはね。確実にやる方法なんてない。もちろんコンピューティングの歴史全体を見渡せば、それを確実に信頼性を持ってできる人間ってのがごく数人いることにはいる。 Steve Jobs がそうだろう。でも、僕らの処には Steve Jobs はいない。悪いけど、いないんだよ。
Larry Tesler は、 Bezos が Steve Jobs じゃないってことを口説いたかもしれない。でも Bezos には分かっていた。全ての人にふさわしいプロダクトを提供する為に、彼が Steve Jobs になる必要はないっていうことを。インターフェースとワークフローこそが、人々が気に入り、安心感を得るものなんだっていうことを。彼はサードパーティの開発者にそれを可能にするだけで良かった。そうすれば、後の事は自動で進んでいく。
僕の言っていることが、あまりにも明白なことだろって感じているみんな(多かったらいいな)には申し訳ない。とにかくもうびっくりするほど自明なことなんだ。ただ、僕らがそれをやってないってことを除いてはね。僕らはプラットフォームを理解していない。プラットフォームを持っていない。アクセシビリティを理解していない。アクセシビリティを持っていない。これらは基本的には同じことだ。なぜならプラットフォームがアクセシビリティを解決するからだ。プラットフォームがアクセシビリティなんだよ。
なんだかテレビに随分な逆風が吹きつけているように見受けられる。無理やり推し進めたデジタル化に世論は割合反発を強めているし、ネット世論ではフジテレビ騒動から業界が抱える根幹の問題としての電波利用のモラルハザードが周知されることになってしまった。そしてこの度の島田紳助の引退である。この件は政治的側面から語られることも多く、そこらの事情通はこの引退はまだ端緒に過ぎず、ここから続く一連の出来事を見守る気構えでいるようだ。そのあたりは情報の真偽を確かめる術を持たないので知らない、けれど彼の引退(ここでは敢えて「勇退」とでも言うべきか)は少なくとも「テレビに関わっている人達」に大きな影響を与えたし、そして今後与えていくことになるんだろうと思う。庇護のもとにあった芸能人は勿論、視聴率の稼ぎ頭として頼っていたテレビ局、そしてなにより様々な背後関係になど感心も向けずに、ただテレビのスタートして彼をモニターの向こうから見守っていた何千万の無辜の市民は芸能界の一時代を築いた彼の引き際をどう見守ったのだろう。
テレビを慈しむ人々というのはそれはもう絶対的になっていて、少しインターネットに触れるようになり物知り顔になってしまうと見落としがちな側面なのだけど、やはり依然として社会において支配的な行動様式というのは朝新聞を読んで、ご飯を食べながらテレビを観て、そして学校や会社で話題の中心を占めるのは「昨日テレビで見たあの話」なんだ。これはWEBの業界にいたり、ネットを主要な情報源にする仲間たちと群れ合うようになると薄れがちになる感覚なのだけれど、人々の中でそのような旧態依然とした行動様式を採る人々というのは未だ支配的なのは明らかなんだよね。
娯楽としてのテレビがこれまでかくも人々の関心の総量において支配的であった理由というのはそこまで明確ではない。戦後豊かになって時間ができはじめて、生得的に「惰性」という性質を持ち合わせたがゆえのに、ただ受動的に、そして非常に楽な形で情報を受け取ることができるメディアとして非常に便利な箱は家庭に頒布され、今日までアタリマエかのように人々の話題の中心で在り続けた。そしてテレビのCMなんていう綺麗な俳優女優の顔でしか認識しないような広告に莫大な広告費がぶら下がることになってきた。
インターネットがこれらの流れを崩すことになるかもしれないよね、なんて話は梅田氏以来、ネット牧歌論的な肯定派の中で何度も云われ続けてきたことではある。しかしこれまではそれはただの業界人のポジショントークであり、楽観的すぎる夢物語として終始してきた。しかしいよいよ本当に人々の眼がひらかれる時が来ようとしているのかもしれないね。テレビを「面白く」してきた、有能な大道芸人が辞世し、その箱を通して見る風景が相対的な魅力を失う、同時にスマートフォンはじめとするより開放的な情報体系としてのインターネットへのアクセシビリティが拡充されたときに人々は情報の扱い方を緩やかにでも変えていくのだろう。
大袈裟なのかもしれないよ。でも人々の考え方において大きな影響を与えてきたのは教育とマスメディアの中で、そのうちの後者がいま大きく音を立てて崩れようとしているように少なくとも自分には見える。能動的に情報を得ることを覚えた人々は、ネットで調べたあの面白そうなお店に行ってみようということになるかもしれないし、新しい趣味を始めることになるかもしれない。結局これまでのテレビというものが多様な人間の余暇生活の中で過大なシェアを占めていたのが、「その中の一部」へと収斂していく過程を僕らは見ているのだと思う。それは明らかに始まっているし、鼻息を荒げるには実はまだ早すぎるのかもしれない。でも僕はその崩壊の彼岸にある景色は今より少し綺麗なものが見れるんじゃないかなあと、少しだけ期待をしているんだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/4854701.html
最大勢力だけ出力。
anpo-sumeragi うーん。個人的には「お客さんを馬鹿にするような事」をする店員のいる店には2度と行きたくないし、それを黙認するような会社もどうかと思うんだけど。私みたいのは少数派なんだろうか。
ryokusai中傷云々より自社製品を持つてないことを誇らしげにツイートしたのがばれた時点で普通の神経なら会社にはゐられまいよ。 2011/05/25
自分の妻を「ビッチを具現化したような女」呼ばわりする店員が居る店なんて二度と行きたくないけど、可哀想って言ってる人はそう思わないのかな…そういう噂が広まると顧客減るし、店側としては妥当な対応と思われ。
rbtsro 接客業でこんなことしでかしたんだから、クビが重い対応とは思わないな。 2011/05/25
rebirthen 「処分が厳しすぎる」といってる人は「テラ豚丼騒動」のときのことを思い出してみよう。
K-Ono 「顧客」に対する損害を与えたのだからなー。まあ少なくとも顧客対応はさせれねえ。それに「イヤな店員」と接して次行きたいと思わんでしょ/やりすぎって思ってる人はリテールの接客業なめてんのかこら。 2011/05/26
jiki8man 身分を明らかにした上で顧客・契約選手を馬鹿にする社員を雇い続けるメリットなんてないでしょ。解雇が可哀想なんて思わんよ。 2011/05/26
wbbrz 契約選手や自社商品に敬意を払えない上に、それを公に発信してしまうような人間は、ブランドの社員としては不適格。無関係な身内に被害が及んだり賠償責任が出たりしたら可哀想だが、ただの解雇なら妥当かと。
彼らの心情の中には当然ながら「組織に属した人間として不適切な振る舞いだ」というのがあるだろう。
しかしよっぽどの社畜でもない限りは「取引先がウザい。営業のアイツ脂汗で窒息してあのダミ声をもっとダミラせて死なねーかなー」のひとつぐらいは思うはずだ。
そしてこれはもちろん問題ない。「内心の自由」というやつだ。これも社畜でない限り納得していただけると思う。
さて、Twitterの炎上事件に共通するものがある。それは「Twitterで内心を発露した」ということである。「バカの可視化」と言われる所以はここにあると言ってよい。
つまり、アクセシビリティの飛躍的な向上により、内心が可視化されるケースが増えたということである。
もちろん、内心の自由を実際に表現してしまった以上、それは内心とは呼べない。ただ、その方法自体は匿名が掲示板で愚痴を吐くというルートと同じである。
そしてたとえ匿名だろうと書き方によっては補導されるだろう。「殺す」とかね。つもりはなくても、書いたらダメってわけだ。
ネットはもはやグチをこぼすツールとしては成立し得ないのだ。公共性が高まり、そこにおいても私情を殺すことが優先される。プライベートが存在しないというのはすべてがパブリックということだ。その意味を少し考えるべきである。もちろんそれはネットにおける活動が表現としての役割が強まっているとも言える。
少し話がそれるが卑近な話題としては、大阪府条例におそらくなるだろう国歌起立の問題がある。
ここでこれを支持する人間の主だった意見としては「公共性が高い、職務命令がすでにされている、職業選択の自由があるんだから嫌ならやめろ」というのがある(反日がどうだとか当たり前だとかいう多くのノイズは、残念ながら”意見”とは程遠い)
はじめに「公共性が高い」という意見について考える。式典が公共性が高い場である、という主張であり、ゆえに起立しないという私事で調和を乱す行為は許されないというのがおもだった筋だ。つまり「ご起立願います」という進行があるのだから、それに従わないのは許されない、ということである
(私は、この文言がないのであれば座っていても公共性は損なわれないとするスタンスだが、おおかたの式典ではそういったアナウンスがあるだろう)
職業選択の自由があるんだから嫌ならやめろ、という意見もある。ただ、この主張は「従うのがあたりまえだろ」という奴隷意識に根ざしているものもいくつか見られているため、あまりいい気分はしなかったのがしょうじきなところだ。
さて、なぜこの二つを取り上げたかというと、組織に従属する人間の行動が、他人に与える影響についてはほぼ似通っているということだ。そしてそれはやはり論理とはかけはなれた、感情に起因するものである。
私は企業の判断は判断として受け取るべきだと考えている。すなわち、プロセスはどうあれ、一旦はその命令を受けて、彼女は職を辞するべきである。しかしそれは当然ながら他人の溜飲を下げるためにするものではない。それを望む人間が転び公妨などの類を否定するならただの無知と傲慢と油断だ。
このふたつの例における「クビは妥当」と「嫌ならやめろ」は同根である。もっと言ってしまえば、集団の構成員に思想信条の自由などは存在しないということである。
もちろんそこには「集団に適格な資質」が内在している。つまり、内心に叛意を抱くことのない強固な愛国心、愛社心が求められているということだ。構成員である以上トップダウンは絶対であり、構成員もそれに逆らってはならないのである。そしてあろうことかそれは「外圧」によってなされるということだ。
もちろんNOだ。
これはゼロリスクと同じ(All or Nothing)の思考である。信仰くさく言えば「処女性」である。処女性は未経験に起因するのではない、その純潔さの信仰によって得られるのだ。一縷の穢れさえ許されない、ということだ。
だからこそ彼らは集団にもその純潔さとしての整然を求めるし、調和の取れた動きとしてミリタリスムな行動を求めるのである。
彼女は排外されたのだ。穢れたものとして。穢れた人間のいる店には通いたくないという外圧を前にして排外されたのだ。
彼女は何処へ行くのだろう。穢れた公務員は何処へ行くのだろう。
彼らにはNIMBYこそふさわしい。そう考える。あるいはNIMBYさえも相応しくない。そう考える。
奴らと同じ空気を吸いたくない。
こういう欲求が、ヒトを殺す。
そしてそれは、合法だ。
今日も見えないところで人が死ぬ。
それは信徒の意志だ。