萌えコラボとかがフェミニストの方々からたびたび批判されてるじゃないですか。
女らしさの押し付けだ、とか、まあ、そんな感じで。
要するにキモオタ的なものが、女性の権利が向上する世に合わない、と。
でもね、僕は全く逆だと思うんです。「女性の権利が向上するほど、女性が不快に感じるキモオタ的なものが世に溢れるのでは?」…と。
なんでかって言うと、ここでキーポイントとなるのは「家父長頑固オヤジ」です。
ここでいう「家父長頑固オヤジ」は具体的に言うなら、「男尊女卑」「モラハラセクシスト」「多様性を認めない」…まあそういう存在です。
女性の権利の向上はこの「家父長オヤジ」の衰退とともに進出してきたではないですか。違うんですか?
一方で、大昔から「キモオタを抑圧してきた存在」とは何でしょうか…?
もうおわかりですね(笑)「家父長頑固オヤジ」に他ならないのです(ΩなっなんだってーΩ)。
まあ大昔は「オタク」なんて言葉はなかったけど、昔の時代で言い換えるなら「いい大人になって幼稚な趣味に耽溺すること」全般ですね。
「キモオタ」を抑圧する存在は「家父長頑固オヤジ」に他ならないのですよ。
だから私は、「女性の権利」の向上のために、「家父長頑固オヤジ」が衰退したために、結果的に抑止力が無くなって「キモオタ」が溢れる世になったのでは…と思うわけですよ。
そして現代で、家父長頑固オヤジ以外でキモオタを抑圧する存在はいるのか?というと、残念ながらいないと言わざるを得ません。
フェミニストとかリベラリストとかの方々がキモオタを批判しても、当のキモオタは「な~んでお前らの言うことを聞かにゃならんのだwおならぷうwww」で鼻ホジ一つで終わりなのです。
「家父長頑固オヤジ」が「そんな気色悪いもんとっとと卒業せんか~い!!!ゴルァ!」と叱りつけることによって、初めてキモオタはビビっておずおずして半分チビリながら渋々言うこと聞くわけです。
(ここで「いや息子はカーチャンに叱られたときも言うことを聞くのでは?」と思うかもしれませんが、ここで言う「カーチャン」は「家父長頑固オヤジ」が存在していることが前提で、所詮叱りつけの中継役をしてるに過ぎないのです)
いやいや、誤解せんでいたただきたのですが、私は大昔の男尊女卑社会に戻れ!とかそんな保守主義じみたことを言う気は無いですよ。
ただ言いたいことはね、「女性の権利が向上していくこと」と「キモオタ的な表現が世に溢れること」は並列して進まざるを得ないんだと思うんですよ。
「キモオタ表現が世に溢れること自体が女権の妨げだ!」とか言ってもどうしようもありませんよ。しょーがないもんはしょーがないッスよ。
「キモオタ表現を抑圧する役目」である「家父長オヤジ」が衰退したのだから。
それでもキモオタ表現が抑圧したいと言うなら、その役目を担う新しいシステムなりなんなりを発明しないとどうしようもないでしょう。
なんでそこまで長々と書いて、「その権力が欲しいのだ」って可能性に触れないんだよ。