2016-11-30

ディベート教育の先の課題

ちょい前の世代までは正当かを判断するのにデータを追わない人が多かった。

上の意見絶対専門家が言うから、偉い人が言うから権威主義万歳・・・とそんな空気

最近ではそれが少々改善し、ディベート教育を取り入れればさらに良くなるだろう。

 

しかし、ディベート的なやり方でも穴が存在する。

データを取れない議題なんてのは溢れている。

それに対し、無理やりこじつけデータをあてがい、正当だと思い込もうとする動きが加速するだろう。

データがないものは全て主観感想に過ぎないと扱う人間大量生産される。

よって、データを示したものが勝ち、正しい考えを持っていてもデータが取れない人間議論で敗北する。

 

この誤謬を防止するために必要になってくるのは想像力なのだが、これがない人間は本当に多い。

例えば、昔の医師でさえ自分が学んだことが全てであり、暫定的アレルゲンとなり得ないとされるものは疑わない姿勢を崩さない人がいた。

だが、研究が進むにつれ、かつての仮説は間違えであることがわかってくるのだ。

運の悪い患者は追加の診察をされることがなく、その医師恣意的な診断を信じることしかできないのである

様々な可能性を想像する力が必要なのにもかかわらず、それを受験で測ることは難しい。

 

断言するが、今後はデータが新たな権威となり、フォーマットを変えた権威主義人間再生産され、

しろ議論がしずらくなり、正しい答えを導くことはさらに困難になるだろう。

なるべくこのリスクを多くの人が把握することを望む。

  • 競技ディベートやったことないけど、基本的に立場を変えても勝てることもルールの一種としてるから、 捏造ではないにしろ意図的なデータを持ち出して牽強付会する人は多くなるんじ...

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