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2023-07-23

次の人生目標ってみんなどうしている?

30代半ば男です。みんな人生目標ってどうしているのか聞きたいです。

スペック: JTC勤務、ソフトウェアエンジニア、妻子あり

質素に暮らす分には金に困ってないし、仕事が生きがいでもないし、妻子とは関係が良い。

大きな趣味もなく、土日は子どもと遊んで、残りの時間家事ゲーム漫画インターネットしている感じ。

子どもとか持ち家とか、10代くらいの時にぼんやり思っていた所に到達できたと同時に、キャリア的には自分限界が見えている感じ。

人生100年時代?とするとあと60年くらい何やって生きるんだろう、みたいな漠然とした不安がある。この不安を解消できるような目標とか参考になる生き方がわかると良いのかも。みなさんの自分語りお待ちしています

2023-07-22

anond:20230722230354

増田

 

もしくはぼんやりしてる

このぼんやりというのは文字りぼんやりでソシャゲネットサーフィンとか何をする訳でもなく時が過ぎていく

面倒なので水も飲まんし飯も食わん

 

なお、PS5・Switch・ゲーミングPCあるし、サブスクはネトフリ・Amazon入ってるし、

買ったけど読んでない電子書籍(漫画)あるし、

運動すべきだし、勉強すべきだし、家のメンテナンスすべきだし、買い物行くべきだし、

税理士事務所行くべきだし、健康診断行くべき

 

ぼんやりするのは苦痛じゃないけど、無為に過ごしたことはけっこう後悔する

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

2023-07-21

ビッグモーター創業地が地元だった

ビッグモーター子供の頃から知っている会社だった。なんとなくローカル会社なんだろうと思っていたが、地元を離れるとテレビラジオコマーシャルをやってるし店舗もよく見かける。なるほど全国的会社だったのかとぼんやり考えたような記憶がある。

んで、今回の件が起きた。ふと地元にもビッグモーターがあったはずだが、あそこも大変なのかなあと「ビッグモーター 岩国」と検索した。すると、山口県岩国市が創業の地と出てきたので驚いた。昔から馴染みがあったのでローカル会社だと思っていたのは間違ってなくて、ビッグモーターが大きくなっていくのと近いタイミングで私も地元を離れただけだった。

岩国にいた頃は子供だったので自分ビッグモーターを利用したことはない。そもそも車に関心が薄いので、特別な印象もない。もしかしたら父親は利用していたかもしれない。しかし親子の間で自動車販売店の話をする機会もないので、特にからビッグモーターの評判を聞いたことはない。

ビッグモーターが昔からキツめの会社だったのか、あるいはどこかのタイミングヤバい感じになったのかはわからない。これだけ大きくなったのも、初代の社長が頑張ったのか、なにかたまたま上手くハマったのかも全く知らない。

ただ、名前存在は小さい頃から知っていて、それが地元会社ではなく全国区会社だったのだなあと勘違いしていたら実は違っていて、その企業が大問題を起こしたこときっかけでそれがもとは地元企業だったことを知った、というのが自分としては面白い

今回このようなことになり、創業の地出身者として申し訳ないとか残念とか、当然ながら微塵も感じない。

2023-07-20

anond:20230720190446

勉強とか運動とか家のメンテナンスという選択肢がないのが清々しいな

意外と世の中はそんなもんなのか?

 

ワイはいちおう空白期間や長期休暇の時に考えるやで

なお、結果は勉強メンテナンスはおろか、旅行や遊びにも行かず、気がついたら終わっている模様

20日なんて瞬きで過ぎる、ぼんやり

 

外部の圧力からなくても動ける人偉いね

2023-07-19

anond:20230719130319

あなたのまわりに米寿という言葉ぼんやりと浮かんでいます

何か心当たりがあるに違いないでしょう

anond:20230719113758

親に会いたくないって、

まれつき万人に愛着がない場合、極端な経済的な困難がある場合を除いて、

単純に親が毒ですけど?

何故ここでコケるのかマジで理解ができない

 

万人に対して愛着が生まれ付き薄い場合は、それは仕方がないと思うよ。生まれつきのもんだから

親に気持ちを返せないことに薄ぼんやりした罪悪感があるかも知れないが、

親は、増田が元気に楽しく暮らし増田が誰かを傷付けるような犯罪行為や準ずることしなければ、

それ以上は何も望まないと思うよ

 

ただ、情動共感性が極めて低い人は、一般的にはサイコパスとして避けられるから

親に愛着が持てないアピール共感得にくいと思うよ

もっとガチ屑要素を盛れば誰かが悪ノリしてはくれるかもしれないが

anond:20230719104403 anond:20230719104326

これ真面目に疑問なんだけど、親を毒って認められないのなんで?

自分自身メンヘラ毒親子ども逆ギレしているという感じの印象は受けないんだよな

 

親を毒って認められないのは、無就業者現在進行形で親に世話になっているからとかか?

あるいはどんな形にせよ、親とは独立して距離はとっているが、取り返しのつかない事になりそうだから強引に感情に蓋してるのか?

もしくは親に愛着が持てない事に薄ぼんやりとした罪悪感があるとかか?

 

愛着以外は、他人永久に毒を撒き散らす事になるから可能なら親とコミュニケーション取れるうちに解決しとこう

愛着は生まれつきのものから仕方ない

親も増田が誰かを傷つけることさえなきゃ自分自身仕事を正しく全うしたとしか思わんでしょ

2023-07-18

諸星大次郎の良さを読むために

面白い増田だった。自分諸星大次郎(敬称略)は好きなほうだけれど、増田の言わんとしていることもわかる。

anond:20230717174144

自分諸星大次郎を人に薦められた時はそうだった。とりあえず栞と紙魚子1巻を読んだが、増田と似たような感想を持った。

しかし、その後、「薦められた」ことなんてすっかり自分の印象から消えた時に、そういえばこんな漫画あったな……と、ふともう一度手に取って一人で読んだ。見事にはまった。

複数ブコメが指摘しているが、諸星大次郎は人の心の夢や無意識のような曖昧場所ダイレクト描写する作家だ。そういう場所に己の精神の波長が合わないと全ての要素が何も面白くない。そして一度波長が合ってしまうとずっと楽しめる。

現代において諸星大次郎を読む我々が波長を合わせるには、自らを静かな一人の場所に置くことが一つの手段だと思う。自分にとっては他者からレコメンドそれ自体も雑音だった。夜寝る前のぼんやりした頭とか、夜中に起きた時にふと読んでみても良いかもしれんね。


なお、増田五十嵐大介比較しているけれども、五十嵐大介生命を描く作家だ。多摩美卒。躍動して死ぬ生命を描くための洗練されたテクニックが画面に入っている。

対比すると、諸星大次郎の描く人間エロくない……と評した人がいたらしい。非常によくわかる。自分諸星大次郎の漫画は躍動感のないあの絵が成立させると思っている。だってあの手の夢にエロスは無いだろう。


高名なクリエイターはおそらく作品に対する波長合わせが上手いであろうことは否定しない。が、趣味に合わないなら合わないで別に構わないと思う。

増田の中に諸星大次郎に合うものが無くとも、増田表現したいものによっては全く構わないケースも多いと思うので。自分の知り合いで美的感覚が優れた人の中にも、五十嵐大介系統は読むが、諸星大次郎系統は受け付けない人がいる。

プロ作家から見た凄さを知りたいなら、

浦沢直樹諸星大次郎を取材するテレビ番組や、

https://www.nhk.jp/p/manben/ts/7W327R2Y4N/episode/te/KZ98YK6V5J/

文藝別冊 諸星大二郎」

https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309979441/

なんかをどこかで手に取ってみても良いかもしれない。萩尾望都高橋留美子藤田和日郎含め錚々たるメンツ

anond:20230717163854

全く同じような悩みがあった。

多感な時期を経て私も彼氏セックスをしたらエロ同人AVみたいにイグイグ!!!!てなれるとおもっていた。が、現実は全くそうはならなかった。 

挿入で全っっく気持ちよくならなかった。試行回数が少ないからか?と同じ人と何回もやって癖を覚えたり、SMのおじさんに開発してもらったり、エロマッサージを受けたりキャバの客とアフターしてみたり女風行ったりしたけど全くだめだった。経験人数は数十人は行ったと思うけど、痛いだけで、本当に辛い。前戯まではコミュニケーションとして結構楽しいところもあるんだけど。

体質もあるだろうけど女は脳で感じると言うし

元々鬱っぽくて考え込みがち、物事を斜に構える方でセックスに没頭できないのが理由の一つかなと思っている。ので感度が良い感じになる薬(ぼんやりとした表現)が手に入ればマジで試してみたい気持ちがある。

そんなわけで男女の付き合いはほぼ確実に体の関係があるがこっちは全く楽しめないことに対する後ろめたさで人と関わるのをやめてしまったのでした。めでたし

2023-07-17

anond:20230717165130

大切なことは、相手の目を見続けること。

話しをしている相手の目を見続けながら、たまに、こくっと頷くだけで、相槌としては十分なんだ。

相手が何かいってきたら、「集中して聞いてますので続けてください」と一方的に話させる。

あさっての方向をぼんやり見ながら、

なるほどですね」「そうなんですね」「えぇ」「はい

を繰り返してたら、誰だって聞いてないだろって思っちゃうじゃん。

からこそ、もっと眼力を生かすんだ。

2023-07-16

心の性別あやふやな時期って誰しも経験あるんじゃないか

 私は身体性別女性で、性自認女性だ。しかし、自分性別に強い違和感を抱いていた時期がある。

 それは小学5年生の頃。真っ平らだった自分の胸が膨らんできて、シャツに擦れるだけですごく痛かった。初潮が始まって戸惑いながら報告したら母親におめでとう!言われた。クラスメイト女の子)に「今日の体育なんで休んでたの?生理?……(他のクラスメイトに)○○ちゃん生理始まったって」と言われた。クラス女子の間では、誰が生理が来て、誰がまだ来ていないのか、ひそやかに情報共有されていた。これは女性なら誰しも経験があることだと思う。けれど、そんな一つ一つが積み重なって、身体の変化と共に一人の女性として扱われるようになった自分ものすごく嫌だった。何が嫌なのか不明だけどとにかく嫌で気持ち悪かったし、「女になるのは嫌だ。男になりたい」とひたすら思っていた。今振り返ると、これは男になりたいんじゃなくて、「まだ心が追いつかないか身体が変化するのは待ってくれ」が正解だったと思う。ホルモンバランスの乱れと共に感情がぐっちゃぐっちゃで、女体になってしまった自分がひたすら嫌で鬱だった。

 実は当時、性的興奮の対象は女体だった。クラスメイト女子好意を抱いていたのではなく、アニメの変身ヒロインの、裸を連想させる変身シーンにどきどきしているタイプ小学生だった。なので性的興奮の対象にしていた豊かな胸やしなやかな曲線を持つ女体に、自分がなってしまうことがひたすらショックで受け入れられなかったのだと思う。ただし、クラスの中に格好いいな、好きだなと思う子は居て、その子男の子だった。クラスの人気者でサッカーが好きで、休み時間に一緒に遊ぶのがとても楽しいし、彼の特別存在になれたらいいなと憧れを抱いていた。なので、好きになるのは男なのに、性的興奮を覚えるのは女というよく分からない状態になっていた。

 それが変わったのが中学1年生の頃。これは今でもはっきりと覚えているんだけど、鏡に向かってすっかり女性身体になってしまった自分を見て、嫌だなぁとぼんやり思っていた時、「せっかく自由にできる女体がここにあるんだから自分が思う理想彼女をこの身体で作ればいいんじゃない?」と閃いた。そこからの切り替えは早かった。当時は女性らしい服装髪型が嫌だったのに、可愛い髪型服装研究をし出した。自分が着ると考えると嫌だったのに、「彼女に着てほしいならどんな服か」と考えると全く抵抗なく可愛いスカートやふんわりしたブラウスを選んで着られるようになった。どんどん理想彼女になっていく自分が好きになった。これがとても不思議感覚だったのだけど、自分のことが好きになるにつれて、徐々に男になりたいという願望が薄れてきて(たぶんここら辺で女性ホルモンが安定してきたのだと思う)、男性に対して性的興奮を覚えるようになり、性自認女性になった。

 現在社会人になった私は女性として生きている。ボーイッシュな服も好きだし、可愛い服も好き。化粧も好きだし、美容院で髪を整えるのも好き。女性である自分を嫌いと思うことはもう無い。ただし、オンラインゲーム趣味で家に帰るとそればかりしているのだけど、ゲームアバターは男で、ボイスチェンジャーで男声に変換しているので、ゲーム仲間は私のことを男だと思っている。男として扱われて、好きなゲームを一緒にするだけのその空間がとても心地よい。バーチャル世界なら自由アバターを変えられて、声も男性にできるので、本当に良い時代になったと思っている。男になりたい欲を仮想世界で発散し、現実世界では女性としての生を楽しむこの状況、自分ではわりと幸せだなぁと思っているので、あの思春期の時に思い詰めて「男になる!」と行動しなくて本当に良かったと思っている。ホルモン治療して身体を変えちゃうと、やっぱり自分女性だった、元に戻したいと願っても戻れないからね。

 あと、生理に関しては、子宮病気が見つかってジエノゲストを飲んで止めている。生理がなくなってから、気分の落ち込みや生理時の体の負担が無くなって、メンタルが安定し、「これが本来自分だ!」と思えている。この生理問題が解消されたことも、男になりたい欲が解消された理由の一つだと思ってるよ。少なくとも、今は仮想世界で男として扱われるだけで十分だ。

 思春期からこれまでを、冷静になってよくよく思い返してみれば、自分はずっと「男性に憧れている女性」だったなと思っているし、これから女性として生きていくと思う。ただ、思春期の頃に、心と体の性別が一致しないと思い込んでいたあの時期は、自己否定をずっと続けている状態で本当に辛かった。あのしんどさと、鏡の前で閃いて自分の体の性に折り合いを付けられた時の、心のもやもやバーッと晴れていく感覚は一生忘れられないと思う。実は世の中に生きている人って、誰しも多少は心の性別あやふやだった経験ある(けど表に出さないだけ)んじゃないかなって思うときが時々あるよ。こんな話、誰かにしたこといから、実際のところは分からないけどね。

 ずっと秘密にしようと思っていた経験だったから、吐き出せてスッキリした。拙い文章なのに、ここまで読んでくれてありがとう

2023-07-15

処女を売った

何年も前の話なんだが、処女を売った。簡単に言うとAVに出た。出たのは1本だけで、今は普通に会社員として暮らしている。レーベルとか相手男優とか監督とかは全部書かないしギャラも書かない。


珍しくは無い、とは流石に言わないが、居なくは無いだろう、たぶん。セックスが好きなわけでは無い、むしろ嫌いだ。男性は怖かった。何をかんがえるのかわからないし、小中と散々いじられて過ごしたので危害を加えてくる生き物として認識してしまっていた。正直今もそんなに好きじゃないが、信頼できる人間はみつけられたので、全てが怖い人ではないんだなと思えるようにはなった。

話を戻して、出ようと思ったきっかけは、たぶん自己肯定感の低さからだったと思う。平均身長体重で顔も普通と言われるが彼氏ができなかったことにものすごく焦っていた。この歳で処女って恥ずかしいことだという認識があった。呪いみたいに頭に張り付いて離れなくて、けれど周りの人間には相談ができない。友達のの性事情を聞かされる(いわゆる女子会彼氏とのエッチがさ〜wみたいなノリのやつ)と、どんな顔をしていいのかわからなくなった。

みんなできていることなのに私にはその機会がこない、やばい。人としてやばいのかも。誰もが当たり前のようにできることなのに私はそれができてない。という焦りでちょっと頭がおかしくなったんだと思う。

「どうしたら彼氏ができるか」よりも「どうしたら処女を捨てられるか」が目的になった。そうなった私の行動は早かった。


当時に思考回路としては

処女を捨てるにはセックスをする→セックスをするには相手必要レイプはされたくないし、合意の上でも適当相手を見繕ってうっかり妊娠なんかするわけにはいかない→妊娠リスクが極めて低い安全セックスをする方法は何か→AVに出ることだ!検索


ばかか。ばかだった。

動力のあるばかってどうしようもないな。やばい事務所にあたったらもっとやばいことだって起きたかもしれないのに、映像作品を世に出してんだからそれなりに安全なはずだ!となぜか信頼してしまっていた。

思考バグっていたのですぐにネットで探して応募をして、細かくは覚えていないが書類選考が通って説明を受けに行き、処女を捨てたいと話して面接が通った。

ほどなくしてマネージャーが付き、話が進むのが早い業界なんだなぁとぼんやりと思った。

そこからいろんな事務所に連れて行かれ、面接を繰り返す。面接では「服を脱いでみて」と言われることが多く、何も考えず上裸になっていた。何か聞かれたらすらすらと喋れて自分じゃ無いみたいだった。


どれくらい繰り返したのか覚えていないが、なんとか企画だか事務所だかが決まって撮影日とギャラを聞かされた。こんなふうに決まるんだな、早く終わって欲しい、楽になりたい。恐怖感や危機感みたいなものは全く感じていなかった。そこらへんのヤリチンに捕まるよりよっぽど丁寧に扱ってもらえるだろうし、無理なことはやらされないだろうし、プロ相手なんだから良い思いもできるんじゃないだろうか。そんなお気楽思考撮影に挑んだ。


結果、もう二度とやりたくねえ。


痛い、苦しい、辛い。尊厳を踏みにじられている気がする。はあはあ言ってる男がのしかかってくるのキツい。入ってくる情報全部が無理だった。プロ相手でこんなにしんどいなら素人男性となんてもっと無理だ。セックスなんかもう一生しなくていい、こんなしんどいこと強要するやつは全員滅んで欲しいと思った。

プロのお店で童貞捨てて素人とはしたことない人を素人童貞というのなら、私は素人処女のままでいい。変な言葉だな、素人処女


あと、自分の穴がすごく狭いのを知った。とにかく痛い。ここから子供産むって正気絶対死ぬじゃん。女を妊娠させようとしてくる男って何?悪魔?って思った。(本当に狭くてタンポン入れる時さえ引き攣れるような痛みがある。どうにもならん)

映像にどんなふうに映ったのかは怖くて確認なんかできなかった。きっと酷い仕上がりだったと思う。きっと出演作は売れないだろうから身バレもしないだろうし、今後またAVに出ることもないなと思って帰った。翌月くらいにギャラはちゃんと振り込まれていた。

その後、事務所から何度か連絡が来ていたが全て無視をして、ようするに飛んだ。

10数年経って、特に何もなく暮らせているのでこの先も何もないはず。たぶん。

処女を捨てるという目的を達成し、変な呪いが解けて気が楽になったのは事実だ。何もあん方法とることは無かったな、と思い返して反省はするが、あの頃の私にはそれしかできなかった。若くてアホな私は必死だった。何か起きたら責任は歳食った私が取るしかない。

身バレしたくないのに誰かに聞いて欲しくて書いてしまった。こういうばかもいるんだな、ふーん。くらいで流し読みしてくれ……。

2023-07-13

トランス女性」には男子トイレを使う正当な権利があります

迷惑だと感じるのはただのぼんやりとした不安に過ぎません

2023-07-12

ナチスは「良いこと」もしたのか?』といつものはてな民たち。

以下のエントリにぶら下がったはてな民によるブコメを読んでいて、「ああやっぱりいつのはてな民達だ…」などとぼんやり考えていたらふと、芥川龍之介蜘蛛の糸を思い出した。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-509289.html

 

血の池地獄で他の罪人と共に浮き沈みを繰り返していたカンダタは、生前にたった一度、蜘蛛を殺さなかった。たったそれだけの「良いこと」をその血の池地獄の様子をたまたま眺めていた天上界のお釈迦様が思い出し、天界から蜘蛛の糸を垂らしてカンダタ地獄から救ってあげようとしたが、その蜘蛛の糸を上っていたカンダタは、自分の後から続々と上ってきた他の罪人に気づき、「こらっ!落ちてまうやろ!上ってくんな!」と叫んだら、その瞬間、糸はプチッと切れて血の池地獄に真っ逆さま、というあの話だ。

 

ていうか、田野氏の2年前のツイート炎上の時もそう思ってた。芥川龍之介が始めた書いた童話だそうだが、芥川が伝えたかたことは曖昧で何か教訓めいたものがあるのかないのかよくわからない、と聞いたことがある。ただしかし、私は単純に、「ナチスは良いこともしていたのでは?」なるよくある言い分は、この蜘蛛の糸そっくりな気がずっとしていたものだ。

 

蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである

 

もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。

 

id:NOV1975 対戦相手全否定するのって中々の悪手で、観客にその否定の一部でも「いやそれは正しくね?」と思わせてしまえば全否定という主張の根幹が崩れる、という最大級の弱点を無視する人多すぎ問題

このブコメなどはまさにお釈迦さま視点である。このブコメの裏を取れば、全否定しなくとも、ナチス否定できると言っているようなものであり、どんなにナチスに良いことがあろうとも、ブチっと蜘蛛の糸を切って血の池地獄に落としてしまえさえすればいいだけじゃないか、となるのである

 

話は少し変わるけど、私自身がしょっちゅうはてな民は、お釈迦様みたいなものかもしれん、と思ってたりする。とにかく「偉そう」な物言いを常にするから(笑)。いや、ネット民なんてはてなに限らず、ほとんどそんなもんなのだけれど、はてな民は若干だか平均して知性が高いように思わせる「何か」があるので、その分だけお釈迦様度は高いように思われるのだ。

 

さて、話を戻すと、一つ言いたいのは、これらブコメを書いたはてな民たちの何人が一体、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んだのか?って話だ。この本は共著であり、およそその半分を小野寺拓也氏が著述しているのである小野寺氏はウルリッヒ・ヘルベルトの『第三帝国』の翻訳者でもある(それがどうしたとか言わないでね。知る人ぞ知る名著です)。流石に二人とも現役のドイツ現代史研究者であり、『「良いこと」もしたのか?』は、極めて実証的に著述されている。もちろん、現代学術見解にも精通しているお二人だ。その観点で、記述内容自体必要十分には詳細であり且つ正確だと考えられる。ナチス経済政策や、労働政策環境政策健康政策などなど、それらが具体的にどんなものであったかを知るための入門書として非常に良書であると思われる。実際、このようにナチスの具体的な政策について概括的に知ることのできる本はこれまであまりなかったかである。『ナチス発明』?あんなもんただのクソ本だ。ハーケンクロイツデカデカと表紙にするセンスそもそも信じ難い。

 

したがって、まずはちゃんと読んでほしいと言いたいところではある(たかだか100ページ程度の本だ)のだが、実は、同著は別に全否定しているわけでもない。確かに、田野氏は「ひとっつも良いとこなんてないですよ」とツイートでしたからこそ炎上したのだけれど、同著の記述方法は、まずは一般に言われるような「良いこと」を具体的に一つずつ、項目としてあげて丁寧にそれを「良いこと」として詳述するところから始めている。つまり、そこだけ読んで、その後の説明さえ読まなければ、ナチスは良いことばかりしていたかのように読むことさえ可能な本なのである(笑)。その辺が、小野寺・田野氏両名の学者として誠実なところではないかとさえ言い得る。つまり最初からナチス政策を腐しているわけではないのだ。

 

結果的には評価として、ナチス政策は良いところなんて一つもなかったと、結果論として評せざるを得ないことは確かである。その象徴が、現在バルト海沿岸に残されている『プローラの巨人』と呼ばれる、ナチスドイツ歓喜公団Kraft durch Freude)が建設していた巨大リゾート施設である。同著では詳しい記述はないが、同施設労働者が無料使用できるリゾート施設になるはずだった。が、戦争が始まると、建設は中途で中止されてしまい、使用されることはなかった。現在歴史的建造物として、廃墟のまま放置されている(以下追記)。しかし、ナチは確かに労働者に喜びや活力を与えようと、余暇を十分楽しめるように政策を実行しようとしていた証拠ではあるのだ。詐欺集団が実際には存在しない投資物件への投資を求めるのとは訳が違う。ただしそれもこれも、戦争の波の前に全て頓挫してしまったので、「夢」としては良いことかもしれないが、「現実」には良いことがあったとは言えないことになる。しかしその全てを台無しにした戦争を始めたのもヒトラーなのである

 

個人的には、お釈迦さま視点など要らないと思う。個々人が個々人自身によって、ナチスにも良いところがあったのでは?と思うのであるならば、批判視点を忘れずに、それを可能範囲で自ら学ぶべきだと思う。否定肯定を抜きにして、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、知性高いはてな民にとってすらも良書だと思うのだが。1000円未満で買えるんだぞ(笑)

 

追記プローラの巨人については私自身の記憶曖昧且つ古かったようで、再利用化が進んでいるようだ。以下、英語版ウィキペディアから機械翻訳そのまま(修正なし)でコピペする。

売却と再開発

 

改装後の2019年

2004年10年以上にわたって敷地全体の売却が試みられたが失敗に終わった後、建物の各ブロックは様々な用途のために個別に売却され始めた[1]。 2004年9月23日ブロック6は入札者不明で62万5,000ユーロ落札された[1]。 2005年2月23日、旧ミュージアムマイルブロック3はInselbogen GmbHに売却され、同社は建物ホテルとして使用すると発表した。2006年10月、ブロック1とブロック2はProra Projektentwicklungs GmbHに売却された。しかし、ブロック1は2012年3月31日競売にかけられ、ベルリン投資家が275万ユーロで購入した。

 

2006年11月連邦不動産庁がブロック5を購入した。連邦政府とメクレンブルク=フォアポンメルン州から財政支援を受けて、この建物ユースホステル設立する計画だった。複合施設最北端位置するこの建物は、5つの連続した部分に分割された。

 

2008年末、プロラが本来目的を果たし、近代的な観光リゾートに生まれ変わる計画承認された。同協議会は、3,000人が住めるだけの居住スペースとユースホステル観光客向けのアメニティ建設する計画を打ち出した。地元議員のケルスティン・カスナー氏は、プロラの海岸を「カリブ海のビーチ」に例えた。しかし、この決定は、すでにこの地域には観光客が多すぎると感じていたビンツの地元住民や、プロラの歴史家であるハイケ・タゴルドから懐疑的意見もあり、また、町の過去歴史から観光客には不適切場所だとも言われた。とはいえ2011年には、かねてから計画されていた96室402ベッドの大型ユースホステルオープンし、ドイツ最大のユースホステルとして人気を博している。低予算志向観光客に向けた施設拡張可能性も提案されている[8]。

 

2010年9月ドイツオーストリア投資グループにより、1号棟と2号棟を高齢者向け住宅として改修し、テニスコートスイミングプール、小規模なショッピングセンターを備えた300ベッドのホテル建設する計画が発表された。投資額は1億ユーロ見積もられている。

 

メトロポールマーケティング

2013年ドイツメトロポールマーケティング社がプロラを改装し、サマーハウスとして販売する権利を購入した[9]。その年までに、いわゆるコロッサスの改装済みアパートメントが1戸70万ユーロ(90万米ドル)で販売された[4]。2016年ブロック1に新しいアパート第一号がオープンした[10] ブロック2のホテルプロラ・ソリテア」は2016年夏に合わせてオープンし、2017年半ばには同ブロックで再建されたアパートの一部が売りに出された。当時、建物のうち4棟は再開発過程にあり、5棟目はユースホステルとして使用され、残りの3棟は廃墟のままであった[4][11][12]。

 

2017年11月更新によれば、ブロック1のユニットフラット)のほとんどは、ハンブルクベルリンに住む人々のための夏の家として販売され、売却されていた[7]。多くの所有者は、Airbnb[13]やHomeAway[14]などのサイト短期賃貸として掲載していた。

セルフレジぼんやり使ってたらピッて通す前に袋に入れちゃいそうになるよね

それで捕まったケースあるのかな

2023-07-11

トランスジェンダー女性トイレ使用制限違法 最高裁

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230711/k10014125111000.html

マイノリティ権利を守るために多くの人間が苦労することが美徳となるか、苦役となるか、あと数十年したら答えが出るんだろうなとぼんやり感じている

2023-07-10

「ニホンジンみんなで反省しよう」←これ

ジャニーズ性的虐待事件についての話ね。

「ニホンジンはみんなこの件についてうっすらと知ってて、見ないふりをしてきた。みんなで反省しよう!」

この類の主張、割と不快ですね。なぜ不快なのか説明するね。

(ここから先は、「一億総懺悔論者」の人たちに対して失礼なことを書くね。そっちが先にやったんだからまあ多少は許容してくれよな!)

1. いや、知らなかったが?

はてブ眺めてると週刊誌web媒体とかがホットエントリーに入ってくるし、そういうのが好きな人たちがはてなにはそれなりにいるんだろな。特に昭和生まれ人達の中には、「ニホンジンは全員毎日テレビ週刊誌見てる」と思ってる人もいるのかもしれないが、そんなことないからな。週刊誌が担うジャーナリズムというもの価値は(特に本件では)大いにあると思うが、人によって普段接する媒体は当然異なる。私はジャニーズとか芸能とか全く興味がないし、性的虐待の噂すら聞いたことがなかった。

2. 要するに責任を薄めたいんでしょ?

「私は知りつつ沈黙してた。すまん!」って話ならなんの文句もないよ。むしろ真面目で誠実な人だなぁくらいには思うよ。でもこれを「私達ニホンジン」にしてしまうのは、要するに一人で反省する勇気がないんだろ?むしろ浅ましいわ。


そもそもなぜ「一億総懺悔論」に走るのか?これは要するに、適度な罪悪感で安全ストレスを得て、さら反省の態度を示すことでそこから開放されることを愉しんでいるのではないかお化け屋敷ジェットコースターバンジージャンプスリラーホラー映画などと共通の要素だと思う(この要素がこれらのコンテンツの全てだとはいわない)。さらに加えて、罪悪感というストレスから開放されるだけでなく、「反省できる自分」という居心地のいい自己像まで手に入る。「私はジュリーや達郎とは違う!」

ここまでは否定的な内容を書いたが、「うっすらと知っていた人たちのぼんやりとした懺悔」そのもの全否定するつもりはないんだ。仲間内シグナリングを反芻しあって集団としての意識を高めていくのは社会動物らしい振る舞いだと思う。その結果として「いかに偉大な人物特殊業界においても性的虐待は許されない」という認識が浸透するなら意義があるといってもいい。だから胸を張って「私は」って言えばいい。逆に主語を大きくして「ニホンジンはみな罪を背負っており、懺悔する必要があるのです!」とか言い出すならカルトじゃん。伝統宗教にもそういう面は当然あるし、信仰自由はもちろん尊重するが、他人信仰活動に巻き込まないでくれ。

最後に、BBC報道きっかけに告発を聞いて過去に下った確定判決を知った今、私はこのジャニーズ性的虐待事件をしっているし、重大な事柄だと思っているよ。専門性のある第三者による調査で全容を解明して、それを元に被害者ケアや、組織業界構造改革を行うべきだろう。再発防止だけでなく、ひょっとすると存命の加害者が新たに出てきてそちらは刑事裁判で裁けるかもしれないよね。

2023-07-08

弱者男性差別するな!みたいに息巻いてるのはまだよくて

歩いてると、一人でぼんやりしてるデブハゲ中年かいるじゃん

あい恋人も友人もいない、差別するな!なんて思うプライドすらないオッサンこそ真の弱者男性だと思うね

2023-07-07

マイナンバーの定期パスワード更新

マイナンバーの定期パスワード更新の連絡がきたので市役所の窓口へ。

30分待ちとあったので待っていたのだが1時間経っても順番がこない。

聞くと2台しかない更新用端末のところで左翼活動家が「国家による情報統制絶対に許さないぞ!マイナンバー絶対に阻止」と叫んでいて作業ができないとのこと。

 

かねた窓口の人が「ほんとは端末で市民の皆様に入力してもらうんですけど・・・私の端末で更新しちゃいますね」と更新してた。パスワードを手で書いて窓口のひとに手渡して更新してもらった。

 

窓口のひとが入力ミスったら誤登録になるんだろうなあ。とぼんやりと思ってたけど。まあ。いいか

 

登録ってこういうのが原因で起こるんだろうなあ。窓口のひと。おつかれさま。

共産党は早く滅びろ。

2023-07-05

anond:20230705111352

それをちゃんと聴いてあげる増田はえらいし常人だと思う

ワイは直球で『前も聞いた』とか、『○○って話でしょ』って言っちゃう

 

失礼だろって言われて『確かに』と思ったので言わないように気をつけてるが、

ぼんやりしてると言っちゃう

 

何度でも言いたい』と前置きをしてくれると、『そうか何度でも聞くか』って気分になるんだけどな

[]働いてる人ってすごいと思う

自分新卒から10年以上それができてたはずなんだけどなあ

なんとかストレスに耐えながらやり過ごしている人

屁の河童って感じでいきいき仕事してプライベートも充実してる人

いろいろいるんだろうけど

自分はいったんお休み期間にはい

少なくとも有給休暇期間の1、2ケ月は、掃除とか趣味とかをがっつりやろうと思う

その期間中休みの間にどうするか決める

いや現時点でもぼんやりは考えてるけど

ぶっちゃけフルタイムで働きたくないし働かなくてもいいんだよな

20年後、30年後を考えなければ、15年くらいは節約すれば生きれるめどは立ってるんだよな

生前贈与があと13年くらい毎年100マンもらえることが確定してるからそれで家賃光熱費はほぼ考えなくてよくて、

貯金現金1000マンがあるからそれで当分しのげて、

それがなくなっても過去もらいおわった保険の1000マン解約したらまた延長戦できるって感じ

そりゃ老後とか考えりゃいくらでもお金あったほうがいいのもわかるけど

今は健康とかプライベートをとりあえず比重おきたい段階なんだよな

まーじで体調よくないからほんとやばいんだよ

もともとネットゲームさえありゃいいインドア派だったからなー

ゲームはあと17年くらいpspluプレミアム入ってるし、それでもたまに買うけど年間数万だからほぼ影響ないし

食費だな問題

まあそれも最近食欲なくて無駄な買い物してないし

ただ仕事やめて暇になったら半額とか割引のを自由にねらって回に行けるようになっちゃうから無駄な買い物増えそうで怖くはある

食べ過ぎたら気持ち悪くなって逆になんもできなくなって時間無駄になることわかってるからマンもできるようにはなったはずだけど

あー長文かいてたら眩暈して気分わるくなってきた

そろそろやめよ

2023-07-04

少女漫画性的描写に対するお気持ち

えーと、私は女です。

 

今回の少女漫画騒動について一言書きたいことがあります

 

私は小さい頃から「男の人に無理矢理エロいことをされる」のを妄想しまくってきました。

 

どの位かと言うと、幼稚園くらい。

 

セーラームーンアニメ再放送で観た時「わたしがされたいのはこれだ!」と思ったのを覚えています

具体的に言うと主人公うさぎちゃんタキシード仮面ではない男の人に目をかけられて着替えさせられ、無理矢理襲われそうになるというシーンでした。

(作中ではもちろん未遂です)

 

それ以来ずっと脳内で「自分が誰かに犯される」のを想像してました。もちろん具体的なことはわからんのでぼんやりとイヤらしいことってこんなだろうな〜〜とか妄想しました。もっと具体的に言うと自慰しました。

性別は男に限らず、女の人でも想像してました

 

少し大きくなってちゃおを買ってもらいました。

当時ミルモとかエンジェルハントとかたくさん面白い漫画が載ってたので楽しく読みました。ちょっとエッチなのもあってよかったのを覚えてます

(件の先生漫画ももちろん読みました。)

 

で、しばらくするとそこで不満が出始めるわけです。《エッチさが足りない》と。

 

するとどこからか(おそらく兄姉がいる家の子)から少女コミックというのがやばいらしい」という情報が入ってきました。

 

はいつも漫画を買うための小遣いを使って少女コミックを買いました。

そして出会いました。真のエロに。

 

当時は新條まゆ先生が「覇王アイレン」という漫画を連載していて、それがもうとんでもなくエロかったのですね。

私が買った号では、主人公女の子が無理矢理お酒を飲まされてクンニされ最高に気持ち良く喘いでいるシーンが掲載されていました。

 

そんなの読んだらもうとんでもないですエロエロですから

そりゃもうオナニーしまくりました。

 

こう書くと下品の極みですが、当時の私はものすごく安心しました。

 

なぜならエロは「いけないこと」なんだと思ってたから。

 

雑誌の中で女の子エッチをしている、これは私がしたいことだ。

私は本当は誰かにこうされたい。

もちろん好きな相手とこれをしたい。

自分は小さい頃からずっとずっとこれをしたかったんだ…………!

心の底からそれがわかってホッとしました。

自分は独りじゃなかったんだと。

自分と同じような考えの人はたくさんいるのだと。

 

さながらヘレン・ケラー女史が「Water」を理解したときのようでした。

私はそれ以来自慰我慢しなくなりました。

 

しばらくして、この気持ちを「性欲」というのだと学校で教わりました。 

 

セックスは誰とでもはしちゃいけない、自分身体は大切にしなきゃいけない、ということも先生達に丁寧に教わりました。

 

そして現在

私は真面目な会社員になりました。

 

夜にはオナニーしますし、時々彼氏セックスします。(私はムラムラした時しかしたくならないのであくまで時々です)

 

アダルト動画ネットで買ったりサンプル動画を観ています

 

マッチングアプリ出会った相手と流れで……といったこともありませんし今のところ望まない妊娠もありません。学校避妊は教わったので。

 

さて、私はこんな人間に育ちました。

これは少女漫画アニメからの悪影響でこうなったのでしょうか。

 

本当に子供向けコンテンツ性的描写は一切NGなのでしょうか。私は疑問を覚えます

 

私は初めから変態でした。

あくま漫画アニメきっかけにすぎませんでした。

 

子供漫画アニメが原因で変態になるのではなく、そもそも変態に産まれるのだと私は思うのです。

 

 

どうか一時の賢者タイム子供を抑え付けないでください。

大丈夫

 

ケセラセラ

なるようになるから

[] やり残し🐜 ノーゲーム睡眠 anond:20230618080619

4時半起床。まぁそうよね

早いんだよということで二度寝して7時起床

 

やり残し原因のモヤ付きは改善してお目覚めもスッキリだが

なんかモーニングでも食べに行こうかなと思って店探している間に再び眠くなる

はーっか

でも家賃あげたくないの米。モーニングやなんか美味しいの食べたいと思った時にマジでロクな店がないのが難点だ

 

ぼんやりしてて眠いけど頑張って寝ない予定

 

紹介されてる仕事どうするか考えなきゃだが、やりたくねぇなというのが正直なところ

穏便に断ろうと思って単価釣り上げたら通っちゃったでござる

ワイくん、ほぼほぼ家で勉強しない(気がついたら1日終わってる)ので、

単価上げるのに役立つヤツか、いま自分が興味がある分野の案件がやりたいのよね

ラクそうなのでいろいろ余裕はありそうだけど、その余裕を使ってお家でお勉強する自信がない

次回から最初から断ろう・・・(今回のはどう決着つけたらいいものやらだが)

  

あと何故か紹介してくれるとか言ってる人がいるがこれどうしたらいいのかしら

社交辞令なのか確度高いのかわからんわ。やるならこっちの方やりたいのぅ

世の中のの孤独人間リアルってあまり見かけない

よくテレビでは特集してたりするけどどこかなにか嘘くさいしああいうのは社会からも隔絶された孤独をとりあげがち

今は53歳でいまんとこ友達もいないし彼女やそういう関係性の人もいない

俺の人生他人とは仕事での関係性の人しか出てこなくて世間話ができる他人は唯一が親

そういった人のリアルってあまり見聞きしない

生活はどこにもドラマもないし見どころもないから本当につまんないのはつまんない

毎日仕事して帰ったらネットサーフィンしてこういうとこに愚痴書いたりTwitterアイドルに返事のこないリプしたりニュース記事を誰に届けるわけでもなくリツイートしたり、休日スーパー銭湯時間を使ったり

違いはどの場面においても他人が出てこないという点か

こういう人はあまり情報の発信ってしないのか心情を吐き出すことをしないのか、そういうのあるあるだよねということに出会たことがない

電車の中で夕陽を見ながら、誰にもなにも伝えることな死ぬんだなというぼんやりした幕の中で生きている

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