はてなキーワード: オヤジとは
「めんどくさいなーまたあのオヤジのとこ行くの……。って思いながら取材いく準備しているときでも、私の身体の中には、それを調べたいって思い立ったときの高揚した感覚を、ほんの少しだけどたしかに感じるんだよね。感情っていつも同時にひとつだけしか感じられないと思い込んでたけど、本当はたくさんの感情をいつも同時に身体は感じている。でもその体験を思い出そうとすると、そのとき一番強く感じていた感情だけしか思い出せないんだよね
。」
「だから私は、できるだけ感情のラベルを自分で貼り替えるようにしてる。めんどくさいめんどくさい言ってる自分の記憶じゃなくて、もっと知りたい、っていう好奇心で動いてる自分の記憶で、頭をいっぱいにしたい。そういう記憶の積み重ねが、『私は好奇心旺盛な人間だ』っていう、自己認識の強化につながっていくんじゃないかと思ってるんだよねぇ。」
私はハゲである。そしてほんまもんのハゲになりつつあり、ハゲではなかった時代がある。
遺伝子的に見ても、どの角度から見ても禿ない要素はない遺伝子である。親父もハゲているし、祖父もハゲている。母方の伯父も叔父も禿ている。ハゲの遺伝子の塊である。
ちなみに書きにくい話だが、我が息子はハゲのサラブレッドである。なにはともあれ30までに結婚することを推奨したい。
こう書いているとハゲであることを克服しているように見えるであろう。でもそうではないのだ。ハゲはじめて8年足らず。まだまだ、自分がハゲていることを乗り越えていない。その証拠にここまで書いていて、けっこう心が痛む自分がいる。ハゲである自分を見つめるのは、小学校の頃に不細工である自分に直面し絶望したそれに近い。
『ハゲであるという事実』は不思議なことに『ハゲててもいいじゃないか』という合理的な思いとは別次元のところにあるようだ。コレによる傷はなかなか癒えない。そして残酷なことに小学校教諭である私は、このハゲである自分と常に対峙させられ、ハゲである自分を十分に活かしきって生きなくてはいけないさだめにある。
たとえば、教卓で漢字ノートの丸つけをしている。すると目の前の比較的親和度の高い女子が真面目に「先生、ハゲを見るのが心苦しいので顔を上げて頂けませんか」という。申し訳なさそうに。だが言葉を知らないストレートな表現で。
たとえば階段。あがっていった先で子どもが待ち構えている。何も言わないがハゲの心は「ハゲで笑われるのではないか」と思う。実際笑われたというオヤジ殿の過去経験を聞いたりする。
高身長の自分は河童ハゲなので、下から見上げられてもハゲが分かりにくい。だが、上から覗かれると無残だ。ギャップも激しい。
そうするとどういう対策を取るか、が重要となる。そう、ここからは「ハゲ教員のハゲ教員によるハゲ教員のための生き方」だ。まさに秘中の秘。大学では教えてくれないハゲの小学校教員の正しい身の処し方だ。
まず方向性として隠すのはよくない。ほんとに隠してはいけない。
子どもたちは思うだろう。
「隠すほどに気にしている、ハゲ程度で。大人のくせに。頼りないハゲだ」と。
これは教員として致命的である。『お前ら禿たことないくせにハゲの苦しみが分かるのか!隠せるものなら隠したいのは人の情!』そう言いたい、叫びたい気持ちをグッとこらえて、あえてさらけ出していこう。ハゲを。しょうがないのである。ハゲだから。心にグサグサくるけれどあえて戦う。なぜならハゲは性癖でも性格でもなく、単なる身体的な特徴だからだ。結構な数の男がなるものだからだ。隠してはならぬ。
教員として、その姿は見せねばならぬ。
次。
その上で叫ぼう。
「先生は自分がハゲているという事実に傷ついている」と。「なぜだか分からぬがハゲるということは結構心にくるものだ、君らに分からないかもしれない。先生にも分からない。子どもの頃に自分が特別ではないと感じたあの時のような、あの絶望感にも似たものを今、先生は現在進行形で味わっているのだ」と。人間として当たり前の情が先生にもあるのだ。こうして傷つきながらも先生はそれを隠さない。その姿勢を感じて欲しい!!との心意気で。
子どもたちはドッカンドッカン笑いながらも「ん?もしかして本当に傷ついているのかな?」と思い始める。
ここからはハゲを積極的に前に押し出していき、ガンガンハゲネタで攻めていく。理科の光の実験のときは「先生は鏡なくても大丈夫」とか、暑い日差しのときは「先生は帽子被らないとハゲが日焼けして皮がめくれるんだよね」とか、テストの時間にシーンとした中で「ペチンペチン」と頭を叩いてリズムをとってみたりする。
ポイントはその度に酷く落ち込んで見せることだ。「またハゲをネタにしてしまった」と。たまに学級通信で「ハゲをネタにしているけれど、言いながら結構傷ついているんだ」とかサラッと書いておく。
そのうち子どもがきっと言う。「先生ははげー」と。たぶんかまって欲しくて寂しくて何とかこっちを見て欲しい、そんな子が言う。たぶんあんまり能力がない、コミュ能力も含めて。
そういう時は「そうだね。とっても傷ついたよ。○○君が先生を傷つけようとした気持ちはちゃんと受け止めたよ。うん痛かった。」と悲しい目をして伝えてあげよう。怒ったりしてはいけない。淡々と。静かに。理由はハゲを隠さない理由と一緒。
たぶん、二度としてこない。もし繰り返したときは周りの子が止めはじめる。
ネットで調べていたら「ハゲ」と「チビ」は同じ漢字が当てられるらしい。「禿げ・禿び」である。そんなネタを見ていたら、ついうっかりハゲを自撮りしてしまった。
高学歴・低学歴関係なく、一度は一定期間アルバイトでいいから接客業経験あるといいと思うには同意。
本来大きな社会生活の中では対等という建前であろうと、お客様と店員など「その場」において常に一番下手にならないといけない立場、
多少理不尽あれど言いたいこともいえないこんな世の中…じゃなくて場、笑顔と丁寧な対応が必要、という経験は大事だと思う。
元の記事にあるいわゆるクソ客になるような人間がそれで全てなくなるわけじゃないけど、
元記事にあるような「クソ客」、つまりチンピラは、はたから見たら本当に見苦しい。
ちょっとずれるけど、以前勤めていた会社に、まあワンマンパワハラセクハラ自慢大好き威張りちらしオヤジがいたわけですが、
まー、金もちでいい学校出してもらったんですね、でもお前はただのクソチンピラだ! としか思えなかった。
しかしそいつよりよほどえらい立場のおじさまが本当に素敵なロマンスグレーで、
まだ20代ちょいのどヒラの小娘だった私にも、正社員とか関係なくパートさんにでも、
物腰柔らかで美しい敬語でにこにこお話してくださる(という言い方になるくらい素敵)ので
…いや、これは「キモオタ趣味」がリベラル的だ、とのたまうわけではないです。
まあ所謂「キモオタ趣味」って「保守的」「ネトウヨ」とレッテル貼られやすいじゃあないですか。
それ自体は別段否定し難いとこはあるとは思います。(全てがそうだと言う気は無いけれど)
例えば美少女キャラの消費の仕方が、処女信仰くさいとか女らしさの押し付けだ、とか、まあそこら辺ですね。
では何故リベラル社会でそういうウヨくさいキモオタが蔓延ると宣うのか?
さて、ここで、キーワードとなるのは「「家父長オヤジ」であります。
「頑固で多様性を認めない」「モラハラセクシスト」「男尊女卑ミソジニスト」…まあそういう存在ですね。
リベラル社会は全て「家父長オヤジ」という保守的な存在が衰退することで実現していきましたよね。ね?
…さて、旧来の時代において「キモオタ」を抑圧していた存在とは、何でしょうか…?
(いや昔はオタクなんて言葉は無かったから、「いい年して幼稚な趣味に耽溺する大人全般」か)
もうお分かりですね(笑)
「家父長オヤジ」です。
「いい年してこいてキモい趣味に耽ってんじゃねぇ大人になれアホンダラぁ!」
とでも問答無用ピシャリと言いつけてやれば、それで済んだと思うのですよ。
晴れてキモオタ卒業Graduationです。
しかし「家父長オヤジ」が衰退したリベラル社会ではそうは行きません。
「キモオタ」を抑圧する「家父長オヤジ」がいなくなったのですから、「キモオタ」は増大します。
リベラリストやフェミニストの方々がその役割を担うのはかなり難しいです。
何せ「家父長オヤジ」とはその「モラハラ」性を以て「キモオタ」を楽勝攻略できたのですが、
リベラリストやフェミニストの方々がその方法は採れません。何せ「モラハラ」性を持てないのだから、
『はああああ?お前らの言うことなんで聞かなあかんねえええんwwwおしっこじょばばばば』
で終わりで聞く耳持ちません。「キモオタ」の増大を抑えられるわけないのです。
(尚ここで「キモオタはおかんに叱られたら言うこと聞くのでは?」と思う方もいるかも知れませんが
所詮そういうおかんは家に居られない「家父長オヤジ」の権威を中継しているだけに過ぎません)
いや、別にね、「時代を大昔に戻して、家父長の権威を復活させよう!」とか極端な保守主義者みたいなことを言う気はありません。
っつーか私はリベラル社会を望んでいるのでご安心くださいパンツも穿いてます。
ただ私が言いたいのはね、
リベラリストとかの方々が主張する
そこまでは、まあパーペキで無いにしても、合ってるとは思うんですよ。
ただ、その次に口に出てくるのが
私達が生きているこの「キモオタ」が増大している現代こそが、まさに「リベラル社会」なんですよ。
リベラル社会になればなるほどキモオタは増えていく、それはどうしようもないんですよ。
どうしようもないもんはどうしようもないんですよ。
もう繰り返すけど、「キモオタ」を抑圧する「家父長オヤジ」が衰退したのだから。
「リベラル社会」でありつつ「キモオタ」を抑圧したいと言うなら、
(1)元増田は上司に特別な感情を抱いていたが、上司は元増田のことを大勢の中の一人としか認識してくれていなかった。少なくとも元増田はそう受け取ったために気持ちが冷めた。
例:“ 私 ” という個人を見てくれている、認めてくれている、受け止めてくれていると思っていたのに「女の子」というラベルでしか私のことを見てくれていなかったのね〜〜〜!!!!
(2)「元気が一番」
例:元気でない私は一番ではないのね? 元気でない状態は望ましくないのね?つまり、私ったら上司にとって望ましい存在じゃないのね〜〜〜!!!!
(3)“ この私が ” 信頼していた特別な上司が、「女の子は元気が一番」などというそこらへんのオヤジが言いそうなセリフを吐いたことが気にくわない。
例:ダサピンクかよ〜〜〜!!!!
オンラインゲームの顔を合わせない相手向けに自分の設定を考えている
[
英語がそれなりに得意
飛行機の操縦とかもできる
柔道初段
合気道初段
[
いい年して未婚なのには訳がある。
長く付き合った初恋の相手がいたが、当時25歳のアメリカ留学中に「日本へ帰ったらプロポーズするんだ」と
フラグを立ててしまったために、オレが帰国する前にその人は死んでしまった。
それ以来誰も本気で好きになったことがない。
[
設定なら女子大生とかにした方が楽しそうな気もするがネカマは無理だった。自分が混乱して疲れるだけだ。
なんかトラックバックが付いてる. . 。そういうときは追記でいいのかな?
[
この設定をそのまま話そうとは思ってなくて、こういう背景で話をするのですよ。
ファンタジー抜きの、物理的に可能な中二病的願望を追求したらこんな感じになった。
ボロを出さず、照れもしない自信あり!
ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ(通称:ミニファミコン or ファミコンミニ)について、「希望小売価格で買えなかった人たち」の不満がくすぶっています。
2016年11月10日に発売されたミニファミコンは、任天堂が思った以上にオヤジ世代のノスタルジーを刺激したらしく、全国的に品切れ続出。任天堂が何度か再出荷するもののすぐに完売となり、ビックカメラでは入荷した時に購入の権利を得るための「抽選会」が開かれる人気ぶりでした。
こうなると活気付くのが「転売屋」と呼ばれる人たち。転売屋と思われる人からのAmazonに出品されたミニファミコンは、希望小売価格が5980円+税(税込 6458円)に対して、7500円~12000円くらいの値段を行ったり来たりしていました。
Amazonのカスタマーレビューでは「悪質な転売屋から絶対に買ってはいけません、再出荷されるまで待ちましょう」「任天堂は一刻も早く安定供給を」「なぜ、Amazonは転売屋を容認しているのか」といった意見が相次いで書き込まれていましたが、2017年4月14日に任天堂が「一旦生産を終了」と発表。Amazonのカスタマーレビューには「転売屋を儲けさせる生産中止、任天堂ひどい」「転売屋の思う壺で、怒りがおさまりません」などの非難や恨み節が並ぶ事態となりました。生産再開の予定は不明で、Amazonでは現在最低でも9800円以上の値段で出品されています。
ここで気になるのは、転売屋(らしき人)を「悪質」と決め付けている人があまりに多いということ。希望小売価格はあくまでメーカーの希望であって、仕入れたものをいくらで売るかは売る人の自由です。少なくとも法律違反ではないし、グレーゾーンですらありません。Amazonに対して「なぜ容認しているのか」などと文句を言うのは、言いがかりとしか言えません。
また、私はこのミニファミコンの転売らしき行為に関しては、道義的にもそんなに非難されることではないと思います。どれくらい人気が出るのか、どれくらいの値段まで出して欲しがる人がいるかなどの需要を見極め在庫を確保して売る、という行為はビジネスとしては普通のことです。特に今回の場合、任天堂が売れ行きを見て大幅な増産を実施する可能性もありましたし、そうなったら抱えた在庫を市場価格と同じかそれ以下で売るしかなくなるリスクを抱えたビジネスだったわけで、「楽して儲けるなんてけしからん!」という非難も該当しません。結果として任天堂が生産中止したのは、転売屋側の見極めが鋭かったというだけのことです。
それに、いつ再生産されるか分からないミニファミコンをすぐに入手して遊べるというメリットがあったことを考えれば、7500円という価格設定は希望小売価格より1000円ほど高いだけであり、全く悪質とは思えません。ですから、「人の足元を見てけしからん!」という非難も該当しません。
任天堂や転売屋に文句を言っている人たちは、商品が統一された価格で充分あるいは過剰に供給されることに慣れきってしまっているのでしょう。
私は、どちらかと言えば「そのうち再生産されますから、適正価格で買えるようになるまで待ちましょう」と、根拠もなく買い控えることを勧めた人たちの方が無責任であり、非難されてもおかしくないと思います。任天堂から「近いうちに充分な量を市場に供給する」というアナウンスがあったわけでもないのですから、「適正価格で買えるようになる」というのは、根拠のないウソ情報と言う他ありません。もしこれが自分の友人の発言で、それを真に受けて買うのを待ったらどう思うでしょう。「あいつが待てって言うから買わなかったのに」と不満に思うのではありませんか。
基本的にはカスタマーレビューの情報は無保証であり、その真偽は自身で判断すべきことです。しかしながら、任天堂が生産終了を発表した今になってもなお、「周囲の根拠のないアドバイスに流されず、買っておけばよかった」という声より「転売屋許せん」「任天堂ひどい」といった声の方が多いように見え、いまだに事の本質に気づかない人が多いことに、違和感を感じずにいられませんでした。
音楽に例えるなら、歌は人々を楽しませ、コミュニケーションを円滑にするツールだ。
しかし、歌にははっきりとうまい下手がある。いくら歌という存在が素晴らしかろうと、歌う人物が調子っぱずれでは逆効果となる。ノースティリスだったら死んでたぞってなもんだ。
それに加え、いくら歌がうまかろうが、挨拶も会話も、まじめな相談もすべてが歌で返されたら?
駄洒落はただ韻を踏めばいいというものではない、発想の転換や飛躍、あるいは文脈に沿った返歌、もしくは諧謔、とそういったテクニックを駆使することでユーモアに満ち溢れた駄洒落は出来上がる。
しかしながら、氏の駄洒落の出来はすこぶる悪い。正直、基本(韻を踏むこと)すらできていない。もう、何年も投稿しているはずなのにだ。
(じゃあ、上手な駄洒落の見本を示せ! みたいなマンガの批評に対して「じゃあ、お前が面白いマンガを描いてみろよ!」と返すようなコメントはお控えください)
また駄洒落がうまくない人に限ってしつこく駄洒落を繰り返す傾向にある。
会話において駄洒落やジョークはアクセントのひとつでしかない。相手に何かを伝えることの補助として使われるもので、それ自体が目的と化すと独りよがりな印象を与えてしまう。
オヤジギャグとは質の低い冗談のことを指すが、なぜオヤジなのかと言えば、そういった独りよがりで対話能力の低い人物に中高年(オヤジ)が多いと感じられたからだ。
ブコメは性質としてはメモ帳のようなものだが、はてブはソーシャルな場である。ただメモ帳として使いたいのであれば、プライベート設定にするのが最善だろう。パブリックにブコメを発信するということは、外部となんらかのつながりを得たいと考えた結果と言える。そして大半のブクマカはそのように扱っている。
氏の場合は駄洒落を言うか言わないか、という使い方をしている。「言わないこと」による発言のコントロールもされているが、言っている部分がほぼ駄洒落であり、内容に駄洒落を言うこと以外の目的も感じられず、非常に独りよがりなものを見せつけられる格好となっている。
氏よりもまだ駄洒落が上ず…マシなヒゲじいが結構なヘイトを集めているのも同様の理由だ。
質の低い駄洒落と、独りよがりにそれを繰り返すというダブルパンチこそが、氏のブコメを不愉快たらしめている原因と考える。
これを受け手の問題だと片づけてしまうというのは、いかがなものだろうか。
あと、NG設定について。
これに関してははてブに限らず、SNS全般に言えることだが、NG設定やブロックというものは、自室に侵入したゴキブリに対して姿が見えなくなるスプレーを提供しているに過ぎないということだ。這いまわる音や、シルエットまでなくすことはできない。というか室内にいることに変わりはない分、逆に怖いな。
嫌いな奴のツイートをフォロワーがRTで回してきたみたいなことはツイッターでは日常茶飯事だ。氏をNGにしたところではてブを使っていれば、今回のようにどこかで氏のIDに遭遇してしまう。
ゴキブリに対する根本的な解決方法は殺虫スプレーだが、これをSNSの場で適応するのは不可能だ。だからこそ悩まされる者は、ぐるぐると負の思考に陥っていくし、結果としてその感情は殺意にまで高まる。
元増田に対して非難を浴びせるブコメも多いが、ここには重要な問題があるように感じる。
それと、これに関連して虚構新聞に触れてる人もいたので、それについても。
虚構新聞で取り扱われている記事の質は低くはないかと思われる。しかし、サイトの思想上、それらの記事は他の新聞記事に紛れ込ませることに存在意義を見出している。しかし事実に基づかない記事というのは、ニュースメディアの意義に反するし、純粋にニュースメディアを欲している人たちにとって、それがいくら出来のいいジョークであろうとゴミクズ以下の代物でしかない。
先ほど自室にゴキブリが…という例え話をしたが、これも人の部屋にゴミを投げ捨てるような行為と捉えられてもおかしくはないだろう。
いわゆる『自称サバサバ系』を愛そうと試みて三ヶ月が経過した。
ちなみにこの自称鯖系とは以下と以下に近いの発言をする人々をやんわりと含む。
「私性格が男なんで」「男脳の持ち主です」「根はオヤジなんで」「黙ってればモテるっていつも言われる」
この手の発言をされると、そこそこ好印象を抱いていた人物に対しても熱がヒューっと下がるようにウンザリしてしまうので、
そっと距離をとるように心がけて生きてきた。
だが30過ぎてこれを主張するのは、男性寄りに自分のポジションを自称して置くことで実は過剰な女としての性を意識している他ならず、
その過剰な自意識が見ていて痛々しい。何故そこまで、自分の本質を客観視できないんだ…。
で、かなりの高確率でサバサバしてるやつは他人なり身内なりとすぐモメる。
で、「本当、ドロドロしてるヤツってメンドくさい。自分サバサバしてるからそういうヤツってすぐ切っちゃう」とかいう。
メンドくさいって言ってるオメーが一番メンドくさい要因なんだよ、とは誰も言わない。みんな大人だから。
だが、とある日ふっと
親の仇のごとく自称鯖を蔑んでしまうのは、自分にも近い部分があるからではないのか。
自称鯖によく分からない因縁つけられ絡まれたりした経験もあるからだと漠然と思っていたが、
もしかしたら自分の中に『自称鯖』と同じ魂というか、近い性質を抱いているので、
ここまで無邪気という名のアケスケの下に、サバサバを名乗れる彼女達がどこかで羨ましいのではないか。
全くサバサバなどしていない、むしろネチっこい性質全開なのに、自分を合理的と称し得体が知れない「男脳」と名乗れるほど。そんな自分をつゆほども疑ってはいない。
魂は限りなく自由だ。
そんな姿を見ていると、自分がもしかしたら…万が一その橋を渡って彼岸に行ってしまうのではないか…または既にそう他人から思われているのではないか…と恐れ、
一大決心をして、その手の人を憎むのをやめてみた。
たまたま仕事で知り合った自称鯖のキャリアウーマン(同い年)と積極的に距離を詰めてみた。
飲みにも行ってみた。
みたいな痛々しい発言にも、穏やかに微笑んだ。
一緒に飲んでてベロベロに酔っぱらった彼女をとりあえず何とかタクシーに押し込んだが、その後どうやらタクシー内で暴れた彼女を、運転手さんがすみやかに最寄りの警察に連行したらしい。
彼女は警察で身柄を確保され、警官の監視下で一晩を明かすことになる。
でもLINEブロックしていただいて、むしろものすごくホッとしてる自分がいる。
人を愛しぬいて得た結論だ。
清々しい朝だ。
ガチ零細で働いている。誰がどう見ても零細企業だ。社屋が物理的につぶれかけている。社長は老害。実質社員は俺一人。しかし中身はなかなかに健全だ。仕事やってれば細かいこと言われないし、給料もそこそこ。次期社長を操って社会保険も完備させた。定期的に短い出張があるのでリフレッシュも出来る。残業なし。これがでかい。社長はガチ老害だが、老害すぎて客も社長を避けるレベルに到達したので基本的に平和だ。老害トークが始まったら外に出れば良いからな。事務員さんも平気で外に出る。
入社以来、ひたすらにストレス要因をつぶしてきたが、最後のストレス源が残っている。それは客だ。
客の品質がとにかく悪い。
何とか客も厳選して来たんだが、やはりどうにもならないところはある。
これは中小零細大企業問わずだが、とにかく50代以降のオッサンどもは挨拶が出来ねぇ。
横柄な奴、ニヤけた奴、不機嫌な奴、やたら忙しいフリをしてる奴、高級スーツに着られている奴、美人秘書を連れてくる時代錯誤な奴、日本語が出来ない奴、ヤンキー上がり丸出しな奴、いろんなオッサンどもが来るが、どいつもこいつも挨拶をしねぇ。挨拶をしたとしても、名乗らねぇ。
どいつもこいつも、「自分のことは知っていて当然」な面をしていやがる。そんなのどうでも良いから名乗れよ。とにかく名乗れ。名前をいえ。所属と目的を言え。おまえらは親に「ごあいさつは?」って言われないと挨拶出来ないのかよ。
まぁ大企業のお偉方が俺らのようなガチ零細に礼儀を尽くさないのは仕方ないかもしれんがな。でも名乗れよ。首が短いのに高級スーツ着てるなよ。せせこましいオヤジだなおい。ダセぇよ。っていうか名乗れよ。名乗れば来客ノートか名刺の裏に「ブランドスーツに着られている猪首オヤジ」と書いておけるからな。名乗らねぇとそれも書けないだろ。いや、ちゃんと名前は訊くけどな。尋ねるよ。「お名前はなんとおっしゃいますか?」って。でも訊かせるなよ。名乗れよ。名前を。お前の名前を。
とにかくオッサン連中にストレスを感じる毎日だが、事はオッサンに限らない。
思うに、会社規模を横軸に、名乗り具合を縦軸にグラフを書くと正規分布になるんじゃないか。
中小企業が一番名乗る。中小企業は「自分の会社が知られているかどうかわからない微妙なライン」だから、ちゃんと名乗る人が多いな。大企業は礼儀正しく名乗る人と名乗らない奴で二極化される。零細企業はまず名乗らんな。っていうか、零細の中には、生まれてから一度も自己紹介したこと無いようなのがけっこういる。生まれてからずっと狭い世界で生きていたので、自分の知らない人と話す機会が無いんだろう。老害社長の知り合いはこの手の輩が多いな。汚らしい格好でふらっとやってきて「○○ちゃん(老害社長の幼名)いないの?」とか事務員さんに絡み始める。うるせぇ。仕事の邪魔をするな。暗に茶を要求してるんじゃねえよ。こっちが仕事してると「忙しそうだぇ~」とか言い出す。黙れよ。お前は誰なんだよ。俺はお前には絶対に名前は訊かねぇからな。出がらしの茶をすすって帰りやがれ。
つーかもう、マジで名乗ることを法制化してくれ。名乗らなかった奴は厳罰で良いだろ。「本当の名を知られると呪術をかけられる」みたいな時代じゃねえんだぞ。陰陽師かよ。名乗れない奴は名札つけろ。いや、ゼッケンつけろ。名乗れ。名乗ってくれ。頼む。頼まれなくても名乗ってくれ。
いかな新人さんであろうとも、名乗ってくれるだけで信頼度は格段に上がる。新入社員の人はちゃんと名乗ってくれるからいい。数年するt名乗らなくなる奴もでてくるがな。そういう奴には仕事は回さねぇ。
名乗ったり自己紹介したりが苦手な人は居るだろう。その気持ちはわかる。しかし、名乗りと自己紹介だけは人間の基本スキルとして押さえておいてほしい。人間として。そうでなければあの汚らしいオッサンどもと同類になるぞ。
自己紹介のコツはたった一つだ。
まず名乗る「~~の○○です」。次に、ここにいる理由を言う「○○さんの紹介で、こちらでは○○を取り扱っていると伺ったので参りました。お忙しいところありがとう御座います」。これでもう非の打ち所のない自己紹介だ。あとは自分は普段何をしているのかとか適当に付け足していけば良い。
これから会社で働き始める人とか、新人を教育する人とか、とにかく、「名乗って、自己紹介する」事に注意してくれよな。
海外でも仕事するけど、海外でさえ名乗らない日本人多いんだよ。
「人に名前を尋ねるなら、先に名乗れ」みたいなカッコイイ台詞あるけどさ。そんな事言ってる間に名乗れ。その発音の労力を名乗ることに注力してくれと思うんだよね。この台詞は「必殺技名を叫ぶ」みたいなもんでさ。リアルじゃないんだよ。リアルと創作の区別はつけようぜ。
名乗れ。
2016年、哀愁の貴公子!: エコノミスト誌の記事、「東大 VS 慶應」についての所感。
経済学の研究が強い大学―慶應はさほど強くない : 大学・学歴データまとめ―研究、就職、受験、世界ランク
【就活生必見】メガバンク(都銀)の頭取の学歴から見る学閥の状況
東大と一橋の学生が10人ほどいた。ほかの大学の内定者はいない。
帝大と商大が80円,早慶クラス75円,MARCHクラス70円
ttps://twitter.com/matsuura_rits/status/174811759293636608
ttps://twitter.com/ssgt0808/status/471248359345254400
ttp://hoshinokanata.net/itochu_ceo_gakureki/
ttp://hoshinokanata.net/mitsuico_new_ceo/
ttp://hoshinokanata.net/mitsuico_ceo_gakureki/
ttps://twitter.com/kazu_fujisawa/status/700904776851017728
ttp://changi.2ch.net/test/read.cgi/job/1263870676/320
内定式か…。俺の時は内定式はなかったけど「内定者懇親会」って名目で会社主催の東京湾クルーズ飲みがあったなぁ。オレノミライに希望を持ちながら参加したけど、旧帝大とかだけの懇親会は既に何回も開催されてた、って話聞いて、絶望とこんにちはしたFラン出身の俺。— ゆう@正真正銘DEBU (@boo_mcz) 2013年10月1日
学閥で一番笑ったのが、昔向かいに住んでた有名企業に勤めてるW卒のおっちゃんが、上がK卒になった途端飛ばされて下がみんなK卒で揃えられたと聞いたことだな∩´,,•ω•,,`∩— どとう㌠@かぶ栽培中 (@rst_kz8) 2016年2月17日
丁度バイトしてた時慶応学閥が早稲田閥にひっくり返されてしまった事があり有力者が軒並み子会社孫会社に出向される姿を観てブルーになった事がある。そこには知っている人のオヤジさんまでいて..... だから就活の時は大手ってほんと受けなかった。大手はどこも同じだと思ったから。— わかけん (@wakaken_1027) 2013年8月15日
女性役員比率を業種別でみると、最も高かったのがサービス業の5.29%(女性役員数は108人)だった。次いで、小売業の5.21%(78人)、金融・保険業の5.20%(122人)。
ttps://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yamaguchi/08.html
人とコミュニケーションが取れない、楽しくない。
そう思うようになってずいぶん経った。
きっかけははっきりと覚えていて、中学生のとき人間関係でトラブルを起こしたことが原因だ。
それ以来、自分からコミュニケーションをとることに対して臆病になった。
原因はもう忘れてしまったが。
僕は仲直りするきっかけを見いだせず、意地になって謝ることもできず、
Bとは口を利かなくなった。
その後、理科の授業で、唾液のデンプンを分解する作用に関する実験があった。
班員のうち二人の唾液を混ぜても、分解できるか実験してみろ、
というような指示があった。僕はAと同じ班だった。
一人はもう一人の男子が手を挙げた。
もう一人は誰も手を挙げなかったので、
じゃんけんで決めることになった。
じゃんけんは僕が負けた。
でも、僕は唾液をさして仲のよくない男と混ぜられるのが気持ち悪くてしかたなかったので、拒絶した。
今思えば、じゃんけんに参加した時点でそれを拒否することは筋の通らない話だと思う。
でも僕は、うまくいかない人間関係や、思春期の慢性的な不安から来るイライラといった身勝手な理由で自分を正当化し、
「お前、もういいわ」
僕の身勝手さに愛想を尽かしたAはそう言って、自分の唾液をビーカーの中に吐いた。
その日Aと口を利くことはなかった。
今回は100%自分が悪いという自覚はあったが、またしても謝ることはできなかった。
この日のうちに謝ることができていれば…と今でも思う。
たった一日の間に、急激に変わってしまったクラスに僕はただただとまどい、呆けるしかなかった。
とりあえず、寝たフリをしたり、意味もなく学校内を徘徊したりして、やり過ごした。
Bとの喧嘩はともかく、Aへの一言には後悔しかなく、謝りたいと思ってはいたが、
あまりの劇的な変化に、僕は怯えてしまい、逃げることしかできなかった。
筆記用具を壊されたり。
僕の机だけ掃除のあとイスが降ろされていなかったり。
体育の授業で卓球があったが、どこにも入れてもらえず、50分間壁に向かって打ち続けたり。
酷いあだ名で呼ばれたり。
AやBから無視されたり、何かされたりするのは仕方がないと思っていたが、
怖くて怖くて仕方が無くて、僕は前述のように逃げることしかできなかった。
気が付いたときには自分一人ではどうにもできない状態に外部も自分の内面も変わってしまった。
僕は自分の意志ではないが、親の言うことを聞いて勉強はそこそこやっていたので、
勉強を頑張って他の同級生がいないような高校に行けば、やり直せると思っていた。
だからどんなに辛くても勉強は続けて、中学の同級生が数人しかいない学校に入った。
けれど、原因を作ったのは自分とはいえ、誰も助けてくれなかった、もしくは攻撃してきた
大多数の他人への不信感から、僕は人と積極的に関わる意欲を失っていた。
僕は高校時代、話したことが無い人には一度たりとて、自分からは話しかけなかった。
高校1年のときは、みんな友達がいないので、話しかけられたし、それをきっかけにして、
話す人ができた。
けれど、進級するに従い人間関係が固まってくると、そういう消極的な姿勢では
友達の少ない僕はどんどん浮いた存在になった。3年生の時には、クラスに友達が一人もいなかった。
3年間高校に通ったが、何の思い出もできなかった。
大学では学部ではぼっちだったが、入ったサークルには少しだけ馴染めた。
どこか自分と似たような、これまでの学生生活に馴染めなかった人が集まるようなサークル
だった。
そこで人の優しさに触れたり、人と何か協力して物事に取り組んだり、飲みにいったり。
やっている活動自体はあまり楽しくなかったが、そこにいる人たちは好きだった。
けれど3年になって、サークルを引っ張る立場になると、僕はそのプレッシャーに負けた。
また心無いことを言う人間が、年下とはいえきっと僕より濃い人生を送ってきた後輩に何か教えるなんておこがましい
とも思っていた。自分のつまらない劣等感・コンプレックスを克服できなかった。
一応最後までやり遂げたが、かたちだけだったと思う。
直接接した後輩とは最後まで打ち解けることができなかった。
高校よりは自分の中に何かが残った大学生活だったが、悔いは残った。
すっかりコミュ障となった僕は就活では苦労したが、生存本能の為せる業かどうにか自分に嘘をついて
けれどコミュケーションが取れない、愛想はない、仕事もできないで肩身は狭い。
他人のことは怖くて、外にいるだけで疲れる。
友達もいない。
彼女もいない。
今僕は24だが、このままいくと何にも楽しみを見いだせず、
会社では疎まれ、やがてはクビになり、プライベートはずっと一人で、
死んだ顔のまま、年だけを重ねたおぞましい中身空っぽのオヤジになって
誰に気付かれることもなく死んでいくのが容易に想像できる。
「聲の形」という漫画を読んだとき、まさに自分のことだと思った。
石田は自分のしたことに向きあって人の痛みを知る、立派な青年となって、
成人式をトラウマとしか捉えられず欠席した、逃げるしか能のない男になった。
年を重ねれば重ねるほど、可能性は失われていく気がする。
気の持ち様次第で、年を取ってからも自分を変えられる人もいるかもしれないが、
そのハードルはどんどん高くなっていく気がする。
どんどん上がるハードルを目の当たりにして、これから先僕はどんな人生を歩もうか。
どんなことになろうとも、天寿を全うする。
小学校で出会った乱暴で口汚い男の子は、ゴリオシな保険の営業マンになり地元でけむたがられている。
中学で出会った同性にだけデリカシーのない女の子は、15歳で妊娠してシングルマザーになりネグレクトで子供を取り上げられた。
高校で出会ったKYになりたくないがために人を傷つける男の子は、彼女に2回も堕胎させたあげくにハゲオヤジになった。
大学で出会ったヤンキー志向がぬぐえていない下品な女の子は、就活に失敗して水商売に走ったのちに整形モンスターになり田舎へ連れ戻された。
最近転職してきたフレンドリーを履き違えて若い社員をファーストネームで呼びたがるオッサンも、きっと大変なことになる。
近づかないでおこう。
体型、顔立ち、「まさお」と日本読み発音できる名前、たしかに親しみやすいが、でもしかし思い出せ。彼は独裁王朝の長男だ。
犯罪まがいの行為で金を動かしていたと言われているではないか。
なんという兄弟だ。
長男は国際感覚をもち、ビジネスをし、子供をディズニーランドに連れて行って捕まる、東南アジアで殺される。
次男は虚弱で詩人で、大勢の女に囲まれながら、もしかしたらもう殺さていてる。
三男は将軍様になる予定の張りのあるデブ。長男はだらっとしたデブだが、三男には張りがあり、年々増量中。
誰だよ、三男が権力を握る時に「若い世代がトップに立つことによって民主化は無理でもなんらかの変化が起こる可能性が・・・」とか言ってた解説者!
http://anond.hatelabo.jp/20170201014659
より続きます。
ボブルヘッド・フェチ? https://www.bobbleheads.com/
SDガンダムとか顔だけでかくてカタカタ揺れるひとし君人形みたいなやつ
最初なんのことかわからなかったが、ボブルヘッドのように頭だけが大きい三次元美女ってことか。コメントに巨大女と勘違いしてる人がいるが、特殊性癖にしてもレアすぎて理解するのに手間取るレベル。なんかすげえ。
英語圏だと、こちらが求めるような頭身の体系を、首ふり人形(Bobblehead Doll)にたとえて呼ぶ傾向がある。ちょっと前に、ある職人が人気女優を巨顔に加工してまとめてimgurにアップして話題になったってニュースが訳されて日本でも少し紹介されていたけど、そのときの見出しでは「Celebrity Photoshop Bobbleheads」と呼ばれていた。
海外のCMではこんなのも。ハゲのオヤジはいいから早く女を出せ。
文章では何を言っているかわからなくて動画で把握できた。それは滝クリみたいに相手が服を脱いでなくても欲情できるんだね? というか服を脱いでいるオカズが世になさそうだな……
ところがあるんだなこれが。
それっぽい単語で画像検索したらでっかいちんちんに混じって女性を4頭身ぐらいに加工したエロ画像が出てきたので意外とある性癖なんだろうか。
「Bobblehead Porn=バブルヘッド・ポルノ」というジャンルが存在することが去年か一昨年、Reddit(英語圏の2ちゃん的なやつ)のあるスレッドで明らかになった。で、実際その専門板もできていて驚いたんだが、そこで上がっていた画像は、5、6年くらい前に4chan(海外の2ちゃんみたいな画像掲示板)に立っていた「Bobblehead Fetish」というスレで見たものとほぼ同じだった。裸なのは構わないけど、やっぱりちょっと生々しすぎるような気が。顔と局部とどっちを見たらいいのかわからなくて意識が分散するのか、思ったより使えない。ただ、これが動画になったらまた変わってくるだろう。巨大女AVがあるんだから、巨顔AVがあったっていいんだけどなぁ。
http://www.レディット.com/r/BigHeadPorn