はてなキーワード: ことのはとは
小さい頃から、将来産むであろう我が子をどう育てるかを一生懸命考えながら生きてきた。両親よりも良い親になろうと。
良い親だと思う。いろんな習い事をさせてくれた。頭が悪い私のために、特技を身につけさせようとしてくれた。何もやりたがらない私の手を引っ張って、いろんな経験をさせてくれた。正直すごいお金をかけて育てた子、それが私だと思う。
しかし私はそんな両親の期待を裏切った。今の私は、勉強もできなければコミュ力もなく、要領も悪い。おまけに容姿も良くない。
将来的に1人で生きてくのは無理だろうと思い、結婚して夫に頼ろうと思っていた。子供はできれば25歳前に産みたい、遅くに産むと障害を持つ確率が高くなるから。
そんなふうに半年前まで考えていた。
しかし考えは一変した。
今日22歳になった。
私は子供は生涯産まない、と心に決めた。
第一に。私なんかのDNAを受け継いだらかわいそうだからだ。頭が悪く容姿も悪く、取り柄がひとつもない。おまけに性格も悪い。
こんなふうに生まれたくなかった。親には育ててもらったことは感謝しているが、産んだことには感謝していない。
それから経済的に子供を育てていくことが無理だということ。将来予想される私の収入では、自身の生活を支えていくことだって難しいのに、更にもう1人の分までとなると相当きつい。夫に頼ろうと考えていたが、それは傲慢だと思う。家族になるんだったら、それぞれで支え合っていかなくてはいけない。私が家事が完璧にできる人だったら話は変わるが、そうでもない。
また、子供を産んでからまともに育てていける自信がない。絶対マタニティブルーになる。今でさえ不安なのに、産んでからどうにもなるなんてありえない。精神的に弱い親に育てられたら、我が子がかわいそうだ。
でも子供は好きだ。子供は世の中にとっても大切だ。もし自分が将来経済的にも精神的にも豊かになったら、養子をもらいたい。それができなくても、何かしらの形で子供たちに貢献していきたい。
けど。だけれども。
最近知ってしまった。世帯を持たない独身女への世の中の視線を。子供を産まない女への仕打ちを。
私は、子供はペットのように軽い気持ちで産んで欲しくない。世の中に1つの命をもたらすというとても大変なことのはずなのに、それを理解していない人が多すぎる。
みんな子供を持つ事によるリスクを考えていなさすぎる。もし障害を持った子供だったらどのくらい大変か、赤ちゃんを育てることがどのくらい大変か、世間には子供に対してよく思ってない人がどれだけいるか。
チキンを使うカレーがあまり評価されていないようだったので、チキンを使うカレーの作り方を書いておく、チキンを使うカレーと言えばスパイスカレー(インドカレー)だ、
スパイスカレーは悪い意味で過大評価されている、つまりは、スパイスを混ぜ合わせるせいで面倒くさカレーと思われているのだ、これはいけない、スパイスカレーの利点は本来、調理がごく簡単なところにある、カレーは日々の料理だ、簡単なほうがいい、俺がスパイスカレーを作るのは非常に楽だからだ、
わりと凝っているインドカレーには、前もってホールスパイスを炒める工程だとか、肉をヨーグルトにつけておけだとかめんどくさい工程が沢山あるが、面倒くさい工程を出来るだけ省いて、出来るだけ少ない準備と手間で作る方法を書く、
《材料》
・たまねぎ 2個くらい
・鶏むね肉か鶏もも肉 食べたい分だけ
軽量という行為はめんどくさいので、できるだけ適当に書く、チューブじゃないほうが美味しいとかムラサキタマネギを使えだとか色々意見はあると思うが、慣れれば好きにアレンジすればいい、
・クミン
・塩
・サラダ油
一応スパイスカレーの名目なので、基本的なスパイスは面倒くさいと思うけど書く、恐れなくても、普通のスーパーや百均に置いてあるスパイスだ、
不満があれば、別にこのスパイスじゃなくていい、クミンさえあればなんとなくそれっぽくなるし出来合いのカレー粉を入れたっていい、
《作り方》
①タマネギを炒める
③スパイスと塩を加える
④肉を加えて炒める
⑤水を入れる
⑥少しだけグツグツさせたら完成
非常に簡単に書いた、これだけでスパイスカレーは完成する、簡単なものだ、みんなも是非作ってみてほしい、
ただ、これだけでは少しわからないと言う人もいるかもしれないので、この下にもう少しだけ細かくかいた作り方も併記する、併記して細かくしてしまった分のお詫びとして、手抜きの仕方も書くので許してほしい、もうわかったという人は、これでできるので作ってみてほしい、
✳︎
作り方(細かい版)
※(注意)フライパンで作る
(ポイント)
素早く、早くスパイスカレーを作るに当たって1番大事なポイントは、発想の転換だ、つまり、スパイスカレーというのは煮込み料理ではなく、炒め料理なのだ、
お前が大家族でもない限り、鍋でカレーを作ろうとするのはやめろ、フライパンで充分だ、その方が色々とはやく、手軽で済む、
①タマネギを細かくきざんでおく、肉を食べやすい大きさに切っておく
(ポイント)
タマネギを刻む、今回の料理の中で、1番つらく、めんどくさい工程だ、これが唯一の面倒くさポイントなので、ここくらいは乗り切ってくれ、
それすらも面倒くさいやつは、しょうがない、フードプロセッサーをポチれば、これすらも一瞬で終わる、Amazonで3000円ほどで買えるし料理への心理的コストが大幅に下がるので良い、
(ポイント)
温めてから油はひくものらしいが、めんどくさいなら気にしなくていい、油の量は多いかも?と思うくらいでいい、スパイスカレーというのはそういうものだし、この油が調理時間を短くしてくれる、それから火は強火にしろ、
③たまねぎを炒める
(ポイント)
よく言われる飴色になるまで炒めるという工程だが、心配しなくていい、強めに熱せられた多めの油はたまねぎたちをすぐにジュージュー言わせる、
こげそうで心配になるが、最初の20秒弱くらいは待って問題はない、少し待ったら、こげないようにヘラでだらだらかきまぜていく、
全体に軽く塩をふると、塩たちはたまねぎの水分をはやめに飛ばしてくれる、するべきだ、
もう一点ポイントだ、水分が飛んだなと思ったら、ほんの少量の水をさす、するとジュージュー良い音を立ててたまねぎたちが良い塩梅になってくる、
炒める→水を飛ばす→差水をする→水を飛ばす
この工程を2度ほどすると、ほんの数分もしないうちに、たまねぎが飴色になってくる、
(ポイント)
にんにくもしょうがも、チューブの腹を思い切り押して出たくらいを使えばいい、焦がさないように注意、
その後にトマト缶、出来るだけヘラで身をつぶそう、大丈夫だ、かき混ぜている過程でやれば苦にはならない、
水分を飛ばしたたまねぎにトマトの水分が出されてしまうので、飛ぶくらいまでやる、わりとすぐだ、ここまでずっと強火のままだ、(手を休めたいときだけ弱火にすればいい)、
③クミン、ターメリック、コリアンダー、チリペッパー、塩を加えて炒める
(ポイント)
順番も、量もあまり気にしなくて大丈夫だ、ただ、スパイスを使うときは焦げやすいので、火を弱めてもいいかもしれない、
容器のままで、なんとなくふりかけていい香りだな、と思うくらいでやめればいい、あとから調整できないこともないし、スパイスは足しすぎてもひどい味にはならない、辛味の素はチリペッパーなので、辛いのが苦手な奴はそれだけ注意しろ、
塩は、多いかも?と思うくらいより更にもう少し多めにかけろ、それくらいが適量だ、まぁこれも、足りなければあとで足せばいい、
④肉を入れて混ぜ合わせる
(ポイント)
肉を入れたら、タマネギを入れて混ぜ合わせていたままの要領で、混ぜ合わせていく、肉に軽く焼き目がつくくらいがベスト、
⑤水を少し入れて煮立てる
(ポイント)
水を少し入れる、炒めた食材の半分ちょっと浸かるくらいだと思う、3.4食分で、だいたい100ccくらいだろう、
大事なことはこの水は煮立てさせるということだ、強火にして、グツグツ言わせろ、沸騰するのは水の仕事だ、わりとすぐ仕事を果たしてくれる、お前の仕事は、食材をこげないように、なんとなく混ぜておくことくらいだ、
⑥水を加える
(ポイント)
この時加える水の量は、簡単だ、お前が完成する時に想像するカレーの量か、それよりほんの、ほんの少しだけ多めにいれればいい、
今度はグツグツ音がしてきたら、沸騰させる必要はない、弱火にしよう、
⑦味見をする
(ポイント)
こんなの本来は工程でもなんでもない、だが、スピード特化で料理を作るやつほど、この工程をサボる傾向にある、
テキトーな分量とテキトーな工程でカレーを作っているやつの明暗を分けるのは、味見だ、味見ですべてが決まると言っても過言ではない、
いまお前の目の前にあるカレーのようなものは、実は、カレーであってカレーではない、味見をしてみてわかったと思うが、まだ味が落ち着いていないはずだ、あるいは、失敗してしまったと思うかもしれない、
大丈夫だ、スパイスカレーが適当でも作れる理由は、実はここで調整ができるという点にある、
味が足りなければ、塩を足そう、スパイスではない、スパイスカレーの味は塩にある、さっきの工程で俺は塩を多めにと言ったが、最初はびびって少なめにするのはよくあることだ、塩を足せ、
逆に味が濃ければ、水を足せ、良かったな、4食分と思ったカレーが、5食分になったぞ、お前は明日のことを恐れて、おかわりを我慢する必要がなくなった、
もし、塩を足しても、味が足りない、もしくは水を足しすぎて量が増えすぎてしまったというやつには、ウルトラCがある、水を飛ばせ、
火を弱めずに、そのままグツグツ言わせて、水を飛ばせばいい、さっきやった工程と一緒だ、なにも損なわれない、安心しろ、
最後に、なんとなく、カレーっぽさが足りないと思ったらスパイスを足せ、辛さが足りない場合はチリペッパーを、スパイスカレーの香りが足りないと思ったらコリアンダーを、カレー本体のカレー味が足りないと思ったらクミンを、それかなんとなくターメリックを足せばいい、簡単なことだ、やりすぎても問題はない、
⑧少しだけ煮込む(待つ)
(ポイント)
炒め料理とは言ったが、少しは煮込む、といっても5分〜10分でいい、暇なやつはもう少し煮込んだっていい、人それぞれでかまわない、皿やテーブルの準備をしたり、まな板などを洗っていればすぐ経ってしまう時間だ、
味見の工程があったが、当たり前だが、カレーをグツグツさせているときは味が安定しない、あそこでどうしたって正解に辿り着けず絶望しても、煮込んでみたら全然うまいということはよくある、味が落ち着いたな、と思ったら火を止めよう、
また、これは完全な余談だが、ここで生クリームとバターを少し加えればバターチキンカレーになる、なんだか満足できないやつはそれにすればいい、簡単な話だ、
⑨完成
(ポイント)
最近全くやる気が出ない。仕事だけでなく、生きること全般にやる気が出ない。
コロナのせいで外に出るのも憚られるし、もともと出不精なので、外出しようという気にならない。気合を出して自転車で街を走っても何も気が晴れない。食欲もかなり減っている。睡眠は取れてるもののかなり不規則だ。
タイミング的にコロナのせいにしているが、恋人とうまくいっていないとか仕事で認められるのが難しいとか、そもそも自分には何も無いなとかがいっぺんに積み重なってくる。
生きるための食事や家事が本当にめんどうだ。楽なのでウーバーイーツがあってよかったけど頼んでもあまり食べられない。
コロナの前はもっと楽しみが多かった気がする。お酒の席が好きな自分は友達と他愛のない話をして、グラスの氷を転がすのがストレス解消だった。恋人とも時折映画を見に出かけた。
友達や恋人との交流が減り、リモートワークで代わり映えしない家にこもるばかり。ダラダラと同じゲームを延々としたりYouTubeを見るくらいしかできない。まるでゴミ。
うまくパッケージの袋を開けられないとか些細なことでもいちいち落ち込む。仕事に手を付けたらいつもやっていることのはずなのに、マルチタスクの業務を何からどうやっていいかわからず数分混乱した。
単に生来の怠惰とダウナーになる時期が重なっただけなのだと思っているが、仕事を始めようにも頭痛と吐き気が出てくるし、なんだかなーと思っている。
医者にかかるのはただの怠惰判定されそうで怖い。病気であっても怖い。でもこのままの状況が続くと自分を責めてどんどん陰鬱さが増していきそうだ。
http://alger-roi.fr/Alger/enf/ecoles/pages/10_enf_gym_60_lebaz.htm
https://www.alamyimages.fr/la-gymnastique-dans-les-annees-1950-la-formation-des-jeunes-femmes-de-la-gymnastique-avril-1954-suede-image224244117.html (訂正。スウェーデンらしい)
やや短パンっぽい。
中国、台湾、韓国と、翻訳にかけて体操着を検索したが、ジャージ姿しか見当たらなかった。
意外なことに、英連邦や共産圏以外にもショーツ型ブルマーが存在していた。
調査により提灯ブルマー及びショーツ型ブルマーは日本のみならず、ヨーロッパやオセアニアにも広く分布していた時代があった。驚くべきことに、ショーツ型ブルマーはナチスの時代にまでさかのぼることが分かった。
つまり、規律や集団行動を重んじる文化圏の外にも、ブルマーが存在していた。つまるところ、ブルマーというのは全体主義の産物ではなく、全く別の理由で広まったものと思われる。
女性が身体を自由に見せる権利の広まりとともに、レオタードや水着姿になる自由の一環として、広まったのだろうか。それとも、逆に美しいとされる身体を見せることを強要されたのか。これだけでは判断することはできないし、両者が混在していることだって考えられる。ここまで踏み込むには、私の知識がまったく足りない。
今回、私はショーツ型ブルマーの世界的な広がりを確認することができた。しかし、これはあくまでも定性的な研究であり、まったくと言っていいほど定量的ではない。すなわち、各地域で、何年から何年までブルマーが使用されていたのか、採用された学校は何パーセントに及んだのか、といった情報が完全に欠けている。
それに、ブルマーの採用は全国的に強制されたものであったのか、学校ごとの裁量に任されていたかも明らかにできていない。下手をすれば、上であげた国家についても、私立の数校でブルマーが採用されていたにとどまる可能性がある。また、バレーボールの授業のみブルマー着用、というケースも考えられる。もしそれが正しければ、常にブルマー姿だった日本は特異的な地域になる。
また、ブルマーそのものがどのような素材で作られていたのかについてもわからないし、どこからが提灯ブルマーでどこからがショーツ型ブルマーなのか、明確な基準を以って調査はできなかった。残念ながら、不鮮明な白黒の写真に頼らざるを得なかったためだ。
課題は他にもある。今回、ブルマーが存在していない地域をいくつか挙げたが、何かが存在しない証明は非常に困難だ。
加えて、ブルマーがその国にどのような文化的インパクトを与えたかについても不明だ。女性解放のシンボルであったのか、フェティシズムやノスタルジーの対象であったのか、おそらく多数の記事を読まなければならないだろう。例えば次のチェコの動画からは、何かの余興なのだろうか、ノスタルジーやユーモアというニュアンスが感じ取れる。
https://www.youtube.com/watch?v=HT0k1Jr8uwM
また、共産圏に多く見られたが、レオタードもまた体育で広く用いられている。ブルマーとは分布が相補的なのか、そこが気になった。たとえば、党大会か国民の体育大会かわからないが、多数のレオタード姿の女性が集っている動画が多数あった。
https://www.youtube.com/watch?v=MteXGWpSH9k
長くなってしまったが、今回は以上である。私の研究は、あくまでも大まかな方向性を示したにとどまる。だが、歴史を過度に単純化する考えから少しでも自由になれるのなら、これほどありがたいことはない。
それにしても、どうして下着同然のショーツ型ブルマーが採用されたのか。思い付きでしかないが、ジェネレーションギャップによるものかもしれない。
例えば、「サザエさん」や「となりのトトロ」では、少女がパンツ丸出しで駆け回っているが、当時としては性的な含みはほとんどなかったものと思われる。「サザエさん」は舞台が博多から東京に移ってからは昭和26年以降、「となりのトトロ」は昭和30年代前半が舞台である。おそらく、当時は下着が見えていても、お尻丸出しではないから構わない、という感覚だったのではあるまいか。
そして、もしもショーツ型ブルマーが広がったきっかけが東京オリンピックだったとしたら、それは昭和39年前後のことのはずだ。つまり、この戦後生まれが大人になった頃である。当時の教師たちが、「サザエさん」「となりのトトロ」世代の子どもたちであっただとすれば、ショーツをはいているのだから、ショーツ型ブルマーはまったく恥ずかしいものではない、と思い込んでしまった可能性がある。
一方、それ以降の子どもたちは、下着は見えては恥ずかしいものだという意識に目覚めていた。正確な年代は、「パンツが見える。――羞恥心の現代史」に当たらなければならないだろうが、羞恥心の世代ごとの差が、ショーツ型ブルマーとその軋轢の遠因なのではないだろうか。
たとえば三角関数なんか教えても、それを使う人は全体の0.1%もいないだろう。
そもそも、ほとんどの生徒や学生は積極的に教育を受ける気がない。
こんなものに税金を費やすのは無駄である。生徒にとっても教員にとってもメリットがない。
こんなことは、誰もが感じていることのはずなのに、反対意見が根強い。
一般大衆が教育の必要性を説く理由なんて一つしかない。そっちの方がかっこいいからだ。
たとえば、科学技術を批判して自然環境保護を主張したり、人権や民主主義の名のもとに政府や警察を批判するのは、何だか進歩的でかっこいい。しかし、こういうことをしている連中の大半は、それを専門的に論ずるだけの知識を持っていない。要するに、インテリぶっているだけなのである。
※この話は一応現実のものとして書いてありますが一部えっそれガチで言ってるの?と思われそうな箇所が多々あります。
※長いですし文章も下手なので読みにくいと思います。記憶もおぼろげな部分もあります。ご了承ください。
※いじめやストーカーなど胸糞悪い話ばかりで救いがあまりないですがそれでも大丈夫という方はどうぞ
登場人物紹介
私:かれこれ十数年以上オタクやってる同人女。二次元から三次元までいろいろ手を出してる。BLでもなんでも好き。かわいくはない。
友人S子:高校の友人そのいち。かわいい。鹿の間ちゃんに似てる。
友人Y?:M美の友人。一応友人(?)
職場の女M:年上そのに。
高校の友達二人S子Mと地元の遊園地で行われる合コンに行ったことだ。
その日は何故か深夜までカラオケで遊び、後日また会うことになった。
このときイケメンに舞い上がっていた私はあろうことかそのイケメンにアプローチ(?)をかけようとする。が、拒絶される。(当たり前)
拒絶された理由はS子だ。S子はいつの間にかイケメンと付き合う流れになっていたのだ。何故言ってくれなかったのか。そう思った私は思い立ってS子含め五人全員をLINEブロックすることにした。
(余談だが五人をブロックする直前、私は職場でパワハラにあっており、そのパワハラ同僚の特徴が自己愛性人格障害とピッタリ合った。それで五人のグループLINEで自己愛みたいな人に気を付けるんだよと最後にLINEし、そのあとすぐブロックをした。これがあとになってヤバいことになる原因とはいざ知らず……)
ブロックをした次の日、めまいが酷く立ち上がれなかった私はその後メニエール病と診断されることとなる。(余談)
めまいが30秒から1分おきにやってくる症状のせいでまっすぐに歩けなくなった私はそれでも外出し、本屋に通ったりしていた。
その頃だろうか。周りで変な輩が出没するようになったのは。
ある日映画をレンタルしようと本屋をうろついていると、前の方からにやにやしながら私の歩き方を真似してくる男がいた。すぐに不審者がいるなあと思った私は無視をした。男はいつの間にかいなくなっていた。
その後、勢いでブロックしたことを反省した私は(友人も少なかったこともあり)再び五人と連絡を取り合うことにした。まずはと友人Yに連絡をし、映画を見に行くことなった。映画を見終わった後、私のインスタのアカウントが何故かS子とMにフォローされており(二人のアカウントは非公開になっていた)何だか気味が悪かった私は友人Yにそのことを言うと友人Yはそう?と笑って流すだけだった。(周りでは右のテーブルも左ものテーブルも私たちの話題を出しており、少し怖くなった。が、偶然聞いていただけだろうと流した)そのあと、連絡をもう一度取り合いたいという話をした。
その頃、新しく入った職場にYという男がいた。Yは何故か私に謎のアプローチをしてきており、それをなんとなく気づかないふりをしていた。
新しい職場に慣れたおかげかどういうわけかめまいから復活していた私はあちこち出かけていた。その一つにリサイクルショップがある。そこへらんま1/2がないか探しにきたついでにBL本もちらっと見たときだ。男二人組がにやにやしながら私が見ていた本棚を見て何か喋っているのを見かけたときは。そのときは珍しいけど腐男子かな?とスルーしたのだけれど、その後移動した私はその二人組がついて来ていることに気付いた。気のせいだろうと何度か立ち止まったりあちこち移動したがまだついて来ている。気味悪く思った私はとりあえずお目当ての商品も見つからなかったことだしと帰ることにした。そのあとすぐに友人MにそのことをLINEすると気のせいじゃない?(笑)と返ってきた。
と、ここまでは気のせい程度に感じなかった出来事がここからだんだんとえ?おかしくない?どゆこと?になってしまう。
ある日私はS子と県外へ遊びに来ていた。昼食時、喋っていると「かわいい」と連呼する女の子二人組がいた。ちらっと見るとこっちを見ていたので多分S子を見て言ったのだろうと思いスルーした。
その頃私は合コンに一人で行こうと急に思い立ち、何度か通っていた。仕事にいらだっていた私は眼鏡の男に酷く当たってしまう。男と行った公園で道行く人に何故か、「かわいい」と連呼される。そしてもう彼女だと勘違いしていた男をフッて、そして最後に行った合コンで私はやっぱり何かがおかしいなと強く感じるようになっていた。急に知らない男にお疲れ様ですと言われる。このときに何回言われたかわからないくらい言われ、なんだこいつらとビビる。その日の帰り、駐車場の近くを歩いていると、にやけた顔の男二人に「あ、あいつじゃね?」と言われ何故か頭をペコリと下げられた。まあどうでもいいかとこちらも頭を下げて流していたが段々と流し切れなくなっていた。
あと映画見に行ったら途中で泣いてたのを見られ(真っ暗の中をポロっと泣いただけ)女二人組にあいつ泣いてたよ(笑)と罵られた。映画中人の顔見てたのか?と帰ってからちょっと怖くなる。
職場の話に戻る。職場の同僚Yが謎のアプローチをかけてきていたという話だったが、ついにその話に乗ってしまう(?)LINEで話を聞いてみたのだ。よくわからんけどどこか行こうか?的な話を持ち掛けたのだと思う。そうすると彼は何故か私を突っぱねて何それ?お前なんか知るか。確かそんな感じで話は終わってしまう。何故か?頭がはてなになった私は次の日ちょっと不機嫌気味に彼に接した。すると彼はその日から逆アプローチをしてくることになった。私のミスをいちいち指摘したり電話を何度もかけてきては出ないということを繰り返したのだ。いままでの態度と打って変わった彼を私はこいつは自己愛性人格障害と決めつけ、職場の一人の女性Yにこいつは自己愛性人格障害だから~とLINEで言いふらした。彼女は何それ(笑)と軽く流した。その頃、疲れた私は友人Mと映画に行き、焼き肉店で職場のYとMがヤバいという話を冗談交じりで話した。そのあとじゃあね、と友人Mに意味深に笑われた。その次の日から何故かMからのいじめもはじまった。職場の男Yが私が通うジムに同じく通いはじめたらしく、もうストーカーだよと職場の女Yが言っていた。Yも何故かどんどんおかしくなり、職場で妙な笑い声を出したり、Mと一緒に私でない他の人の悪口まで言い出していた。Mは真冬に冷房をつけてくしゃみをしていた。その後もMやYによる私の荒探しは続き、ついに仕事終わりのジムで私の仕事のミス(に見せかけてそうでもない話)の話の最後にもうやめれば?と書いてあるのを見た私はなんだかめんどくさくなり仕事を辞めることにした。
辞めたすぐあとに映画へ行こうと車のエンジンをつけたらすぐ近くの高架下でエンジン音が鳴り響いて真っ暗な中からライトつけた車が後ろに来てビビり散らしながらいつもとは別の道で映画館のレイトショーに行くと、男二人と謎の臭い男がいた。(謎の臭い男はYと後に判明する)男たちはあいつ喪女なんだよ~的なことを言ってこっちをちらっと見て無視かよと言い、いつもの祈るポーズ(よくやっちゃう)をしてたらあいつ祈ってるの?と笑われた。帰り際「県中に噂ばら撒いてやる~ぶっ殺す?」的なことをサラッと言われる。
その後、東京で行われる好きなアーティストのライブに行きたかった私は短期派遣に行くことにした。それが地獄を見ることになる原因になるのも知らずに……。
その日短期派遣の職場に行った私は、そこで会う人が会う人が最後の合コンで会った人が多いなと思っていた。もちろんそれ以外にもいるのだけれど結構大きな職場だったのでまあそういうこともあるかと流していた。
初日から私の椅子の近くであれがだめだこれがだめだと私の悪口を喋り続けていた。それが前の職場Y、Mの小言そっくりなのだ。真夏に暖房つけるところもそっくりで知り合いでもいるのかと疑った。
その後いじめはエスカレートしていき、ついに私のロッカー(その頃気が狂いだしていた私はロッカーの鍵を何故か二回回していた)の中のスマホの中身を見られたのだ。スマホは不幸にも鍵がかかっておらず、LINEやR指定の三次元小説などを全部見たらしい。「全部見たよ~あははは~~」みたいなことを言っていた。そのあとも精神のバランスは崩れ、めまいが再発していたのだがそれでも意地で通い続けようとした。あとはいろいろあったので箇条書きにしておく。
・辞める電話をかけようとエントランス近くをうろついてたらどこいったあいつ?あっいたー!と大声で叫ばれた。猿かお前は。
・猿女が携帯持ち込み禁止の職場に携帯を持ち込んで犬の音声を流し、コタロウコタロウ、と犬の名前を?連呼していた。何事かと思ったがその次の日に親戚の可愛がっていた犬(名前はコタロウ)が謎の失踪を遂げた。
・椅子を汚いのに交換される。
・マウスを触ったら汚いと言われ無言で同僚にマウス交換される。
・映画のタイトル名を出され、よっぽど好きなんだねと言われる。(劇場内は三人しかいなかったがそういえば一人こっちを見て笑う変な女がいた)
・辞めようとしてジムに行くと猿女が自慢げにこの人を職場でいじめてるんだ!みたいなことを言っていた。
・ホームセンターへ行くとまた職場の人が偶然通りかかってお疲れ様です(笑)と言いながら去っていった
・ペットショップに行ったら男女二人組が犬の前でずっとわざとらしい笑い声をあげていて通りかかるとこっちを真顔で見てきてまた笑い声を出してた
・休む連絡を入れるときに事務職の人から謝った方がいいよと諭される。
ついでにまともだと思ってた二人から電話越しに笑い声を上げられお疲れ様です(笑)みたいな感じで電話を切られる。
・食堂からどんどん人がいなくなる(いじめる奴か面白がってる人?しか残らなくなる)
・あまりにも辛いのでつい気が狂って音楽聞きながらご飯食べてたら何聞いてるのって後ろでうろうろ何往復も歩かれた。
・トイレの放尿音を録音される。(まともな人が電話越しに報告?してくれた)
・同じ仕事をしている同僚の一人には仕事を早くする方法を教え私には教えなかった。
などなど色々あったが仕事は辞めることにし、病院に行くことにした。
・病院一個目に行ったら近所のおばさんらしき人が私を見てにやにやしながら何事かを言ってた(何も悪くないのに病院に来てたらしく看護師さんに追い返されてた)
・病院二個目で問診票を書いている間、周りにいた人に音読され、一緒に来ていた姉と母に問診票を見えないように隠された。
・めちゃくちゃ睨んでくる作業着の男の人がいた。無視してたらフンって風に去っていった。
・ベビーカーを引いた女の人がおばさまと待合室で喋りだしたが受付に行く気配がなかった
・同時期に短期派遣に入ったまともな人がこの惨状を見てエレベーターのボタンを連打して逃げて行った。そのあと姿を一回も見てない
・猿女がポテトヘッド(笑)と馬鹿にしてきた(私の部屋にはポテトヘッドがいる)
・しなくていい残業をさせ、一回でも仕事の確認を忘れようものなら終わった…と言いいちいち監視をしてくる(?)
ライブに行く前に、急に京都へ祖父の納骨を私父祖母の三人で行くことになった。
偶然繁忙期なのに一人ずつ部屋が空いているホテルがあり、そこへ泊ることになった。
久しぶりに旅行が出来ると浮かれていた私は後にテンションがだだ下がりすることとなる。
つづく。
復職後は職場も変わって仕事できてたけど、やっぱり仕事が増えてストレスが増すとしんどくなる。
(仕事増えてしんどくなるのは別に鬱じゃない人もそうだろうけど。)
俺は仕事増えれば増えるほど残業がそのまま長くなるんだけど、だんだん残業が自傷行為になってるって気づいた。
残業するともちろん仕事終わるからそれはそれでいいんだけど、残業って本当はやりたくないことのはずなんだよ。
でもさ、夜遅くまで残業してると、哀れな自分ってキャラクターが浮かんできてみんなが哀れんでくれる気になってくるんだよ。次の日にちゃんと成果出したら上司や同僚がこいつどんな仕事もこなせるじゃんって認めてくれる気がするんだよ
それがすごい気持ち良い。みんなが本当にそう思ってるわけないのに。
残業するとみんなが頑張ってる俺を哀れんで認めてくれるような気がして仕事してるんだよな。
でもそんなことなくて、そういう風に自分を納得させてるんだよな。そんで、また働くとよりしんどくなって、さらにそんな妄想をしだす。。
なんかさ、やっぱり働きすぎると良くないよな。そんなバカみたいな考えになるんだよな。
わかってるんだけど、抜け出せない。
こないだ、てか先週金曜会社早退したのね。なんかもう働けなくなって。早退するときに体調悪いって言ったら、コロナ?とか言われたから、ちがうんです、精神的に辛くてって素直に言ったのね。
え!?とか驚かれたけどそのまま帰ったのよ。
だから、たぶん明日何か言われるんだろうけどさ、なんか怖いよな。何言われるんだろう。
急にメンタルおかしくなって急に帰る社員とか、仕事任せられないし、干されるんだろうか。
鬱で休職した時点でもう駄目だったんだろうけど、なんか決定的な気がする。
でもそれは逆に会社にしがみつくタイプの窓際族になれるから、いいのかも。ルーチンワークでエクセル叩く人生もありかもしれない。
https://not-miso-inside.netlify.app/blog/better-stop-watching-vtuber/
これとか、
https://note.com/wasasula/n/n569e015f6f81
これとか、それぞれのブコメとか、
で、Vtuberはリアリティーショーだと言ってみたり、それに反論したり、Vtuberなんてキャバ嬢だと言ったり、馬鹿な女をおもちゃにして楽しむコンテンツと言ったり、それに反論したり、してるわけだけど、、、
えっと、まともに考えると、「Vtuberもリアリティーショーと同じだ」という危惧は、Vtuberで木村花さんみたいなことが起こってほしくない、ということのはず、だよね?
つまりVtuberが傷付いたり、それによって自殺を選んだりすることを危惧している訳だ(でなければリアリティショーと同じ構造を持っていることは悪い意味を持ちえないし、それを危惧することも論理的にできない)
しかし、一方で、そう言う危惧を伝えるための文章やそれへの反応で、「キャバ嬢」や、「馬鹿な女」という言葉選びをする。
えっと、、、、良く分からないんだけど、君らは彼ら彼女らに傷付いて欲しいの?傷付いて欲しくないの?死んでほしいの?死んでほしくないの?
いやもちろん人それぞれだと思う、傷付いて欲しい人もいれば傷付いて欲しくない人も居るだろう、
ただ、傷付いて欲しくないと言い(リアリティーショー化を危惧し)ながら、傷付ける為の言葉をわざわざ選んでいる人は、一体何がしたいんだ?
俺がアホだから、またはVtuberに詳しくないから分からんのだと思うんだけど、
例えば、あなたの言葉を見てVtuberが傷付く事はあり得ない事なんだろうか?そういった傷付きが蓄積して(勿論同じような事を言ってるのはあなただけではない)最終的に死を選ぶことは本当にあり得ない事だろうか?
俺は、全然あり得ない事ではないと思うよ。
木村花さんの件の様な事が起こることを危惧しながら、それが起こることに加担する行動を取る、というのは俺には理解ができん。
あなたの言葉でVtuberが傷付かないとあなたが思ってるとしたら、それはどういう理由からだろうか?
Vtuberの中の人は心が強いから?(5000人以上いるらしいけど全員が?)
心が強くないVtuberはVtuberで居るべきでないから自分の言動は正当化される?(マジで言ってる?例えそうでも傷付けることは正当化されないのでは?)
自分の批判対象は悪いVtuberだから問題無い?(悪いVtuberとは?どういう行為が、傷付けられることも正当化されるような悪なんだろうか?)
自分は事実を言ってるだけ?(事実かどうかと傷付くかどうかは別問題では?また、事実なら傷付けてもいいという前提の中で木村花さんの件を十分に批判し得るだろうか?)
事実を言われて傷付く方が悪い?(同上)
自分の批判対象は自分の嫌いなVtuberだけだから大丈夫?(嫌いだからって傷付けてはいけないのでは?また、そのような前提で木村花さんの件を十分に批判し得る?)
自分は現在のVtuber業界の構造を危惧している?(で、その為にその過程でVtuberを傷付けることは正当化される?またわざわざ傷付ける言葉を選ぶ意味は?)
お前はVtuberを人質にして言論を封殺してるだけ?(俺がそうだとして、そう言う理由であなたがVtuberを傷付ける行為を正当化できるの?俺の行為の倫理的評価とあなたの行為の倫理的評価は別個に下されるべきでは?)
全ての回答を事前に予想する事は出来ないけど、俺の根本的な疑問はこうだ。「あなたはどのような条件を満たせば、誰かを傷付ける行為を正当化できると思っているの?」
最初に挙げた2つ目のリンク先では、1つ目のリンク先は「自傷行為」だと言われてた訳だけど、
恐らく「自傷行為」だけには還元できない、他にもいろんな動機があると思う、そこは見逃されるべきじゃない、ただ、
それが自傷行為という要素を一切持たないかどうかは考えてみて欲しい、それで、あなたは傷付いたにせよ、その自傷行為にVtuberを巻き込んで一緒に傷付けてしまう事をあなたはあなた自身に対して許すのか、考えてみて欲しい。
(または1つ目のリンク先のタイトルが「オタクも」と、オタクを批判しあるいは傷付ける事を目的としているように見える点も気になる、その場合も同じ、その行為にVtuberを巻き込んで一緒に傷付けてしまう事をあなたはあなた自身に対して許すのか)
上の?の連続を書いていて思ったのは、あなた達はもしかしたら、Vtuberを考える上で自分自身を透明化していないか?という事だ。
あなたは他者の行動や業界の構造の是非を問う事が出来る、でも、その是非を問う言動やその為の文章それ自体が倫理的な是非を問われる側にもいる、という事を忘れてしまっていないか?
あなたは透明ではない。従って、あなたの言葉は誰かを(つまりVtuberを)傷つけ得るし、その事の倫理的な是非を問われる立場にもいる。その事を忘れるべきじゃない。
あなたはあなたの行為をあなた自身に対して許すのかを考えるべきだ。
自分の数少ないVtuber視聴体験だけでも、例えばVtuber達がFPSや麻雀で素人の俺では到底敵わないプレイスキルを見せていることを知っている。分かりやすい授業をネット上に公開し、プロ顔負けのオリジナルのラップ楽曲をリリースし、視聴者のセクハラに声を挙げ、男性が女性になり、リアルに嘔吐し、大喜利をし、動画を編集し、膨大な悪意に直面し、虫を食べ、彼氏バレを越え、世界観を考察させ、常人ではちょっと発想も出来ないサイコな映像で海外にもバズった事を知っている。そう言う全てを「キャバ嬢」「ガワを被った生主」「馬鹿な女」という言葉に還元して「無かったこと」にしてしまう、無に帰すことをあなたは自分自身に許すのか、それが倫理的に問題が無いのか、考えてみるべきだ。
(勿論、自分はVtuberを追えていると言えるほど追えていないので、そう言う言葉に還元して無かったことにするべきでない事は他にも恐らく一杯ある)
かなり長くなってしまったが、他にも拾えていない論点は一杯有る。例えば、あなたが木村花さんの件の再発を危惧しているのだとして(でなければリアリティーショー的であるとの指摘は論理的に批判たりえないのだが)、それがリアリティーショー的である物へ危惧に繋がるのだとしても、同じく根本的な原因であろう「特定の人物を傷付けてもいい」理由の作出という問題については存続することを許容しているのではないか(でなければ、あなたがVtuberを傷つけ得る言葉選びをしていることを正当化できないのではないか)という点はかなり根本的な問題であるように思う。
あなたがVtuberを傷付ける事をあなた自身に許す以上、そこには「特定の人物を傷付けてもいい」理由が無ければならない、しかしそのような理由の作出こそが木村花さんの件を招いたのだとしたら、木村花さんの件の再発を危惧しつつその発生に寄与した現象を自分で再演することには大きな矛盾が有るのではないか?
また、全然別の論点として、そもそもこのような、キャラクター(と、ここでは敢えて表現するが)に対する言動の倫理的な是非をここまで切迫して問われる、という経験自体、生の人間がキャラクターを突き破って来るというVtuber体験に特有の物ではないか、というのもある。
確かにフェミニズム的な観点からこれまでも問題化されることは有ったにせよ、比較的自由にキャラクターに対して接していたオタク達が、同じやり方でVtuberに接したとき、セクハラだとして声を挙げられたり、苦言を呈されることがある(正直に言って、十分に起こっているとは言えないし、セクハラに対してはもっと同じ反応が有るべきだが)。
それもまた「生の人間」の発現である訳だが、それに対し、Vtuberの生が出る事を忌避し、キャラクターやロールを演じることを称揚する方向が、セクハラの糾弾(という「生」の発現)への抑圧にならないか、という論点はもっと語られるべきだろう。
果たして、一人の人間を、非人間的な役またはキャラクターのままでいる事を要求する態度と、その者の役やキャラクターから逸脱する人間の側面の現出を許容する態度と、どちらがリアリティーショーや、木村花さんに誹謗を浴びせた人達に近いだろうか?
その他様々な論点が置き去りになっては居るが、それはともかく、
最後に問わねばならないのは、この文章を書く俺自身もまた透明では無いし、従ってこの文章やそれをここに書く行為そのものも、俺が自分自身に許すか問わなければならないという事だ。
今一度読み直してみて、俺は許す。
あなた達を過剰に馬鹿にする言葉選びはしなかったつもりだ。そもそも俺はあなた達を馬鹿だとも根本的に悪だとも思っていない。自分の行為を透明化せずに自分に許すかどうか問う、という事をしさえすれば、他人を不当に傷つけないように振舞う事が出来る人達だと信じているし、だからこそこれを書く。
俺は自分が一番かわいくて賢くてお気に入りの生物すなわちKKOだと思っているから、子供を作って情が湧いてしまうことを避けるために結婚をしないようにするために社会に出て働くこともせずその他の出会いも起こらないように引きこもるだけでなく大学も中退して旧友とも連絡を断っているという超絶賢いムーブを敢行した結果立派なKKOになれている。けれど君のように他者の為に人生を賭する人々を侮りはしないしむしろその精神は尊敬に値すると思っている。そこまで卑屈になることはないだろう。俺が想像でしか描けない家庭での幸せというのを俺の想像以上のスケールで実体験してきたのだろう。それは尊いことのはずだ。その体験を継承していくために頑張って生きてくれ。俺は頑張らないが気にする必要はないだろう。決して交わらない道だ。では健闘を祈る。
「不要不急の外出自粛を」「不要不急の外出は厳に控えていただくよう強くお願い」
なんという嫌らしいやりかた。
おれはこれで対策をした、もし感染拡大したら外出した奴のせい、おれは悪くないもんね、という心の声が聞こえる。
目的を言え。どこまで減らしたいのか。どの時期までやるつもりなのか見通しを予想でも言え。
不要不急とは、どこまでのことを指すのか具体的に言え。
また、報道のタイトルではほとんどで、外出自粛のお願い、くらいしか書いていない。
なかには外出自粛「要請」に増幅させて報道しているところさえある。
みんなで一緒に引きこもってウツになるのが良い事だ、と思い込んでしまう。
要請したいのはそれではない。不特定多数の人との接触をやめてほしいということのはず。
ならば外出するなではなく、人混みへ行くな、が正しい。
というわけで、おれはひとりで桜を見に行こうと思う。近所で歩いていけるところだ。
もうじき散る。この桜を見ないで春を終わらせるか。
例の条例が成立しそうとのことで、いてもたってもいられずこの記事を書き始めています。
私は今、いわゆるゲームプランナーという仕事をしている人間です。
本当はゲームが作りたいんだけど、自分の家だったり、自分の学校だったりから、ゲームについて遊ぶ時間を制限されている皆さんに対して伝えたいことがあります。
残念ながら私はまだ新卒2年目のペーペーなので、以下の内容はベテランのゲーム業界の人達からすると馬鹿げていたり、ツッコミどころがあったりするかもしれません。
でも、一応紛いなりにもプロとして仕事でゲームを作っている人間として言いたいことを言おうと思います。
と言っても、言いたいことは一つだけです。
「ゲームで遊んでいない人間はゲームが作れなくなります。だから、ゲームを遊ぶようにしてください。」
あなたが本当に面白いゲームを作りたいならば、周りの人達がゲームに対してなにを言おうと、ゲームを遊ぶようにしてください。
絶対にそれはあなたの力になります。それを信じて遊んで、その場から抜け出したあとのための準備をしておいてください。
なぜこんなことを書き出したかというと、僕はゲームを遊ばなかった結果、ゲームを作るときに本当に本当に苦労しているからです。
少しだけ背景を話させてください。
実はわたしの実家はゲーム禁止家庭でした。どれぐらい禁止かと言うと1週間に1時間しかゲームを遊ぶことができませんでした。
もちろん、親がいない間にこっそりゲームをプレイすることはありましたが、1本のゲームをエンディングまで見るために2,3ヶ月かかるのは当たり前でした。
当然もっとゲームで遊びたかったのですが、親がとても怖く、自分の部屋にいることは禁じられ、親にものを壊されたことが何度もあったので、僕はゲームで遊ぶことを諦めていました。
そんなだったので、僕はゲームで遊ぶときはいつも簡単な難易度でしか遊びませんでした。
高難易度は時間がかかってエンディングまで遊ぶまでに時間がたくさんかかるからです。
そんな家から出て、ゲーム業界に運良く入ることができた私ですが、
高難易度のゲームを遊ばなさすぎた結果、高難易度のゲームを作ることができなくなっていました。
というのも、高い難易度のゲームを遊んでも[楽しい」と思うことが全くできなくなっていたからです。
なんでこんな煩わしいことをしないといけないんだ、つらい、苦しい、と思って、そこから楽しいにつながることがなくなってしまったのです。
これはとてもわかり易い例ですが、実際はもっとたくさんのゲームを作るときに苦労することがあります。
ゲームづくりは、ゲームを通して遊んでいるお客様にどんな感情を提供するか設計するものです。
さっきの高難易度も、遊んだ人が「難しいけど楽しい」という感情を持てるようにしたい、ということを考えて作ります。
周りのゲーム業界の人達は、ゲームを通してたくさんの感情を持った経験がある方ばかりなので、
今書いたようなことは教わらなくても知っていて、そういう感情をつくるのがとても上手なのですが(このあたり何を言ってるか分からないですね、結局僕はまだ理解できていないです……)、
なので僕は、自分だけ泣くことを知らないアンドロイドになったような気分で毎日仕事をしています。
もちろん、実家を出てから今までよりたくさんゲームをするようになりましたが、そんなものは雀の涙です。
会社の同期ですら20年以上ゲームを遊んでいた人たちです。勝ち目なんて全くありません。
同期はどんどん出世して、ゲームづくりの重要なポジションを担っていっています。いわゆるディレクターというやつです。
こいつはゲームで与える体験に対して責任を持つ、という役割なので、そういう役割を持つということは、一定以上ゲームで体験をつくることができるやつ、と会社に認められたということです。
僕も名目上出世っぽいことをしましたが、ゲームづくりの能力を認められたわけではなく、単に雑用をたくさんやってくれて優秀!お前いいやつだな!って感じです。
もちろん会社に認められたという意味で、これは嬉しいことのはずですが、もっとゲームをうまく作れるようになりたいと考えている人間にとっては、全く嬉しくないものです。
そして僕が雑用をしている間、ディレクターの同期は新機能の開発会議に呼ばれ、ゲームづくりに関する決定権を持って仕事をしています。
もっというと、実はゲーム会社に入ることすらすごく大変でした。
集団面接で「人生で一番遊んだゲームは?何時間?」と聞かれて、僕だけプレイ時間が4桁いっていませんでした。当然その会社は落ちました。
このとき僕は面接の後にぼろぼろ泣きました。なんでこんな気持ちになってまでゲームの会社に入ろうとしているんだろうと思い、悲しくて涙が止まりませんでした。
そんなのを何回もやった結果、今の会社に運良く拾ってもらいました。
ごめんなさい、なんだか途中から話がそれてしまいました。要は、昔ゲームをしていなかったことが原因で、僕は今とても苦労している、ということです。
大人がなんだかんだ言ったのに従った結果、僕は今とても苦労しています。皆さんにはそんな苦労はして欲しくなくて、この記事を書いています。
だから、やっぱり言いたいことは一つです。
「ゲームで遊んでいない人間はゲームが作れなくなります。だから、ゲームを遊ぶようにしてください。」
この記事を読んでいるみなさんはきっとゲームを作りたいと思っているんだと思います。
だとしたら、できるだけゲームで遊ぶようにしてください。僕みたいにならないように、ゲームで遊んでください。
もちろん、遊びすぎは良くないです。香川県の人たちが言うことも、全部間違っていると僕は言いません。
ゲーム以外にも面白いものは世の中に本当にたくさんあります。そういうのに触れるのもすごく大切です。
でも、ゲームを遊ばなさすぎると、おとなになってゲームづくりをするときに私みたいになっちゃうかもしれません。
できれば皆さんは、私みたいにならないようにしてください。
最後に、なんだか苦労していることばかり書いていると、「ゲームを遊ばないでゲームづくりをするとすごく辛そう。僕はゲームを遊んでこなかったからきっと苦労する、だからゲームづくりをするのはやめよう」と思っちゃうかもしれません。
実際辛いことは確かです。自分がつくるものは、周りの人がつくるものよりだめなんだってわかりながら仕事をするのは、本当に本当につらいです。
そんな状況でも僕がゲームづくりをしているのは、そんな辛さよりもこの仕事が楽しいと思えることが多いからです。
実際に色んな人が遊んでくれて、楽しいと言ってくれているのを見るのは本当に嬉しいです。
人生で初めて自分の作ったものが世の中に出たときは、嬉しくてちょっと泣いてしまいました。僕は泣いてばかりですね。
僕がつくるゲームはだめだめなので、上司に見せたときに渋い顔をされるのもしょっちゅうですが、
でもそういうことを繰り返して、だんだん自分が作れるものが面白くなっていく、色んな人に楽しいという感情を与えるものになっていくというのは、本当に嬉しくて、幸せなものです。
それと、これは関係ないかもしれませんが、ゲームを作ることが上手い人は、人の感情を作るのが上手い人です。
僕の会社は当然ゲームづくりが上手い人ばかりなのですが、そういう人たちは一緒にいて楽しい気持ちにしてくれる人が多くて、
そういう幸せな体験を仕事にすることを諦めるのは、もったいないと思います。
全国チェーンの某塾に勤務してる者だけど、うちも月曜から休みになった。
さっそく退塾する家が出てきてるけどそれも当たり前の話で、だって月謝の返金措置についていまだに本社から何も正式な発表がない。
今のところはストックしてあった教材をまとめて配布して家庭でできるだけのことをしておくよう伝えるとともに電話とかメールで定期連絡をしながら質問対応をしてるけど、それで普通に授業をしていた先月までと同じ月謝をもらえるわけがない。
本社に何度も「早く保護者に3月分月謝について何らかの説明をしてほしい」と要望を上げているが「予備の教材を渡して電話とメールで対応をしているのなら当面はそれで問題ない」との回答が一度来たきり。
正気かお前ら。
協議中なのはわかるし未確定の段階でむやみに途中経過を公表するべきでないのもわかるんだが、この状況で何もしないというのはあり得ないので「何かするべきなのは当然わかってるけどなにぶん初めてのことですぐに対応できなくてごめんなさい、どうすればいいか今一生懸命考えてます」ぐらいのことはせめて金曜までにはアナウンスしておかなければならなかっただろう。
退塾を申し出てきた保護者には「学校が休校になった今学習を中断することのデメリットの大きさを話して聞かせ引き留めろ」と言われているが、大抵の保護者はそんなことは理解できている。
要は迅速で適切な情報提示ができずにいる企業体質に対する不信感が噴出しているだけなのだ。
「月謝については真っ先に保護者に説明があってしかるべきことのはずで何度も説明を求めているが相手にされない、正直自分も本社の対応には不信感を抱いている」
ということを今日ぐらいからもう保護者ともあえて話すようにした(接触は避けているので個別に電話とかメールで)。そうしたら皆「先生もそう思いますよね。うちも本当は辞めさせたくない、先生がこちらの気持ちをわかってくれていると知れてよかった。とりあえずもう少し待って様子を見てみます」と言ってくださった。本当に感謝しかない。こういう人達の善意と期待を裏切りたくない。
死にた過ぎて。
私ってJKだけど友達もいないから、ストーリーに死にたいって書いても見た人を困惑させるだけで、大丈夫の一言も言って貰えないだろうから、しない。
私の周りの人間は、わたしが軽薄で、お気楽で、なんにも省みない態度をとってる時だけ優しい。
実際の私って、そういう生き方しか出来ないし知らないから、周りの人々の私の扱いは正当といえば正当なんだと思う。
基本的に人間って他人の中に自分に与えてあげるような真剣さを、切実さを見い出せない生き物なんだから、私みたいな共感性もない自堕落なだけの人間に共鳴して自分の何か一つでも与えてやる価値なんかない、使い捨ての暇つぶしの人間なんだ。その面においても需要が少ない。それでも私みたいな人間を求めてくれる人がいるって有難いことのはずなのに、求められることがたまに重荷になる。なぜなら、私を求める人があるとき、その人には必ず私に対して、私の先に何かを「求め」ているからだ。私が彼らの要求を破棄すれば、彼らも私を気味悪がって棄てていくだけだ。今私を知る誰しもの記憶から消えて、私が必死で私を守るために取り囲んで人達からスパンと切り離して貰えたら、誰にも少しも必要とされない人間として世の中に放り出されたらどれだけ楽だろう。最初から居場所を持たない透明人間として、都市を浮遊する。やがて夜が開ける前に霧散する。たまに死んだ人はすぐに忘れられると言うけど、私はそうやって忘れらることにこそ喜びを感じる。誰も私を思い出さなくなった時、現世での私は完結する。指をパチンと鳴らしたら、それを合図に私がこの世から消えて、誰も私のことを思い出さなくなったらいいと思う。17年この地球でこの日本で生きた私という生命体が一瞬にして消え、存在していたはずの事実が消え、人々の記憶からきれいさっぱり消える。私という存在がこの世にもたらすことが出来る事として、これ以上に美しいことは無い。
さっき、死にたいと検索して出てきたサイトではただ逃避したいという思いから来る死への欲求と鬱からくる死への欲求は別だと、書いておりましたが、私は死のうとして死ねなかった人のブログや文を見て大抵ガッカリしますよ。
だって、生きていることに感謝しているし生き延びられたのも何かの運で、今死にたいと思っている人は.......と続くともう読めない。勧誘の電話をガチャン!って切るみたいにうるさい!と撥ねつけたくなる。私が今必要としてるのはやっぱり「本当に死んでしまった人」の言葉なんだ。でもそれをなぞっていくのは苦しい。なぜなら自分の死への欲望も加速度を上げてしまうから。それも途方もなく。
最近、品川同性愛者殺人事件の記事を読んだら、犯人のこういう供述が載っていた。「当時の私は自由気ままで……我慢、忍耐、努力とか、ありませんでした…」
私は記事を読みながら、この言葉に大いに共感しました。私もそうだからです。
はっきり言って犯人である彼女はめちゃくちゃな人です。やっぱり、人間ある程度我慢や忍耐や努力出来ないとまともには生きていけません。彼女の場合は彼女自身は生きていますが、その過程で人を1人殺してしまっています。
でも悲しいことにそのために頑張れません。
甘えと言われるかもしれないけど、ふざけるなと打たれるかもしれないけど、本当にそうなのです。
1番最近泣いた時は、私は、私は何にもなれなかったと思って泣きました。
私はずっと何者かになりたかったのです。でも、それに意味が無いことを知ってしまいました。世界に意味が無いことを知ってしまいました。
だからもうこの世の中の「何か」にはなれない。そう思うと何者かになりたかった自分が、自分の好きだったもの全てが、自分というもの全て何もかもが溢れていくようでした。私にそれをせきとめることは出来なくてただ声もあげず泣いていました。
最近はふと、バスの窓などから見える、自分の生活のために勤しむ人々を見ると寂しくなります。
そのような所謂「普通の人々」は私の悩みなど気にもかけないでしょう。そういう人達にとって私のミジンコのような価値のない、弱々しい、自暴自棄でクズなだけの悩みなんて鼻くそ同然です。
しかし、私が勝手に普通の人々と見なしている人々の中にも私と同じような悩みを抱えている人がいるかもしれません。
でも、絶対に私たちは、それを本質的に共有出来ない。それが分かっているなら、自分対世界と切り分けて自分だけがオカシイんだ壊れているんだと思う方が楽でしょう。耽美な悲観に酔いしれることができるから。
ああ、できればみんな私のことを可笑しい可哀想な人に仕立てあげてよ。そしてうんと優しくして欲しい。今でさえこんなに優しくしてもらっているのに?
これ以上優しくされることって、赦されることって死んでるも同然なのに。
「何が特殊か」は実に興味深くて、一般的とされているセックスだって、ちんぽこにゴムを装着するのである。それがマナーなのである。
じゃあセックスしなきゃいいじゃん!と突っ込むのが、本来「普通」ではないだろうか。
個人的に特殊性癖と呼ばれるものはいくつかに分類できそうだなと考えている。
まだ詳しく考えたわけではないが、それが以下の四つである。
幼児プレイや緊縛・目隠し、放置プレイなどの割と一般的なものも含まれると思う。
露出やのぞきやスカトロなどの「羞恥」にかかわる性癖も、「見る/見られる」という力関係がこの無力感と強く結びついていると思う。
例の「蕎麦うちAV」はあまりのインパクトに呆然としてしまったが、似たような動画で、「縛られた女性の周りを、おしゃぶりと涎掛けをつけたロリ系の女優が三輪車に乗ってぐるぐる回る」というものを見たとき、ものすごく興奮したことがある。縛られている女性のあまりの無力感に劣情を催したのだが、蕎麦うちAVもそういうことなのかと少し納得できた気がする。
脳の部位的に「恐怖」と「快感」を感じる場所が近いという話を聞いたことがある(真偽はわからない)が、これも関係しているのかもしれない。
いわゆるスカトロや直腸野菜栽培もこのカテゴリで合っていると思う。
キスや口淫もこの系統で、実はグラデーションの問題であり、一般的な性癖に思える。
後述する「におい」もこれと関連していると思う。
先ほどあげた緊縛や露出、のぞき、スカトロなどはこの要素も強いと思う。
マトリョーシ姦もこの系統っぽい。
一般的なもので言えば青姦や、3Pなどの複数プレイもここに入るのかも。
また「ドラゴンカーセックス」も近代文明を獣性が犯す構図だとかキリスト教的にはドラゴンも冒涜的だとかなんとか、西洋の文脈ではここに類するという説明を読んだが、本当かどうかはわからない。
「におい系」も、不潔がタブーとされている現代では一応このカテゴリに。
ただ本来人間の体で「毛が生えている部分」というのは腋や股間など、体液や排泄の多い箇所だ。毛が雑菌を繁殖させるのはよく知られていることで、本来なら避けるべきことのはずである。
忌避されがちな臭いというのは、実は原始的には性的要素が強いものなのだ。
尿が異性を誘惑するフェロモンとして使われるのは動物界ではよくあることである。
レザー、ラテックス、髪、毛皮などのいわゆる「フェチ」はこれが大多数かなと。
「幼児期の体験」という話が出たが、その時期に触ったものの快感も大きそうだ。
体の一部なので正確にはフェチではないが、男女ともにおっぱい好きが多いのもこれに含まれるんじゃないだろうか。
触感系のフェチは単品ではあまり特殊ではないが、例えば状態異常と組み合わさった「石化」などになると、途端にすごいインパクトを放つ。
真空パックも無力感の他に、あのビニール的な素材感もいいのではないだろうか。
などと、とりとめもなく分類を書いてみたが、
何が言いたいかというと特殊と呼ばれる性癖も、カテゴリごとの要素を見て行けば実は一般的な性癖にも当てはまると言うことだ。
世の中、特殊な性癖なんてない、もしくはすべてが特殊なのだと思う。
偉い人が言っていた。