はてなキーワード: フィルターとは
私は学生時代の頃から自分自身が『オタク』または『ヲタク』と呼ばれる存在であることを自負していた。
アニメはリアタイ視聴が当たり前、その翌日にはオタク仲間と共に語り合ったりSNSで感想を述べたりするからだ。
PC美少女ゲームは秋葉原のソフマップから、今は亡き紙風船に買い物に行って、神ゲーからクソゲーまで一通り触ってきた。
一時期は本気でシナリオライターとして食っていけるのではないかと夢見る時もあったが、今ではなぜか普通の社会人になってしまった。
学生を卒業して早七年……あの頃、本気でヲタクをやっていた自分がいなくなっている気がした。
翌朝六時から出勤しなければならない事が多かった日々、私が心の支えにしていたのはアニメだった。
その当時、何を見ていたのかはハッキリと思い出せないが、とにかく忙しい日々には通勤途中で見られるVODが超優秀で、スマホから月額400円相当で過去作も含めたアニメが見放題だった。
仕事に忙殺されていたせいか、SNSも頻繁に見ることもなくなった。そのために何人かネット上の友人を失ったが、なぜか全く後悔していない。
その程度の関わりだったと、どこか気持ちが切り替えられていたせいなのだろう。
当然ながら、リアタイ視聴にこだわっていた自分は、気付けばどこかに消え去ってしまっていたのだ。
などと、好きなブランドや絵師の名前は一通りチェックして回る日々も忽然と姿を消してしまった。
新作の量はソフマップが圧倒的だが、旧作だが超名作がぞろりと揃っている『紙風船』が閉店していることを知ったのは今年に入ってしばらくしてからだった。
流石に閉店を知った時にはショックだったが、何よりも驚いたことが『その情報を察知していない自分』だったのだ。
正直に言えば過去の名作をプレイしておらず、自室の押入れに何本か積んでいる時点で、新作を買う気力があまりないのだ。
早く消化したいと思う気持ちと、一週間に一日しか無い休みに美少女ゲームを立ち上げようものなら、何もかもを放り出して没頭する自信がある。
それよりも翌日にまで支障が出てしまう可能性もゼロでは無いのだ。
そう思ってから未だに一本も消化できていない時点で、自分は本当にヲタクだと呼べるのか、という自信が薄れつつあった。
職場の人に「休みの日は何してるの?」「趣味ってなんかやってる?」と聞かれる事が増えてきた。
「いやぁ、趣味という趣味は無いんですが、読書とカラオケぐらいですかね〜」
私はへらへらと愛想笑いを浮かべながら答える事が多くなった。
当然カラオケが趣味と言っても『ヒトカラ』が当たり前である私だが、社会人ともなると「友達と行くの?」と勝手に都合の良い質問をしてくれるので、肯定するだけで「社交的な自分」を伝える事が出来る。
まぁ、学生時代の友達と一緒にカラオケに行けばアニソン縛りが当たり前、ヒトカラでは上司にもウケるように昭和歌謡曲などもフォローしている。
誰かと歌う事が当たり前だから、一人でもカラオケに行って練習するという習慣が、学生の頃と比較すれば異常なまでに人との関わりを意識してしまっていることに気付かされる。
学生の頃は誰かと歌うのが面倒だから、自分一人で自由気ままに振る舞えるヒトカラが良かったのに、今では予行演習じみたカラオケになっていた。
読書だって、ラノベしか読まない私からすると『ビジネス書』『一般文芸』など読むはずが無いジャンルも、上司や取引先との会話の中で趣味の話題になった際「この作品って知ってる?」というフリに対し「芥川賞を受賞された作品ですよね。私も読んでますよ」という返しが出来ればポイントが稼げるのだ。
仕事で後輩が出来た際にも、ビジネス書の受け売りを酒の席でわざとらしく言ってドヤ顔もしちゃったりできるのだ。しまいには「もっとアンテナを広げた方が良いよ」なんて言っちゃったりするのだ。
でも、意識高い系の後輩が出来た際にはバッチリ効果が出てしまって、ちょっとだけ成績が伸びてしまったもんだから読書も幅広く読むようになってしまった。
私が学生時代の時は『アニメはリアタイ』『ゲームは好きなジャンルから総なめ』『SNSで情報共有』が当たり前だった、陰キャ街道まっしぐらだった人間。
性格などに関しては変わることは無いのだが、友人を見ると『好きなジャンルを深掘りしているタイプ』であるのに対し、私は非常に浅い。
その代わり、あまりにもニッチな話題でなければ、ある程度の話題に関してはコメントで打ち返せるほどのボキャブラリーは充実している。
アニメをたまにしか、好きなジャンルしか見ない人間もヲタクと呼べるのか。
ゲームも今は一切しないが、昔やってた経歴からヲタクを自称できるのか。
予め言っておくと、オタクを自称したいとか、オタクのプライド云々が言いたい訳では無い。
そんなもの、そこらの犬にでも喰わせてしまえば良いと思っているくらいだ。
私が言いたいことは自分でも名乗れないほどに『ヲタク』というアイデンティティが失われてしまうことで、自分は一体何者なのだろうか、という疑問が残されてしまう。
別にオタクであろうとなかろうとどうでも良い。ただ、友人たちの目からは『ヲタクである自分』というフィルター越しに私が見られている気がしてならない。
もうとっくにそんな姿は存在しないと言ったとしても、私はいつまでも『ヲタクである自分』で物事が進んでしまうのだ。
仮に『ヲタクである自分』が手放せたとしても、今度は『ヲタクではない自分』がどんな存在なのか、皆目見当もつかないのも空恐ろしい。
結局、私がヲタクであることを証明できるように、自らの手でヲタクという生き方を捨てきれないだけなのだと思った。
本当にヲタクであることを辞めてしまったら、どうしようもなく薄っぺらい、何も無い人間になってしまうような気がして怖いだけなのだと思う。
提示する解決策はなんの裏付けもない下衆の勘ぐり的なインチキ科学技術者
若者をいじめるために、遊んだ後、自分で片付けできないいじめっ子
自分の作品が、重箱をつつくようなことを言われるのは、読んでるそいつに理解力がないから、
自分の与える情報を受け入れることでそいつ自身もよくなるのに。
みんな自分の言うとおりでいいのに そう憤る。
なにかうるさいことを言ってくる奴には、自身を互いに利用することが
最大のダメージだと思い、利用をする。
あとは周囲がついてくるのを待つだけ、大物も、自分を見つけるはずという態度をとる。
しかし、小物文化人を気取ってるが、よりすがってるのは大物的なものばかり。
もうすぐお祭り騒ぎも始めるだろうな。
私利私欲で動いてる人間で遊んでも、彼自身、自分を大きく見せたい、訴えたい、ちやほやされたいといった私利私欲丸出しのスタンスと相通じている。
だから、ただの自己中心的人間のはぐれものが、同じ自己中心的人間で遊んでいるだけにしか見えない。
仮に彼が遊んでいる人間の立場に、彼自身が立っても同じように欲におぼれて過ちを犯すだろう。
彼はいつだって小物を気取りながら大物と合流したがる『インチキ文化人』。
ブログや匿名掲示板や動画界隈などではいろんな立場になり済ましたつもりで文化人気分。
傍から見れば低い取れ高を、彼自身のフィルターでは10倍、100倍も大きく、またあるときは高い取れ高が1/10、1/100に小さく見えている。
彼は、自分自身に痺れることを前提に、文化活動や、ネットでの行動を行っているのだ。
自分が自分が痺れるように、オーディエンスも自分に痺れるのが普通であると考えている。
また、私利私欲丸出しで、その範囲が自分を中心とするものだから、立場が二転三転する。
私は自称メンヘラだが、おそらくメンヘラという字面を見て皆様が想像したメンヘラとは少し違うと思う。
リストカットを図った時は人生で一度もないし(だって痛いのはいやだ)、自撮りを晒して「かわいい?」と聞きまわった時もない。
彼氏から電話がくるのは面倒くせえなと思うタイプだし(一人の時間の方が好きだ)、別れたら別れたで多分一人を満喫することもできる。
ではどのようにメンヘラかというと私はTwitterで愚痴や弱音をクソほど垂れ流すタイプのメンヘラなのだった。
恐らくこれを読んでいる皆様の中にも該当する人がぱっと思い浮かんだのではないだろうか。いやあるいは皆様がSNSメンヘラなのかもしれないけども。
仕事で疲れた時やわけもなく夜落ち込んだとき、人間関係に行き詰った時に脳内のもやもやをそのまま特にフィルター掛けするわけでもなく
みんなのTLにこんなの流したら迷惑かな……と理性で押しとどめることはなく、そのままドバっとTwitterに吐く。迷惑。
「私ってなんの為に生きてるんだろう…」「みんなに必要な存在なのカナ…」「こいつどんだけ無能なんだよ…」「取引先ご逝去遊ばさないかな…」
と言ったまぁ見るも不快な文章をなんの躊躇いもなくTLに垂れ流しである。迷惑。
愚痴用のアカウントとか作ろっかな!なんて思ったが多分私は『誰かに私は今辛いんだぞということを知らしめたい』という謎承認欲求を持っているので
フォロワーもいない愚痴垢なんかで愚痴を吐いたところで全然満たされないのだ。迷惑!
まぁ迷惑なのはとってもよくわかっている。見て気持ち良いものじゃないしね。
いいねとか押していいの?って悩むし、励まさなきゃいけなかな?って思ったりする人もいるかもしれないし
そもそも悪口とか愚痴とか聞くためにSNSやってるんじゃねぇよ!って人もいるし。
でも私は逆に上司や同僚や彼氏に会話とか電話の中で愚痴言われると「いやTwitterで言えよ」って思うんですよ。
だって直接聞いたら絶対リアクションしなきゃいけないじゃん。Twitterだったら最悪見て見ぬふりできるじゃん。
話が逸れた
「あなたは必要な人だよ」とか「仕事お疲れ」とか言ってほしいわけじゃない。まぁ言われたら嬉しいけどそれは必須じゃないし。
あーこいつ疲れてんだなー。ドンマイ。くらいの意識を誰かに抱かせることができればSNSメンヘラ私としては本意気だ。
なんて控えめな承認欲求!
ってさっきまで思ってたんだけどね、twitterで「愚痴垢作った方がいいカナ…」ってかまってちゃんツイートしたら何人かからふぁぼが付いた上にそのあと
「よかった…」って呟かれたわ
悪かったな!!!!!!!!愚痴がな!!!!!!!うるさくてな!!!!!!!!!!!!!
いや「よかった……」が私に向けたツイートなのかとかは全然知らん。
そこはSNSメンヘラ特有のエアリプは全部自分に対して放たれてるって思いこむ事象でしかない。
SNSメンヘラはいとめんどくさき存在なのでそういうとこ微妙に繊細だ。
SNSでメンをヘラっている代わりに、SNSに愚痴を吐き散らかしてスッキリしたリアルの私は友人にけっこういつもにこやかに接してると思う。
約束を眠いとかゲームしたいとかいう理由でキャンセルされても、貸した金帰ってきてなくても、
「いいよ、あなたも疲れてるもんね」とかそういうセリフがいえちゃう私だ。すごいぞ!書いててちょっと腹立ってきた。
何が言いたいかというと、私のようなSNSメンヘラをTLに抱えている人は
見られながらじゃねえと痰を吐けないクソメンヘラもいるんだなと生暖かく見守ってほしい。
別に嫌ならリムーブしてくれたってかまわない。リアルで仲良くしているからってSNSでも絶対仲良くしなきゃいけないわけじゃないし。
SNSではさようならしてもあなたが私の友達であることは変わりないので、気軽にリムーブしてほしいと思っている。
平成も最後だし、なんかいつ不況が来るかもわからない状況な気もするし、
今のうちに年収上げておきたいなんて考えている人もいるのかなと思い、
本当に普通な感じで埋もれているエンジニアが転職した時の話をしようと思う。
現在私は同業界の大手企業で働いている。転職結果としては年収も大きく上がったし、
年齢:39歳
<前職>
中堅の独立系SI企業(WEBもSierもやってるような感じ)社員600名程度
に所属していた。勤続は7年目
<技術力>
技術力はほんとに並の下程度。
JavaとかPHPとかやっていて、PHPがメインだったかな。主にWEBサービスを作ったり、社内WEBシステム作ったりしてた。
プログラミングの基礎はあるし、SQLやその他DBの知識もそれなりにある。サーバーの知識はあんまりないし、
Linuxのコマンドは正直ちょっと苦手だし、AWSとか触ってないし、なんならApacheだってそんなに詳しくない。
ググっていつも解決する。フルスタックエンジニア?なんだそれ?こちらサーバーサイドエンジニアだ、文句あんのか?
新しい技術や言語は基礎があるので飲み込みは早い方だと思う。なので対応力はある方だ。Rubyでもpythonでもコード見れば読めるし、
大抵のことは理解できると思う。でも業務では使ってない。JQureyもまぁ普通に使えるけどJSのコードとかたぶん汚いと思う。
色々と新しい技術をググって記事見たりして「わかった気になるタイプ」だと思う。36歳くらいでやっと「デザインパターン」
知らないとやばいんだ。勉強しないと!と焦って本だけ一応読んで「わかった気」になった。
ここまで読めばわかると思うけどエンジニアとしてはだいぶ「ポンコツ」だ。
でも仕事のためにやってるエンジニアとか結構こういう人が大半な気もするんだよね。
立ち位置は開発リードとか設計とか上流も少しやってた。年齢のせいもあると思うけど、
まぁうまく立ち回って仕事してた感じだと思う。コミュ力はそれなりにある方だと思う。
もうエンジニアとかお前が名乗るなよとか言われそうだな。。。すまん。
このまま、今のポジションで仕事を続けてたら永遠に新しいこととか他の言語を使って業務をすることができそうになかったから。
嘘だ、人間関係だ。ほとほと同僚、後輩、パートナーに愛想が尽きたからだ。それと上司やその上の部長にもだ。
客先で顧客と一緒に仕事をしてたが顧客側の人はほんとにまともで良い人ばっかりだった。転職する時にそれだけ、ちょっと寂しくなったな。
ポンコツながらプロジェクトでは納期を守り何とかやり抜いてきたが、全く評価されない現実もあり、それも嫌だった。あと、給料安い。
表向きはいろんな理由があるだろうけど、転職する人の理由はきっとこれが現実だと思う。
<概要>
転職を決意
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DODAとリクルート系は良い思い出が一切ないので登録してない。
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ビズリーチ経由でB社で金融系ITに強めの転職エージェントに会う
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<詳細と雑感>
転職しよう!と思ってからとりあず動けーーー!って感じで動いた感じです。
総応募数は覚えてないけど30~50社くらいだったと思う。書類で超落ちる。年齢のせいも大きい。
エン転職のスカウトは全然ダメだった。めぼしい企業がなかったし、年齢のせいか知らんけど、
ギークリーから応募したのが一番多いと思うけど、とにかく手あたり次第に紹介してくる。
よさそうな企業もあったけど、面接まで行ったのは4社程度ですべてお祈りだった。
2次や最終までは行くが、いまいち紹介された企業に自分の志望動機を合わせる作業がどうにも苦手でうまく行かなかった。
ギークリーはほんとに求人が多いから、たくさん見て選びたい人には向いてると思うけど、自分には向いてなかったな。
他にもビズリーチ経由で4社くらい直接カジュアル面談があったけど、有名なY社とか、運輸系のY社のシステム会社とか、
印刷系のD社の子会社とか、どれも最初のカジュアル面談で、それ以後連絡なかったなぁ。
そんな感じで行き詰って2か月。心機一転また別のところ!というのと、
自分でもう一度ポンコツなりに職務経歴書を頑張ってブラッシュアップし、面接対策もして、改めてA社とB社とつながった。
B社からの紹介はとても面白い会社だったし、一次面接もかなり好感触だったのだが、なぜかその後に論文筆記があり、
書いて出したら、落ちた。どうやら思想が合わなかったらしい。
A社から紹介されたのが、医療系のWEBサービスの会社と誰もが知ってる大手企業。
どうやら大手企業とは結構つながりのあるエージェント会社だったみたい。
自分が大手に行けるか半信半疑だったが、面接対策も結構しっかりしてくれて助かった。
同じ質問を面接でされたので、うまく答えることができたと思うし、職務経歴書も一緒に見てくれた。
そして、2か月でこの医療系の会社と大手から内定を頂いた。転職活動は実質4か月くらい。
どちらも良い会社だったので、本当に迷ったが、大手の方にした。
断るのもエージェントがやってくれるのでこれも結構気持ちが楽だった。
<振り返って思うこと>
ポンコツなりにアピールできるポイントがあれば、それをしっかりアピールするような職務経歴書を作ったり、
私の場合は3回目の転職だったので、今までの経歴をきちんとよどみなくアピールできるような練習は有効だった。
転職活動初期は全然対策してないこともあって、やっぱり落ちたのかなと思う。
だんだんエンジンがかかって、面接にも慣れていき、最終的に大物ゲットできた感じだ。
そして、面接ではやっぱり自分はできる奴だ!ということをちゃんとアピールした方がいいと思った。
謙遜とかいらないし、こういう職務なんですができますか?と言われても、普通に全然問題ないです。くらいに言ってもいいと思う。
ハイスペックエンジニアとかいやいや十分すごいですわ的なエンジニアは、自分で活動して、普通に交渉もして、
自分がより有利な環境を手に入れることができると思うけど、私のようなポンコツは普通にエージェント使って、
普通に応募して、面接対策しっかりして、志望動機もちゃんと頑張ってたくさん考えて、ちゃんと喋る練習して、それで行けば結構いけると思う。
落ちるのはやっぱり職務経歴書がまだちゃんと練れてないのと、面接の練習や、志望動機が甘いんだと思う。そこを頑張れば良い環境に転職できると思う。
おススメのエージェントとかは特にないかな。自分に合ったものを自分で転職活動しながら、見つけるのが良いと思う。
1つ言うならエージェントを1つに絞らないことかな。忙しくなるけど、いろんな所と付き合って、自分に合うところを見つければいいと思う。
そういう意味ではビズリーチは大小さまざまなエージェント会社があり、そこから連絡がバシバシ来るので登録しておくとよいかもしれないです。
<まとめ>
こんな感じだ。読み返すとあんまり参考にならないかもしれない。。。
私は前の会社で全然評価されなかったが、今の大手に移ったら、普通に評価が上がって、給料もしっかり上がった。
環境次第で人の評価って全然変わるし、所詮評価する側のフィルターをかけた評価なんてやっぱり気にしなくていいんだと思った。
実際前職の部長に退職の旨と転職先の話をした時に「子会社ですか?」とか言われたし、「いえ、本体です。」と答えたら「マジで?」という顔をしてた。
部長のフィルターでは自分の評価はそんな感じだったんだなと実感した。
今ももちろん良いフィルターをかけて評価してもらっていると思うけど、自分にとってどっちが良いかは明白だし、
その良いフィルターが本当になるようにもっと努力したいと思う。
今の市況ならほんとに転職すれば年収上がるくらいの状況だし、勤続3~5年以上で、
自分の現状に不満があるなら、いっちょやってみるのも良いかもしれません。
誰かの参考になれば幸いです。
参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。
3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的な自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関で受診したところ、聴力も問題なく知的障害(自閉症)との確定診断。
応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園。
「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園。
保育園の間は、ずっと会話は不成立。
3歳でビデオデッキの操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。
確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。
テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。
しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。
たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡のCDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分で操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)
テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターでDVDは視聴可)
発語はあるが会話は成立しないのですから、小学校は当然にしてストレートで特別支援学級です。
集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)
「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運。安心すると精神状態が落ち着くんですね。
特別支援学級の教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。
言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます。
予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性を最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。
伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます)
息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロの距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。
電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板と写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効だから打ち明けますが、1区分の切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります。
地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。
実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネルが最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない。
ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女の存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから。
特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから。
家族での外出のほか、JRが沿線で企画するウォーキングに猛烈に参加しました。
参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。
他の子達と同様、かならず電車の最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞの超ローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。
あと英語のナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分で英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。
10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。
食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。
ヤフーキッズをブラウザのデフォルトにしたのと、使用時間に制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。
パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿な映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんとプリキュア(笑)
年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメや芸能関係の Wikipedia の更新もやってたみたい。
基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。
時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。
まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することなく喧嘩させる選択(妹相手に喧嘩の練習をしておけ、と)
3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。
その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。
小学校の入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。
無事に一人で(同級生と)行ってきました。
プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。
養護教諭のフォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。
奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級を希望。
2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。
しかも女の子! だけど家庭の事情(引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間に見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています。
その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。
気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりにキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意
(性的なことをやったわけじゃありません)
当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります。
中学校の特別支援学級の担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。
3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生に相談。
数学や理科は進度が全く違うという理由で NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK。
7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっと(ギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。
JRのウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名(都市の位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。
理科は小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。
その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格。
たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。
9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。
ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。
4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋は売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチな登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。
温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)
よって、うちの子たちは本当に頑丈です。
中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。
小学~中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特な子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。
同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。
とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります。
年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。
迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校の保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動とかに参加したわけだけど、先生の命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子も自分の言葉で挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。
高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRのウォーキング企画に一人で参加することを許可
前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。
コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃんと自分で交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長
学校行事か何かで、家から最も近い私大(偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてものが学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。
高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後の文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。
劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。
名探偵コナンのナレーションを意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分の世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。
審査と表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラスは最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。
進路指導の先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系・理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学に出会ったからです」なのだから仕方ない。
いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格は絶望的だろう、と先生から言われ、最初で最後のチャンスということで指定校推薦に応募
そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)
第一希望の学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系の大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコンの仕事はできるのよ。
劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。
高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学を卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。
完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。
ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。
嵐山の竹林と伏見稲荷大社に行ったんだけど、ガッカリしてしまった。
なんか、たいしたことねーな…、と。
写真で見るとすごく綺麗に見えたのに、実際に見たらあれこんなもん?と思ってしまった。
自分の目のフィルターを通した現実が、プロのカメラマンたちが撮った写真に全く勝ててないの。
まあ、修正かけてない現実なんてそんなもんかーって思ってたんだけど、次に行った兵庫でまた別のことにガッカリしてしまった。
生まれてこのかたずっと陰キャで通してきて、夜景スポットなるものを心のどこか小馬鹿にしていたのに、めちゃくちゃ綺麗でびっくりした。
すげー綺麗なの。
まさか夜景などという俗物的なものにいたく感動してしまうとは。
「まるで宝石箱をひっくり返したみたい♪」なんて浮ついた恥ずかしい台詞を言ってしまいたくなった。
何に感動するかって意外なことだったりするんだな。
まず、歯垢染色液を買ってこい。
子ども用のならドラッグストアでも売ってるし、それで十分足りる。
磨けてると思っても意外と磨けてないものなんだよ。どこが磨けてないか把握しろ。
唇が赤く染まるから、リップクリームを唇にたっぷり塗っておけ。もしくは金曜の夜に使え。
あとはフロス使ってるか? 虫歯も怖いが歯周病も怖い、口臭も怖い。いずれにせよ、フロスは大事だ。大事だ。大事だ。(大事なのでさんど
歯の壁をこそぐように使うんだぞ? とりあえず歯の間に通せばいいとか思ってると意味がないからな。
そして歯ブラシより歯間を磨きやすいのがワンタフトブラシだ。ヘッドが小さいのでやたら時間はかかるから週に一度でもいい。だが、歯垢染色液を使った後に使うと、その「磨きにくいところの磨きやすさ」に感激するだろう。磨きにくいところだけに毎日というのもすすめる。
あと、虫歯には圧倒的に糖の摂取量が効く。太らないからたいして糖をとってないとか思ってないか? 太らないでも口中には大ダメージの糖をとってることはありえるんだぜ。それから、コーク(ダイエット含む)や炭酸飲料等の酸性飲料を飲んでいないか?
ネットで飲料の酸性度は調べておけ。酸性度の高いものは一気に飲む分にはかまわないが、ちびちびだらだら飲むのはやめておけ。
後から大事にしようと思ってもどうしようもないもののひとつだからな。
後先考えずに酔った勢いで書いた記事が思いもかけないことになって動揺しているし、そんなことになってるとも思わず今日も飲んでしまった。
>歯医者さんなのかな。
違う。
上記の情報源は、かかりつけの歯医者と友人(歯医者)のみ、さらにただの患者のフィルターを通ったものなので、信用するかどうかは各人、自分で判断するか、かかりつけの歯医者と相談して決めてほしい。
磨く力が強過ぎて歯が削れたことと、就寝時に強く噛み締めているせいで歯の根元にダメージがきたことが原因だといわれている。
歯医者で処置してもらって、今は「歯のメンテナンスはフロスをメインにする・やわらかいブラシを使う・研磨剤の入っている歯磨き粉ではなくフッ素ジェルを使う・寝る時はマウスピースを使う」という対策をしている。
知覚過敏の人もあまく見ずに歯医者に行ってほしい。悪化すると神経を抜くことになるそうなので。
>フロス使えって簡単に言うけどあんなに使いにくいものなくない?あれで上の奥歯の歯間そうじするの難しすぎない?糸ようじとか歯間ブラシなら使いやすいけど。習熟すれば簡単になるの?
フロス、および歯間ブラシ等については以下を読むことをおすすめする。歯科医の友人が教えてくれた。
他の人の疑問にも答える内容だと思う。
https://haisha-yoyaku-blog.jp/dental-floss-how-to-use-2557
歯医者それぞれの考えによるらしいが、かかりつけ医と友人は両方とも三ヶ月派。
>オーラルケアは実は科学的根拠の怪しいものが多いらしくもやもやしている。
自分も「どのオーラルケアがいいというエビデンスはない」と歯科医が書いているのをネットで見たことがある。
それが真実として、万人に合うものはなくとも、自分に合うものを選ぶことはできるはずだし、歯垢染色液はそれにも役立つと考えている。
フロス・ワンタフトブラシは歯科医ふたりに強くすすめられたうえに、有用性が高いという実体験があったから挙げた。
他のもので自分に合ったよりよいものがあれば、それでいいと思う。
>ワンタフトブラシは使い古しを掃除に使うという楽しみもあるよね。
>いや、虫歯は圧倒的に体質による。
それでも体質だからって諦めるわけにもいかないじゃないか……。
>めんどくせぇぇぇぇぇぇよぉぉぉぉぉぉ
気持ちはわかる。
でも、きれいに磨けてると歯医者と歯科衛生士に褒めてもらえる。
大人になると褒めてもらえることなんて滅多にないから意外とかなり嬉しいぞ。
>虫歯ならない体質だからと歯磨きサボってる間に歯周病進行して抜け落ちる寸前。
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/teeth/h-04-002.html
> 何でそんな偉そうなん
40年以上なめられやすいタイプとして生きてきて、偉そうと思われるくらいに強い言葉を使った方が話を聞いてもらえるという結論に達したから。
偉そうだが不快ではないという線を狙っているのだが。精進する。
ブラッシングの力が強過ぎるんだと思う。
放っておかずに歯医者に行ってほしい。
それでは、おやすみなさい。
歯を磨いて、よい夢をみてね。
著名人が結婚したときなどにまことしやかに囁かれる下劣な言葉として『あいつ、ファンに手をだしたな…』というものがある
昔の自分としてはそういうことを聞いたとき、素直かつ純朴に「うらやまちい……😢」と思ったものだ
憧れていた創作界隈に考えなし身一つで突入したものの、そのカテゴリーの中でさえ中堅の1番下ほど。かろうじて生活には困ってはいないぐらいにはなれた
さて、そんな情けないクリエイト事情ではあるが、そんな自分にもファンがいる
よくそこらへんの作家や漫画家なんかが「ファンレターには元気をもらってます!」なんて言っているが、あれは嘘ではない
自分もファンレターは一通一通、目を皿のようにして読み込んでいる
なぜなら嬉しいからだ。とにかく嬉しい
社会に出るとわかるが、自分の肯定してくれる人なんてものは母親と恋人ぐらいしかいないのだ。肯定されることに俺たちは飢えている
だからたとえ作品というフィルターがかかった上でも、自分を肯定してくれるファンレターには本当の本当に救われるのだった
さてファンレターを読んでいて浮かんだのが「これ、ファンに手を出せるのでは…?」ということである
冒頭で書いたようにそういったことを妬ましく、ある面では羨ましく思っていた俺だが実際にそれをできる立場に立ったのだった
恥ずかしながら自分は大学生の時を最後に女性も交際したことがない。そろそろ結婚もしたかった
俺はファンに手を出すことに決めた
なにも、誰でもいい精神で選んだわけじゃない
いつもファンレターを出してくれる人の中に「年賀状ちゃん」という人がいる
彼女は俺がデビューした直後からファンレターを毎年1月1日出してくる人だった
毎回俺が作った作品への熱い思いを数ページにも渡って書いて正月に送ってくるので、俺は彼女のことを密かに「年賀状ちゃん」と呼んでいた
毎回、年賀状ちゃんのファンレターには形式上の返事をしていたが本格的に彼女のことが知りたくなった
立場を利用して(と言ったら印象が悪いが、事実なのには違いない)、ファンレターの返事に連絡先を書いた
正直リスクしかなかったが、何故か数年来の友達のような、そんな謎の信頼感があったのだ
トントン拍子でうまく行った。会話を重ね、デートを重ね、付き合うことになった。そして結婚した
ファンとその作者という「関係」が影響したことは間違いない。しかし、誤解を恐れずに言えば付き合ってからはそんなものは関係なかった。単なる男と女だった
付き合った当初。もし君じゃなくて、他の人が数年間ファンでい続けてくれたなら「君じゃなかったかもしれない」なんて、書いてみると邪悪そのものでしかない言葉を素直に俺が吐露すると彼女は
「○○さんのファンを7年も続けられるなんて、私ぐらいですよ」
なーんて言ってて、「あっ、こいつと結婚しなきゃ」ってなった
俺たちの出会いには様々な思考が渦巻くのは必死だが、しかし俺は彼女と出会えて良かったし、今は愛しかない
彼女に手を出してよかった。そうおもう
労働力人口の減少速度に耐え切れず、あれだけ保守的だった移民政策もあっさりと陥落。
お役所的には既定路線のなし崩しコースを狙っていたのではないかと勘繰ったりもしますが、いま世界を見渡すとあれだけ強かったメルケルでさえ移民を契機に退場するほどに反移民がトレンドです。
ただ世間ではあんまり言われてないけど、日本は移民、案外成功するのではないかと思ったりもします。
このまま労働力人口の減少分を補おうとすると20年で1千万人入れないといけないのですが、むしろそんだけ入ると日本人の性格だとなし崩し的に自分を納得させる方向に動きそう。もともと治安だけはやたらといいし、同調圧力の強さでは世界に冠たる日本なので、なんだかんだ丸め込んで仲良くやっていくのではないかと。
実際日本に来るのも、中国のようにお上の言うことを聞くことにはなれてるそこそこ文明国の人や、フィリピンやベトナムみたいなやたら人のいい国の人が多いので、EUやアメリカの移民問題とはまた雰囲気が変わるのではないでしょうか。
それに最近は日本もいい感じに貧乏になってきたようだし、みんな英語も話せないしで、それが適度なハードルになって、日本の雰囲気が好きな人の割合を高めるフィルターになる傾向はあるのではないかな。
認知バイアス 認知の歪み 偏見や洗脳 偽の記憶 …… そんな知識を得て、自分が「当然」だと思っていることがいかに「あやふや」な「偏見」に過ぎないのかを知るほど、人は差別と偏見から遠ざかるのだろうか?
残念ながら、人間には「完全に歪みを排除してすべての物事をフラットに見る」などということはできない。「ものを見る」というのは、世界に意味というフィルターをかける行為だからだ。ロボット技術者なら、そのことをよく知っている。カメラがとらえた映像が、道路の模様なのか飛び出した子供なのか「解釈」できなければ、自動運転車が町を走ることは不可能だ。私たちの視界は常に「歪んで」いる。大切なのは「どう歪んでいるのか」に、一つでも気づくことだ。
では、社会は?
社会全体が認知の歪みを抱えているとき、個々人がそれに気づくことは大層難しいことになる。社会がその歪みの中で人を育み、歪みで満たされ、みんながその歪みを常識として再生産しているとき、その歪みによって不利益を被る人さえ同じ認知の歪みを抱えたりするからだ。つまり「認知の歪み」を指摘する人がいない(これを差別や偏見の「内面化」という)。外部の人間なら、そういう社会の「歪み」に石を投げることができるかもしれないが、そんな社会の内部から石を投げるのは、内部にいながら別の価値をもつことができる人ということになる。
たとえばアカデミズムというのは、そういう価値の一つだ。学者という人たちは、単なる「お賢い、お勉強ができる人たち」なのではない。現在の社会とは別の「価値」をもち、内部にいても「外部」となる役割をもつ存在である。学者がしばしば「空気の読めないご意見番」として振る舞うのは、大事なことなのだ。
「王様は裸だ!」と子供が声をあげたとき、周りの大人の目には王様が裸に見えていて、だからあの童話はハッピーエンドになる。でも、もし周りの大人には「認知の歪み」のせいで「本当に服が見えていた」なら、どうだっただろう? 子供は黙殺され、あるいはぶっ飛ばされ、パレードは続き、そして王様は裸のままだったかもしれない。「社会全体の認知が歪んでいるかもしれない」というのは、このように深刻な問題を社会に引き起こす。
「みんなの目に裸が見えないなんてあるわけないじゃん」と思う人は、申し訳ないが、少しは歴史を学ぶべきだと思う。近代にだって国民が全員どうかしていたとしか思えない民主主義(のはずの)国家の事例はいくらでもあるだろう。王様のセクハラや犯罪が誰にも見えないらしい国、王様の頭にのった電話機が誰にも見えないらしい国、私たちのすぐそばにさえ、認知の歪みは現に存在している。