はてなキーワード: オヤジとは
萌えコラボとかがフェミニストの方々からたびたび批判されてるじゃないですか。
女らしさの押し付けだ、とか、まあ、そんな感じで。
要するにキモオタ的なものが、女性の権利が向上する世に合わない、と。
でもね、僕は全く逆だと思うんです。「女性の権利が向上するほど、女性が不快に感じるキモオタ的なものが世に溢れるのでは?」…と。
なんでかって言うと、ここでキーポイントとなるのは「家父長頑固オヤジ」です。
ここでいう「家父長頑固オヤジ」は具体的に言うなら、「男尊女卑」「モラハラセクシスト」「多様性を認めない」…まあそういう存在です。
女性の権利の向上はこの「家父長オヤジ」の衰退とともに進出してきたではないですか。違うんですか?
一方で、大昔から「キモオタを抑圧してきた存在」とは何でしょうか…?
もうおわかりですね(笑)「家父長頑固オヤジ」に他ならないのです(ΩなっなんだってーΩ)。
まあ大昔は「オタク」なんて言葉はなかったけど、昔の時代で言い換えるなら「いい大人になって幼稚な趣味に耽溺すること」全般ですね。
「キモオタ」を抑圧する存在は「家父長頑固オヤジ」に他ならないのですよ。
だから私は、「女性の権利」の向上のために、「家父長頑固オヤジ」が衰退したために、結果的に抑止力が無くなって「キモオタ」が溢れる世になったのでは…と思うわけですよ。
そして現代で、家父長頑固オヤジ以外でキモオタを抑圧する存在はいるのか?というと、残念ながらいないと言わざるを得ません。
フェミニストとかリベラリストとかの方々がキモオタを批判しても、当のキモオタは「な~んでお前らの言うことを聞かにゃならんのだwおならぷうwww」で鼻ホジ一つで終わりなのです。
「家父長頑固オヤジ」が「そんな気色悪いもんとっとと卒業せんか~い!!!ゴルァ!」と叱りつけることによって、初めてキモオタはビビっておずおずして半分チビリながら渋々言うこと聞くわけです。
(ここで「いや息子はカーチャンに叱られたときも言うことを聞くのでは?」と思うかもしれませんが、ここで言う「カーチャン」は「家父長頑固オヤジ」が存在していることが前提で、所詮叱りつけの中継役をしてるに過ぎないのです)
いやいや、誤解せんでいたただきたのですが、私は大昔の男尊女卑社会に戻れ!とかそんな保守主義じみたことを言う気は無いですよ。
ただ言いたいことはね、「女性の権利が向上していくこと」と「キモオタ的な表現が世に溢れること」は並列して進まざるを得ないんだと思うんですよ。
「キモオタ表現が世に溢れること自体が女権の妨げだ!」とか言ってもどうしようもありませんよ。しょーがないもんはしょーがないッスよ。
「キモオタ表現を抑圧する役目」である「家父長オヤジ」が衰退したのだから。
それでもキモオタ表現が抑圧したいと言うなら、その役目を担う新しいシステムなりなんなりを発明しないとどうしようもないでしょう。
さっき友人と会話していたら、JKビジネスが隆盛だった頃(2012~2013年頃)にドハマりしていたというので、詳しく話を聞いたら当時報道されていた話とは少し違ったので興味深かった。
まず、彼は極度の腰痛持ちだ。
その日は秋葉原で仕事で、仕事が終わり帰宅しようと思ったが腰痛が酷いのでマッサージの店を探した。
せっかくなら今話題のJKリフレとやらを一度体験してみよう思い、適当に見つけたところに入店した。
狭い個室に促され、うつ伏せになり17歳だという女の子に背中や腰を揉んでもらう。
「学校の制服ですよ。学校が終わったら着替えずにそのままバイトするんです」
「個室だと、いやらしいことをしてくるお客さんもいるんですよ」と話題を変えた。
「そりゃあ、いるだろうね」
「やっぱり男の人って、女性にそういうことされたいんですか?」
「そりゃあ、されたくない男はいないだろうね」
「じゃあ、しますか?」
「!?」
まさか、である。未成年の女子高生に肩を揉んでもらうだけの、ゆるい店だと思ったのに予想外の返答に驚いた。
すると女の子はおっぱいを出し、「触ってもいいですよ」というので触っていると、こちらのズボンを脱がせてチンチンを舐めてくるではないか。
「お店にバレると私クビになっちゃうんで、絶対に声を出さないでください」と小声で囁いてくる。
この「絶対にバレちゃいけない、声を出してはいけない」というシチュエーションもエロさに一層拍車をかける。
この衝撃の出会いが、彼をJKビジネスにのめり込ませることになる。
雷に打たれたような衝撃を受けた彼は、それから暇さえあればJKリフレ店へ行くようになった。
全くおっぱいを触らせてくれないし抜いてもくれない店が大半だが、やはりたまにおっぱいやマンコを触らせてくれながらチンチンを舐めてくれる子のいる店があるという。
ここで俺が疑問に思ったのは、JKビジネスについての報道で問題視されていたのが「裏オプション」の存在だ。
報道では「女子高生と個室で二人きりになることにより、女子高生個人にお金を渡して如何わしいサービスを求める客がいる」と言っていた。
つまり、エロいサービスには店のメニューにはない別料金がかかる。美味しい思いをするにはそれなりの対価が必要ということだったが、
彼はメニューに記載された料金と女の子の指名料の、正規の料金しか払っていないという。
おっぱいを触ったりチンチンを舐めてくれることに対しての別料金は一切払っていない。
じゃあ、女の子はなんの旨味があってチンチンを舐めてくれるのかというと、ただ単にそうすると固定客がついて指名料が入るからだという。
現役の女子高生がおっぱいとマンコを生で触らせてくれてチンチンを舐めてくれるのに、料金は5000円もかからないという。
18歳以上の女性がチンチンを舐めてくれるピンサロという風俗があるが、風俗で一番安いとされるピンサロでさえ6000円以上かかる。
女子高生にピンサロ並みのサービスをしてもらえるのにピンサロより安い、男性客にとっちゃ旨味しかない話だ。
話を元に戻すが、新規開拓したくとも、ネットの情報はガセネタばかりで信用性が無いし、どの店の誰がそんなサービスをしてくれるかは行ってみないとわからない。
こっちはピンポイントでチンチンを舐めてくれる女子高生についてほしいのに、おっぱいさえ触らせてくれない女子高生ばかりに当たると骨が折れる。
「前にチンチン舐めてもらったことがあるんだけど、そういう子を他に知ってる?」と。
聞けば女子高生は素直に教えてくれた。「私のクラスの友達が○○って店にいるんだけど、その子を指名すれば良い思いができますよ」
おっぱいすら触らせてくれず、何もしてくれないような子でも、聞けば「××って店のカエデっていう名前の子がそういうことするって、私達の間で噂になってます」と教えてくれる。
教えられた通りの店で指名すると、これがドンピシャ。この方法により、ハズレを一切引かずにピンポイントで当たりを引くことが可能になった。
いつも通りリフレ店で女子高生とディープキスしたりおっぱいを吸ったりしていると、女の子が「JK見学クラブには行ったことあります?」と聞いてきた。
「なにそれ?」と聞くと、女子高生のパンツを拝む店で、友達がそこで働いているので是非行ってあげてほしいとのことだ。
「名前は○○って言います。指名すれば、きっと楽しいと思いますよ。もし、この後時間があれば行ってあげてください」
何が楽しいんだろう。気になるので、店を出ると早速教えられた見学クラブへ足を向けた。
JK見学クラブとは、個室にマジックミラーがあり、マジックミラーの向こうには女子高生が数人いる部屋がある。女の子を指名すると、女の子が自分の部屋のマジックミラーの前で座り、パンツを見せてくれるようだ。
個室に入ると、横にいるオッサンの「ウヒヒ…可愛いなぁ…ゲヘヘヘ」という声が聞こえてきてげんなり。マジックミラーを覗くと、他の部屋から覗く男たちの顔がチラっと見える。どうも、マジックミラーとは言いつつ女子高生からも個室にいる男は見えており、いかにも秋葉原っぽいキモオタや気持ち悪いオヤジには指名されてもパンツすら見せていないようだった。
とりあえず、先程リフレ店で教えてもらった女子高生を指名する。
指名した子が自分の目の前に来るなり、制服のシャツのボタンをはずし、ブラジャーをずらしおっぱいを丸出しにしたかと思えば、パンツを横にずらしマンコまで見せてくる。
え?え?と戸惑っていると、女子高生が手を握り上下に動かしている。
そういうことか、と意を決しオナニーした。それはそれで興奮したが、やっぱり生で触れあえるJKリフレのほうが良いので、見学クラブはそれ以来行っていない。
店だけで満足していたので、女子高生とLINEの交換もしていない。
まさに美味しい思いだけしてすんなり引退したのだ。
なぜ、そんな美味しい思いをしていたのに当時俺に教えてくれなかったのかと問い詰めたが、
女の子はそういうサービスをする男を選んでいるから、お前が行ったところで何もないまま終わるだろうし、可哀想だから教えなかったって。まさに「※ただしイケメンに限る」の世界だ。
コイツはちょっと街を歩くだけで女から逆ナンパされるし、モデルやホストのスカウトからも頻繁に声をかけられるほどの高身長イケメンだ。俺もその様を何度も目撃した。
俺と二人で秋葉原のメイドカフェに行った際も、一人のメイドが彼の横から離れなくなり、「キモい客しか来ない、こんなまともな客は初めて」「電話番号交換したい」「今度一緒に遊びに行きたい、いや、今夜でもいい、今夜あいてる?」などと、俺の存在を一切無視して口説きだしてウンザリしたこともある。
やっぱり、俺が行っても時間と金の無駄だったんだろう。JKビジネスとは、選ばれた者しか美味しい思いができない不公平なサービスだったのだ。
なんと言うこともないんだけど、二十年とか三十年とか経っても人間って変わらないね。
昔、ファミコンが好きで、よくやっていたんだけど、去年あのちっこいファミコンを買ったんだ。
僕がゲームをやっているのを見かけるだけで不機嫌になっていた自分のオヤジよりもゲームに理解はあるし、別に無根拠に嫌っている訳でもないので、ああ、楽しんでくれて良かったなと思っているんだけどね。
そんでこの前、くにお君の大運動会のバトルロイヤルみたいなヤツを二人でやってたんだけど、昔取った杵柄で圧勝したんだよ。
そしたら、泣き出しちゃって。
それでめんどくさくなって、ファミコンをテレビから離して、息子が嫁さんに泣きついてる間に隠したの。
その様はそれはそれで可愛くて愛おしいものだった。
「ファミコンを買ってあげないよ」
こう言うだけで、寝起きも、着替えも歯磨きも、お手伝いだってしてくれる。
どのタイミングでファミコンを出そうかと思っているんだけど、出しちゃうともう魔法は使えない。
いいタイミングっていつなんだろうな。
今回はガンガンオンライン
アニメ化かあ。
あの頃特有の体験はあの頃のものとしてそのままにしてきたから、私にとって待望の、ってわけではないけれども。
ただ、時期的には『グルグル』を当時体験していない新たな世代が、この新たなグルグルに触れる機会ができたということ。
それって俯瞰してみるとコンテンツというものが長く続いていることを加味しつつ、私のような立場の人間はまた特別な体験ができるとも解釈できる。
これはリメイクでもあり、リブートという意義も持つということなので、まあ面倒くさいだけの古参にはならないよう、このコンテンツがどうなるか見守っていきたいところだ。
余談はここまでにして、今回の話。
相変わらずキタキタが要所要所で意味不明な活躍をしつつ、さすまたが大活躍。
穴掘りにまで活用するとか、さすまたを無理やりにでも活躍させるという強い意志を感じる。
そして何やかんやでボスは倒したんだが、オヤジが邪魔で消滅の瞬間が見えない。
これに対しての反応が「やったか!?」っていう失敗フラグのセリフなのが個人的にツボだった。
初めはちょっとした小休憩的なエピソードかと思いきや、今回のラスボスであろう魔王のルーツが秘められていたっていう展開。
現在の魔王そのものが語るのではなく、過去の痕跡や思い出から人格を読み取るって構成が好きなんだよね。
前提となる解釈が間違ったまま話を続けるせいで、どんどんおかしなことになる、っていうズレたやり取りを楽しむのが本作の基本的なスタイルだが、今回は事情を全く知らない登場人物が主体になることで、改めて関係性や設定の妙も含めて楽しむ、っていう構成ね。
まあ、明らかに不自然なのに、途中で解釈の方向性を変えないまま話を進めるあたり、この弟も大概ではある。
そこまで目新しい展開はないけれども、所々セリフの尖り方は見所あるね。
特に弟の「お姉ちゃんが気持ち悪いって事しか伝わって来ない」とか、「すごく目に優しい!!!」とか、「サインくそダサいけど」とかキレがある。
引き出しから、過去10年分の年賀ハガキ200枚とウン十年前の古い未使用切手が大量に出てきた。このまま眠らせておくのも勿体無いので懸賞に応募しまくって消費しようと考えた。
古い切手はプレミアがついてると思い一応調べたが、今の世の中は切手を趣味としている人が少ないため、50年前の未使用切手程度では全く価値が無いんだそうだ。売るより郵便で使っちまったほうがよっぽど良いと。
で、この半年間、目に付いた懸賞に片っ端から応募してみて、個人的に思うことを並べていくよ。
まず、懸賞マニアのブログなどでよく目にする「年賀ハガキでの応募は失礼に当たり、年賀ハガキで応募した時点で無効になる」との意見は完全なデマだ。
あとよく目にするのは「懸賞は郵便ハガキ(いわゆる官製ハガキ、切手を貼る必要のないハガキ)でしか受け付けていない。私製ハガキ(切手を貼る必要のあるハガキ)での応募は無効になる」もデマ。
だって、俺は年賀ハガキと古い切手と、昔ダイソーで買った50枚入りの私製ハガキしか手元にない。
ハガキ懸賞に応募するにしても、年賀ハガキか切手を貼ったハガキしか応募する手段がないのだ。
それでも、2004年度50円年賀ハガキに2円切手を貼ったもの、【1991年お年玉41円切手、1965年お年玉5円切手、第18回オリンピック競技大会記念5円切手、通常1円切手】という普通に使ったら失礼でしかない組み合わせで無理矢理52円に帳尻を合わせた切手を4枚、ダイソーの安っぽい私製ハガキに貼り付けたもの、どちらのパターンでも懸賞に当選した。
というか、各懸賞の事務局数件に電話で「年賀ハガキと私製ハガキの応募は無効になるか」と質問してみた結果、どこも「大丈夫です」と答えた。必要事項をしっかり書いて、郵送代も足りていて、応募条件さえクリアしていれば、どんなハガキで送ろうと届けばちゃんと抽選の対象になるのだ。
よく聞く、「ハガキは蛍光ペンやマスキングテープで縁取りして、可愛いイラストやシールの一つでも添えたほうが当たりやすい」というのは、「午前中に打ったほうが勝つ」みたいな、ギャンブルにおけるオカルトと大差のない、根拠の無い思い込みとしか言い様がない。たまたまそのハガキが当選しただけの話。
だって、綺麗にデコったハガキが優先的に当選するんだったら「厳正なる抽選」じゃないじゃない。
俺は普通にドンキホーテで1本30円で売っていた激安ボールペンで必要事項を書いただけのシンプルなハガキしか送っていない。読めないほどではないが、字も汚い。それでも当選するので、ハガキをデコるだけ無駄な努力だ。
最近は、ハガキ・ネットの両方で受け付ける懸賞も増えてきた。懸賞マニアのブログには「ハガキで送ったほうが当たる確立が高い」とあるが、個人的な体感ではハガキで送ろうがネットで送ろうが確立は変わらない。ハガキ代を節約するためにも、そういう場合は無料で応募できるネットだけにしたほうがいい。
裏面に印刷してある年賀状ってけっこう余るでしょ?これも懸賞に使える。「謹賀新年」とか「今年もよろしくお願いします」とかイラストがデカデカと印刷されてしまっていても、商品を購入してバーコードやレシートを貼って送るタイプの懸賞なら、イラストが書いてあろうがレシートやバーコードで埋まってしまうので、関係ないのだ。
じゃあ希望する商品や自分の住所氏名年齢などの必要事項はどこに書けばいいのかといえば、ハガキ表の宛先の下のスペースに書けばいい。
横書きで宛先を書けば、下に十分必要事項が書けるスペースが余る。そこに書いてしまえばいい。
それでも、裏面に印刷されたハガキが嫌だったり、宛先を書き損じた未使用ハガキなどがあった場合は、郵便局で交換してもらおう。
1枚につき手数料5円で、新しいハガキか切手に交換してもらえる。50円のハガキだった場合は、手数料5円プラス差額2円、合計7円払えば52円郵便ハガキに交換できる。
一度、上記のように41円切手やら5円切手やらをベタベタ貼り付けた私製ハガキを書き損じてしまい、郵便局へ交換に行ったが、1枚のハガキとしてカウントしてくれて、手数料5円だけで新しい52円郵便ハガキに交換できた。
ハガキは無駄なく使える、結構有難いシステムがある。覚えておいたほうがいい。
前書きが長くなったが、ここからは半年送り続けて見えてきた、各懸賞の傾向を書いていこう。
●クイズに答えて当たる
よくある、「日曜日の国民的アニメといえば『サザ○さん』、○を埋めて送ってね!」みたいな懸賞があるが、こんな誰でもわかるクイズで簡単に応募できる懸賞は応募数が半端じゃなく、まず当選しない。半年間、このようなクイズ懸賞に片っ端から応募してみた結果、一度も当選したことなし。送るだけハガキ代の無駄だった。
テレビを見ていればたまに視聴者プレゼントをしているが、まだまだテレビなんかはかなりの人数が目にしているメディアだ。
「こんな時間に誰が見てんだよ」的な、変な時間にやってるクソつまんねー北海道のローカル番組の視聴者プレゼントも、この半年間毎週欠かさず応募し続けたが、一度も当選したことがない。テレビの視聴者プレゼントも、ライバルが多すぎて倍率が高すぎると思われる。
読売新聞夕刊は、毎日読者プレゼントをやっている。しかし、北海道から沖縄まで日本全国で読まれている全国紙の読者プレゼントで、しかも5名にしか当たらない懸賞なんて、そもそも当たらないだろう。半年間ハガキを送り続けたが、一度も当選なし。
現在募集中の懸賞情報が大量に掲載された懸賞サイトがあるが、これもかなりの人数が見ているだろう。
よって、こういった懸賞サイトで紹介されている懸賞も、かなりの応募数があるだろう。
半年間、懸賞サイトで紹介された懸賞に送り続けて当選したのは一度だけ。
それも、アルミ缶協会みたいなところのキャンペーンで「アルミ缶のイメージをハガキに書いて送った人の中から抽選で1000人に缶ジュースを1ケースプレゼント」というものだった。
アルミ缶のイメージって何?そんな文章書けって言ったって、かなりハードルが高い。無理矢理捻り出して書いた。
このように、応募するハードルが高くて、尚且つ1000名という太っ腹な大量当選だった。しかもハガキしか受け付けていない。
こんな特殊な懸賞だったので、応募数も少なかったのだろう。懸賞サイトの情報は、特殊で当たりやすそうなものだけに送るしかない。
最近増えてきた、「イイネ」したり、リツイートした人の中から抽選でっていう懸賞。
そのタイムラインを見ればわかるが、アカウントさえ持っていれば一瞬で気軽に応募できてしまうために応募者数が途方もない数だ。
こんなもん当たる訳がねえ。それでも実験として様々な懸賞に半年間イイネ・リツイートをしたが一件も当選せず。当たり前だ。
さっきから否定ばっかしてるけど、お前は何の懸賞で当選したんだよって書いてる俺でも思ってきたので、ここからは俺が実際に当選した懸賞を紹介する。
●モニプラ
モニプラというサイトがある。各種メーカーが、新商品のモニターを募集したり、商品サンプルをバラ撒くためのサイトだ。要は、実際に商品を使ってもらう形の宣伝をするためのサイトなので、けっこう当選しやすいのだ。
会員登録したり、SNSの企業アカウントをフォローしたり、フェイスブックページにイイネしたり、キャンペーン情報をリツイートしたり、無料メルマガの購読を契約したり、LINEで企業アカウントと友達になったり、長ったらしいアンケートにグダグダ回答し続けたりしなければならなかったりして、ここまでしたのに抽選なので応募するのが割りと面倒だったりするが、
俺はここで発売前の文房具や、既存の商品の洗剤や発泡酒などの商品サンプルを丸々1個もらえた。
「懸賞に当選したことが一度も無い」なんて人は、ここで一度当選して賞品が自宅に届く喜びを味わってみると良いかも。
商品を購入して、そのバーコードやレシートをハガキに貼って応募する懸賞をクローズド懸賞という。
これ、実際に商品を購入しなきゃいけない分ハードルが高いので、けっこう狙い目だったりする。
個人的な感覚だと、ひとつの懸賞にハガキ10枚程度送れば当選することが多い。
第一締め切り、第二締め切りと締め切りが複数ある場合は、第一締め切りを狙ったほうがいい。まだバーコードを用意しきれてなくて、応募数も少ないためだ。
これも個人的な感覚だが、第一締め切りに複数枚ハガキを応募したものは当選したが、第二締め切りにしか応募しなかった懸賞は当選したことが無い。
冒頭でも述べたとおり、裏面に印刷されたハガキでも有効に使えるので、バーコードさえ貯めれば応募するのはけっこう簡単だ。
不安な場合はスーパーにある専用応募ハガキを使うのも手だ。専用応募ハガキだと、切手を貼るスペースが1枚分しか用意されていないが、手元には50円切手と2円切手しかなかった。2枚切手を貼ってしまうと、最初から印刷されていた宛先が埋まってしまう。
そこで、50円切手を貼った下に2円切手を貼り、中途半端に残った宛先を修正液で消し、その上からボールペンで改めて宛先を書き直したものを送ったことがあるが、それで見事当選したこともある。
ラジオになった途端、テレビよりも当選する確立がグンと上がる。毎週プレゼントしている番組に毎週欠かさず応募していれば、一度は必ず当選するレベルだ。
また、「メッセージが採用された方には番組オリジナルグッズプレゼント」なんて番組は狙い目だ。
早朝や昼にやっている帯番組なんかは、正直あまり面白くない緩いエピソードでも採用されやすい。時間帯に合った爽やかなメッセージを心掛けさえすれば良い。
深夜の芸人ラジオは、ラジオの花形でありラジオの中でもリスナー数が最も多い激戦区だ。芸人ラジオだけあって、こちらに求めているギャグレベルがかなり高いし、実力がモノを言う世界だ。
しかし増田やブコメで皮肉とギャグセンスを鍛えたはてなーなら十分通用するはずだ。
好きな芸人さんに、自分のギャグを生で読んでもらえて、それに笑ってもらえるなんてかなり興奮するし、こんな嬉しいことはない。採用されれば番組オリジナルグッズももらえるし。
テーマに沿ったギャグを送った中から面白い奴3名にサインをプレゼントという臨時特別企画があり、見事にそこに採用され、昔からずっとファンだった大好きな芸人さんのサインが自宅に届いた際は興奮が冷め止まなかった。
あなたがもし田舎に住んでいたとすれば、かなり狙い目の懸賞がある。それは地元のフリーペーパーの読者プレゼントだ。
街中で配っていたり、自宅のポストに勝手に投函されているアレだ。あまり真面目に読むことは無いと思うが、けっこう読者プレゼントをやっているものだ。
都会ならまだしも、田舎のフリーペーパーの読者プレゼントなど、応募数もタカが知れているだろう。
もちろん毎回当選という訳でもないが、他のどの懸賞よりも圧倒的に当選する確立が高い。
実際、俺は北海道の田舎町に住んでいるのだが、地元フリーペーパーの懸賞は頻繁に当選している。
実は、昨日も地元フリーペーパーによる「北海道に所縁のある本をプレゼント」に当選し、好きな小説家の新刊が届いた。
これから読むのが楽しみだ。
以前にもフリーペーパーで地元産の米や、地元の牛乳を使ったケーキ、カゴメ野菜ジュースの新商品が自宅に届いた。
あとは、雑誌を読んでいれば「こんなの誰が欲しいんだよ」と思うような、微妙なプレゼントをしていることがある。
「いらねー」とは思いつつも、試しに応募すれば、これがまた予想通り当たったりする。
例えば、オヤジ向け週刊誌を見るとAVやオナホールなど、大抵の人が「こんなもん家に送られても困るんですけど」と言いそうな読者プレゼントをしていることがよくある。これは応募者数も少ないだろう。
とりあえず、思いつく限りは書いたと思う。
半年間実験的に懸賞に送りまくった結果、月に1、2個ペースで当選した賞品が届くようになった。
懸賞はまさに「数打ちゃ当たる」に他ならないということを実感している。
日常生活を送っているだけで、懸賞情報は割りと簡単にいくつも見つけることができる。
日常の隙間時間を少し使うだけで、簡単にいくつか応募ができてしまう。
ちょっとしたヒマつぶし程度の趣味としては、なかなか楽しいものだと思う。
最初のうちは中々結果が出ずに挫折しそうになるが、続けていれば必ず何かは当選する。
いや、ブコメでも指摘されてたけどね。
「昭和47年生まれ。他の世代よりもぼくらの遊びは幸せだった!」ってエントリ。
いや、自分らの子供のころの遊びを懐かしむのは勝手だが、「他の世代より幸せ」って言い切る臆面のなさは、団塊世代の老害オヤジのあつかましさとまったく変わらんし。
輪をかけてひどいのは一部のブコメで、「有史以来これほど文明が急カーブで変化した時代も無いだろうし、面白い時代に生まれたよね。」なんてのに一個でもスターがついていたことに驚愕。
んなわけないだろ?
自分もほぼその世代だから言うが、蒸気機関車だの、電話だの、ラジオだのが始めて入ってきた時代に比べりゃ全然、急カーブで変化なんかしてなかったぞ。
戦争おわって教科書で教えることがまったくかわり、米兵からチョコレートもらったり、初めてコカコーラ飲んで「なんだこの薬みたいなのは」と思った経験もない。
一般家庭にテレビは入り終わってたから、自分の親世代が「皇太子(現在の天皇)の結婚パレード見るためにテレビ買った」なんて話きいて、なんてダイナミックに変化した時代なんだと思ったもんだ。
ネットや携帯やスマホが普及し始めたのは、俺らが成人してからだしな。
もしyoutubeとか自分の子供のころあったら、「僕もyoutuberになりたい!」とか行ってたかもしれんし、思いつきでアップした動画のおかげで、海の向こうの知らない国の人と友達になったかもしれん。
今の子供たちには、ほんといろいろな可能性が広がっていると思う。
俺らはまだまだ、街に外国人(フツーにガイジンとか、失礼な呼び方してた)なんて珍しかった世代だからなあ。
ああ、自分の同世代が、かつて忌み嫌ったような「老害オヤジ」になっていくさまをリアルタイムでみるのは悲しい。
でもまあ、結局、そういう人のほうが多数派だったりするんだろうな。
あの、無邪気になつかしがってるブコメの数でわかる。
で、団塊ジュニアは人数が多いだけに、下の世代から「あの老害の集団が、日本をダメにしている」って叩かれる光景が、もうすぐそこに見える。
多分「年取った団塊ジュニアの福祉や医療をどうやって支えるか」ってのが大問題になってるだろうしな。
憂鬱だわ。
うちの死んだ婆さんは、明治生まれで日本女子大学校(いまの日本女子大)でてたくらいなので、相当なお嬢様だったのだけれど、とにかく「税金を払いたくてしかたない」人で、うちの母ちゃん(嫁)が難儀したらしい。
何しろ、「所得税が納められる」ということ自体がステータスで、そのいきついた先には「高額納税者は貴族院議員になれる」「うまくすると爵位がもらえるかもしれない」という特典があったりした時代で、リアルに「女学校時代のお友達には、お父様が高額納税者で貴族院議員」なんて人がいたりしたので、死ぬまでその辺の意識が抜けなかったらしい。
戦前の日本なんて、とてつもない格差社会で、社会福祉もへったくれもなかろうし、当時のばあちゃんにとって下層の人はマジで「別の世界の人」で、その人たちに自分の税金が無駄遣いされているなんて意識もなく、普通に「税金たくさん納めるのは名誉なこと」という価値観でいきてたんかな、と思う。
なお、婆さんの実家は、いわゆる「農地改革」のときに不在地主であらかた土地を取られてしまい、絵に描いたように没落していったらしいので、自分が生まれたときは平凡な地方公務員の家庭でした。
え!そうなの?
少年漫画のテンプレってラスボスが実の父親パターンが多いのかと思ってた。刃牙とか、幽白とか、あと細かい作品いろいろ。
H✕Hは父親を「絶対に追いつけない偉大な存在」にしておいて、作者が年食ったらオヤジ目線にシフトしていったのが面白いなと思ってた。
今40~50代くらいの男作者って戦争経験者のジジイとか、高度成長期で一財産築いた団塊世代の父親にプレッシャーかけられて育った世代だから、父親を「超えられないもの」みたいに萎縮しちゃってるみたいでキモいと思ってたんで、それに真っ向からアンチテーゼ唱えたジョジョはやっぱすげえな、先見の明があったなって素直に感心するわ。
出張で地方に行ったとき余裕があれば銭湯に入るのが私のささやかな楽しみ。この前行った銭湯になんかモヤっとしたので、メモしとく。
ネットで調べると、ホテルから結構近くに銭湯が有ったので直行すると住宅地の裏路地という感じの場所だった。建物の大きさは普通の民家と変わらないので、男女と書かれた暖簾がなければ、割烹料理か何かと勘違いしそうな佇まいだった。道路に面した壁に入浴料金が書いてあって、その横に手のひら大のホワイトボードがあり、「入浴マナー向上月間」と書いてある。正確にはなぐり書きというか、パッと見で落書きと見間違える汚さだった。まだ、このときは若干の違和感を感じつつも都会に比べると安めの入浴料に嬉しく思っていた。
ガラガラと引き戸を開けると右側に下駄箱、左側にカウンターがある。カウンターに行って、お金を払おうとすると、そこに居た受付の兄ちゃんがロボットのように言った。
たしかに、そういうシステムの温泉は多いので納得した。しかし2畳ほどの玄関スペースに傘、靴などなど明らかに銭湯家の私物と思われるものがおいてある。1人か2人しか、お客は入っていなかったが傘立てはパンパンだった。なんか嫌な気がしてきた。それでも下駄箱に靴を入れ、その鍵を持っていつ洗ったか分からないタオルが床に敷かれた上を通ってフロントに行った。
脱衣所へ向かうと、建物の構造は新築そのもので清々しいが、不思議な光景が目に入った。部屋の隅にはどう考えても利用客のものとは思われない私物が積まれていたし、自宅にあるような洗面台の棚には無造作に歯磨き粉とイソジンがそれぞれ複数個置かれていた。そして洗面台と壁との10cmほどの隙間に、シャンプーが放置されていた。一体誰が何のために置いているのか。ゴミなのか? 友達の家にでも遊びにきたのかと錯覚した。そして、銭湯独特の石鹸臭がするわけでもなく、生活臭がした。祖父母の汚屋敷に行って、風呂に入らされた幼少期のつらい記憶がフラッシュバックし、このまま帰ろうかと思ったが入浴料は既に払っていたので、留まった。床も壁も綺麗に掃除されていたので、リフォーム済みだということを自分に言い聞かせた。
浴槽も、洗い場も6人程度の小さめだがそこは至って普通だった。さっさと体を洗って湯船に入ると、激アツ湯だった。ふと壁面を見上げると、壁画が書いてある。ヘタウマというのだろうか、柔らかいタッチとでも言うのだろうか、普通の銭湯の壁画に期待される精緻さというものをこの壁画は全く満たしていない。素人の落書き、あるいは職人を雇うカネすらなかったのかと疑いたくなる。そして、この銭湯も例によって山が描いてあったけれど、どう見ても富士山にしか見えない山に文字で地元の山の名前が書かれている。絵に文字を入れて説明するのは銭湯壁画としては最悪の部類に入ると思う。そして、山の手前ではハナタレ小僧が3人ほど草原でキャッチボールしている。丸坊主の少年は本当に腹が立つほど憎い顔つきでこっちを見ていた。隅の方にハゲオヤジがチョコッとアクセントで描かれていたが、もはや意味不明だ。一体どんなセンスをもってこの絵を作ったのか、私は理解に苦しんだ。乱雑な玄関、私物の放置された脱衣所と合わさって、不快な思い出になった。
体が温まったので、さっさと湯から上がりホテルへ一目散へ帰った。こんな銭湯だったらボロホテルのユニットバスの方がよっぽどマシだと後悔したが、これもまた旅の思い出と言い訳している。私は、築ン十年のボロ銭湯でも楽しく入れるが、この銭湯では一体なにが自分を不安にさせていたのか。
読んだ。
なにこれ?ちょまど氏界隈に対する憶測と性格を変えろみたいな見当違いかつお節介なアドバイス?よくこんなもの書いて公開できたな。
ちょまど氏って人は全然知らんけど、要するに常にこういう扱いされてきた人なんだね。フロッピーのまとめも覚えてるわ。いわゆるオヤジ転がし的な能力を十分自覚してやってきた人でしょ。
このエントリ書いた人とかちょまど氏をチヤホヤして可愛いだの姫だの持ち上げてた人たちは、ちょまど氏を人間扱いしてないよね。
アイドル産業見れば分かるとおり、チヤホヤする側にこそ快楽があるんだよ。チヤホヤされる側だけが快楽なんじゃなくてね。
だけどそういう快楽追求は仕事や勉強会では邪魔だからTPOわきまえましょうねって話。たったそれだけ。
アイドルじゃなくて人間なんだから人間として扱えってことだよ。
今回炎上したのはちょまど氏の性格や容姿や職業のせいではなく、TPOわきまえずに手近なところでアイドルオタク活動をやりたがった貧乏性の取り巻きたちが原因。あいつらが変わらない限り第二第三のちょまど氏が現れてその度に炎上する。
ちょまど氏のような人を避ける方法はない。だって氏には問題はないんだから。男性恐怖だろうと容姿が優れてようと若かろうと女性だろうと、それらの条件でコミュニティ出入り禁止にできないことなんか誰でも分かるよね。
手近なところでお金かけずにアイドル探ししてチヤホヤして仲間と盛り上がりたいって奴らは、自分にとっての「異物」を探して同じ人間とは認めないことで相対的に自分の立ち位置を確認したいだけ。
実はいじめと同じ構図なんだよ。
いじめられっ子の中にも、いじめに染まりすぎてどんな集団にいても無意識に蔑まれるような位置に自分を置いてしまう癖のある人がいる。ちょまど氏がやってるのはそういうこと。最初は純粋に技術が好きだったのかもしれないが、どこ行っても多かれ少なかれ姫的な立ち居振る舞いを期待されるのがわかってきたら、それを特技として生きていこうとしても不思議はない。じゃなきゃエヴァンジェリストとかいうよく分からん職種に就こうとはならんしね。そう言えば、ばびろんまつこも広報として採用されてたんだっけ。
重要なのは、そういう立ち位置を自ら希望して就職しようが何だろうが、それ自体は他人から咎められる謂れはないってこと。いじめられっ子が自らいじめられやすいポジションについてしまうことは責められることではない。
いじめられやすい位置につくいじめられっ子がいようと、チヤホヤされやすいポジションに進んで収まる姫だろうと、周囲は決していじめもチヤホヤもしてはならないってことだよ。
本当に技術が好きならチヤホヤされなくても業務を進めるだろうし、それで終わることでしょ。何が男性恐怖だよ。問題があるのはちょまど氏じゃなくてお前ら自身だよ。
余談にはなるが、鶉まどか氏も北条かや氏も他人との相対的な位置関係でしか自身を捉えられず、「そういう社会をあえて俯瞰してキャラとして売ってます」というポジションでやろうとしたが結局うまく行かなかった。斜に構えた姿勢だけで成功できるほど社会は甘くない。人間性を売り物にするなら最初から芸能界に行って「私を人間扱いしなくていいですよ」と宣言できるだけの胆力が必要なんだろう。
自分もうまい具合に年をとってしまったから、たくさんの物事を俯瞰してみることが出来るようになったりしたけれど、たまに「あっ上から目線だな」って思うことがあり、我が身を振り返る。
誰しも思考が固くなり、傲慢になっていくのかもしれないが、俯瞰して見るなら自分のこともそうやって客観的に見ることを忘れなければ、
あの頭の固いオヤジのような
いや、特定の誰かの話ではないけれどね、そんな人間にならなくて済むんじゃないか
しらね、しらないです、そうなろうがならなかろうがどうでもいいし、こんなことを書く意味があるかどうかなんてどうでもいいし、例えばこういう話を誰かとしたとして意味があるかどうかもわかんねえし、あまりにもアタリマエのこと過ぎて誰も言わないのかもしれないし、何が正しいのかも何が間違っているのかもわかんねえし、どうでもいい、わかんねえ、しらねえ。
って特別こんなところにでさえ書く必要のないことを思ったわけよ、今この瞬間、なんて言えばいいのかわからないけれどいろんなものや時間が中途半端になってしまって、あまりにも何もない瞬間が訪れてしまって、webのドコかを汚したかったのかもしれない。ブログもねえし日記付ける習慣もとうになくなってしまったし名前出して書くようなものでもねえし、ただ何かをタイピングしたかったのかなあ。
すごい、あまりにもどうでもいい話になっている。ここ開いた時は、ここまで書いた分の半分ぐらいで終わってたはずなんだけど、何か足りなくて、でも遂行する気にもなれないし、読み返す気もないし、ああ
12月か。師走。シワがスッと増えていくんだよ。ああ~~~ときのながれのよう~~~に~~~あ、川だっけ、なんでもいいか。おやすみ。
ブログをやってないので、ここに書かせてもらいます。etc-etcです。
今日話題の「トランプ勝利95%確実」という朝日新聞の記事にこういうブコメをつけました。
ポリコレの棍棒で殴られるのが怖いから投票日まで黙ってた労働者階級がどれだけいたか。
トランプは勝つべきでなかったが、勝たなければ彼らの声は省みられず
メディアに踏みにじらて終わっただろう。重い結果。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJC9410CJC9UHBI029.html
選挙前から思っていたことを書いたら、一番スターがつきました。ありがとうございます。
その後、kyo_juという人から僕のブックマークのタグ自体にブクマがついて
(タグにブクマを付けられれたことがなかったので知らなかったですが、付けられると通知が来ます)
突然こういうコメントを残されました。
つまり、僕のあるタグに彼をブクマをして(職業に関するもの)、
「お前の職業を特定したぞ」と示唆というか脅迫してきた訳です。
幸い、僕はその職業に従事していないのですが、実はそこに関連のある職業についています。
なので、物凄く恐怖を覚えました。想像してほしいのですが、突然そういうブコメがつくのは怖いです。
元々、僕はkyo_juさんと絡んだことは一度もなく、いわゆるはてサの人だという認識しかありません。
なので、急に特定を示唆されたことにびっくりしましたし、何が理由なのかさっぱり分かりませんでした。
続いて、彼は僕の最初に掲げたトランプの記事のブクマ自体にメタブクマをしたので(これにもあなたのブクマにブクマついたよと通知が来ます)
僕の今日のブコメが気に入らなかったので脅迫したということがわかりました。
僕はブコメの内容自体を批判されることは慣れていますし、それは構いません。
しかし、そのブコメをしている僕自体の職業や住所を特定できると示唆するのは話が違ってきます。
自分と違う思想のブコメをしている人を「特定するぞ」という行為は許されるのでしょうか。
それこそ、僕の最初のブコメでいう「ポリコレの棍棒」そのものではないでしょうか。
こういうことがまかり通れば、ブコメで自分の思うことは書けなくなります。
僕は彼に抗議し、特定できるぞと示唆するのがどういう行為で、恐怖をどれだけ感じるか、
あなたもされたらどう思いますか、と問いましたが受け入れてもらえませんでした。
さらに、kyo_juさんのツイッターを見てみると、相当僕のブコメが気に入らなかったらしく、
今日の僕のブコメにスターを付けた人(100人程度いるでしょうか)全員のアカウントにツイッターでリプを飛ばしています。
はてブと連携をしている人であれば、今日kyo_juさんからメンションがあったのはそういうことです。
これも脅迫というか、おそらく法的には問題ないのでしょうが、怖い行為だと思います。
俺と違う思想のブコメにスターをつけた人、お前ら、どういうことだ、と絡んでる訳ですから。
https://twitter.com/kyo_ju_/status/796279561562431489
https://twitter.com/kyo_ju_/status/796279663135838208
(中略)
https://twitter.com/kyo_ju_/status/796280253832269824
https://twitter.com/kyo_ju_/status/796280466353467392
自分とは違う思想のコメントをするだけで、特定を示唆され、発言を躊躇うことがあってはならないと思います。
そして、それをリベラルを名乗る側が行っているという、目眩を覚えるような状況がそこにはあります。
加えて、彼のこういう行為のブコメにスターをつけて支援するzakinkoさん始めとした有名な人々がいます。
遠い日本でさえ、選挙結果を受けて米国のポリコレという"正義"の行き過ぎの現状に疑問を呈しただけで、このような有様なのですから
(そもそも僕は「トランプは勝つべきでなかったが」とブコメに書いたようにトランプ支持ではないですし
またポリコレ自体を否定するのではなく、彼らが定義した「ポリコレ」という正義を振りかざすことの暴力について語っています)
アメリカではネット上でトランプを支持するというだけで、どれだけの攻撃を浴びるか分かりません。
都市部エリートの中ではピーター・ティールのような変わり者くらいですし、彼が受けたバッシングは凄まじいものでした。
そのような状況の中で口を閉ざした人々が膨大にいた、ということを今日の選挙は表しているのだと思います。
そして、日本でそのような状況を生んではいけないと思っています。
長くなりましたが、「ブクマから特定できるぞ」と脅す行為は、法的に問題ないのかもしれませんが、
思想が違うというだけの相手に対してやるべきではなく、それこそが"ポリコレの棍棒"だ、というのが僕の主張です。
(追記: 直近に起きた事件の記事に近所で起きた旨コメントしてたので、こういう危ない人に「職種と住所は分かってるよ」と言われた怖さといえば分かるでしょうか。
被害妄想だの幻覚だの拡大解釈だの、こういうときはセカンドレイプのオヤジみたいに変わることに呆れてます。
有名左派ブックマーカー勢揃いで現れてスター付け合って擁護しあってるのは面白いです。
だって、「国境に壁を造る。費用はメキシコ持ちだ」とか「炭鉱の町を昔のように繁栄させる」とか「偉大なアメリカを取り戻す」って
霞ヶ関から埋蔵金掘り出したり、最低でも県外に移転したり、コンクリートから人へお金の流れを変えたりするより、
もっと難しそうじゃん?
そりゃ、どうせテキトーなことを言ってるだけなのはわかっているけど、とにかくヒラリーは嫌だし、アイツならなにかを変えてくれそう、程度の考えで
投票した人も多いんだろうけど、
どう考えても、他人を出し抜いて不動産で大金持ちウハウハなオヤジが、本気でビンボーな労働者の生活を改善してくれるわけないじゃん。
>おれらのオヤジたちが作り上げたものをのうのうと食いつぶしてるのはおれらのだ。
違うよ。
子孫から借金して浪費を繰り返した挙げ句に、いまも子孫からお金を吸い上げてのうのうと食いつぶしているのがオヤジたち。
それで疲弊しているのがおれら。
まさにいま沈没していってる船の上で一切のまともな修理をして来なかったのが、今までの世代の奴ら。
時代は常に動き、今までのやり方では、完全に齟齬が出ているのに何ひとつ治そうとしなかったのが今までの世代の奴ら。
だってこのまま全員が長時間労働続けたら、マジで子供出来ないよ?いつ作るの?
日本人減り過ぎて、少数の働く人間が大量の老人を支えなきゃならなくなって、高負担でまた子供を育てられなくなってって悪循環で、どの道終わるんだけど。
社会保障や年金だって、いつまでまともに機能するか分からない。
どうせ終わるなら船の修理ぐらいやらせろ。
>おれらのオヤジたちが作り上げたものをのうのうと食いつぶしてるのは
今の日本を作り上げたのはお前のオヤジではないと思う。思い上がり過ぎ。
その世代の財産を食いつぶしてるのが、失われた20年間を一切立て直せなかった奴ら。全員。
なんで今まで間違った事がずっと続いて来て、しかも経済の低迷という「大失敗」を招いているのに。
今まで通りやれば全部上手く行くと思うんだ?
科学実験で失敗した方法を何度も何度も何の改善も無く繰り返して、「成功しない」って言ってる奴が居たら、そいつは頭のおかしい奴だろ。
なんか、まさにいま沈没していってる船の上で
「定時過ぎたんでー」
とか言ってるアホなバイト船員みたいでほんと滑稽。
バカの一辺倒で労働時間ガーつって、それと一緒にこれから先の時代に必要なエネルギーもろとも叩いて満足してるのとかほんと終わってる。
おれはがんばらないからオマエもがんばるなよ とかほんと反吐がでる。マジでやめてくれ。氏ぬなら勝手にひとりで氏んでくれよ誰も止めないから。
【追記】
ここでの“船”とは、日本国全体のことを指している
個々の企業の話などしていない。
電通はクソだ。潰すべき。電通を潰すべきなのであって、その他のエネルギッシュだけど誰も不幸になってない場所はそれでもいいだろ。問題は労働時間が長いことではない。
おれは自分の子どもたちの事を考えると、なんでおまえらがそんなに悠長に構えてられるのかがまったく理解できない。
おれらのオヤジたちが作り上げたものをのうのうと食いつぶしてるのはおれらのだ。
そんな中で、度が過ぎた過労や心労がいけないのは当たり前だが、大してモチベーションの高くないやつらが大声でやる気のあるやつもろともぶっ叩いてる構図が怖いんだ。
「かすり傷でもついたらいけないから運動会に出ない」と言ってる子どもみたいに見えるんだよ。
ほんと大丈夫なのかな。
【さらに追記】
「長時間労働をすれば船は沈まない」などとは一言も言ってないのです。
「あんたらのその言い方だと、頑張ろうとしてる人間の足を無駄に引っ張るんじゃないの」と言っている。
「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではないのに、あたかもそれを改善すれば問題が解決するかのように、それが正義であるかのように皆が叫んでいるのが恐ろしい。
「3日間徹夜してがんばったらすげーもんができた!」っていうのをわざわざ潰す必要はないじゃん。
「それをやられるとこっちがバツが悪い」とか言うやつに合わせなきゃならない社会なんて、それこそ共産主義的でこわいんだけど。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/092300445/
この件については電通に同情する余地はなく、徹底的に膿を洗い出して欲しいと思う。
ただし「広告代理店は不正を働くものだからもっとノルマや監視を厳しくしてコストを下げてやれ」という方向に流れがいくことが個人的には一番怖い。この件は電通の組織的な問題だけではなく、広告業界全体の問題、ひいては企業の広報担当者やメディア関係者含む、広告に携わる全ての組織と人間が関係する問題だと思うから。
知らない人多いと思うけど、電通は日本のデジタル広告を扱う代理店の中では最も先進的な取り組みをやっていて規模も大きく、ここ最近M&A含めかなり強引にデジタル化を進めて、テレビ一辺倒の収益体制からの脱却を図ろうとしていた。
誓っていうけどおれは別に電通の回し者でもなんでもないし、つい先日まで広告代理店でデジタル広告をやっていた。もう辞めたけど。後で書くけどデジタル広告業界は漆黒なほどブラックな業界だ。これを業界全体が改善するきっかけになったらいいと思ってるけど、さらに悪い方向に進む可能性もあると危機感を持っている。こうやってる今も死にそうな顔で仕事をしてるかつての同僚がいるに違いないし。
まず今回の問題を乱暴に一言で言ってしまうと「日本の広告業界のデジタル広告の未成熟さ」に尽きると思う。
何が未成熟かというと色々あるが、中本副社長も言っている通り「組織の管理体制」「恒常的な人不足」がまず大きい。元も子もない話だけど、「発注する側も受注する側も、デジタル広告についてあまり分かってない」ので。
広告代理店は「代理店」なので、発注者が面倒臭い、できればやりたくないことを代理でやることでお金を頂戴している。広告戦略の策定・具体プランの提案・運用・レポート・反省点と次に生かすべきポイントを報告、などなど。会社にもよるし人にもよるからこれが全部じゃないけど、基本的に企業の広報担当は代理店からの提案を受けて、確認をし、問題があれば改善指示を出し、よければ社内決裁を通すだけの場合が多い。この社内決裁がまた面倒だし、最近は定時もうるさいので発注者側はデジタル広告について勉強しない。そもそもあまり興味がある人もいないかもしれない。それでもデジタル広告は国産/海外産含め新しいテクノロジーや広告メニューが毎日のように発表されるし、それを活用した新たな事例や手法がどんどん登場する。代理店の担当者はこれらを常にチェックして、発注者のためになるプランとメニューを作り、適切に受けた発注の運用を行なっていかなくていけない。
ただしこれができる代理店の人間は、もう本当にほんとーーに少ない。代理店の人間の大部分は、細かい数字ばっか追っていくような仕事をそもそもやりたがらない。でもニーズはめちゃくちゃある。だから発注を受けたら子会社やグループ会社の人間に丸投げすることになる。
そして子会社やグループ会社の人間は、残念ながら優秀な人間は少なく、大きな戦略を作ったりすることはおろか、与えられた目の前のタスクもボロボロこぼしていく有様だったりする。そりゃそうだ、給料低いんだもん。経験の少ない若者か、経験はあっても能力の低い人しか雇えない。
代理店はその中でも比較的マシな人間を代理店に出向させて名刺をもたせて権限を与えてデジタル広告担当として業務を押し付ける。そこで成長してバリバリこなす人もいるけど、たいていは津波のように押し寄せる業務に呆然となってしまう。日付の確認ミス・金額の記入間違い・指示を勘違いして間違った発注をする、間違ったバナーを掲出する等々、細かいミスやケアレスが多発していく。呆然となりながら業務をしているとミスをしたことすら気づかず、次々とやってくる業務をちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返す。受注を取ってくる営業がそんな細かい運用の話をわかるはずもなく、売り上げのことだけを考えて、ミスが含まれたレポートや請求書を、分からないまま得意先に報告することになってしまう。
デジタル広告の運用結果は数字に表れるから、得意先は代理店から報告された数字を見ながら、提案されたプランの中で、予算に合っているメニューを選んでいくんだけど、その数字には「どれだけの人間が稼働して作ったものか」が一切現れない。デジタル広告担当は毎日朝帰り、休日出勤当たり前が恒常化している。体を壊して休職する者も多い。
広告代理店は発注者の「これやりたい!」を何とかして叶えてやることで食っている商売だから、それは組織としてやりたいを叶える体制を作らないといけないんだけど、管理職のオヤジどもはデジタル広告の現場で何が行われているかわからず、かつて自分達がテレビコマーシャルの受注を取ってきたようにイケイケドンドンで売り上げを伸ばそうとして無茶なノルマを現場に課すことになる。
現在広報部長や宣伝部長を務める人も同様で、何となくデジタルが重要だということは知ってるけど、具体的にどういうことなのか全く分かっておらず、面倒臭いことは嫌だから細かい数字の話は避けて、「とにかく最先端でかっこいいことをやって目立って話題にしてほしい」と言う。そもそも得意先の言う「やりたい!」がどう考えても達成出来ない無茶苦茶な要求である場合も多いのだ。
これは広告業界に蔓延する悪癖のようなもので、特に電通は「いまの広告の最先端はこれですよ!?え、あなたの会社はまだですか?遅れてる!」といって発注主も代理店も煽って焚きつけて商売にしようとしてる。電通報とかその権化のようなサイトだ。
そもそもデジタル広告をまともにできる人間が全然育ってないのに、業界全体で「デジタルだデジタルだ」と掛け声だけは威勢が良く、組織的なサポートもほとんどなく小会社やグループ会社、下請けに丸ぶりし、一部の責任感の強い担当者が過労で疲弊する中でミスが起こり、ミスに気づかず間違いのまま発注主に報告や請求が行く。
広告のデジタル化は避けては通れず、今後も需要は高まっていくのは間違いなく、今は完全に個人が人力で回しているのをいかにして組織的に回していけるようにするかが課題だ。
一番の問題は発注者側も、代理店側も、「デジタルはやらないといけないのは分かってるけど、面倒臭いことはやりたくない」というマインドであることだ。
電通の不正を追及するのは最もだけど、本質はそこではなく、業界に携わる人間全員が腹をくくってデジタル広告を正面から取り組むこと、そしてそのための組織的なサポート体制を作ることだと思う。