はてなキーワード: 実用とは
反発してるブクマカだらけだけど、あいつら自分で実用しようともせずに
絵が入ってる(融和した)QRコードなんて普通に作れたやろ ある種機械的なルールに則ってるだけなんだから一回コード生成した後はルールを崩さずに上から補完していくだけだ
あんな程度のものをようやく機械の力で作れたとか思ってることに衝撃を受けるし、そんなこと言ってる人が夢物語を語ってると思うと二重の衝撃ではあるんだが
手間は死ぬほどかかるし今みたいな実用的なレベルの速度では作れんかったけどな
あとそっちに合わせて書いた飛行機の例は微妙だった気はするが、それならそれで飛行機は当時のインパクトとしてより微妙で、今回の方が不安を喚起してるっていうこっちの主張の補強材料になってるじゃねーか
俺はML系を長いことやってるが、別に今回のものが仕事全てを奪うわけでもなし、上手く使って色々やればえーやんという派閥ではあるが、だからと言って凄いよね楽しめるじゃん!お前らの気持ちは全然わからんわみたいなこと言って他の人の感情面とか全部バッサリ切り捨ててるお前みたいなのが1番苦手だわという話
横だが流石にその例とは話が違うくないか
飛行機ができたときはこれまでできなかった飛行というものができるようになったわけだが、それは既存の仕事と干渉してるというよりは新たに仕事を作る形だった
今回は何かが新しくできるようになったというよりかは人間ができたことを高度に模倣できるようになったっていう、ある種の効率化でしかない
実際計算機が登場してから実用的にそろばん弾いてる人なんて絶滅したし今回も同様のことは確実に起こるしビビってる人が多いってのは容易に想像できる
実際には無難なところに落ち着くだろうけど、今でさえ既に肉体労働者以外は一部の高度人材以外は要らんみたいな状況に近付きつつあったのがもっと加速して我々がコンピュータ様のお身体を整備させていただくお仕事でもやらされるのかなと思うと暗澹たる気持ちよ
想定してるもんが違うってのはそりゃあるやろうけどな
こちとらド素人が考えた最強の改善法みたいなのをしょっちゅうメールで受け取る立場だから、新人が似たようなことやってきたときはグーパンしたくなったわ。一つの問題点を解決するために他の問題点を10個以上生じさせるアホみたいな方法をドヤ顔で披露してくる奴ってめちゃくちゃ居るぞ
ぶん殴りたくなるし実務経験5年は積んでから出直してこい以外にかけられる言葉はない。そういうメールを3桁できかないくらい受け取ってて職務上ほとんどは一応目を通しているが、その経験をもってしていうと考えもしなかったような新しいアイデアなんて受け取ったこともなければ実用に足るものなんて殆どない。どれも想像の範囲内で、かつデメリットがいくらでも挙げられるようなものだ もしくはとっくに試して失敗してるかな
素人が思いつくみたいな神話を見て自分がどうこうできると思ってるアホが多すぎるんだよ
それに新人のやり方もアホやしな 多少なりともまともな意見を言ってくる新人とかもいるけど、そういう奴はだいたいこんな摩擦を生むような提案の仕方をしないし話を聞いてもらえないなんて駄々をこねない
モーニングの「クッキングパパ」は絵柄のわりに実用的なレシピが多いが今だと大半ツイッターに乗ってる感はある
またモーニングの「とりぱん」は最初のほうは漬物などが袖(表紙の折り返し)にのってておいしそうだった
さらにモーニングのなんか料亭の女主人の漫画もなんか凝ったことはやってたけど自宅で作る気は一切しないため覚えられんかった 「おせん」かなんかいう名前
さらに「ばらかもん」に一つだけレシピの出る漬物「このもん」がとりぱんとほぼおなじレシピのようで本当に気になっている
ほかもちゃんぽんとか下宿先に手料理もってきてもらううちに登場人物の一人が料理人を目指したりする
講談社は地に足の着いた話が多いなとこうやってみてると思ったよ
小学生だってマスターベーションをするからです。男子だけでなく、女子も。
https://news.yahoo.co.jp/articles/73d6ccaddc8cda67aa8b6c9ddb8c28493c7e0a92
炎上しているこの件、「なぜ小学生が読む雑誌に性的な漫画を載せる必要があるんだ」「子供に性的コンテンツなど必要無い」「子供に性的要素を見せるな」
と一部の大人たちが吹き上がっているが
簡単な話で、「小学生もマスターベーションをするから」であり、小学生男子は少年誌に載るようなパンチラやおっぱいの直接的なエロ描写で自慰行為をしますが、小学生女子は「直接的ではないけれどエッチを想起させる雰囲気や関係性」から妄想してマスターベーションするんです。
(そもそも溺愛ロワイヤルは新潮社ではなく小学館のちゃおだし、出張再掲載されたものだし、溺愛ロワイヤルに限らず八神千歳先生の漫画はエッチな雰囲気を醸し出す事に定評があっても直接的な性描写に突入するような漫画は描かない)
もう一度言います。
(※物心付いたばかりの幼少期の無意識的な自慰行為の問題もありますが、その頃の自慰と思春期の小中学生の自慰は別物であるという考えが一般的です。本記事においては小中以降の意識的な自慰行為について言及しています)
(自慰行為を「セルフプレジャー」という言い回しを推奨する教育者もいますが、それこそ臭いものに蓋をするようで個人的には嫌なので本稿ではマスターベーション・自慰と表記します)
今回に限らずこういう性的表現問題で炎上する際に、毎回必ず「小学生もマスターベーションをする」という事実を黙殺、蔑ろにした状態で議論を進められる事にずっと違和感があります。(くどいですが溺愛ロワイヤルはそこまで直接的なエロを描く漫画じゃないです。が、性描写に踏み込む少女漫画は数多くあるので一般論として話を進めます。)
小学生の立場で考えたらそんな事言及されたくは無いだろうし私も言いたくありませんけど、でもそれで子供が声をあげられない事を良いことに「子供から性的なものを想起させる程度の描写といえども徹底排除させろ!」という人たちには鼻白む思いを何度もしてきたのであえて言及します。
こう言うと、「そういうのが見たければこっそり青年誌を読むだろう」「だから子供が読む物に性的なものなど必要ない」と言う人もいます(ていうかいました)
ゾーニングの問題もありますが、あえてそれは置いといても異論があります。
私は小学生の時にAVをこっそり見る機会がありました(仁義もあるので見た時の方法・状況については伏せます)
性的な欲求からではなく、単なる「大人はどういう物を見るのだろう」という好奇心や興味からです。
実写の男女がセックスで交わる映像を見て、率直に思ったのは「気持ち悪い」でした。
大人がセックスする事は、それこそ漫画の知識などで知っていましたが実際にやっている所を映像を観た時は、こんなものを観ることで「エロい」と思える事が理解できませんでした。
だからといって全般的な性嫌悪になるかと思えばそうはなりませんでした。
やはり性的なものが絡む世界には興味がありましたし、たまに載るちゃおやりぼんの「少しエッチな空気の漫画」にムラムラし、小学生が考えうるレベルの「その先の更にエッチな事」を想像してマスターベーションをしていました。そして背伸びしてSho-Comiに手を出したりします。
でもそれ以上の年齢層の女性誌や青年誌をこっそり立ち読みしても「なんか違う」「ここまでのものは求めてない」という気分になり実用に向きませんでした。
(Sho-Comiは建前上は中高生向け雑誌という事になってますが、小学生も読者層のターゲットに加えていることは暗黙の了解となっています。Sho-Comiによる小学生からを対象とした投稿漫画コンクールもあるぐらいですから)
小学生にとってはちゃおや、行ってもSho-Comiレベルが一番身の丈にあっていて、それ以上の性表現は逆に性的に感じなくなるんです。
ただそれは年齢相応の話であって、年月を重ねる毎に性的に感じるレンジも広くなっていきます。成人した今では普通にAVやエロ漫画を見てマスターベーションをするようになりました。
漫画の性表現についてはコンプライアンスの問題がついて回りますし、今回炎上した溺愛ロワイヤルもコンプライアンスをキリキリに縛れば当然不適切なものにあたるのでしょう。
でも漫画は道徳の教科書じゃないんだから時には不道徳なものだってあるでしょう。
ハラスメント的な問題も当然もあるでしょう。子供に変な思想を植え付けられるという心配もあるのでしょう。
でも子供の事をそこまで馬鹿だと思っていないなら、そういう時は親や大人は子供と適切な対話でもって対応してほしいですし、決して否定や叱責、あるいは世間を扇動させて作品や描写の排除に向かわせる事だけはどうか止めて頂きたいんです。
私は性教育における「はどめ規定」は無くなってほしいし、小学生の内から適切な性教育を受けるべきだと思うし、ジェンダーや性交をタブー視しない包括的性教育を行ってほしいと思ってます。
その上で、ちょっと危うい不道徳さが残る性表現をも排除する社会にもなってほしくありません。
私は小学生の頃からマスターベーションをしてきた身として、小学生にもマスターベーションの自由はあると思うし、大人が頭ごなしに否定してほしく有りません。
そして小学生ともなると、何も見たり聞いたり一切参照せずマスターベーションする事は流石にできなくなる事も知識として理解してほしいです。
私は小学生の身の丈に合った性表現の漫画、いうなれば「小学生が読めるエロい漫画」は必要だと思うのです
ジェンダーやコンプライアンス、ハラスメントの問題、描き方の問題など多くの事が積み重なってくると思いますが、そこを乗り越えてでも「小学生が読めるエロい漫画」はあったっていいと思います。
私の、あまり明るくはない小中学生時代はマスターベーションをする事でだいぶ救われた過去があるので、性的な描写を含む漫画を子供から取り上げる事は、私のようにマスターベーションが救済になっている子に対してマスターベーションを取り上げるようにも思えて、気分が悪くなります。ましてや「検品」だなんて・・・・、この親は育成ゲーム的な感覚で子供を育てているのかと少なからず怒りもあります。
私の親は誇れるような親ではありませんでしたが、私のマスターベーション事情に関しては深く追求せずにいてくれた事は有りがたく思っています(何度かしてる最中に部屋に入られそうになり、テンパった姿を目撃されているので何をしているのか親も大体はわかっていたんだと思います。)
長くなりましたし、思いついたまま書いたので非常に取り留めのない文章になりましたが、今回の溺愛ロワイヤルの炎上の件で一度思っている事を吐き出したい感情にかられたので書きました。
乱筆乱文でごめんなさい。
この中でRevolutは俺の小遣い管理で使っていたのだが、このたびオワコンとなったので別のものを探している。具体的的にはクレカからのチャージが有料化して銀行振込しか対応しなくなった。その銀行振込も数日かかることもあって実用的ではない。
小遣い管理なのでプリペイドカード形式がよく、物理カードのあるKyashが最適解かとおもうが、これは家族間でも使っているので全般的な見直しが必要。
そうなるとmiximやみんなの銀行かな。
もしくはこれを機に全部を見直すターンにするかな。
前 https://anond.hatelabo.jp/20230702201919
タカラバイオ社が説明書とマニュアル類を公開しているので暇な時に是非読んで欲しい。
https://www.takara-bio.co.jp/research/prt/guide.htm
素人が簡単に説明すると、PCRはポリメラーゼ(核酸合成酵素)チェーンリアクションの略で、DNAが分裂したりRNAに転写する酵素を使ってDNA/RNAの一部分をどんどん増幅させちゃおうという検査だ。試薬(プライマーという)の中に増幅させたい塩基配列の一部に反応する成分を入れておく。で、この成分に蛍光剤をくっつけておくのだ。
PCR機械がやってる事も単純で、最初に一瞬95度まで加熱する。その後冷えたら65度加熱→冷却をずっと繰り返す。こんだけ。
最初の95度でDNAをほどいて一本ずつにする。65度は解けたRNAの一か所にプライマーが引っ付く。細胞内でタンパク質合成する時と同じだ。プライマーには蛍光剤が引っ付いてるから紫外線を当てると光る。DNAは小さくて顕微鏡じゃないと見えないが、こうすることでカウントされ易くなる。カウントされたら陽性だ。
リアルタイムPCRはこの増加量をずっとカウントしている。TV映像などでモニタ画面に線グラフが出ているのが映るだろう。
PCRは大分前から広く使われていて、食品メーカー、飼料メーカー、酒蔵など、生物由来のものを扱う会社ではお馴染みで、サンプルを封筒で送る事もある。
90年代に米国のヒトゲノム計画というのがあって、人間の遺伝子配列を全部読んでしまおうという計画だ。最初はPCRで少しづつ読んでいたのだが埒が明かない。そこで自動的に配列を全部読んでくれるDNAシーケンサーが開発された。
当然シーケンサーはヒトゲノム(遺伝子配列)だけじゃなくてウイルスでも生物でも何でもかんでも読めるからゲノム読み競争が勃発。あらゆる生物のDNAがシーケンサーに掛けられた。ここでバカ高い試薬が大量消費されるようになったので、その市場目当てにバイオベンチャーが続々と参入した。その一つタカラバイオは焼酎の宝酒造の子会社だ。
ゲノム読み競争が加熱すると色んな生物の配列が確定する。するとPCRの有用性がぐっと増す。ある部分の配列がその生物に特異的だ(他の生物には存在しない)という事が判る。検索してヒットしなきゃいいわけだから。
だからPCRを産業的に実用で使う事が市場した。タカラバイオなどはこの市場に合わせてPCRプライマー中心に業態を転換した。
他の化学検査と違って存在しないDNA配列は増幅しない=特異度100%偽陽性無し、チェーンリアクション、つまり何度も反応を重ね掛けするので採取さえされていれば増殖可能=感度ほぼ100%という特徴があるから非常に使いやすい。コーンスターチのレーンにアレルギー物質の海老の殻の粉が落ちていても拾いだすし、プリオンというタンパク質が原因の狂牛病では、プリオンは検出できないが同種の動物の体が混入されていないかという形で活用できる。
間抜けな医クラ達は「PCR検査には熟練の技術が必要で検査技師にも感謝」とか道徳の授業みたいな結論にしていたが、添付されている画像がリアルタイム機のモニタの線グラフだったりした。
熟練の技術でやってたのは90年代の事であってその機械は現在のモノだという事が判ってない。更に彼等の勤務先にはPCR機が導入されていたりしたのだ。検査技師に話を聞いたらどうなんだ。
増田はペットで鳥を飼っているが、90年代にPBFDという原因不明の難病が流行した。鳥のエイズである。
これが2000年になると原因ウイルスが判明、これはシーケンサーの開発による。
2003年頃になるとアメリカで「遺伝子検査」が出来るようになる。PCR業者の隆盛だ。
最初は「間違って要請になる事も1%程度あります」と書かれていたが後にこれは無くなった。特異度100%が国内代理店に知れ渡った為だろう。
こういう風に2000年以降シーケンサー開発により遺伝子工学が一般化して来ていたのに岩永らは勉強不足で知らなかったのだ。タカラバイオが初心者向け説明書を公開しているのはそういう為なのだ。活用するのは研究者だけじゃないからだ。
日本では健康保険適用での検査活用が遅れている為に、他業種の人たちから盛大にツッコミを食らう形となった。医療は特別で知的上位であるという驕りが学びを怠らせたのだと思われる。医療の特別さは社会的責任にある。
一生に一度の知見が問われる場面で勉強不足で仕事の道具の事を間違えてミスリードした上にあれだけ説得されても無視してブロックし、ネットのフィルターバブルを悪用して支持者の間では無謬のイメージを保持し、まともな選択をした医学部に犬笛拭いて攻撃し、メディアディレクターの地位を悪用して部下に擁護させて防疫に背を向けておいて、医療記事が書きたいとか、ずぽっと脳カテーテルがしたいとか言われても、頼むからもう止めてくださいとしか言えない。他に仕事あるでしょ?
宗教学者の島田裕巳はオウムに抱き込まれて騙され、「サリン事件はオウムじゃない」という記事を書いたところ、雑誌の販売日に警察のサティアン大捜索が入り、大捜索中継中に「サリン事件はオウムじゃない」の雑誌が本屋に並ぶという大失態をして世間の怒りを買い、大学を追われてしまった。
昭和石油は民族資本の石油会社だったが新潟地震でコンビナートが壊滅して経営破綻、ロイヤルダッチシェルに買収されたが、地震時に支社長だか工場長が連絡取れなくなった。不可抗力だが彼は最後までまともな仕事が与えられなかった。人事に「申し送り」が付いたからだ。失敗したら終わりという瞬間はあるのだ。
今回のBuzzfeed身売りではどうかわからないが、一般的にはコロナでの岩永の振舞いは申し送りが付くものだろう。
発足当初のBuzzfeedはネットメディアにないクオリティで注目を集めた。だがコロナでの報道でそれらは全て帳消しだ。最初から無かった方が良かったというレベルだ。ファクトチェックを自社記事に向けるべきだった。
岩永は読売からの転籍で、反ワクチン連中の抗議で左遷されたと書いていてそれに同調する人が居る。だが広告出稿元の抗議とかでもなしにそんな有象無象の抗議で大新聞社の雑誌が左遷まですると信じられるものだろうか?そんな馬鹿な。
思い出したのは山口敬之が語っていたTBS退職理由だ。新潮の報道前、山口は夕刊フジなどに「韓国慰安婦の取材をしたらTBSが韓国軍の圧力に負けて握り潰されそれを文春に持ち込んだら帰国させられ報道から左遷された」と言っていた。そんな馬鹿なストーリーがあるか。
果たして新潮の記事が出ると、警察は帰国日と帰国便を知っていたので令状を取って空港に張っていた。どこから知った?TBSである。事件の捜査を受けて特派員解任、帰国便を教えたのだ。
一般論としてもたかが反ワク抗議で左遷なんて信じられない。彼女のコロナ禍での振舞いを見たらなおさらである。
お金出しますと言っている人はBuzzfeedメディカルのコロナ初期の記事群、やまもとの動画、タカラバイオの説明書群を読み、ツイッターで「岩永直子 ブロック」で検索してからでも遅くはないですよと申し上げておく。
original story as written by Hans Christian Andersen から リトルマーメイドになった時点では欧州大西洋(北部)の話だったみたいだが、2023版はカリブ海あたりに舞台が移されている
そこでは、ご当地風味の演出として民衆が出てくるミュージカルシーンで楽器「スティールパン」によって曲が演奏されている
「BGMにスティールパンの音がする」ではなく、明確に人間族がスチールパンを叩いている映像が見られる
スティールパンは白人の奴隷抑圧、から生まれた楽器なのは譲るとして
「トリニダード・トバゴはイギリス領となりましたが、黒人奴隷たちの待遇は相変わらず最悪なもので、しばしば植民地の政府や警察相手の暴動が発生。
その発生は「カーニバル」の時期に決まって起こっていました。
キリスト教の謝肉祭の文脈と、アフリカの楽器を用いた祝祭の伝統が融合してできたものなのですが、興奮して盛り上がりすぎて日ごろの鬱憤が全部出てしまい、暴動に発展するケースが多々あったのです。1880年、イギリス植民地政府は「カーニバル暴動」を取り締まるため、金属の棒を用いるパーカッション音楽を全面禁止にしてしまいました。
黒人たちは、竹の棒を使ってフライパンやドラム缶を叩いて音楽を楽しみ始めました。それをタンブー・バンブーといいますが、しばらくしたらそれすら当局によって禁止されてしまいます。」
「1939年、ウィンストン・スプリーという人物がボロボロになったドラム缶を叩いて直そうとしたところ、凹んだ箇所によって異なる音が出ることを発見。スティールパンの元となる楽器を偶然生み出し、一躍黒人の間に広まります。
これが有名になったのは1941年。」「このような発展から「20世紀最後にして最大のアコースティック楽器発明」と呼ばれており(要出展)」
スティールパンが存在するのは、本来ならば20世紀以後。現在も職人の高度な技術によって製造されている。
馬車と帆船が移動手段なのにスティールパンが存在するリトルマーメイド世界は、幕末にシンセサイザーを演奏する武士がいる江戸みたいな世界だということになる。(BGMにシンセサイザーの音が聞こえる映画ではない)(自動車は19世紀には実用化されている)
https://news.mynavi.jp/kikaku/20210202-1591134/
開発のきっかけは、世の中には質の高い様々な製品があるのに、電卓は実用性に特化したデザインしかなく、あらゆる面で質の高い製品を求めるニーズに応える電卓がないこと。
また、高級店や高額な商品を取り扱う商談の場でも、(数百円から数千円程度の)TPOに即していない電卓が使用されていることに気づき、「今までにないプレミアムな電卓を創りたい」という思いから生まれたのがプレミアム電卓「S100」です。
考え抜いた答えは、奇を衒ったものではなく、No.1の電卓メーカーとして本物を追求する「正統進化」をコンセプトとし、
電卓の三要素「筐体」「キー」「表示」を究極まで高め、単なる高級な道具ではなく「持つ誇り」「使う悦び」を感じていただけるデザイン、マテリアル、操作性、機能すべてにこだわることでした。
だめじゃあ。
今またブルスク。KERNEL DATA INPAGE ERROR だけど、結局のところSSDがビジーで応答を無くしたために
ページファイルが読めなくて・・というわけなんだろうなこれ。
しかしSSDがビジーになる原因が特定できない。ここ最近、ずっとタスクマネージャーを画面の片隅に置いてにらめっこしているが
フリーズの間際に最後にチラ見できた限りでは System が少しディスクを使っていたが、これが重大な負荷をかけているとは思えない。
もう分からない。。。
そういえば、だいたいブルスクが出る時間と Bing Wallpaper が壁紙を交換する時間が一致してる気がする。
以前は夕方に壁紙が交換されてた気がするが、最近は確かにこのあたりの時間だ。
ずっと前から Bing Wallpaper が壁紙を交換するタイミングで、マウスが少しカクついてたりするのは気になってた。
壁紙の交換は、弱った SSD に対しては負荷の高い作業なんだろうか?
熱のせいで不正終了を繰り返した結果、ファイルシステムが傷んじゃって、壁紙交換程度でも無用な負荷がかかっちゃうのか。
どんなアプリでも、このよわよわ SSD をがっつり使おうとすると妙な負荷がかかる可能性はあるんだろうかね。
Dell Data Vault も、まあユーザーの利益の見えづらいよく分からんアプリとは言え、ブルスク犯として糾弾するのはちょっと安直だったかな。
もうちょっとだけ知見を貯めた後で SSD を換装するんじゃ。
追記:やっぱり、ちょっとPCを放置してると Antimalware Service Executable がSSDをまさぐるんだけど
少しの間、マウスが応答しなかった。SSD が通常の負荷に対して弱くなってるんだろうなあ。
転んでもタダでは起きたくないというか、SSDを交換する前に、何かこう完璧で究極の知見を得てから
「よし、次のSSDで運用する時にはこれに気を付ければいいな!」みたいな何かが欲しいんだが。
難しい。
そんな絶賛ハードウェアトラブル中にもかかわらず、メモリを16G追加しちゃったwアホかーw
追記3:
ちなみに Bing Wallpaper は完全にシロ。壁紙を更新する時間はログイン直後だが、BSoD になるのはその1時間以上後。
さてさて、ここ連日 UNEXPECTED STORE EXCEPTION か CRITICAL PROCESS DIED の BSoD が「毎日・朝に・1回だけ」発生。
今朝はようやく、SSDに大きな負荷がかかった直後、まだタスクマネージャーが応答する状態で、諸々と観察する事ができた。
しかしタスクマネージャーを確認した限りでは、何らかのプロセスがSSDに負荷をかけているようには見えなかった。
タスクスケジューラーのログをとってみたところ、BSoDの直前に動いていたタスクは Windows Error Rporting/QueueReporting とのこと。
タスク名からして、エラー情報をキューイングしてるのかな。まさかこの後、実際に送信する時にSSDに負荷がかかってる?
とはいえもちろん、普通のSSDであれば難なくこなす作業であり、弱っている(と思われる)特別な状態にあるSSDにだけ荷が重いんだろう。
たとえ何が起きているのかを正確に突き止めたとしても、価値ある情報にはならない気がしてきた。
追記4:
やっぱり、Windows Error Reporting Service を止めたら、ここ最近毎日朝に発生していた BSoD が今日は発生しなかった。
通常の状態であれば、Windows Error Reporting なんて大した負荷じゃない。
でもその作業中に、弱ったSSDのどこかのツボを突いちゃってるんだろうかな。これ以上の深入りは不要だろうか。
しかしそういえばちょっと昔、おそらく Windows Error Reporting が 30G 以上のファイルを送信したらしく
それまでは長期出張のためにポケットWi-Fiをレンタルしており、容量は実用上は十分だったが
それでも万一を考え「従量制課金接続」の設定をオンにし、通信容量を節約していた。
そのおかげかは分からないが、Windows Error Reporting も情報を送信していなかったらしい。
そして家に帰り有線接続となった途端、Windows Error Reporting が大量の情報を送信したらしい。
溜まりに溜まったエラー情報は、やっぱり何かしらの負荷になるはずだ。
Windows の品質向上に協力するのは別にやぶさかではないんだが、どんだけのエラー情報が溜まっているのか
それをコントロールする事は出来るんだろうか?
「ディスクのクリーンアップ」で出来るらしい。といっても3Mしか溜まっておらず、クリーンアップは短時間で終了。
追記5:
Windows Error Reporting Service は動かしていないが、それでも今日もSSDに妙な負荷がかかったようで1分ほどフリーズ。BSoD には至らなかった。
タスクスケジューラーのログも有効にしてあるが、少なくともその5分前までに走ったタスクは無い。
結局「SSDが弱っているから、何が起きても不思議じゃない」という幕引きになるのか?
追記6:
随分前にDiagnostic Policy Serviceのファイル操作で異様に長い時間がかかる事を突き止めていた。もちろん、根本原因はこの傷んだSSDのせい。
なので、このサービスもずっと停めてある。
おそらくこのおかげで、30秒くらいフリーズの後にBSoDが出る事は無くなった。
しかし今日(7/10)もやはり UNEXPECTED STORE STATE の BSoD が発生。今は(午前中である事は変わりないが)ほぼ予兆無く突然発生する印象だ。
efuel とかガソリンスタンド「すら」減りつつある世の中でどれだけ需要があるかもわからない新しいエネルギーの販売に手を出す会社がどこにあるの??って話でどう考えても実用化は無理。
それができるなら水素ステーションがもっと広がって水素で走る車がもっと売れてるるわ。
欧米ですら新車の販売台数がへり、車も低燃費技術が発達しでガソリン自体の需要がドンドンどんどん減ってる中で、車社会を支えるガソリンスタンドってインフラが減りつつあるからEV化の波は停められない、多かれ少なかれ推進の方向に進まざる得ないよ。
電柱から電気引いてきたらなんとかなるEVや既にあるガソリンスタンドを使えるガソリン以上の利便性があり安全な保管と個人への販売が簡単且つ安くできる夢のエネルギーが登場しないかぎりはね。。。
好きなこと、嫌いなこと。
この国についての意見
ということで、スゴイというか、日本は実は
実は本当に悪い国なんです。
ゴミ箱がない。
ああ
いつもこういう一般的なことを
を聞いたり、そうだなぁと思ったりする。
でも、それは大したことではないと気づく。
巨大な遊び場のような感じがする。
ローガン・ポールのような意味ではなく、好きなことを好きなだけ
ているわけではなく
経験することができる。
飽きることはないだろう。
もう1年ここにいるけど、すぐに飽きるとは思わない。
子供が生まれるので、あとどれくらい体験できる時間があるのかわからない。
そして、1年経っても、まだ信じられないような感動があることがうれしいです。
1年経った今でも、信じられないほど新鮮に感じられます。
1年経っても新鮮で、日本の良さを
を楽しむことができます。
これは私だけの話かもしれませんが
東京はとても賑やかです。
とても賑やかで、何度も何度も
私が誰なのか
みんな自分のことをやっている
それはとても [ __ ]いい気分だ
今までは私をじっと見ていたのに誰も
ってな感じで、冗談です。
人前でも気にならないし
他の人が何をしてるかなんて気にしない
ファンと話すのが好きなんだ。
いつも嬉しいんだけど
自分のことをやりたいのに
いつも
そうだ、じゃあ次は日本の悪いところだ。
それは「円錐」です。
日本には円錐が多すぎるのです。
一度見たら忘れられない。
自販機が一人につき5台もあるそうです。
一人当たり5台はあるそうです。いや、その逆です。
人よりもコーンの方が多いんです。
こんなにたくさんのコーンがあるのか、知りたい。
背の高いのもあるし、小さいのもある
セクシーなもの......そういうのが好きなんだ......ただ、わからないのは
コーンを弾く人は、私がただ通り抜けると思ってるんだ
"よかった""コーンがある
そうでなければ、私は何をしようとしているのかわからなかった
アイテムが手に入ることがある。
と思うことがある。
と思っていたら、竹のようなものが出てきて
これは一体何なんだろう?
と思っていたら
これはコーンだ。
どこにでもある
私の後をついてきているような気がする
このことを話せてよかったと思う
私は一人で、喜んで呼びかける
コーンはもう十分だ。
母が来てくれたんだ
非公式な合体だ なぜなら俺は
他のグッズを持ってないんだ。
てくれたチームは本当に
いい仕事をしてくれた。
そして皆さんもきっと気に入っていただけると思います。
きっと気に入っていただけると思います。
今すぐ注文してください。
この商品を手に入れることができるのは、amazeのおかげです。
amazeのおかげで実現できた。
一枚は店頭に置いておく予定です。
母が間違えて買ってしまわないように
そのあと、まだ手に入れることができます。
この色ではないのですが......。
この色がいいんでしょ?
というわけで、興味のある方はチェックしてみてください。
私は日本が好きです。
日本が悪いと言う人がたくさんいた。
本当に悪かったんだ。
というのも、今、この理由をすべて挙げなければならない。
みんな「アレ」「コレ」と言うので
日本がどうのこうのと言うので、私はそれを伝えなければならない。
特にみんなが言っていたのは、年寄りは外国人を嫌うということだ。
嫌いなんだそうだ。
ご近所さんに挨拶しようと思ったのですが、そのご近所さんの中には少し
を紹介しようとしたとき、私は怖かった。
恐ろしくて......こんな話を聞いたんだ。
何をされるんだろう?
と歓迎されました。
外国人を嫌う人がいるのは確かです。
外国人が嫌いな人もいるだろうし、そういうのは
もし、いつもネガティブな期待を抱いているのなら、人生に悪い影響を与えるような気がする。
期待するのであれば......人は微笑むものだ
微笑み返すかもしれない
笑顔で返す
ありがとうと言われることもあるし、そうでないこともある。
それはそれでいいのですが、とにかく私が言いたいのは
はとても親切でフレンドリーだ。
少なくとも、そして外国人に対してもそうだ。
ディズニーランドで迷子になった子供か何かのように思われているような気がする。
私はただ道を尋ねただけです。
30分も歩かせる必要はなかった。
30分も歩かせる必要はなかった。
他の人たちが応援してくれる。
って叫んでくれるんだ。
って声をかけてくれるんです。
素晴らしいことだと思うし、もしあなたが小さい頃
人と話すのは素晴らしいことだと思う。
私はそういう瞬間が大好きです。
その瞬間が好きです。
でも、もちろん、「お前は外国人だからわからない」と言われることもある。
外国人なんだし......。
ということもあります。
と言われることもありますが、それはそれでいいんです。
私は1年間ここに住んでいますが、日本語が流暢ではありません。
日本語が流暢に話せない
この知識を試してみよう。
を試してみよう。
入ってみよう......きっと危険だ......。
初めてお店に入ったら
彼らはこう言います。
なんだ
なんだ
という感じです。
必ずしも教科書で教わった通りにはならない
初めて言語を学ぶ人なら誰でも同じだと思う。
でも、漢字のことはもういいや。
漢字がメインになるのは勘弁してくれ[ __ ]。
っているのですが、その難しさを
日本語がどれほど大変な言語であるかは、少なくとも私自身は理解していないと思う。
というのも、学べば学ぶほど
を知ることになるからです。
ということで、「悪い」としました。
のですが、人と接すれば接するほど
人と接すれば接するほど、新しいスキルが身につくような気がします。
初めて電話をかけました。
という感じです。
できるようになった。
見知らぬ人との会話でも、まだ何かある。
って感じです。
突然理解できるようになる。
ゲームもできる。
ゲームもできる。
でも、それはとてもチャレンジングなこと。
今となってはいいことだと思うのですが......。
今となっては、「やってよかった」と思っています。
でも、まだまだ
長い [ __ ]道のりを歩まなければならない
ということで、このままではダメだと思う。
していたのですが、それはそれでいいんです。
少し毒があったような気もします。
を考えていた。
新婚旅行で
人生には他にもいろいろなことがある。
を発見できる。
サーフィンを楽しむことができる。
ずっと好きだったんだけど、やっと
できるようになり、とても [ __ ]素晴らしいです。
私は新しいことを学ぶのが大好きです。
新しいことを学ぶのが大好きです。
を学ぶのが大好きです。
どこでもできることなのですが、それが
これは一番厄介なことかもしれません。
ルールがあるんです。
というのも、日本の良いところはたくさんあるのですが
日本の良いところは、良いところではないのですが、日本がうまくいっている理由の多くは
は常に時間通りに動く。
多かれ少なかれ、そうなっているものです。
ることがあります。
ルに従うのは問題ない。
その理由を理解している限りは、ルールに従うことに問題はない。
他人を思いやることです。
自分のことだけでなく、他の人のことも考える。
そうすることで、より快適に過ごすことができます。
は、コビトのために
分娩室に2時間以上いることは許されません。
2時間以上いることができないのです。
ルールがあるのです。
このことを家族や友人に話すと
家族や友人に話すと、いつも
なぜ彼らに聞かないんだ?
と言われる。
きっとどこかにあるはずだ。
この国で過ごせば過ごすほど
頭で考えても意味がない。
自分が優れているように見せたいとは思わない。
とか、「私には理解できないから、私が上だ」みたいなことは言いたくない。
でも、やっぱり悔しいんです。
本当にイライラするんだ。
というのも、ルール6には理由があり、たとえその理由が自分にはわからないとしても、通常はある種の実用性のために存在するものだからです。
理解できないんだ
っているような気がします。
一日のうち、どんなときでも起こりうる。
一日のうち、どんなときでもいいんです。たとえば自転車に乗っているとき。
っているとき。
風が顔に当たって、なんだか
その瞬間は、まるで自分が生きているような
まるで夢を見ているような気分になる。
犬の散歩をしていても
富士山がくっきりと見える。
海全体がピンク色に染まっていく。
海全体がピンク色に染まっていく。
夢の中にいるような感覚になる。
自分を信じられなくなる。
という気持ちになる。
素晴らしいことです。
幸せな日々
彼のことを話すのは本当に馬鹿げてる
彼のことを話すのは本当に馬鹿げている。
ないのだから。
そのような瞬間がより多く訪れるような気がする。
よくあることだと思う。
イギリスや他の国でも幸せではなかったわけではないけれど、一般的に考えて
優先順位が変わりましたし
変な意味で良い方向に変わったと思う。
その多くは、私自身や私の置かれた状況特有のものだと思います。
その多くは、私自身や私の置かれた状況にもよるのですが、私は
もうあまり働かなくていいんだ。
自由を手に入れることができました。
をする機会もあります。
日本での厳しい労働観のような悪い部分とは無縁で、自由を手に入れることができました。
私は特に、「自分は認められていない」と感じているのだと思います。
それは、私がここで多くのことを楽しんでいる理由でもあります。
日本が好きな理由の多くは、少なくとも私にとっては非常に特殊なものです。
を楽しむ理由の多くは、少なくとも私にとっては特別なものであり、人々が日本を好きな理由は
理由は人それぞれ。
を派遣しようとするのは間違っていると思うし、必ずしも
しかし、私は
しかし、最終的には素晴らしい場所だと思うし、ぜひ行くべきだと思う。
誰もがここで生活することを楽しめるわけではないとも思う。
それが私の大きなアステリックスです。
るべきだと思う。
も幸せだった。
幸せな瞬間に立ち会えることが多くなった。
それはとてもありがたいことです。
ということで、この辺で終わりにしたいと思います。
書き直し。
ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子「ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的に主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。
全部谷川俊太郎って演奏会を明日やるんだけど、中の2曲が自分の経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい。
去年の夏、子供の誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。
数日後、会社で仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。
数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援のヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分の携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。
会社は早退して駆けつけた。
病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署で手続きやら葬儀社の互助会の書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団の練習は無断欠席していた。
「生きる」だった。
ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。
うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。
曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。
……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。
それはのどがかわくということ
木もれ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。
くしゃみをすること、手をつなぐこと
と続く。
「くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。
これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系だから、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。
そうはならなかった。
寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。
そうはならなかった。
私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまったからだ。
私は亡くなった人と手をつないだことがない。
曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然や科学や芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。
あの人はもう、新しく美しいものに出会うことはできない。最後の電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこが揺れている、揺れているということ
いま、いまが過ぎてゆくこと
不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。
生も死も同じ時間の中にある。
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。
もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリも存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。
それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さない人間でも、愛する可能性がある希望。
そして曲はまた、
あなたの手の
あなたの手のぬくみ
生きるという生きるということ
「あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。
私が繋がなかった手のぬくみ。
一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。
空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。
子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。
亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。
でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。
去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。
今日はリハーサルで明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。
もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。
これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。
しかも
もうじきまた夏がやってくる
(中略)
おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった
と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ。
主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから、若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。
何でもかんでも自分と関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。
今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ
去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。
お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。
去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。
曲は、しかし喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。
たびたび出てくる「知る」という営為。
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと
主人公は何を知りたいのだろう?
なぜネロは死んだのかを?
私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。
詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、
それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え
春を迎え 更に新しい夏を期待して
そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいものを貪欲に取り込む力強さ。
(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)
私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。
冬場からこちら空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。
家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダーの書き込みもそのまま。去年、子供の誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。
それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。
まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。
(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記で距離を置かないと吐き出しにくい)
手広くやってんだね
英会話に関してはVRChatが金をかけずに喋る機会を増やせるからおすすめしたい
https://www.youtube.com/watch?v=xW8xGjQpnIE
プログラミングは周りだと競技プログラミングをやってる人がちらほら居て、俺はよくわかんねえけどゲームのランクマッチ的な楽しみ方ができるのかも
https://qiita.com/mayocorn/items/4edff486428240864808
個人的にはブラウザの自動操作とか、ちょっと悪い方面に技術を使うと生活の中での実用性が実感できていいかも
上の3つに限らず、なんかどれも惜しい段階で止まってそう
ちんちん亭の台詞回し、笑えるけど実用にはノイズだからいままであまり戦力にならなかったんだけど
色々見てると変な台詞がそこまで多くない作品もあり、ちゃんと読むとシチュエーションや絵柄自体は好みで大変抜けることがわかった
腕立て伏せ70回達成できる程度の筋肉はついてきたので胸板っぽいのは浮き上がらせられるようになった。
だけど大胸筋は上部だけしか鍛えられておらず、腕を水平にして気張る分には格好がつくが、腕を上に上げた途端にその下になにもないことが判明する。
鏡の前でショルダープレスをしてみるとそれがハッキリ露わになる。
腕が下にあるときはそこそこの形を保っていた胸筋は両腕を上げた途端肌に張り付くように消え去り、その下には無惨にも浮き上がった肋骨達が並ぶのである。
上腕二頭筋の上っ面だけを鍛えたガリガリのオッサンが、自分では細マッチョのつもりで調子に乗っていただけだったのだ……。
筋肉のアーマーをまとっていたつもりが、それは単なるビキニアーマーだった。
ビキニをひょいっと持ち上げればその下には骨と皮しかなかった。
よくよく見ると腹筋も腹直筋だけを必死に鍛えているだけで横はスカスカ、逃げ場を失った皮下脂肪がそこに集中したことでダルダルさに磨きがかかっている。
実に見事に「学校で教わる筋トレだけをひたすらやったような体」なのだ。
育ちやすい筋肉だけが育ち、そうでない筋肉は完全に蔑ろになっている。
柔軟性もなく見た目だけだから実用的な面での体力も出力も大したことはない。
強いて言うならカロリーはそれなりに燃やしてくれているだろうから肥満防止ぐらいにはなっているはずだ。
なんだか虚しいな。
鍛えやすい筋肉をひとまず鍛えようと聞きかじってまずは必死にそれを鍛えたが、結果としてはそれ以外の筋肉の貧弱さがより明確な身体が誕生したよ。
こっからどうしたらいんだろう。