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筆者が謝罪した記事「統一教会系メディアとVtuberがズブな件(アーカイブ)」へのブコメを分類してピックアップ
id:bt-shouichi ViewpointがうまいことVtuberを利用した感じか/アバターをまとって他人に近づく行為はカルト宗教の布教と親和性がある、と
id:cha9 おぎのが言い訳してる様がもう完全にカルトに絡め取られた信者のそれ。踏み絵だとわかってて踏み絵踏めてないのが見て取れる。おそらく常日頃カルト被害者に接してるヤマベンは同じ匂い感じ取ってんじゃないのかね
id:cinefuk 荻野稔氏自身がVtuberとして人脈を作る中で、界隈を系列メディアにオルグしているのか>『バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん』ねこます氏にインタビュー!アバター文化は世界を変えるのか?(Viewpoint/世界日報社)
id:chada_5 早速否定して擁護しようとする人間が現れてて笑う
id:Cunliffe 「統一教会系の人間が名を連ねている署名、私ならやらないです」はい。これ最低限のネットリテラシーだよね。ブコメを見てる限りこれがなさそうな愚かなオタクが多いみたいだけど。
id:D_Amon カルトが実体を隠して近づいて絆で絡めとって信者獲得する方法として一部のVに近づいたりVを運営したりすることは十分ありえると思う。引用されているおぎの氏の反応が臭いすぎる。
id:Dragoonriders 統一協会がフロント使って忍び寄ってくるのはいつものこと。そういうメディアがあるということは頭に入れておかないとね。署名の件を含め注意喚起は当然で、特にあの大田区議の不誠実さは論外だろう。
id:freq5Ghz VRC系コミュにイマイチ乗り切れないの、どこ行ってもおぎのが居るからって所あるんだよな。そういう状況で「VTuberは統一教会紛れてるから近寄らんとこ」は「オウムかもしれないからヨガサークルに近づかない」と同じ
id:haruhiwai18 "政治家としてのアカウントとVtuberとしてのアカウントを分けずに活動している時点で政治と無関係は通らないわけですが、その無茶苦茶な理屈をばーちゃる美少女ねむさんは私に言ってきた" →こりゃやべえ。
id:kaerudayo 若者を誘い込むなら、どんな手でも使うんだよ。そして、霊感商法と珍味売りと集団結婚。アパートの一室で集団生活、朝から晩まで働いて稼いだ金は全部献金。それでも幸せと言い張られるから、誰も救えない。
id:kazatsuyu 突然もなにも署名活動で目立ったからバレたというだけの話では……
id:kenjou 署名してしまった数万人には、これから宗教とか政治系団体とかの勧誘が舞い込んでくる可能性が高そうだよね。署名する時にはその主体が何者か、というのを見極めておかないと危険だわ。
id:kusigahama タイトルは雑すぎるけど、社会から阻害され気味な若者が多くいるであろう領域にカルトへの勧誘者が入り込んでるのはまあ当然なんだよな。
id:kkkirikkk これでやりすぎみたいな事言ってる人は大抵統一教会についての認識不足。「親でも殺されたのか」が冗談じゃないパターンさえあるんだから。
id:mouseion おぎの稔とか山田太郎とかが署名求めて応じたオタクはただのアホだよな。表現規制タカ派の麻生太郎の車にローゼンメイデンの漫画が置かれてたのが記事になった時ローゼン閣下と呼び親しんでたもんな。ホントちょろい
id:nowa_s 普通ならその態勢で"政治と無関係は通らない"けど、「?別に政治活動とは無関係ですよ?」とさえ言えば「そうか、無関係なんだな。だってそう言ってるもん」と思ってくれるピュアな人をお客として選別してるんだろね
id:oka_mailer マハポーシャを懐かしがってる場合じゃない。
id:ooblog #宗教は悪い文明 #統一教会 #表現規制 #VRChat #Vtuber 「大学入学の折に勝共unite=原理研=統一教会に気を付けろと言われるのはもはや我が国の慣例となっておりますが~もしVtuber界隈にも統一教会の魔の手が伸びていたら嫌」
id:pipechair おぎの稔はオタクと統一教会を結ぶためのハブとして活動してる人間、とそろそろ言い切っていいのではないか。統一教会が何だかわかっててそれでも「距離を置く」とさえ言えないなら構成員と見なす他ない。
id:rci この件、統一協会がどういう風に一般人を取り込むために巧妙に近づいてくるのかがリアルに観測できて、なんというか、勉強になるな。
id:rgfx ヤマベンすら引いてるの、文字通りのガチ案件っぽさがある(アンチリベラル枠でご同輩のはずなんだが)。団塊ジュニア層のオタクたちももうそろそろ更年期を迎えて判断力に陰りが見えてくる頃。ご安全に。
id:segawashin 悪質な反社会カルトがフロント団体使って近寄ってくるのに絡め取られるなんて実にチョロい。「○○さんもインタビュー受けてたし問題ないよね」と警戒心のハードル下げる役回りになるわけで、カルトの片棒担ぎだよ。
id:senbuu 直接カルトの宣伝はしなくとも、カルトの関係者とコラボすれば、そのカルトに、これまで己が積み重ねてきた信用をまんまと利用されることになるんだよね。政治家が詐欺師とのツーショット写真を撮られるのと同じ罠。
id:sink_kanpf ご当地ヒーローが流行った頃、地域振興団体を装った原理がヒーローをプロデュースしてた事があったから、Vをオルグ媒介にする事を聞いても驚かないけど、カルト警報出す人への反応を鑑みるに入れ食いなんだろなー^^;
id:spirobis 想像以上に統一教会系とズブズブなVtuberもいる、という話。カルトに対する無自覚ぶりには驚きを通り越して呆れる。
id:tikani_nemuru_M 統一教会に対して脇が甘い界隈であることが、この記事への反応をみてもわかるなー。統一教会への脇の甘さというのは、言い換えればリテラシーの欠如でもあるわけでね。
id:tobalno1 これ本人たちは布教活動の手伝いしてる自覚多分ないんだよね。そして気づいた頃には公私共に教団関係者が関わりすぎてて離れられなくて「個人としては良い人だから…」と自分を騙しながら過ごしていくと。
id:Arturo_Ui 統一教会がネット上で色々やっているらしい、とは「2ちゃんねる」の頃から指摘され続けているわけで。過去の行状が酷すぎる上、いまだに浸透・拡大の機会を狙っているのは事実なんだから、常に警戒しておくべき。
id:chi-Haya 宗教がVtuber利用して布教、と言う内容は十分にありうる。Vtuberが全員ソレとは言ってない
id:guldeen 『人が集まり賑やかな所』に、政治勢力やカルト宗教/ニセ科学がヒタヒタと近づくのは、あるあるだからねぇ。早期に暴かれるのは、検証機能が健全な証拠ではあるが…
id:nisemono_san 単純に「魂」「肉体」「受肉」という言葉の関係性が「ネタ/マジ」という宙ぶらりんで存在している以上、そこに宗教性を見いたす事に"賭ける"「新興宗教」が出てきてもおかしくないとは思いますよ。
でも言葉を洗練したものが数式だとして、数式という道具を発明したからこそ扱える領域があるのでは?多様体とかエキゾチックな球面とか言葉を持ってなかったころの人類が扱えたとはとうてい思えないんだけど。
そもそもAIやら気象予報の技術たらだって1人の人間だけの思考では完成するものじゃなくて、研究結果を複数人で共有していって考えを出し合うことによって生まれたものじゃないの?そして思考の共有には言語が必要。
AIや気象予報自体が生存に必須ではない便利なものという意味では意味では「言葉は必要じゃない」「なぜなら言葉によって派生したものも必要じゃないからだ」と、むしろあなたの考えを補強することになりかねないけど。
しかしそれでも文体の問題じゃないし、言葉だけでの問題じゃなくて、言葉を操ってそういう学問的に高度な領域に至ることができるような知性も必要で、そこには才能の比重が大きいと思う、俺なんか多様体の本どころか松坂の集合位相論で20ページでつまづくような数学の才能皆無な人間だったけど、こういう本によって人類は着実に深遠な方向へと思考を到達させていることは感じられるよ。
そもそも数式なんかは「写経」したところでその数式の言わんとすることを自分自身が分かったうえで出力できるようになるわけじゃないからなあ。門前の小僧習わぬ経を読むからの論語読みの論語知らずよ。写経することによって得られた数式の暗記や受け売り的な出力は記憶力はともかく知性については何も保証しないよ。
本当はもっといろんなことに思うところがあるからそれも増田に投稿したいんだけどなあ。どう書けば伝わるのか分からないから諦めるってことが多い。
ということで、もう言語化できてるものを分かりやすくするという段階じゃなくて、言語化(分節化)の段階における比重の話なんよ。
内言(ないげん)自体があやふやで、しかし確かに言いたいことはあるんだけどそれを成形できてない状態って感じかな。それを言語化できずに諦めること多し。
視覚優位で映像で思考してるタイプの人はその内言の役割すらも頭の中で想起される映像が担っているから、最終地点の言語との距離が大きく文字通りより大きなギャップを持っていると思う。
キャラクターの人格って言葉は、主観的な領域が含まれるのは確かなんだけど、簡単な例としてはそこら辺のWebサイトの「お問い合わせ」ボタンのアイコンに、長髪(かつポニーテールだったりする)20代女性っぽいイラストが使われていたりするだろ?これはその女性イラストに物語性はなくて、「電話オペレーターっていうと若い女かな」みたいな、テンプレートイメージとしての姿形だけがあるわけ。別にこれ自体が悪ということではないけど。
こんな感じで、さらに露悪的に考えていくと、若ぇ女は笑顔で愛想振りまいて乳揺らしときゃいいんだ、キャラクター性も物語性も特にない、アイコニックな存在としての女性キャラ置いとけ、みたいなクリエイティブもあり得る。人の目や耳を引くことはできるだろう。
国内企業のDXの実態、8割がテレワーク促進 平均年間予算4.8億円の使い道は?
パーソルプロセス&テクノロジーの調査によると、国内企業のDX推進では、テレワークの促進に加え、バックオフィス、マーケティング、営業活動の領域における取り組みが多く、年間予算は全体で平均4億8891万円であることが分かった。主導するのは「経営者・役員」が最多だった。
パーソルプロセス&テクノロジーは2021年9月28日、企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)推進に関する実態調査の結果を発表した。
同調査は、DX推進に取り組む従業員50人以上の企業の経営者・役員、部長クラス以上の役職に就く600人を対象に、2021年9月14~23日に実施。各企業が今期、社内のDX推進で具体的に何に取り組み、どれくらい予算を確保しているのかなどを調査した。
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調査の結果、社内のDX推進で実施している取り組みは、79%が「テレワークの促進」が最も多く、続いて59.2%と半数以上が「バックオフィスにおけるDX」、46.2%が「営業活動におけるDX」、39%が「マーケティングにおけるDX」に関する取り組みが多いことが明らかになった。
社内のDX推進において実施していること(n=600、複数回答)(出典:パーソルプロセス&テクノロジー)
また、DXの取り組みに対して今期1年間で確保している予算は、「バックオフィスにおけるDX」が平均2億6263万円と最も高く、続いて「営業活動におけるDX」が平均2億4197万円、「マーケティングにおけるDX」が平均1億8120万円、「テレワークの促進」が平均1億7879万円という結果で、平均4億8891万円となった。
DX推進の取り組みに対する今期(1年間)の予算:「テレワークの促進」の場合(n=474、単一回答)(出典:パーソルプロセス&テクノロジー)
DX推進の取り組みに対する今期(1年間)の予算:「バックオフィスにおけるDX」の場合(n=355、単一回答)(出典:パーソルプロセス&テクノロジー)
DX推進の取り組みに対する今期(1年間)の予算:「マーケティングにおけるDX」の場合(n=234、単一回答)(出典:パーソルプロセス&テクノロジー)
DX推進の取り組みに対する今期(1年間)の予算:「営業活動におけるDX」の場合(n=277、単一回答)(出典:パーソルプロセス&テクノロジー)
具体的な取り組み内容とDX推進の主導者は?
DXの取り組みの具体的な取り組み内容は、「テレワークの促進」「バックオフィスにおけるDX」「マーケティングにおけるDX」「営業活動におけるDX」の全てで「ITツール(システム、ソフトウェアなど)の導入」を実施している企業が最も多く、8割を超えた。
さらに、「テレワークの促進」では「機材導入」が73.1%と2番目に多く、「営業活動におけるDX」では「人材育成・採用」が49.4%と約半数が実施していることが分かった。
DXの取り組みで具体的に実施していることは何か(複数回答)(出典:パーソルプロセス&テクノロジー)
また、社内のDX推進を主導しているのは、「経営者・役員」(29.2%)が最も多く、「部門長」(25.5%)、「事業責任者」(23.8%)と続き、「DX推進担当者」(20.2%)との回答が最も少なかった。
パット見てこれのなにがクソデータかが分かればいっぱしだと思う
ヒント:母集団
実際何か言おうとするときって文章読本も大人のための語彙辞典みたいなの読んだ経験も無力なんだよね。
あれって簡単なことをより難しく言う技術は多少なりとも培われるけど、言語に絶するとか筆舌に尽くしがたいとか書いて済ましてきたものが表現できるようになるわけじゃない。表現の幅は広がるけど表現できる領域は広がらない。
小説とかも一見参考になりそうだけど書き手の表現に対して自分が想像してることと書き手の意図が一致している保証はないから、事実を書こうというときには読書経験も全然役に立たない。自分自身が意味を誤解してる可能性がある表現を使っても自己満足の伝言ゲームにしかならない。
実際は多少言葉にできることが増えてるかもしれないけど表現対象は無限で、その無限のパターンのなかではうまいこと知識等がはまる場面っていうのは確率的にもほぼ遭遇しないのは明らかなわけで、自分の表現力に成長を実感する機会はない。
本当はもっといろんなことに思うところがあるからそれも増田に投稿したいんだけどなあ。どう書けば伝わるのか分からないから諦めるってことが多い。
https://anond.hatelabo.jp/20210925221708
極論、今までは正論ごり押しで通るような戦いしかしてなかったわけだ。
男性の協力を得る必要もなく、むしろ男性に対して間違ってるところを正せというだけでよかった。
それだけ男性による差別がわかりやすくダメだったってことでありこれは男性が恥じるべきところだ。
一方で今までの戦い方は「男性側の譲歩」「男性側の反省や変革に依存する」というタイプのやり方でしかなかった。
批判してたら男性側が何とかしてくれるのを待つという、「旦那に依存する妻」みたいな旧来モデルの女性の思考で何とかなる部分だった。
ところが、そろそろいい加減、女性でも票が割れるような問題が増えてきて、社会全体として物事を進めるためには男性側の理解や協力が必要なところになってきた。
そうなった時に、男性から協力を得られない今までのごり押しの戦い方しかできないのであれば、物事を動かすことはできない。
こうなると、女性側も自分で判断して優先順位を決めなければいけない。
全てにおいて女性の言い分が通るみたいな話にはならない。 この部分を通すために、この部分は我慢、みたいなことが求められる。
男性さん、なんとかしろってあまえた姿勢をやめて、主体的に考えないといけない。
まだ今の日本のフェミニズムはこの段階にすら至っていない。まだクレクレちゃんでしかない。
だから、立憲民主党の方々と同じように延々と批判だけをやってる。
これから先は、そういう姿勢だと「ただのチンピラ」扱いになっていく。
そろそろ、小さいところからでいいからギブアンドテイクとか妥協ができるようになりなさい。
今までは良くも悪くもフェミニズムはわがままな子供扱いだった。
ただ勢力も大きくなったしいい加減批判だけの子供のままでは困る。
批判に対して代替案を求められて反発しているようでは子供の域を出ない。
大人の世界ではいちいち代替案をよこせなんてことは言ってもらえない。批判だけの人間は黙って無視される。
フェミニズムはよく男を子供扱いしているが、少なくとも交渉の姿勢においてはフェミニズムの方がまだガキである。
今のままでは大人扱いされることなく、いつまでもまともに向き合ってもらえないまま、かまってくれるオタクたちを批判するだけの道化になってしまう。
フェミニズムはそろそろ、批判だけの子供の領域を捨てて、大人として自分たちでことを目指すべきだ。
フェミニズム議連は、年老いた、しかもフェミニズムを履修している女性であっても、いまだに考え方が子供じみていて男に甘える習性が抜け入れていないことを顕著に示した。
あれを反面教師にして、フェミニズムは批判するだけじゃなくてきちんと自分の責任で自分の意見が述べられる、立派な大人であることを示していきたい。
戦後・高度成長の影響はあるんじゃない。
敗戦により日本は国際社会で受動的な立場になってしまったので、社会に関する主観的観念的な議論は「役に立たない」「胡散臭い」という評価がなされ、
逆に科学や工学など、工業の発展に資する客観的具体的な議論は「役に立つ」「信頼できる」という評価がなされた。
実際には主観的な議論も客観的な議論も、適切な適応領域がある。実際、科学の基礎たる対照実験は、社会現象にはほとんどの場合適応できない。
今の日本人はなんでもかんでも「客観的に」「データと論理に基づいて」議論しようとする空気がある。その結果、可能な変革の幅が極端に狭くなり、外国の後追い・ノロマな社会になってしまっている。
最近、インターネットのランダムさが失われているような気がします。
昔はインターネットの世界も狭くて、よく知っているウェブサイトから一つリンクを踏めば未知の世界に出会えました。
でも最近はインターネット利用者が増えたこともあり、インターネットも広くなりました。
趣味の合う友達がいくらでも見つかるし、自分の好みのコンテンツが無限に生産されていきます。
でも逆に、馴染みのない領域にさらされる機会は減ってしまいました。
また、推薦システムがあらゆるところに実装されているのも問題です。
推薦システムは、興味のあるニュースや気の合う友人を探すのには便利ですが、未知のコンテンツとの出会いは減らしてしまっているように思います。
最近はフィルターバブルとかエコーチェンバーとかいう言葉もありますね。
そんなとき助けになるのが、ランダムなインターネット(乱数を使ってインターネット上のランダムなコンテンツや人にマッチングする仕組み)です。
ランダムなインターネットは、自分のプロフィールや好きなものとは無関係に、未知の情報をぶつけてくれます。
https://random-ize.com/random-youtube/
@kis (id:nowokay) さんの以下の記事についてです。
https://nowokay.hatenablog.com/entry/2021/09/25/042831
ブコメにもあるようにちょっと内容が雑というかわかりにくいせいで賛否両論になってしまっていて、もしかしたら近いうちにアンサー記事が出るかもしれませんが、自分自身の理解を助けるためにも言わんとしていることを推測しつつ、自分の認識もまとめておこうと思い書くことにしました。明らかに誤読してそうな箇所があれば、指摘してください。
まずは前提を書いておかないと論点がぼやけると思うのでいちおう。
その他の前提:
2000年代に入って関数型プログラミングが脚光を浴び始めたのは、コンピュータ資源が潤沢になりパフォーマンスをそれほど気にしなくってよくなったことが大きな理由ではないか、という認識があります。
関数型プログラミング言語の内部実装を読んだことがないので推測ですが、データを不変にするということはその都度メモリ領域を新たに割り当てることになり、そのオーバーヘッドがプログラムのパフォーマンスに影響を与えるので、パフォーマンス要件がをシビアな場合、どうしてもメモリ割り当てや計算効率を考えるとミュータブルにせざるをえないと思います。が、ウェブアプリケーションに限っていえば、データベースアクセスやネットワークアクセスのレイテンシが大きいので、そうした相対的に細かいオーバーヘッドを無視しても(大抵の場合は)問題にならなくなった、というのが「時代」の流れなんだという認識です。
いっぽうで別の観点もあって、REST API や FaaS が一般化して、関数単位で処理を分割し、アプリケーション外部に配置することが当たり前になってきた現状があり、マイクロサービスのようにアプリケーション自体もモジュールの一単位として考えると、アプリケーション内部のモジュール同士でも関数ベースでやりとりする形になっても不自然ではないと考えられます。
元記事にもありますが、RPC の派生(実装?)として生まれた Java の CORBA や Microsoft の DCOM みたいな振る舞い付きのオブジェクト(コンポーネント)を共有しようという世界観は廃れ、REST API のような単一の振る舞い(エンドポイント)とそれにひもづく JSON のようなデータ構造のみを受け渡すやり方が一般的になったアプリケーション間通信の潮流と、計算機資源が潤沢になって再度脚光を浴びた関数型プログラミングが、レイヤーの違いを飛び越えてひとつになろうとしているのではないか、と。
つまり、元記事に書かれている「時代に合ってない」というのは、「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクト」のような「なにか」は、そうした背景があるために、どこにも存在する必要がなくなってきているのではないか、と解釈しました。
なので、以下のコメントはちょっと論点がずれてると思いました。
はあ?「再利用する方法としてはWeb APIが主流」って、その中身をオブジェクト指向で設計することは、全く矛盾しません。 部品化の単位は、慣習や柵などで大きく変わります。オブジェクト指向とはほぼ無関係です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/suikyojin
なんでサービスとして外とやり取りする話とサービスの内部設計の話をごっちゃにしてんだ。なんか理解度が怪しくない
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/ssssschang
たしかに、アプリケーション単位とアプリケーション内部のモジュール単位とでその表現形式を合わせる必要はないんですが、元記事の言わんとしていることはこの一文に端的に表れていると思います。
ソフトウェアの記述をまとめるという視点では主にステートレスな関数を分類できれば充分で、データと振る舞いをまとめたオブジェクトというのは大きすぎる、システムを分割して管理しやすくするという視点ではオブジェクトというのはライフサイクルやリソース管理の視点が足りず小さすぎる、ということで、オブジェクト指向の粒度でのソフトウェア管理は出番がなくなっているのではないか、と思います。
「オブジェクト指向でなぜつくるのか」という本がありますが、「え、いまどきオブジェクト指向でつくらなくない?」っていつも思います。内容的には、もうほとんどはオブジェクト指向関係ないソフトウェア工学の紹介になっていますね。
当該書籍は読んだので後半はまぁわかるんですが、前半は「え、いまでもオブジェクト指向でつくるのが主流じゃないの?」って思ってしまいます(オブジェクト指向の定義が「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクトの集まりとしてソフトウェアを組織化すること」なのであれば)。
Joe Armstrong が "Why OO Sucks" を書いたのが2000年とのことなのですが、そろそろこうした議論は収束に向かってほしいと個人的には思います(とっくに収束していると感じている方もいらっしゃるでしょうけど)。
LGBTQ+の権利の拡大が叫ばれている。
そのうち、特にトランスジェンダーの権利の拡大が行われるたび、これはどこまで続くのだろうと、少しの恐怖もある。
なぜ怖いのか、書きながら正直な気持ちを整理してみた。
まず、そもそもこの分野の言説では、男女を区分けする意味が雑すぎて、混乱が生じてる部分が多そう。
私の意識では、性自認、アイデンティティの部分だと本人が言ってることが正。意識の領域だから、意識が出してる答えが正。
でも例えば、スポーツで男性部門に出るか女性部門に出るかとかの問題だと、このホルモン値だったらとか、体に影響する治療をしてるのかとか、社会としてガイドラインを整備した上で、医師が判断するなどがよいのではないか。
身体は完全に生物学的にXYなのに、アイデンティティにあわせてXXの競技に出たら、筋肉量が少なかったりなどXXの選手にとってすごく不利になってしまうので、なぜ分けているのかの理由を考えてそれにあわせて対応する必要がある。
それと同時に男性部門、女性部門っていう呼び方をやめるとか、トランス当事者に苦痛の少ない方法を模索していく必要がある。
他にも例えば地震が来て避難所でナプキンを配る数を知りたいから男女どちらですか?って確認してるのに性自認で答えてたら双方困るよね。
不要な人に渡すのは物資がもったいないし、逆に性自認が男性でも身体に生理が来るならその人はナプキン要るでしょ。
だからここでもそもそも男性女性という区別/質問の方法がふさわしくないという話なんだけど。
そう、男性ですか女性ですかという区分けは雑だし、伝統的だからステレオタイプ的でもある。
これまでの男女どちらかの区分けでは対応できないことが社会的に認知されだしていて、2区分だけでは絶対足りない。どっちに押し込んでも潰される人は出る。
私としては、トランス女性は女性だし、トランス男性は男性だと思う。
その考えに従うと、今後は「女性」や「男性」という言葉の中に、身体的な特徴がXXの人、XYの人、どちらも含まれる。女性にも男性にもバリエーションが存在する。
だから、雑に男女で分けてればOKだった時代はもう終わったから、より明確に何のためにここでの区別は存在しているのか、という目的を改めて考えて、明示する必要があると思う。
個人的に一番気になるのは、自分の生活に影響してくる部分である、トイレや浴場での区分けで、安全を重視して考えたときに今後も残る区分だろう。
歴史的に男性から女性への加害が多かったことを考えると、ここで一番多数の人の安全を守れる可能性が高い基準というと、身体の持っている特徴がXXかXYか、というところに依らざるを得ないのではないか。
私は女性だが、相手の性自認に関わらず、ペニスがある人と同じ場所で着替えたりしたくない。
ペニスがはえていなければ、相手の自認が「男」でも構わない(というか、気付きようがない)。相手がこちらを性的に見ているかどうかも関係ない。伝統的な女性(身体がXXの特徴だった人)の中にもレズビアンやバイセクシュアルの人はいたわけだし。
平均的にXXはXYより力が弱く、膣に強引に挿入される形での性被害を受けやすい。
誰かの身体がXXあるいはXYであるとき、本人がその事実に苦しんでいたとしても、それを反対のようにみなすことはできない。意識上の自認が違うということは理解はできる。けれども、現にここに存在している身体、ペニスあるいは膣のついた(もちろんどちらにもあてはまらないあるいは両方である人もいるが)身体の、現実の特徴を無視することはできない。
性自認のみで考えろというのであれば、その要求は安全を考えたときに行き過ぎだ。
安全を譲歩することは、できない。
ルール変更によって加害を受ける可能性が高くなることが受け入れがたいのだ。
ペニスのついた体の人も「女子更衣室」を使ってOKです、となったときに、性自認しか基準がないと、それがトランス当事者なのか、トランス当事者を装った性犯罪者なのか、他人が容易に判断できない。加害の可能性にさらされ、その上不安を訴えれば自分が「差別者」になるのではないかという葛藤まで負わされる。不当だ。
公共のスペースで判断基準を設けるなら、他人が判断できるもの、つまり自認以外のものであるべきだ。
だから、そもそもの男性女性という区分けをやめ、ペニスがはえてるかはえてないかとかの事実でしかない区分けに変更するとかはしてもいいと思うが、自認が女性だから、(これまでの意味での)「女性用スペース」に入っていいとかにはしないでほしい。
でも、トランス当事者を含め女性にも男性にもバリエーションがあって、そのすべてのバリエーションを同じには扱えない。
トランス当事者の権利は拡張されるべきだ。例えばトランスジェンダーであることを理由に就職で差別される、容姿
を揶揄されるなどはあってはならない。
でも、次に主張される権利は私の安全を脅かすものではないか?その恐怖が頭をよぎり、手放しで応援できない。
男女の2区分では対応しきれないことは明らかなのだから、これまでの区分で言う男性用/女性用スペースに入る権利を拡張していくのではなくて、そもそも男女の区分でなくてもよいのでは、という見直しも含めた形で、苦痛の少ない社会を目指していければいいのに。
医療脱毛でvioにレーザーを当てたことが原因で毛嚢炎になってしまったんだと思う
毛嚢炎は皮膚科に行きなさいとインターネットに書いてあったが、場所的には産婦人科、婦人科だ
以前インターネットでvioの毛の事故処理に失敗して怪我をした女性が産婦人科医じゃない女医に治療してもらったというレポを読んだ
パソコンカタカタターンめっちゃ得意だからシリコンバレーで日本人の何杯も稼いでるって自慢する人いるけどやってることは単なる出稼ぎ労働者。
本人は凄い技術身につけて世界で認められていると思ってるけど、実際の所職場のチーフから見れば単純労働者の領域。
日本でも自動車工場とかによくいる「サスガ先進国デスヨ。お給料スゴクイイネ。ボク、日本語早くオボエテ仲良しスルヨ」とか言ってる外人と何も変わらんデスヨ。
お給料よくない場所からいい場所イク人なんて呼ぶか知ってますか?
移民シマシタ自慢シマスでも現地の人ずっと思ってるよ「言葉喋るのいつまでも下手くそな出稼ぎ労働者」って。
日本人って日本語下手くそだとすぐ馬鹿にするけど外人も実際同じで、上辺は英語のレベル落として話合わせてるけど内心は「国語力中学生レベルで技術力は高専レベル。それで自分はスーパーハッカーだと思ってるんだから笑っちゃうよね。本当に力があるなら自分の国に帰って会社でも立ち上げてみたら?」と思ってマスネ。
日本人、単純民族国家だからいつの間にか「自分は外国人労働者とは生まれつき違う。自分達はどこの国に行っても外国人出稼ぎ単純労働者としては扱われない」って謎の思い込みシテマス。
イッパイイッパイ頭悪いヨ~~~~って言うの簡単デスケド私そうは思いマセン。
生まれた国の風習で偏見刷り込まれたら抜け出すの難しスギマス。
だから仕方ないネ。
https://twitter.com/moekofukuda/status/1441221813334200320?s=20
いっけん爽やかなツイートなんだけどさぁ
まず、写真に写ってるシューズに、ペダルとシューズを一体化させるクリートが付いてない。この状態では一緒に写っている自転車に乗れねぇよ。乗れないこともないけどペダルと靴は滑って「泥だらけで森の中で遊ぶ」どころではない。本当にこのシューズでこの日乗ったの?そもそもここでツイートされてるVelosambaは山で森で遊ぶためのデザインにはなってない。あくまで使用される領域は街乗り、シティライド、通勤/通学なんだが。ソールはツルツルで土の上をグリップさせるようなデザインではない。
だいたいあなた以前のツイートで「自転車はいつもフラぺです」とかいってSPD使わない宣言してたじゃん。手のひらクルーがすぎるぜ。
なるほどこれがステマってやつか。。。
ステマについては既に広告業界でガイドラインが出てる。このケースは明確にNGだと思うわ。
しかし雑ですね。釣り針がでかすぎます。街乗り用スニーカーをマウンテンバイクで使うというステマするとか…こんな雑なステマをされてアディダスジャパンはむしろ被害者なのでは?
弊社のリモートデスクトップ環境がクソ。
・ユーザ領域が20GBしかないのにoutlookにメール残してると半分くらい食われる
・キャッシュとかの削除は手動
・ポンコツすぎてTeamsを常駐させるとめっちゃメモリ食われる
・でもTeams推奨
・なんかよくわからんけど、たぶんセキュリティ監視の関係で頻繁に打鍵が重複で認識されて「これにより」→「こっれにより」とかなる。
・弊社は一応ICTを売りにしている。
はークソ。まじクソ。
量子論を怪しい自己啓発やカルト宗教に援用する人がいることと、物理学における量子論という分野に研究価値があり、そのような物理現象が実在することは両立する。そして「量子論ってなんか怪しいし、そんなもの研究してるのはニセ科学者だけでしょ」という態度自体がニセ科学そのもの。
フィクションの描写を自身の女性蔑視感情を正当化するために援用する人がいることと、フィクションを性的対象としたり、フィクショナルな表現の中に自身のジェンダーとアイデンティティを表現する営みが社会学領域においても尊重するべきセクシュアリティとして認知されつつあることは両立する。そして「萌え絵ってなんか気持ち悪いし、そんなもの好むのは性差別主義者だけでしょ」という態度自体が差別そのもの。
フェミニスト議員連盟の件で,これまでの似た騒動でフェミニスト側で炎上に関わってきた人たちが妙に静かなのが気になった.キズナアイの件でも,宇崎ちゃんの件でも,だいたい炎上して数日経つとYahoo!個人ニュースか現代ビジネスあたりにフェミ側を擁護する記事が出て,これまたボロクソに叩かれるのが通例なのだが,今回は各人のTwitterですら完全に沈黙を守っている.
それもそのはず,これまでの事件と違い,今回の件だけは,擁護に回るのは相当なリスクがあるのだ.
これまでの騒動だと,「女性への偏見・蔑視を促進する」とか,「女性が性的対象になっている」とか,最大でも「環境型セクハラ(みたいなもの)」という,良くも悪くもふわっとした指摘にとどめてあった.ところが,今回は,刑法犯罪を誘発するとまで述べてしまった.これにより,擁護のハードルが一挙に上がってしまい,当該表現は人に犯罪をおこさせるほどの強烈な作用を持つことを立証せねばならなくなった.これはかなり厳しい.また,定番の「TPO」「内閣府ガイドライン」「性的モノ化」の議論も,偏見・差別意識の強化という個人の意識の話までは使えても,犯罪という具体的な行動の誘発となれば,力不足である.要するに,これまでのグレーゾーンでの戦法が通用しない,完全なる危険領域にフェミニスト議員連盟は踏み込んでしまったのだ.
次に大きいのが,VTuber所属事務所の女性社長が表に立って抗議をしている点だ.この状況下でフェミニスト議員連盟の擁護をすれば,当然,フェミニストの立場にもかかわらず女性社長を批判することになってしまう.もちろん,女性は性差別をしないという訳ではないので,理論上は批判も不可能ではないだろう.が,そもそもが当該表現は「性犯罪を誘発する」という点から出発しているから,下手なことを書けば名誉毀損の訴訟リスクすらあり,苦労の割に旨味がない.この状況で突撃できるのは狂戦士のツイフェミぐらいなものだろう.
最後に,今回の件が特異なのが,政治家が圧力を加えた点だ.これまでの騒動の発端は,弁護士とか大学教授とか色々な人がいたけれど,どれも政治家ではなかった.なので「市民が自主規制をしているにすぎず,表現の自由の侵害には当たらない」という議論が可能であった.ところが今回は,紛れもなく政治家の地方議員が特定の表現に「犯罪を誘発する」と公言した事件であり,一気に表現弾圧の雰囲気が出てくる.ここにリベラル的にヤバい匂いを嗅ぎ取って,沈黙した人もいたのではないかと思う.
作ればいいというものじゃない。買って食べてもらわないと意味がない。
今は、生産と消費と災害と補助金、高齢化による離農と参入、規模拡大がある意味よくバランスされていると思う。
ただちょっとした揺らぎでどこでどう転ぶか分からないので、とても不安ではあるが、
そのリスクを打ち消してくれるのが農業収入保険という制度。もはやこれは社会保険の一種だとも思う。
ただその効果は3年程度だ。過去5年の売上を平均して収入補填をする仕組みなので、
●消費拡大を唱えるが、輸出はできない
長期的に消費は落ちていく。
今のところ、輸出で成功しているのは高級果物と肉と加工品(日本酒など)だと思う。それ以外はムリ。
そこには色々な事情があり、個別の農家ではどうしようもない。一例をあげる。
・コメ
1俵2500円、安い安いと騒がれている今年のJA仮渡金(販売額みたいなもの)の一番安い地域の1/3だ。
もし輸出前提で作るコメに補助金がつくのであれば、その大義は国防だと思う。つまり過剰生産しても国民の食糧を守るということ。
そもそもコメの生産国は、自国消費分を作っているのがほとんどであって、生産量に比して輸出量が少ない。
基本的にはほとんどの国が国内消費を前提としている。例外的に生産超過しているのがタイとインド。
中国は現時点ではコメは生産力不足で輸入超過状態。しかしリン鉱石産出量世界一という農業上の最大のアドバンテージがあるので今後は未知数。
肥料について、すでに中国に首根っこを掴まれている状態のようだ。
・野菜
日本には野菜を長期保管するように加工できる施設が十分にない。
なぜなら、日本は国土が狭く生鮮品が生鮮のうちに目的地に着くため、加工施設が必要ない。
その他冷凍・長期保存技術の普及状態などは、おそらく勝ち目がない(たぶん)
投資をしたところで、ほとんど輸出前提の場合のみに使える技術となるので、元から加工が必要な国と比べると分が悪いだろう。
すまないが、これは想像も入っているので、気になる人はファクトチェックをお願いしたい。
全ての工程を自動化することは不可能だ。必ずボトルネックが存在し、そこには人間がいる。
農業は種籾を入れたらコメになるような機械が存在するわけではないし、
この例えですら「種籾を入れる」というボトルネックになりうる工程が存在する。
(#追記:籾を入れてコメにする機械は存在し、それを精米機というが、ここでは主題から外れるのは理解してもらえるだろう)
自動化をすすめるというのは「どこまでコストをかけてボトルネックを解消するか」という問題に半分は置き換えられる。
残念ながら、機械が高度になればなるほど、人間の作業環境は過酷になっていくのではないだろうか。
例えば田植え機を自動化できたとして、今の速度の2倍の速さで作業ができるようになったとしよう。
(田植え期間は限られるので、機械の性能向上と達成可能な規模拡大の最大値はイコールになるだろう)
苗の補給はというかコメ栽培で最も重労働なものの一つ、田植え作業の半分は苗運びと言っても過言ではない。
・2倍の作業者を投入して2倍の面積をこなす(田植え機をボトルネックになる)
・作業者数を同じとして規模を1.33倍にする(苗運びがボトルネックになる)
である。高齢化人不足の業界で前者が容易ではないのは想像つくだろうし、
後者は機械に乗る時間が規模拡大前の0.67倍になるが苗運びの時間は1.33倍になっている。
多分体がもたない上に2倍のはずの機械の能力が発揮されている気がしない。
これでは規模を拡大しない方が正解な気がする。
余談だけど、ヤンマーが提唱した密苗は、この業界では珍しく苗運びの負担減までを考えた優れたパッケージだと思う。徒長しやすいという問題は残ったが。
僕の予想は
・機械化はもう少し進むけど自動化は止まる。結局は人間がやる方が応用がきく。AIの出る幕は全然ない。
・分業が少し進み、プロ農家の仕事は野菜・作物を作ることにフォーカスされていく。イメージとしては酒蔵の杜氏が近いと思う。
・セミプロ農家としての収穫家(とでも言うべきか、収穫調整に特化した人、今はパートのおばちゃんが担当)の登場
・野菜農家は農作業者(正規雇用)1名あたり700万円程度の売上で4人程度で1経営体あたり年商3000万円程度(北海道を除く)
・コメ農家は1経営体あたり15-30ha程度、農作業者(正規雇用)が1-2名程度
多分、このくらいがそこそこ機械に投資もできて利益も上がる、最も競争力が上がる領域ではないだろうか。
そこから上は、規模拡大だけならハイリスクローリターンの領域なので、
突き出るためには、余程の工夫を凝らすか、余程良いビジネスモデルを構築できたものだけだろう。
・きちんと対策を打っていかないと、セミプロ農家が低賃金化していく。
・需要があれば規模拡大を狙う農家は出る。田んぼ一枚増えたところで限界費用は低い。それゆえ食糧不足にはならない。
・60歳あたりで参入してくる人は相変わらずいて、80くらいになれば誰でも限界が来る。農業従事者の高齢化は高止まりしたまま動かず70歳あたりを維持する
も付け加えておく。