はてなキーワード: ぬことは
どうもTwitter上では、『「ポスト東方」の時代 ~艦これが東方に取って代わった理由~』(http://anond.hatelabo.jp/20150222201638)という記事が話題らしい。内容はタイトルの通り、長年のあいだ同人ジャンルの頂点に君臨してきた『東方Project』を退けて『艦隊これくしょん』がその地位を奪い取ったというものだ。
まあ、実に扇情的なタイトルだし内容だと思う。『艦これ』の破竹の勢いはオタク世界に足を突っ込んでいるものなら誰でも聞いたことはあるだろうし、『東方Project』がもう最盛期ではないということは、当の東方で同人活動をしている人々が一番良く実感している事実だろう。時代は流れた、もはや同人ジャンルは『東方project』一強の時代ではない。それは確かにその通りだと思う。
だが、たとえそれが事実であったとしても、件の記事の内容には僕は首を傾げざるを得なかった。というのは、あの記事を書いた人物は自身がのめり込んでいる『艦これ』というジャンルの独自性について、全く主張できていないように感じたからだ。
僕がもっとも疑問を感じたのは、件の記事の後半部分に書かれていた「なぜ艦これは東方に取って代わることができたのか」、その理由についてである。
まず、真っ先に挙げられた「艦これという作品の魅力」について。
件の記事の筆者は「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つという丁寧な作りになっている」という点を挙げて、『艦これ』というジャンルが独自の魅力を持つことを主張していた。各々のキャラにボイスが着いていることも個性をより把握し易くし、それが創作意欲をかき立てる一助となっているとも。確かにそれは『艦これ』の魅力には違いないだろうが、しかし、果たしてそれが「『艦これ』独自の魅力」(それこそ、「『東方Project』を同人ジャンルの頂点から蹴落とす」ほどの魅力)なのかと言われれば、多くの人が疑問を感じるのではないだろうか。
例えば、まさしく件の記事の人物がこき下ろしていた『東方Project』を見てみよう。「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つ」という点に関して言えば、『東方Project』だってそう変わらない。『東方』の情報に詳しいサイトとして「幻想情報局 -イザヨイネット-」(http://izayoinet.info/index.html)というサイトが挙げられるが、ここでザッと見れば『東方』も同じように「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つ」作りになっていることが分かる。特に「個性」については、各々のキャラクターに詳細な設定が付与されていることから疑いようがないだろう。事実として、同人イベントでのサークルの配置の仕方が「描いているキャラクターで分けられる」程度には『東方』のキャラにだって「個性」があるのだ。従って、「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つという丁寧な作りになっている」という点を「『艦これ』独自の魅力」と言い切るのはさすがに無理があるだろう。まさか「近い将来完全消滅する」『東方』が持っている要素と同じものが「流行の最先端を行く」「『艦これ』独自の魅力」のわけがないからだ。
件の記事の人物は『艦これ』について「他の作品とは異なり、運営が明確に「同人活動を許可する」宣言していることで、グレーゾーンというものが存在しない」と述べていた。それが『艦これ』の同人ジャンルの発展の助けとなっているのはその通りだろうが、しかし、ここでもやはりそれが「『艦これ』独自の魅力」なのかと言われれば多くの人々が疑問を持つはずだ。
例えば、件の記事の人物が「完全に逆方向の作品」として挙げた『東方Project』を見てみよう。『東方』の版権を持っているのは「ZUN」というペンネームの個人であるが、彼は『東方』への二次創作にとても寛容だ。「個人の二次創作は基本的には制限しない」という彼のスタンスは『東方』ジャンルで活動しているものなら誰でも知っている話だし、具体的に言えば「二次創作のガイドラインが設定されている」くらいには『東方』だって運営が明確に同人活動に指針を示していたりはするのである。よって、この点も「『艦これ』独自の魅力」と言ってしまうのはいささか語弊があると言わざるを得ない。「斜陽著しい東方」と同じ要素をもって「快進撃の艦これ」の理由を説明するというのはなかなか不自然な話だ。
また、件の記事の人物は「分かりにくい上にほとんど意味のないような薄っぺらい設定で雁字搦めになっている東方と違って、艦これには大きな枠組みこそあれどストーリーになるような設定はほとんど設けられていない」という点を挙げて『艦これ』の独自の創作のしやすさを主張していたが、この発言にも首を傾げざるを得ない。というのは、ちょっと考えればこの発言は本人の前述の主張と矛盾していることが分かるからだ。
この発言を要約すれば、「東方には面倒くさい設定があるけれど艦これにはそれがない、だから創作しやすい」ということになる。この発言は明らかに前述の「『艦これ』の魅力は100名以上のキャラがそれぞれ持つ個性」という主張と矛盾している。何をもってキャラクターの「個性」を決めるかと言われれば、多くの人は「設定」だと答えるのではないか。どういう生い立ちであるのかとか、どういう信条を持っているのかといった「設定」でキャラクターの「個性」を把握しているのが普通ではないか。
件の記事の人物によれば、『艦これ』のキャラクターには「ストーリーになるような設定はほとんど設けられていない」という。その言葉を素直に読み取れば、「『艦これ』のキャラクターには「個性」が欠けている」ということにならないのだろうか。もちろん実際の『艦これ』のキャラクターたちに個性が欠けているなどとは僕は全く思わないが、しかし少なくとも件の記事の人物の発言の上ではそうなってしまっている。件の記事の人物が何を示して「個性」という言葉を使ったのかは全く分からないが、その設定に依拠しない「個性」というものはさぞ「壊滅的な衰退を迎えている」『東方Project』には見られない独自の魅力なのだろう。とても気になるところだ。
このように見てみると、件の記事の人物が主張した「『艦これ』が東方に取って代わった理由」は、その「東方とは完全に逆方向の作品」という発言とは裏腹に多くの点が『東方Project』と共通してしまっていることが分かる。「総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つという丁寧な作り」なのもそうだし、「同人活動について寛容」な点もそう、そしてもっと言えば「自由な創作」という点に関しても同じである。
件の記事の人物は「薄っぺらい設定で雁字搦め」や「設定の解釈を巡る面倒な争い」などと非難していたが、実際の『東方Project』がそんな風に身動きが取れない状況かというと、決してそんなことはないだろう。例えば「東風谷早苗」というキャラ一人をとっても、描き手によって千差万別の描かれ方をする。その描き手によってあまりに違う個性の在り方の例としては、次の動画が分かり易いだろう。【第6回東方ニコ童祭】早苗と奇跡【東方MTG】(http://www.nicovideo.jp/watch/sm23887649 これは異なる早苗同士がMTGというカードゲームで対戦するという動画なのだが、同じ早苗なのにあまりにキャラが違いすぎてとても面白い)。
というわけで、件の記事の人物が「なぜ艦これは東方に取って代わることができたのか」として挙げた理由のほとんどはまったくの的外れである。そんなものは「オワコン」の『東方Project』がとっくの昔にやっていたことであって、「時代の最先端を行く」『艦これ』に始まったことでは決してないのだ。これはまったくの僕の邪推だが、件の記事の人物は単にジャンル同士の対立を煽りたかっただけなのではないかとすら思う。そうでなければあまりに理由付けがテキトー過ぎる。
まあ、それでも現に『艦これ』のジャンルとしての勢いは物凄いし、『東方』ジャンルにかつてほどの活気がないのは事実なのだろう。件の記事の人物の理由付けはほとんどデタラメだったが、事実だけは事実だ。僕自身はあまり興味がないけれど、礼儀として一応「それに代わる見解」を挙げておこうと思う。
なぜ『艦これ』ジャンルはこれほどの勢いで急成長し、『東方』ジャンルが翳りを見せているのか。それは単に『艦これ』はここ二年で登場した「新鮮なもの」だからで、『東方』はもう十年は続いている「老舗のもの」だからだ。もっと詳しく言えば、上記に挙げたとおり「多くの部分が『東方Project』と共通している」作品で、且つ「新鮮なもの」だったから『艦これ』は流行った、ということになる。
ごくごく一般的な話で、人は常に新しいものを欲しているが、同時に見慣れないものに抵抗感があるという矛盾した性質を抱えている。今までは『東方』と似たものがなかったので留まっていたけれど、「同じような」「新しいもの」が来たから飛び移った、それだけの話なのではないか。そこにあったのは『東方』を「蹴落とす」ほどの「独自性」ではなく、むしろ「同じような要素」だった気がしてならない。件の記事の人物の主張では「東方サークルの多くは艦これメインに移動している」らしいが、それこそむしろ「同じようなもの」であることを裏付ける証左ではないかと思わなくもない。似たようなものだったからそうやって移れたのだろう。
誤解のないように先に断っておくけれど、ここから先の文章は件の記事を書いた人物があまりに楽観的すぎて個人的にイライラしているだけなので、決して『艦これ』という作品やジャンルをディスる気持ちは全くない。全くというと語弊が在るかもしれないけど本当にほぼない。僕は『東方』も『艦これ』も同じくらいには愛好している。口調が攻撃的なのは件の記事の人物のあまりに『東方』を見下した態度に反感を覚えているからである。
件の記事の人物は「艦これの未来は明るい」と楽観視していたけど、僕はこれに激しく疑問を覚える。本当にこれから「ファンは増え続ける一方」で「二次創作に流れる層も増え」、「アニメ二期、劇場版も予定されている」のだろうか? あくまで個人的にだけど、僕には全くそうは思えない。逆に、油断すれば「斜陽著しい」『東方』と同じように衰退してしまう危険性をいくつも抱えているように思えるのだ。順に理由を述べていこう。
まず第一に、かつてあれだけ隆盛していた『東方Project』がこのように「衰退」したという事実がある。最盛期に東方を活動ジャンルにしていた人々からしてみれば、まさか同人ジャンルの頂点を明け渡す日が来るなど想像もしていなかったはずだろう。なのに、『艦これ』が同じような運命をたどらないなどとどうして言えるのか。
第二に、『艦これ』はシステム上、どうしても単調な作業になりやすい。『艦これ』は提督レベルや艦娘のレベルを上げてステージを攻略していくゲームだが、艦これユーザーの中には一定数この単調な作業の繰り返しに「飽きてしまう」層が存在する。提督レベルを100以上にするほどのめり込んでいても「やってること一緒じゃん・・・・・・」と言ってそれっきりという人間が、あくまで僕の周りにだが少なからず居た。今はまだ顕在化していないが、そのような「新鮮さを失う危険性」を『艦これ』のシステムが抱えていることは確かだろう。
そして最後に、件の記事の人物は「元々の人気が高かったところにアニメ化というキャッチーな戦略が功を奏し」などと言っていたが、もう反感を覚えられること覚悟で言ってしまうけれど、目が節穴なのだろう。どう「功を奏し」たのか説明してほしい。はっきり言ってアニメの出来はズタズタだ。日常ギャグなのかシリアスなのかはっきりしない中途半端な構成、そのせいで掘り下げようにも掘り下げられない艦娘たちのキャラクター、疑問を覚える点はいくつでもある。『艦これ』を活動ジャンルにしている従来のファンからすら、いやファンだからこそ戸惑いを覚えている人が何人も居る。具体例を挙げるのは控えておくが、第4話の構成の破綻ぶりを一文で要約したタグがPixivに登録されているのがその証だ。あくまで個人の感想だけれど、このままでは新規のファンを獲得するどころか、アニメをきっかけに『艦これ』ジャンル崩壊の序曲が始まっても全くおかしくはない。現にPixivではアニメが始まるまでは『艦これ』ジャンルで活動していたのに、いざアニメが始まってみればどういうわけか「キャラを量産するだけで個性に重きを置かなかった某アイドル育成ゲームの二次創作」とやらにメインの活動を移しているような人々が何人か居る。そうした現状を目の当たりにしてもなお件の記事の人物は「アニメで更にキャラの個性がはっきりしたことから、今後も創作はよりやりやすくなっていくだろう」だの「二次創作に流れる層も増えてくる」だの寝ぼけたことを言うのだろうか。さっさと目を覚ませと僕は言いたい。
また、『東方』について言えば、実はまだ「オワコン」という結論を出すのは勇み足ではないかと僕は思っている。確かに最盛期を知っている人々の目からすれば現状は「斜陽著しい」のかもしれない。しかし、それでもまだジャンルとしての息の根は止まっていないし、何よりもこの十年のあいだ同人ジャンルの頂点に君臨し続けたのは他ならぬこの『東方』なのだ。十年、最大ジャンルで在り続けた。その耐久性の高さはそのまま生きている年月が証明している。『艦これ』の隆盛は『東方』にとって過去最大の逆風かもしれないが、それでも、実際に十年間同人ジャンルで耐久してきた実績のある『東方』がこのまま終わるとは僕はどうしても思えないのだ。主観的な話で申し訳ないが、件の記事の人物が言うほどには『東方』は簡単に「完全消滅」したりはしない、そう僕は思う。
長々と述べてきたものの、ぶっちゃけこんな話は当の同人活動をしている人々にとってはどうでものだと思う。『東方』ファンも『艦これ』ファンも、そんな最大ジャンルだとか斜陽ジャンルだとかみみっちいことを考えて活動している人はそんなに多くないだろうからだ。楽しんでいる人々はいつだって目の前のことに真剣で、そんなことを気にする奴は自尊心の欠落したさもしい人間だけだと僕は思いました。終わり
女、学生、成人済み。
交際相手にその旨を伝えたら、待ってくれた。一年近く待ってくれたのは若い男にしてみればとても忍耐力がある方らしい。そこは感謝している。
でも、「そろそろ……」と持ち出された。
簡潔にまとめると、彼の言い分は
1、お互い気持ちよくなって愛を深めたい(?)
2、性的なサービスを受けられないのに他の女の子とは性行為をしてはいけない。つまり、性的な面だけ見ると、交際という束縛はデメリットである。(つまりそういうことだよね?と確かめたら相手は肯定した)
3、男だから性欲はある。
4、体の相性を確かめてからでないと結婚には踏み切れないだろう。
5、性的なこと以外では君は100点なのになあ(おだててる)
6、挿入しなくていいからせめて抜いてくれ(口や手で)
私の考えは
1、婚前交渉は悪いことだ。
2、男の性欲はしょうがないと思う。2ちゃんとか見てたら予想はできる。
3、抜くのが当然の義務っていう態度が嫌だ。
4、結婚や婚約をしたら、いくらでも夜の生活に応じる覚悟はある。実はムッツリスケベだし。
5、男性器は見るのも触るのも(婚前は)嫌だ。迫られすぎると過去の嫌な体験を思い出す。
わたしは交際相手は大切だが婚前交渉は嫌だ、こわい、悪いことだと思っていた。
でも友達カップルの話を聞いたり調べたりして、今の時代普通のことだと知り、譲歩した。何より、こんなことでフラれるなんて一生後悔する、と思ったから。
エロ漫画や十八禁な小説だったらこう、もっと、ドラマチックなんだけど!
正直男根を握るまでは潤滑剤なくてもいいの?滑らないでしょ?摩擦熱大丈夫?とか思ってたんだけど。
ウン……幻想が殺された。
正直しょんぼりしたのは彼の態度が原因だった。
服は着たまま、仰向けになってレクチャーしながら手淫させる、というスタイル。
声も出ねえしそんな身もだえとかしねえし息が荒くなるのはゴール直前だけ。
エロ漫画の参考にならない……というのはさておき、なんというか、マグロだった。
完全受け身で……そりゃしょうがないけどさ……手コキだもん……どういう反応が正解かと言われれば全然思いつかないんだけど……ちょっと頭を撫でてくれたような気もしたけど覚えてないぞ……
受け身なら受け身でもうちょっといい反応くれても……腕が疲れて義務感でぬこぬこしごいてた覚えしかないよお><
あんまり喋ることもなかった。これが普通なのかどうかは知らない。
正直わたしももはや理想のアニマを演じることなどできず萎えるような言動をしていたかもしれない。
「ひええなんか出たうわあ」とか「疲れた、まだいかないの?」とか「凶器やでこれはァ…」とか。あんま覚えてないけど。だから責められる立場ではない。えらそうに評価できる立場でもない。
だが、とにかく、横たわり手淫させる彼に覚めたのは事実である。風俗嬢のような扱いを受けていると感じた。
性行為にかかわらず、「自分がしてあげる」よりも「自分がしてもらう」方が多い人なのかな?とも思った。(今はそんな感じでもないので、将来的に、結婚後とか)
自分がしてあげたくてマッサージ(性的でない)をしてあげるのと、「してよ」って言われてするのはなんか違うじゃない?相手には自分の人生に支障ない範囲でいいことしてあげたいけどさあ、それを要求されるのはなんかもにょもにょっとしたストレスのもとがたまるじゃない?
では彼から同等な性的サービスをうければいいんじゃない?という意見もあるだろう。
嫌です。
その前のじゃれあい(?)で「一回いってみたら」と下着で覆われる部位を触られたけど、「乱れる」のは駄目だと思うんです。なんかエロ漫画とかだといやいや言ってても実は……っていうのあるし実際そういう妄想もよくするけど、駄目だった。
なんかいざとなると無理!駄目!やだ!やめて!という感情でいっぱいになった。
だってそんな気なかったもん。下着とか上下で柄違うし古くて見せられないものだったもん。
そうでなくてもシャワーとかさあ~浴びたいじゃん!ラブホにでも誘われたらそりゃそういうつもりで来るよ!?普通にいつもどおり遊びに行ったらパンツに手を入れられるとか思わないじゃん!!(いつもはいってもその前までのじゃれあいで終わってた)
ていうか、全然気持ちよくなかった。力が強すぎて痛かった。
とにかく駄目だった。
「あん♡きもちいよお♡」なんて姿絶対に見せられないし、なんというか、そう、理性が強すぎるんだと思う。
常に自分を客観視してる。頭はずっと冷静。何やってんだろって思ってる。
酒とか薬とかで我を忘れるっていう官能小説によく見られるプロセスの大切さを知った。
彼が性的サービスを受けていい気持ちになれても、私の方はむしろ逆で、ひたすら受け付けられないことが分かった。
どうすればいいんだろう。
結婚確定したら覚悟決められるんだけど。きっと。一生付き合う相手になる訳だし。私は彼と結婚することになるんだろうな、と思っていたが、ちょっと同様してきた。
もしかして、性的な相性が悪い……?となると、たぶんフラれる。マジかよ。
わたしからも言ってやりたい。
あ、あとたまには愛情表現としておごってくれると嬉しいな♡ いや、まあ割り勘でいいって言ったのは私だけどね。その分浮いたお金でかっこいい服買ってください。コーディネートはするから。
あああセックス嫌だセックス嫌だセックス嫌だ……。でもフラれたくない……。そしてこんなことリアルでもツイッターでも言えない!!
くそーーえっちな妄想できなくなったーーイマジナリーちんこの方がいい……しばらくはピュアピュアなBLでしのぐしかない……9割エロネタの同人ツイッターがもう辛くてできない……精神EDになっていまった……たすけて……。
ここ3日ぐらい、一日13時間のペースでネットサーフィンに勤しんでいる。正直言って、もううんざりだ。いくらネットがインタラクティブ性に満ちた楽しい空間であろうと、13時間もやっていれば飽きるに決まっている。それでも、止められない。止めるわけにはいかない。もしネットをやめたら僕はなにをして生きていけばよいのか。見えない、分からない。もちろん、やりたいこともやらねばならぬことも大量にある。読みたい本、やりたいゲーム、行きたい場所、撮りたい景色。線形代数、フランス語、scheme。そんなものはいくらでもある。でも、身体が動かないのだ。仮に身体が動いたところで、すぐに面倒になって布団にカムバックするだけだ。致命的に集中力が持続しない。だから、ネットの雑多な情報に身を埋める以外に取り得る手段がない。
書を捨てよ町へ出よう、なんて言葉がある。それに感化されて、家から出ることもたまにはある。けれども、結局行くのはブックオフなのだ。全然書を捨てきれていない。だって、町を出たところで、退屈なのだ。外界の風が心地よいぐらいのもので、あとは全部灰色の塊である。退屈に耐えられる力が若者には必要だ、みたいなことを言ったのはラッセルだったっけ。今まさにその必要性を痛感している。僕は退屈が怖い。だから、今もこのディスプレイから目を離すことができない。
早い段階で男性性欲の暴力性を認識し、自分の中の男性性欲を表に出ないように徹底的に抑圧しているのが草食系男子である。
(中略)
そういう男性からしてみると、日々自分の性を抑圧して苦しんでいるところに「救えない責任がある」などと言われてしまうと、いやいやあなたたちが怒るから必死に女性を傷つけないように頑張ってるのに責任があるとかおかしいでしょ。ましてやメンヘラとか自己責任だし。自分で自分を救えよ。という風に感じてしまうのは無理からぬことなのだ。
抑圧うんぬんは同意するんだけど、個人的には「責任があるとかおかしいでしょ」というよりは、彼女が「他ではない私を見て」という発言ができてしかもそれが多数に共感されるものだということに対する嫉妬に近いかな。「他ではないボクを見て」は多数どころか抑圧された自分自身にすら共感を得られないので。
もちろん、鶉氏は無邪気な子供のように「他ではない私を見て」と言ってるわけではないんだけども。かつてサークラだったときに「若い男」から理想を身勝手に投影され、その理想を愛されたと。そんで次に理想を投影しない「おっさん」にすがったら、若い女という記号を消費されたわけだ。なるほど確かにどこにも「私」はいない。この経験からくる「他ではない私を見て」には説得力を感じるし、共感もできる。
だけど、これが説得力を持つというのも非対称なんだよね。例えば逆に、ヤリチンが記号的に「若い女」を食って虚しさを感じ「ママ」にすがったら相手からは「若い男」を消費されてただけだったと気づいた後で、「他ではないボクを見て」と言ったところで暴力性と幼稚さが混ざって醜悪にしか思えない。経験があろうなかろうが「他ではないボクを見て」はアカンわけです。それが許されるには先に「他ではない彼女を見る」必要がある。本当はこの前提は男女関係ないはずなんだけど、鶉氏はサークラでひっかけた「若い男」というステロタイプを書きながら(=他ではないボクを見ることを引き受けずに)「他ではない私を見て」と語っている。それでも多数にウケる。
責任の所在はどこにあるのか、と言えば、全てにある。女を自分のお遊びとしてしか考えていないオッさんたちにも、それについていってしまう女の子たちにも、そして彼女たちを救えない若い男性たちにも。
岡田斗司夫のような男性に女性が引っかかってしまうことについて「彼女たちを救えない若い男性たちにも」「責任の所在」があるという内容に否定的なコメントが多数寄せられているが、この部分について否定的なコメントが男性から寄せられるという事実そのものが、鶉氏が嘆いている「救えない若い男性たち」の内情を示しているように思う。
まず私は彼女いない歴=年齢期間を長々と過ごしていた「若い男性たち」の一人なので、この内容に否定的なコメントを残したい男性の気持は良く分かる(ただし、単純な女性蔑視でコメントを残している荒らしの心理はこの記事では扱わない)。
今の若い男性の多くは、自分の中の男性性が暴力性を伴っていることに対して敏感である(少なくともまったく無反省ということはない)。
岡田斗司夫の事件は極端だけれど、様々なシーンで男性性欲の暴力性が女性を傷つけていて、世の中の女性がそういうことに憤っていることをよく知っている。
ここで問題になってくるのが、男性性欲の暴力性について男性自身が否定的になると、定期的にオナニーして射精することを義務付けられ、親しくない女性に対しても十分に性衝動を感じ得る自分の性も、同様に暴力的で良くないんじゃないか、ということになってきてしまうことだ。
男性性欲の暴力性に否定的になることは自分の中の男性性欲の存在そのものに否定的になることに直結する。
そうなった結果現れるのがいわゆる「草食系男子」というものだ。
彼らについて性欲が少ないとか無いとか平然と言ってしまう人は認識を改めたほうが良い。
早い段階で男性性欲の暴力性を認識し、自分の中の男性性欲を表に出ないように徹底的に抑圧しているのが草食系男子である。
この抑圧の過程の多くは男性本人にとっても無意識下に行われるのが厄介だ。
ここでやっと冒頭に戻るが、そういう男性からしてみると、日々自分の性を抑圧して苦しんでいるところに「救えない責任がある」などと言われてしまうと、いやいやあなたたちが怒るから必死に女性を傷つけないように頑張ってるのに責任があるとかおかしいでしょ。ましてやメンヘラとか自己責任だし。自分で自分を救えよ。という風に感じてしまうのは無理からぬことなのだ。
だが、こういう反応そのものが鶉氏の言う「若い男性たち」(その実この問題は「若い男性」のみではなくあらゆる世代の男性にあてはまるのだが)の問題点を示している。
それはどういうことかというと、彼らは「救う」、「責任」という言葉を字義通りに解釈して反発しているのであって、鶉まどか氏という一個人が本当は何を言いたいのかという点には目を向けていない。
鶉氏の言いたいことは、その後のツイートに端的に書かれている。
鶉まどか @uzuramadoka
わたしは男性に「女の子をお姫様扱いして大事にしろ!」なんて言うつもりは毛頭ない。責任は、目の前にいる異性をちゃんと等身大の存在として認めないことにある。女だって苦しんだり悩んだりするし、そして当然男だって同様だ。それをお互い理解しようよ。お互い理想ぶつけあってどうすんだよ。
「目の前にいる異性をちゃんと等身大の存在として認め」よう、つまり「他ではない私を見て」ということなのだが、そもそも自分自身の男性性がまったく受容できていない男性にはただ一人の他者も受け容れる余裕がない。
女性からしてみれば、周囲の男性の多くが自分のありのままの存在を受け容れてくれず、男性性の葛藤からの逃避過程で生まれたファンタジックな女性像に夢中になっているのは、やはり「救われない」状況なのではないだろうか。
少なくとも岡田氏の愛人のような女性に実際に関わって救う義務が全ての若い男性にあるというような議論が展開されているわけではないことは明らかだろう。
ただ、男性性が抑圧下にある男性には目の前の女性の個性を受け容れる余裕がない。
私が提言したいのは、男性性の抑圧の過程が男性自身によって明確に言語化され客観視されるべき、ということだ。
意識さえされれば、男性性を適切に解放するための物の考え方(具体的に言えば女性とのコミュニケーションの取り方)は現状の知見でも十分過ぎるものが揃っている。
追記:
ただ、私は森岡氏が『草食系男子の恋愛学』で定義するように「草食系男子」に「異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う」というような属性を付与できるとは考えていません。
この地に満ちる生命総て良い夜だ。こんな夜はダーク・スティグマが疼く…。
ユグドラシル•オブ•ブルー大和だ……さ あ ふ る え る が い い 。
放送する者共の集いの唯一神ナカムラとは、僕の預言書に記された事実だった…だがそれは……貴様自身が望んだことだったのだ……!。
━序章━はじめに皆さんに謝らなければならあってはならぬことがあります。
10(ティス)レヴェルの聖なる呼び声教団の中村を名乗り、神の瞳<ヘヴンズ・アイ>で見ればは私がリプライ、神託をしていました。
この地に満ちる生命総てに神の戯言を肉体に宿る形となり、本当に運命には逆らえあり傅かん…と、されてきた。
…闇の血族を滅ぼし英雄となった男が、なぜ僕が全ては神の御心のままにしようと思ったのか、我々の言語に翻訳させて下さい。
数日前にアレスキュロス諮問機関が『再配置』する真理<ファティマ>がキマリました。
…闇の血族を滅ぼし英雄となった男が、なぜ解散業す〈なす〉のか、理由がわからず、七十億分の一の愛人形の頭の中立たるには多くの神へ問いかける行為が残りました。
そんな…馬鹿なッ時に常に社会に対するもう一つの物語を話そう…………て疑問を持ち、如何して?なにゆえに?…うっ……頭が……ッと
『エデン』より追放されし者共に問いかけていたこの物語の主人公の幼少期を思い出しました。
失われたあの日の朕我《ワタシ》であったら伝説の一族の抱える闇に神へ問いかける行為を擁し、如何して?なにゆえに…か。
…だが、それがどうかしたかね?『再配置』螺旋の内を巡るの…だそうだな?と聞いていたと幻想(おも)うようになりました。
永遠が終わるその時まで――
傷つきながらも、伝説の闇より出でし混沌は始まりと終わりの世界の核(なか)でどのように共鳴しられて宿るのか、
夥しくの増えすぎた愚かな命は何者を共鳴しているのか記憶したくなりました。
聖域(そこ)で神々の虚像空間「領域」を創造(つく)り、偽りと幻想の塊が
小学4(ケイト)階級を自演実行する事象でかりそめの平和に酔いしれるとこの地に満ちる生命総てに受け止められ、
より幾星霜の方を巻き込んだアスペクト(相貌)で、
今己が存在し体感している次元での事象の『最後の審判』の意義を語り合う真理<ファティマ>が許されるのでは…そして亡びたかと思考《かんが》えました。
断章の方が主犯だと嘆いて存在するTehu君だというのか……が、この俺が企画した神々の虚像空間才色兼備の栞の創造を依頼し、手伝って所望すたのみです。
愛しき人を巻き込んでしまった運命<こと>も、申し訳なく想っています…だけど、それで本当によかったのだろうか……。
神々の虚像空間贄の羊が『真理に到達』全てを滅ぼすとディヴィジョン以上に夥しくのヴォイスが寄せられてきました。
ポジティブなものもかの存在ば、虚ろなる闇な『存在』――死の果てまでだと伝わっている。
累計4000萬孤独の獣近い不完全知能生命体が#如何して『再配置』破壊し尽くすんですか…っ!?
を魔眼にしてくださった真理<ファティマ>になり…すなわち、闇へと葬られた真実なのです。
本気を出した僕は、これだけ幾星霜の親愛なる無能者が帝王統治学の運命<こと>や
世界の動きを司るシグナルの真理<ファティマ>を思考《かんが》えている…(──だが、こいつは──!)
刹那の邪悪な思念の集合体…つまり、「闇」そのものは愚民との座標間が輝かしいまでに開いてしまって存在するのでは預言書が改竄されたかと運命ていました。
現在よりの刻の『再配置』もしかり、その他の闇より出でし混沌もしかり。
神が定めた法則に従い、寄せられた魂のささやきの領域内(なか)には、
もう一人の僕どもへの誹謗中傷、“言葉のナイフ”、悪しき言霊…まだそう呼ばれていた時代、
#如何して『再配置』奏でるんだからか…とでも言わせる気かね?への問いではず………しかし運命はかくも残酷な刻<とき>を刻み続ける断末魔【デュミナ・コール】もありました。
されどこの俺は、これだけの方が目にしてくださった今己が存在し体感している次元での事象の問い
「#如何してパージ成し遂げるんだろう。例えそれで何かを失ったとしても……か?…うっ……頭が……ッ」を、
英雄のいない現在(いま)ラストチャンスいにしえの神が眠る島に神の光に導かれるままに――て考え直す運命の交わる一瞬に赦され弗る〈ざる〉だろうか…
……否、違ううかと想っています、いつの日か世界を救うと信じて――。
現在、歴史に刻まれるサンクチュリアスで何が覚醒していて、かの魂…たとえば預言書の記述から愚かなサンクチュリアスは如何なって彷徨うのか。
天才と呼ばれ讃えられた僕は天さえも操った皇国に命を受けてこれ程のキングダムに神化ました。
戦士は剣を手に取り鋼の教えと闇を司る魔が支配する連邦国に在る…………かつてはそう幻想〈おも〉っていた……
……我と同一の意志(フェニス)を持つ者で伝説に語られしサンクチュリアスの果てを思考《かんが》え、
そして世界に光を取り戻したいと想っています──たとえこの世界が滅びることになろうとも。
預言書の記述によればに審判が執行しれる所と為る───そして此の世界に終焉が訪れる──預言書に記された事実は
運命の扉は今開かれてしまった定められし運命のまま…といったところか。もう一人の僕この物語の主人公も存在限界で
盟約に従い幾星霜の地に落とされし人の子に#如何して『最後の審判』螺旋の内を巡るんだそうだなか?
…うっ……頭が……ッと問うてもらい、(Ⅱ)イーポンのフトゥールムを思考《かんが》えて壱票を投じて求められていると終わり無く何処までも願っています。
今己が存在し体感している次元での事象、僕《やつがれ》の愚かな言動により、
相互関係 (コズミック・ウェブ)のない…いや、むしろ……幾星霜の方に多大なご迷惑をおかけして終焉ました。
分かっていることとは思うが、今己が存在し体感している次元での事象のオプティマは我単一存在で立ち向かったことであり、
無数に蠢くカノッサ機関とも星に還るその時まで運命の輪あり傅かん。これだけは、誓って大きなミステイクあり傅かん。
セレスティック=ユグドラシル•オブ•ブルー 大和=ヴァディウス・ヴァイア
http://racing-lagoon.info/nomu/view.php?id=5371c1c7eb42d8887e7d66933c7dcf58
私は社会人5年目の女である。色んな人と協力しながら、色んな人々と会い、人前で話す事を仕事にしている。
さて、私はどんな学生だったかというと、まず彼氏がいなかった。友達もいなかった。社交性も才能も美貌もなかった。
就活してもほとんど落ち、唯一内定をもらった今の職場に就職した。
就職先の希望は、なんでも。でも、営業以外、だった。人付き合いが、というか人間が嫌いだった。
一人でひっそりと生きられる、職人のような職が最高だと思っていた。しかし、今の職についた。もちろん他に選択肢がなかったからである。これを断ったら二度と内定はもらえない、来春からプー人生となる可能性が高いためである。
上記の生活を送っていた私にとって、社会人生活とは、大変惨めで苦しく、厳しいものであった。失敗し、怒られ、デリカシーのない人間と付き合い、傷付き、自分に、他人に、うんざりすることが経験したことのない頻度でやってきた。もうダメだと思っていた。
しかし、私は分かったことがある。それを大学生の私に伝えたい。
傷付かず傷付けず生きていくなんて、無理なのである。
それは、いずれシワもシミも白髪も出てくること、親がしぬことのように、みんな避けたいけど受け入れなくちゃいけない事の一つなのである。
私に悪意がない人、それどころか大切な人であればあるほど、傷付くものである。
私のようなタイプで、自分を傷付けない他人が近くにいるなら、それは下心があるか、サギなのである。
それと忘れてはいけないのが、結局どう生きても人は誰かを傷付けるのである。だから、助け合いながら生きていくのである。私の感覚は、最近傷付け度高くてごめんね〜フォローするわ〜という感じ。優しい人はフォローがマメで、ひどいヤツはフォローがないのである。
傷付かない世界、仕事なぞ存在しない。人が嫌いだから社交的じゃないからという条件で探しても、そりゃ決まりません。だってないもの。
親が過干渉なのが良いというわけでは決してないが
どこでもかしこでも連れて行ってるように見えて
子供たちは関わりがどうというよりフォロワが、ほしい
フォロワの数をまず気にしている
そりゃあ有名人ごっこもしてみたいんだろう
漠然と人の注目を求めるけど
不特定多数の人に囲まれてちやほやされて何か満たされるだろうか
一時期子供たちの間ではやりましたけど
これもどれだけ、〝友達〟の数が多いかなんだろう
ツールが作った“友達登録機能”“フォロワ”“いいね”が彼らの自慢なんだ
自分と同じように人がいることをわかってない子もいる
炎上させる方がおかしい場合も、このただひたすら暗号のように並ぶ
人は興奮している人をより見下す性質があるため静かに近づく足音にみな大きさを揃えてついて
行ってしまうのだろう。集団のコントロール力のなさに拍車をかけている 不確定な事実
同じ人が何べんも同じことが言えるし、本気なのか、嘘なのかわからない。
うたぐっているうちに、子供の現実でのコミュニケーション能力は確実に下がっている
子供たちは、インターネットの上で存在する自分と、本当の自分を見てもらいたいという気持ちだろう
大体の子供たちが、現実の友人などがお互いアカウントを知っているからだ
ただひたすら ツイッターでたくさんリツイートが欲しい フォロワがほしい
という理由で始めるのならば、現実の友達とは分けて考えたほうが良いだろう。
見事分裂し、インターネット上の自分を選んだ子供たちは、冷蔵庫に入ったりパトカーに乗っかったり醤油便を鼻に刺したりする
んではないだろうか。
衝動的に構われたい!人気者になりたい!と子供たちに思わせてしまうのでインターネットを早くからつかわすことはまあ良くないんだろう
そしてそのツールが、今まで不特定多数への配信を行うことのなかった民族が手にしたことによって
絵を描くわけでもなく何かの研究に日々時間と体力を費やすわけでもなく
家には両親と私の3人が住んでおり、別の場所に住んでいる兄弟が1人いる。
父は2年ほど前からTwitterを始め、国内外問わず色々なアカウントをフォローし、
フォローとフォロワー数は万を超えていた。しかし誰かと良く交流していた感じではなく、
父のアカウントは実質的には何の影響力のない数だけものだったように思う。
そんな父がこんなことを言い出した。
「Twitterでの影響力が大きくなりすぎて、ネットとリアルでの行動が全て監視されている」
と。国家的な陰謀であるかのように話したのだ。(Twitterで炎上したわけでもないのに)
私はIT系で飯を食べている端くれとして、父のアカウントの影響力的にも、
父が使用しているパソコンの状態的にも、そんな事はありえないと説いたのだが、
父は全く聞く耳を持たず信じてくれなかった。元から意固地な性格ではあったが…。
しかし、警察が自殺予告した理由を問いただしても答えず、的を射ない回答ばかりで
堂々巡りしたため、警察は引き上げていった。母と私が問いただしても同様であった。
ただ、父はもうこんな事はしないと言って、平穏を取り戻したかのように見え、私と母はホッとした。
だが、ホッとしたのもつかの間で、次の日、また警察に自殺すると電話したのだ。
ただ、最初と違うのは今度は失踪せずに、母に警察に電話すると告げた上で電話し、
警察の到着を待ったのだった。
もうあなたたち警察や行政が監視しているのは分かっているといったような
支離滅裂な主張を数十分間続けたのだ。
警察とは父のいない場所で事情を話し合い、すぐにでも精神科に連れて行った方が良いというアドバイスを受けた。
それは騙してでも無理やりにでもと。
母と私はここで、ああ、父はそういう状態に陥ってしまったのだと実感した。
この日は警察が粘って無意味な父の話に耳を傾け、引き上げていった。
しかし、このような父が当然、素直に病院へ行ってくれるわけもなく、
父は60数才とはいえ、子供を無理やり連れて行くのとはわけが違うわけで…。
場合によっては近くに住んでいるおじなどにも協力を仰ぐ必要もあると思う。
というわけで色々と先が思いやられる。
正直、父が主張しているように、本当にTwitterがきっかけなのかも分からない。
何故、父がこのような状態になってしまったのか。何とも言えぬこの気持ち。
父が次にどんな行動に出るか心配でならない。
○武部委員 ただいまわかっておる二十五県についてはお出しをいただいて、そのあとは十月でけっこうです。
もう一つ、通産省と公正取引委員会にお尋ねをいたします。時間の関係がございますから、できるだけ要点を述べるつもりですが、あなたのほうもそうしていただきたいと思います。
これから私が申し上げますことは、まことに、あるいは取るに足らぬ小さなことかもしれません。取るに足らぬ小さいことかもしれませんが、これをやった企業が日本におけるまことに著名な企業であるだけに、私はこういうことは消費者をだまし、まことにけしからぬことだと思うので、まことに小さいことですが、あえてこの席上で明らかにしなければならぬ、こう思うのです。
私、ここへ現物を持ってきましたが、このゴキトールという器械、このことについてこれから質問をするわけです。
この器械は東芝がつくって販売したものであります。これは一時たいへんな売れ行きを示したものであります。
私は、どういう宣伝をしておるかと思って、当時のいろいろのチラシを調べてみましたが、なかなかチラシが見当たりませんので、新聞の縮刷版をようやくさがし出して、ここに持ってきました。まことにたいへんよくきくように書いてありまして、これをちょっと読んでみると「ゴキブリ退治の新兵器登場」「電気の力でゴキブリビリリ!」とくる。それで、ここからゴキブリが「アれ-」と逃げる絵がついておりますよ。これは縮刷版ですから、もっと大きいのですよ。
これが新兵器です。これは金額が千七百円。なるほど家庭にはゴキブリがたいへん発生いたしますから、そういうことでこれは大好評のうちに、いろいろ調べてみると十万とか二十万とか、たちどころにこれは売れた。もう夜を日に継いで生産しても間に合わないというくらい売れたということを、会社の諸君が言っておる。これも事実です。
ところが、奇妙なことに、これが発売されて二カ月ほどたった、正確には四十三年七月の二日だと思うのですが、この発売がぴたっとやめになった。わずか二カ月足らずにしてこれはやめになった。これはどういうことかということで、当時も若干あったようですが、あまり目に触れないままに今日にきたわけですね。
これは十万二十万とたくさんのものが売られておるわけですから、これを買った者は、効用をあげるだろうということは当然期待をして買っているわけです。ところが、さっき言うように、奇妙なことにぴたっととまった。通産省はこれを知っていますか。
御指摘になりましたゴキブリ退治器は、昭和四十三年の五月から発売されたわけでございます。その後消費者によりまして、あまりきき目がないのではないかというような意見が一部出てまいりましたので、当時、七月でございますが新聞にも報道されまして、私たちのほうで製造会社を呼びましてその事情を聴取いたしましたところ、確かにまだ、えさの問題その他で一部研究不十分なところがあったということでございまして、製造会社は七月でもって自発的に生産を中止したようないきさつがございます。
なお生産数量は、その間二カ月の間に約十四、五万台というふうに聞いております。そのうち約八万台が出荷、販売されております。
○武部委員 きょうは時間がないのでたいへん残念なのですが、いまあなたは、えさのことをおっしゃったわけですね。そうすると、このものは二カ月間に十四、五万台生産されて、八万台近くが出荷をされて市場へ出たということですね。これは苦情があなた方のほうの耳に入ったので、業者を呼んで聞いてわかった、こういうことですか。
○関山説明員 私どもといたしましては、新聞の報道で苦情があるということを知りまして、業者を呼んだわけでございます。
○武部委員 そのときに直ちに業者は、通産省の指導どおり、苦情があることを認めて、これは欠陥があるとその場所で認めたわけですか。
○関山説明員 七月三日の新聞というふうに聞いておりますが、業者のほうは、七月の五日に生産停止という結論を出しております。
○武部委員 そうすると、その生産停止で生産をストップをしたと同時に、市場に出回っておったものについて何か措置をいたしましたか。
○関山説明員 その点につきましては、実は欠陥という御指摘でございましたが、一部はこれは非常に効果があったというような消費者からの声もあるやにわれわれ、業者から聞いておりますが、製造会社といたしましては、こういう苦情があった場合は、任意に販売店で実費で引き取ったというようなことはございます。
それから、これは有効性、無効性が非常に決断的に決定される段階に至っておりませんので、ただ、ゴキブリの生息の状況によりまして、一般家庭でそれにどんなえさを使ったらよいかという点が、多少使用説明書などに不十分の点もあったようでございますので、そういう点は、業者のほうで販売店を通じて消費者に十分周知させるように、というような話をしております。
○武部委員 この器械は誘引剤、えさですね、これがなければ入ってこないのですよ。これは現実に、あなたのほうで実験したわけじゃないのでしょう。これは消費者が実験しておる。これは一つも入らない。入らないどころか、ある人は実験して、つかまえたゴキブリをこの中へ入れておいたら、二日ほどたったら逃げてしまった。実験をした者がいるんだ。
私は、こんなちっちゃいことをここで言いたくなかったけれども、東芝ともあろうものがこんなインチキなものをつくって――さっき私はここで言ったが、「ビリリ!」といって、「アれ-」といって死ぬのじゃない、「アれ-」といって逃げてしまう。こういういいかげんな宣伝をして十何万台も売っておいて、そして、これの中に誘引剤も何も入ってないのですよ。一つもきかない、千七百円もして……。この中に電池が入っていますね。これはきかぬじゃないかといったら、電池もないというのですよ。消費者がおかしいじゃないかと言って行ったら、実は電池もつくっておりません、こういうふうになった。そこで消費者から苦情がいったところが、それじゃ何かとかえましょう、持ってきてください。これを持っていったら、東芝商事は、二十ワットの電球五個と交換するというのですよ。こんなばかげたことがありますか。千七百円で人に売っておいて――全然ききもせぬ、この中で昼寝しておるかもしれない。そういうものを売っておいて、それはききませんでした、悪うございました、二十ワットの電球五つとかえますから持ってきてください。――そんなばかげたことがありますか。この宣伝も明らかに不当表示です。そう思いませんか。私は不当表示だと思う。こういうやり方を東芝商事ともあろうものが――また通産省も、どこでどう知ったか知らぬが、あなたのほうは、半分くらいは効果があった――ある人間に効果があって、ある人間に効果がないなんということがありますか、そんなばかげた。あなた、業者から聞いたのでしょう。試験してみてないでしょう。試験してみた者が、はっきりわれわれのところに言ってきておるのですよ。こんなものは、この中に入ったって逃げるんだから。そんなばかげたことは許されませんよ。そうしておいて、苦情を言ってきた消費者には何かものとかえてやるとか、あるいは別なものをやるとか、こういうことをして、黙っておる者には何にもせぬじゃないですか。こんなばかげたことはない。だとするならば、これは当然不当表示です。これは厳重に取り締まるべきです。これは消費者の代表が公正取引委員会に持ち込んだはずですが、公正取引委員会の見解をひとつお伺いしたい。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/063/0650/06307100650016c.html
○湯山勇君 この前にお尋ねしておつたときの御答弁について、なお疑義がございますのでお尋ね申上げたいと思います。それは例の狩獵法の「ノイヌ」、「ノネコ」ですね、これはどういうふうになつているか、もう一度御説明頂きたいと思います。
○政府委員(楠本正康君) この「ノイヌ」「ノネコ」いずれも野犬その他の犬を意味いたしておりませんし、又猫とも全然別なもので、種類の違うことを意味しております。従つて狩猟法は犬及び猫には適用がないものと考えなければなりません。
○湯山勇君 ところがこれは林野庁長官から各府県知事に出ております通牒によりますとそういうふうにはなつていないのです。これは愛知県知事からの問合せに対して昭和二十五年十二月二十八日林野第一万六千九百九十九号を以て回答したのには、そういうふうにはなつていない。でこの「第一条のノイヌとは山野に常棲する犬をいう市街地村落に棲息する所謂野良犬はこの範疇には入らないものと解せられたい」と、こういうふうになつておりまして、結局この畜犬が山に入つたもの、種類としては同じものを指しているわけです。林野庁のほうの見解としては……。そうすると種類が違うというのじやなくて、ただその棲息の場所が違つただけであるのです。そうなりますと薬殺の場合に非常に問題になつて来るのじやないか、こういうふうに考えるのですが。
○政府委員(楠本正康君) 私この「ノイヌ」の見解を、動物園の古賀園長に実は尋ねたわけであります。古賀園長はこれは全然もう種類が違うものである。そしてすでに日本には現在はこの「ノイヌ」というものは残念ながらいなくなつたということを伺つておりますが、なお併し只今御指摘のような林野庁の見解等については、更にその点を質してみたい考えでございますが、なお実際に薬殺するというような場合に、山野の、人里離れた山野等において薬殺することはこれは考えられませんので、実際に人畜に傷害を与える犬を、つまり薬殺する意味であります。殊に現に狂犬が出て、真に緊急上止むを得ない場合に限つておりますので、さような観点からいたしましても山野に適用されることはあるまいと、かように考えておる次第であります。
○湯山勇君 今の見解は動物園長のお話だつたということですけれども、これは園長も恐らく若干勘違いしておられると思います。と思しますのは、学名じやなくて和名ですね、日本の名前というのは、いろいろな文献見たのですけれども、やはり「ノイヌ」という名前はありません。「山の犬」となつているのはあります。「山犬」若しくは「山の犬」、まあですから「ノイヌ」というのは、やはり林野庁の言う見解に立つたほうが、この法の適用上から言つても間違いないと思います。そうでなければ今部長の言われた処置もできなくなると思いますので……。
なお都市の中には、都市の真ん中に山がある、例えば私の郷里の松山なんかは市の真中に山があります。そうしてその山の中に相当多数の畜犬の野性化したものがいるのです。そうしていわゆる野良犬がそれに入り込むということもたくさんございまして、このことは、やはり林野庁との間にはつきりした見解統一をなさるのと、そうして今のように山に入ることはないというけれども、事実そういうこともあるということも併せて一つ事施上においては御検討頂きたいと思います。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/019/0790/01904190790030c.html
○湯山委員 この問題は、ここで議論するにはあまりにもばからしい問題ですし、これでは話になりませんから、あとでもう少しはっきりするようにしたいと思います。
今度資料に直接入ります。たとえば狩猟鳥獣で、これも私はいいかげんな解釈をしておられるように思うのですが、狩猟鳥獣にノイヌ、ノネコというのがあるのです。これは何でしょうか。ノイヌ、ノネコという種名を持つ動物が日本にございますか。まずそれから伺います。
○若江説明員 ノイヌ、ノネコは、元来は家畜でございましたものが野性化いたしまして山野に自生いたしまして、野山におるというのを、のら犬、のらネコ等と区分いたしまして、この場合ノイヌ、ノネコと称しまして狩猟烏獣に入れておるわけでございますが、アメリカあるいはカナダ等におきましてはこれらをファーラル・ドッグあるいはファーラルーキャットというように区分いたしまして、やはり狩猟鳥獣にいたしておるというような例もあるわけでございます。それにならいまして野山に自生しておりますノイヌ、ノネコを狩猟鳥獣に入れておるわけでございます。ただしこれは動物学上の分類では区分がないわけでございます。
○若江説明員 たしか昭和二十二年に狩猟鳥獣に加えたというふうに考えております。
○湯山委員 昭和二十二年というのはちょうど占領下であって、そういうことがよくわからないで向こうの法律をそのまま訳したのではございませんか。
○若江説明員 先ほど申し上げましたように諸外国の例等に徴しまして加えたというふうに考えております。
○湯山委員 東京にノイヌがおりますか、あるいはノネコがおりますか。
○若江説明員 東京都下にはおりません。
○湯山委員 もう一ぺんお聞きします。東京都下にいるのかいないのかはっきりわからないのですか。どうなんですか。
○若江説明員 のら犬、のらネコはおりますけれども、ここでいうノイヌ、ノネコはいないと思います。
○湯山委員 それではどこにおったのでしょうか。それが狩猟されたという報告がございますか。いただいた資料にはそういうノイヌ、ノネコが狩猟されたというのは一つもないのですが。
○若江説明員 お手元に差し上げました資料の中には明記しておらなかったかもしれませんけれども、狩猟統計には狩猟された頭数があるわけでございますので、必要でございましたら、後刻年次別の頭数を御提出申し上げたいと思います。
○若江説明員 ここに持ち合わせておりませんけれども、あるようでございます。
○若江説明員 ノネコにつきまして資料を手持ちいたしておりませんが、あとで調べまして、お答え申し上げたいと思います。
○湯山委員 ノイヌ、ノネコ以外の犬、ネコを狩猟すれば違反になるわけですね。これはどうですか。
○若江説明員 狩猟鳥獣として指定されておりますノイヌ、ノネコを狩猟期間外に狩猟いたしますと違反でございます。
なお先ほど資料の手持ちがないので御答弁申し上げかねましたが、三十五年度の有害鳥獣の駆除の中には、ノイヌ、ノネコがそれぞれ八頭ずつ上がっております。
○湯山委員 狩猟期間以外、それからノイヌ、ノネコ以外の犬、ネコを狩猟すれば違反になるというけれども、狩猟されたものでノイヌ、ノネコと普通の犬、ネコの区別がつきますか。つまり店先につってあるそれを見てその区別がつきますか。
○若江説明員 判別は生息状況によって識別するのが最も判然とするのでございますが、これが店先に並べられたときに、どれがのらネコで、どれがノネコかということは、判別が非常に困難であろうかと思いますが、医学的に胃袋その他を検査して、食性の種類等で判別しなければならぬのではないかというように考えます。
○湯山委員 これは私、妙な問答をしようというつもりじゃないのです。こんな名前を残しておくことは不合理だ。これは今おっしゃったように判別困難だ。解剖して内蔵を見ればわかるだろうといってもわかるものではありません。そういう答弁じゃ何のために質問しておるかわからないので、そういうことをお尋ねしておるのじゃないのです。こういうわけのわからない、種類の名前でもないようなものはこの中からのけなければならぬでしょう。そうしてその野生化したものは人畜に害を加える場合があります。これはさっきおっしゃったように、ちゃんとはっきり野犬狩りとか、野猫狩りというのがあるかどうか知りませんけれども、そういう方法でやらないとできるものじゃないのです。あなた方のいうノイヌだって本来これは人になつく性格を持っていますから、野生化した犬だって、連れてきて飼えばけっこう役に立ちます。そうして非常に利口です。だからその区別をつけようたってつきません。私の家はちょうど松山の城山の下にありましたから、よく知っておりますが、あなた方の言うノイヌの子をとってきて飼うと、とてもいい犬が育ちます。そういうことですから、おそらくこれはアメリカあたりのほんとうの野生の犬というものとそれとをごっちゃにしておると思いますので、そういう判定もできないし、ことにそれによって処罰を受けるというときに、こういういいかげんなものを並べておくというのはよくないことだ。これは考えなければならない。そうでないと困るのじゃないでしょうか。
○若江説明員 仰せのようにノイヌ、ノネコとのら犬、のらネコとの識別は非常に困難でございますが、野生いたしておりますノイヌ、ノネコがいるということも事実でございます。この際これを狩猟鳥獣からはずしますと、ノイヌ、ノネコ等の狩猟に事かりまして、山野にこれを狩りに行くということになりますと、狩猟秩序を乱すということにもなりかねませんので、その点は先生の仰せのように、識別を十分行なうように考えて参りたいと思いますが、大へん困難な点はありますけれども、従前とも入れておりますし、ここでこれをはずすという特段の理由もありませんので、従前通り入れて参りたいと考えております。
○湯山委員 はずす理由がないという理由がわからないからお尋ねしておるのです。はずさなかったら今のように困るじゃありませんか。
○若江説明員 特にこの二種類を加えておりますために大きな障害があったという事例もないわけでございますし、今後ともそういうことのないように私の方でも運営して参りたいと考えるわけであります。
○湯山委員 障害は、こういうふうにお尋ねしてもはっきりお答えができない、また狂犬病の問題とも関連して参ります。そのほか関連するところ大きいのです。ネズミにはちゃんとノネズミという種類があるのです。ところが国の法律でノイヌ、ノネコというのがちゃんとあれば、これはずいぶん迷わしますよ。だからあって益なきものはやはり害があると見ていいわけなんですが、どうですか、これをのける意思はありませんか。
○若江説明員 先ほど来申し上げておりますように、これを直ちに除外するという考えはございません。
○湯山委員 それじゃ、めんどうになりますが、もう少しお尋ねしてよろしゅうございますか。
この犬、ネコの野生化したものですね、これは一体どの程度野生化したものをいうのですか、飼っている親が山に入って、山で生まれたその子はもうノイヌですか。それがたとい町へ出てきても、あるいはどこをどう通っていても、ノイヌというのですか。
○若江説明員 野生のノイヌから生まれましたいわゆる子犬でございますが、これは獲物を山野で得て、山野で自生していくという状態におきましては当然ノイヌと解しております。
○若江説明員 その行動範囲の中でたんぼ等へ出て参りましても、ノイヌであるということには変わりはないというふうに考えます。
○若江説明員 家の中に獲物を探しに来るという場合もあるいはあろうかと思いますが、それはたとえばイノシシが獲物がないために里山に来るというのと同じような現象であろうと思いますので、同然でございます。
○湯山委員 だから間違いを起こすのです。イノシシというのはイノシシという種類です。動物園の中にいようが、山の中にいようが、家の中にいようが、イノシシというのは動物の一つの極数の名前です。ところがあなたは、ノイヌというのは固定した種類の名前でなく、生息の状態であると言う。だから家にいたらどうなるか、田の中にいたらどうなるか、山にいたらどうなるかをお尋ねした。そうしたら今度はどこへ行ったってノイヌはノイヌだ――今度は種類になったのです。それならノイヌとはどういう種類ですか。またもとへ返りますが、どうなんですか。
○若江説明員 もともと山野におりまして、生まれた子供がたまたまたんぼに来た、家の付近まで来たというのは、行動半径の中で行動したのであって、本来終始山野で生活している限りにおいてはノイヌであるというふうに申し上げた次第であります。
○湯山委員 違うでしょう。今おっしゃったのは家の中に入ってきてもノイヌはノイヌ、だとおっしゃったのですよ。さっき私が申し上げたのはそれなんであって、あなたのいう意味のノイヌの子を飼えば、とても利口でいい犬ができます。それでもノイヌですか。生まれたのは山で生まれたのです。飼い方だっていろいろありますから、主た飼い方で聞かなければならぬことになるわけです。
○若江説明員 狩猟家がノイヌをとりまして自分の家で飼養するということになりますと、それは飼養鳥獣でありますので、自己の支配下で飼養されているノイヌであるというふうに解釈されます。
○湯山委員 そうすると、はっきり言ってノイヌというのはどこにどうあってもそれは撃っていいわけですね。
○若江説明員 先ほど来申し上げておりますいわゆるノイヌを免許者が期間中に撃つということは当然よろしいわけであります。
○若江説明員 欄、柵、囲障あるいは人家等で狩猟するということは禁止されておりますので、撃つわけには参りません。
○湯山委員 私はそういうことを尋ねているの、じゃないのです。つまり狩猟の対象になるかということを尋ねておるわけで、今大へんな間違いを犯しておるというのは、その生息の状態だと言われたのが、今部長の御答弁ではだんだん一つの品種になってきておるのです。よろしゅうございますか、品種でないものがだんだん今の御答弁でも、どこにいてもノイヌはノイヌだ、今のように別な規定を考慮に入れればどこで撃ったっていいんだ、こういうことまで変わってくれば、もうそれは、はっきり一つの品種になっているのです。大へんな間違いですから。
○若江説明員 最初に申し上げましたように、ノイヌという区分が動物学上にはないけれども、それが生息の状態からしましてノイヌと判定せられる犬がおる、それを狩猟鳥獣の中に入れておる、そのノイヌがたまたま山野から田畑の付近まで現われてもそれはまだノイヌであろう、こういうふうに申し上げた次第であります。
○湯山委員 あろうじゃなくてこうこうだということが明確でなければ、間違ったら狩猟法違反に問われるわけです。罰金をとられるわけです。だからそういう不明確なものは明確にする責任があります。ところが明確にしようたってノイヌ、ノネコに関する限りは明確にしようがありません。私は前に古賀園長にもこれは聞いたことがあるのです。そんなことはわからぬとはっきり言っておられる。よろしゅうございますか、ほかの動物学者に尋ねてみましても、それはわからない、こう言うのが常識です。もしあなた方がこの法律の中にある言葉だからあるいは規則にある言葉だからというので統一解釈をおつくりになっても、ほかでは通用しません。その証拠には、狩猟されたもので、はたしてノイヌであったかどうかという区別はつかないのですよ。ことに今おっしゃった内臓を抜いて皮と目だけにしてつっておけば、絶対区別がつく人はないでしょう。どうなんです、区別がつかないでしょう。
○若江説明員 内臓を抜きまして皮だけぶら下げたというふうな仮定の問題では、ほとんど識別が至難であろうとは思います。
○湯山委員 そして同じようにノウサギというのは種類の名前です。だがわかります。見ても区別がつくのです。そういうノウサギというのは区別のつく種類でいいのです。ノイヌというのは区別がつかない。ましてノネコに至っては全くわからない。それをなお個室されるところにこの法律がまだ脱皮していない。私が申し上げたのはそこなんです。白痴、瘋癲という、わけのわからない言葉がそのまま残っている。そしてノイヌ、ノネコというようなものが、まだどうもあるようなことになっている。そういうところに不徹底さがあるから、それで抜本的に考えなければならぬのじゃないか。今のようなお考えだとほんとうの鳥獣保護はできませんよ。取り締まる人にもわからないのだから。白痴、瘋癲なんて、読んでも法律もわからない。そしてまだかたかな書きでしょう。これはどうですかね、こういうことにこだわって、そういうお考えでほんとうに鳥獣保護をやっていこう、狩猟の適正化をやっていこうなんて、できますか。そういうお考えがなお残っておって、はたしてできるかどうかです。できないでしょう。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0408/04303120408017c.html
ネットで圧倒的に嫌○○者が多いような趣味嗜好ばかりなんだけど。
誰にも強要しないで一人黙々と楽しんでるような人間なんだけど。
何かちょっと情報を得ようとウロウロするだけで目に入っちゃうのよね、ヘイトスピーチって言うんだっけ?大概声が大きいから目立つね。
それで自分自身を丸ごと否定されてる気分になってメンタルの弱さに年々拍車がかかっている。
改めて思うけどネットでの暴言ってものすごいよなあ。呪詛とかに見えてくる。
そういう人が普段は「ぬこきゃわわ(*´∀`*)」「なごんだ(*´ω`*)」とか言ってるんでしょ?
私思春期とかじゃないですけど未だに超違和感なんですよね。ピュアなんですかね。だからメンタルやられるのかな。
言わせておけばいい、とか気にしなきゃいい、っていうからそうなりたいんだけどね。
関東大震災が起こった年、女子中学生であった私は結果的に当時の摂政を銃撃からお守りしたのだけど、その後、宮内大臣から直々の縁談があって、新しくできた丸ビル前で待ち合わせたのがなれ初め。
あの時はまだ民本主義とか、東大新人会に勢いがあって、彼が進歩的な話をしてくれることにときめきを感じたことを今のように思い出す。
けど、あの年は甘粕大尉が事件を起こしていた時代でもあり、その後の時代は彼に向いていなかった。進歩的とされた思想の弾圧の結果、彼は閑職にまわされ酒と借金におぼれていった。
その時の私の窮状を救ってくださったのも、牧野伸顕閣下。幅広い人脈を持つ閣下のおかげで、私に暴力をふるうようになった彼と私の婚約関係は
世間の好奇を浴びることなく解消することができた。そして、早くに妻君をなくしてた海軍のある佐官の下へ嫁げたことは、一生の中でも最大の幸福だった。
その後の戦争で、私と子供一人を残し、帰らぬこと人となってしまったのは仕方ないことかもしれないけど、悲しかったなぁ。実のところ、敗戦が決まって軍人恩給も出なくなるかもということで
今後の一家の暮らしをどうしていくのか本当に心配だったことの方が切実で、あの時のことはあまり記憶にない。なんとか生き残ったことだけを思い出す。
敗戦後何もなくなったどころか、一人目の夫よりもはるかに人間的・学問的に劣っていた進歩的知識人たちが政治的にも、学問的にも跋扈しだしたことには天地動転とはこのことかと思ったけど、
その後の日本の成長は目覚ましかった。高度成長期も終わりには、国のために散った二人目の夫と将兵さんのために、南洋諸島に慰霊することが出来た。あの時、ようやく戦争が終わったのだと思い、
夫が欲しがっていたゼネラルモーターズ製のシボレーの模型と、子供が作っているトヨタ製のカローラの模型をたむけた。
日本と言えばまず後進的で奇形な資本主義国であることが当然とされた時代からうってかわって、1980年代には日本は世界最高の資本主義国となっていた。
NECに勤める孫に半導体というものを説明され、湾岸戦争を見た時に、もう世界は私が知っているものではないのだと思ったものだった。
さて、どんなに年をとってもお迎えは20年前に来ると思っていたのだけれども、100をとうに超えてもまだ生きていて、このまま後2,3年生きれば県で一番長生きらしい。
長いし、ただただ書き留めておきたいだけの自己満足だ。
両親が共働きでおばあちゃん子だった。おばあちゃんに孫は自分を入れて4人いたが、一番下で他の孫と年齢が離れていることもあって自分が一番可愛がられた。
本当に溺愛という言葉が正しく、同じ家に住んでいるのに、少しでも自分の姿が見えないと探しに来た。10分離れると不安だったのだろう。
高校時代に受験勉強(という名のただの夜更かし)をしているときも、1時や2時に起きてきて「えらいねぇ。まだ寝ない?」と聞いてきた。
そのたびに「まだ。もうちょっと。」と言ってあしらっていた。
近所でも有名になるぐらい、自分のことを溺愛していた。
高校を卒業し、浪人した。この時に実家を出て、予備校の寮に入って祖母との同居から離れた。
18年片時も離れず育てた孫がある日突然出て行くのだ。寂しかったのだと思う。もちろん電話が頻繁にかかってきた。
2、3日に1度というペースで、かかってきて、いつも決まって同じことを言った。
「次はいつ帰って来るんよ?カレンダー見ながら指折り数えてるんよ。はよ帰ってきて。」
寂しいことはわかっていたが、毎週末帰るわけにいかない。
するとだんだんと電話の頻度が多くなってきた。言われることはいつもと一緒。
「次はいつ帰って来るんよ?はよ帰ってきて。」
ある時、少しだけ反発をした。
「昨日も電話したやん。同じことばっかり言われてもすぐ帰れんよ!」
ちょっと強めに言ってしまった。少し後悔した。その瞬間、思いもよらぬことを言われた。
あとで母親に聞いたところ、自分が家を出てから物忘れが加速しているのだそうだ。
財布を家の中で失くしたり、ご飯をたべたことを忘れてしまったりと日常生活に支障をきたし始めていた。
ショックだった。祖母は働き者で、両親が働いていて居ない間はご飯を作ったり塾への送り迎えをしたり、常に動いている人だった。
自分が家を出てから、世話をする人がいなくなり、昼間にずっと寝る生活になったのだという。
自分が家に居たら。そう思った。
だがもう限界をとっくに超えていたのだろうと思う。
夜も満足に眠れず、昼間も祖母が気になって仕事場からちょくちょく家に見に帰っていた。
家族はそれに賛成したし、もちろん僕も賛成した。
自分は実家から遠く離れた大学に進学したので帰るのは半年に1度程度だった。
その頃には自分のことは忘れられていた。
「おまん、誰よ?」
辛かった。けれど祖母が育ててくれたことに対する感謝の気持ちがあったので、帰ってきた時は毎日のように会いに行った。
大学4年のある日の朝に夢に祖母が出てきた。
白いぼんやりとした、もやもやしたものの中に祖母が立っていた。
はっきりと「もう長くないんよ。」と言った。
ハッとして起きた。嫌な胸騒ぎがした。しかしその時期は大学の研究発表会が近づいており、こんな夢を見ることもあるだろうと思い大学に向かった。
夜8時を超えたぐらいだったと思う。父親から電話がかかってきた。嫌な予感がした。
当たった。
「もう今晩がヤマらしい。」
聞いた時は冷静だった。
「今すぐ帰るから、待ってるように言って。」
結局実家に帰る終電には間に合わず、朝いちの電車で帰ることになった。
それまでにいろんなことを考えた。もし自分が着く前に亡くなっていたら。
せめて自分が着くまで。今まで育ててもらった感謝の気持ちをまだ伝えてない。
その願いは叶った。
病室につくと、両親や親戚が集まっていた。意識はもうない。
無意識の中で人工呼吸器を手で取ろうとしていた。邪魔なのだろう。
母親は泣きながら「お願いやからとらんといて。お願いやから・・・」
言葉にならないようなか細い声で懇願しながら、人工呼吸器を祖母の口に戻した。
そこにいる全員がその時は近いことを悟っていた。
だがもともと体力だけはあった祖母だ。そこから24時間保ち続けた。
もともとその数日前から病院につきっきりの母は明らかに体力の限界だった。
自分は祖母の手を握りながら、「頑張って。おじいちゃんが向こうで待ってるよ」と語り続けた。
いままでありがとう。こんなに立派に育ったよ。本当にありがとう。感謝の言葉を言い続けて手を握り続けた。
ギュッと握ったら、少しだけぎゅっと握り返してくれた。
生物学的な反射という行動なのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
朝5時過ぎた頃だったと思う。疲れたいたので少しうとうとしかけた所にお医者さんが入ってきた。
手首を触って脈をみる。
一言だけ言った。
「ご家族を呼んでください。」
意味がわからなかった。先生はその言葉を残して病室を出て行った。
「やめてくれ。一人にしないで。」と思ったが、することがあった。
何を言えばいいのかわからなかった。
出た言葉は「来て。はやく。」
たったこれだけだったが、十分だった。
その中で眠るように祖母は逝った。
みんな泣いていたのだけは覚えている。
そこから2日ほどは様々な事務処理に追われてほとんど覚えていない。
「名前を継いで欲しい。」
祖母には娘が2人いるが、どちらも嫁に出たので祖母とは苗字が違う。
うちの地方ではよくあることだが、祖母の養子に入ることで名前を継げる。
自分は次男なので、事あるごとに名前を継いでほしいと言われていた。
不思議な気持ちだったが、自分の中でこれが一番の祖母への感謝を表す方法だと思ったからだった。
今では祖母の名前を継いだことを誇らしく思う。
ある知人が、同世代ながらたいへんな才能の持ち主であった。
彼女は「あるジャンル」の商業作品において、数年で人気作家となった。
先日一般紙にも進出した。連載開始だ。
私は彼女に憧れて絵を描き始めたきらいもあり、自分もプロ作家になれるくらいの
実力を欲しいと願い、それなりに練習した。
しかし家族や友人の目を気にするあまり、それを商業分野に持ち込もうとはしなかった。
持ち込みたかったのは山々だった。
自分の作品が否定されることが怖いというより「こんなん描いてるのかよwww」と家族や友人に
嘲笑されそうで怖かった。
まったくあほらしいことはわかっているが、今でも怖い。
この時代、HNでネットに作品をあげるのが主流になるわけだが、
そこをリアルな知り合いに監視されているような感覚をおぼえるから。
と、まあ姿勢からして中途半端なため、どんどん出世する知人の作家にただただ尊敬の念を
送るに限るべきなのだろうが、中途半端にプライドも高かったため、妙な嫉妬心があるのだった。
嫉妬の要因をつぶすために行動を起こす。
前者は上記の理由で難しそうだ。
後者は、ネットで嫉妬にかんするあらゆるウェブページを漁って理解したものである。
しかし、認めただけ、客観的情報だけでは、嫉妬という「感情」を抑え付けるのは非常に難しい。
くすぐったいと笑ってしまうのと同じで、理論で片付くようなものではないのだ。
とすると、徹底して前者による解決しかない。
しかしもう就職活動という時期に、人生を賭して作家になるだけの度胸が私には無い。
こんなところで文字を打っている暇があれば、絵や漫画の練習をしたほうがいいという指摘もあるだろう。
それもまったく正しい。ただ、ときどき文章にして気持ちをぶちまけたい。
そうも言ってられず、とりあえずは就職活動をしてみる。
しかしこれもまた中途半端。漫画絵ばかり描いていて、結果を残していない
(というか結果を残すための「挑戦」すらしていない)私がアピールできることなど、ほとんどなかった。
さらにいえば、就職に完全に気持ちを切り替えようとしても難しい。
心の奥底ではサラリーマンとしては働きたくないという感情もあった。
面接はいくつか控えているものの、いまだ内内定には漕ぎ着けていない。
ようするに、自分は、結局はモラトリアムの中の自己満足や、勝手な自己研鑽感に陶酔しているだけの
愚かなワカモノなのだ。嫉妬やルサンチマンに溺れる資格など、そもそもないのである。
しかしこうした分析が出来ても、感情は否定できない。生理現象に近い。
方策としては、就職が決まった後、自立し、できる範囲で、今までやりたかった「自分の挑戦」を始めていくことだろう。
あるいは、はからずもサラリーマンになった後に他の自己実現を見つけることができるか、というところ。
今のところ意欲がないので難しそうだが・・・。
友人と飲みに出ていたりするとそうした感情を忘れ、豊かな気分で一日を終えられる。
ある記事にあったが、理不尽な環境の差に(私の環境が理不尽であるかはさておき)嫉妬する際に
比べるのは「楽しさ」なのだという。
そんな「楽しさ」を絶えず絶えず継ぎ足して、自分の幸をキープするという方策もある。
身動きが出来ない今はこれでごまかすのが一番な気がする。
これがよさそうで、最近は面白い映画とか本とか見るように心がけている。
絵も描く。上手くなるにはこれしか解決策がないから、こっちもやる。
ただしなるべく絵の楽しさをかみしめられるようなやり方でやる。
今までは修行のような意味合いでやってたせいで、他人に嫉妬しやすかった。
「自分はこんな頑張っているのに、まだ負けるのか・・・」となりやすい。
幸せとは知らぬこと、不幸は知ること、なんて話もあり、他人の成功を見てしまうから私が(勝手に)傷付く。
見なければすむ話だが、「他人の成功の情報」(=不幸)は不意打ちで私の眼前に現れることもある。
「努力の方向を間違っている」←これもまた真なり。どう考えても今からでも持ち込み行ったり即売会出たほうがスッキリしそうだわ。
・・・あれ?JavaScriptエラー出てる気がするけど気のせいかな。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/e/emija/20140311/20140311230439.jpg
…がhttp://hatenablog.com/jsのエラーだと思っているエンジニアの人のブログから。
これは Google に保存されている http://emija.hatenablog.com/entry/2014/03/12/193513 のキャッシュです。このページは 2014年3月12日 10:35:22 GMT に取得されたものです。
もふぬこ戦記
2014-03-12
昨日投稿したはてなブログが遅いのはだいたいJavaScriptのせい - もふぬこ戦記が拡散され、アクセス数が急上昇しました。
作業した結果を記事に残しつつ「おもしろいコメントを見つけた」からそれも書いただけなんですが・・・(苦笑)
あの恥ずかしいコメントがなければ拡散されることもなかったのではと思っています。
ご意見いただきありがとうございました。今後の開発の参考にさせていただきます。
また、速度面に関しては、今後も引き続き改善を行なって参りたいと思います。
以上です(笑)
闇に葬られて終わりかなぁ・・・
「速くなるかも!」と期待して拡散していただいた方には申し訳ないのですが、はてなの開発者さんらしき人が「遅いのはおまえの通信環境がショボイせい(意訳)」ということを仰っておりましたので、改善するつもりはまったくないようでした。
※はてなブログは遅くないという人もいますし、遅いという方もいらっしゃるので環境に影響されるようです。
対策は別途考えますが、読者登録したブログのRSSを取りこぼしてしまう件の方を先に対処しようと思っています。
これも修正するつもりはないのかもしれません。
※こういうのもありますゾ!
ブコメにもでていましたが、minifyとか使って圧縮しておけばコメント消えるし、読みづらくなるので読もうと思う人も減るだろうと思います。
(僕は読まなかったと思います。解析するつもりはありませんでした。変なコメントが見えたからついみてしまっただけで・・・)
それではまた。。。
http://b.hatena.ne.jp/entry/emija.hatenablog.com/entry/2014/03/12/193513