2021-01-04

受身形はあと何年続くだろう

その昔、主人公って言ったらクールで、女もツンツンしていてその女をクール男が落としてゆくという物が多かったが、それはそれで男の憧れだった。しかしそれは男像という憧れであって、状態に対してではなかった。バブルを消化して’00年を超えると男像は急速に求められなくなり、受け身少年に対して少女が舞い込んでくるというご都合が受けいれられるようになった。つまり理想像から状況・利得へと変化していった。この変化はITバブル崩壊し、美学から金への渇望がより強まったかからではないかと考えている。ストイックなかっこよさやクール超人的な主人公等身大ではなく、だめな自分日本を重ねて、だめでもいいか女の子ください、という即物性へとシフトした。

このオタク文脈のなかで、そんな夢のある話なんてあるわけ無いでしょ、というシリアスうつ病患者庵野シンジなどでオタクに釘を差しつつ自虐したが、今日の『天気の子』まで受け身男子女子にちやほやされる系列は人気のままだ。いいかいかと言われたら欲求需要問題なので多分なくならない。そういう夢を全年齢の男が見てしまう。『君の膵臓を食べたい』などは少女の設定が守ってあげたい設定で、しか少女からグイグイ来るホステスパターンだった。いくらなんでもやりすぎだろうと思っていたら普通に受け入れられていて 草 失笑せざるを得なかった。

個人的恋愛エンタメ駆け引きと甘苦く悲しい感じでもいいと思うが、どうも女が転がり込んできてイチャラブになるのが素早く売れる秘訣らしい。鮭が自動的に川に戻るがごとしである。鮭は勝手イクラを腹に抱えて食べられるために戻ってくるのだ。別段フェミ応援しないが、我ながら男のだらしなさがよく出ているとは言える。

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