はてなキーワード: 時代錯誤とは
どうやったら、こんな非合理的な社会が作られるのか、教えてもらいたい。
日本の凋落は凄まじい。もはや世界に誇れるもの、優位性は何もない。
自動車産業があるだと?欧州のプラットフォーム戦略に飲み込まれ、水素じゃい〜なんて言ってる会社は流行らないだろうし、自動運転などによるソフトウェアによる付加価値のほうが高くなりIT超後進国の日本は車という部品供給程度の位置づけになりそう。いや、それすらも奪われるだろう。
一人あたりのGDPなんて世界22位とかそこらで、これからどんどん下がっていくことが予想されている。
22位程度の国力だぜ??もう途上国にどんどん抜かれ、衰退国のモデルケースにすらなりそう。
もう劣等感と焦りしかないから、盲信的に、日本すげ〜なんて下劣極まりないTV番組が日本でやっていると聞いた。まじかよ。
COOL JAPANだと?自分でいうか、それ。末期JAPAN。いや、TERMINAL JAPAN!のほうが現状に一致する。
おもてなしがすごいだと?だから自分でいうな、気持ち悪い。第三者に言われて初めて成立することだぞ。
いや〜ほんと末期。
俺昔は勉強できたんだよって過去の栄光にしがみついて、現状落ちぶれて見る影もないようないような情けないやつと何が違うの?
現実を見ようぜ。
そんな日本だがこの凋落は不思議でもなんでもない。そりゃそうだ、この社会に何の合理性もないもん。
成長するほうがおかしいよ。単純に非生産的ながら大量の時間を投入することでここまでやってきたが、それも限界だ。
今尚汚職が蔓延している政界、年寄りにだけ優しい政治、政治って何?みたいなアホな芸能人でも政治家になれちゃう。
さらに保身に走り、利己的な人間であふれている。何やってもおまえら庇い合って逮捕すらされないよな?
今の日本に必要なのはまず外部に目を向けて、この非合理的なシステムを変えることだ。
日本の社会しか知らない、さらにアホが政治家が改革なんて起こせやしないし、必要もない。
今時さあ、長生きすることが喜ばしいという時代錯誤の価値観。寝たきりのやつをサポートし続けて、医療費ってどこから出てるんだっけ?国は金がないない行って増税する前に使いみちの優先順位を見直せ。
日本人の平均寿命が長いのはなんてことはない、単なる過剰な医療制度であって、これはもはや恥ずべきことだ。
サポートされるだけの人間が社会に溢れたって何のメリットもない。さらに老人が老人を介護するって何だよ?その社会のどこに幸せがあるのか?
さっさと安楽死を導入したほうがいい。なぜなら日本人の「長生き」は「自然」ではないからな。
日本の会社は能力より、口先だけで政治力が高い人が出世する。本当無駄。
そもそも能力度外視の上下関係も無益だか、それが年齢とか、経験年数とか、何の意味もない要素で成り立つのが本当、馬鹿馬鹿しい。
会社の役員なんてバカばかりだ。椅子に座ってえらそうにしているだけで高給取り。その金をもっと有効に使えばいいのに。いっそのこと経営のスペシャリストという肩書に変えてみたらいい。
そうしたほうが周りもその役員をどういった軸で評価すべきかより見えやすいだろう。役員と言う名の隠れ蓑は必要ない。おまえら、自分の価値を示せ。
しかしIT業界の役員の場合は、役員全員クビにして、全員は言い過ぎか、経営のスペシャリストとして価値ある人間は残そう。代わりに1000万与えるに価値のあるプログラマーを多く雇ったほうが多くの会社で有益だと思う。
社会のIT化の波はすさまじい。日本を除いてな。どこの国もITエンジニア不足だ。日本の場合は単純に生産性が低いだけだけどな。
なぜITの重要性が高まっている昨今、日本の有名なIT企業なんて一社もないのか。楽天みたいな糞ダサい会社が「会社」として生存できる日本の社会って本当やばいと思う。
DeNAみたいな倫理のリの字もない会社が「会社」として生存しているのもやばい。メルカリとかさあ、現金販売できちゃうってどうなの??
七つの社会的罪を知っているか?そのうちの一つが、「道徳なき商業」だ。
おっと、合理性うんぬんの議題に、IT業界に触れたのは間違いだった。クソみたいなIT企業が多いのでつい。
論理に基づかない政策。文科省何やってるの、お前らの教育が足りないよ。
英語教育を早期にはじめても無駄。日本人が英語の習得に必要な時間を知ってる?義務教育だけじゃ全然足りないんだよ。
それが小学生から始めたところで糞ほどの意味もない。だってそれでも時間が全然足りないんだから。
それでいて本来学ぶべき国語とか数学、社会、理科の学力が落ちていたんじゃ本末転倒じゃん。
日本人が英語を身につけるのは言語学的に大変だ。そもそも他国と状況が違うのに、教育年数が同じなのがおかしい。
つまり、ストレートに進学して24歳で社会に初めて出ることになる。
なぜ英語教育を分離させるのか?多くの日本人はこれでも尚、習得できないだろうし、習得できないことにわざわざ時間を投入する必要はないからな。
ただ、やるなら使えるレベルにまで持っていかないと意味がない。だから一部の必要性を感じている人間だけが集中して受けられるようにしたほうがいい。モチベーションがないとそもそも取得できないことだしな。
社会に出るまでに2年遅れたからってそれがどうした?70歳どころか80歳まで働かなきゃいけない時代が到来するんだぞ?
飛び級的な制度も必要だと思う。その人のレベルにあった教育を与えるべきだし、皆一律同じスピードで教育するのがそもそもおかしい。
私立大学なんてほぼバカ大学で、高校の教育すらまともに理解できていないやつで溢れている。実質的に中卒程度の学力で大卒の人、多いよね。
私立は慶応だけ残して、全てこれから必要とされる分野の専門教育に転換ほうがマシだ。
年配の人と会話しても知性をまるで感じない。固定観念によって支配されてるし、考えるって行為をしない。だからどんどんバカになっていく。
そんなバカが社会に影響力を持つ。結果日本の社会はいつまでも合理的にならない。
年寄りはさっさと第一線から退く社会が望ましい。固定観念や昔の成功事例にいつまでもしがみついて、環境の変化にまったく頭がついていってない。
私は、現在ネット上で文筆・出版・作家活動している、高山直人という者です。
私の仕事仲間の書籍が飛ぶように売れるのを横目で見ながら、昨日はひたすら2ちゃんねるに専念していました。
それでは、本題に入りたいと思います。
交通社会に囚われの身となっているみなさんが公共交通の現状に怒りを感じているのはよく知っています。
本当の意味での交通弱者は仕方ありませんが、そうでない方々の大人まで巻き込ませるというのは理屈に合いません。この国の公共交通はおかしなことばかりです。
実は私も、2014年まで鉄道定期を持っていた人間です。ここ日本の大都市圏の鉄道は、民営企業ばかりだと聞いています。私はJRや私鉄で、この国の公共交通のろくでもなさを、みなさんに比べるとわずか6年でしたが、身をもって体験しました。
満員の車内の中や駅や居酒屋でいろんな方々の話を聞いた上で、私は、公共交通に対するの不信率は、40パーセントくらいはあるなと感じています。つまりみなさんの中にも、5人に2人くらいは、公共交通についてよく思っていない方もいると思います。この国の公共交通制度は本当にろくでもない。
もちろん、自動車やオートバイ…、中には自転車すら嫌いな日本人の方々の方が多いでしょう。
しかし、そういう方々に対しても、現在の社会の処遇のあり方はやはりろくでもない。
何も知らないマスコミのバカ連中や、何の苦労もなく支配層の道を歩んできた連中どもは、日本人は車社会を侮辱しすぎているなどとデタラメを垂れ流しています。しかし私は、自らの身をもって車社会をだしにしたいじめを体験し、その実態を知っています。
日本の公共交通、特に鉄道は、たしかに諸外国と比べて、死亡事故などの問題は少ない。もちろん多少はある。
それは、日本的な商業精神、時代錯誤で、縄張り競争にやたらうるさく、拝金主義的な日本独特の商業精神に、一般国民は24時間、365日、えんえんと付き合わされるというつらさです。
近所の町に出かけるのに、1000円かかることもざらです。
外国は公共交通などが公によって保護されていたり、道路交通の整備で、大都市でも、オートバイなら通勤できるというのに、なんという非効率でしょうか。
似たような問題は、他にもたくさんあるはずです。それはみなさんの方がよくご存知でしょう。
私はわずか8年ですみましたが、こんなろくでもない社会に、10年も20年も、30年も40年も付き合わされるみなさんは、本当に大変だと思います。
私は今、ネット上で多数の電子書籍を発表していますが、成功するかしないかは二の次でやっています。
それよりも、私はこのように、言いたいことを自由に言うために発表した次第です。最近は、紙媒体での出版でこんなふうに社会問題を提起したりすると、すぐにクレーマーがやってきて、過激だなんだと屁理屈をこねて、表現の修正をさせられたり、下手すると絶版させられてしまいます。しかし、電子媒体ならこんなふうにやりたい放題、言いたい放題です。私はこれをやるために電子書籍をやっているんだ。
こら公共交通ども。日本人の民度が低いのにつけこんで、てめえらの遊牧民根性を温存させるんじゃない。運動の暁には立場逆転させてやるからな。
てめえら公共交通は、公に全部くれてやる。とくに都市私鉄は全て公営化だ。私が万が一都会の長になったときは、今のと違って、公共性に配慮するが、その際に見て見ぬふりをした鉄道ファンどもに対して、非難活動をやる。てめえらがどんなにろくでもないことしてきたか、わが身でもって体験させてやるからな。
それがいやなら、今日からでも彼らの待遇改善と公共交通に奔走しろ。少しは利用者の身になって生きろこの野郎。
最後に、公共交通社会に囚われている都会人のみなさん。テロや通り魔や迷惑行為といったいじめだけはやめてください。私は2008年まで社会人ですらなかったので詳しくは知りませんが、とくに列車内での性犯罪は今でもすさまじいと聞いています。みなさん。敵は運営側です。利用者同士はお互いにいたわり合って、助け合って過ごしてください。
それから公共交通ども。公共交通にはそういう深刻な問題もあるんだよ。てめえらも気づいてるだろうが。
気づいてて放置してんのは大問題だぞ。ことなかれの根性を少しは改めろこの野郎。
今のままのろくでもない現実を続けるなら、ほんとに造反運動起こして都会の道路を自転車・バイク・自動車・バスの海にするぞ。
以上、元満員電車ユーザーの左翼ジャーナリスト・高山直人の第一声でした。
メディアリテラシーは、「あらゆるものを疑え」っていう意味じゃない。
もちろん「情報の真偽を瞬時に正確に見分けられる」という能力でもない。
俺のクラスメートには、そういった解釈で振舞おうとする人もいるが。
騙されたときの嫌悪感や、騙されたくないという思いが、そういった過敏さに繋がるのかもしれない。
「単に横文字に弱いだけじゃ」って弟は言うけどな。
まあ、聞いてくれ。
まるでセールスマンのような距離感の取り方で、家に押しかけてきたからだ。
まあ、どっちでもいい。
「やあ、マスダ。ボクの名前はガイド。ここよりも遥か未来からやってきたんだ」
つくづく時代錯誤だ。
「物理的にありえない場所から登場しようとも思ったんだけれども、大騒ぎになったので今回は慎重に行こうと思ってね」
未来の法律がどうなっているかは知らないが、国や地域によって文化が違うことがあるのだから、時代によってルールも違うことは当然踏まえておくべき事柄だ。
どうやら、このガイドと名乗る奴は、そういった常軌を持ち合わせていないらしい。
「それで今回ボクが来たのは、とある使命のためなんだけど……」
なにやら色々と説明していたが、元からこんな人間の話を真面目に聞く気にはなれないので、話の内容は記憶にない。
未来人はどいつも“こんな”なのか、それともこの未来人が特別異常なのか。
いずれにしろ、こんな不躾な人間にタイムスリップさせるあたり、未来の法はまともに整備されていないようである。
説明が数分経ったとき、さすがに俺の訝しげな態度に気づいたようだ。
「あれ……もしかして、ボクの話を信じていない?」
「そもそも、どこの誰かも分からない人間の話を、無条件で信じる方がおかしいと思うんだが」
「いや、『どこの誰か』って。ボクの名前はガイド、そして未来から来たって……」
「だから、それが嘘か本当か俺には分からないから、信じるに値しないって言っているんだ」
ガイドと名乗るその女は、如何にも考えていますといったような仕草をオーバーにしてみせる。
すると、腰についたポーチからおもむろに珍妙なオブジェを取り出した。
言動が、いちいち癇に障る。
「じゃあ、見ててよ」
自社もそうだし
取引先もみんなそう
みんな知ってる大企業も
「くん付け」は部下に対してのみ
それも「さん付け」に変わってきた
http://b.hatena.ne.jp/entry/diamond.jp/articles/-/122503
"なぜ若手社員は同期を「さん付け」で呼ぶのか"って記事のブクマ。
記事の内容は、時代錯誤のおっさんが、2人の若手社員の訪問を受けるんだけど、同期であるその2人が「さん付け」で呼び合っているのに違和感をおぼえて…というもの。
で、記事の内容はいいとして、ブクマを見ると、「さん付け」するのが当たり前って意見が予想外に多くて驚いた。
あまり馴れ馴れしいのは良くないかも知れないけど、はてなーの人なら、「どうでもいい」が多いかと思ってた。
やっぱり、仕事関係であれば、誰に対しても「さん付け」するべきなのかな?
俺は今20代半ばで、新卒で入った都内のSIerに勤めてる。同期は呼び捨てだったり、愛称で呼ぶ人も多い。「さん付け」する相手もいるけど、少数。
もちろん初対面の時は「さん」付けしてたけど、新人研修が長かったのもあってか、次第に打ち解けて呼び方が変わっていった。プライベートで遊びに行く人も多い。
後輩の呼び方は、大して親しくないから「さん付け」の方がいいかな…とも思った。でも他の同期が、男には「くん付け」、女には「さん付け」で呼ぶので、とりあえずそれに合わせている。女の後輩を「ちゃん付け」で呼んでる人もいる。まあ、女同士だとそんなものか?
あと、SIerなので他会社と働くことが多いけど、俺に対して敬語を使わずフランクに話してくる人もいた。年も経験も実力もかけ離れていたからね。俺は敬語で話してたけど、特に違和感は無いし、どうとも思わない。俺だったら他会社の人には年下でも敬語で話すけど、別にどう呼び合おうが、仕事に支障があるわけでもなし。
逆に、とにかく丁寧な言い方をしようとして、上手く喋れなくなっている人が結構多い。敬語なんて最低限でいいから、要点を言ってくれ、とよく思う。
書いてて思ったんだけど、俺は人の呼び方に特に拘りがないな。自分は常識的でありたい、と思うだけで、相手からどう呼ばれようが、どうでもいい。
形式的なメールの文面とか嫌いだし。最後に「よろしくお願いします」を付ける、みたいな。
でも、拘りがないからこそ、「さん付け」の方がいいかもしれない。「さん付け」するのが安全側だから。
呼び捨てされて気分を害する人はいても、その逆はほとんどいない、とも考えられる。
それとも、ブクマの方たちは、「仕事とプライベート分けろよ」って考えが強いのかな。半強制的な飲み会とかやめろよ、と同じ流れで。
俺もそれには賛成。ただ、俺の場合、客先常駐で同期が周りにいないので、というか同期と実際の現場で仕事したことがないので、「同期」というより「友達」という感覚になっている。同期には結構そういう人が多い。
やっぱり会社や人、あとは業界によってもこの感覚は違うのかな。
…まあ、何にせよ、「郷に入っては郷に従え」ということだろう。
呼び方なんて、どうでもいいし。
ガチ零細で働いている。誰がどう見ても零細企業だ。社屋が物理的につぶれかけている。社長は老害。実質社員は俺一人。しかし中身はなかなかに健全だ。仕事やってれば細かいこと言われないし、給料もそこそこ。次期社長を操って社会保険も完備させた。定期的に短い出張があるのでリフレッシュも出来る。残業なし。これがでかい。社長はガチ老害だが、老害すぎて客も社長を避けるレベルに到達したので基本的に平和だ。老害トークが始まったら外に出れば良いからな。事務員さんも平気で外に出る。
入社以来、ひたすらにストレス要因をつぶしてきたが、最後のストレス源が残っている。それは客だ。
客の品質がとにかく悪い。
何とか客も厳選して来たんだが、やはりどうにもならないところはある。
これは中小零細大企業問わずだが、とにかく50代以降のオッサンどもは挨拶が出来ねぇ。
横柄な奴、ニヤけた奴、不機嫌な奴、やたら忙しいフリをしてる奴、高級スーツに着られている奴、美人秘書を連れてくる時代錯誤な奴、日本語が出来ない奴、ヤンキー上がり丸出しな奴、いろんなオッサンどもが来るが、どいつもこいつも挨拶をしねぇ。挨拶をしたとしても、名乗らねぇ。
どいつもこいつも、「自分のことは知っていて当然」な面をしていやがる。そんなのどうでも良いから名乗れよ。とにかく名乗れ。名前をいえ。所属と目的を言え。おまえらは親に「ごあいさつは?」って言われないと挨拶出来ないのかよ。
まぁ大企業のお偉方が俺らのようなガチ零細に礼儀を尽くさないのは仕方ないかもしれんがな。でも名乗れよ。首が短いのに高級スーツ着てるなよ。せせこましいオヤジだなおい。ダセぇよ。っていうか名乗れよ。名乗れば来客ノートか名刺の裏に「ブランドスーツに着られている猪首オヤジ」と書いておけるからな。名乗らねぇとそれも書けないだろ。いや、ちゃんと名前は訊くけどな。尋ねるよ。「お名前はなんとおっしゃいますか?」って。でも訊かせるなよ。名乗れよ。名前を。お前の名前を。
とにかくオッサン連中にストレスを感じる毎日だが、事はオッサンに限らない。
思うに、会社規模を横軸に、名乗り具合を縦軸にグラフを書くと正規分布になるんじゃないか。
中小企業が一番名乗る。中小企業は「自分の会社が知られているかどうかわからない微妙なライン」だから、ちゃんと名乗る人が多いな。大企業は礼儀正しく名乗る人と名乗らない奴で二極化される。零細企業はまず名乗らんな。っていうか、零細の中には、生まれてから一度も自己紹介したこと無いようなのがけっこういる。生まれてからずっと狭い世界で生きていたので、自分の知らない人と話す機会が無いんだろう。老害社長の知り合いはこの手の輩が多いな。汚らしい格好でふらっとやってきて「○○ちゃん(老害社長の幼名)いないの?」とか事務員さんに絡み始める。うるせぇ。仕事の邪魔をするな。暗に茶を要求してるんじゃねえよ。こっちが仕事してると「忙しそうだぇ~」とか言い出す。黙れよ。お前は誰なんだよ。俺はお前には絶対に名前は訊かねぇからな。出がらしの茶をすすって帰りやがれ。
つーかもう、マジで名乗ることを法制化してくれ。名乗らなかった奴は厳罰で良いだろ。「本当の名を知られると呪術をかけられる」みたいな時代じゃねえんだぞ。陰陽師かよ。名乗れない奴は名札つけろ。いや、ゼッケンつけろ。名乗れ。名乗ってくれ。頼む。頼まれなくても名乗ってくれ。
いかな新人さんであろうとも、名乗ってくれるだけで信頼度は格段に上がる。新入社員の人はちゃんと名乗ってくれるからいい。数年するt名乗らなくなる奴もでてくるがな。そういう奴には仕事は回さねぇ。
名乗ったり自己紹介したりが苦手な人は居るだろう。その気持ちはわかる。しかし、名乗りと自己紹介だけは人間の基本スキルとして押さえておいてほしい。人間として。そうでなければあの汚らしいオッサンどもと同類になるぞ。
自己紹介のコツはたった一つだ。
まず名乗る「~~の○○です」。次に、ここにいる理由を言う「○○さんの紹介で、こちらでは○○を取り扱っていると伺ったので参りました。お忙しいところありがとう御座います」。これでもう非の打ち所のない自己紹介だ。あとは自分は普段何をしているのかとか適当に付け足していけば良い。
これから会社で働き始める人とか、新人を教育する人とか、とにかく、「名乗って、自己紹介する」事に注意してくれよな。
海外でも仕事するけど、海外でさえ名乗らない日本人多いんだよ。
「人に名前を尋ねるなら、先に名乗れ」みたいなカッコイイ台詞あるけどさ。そんな事言ってる間に名乗れ。その発音の労力を名乗ることに注力してくれと思うんだよね。この台詞は「必殺技名を叫ぶ」みたいなもんでさ。リアルじゃないんだよ。リアルと創作の区別はつけようぜ。
名乗れ。
国有地格安売却問題で揺れる森友学園だが、世間では初めて知る人も多いらしく「えっ、こんな幼稚園あったの?」という感想も多いが、ネットでは10年以上前から政治的に有名な幼稚園だった。
初めて知る人の場合、「国有地格安売却」→「安倍昭恵名誉校長」→「園長夫妻のヘイトスピーチ」→「教育勅語を暗唱する幼稚園」という順番で事実を知っていき衝撃を受けるのだろうけど、ネットでは順番が逆。
15年前くらいにすでに軍歌を歌う幼稚園として批判的なニュースがネットで知れ渡っており、10年前くらいに教育勅語を暗唱させる時代錯誤な幼稚園としてネット民に完全に認知されることとなった。
ただし、10年前は嫌韓・ネトウヨ勢力がネット言論の大部分を占めており、マスコミがいくら批判的にニュースにしようとも、「軍歌の何が悪い」「教育勅語のどこが問題なのか」と全く意に介さず、むしろ幼稚園の教育を正当化する意見ばかりだった。
森友学園がYouTubeに園児の課外活動として自衛隊イベントなどで日の丸や旭日旗を振らせるビデオをアップし始めて、2chの一部の板でそれを嘲笑的に取り上げるようになった。
2015年から安倍昭恵が幼稚園訪問したことを産経新聞が記事にするようになり、園児たちに「安倍総理はどんな人?」と聞いて「日本を守ってくれる人」と答えさせるなどしていると知られ「権力とずぶずぶやないか」と呆れ始めていた。
その後、2016年12月のロイターの記事で、安倍昭恵名誉校長の小学校開設が知られ、「うわ~きもい」ってなってたところに、この土地売却問題が報道され「ああ、さもありなん」と納得して追及する側に回ることとなった。
オフィスでナレッジなワークをしてるのが彼らの中で唯一の優位なのだろう。
しかし、例えば彼らの工場で働くイメージが、小学校の教科書に載ってる18世紀の工場制機械工業のままからわかるように、
派遣ですらQC講習会や各種プレゼンはある現代、正社員になれば転勤、技術指導や技術営業だってあるのに時代錯誤も甚だしい。
自称ホワイトカラーは、定期昇給がなければ、ボーナスもない、春闘も関係ない新興か、
総合職でなく一般職扱いなのに一般職とは明記されない、要するに低賃金な事務員として雇われている場合である。
公開した2004年から20回は見返している。一番好きな邦画。
ロリータファッションの深田恭子と、時代錯誤なヤンキー土屋アンナ、凸凹な2人が
ケンカしつつも親友になってゆくという、それだけのお話なのだが、
何度見ても心がじーんとする。
全編通してコメディ全開のドタバタ喜劇で飽きさせない造りの中にふと挿入される、
ハンディカメラっぽい荒い画質の2人が代官山をはしゃぎ回るシーンとか、
川原で2人がたたずむシーン、胸が熱くなる。
そして転げ回って行き着く先に、泥と血塗れの深田恭子と尼崎弁の啖呵。
カタルシス全開なところに流れるEDテーマの歌詞はhey my friend!
あー見てよかった。また見よう!
結局、昔の女は金や社会的圧力で嫌々産まされてただけで、女の自由に任せたら子供が足りなくなる。
実際そうなんだと思うよ。今子供が増えてんのもインドとかイスラム圏とかそんなんばっかりだしな。
だから、本当に少子化を解消するなら根性論に走るか、女の権利を制限するかしないと無理だ。
でも今更根性論には頼れないし、俺はアンチフェミではないので、そんな時代錯誤なことは言えない。
だから、今後の日本は、別の国で起こっている迫害は見なかったことにして移民を受け入れるか、
でも、とにかく女を優遇すれば効果がありますよみたいな意見にはさすがに腹立つんだよな。
何の根拠もないのに少子化にかこつけて要求を通そうとするんじゃない。
「今日、最初の待ち合わせ場所だった広場さ、例の宗教のやつがやってたよな」
「不可思議な宗教だな。お前の弟や、その友人も訝しげに見ていたぞ」
その場に弟たちがいたという話に悪寒を感じたが、俺はコーヒーをすすりながら聞かなかったことにした。
「まあ、ボクとカジマも一応は信者だけど、傍から見てもそんなもんだろうね」
さらりと言われた衝撃の事実に、俺は思わずコーヒーを吐き出しそうになった。
ウサクも驚き、向かいに座っているタイナイとカジマに、前のめり気味に尋ねた。
「まあ、そうだね」
屈託なく言われたことに、俺もウサクも次の言葉が中々出てこなかった。
何を信仰しようが自由とはいえ、彼らを少なからず知っている身としては、意外と言うほかなかったからだ。
「い、言ってはなんだが、アレはお前たちにとって大したものとは、とても思えないぞ」
ウサクは咀嚼しようと必死で、彼らが「生活教」を信仰する理由を、理解しようとしていた。
そこまでして信仰する何かが、もしかしたらあるのかもしれないと思ったのだろう。
次に出てきたカジマの言葉に、俺はまたもコーヒーが変なところに入りそうになった。
「お、面白いって何だ。教えとかか?」
「そうそう、崇高な理念があるのかもしれないけれども、いずれにしろ言っている内容は大したことじゃないからね」
そのあまりにも身も蓋もない言葉に、ではなぜ信者なのか尋ねる。
「だって、面白いじゃん。そーいう大したこと言ってないのに、大したこと言っているみたいにするのって」
「そーいう人を、大したこと言っている人間みたいに神輿にかついだりするのも面白いよね。分不相応であるほど、言ってることの陳腐さが際立って滑稽なのに、本人がそれに気づかないってのも二重の意味で面白い」
「えー……つまり、二人とも教祖の言っていることに心酔しているわけじゃなくて、遠まわしに茶化しているだけ?」
「うん、だって大したこと言っていないのに、本気で持て囃したらバカみたいじゃん。恐らく、信者たちの大半は僕たちと同じスタンスで信仰していると思うよ」
「『帰ったら手洗いうがいをしよう』だとか、『体にいいものを食べよう』だとか、それがよいことなのは分かりきっていて、その上でどうするかってのは個人の裁量でしょ。わざわざ連呼することではない」
「まあ、そもそも、このご時世に新興宗教って時点で信仰に値しないよね。というか、宗教自体が時代遅れだけど」
タイナイとカジマは、ケラケラと笑いながらコーヒーをすすった。
ウサクは腕組みをしながら何か知見を得ようと唸っていた。
俺はほお杖をついて息を漏らすしかなかった。
まあ、俺たちも少なからずそう思っていたわけだが、だからといってタイナイたちの姿勢も中々にご無体なものである。
「なんというか……宗教そのものの意義を否定する気はないが、人に何かを教える体系としては時代錯誤になりつつある、ってことなのかもしれないな」
この後『生活教』がどうなるのか、本当に無意味なのか、それは今はまだ分からない。
でも、俺たちが考えているよりも何かを信じたり、何かを正しいと思ったり、そのために行動することは簡単なことではないらしい。
数日前「中国がネット検閲回避のVPNを全面禁止」というニュースが流れた。
日頃マスコミの報道する中国のニュースを見てる日本人としてはさもありなんと感じるような内容だ。
ところが、昨晩このような記事が流れた。他にも複数の人物が似たような事を書いてる。
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「中国がネット検閲回避のVPNを全面禁止」は誤報です | ニューズウィーク日本版
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/01/vpn.php
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こと中国に関するニュースに関しては、マスコミは偏見に満ちたニュースを平気で流すので当てにならない。
偏見や差別で済んでるうちは良いのだけど、わりと自己欺瞞の水準に達してきていて危ない。
これは別にありがちな日本はもうダメだとかそういう話じゃない、日本製品は相変わらず品質は高いし人材の基礎教育レベルも高い、都市環境もかなり快適だ、それは間違いない。
絶対的な基準で見れば日本は明らかに先進国なわけだけど、中国はノロノロと確実に実力をつけてきていて相対的にかなり追いついてきつつある。
それは経済とか軍事とかそういう話ではなく、国民含めての総合的な国力の話だ。
習近平体制になってから言論統制が強まったのはまったく疑いようがない。
ところが実はその裏で実際に法治の徹底と社会保障制度の整備、技術的イノベーション、ソフトパワーの充実、市民意識の向上が着々と進行していたりもするのだが、これは悪の共産党独裁国家にあってはならないことなのであまり報道されない。
中国共産党は酷いかも知れないが、無能の集団ではない。4000万人からの党員のなかより有能なテクノクラートを選出し、さらにその中から数十年かけて選び抜かれ権謀術数に長けた人間が頂点に立つのである。
無能なわけがない、むしろ遥かに有能な人間が多いと言っても過言ではない。
別に友好的である必要はまったくないけれど、時代錯誤な鬼畜米英的色眼鏡で見てると自己欺瞞に陥ってしまう。
敵視するにしても敵の本質と実力をしっかりとらえたほうが良い。
認めよう、中国はかなり力をつけている。娯楽として彼らのモラルの低さを笑うのは良いが、侮ってはいけない。
2年前の3月。自分は就職が決まらないまま卒業式に臨み、そのままフリータールートへ突入した。
就職課をはじめとする大学関係者には「某生命保険会社の営業に内定が出た」と嘘をつくことで、表向きは「社会人生活へ向けて巣立ちを迎えるフレッシュな若者」になりきった。
就職が決まらないということが何より恥ずかしかったし、周りには心配をかけたくなかった。
今思えばそんなクソみたいなプライドで嘘をついた自分の方が恥ずかしいのだけれども。
早くこんなつまらない地方都市から抜け出して、レインボーブリッジでシーマ転がす業界人になってやる。
なんて時代錯誤でクソダサい動機を孕みつつ、鼻息荒く就活がスタートした。おったまげ。
エントリーシートは通る。筆記試験も通る。しかし面接でことごとく玉砕。
気づけば残り弾数はゼロ。そして静かにマスコミの就活シーズンは収束。
就活の良い思い出?履歴書の文字が綺麗って褒められたことくらいかな。ファック。
「まあそれでも?どこかには決まるし?ドンウォーリービーハッピー的な?」と楽観的に考えていたのと、内定承諾までの返答期限という事情から、他企業は内定を辞退してしまっていた。
その後は流石に「転がすのはライトエースでも小型セダンでも、なんでもいいから、もうシーマなんて言いませんから…助けて…」と、ブットビまくってた理想をかなぐり捨てた。
どこでもいいから拾ってくれと地元の中小企業などを血眼で受け続けたが、軒並みお祈り。
自分はシーマどころか社用車にも乗れない人間。この事実を認めざるを得なかった。
冬ごろには就活をする気力も、今までの根拠のないプライドも、全て灰燼と化した。ぼくの心を就活は奪い去った。俺は空洞。でかい空洞。
全て残らず就活は奪い去った。
俺は空洞。面白い。
さすがにYami Yami Day(※病み病みの日のこと)を送って震えるのは嫌だったので、バイトを詰め込みまくり、卒論を夢中で執筆することで現実逃避をしていたら、春なんてすぐだった。瞼閉じればそこに。
こうしてひとり、職無しのまま社会へ放流された死んだ目の若者が完成した。
卒業式後の飲み会で友人とフジファブリックの「若者のすべて」のサビを肩組んで歌った辛すぎる思い出。何年経っても思い出してしまうなあ。
毎晩内定のない人が見るまとめ速報を見て「自分マヂクズだゎ…ッラィ…」とか思いつつ、マンマのご飯はススムくんな、ナンダカンダ健やかなニート生活を続けていたある日。
「金を入れられない人間はこの家を出て行け。とりあえず働け。」
と母に某アルバイト情報誌でアタマをシバかれ、ぱみゅぱみゅしてしまった私。渋々実家から激近の某企業でアルバイトを始めた。
そこにいた先輩アルバイトのK氏は、大学を中退後、様々なバイトを転々として、今に至るらしい。「条件がかなり難しいから正社員にはなれないだろうけど、ずっと別にこのままでいい」と言っていた。
確かに仕事は楽だし、地元にしては時給もいいし、定時でしっかり帰れるし、人は優しいし、社食はおいしいし、福利厚生や社割もあるしで、バイト先にしてはマチャアキも文句なしの星3つだった。
しかし、そんなK氏を見ていると「自分はずっとアルバイトという立場でいいのだろうか?」という疑問が首をもたげてきた。
パン酵母か?というくらいに、その疑問は日に日に膨らみ、(マンマのご飯と社食で体重も膨らみ)ついにバイトを始めてそう日が経っていない初夏のある日、母にこう言った。
「は?東京?行ってどうすんの。」
「どうしましょ、どうしましょ、どうしましょったらどうしましょ」
[2]に続かせてください。
ちょうど在学中にブルマからホットパンツに変わった世代だけれど、当時はそんなこと気づきもしなかったな。女子少ない某科生だったからかもしれないけれど。
ジャージに関しては確かに公式のものはなかったので、部活の有志で作ったものを着てた。
ただ、水泳の補習と体力テスト、龍城クロカンに関して言えば、私の在学時より厳しくなっている……というより、話を聞く限り「異常」だよね。
例の事件をきっかけに、健全な精神は(略 なノリで体育教員か校長あたりが暴走し続けてるのだろうか。
日本人と公共サービス問題について議論になると、いつも同じ質問を聞かれます。
「どこまで鉄道趣味を批判すれば、鉄道界隈の暴走が止まるのか」という質問です。
「日本人が私鉄社会の時代錯誤性に気づき、公共交通として進歩するまで続けなくてはならない。彼ら鉄道趣味は公共交通の革新を妨害した原因の一つだ。」
そう答えています。
この私の答えには、鉄道利用者や一般市民の殆ど全員が納得し、同意すると思います。
鉄道オタクのみなさんが公共交通の本来の目的を理解し、革新の要求を聞かなかったと言う過ちを認めるまでそれを続けるべきです。
鉄道は企業とお客様と「大きなお友達」と資本家だけのものですか?
違いますよね。そもそもインフラは公共すなわち市民・国民全体の財産です。
非難と訴求は永遠に続けるべきですが、だからといって車社会のほうがましとかいうつもりはありません。車社会は車社会で大問題です。
いずれにしても私鉄社会をいつまでも認めるつもりもないし、革新要求は強くなることはあっても、弱くなることはありません。
その証拠に日本の鉄道は、運賃の一本化を実現できていない地域が多い。
正直言えば、2020年の東京オリンピックを機に、外国から見ても時代錯誤な鉄道インフラ料金システムを改善すべきです。
1位全国区・公営鉄道、2位道路交通、3位都市・地方密着私鉄、これが陸上交通の正しい順位であるべきで、その為にも私鉄社会を車社会同様に全時代的な交通システムとして認識すべきです。
最後に
この日のためだけに時代錯誤のようなばかげたおふざけ行為をするんでしょうか?
日本って何を控えている国でしょうか?2020年に何を控えているんでしょうか?
私の知人に神奈川の茅ヶ崎に住むアラサー男子さんがいます。その人にこのニュースの話を教えました。
すると彼は「私ですら見ていて恥ずかしい。吐き気すら覚える」と返答がありました。
私の祖国には成人式と言うものはなく、ましてや成人式で暴れて捕まるようなとんでもない不良なんて存在しません。
日本は韓国と違い、比較的文化的に慣用性のある国です。今の時代はオタクみたいな人間でも公務員に入れる時代です。ゆとりさん、落ち込まないの。
しかし、それでもみっともないものには「みっともない」というべきではないんでしょうか。
2020年に国際的行事、しかもオリンピックです。万博ではありません。
日本は昔に比べて治安も良くなったとききますが、今年の沖縄の成人式で暴れていたような連中が日本の各地に東京ですら蔓延る様をみていると、まだまだそれは不十分です。
基本無料で遊べる代わりにエンドコンテンツは指を咥えて見ているかそれとも自分も課金者になってゲームを支えるかをを選べるスタイルは今や1つの基本的雛形として確立されている。
お金を払えば簡単に強くなれてしまうようなゲームでいいのかという意見もピントがずれている。
強くなるためにネットゲームに時間を使いまくった結果人生を破滅させた人間の体験談が巷に溢れているこの時代にプレイ時間を自慢するようなデザインは歓迎されない。(一般人には。全部分かった上でむしろその地獄に飛び込むのをカッコイイとか言い出す"アレ"な人達は時間をたっぷり使える廃人ゲーを未だに歓迎しているけど一般人は違う。)
実際ゲーム画面の前に毎日20時間張り付くよりも10時間働いてそのお金をゲームに入れて5時間張り付くほうが絶対に健康的だ。
体もそうだが人生やメンタルにおいてもずっとゲームをやっているよりも昼間(夜勤なら夜中)仕事をしている生活のほうが絶対にいい。
「お金を払って強さを買うという行為が虚しい」という時代錯誤の発言をしている人は自分の言っていることを今一度よく考えてみるべきだ。
自分が老害化して無条件に「自分が過去にやっていたゲームは素晴らしい。今若い人たちがやっているゲームはゴミだ」と考えている事実に気づくだろう。
気づいたのなら引き返せる。
気づかなかったらもう手遅れだ。