はてなキーワード: ストイックとは
ルックスもデビュー当時はイマイチだったが、成長するにつれパーツの配置も落ち着き、持ち前のストイックさで体型・化粧を磨き上げる。
歌割りも増え、今ではグループの歌唱の屋台骨といって、過言ではない。
この状況が数年続いている。
好きなんだけど、飽きてきた。
陰謀論はエロ漫画くらいのフィクションだと思って見るのが一番楽しいんだよね
丸一日掲示板荒らし尽くすとかめちゃくちゃストイックだしいいキャラ出てる
まあ行くとこ行けば実際そういうキチガイもいるんだけどさ
先日負の感情のスパイスの混じったとある二次創作作家さんのツイートに触れて、同人女歴20年選手の私が個人的に感じたあれやこれやを書いてみる。
二次創作をやっていて、常に誰かからの感想がほしい気持ち。わっっっかる。死ぬほどわかりますその気持ち。
「感想なんて貰えなくても、自分は自分の描(書)きたいものをかくんだ」と言い切れたならどれだけ格好いいかと思うけれど、残念ながら自分はそんなストイックな同人女にはなれない。いいね一つでもつけば嬉しいし、マシュマロが来れば飛び跳ねて喜んでしまう。
描(書)いたものに対してリアクションが返ってくる喜び、ファン同士の共鳴感がもたらす多幸感ってちょっと他では味わえない。
こればっかりは、創作に手を染めた人間にしか味わえない特権だなって思う。
ただ感想が来ないことに落ち込んで、推しを十分に楽しめない域に達してしまったのなら、「感想を欲しがる自分」をもっと俯瞰的に見た方がいい気がする。
一人でも多くの人からたくさんの感想をシャワーのように浴びたいのか。
同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいのか。
はたまた「同人女の感情」のように、自分の追いかけてる特定の作家さんを、自分の作品で振り向かせてみたいのか。
不特定多数からとにかくより多くの感想が欲しいなら、まずその自分の渇望を満たしてくれるジャンルから選びから始めた方がいい。
ファンの総人口が多い流行ジャンルで描(書)き続ければ、絶対にいいねは付きやすいし、感想をもらえる機会も増える。
人気のない山奥で自分の描いた絵を展示して、誰も観てくれないと嘆いても仕方がない。
感想が欲しければ、マシュマロなどの窓口を設置して、感想が欲しいと明確に伝え続けることも大事だ。
ただ、街中には当然人が多い分、自分より素晴らしい個展を開いている作家も大勢いる。
その人の個展はいつも大盛況なのに、どうして自分のところは人が来ないのか。どうして感想がもらえないのか。
そんな理由は考えるまでもない。単純に、その人の作品が自分より素晴らしいからだ。技量か、作風か、作品を通して伝わる人間性か、自分にはない何某かの魅力が、人気の作家さんのもとにはあるからだ。
たくさんの人から愛されている作家さんやその作品に、羨望を抱く気持ちは悪いものじゃないと思う。嫉妬と憧れは、きっと自分の創作物を磨くときのいい研磨剤になる。
けれど、その羨望をうまく飲み干せないのなら、他の人の作品を見るのはやめた方がいい。
まあでも見たいよね。だってきっと同じ界隈に住んでいるからには、自分の読みたいものを人気の作家さんは書いているから。
同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいなら、単純な話、自分が界隈の作家さんに感想を送っているかどうかを考えた方がいい。
自分が他の作家さんの作品を楽しんだ後、きちんと感想を送っているか?RTしているか?していないのに、自分の元には感想がこないと嘆きはしていないか?
ある程度関係性を築いていたら、儀礼的ではあっても感想は貰える。
自分は引っ込み思案でフォロイーさんに感想を送れない、でもフォロイーさんからの感想は欲しい。その場合は、フォロイーさんたちが感想を思わず送らずにいられないくらいに、圧倒的に魅力的な作品を描(書)くしかない。
あなたが神作家になれば、きっと感想は勝手についてくる。もしかしたら憧れる作家さんだって、自分の作品を読んでくれるかもしれない。
簡単に神作家になれたら苦労はしない!ときっと思うだろう。じゃあ神作家と呼ばれる作家さんたちは、どうして苦労していないと思うのか。
四六時中どうしたら魅力的なものが描(書)けるかを考えて、手を動かして、いろんなインプットを重ねた結果、神作家は神作家になったんじゃないのか。
自分より年若い人が自分より絵が上手いことが、文章が上手いことがショック???生きてる時間なんて何の参考にもならない。問題はその時間をどんな割り振りでどう使ったかじゃないのか。
自分がそこそこ勉強してそこそこの大学に通っていたとして、がむしゃらに勉強して東大に入った人間を妬んでどうする。
神作家の筆が自分の3倍早いなら、それは神作家がそれだけ作品のために手を動かしてきた証拠だ。
自分だって毎日練習をしてる?それは本当に効果的な練習か?自分の描(書)きやすいものばかりかいて、同じところをグルグル回ってはいないか。自分の苦手な構図、話を克服するための分析をした上で創作を重ねているか?推しの魅力をさらに二次創作で搾りとってやろうという気概がそこにあるのか?
仕事があるから、育児があるから、学生みたいに二次創作に時間をかけられない?じゃあ限られた時間で何を描(書)くかを吟味しているのか?
どうして学生なら時間があると無条件に言い切れるのか?社会人より忙しい学生だって山ほどいる。
他人の見えない部分に勝手なラベルをつけて羨むことほど虚しいことはない。
まあたまに本当に努力知らずの神に愛された天才も存在するけど、それはもう仕方がない。神の子は同じ土俵に立たせる存在じゃなく、ただ崇めておくべき存在だから。
私は二次創作活動は徹頭徹尾自分のために行うべきだと思ってる。
ただ本当に幸せな二次創作活動っていうのは、単純に推しが好きで、推しの魅力を形にして吐きださずにはいられない状態でやる活動のことをいうと思う。
周りの目なんて一切気にせずに、バーサーカーモードで勢いだけで描(書)いたものって、何故か脂がのってて美味しい。
自分の純粋な狂気を、あとから誰かに楽しんでもらえて一緒に狂えたら最高だなって思う。
それが本来の同人女のあるべき姿だろうと思うし、周りからの評価>推しへの愛になってしまったなら、単純に狂気の火力不足。薪を絶やすな。狂気を燃やせ。
3週目、ついにブチ切れて初めて(過去にもあったかも)本を破り捨てた。
無理に例文を作って短文の難易度がバク上がりしすぎてまるで頭に入ってこない。
まるで数学の応用問題で「そんな使い方できるなんて知らないんだけど」というあのイライラ。
それを何度も何度も味わってたらストレスで嫌になるだけだっつーの。
世の中には尋常じゃないくらい根気がある人やストイックな人、頭の構造が違う人がいるけど、そういう人向けだと思う。
ボロボロになるまで使ったって言う人多いけど、その時点で普通の人間じゃないと思う。
人ってのは飽きがくる。でも、duo3.0で勉強できた人はそれがない人達としか思えない(英語にもともと精通した人を除く)
英英辞書でもしばらく眺めてようかな
世界が今年のベスト(#AOTY2020)を出す中、11月のベストです!今年中に年間ベスト、来年の1月中に2020年12月のベスト書く予定、まだまだ2020年は終わらない終われない!
Sankofa Season / Andrew Ashong & Kaidi Tatham
Kaidi Tathamが大好き人間なので、もちろん最高でした!クラブジャズ〜ブロークンビーツの良さの一つに、打ち込みで肉体的なフレーズを再現しようとした絶妙な違和感があるのですが(あくまで個人的な感覚です)、もれなくその魅力が炸裂する高密度の異形ジャズ空間。即興性があるけれど時間軸は繰り返されていそうな不思議さというか。「そんなフレーズ突如ユニゾンするの?」「このキメで合うの?」みたいな。
Andrew Ashsongのソウルフルな歌声でより肉体性とDAW感が混乱し融解していく感覚がたまらなかったです。
Sin Miedo (del Amor y Otros Demonios) ∞ / Kali Uchis
Kali Uchisの2ndアルバムであり、スペイン語として1stとなるアルバム。レゲトンやラテン・ポップスを取り入れた所が肝なんですが、個人的には上記の曲のような、ローファイでサイケ、ダウナーでドリーミーにチルい音像が素晴らしかったです。一歩間違えれば悪夢的な濃密さが凄い。
Girls FM / Girls of the Internet
今年頭から定期的に出すシングルが毎回良かったGirls of the Internet、その総集編的なアルバム。基本的に歌物ローファイハウスという感じなんですが、音数がしっかり少なく、チャラいけれどストイックである絶妙な塩梅が良かったです。各フレーズをしっかり作っている印象で、丁寧さがクオリティに繋がっていました。
Jordan RakeiのジャズハウスプロジェクトDan Kye。思ったより歌中心で、そういう意味だと割とそのまんまJordan Rakeiなんですが、M1"Mogeri"のダークでミニマルなトラックが素晴らしかったです。ドープな方向に行ってもダンス・ミュージック的な明るさや開放感があることに、勝手にオーストラリア・シーン的な雰囲気を感じました(活動拠点はもうUKですが)。
Muvaland / Cakes Da Killa x Proper Villains
ラッパーCakes Da KillaとプロデューサーProper VillainsとのコラボEP。ハウスにラップを乗っかる「ヒップハウス」が中心。要素としてはディスコラップっぽくなりそうなんですが、両者とも攻め攻めです。快楽的で攻撃的な4つ打ちに狂気を注入するCakes Da Killaのラップが最高でした。
The Angel You Don't Know / Amaarae
ガーナ出身のシンガー/プロデューサーAmaaraeの1stアルバム。Alté(オルテ)シーンの一人ですね。ギターの使い方が上手く、ラグジュアリー&リラクシンな音が良かったです。ウィスパーボイスでフロー感ある歌がトラック含めて聴きたくなるバランスにしていると思います。
Ekundayo / Liam Bailey
El Michels AffairのLeon MichelsのレーベルBig Crown Recordsよりリリースされた、ジャマイカン・ルーツを持つシンガー作。曲としてはオールドスクールなんですが、ヴィンテージ的なざらついた音にすることで、むしろ今っぽい感じに聞こえる面白さです。
January 12th / Matthew Tavares & Leland Whitty
元BBNGのキーボーディストMatthew TavaresとBBNGの管楽器奏者Leland Whittyのコラボのライブ版。今年3月に『VIsions』というアルバムを出していて、それと同様のメンバーです。即興のセッションとのことなんですが息の合い方が素晴らしく、むしろ長尺&壮大&有機的にうねっていくための決め事の少なさなんじゃないかと思ってしまいます。ざっくりとスピリチュアル・ジャズ系ではあるんですが、マスロックみたいな瞬間からアンビエントまで行き来する幅広さも魅力でした。スペーシー。
Speak Low II / Lucia Cadotsch
スイス出身のシンガーLucia Cadotschに、サックス奏者Otis SandsjöとベーシストPetter Eldhが加わったコードレス、ドラムレスのトリオ編成によるアルバム。楽曲によってはチェロとハモンドオルガンが加わりますが、いずれにせよ支えに回る演奏はなく全員自立。緊張感のある隙間多めの演奏がかっこよかったです。この編成で歌い切るLucia Cadotschがひたすら凄いし、時にはリズミカルに時にはオブリとして動くOtis Sandsjö(今年出たアルバムよかったです)が魅力的でした。
Imminent / The Comet Is Coming
爆音爆圧爆裂!笑っちゃうくらいテンション振り切っていて最高でした。この異様な熱量の中で吹き切るShabaka Hutchingsも素晴らしいし、エレクトロ由来のビートを生々しく再解釈して叩くBetamaxもかっこ良い!そしてそれ以外すべてを司っていると思うとDanalogueすごすぎないかと思うトリオですね。爆音といえば→EDM感に行きそうでいかず、徹底的にハードコアであるバランスが見事!
近況
その昔、主人公って言ったらクールで、女もツンツンしていてその女をクール男が落としてゆくという物が多かったが、それはそれで男の憧れだった。しかしそれは男像という憧れであって、状態に対してではなかった。バブルを消化して’00年を超えると男像は急速に求められなくなり、受け身の少年に対して少女が舞い込んでくるというご都合が受けいれられるようになった。つまり理想像から状況・利得へと変化していった。この変化はITバブルも崩壊し、美学から金への渇望がより強まったかからではないかと考えている。ストイックなかっこよさやクールで超人的な主人公は等身大ではなく、だめな自分と日本を重ねて、だめでもいいから女の子ください、という即物性へとシフトした。
このオタク文脈のなかで、そんな夢のある話なんてあるわけ無いでしょ、というシリアスうつ病患者の庵野はシンジなどでオタクに釘を差しつつ自虐したが、今日の『天気の子』まで受け身の男子が女子にちやほやされる系列は人気のままだ。いいか悪いかと言われたら欲求と需要の問題なので多分なくならない。そういう夢を全年齢の男が見てしまう。『君の膵臓を食べたい』などは少女の設定が守ってあげたい設定で、しかも少女からグイグイ来るホステスパターンだった。いくらなんでもやりすぎだろうと思っていたら普通に受け入れられていて 草 失笑せざるを得なかった。
個人的に恋愛エンタメは駆け引きと甘苦く悲しい感じでもいいと思うが、どうも女が転がり込んできてイチャラブになるのが素早く売れる秘訣らしい。鮭が自動的に川に戻るがごとしである。鮭は勝手にイクラを腹に抱えて食べられるために戻ってくるのだ。別段フェミは応援しないが、我ながら男のだらしなさがよく出ているとは言える。
一人暮らしなので、自炊は完全菜食・人との食事は例外にしてる。
(人に気を遣わせると悪いので公言はしてない)
こんなご時世なので職場でも人と距離を取って食事をするし、外食も減ったのでヴィーガン寄りの生活はやりやすいなという感想。
私のようなフレキシタリアン(時々動物性の食品も食べる人)を馬鹿にする人も結構多いけど、長い目で考えたらこういう人を1人でも増やした方が肉食派にも確実にメリットがあると思う。
むしろ肉食派こそじゃんじゃんヴィーガンを持て囃したほうが賢いのかも知れない、環境問題は食に対するこだわりに関わらず皆等しく影響を受けるし。
声高に他人に強制するタイプのヴィーガンは自分も嫌いだけど、ヴィーガンになる理由が『動物かわいそう』でもいいんじゃない?とは思う。
”寄り”の生活をしているから分かるけど、例外のない完全菜食は本当に修行だと思うので、どんな理由であれ貫いている人のストイックさは尊敬に値する。
(ちなみに私が畜産動物に対しては初めて軽くショックを受けたのは、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』だけど、彼もこの本を書く経緯でヴィーガンになったと聞いて納得した)
私がヴィーガン寄りの生活を送るようになったのはアニマルライツでも環境問題でもなくて、元々肉があまり好きではなかったので、肉抜きで健康的維持できるなら最高じゃん、試してみようと思ったことがきっかけ。
あと、ドキュメンタリー映画の『ゲームチェンジャー: スポーツ栄養学の真実』を見たから
※肉食と菜食で男のアレの固さと維持する時間が変化するのかって実験は色々と面白かったので見てほしい
ただ人と暮らすようになったらどうすっかなと考えてはいるけど、その予定も今のところないのでしばらくこの生活を送るつもり。
そういえば先日モスの動物性原料不使用のグリーンバーガーを食べてみたら驚くほど美味しかった。企業努力すごい。こっちもオススメ
昨日メチャ伸びてた天才の人の記事、素直にすげえと思う一方えもいわれぬ不快感があった
まず「しょうもない」って言っときながら明らかに権威ある肩書きだったりデータをバンバン出してくる、自虐風自慢っぽいところが鼻についたのは間違いない
まあでも21歳ならそういう照れ隠しはしたくなるし、俺だって多分するだろうからそれは別にいいんだ
MENSAとかIQの話に関しては、セルフブランディングというか「格」を印象付けることでヘンな難癖を防ぐ目的もありそうな感じがした あれで明らかに頭いいってことを示すデータがなかったらもっと攻撃的に噛み付いていく人は沢山いるだろうしな
でも、自虐風自慢であること以上に嫌だったのが、すげー几帳面に奇行の写真や動画を撮っていること、そしてそれをまとめて記事にしちゃっていること
俺の中で天才は無自覚かつストイックであって欲しいというか、「異常行動だと自覚した上で異常行動をし、それを記録してネットにアップする」って行為はダサく見える
作品とか行動自体は分かりやすいし面白いのに、それを自分でまとめて「見て!面白いでしょ!ヘンでしょ!」ってやっちゃうと途端に冷める
そういう感じなんですよね
いやまあこれ嫉妬なんだろうなあ いや嫉妬か?凄いと思ってるのは事実だしうまいこといって欲しいとも思ってるから嫉妬じゃないかもしれん
あの感じで行くなら本当に自分は正常だと思ってるか、ただ怒りのままに異常行動をとるだけで自己演出のことは一切考えないでいてほしかった
すげえ勝手な話だなコレ
でも本心なんだよな! せっかくいい感じに天才っぽいんだから俗っぽさ・ダサさを出さないでほしい、あの記事を出すのはその才能に惚れ込んだサイドキック的な存在の人であって欲しかった、と言う気持ちがある
コロナ禍で、通勤がなくなったり、休日に外出することが減ったりしたため、結果、家でだらだらとYouTubeを視聴する時間が長くなった。
最初は芸人だったりYouTuberのチャンネルを見ていたのだけれど、テンションがしんどい。
ゲーム実況やなにかの開封動画、ネタ動画、どれもリアクションが大きく、字幕も派手で、面白いけど見ていて疲れる。
具体的なきっかけは覚えていないが、そういう疲れから、癒やしを求めて、他人には理解されないであろう動画を見始めるようになった。
〜初級編〜耳そうじ動画
https://www.youtube.com/channel/UCiXkdRf8IzpRseEfuSLI-lQ
医療行為は行えないため、鼓膜より手前の耳垢までしか取れないが、実に丁寧に耳の中を掃除してくれる。
日本のイヤーエステサロンのチャンネルはいくつかあるが、こちらのボニータボニートはピンセットや竹の耳かきは使わず綿棒のみを使用するストイックさが良い。
https://www.youtube.com/channel/UCdXqHvibK6f5uAcZ_EQklqw
「すがっちチャンネル」
取れた耳垢へのコメント1つとっても、優しい人柄を感じさせる癒やし系チャンネル。
https://www.youtube.com/channel/UCaqQJj24yCY_bDQ35jS0Gvw
「Audiology Associates UK」
ネットリした耳垢がたっぷり詰まっている人が多く、見ごたえは抜群である。
また、動画の最後に収穫した耳垢とものさしを並べてくれるのもありがたい。
クリスマスシーズンの今は耳垢(ear wax)とかけて"Waxmas"と称して12日連続の動画アップキャンペーンを行っている。
https://www.youtube.com/channel/UC3iXrPZ6JuDSrxaiNg5NX2w/videos
「Jin Yan 靜妍美學」
にきびの芯出しは施術している手袋の上に収穫した芯を載せるチャンネルが多いが、
このチャンネルはきちんと別の所でピンセットを拭き取ってくれるので清潔感がある。
まだ動画数は少ないが、今後も注目していきたい。
https://www.youtube.com/channel/UChbC3eQpGGQxop-rCC1NBFg
耳の角栓動画がメインで、動画のインパクトゆえに色んなところで転載されているがここが本家本元である。
素晴らしいピンセットさばきで次々と耳の角栓をほじくり出していくのは圧巻としか言いようがない。
https://www.youtube.com/channel/UCzBr4UjkKhcdj0EKUCtvnJQ
「ふるばやし形成外科粉瘤クリニック 東京新宿院_大阪梅田形成外科粉瘤クリニック」
粉瘤動画は出血が多く、見ていて痛々しいものが多いのだが、こちらの先生はなるべく出血を少ない施術をされている。
自分に粉瘤ができたら、ぜひこの先生に処置を行ってほしいし、他の人にも勧めたい。
熱心なファンが多く再生回数が伸びたため、銀の盾をもらっていた。
以上のようなチャンネルを繰り返し巡っているが、他人には受け入れてもらいにくい趣味なので、そっとここに記しておく。
良いクリスマスを!
50代男性。好きな番組はゴッドタン、お笑い向上委員会、有田ジェネレーションっていう程度にはお笑い好き。
金属バット/好き。トップバッターに一番ふさわしくない。別れてくれない理由が生命保険かけてるからっていうオチはも少しなんとかならないか
タイムキーパー/若くて親しみのあるコンビがアンパンマンの歌をいじったりしたら、そりゃあ普通の漫才になっちゃうよね
からし蓮根/好き。面白かった。小さい方がワーキャー言われてんだろなと思った
ランジャタイ/両方ともに衣装のセンスが良い。一番絵になるコンビ。ネタは難しい
滝音/ハンプティダンプティもバンプオブチキンもそんなに知らない…すんません
学天即/トータルで面白い。もっと面白いことやりそうな雰囲気が欲しい
ダイタク/言うな言い過ぎ
ロングコートダディ/ただただ凄い
ニッポンの社長/神
ニューヨーク/大好きなネタだったんだけど、以前は嶋佐がホントにやってそうな顔してたのにそれが薄れていた
見取り図/凄すぎた
アキナ/大阪でワーキャー言われてる印象だったけど、その通りだった
マヂカルラブリー/めちゃくちゃ笑えた。ありがとうございます
全体を通して、準々決勝敗退のももの◯◯顔のネタが一番好きだった。漫才ってまだまだいろんな可能性が残ってるんだなあと感心した。
コロナ対策、割り勘の飲み会でケチって飲むみたいな感じだ。割り勘だから自分がガンガン飲まなくても他の人の分も払わないといけないんだけど、自分ができるだけケチれば少しだけ支払額が安くなる現象。
ひとりひとりの頑張り(マスクする、飲食店行かない、旅行行かない、リモートワーク)は割り勘でケチってあまり飲まない感じ。忘年会行くやつとか、マスクしないやつは割り勘のときにガンガン注文してどんどん飲んで、他の人に自分の分も払わせるやつ。
この原理、かなりストイックなケチじゃない限り個人個人が対策をするメリットが見えにくいので、何らかの仕組みで抑えられるといいんだけど。
ある日Twitterで、「夫を松潤扱いしてみた」というブログを拝見した。
ただ私を松潤扱いしてくれるような人は周囲にいない。
では自分で自分を松潤だと思いこみながら生活してみるのはどうか………いや、無理だ!!!ゆで卵嫌いだし、あそこまでストイック生活できない!!
早速松潤になることは諦めたが、他のジャニーズになりきって生活してみるのも面白いのではないかと考えた。
そこで厳正なる審査を経て、選ばれたのはSnow Man向井康二氏だ。
2 タイ語喋れる
3 服装が好み
5 個人的に好き
4に関して。
私はとてもとてもズボラだ。とにかく部屋を片付けられない。掃除機がかけられない。布団から出られない…と言った悩みを抱えている。
しかし雑誌等での発言を見る限り丁寧な暮らしをしていそうな向井康二になり切れば少し改善されるかも知れない。
(なお今回の向井康二生活は、雑誌などで見かけた向井康二エピソードを元に「康二くんならこうするのでは?」と想像しながら行ったものであり、必ずしもこれが向井康二さんの生活であるとは限りません。もし全然違うやんと思われる向井康二さんがいらっしゃいましたらひっそりご連絡ください。)
少し前のnon-noでモーニングルーティンを教えたくれたのでそれを参考にしながら1週間を始めた。
普段なら5度寝するところだが、今の私は向井康二。2度寝でちゃんと起きて、朝食。
雑誌にはカプチーノとヨーグルトと書かれていたが、ヨーグルト嫌いなのと朝からカフェイン取ると気持ち悪くなるのでスムージーとパンで代用。実家生活以来の朝食だった。
この日は大学の授業があったので日中はそれに専念することした。
夜は友人と夕飯に。そこで大変なことに気がつく。
「カメラ忘れた…」
向井康二ならきっとこういう時もカメラを持ち歩いて写真を撮っていただろう。その友人が普段私が被写体として撮影してる友人だったので、余計悔しさを感じた。
帰宅後は酒のせいもあってメイクも落とさずそのまま寝落ち。やっぱ初日から100%向井康二にはなれない。無理ない範囲で適度に向井康二要素を入れていくことを決意した。
久しぶりにパックなんぞしてみる。パックするとなんか肌の調子が良くなって気分が上がるような気がしないでもない。
昼は暇だったので、Weiboの投稿を真似て数年ぶりにギターを持ち出して弾いてみた。難しくて早々にやめた。
夕方は久しぶりにスーパーへ。朝食用のパンと夕飯の食材を購入した。久しぶりの自炊、意外と楽しいかも。
夜もパックして、就寝。パックした自撮り写真をノリで室龍太的存在の先輩に送ってみた。
この日は向井康二氏のようにお風呂上がり以降スマホを見ないことを実践してみた。
寝る前にブルーライト見なかったせいか、いつもよりすっきりとした目覚めだったような気がする。
この日は母の誕生日だったので、少し照れ臭いがテレビ電話してみた。普段LINEで済ませがちだが、悩みの相談乗ってくれたりアドバイスくれたりと、たまには電話してみるのもよいなと思った。来月帰省することを決意。
大学の講義を終えて暇だったので、カメラを持ってお散歩へ。何気ない景色をフィルムに収める。身近にSnowManという最高の被写体がいるなんて向井康二羨ましいなとふと思った。
夜も引き続き自炊。ついでに友達からおっそわけしていただいた"つけのも"も頂く。いや逆ゥ!!(CV.向井康二)
そういや向井康二さん、ベッドの上コロコロするって言うてたな…と4日目にして思い出す。試しにコロコロしてみたら、まあ色んな髪の毛やらなんやらひっついてくるわ。
普段あんま気にならないけど、たまにはコロコロするのもいいなと思った。
ついでにカーペットもコロコロ。久しぶりにコロコロ使ったから、コロコロくんも目が回ったことだろう。
この日はリモートではあるが久しぶりに働いた。家の中で数時間働くだけで疲れるのに、コンサートやリハーサル等何時間も動き回るジャニーズの皆さんの体力半端ないなと尊敬した。
夜は友人とディナー。今回はちゃんとカメラを持ってきた。ちょうどフィルムを使い切ったので、その足で現像に出した。データ楽しみ。
この友人は宮舘涼太さん的な子で、なんと言うのか独特で面白い子だ。ちなみに彼女は馬術部なのでリアル白馬の貴族だ。いや、普通に一般市民やけどな!と私の中の向井康二がツッコむ。
วันนี้จกินอาหารกล่องวันกับเพื่อน.
ฉันกินพาสต้า
(私はパスタを食べた)
กลับบ้านและเรียนภาษาไทย
(家に帰ってタイ語の授業を受けた)
สัปดาห์นี้ฉันเป็นโคจิ
(今週私は康二だ)
พูดภาษาไทยได้นะ
(タイ語喋れるよ)
แค่ยังไม่เก่งค่ะ5555
(でも上手ではないんだけどねwwww)
5555555555555
(だから多分この文章も間違ってると思うと言いたかったが上手く文章化出来なかったので取り敢えずタイ語のwにあたる5((タイ語で5はハーと言い、それを連続させるとhahahaとなる為。ん、なんか突然ジェスさん出てきたな。))を生やしてみる。)
ここ最近タイ語の授業がついて行けなさすぎて、苦手意識を持っていたけど、今日の私はタイ人のオカンを持つโคจิ。やればできるっ!!とはいえやっぱり躓いてしまった。難しすぎるやろこの言語。でも明らかにタイ語能力は向上してきた。この調子で頑張ろう。สู้ๆ!!!
朝食時に紅茶を淹れてみた。なんかちょっとだけ生活がアップグレードした気分。
この調子で部屋もアップグレードしてみようと思い、地層のように溜まっただしっぱなしの洋服をひたすら整理することにした。
洋服好きの彼は収納にも拘っているようだが、今持っている設備ではそれを真似することは出来ないので、代わりに愛情持って服を畳んで、いつもより丁寧にしまった。ここでふと気がついたが、これはもはや向井康二でもなんでもない。普通の人や。
でも普段避けがちなことでも、「今日の自分は〇〇(本名)じゃないから!」という意識を持つと、第三者的視点から自分の行動を見つめ直すことができるような気がする。普段の自分ならなんとも思わないけど、もし別の人がこの部屋の有様をみたらなんと思うだろう…と考えると自ずと次の行動が見えて来るような気がする。知らんけど。
こうしてもはや向井康二だか誰だか分からないけど、私以外の私になった私は久しぶりに洋服が散乱していない床を目にすることができた。
ついでに地層の底から化石という名の無くしたと思ってた指輪を発掘した。
君にいいことがあるように…
この日も朝食はトーストfeat.紅茶。やっぱ紅茶って美味しいなと思った。
昼過ぎ近所に住む友人を呼び出してお散歩がてらミニ撮影会をした。うん、最強にかわゆいお写真撮れた。二度目になるが、最強の被写体が身近にいる向井康二さん羨ましい…とはいえ私の友人もSnowManに負けないくらい最強の被写体だけどね!とSnowManに対して謎の対抗意識を燃やす。
話は変わるが、自分の撮った写真を喜んでくれる人が存在するだけで、カメラマンやってて良かったなと思う。私の場合喜んでくれるのは被写体のみだが、向井康二氏の場合被写体となったメンバーの他に大勢のファンも喜んでくれるのだから、きっとカメラマン冥利に尽きるんだろうな。うーん、やっぱ一度ガチで向井康二になって、各方位に喜ばれるようなお写真を撮りたい…
今日は夕飯の時間が短かったので、グリーンカレーとそうめんでちゃちゃっと。そう、松竹座でお馴染みのアレだ。たまたまそうめんとグリーンカレーあったので組み合わせみたら美味しかった。タイでもこんな感じの組み合わせ食べたことあったな…とふと思い出す。
巷でいう"担タレ"のようなことをした1週間だった。
結末を一言で言うと「私は向井康二にはなれなかった」一方で、「苦手なことをそれが得意な人になりきって行うと少し苦手意識が薄れた」ような気がした。
人は往々にして「自分は〇〇だからできない」と決めつけて、可能性を自ら狭めてしまうことが多い。私も朝起きられないことや、部屋を片付けられないことがもはや自分にとってのステレオとなっており、自らそのステレオタイプ化した自分を打開することを恐れていたのかもしれない。
私はこのある一種のズボラさの原因を、性格云々ではないところにあるのだと予想している。それはきっと医者に行くと診断が付くかもしれない。薬を処方されることでマシになるものかもしれない。
ただ私は怖いのだ。
仮に薬を飲んで整理整頓できる規則正しい人になったとしたら、果たしてそれは私なのだろうか。
今まで積み上げてきた「私」という人格はどこか消えてしまうのではないか。
それが異様に怖いのだ。
しかし短期間だけ別の人に"なり切れば"、元の自分の人格を持ったままいつもとは違う行動を起こす勇気が出るのだ。
今回たまたま選ばれたのは向井康二氏だったが、別に芸能人でなくても良い。身近な友人やアニメキャラ、妄想上の人物でも良い。
そと間だけでも自分が苦手なことが得意な人になり切ることで、少し勇気がでたような気がした。
他人に完全になり切るのは最早本人からしたら恐怖だろうし、自分の人格そのものを否定することになるので、推奨は絶対にしないが、短期的に誰か別の人物になり切って行動するのは良いかもしれない…と思った1週間だった。
最近、自己肯定感を高めるメソッドなどを読んで自分の中で意識改革があったのだけれど人間は「ダメでもいい」のだ。
「ダメでもいい」のだけれど「ダメでもいい」と思えるようになるのがわたしには難しかった。
そんな考え方になってしまったのは高校生のとき国語の教科書に載っていた、夏目漱石の『こころ』の登場人物Kの影響が大きい。
Kの生家は寺で、修行僧のようなストイックさを持ち勉学に励む青年だ。恋愛にうつつを抜かして真面目な話に取り合わない「私」に対して「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と一刀両断する。
わたしはこの「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」に非常に感銘を受けてしまった。
精神的に向上心を持たなければいけない。自分に至らぬところがあれば努力しなければならない。決して現状に満足してはいけない。そして努力の見られない他人を見下すようになってしまった。
(余談だが他人をdisることで自分より下がいると思い込みたいのか、自己肯定感の低い人ほど他人に対して攻撃的になってしまうらしい)
自己肯定感の低い人間がそれらの行動をとるとどうなるのかというと、結果としてわたしは自己否定のループに陥ってしまった。
こうあらねばならないという理想だけが高く努力を続けるが、結果を残せず「もっと頑張らねば」という感情だけが残る。次第に「こんなに頑張っているのに結果を残せない自分とは……」「いつまで頑張らなければならないのか」「頑張っても結果を残せない自分は精神的に向上心のない馬鹿だ」と思うようになった。自己を肯定できない負のループだ。
自己肯定感を高めるメソッドに「小さな目標を立ててそれを達成し続けている」というものがある。だがそれは間違いだと思う。
間違いというより、成功体験を積み重ねることで自信がつくというのは理にかなっているが、高い自己肯定感というものは「ありのままのどんな自分でも肯定できる」ことだ。自信がある=自己肯定感が高いというのも間違いではないのだが、どんなに失敗しても、結果を残せなくても「それも自分だ。それも良い」と思えることこそが自己肯定感の高さなのだと思う。
最終的に「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」の大ブーメランを受けて自死してしまうKの末路には目を伏せて、この言葉を信仰していたわたしにはどうしてもダメな自分を肯定することが難しかった。ダメな自分を受け入れているのは「精神的に向上心がない」。完全にKに呪われていた。
だが人間は「ダメでもいい」らしい。自分のこころを守るために、失敗を重ねた自分を罰して傷つけないように「ダメでもいい」ことを受け入れられるよう考えてみた。「このままでもいい」と言い換えてもいいのかもしれない。今まで向上心をなくさないよう気を張りすぎていたのか、現状を肯定するよう努力してみたら、すとんと心が軽くなった。自己肯定感が低い人間は少しくらい図太く生きてみるのもいいことなのだろう。
身の丈にあった幸せや、すぐそばにある大切なものを慈しむことも自己肯定感を高めるために必要なのかもしれない。「ダメでもいい」とこころで唱えながら今日もKの呪いと戦っていく。
遊びには2種類の側面がある。「現実」と「非現実」である。 ~俺~
俺が求めていたゲームってのは現実から離れて自由に遊べる非現実空間だったんだ。
何も考えてない人向けなJ-POPで歌われる「リセットボタンで全てが終わるテレビゲーム」こそ俺のやりたいゲーム。
そこに帰ってくるのに10年の歳月を要した。
いつからかチームプレイゲームで勝ち負けを全てとする割に自分は下手くそで、それを認めたくないばかりに味方のせいにしてばかりいる荒らしになっていた。
気晴らしに一人プレイゲームをやっているときでさえ、実績の達成率が気になってしまい動画攻略をなぞってクリアしては「この実績持ってないやつの発言とか無意味やぞ?」「動画見てクリアの何が悪いんだよ努力ってそういうものだろ?」と掲示板やチャットで連投する荒らし行為を続けていた。
違うんだ……俺が求めていたゲームはこんなんじゃない……5年前にはそう気づいていたが、今ここで逃げたら敗北を認めるような気がして必死に誤魔化しながら自分の中のゲーム像と戦っていた。
ようやく答えが出た。
俺はJ-POPの歌う「リセットボタンで全部が終わるヌルい世界」が好きなんだ。
「現実と地続きでもって生まれた動体視力、計算能力、情報収集力、コミュ力、それらを複合した総合的なゲーム力によって優劣が決まる世界」は、間違って渡ってしまった橋の先にある別の島だったんだ。
『横断歩道の信号待ちで、本当に渡りたい側が赤信号だった。そこと直角に交差する別の信号が青だから、折角出しさっきにそっちを渡った。でもそこでそっちを渡ったのは完全に間違いで、でもそれを認めたくないから目的地の近くまで反対の岸をあるき続けたら、引き返すタイミングがなくなってしまった』そういった経験が誰にでもあるだろう?
ヌルいより、ストイックが偉い。1人プレイより、複数プレイの方が高度。実績を持ってる奴が正しい。ランクが低いやつはノイズ。勉強してない奴は発言するな。本当に好きならやり込める。結果を出すのが愛の証明。そういったゲームコミュニティのなんちゃってマチズモに振り回されて、間違った場所でずっとゲームを遊んでいた。
かわいいキャラクターと一緒にスローライフを送るゲームを、やたらノンビリ遊んで周りから「Aさん。もしかして行き詰まってますか?ゲーム内時計を弄ると~~」みたいな余計なアドバイスを貰うようなペースで遊んでも良いんだ(この話はフィクションです)。
実績が意味を持つ世界を生きるかどうかは、プレイヤーが決めるものだ。
ランクってのは同じ強さのプレイヤー同士がマッチするためのもので、高い人が偉いってものじゃないんだ。
でも、そういうのはもういい。
俺はもう現実と非現実の間にあるパイプラインを徹底的に切り落とし始めたから。
1人でのんびり遊ぶから、急いでトレンドを追うこともしないし、感想を誰かと語り合うことだってやめる。
プレイした本数でマウントを取るために有名ゲームを片っ端からやるのだってもう辞めた。
自由だ。
やりたい時にやりたいゲームをやる。
俺だけの世界にこもるための触媒としてだけゲームがあり、その世界のことを他人と比べることもなくした。
癒やされる。
どうせゲームの世界なんて開発者の手垢まみれなんだから、別のプレイヤーなんて居なくても孤独になんてなりようがないんだよなあ。
いっそ寂しさを感じたかった。
なんか今度は、開発者の残した自己主張や価値観の声が煩く聞こえてくるよ。
どこまでも現実と地続きではあるんだなあ。
どこでも成長が求められる。
みんな成長が楽しいのだね。
成長を追い求める環境にもっと身を置いておけば良かったのかな。
とはいえ今まで頑張ってきたこともあるし、成長の楽しさも分からないでもないけど、僕は無駄にダラダラと過ごす時間も憧れる。
ゲームをしたり映画を見たりドラマを見たりという、生産性が何もない瞬間を夢見ながら最近は生活している。
成長を楽しいと思う自分、享楽にふけたいと思う自分、どちらも自分である。
どちらかというと享楽が好きと思っているけど、どちらかというとストイックな生活をしている自分。
仕事も以前の仕事の方が確実に楽だったのに、ストイックな仕事へ転職してしまった自分。
個人がとってきた行動が結局のところその人を表しているのなら、自分は成長好きな人なんだろう。
そうした人たちはバリバリとプログラムを書き上げて(僕の仕事はプログラマー)、会社や世の中に成果を誇っている。
そんな実力がない、あるいは要領が悪い自分はそれを焦燥感と共に眺めている。
そんなに頑張れないよ、と思う自分がいる。
ふと全て投げ出して享楽にふけりたくなる瞬間がある。
今日も複雑な切なさを感じながら過ごしてる。
私はTwitterが好きだ。
気軽に投稿できて自分の考えを世界中に流せるTwitterが大好きだ。
しかし時には息が詰まることもある。
Twitterでのツイートはスクランブル交差点で大声で叫ぶものと同じなんて例えがあるくらい、届いて欲しくない層に自分の声が届くこともしばしば。
なので自分のツイートを表示する制限…つまりアカウントに鍵をかけることができるわけだ。
私は趣味を堪能する本垢のほかにフォロワー0の鍵垢を有して日々の愚痴や暑い寒い眠いだののどうでもいい発言をそのアカウントでしていた。
ところが鍵垢生活を続けているうちに妙な気持ちが芽生えてきた。
承認欲求というやつだ。
例えば、気心の知れたフォロワーのいる本垢で「仕事がつらい」と発言したならば、心優しい人が気遣うリプライをくれたり、言葉をかけるほどではないが心配している…という意思を示す人はいいねをくれるであろう。
だがその反面この手の呟きに「愚痴愚痴うるせえな…」とか「ネガティブうざ」と思う人も大勢いるはずだ。
絵師のアカウントなら絵だけあげてろという人がいるし、実際絵だけをストイックに上げている絵師のほうが私自身口には出さないが好感度は高い。
人の愚痴など多くの人は聞きたくもないのだし、本来隠すべきものなのだ。
そういう思いから私は鍵垢で愚痴を綴っていたのだが、鍵垢で「仕事がつらい」とツイートしても当たり前だが誰も何も反応しない。壁にでも話している状態。文字通り壁打ちだ。重ね重ね言うが当たり前だ。
でもそれが辛くなってしまった。誰か私の苦しみを知ってほしい。本垢では楽しそうに推しの活躍をツイートしているが推しを見なければやっていけないくらい精神は摩耗している。
だが本垢で気が滅入る発言をしなければフォロワーは「この人はいつも楽しそうだ」という印象を持ってくれるだろう。それがたまらない。私はこんなに辛いのを我慢しているのに誰もそれに気づかない。
傲慢だと思う。私よりもっと酷い境遇の人がいると思う。だから私は本垢で愚痴を言うのをぐっと堪える。
フォロイーのメンタル病みツイートにいいねをし、元気出してくださいとリプライしながら。
それだけで私の心は少しだけ救われるのだ。
そして誰かに私の傷を見てほしいと思いこの匿名はてなダイアリーを書いてしまった。
読んでくれてありがとう。
笑いながら傷を隠している人がいるかもしれないということを頭の片隅に置いておいてほしい。
2020年、コロナ禍やコンテンツへの疲弊により同人活動を続けるモチベーションが右肩下がりの同人女が出会ったのはキャプテン翼でした。
今なお展開されている長寿巨大コンテンツにめちゃくちゃにされ救われた同人女の話です。
経緯
2020年9月、同人女は同人活動に対しての熱を失いかけていました。好きだったコンテンツに対する不信、疲弊、負の感情が大きくなるばかりで一時は創作意欲がなくなるほどでした。このまま惰性で続けていても疲れるだけでは?と同人活動そのものに対しても疑問を持ち始めたその時、友人に勧められたのがキャプテン翼でした。
何も知らない自分に散々壁打ちし今なら公式で小学生編が配信されていると情報を添えた友人、今では感謝の気持ちしかありません。
勧められたのが大型連休中だったのもあり、最初は暇つぶしに丁度いいと軽い気持ちで読み始めました。
これがすべてのはじまりでした。
まず最初に漫画そのものの質が高いことに驚きを隠せませんでした。
大胆なコマ割り、魅せるページ展開、秀逸な視線誘導、正直言って漫画がめちゃくちゃにうまい。漫画はこんな風にも描けるんだという感動がそこにありました。(連載開始時の作者のご年齢が20歳なのを最近知って膝から崩れ落ちました)
また、話の展開が自分がイメージしていた爽やか青春物語ではなく、サッカーにかける情熱や夢を抱き泥だらけになりながらも、ときには選手生命を絶たれるレベルの怪我を負っても前へ進む非常に泥臭い物語(を絵柄も相まって爽やかに描かれている)だったことが衝撃でした。
サッカーは夢である主人公、サッカーはひとを繋いでくれるものである親友、サッカーは家族を養うための手段であるライバルなど、様々な事情や信念を抱えたキャラ達が繰り広げる試合はアツくもあり、面白くもあり、感動させるものでした。
初期の絵柄は小学生がメインだったのもありすごーくかわいいです。みんなもちもちしてて本当にかわいい。主人公の大空翼(※1)は基本走り回っている。かわいい。
小学生達のかわいさにボディーブローを受けながらも正気を保ちつつ小学生編は作品そのものを純粋に楽しみ夢中で読みました。小学生編までは。
・予感する中学生編
小学生編を夢中で読破し、はやく続きが読みたい!という思いでここからは文庫本を揃えていきます。興奮を抑えつつ漫画を買ったのは本当に久しぶりでした。
中学生編は小学生編から3年経ち大空翼が中学最後の全国大会に前人未到のV3を臨むところからはじまります。
小学生時「ボールはともだち!」とチームメイトを励ましていた大空翼にその面影は薄く、ストイックに勝利を目指すキャプテンとして成長。大会前に気が緩んだチームメイトを紅白戦でボコボコにし叱咤激励する姿を序盤から見せられます。
空白の2年間彼は何を思ってどう過ごしてきたのか、公式の隙間を妄想するのが好きな同人女はここで「なるほどね」と訳知り顔になりました。
中学生編では数々のキャラクターにスポットが当てられ心情を丁寧に描かれています。小学生編でも登場したライバル達は個性とサッカー技術にさらに磨きをかけて再登場、元チームメイトだったキャラ達もライバル校として登場、個性溢れる新キャラも続々と登場します。
小学生編のアツい展開はそのままでありつつも精度は増し、さらには技名まで導入した中学生編(有名なスカイラブハリケーンはここで登場します)が織りなす数々のドラマは読むひとの感情許容範囲を容易に越し言葉では言い難い何か熱いものが溢れるばかりです。
大空翼の最大のライバルである日向小次郎(※2)のドラマは中学生編の成長ポジションとして大きく取り上げられ、笑いあり涙あり感動ありで気分はまさにジェットコースター。おれ(読者)を置いて行くな。
最後の試合である決勝戦では感情が高まりすぎて泣きました。なぜそうまでして今の試合に全力を出すのか。少年達がサッカーにかける情熱に思いを揺さぶられました。
少年達が試合を通して成長していく姿、情熱、絆、そのひとつひとつの描写に何かを予感しながらも中学生編では松山光(※3)が好きになりました。
中学編の全国大会が終わった数週間後、ジュニアユースの日本代表として選ばれた全国のサッカー少年が集まり世界に挑むのがジュニアユース編です。
これまで戦ってきたライバル達が同じチームメイトとして勝利を目指す、もはやこの時点で頭がおかしくなりました。
さらにそこに加わるのは小学生時代に大空翼と共に活躍し、その後は海外に渡った元チームメイト。もはやドリームチームと言わざるおえません。だってみんな好きだから。
最初は海外の壁に打ちひしがれる全日本、寄せ集めのチームでそのボコボコぶりには少年漫画ならではのものがありました。
各キャラの見事な役割に唸りつつも、全日本の「みんな同じチームにいる」という事実に慣れず刺激が強すぎて本を綴じることも増えました。どうしてみんな同じチームにいるんだ…(日本代表だからです)。
新キャラである海外勢も魅力溢れる子ばかりです。最大の敵であるドイツをはじめ、フランス、イタリア、アルゼンチンと国ごとに個性が違い魅了されてばかり。出てくるキャラ全員かわいくて本当に困る。
中でも情緒をかき乱されたのがフランス戦。強敵フランスに挑む全日、ひとつの目標に向かってみんなが一丸となって戦う姿には涙を誘うものがあります。
怪我により次の試合にはもう出られないと悟った選手は今この時を全力を出して戦うと覚悟を決め、死力を尽くすシーンはあまりにも痛々しく純粋で情熱的で胸を打たれました。
ジュニアユース編は読者の情緒を乱すだけ乱し爽やかに完結。完結の文字を見たときは「この作品に出会えてよかった」と、致命傷レベルの傷を抱えながら思いました。
ありがとう全日本ジュニアユース。最高のチームだった。みんなかわいすぎる…そんな狂気のジュニアユース編を経た同人女に出来ることはただひとつ、ペンを手に取ることだけでした。
・救済
アツい展開を見事な演出で盛り上げる、一冊一冊が持っているエネルギーが爆発的で毎巻読み終わるごとに息切れをしているかのような気分になりました。
キャプテン翼から受けたエネルギーは計り知れず、その有り余ったエネルギーは失いかけた創作意欲を取り戻し、いつかの自分が出来ていた作品を純粋に楽しみ、全力で遊び、片手間に創作をすることを思い出させてくれました。
もう少しはやくハマっていれば…と思うところはありますが逆に今だからこそハマれたのだと思います。今ハマれてよかった。
そしてキャプテン翼は今なお連載中の作品です。ここまで話したのは「無印」の話。ここから先も「サブタイトル付き」で大空翼達の物語は進んでいきます。
さらに今年8月に発売されたゲーム(通称RONC)も盛り上がりを見せるばかり。
自分はキャプテン翼という巨大コンテンツのほんの端くれしか味わっていないのだと思い知らされると同時に、まだまだ楽しめるんだというワクワクが止まりません。
ありがとうキャプテン翼。こんなに情緒をかき乱す作品だとは思いませんでした。
今後の展開も楽しみにしつつ、ジュニアユース編のアニメ化を心から期待しています。
・注釈
※1 大空翼:主人公。永遠のサッカー小僧。中学生編ではあまりの強さに調整(怪我)がはいる。
※2 日向小次郎:主人公最大のライバル。キャプテン翼では珍しい特訓シーン有。猛虎(にゃ〜ん)。
※3 松山光:北海道代表のキャプテン。ハチマキが印象的。粘りのキープ力と雪国で鍛えられた強靭な足腰、そこから繰り出す地を這うロングシュート、そして不屈の精神が売り。常にチームのことを考え仲間の思いを背負い戦っている。大空翼、日向小次郎などのサッカーの天才に比べて自分にはそのような才能はないと認めつつも卑屈にならず努力を重ねて勝利を目指した努力の男。その姿にチームメイトは常に励まされついてきた。あまりにも人間として出来ている。元は中盤のポジション(MF)だったが持ち味を買われて世界大会では守備の要(DF)としてポジション変えをしている。背番号は「10」であったが、大空翼に譲りさらに大空翼の親友に「11」を譲り自身は「12」となっている。気遣いの塊である。良さしかない。推しです。