はてなキーワード: こじつけとは
ナコルルは明和八年生まれ*2。一方、昭和八年といえばアイヌの解放運動家であり、著名なアイヌ文化の継承者である宇梶静江が生まれた年です。宇梶の詩作にはアイヌとしての誇りと、アイヌ差別による激しい迫害の痛みが色濃く滲んでいます。
くたびれはてこはナコルルの誕生年である"明和"を架空の元号だと誤解していました。
どうやらそのせいで、「ナコルルは明和8年生まれ?」→「昭和8年のことか?」→「宇梶静江が生まれた年だぞ!」という連想をしてしまったみたいです。
しかし、もし明和が架空の元号だったと仮定して、こういう連想ができる理由が分かりません。ナコルルと宇梶静江を結ぶものが何かあるのですか。私はサムライスピリッツに詳しくないから知っている人がいたら教えてください。
もしかして、本当にもしかしてですけど、「明和」と「昭和」は漢字の形が似ているというだけの理由でしょうか。そうだとすれば、これはまるで陰謀論者のたわごと、統合失調症の妄想と同じレベルです。こじつけには狂気じみたものを感じます。
少なくとも、
は無い。
そもそも、まとめかたとして両者は全然違うでしょう。
物語のパターンの類型手法と、雑誌の常連バンドの総称なんだから。
単に元増田が10代の頃に聞いてた、思い入れが強いバンドに対してセカイ系の枠組みをこじつけているだけ。
実際、アジカンの後藤の日記によれば「誤読」であり、「セカイ系ちゃうわ」なわけだ。
ただの気のせい。運動と睡眠と瞑想と野菜が足りない。お大事に。
どうして、共通点があるように感じたのだろう?
結論を先に述べる。
セカイ系作品とロキノン系楽曲が共有する(と00年代に青春を過ごした者が錯覚する)感覚とは、
受け手側が感じている社会に対する抑圧的心理が、作者が提供する物語によって変化すると"信じる"感覚のことである。
「色々うまくいかないけど、アニメや音楽聞いてればなんか元気になる。そう思わないとやってらんねー。」
といった、「おさかな天国」的世界を信じることで救われようとする試みに近い。
だが、私はめんどくさくなってしまった。
この先、村上春樹的な「物語」の作用を用いて、主張を補強したかった、すなわち
「物語」には、「こちら側」と「あちら側」を越えさせる力がある、
とか、
「あちら側」とは、人間の内的世界や「井戸の底」のようなものであり、そこでは現実には起こり得ないことが起こる。
とか、
我々は「物語」というメタファーを通じて「あちら側」を経験することによって、「物語」の前後で異なる組成の人間になり得る。
とか、
そもそも、セカイ系っぽい歌詞のロキノン系において、「君」と「僕」というのは単なる主語であり、ロキノン系の歌詞では、「君」が「僕の認識・世界観」を救う構図(あるいはその逆)こそあるものの、
セカイ系サブカルチャーにおける「世界=社会の終わり」に該当するものは描写されない。
とか、
しかし、セカイ系とロキノン系はともに「物語」を通じて、「こちら側」と「あちら側」をつなげるという点において共通する感覚(≠メッセージ性)を持っており、
よりメタ的には「物語を信じる」ことによって感覚を共有している。
とか、
「信じる」とは「鬱屈、焦燥感、閉塞感」を「なんとなく」感じることによって選択される行動である。ゆえに、「退廃的な感じ」がする。
とか、
この、午前4時過ぎに「ちょっとラーメン食べにいかねえ?」とラインを飛ばしてくる留年した大学生っぽい文章から察するに、
いかにそれっぽい評論家気取り文章を読んだところで、「ありがとう、でもなんか違うんだよねーw」などと言いそうな気がしてきたので、めんどくさくなった。
っていうか、それっぽい記述をやたらと長い一文で書いているだけにしか見えなくなって、めんどくさくなった。
http://anond.hatelabo.jp/20160913002213
お前こそ広告屋の側になって考えてみろよ。
オリンピックの後に開催している現在においてパラリンピックに割く時間なんて大して設けられて無えだろ。義務じゃねえんだから広告屋はただ広告効果の有る媒体に乗っかるだけだよ。商売なんだから当たり前だろ。
もしも仮に「前座で盛り上がる」が現実になるのだとしたらそこに広告屋も乗っかってくるだろ
http://anond.hatelabo.jp/20160913144417
貴様は前に開催したら「前座」!!!後に開催したら「取って付けた偽善イベント」!!!とか適当な理由こじつけて感動ポルノだって否定するんだろ!!!感動ポルノって言葉使って貶したいだけだろ!!!脳に障害でもあるんじゃねえのか!?
つい二週間ほど前、アイナナのパクリ疑惑のカード比較画像がTwitterで回ってきました。
私はラレ元と言われているアイマスが好きです。765とミリオンを中心にシンデレラもSideMもDSも全部大好きです。
そんな私がその画像を拝見しました。こじつけなんじゃないか、というかこじつけだと思いたいカードも多少ありましたが、あまりにも似た構図が多くて泣きたくなりました。
同じアイドルもので、大量のカード(絵)があるんだから少しくらい被ってもおかしくない、そう思いたかったのですが
アイナナはサービス開始から一年で、数十枚も構図被りやトレス疑惑が出ていて。
一年で数十枚はさすがに“偶然”だとは思えません。
私が好きなミリオンライブはマイク持ちのカードだけでも200枚近くあります。それでもちゃんと描き分けされています。
アイドル一人一人のための、個性が引き立つような、新たな一面が見られるような、素敵な構図や表情なんです。
だからこそ、大事なカードをパクられたという疑惑が出た事がなによりも悲しいのです。
きっとIDOLiSH7のアイドルに合う表情も構図もあると思います。だからこそせめてカード差し替えをして欲しいのですが…
※前提として私はアイナナファンです。ついでにうたプリファンでもあります。
あとすごく長いです。
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ここ何日か主にTwitterでアイドリッシュセブン(以下アイナナ)について色々起きています。
私個人としては一言で言うと「 ('A`)メンドクセ」な気分です。
まあそれは別として、騒がれ始めてから「愚痴垢」「問題提起垢」というようなTwitterアカウントが見られるようになりました。
それらを作った人は「元ファン」だったり「ラレとされるもののファン」だったり色々です。
最初の方こそ、「このカードのポーズや構図はおかしくないか?」「キャラの設定・デザインのかぶりはどうなのか」などの意見が多かったですが、だんだんおかしくなっていきました。
こじつけとも言える重なり判定、こちらでは知りえないことをあたかも事実であるかのように拡散する…
そしてとうとうその「おかしさ」はファンに向けられるようになりました。
「アイナナという作品を好きであるということは悪」という文言を正義に「ただ楽しんでいるファン」を攻撃するようになりました。
些細なことを大げさにとらえて晒す、レイヤーさんだったら容姿を貶す、反論されれば「アイナナが好きなことが悪い」。
これ、ただのいじめではありませんか?
そんな様子を見ていて、とある声優さんのことを思い出しました。
寺島拓篤さんです。
寺島さんは2010年にXbox360用ソフト「THE IDOLM@STER 2」に「天ヶ瀬冬馬」役として出演する事が決まった時、アイマス界隈は荒れました。荒れたところがお葬式でした。
寺島さん自体はラジオ出演時に謙虚(こうなるのもおかしいのですが)だったこともあり、どちらかというと同情的に思われていましたが冬馬をはじめとするジュピターのメンバーは散々に叩かれました。
「ジュピター コラ」と検索するとわかるかもしれませんが酷い画像が溢れ、「男なんていらない」と言われ…
寺島さんが「魅力を最大限引き出せるように気を配った」冬馬は傷付けられました。
すべては「大好きなアイマスを、アイドルを守る」といった間違った正義の犠牲になったのです。
http://blog.livedoor.jp/terashimatakuma/archives/1532466.html
寺島さんの発表当時のブログです。ものすごく言葉を選んで書いています。
時が経ち、ジュピターたちは思われていたようなキャラクターではなかったことと曲の高評価もありかつてのファンたちも受け入れ(去った人も少なくないでしょうが。これとは別の問題も合ったので)、アニメから現在はSideMで活躍しています。
そしてもう一つ。2012年にあった「ココロコネクトドッキリ企画炎上騒動」。
ココロコネクトドッキリ企画炎上騒動 - http://dic.nicovideo.jp/id/4954228
経緯は長いので上のページを参照してほしいのですが簡単にいうと声優・市来光弘さんへのドッキリ企画を発端とした炎上騒動です。
この騒動で一番に叩かれたのは企画者であるプロデューサーでしたが、同じように批判の矢面に立たされたのは寺島さんでした。
市来さんと仲が良かったこと、ドッキリ映像のナレーションやラジオのパーソナリティーを務めていたことで一番目立つポジションにいたことが原因かと思われます。
今は消されていますが、まとめWikiにプロデューサーと同じようにページを作られ今回の騒動とはまったく関係のない言動が取り上げられてそれすらも炎上のネタとされました。
「好きだったのに失望した」「もう作品も見ないし買わないしラジオも聴きません」寺島さんに対してこんな意見が沢山見られました。
後に公式や声優さんたちがコメントしたことで次第に収束していきましたが、今現在でも「イジメコネクト」などと言って話題にする人がいるなど決して綺麗には終わりませんでした。
長々と書いていきましたが、この2つの騒動今回のアイナナの件に似ていませんか?
人が「正義」を武器に徹底的に叩く。泣いたって怒ったって知らない。だってこっちは正義だから。
失望したり、嫌いになったりしても構いません。それを思うのは自由です。誰も止めません。
私だって嫌いなものたくさんあります。それでもそれを誰かに強要したり、そうでない人を攻撃しません。
普通の人はみんなそうだと思いたいです。
間違った正義を手に叩いている人。今一度考えてみてくれませんか。本当に自分がやっていることは正しいのかと。
中の人を盾にするのかと言われそうですが、寺島さんはきっとあなたたちみたいな人を許しませんよ。
かつて自分を傷付けた人たちに似ているを大事に思ってくれると思いますか。
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思うがままに書いてしまったので誤字や表現に変なところがあるかもしれませんが、あえて推敲せずに載せます。
私から公式に望むのは「お騒がせしてしまって申し訳ありません」くらいの言葉です。
これからもアイナナを愛していきたいです。
http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1397556
デポのHPに具体的な対応が掲載されましが、上層部は問題の本質が見えていないようです。
①運用方法の問題ではなく、会員サービスの高額な解約金の問題です。
②現場の配慮の問題ではなく、上層部の倫理の問題です。
運用や解釈が間違ったのではなく、教えが間違いなのです。— 灰色のデポの その中の体温の (@haiironotaion) 2016年8月25日
デポでは解約をSK(将来解除)という。
意味=当店の素晴らしいサービスを解約することは、客の将来に不便をもたらす。
少額の会員サービスを契約させると、「そんなサービスだと、お客様困るよね?」
いい加減自分たちの都合の良い言葉に置き換え、詐欺的な方法を正当化することをやめろ。— 灰色のデポの その中の体温の (@haiironotaion) 2016年8月25日
デポ脳と正常な人の変換の違い。
◆過剰なサービスの解約
正常脳=やめてよかったね。
デポ脳=大変、今後お客様が困っちゃう。
これは、大抵の客は何かしら困っているというこじつけ。
お客様は、今困っていなくてもこれから困るかもしれない。
いや、困っていることに気付いてないんだ!— 灰色のデポの その中の体温の (@haiironotaion) 2016年8月26日
本当にアホしかいないの?わざとなの?見えているのに見ていないふりをしているの?— なか (@Wolfram23_bot) 2016年8月25日
企画の見直しレベルの対策とらないと①は解決しないし誰も納得しないのでは?そして、②について本気出して考えてくれないと、「従業員の暴走」が止まらないのでは?— なか (@Wolfram23_bot) 2016年8月25日
デポの女子会については僕も聞いてたけど実在したんだなー。あまりにも気持ち悪い話だから聞いたときは信じられなかった。— なか (@Wolfram23_bot) 2016年8月27日
本当に群体化・有翼化が危険視されるなら真っ先に考案されるのは誘導兵器と空爆を繰り返すことだろ。
航空機が迎撃されても無人機を最初に迎撃させて加熱させれば被害は抑えられる。
核を使ったらどうやっても核汚染が引き起こされるし何より歴史に汚点が付く。
どれだけ巨大な災害が現れたとしても国に対して核使用をあんな簡単にスイスイ決まる方が考えられない。
どんな指揮官でもというかリアルな指揮官であればあるほど通常兵器での攻撃で済ませるための作戦を必至に立案する。
そもそもゴジラに関して言えば日本しか被害にあってない状況で核使用が国連で通るのがまずフィクションなんだが。
通常兵器で効果が見込めたらあとは物量作戦というのはリアルであるならばどんな状況においても基本的な戦術・戦略。
それを刺激したら群体化・有翼化の可能性あるって言うが休眠中がまさにその群体化・有翼化進化のための準備期間だったらどうするんだよって話。
作中で一度ゴジラは体長をサイズアップするためと冷却機能向上のために海中で数日間帰っていった。
つまりゴジラが進化が早いと言っても大規模な進化をするにはそれだけの時間を有するということ。
尻尾に人間の体が出てきたのも休眠中群体化の準備をしていた可能性が大きい。
冷却のためだけなら致命傷を与えかねない外敵のいる地上で休眠状態に入る必要は全くない。
また海中に変えればいいだけだから。
以上のように例え群体化・有翼化したとしても取るべき戦術は物量作戦での熱暴走って変わらんのよね。
ゴジラ自体がそれに対しての答えを用意できなかったから群体化に切り替えようとしたんだろうけど
まさにそのための準備期間が休眠中だったわけ。
休眠してる間に新たな進化準備をしていた、という推察を一度大きな進化して帰ってきたゴジラという前例があるのに
誰も話の都合で推察しなかったのが子供だまし。
物量作戦を否定してヤシオリに話を持って行かせたいだけのこじつけでしかない。
じゃないと話つまらないもんな。日本主導じゃなくなるからニホンVSゴジラじゃなくなるし。
何度もいうけど進化の危険があるなら進化するためだけの時間をゴジラに与える方が愚策だし
その対処に日本しかまだ被害にあってないのにいきなり色々ぶっとばして核使用はご都合すぎる。
休眠に入ったから調査云々も、アメリカの空爆機が迎撃されてそのまま何も米軍が手を出さないのもフィクション。
攻撃中に攻撃対象の動きが止まったら普通作戦中なら総攻撃する。
元々空爆によって東京に被害出ることは織り込み済みだから止める意味もない。
レーザー撃ったからびっくりしてやめた、とか子供だまし、本当に子ども感覚。
角度変えて作戦続行する。
シン・ゴジラの作戦名どっかできいたことあるけどなんだっけとおもって、でもしらべるのめんどうで放置していたら、ちょうど今読んでいる本で、その由来を確認して、もーそっから色々妄想がとまらなくなり、深読みをしたくなりまくってしまったので書きます。途中までは、あんのさんのゴジラの作戦名とかに仕込んだ神話ネタの説明。途中からはちまたにあふれるエヴァの超解読本ぐらい怪しい俺の推測。でもまあこういうの含めて盛り上がるのがあんのさくひんだよなとおもうので様式美としてひさしぶりに長文かきます。結論だけかくと、一見くそつまらない勧善懲悪にみえるのだけど、今回もちゃんとあんのさんてきひねくれた映画だったのだろうということです
まずシン・ゴジラ、構造として、わりと愚直なまでにスサノオのヤマタノオロチ退治の神話をなぞっています。誰でも気づくのが、ヤシオリ作戦はヤマタノオロチに眠らせるために飲ませる酒の名前、はしご車の名前であるアマノハバキリはスサノオが使った剣の名前ってとこです。この2つで明確にヤマタノオロチ神話をなぞっていることを示しています。
ということはゴジラはヤマタノオロチということになるわけですかね。ゴジラは原作では恐竜のミュータント、つまり龍です。龍と蛇は限りなく近く、概ね同じ存在と見なしていいと思うのでヤマタノオロチ=龍=ゴジラってことでもいいのだけど、やはり微妙に異なる。今作では幼体の姿で4つんばいの状態を見せているところからも蛇としてのゴジラというのも意識させている気がします。尻尾が長いのもその象徴かなと。後常に状況に応じて進化するのは蛇の脱皮をイメージさせる。だから今作のゴジラはより蛇であり、ヤマタノオロチに近い存在であるとは思います。
そうなると、矢口はスサノオなのか。スサノオの神話は基本構造は貴種流離譚、つまりアマテラスの弟という高貴な血筋をもつものが、本人のか何らかの欠損を理由に追放され試練を乗り越える。矢口は親が力を持った政治家であることが示唆されている。しかし本人の性格は、権威に頼らず上との衝突を辞さず、どちらかというとうとまれる存在。結果、メインストリームから外された専門家集団の責任者になるなどする。まあありがちな設定だが、違和感があるのは親が政治家である設定だ。この流れならはじめからたたき上げの能力戦いがコミュニケーション力低いオタク的性格の主人公でもよかったはずだが(実際アニメだと死ぬほどよくある)、そうしなかったのはスサノオを重ね合わせるための設定かなと思いました。
牧教授の奥さんが、放射能が原因でなくなっているというのは、ヤマタノオロチがこれまですでに八人の乙女を食らってきたという部分に重なる。放射能の象徴がゴジラでもあるからだ。そしてまたヤマタノオロチが暴れ狂うのだと、旅先で出会ったアシナズチという老人はスサノオに告げるのだ。アシナズチは牧教授なのでしょう。もう少し妄想を広げるならクシナダ姫は、日本(出雲に近い広島)の血を引き、過去親族が放射能というヤマタノオロチの被害をうけ、同時に高貴な一族の出(パターソンという名前は、貴族の血筋)であるカヨコかなと。クシナダ姫なら、今回のゴジラに殺されそうになだてるのかというと、そうでもないのがこの説の弱いとこですが、アメリカから核爆弾が落ちるときに、ぎりぎりまで日本にいる選択をしたところで、ゴジラではないが同じ放射能的存在の核爆弾の被害をうけ兼ねないという意味ではまあそういってもいいかなと。
後半になればなるほど、若干強引な結びつけにはなってますが、作戦名ひとつで、まあヤマタノオロチ退治の物語にかけているというのはある程度明らかなのだろうと思います。それはあんのさんがよくやるゲンガクテキになんとなく、物語に深みがあるようにみせかけるためにやっているのかというと、もしかしたらそうじゃないのかなとか思います。ここからは、さらにさらにこじつけになっていく部分が大きくなりますがご容赦ください。妄想です。
まず、事前説明として日本における蛇信仰について説明。蛇は、最も古い信仰だと1 外形が男根相似 2 脱皮による生命の更新 3 一撃にして敵を倒す毒の強さという特徴から世界各地で祖神として崇められていました。時代が移ると、蛇は稲にとって害獣である鼠を食べる特徴から農耕の神という属性が強まったこと、また蛇を邪とし龍を崇める信仰が流れてきたことから祖先神の側面はうすくなり農耕の神の側面がつよくなったのです。
オロチとは、そのまま蛇という意味もありますが、峰の神、山の神という意味もあり、かなり古い蛇信仰の対象といえる名前です。それがまず害をなす存在として描かれる。助けを求め最後に勝つの側のアシナズチという老人はテナズチという配偶者がいます。その足がない、手がない神という名前から彼ら自身も蛇の化身と考えられる。その娘がクシナダ姫。奇稲田の姫と書き、農耕の神を意味し蛇の神の子供であるから、彼女も蛇の神。善とみなされるのは農耕の蛇の神なのです。農耕は中央集権的定住型の社会の象徴、それより古い祖先神は、集権化される前の氏族的共同体の象徴ともいえます。この国は、かつて様々な小さい国が、自分たちの祖先神をもち、乱立し互いに牽制し互酬しあう仕組みでした。稲の神である天皇による大和の支配が確立し日本という形がつくられるようになりました。
つまり、ヤマタノオロチ退治の話は、農耕の神としての現体制の蛇神が高貴な新しい王族の血を引くものといっしょに、出雲を中心とした旧支配者としての蛇を倒す話ともよめます。
今回のゴジラを投影しているのがヤマタノオロチだとすると、それは眠っていた古い戦いの神、すなわち現体制にとっては無秩序をもたらすものなどのイメージを仮託してるのではないでしょうか。一方、総理を中心とした秩序を維持し続けようとする政府側、そこからうとまれながらも、大きな役割を果たす矢口は、当然そうした、ありとあらゆる秩序を破壊しようとする悪を許さない中央集権的社会の体制をイメージされているのでしょう。そして日本の力を政府に結集して、無秩序な純粋な力に打ち勝つ。
ただ、ヤマタノオロチ神話のように、実際に打ち勝つことはできず酒で眠らせたとここておわっているところ、本来ヤマタノオロチのしっぽからは草薙剣がでてくるはずなのに、何かまがまがしい生き物が出てきそうになっている描写、おそらくゴジラの次の進化を、におわせていて、勝負はついていないところを見ると、あんのさんの目線はどちらかというと、ゴジラ側の反体制的、封印された本能の塊のような存在に共感をし続けているようにしか思えます。
実際日本においては、かつて天皇による中央集権化画家たちの上ではなされたとはいえ、現代に至るまで強力にそれが機能したことはなく、困ったときは旧来のお互いの話し合いで解決するというやり方がずっと続いています。氏族的共同体のありかたは死せず、この国に眠り続けています。今回の映画でも、体制側の否定されつつ、賛美もされた特徴として徹底した非合理な合議制があります。そしてトップが死んでもすぐに首のすげ替えがなされる。まさに蛇的なありかた。これがゴジラを倒した最大の理由であるとすれば、あんのさんが、最終的に勝たせて賞賛したのも中央集権的な正義ではなく、日本の体制側のなかにもある蛇的、ゴジラ的な部分だったのではないでしょうか。
今回、怪獣は一匹しかでてないようにみえましたが、じつは今作も怪獣同士の戦いであったのです。ゴジラ vs 日本人。
そう考えると、最初いつものエヴァとかのひねくれた作品とちがって、今回は単なる勧善懲悪映画なのかな、つまんねーなとおもってたりしたのですが、やっぱりそうじゃないひねくれ映画だったのだろうな、いつものあんのさんだっとほっとします。
蛇足ですが(蛇だけに)人間も使徒ほひとりで、進化の形が少し違っただけの怪物であるというのはエヴァとまんまおなじな訳ですよ。そう考えるとゴジラは、アダムであり、尻尾から生み出されるのは使徒なのかも。イメージ的には貼り付けにされたリリスの下半身からにんげんがぽこぽこくっていていたのとおなじなのかも。
ゴジラって、いままでSF定番の行き過ぎた現代科学に対する警鐘としてえがかれてきたかとおもうのですが、そして今回も福島原発のイメージはわかりやすいほどかぶせているとは思うのですが(こちらでも言及されてますね http://anond.hatelabo.jp/20160805000418 )、ヤマタノオロチを持ち出してきたことによって、いままでのような科学の力への警鐘ではなく、また311の反省映画でもなくしているのではないかと。単発の事象に対する象徴的な映画なのではないとおもうのです。この国が根本的に抱え、なおかつ封印している体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望の力強さとその恐ろしさへの警鐘、それと同時にその力は今でも脈々と体制側の中にもすでにとりこまれていてそれを有効に使うこともできるよね、というような話をみせたかったんじゃないかなとかおもいます。ゴジラは死なないよどこまでも、ってかんじで。
あーーーー、妄想がとまらない。とりあえずここまで読んでくれた人ありがとう。ヤマタノオロチの解釈に関しては、たぶん世の中的には主流ではない解釈だと思います。一般的には、川の氾濫の象徴とか、そんな感じでしょう。でもまあこういう解釈の方向性は、いろんな人が出していて(この本とか https://www.amazon.co.jp/dp/B00PS2FK8C/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)そこ自分で味付けして解釈してみましたというかんじです。
まあ、最初にも書いたけど、こう言うのを考えるのが楽しいのがあんのさくひんだなとおもいました。
http://anond.hatelabo.jp/20160807101757
読み方は(増田も言っている通り)やや(かなり?)牽強付会くさい点もあるけど、面白い読みだとは思った。
ただ、増田の言うことが正しいとして、何で今の時代に「氏族的共同体と中央集権の争い」を描いたの?ってのが気になった。「体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望」が発現した事件とかって最近あったっけ?ISとか?
前提として、巷で言われるように右翼礼賛、共同体万歳的な側面がこの映画にはある。ただ、共同体主義には2種類あると思っていて (1) 国家型(中央集権的) (2) 地域型(地方分権的) がある。
今回は地域型共同体主義に共感している映画だとおもっていて、結果的に国家型を否定するなぞりがあるんじゃないかと。
地域型共同体主義の人にとっては、リベラルのいうような何か理想とする社会を人工的に作るというのはぴんとこない。もっと自然な感情で、近しい人で社会をつくりあげたいとおもっている。しかし、国家というのは大きすぎてぴんとこない。そしてそこにひも付きやすい全体主義的な思考には拒否反応をしめす。そういう思想です。
これって全く特別なイデオロギーではなく、割と普通のネトウヨとかじゃないけど、左翼むかつくとおもっているネットによく人たちの自然な思想だとおもっていて、おとなしめのリベラルちっくなオタクと親和性がたかい。そしてあんのさんもそういう思想を意識的か無意識的かもっているんだろうなと思うのです。だからこういう対立を描いたと。
無秩序への回帰というのはちょっと「現体制にとって」の無秩序であり、ほおっておいても自然に生まれる家族的情愛による秩序への回帰に共感したいというメッセージかもしれないなと思います。
もしかしてテーマっていうものを勘違いしてない? いや勘違いは言いすぎかもしれないけど、自分で範囲を狭めすぎてない? ケチをつけたいんじゃなくて、もったいないと映画は娯楽派の自分としては思います。なのでテーマ部分の内容について余計なおせっかいなどを書いてみる。
まず、映画に限らず、テーマっていうのは観客・読者が自身で見つけ出すもので、○○をテーマにした映画だからそのテーマを楽しまなくちゃ理解しなくちゃダメ! て法はない。
そして物語作品は何もワンテーマ・ワンアイディアに限定して作られてるわけじゃないのだから、見出しうるテーマは多様に潜在している。だからもっと自由に好きなように観ればいいのでは?
初代ゴジラなんて設定からして明確に反戦・反核がテーマなんだけど、街を破壊し人々を殺戮するゴジラを観客が応援することは間違ってない。いや矛盾してるし間違ってるかもしれないけど、それでかまわないっしょ。
例えばゴーン・ガールを楽しんだ独身の自分からすると、あれは結婚生活の話としてではなく性別すら関係なく「他人をコントロールしたがる人」の邪悪さの話、人間に対する興味の話としてみてた。羊たちの沈黙や冷たい熱帯魚みたいにある種のヒーロー・アイドル映画的な楽しみ方というか。もちろんこの見方を強要するわけじゃないよ。
そもそも作品におけるテーマ至上主義は行き過ぎると、不謹慎・不道徳な作品をそれに理由に批判することになる。ファイト・クラブはテロリスト肯定の話で許せない!とかにいっちゃうわけ。そりゃテーマで善し悪しを決めるんだからそういう視点にもなりかねないよね。そうやってテーマを中心に考えると、結局はテーマの正誤を考えることになってしまう。ゴーン・ガールが結婚生活の話だから面白くない、という考え方で、ネタバレまで検索しながら作品を探してるともしかして結局はそういうところに行き着いてしまうのではないかなあ、と。
もちろん内容が思い出せないとかつまらなかったのは好みの問題なので仕方ない。けどそこで(メインで扱われていると思われる)テーマが切実でないから意味がない作品、と考えを限定する方向に向かうのは結局は行き詰まりなんじゃないの、ということね。例えば増田的な見方で考えれば、他人の人生まで消費し着飾った自分を演出するゴーン・ガールの主人公は究極の反消費社会・反資本主義の反面教師と捉える余地もあるのに、自分でそれをオミットしちゃっているのではとか、お節介ながら思ったりしました。(こんなこじつけはやろうと思えばいくらでもなんにでもできるのであまり意味はないかもしれないけど)
自分にとって切実なテーマを追い求めるのは重要なことだろうけど、それ以前に物語はテーマを語る説教じゃなくて物語そのものを楽しむものなんだから、優先順位を変えた方が楽なんじゃないかと思う。
もう虚構の物語に興味が持てなくなってるとかだったら仕方ないけど、ネタバレを検索して映画を探すくらいだからまだ物語自体を欲求してるんだろうから、どうせならたくさん楽しめた方がいいんじゃないかなあと思うわけです。そうじゃないなら、嫌味ではなく素直に実用的な情報を得る方がいいんじゃないかと思います。
よく”褒められて嬉しくない人なんていない”って発言を見かけるけど、いやいやいや。
褒められると『うわぁ……』ってなってドン引いてしまう。素直に喜んでる人見るとびっくりする。
だってそれお世辞だろ。誰もそんなこと思ってないじゃん。
褒められた数日後に、褒めてくれた人に苦笑いで「それで胸張れるお前幸せだねぇ」とか言われない?
褒められたこと繰り返した三回目に「頑張らなくていいから」って迷惑そうに笑われない?
「前に褒めていただいた○○ですが」とか言って、覚えてるの自分だけで恥かいたことない?
っていうか褒める時に「思ってないけどw」みたいな顔されてない?
そもそも嘘付いてでも無理やりにでも褒めなきゃいけないんだよな。こっちのスペック低いから。
育児とか新卒教育とか、その辺の記事で溢れるほどよく見かけるよ、嘘つけって。
褒める事が成長への第一歩!とにかく褒めろ、嘘でもいいから褒めろ!こじつけてでも褒めろ!嘘がバレた時?褒めてくれた人に感謝しろ!って。
無法地帯だよね。嘘でも詐欺でもやり放題。ぱっと見喜ばせてるだけだから良心も痛まないんだろうな。私は満面の笑みで喜ばれると罪悪感湧くんだけど。
言葉は軽くて、思ってなかろうがなんだろうがいっくらでも言い放題なので、やたら褒める人とか本当『うわぁ……』って思う。
でも行動で感謝示されたら疑いようがなくて嬉しくて死にそうにはなるんだよ。
いつも思うけどなんだかなあ
昔からVIP板にそういうガキがたくさんいてずっとレスポンチバトルしてるけどいつまでやるんだろうね
自分の審美眼を自慢するために(自分の中の)ランキングを発表する
もしくは画力が高いとされてる漫画家を貶すことによって自分が人とは違うアピール
→同じく自分は審美眼を持っていると思っている人間が好きな漫画を貶され
貶した側の好きな漫画を貶し返すの繰り返し
絵を描く側からしてみたら苦心して生み出したり勉強した絵柄や塗りやパースが
読者に賛否両論はあれどガキの強さ討論に使われてると思うとたまったもんじゃないな
画力とは絵の上手さを表す言葉である、が概念的に曖昧なものである。<<
例えば2chやまとめサイトなどのにおいて、特に絵や漫画に興味がある人は
まさにこれの通りだ
かつて十一を数えた増田家のうち、すでに四家が領土を喪失した。
明日は我が身に同じ苦難が降りかかることを恐れず、あるいはその恐怖から逃れるために
最北の増田家(一)は、せっかく手に入れた増田領(二)を増田家(三)に奪われ、増田島の北に押し込まれている。
そこで、ゆいいつ残された海路で増田家(四)と連絡し、増田家を挟撃することを目標にしている。
だが、増田家(四)は他方面も抱えており、なかなか色よい返事をしてこない。
増田家は足りない兵力を補うため、豊富な資金を放出して北方の異民族を傭兵にしはじめた。
滅びた増田家(二)であるが、落城前に降伏したため、当主以下おおくの人物が生き延びている。
現時点の増田島では城主切腹の代わりに城兵を助命する風習はさいわい存在していない。
そもそも攻めた増田家と守った増田家も親戚なので、あまり目覚めの悪いことはできなかった。
旧増田領が失陥したあとも、旧増田衆の大半は人質がいるために、増田家(一)で働かされている。
しかし、根無し草の使い走り状態に耐えかね出奔するものが後を絶たない。
サバイバルに成功した増田家(三)は、被害をおさえて増田家(一)を確実に詰め、
地道に南北軸の鯖街道を一層整備して増田家(四)の急襲や北方三家統一後の兵力移動に備えている。
現状では増田家(一)との海上での戦いが最も激しかったりする。
主な戦力:譜代衆、カラトラヴァ騎士団、旧増田家(二)国人衆、水軍衆
恐ろしき当主がひきいる増田家(四)であるが、周辺諸国に比べると勢力の伸張に劣る結果になっている。
最初につぶして手に入れた増田家(六)領は四方に通じる土地であり、
土地を交易路に活かせればよいのだが増田家(七)が潰れてしまったことで、その意味も失われてしまった。
増田家(八)が商売相手なら大量輸送が可能な海路を使えばいいのである。
仇敵である増田家(五)との休戦を何とか成立させたが、敵意は残留しているため、
まだ北にも南にも進めずにいる。
プリンセスめいキングに定評のある(新情報)増田家(五)は、はやばやと地方勢力としての生き残りを模索しはじめた。
彼らが陰に依る大樹に有望視しているのは前から繋がりのある増田家(三)であるが、
国力差が大きくなりすぎたら家臣扱いされてしまう。発言力を確保するためにも戦力増強は必要なのであった。
しかし、現実は西で接する増田家(八)からの散髪的な攻撃を受けはじめ、領土は守り通しているものの、
消耗戦により頭が寂しくなりはじめている。
無惨にも最初に滅びた増田家(六)の名跡はいちおう姫を捜し出した増田家(四)が継いだ形になっている。
だが、増田家(五)も縁のない土地をこじつけで治めるノウハウは豊富なので、内政状況は悪くない。
いずれ旧増田領が大規模な戦場になることが多くの島民に予想されていて、人口の流出が進んでいる。
主な流出先であった増田家(七)が先に戦場になったのは皮肉であるが、そこから人が戻ってきているわけでもない。
占領されたて増田家(七)領では、増田家に保護されていた宗教が水面下で一揆の準備を進行させている。
新領主が自分たちの既得権益に少しでも手を入れられたら実力を誇示する構えだ。
それどころか、領主が変わったのを奇貨として、権益ではなかったものまで既得権益に組み込もうと図った。
さいわい増田家(七)の公文書が無事だったため、それには失敗したが、
頭の弱い雑魚ナメクジ当主を言いくるめて増田領(八)での布教活動を認めさせた。
軍事方面では北方の国境要塞には占領軍の支配に抵抗する旧増田家(七)の武将も一部に存在する。
しかし、皮肉にも旧主が地方軍の反乱をおそれて中央集権体制を構築していたため、
独自に補給する組織のない地方軍の抵抗は長続きしないものと観測されている。
増田家(八)は成功体験によって妙な自信をえた。それがプラスに働くか、マイナスに働くかはまだ未知数である。
占領地行政の関係もあり、元々強かった文官系人材(ただし彼らも戦場に立つ)の力がいや増している。
当主は「領内の全公衆便所に紙運動」をはじめた。財政的に無理なので相伴衆が当主に先回りして誤魔化している。
「東に進み、西は防御」の方針だけは当主が便所でうなりながら確定させた。
主な戦力:官軍、譜代衆、地侍衆(草を含む)、傭兵軍団、水軍衆
主な家臣:増田大学、増田出羽守、増田金吾、増田中弐(元増田家(十)当主)ほか
動きの鈍い増田家(九)であるが、増田家(士)の圧力が刻々と増しており、
東での火遊びをする余裕が失われつつある。
彼らには戦力を集中して決戦に勝利するしか生き残る道はない。
国力の差を領内で戦い補給を円滑にすることと、内線作戦による各個撃破で埋める計画である。
主な家臣:増田うこん
陥落した増田家(十)の領地は、剽悍で飢えた増田軍(士)が賢者モードに入るまで散々劫掠された。
中心地の増屋を筆頭に先進地域のダメージはきわめて大きく、他の地方へ散っていった住民も多数にのぼる。
だが、増田(十)領といえども人口の大半を占める層は他の地域と大差のない一次生産者の人々であり、
増田家(士)も一度破壊しているが、全体が文明の価値に暗いわけではなく、
元当主が増田家(八)に加わり再起を図っている。後から彼の元につどう旧臣も多い。
増田家(士)に迷いはなかった。彼らにとって天下統一とは目の前に現れる敵を倒し続ければ自然と成るものなのだ。
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増田 |
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堺正章が原因とか言われているけど、この人は全然関係ないですよ。
干された理由と、その原因は何か?
簡単です。
芸能界はヤクザが仕切ってるので、干される理由も同じくヤクザ関係者です。
ヒロミは大物タレントと、その筋の関係者を本気で怒らせてしまった。
その大物タレントは誰なのか?
昔のことなので記憶も曖昧ですが、10年以上前にバラエティー番組で力也とヒロミが共演していた。
番組の演出で、出演者同士で限られた席を取り合うルールがあり、
出演差を指名して退かせ、指名した者が席に座る。。。みたいな番組進行だったと思う。
ここでヒロミはあろうことか、安岡力也が座っている席を指名して、自分が座ったのだ。
(他にも指名できる出演者居たにもかかわらず、力也を名指しで退かせたのである)
結論から言うと「マジメに科学をやってる人の邪魔になるから」です。
こういった偽科学が蔓延ると、実際の科学も、信用ならないものという印象を持たれかねません。
ただでさえSTAP細胞騒動や原発問題で科学というものへの信頼感が損なわれてるわけですし。
あの2つも、科学自体というよりは、人や組織の問題だったわけですが、多くの人はそういった理解をしてくれているわけでもありません。
ちなみに、水素を添加した水を飲むことで活性酸素の発生が抑えられるから、細胞の損傷を押さえられる可能性がある、という医学研究は存在しているようです。
http://shigeo-ohta.com/%E6%B0%B4%E7%B4%A0%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ あたりが参考になります。
太田成男さんは日本医科大学の教授です。ちゃんとした人です。 http://www.nms.ac.jp/ig/biocell/profile/profile.html
ただし、市販されているようなボトルでは水素はすぐに抜けてしまうので、効果が出ることはまずありえないです。
私は専門家ではないので、あまり細かい所に突っ込まれても困るんですが、伸びたので少しだけ頂いている意見などへの所感を記しておきます。
> その論理でいいの?。水素が抜けにくいボトルと宣伝している伊藤園を検証した上での批判?。 (ブコメより)
おお、それは知りませんでした、ありがとうございます。
ただし、そこまで言うのであれば伊藤園側が健康効果があるという所まで踏み込んで説明する必要があるように思われます。
なぜ途中で「水素イオンの事だろうイオンも知らないのかお前」みたいな流れになってる人が居るのか理解に苦しみます。(健康効果があるかもって言われてるのは分子の方だぞって指摘してくれてる方ありがとう)
先に上げてあるURLから追っても、健康効果があると医学的見地から注目されているのは水素分子が溶け込んだ水であるというのは分かるのでは…?
水素イオンだって言い訳を販売者側がするというのはあり得ますが、それがただのこじつけであり悪質であることには変わりないと私は考えます。