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はてなキーワード: 内定とは

2024-03-29

新卒採用やめろ

採用コストかかるし入社直前でも内定辞退するし育成大変だし第二新卒ですぐ転職するしなんのメリットがあるんだこの制度

2024-03-27

anond:20240327125848

40代なんてたとえキャリ採でも内定取るまで数社受けるのくらいは当たり前なのに

バイトとはいえ経験者が出版社みたいなとこ応募して落ちるのなんか言っちゃ悪いがどこがおかしいのかすら理解できん

高卒大卒就活生を見ていて

会社役職が付いたので新卒採用面接に参加するようになったんだけど、正直高卒の方が印象が良い、というか大卒の印象が悪すぎる。

高卒学校からの推薦があることもあって、面接の際には入社する腹を決めていることが多く、「入社してめちゃくちゃ働いて金稼ぎます!!」という感じが多い。

その一方、大卒は「内定が出そろってからどこに入るか決めようかと・・・」みたいな感じ。

「お前の会社内定辞退されるような会社であるのが悪い」と言われたらそれまでなのだが、上記のように言われてしまうと、やはり大卒を落として高卒内定を出さざるを得なくなる。

自分就活の際はこんなノリだったかと思うと背筋が寒くなる。

anond:20240327084238

増田が飲まなかったせいで内定が取り消された

2024-03-26

旧帝大学生には全員、公務員内定出してやったらええやん

防衛大は入った時点で自衛隊就職できることがほぼ確定している。

しか防衛大の学生には学生の時から給料も出る。

同じように、旧帝大学生入学した時点で公務員(準公務員も含む)になれることはほぼ確定。

みたいな感じにしてやったらいいと思うんだけどどう?

学部とか研究室とか本人の能力に応じてだけど、

国の研究機関研究者、国立病院医者大学教授官僚

県庁総合職技術職、(もうちょい待遇を上げた上で)国公立中学校高校教員、国公立図書館司書、国公立美術館博物館学芸員など

これらには、よほど成績が悪かったり素行が悪かったりしない限りほぼ確実になれる。

旧帝大に入れる時点でそれなりに性格も真面目で地頭もいいだろうから仕事は務まると思う。

もちろん公務員になるには旧帝大じゃなきゃいけないってわけではなくて、他大卒用の採用枠は用意する。

あと旧帝大に入ったら絶対公務員にならなきゃいけないわけでもなく、民間就職したければしてもよい。

いや、なんというか、

旧帝大学生を「就活」で消耗させるの、もったいなくない?

能力的には申し分ないんだから、さっさと国が雇って、国のために働かせればええやん。

芋っぽくて大人しいけど真面目で優秀な彼らには公共仕事がうってつけでしょ。

なにSPI小学生レベル算数解かせてんねん。コミュ力とか容姿で落として自信失わせてんねん。

嘘のエントリーシート書かすな。

そんで「就職できなかったらどうしよう・・・」ってビクビクさせるんだろ?

その時間エネルギー、もったいな。

民間仕事早慶MARCHやらせとけ)

あと、優秀層の囲い込みという意味もある。

旧帝大でも垢抜けていてコミュ力抜群なやつはいるけど、結局、そういう層は外資に取られてんじゃん(特に東大)。

外資に取られるくらいなら、日本公務員やってくれた方が良くない?

大学研究して新技術を開発したり、歴史文化保護をしたり、地域のために働いたり、子ども教育に携わったり、

そうしてくれた方が良くないか

学歴社会叩きとか公務員叩きとかあるけど、そんなの全部嫉妬じゃん。

ちゃん社会全体で優秀なやつを持ち上げて(上手いことおだてて)、安心して活躍してもらった方がええに決まってるやん。

変に引き摺り下ろそうとするから民衆に敵意を抱いたり、自分利益しか考えなくなったりするんや。

旧帝大生の人生保証してあげることで、安心して国の発展のために働いてもらう。

学生幸せ国民幸せ、みんなハッピー

だと思うんだけど、どう?

追記

別に低学歴いじめろとか一言も言ってないのに、みんな意地悪やな。

低学歴(というか非旧帝大)は、国の未来とか難しいこと考えず、

自分の稼ぎだけ気にしてのほほんと暮らせばええんやで。

リサラになってガンガン稼ぎたいやつは早慶一橋MARCHに行くようにする。

ニートだけど月給が100万以上になった

ジョブホッパー時代無職時代の話をまとめてみたかった。


以下の状況でスタート


大学3年の時、高校から好きでよく会ってい友人どまりの先輩に振られて、激鬱に(相手バイトオーナー不倫中)

・当然就活とか手につくはずもなく、再度就活しようとわざと留年、それを2回。しか氷河期でどうにもならず

・結果として無職の25歳が世に放たれ、学生時代に作ったカードクレカキャッシングとかで生活都内一人暮らし


でまあ、暇だったので増田を読んだり書いたりしてた。100−200くらいは当時ブックマークされたエントリもあったかも。


いろんな人生の人がいるよね。はてな村は、増田にはその、カフェラテでいうと一番黒い部分が集まってると思うんだけど、

有益ライフハックや、面白い記事も多くて、無職自分の参考になるものも多かった。

人生の役に立った増田記事も多いので、過去の振り返りを書いて、それが誰か読んだやつの参考になればいいなと思う。


で、社会復帰でやったことは以下。


学生時代に借りた家賃2万の風呂なしアパートからスタート学生街にあった最安値物件を借りて、大学院生のふりをして入居

派遣フルタイム仕事を開始。最初時給千円台だったと思うけど、どんどん契約の切れ目で乗り換えて時給2100円のヘルプデスクを開始

・それで月収30万くらいにはなったので、8万円とか普通アパートを借りられるようにはなった。でもまだ年収300万円

・初の正社員外資)へ就職派遣外資オフィスにいたりもしたので、英語読めます外人と働くの抵抗ありません(抵抗ないけど話せない)と自己アピール

・「年収300万円台なので月額40は欲しいです!」と言ったらエージェント交渉して月40x12で年収480万の正社員になった

しかスキルが足らず2年以内に首。外資からクビになる。(これ以後も何度かなった)


ここまでが初めて正社員になるまで。

ここから、クビになって再度無職になってからのおはなし。


都内家賃を払えないので郊外に引っ越す(都内でも2−3万で風呂付きのエリアはあるぞ)

半年間、十数万円の雇用保険手当をもらいながら、郊外サイゼとかでパソコン開いて無限インターネット

・色々あるエージェント登録してたら、数ヶ月のお仕事(時給二千円ちょい)をもらう

・その次に、またテクサポで時給二千円台、年収300万円台の暮らしを再開して、一年派遣収入都内住み。

・流石に三万のアパートから時間半かけて都内に来るの厳しくて職場付近に七万のマンション借りる(なぜかエアコンなくて冬は震えてた)

一年派遣して、正社員になりたくて就活開始。結果、月給50万x12で年収600万でまた外資正社員になれた。(単に前任者がやめて、自分スキルマッチした幸運

・5年半くらいそこで正社員をやった。

ADHDなので、職場人間関係が厳しくなり(まあそれまでも数ヶ月とか2年以内に辞めてたんだけど)転職検討

東京から離れ、名古屋心機一転契約社員として勤務開始(なんか面接官が元お客様で、安かったんだけど惹かれてしまった)


ここまでのまとめ 0→350→480→0-→300→380→600みたいに年収は推移してる。(自分でも書いてて意味わからん人生だけど、このあとさら意味不明になっていくよ)


名古屋暮らしに耐えられず(名古屋一度住めばみんな耐えられないと思う)、三ヶ月で契約更新せず都内に戻る決意を固める

・当時普及し始めてたリモート面接で、東京国内ベンチャー内定入社ベース50x12+ボーナス200≒年収800に。

・体を壊して退職仕事自体はキツかったからね!

退職金+雇用保険手当で半年以上無職をやってた。


なんとここまでで3回無職になっています年収推移位は、0→350→480→0→300→380→600→800→0


さて、ここから外資ジョブホッパー時代に入ります


・みんなが名前を知っている外資10社あげたら出るような会社、それらを5社1−2年で入ったり辞めたりした。

・前職の800から一度700に下がったけど、年収下がってモチベ上がらないのと、体調もキツくてすぐに辞めた。

・その後、今700で月給65万くらいなので、800万台後半がいいですと探し、870で転職

・でも当然、ADHDなので、職場では人間関係がキツくて常時転職を考えるように。

・再度入院入院中にリモート面接をし、1000を超える内定を得た。病院の庭からノートパソコン面接したよ。

1000になってもやっぱりADHD職場では人間関係がキツくて、すぐ退職外資ジョブホッパーとして完全に手慣れてきて、一年転職

・「今1000なので、サインインボーナス100とか載せて1100とかでどう?」と言われて入ったが、割とボーナスが出て1150

・「今1150なので、まあそれ以上なら」みたいな感じで1200を超える。この時点で、月収が100を超えた。


ここまでの年収推移位は、0→350→480→0→300→380→600→800→0→700→870→1000→1150→1200

なんかRPGボス戦で死んだキャラを繰り返し生き返らせて戦ってるみたいだね。


で、昨日退職届を出して、今4回目の無職準備中


まとめると

派遣時代外資オフィスサポートやったので英語抵抗がなくなった

・「月収〇〇万円にあげたい」とエージェントに言うと、それを満たす契約でいい感じにまとめてくれた

・一度無職になって絶望しても、わりと雇用保険無職を食いつなげて助かった。

退職前に郊外家賃安い部屋借りれば、雇用保険範囲で長期耐えられる。

外資一年半でやめるようなやつでも割とスキルマッチすれば雇ってくれる。

年収何度も下がってるけど、その時に学んだスキルマッチして、のちに高待遇につながったりもした。低収入でも腐らず学べばいいかも。


国内企業はもう、履歴書職歴見ただけで書類通過することはないと思うんだけど、

また無職になってみて、今後何ができるか考えてみたいと思う。現実的には、また外資フリーランスしかないと思うけど。


ひろゆきスパチャで相談したら「年収1000超えてるなら起業してください」の一言で片付けられてしまったけど、

何かおすすめの今後の人生のやりかた、あれば教えて欲しい。

anond:20240326184333

己のポカで単位落として半年留年内定取消→再就活って流れが過去自分とまったく一緒だったのでついトラバした

全然本筋関係ないけど、頑張ってね

諦める癖

必修の単位落としたけど頑張って救済措置してもらって卒業できた、みたいな内容のエッセイ漫画ツイッターで見た

自分はというと、

期末レポートだけで評価決まる講義を取ってて、レポートの締切日を忘れてて提出できずそのまま単位落として留年した

内定も取り消しになって卒業時期が秋にズレることになり、再び就活を始めた 全部今起こっている話だ めちゃくちゃ馬鹿だと思う

かかりつけの精神科でこの話をして、

やっぱADHD起因のトラブルだと思うから社会人になる前に薬飲み始めて対策したいって相談したら

「昨日締切だったの忘れてた!ってなったとき教授相談しようとしなかった?」って驚かれた

なんか図々しいし締切翌日時点で無理だと思ったので言いませんでしたって言ったら

卒業かかってるんだし折角なら相談してみてもよかったかもね……と気の毒そうな顔をされた

かにそうだなと思った

メール相談するぐらいはしてみてもよかったというか、卒業かかってるならそれ位するはずなのにその発想ができなかった

なんか全てにおいて諦めがよすぎるところがあるね、とも言われた

かにそうなんだけど、どうやって直したらいいのかわからない

駄目だと思ってもまあそうか……と流してしまう癖がある

昨日会った友達にこの話をしたら、「潔くていいじゃん」と言われた

全然よくないと思う 駄目って言われてすぐ諦める奴よりも粘ってなんとか勝ち取る奴のほうが絶対いいじゃん

留年決まったときめちゃくちゃパニクってネット記事を真に受けて電話連絡に加えて手書き内定辞退の手紙を郵送した(今思うとバカすぎる)んだけど、あれどうなったんだろうな

社会人になった今、そんなん送られてきても扱いに困るよな……と思う

受け取った人たちがどう思ってどんな会話が繰り広げられたのか想像するだけでしんどい

2024-03-25

新人がこのタイミング内定辞退して周りが慌ててるけど俺は超だるいOJTがナシになって超ハッピー

ありがとう名も知らぬクソガキ

2024-03-23

彼氏のどこが気に入らないんだ

まだ学生なので具体的な予定はないものの、将来的には結婚したいねって話している彼氏がいる。でも父親的には「賛成も反対もしていない」というビミョーな感じらしい。

どうやら彼氏本人というよりは、奨学金大学に行かせた彼親が気に入らないらしい。


でも、私に彼氏がいると知る前に(どのくらい本気で言っていたかは定かではないが)紹介しようとしてきた人たちもみんな奨学金あったじゃん。

その人たちは年上だったけど、彼氏は同じ大学の同期だし、大学レベルもほぼ変わらないけど院卒の分学歴は上なのかな?内定先はその中の誰よりも圧倒的に大企業だし、私のこと大好きだし、条件的には一番良かろ?まあ強いて言えば身長は明らかに一番低いか。その人たちは軒並み175前後だったらしいけど、彼氏は160あるかないかくらいだし。顔はまあ…好みによるよね。

正直普通怪獣わたしスペックでは彼以上は無理だ。彼も学生時代から付き合っていたからなんとかなったが婚活市場では絶対捕まえられない。大人しく賛成してくれー。

就活真実:1年で終わらない驚きの事実勝利への道

この内容は、あなたの考えを変えてしまうかもしれません。ぜひ、自分の目で確かめてください。

現在あなた就職活動に関して誤解をしている可能性があります

今ここでその誤解に気付いて、甘い幻想からさよならしましょう。

あなた普通に頑張っています。みんなと同じように努力し、部活受験活躍たかもしれません。高校受験大学進学も順調で、両親の支援も受けてきたかもしれません。

しかし、就職活動が目前に迫る中で、いくらかの不安がよぎるかもしれません。でも、大丈夫だと思っていませんか?

先輩たちの話を聞いていても、卒業までに何とか内定がもらえそうだし、最終的には就職できると思っていませんか?

でも、もしそのまま勘違いを続けると、あなた就職活動は満足な形で2ヶ月で終わることはありません。内定をもらい、入社手続きも滞りなく進むでしょう。

内定式や入社式に向けての準備も、幼い頃の遠足のような楽しい気分で過ごせるでしょう。

新しい社会人としてのワクワク感に胸を膨らませながら、新生活に臨むでしょう。

しかし、期待していた生活とは異なるかもしれません。理想とはほど遠い現実に直面するかもしれません。

そんな日々に疲れを感じることなく、逆に熱中してしまうかもしれません。

でも、待ってください。あなたは今、就職活動の誤解の中にいます。そんな生活は手に入れられません。

厳しいことを言いますが、それが現実です。1年間の就職活動を真面目に行っても、結果がついてくる保証はありません。

ですからあなた就職活動は1年で終わることはありません。その間に「第二新卒」というレッテルが貼られ、劣等感を感じるかもしれません。

もしあなたが賢ければ、留年して新卒として就職活動をするかもしれません。または、院に進学して有利な地位を得るかもしれません。しかし、そのような選択時間無駄です。

ただし、学生気分が長引き、20代の全盛期を浪費してしまうだけです。

その結果、結婚の機会も遠のいてしまうかもしれません。

ですので、早めに誤解を解きましょう。今年1年での就職活動が終わると考えるのは間違いです。むしろ妥協せずに行動しましょう。

私は、就職活動が1年で終わらなくてもいいと思っています。納得がいかなければ、来年もやりますだって、新しい社会人としての新生活妥協したくないのですから

そういう真剣意思が、あなたの目指す未来を実現させるのです。

からこそ、急いで終わらせようとか、どうせ就職できるだろうという考えは捨ててください。

そうでなければ、今までの努力無駄になってしまます時間無駄にさせたくないのですから

ですから、今すぐ「妥協しない就活」と書いてみてください。これがあなたの誤解を捨てる意思表明になります

しっかりと自分の中に刻んでください。そして、あなた未来への道を開いてください。

2024-03-22

就活早期化ゴミゴミゴミゴミ

就活の早期化、なぜ起こり始めたのだろう。

企業は優秀な人を囲み込みたいからだそうだ。

本当に良い迷惑だ。

早期化することで大学研究意味をなくしつつあるのではないかと感じる。

研究内定先の業務と結びつくなんてことはほとんどない。なので大学生活修論卒論)が書ければ十分である。そこに優劣はない。

仮に研究ちゃんと行ったとして、就活の「勉強」ができなければ行きたいと思った場所に行けない可能性がある。

なぜなら、数多くの日本企業様にとって研究の成果よりも「人柄」の方が大事からだ。

将来を最適化しようとすると、「成果」と「人柄」をよくする方がよい。

研究をやることはむしろマイナスに働く。

実際周りの人を見ていても、いかにして手を抜いて研究をしようかという風潮が見受けられる。

研究就活モチベにするのはいかがなものか」という意見もあるかもしれないが、モチベがないよりもマシであるし、大学生活に意義ができるから良いことではないのか。

モチベがあることで研究をやり、面白さを見出す人がいるかもしれない。

少なくともバイトリーダーしたことを鼻高々に自慢しあっているようなクソキモ異常光景よりはマシだろう。お前どうして大学いってんだ?ってことを聞けよ。

もちろん、「勉強」より研究大事だという雰囲気を感じるような企業はある。私にとってそういったところの面接は非常にやりやすい。

しかしそのような会社に行ける保証はない。そのため多くの学生にとっては行けないと仮定した上で生活した方が合理的だ。

大学での成果が全てではないという意見や、人とのコミュニケーション大事だという意見には同意する。

そしてこのような面接が完全に機能しそうだと思われる業界もあるとは思う(営業とかまあねこういうの求められてそう)

しかし全体として、この「勉強」は本当に日本企業にとって理想的な流れなのだろうか。

就活マニュアルを叩き込んだ人が「優秀」なのだろうか。

ダイイチシボウデス‼️と言えることが人柄として優れている証なのか?

嘘も方便、こんな簡単なことも言えない人はどこか問題がある」というが、問題があるのはこんな茶番をやってしまあなたたちではないのか?

こんな人たちを集めているか隠蔽体質が消えないんだよあほ

人事とかいう専門のかけらもないやつに評価される就職。なにがポテンシャル採用だ。お前のいう「ポテンシャル」はどういう意味なんだよ。

一体大学生活とはなんだったのだろうか。コロナで途中から友達数のグラフ横ばいだしよ

こっちはまだほとんどオンラインでやってんだよ。研究室同期とか合わねえのにどう思われているかとか知るかよばーか

学部生だとしても大学相手就活させてんだから面白かった授業とか、最近読んだ本とか土日やったこととかそういうの聞けば良いんじゃないの?

なんでこんなクソキモベントが性懲りも無くエンドレスに続けられているのか本当に気になる。

まあ、どうせバカ文系が人事になり続ける限り変わらないんだろうな。

率直に、人生が積んでいる。

32歳、独身男性

3月末までで職を失い無職となる。

  

無職で大変で、手続きもしないといけないのだが、

職場上司からは、

年末で忙しいのに、お前の手続きとか勘弁してよ」

とかすげない返事。

どーしても書類手続きギリギリとなってしまう。

職場ミスでこんな無駄手続きしてるのに。。。

  

4月からの職もない。

9社ほど受けたが、内定は出ていない(合否待ちが3件、お祈り4件、明日面接1件、ホボ落ち1件)

4月から無職となる。

浪人留年大学院に行ったのが痛く、職歴は合計3年未満。

  

毎日、胃がきりきりする。

余りにも厳しい。

世の中ホワイト企業はないのか。

ブラック企業で体壊すしかないのか。

  

人生ドンドンお先真っ暗。

もう本当に自殺を考えている。

元々、発達障害な気もする。軽度だが身体障害もある。

  

人生絶望というか、産まれてきたことが物凄く辛い。

もっとまともな人間に産まれたかった。

もっとまともな人間が苦労しなくていい時代に産まれたかった。

もうパターン化された"CS学生"羨ましすぎるんだよ,NAND回路でtetris,RustでRDBMS実装する,CPU自作OS自作コンパイラ自作TCP/IPプロトコル自作エミュレーター自作キーボード自作計算機プログラム構造解釈,長いこと大学いたけど,全然出来なかった やりたい

から修士2年で,今はまだ就活中だがそのうち終わるし,授業ももう無いしで,なんか純粋知的好奇心を満たすやつをやりたくなってきた

この一年で徐々に徐々に,回路触りたいとか,低レイヤやりたい欲求が再燃しつつあった

奨学金も借りて経済的に少し余裕ができたせいもある

本や部品を買うためにバイトを増やすと,肝心の活動に避ける時間がなくなってしまうし

もちろん,研究でもある種の好奇心は満たせるし,就活で停滞していたぶんを早く取り返したい気持ちもある

自分の受け止め方は,

研究

→ググっても出てこないことを調べて,ググったら出てくる情報にする,新規性客観的な正しさが重要

好奇心も満たされ,場合によっては就活アピールにもなる

進学しない人でも実績増やせば奨学金免除も狙える(大学院の話)

趣味ソフトウェア開発

車輪の再開発OK

でもまあ,一発ネタでもなんでもいいけど,解決したい課題とかテーマ必要な感じ,独自性があるといろいろと受けがよい

チーム開発したとか,身近な人に使ってもらったWebサービスとかだと,エンジニアでない人事担当者にも伝わりやすそう

自分場合就活でとてもいいアピールになっている

アルバイト

→金が儲かる,なんか社会の役に立つ(たぶん),なんか金儲けに役立つスキルが身に付く

上司や先輩から色々教われるのがよい

動機(金が儲かる,人の役に立つ)があるおかげで,もともとそんなに興味が無いようなことでも,調べて勉強したりするきっかけになって面白い

みたいな感じなんだけど,

ArduinoLEDをチカチカさせる,CPU作る,みたいなことはわかる人にはそれなりに評価されるのかもしれないが,短期的に対外的評価に繋がりにくいように思うし,すぐには自分生活をよくしないので,学生自分ですら後回しにしがちだったと気づいた

でもクラフト系(?)でしか満たせない何かがある

ポジティブな側面では知的好奇心だし,

ネガティブ意味ではよくわかっていないコンピュータシステムの上でいろいろやっている負い目とか,

コンプレックスだったり,インプットが足りていないままアウトプットに偏った活動をしている劣等感とかだろうか

就活就活向けの思考に疲れ始めているせいで,そうゆうコンピュータクラフト系に癒しを求めている部分もあると思う

自分のこれまでの活動をうまく利用して,有利に就活を進められる場を提供してくれたサポーターズなどのサービスイベント

自分を高く評価してくれる企業には大いに感謝もしているが,

品定めするような目線を受け続けているとアンチ金儲け主義のような意識が芽生えてくる

会社が金儲けのために使う道具として自分がどれだけ優れているかばかりアピールしていると,そうではない側面が盛んに自己主張をはじめる

就職活動念頭にあるので,自分経験をわかりやす就活で有利になるパッケージにしよう,みたいな考えにいつのまにか陥ってしまっていた

年代経済的な豊かさを手に入れ,どんどん人生の次のステージに進んでいくのを見ていて,焦りもあった

パンだけじゃ 生きていけねえ,し,

せめて高収入だったり,他人にすごいと思われるような職について,自分を慰めてやりたかったのかもしれない

あと一ヶ月もしたら,これまでの活動内定承諾という形で一旦精算されそうなので,

残りの時間研究と,別に新しい何かを生み出さないかもしれないただ好奇心を満たすための活動に使いたいと思い始めた

(面接では,一日も早く御社活躍できるような人材になれるように勉学に励みます,みたいな顔をしているが)

別に社会人になっても,休日に自室で一人で自作CPU半田付けしていてもいいし,多分やってると思うんだけど,

終わりが見え始めたら,周りに興味をもってくれそうな人がたくさんいる今の環境は尊く得難いものであると気づいてきた

そんなことを考えながら,いろいろググっていたらCPU自作手芸に例えたとても秀逸な投稿を見かけた

自分コンピュータ裁縫編み物も好きなのでとても共感した

裁縫編み物商業的にはほとんど機械化していて,実用品を手に入れる目的なら買った方がはるかに早く安く性能もいいが,

まさに手を動かして作る楽しさを味わうために取り組む趣味的な活動として残り続けている

自作CPUとかは短期的には対外的評価を得にくい活動かもしれないが,それ自体純粋自分好奇心を満たし,

達成感や充足感を与えてくれるので精神的な意味では「すぐに自分生活をよくしてくれる活動」と言えるかもしれない

ロシア語では趣味のことを「魂のためにやっていること」と表現するそうだが,まさにそういう癒しを求めているんだろう

2024-03-21

在野研究者として納得できている

在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ

「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代おっさん自分語り。

地方私立大学理系入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学文系学部に転学し、言語学を学んだ。

良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学就職は壊滅的に悪かった。同じ学部卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。

これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区マスコミ二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業から内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区企業を受けるという発想が無かったり、都市部学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。

就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。

閑話休題大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。

そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。

別の教員からは「国立大学学生私立大学学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値あなた研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。

ある日、大学院の師から研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。

大学院時代就職活動の結果、インフラ関係会社からと、その旧帝大事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料月並みでも図書館等の設備があって都市部アクセスやす後者を選んだ。学部時代経験で、地方より都市部の方が学問やすそうな気がしていた。

アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベル大学教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運からだ。私には、そこまでの熱意はなかった。

大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。

仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。

大学院授業料には納得がいかない

学部生は分かる

授業をちゃんと受けるしテストも採点してくれる

「教育」をしっかりやってくれている

大学院M1も分かる

授業があって「教育」をしつつ、空いた時間で「研究」をする

M2分からん

授業が無くて「研究しかしない

大学設備を使わせて貰ってる費用授業料だ、と言う人もいるが

使用料ちゃんと決められていて授業料3分の1以下の金額

企業の外部研究員なんかはそれだけを払って同じように研究している

修士論文審査費用だと言う人もいるが

大学院入試博士号コース受験費用審査費用でしょ?

修士論文ってそれ以上の審査してるか?

仮に同等だったとしても、使用料審査費用を足しても全然授業料に届かない

授業料はその名の通り「授業」の費用

「教育」を受けるための費用のはず

ところが教育してるのはD1-D3の同じ学生

助教教授スタッフパワハラしかしてこない

教育なんだったらせめて週一で勉強会でも開けよ、と言いたいが

助教とかはクソ雑務死ぬほど忙しそうでとてもじゃないけど無理そう

というか助教ってクッソブラック企業だよね

しか任期付きで安定しないとか泣けてくる

そんで博士号コース博士後期課程)の学生マジでマゾ

お金授業料)払ってパワハラ受けながらM2教育までやってる

しか卒業しても助教っていうブラック企業内定してるとか

マジでなんのためにやってるの

そんでこんな状況にしといて

日本博士号採用する企業が少ない」

だの

論文を軽視している」

だの偉そうなことを言う教授とかマジでサイコパス

まずは大学教育ちゃんと見直せよ

金貰って教育しないとかどういう神経してんだよ

2024-03-19

新しいことにチャレンジすることがとにかくこわい

業務委託入力業務を四年続け、病んでいた精神もなんとか普通状態に戻せたので再就職正社員希望)を決意。

で、転職活動中なんだが、アドビ認定アソシエイト(今はアドビ認定プロフェッショナルというらしい)という未だ役に立つの不明な国際認定資格しか持っていないことに危機感を抱いている。

世の中にとって本当に必要なのは普通自動車免許MOSだと思うんだ。自分はそれを持っていない。

illustratorPhotoshopが使える、使えるが、世間は未経験はいらないんだ。企業は実務経験者のみ、つまり即戦力が来てほしいからって素人illustratorPhotoshopが使えようがいらねえんだよ。普通自動車免許MOS必要なんだ。必要だったんだ。つうか金な、資格って金が必要だよな。30万とか、一回1万とか、ゲロ吐く。

illustratorPhotoshop使えるなら新卒とき企業潜りこめばよかったんじゃね?とおれのなかの山田(ガヤ)が言っているが、就活時は鬱で無理だったんだよ。就活時に鬱になると本当に詰みます。正しい判断力も気力も体力もないので自分に合っていない会社内定説明会とき内定もらえたかバリバリブラック風味だったんだけど内定しかたからどうでもよかった)、研修五日目で辞めた。池袋西口のすごく綺麗になった公園のベンチ(?)に座って泣きながら求人検索した。一か月に今の業務にありつけたけど…。

本当はいろいろと書いていたが自分の身の上話はどうでもいいのでカットする。生きてる。それだけで素晴らしいと思う。そう思わないとやってられない。

で、本題。資格が欲しい。とりあえずすぐ取れそうなMOS。あとITパスポート普通自動車免許も取りたいよな……取りたいです…。平行して複数のことを行うのがほんと苦手だから転職活動中に自動車免許取れる気配がしねーよ。つうかこわい。MOS試験の予約したいのにこわくて指がそのさきにいけないし、自動車免許もやだやだこわい。なんでみんな普通運転してんの?ばあちゃんが平気な顔で運転してんだから自分もできる、できる、できる……(必死自己暗示

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-18

概要】薄桃色にこんがらがって

概要

283プロの3人組アイドルユニットアルストロメリア」の桑山千雪は、同じユニットメンバーである大崎甘奈の練習を、大崎甜花(同じくユニットメンバー)と一緒に見守っていた。

甘奈は、新しいファッション雑誌の”顔”となるカバーガールオーディションへの挑戦を控え、面接での自己PRの練習をしていた。

甘奈は雑誌からも注目されており、一般応募より有利なシード枠としてのオファーを受けていた。

甘奈から面接を想定した厳しい意見を言って欲しいと頼まれ、千雪と甜花は、一定時間本心と反対の事を言う「反対ごっこ」を始める。本心と逆のことを言う形であれば厳しいことも言えるだろうという作戦だったが、結局ほめてしまう。

練習後の雑談で、その雑誌がかつて愛読していた雑誌アプリコット」の復刊であると知り驚く。


事務所にいた283プロダクションのプロデューサーは、「アプリコット」のオーディション事務局から掛かってきた電話を受ける。

プロデューサーは、甘奈がシード枠としてオーディションを受けられることへのお礼と、オーディションへの意気込みを伝えるが、先方から甘奈は既にグランプリ内定していると聞かされ驚く。


甘奈と甜花はかつて刊行されていた雑誌アプリコット」のことを調べていた。おしゃれで可愛らしい雑誌雰囲気をみて、2人とも「まるで千雪のようだ」という感想を抱いた。

千雪は所有している「アプリコット」のバックナンバーを読み返していた。甘奈が「アプリコット」の”顔”となったら素敵だろうと思うものの、やはり甘奈のことが羨ましかった。

プロデューサーは、甘奈の参考になればと自宅からアプリコット」のバックナンバーは運んできた千雪に、メンバーのことを考えるのも大事だが、千雪自信のことも大事に考えてほしいと伝えた。


甘奈と甜花はレッスン室でオーディション審査項目の1つであるウォーキング練習をしていた。

レッスン室に立ち寄った千雪は、「たまたま古本屋で見つけたので」と甘奈に「アプリコット」のバックナンバーを渡した。

オーディションまでにできるだけレッスンを入れる必要があるが、先生の予約の空きとレッスン室の予約の空きが合わなくて困っているという甘奈に、千雪は自分が予約しているレッスン室を譲ろうとするが、千雪自身が使うべきだと遠慮される。

レッスン室からの帰路、甘奈は甜花に、千雪は「アプリコット」を読んでいたのではないかという推測を伝える。甜花も、千雪はかなり「アプリコット」に思い入れがあるように感じると同意した。


事務所に来た甜花は、プロデューサーが電話をしている声を聞く。

プロデューサーは、「アプリコット」のオーディション事務局に、打ち合わせの約束を取り付けようとしていた。

グランプリが甘奈に内定しているという事は光栄なことだが…」というプロデューサーの言葉を耳にし甜花は驚く。


レッスン室に揃った千雪と甘奈と甜花の3人、最初こそ「反対ごっこ」で互いを褒め合って楽しくレッスンしていたが、甘奈のオーディション話題になると、それぞれ意識してしまい、ぎくしゃくした会話になってしまう。

レッスン後、1人河原発声練習を行っていた千雪は、意を決して甘奈と甜花の自宅を訪問する。千雪は出迎えた2人に、自分も「アプリコット」のオーディションを受けたいと告げる。


千雪は居酒屋で、事務所事務員であり友人の七草はづきに話を聞いてもらっていた。

オーディション挑戦がプロデューサーから制止されていること。

アプリコット」とは中学の頃に図書館出会い、大きな影響を受けていること。

復刊すると聞いて、昔しまい込んだ大事な宝物がもう一回見つかったような気持ちになったこと。

でも、見つかったとたんに自分のものじゃなくなったような気持ちになったこと。

甘奈に嫉妬しているものの、甘奈が「アプリコット」のカバーガールとなったら素敵だと思うのも本心であること。


事務所で甜花は、プロデューサーに以前立ち聞きしてしまった電話の内容について質問していた。

プロデューサーは、今回のオーディション実態雑誌宣伝のためのお祭りのようなものグランプリは既に甘奈に内定しているのだと答えた。

これまでのオーディションに向けた甘奈の努力無意味だったと知ってショックを受ける甜花に、プロデューサーは、公正な審査をしてもらえるよう、もう一度先方と話し合ってみると伝えた。


プロデューサーは出版社で「アプリコット編集長と面会をしていた。

甘奈も他の候補者と同じ立場で受けさせてもらいたいと言うプロデューサーに、編集長はそれはグランプリを辞退するという意味かと返した。

返答に窮するプロデューサーに対し、編集長は今回の復刊は自分たちの悲願であり、甘奈のグランプリは多くの関係者の総意として”公正に”選んだものだと伝えた。

プロデューサーが、最初からけが決まっている候補者気持ちはどうなるのか聞くと、編集長は、今回のオーディションスポーツのような単純な勝ち負けではなく、開催そのもの若い才能へのチャンスと学びの提供になるよう審査員として様々な分野の第一人者を迎えていると答えた。

出版社からの帰路、プロデューサーはアルストロメリアの3人に明日ミーティングをしたいという連絡を送った。


事務所でのミーティングの場、話始めるプロデューサーを遮るように、甘奈はアプリコットオーディションを辞退すると告げた。

プロデューサーはまず自分の話を聞いて欲しいと頼んだが、甘奈は事務所迷惑をかけてしまうのは理解しているが、千雪こそが「アプリコット」にふさわしく、それが分かっていながらどうオーディションに向き合えばいいのか分からないと語った。

それを聞いた千雪は、自分エントリーを取りやめると言った。オーディション挑戦は決めたものの、どこかで甘奈がグランプリをとると信じ込んでおり、甘奈にこのような影響を与えることまでは理解しきれていなかったと伝えた。


プロデューサーは、甘奈がグランプリ内定したこと編集部がはっきりとしたビジョンを持って、甘奈を起用したいと考えていること。

自分も混乱しているが、これまでの甘奈の活動が、たくさんの候補の中からこの結論を勝ち獲ったとも言えること。

オーディションへの参加については、甘奈と千雪それぞれの決定を尊重するので、もういちど考えてみてほしいということを伝え、そして2人がどんな結論を出したとしても、それを全力でサポートすることを約束した。


ミーティング解散後、千雪は1人河原発声練習をしていたが、気持ちがまとまらず、うまく声を出せずにいた。

同じく気持ちがまとまら事務所周辺を歩いていた甘奈と甜花は、千雪を見つけて合流した。

甘奈も声を出してみるが、うまく出すことができなかった。

その様子を見て千雪は「反対ごっこ」を提案し、甘奈がオーディションに落ちたらいいのにと叫び、次は甘奈の番だと促した。

甘奈が戸惑って声を出せずにいると、甜花は自分が先に言うと宣言し、2人ともオーディションに落ちたらいいのにと叫んだ。

千雪は負けたいと叫び、甘奈も負けたいと叫んだ。甜花は2人とも負けてと叫んだ。

千雪はアルストロメリアなんて大嫌いと叫び、甜花はアルストロメリアなんて一番大事じゃないと叫んだ。


反対ごっこ」の終了を宣言した千雪は、改めて甘奈に一緒に戦わせて欲しいと頼んだ。

最初拒否しようとした甘奈だったが、叫んだことでそれまであった恐怖心が無くなっていることに気づき自分と戦って欲しいと千雪に伝えた。


甘奈はオーディションの控室で、千雪から受けたアドバイスを思い返しながら、1人自己PRの準備をした。

千雪は最終選考に進み、甘奈の言葉を思い出しながら、面接で「アプリコット」に対する自分の思いを伝えた。

甜花は、オーディションのレッスンの先生プロデューサーの車まで案内した。

甘奈の努力無駄にならないよう、先生自分の観覧席のチケットを譲り、本当に合格に値するか審査してもらうと思ったのだ。

甜花は会場へ向かう車を見送り、甘奈と千雪の健闘を祈った。


オーディション終了後、グランプリは獲れなかったと告げるプロデューサーに、千雪はそれは分かっていたことだが参加できてよかったと言った。

プロデューサーと2人で移動中、甘奈は、今回のグランプリはひとりで獲得したものではないと感じており、頑張らないといけないと語った。

プロデューサーは甘奈へグランプリ受賞おめでとうと伝えた。


甘奈のグランプリを記念する、ランウェイショーが開催されることが決まり、千雪と甜花は部屋で甘奈を応援するための練習をしていた。

甜花は千雪に感謝を伝えた。

千雪が戸惑っていると、甜花は千雪が大事ものを諦めなかったので、自分も何が大事なのか理解することができたと語った。

悔しいよね?と甜花は千雪に聞いた。甜花は、甘奈がグランプリで嬉しいが千雪がグランプリじゃなくて悔しいと言った。

千雪は少しだけ肩を貸して欲しいと、隣に座る甜花に頭をあずけた。

千雪は声にしないといけないことで、まだしていないことがあったと言い「負けたのが悔しいよ」と大きな声で言った。

その直後リハーサル中の甘奈からグループメッセージが届き、千雪は応援言葉を返した。

人物

プロデューサー

性別男性 / 年齢:XX歳

芸能プロダクション283(ツバサプロダクションに所属

アイドルプロデュースおよびマネジメント業務を行っている。

ゲームにおいてプレイヤー操作する人物

桑山 千雪(くわやま ちゆき

性別女性 / 年齢:23歳 / 出身地山口県

283プロアイドルユニットアルストロメリア」のメンバー

優しい笑顔が印象的な、事務所のお姉さん的存在母性溢れる落ち着いた佇まいが特徴。手先が器用で、かわいい小物を作るのが趣味

雑貨屋店員

大崎 甘奈(おおさき あまな)

性別女性 / 年齢:17歳 / 出身地富山県

283プロアイドルユニットアルストロメリア」のメンバー

大崎姉妹双子の妹。誰とでも分け隔てなく接する天真爛漫なギャル。今しかできないことを全力で楽しみたい今ドキの女の子高校2年生。

姉の甜花からは「なーちゃんファンからは「まな」という愛称で呼ばれている。

姉の甜花を溺愛している。

大崎 甜花(おおさき てんか)

性別女性 / 年齢:17歳 / 出身地富山県

283プロアイドルユニットアルストロメリア」のメンバー

大崎姉妹双子の姉。幼い頃から妹の甘奈に面倒を見てもらっている。人と話すのが苦手で、アニメゲームなど、インドア趣味が多い。高校2年生。

七草 はづき(ななくさ はづき

性別女性 / 年齢:22歳 / 出身地埼玉県

283プロダクションの事務などのサポートを務める。

細やかな気配りでアイドルたちの輝く日々を支える、陰の立役者

紹介者コメント

・お花のように可愛らしいポップでハッピーユニットアルストロメリア」に突如ぶっこまれシリアスストーリーで、油断しきっていたユーザーの度肝を抜いた

シリアスドラマが中心だが、クスっと笑ってしまうようなシーンや、アイドルの可愛らしさも描けており隙がない

おすすめ楽曲

「Bloomy!」(YouTube)

各話リスト

話数サブタイトル
オープニング予感
第1話アプリコット
第2話反対ごっこ
第3話そして彼女インターホンを鳴らす
第4話ふたつの
第5話こわい
第6話薄桃色にこんがらがって
エンディングエンドロールは流れない

関連リンク

アイドルマスターシャイニーカラーズのコミュのあらすじ紹介

google:薄桃色にこんがらがって シャニマス

アイドルマスターシャイニーカラーズ(外部リンク)

アイドルマスター シャイニーカラーズ 攻略Wiki(外部リンク)

Spotifyプレイリスト(外部リンク)

2024-03-16

anond:20240316193742

ただただ運がなかっただけだぞ

世界的に見ればそう言う例はあるかも知れないけど、日本に生まれ育った以上、その理屈は通らない

 

例えば私は氷河期だけど、氷河期は一部の氷河期が言う程悪い時代ではなく、優秀な人間には今よりも高収入で安定した職が豊富に用意されていた。大学生の時に、ちゃん計画的単位を取得し、締切を守って卒論を出せるような人間は、みなそのような企業から複数内定を貰っていた。一方、4年生にもなって30も40も単位を取り残している人間は、全員非正規派遣しか就けなかった。こんなものは運とは言わない。

 

結果として、今になって私は粗で月給15万を切る底辺だが、完全に私個人責任であり、社会時代政府企業も何も責められる義務はない。少なくとも、日本に生まれた時点で最大限の幸福を受け取っているので、そこから先は社会保証する範囲ではない。それでは社会主義だ。社会が私のような底辺を支えてくれるのは善意によるものしかなく、善意が途切れれば死が待つのみ。底辺は「努力もせずに生きさせて頂いている」ことへの感謝を忘れるべきではない。

冗談抜きで「働きたくない」「仕事したくない」言いながら働き続けてる人って身体大丈夫なん?

俺は元々社不安障害こじらせてて社会への恐怖心強くて働きたくなかったんだけど、無理して就活してたら終活中に突発性難聴発症して、それでもなんとか内定取って入社したら半年適応障害になって潰れた

よく「仕事したくない」「働きたくない」いいながら働き続けてる人って身体どうなってるのか、何かコツがあるのか、ずっと不思議でいる

2024-03-13

4月から社会人に向けて

内定出て4月から社会人の皆さんにアドバイス

寝ろ

いか。モンエナ飲むより寝た方がパフォーマンスは上がる。風呂浸かって温まって寝ろ。それでも寝れないならジムでも契約して運動して風呂入って寝ろ。

自己学習とか言うなら週末か朝1時間早く起きてやれ。ネット勉強記事の大半は嘘かキ〇ガイ紙一重だ。

とにかく寝て、パフォーマンス健康を維持して遅刻せず出社して午後眠くなるとかならなきゃ満点。

飲み会だって週末だ。誘われたって年に数回だ。毎週、毎日飲み会会社ならいっそ辞めた方がマシ。とにかく睡眠を最優先。極論言えば食事の質より睡眠

なにより睡眠出来なくなった時は身体マジでヤバい時だからそれが気付きやすくなる為にも寝よう。先輩が若い頃の話でああだこうだ言うかもしれないけど寝ろ。

理想23から6時の7時間朝活1時間。家を出る時間が早ければ起床時間早めて就寝時間も早めよう。こんな時間に帰って寝れない会社はやっぱ辞めよう。ブラック企業給与良くても出費が嵩むしメンタルやったら人生も終わる。

寝ろ。いいから寝ろ

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