はてなキーワード: 学大とは
順番が逆だろ。
大家族じゃなくなったから、広い家が必要とされなくなっただけ。
それに田舎でも核家族は普通にいた(兄弟が多いのに親と同居できるのはそのうちの一人だけで残りは核家族になるからな、
産む子供の数も、国の方針が「産めよ増やせよ」「子供は労働力」から
「子供は2人が標準、人口爆発怖いから産児制限しろ」「児童労働は禁止」に変わった影響が大きい。
日本人は昔からお上のいう事には従う。今でもコロナで罰則なくても自粛するくらいだし。
教育についても、高学歴の女性が差別される事なく職に就けて結婚も出来る世の中になったから、娘に高等教育を与える親が増えたんだよ。
医師は昔から(それこそ戦前から)数少ない女性でも就ける高度な専門職の一つだったよ。
女を受け入れる大学がほぼ無かった時代から女子医学専門学校が存在したくらいだ。
でも昔は女医も差別されていた。男医より能力がないとみなされていた。
医者ですらそうなんだから、それ以外の職業に就いている女は尚更。
そもそも「いいとこのお嬢さんは箱入りで学校を出たらすぐ結婚するのが当たり前。外に出て働くのは卑しい女」って認識。
そういう時代に、あえて娘に教育与えて働かせようとする親は少ないのは当たり前。
(娘が働かなくても食っていけるし、見合いでいいとこの男と結婚出来る層だからね)
娘の方も親に逆らって進学できる時代じゃないし、そもそも女が入れる高等教育機関なんて殆どなかった。
でもそういう時代じゃなくなり、かつての女子専門学校が女子大となり、女が大学に普通に行けるようになり、
むしろ学歴が結婚の箔付けとなるようになれば娘に高等教育を与える親が増えてくる。
最初は女子大の文学部や家政学部行かせて就職はさせずに卒後すぐ見合い結婚、なんて層が多くても
そのうちもっと実学系の共学大に行く女も、働く女も増えてくる。
それはウーマンリブやらの影響だったりするんだろう。
昔からいた、ろくな教育を受けられないまま食う為に仕方なく低賃金の肉体労働をするような下流の女だけではなく
高等教育を受けて知的職業に就く上流の女が増えれば「働く女=卑しい」という認識もなくなるし、上流だけではなく中流でも高等教育を与える親が増えてくる。
そうやって知的職業に就く女が増えればそれが当たり前となる。企業側も腰掛扱いするだけではなくちゃんと活用しようと考える所も増えてくる。
9:00 になったら家で会社のPCを立ち上げるんだけど、実質開店休業状態のまま 17:00 まで。
おれは目黒の下のほうに住んでいるので、自宅から走る時はだいたい多摩サイなんだけど、17:00 からだと堤防のサイクリングロードはちょっと怖い。
まずは環七にでて、内回りを平和島方面に向かう。大井町線の下をくぐり、中原街道を横切ってすすむと下り坂。
リコーのあたりも人が少ない。国道一号線も横切って進み、第一京浜を左折する。
第一京浜を都心方面に向かう。分かってたことだけど第一京浜は路面が汚い。
ハンドルバーに手を置いているだけだと跳ね回るのでちゃんとハンドルを持って走る。
点々と現れる京急の駅を右に見ながら進む。北品川を超えたあたりで右に大きくカーブ。
札ノ辻で左に東京タワーが見える。曲がっちゃえばよかったなと思いつつ直進して、左折するポイントを探す。
三田で左折。日比谷通りに入る。NEC があるけど閑散としてる。
日比谷通りってずっと行くとどこに出るんだっけ。と思いつつ走る。芝公園のそばを通る。
名前がわからないけど面取りしたような高層ビルが左に見えて、きれいなビルだなと思う。
そのうち日比谷公園が現れる。ずっと昔日比谷公園のトイレに入ったらそれらしい男性がたくさんいたのは良い思い出だ。
と思っていると左が皇居になる。皇居の周りは歩いている人がパラパラいた。
しばらく進むと永代通りにあたる。曲がっちゃえばよかった。と思いつつ次の信号を左折。
目の前がお堀の T 字路を右折して内堀通りに入る。車が少ないのですんなり右折レーンから曲がれた。
お堀を見ながら進む。どこかで靖国通りに入らないと。
まっすぐ行けば靖国通りなのに、なぜか右折しないと靖国通りにアクセスできないと思い込んでいて、竹橋を過ぎたところで右折する。
すぐに靖国通りにあたるので、左折。上り坂。武道館を左に見る。当たり前だけどなにもやってないので人は少ない。
ずっとまえここを通った時は凄い数の人がいて、帰って調べたらパフュームだった。
坂を上り切ったあたりで右に靖国神社。市ヶ谷駅の前を右折。川を渡る。
ここの橋の上はいつもと変わらず混んでたので川べりの桜は見られなかった。
靖国通りと外堀通りがわかれるところに分離帯ができてて靖国通りに進みやすくなってた。まあ車が少ないからだけど。
防衛庁を右にみながら進む。毎朝あの階段を登るのは大変そうだけどエレベーターとかあるのか。
いまの職場が新宿なので、いつもの会社帰りと同じく 20 号から環七で帰ろうかと思ったけど、それもつまらないので明治通りで渋谷に向かうことにする。
普段なら絶対避けるルートだけど、これだけ車も人も少ないならアリでしょ。
伊勢丹の前を左折して 20 号に入り、すぐに明治通りにあたるので左折。
思った通り快適に走れる。新宿から原宿あたりは路肩が狭いうえ、結構なスピードで車が流れてるので怖いんだけど、今日はラクラク。
表参道もいつもよりずっと人が少ない。原宿から渋谷にかけては緩く下る。薄暗くて人が少ない。
休みの日は歩道からあふれた人が車道を歩いてたりするのに。まあ平日の夜だからってのが大きいけど。
さらに渋谷駅あたりでは正面にデカいサイネージができてて、入り乱れる空中歩道と相まって 80 年代に想像した近未来っぽい。
246 が渋谷駅の東口側から西口側に抜けるところは、昔と変わらず薄汚くてほっこりする。
246 を池尻方面に向かう。上り坂。この辺りはいつもどおり路駐トラックがうっとおしい。登り切ったあたりで旧山手通りにあたる。
旧山手通りのところで信号に捕まったので、そのまま旧山手通りに入る。
走り出して思い出したのは、この辺りは路駐が多いせいで(そいつらがハンドルをこじるので)路面がガタガタだったって事。
今更思い出しても遅い。三宿から学大に抜けるルートのほうがよかった。。
代官山の交差点を直進すると駒沢通りあたるので、右折。長い下り。
左カーブの見通しが悪いうえにオートバックスの前に必ず路駐がいるのでちょっと怖い。
でも今日は後ろから車が来ないので思いっきり 2 車線の真ん中あたりを走る。
そのまま駒沢通りでおうちに帰る。祐天寺から学芸大学あたりはいつもと変わらない感じだった。
まあ、駅前まで行ってないけど。
家を出てからだいたいちょうど 2 時間ぐらい。シャワーを浴びてからチェーンに油をさそうと思っていたことを思い出す。
シャワー浴びる前にさせばよかったのに。もー。
中国人は面接しないと公言しただけで(東大内部での被害者はいないのに)解雇なら、被害者がいて隠蔽しようとしたこの教授も解雇じゃないの?バランスおかしくない?
東京大学は、大学院教授(男性・50歳代)に対し、1月29日付けで、停職4月の懲戒処分を行った。
教授は、2年以上にわたり、指導する本学大学院学生に対して恋愛感情を示し続け、当該学生が教授との交際を望んでいないことを十分に認識しながらなお、執拗に交際を申し込み、交際を拒まれるたびに、研究に関する予定を変更したり、不機嫌になったりするなど当該学生を翻弄し、結果的に研究が続けられなくなるほど精神的に追い詰めた。さらに、意に反する身体接触も行った。
大学によりますと、この男性教授は指導する女性の大学院生に2年以上にわたって交際を迫ったり、体を触るなどの性的な嫌がらせをしたりしたということです。
(教授は)「そういった事実はない」と否定したということですが、交際を迫る内容のSNS上の記録が残っていたことなどから、事実を認めて停職4か月の懲戒処分にしました。
この大学院生は、精神的に追い込まれ研究を続けられなくなったということです。
おかねがほしい。
というより何故お金にこんなにも執着するのだろう。
中ぐらいの家庭に生まれた。(自分が思う限り)不自由なく育てて貰った。奨学金は借りたが大学院まで出た。大きな企業の研究職に就いている。平均以上の給料はあると思っている。
お金で嫌な思いをしたのは、兄弟が私学大学へ進学を決め、両親が頭を抱えていたとき。奨学金の書類を揃えていたとき。20歳ぐらい、両親が揉めて離婚したとき(お金が原因の一部だった)。
漠然と、上流階級になりたい、と思うようになった。お金で苦労したくない。もし子どもができたら同じ思いをさせたくない。
大金持ちにはなれないかも知れないが、今は少しでも貯金をして、堅く資産運用もしている。早くお金のことを考えなくてもいいようになりたい。自分の世代なら他にやるべき、考えるべきことがあると思う。
どうすれば、おかねがほしい、が無くなるのだろう。
国立大附属の名門高校の生徒のモラルの低さに唖然としたって話。
東京学芸大学附属高校という有名進学校がある。東大に2ケタ合格させている高偏差値のハイレベル校だと認識している。
某公立高校生が、この高校の生徒は失礼だと憤怒していたので、問題のツイートを晒してみる。
東京学芸大学附属高校の男子硬式テニス部のアカウントだという。
https://twitter.com/tennis_fuko/with_replies
だんこてです!
今度の練習試合は3/21、対戦相手は日本を代表する自称進学校、Twitterでも話題の今一番バズっている県立横浜翠嵐高校です!
だんこてです!
本日の横浜翠嵐高校との練習試合ですが、悪天候によりゲームができなかったので、東大合格者数も考慮して
翠嵐14-49附高
で学大附高の勝利とすることになりました。ありがとうございます。
私は分からないが、これくらいの超進学校の生徒というのは、在籍高校の東大の合格者数だけで相手を見下したり平気でするのだろうか?
もしかしたら、この人はネタとして面白いと思ったのかもしれないが、全然面白がっていない人(というか怒っている)がいるのだから、このネタはまずいだろう。
しかも、ツイートを見ると、この学校の生徒さんが、見下すような態度でかなり煽っている。
この学校、東京学芸大学という、将来の教育者を育てる学校の附属高校だ。先生も優秀な人が多いだろうに、生徒指導はどうなっているんだろう。
ホッケー部って何のことだと思ったら、東京学芸大学附属高校で一昨年あったイジメ問題のことらしい。
https://www.huffingtonpost.jp/2016/11/29/gakugeidai-fuzoku-bullying_n_13312104.html
国立東京学芸大学附属高校(東京都世田谷区)でいじめがあり、男子生徒1人が手首を骨折したり、脳振盪を起こすなどの被害に遭っていた。
東京学芸大が11月29日、会見を開いて明らかにした。朝日新聞デジタルによると、大学側は学校の対応が遅れたことを問題視して、当時の校長ら12人を戒告処分。警視庁はいじめた側の生徒2人を書類送検した。
時事ドットコムによると、いじめは2015年5月から9月にかけてあり、複数の生徒がはやし立てて、のどの奥に指を入れて吐くまねをさせたり、セミの幼虫をなめさせたりしたという。
また、2015年6月には体育祭の練習で倒されて手首を骨折したり、投げ飛ばされて脳振盪を起こしたりした。学校側はいじめについてアンケートを実施し、いじめられた生徒は「いじめがあった」と回答。担任が面談したが確認できなかったという
なんか体質が変わってないんじゃない? 本当に学校は対策しているのかな?
人の価値とか、高校の価値というのはね、東大合格者数の数だけでは、決まらないんだよ。
こういう風な、人間としての人格が疑われることを、ツイッターという公の場で平気で発言するのは止めようよ。
中高女子校で育ち、男子と喋る機会が一切ないまま女子9割の共学大学へ進学。大学では告白されることは1度ではなかったものの、進展せずに卒業。同級生も彼氏がいる方が少数派だったので、さほど危機感のないまま就職。
けれど就職後、会社の同期の話を聞いていると、男子の8割は彼女がいる。なんなら結婚を考えているとすら言う。まじか。しかも就職後は新しい出会いが一切ない。ぜんぜんない。このままだと結婚できる気がしない。このまま動かないと本当に何もない。そういうわけで、婚活と恋活を開始した。
街コンは行ったし相席居酒屋も行った。マッチングアプリも複数使い、昨日はアプリで知り合った人と夕御飯を食べに行った。初対面の男性と一対一でご飯を食べたのは初めてだった。
ご飯を食べながら2時間ほど話をして解散。話が途切れることはなかったし、普通にいい人だと思った。ただもう一度会うことになってもあと2時間もつ気がしないと思いつつ、普通にいい人だったし条件も悪くなったので、別れたあとに連絡をした。素っ気なかった。これは脈がないと思った。
私の何が悪かったのか考えた。豚カツを注文しかぶりついたことか。伝票を持ってくれたのに、会計のときにデカい声で会計は別々でと言ったことか。反省点を見つけ出し、次回に活かさなくてはいけない。これは回数を重ねるごとにメンタルが削られていきそうだ。そう考えたところでふと、私は、何が目的だったのだろうかと思った。
できれば結婚したいし、恋愛したい。街を歩いているカップルをみて羨ましいと思う。けれど無理して誰かと付き合えることになったとしても何の意味もないのではないか。楽しくなさそう。と思う程度には夢をみている。でも多少猫を被って取り繕わなくては誰ともどうにもなれない気がする。そもそも結婚と恋愛は違う。私はどちらに重きを置きたいのか。
私がどう考えても、人間関係は私1人でどうにかなるものではない。今回、好感を抱いたのに今後に繋がらなさそうなことが意外と堪えた。
ただ、最初は、変な薬でも盛られて殺されたらどうしようなどと考えていたけれど殺されなかったし(食事中に席を外さないようには気をつけた)、もう少し気楽に会ってもいいのかもしれないと思った。
マッチングアプリのメッセージに返信し、迷っていた食事の誘いに了承の返事を送った。
つづく。
途中までは大体あっているけど、違うと思う点をいくつか。
>即ち、東京には、あなた方が通った、玉石混交の公立学校は存在せず、否が応でも玉か石かを選ぶ必要があるのです。
ここが違うかな。
(その仮定の是非はさておき)
→他方、日比谷高校の東大実績からも分かるとおり、そのクラスの玉は普通に公立中学校に残っている
であれば、中学校の受験で受かった中高、半分が明治大学クラスの学力の学校に進んでいるとすれば、その学校にいかせたいですか?
http://toyokeizai.net/articles/-/150729?page=2
この記事に書いてあるとおり、
であれば、公立中学校に進学し、 高校受験で日比谷受かって東大目指す環境に子どもいれたくないですか?
→教育自体は遺伝云々よりも親の教育環境に大きく左右される。親が準備する教育環境は親の学歴にある程度依存刷る
→東京一工クラスの卒業生の居住地の分布を取ると、明らかに東京等の都市部に偏る
→学力だけの玉石比率はそもそも東京部のほうが玉の比率が高いという仮説がなりたつ
公立中学に荒れたリスクの少ない自治体(例えば千代田区等)の公立中学は玉石残ったままだが 足立区等はどうだか分からん・・・
ぶっちゃけ、ある程度収入があるのなら、私立中学受験して、平均早慶以上の進学実績のある所に受かったらもちろん進学。
そうでないのなら、千代田区か文京区、港区あたりに引っ越すのがいいのかもしれん。
東大生が来て教えてくれるらしいぞ
http://www.bunkyo-tky.ed.jp/dairoku-jh/schedule/ouen.html
高い家賃払うの3年間だけだしね
どういう内容かと言うと、彼はFXで金を儲けた現役T大生という触れ込み。
ここでFX業界で儲けている人を大きく分けて3つに分類しておくよ。
最後はグルと呼ばれる人。このグルってのは簡単に言うと情報を売る人。セミナー屋とも言われる。
ここまで書くともうお分かりかと思うんだけど、T君はこの3番めに当たる。
恐らく過去にT君は1番目の勝ち組にいたかもしれないんだけど、今の彼を見ていると確実にグル。
投資(投機でもいいけど)業界にはこの手のジョブチェンジは良くある。
投資で勝ち続けるのは非常に難しい。勝てなくなった勝ち組はグルにジョブチェンジする。
勝ち組偽装なんてのもやろうと思えば難しい話じゃない。短期間であれば。
分かる人が見れば彼がグルで、今は大して稼いでいないことは一目瞭然。
でも、彼のセミナーを受講する人はそんなこと分かる訳がない。
T大生の肩書に、よく作りこまれたキャラクター、その話術と地上波のお墨付き。
恐らく彼は数百万くらいは稼ぐだろうか。そのうち出版なんかもするかもしれない。
だけど、虚像を保ち続けるのは決して容易なことじゃない。
嘘をつき続ければ必ずボロが出る。
さて、彼はいつまで、そしてどこまで歩み続けることが出来るんだろうか。
金を持ってる奴と、金を生み出せる奴が偉い。
それ以外はゴミも同然。某N村証券では資産数千万未満の客はクズやゴミと言うそうだよ。
そんな世界で虚像を作り、偽物の栄光を武器に歩くその先が桃源郷でないことは想像に難くない。
がんばれT君。
http://anond.hatelabo.jp/20140609200812
※5月29~31日ツイート再掲
★NHKが1985に放送した「The Day その日」という近未来予測番組では、
「日本もアメリカのハイスクールみたいに、高校生が妊娠出産しまくる社会になる」と大胆予測してた。
そんな番組を当時は作っていたのだから、1985時点では誰も少子化社会を読めなかった
★日本社会が少子化を意識したのは、1990年の「1.53ショック」が最初だからな。
私見だが、1.53ショックで「今後の日本は縮小する」と直感したことが、バブル崩壊に繋がった
★70年代、フジ三太郎にシルバーシート導入を揶揄したマンガがあった。
「近未来、シルバーシートに多くの年寄りがたむろし(座り切れない)、普通の座席に少数の若者がゆったり座ってる」
★こう言ったら失礼ですが、サトウサンペイや藤子先生「ですら」
少子高齢化を予想できたのだから、当時のプロの人口学者が予想出来なかった筈がない。
あくまで仮説だが、当時も若手の人口学者は少子高齢化を正しく予想してたのでは?
★ところが、若手の人口学者が「このままでは、日本は少子高齢化しますよ」と警鐘鳴らそうとしたら、
「人口学者の大御所」が、「そんな筈はない、日本の最大の問題は人口爆発だ、キミは何も分かっとらん」と若手の警鐘を潰していたのでは?
で、そういう「大御所のセンセイ」であればあるほど、政府の審議会に出入りしてる。
かくして、日本政府は1990まで、人口抑制を前提にした政策が展開された
★80年代の人口学大御所が人口抑制を唱え続けたのは、「原体験が冷静な判断の眼を狂わせた」側面も大きかったのでは?
当時の「若手学者」は戦後生まれの団塊世代だが、「大御所」は大正~昭和一桁生まれ
戦中戦後の食糧難は、「若手研究者」にとっては生まれる前の話。
しかし「大御所」にとっては、10代20代に食糧難に遭遇。かつ戦争体験が強烈。
彼らは「日本の人口爆発が戦争の一因」との強い思い(思い込み)がある。
「人口爆発のせいで、日本は戦争に追い込まれ、自分たちも戦争に駆り出された」の被害者意識を強烈に持っている。
だから人口増加を容認することは、自分の戦争体験の追認を迫られることになり、感情的に受け入れられない
★もっと言えば、80年代の権力者、厚生省の局長クラスとか、自民党の族議員とかは、
大概は「大正~昭和一桁生まれ」が80年代は主力だった訳で、彼らは「人口増加容認政策」に180度転換することは原体験的に不可能だった訳です
★逆に言えば、90年代に入って、「人口抑制なんてトンデモない、出生率向上こそ急務の課題だ」と
世論がコペルニクス的転換を果たしたのは、多分に「支配者層が、徐々に戦前派から戦後派に入れ替わり、
★もっと言えば、70~80年代は「左翼」がもっとも強かった時代だからなあ。
人口増加容認政策への転換は、「徴兵要員確保の為か、産めよ増やせよか?」と猛批判を浴びるのが必至だったから、
政治的に不可能だった
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
スクールガールコンプレックスとか、階段少女とか、くろタイ女子とか、水中ニーソとか、
そういうの出してるとこに提案。
田舎の、単線の駅で、夕方親の迎えを待つあか抜けない女子高生ってよくない?
電車で1時間以上かかる県庁所在地のいい高校に、無理して通わせている親の愛情とか、
通学大変だろうに毎日朝早くから遠くまで通う健気さ? がんばってる感とか、
車がなければ機動力ゼロの女の子が、親が必ず来ることを信じて無垢に待っている無防備さとか、
いろいろ想像力が掻き立てられるんだよね。
女子高生って大人とこどもの間の存在だけど、女子高生を楽しむときって、女子高生と親を切り離して
若い大人として考えるよね。
でも、女子高生に親の存在を感じさせると、体は大人、心は子供みたいな形式を楽しめる気がするんだ。
なんか、だめかなあ?
まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々のお見舞いを心から申し上げます。
次に、僕のスペックです。都内の大学に通う学生(新二年生—ちなみに一浪—)です。所属学部のカリキュラムによって、ほとんどの授業を英語で行って、レポートも英語でたくさん書きました。といっても、僕の英語の能力はだいたいTOEIC700点前後だと思います(TOEICはうけたことがありませんが、学校で受けさせられたテストなどで換算するとこのくらいです)。700点前後なので、あまり大したことは言えた身ではないのですが、英語については昨年度かなり自分でも悩み、考えたし、また、TOEICなどのスコアだけで英語の実力のすべてが測れるとも思っていないので、僭越ながらも英語についての意見を述べさせてもらいます。(ちなみに未だ日本から出たこと無いです)
最後に、書こうと思った動機について。主に二つ。ひとつは、日本人の英語熱が、去年のユニクロ、楽天の英語公用語方針表明から、加熱の一途を辿っていることを受けて、自分—英語が公用語の学部で学んでいる自分—が何か良い意見を述べることができればいいなと思ったから。あとひとつは、自分の英語に関する考えを今の時点で言語化して整理しておきたいという考えがあるからです。
英語学習者の多くは「英語ができるようになりたい」や「英語上達!」などと言います。が、少し待って下さい。その宣言って少し漠然としすぎではないでしょうか。ここで、試しにあなたが今思っているその「英語」に修飾語を二つ付けてみて下さい。例えば、ある会社員の場合は、practicalと businessを足して、”Practical business English” (実践的ビジネス英語) となります。こうすることで、あなたが必要な英語がもっと鮮明になるでしょう。さらに対策だって立てやすくなると思います。子供が語学を身に着けながら成長するときの様に、日常の様々な場面での遍く英語表現を身に着けることは大人には困難です。しかし、範囲をうまく絞れば、そこに特化して勉強することで仕事で困ることが少なくなると思います。
僕は昨年度、英語を話す日本人を数十人ですが見てきましたが、およそ二つのグループに分けることができます。それは、日本語を話すときと同じ感覚で英語を話している人と、英語を話すときは全く別の口の開け方や筋肉の動かし方、さらには呼吸法までする人たちです(帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます)。タピオカドリンクを飲むときは、コーラを飲む時に使うストローじゃ飲めないように、英語を話すときも日本語用の発声方法を脇に置いて、英語用の発声フォーマットで話さなくてはならないのです。先に示した前者の人々はだいたい、声が小さいぼそぼそとしたしゃべり方をします(もちろん発音は滅茶苦茶チョッピーです)。これは、はっきりいって意識の問題だと思います。発音やアクセントの前に態度(attitude)の問題だと思います。
これは上とだいぶ関連があるのですが、英語を真剣に話そうとすると多かれ少なかれ「欧米人っぽさ」や、悪く言えば「ネイティブかぶれ」が現れてしまいます。だが、これらに対して嘲笑したり、からかったりしてはいけないと思うのです。日本人の間で「かぶれ」に見えてしまうことも、英語話者同士では普通の事なのです。だから、間違っても日本人によるつまらない価値観から、その人の外国語に向かおうとする態度を軽蔑してはならないと思います。お互いにとってマイナスにしかなりません。
英語がわからないから話が理解できない、と思ったことがある方。それは本当に英語が問題でしょうか?例えば、去年流行った「ハーバード白熱教室」。この番組はiTunesやYouTubeで無料で見ることができます。僕も、視聴していて三周目も終わろうとしている頃ですが、まだよく理解できているとは思えないです。『これからの「正義」の話をしよう』も、その原著である”Justice-what’s the right thing to do-”も持っていて一通り読みましたが、未だ理解できたという確信がありません。なるほど、「テメエがアホなんだよm9(^Д^)プギャ―」という意見もあるでしょう。しかし、サンデルの授業内容がそれなりに高度なことも事実ではないでしょうか。日本語で聞いたとしてもそれなりに高度なことには変わりません。それをさらに外国語でとなると余計に理解が難しくなってしまいます。自分の英語読解/聴解能力を疑う前に、言語に拘わらずそれを理解できる知的基盤が備わっているか。それをただ「英語が分からない」と悲観する前に、確認する必要があると思います。
某経済評論家などを「達人」と見做している英語学習者は、いつまでたっても英語ができるようにならないと思います、失礼ながら(インタビューもそんなにあてにしちゃいけない)。そもそも、本当に英語できる人間は、日常のほぼ全てのタスクを英語でこなしているような人たちではないでしょうか。論文であれ、企画書であれ、会議であれ、学術発表会であれ。そういう本当の「達人」らは、われわれ一般人に指南するような立場を超越していらっしゃいます。さらに、そういう人たちはあまり表に出ない人たちです。なぜなら、一流のビジネスパーソンは週刊誌の英語特集に顔だすくらい給料安くないし、言語学など学問分野の一流たちもそんなところに出て自分の株をさげるようなことをしないでしょうから。
では誰をロールモデルにするのか。はっきりいってツールである英語にロールモデルが必要であるとは思わないのですが。強いて言うなら、『英語達人列伝』の中から探すといいと思います。これを読めば、「日本人は英語ができない」といった言説が神話であると思え、すこし勇気が湧いてくると思います。
英語学習において、発音を磨くことは何かと批判の対象になります。恐らく、それは英語学習における贅沢品と受け取られるからでしょう。目玉焼きも焼けない人間が高級イタリア料理「カルパッチョソースのデミグラス和え 地中海の新鮮な貝の奏でるムースとともに」(※こんな料理はありません)を作ろうとするように捉えられてしまうのかもしれません。
しかし、僕は発音も大切だと思います。磨けるなら磨いた方がいい。じゃあ、どのくらいまで磨くか。もちろんネイティブレベルとは言いません(発音向上批判がネイティブ信仰批判と結びつけられることも多い)。が、強いて言うなら「自分の発音に自分で酔えるくらいまで」としておきます。英語を話している時の自分がいつもと少し雰囲気違うな、とか仕事できそうだな、くらいに思えるくらいです。語学学習は基本的に孤独な作業であると思います。周囲に誰も人がいない部屋で黙々と音読…そんな状況で心を支えるものが、わずかながらのナルシシズムだと思うのです。ここで注意しておきたいのは、自分の発言を瞬時に考えて話す「スピーキング」と音読教材を見ながら話す「スプリクト読み」の際の発音能力は個人の中でも違いがあるということです(ここでは詳述しません)。
昔NHKで「英語会話」の講師をしていた東後勝明氏はこう言っています。
「発音が大切だ」と言えば、すぐに、「本国人のような発音の必要はない。日本人なのだから日本人の発音で十分」と反論が返ってくる。「単語を覚えたほうがいい」と言えば、「単語だけを覚えても何もならない。その使い方を覚えなければ駄目」と言われてしまう。うっかり「会話ができなければ」などと言おうものならたちどころに「ただペラペラしゃべれるようになるだけではかえって人間が軽薄に見えて困る」と一蹴され、「それより、内容のあるものが読めることだ」とか「話す内容が大切」ということで会話の重要性は影をひそめてしまう。
「文法をしっかりやりなさい」と言えば、「文法に頼る英語力には限界がある」とか「文法を教えすぎるから、英語が使えなくなっている」と、これにもまた反論が出る。それでは「実際にありそうな自然な対話をそのまま暗記してみれば」と言えば、「会話はそんなに準備されたせりふ通りにはいかない。そんなものをいくら暗記しても役には立たない」と誰かが言う。… ( 東後勝明 「聞き、覚え、使う」 現代新書編集部 『外国語をどう学んだか』 講談社 1992)
要するに、唯一絶対の方法なんてありませんよ、ということであり、たとえ少し間違った勉強法をしてしまっても、それほど差はないですよ、ということ。やりかたで戸惑って学習不安なんて愚かだと思いませんか。ネットで情報収集だけに一生懸命になっている方、とりあえずブクマして満足している方。
世界に飛び出ていく為のツールである英語を、日本の企業や学校の基準に合わせてどうするのでしょうか。会社や学校の要求に応えることが重要であることは言うまでもないですが、これから英語を勉強して身に着けるということは必要不可欠であるということ。すなわち、グローバル化によってかつては「あった方が有利」だった英語から「ないとダメ」というように変化してしまったのです。だから、これから英語学習する人――特にビジネス面の方々――は、外国、とくに韓国、中国にライバル意識を持って外国語を学ばなければならないのではないでしょうか。
英語に関することで今問題だな、(というか、もったいないな)と思うのが巷の「英語学習」と、学問としての「英語教育」との乖離です。この春休みに入ったころに、集中して現在刊行中の「英語教育学大系」シリーズ(大修館)を読んだのだが、個人的に得るところが結構あった。そういった学問分野での研究成果をうまく巷の「英語学習」に反映させればいいと思うのだけれど、実際「英語学習」者たちの間でウケてしまうのはTOEIC900点をとった人たちのアドバイス記事。もったいない。
これ500B!超えたらblog再開させようかな…なんてw
訂正
帰国子女の方々は生まれつき後者の姿勢が備わっているきがします→帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます