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2017-02-12

擬人化元祖って

星座だよな。

空に浮かんでるだけの物体神話英雄こじつけていってキャラ量産とかよくやるわ

2017-02-05

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 39話

ちょっと話が壮大になりすぎて、ここらへんをとやかく言う気は起きないけれども、そこまでして今の文明破壊する目的が予想外だったね。

上滑り気味だけれども。

行動の壮大さに対して、その理由は大したことないってギャップ演出として大いにありだとは思うんだけれども、それを考慮してなお脱力感のほうが強いと感じたんだよなあ。

まあ、案外そういった些細な思いが活力になるってのも分からなくもないけれどもね。

幽白に出てくる樹ってキャラの「明日『ヒットスジオ』に戸川純が出る」っていう件とかが私は好きだし。

それがこれと同じかっていうと、意味するところも状況も違うし微妙なところだけれども。

僕のヒーローアカデミア すまっしゅ!! No.62!!

導入部でさらりと必要悪大義名分にしてくる構成に、不覚にもやられた。

豆に対するのが、同じく栄養価の高いものなのも、こじつけなりに考えているというか。

ネタこじつけばかりなんだけれども、節分自体こじつけなんで、その前提が無理なく成立してコメディになっているわけだ。

最後オチとかはそれを象徴しているよね。

トガのコスプレの件で「媚びたカッコをするな」とかバッサリ切り捨てるあたり、かえってヴィラン側のほうが健全に見えるという不思議(ただ、オチの格好を見るあたり、単に趣味嗜好の違いなんじゃねえかと勘繰りたくなるが)。

黒霧が部屋の掃除自身能力活用しているのも興味深いよね。

本作ちょいちょい登場人物たちの個性を変な使い方するスピンオフならではなネタが出てくるんだけれども、本編のヒロアカ世界観の掘り下げとして、こういう些細なことで能力を使う描写もっとあってもいいと思う。

青のフラッグ 1話

この作者はこれまでスポーツものを描いてきて、心情描写表現する点で光るものがありつつも、どうにも所々噛み合わないところがあったんだよね。

なので今回の青春物語に重点を置いた構成は、作家感性を活かすという意味では向いている作風だとは思う(それが読者と擦り合っているかは分からないけれども)。

特に印象的なのは、何気ない一言でバッサリ髪を切ってくる女子に、主人公ドン引きするシーンかな。

ヒロインの見た目が変わるっていう重要イベントを、ああいう風に描写してくるというね。

まあ、メインキャラの見た目が変わるのって割と繊細なポイントから、読者が愛着湧く前に1話の時点でやってしまって、それをヒロイン意志と絡めた構成にしたのは英断だと思う。

2017-01-31

世の中単純に悪意と解るものだけでも十分うんざりするほど溢れてるのに

いちいち善意にもこじつけで悪意を見出し相手暴言吐くとか必死でやってる人ってキリがなさそうでなんかなあと思った。

2017-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20170129145812

数年単位で移り変わる流行に数十年レベルで大して変わらん犯罪率の影響をこじつけ言い訳でも考えてろよ(笑)

2017-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20170125144404

さきの増田で間違えたw

実際の内容と、元増田の主張における「ビッチ=作者」の位置けがおかしい。

その内容では、ストーリー的に自己投影すべきは最初迫害されているプペルの方じゃないか

という事。

どういうことかというと、

まり、この物語は、現実世界で「夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる」作者・西野自身が、清くて純真な「夢の残骸(プペル)」の尊さを自分けが理解し、そして夢を叶えるという概念(空にはホシがあるということ)は自分だけしか知らず、自分けが夢を叶えることができたという話なのである

それでは、西野亮廣氏は「夢を語るから、行動するから」笑われたり、叩かれたりするのか。

という元増田の主張通りとすると、プペルは最初に出てくる狂言回しにとどまり、ルビッチ主人公として夢を信じて迫害に負けず行動しないといけないんだよね。

が、実際にそうではない。

あなた引用している「あとがき」でも、

主人公を《ゴミ人間》にしてみました。

とある

そう書いてあるからとかじゃなく、実際の内容からしても、ルビッチ傍観者立場だね。

そういう理由で、作者とルビッチは同一化しているんじゃないかな。これは架空物語と読者を繋ぐ役割をするやつで。

(前述のように、作者がルビッチに寄せている可能性がある。元増田の上げた写真はすべて舞台公演の2012年以降)

と、なんか長々と書くのが嫌で打ち切るから結論

あなたの話は

それでは、西野亮廣氏は「夢を語るから、行動するから」笑われたり、叩かれたりするのか。

もちろん、そうではない。

自分の実力以上に、上から目線物言いをするからである

という、あなたの中の叩きの正当化がしたいがためのこじつけだ。

念のため述べるが、私はこの絵本イマイチだと思う。子どものために買おうとは思わない。

買っているのは大人だ。

2017-01-24

価格込むみてたら、なんか今週にはいってパソコンが全部値上がりしてる・・・

あれか?SSD不足とかにこじつけて全体的に値上げしてるのか?

2017-01-17

アイドル事変面白い

このアニメ登場人物バカだ。

バカばっかだ。

まともな事を言う奴がいてもアイドルソング洗脳されてバカになる。

そこまでならいつものアイドルアニメだ。

だけどこのアニメ舞台政治だ。

一見華やかなライブの裏では政治舞台バカばかりという絶望が広がっている。

ゴミが甘い匂いを発するように、腐敗しきった衆愚民主主義の漂わせる甘い空気作品視聴者を包んでくる。

愚かだ。

人間は皆愚かだ。

男も女も気持ちよくなる事しか考えてない脳みそ海綿体どもだ。

それをこの作品は描いている。

脳みそ花畑バカどもが生っちょろいご高説を披露したと思えば最後洗脳して全部解決する。

ヒトラーを産んだのは国民だって名言があるらしいがまさにそれだな。

ゴミクズもの民主主義なんてのアイドル持ち上げてワッショイワッショイだ。

皆のアイドルがしているからこれは素晴らしいことって結論が先にあって理屈をそのあとこじつける。

どこの国の政治宗教もそんなんばっかだ。

それを堂々と切り込む社会派アニメだとは思わなかった。

とても面白い

2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。

オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。

「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。

不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。

(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2016-12-25

普通に見てもよくわからないのを「ハイコンテクスト!!!!!」って褒めるのやめない?

2周目でハッとするから感動!!!とかそもそも普通は1周しかしないんだから1周目でハッとさせろよ。

花言葉が!!聖書引用!!!とかそんなん知らねえよ花言葉とか曖昧すぎていくらでもこじつけがきくし何の意味もねえだろ。

小説版への布石!!原作では重要だったキャラ!!!とかそんなん知らんわこっちは今見てるメディアしか興味ねえんだよ。

結局さあ、ハイコンテクストってのは褒めるようなもんじゃなくてただの説明不足か余計な描写だろ。

右から左に動いてるからエネルギーの流れが!!!!とかもまあ漫画なら分かるよ、漫画限定でな。読み手がページ捲ってるから。でも映像作品でやられてもそんなん効果ねーよ見てる側は左右対称の画面を正面からずっと見てて左右のどっち方向にエネルギーが流れてるとかそんなん感じねえもん。そりゃ前と後にはエネルギーの流れあるよ。でも左右にはないだろ。

マジさあハイコンテクストって言い訳の元に映像ノイズを投げ込んだり説明不足なだけの作品を甘やかすのやめないか

「働いているニート」ってなんだよwww

ニートってのは学校にも働きにも職業訓練にも言ってない若年層のことを指す言葉なんだよ。


最近これを無視して「バイトしてない学生だと、すわニートだ」「お前の仕事俺様的に気に食わない。よってニートだ」「年金だけで生活している老人だと、ニートだ」などと実際にはニートに当たらない人をしつこくニート扱いしている人が多いように感じるが、ちょっとググってニート定義を調べることも出来ないのだろうか。

また、労働形態が「模範的」とやらでないと行けないなどということはない。

別にホワイトカラー勤務」でなくても就労しているとみなされ得るということを知らないのだろうか。

雇用されるという形の労働」でなくても就労しているとみなされ得るということを知らないのだろうか。

自営業フリーランスブルーカラー被雇用者だってきちんと働いている。それはそこまで知られていないことなのか?


ネット上だけのはなしかとおもったら、リアルでもそういうことを言ってくる人がいるのにはさらに驚きである

ちょっと性格問題ある感じの知り合いが、ここ一年ぐらいひたすら普通に働いている人をこじつけニート呼ばわりすることに執心していて非常にうんざりしている。

少なくとも偏差値的には決して馬鹿ではない、頭がとても良い方の部類である知り合いすらそういう調子。なんだかなあと思う。

2016-12-24

サンタ都市伝説

http://anond.hatelabo.jp/20161223233004

俺はその増田とは別人だけど、

うち別に創価学会でもないのにクリスマスを祝う文化がなかったんで(貧乏なだけだが)

俺は3歳か4歳頃には既にサンタなんかいないと思ってたよ。

まあクリスマスプレゼントが欲しくても貰えないんで信じようが無いだけだったのもあるだろうが、

幼稚園の時のクラスメイトが「うちにサンタさんが来た!その証拠サンタさん写真を撮った!」と自信満々に提示してきたものに映るのはどう見ても赤い服を着てつけヒゲ姿のソイツの父親だったのに、

なんで実の息子が気づいてないのか理解に苦しんだし、

子供心にも何でこんな謎な嘘が世界共通しているのか、意味はないだろうと考えていたし、今もイマイチピンと来ない。

ただ、オカルトは大好き。

今のオカルトは、宇宙人ガー幽霊ガー秘密結社陰謀ガーと喚く、頭のおかしい人の珍説嘲笑って見守る趣味しかない。

週刊マガジンMMRだって、なんでもかんでも無理矢理世界滅亡へとこじつけロジックゲラゲラ笑うために指示されてきた。

オカルト知識豊富で、それについて言及することが多い有名人伊集院光大槻ケンヂなど)だって結局はオカルトを斜めから見ておちょくるスタンスだ。

宇宙人実在する!」とか書き散らすオカルト雑誌編集側の人間ですら、真に受けた読者が送って寄越した電波とお花畑満載の手紙を受けて「こいつらマジで信じてるのかよ、もう手に負えないと思った」と暴露している。

もはやオカルトは送る側も受け手側も、全員ニヤニヤ斜め上視点で何をしたいのか訳がわからない領域にきている。

その究極が年末のたけしのオカルト特番

番組内でやりあっている大槻教授と韮澤社長普段は仲がいい。

趣味」で片付くならまだいいが、オウム江原や細木レベルにくると話は別。

オカルトマニアこそ、そういった連中やエセ科学は徹底的にやる。

まりオカルトを本気で信じ込むバカは今の時代あんまりいないってこと。それを踏まえて楽しんでいるのだ。

2016-12-18

トンデモ本を薦めてくる陰謀論おっさんがうざい。陰毛論脳は水素水でも飲んでろ

ここ最近読書会に参加しはじめた。

読んできた本(オールジャンルで何でもいい)を、グループに分かれてプレゼンし話し合う、みたいなのを定期的にやっている読書会

この読書会には、毎回陰謀論トンデモ系の本(ユダヤ世界を牛耳っているとか、ヒトラーの正体が実はどうこうとか)をプレゼンしてるおっさんがいて、この会の中ではキャラのたっている人のようだった(他の参加者から聞いた)。

そのときは、「ああ、ネタでこういう本を紹介して、自分キャラづけをしてる人なんだな」と思った。

で、今回、初めてこの陰謀論おっさんと同じグループになった。

陰謀論おっさんは、ある朝鮮起源説の本を持ってきて、その本に書いてあるという、やれナントカが実は朝鮮起源だ、ナントカ朝鮮起源だ、ってプレゼンしはじめるわけ。

私は陰謀論(とかデマ)には何の興味もないので、このおっさんの話は面白くなく、退屈だった。

で、陰謀論おっさんは、本に載ってる、前方後円墳と当時の朝鮮の壺の写真コピーを見せて、「古墳朝鮮の壺が同じ形をしている、だから天皇起源朝鮮にある!」って言うの。

そりゃ前方後円墳も壺も、▽の下に〇つけただけの簡単な形だから、偶然似ることくらいあるだろって吹き出しそうになった。

そのおっさんの話がひと段落して、私が意見を言う順番になったので、

「まぁ、本としては面白いと思いますけどね。ただ、学術的には何の根拠もないこじつけですよね。こういう説への批判本もたくさんありますし。まぁ、本としては面白いですよね」

と、私が感じたままの感想(一応、面白い説ですよね、とは言ったのでフォローのつもりだった)を言った。

すると陰謀論おっさんの眼つきが変わり、こう言った。

「そういう批判的な意見を言うのはどうかと思うんだよね。これは本を紹介する会であって、ディベートとは違うでしょ。僕は、そういう批判的な意見を言われて読書会に来なくなった人を何人かみてるから、そういう批判的な意見を言うのははよくないと思う」

そのときに私は思った。「あ、この人ネタでやってるんじゃなくて、ガチ陰謀論信じてる人なんだ!」

いい歳こいて陰謀論みたいなのを信じている人を私は初めて見たので、ウゲェ…と思った。

私は陰謀論が嫌いだ。疑似科学も嫌いだ。ついでにスピリチュアルも嫌いだ。そしてそれを「信じている人」がそれ以上に嫌いだ。ネタ面白半分に信じてるフリをしているのならまだいいが、ガチで信じている人は、安易にわかやす面白い方にとびついているだけの、学術的、哲学的な知性と態度の欠けた人間であると思うからだ。

陰謀論脳の頭弱い奴は、水素水でも飲んでろ」と内心思ったが、

読書会ディベートとは違うから批判意見を言うとカドが立つ」という意見はわからなくはない。

批判されて読書会に来なくなるのも、不本意な事だと私も思う。まぁ、本を批判された程度で来なくなる、というのはそもそも向いてないのだともいえるけど。

しかし、私はこういう「ただのデマ」をニコニコ笑ってじっと聞いていられるほど大人ではない。

たとえば『水素水効用』なんて本をプレゼンされたら、即座に「水素水なんて飲んでるんですかぁ?H2OにHがつくとか中学化学やってないんですかぁ?」くらいの皮肉絶対言うだろう。

陰謀論疑似科学だけでない。百田尚樹小林よしりんみたいなネトウヨ丸出しの本(嫌いなので読んだことないからしらんけど)をプレゼンする人がいたら、「この程度の本に感化されてるんですかぁ?」と軽蔑した口調で揶揄してしまうに違いない。

そしてそれを口にだしたら、場を険悪なムードにした私が悪者扱いされるだろう。

とにかく私は、こういう類の本を薦めてくる人にげんなりするのだ。

今度もし、またこの陰謀論おっさんと同じグループになったら、また陰謀論トンデモ本を薦められその話を聞かなければならないと思うと、うんざりする。

そんなことを考えると、楽しみだった読書会の楽しみが半減した感じがする。

陰謀論おっさんは、水素水飲んで消滅してほしい。

あとついでに言っておくが、このおっさん朝鮮起源説よりナチス関係陰謀論がすきなので、チョンではないだろう。

からチョンが~とか意味不明かつ不快コメントをする奴が出ないように、あらかじめ言っておく。

2016-12-12

卒論

新規性とかオリジナリティとか、他学部の人はどうやって作ってるのかすごい気になる。

自分情報系だから新しい技術を取り入れるとかでわりとこじつけれるけど、文学部とかどうしてるんだろ?やり尽くされてるイメージが強い。

http://anond.hatelabo.jp/20161212030734

社会人はいいぞ

職を変えればリセット

まっとうな理由こじつけ転職さえできていればいいからな

 

ブラック研究室抜け出したときの爽快感と言ったらなかった

リーマンショックのどん底だったが心は晴れ晴れとしていた

 

何かが1年遅れることで非情ペナルティを受けるなんてこともない

ほいほい脱出できる

2016-12-08

夜は短し歩けよ乙女』が湯浅監督アニメ映画化されるかもしれない

ずいぶん前から森見登美彦原作の『夜は短し歩けよ乙女』がアニメ四畳半神話大系』と同じスタッフアニメ化される」という妄想をしてきたのだが、期待しすぎてなんでもこじつけるようになってしまったのか、今年に入ってから「これはフラグじゃないか」と思うようなことがたくさん起きている。

そして、つい最近になって、これはもう決まりでしょ、と勝手確信を持った出来事があった。

はいえただの妄想なのでここに記す。

まず前提として、2つの確定した事実がある。

1.湯浅政明監督現在小説原作とした劇場アニメ制作している。
2.イラストレーター中村佑介氏が関わっている劇場アニメーション企画存在する。


まず1について。

湯浅政明監督劇場アニメ制作するというのは2015年3月に開催された東京アニメアワードフェスティバル2015授賞式で発表されていたが、この時はフジテレビと共同で、伊東伸高氏と組んでオリジナル劇場アニメーションを作るという発表のみであった。

それから現在に至るまでその詳細は一切公式発表されていない。

おそらくノイタミナプロジェクトひとつであるので、虐殺器官などのあれこれで発表が遅れているのかもしれない。

湯浅政明×フジテレビ 劇場アニメ製作! ピンポンがアニメオブザイヤー受賞 - KAI-YOU.net

そして、今年、湯浅監督海外ファンからインタビューに対して非公式に答えたものの中に新作についての言及がある。

亜細亜堂さんやシンエイ動画さんで働いていた頃の事にコツコツ答えてみました。
どう訳されているか確認できていないのですが、興味あれば https://t.co/YgHUJXM5mN
日本語で答えましたhttps://t.co/jiAeY7czfM

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

https://twitter.com/masaakiyuasa/status/718438538878910464

小説原作にしたものと、ファミリー向けのオリジナル作品の2本の劇場作品制作しています

ここで初めて、彼が小説原作とした劇場作品制作であることが明らかとなった。

次に2について。

これについては一連の中村佑介氏のツイート引用する。(書き込み制限に引っかかるみたいなのでURLはh抜きで貼る)

今日も、とあるアニメ制作のためにキャラデザ文章台詞や行動)という骨格から人間の姿を想像し、形作っていく逆算は、たぶん身元不明白骨から粘土などで肉付けする警察の復顔法にかなり似てるんだと思う。ひたすら答えを探す。

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/692607721598640128

さて、引き続きアニメキャラクターデザイン映画監督に役に合いそうな色々なバリエーション俳優をお見せする芸能事務所マネージャーの気分でGO

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/693366584920813569

引き続きアニメキャラクターデザイン。これまでで最多の合計18キャラクターサイン会でたくさんの人に会えたので、それを活かし、あの頃より、幅広く、楽しい感じに仕上がってきてるのを実感する。詳細はたぶん春~夏頃には発表できそうです。

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/693597211490283521

アニメキャラクターデザイン、総勢20名、ようやく全部決まった。もう人間と向き合いたくない程、活き活きとしたバラエティ豊かな生命が刻めたと思います。発表されるのを楽しみに、あとはアニメスタッフの方達にバトンタッチ

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

https://twitter.com/kazekissa/status/695070587949944832

アニメに関しては、僕の口からはまだ何も言えないんだけど、皆が皆、納得するような人選とプロジェクトです。たぶん春~初夏くらいには発表されると思います。期待して待っていて下さい。

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/695071740892827648

アニメの進行は作品や規模、スタジオによってそれぞれなので、外部スタッフとしては何とも言えない部分も大きいのですが、たぶん夏か秋くらいには告知は発表されると思われます。楽しみにしていてください。

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/745110805151047681

そして僕は、こちらも皆様が待望であろう、更なるリメイクへ。年末情報公開予定の劇場アニメーション作品です。マスターピース、はじまってるで!!

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/803793469869146112

このツイートだが、これは今年アジカンアルバムソルファ』を再録して発売し中村氏ジャケットセルフリメイクしたという流れを受けてのツイートである

まり文脈に沿って考えると、以前彼が手掛けた作品を新たに描き直すのだろうととるのが自然だ。

既にキャラクターデザインは決まっているので、考えられるのはキービジュアル制作。つまり以前手掛けた小説の表紙を新たに描き直しているのではないか、と想像することができる。

来週くらいに、大きな大きな、発表があります

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/806004538129793024

お菓子はもう少しだけ先で、今回は劇場アニメのことです

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/806054755206209536

こちらも発表が遅れているようである

さて、ここで本題に入るが、私が『夜は短し~』のアニメ化確信を(勝手に)持ったのは上記の中村佑介氏の「来週に大きな発表がある」というツイートを見たのがきっかである

実は、来週の12月15日(木)にはノイタミナプロジェクト発表会2017が開催されるのである

湯浅監督制作中の劇場アニメはおそらくここで発表されるだろうし、中村佑介氏の関わる劇場アニメについての情報もおそらくここで発表されるのではないか

この2つが繋がったとき、私は確信を持ったわけなのである


実はこのほかにも思わせぶりなことが多くあるので、引用する。

今年の夏、湯浅監督はどうやら京都滞在していたらしく、『夜は短し~』の舞台となっている場所にも訪れている。

スタバに 来た

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

https://twitter.com/masaakiyuasa/status/761400635723948032

既に帰京

レブロンズかと思ってたら木製だった。あるときとない時あると思ったら、閉店の時外して取り込まれてるみたいで

隣のパン屋さん 初めてちゃんと見た

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/761565626628321280

インクライン琵琶湖からやってきた船を貨車に乗せて下の流れに運だり、運び上げたり。動力源はそこの発電所で賄い、疎水水路閣通って京都の町を流れてる。この時は工事中だったけど、本当だったら貨車の先の橋の下に水がたっぷり流れ込んでる

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/765044550196879360

再読

森見さんの作品文章面白さでサクサク読んじゃうんだけど、他の人から言われてテーマに気づく事多い。とても共感しま

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

https://twitter.com/masaakiyuasa/status/767005111910486016

明石さんの後ろ頭のところに中村さんの遊びがあって、、いいでしょ

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/767005832365998080

背景制作会社スタジオラグラスのツイートも興味深い。

湯浅監督劇場作品今日は3人の方と背景打ちをしました。1人は初対面の方だったのですが「四畳半神話大系」の大ファンで、DMでお手伝いをお願いしたら喜んで打ち合わせに来てくださいました(*^^*)Sさん、どうか宜しくお願い致しま

スタジオラグラス (@StudioLagurus)

https://twitter.com/StudioLagurus/status/775331001656496128

以前、弊社で求人募集をしていない時期に応募してきた子がいました。応募理由の一つに「四畳半神話大系が大好きだったから」でした(^^)この作品、いろんな縁を取り持ってくれています。今、その子湯浅さんの作品バリバリ描いてくれています!

スタジオラグラス (@StudioLagurus)

https://twitter.com/StudioLagurus/status/775347798791196672






というわけで、以上、妄想書き流し終わり。

2016-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20161202122831

ああ、自分の間違いに気づいても非を認めないで相手が間違ってるとこじつけてくるキチガイさんでしたか

これは失礼致しました!(ビシッ

[]

今回はガンガンオンライン

彩音お嬢様はサノバ○ッチにあらせられる 第6話

こじ付けギャグが凄まじい本作だが、今回は特に大盛りだったな。

「そんな都合よくいかねえだろ」のオンパレードで、しかテーマであるはずのボッチ関係ないトラブルばかり。

セリフの中では、「黙れ玄武!」がツボだったかな。

逆に「こじつけギャグ漫画からってこれは酷い」のと思ったのは「耳・エンド」かな。

モドキドモ #10

前回、六条が助けた女子主体エピソード

の子も実はモドキという設定でちゃんとテーマに絡めてくるし、前回の「なぜ授業中に」という不自然な状況へのアンサーにもなってるしと抜け目ない。

まあ、それはそれとしてチョロい子だ。

やり取りも、相手がそれぞれ都合よく解釈してくれる勘違いコメディだが、モドキという設定がちゃんと活きてている感じで良いね(まあ、もちろん強引さは多少あるけれども)。

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!108

それぞれの人格立場とかのフィルターを通して語られるので、他人人物評って大抵の場合どこかしらズレているんだよね。

でも、それが二人の異なる立場の人たちが語ることによって符合するという構図は楽しい

まあ、それよりも小宮山はっちゃけが強烈過ぎて、そういう構成の妙なんてどうでもよくなるが。

いや、ほんと弟くんの最終的な結論は正解だと思う。

2016-11-30

ディベート教育の先の課題

ちょい前の世代までは正当かを判断するのにデータを追わない人が多かった。

上の意見絶対専門家が言うから、偉い人が言うから権威主義万歳・・・とそんな空気

最近ではそれが少々改善し、ディベート教育を取り入れればさらに良くなるだろう。

 

しかし、ディベート的なやり方でも穴が存在する。

データを取れない議題なんてのは溢れている。

それに対し、無理やりこじつけデータをあてがい、正当だと思い込もうとする動きが加速するだろう。

データがないものは全て主観感想に過ぎないと扱う人間大量生産される。

よって、データを示したものが勝ち、正しい考えを持っていてもデータが取れない人間議論で敗北する。

 

この誤謬を防止するために必要になってくるのは想像力なのだが、これがない人間は本当に多い。

例えば、昔の医師でさえ自分が学んだことが全てであり、暫定的アレルゲンとなり得ないとされるものは疑わない姿勢を崩さない人がいた。

だが、研究が進むにつれ、かつての仮説は間違えであることがわかってくるのだ。

運の悪い患者は追加の診察をされることがなく、その医師恣意的な診断を信じることしかできないのである

様々な可能性を想像する力が必要なのにもかかわらず、それを受験で測ることは難しい。

 

断言するが、今後はデータが新たな権威となり、フォーマットを変えた権威主義人間再生産され、

しろ議論がしずらくなり、正しい答えを導くことはさらに困難になるだろう。

なるべくこのリスクを多くの人が把握することを望む。

2016-11-25

権太はなぜ二度死んだのか?~この世界の片隅に狸を見出す

先日「この世界の片隅に」の感想を書いたけど、その際引き合いに出した「平成狸合戦ぽんぽこ」について、

せっかくだから何となぁーく感じてたことをだらだら記してみるよ。

「この世界の片隅に」を観て、眠れる狸が目を覚ました

自分の書いたもので恐縮だけど、自分は「ぽんぽこ」のテーマは「(それでも)生きていく」だと思っている。

自分たちを取り巻く世界環境価値観社会文化)の変化の中で、人はどう生きていくのか、

またどう生きてきたのかを、狸に託して描いているのがあの映画だと考えてるよ。

学生運動とかの風刺ってのはその通りだと思うけど、少なくとも自分もっと普遍的ものを描いていると思う。)

自分たちを取り巻く世界の変化(この映画では迫りくるニュータウンの開発だけど)に対して、

狸たちはいろんな立場をとるんだけど、この映画場合はそれぞれ分かりやすく、

権太=世界の変化に抵抗する者。原理主義強硬派

化けられない狸=世界の変化についていけない、取り残される弱者

正吉(主人公)=世界の変化に(望む望まざるを問わず適応する、適応せざるを得ない者。

てな感じで描かれていると思う。

別にどれが良くてどれが悪いとかじゃなくて、それぞれが世界の変化に対して「(それでも)生きて」

いこうとした形の現れ方の違いなんだろう。(人間もそうじゃないすか?)

で、本題に戻るけど、映画で権太率いる強硬派機動隊ガチンコでやりあうわけ。

そしてそのやりあう場面の視点が変わり銃声がした後、画面が切り替わって、機動隊が狸の死骸を

山積みにする場面がくる。これ、映画の見せ方としては明らかに「死」を意味するもの

権太たちは確かにここで死んだはずなんだが・・・

しかし、狸の死骸はその後むくむくと動き出し、権太たちは復活して、最後に大きな首(釣瓶落とし)と

なって工事現場で再び暴れるのである。そして迫ってきたトラックの前に立ちふさがり、キッと睨みつけるのだが、

無惨やなそのまま轢き殺されるのだ。これで本当に死んじゃったわけ。

正直なんでわざわざ復活させてまた殺すのかよく分からなかった。

狸寝入り」の伏線を回収するためなのか、「特攻」のメタファーなのか…。

ただ、この映画を「自分たちを取り巻く世界の変化に対する云々」という視点で見れば、

きっとこんなじゃないかなぁ~と思うんだけど、つまりあれはもう互いに相容れない世界同士のぶつかり合い、

原理主義同士の争いってなわけ。そういうものはどっちかが滅ぶまで戦い続けます

それまでの狸vs人間の戦いは、狸が化かして人間が驚くって構図だったんだけど、

狸と人間対立していても、狸も人間も化け物は「怖いもの、驚くもの」という価値観を共有してたわけ。

対立はしてるけど共有もしている、ある意味矛盾を抱えながらバランスとってた関係

機動隊との戦いはまだその段階だったってこと。

でも、最後トラックは、あれは価値観の共有ができない完全に対立した存在

から、化け物をみても怖いという反応がない。今までだったらトラック側が「うわぁーー」とか言って

ハンドルを切っちゃうんだけど、こいつはそのまま突っ込んじゃう。

そして権太はこの相容れない存在同士の文字通りの死闘に破れ、本当の死を向かえることになる。

って考えてます。もちろんこじつけもいいとこなんだけど。

でも、これは映画の話だけど、同じような構図は、グローバル化だとか移民だとか領土争いだとか格差社会だとか、

まさに今の世の中のいろんなものに当てはまるんじゃないかなぁ~。

凄まじい勢いで身の回り世界が変化していって、いたるところで侵食や衝突が起きている。

そんな中で自分たちはどう生きていくかってことを、実は無意識にみんな不安に思ってるんじゃない?

そして、かつて戦争という、それこそ圧倒的に自分たち支配し大きな変化を強いてきた存在があった。

そんな時代に「(それでも)生きて」いた人たちがいた。

この世界の片隅に」を観て、なんかよく分からないけど心にグッと来るものがあるのは、そんな無意識に訴えかける何かがあるからじゃないか

から、「この世界の片隅に」をたくさんの人が求めているんじゃないか

2016-11-14

若者活字離れ」とは、、。大学の先輩のFBを見て思ったこと

今日先輩のFBを見ていて思ったことをつらつら述べてみようと思う。彼女曰く「〇〇という本屋が閉店となってしまうそうです。活字離れ問題で、出版界はかなり厳しい状況下に置かれているそうです。だから云々」という部分に関して少し違和感を覚えたのである。例えば、この部分「活字離れ問題とされていて、出版業界はかなり厳しい状況下に置かれている」という部分。まずは「活字離れ」というのは何のことを表すのだろうか?もしそのままの意味で受け取るならば、「活字離れ」というのは「文字離れ」のことを意味するのでは、と考え少し調べてみると「活字」に関する明確な基準は無く曖昧定義であった。このままでは話にならないので、「活字離れイコール文字離れ」と仮定する。そうすると、あら不思議、「活字離れ」と言うのは実におかし言葉だとわかるのである。例えば、僕らが日頃から接しているツイッターFB,ネット記事に至るまで、すべてが文字情報で、みんながつかう「LINE」だろうと、僕らの周りをとりまくすべての情報文字でまみれているのである。そう考えると、「活字離れ」「文字離れ」なんてもの存在しないのではと思ってしまうのである

また、彼女の話の中で、「活字離れ」が問題とされていて、出版業界がかなり厳しい状況に置かれている、と書いているがこれはとんでもない事実誤認であることがわかる。何故かと言うと、出版業界を衰退にみちびくのは「読書離れ」であり、「活字離れ」では決してないのである。おそらく出版業界が倒れそうになっているのは、昔からある出版業界の古き因習によるものであると推測しているが、この話をすると長くなりそうなので止めておくことにする。そこで、今回の本題に入ると、「若者活字離れ」が叫ばれている中で、それに反論するような形になるが、おそらくこの「若者活字離れ」は勝手に頭のわるいおっさんどもがこじつけでやっているに過ぎないと思っている。しかし、そこに関して堀さげることに意味があるとおもうのでやっていようとおもう。彼らが、「若者活字離れ」を叫ぶことによって、我々若者に求めていることとしては、「本という紙の媒体を見る」という行為を我々若者に強いたいのである。ではなぜそれを強いたいのか。それは次回のお楽しみである

2016-10-20

駅乃みちかを叩いてる連中は自身が撒き散らしてる萌えフォビアに気づけ

連中がやってるのは自分が気に入らない表現をただ叩いているだけでそこに正義などありはしない。なのに社会一般から見てこれは公共の場で許されない表現! などと理屈として成立しないこじつけをしながら叩くから反発が大きくなる。

ただ単にお前が気に入らない表現というだけだろ。なぜ素直にそう言えない?

もちろん理由は単純。理屈をつけないと広く支持を集められないと思い込んでるからだ。ただのこじつけにすぎないから支持など元より集められないのに近視眼的になっているからそんなことも理解できず理屈にならない理屈をこねる。

萌え絵化された駅乃みちか一般人が見てヨガり顔だと思うだろうか。ブレザーを着てるにもかかわらずおっぱいデカいと思うだろうか。スカートが透けてると思うだろうか。

答えは何とも思わない。

そう読み解く目がないし、そもそもそんな細かいところまで見ていない。

なのに一部クレーマーメトロに凸って表現を変えさせる。自分が気に入らないことを公共ふさわしくないと言い換えて。

1950年代には悪書追放運動が沸き起こり、マンガが叩かれた。

明治時代には夏目漱石が、小説が叩かれた。

ミケランジェロの『最後の審判』も死後、局部が隠された。

一部クレーマー自分理解できないもの、嫌いなもの社会のためと言いながら徹底的に攻撃する。そこにはあるのは自分嫌悪するもの社会から消し去りたいという下卑た欲望だ。

叩くことそのもの目的から「美おっぱいグランプリ」を擁護しながら駅乃みちかを叩くという無理筋なことさえしてしまう。

クレーマーは「美おっぱいグランプリ」が「女性目線」だからセーフという。おっぱいエロへの批判からセーフという。女体に関して、女が自ら主導権を握っていればセーフという。

ではなぜ主催者新聞社を集めて撮影会などしたのか。写真が表に出れば男性視線を向けられることは避けられない。女性女性のために自らのおっぱいを誇るだけであれば報道写真もいらないだろう。むしろ報道によって写真が表に出ればそういったコンテクストは失われ、おっぱいは性消費物に堕する、と思うのだがそういった批判フェミニストからなぜか聞こえてこない。むしろ駅乃みちかダメ理由として引き合いに出される始末だ。

「美おっぱいグランプリ」をエロ目線で見る男が悪いということか?

駅乃みちかエロとして扱うフェミニストと何が違う。

駅乃みちかセクハラ公共の場所にふさわしくないという。

「美おっぱいグランプリ」がニュースサイトで報じられることは男性に対するセクハラだと考えたことはないのか?

あるいは「Fカップマギーが思わずさわり 」という見出しになぜ怒らないのか。これは純然たるセクハラではないのか?

しかフェミニスト駅乃みちかを叩いて「美おっぱいグランプリ」にまつわるエトセトラは叩かない。

そこにあるのはけっきょく女性尊厳を守りたいといったことではなくただの萌えフォビアである

萌え絵からは、やはり、性的欲望の発露を感じる。

それも、現実の3次元女性への性的関心と異なる、少し歪んだ欲望

内向的で、未成熟人間の、現実逃避的な、性的欲望に思える。

http://togetter.com/li/1038572

となどと

前ツイに「カチン」とくる人はいるでしょうから以下、理由

次元水着女性グラビア欲情するのは、普通のスケべな性欲だと思うけど、

萌え絵オタク欲望に応じて、オタク理想通りに作り上げられた、非現実女性から

オタク差別ではありません。

http://togetter.com/li/1038572

差別でないといえば差別でなくなるわけではないと萌えフォビアを撒き散らしてる連中はいい加減理解すべきだろう。

2016-10-07

一部のスタ勢が無理


あんガルリニューアルされた。こっちは3年間ひたすら好きな子や他の子も愛して細々楽しんで、そんで待ちに待ったリニューアル

それを台無しにしてきたのが一部のスタユーザー

うるっせえなうしおの口癖は「ぷか」じゃなくて「なの」だ、ちゃんと調べてから言えよ。兄貴外国にいるって言われてんだろが

それを調べもゲームプレイもせず、自分ジャンルキャラこじつけキャラageしようとしやがって

こっちが大切にしてきたキャラたちはお前らスタのキャラにとって都合のいい駒じゃねえんだよ 引っ込んでろ

クロスオーバーといえばるかもだ。ルカたんじゃねえし一人称は「私」でもない。

知りもせずキメラ改造してレオの引き立て役にしてんじゃねえよ

おまけに旧アプリの時るか掲示板で散々スタの話して荒らして帰った挙句ガル勢は過激派が多いから無理~><って脳みそ半分ねえのかよ原因お前らだよもっかい行動見直せ

るかが悪いわけではないし人気が一定数あるのも事実だが、スタ勢がとりあえずの姿勢で入れた票のせいで投票イベ狂わせやがって

今回のリニュでも予想通り「ガルはスタと似すぎ」だの「スタの方がいい」だの好き勝手言いやがって、ガキか?

なんでお前らスタ勢の「スタ最高」って気持ちを満たす道具にされなきゃなんねえんだ

こっちだって女の子たちを楽しんでたところに男どもとの関係性仄めかされてファンに荒らされて迷惑してんだよ、被害者面してんじゃねえ

2016-10-01

安倍首相所信表明演説での拍手の件は安保法の時と状況がそっくり

批判側は、手続きルール憲法との兼ね合いや三権分立原則にのっとっていないことや、

右傾化する空気危機感を感じて「それはまずいだろう」と言うが、

政策として何かを打ち出しているわけではないので共感が得られない。

安倍自民側は、大義国際貢献仕事への敬意)を主張し、

同時に野党の行動をこじつけで叩く。(拍手鳩山もやってた、自分たちプラカード出してたのにプラカードを叩くなど)

上記のとおり問題はあるが政策を打ち出しており、また自分より下の存在を見下して気持ちよくなりたい庶民から共感も得られる。

ああ美しい国ニッポン

2016-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20160924210424

まり被差別時の議論においてはしゃべっていいってことねOKOK

そこはいいよ。しゃべってもいい。他者の喋りを止めるような発言はするなとだけ言ってるだけだもん。

その代表格がトラバトップ議論停止語だ

被差別者を見て不快になるクズバカが黙れと言いたいがためにこじつけすぎ。

から黙れとは言ってない。喋っていいぞ。中身のあることをいっぱい喋れ

うんだからこういうこと言うバカって当事者意識もないくせに差別が悪いなんてみんなわかってるというエクスキューズさえすれば自分不快になる言い方をたしなめる権利がある~でも明日には忘れるけど~というだけのクズだと散々言ってきたけど一ミリも人の話を聞いていないわけだよね

不快になる言い方はすべての人がたしなめる権利があるだろ

お前も俺の発言の内容が不快からこうやって反論してるんだろ?

それに対して黙れなんて俺一言も言ってないじゃん。むしろ正面から相手してるだろ

うんだから百万回言ってるよね事実性がどうかという検討がやりたいなら一人でやってろよ

一人でやってろなんて話はこのツリー一言も言ってなかったろ。

こんな風に「勝手にやってろ、俺は関与しない」っていうスタンスなら俺は歓迎だよ

差別関係する話題で指摘やら検証が入って不快だと思った場合、やるべきことは議論停止語で話題を阻害するんじゃなくてその場から立ち去ることなんだ

Web上の話って物理的な場所がないんだからいくらでもクラスタ化できるだろ。それを利用すればいい

そりゃあそういう議論ではマジョリティ様が勝つよね、ネット上の議論でもだいたいが自分にとって心地良い意見が出た時点でそれを結論とするクズばかりなのだから

多分お前に問題あるとすると議論は何かの勝ち負けだと思ってる点だわ。「マジョリティ様が勝つよね」これ。

目的勝負じゃないんだよ。そこから何かの知見を得ることだ。

2016-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20160923215453

然るべきときに然るべきことだけ喋ればいい。

ダメコイツ脳味噌腐ってて話にならない。

まり被差別時の議論においてはしゃべっていいってことねOKOK

いつでもどこでも「キズを晒すことを許せ」と言うようになるのは、人間差別者被差別者しか二分できないという思想から出ている

はいバカ特定のキズを晒したからといって別のキズは論点になってないから。

被差別者を見て不快になるクズバカが黙れと言いたいがためにこじつけすぎ。

差別を受けていると称している人間の中にも口が悪い奴がいたら、差別別にして口の悪さをを指摘する必要があるだろ?その他にも色々あるはずだ

うんだからこういうこと言うバカって当事者意識もないくせに差別が悪いなんてみんなわかってるというエクスキューズさえすれば自分不快になる言い方をたしなめる権利がある~でも明日には忘れるけど~というだけのクズだと散々言ってきたけど一ミリも人の話を聞いていないわけだよね

そんなバカ自分の話を受け入れてほしいとか言ってもあー馬鹿すぎてそりゃあ誰も話し聞かなくなるわなぁという感想しか湧かないわ

差別以外に本人の人格が原因で所々の問題が生じていると疑わしい場合、それを指摘するのは悪手か?

本人の自己申告だけでは差別がそもそも生じているかどうか疑わしい場合、それを検証するのは悪手か?

こういった場合でもとにかく「被差別者だ」と言う人間意見を丸呑みしろと?

うんだから百万回言ってるよね事実性がどうかという検討がやりたいなら一人でやってろよ

キズを負わせるリスク無視して爆弾投げ込んでからあれは間違いでしたすいませんでも差別ダメってエクスキューズたからいいよね!というスタンスゴミクズが人様と話そうとするなひとりきりで部屋の片隅で日光だけ浴びて24時間過ごしてろ

おまえの開示には付き合わないがオレの自称有益情報議論には付き合え、あぁおまえの被差別性には興味ないし明日には忘れるけどなというスタンス他人から受け入れてもらえるとか想像力がなさすぎ

当事者を置き去りにして当事者感覚のない議論したつもりの自己満オナニーに黙って付き合え!!ってことなんだよなぁ

そりゃあそういう議論ではマジョリティ様が勝つよね、ネット上の議論でもだいたいが自分にとって心地良い意見が出た時点でそれを結論とするクズばかりなのだから

それ故にポリティカル・コレクトネスが求められているのに部外者でありながら不快を感じたくないマジョリティ様がワーワー騒ぎすぎ

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