はてなキーワード: 典礼とは
敗戦後中絶が違法で、強姦の子供等を闇医者で中絶しバタバタ亡くなったり、子供が一斉にできて食糧不足が起こったり、当時急務だった中絶合法化に、無理やり障害者弾圧盛り込んだのは保守政党のおっさん。
時代背景として、1945年の敗戦以降、外地からの引き上げや出生数の増加によって国内の人口が急増し、食糧不足などの問題が深刻になっていたことがあります。「人口の抑制」が国としての大きな課題だったのです。
そんな中、旧優生保護法が担った役割の一つが「中絶の合法化」でした。日本では明治以来「堕胎罪」によって中絶を禁止していますが、「妊娠・出産を繰り返すことで母体の健康を損ねる場合」や、「暴行されて妊娠した場合」などは、「人工妊娠中絶を行うことができる」と定めたのです。
一方で、人口を抑制することにより、病気や障害のある人の割合が増えてしまうのではないか、と危惧する人たちがいました。優生保護法の制定をリードした谷口弥三郎参議院議員もその1人です。谷口議員は、旧優生保護法の提案説明で、「人口抑制政策を行うと、比較的優秀な人々が産児制限を行い、自覚のない人や知的な障害のある人は行わないため、民族の“逆淘汰”が起きるおそれがある」と述べています。
谷口 弥三郎(たにぐち やさぶろう、1883年(明治16年)8月13日 - 1963年(昭和36年)8月19日)は、日本の政治家、産婦人科医師、医学者。熊本県立医学専門学校(現熊本大学)教授、久留米大学長。日本医師会会長、参議院議員(3期)。「不良な子孫の出生を防止する」として、太田典礼、加藤シヅエに一時提携をもちかけながらその影響を排除しつつ、福田昌子らと共に優生保護法の成立に深く関わった。また、熊本県におけるハンセン病患者隔離政策の中心人物である[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E5%BC%A5%E4%B8%89%E9%83%8E
小学生の時、合唱団にいて、もちろんチコタン、みたいな歌も歌ったが、
今時だと宗教色が強すぎてキリスト教系の学校でもない限り難しい選曲かと思う。
ペルゴレージのはラテン語のお経、ブリテンのは、古英語とラテン語のミックスで
日本の小学生からすると文化的にものすごく遠いものであったことは確かなのだが、
小学生に刷り込まれたラテン語のお経のイメージは強烈で、振り返ってみればとても影響を受けている
なんとなくイタリアの教会とはこんな歌歌うんだなぁ、とかイギリスの教会ではこんな歌歌うんだなぁ
というのが心に刻みこまれているのだ。わからないなりに感じることがある。
その後の毎日の暮らしの中で、ラテン語のお経に触れる機会はめったにない。
でも美術館で中世ヨーロッパ関係の展示でキリスト教が主題の絵などがあったとき、
なんとなくわかるような気がして、ちょっとだけ遠い異国の人達が身近になったような気がするのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ERqmDg8zH_w
いま小学生に歌わせるとすれば、gleeやピッチパーフェクトみたいな感じで
選ぶかなぁ
◇事実も拾えてるし、評価もきちんとできてるし、普通に上位答案だと思う。なので以下はほぼ難癖なんで、軽く聞き流してくだせぇ。
◇草太いわく、平成24年から論点の数が減って、まともな問題になったらしい。平成28年にまたカオスに陥るわけだが・・・。
◇住民訴訟書き落としてるけど、上位答案(H氏〔142.73点、28~33位〕)も書き落としてた。問題文が読みづれぇんだよ。
◇効果を論ずる際、「宗教に対する援助・助長・促進又は圧迫・干渉」っていちいち書くのだるいからどっちかに絞っていいと思う。
◇「単なる社会的儀礼」かどうかを論じてるんだけど、「儀礼」って言葉からすると地鎮祭とか玉串料とかに使う言葉で、助成金に使う言葉じゃないかなぁと思った。どうでもいいんだけど。
◇埋葬の方式をいちいち調べんのはだるいっしょってのは確かにその通りだなぁと思った。
◇墓地埋葬法については、被告の方で、C宗典礼方式に従わないことは「正当な理由」だから、これをもって拒否しても、墓地がC宗信徒のためだけのものであることを意味しない、と反論するらしい。反論として成り立ってんのかよく分からんが。
って言うけどさ、人の意思って、真反対に振れることが結構あるから、これが認められる社会って結構恐ろしいと思う。
ALSって進行性の難病があって、段々全身の力が入らなくなっていくのね。最終的には呼吸に使う筋肉や、心臓が動くために使う筋肉も動かなくなって死んじゃうから、人工呼吸器をつけるつけないとか、胃ろうをするしないとか、いずれそういうシビアな選択を迫られる場面も増えてくる。だから、ALS(他の進行性難病も含む)の患者の中には、予め延命治療をしないで欲しいって言ってる人もいる。(これらを俗に、リビング・ウィルと言ったりする。)
ところがどっこい、生前は延命治療をしないで欲しいと言っていた人でも、いざ死期が迫ってくると、やっぱり死にたくないって意思を示す人が少なからずいるんだわ。ALSは意識は最後まで比較的クリアに残ると言われているから、迫る死期を前にして色々と考えるんだろうね。喋ることができなくなったり、指先を動かすことができなくなったりしても、筋力が衰えにくい部位であるまぶたを使って、まだ生きたい、って伝えてくるんだわ。目配せなんて不確かなものではなく、透明文字盤や意思伝達装置っていうツールを使って、まだ生きたいって確かに伝えてくるんだわ。喋れるときは、書けるときは延命措置は不要って言ってた人が、ギリギリになって心変わりすることがあるんだわ。もちろん、それは確固たるものではなく、生きたい、死にたいの波があるものなのだけれど。
けれど、いずれはまぶたも動かなくなる。意思を示すことが難しくなる。そうなると、本人の意思は誰もわからない。目の前には、人工呼吸器と胃ろうをつけた意思を示せない人がいる。この先この人がどうするのか、そこから先は家族の判断。延命措置を続けるかもしれないし、延命措置はいらないと示していた時点での本人の意思を汲むことを選ぶかもしれない。けれど、それはあくまでも家族の判断であって、本人の判断ではない。スピリチュアルな話にはなってしまうけれど、もしかしたら、その時点では死にたくないと感じているかもしれない。だから自分は、延命措置を不要とは生前には言い難いし、とても難しく、繊細な問題だと思う。
これは余談だけど、安易に尊厳死を認めることは、昨今話題の優生思想を認めてしまうことにもなりかねないなと、個人的には危惧している。日本尊厳死協会(もとは安楽死協会)を作った大田典礼って人がいるんだけど、この人、生粋の優生思想主義者だから。回復の見込がない病人は殺せ、障害者は断種しろ、って人だから。そういうベースが尊厳死を声高に主張する団体にあることも、広く知られて良いのかなと思う。
ここに来た人の中で自分がキリスト教徒であることをはっきり言える人以外は
一度ここ読んだ方がいいね。
特に無宗教決め込んでキリスト教を含めた「宗教」の信徒を馬鹿にしている人は、知らないことがあることを知った方が後々安全。
キリスト教徒でも知らないことあるから、読んでみることをお勧めします。
http://homepage3.nifty.com/yagitani/kurihon/kurihon18.htm
結婚が一度きりに限るとか、教会が実際に結婚について信徒に制限加えるのはそれカトリックと福音派だけだから。異端は知らない。
異教徒と結婚しているキリスト教徒とか、フツーにいるから。完全にそれを許してないのはプロテスタントのうちの福音派だけだから。ロマ書読んだ?
しつこい勧誘をするとか、それ異端だけだから。伝統教派は基本「自分の意思で来る人以外拒む」し、「勧誘をする」のは三位一体や使アタナシウス信条すらアウトにしてる某異端たちだけだから。
堕胎や婚前交渉同性愛、職業選択にうるさくなるのは宗教だけが根本にある訳じゃないから。無宗教を謳う人がこれだけ多い日本で、「倫理」が何故話題になるかわかんないかな。
人類の進化を受け入れなかった、ってそれあの大所帯のカトリックが「すべての人が価値観を変えた」と確認するまでトップが受け入れたことを表明するのに慎重になっていることがわからないかな。
例えば最も保守的な正教会には「七日目」に朝があり夕があったとの記述が創世記に無いからまだ地上が完成したとは結論付けていないんだけど、それはどう考えるのかな。
そういえば、ロマカトとプロテスタント福音派や異端ばかり見てない?
狭い。カトリックの人が書いてるけど、正教も伝統プロテスタント(⇔改革派からは「福音派」と呼ばれる)もサイトあるんだから多少は自分でググってね。
カトリックだってローマカトリックだけじゃないんだよね、日本には無いけど。(つまり東方典礼カトリックを自称する日本の教会はあったら異端ってことです。)
聖書の訳も何種類も出ていて、日本聖書協会が出版していないものは完全に異端だと認めていいことも知らないだろうから、訳も調べてみてね。
お勧めは正教訳といきたいところだけど難しいので、カトリックのフランシスコ会訳と、カトリックと聖公会、ルーテル(と極少数の改革派)が使ってる最大利用者の持ってる新共同訳。
新改訳は「改悪」という評判を随分聞いてるから読んだことがないね。
「キリスト教」と一言で言っても、十戒の最大の禁忌のひとつ「偶像崇拝」の解釈すら教派によって違うから、少し勉強してから発言しないとちょっとしたことでも恥かくよ。
正直見てて痛々しい。
追記:知恵の書2章~3章をキリスト教徒の兄弟姉妹たち、今一度お読みになってください。旧約聖書続編にあるので、手元に無い場合はせめて一度読んでみて。信仰を持たない人の人生観が書かれています。
読みました。宗教にはまった、って…かなりフツーのことをしていると思うんだけど。
キリスト教に触れて、日曜日にミサ・礼拝に行くのはかなり普通。ただし、収入の十分の一を献金しろ、になると異常。
客観的に言うと、
仏教徒や無意識に六曜を信じたりしてる人を「宗教にはまっている」と思う?
たぶんノーだと思う。
信仰を持ったことを何故そんなに恥ずかしいように書いているのかわからない。
元々親がキリスト教徒という人から人生につまづいてキリスト教の扉を開く人まで見ることができるから。
もちろんいいことばっかじゃなく、トラブルにもぶつかるかもしれませんが、
教会の司教・主教、神父・牧師、そういった方々はあなたの話を聞いてくれると思いますよ。
この世の中で、自分を優先させて主張できないと、もっと自己主張の強い他人や身内の人に飲み込まれます。
ただ、もし受洗、の時には、自分に何かあった時に教会や牧師に連絡してくれる人がいるといいのは事実だけど。
もっと自信を持って!
教会に信頼や自信が置けないんなら、キリスト教の中でも最も古い正教の教会に行ってみてはどうかな。
一番古いだけあって、信頼度は最強だと思う。ただ、文語に慣れるかどうかが問題だけど。
近くにはないかもだけど、まあ勉強ついでに。
ちなみにわたしはカト。文語が無理だった…
ブコメの方。
カトリックなのに何故正教を勧めるかって?
第二バチカン公会議の前後ではカトリックも大きな変化が起きたんですよ。
カーボン様への感謝は、お布施の行為によって表される。これをカーボンオフセットと呼ぶ。たとえば、石油ストーブで部屋を暖めたら、カーボン様の力を借りたことになるので、そのかわりに、日頃スーパーへ買い物に行くのに自動車で行っているのを徒歩で行く。あるいは、庭に木を植えるのもよいだろう。
これらはカーボン様に借りた「電子」を返す行為であると説明されている。
命の杯たる植物体の中で起こる還元反応は神聖にして玄妙であり、光が物質を聖とし、カーボン様のみもとへと還すともいわれる。
あまり知られていない例としては、製鉄もまたカーボン様の力で行われている。
カーボン様は人類の感謝がたりない場合、地上を灼熱地獄、海を大洪水とするドゥームズデーを惹起すると信じられている。そのためカーボン様を崇敬するカルトは全世界で知的上流階級を中心に広まっており、その典礼を決定する公会議はCOPと呼ばれ、教理はキョウトプロトコルという書物にまとめられている。
なおカーボン信仰における贖宥状については、CDSを開発したブライス・マスターズ女史をはじめとした金融業界の重鎮たちによって市場での売買が検討されており、そう遠くない未来にシカゴ商品取引所で売買できるようになることだろう。まさしく、地獄の沙汰も金次第である。その売買ルールの設計はゲーム理論という精妙煩瑣な学を修めた者たちが行っている。オフセットの本質と形相をめぐる議論は部外者にはピンの上の天使の数の評価のごとくに受け取られているが、現実への影響は小さくない。
なぜカーボン様だけが崇敬の対象となり、金属アルミニウム(テルミット)やアスコルビン酸(ビタミンC)はそうでないのか、と論じた異端者ラボアジェは火刑となったと当時の書物に記されている。