2023-07-10

「ニホンジンみんなで反省しよう」←これ

ジャニーズ性的虐待事件についての話ね。

「ニホンジンはみんなこの件についてうっすらと知ってて、見ないふりをしてきた。みんなで反省しよう!」

この類の主張、割と不快ですね。なぜ不快なのか説明するね。

(ここから先は、「一億総懺悔論者」の人たちに対して失礼なことを書くね。そっちが先にやったんだからまあ多少は許容してくれよな!)

1. いや、知らなかったが?

はてブ眺めてると週刊誌web媒体とかがホットエントリーに入ってくるし、そういうのが好きな人たちがはてなにはそれなりにいるんだろな。特に昭和生まれ人達の中には、「ニホンジンは全員毎日テレビ週刊誌見てる」と思ってる人もいるのかもしれないが、そんなことないからな。週刊誌が担うジャーナリズムというもの価値は(特に本件では)大いにあると思うが、人によって普段接する媒体は当然異なる。私はジャニーズとか芸能とか全く興味がないし、性的虐待の噂すら聞いたことがなかった。

2. 要するに責任を薄めたいんでしょ?

「私は知りつつ沈黙してた。すまん!」って話ならなんの文句もないよ。むしろ真面目で誠実な人だなぁくらいには思うよ。でもこれを「私達ニホンジン」にしてしまうのは、要するに一人で反省する勇気がないんだろ?むしろ浅ましいわ。


そもそもなぜ「一億総懺悔論」に走るのか?これは要するに、適度な罪悪感で安全ストレスを得て、さら反省の態度を示すことでそこから開放されることを愉しんでいるのではないかお化け屋敷ジェットコースターバンジージャンプスリラーホラー映画などと共通の要素だと思う(この要素がこれらのコンテンツの全てだとはいわない)。さらに加えて、罪悪感というストレスから開放されるだけでなく、「反省できる自分」という居心地のいい自己像まで手に入る。「私はジュリーや達郎とは違う!」

ここまでは否定的な内容を書いたが、「うっすらと知っていた人たちのぼんやりとした懺悔」そのもの全否定するつもりはないんだ。仲間内シグナリングを反芻しあって集団としての意識を高めていくのは社会動物らしい振る舞いだと思う。その結果として「いかに偉大な人物特殊業界においても性的虐待は許されない」という認識が浸透するなら意義があるといってもいい。だから胸を張って「私は」って言えばいい。逆に主語を大きくして「ニホンジンはみな罪を背負っており、懺悔する必要があるのです!」とか言い出すならカルトじゃん。伝統宗教にもそういう面は当然あるし、信仰自由はもちろん尊重するが、他人信仰活動に巻き込まないでくれ。

最後に、BBC報道きっかけに告発を聞いて過去に下った確定判決を知った今、私はこのジャニーズ性的虐待事件をしっているし、重大な事柄だと思っているよ。専門性のある第三者による調査で全容を解明して、それを元に被害者ケアや、組織業界構造改革を行うべきだろう。再発防止だけでなく、ひょっとすると存命の加害者が新たに出てきてそちらは刑事裁判で裁けるかもしれないよね。

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