はてなキーワード: ももちとは
引きこもりは半年程度、ニートはトータルで2年程度であろうか。
現在30過ぎ。
10代後半にパニック障害になり、色々治療もしたし、一般バイトもしたし、就労支援系の作業所にも行ったし、障がい者雇用も経験した。
でもどこにも居着けなかった。体力がないし、根性もないのだ。
ただ、分かっていただきたいのは「ただ、手を小招いていただけではない」ということだ。
このままではいけないという思いの中、さまざまな事に結果はどうあれ挑戦してきたと思う。
けど、現在もぱっとしない。就労A型作業所に頑張って通っているが、週5はたとえ5時間だろうが厳しいと感じている。
毎日へとへとだ。多分このまま一般就労に戻れず就労Aでこうして頑張って薄給をもらうのだろう。
色んなことに挑戦して、打ちのめされる経験をする中で、自分の人生を行きようとする光のようなものが消えていくのが分かる。
よく「底付き体験」という話があるが、底の近くで浮き沈みを数回やると「あの頃よりはマシ」みたいな気分もかなり薄れてくる。
急に無理やり50秒水中に引きずり込まれるのと40秒引きずり込まれるのと、35秒引きずり込まれるのを何回か繰り返してるイメージ。
もう正直30秒だってごめんだ。そんな気分になってくる。毎回息を吸えるようにならなきゃ50秒の経験を有益だなんて思えなくなる。
ずっと渦中にいる人間には分かっていただけることを願っている。
毎日、しんどい。寝ても眠いし、何をしても疲れる。どこか悪いんだろうけど、血液検査や尿検査では特に何も見つからない。
この不定愁訴というやつは他人には理解されづらく、非常に孤独である。
誰も私の体感している日々の体のだるさやや不調を同じように体感することができない。
近しい人ですら「そんなに横になってたら余計しんどくない?」等言われる。
わからない。でも動けないんだ。何をしても疲れるんだ。
怠けている訳ではないんだ。ずっとずっと頑張って色んなことをこの体でやってきた。
体調不良を、騙し騙し生きてきた。
もう16年向精神薬を飲んでいる。それも当事者じゃない人は「その薬のせいなんじゃない?」という。驚くことに他の科の医者までいう。
必要最低限にしてもらっているつもりだし、精神科医がいいと言えば減らすよう努力もしている。
闘病8~9年くらいで、藁にもすがる思いで他の科にかかることも面倒になってきて、ただじっとしんどいのを休む、寝るという普通の対応でやり過ごしている。
治療も色々なことを試してきたつもりだ。でも効果があって健康にならなければ「試してきた 」という「努力」が実ったことにはならない。少なくとも一般社会に出て話をしているとそういう認識なんだろうなと感じる。
長患いや障がいがある人生は、不便だったり、毎日体がしんどいことももちろんつらいが、それを本当に体験しているのは自分だけだ、という当たり前のことが孤独でつらい。
分かれ!というつもりは無い。ただ日々を生きているとどんどん取り残されていって「何もしていない」気持ちになるのが虚しくて悲しくて書いた。長くなってしまい申し訳ない。
昇給額も今の給与も少ないが、これは自分の能力なので仕方ない。
一部在宅勤務できているので、とある在宅勤務の日、安月給を握りしめてそば屋に行った。
なかなか注文を聞きに来てくれないし、注文を忘れられていた。
家に帰ると不在票が届いていた。なけなしの給料から少しでも得するためにやったふるさと納税の返礼品だ。
今日は在宅勤務なのに、ランチの僅かな外出の時間を狙って佐川に不在票を入れられた。
スマホゲームでポーカーをやっている。ソシャゲは課金させられそうなのでやってない。
自分の手のフルハウスがフォーカードに負けた。無課金で集めたコインが消えた。
残りの僅かなコインでゲームを続行していたら、チャットで「金無いやつ抜けろ」とメッセージが来た。
「今日は寒いから明るいうちからお風呂に入ってしまおう」と意気込んでお風呂を沸かし、入ろうとしたら、
昼間の断水の影響でお風呂に砂のようなものが混じり、濁っていた。
テック界隈なら技術指向が強く嫌な思いをしにくいだろうと思っても、ちょっと油断すると
「メモリ8GB以下は人権が無い」とマウンティングされて惨めな思いになる。
YouTube を見ると、何度「興味ありません」を押してもひろゆきが出てくる。
お金なんて無いのに「投資をしましょう」と広告に呼びかけられる。
自宅アパートの断熱性能が悪いのか、いくらエアコンをかけても部屋が寒いままだ。
健康のためにと思っておやつ代わりに買ったアーモンドは、湿気っていたし割れているものがほとんどだった。
はてなを見ると政治・差別・性別・炎上の話題でいつももちきりだ。
ジョーカーらしきニュースを見ると「やったか!?」と高揚する。
もう自分で考えることに疲れた。労働も、インターネットも、人間も、疲れた。
こんなとき、どうすればいい?
最近自己責任という言葉を見ることがすごく増えてるんだけどその使われ方がほぼほぼ違和感しかない。
「勉強して東大入らないと自分が損するよ、自己責任だよ」は百歩譲ってわかるんだけど、東大入れないってわかった結果見知らぬ人を通り魔的に切り付ける人にも自己責任だよって言ってる文脈が本当に意味がわからない。
あのさ、自己責任って言葉使ってマウントとりたいだけだろ。そんな理由で使ってんじゃねえよ。マジで。聞いてるか橋下徹。まだ「悲惨な事件があったね…」で何の教訓もなく風化する方がマシだわ。
マウントが大好きなお前らの自己責任論が世に蔓延るデメリットがどれだけ深刻かわかってない。
あんたたちが言ってるのは『こんな凶悪な事件があったけど社会は何も気にしなくていいんだよ、だって自己責任だからね。斬りつけられた人もそんなとこ歩いてたのが悪いよ、自己責任自己責任』こういうことなんだよ。
人間って誰しも生まれたその時代・その社会の枠組みに最初から否応なく嵌め込まれるわけで、工場で大量生産されるネジみたいに何個かに1個は規格を満たさない”個”、悪く言えば不良品が出てきてしまうのは自然の摂理でしょ?
みんながみんなその枠にカッチリ適応できるわけじゃないし、なんならその”個”ってのは必ずしも目に見えて判別が出来るわけじゃない。一見うまく適応できてるように見えて機械に嵌め込んでたら何かの拍子に爆発してしまうことだってあるんだよ。
俺たちはそういう不確かな世界に生きてるわけ。
そこを見て見ぬふりしといて返す刀で自己責任論はあまりにもコミュニティの一員として冷淡で無責任すぎるでしょうが。
橋下さん、今回の通り魔に刺されたのがあなたの子どもだったとしてももちろん「あんなやつがいる社会に生まれた我が子の自己責任です」って言うんだよね?
私は父が大嫌いでした。
末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族で旅行に行ったのもベビーカーで東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。
誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りのアンパンマンのケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコか競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。
そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初は日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテルの厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。
なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉のサポートも無く、余裕がないから我慢するしかないと言われ続けました。
そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立の二次募集も落ちました。父からは私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!と喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)
そして在学中のバイト代は完全母管理。バイト代を自身のお小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。
やってきました修学旅行。私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。
ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いからお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所に遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。
その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます。奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式の振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。
なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。
今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています。
30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。
父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。
最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生。
何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。
あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います。天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。
母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。
そりゃ「そうなりやすい」ってのは男性の性質なんだから、歳とろうがそういうのは全体として出やすいってのは仕方ないんじゃないか?日常の人間関係ではある程度抑えてる人が大半だとは思うが(あくまで私の経験上だけどね。もちろんそうじゃない人もいる)
そういうので言うと女さんも、大人になってもグループ作ってネチネチやる人って多いじゃない。家族でも職場の女性の派閥の話とかウンザリ話してるのよく聞くけどさ、いい歳になっても小中の頃と変わんないなって感じるよ。
男の子も女の子も、歳とっても男女の基本的な差の部分ってのはやっぱ全体で見ると完全には消えないんだよ。歳とともにコントロールして抑える人ももちろんいる。けど全体でみると「性別による傾向」ってのはやっぱどうしても残るんだと思うよ。
そういうの踏まえた上で私が個人的に思うのは
の、大切さかな。
強さランキングとか、そういうすぐ比較したがるのを理解できないってのは別に全然いいと思うけど、そんなのは子供のうちまでで卒業しとけ的な意見は、やっぱ違う。人に迷惑かけない範囲の「理解できないこと」は、その程度飲み込むか、もしくは出来なければスルーしとけって思うかなー。
企業ってのは大学で勉強してきたことももちろん考慮するけど、重視するのはその潜在力だ。
宮廷に行って、かつ大学でもいい成績を修められる努力ができたんだろ?
研究を重ねることができたんだろ?
会社に入って、大学でやってきたことをそのままやらせるところなんてかなり稀だ。
学んで吸収することを得意としてきたんだろう?
誇れるのは成績だけだった?
それは十分誇れるところだ。
会社ではその成績を勝ち取った能力を使って更に多くのことを学んで吸収していくつもりだと確言しろ。
お前のその潜在力を欲しがるところはいくらでもある。
それを決めて職を選び、面接を受けろ。
「文学部で学んだことが通じますか?」と訊かれたら「学んだ内容ではなく、方法を活かします」と言え。
実際そうだろ。
そうやって自分を高めてきたんだろ。
そうこうして、面白い文学作品とかの話なんかに持っていって面接官を楽しませることができたらしめたものだ。
お前は内定を貰える。
泣き終わったら自信を持って動け。
私は父が大嫌いでした。
末っ子の私は末っ子あるあるなのか、あまり幼少期の写真もなく、家族で旅行に行ったのもベビーカーで東京ディズニーランドに行ったのが最後だった。シンデレラ城の前で撮った古びた写真を見せられ、ほらみんなでディズニーランドに行ったんだよ。なんて母に言われても覚えているわけもなく、羨ましいという気持ちが膨らむばかりでした。
誕生日ひとつとっても、兄達は母手作りのアンパンマンのケーキと一緒に写った写真も残っていてズルい。私の誕生日なんて写真どころかケーキがないことだってあった。それも全部、父が悪い。父がギャンブル好きで借金まみれなのが悪いのだ、と思っていました。休みの日は寝るかパチンコか競艇か。たまに家族サービスをしてくれることもありますがそれは稀なことでした。
そんなこんなで家計は火の車なので私が小学校中学年の頃から母は働きに出るようになりました。最初は日中働いていた母も、稼ぎが足らずホテルの厨房の夜パート、更にスナックと職を変えていきます。父も泊まりや一日仕事が多かったので兄妹だけで夜を過ごすことも多くなりました。それに比例するように両親の喧嘩が増えていきます。何度も母の携帯を逆パカ(死語)して破壊したり、服を切ったり、暴力を振るったり、果ては首を絞めて兄妹で警察を呼んだこともありました。祖父母の家から電車で1時間以上かけて小学校に通うことも何度もありました。
なんで離婚しないのかと兄妹で何度も言いましたが、ひとり親で兄妹5人も育てられる福祉のサポートも無く、余裕がないから我慢するしかないと言われ続けました。
そうして半引きこもりになった私は高校受験の時を迎えていました。レベルを下げまくった公立高校すら内申点の悪さで落ち、さらに下の公立の二次募集も落ちました。父からは私立にやる金なんて無いと言われ、もう中卒で生きてくからいいわ!と喧嘩していたところを母の説得で私立に進学することに。(兄は私立に行ったのになんで私は駄目なのかという思いもありました)
そして在学中のバイト代は完全母管理。バイト代を自身のお小遣い代としているバイト仲間が羨ましくなることもありました。若かったので。
やってきました修学旅行。私立あるあるなのか、私達の旅行先は海外でした。授業でも楽しくどこを観光するか話し合っているうちに班長に決まり、ワクワクは最高潮。ですが、修学旅行の積み立てを崩し、父が遣いこんでいたことが発覚しました。
ひととおり泣いて暴れた後に全てを諦めました。もう行けないんだ、どうでもいいやと。母が知り合いからお金を借り、行けるようにしてくれましたがそんなお金で行くのも嫌でした。行かせようとする母と行かない私で揉めに揉め、結局無理矢理タクシーに乗せられた私は集合場所に遅刻して現れました。こんな話出来るわけもないので、寝坊して迷惑をかけてごめんなさいと謝り普通の顔をして修学旅行に参加しました。先生とも一悶着ありましたがいい思い出になりました。
その後も両親の喧嘩は何度もありましたがそれもいつも通り。出席日数は足りてないはずでしたが先生方の温情で無事に卒業の日が来ます。奨学金も借りられず、高卒フリーターになりました。成人式の振袖ももちろんお金がなかったので諦めていましたが、小学生の頃に亡くなった祖母が私の為に着物屋さんにお金を掛けてくれていたので素敵な振袖を買うことができました。本当に祖母には感謝しかないのです。
なんやかんやで父も年を取り、それにつれ性格が丸くなりました。仕事に行かなくなってからは毎朝のように私を職場に送ってくれました。両親と私でいきなり日帰りで温泉に行くこともありました。父が私にたくさん話しかけてくるようになりました。ですが返事だけで会話をすることはほとんどありませんでした。どうやって接していいかもわからないし、今までのことを無かったことにされるのも嫌だった。だから冷たくするくらいが丁度いいと思っていました。
今は誰も住んでいない祖父母の家に家族が集まりました。夜は皆で近くの焼肉屋さんで食べて、父は発泡酒ではなく、大好きなビールをしこたま飲んでそれはご機嫌でした。祖父母の家に着くと一足先に父は横になりました。たまに母に水を持ってくるように頼んでいましたが、私達兄妹はそんな父を気にすることなく、リビングで兄妹水いらずでテーブルゲームをして遊んでいました。すると、父が急に雄叫びのような大きな声をあげました。その時に、相変わらず寝言がうるさいなぁなんて言わずに、確認をしに行けば良かったと後悔しています。
30分後、気づいた時には父は動脈破裂で亡くなっていました。
父がまさか亡くなるなんて。晴天の霹靂でした。思春期の頃は死ねばいいのにと何度も思っていましたが、本当に死ぬとは思っていませんでした。憎まれっ子は世に憚ると思っていたんです。どうせ母のが先に亡くなるだろうから老後の面倒見るの嫌だなーと思っていたんです。震える手で救急車を呼んだり、警察の方に事情を聞かれたりしましたがあんまり記憶がないです。ただ、あの時に気付いていれば父は助かっていたんじゃないかということばかり考えていました。
最近は姪っ子を可愛がったり猫を可愛がったり車を出してといえば出してくれたりして、実は好感度が上がっていたのです。冷たくしたり、母と一緒にふざけてお尻を叩いたりして、少しずつあの頃の仕返しをしていたのです。結局逃げられましたが。畜生。
何年か経ちますが今でも父への思いはあまりまとまっていません。嫌いなような好きなような。まあ素直に好きと言いたくないだけなのでしょうけど。
あんなにあんなに憎んでいても時が流れると絆されたり、むしろ後悔したりすることがあるんだよ。ということです。ちなみに兄の中には未だに父を許していない人もいます。なのでまあ人それぞれですね。でも亡くなった人のことを悪く言っても仕方がないし、良くしてもらったこともあったのでその事を覚えておこうと思います。天国に行けたかはわからないけどイッヌと仲良くしてて欲しいな。
母と久しぶりに父の話をしていたらお互いに涙が止まらなくなったので書いてみました。
増田でオタク批判のお人形遊びしてるの、もしかしてこの人では?という気にさせられる
@_keroko
「ユリイカ女オタク特集は男アンチなことを言ってるに違いない!→内容批判してやる!→LGBTのTについて書いてない!(ドヤァ)→『Tももちろん論じられてますが…』→ア・・→キズナアイ!→社会学者橋迫め!→『買って読みました?』→買って読めなんて頭おかしい!権力!」
当時、オタク層はごぞって絶賛してたし
ロトスコープを要所要所で使っていたんだけど、
それを大絶賛する空気?みたいな
すごい本当に人が動いているみたいな作画を
すごい手間ひまかけてやってるんだろうから
すごいすごい、ってことを言い出す人らが大半だったときに
いや、それはアニメーターとしての仕事を放棄してることになるんじゃなかったっけ?
という古い価値観が浮かんできてうまく乗り切れなかったときだ。
このへんの違和感があらわれだしたあたりで
その証拠ではないのかもしれないが
フル稼働させてた2台のHDDレコーダーと三菱のSVHSは徐々に稼働することがなくなっていくことになる。
リアルタイムで見れていないこととか、まどかマギカを見てないこととか
アニメオタクだった時代の自分だったら歯ぎしりして悔しがるだろうことに
こだわりがない。
個人の好みの話であり誰も悪くはないんだけど
とりあえず吐き出したかった話。
最近、周囲で流行っているCoCのシナリオ傾向がことごとくnot for meってやつだな、と思う。
右を見ても左を見ても同じような傾向で、友人たちが所持しているシナリオももちろんそう。そういう状況なので遊ぼうよーって誘われるシナリオももれなくそういうシナリオばかりだ。
一時期流行った感じの条件を満たすまで出られない部屋に閉じ込められるとか。PC二人で逃避行とか。またはイチャラブしたりとか。何なら性行為するシナリオとか。PCたちの心の葛藤に焦点を当てていたりとか。
トンチキな内容のシナリオはそれはそれで面白い。心の葛藤にフォーカスしたものはとてもエモいし、
イチャラブするのもきっととても楽しい。
でも、それらはCoCでなくても良いだろうと思ってしまうのだ。
私はとても頭が固い古のプレイヤーなので、そういった最近流行の傾向ではなく神話生物の恐怖とか怪異とかミステリー的な要素メインにしたものが私にとってのCoCである。遊びたいシナリオ傾向もそういうもの。
それなら自分でKPをすれば好きなシナリオで遊べる、それはそうだ。でも謎や恐怖を提示する側だけでなくそれを解いて体験する側で遊びたい時だってあるじゃないか。
でも、今の私の周囲にはそれがない。
界隈が賑わうのは良いことだ。
けれどもその流行が肌に合わなかった時、とても居心地の悪い思いをすることになるのだと知った。
共働き子供なしの夫婦。2つ上の35歳の夫が、家のことを何もしない日がある。定時ちょいすぎに帰る〜と言って連絡なく日付の変わる頃に帰ってきて(会社の人と話が盛り上がった後に残業する気分になって仕事をしているらしい)疲れて風呂も入らずわたしの用意したご飯だけ食べてリビングのソファで寝落ち。夜中の3時頃に起きて寝室に入ってくるのでわたしの睡眠の質は最悪。朝起きると昨日の食器はそのままでリビングの机に残されてる。コロナが心配だからせめて風呂に入って寝てくれ、というわたしのお願いは無視されたまま。ゴミ出しとか洗濯物のとりこみとか自分の担当の仕事ももちろんそういう日は放置。日常生活もできないくらい疲れるまで仕事をするのをやめてくれ〜と何度言っても変わらない。季節で忙しいとかこの仕事は忙しいとかがわかればまだいいけど完全にその日の気分でこういうことになるのが週に1回はあるのでもう疲れてしまった。好きだし他のところでいい部分も多いから離婚はしないけど、嫌だと伝えると「お前は頭が悪い」「伝え方が悪い」「怒る女性は嫌いだ」と言われるのが本当に腹が立つ。こんなので怒らないでいられるってどういう人?
SHIROBAKOに関しては「リアルだ」という評価も「リアルじゃない」という評価も、どちらも正しくて間違ってるのよな。あれはリアルな部分とファンタジーの部分がシームレスに繋がっているところが面白みの作品なわけで。
しかし、SHIROBAKOにおいてファンタジーな部分というのは主人公たち5人の姿にかなり凝縮されていて、それ以外のキャラクターは女性も含めてそれなりにリアル寄りだった(ファンタジー部分ももちろんあるが、それは男性キャラクターと大して変わらない)と思うが、「男性に比べて女性の描写がリアルでない」という評価は、主人公たち5人の描写に引っ張られすぎな気もする。
一方で、主人公たち5人を女性とした兼ね合いから、その他の(リアル寄りの)女性キャラクターは数として控えめになっていると思うし、その点について苦言を呈したというのであればわからなくもない。
今年、32歳腐女子になったので何か書いてみたくて独りで紅白を見ながらこれを書いている。
そんな土地で私は生まれ、進学・就職し、今もこの街に住んでいる。
就職し実家を出た頃から、同人イベントにサークル参加し本を作るようになった。
初めて行ったイベントで、同じ作品やCPが好きな人たちと実際に会って喋ることができて、本当に感動した。楽しかった。
学生時代、それなりに部活をしたり、サークルに入ってみたり、人と関わるように頑張ってきたが、いつでも楽しくなかったのだ。オタクであることは隠していたので、とにかく話題に困った。
田舎だからだろうか。「漫画は読むよ、ナルト読んだことあるし」「アニメは見るよ、ワンピース面白いよね」という程度の人は周りにいたが、イラストや漫画を描く、二次創作を読む、まして書くようなひとは皆無だった。オタクの友達が、もっと言うなら腐女子の友達が心から欲しかった。
そんな人生を送ってきたので、初めて参加した同人イベントのアフターは心底楽しかった。初めて飲み会で「まだ帰りたくないな」と思った。
(つまり、それまではどんな飲み会でも、いつでも「早く帰りたい」と思っていた。友人だけの集まりでも、だ。みんな私を仲間に入れて誘ってくれる、紛れもないいい人たちなのだが、いかんせん私とは好きなものや興味のあるものが違ったのだ)
本を出すのも勿論楽しかったのだが、何よりアフターが楽しかった。地方住みながら年に5~6回は参加して毎回新刊を出していた。一回のイベントで、ペーパーとは別に複数冊出すこともよくあった。
イベント前日に上京してフォロワーさんたちと遊び、イベント当日ももちろんアフター。次に参加するイベントや、出す本のネタのことを話して、スケブを描きあったりして、終電まで遊んで、夜はホテルで厳選戦利品を読みながらお疲れ様ツイート。楽しかった。本当に。心から。
東京は地元に無いものが沢山ある。街はギラギラキラキラしている。そんなところで、美味しいものを食べて、好きなものの話を、同じものが好きな人たちと語り合う。たまらなく楽しかった。
幸いなことに、発刊した本はそれなりに手にとってもらえたので、本の印刷代と交通費はギリギリ賄えていた(宿代やイベント参加費などの雑費がはみ出るくらい)。なので趣味として、金銭面では無理なく続けられた。続けられてしまった。
収入が無くなっては困るので勿論仕事は変わらず続けたが、それ以外。
例えば職場の飲み会、イベント、地元の友人からの誘い、親戚付き合い、そういうものは可能な限り避けて、原稿をするか、アニメを見るか、フォロワーさんとスカイプで萌え語りするようになった。だってリアルは同人イベントよりつまらなかったから。
あの頃の感覚として、私のリアル、つまり同人イベントに参加していない日常の時間は「同人イベントまでやり過ごすだけの時間」になっていた。
イベントから帰る飛行機の中で、次のイベントは8月か、はやく8月にならないかなあ、と考えている。
同人イベントがメインパートで、地元での日常は一刻も早く過ぎてほしい繋ぎパート。そういう感覚。
職場ではすっかり付き合いの悪い人間となり、歓送迎会とかの大きな飲み会以外ははじめから誘われなくなった。
地元の友人ともみるみる疎遠になっていった。ちょうどメールからラインへの過渡期だったのだが、私はそんなこんなでグループラインはおろか、ラインの連絡先交換もあまりしていなかった。
私が知らないうちに友人たちはどんどん結婚したり出産したりしていた。私以外はちゃんとお祝いしてたらしい。ごめんなさい。
わくわくしていたし、充実していた。
差し入れでいただいた東京のお洒落なお茶を飲みながら原稿したりアニメ見たりするのが至福の時間だった。
喪女ゆえ結婚は縁が無さそうだけど、仕事はあるし家もあるし同人友達がたくさんいて毎日楽しい。私はこういう生き方でいいんだ、と思っていた。
そしてコロナ媧がやってきた。
感染者数が落ち着いた時期に開催されても、アフターなんてする雰囲気じゃないし、勿論するべきでもない。
何より上京してコロナを持ち帰ったらと思うと、とても参加はできなかった。
別に二次創作はイベントが無くたってできる。家にいればアニメも見られるし漫画も読める。
でも、人と会うことは無くなった。
素直に寂しい。
いつもクリスマスに開催されるオンリーイベントに参加して、アフターでみんなとケーキ食べていたけど、今年は家でコンビニのケーキを食べた。
一方で、アフターしていたみんなは、コロナ媧でも誰かしらとは会ったり話したりご飯を食べたりしているようだった。
つまりリアルの(同人と関係ない)ごく身近な友達とか、家族とか、配偶者とか、職場の繋がりとか、そういうものである。
みんなは同人以外にも繋がりを持って、居場所を持って、日常というリアルパートも真面目にこなしてきたのだ。おそらく。
私にはそれがない。
私は孤独だ。
同人イベントが無くなれば、私は誰とも会うことはないのだ。共にご飯を食べるひとは誰もいない。
今年、ちょっと病気が見つかって入院・手術したのだが、仮にコロナ媧でなかったとしても、私の見舞いに来るひとはいなかっただろう。入退院時に付き添ってくれたのは、唯一残った「リアル」の繋がり、両親だった。
仕事の細かい悩みとか、最近気になり出した老後の不安とかも同人友達にはなかなか話せない。
そういうことなのだ。
よく仕事以外にも、趣味などの居場所を作りましょう、と言う話を聞く。
私はそういう話を聞くたび、「私には全く関係ないな、仕事以外無いひとはかわいそうだな」とか思っていた。趣味が充実していたから。
むしろ同人なんていうのは、よく考えれば仕事より脆い繋がりだ。ジャンル移動とか、急な解釈違いや冷め、地雷とか、諸々あるのだから。
もちろんきっかけは同人で、そこから生涯の親友になるケースもあるんだろうけど、それはよくある話、というわけじゃない気がする。
最近はコロナの感染者数も減ってきて、同人イベントも活気を取り戻しつつある。冬コミもめでたく開催された。私も来年は参加したいな、と思っている。アフターが難しくてもイベント参加はしたい。推しCPが、絵を描くのが、二次創作が、本を作るのが好きなのは本当だから。
でも、(縁起でもないが)また別の疫病が流行るとか、災害とか、世界には何があるかわからない。
そもそも私が同人を、アニメを、漫画を、ずっと変わらず楽しめる保証もない。
同人以外を捨てる生き方はやめたほうがよさそうだな、と私は思った。
だから来年は(書いているうちに、もう今年になってしまったが)リアルの日常も、もう少し真面目にこなしてみようと思う。大事にしようと思う。
少なくとも、結婚おめでとうと言えてない地元の友達にはラインを送ろう。年賀状ラインを兼ねて。お詫びも添えて。許されるならお祝いもしたいけど、今さらって感じかな。ラインギフトとかなら相手も気軽に受け取れるのかな。
職場では人数分散して新年会すると言ってたから、それも誘ってもらえたなら参加してみよう。今さら参加してきたらみんな引くかな。少なくとも手術入院のとき休暇とか色々便宜をはかってくれた上司、私がいない分フォローしてくれたみんなには丁寧にお礼を言おう。
という、これまでの振り返りと今年の抱負であった。
おわり
市役所には魅力的な人物ももちろんいる。今これを読んでいるあなたも、人生で一度くらいは公務員に助けられることがあるだろう。
ここでは、そんな善き職員について2人ほど挙げる。脇道なので、1人につき二千字程度とする。
見た目はスラッとしていて、無表情な感じの女性だった。その実、内面は安定していて朗らかである。
この人を最初に見たのは、私が採用されて2ヵ月くらいの時だった。公用車に乗って近隣の政令市にある研修センターに行くところだった。
1階の市民課に繋がる階段を降りたところで、凄まじい怒号が聞こえた。「なんでできんのか!!」と、おそらく高齢の男性が怒号を発していた。
窓口を覗くと、やはり老人が女性職員に対して声を荒げていた。話を聞いていると、どうやら身分証明書がなくて公的書類を発行できない類のトラブルのようだ。周りの市民や職員が怪訝な顔で覗いていた。たぶん堂々巡りの話になっているのだろう。
そして、交代したGさんは、静かな様子で男性の話をひたすらに聞いていた――これが傍から見ていても、「あなたの話を聞いています」「共感しています」「申し訳ございません」という態度が伝わってくる。男性は次第に落ち着いていった。最後まで納得はできないという面持ちだったが、諦めて正面玄関の方に歩きはじめた。
傾聴は苦情対応の基本である。ここまでできる人は、市の職員では初めて見る。
「この人、どんな業界が向いているだろうか」と、昔に就いていた転職支援の仕事を思い出していた。
個人的な感覚だと、やはり福祉だろうか。受付系も悪くはないが、こういう人には攻めの傾聴というか、そんな仕事が向いている。最初に浮かんだのは、証券会社のリテール営業だった。しかし、Gさんはあの業界に蔓延る罪悪に耐えることはできないだろうなぁ、と思い直したのを覚えている。
それから数年間、Gさんのメンタルの強さ、粘り強さを発揮したのを何度か見ることになった。市民の中には、自己表現としてのクレーム――己が主張を表明するために市役所の窓口に来る人もいる。何か強いストレスを抱えていて、それを発散するために市役所まで出向く。そういうタイプの市民だ。
そんな人にもGさんは優しかった。とにかく話を聞いて、あまりに騒々しいようであれば怒鳴る市民を別のスペースに誘導し、一般市民の邪魔にならないようにして苦情の解決を図るのだ。
Gさんはこの部署が長かった。当時30才になるかならないかだったが、査定は常に5段階中の4だった。上司からも仲間からも信頼を集めていた。
が、それで万々歳とはならない。彼女はいつもそういうお客さんばかりを相手にするので、残業がとんでもない量になっていた。勤怠管理システムの記録によると、Gさんは毎月50時間以上の残業は基本であり、それに加えて、土日祝のいずれかに必ず出勤してサービス残業をしていた。
私も、なんやかんやで土日に出勤することが多かったが(もちろんサービス残業だ。管理職なので…)、Gさんを見かける確率は5割を超えていた。庁舎内の配置的に、3階にある私の職場に上がる時にGさんを見かけることになる。サービス出勤をしている職員はほかに何人もいたが、彼女が最も印象に残った。
実際、Gさんはいい子だった。料理は上手いし、家事や洗濯もばっちりだし、家では猫を飼っているのだが、これがまた人懐っこい。でも、猫カフェは嫌いらしい。なんでも、「あそこの猫はみんな苦しそう」とのことだ。私が「目の前にあるんだし、行ってみようよ」と誘っても、頑として首肯しなかったのを覚えている。ちなみに、好きな食べ物はたこ焼きだ。食べ歩きはマナーが悪いよ、と何度言っても聞いてくれなかった。
思えば、Gさんが土日出勤しているのを眺めるのが当たり前になっていて、この人を助けなければという意識が働かなかった。ある大晦日に、Gさんが煖房をつけず、明かりもなしでパソコンに向かっているのを見たことがある。コートを着て自席に腰かけ、震えながらキーボードを叩いていた。
「Gさん。それじゃ寒いでしょ。煖房つけなさい」
私が言うと、Gさんは座ったまま、ぼんやりとこちらを見詰めていた。
「すいません、これでいいです。いつもこうなんです」
「お気遣いありがとうございます。でも、わたしは寒いのがいいんです」
「そうか。お寒いのがお好き、なんだね」
Gさんは、「こいつ何言ってるの?」という顔をしていたが、意味に気が付くと、パソコンに顔を向けながら噴き出した。
若い子でも意外と通じるんだな、と感じて私は、エアコンのスイッチを押した(蛍光灯のスイッチの場所はわからなかった)。人事課に続く階段を昇り始めるところで、Gさんが職場に明かりを灯したのを認めた。
この彼女は今、市役所と近い業種の仕事をしている。もう不当な時間外勤務はしていないはずだ。直接働いている姿を見たことはないが、きっと活躍していることだろう。今も幸せであってほしい。
この人も女性だ。地域を盛り上げるような感じの名前の部署にいて、エース級の職員として知られていた。
さわやかな見た目の女の子だった。高校を出てすぐに市役所に入ったという。私が採用された年の4月時点で21才になる年だった。結論から言うと、この子はもう地方公務員ではない。その次の年に民間企業、よりによって当時の取引先に引き抜かれる形で退職した。
惜しいことをした。もしそのまま現職に留まっていれば、もっとイキイキと働ける環境があったかもしれない。今更言っても遅いのだが……。
Hさんを最初に見たのは、窓口でお客さんを見送っているタイミングだった。市役所で働く女子職員は、みんな仕事に使えそうな私服で来るのだが、Hさんは限りなくスーツに近い、パリッとした装いだった。凛とした覇気のある顔つきだったけれど、ちょっと不安げな瞳が印象的だった。
見た感じでは、大卒3年目くらいの雰囲気である。市役所には、たまにこういう人がいる。早い話、Hさんは頭の回転が早くて、見た目がシッカリしていて、礼節を弁えており、創造的な仕事もできる。そんな子だった。
『創造的な仕事』については特定のおそれがあるので述べないが、当時の公務員業界では花形とされる仕事だった。億単位の金が動く。上の人間は大枠を決めて指示をするが、Hさんにも商品企画や業者選定などの権限が与えられていた。
その仕事をやりたいと希望する職員は何十人といて、その中には数年後に昇進を控えたベテランが何人もいた。民間においては、こういう花形とされる事業や、大金が動く案件というのは――事業部長みたいなポジションの人が直接担当するか、または管理職に昇進する手前のエース社員が担当することが多い。それを、大学生ほどの年齢の子が担当している。
ほかのポジションだと、例えば市長の秘書の1人は臨時職員だった。早い話がパートさんだ。30代後半で、圧倒的清潔感の子持ちママだった。実力登用の文化がトップ層から滲み出ているところがK市の美点のひとつだと感じる。
当時の私は不思議に感じていた。なぜ、官公庁ではこんな人事ができるのだろうか。将来の利益を重視するのはわかるが、今の利益のことも考えないと――と想念した瞬間、私の脳裏にビビッ!と走るものがあった。
そうだ。新人公務員向けの研修で習っただろう。公務員は利益を追求しなくていい。だから、利益度外視で、十数年先のことを考えた配置や処遇ができる。Hさんは、すでに幹部候補としての育成が決まっていた。ならば、さっさと重要ポジションを任せられる限り任せていった方がいい。そういう判断だった。
もちろん、幹部の好みの問題でもある。当時、市長と市外の飲み屋に出かけた時、嬉しそうにHさんのことを話していたのを覚えている。なんでも、市長室でその花形事業の今後の商品展開に関する協議をしていた時、事業部長に連れられていたHさんが、副市長と侃侃諤諤の議論になった――そんな内容だったろうか。Hさんは議論になると熱くなるタイプだが、それが終わると途端にホンワカになるらしい。気さくな感じで、癒される話し方になって、市長が言うには、そのギャップがいいらしい。
その事業部長も確か、とあるイベント終わりの飲み会の時にHさんのことを誇らしげに話していた。当時、入庁1ヶ月目だったHさんの部署の飲み会の席で、会の最中に参加者にお酌をして回ったのはHさんだけだった、みたいな話だ。嬉しそうな表情で、自然にみんなに一人ずつお酌をして回って、先輩との交流を深めていたということだ。
若干18~19歳でそこまでできる子は、そうはいない。エース枠としてチャンスを与えられて当然だ。こんなことを書いていると、増田民の方々には『飲み会不要論』的な観点で攻撃を受けてしまいそうだ。しかし、これはあなたの視点に立ってみればわかりやすいのではないか。あなたが飲み会に参加していたとして、若い男の子や女の子が、「仲良くしてください!」みたいな雰囲気でお酌や会話をあなたに求めてきたら、嬉しいと思わないだろうか。可愛い奴だなと思うだろう。そういうことだ。
私はHさんと話したことは2回しかないが、わかるような気はした。頭がいいだけではなく、物事に対して本気になれる。そういう子だった。
さて。Hさんは突然退職してしまった。冒頭に述べたとおり、花形事業に関係する取引先(パートナー)に引き抜かれたからだ。晴天の霹靂だった。
Hさんが書いた退職理由書を読んだ。要約すると、「市役所のルールや職場環境がつまらなく、物足りない」とのことだった。例えば、公用文では「問合せ」を「問い合わせ」と書いてはならない。しかし、動詞になると「問い合わせて」と書かねばならない。細かいことだが、間違えたら稟議のやり直しになる。そういった文書事務に関する文化が、HさんがK市を辞めた理由のひとつだった。
若い子であれば仕方がないとも思う。確かに、公務員業界というのは地味だ。完全なる聞きかじりだが、『若手のうちは仕事の何が面白いのかわからない。それが公務員の難点だ』というのが、当時のHさんの退職理由を読んでの副市長の談だった。
まあ、過ぎたことはいい。もういいのだ。気にするだけ損というもの――Hさん個人の件に限っては。
だが、Hさんを引き抜いたクソコンサルは別だ。きっちりとリベンジしてやった。K市の入札に入れないよう指名停止(※)にしたうえで、県内他市すべてと、都内の右半分くらいの地方自治体と、県庁と、国の機関各所にもこの度の情報提供を行った。
罪状はもちろん、『取引先の従業員を引き抜いた』ことだ。許されることではない。民間企業同士でも、そんな足の引っ張り合いはまず行われない。それを、あのクソ非常識なITコンサルはやってのけたのだ。それなりの報いがあって当然だろう。
※正式な指名停止は今回の場合だとできない。条例や規則や要綱に定めがないからだ。よって、入札参加・指名業者リストにその会社の名前を残したままで、入札には呼ばないという意味での指名停止になる。
Vtuberが誹謗中傷の被害で提訴した件、最初は誹謗中傷を受けてた側が批判されていた。
GIGAZINEの倉庫爆破事件では、最初こそ被害者のGIGAZINEに同情の声が集まっていたが、
真相が明るみになるにつれ「被害者の方にも問題あるんじゃないか?」と心証が変わっていった。
被害を訴える側の言い分しかない状態で、よくもまあ「こっちが悪い」と断罪できるもんだ。
吉本芸人 西澤祐太朗が”パワハラ”騒動 女性コスプレイヤーがショックで倒れる
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dot.asahi.com/wa/2019122600096.html
「吉本芸人が女性を虐めた」という正義感で叩きやすい話題に飛び付いている。
実はコスプレイヤーが進行に協力的ではなく、というより体調が元から悪かったそうなのだ。
とはいえ無視するわけにもいかないので、色々とフォローした結果、しばらく経ってからパワハラだと訴えられた。
観客はフォローの範疇で受け入れてるのに、AERAが報じて事務所が騒いでから問題視されるという、胡散臭い展開。
コスプレイヤーが所属している事務所の人間が、炎上マーケティングを目論んでいた疑惑も出ている。
騒動となったeスポーツイベントの配信はなぜか非公開になってるし。
何より醜くて腹が立つのは、好き勝手言うバカ共は忘れてるってことだ。
同じくeスポーツ絡みで言えば、日本eスポーツ連合(JeSU)の騒動も酷いもんだった。
JeSU批判の急先鋒・ももちはJeSUと和解したし、今やJeSUは業界団体の役割を見事に果たしているわけだが、
2018年の当時に「業界に巣食う利権団体」と叩いたバカ共は反省もしない。
冒頭のVtuberの件にしたって、真相がわかり始めたのは事件発生から1年後だ。
わからないなら黙って見とくか、せいぜい「~だと思う」に留めておくべき。
前置きしますが、くっそ長い上、くっそ読みづらい
どうかご了承下さい。
2021年の9周年をメドに離れました。
i☆Risってなんぞやと言う人は以下をどうぞ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/I%E2%98%86Ris
ざっくりと説明すると、声優もアイドルも頑張っている6人組ユニット(現在は5人)
アニサマ常連になり、武道館は何とか達成出来たそんなグループです。
しっかりと生歌で歌いつつも、アイドル顔負けのパフォーマンスを披露できるこのグループは
今でこそ皆20代後半になり、リーダーは30歳の大台に乗ってはいますが、「アイドル」「アーティスト」としての魅力はまだあるとは思います。
楽しく応援出来てました。
私の場合はさらに彼女達が声優として活躍しているアニメやゲーム等のコンテンツにも
私自身はガチ恋とかリリイベ命とか、認知厨、最前厨とかそう言う部類のオタクではありません。
(むしろそう言う部類のオタクであれば今も変わらず楽しく応援出来てたのかな?と思います)
会場もどんどん大きくなって、i☆Risと言うグループが一つの大人気「コンテンツ」として成長していく過程を
ずっと見守って行きたい、応援していきたいと思っていました。
でも...それが大きな誤りだったみたいです。
「声優」として人気になる事に期待をし過ぎていたようです。
彼女達は結局「プリパラ」と関連シリーズ以外では声優としては大きな役を掴めず、たとえヒロイン級の扱いでも、大して話題になるような作品には出られず
当時の話題、人気作には、彼女たちの名前はまず出る事はなく(出たとしてもモブレベル)
唯一メンバーの1人がラブライブ(虹学)のメインメンバーに起用されたくらいです。
他のメンバーは、ラブライブ、ウマ娘、アイドルマスターシリーズなどの
ライブやイベント等が沢山行われて、オタクへのアピール機会が増えるような「大きなコンテンツ」に
ルックスもそこまでよくは無い
「大きなコンテンツ」に参加すれば、キャラクターを背負った形になりますが
1人でi☆Ris現場以上に大きな舞台(SSAやドーム等)に立ってパフォーマンスして
そのパフォーマンスの素晴らしさアピールする機会が極端に少ない状況です。
必ず人気が出る訳ではありませんが、上記のような機会が与えられる事もあり
声優自身の意識に新しい変化を与えたり、これを機に色々な所で見かけるようになった声優さんも少なからず居るのは確かです。
例えば芹澤優さんと仲の良い、同世代の声優さんである和氣あず未さんも、実質的な表デビューはデレマスの28歳ビール大好き元婦警アイドル役と言う
ゲーム内での人気はそんなに高くは無いキャラクターからのスタートでしたが
いざライブに出て、そのキャラクターのソロ曲を歌えば、会場はP自身の担当アイドル関係なく盛り上がりますし
そのライブで声優さん本人に興味を持ったオタクが、そのまま和氣あず未さんファンとなった人も多いでしょうし
今やウマ娘の主役ポジションを得て、そのウマ娘もゲームが大ヒットし
これはあくまで数多の声優がいる中、本当に運良くチャンスを掴んだ一例であり、何度も書きましたが
誰もがこうなるわけではありません。
しかし、i☆Risメンバーは、そういったチャンスの有る場所にいつまで経っても現れませんでした。
キッカケすら掴んでないのです。
i☆RisはYouTubeでわちゃわちゃしているのをたまたま知ってファンになった人も多少はいるでしょうが
今の活動のままで、これが爆発的に増える事ってあるのでしょうか?
2019年まではアニメタイアップもあり、まだ夢を見る事が出来ていましたが
コロナ禍となった2020年2021年はアニメタイアップはありませんでした。
この期間に彼女達が新しく参加したアニメ、ゲームも、誰も遊ばない
話題になるようなものでも無い、中には話題にするのも場合によっては憚られるような作品の
全年齢版ソシャゲだったりと目も当てられません。
唯一「声優」としても意識高く向き合ってたと思っていた芹澤優さんですら同じような状況で
そんな状況が続いているのにも関わらず、ライブに行けば
と夢物語を語る彼女達に、2020年から空回りと言うか、言葉が響かないと言う印象を受け
なんとも言えない「違和感」が2021年になり抑えられないくらい大きくなり
「もう追っかけなくて良いのかな?」と思うようになってしまいました。
そう思ってしまった瞬間、ぷっつりと彼女達が出演する作品、番組も見なくなり
「プリティーリズム」シリーズに対しても急激に冷めて行ってしまいました。
i☆Risは来年がおそらく解散するかどうか最終判断を「大人」から下される年になると勝手に予想してます。
このままだと間違いなく解散になるのではないでしょうか?
私は離れてしまいましたが、今も変わらず応援してくれているファン
その頑張りを側から見て
「あぁ、やっぱり彼女達を信じてずっと応援しておけば良かったなぁ」
30歳を超えても、素晴らしい体型と体力をキープして
知ってもらえれば好きになってくれる人はまだまだ沢山居ると思います。
自尊心とは、自分が自信があり、他者の干渉を排除したいという気持ちのことである。
これから書くことはある人から見れば勘違いをしたオタクの戯言、ある人から見れば窮屈な恋愛物語とも読めるかもしれない。
一介の夢女子がぜんぜん思い通りに行かない思いの丈を綴っただけである。苦手な方はブラウザバックを推奨する。
私は彼と出会ってもう4年になる。相手の名前は伏せておくので詮索しないでほしい。そして皆さんにも何次元であろうが好きな人がいると思う。
私の好きな人は二次元なので会えこそしないのだが彼が存在してくれるだけで毎日毎日楽しい。たぶん今も、楽しい…と思う。
平穏に日々彼への想いを募らせていたのだが、長年動きのなかったジャンルに続編が出ることになった。
とても嬉しかったし作品は面白かった。私の好きな人ももちろんかっこよかった。
しかし、引っかかる部分はそれ以上にあった。新しい作品が出るたび私の好きな人の名前がツイッターのトレンドに入る。すごく不愉快だった。新しい作品から彼のことを好きになる人がたくさんいて嫌だった。書いていて本当に自分のことを醜いと思う。
自分は毎日毎日彼のことを考えて過ごしているのに、軽々しく好きだとか話題に取り上げられるのが嫌で嫌で仕方なかった。
作品を作りに協力している人が、原作者でもないのに我が物顔で彼のことを語るのが悔しくて悔しくて仕方なかった。(私も何様って感じだが)
実際はそんなことないが、私が考えてきたこと、してきたこと、たくさんの思い出が無為に感じてしまった。日本中が彼に興味を持ち私という存在をより矮小に感じさせた。
周りの人から見たら何言ってるんだろうと思うかもしれないが、一種のアレルギーのようなものだ。普通の人は普通に受け取れることも徹底的に受け付けないのである。
別に大きい顔をしたいわけじゃない、彼のことを嫌いになるなんてこともない。けれど続編が出ることが怖くなっている。平穏に過ごしてきた日々はもう返らないのだろうか。
そして新しいものを受け入れられない私は顧客ですらなくて、彼を好きになっていい価値すらない人間なのではとひどく落ち込んだ日もあった。
ただ、私だって彼のこと好きなのに…というやりようのない気持ちだけがずっとある。
私は多分誰がなんと言おうと自分が彼と過ごしてきた日々が間違っているだとか、無駄だとかは今は思わない。それはアイデンティティだから。
それにもう公式が供給するものですら排除したいと思うほど、私の自尊心は膨れ上がっているのだ。
私はたとえどうなっても、ただあなたを好きでいたいしそれだけで構わない。私の精神世界を守れるのは私しかいないのだから。
彼が人気者になっていくぶんだけ私は虎になるのだ。醜い私には十分すぎる。
これからも虎らしく今まで通り人目につかないところで息をしようと思う。