2020-11-22

ゲームうまい」を求めることを辞め、多人数ゲームや実績集めから完全に降りたらゲームの楽しさが帰ってきた

遊びには2種類の側面がある。「現実」と「非現実である。 ~俺~

俺が求めていたゲームってのは現実から離れて自由に遊べる非現実空間だったんだ。

何も考えてない人向けなJ-POPで歌われる「リセットボタンで全てが終わるテレビゲーム」こそ俺のやりたいゲーム

そこに帰ってくるのに10年の歳月を要した。

いつからかチームプレイゲームで勝ち負けを全てとする割に自分は下手くそで、それを認めたくないばかりに味方のせいにしてばかりいる荒らしになっていた。

気晴らしに一人プレイゲームをやっているときでさえ、実績の達成率が気になってしま動画攻略をなぞってクリアしては「この実績持ってないやつの発言とか無意味やぞ?」「動画見てクリア何が悪いんだよ努力ってそういうものだろ?」と掲示板チャットで連投する荒らし行為を続けていた。

違うんだ……俺が求めていたゲームはこんなんじゃない……5年前にはそう気づいていたが、今ここで逃げたら敗北を認めるような気がして必死に誤魔化しながら自分の中のゲーム像と戦っていた。

ようやく答えが出た。

俺はJ-POPの歌う「リセットボタンで全部が終わるヌル世界」が好きなんだ。

現実と地続きでもって生まれた動体視力計算能力情報収集力、コミュ力、それらを複合した総合的なゲーム力によって優劣が決まる世界」は、間違って渡ってしまった橋の先にある別の島だったんだ。

横断歩道信号待ちで、本当に渡りたい側が赤信号だった。そこと直角に交差する別の信号が青だから、折角出しさっきにそっちを渡った。でもそこでそっちを渡ったのは完全に間違いで、でもそれを認めたくないか目的地の近くまで反対の岸をあるき続けたら、引き返すタイミングがなくなってしまった』そういった経験が誰にでもあるだろう?

俺の10年間のゲーム人生はそれだったんだ。

俺は本当に求めていたゲームじゃないゲームを遊んでしまった。

ヌルいより、ストイックが偉い。1人プレイより、複数プレイの方が高度。実績を持ってる奴が正しい。ランクが低いやつはノイズ勉強してない奴は発言するな。本当に好きならやり込める。結果を出すのが愛の証明。そういったゲームコミュニティなんちゃってマチズモに振り回されて、間違った場所でずっとゲームを遊んでいた。

それは他人物差しを全部預ける行為だったんだ。

かわいいキャラクターと一緒にスローライフを送るゲームを、やたらノンビリ遊んで周りから「Aさん。もしかして行き詰まってますか?ゲーム時計を弄ると~~」みたいな余計なアドバイスを貰うようなペースで遊んでも良いんだ(この話はフィクションです)。

実績が意味を持つ世界を生きるかどうかは、プレイヤーが決めるものだ。

ランクってのは同じ強さのプレイヤー同士がマッチするためのもので、高い人が偉いってものじゃないんだ。

でも、そういうのはもういい。

俺はもう現実と非現実の間にあるパイプラインを徹底的に切り落とし始めたから。

1人でのんびり遊ぶから、急いでトレンドを追うこともしないし、感想を誰かと語り合うことだってやめる。

プレイした本数でマウントを取るために有名ゲームを片っ端からやるのだってもう辞めた。

自由だ。

やりたい時にやりたいゲームをやる。

俺だけの世界にこもるための触媒としてだけゲームがあり、その世界のことを他人と比べることもなくした。

癒やされる。

ただ、淡々と進む世界

いるのは俺と開発者キャラクターだけだ。

どうせゲーム世界なんて開発者の手垢まみれなんだから、別のプレイヤーなんて居なくても孤独になんてなりようがないんだよなあ。

いっそ寂しさを感じたかった。

なんか今度は、開発者の残した自己主張価値観の声が煩く聞こえてくるよ。

どこまでも現実と地続きではあるんだなあ。

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