ある知人が、同世代ながらたいへんな才能の持ち主であった。
彼女は「あるジャンル」の商業作品において、数年で人気作家となった。
先日一般紙にも進出した。連載開始だ。
私は彼女に憧れて絵を描き始めたきらいもあり、自分もプロ作家になれるくらいの
実力を欲しいと願い、それなりに練習した。
しかし家族や友人の目を気にするあまり、それを商業分野に持ち込もうとはしなかった。
持ち込みたかったのは山々だった。
自分の作品が否定されることが怖いというより「こんなん描いてるのかよwww」と家族や友人に
嘲笑されそうで怖かった。
まったくあほらしいことはわかっているが、今でも怖い。
この時代、HNでネットに作品をあげるのが主流になるわけだが、
そこをリアルな知り合いに監視されているような感覚をおぼえるから。
と、まあ姿勢からして中途半端なため、どんどん出世する知人の作家にただただ尊敬の念を
送るに限るべきなのだろうが、中途半端にプライドも高かったため、妙な嫉妬心があるのだった。
嫉妬の要因をつぶすために行動を起こす。
前者は上記の理由で難しそうだ。
後者は、ネットで嫉妬にかんするあらゆるウェブページを漁って理解したものである。
しかし、認めただけ、客観的情報だけでは、嫉妬という「感情」を抑え付けるのは非常に難しい。
くすぐったいと笑ってしまうのと同じで、理論で片付くようなものではないのだ。
とすると、徹底して前者による解決しかない。
しかしもう就職活動という時期に、人生を賭して作家になるだけの度胸が私には無い。
こんなところで文字を打っている暇があれば、絵や漫画の練習をしたほうがいいという指摘もあるだろう。
それもまったく正しい。ただ、ときどき文章にして気持ちをぶちまけたい。
そうも言ってられず、とりあえずは就職活動をしてみる。
しかしこれもまた中途半端。漫画絵ばかり描いていて、結果を残していない
(というか結果を残すための「挑戦」すらしていない)私がアピールできることなど、ほとんどなかった。
さらにいえば、就職に完全に気持ちを切り替えようとしても難しい。
心の奥底ではサラリーマンとしては働きたくないという感情もあった。
面接はいくつか控えているものの、いまだ内内定には漕ぎ着けていない。
ようするに、自分は、結局はモラトリアムの中の自己満足や、勝手な自己研鑽感に陶酔しているだけの
愚かなワカモノなのだ。嫉妬やルサンチマンに溺れる資格など、そもそもないのである。
しかしこうした分析が出来ても、感情は否定できない。生理現象に近い。
方策としては、就職が決まった後、自立し、できる範囲で、今までやりたかった「自分の挑戦」を始めていくことだろう。
あるいは、はからずもサラリーマンになった後に他の自己実現を見つけることができるか、というところ。
今のところ意欲がないので難しそうだが・・・。
友人と飲みに出ていたりするとそうした感情を忘れ、豊かな気分で一日を終えられる。
ある記事にあったが、理不尽な環境の差に(私の環境が理不尽であるかはさておき)嫉妬する際に
比べるのは「楽しさ」なのだという。
そんな「楽しさ」を絶えず絶えず継ぎ足して、自分の幸をキープするという方策もある。
身動きが出来ない今はこれでごまかすのが一番な気がする。
これがよさそうで、最近は面白い映画とか本とか見るように心がけている。
絵も描く。上手くなるにはこれしか解決策がないから、こっちもやる。
ただしなるべく絵の楽しさをかみしめられるようなやり方でやる。
今までは修行のような意味合いでやってたせいで、他人に嫉妬しやすかった。
「自分はこんな頑張っているのに、まだ負けるのか・・・」となりやすい。
幸せとは知らぬこと、不幸は知ること、なんて話もあり、他人の成功を見てしまうから私が(勝手に)傷付く。
見なければすむ話だが、「他人の成功の情報」(=不幸)は不意打ちで私の眼前に現れることもある。
「努力の方向を間違っている」←これもまた真なり。どう考えても今からでも持ち込み行ったり即売会出たほうがスッキリしそうだわ。