はてなキーワード: 進路変更とは
軽く触れると3回点滅する「ワンタッチウインカー」って知ってる?
近年、国産車でも採用されているウインカーレバーを軽く操作すると3回点滅する「ワンタッチウインカー」。欧州車を中心とした輸入車ではすっかり定着しているワンタッチウインカーだが、近年は国産車でも純正で装備されはじめている。
ワンタッチウインカーのメリットは、ドライバーの負担が減らし、誰もが一度は経験したことがあると思われる合図の出しっぱなしを防止できること。
進路変更や車線を変更するときのハンドル操作量では、ウインカーレバーが自動で戻ることはほとんどなく、ウインカーレバーの戻し忘れは、後続車に勘違いさせる恐れがある。ドライバーの操作を減らすことで、人為的なミスを減らすことがワンタッチウインカーを採用する一番の目的だ。
一方、ワンタッチウインカーは、進路変更が完了する前に合図が消えてしまうことを懸念する声がある。多くのモデルのワンタッチウインカーは3回しか点滅せず、進路変更が完了する前に合図が消えてしまうのだ。
法律では、進路変更の3秒前に合図を出し、進路変更が完了するまで合図を継続しなければならないと定められており、法律の観点からすればワンタッチウインカーは、進路変更に適していないという見方もできる。
紛らわしい標識に引っかかり切符切られたりトラブるのではといつもビクビク運転してる身として、世間の見識が定まらないのは何とかして欲しい。
togetterのブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1772691)を見ると、導流帯(ゼブラゾーン)について
「(違反にはならないので)通行できる」派
「(違反にはならないが)通行すべきではない」派
が混在している。
ブコメの経験談によれば警察の説明がその都度食い違うこともあるらしい。
この食い違いの原因はおそらくゼブラゾーンの敷かれる場所によって立場が変わるからではないかと私は理解した。(間違いあればご指摘いただきたい)
まず以下のような "ゼブラゾーンが対向車線との境界になっており、そこをきっかけに車線数が増減しているような場所(https://pbs.twimg.com/media/E-9CSjXVcAA_Dtr.jpg:medium)" では、対向車線と正面衝突するリスクがあるので、当然通行すべきではない。
したがって、このような場所を想定した警察の説明は「侵入するな」に傾く。
「導流帯は車両の安全かつ円滑な走行を誘導するために設けられた場所であります。当該場所を通行すること自体は法令上、違反行為とはなりませんが、導流帯を設けている主旨に鑑みて侵入しないように指導しております」
「法令上、車両が通行することは想定しておりませんので、通行方法は定められておりません」
「導流帯の通行実態が認められ、交通の危険を生じさせている場合には、立ち入り禁止部分規制の実施や、物理的に侵入できないようポストコーンを設置するなど、必要な安全対策を検討いたします」
「導流帯を設けている主旨に鑑みて」とわざわざ言うのは場所によって敷設の主旨が違うからだろう。
一方、 "中央分離帯があり、間違って右折レーンに入ってしまった直進車両に車線変更を促すためのゼブラゾーン(https://pbs.twimg.com/media/E-9CS-FVQAACvFe.jpg:medium)" の場合、対向車線と衝突するリスクは無いのであえて避ける必要は無い。
警視庁の相談室に問い合わせてみた。「あのゼブラゾーンは、通過しても特に罰則はありません。オレンジでくくられている場合は、進路変更禁止違反、はみ出し禁止違反になります」との回答だった。
では、あのゼブラはなんのために? じつは右折レーンの手前にあるゼブラは、直進車が間違って右折レーンに入らないように書いてあるのだ。「この先右折レーンがありますよ」という親切なお知らせ、ということ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc6867654ab5a57d40b1eaea1230873743fc85cc
https://pbs.twimg.com/media/E-9CTGIVUAECmES.jpg:medium
今回の件の動画で(https://youtu.be/xFsfCbbUA6c?t=105)、最初の契機となった女性の車が黒い車を追い越すシーンも後者に当たる。
Googleマップ https://goo.gl/maps/HA5prkqdWfdjNM7x5 (西から直江町の交差点に入ってきて右折し大垣一宮線を南進したと思われる。)
もしもこの例のゼブラゾーンを通行すべきではないとすると、最初から右折するつもりの車が交差点直前でわざわざ車線変更を繰り返したり、交差点直前まで車線変更をためらいそのまま直進左折レーンに行ってしまう事態を招くだけでかえって交通の妨げになる。
ただ、そこで事故が起きた際に過失割合が変わる可能性があるのは、上記のように導流帯の通行方法が敷設の主旨によって決まっておらず、一般通念として「侵入すべきではない」と捉える人も多いためその点が加味されるというかごねる余地だからではないか。これは別に右折車両がゼブラゾーンに侵入したことに落ち度があるという訳ではない。
あぶねぇって思って軽くぶつかったら舌打ちされた。
これ殴ったら犯罪になるのは正直納得できない。
急な方向転換に合わせて進路変更したら後ろからチャリにぶつけられたことがある。
もちろんチャリにはガチギレしたんだけど、なにやってんだこいつらみたいな鼻で笑ってた犬の飼い主にも激詰めした。
チャリも飼い主もまじで納得行かない顔してたけど、俺が何したっていうんだよ。
母から短大へ行ってすぐ就職しろ と言われていたので高校3年間、英語学科の短大を希望しますと 担任との二社面談をサクッと乗り切ってきたのだが
高3の夏、英単語の勉強 好きじゃねーなと気づいて音楽学部のある短大へ進路変更。
吹奏楽部の顧問、担任、母、とにかく全員から反対された。大して楽器が上手くなかったたからだと思う。
反対を押し切り 入学。楽器は両親が結婚資金を貯めてくれてたのを切り崩して購入。
大学でも 当たり前についていけなかった。
周りは幼少期から楽器やってるだの、全国大会金賞だの、まぁ当たり前に音楽で生きてきた人たち。
誰からも見捨てられたと思って、大学の外で一般のアマチュアと遊んだり 本番出たりしてた。
22歳、短大の同級生は就職した中 自分は研究生で大学に残っていた。マジで後輩から何してる先輩だろと思われてたと思う
近隣の吹奏楽部の非常勤講師をやらないかと声がかかる。それを機に大学を出る。(教授には当たり前に お前には早い やめろと言われた)
というか指導業でお金を稼ぐ(名ばかりフリーランス)で生きていくのに必死。
吹奏楽ガチでやってた人なら分かると思うけど、コンクールって労力ハンパなくて、結果出そうと思うと人生の時間ぜんぶ突き込む勢いでやらないといけなくて。
人生溶かしすぎて、自分何やってんだと鬱になっていたので これを機に部活指導を辞める。
ずっとクラシックよりジャズがやりたかったので演奏活動の夢を捨てきれず、いまチマチマと練習しているが、この20代をほぼ指導業に振ってしまったため ジャズなんて出来るはずもなく。
演奏する仲間もいない。
自分と同じ歳のking gnuやら石若駿やらの神世代を見るともう遅いのかな と思う。
これ、詰んだかな
よくある話だけど、携帯見てて前を見てない人間をなんで前を見てる人間が避けないといけないのかわけわからないし。
のろのろ歩いてるくせに数人で横並びで追い越しもすれ違いもできない状況とか当たり前にあるし。
あぶねぇって思って軽くぶつかったら舌打ちされた。
これ殴ったら犯罪になるのは正直納得できない。
犬連れてるやつは論外。犬も飼い主もどっちに行くかまじでわけわからんってときに、急な方向転換に合わせて進路変更したら後ろからチャリにぶつけられたことがある。
もちろんチャリにはガチギレしたんだけど、なにやってんだこいつらみたいな鼻で笑ってた犬の飼い主にも激詰めした。
チャリも飼い主もまじで納得行かない顔してたけど、俺が何したっていうんだよ。
普通に歩いてて危険が迫ったから身の安全を確保しただけだろうがよ。
自分にしてみれば歩道が歩行者の天国だと思いこんでる歩行者のほうがクソだよ。
わきまえろじゃなくてさ、自分の安全考えたら最適行動しろよって話。
もう親の立場になる年なんだけど、未だに自分の親がわからないし、信頼関係も回復しきれていない。
通っていた高校は、2年生で社会科選択科目で、3年生で文系理系でクラス分けをするカリキュラムになっていた。
とはいえ、3年の理系文系を見据えての2年の選択科目なので、2年のクラス分けで9割方進路が決まる。
履修希望は前の年度の年末くらいに出すので、1年生の秋には大体の方向性を決めなきゃいけない。
大学に行くなら浪人も下宿も不可といわれていたので、志望校も限られてしまう。
薬学部は、家から通える国立大学はまず無理。私立なら学力的には大丈夫だけど学費が高い。
法学部ならなんとか国立も視野に入るか・・・と悩んで親に相談したところ、「学費は大丈夫だから頑張りなさい」と言ってくれた。
毎年の三者面談でも進路の話をして、東京近郊の私立薬学部中心に国立も受験してみようということになっていた。
最終的には、国立C判定。私立ならいくつかA判定出てたから、大丈夫かな・・・と思っていた。
明日からセンター試験という夜に、軽い口調で親が言った。「国立しかダメ。私立は受けてもいいけど学費払えないからね」
本人大混乱。
呆然としつつもなんとか試験を終えて、話し合ってわかったこと。
私が難易度や学費やその他諸々の説明をしたのは、聞き流していた。学費はノープランだった。最初から。
出願後に学費を見たら、国立はともかく私立は払えない。だから諦めなさいと言った。
つまり、受験結果の如何にかかわらず、私立の薬学部への進学は無理。国立ならまだいいから頑張れと。
そりゃー信頼関係なくなりますよね。どうして土壇場でひっくり返すのか。今までの話し合いはなんだったのか。
結局、国立は落ちて私立はいくつか受かったけど、もちろん進学出来ない。
気持ちを立て直して、2月中旬から出願できて学費の比較的安い私立の工学部に出願、合格して進学。
工学部は第三希望ではあったので、進路変更ギリギリセーフというところか。
親御さんにお願いします。
子供に経済的な話はしにくいかもしれないけど、ちゃんと伝えてください。
方向転換は後になればなるほどつらいし、対処も大変になります。
あの目の前が真っ暗になるような大混乱は誰にも体験させたくない。
【追記】
・センター試験の前に私立に出願していて、お金払ったのに受験しないなんて!と親から詰られたため、受験はしました。
・その時点から出願できて費用・場所的に通える学校のうち、学ぶ内容に興味が持てたのが工学部のその学科だったのが選定理由です。
・薬剤師か弁護士になりたかったので、薬学部と法学部の2択でした。薬学部がダメなら医療系なら何でもいいとは考えもつきませんでした。
・学費は国立分と同額を親から、あとは親戚からの借金(入学時費用)と奨学金とバイト代でまかないました。借金は入学後にバイト代で、奨学金は卒業後分割で返済済み。
・薬学部の学費が高いのはわかっていたので、具体例を挙げて親に相談していたのです。厳しいなら特待生制度とか志望学部をを変えるとかも伝えての「大丈夫だから」でした。
前々からおかしいと思いつつしかたないで済ませてきたけど、でも、悪いけどやっぱりおかしいから声にします。
交通違反はけしからんです。実にけしからん。ドライバーは人の命を預かる人間としての節度が問われます。
資料調べたら平成30年の1年間で820,678件も発生してるんですよ。交通違反だけで。
なんと1日で2248.4件。なんてけしからん。
交通違反といえば無免許、酒気帯び、携帯電話、スピード違反あたりが事故に直結する危険な違反。
意図的でなければ起こらない違反でもある。そういう違反をする人間は本当に免許を取り上げてほしい。
・無免許 1,068件
・酒酔い 35件
・及び酒気帯び(0.15mg/l以上、0.25mg/l以上含む) 780件
・携帯電話 64,825件
・速度超過 62,958件
携帯電話と速度超過は流石に多いなって印象ですが、それでもどちらも10%以下。
酒酔い、酒気帯びに関しては合計しても0.1%にしかなりませんでした。
あれ?なんか思ってたのと違うな。
通行禁止違反とは、車両進入禁止の標識のある道路に進入してしまうこと。
主に一方通行の逆走などですが、これ以外に、時間帯によって右折や直線などが禁止されている交差点で誤って禁止されている方向に進んでしまうことも含まれます。
よく見ると8-20は直線左折のみといった内容の標識が道路脇にぽつん立っていたりするやつです。
幹線道路に交差する細道からの直進が、8時から12時まで禁止されているというものでした。
たまに通るときは夕方だったので、昼の間に直進できないとは知りませんでした。
違反したのは自分が悪いです。でも、そこにずっといたなら直進が危険だと知らせるべきじゃないですか?
言われてぴんとくる人もいると思いますが、多いんです。取締が。
そりゃ現行犯(?)が基本の取締ですからそうせざるを得ないこともわかります。でも、他の明らかに危険な違反と比べて多すぎやしませんか?
ついで一時不停止が135,143件。その後に信号無視が118,602件と続き、こちらもとても多くの件数が取締されています。
この二つはわからなくないですが、それでも場所によっては分かりづらい場所も多く、そういうところに限って取締が多いのも事実です。
更に続くのが、進路変更違反83,446件。指定通行区分違反が63,572件となっています。
進路変更違反は黄色い車線をまたいで車線変更をしてしまった場合、指定通行区分違反は左折・直進・右折などが指定されている車線から指定を守らないで進行してしまった場合などです。
昭和通り沿い、上野駅近く大きな歩道橋下なんて、3回通れば1回は違反取締を見るくらいの頻度です。
この道なんて特にそうで、走ったことのある人はわかると思いますが、昭和通り3車線のうち路駐で左側一車線が潰れているところから黄色車線が断続的に続いている上に突然右車線が浅草通り方面への右折車線に限定されてしまうので、知らないと勝手に別の道路に連れて行かれそうになります。
しかも知っている人は交差点手前から真ん中の車線にいるので、右側車線だけが場合によっては御徒町を越えたくらいからガラガラだったりして、気付いたら右折車線の直前まで進入してしまっていて判断の時間が極端に短くなるなんてことも重なったりします。
運転は免許制ですので、ハンドルを握り続ける以上は常に知識と意識をアップデートして安全運転に務めることが求められます。
だから、知らなかった。わからなかった。ですまされないものだということも理解できます。
ただ、この道路に限って言えば、昭和通りの路駐が交差点手前からしばらくの間だけでもなくなっていれば、結果的に中央車線の通りが良くなってほぼ解決する問題でもあります。
それって、本来取り締まるべきものが逆転してしまっていませんか?
お前ら黄色いライン超える車ばっかり睨みつけてないで、手前の道路の駐車違反を一掃してこいよ!と。
通行禁止違反、指定通行区分違反、進路変更違反だけで、年間293,842件という取締数は異常だろ。
取締数だけでそれだけということは、実際の数は更に数倍に膨れ上がるわけですが、本当にそれだけの件数のドライバー、意図的に違反を行おうとしているのでしょうか。
さて。
話は変わりますがここで違反金について考えてみたいと思います。
普通自動車の場合、通行禁止違反が7,000円、指定通行区分、進路変更で6,000円の違反金を支払う必要があります。
これをそれぞれの件数で掛け合わせてみると、この3つの違反だけでも、都内だけで年間19億円の違反金が警視庁に支払われている計算です。
一時不停止、信号無視についても、個人的にはとても判断が難しい道路などがあるので全てをドライバーの責任だとは言いたくありませんが、それを除いたとしてもこれだけの金額が違反金として支払われている状況なのですが、これって異常だと思いませんか。
道路上の安全を守るべきが警察の職務であるのに、年間にそれだけの件数の違反が発生する交差点や道路上の問題を放置しているのは職務怠慢であり、もしそれが違反金欲しさに放置されていたとしたならば、重大な責任問題さえ発生しかねないくらいの大きな問題だと言えます。
いくらなんでもこれではもはや事実上の通行税。そんなのが許されるならマジで日本は死んでくれ。
もちろん交通事故はなくなってほしいです。
そのために取締が強化されることは致し方ないことだと思いつつ、道路上の危険が放置されているとも言える状況で、取締数と違反金だけが増えていくのは果たして正しいことなのか疑問でしかありません。
平成30年の違反件数で45,582件はそれだけでもかなりの数ですが、それでも携帯電話の64,825件、速度超過の62,958件に比べれば少ないです。
何も路上駐車の全てを取り締まれとはいいません。特に物流に関するものについてはルールを定めた上で緩和されるべきだと思います。
ただ、特にタクシーによる駐停車禁止区域(主に交差点内とその端から5m以内、横断歩道から前後5m以内、車線変更禁止ラインのある右左折レーン)での客の乗せおろしは、歩行者を巻き込む事故に容易につながる本当にけしからん問題なので取締を強化すべきです。
曲がりなりにもプロを名乗る人たちが目先の売上を優先して堂々と違反行為を繰り返しているのが見逃されているのに、道路側の問題とも言える違反によって普通のドライバーばかりが取締されるのはどう考えてもおかしいです。
最後に、自動車の販売台数が下がっていく一方らしいですが、標識や交通ルールの分かりづらい場所に限って取締を強化しているような道路なんて走りたくないっていう気持ちが、そこにとどめを刺しにいっているような気がするので車メーカーさんも何かしらの働きかけが必要な時期にきているのかなって思いました。
自分は必要に迫られてハンドルを握ってるだけで、こんな道路、普通に考えて走りたいなんて思わないよ。これじゃ日本死ぬよ。警察に殺されかけてます。
参考資料
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/tokei/k_tokei30.files/ktd020.pdf
お気持ちわかります、子供からみると親が喧嘩・言い合いをするのは秒でストレスマックスですごく困るんですよね
でもちょっと考えてみて下さい、あなたも親のことを体の良い自分専用の奴隷だとおもっていませんか?
ですが2人め不妊などと言った言葉もあるとおり、兄弟が欲しければすこし我慢を覚えないといけません。
お金のことも考えると2人目はもう無理といった雰囲気になっていないでしょうか?
収入額はもう少ないので仕方がありません。
おそらく子供が2人になると保育園代などを考えても奥さんの収入額を上回るので、ならばやめて奥さんが家で2人とも見るほうがマシとなるでしょう。
でも38歳で25万の収入で昇給なしとあります。このまま子供を大学にいかせることは無理でしょう。
今子供が1人しかいないうちに進路変更、キャリアアップを考えるべきです。
実際は35歳までの間のほうが転職は楽でしたが。1歳くらい鯖をよんで37歳で35歳までの募集に応募するか、おもいきって起業して2箇所以上から仕事を請けるようにするか。
あとは、普通この共働きでしたらおじいちゃんおばあちゃんに小さい間だけでも同居をお願いして母子とも子守で甘やかしてもらう時期なのに無理に3人で暮らしている状態といえるでしょう。32歳での妊娠というだけでも頑張っているのに奥さんがコロナやその他の病気でもしたら大変なことになりそうですね。入院保険かけておかないと人生が綱わたりですね。
まああなたがメルモちゃんの赤い飴玉を手に入れるしかなさそうです。がんばってください。
体重について付記いたしますと、子供は規格製品ではありませんので、動いて楽しそうにくらしていれば体重が数%標準からずれていても気にする必要はありません。ただビタミンやタンパク質や塩分など、なにかが足りなくて常にお腹が物足りないと思ってカロリーの過剰摂取になっている可能性がありますので、栄養の内容は自分でしっかりみなおし、本当に欲しいのはなんなのかをしっかり母親さんにつたえてあげてください。保育園で運動して汗をかいてノドがかわいたのなら塩こんぶとお茶なり、ナトリウム入りのイオン飲料だけでも満足できたりするものです。小さく小分けして傷みにくい食品は難しいですが、たとえば蜜柑の缶詰をあけて製氷皿で2~3粒ずつわけて凍らせるなどでおいしいひとくちアイスができるものです。こしあんを小さめの蓋付き製氷皿にいれて凍らせても凍らないねっちり状態で保存し、必要なだけスプーンでほじくってハイハインにのせてもらうとかもいいですね。子供はラムネのような血糖値がすぐにあがるものであれば1粒でも満足できたりします。
また医者に通っているということですが、そもそもお医者でもらうお薬の副作用で肥満が出ることもあるので、それは皮膚科の病気をしっかり直して薬が要らない状態を保つほうが先決です。
思春期になったら自然に痩せることもありますし、先祖代々低血糖をおこしやすいため少量で頻回食べている家系もあります。個性がでてくる、それが言語化できるのはまだまだ先ですが、今から研究してみて下さい。
注:タイトル・本文における機会損失はビジネス用語においての意味ではなく、本来得られるはずの機会を失ったことという意味合いで使っています。(ご指摘があったので)
"人生における機会損失って大きいんだよね。コロナ禍に人生のターニングポイントが(たまたま)来ちゃった人に対して「みんな自粛してるから」って言っても公平じゃないよ。"
https://twitter.com/chiku0520/status/1348604137311596544?s=21
いろいろと思うところがありました。
実は私は、ミュージカル女優を目指す20代前半女性。コロナが流行る少し前に上京してきました。
そんな、「コロナ禍において人生のターニングポイントがたまたま来ちゃった」私から、若者の「人生における機会損失」について、考えたことをお話ししたいと思います。
★前半はミュージカルに関する内容も多いので、一般的な主張だけ読みたい方は真ん中あたりまでとばしてください。
【1番大変だし優先すべきは医療現場、自粛に協力しなければいけないということは頭では理解しているし、実際に、行政に求められている水準に基づいて自粛はしている。ということを念頭に読んでいただくようお願いいたします。】
上京した頃は、まさかこんな世の中になるとは想像していませんでした。そして、コロナが流行り出した当初は、こんなにも長引くものだとは思ってもいませんでした。
去年1年で舞台に立てたのは、コロナが流行る前の1本だけ。出演予定だったライブ、コンサート、ミュージカルは続々と延期・中止が決まり、オーディションもリモートになったりなくなったり、残念な一年でした。
数年後、コロナが収束して、舞台も芸術も元通りになったころに頑張ればいいじゃん!と思われるかもしれません。
経験を積めずに歳だけとってしまった俳優に、市場価値はありません。
新人を起用するなら新しく台頭してきた若い世代を使うでしょう。
本来だったらチャンスを掴む機会があったかもしれない、貴重な経験をたくさん積めたかもしれない大切な期間は、コロナによって空白になってしまいました。
自己犠牲払って自粛に協力して、コロナが収まったとしても、コロナ禍で若い時代を過ごした私達に、損失した何かを補填してくれるわけじゃないですよね。
むしろ、社会が動き出した頃には、もとに戻ったー!!よかったーー!!と言う雰囲気にのまれて、コロナの影に隠れていろんな人の人生の選択肢が消えていったことなんて忘れられると思う。
マイナスからのスタートを強いられるのに、配慮も補償も当然ありません。
つまり、「コロナのせいで」たくさんの犠牲を払ったとしても、社会からは、実質的に「コロナのせいにするな」という扱いを受けるということです。
そして、そんな人生を、自分の力でどうにかしていかなければなりません。
感情だけでしゃべると、「自分のことしか考えてない」「共感性、想像力がない」迷惑な若者っていうけど、感染拡大防止のためにわたしの人生を犠牲にしたとしても、だれも責任とってくれないでしょ?っていうところです。極論かもしれませんが。
どんなに辛いことがあっても、「仕方ない」「我慢するしかない」で済まされてしまうことに疲れました。そして、世の中にはもっと大変な人がいるんだから!みんな大変なんだから!と、贅沢な悩み扱いされることにも疲れました。
非常時だから、権利なんか主張しちゃいけない!って、まるで戦時中みたいだと思ってしまいます(政治的イデオロギーに基づいた発言ではないです)。
国としてホイホイ補償できるわけではないのも分かるし、そもそも、機会損失はお金で解決できるようなことではありません。
せめて、今、自分のことは自分で責任とれるように考えさせてほしい、行動させてほしいというのが正直な願いです。
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もし、投稿をご覧になった俳優の先輩方がいらっしゃいましたら、こんなことを思われるかもしれません。
・俳優という道を選んだ以上、どんなことがおこっても動揺しない覚悟ができていないのが悪い
→全くその通りです。その点については私の考えが甘かったです。申し訳ございません。
・そんな年齢で諦めていたらどうせ大成しない
→ごもっともです。どんなに売れなくても、お芝居をやりたいと言う気持ちがある限り、頑張るつもりでいます。しかし、上京1年目にこのような状況になったことはとても苦しかったし、20代前半の大切な1年がほぼ空白になってしまったのは大きな損失であると考えています。
・コロナ禍でもできることはたくさんあったはず。その過ごし方次第で人生は変えられる。
→まさにその通りだと思います。私も、自分で歌動画を配信したり、複数人での配信企画に積極的に参加したり、オンラインレッスンを受けたり、取り組めることはたくさんありました。しかし、コロナがなかった場合と同程度のものを得られたかというと、そうは思えません。
・コロナがなかったとしてもチャンス掴めてたか分からないようなレベルのやつが、コロナのせいにしてごちゃごちゃ言うな
→実際に私は商業の作品には出演したことがないですし、箸にも棒にもかからないやつかもしれません。しかし、チャンスがあった上でダメだったのと、チャンスすらなかったのでは、意味が大きく違うと考えています。
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最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。わたしの考えも、未熟なところが多々あると自覚しておりますので、賛否両論あると思います。お叱りの声でもなんでも甘んじて受け入れますので、是非コメント頂けると嬉しいです。
追記:
厳しいコメントをくださった方も、温かいコメントをくださった方もありがとうございます。ひとつひとつ目を通させていただきました。若者の甘ったれたお気持ち表明にこんなにも反響を頂けて涙目です( ; ; )
本当はひとつひとつのご意見に返信させていただきたいのですが、難しそうです、申し訳ありません。
私はここに投稿するのが初めてで、普段から見ているわけでもないのですが、匿名で、自分の感じていることを何か発信できないかと思い、この場を選びました。
そのため、この場における文化などを理解しておらず、不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。ハッシュタグは削除し、ご指摘があった表現に関しては訂正しました。転載ではありません。
また、今回は、コロナ禍における若者という自分の立場から、当事者性をもった発信ができればと考えておりました。わたしが今回主張したような世の中の変容による理不尽は、コメントしていただいた通り、過去にもあったことは十分存じています(就職氷河期、震災、豪雨による災害など)。また、若者だけが辛い思いをしているわけではないということも理解しています。しかし、それらの事実によって、私の主張は妨げられないと考えています。
昔はこうだったから今も我慢しろ。みんな辛いんだからお前も我慢しろ。という足の引っ張り合いでは世の中は良くならないと思いますし、みんなで不幸になるだけです。コロナで辛い思いをしている人はたくさんいるはずなんだから、むしろ、多様な立場から多様な主張がなされるべきです。私もいろんな方の置かれている状況について、詳細に理解しているわけではありません。今回は、わたしの立場から、コロナ禍の若者がどのような状況に置かれているのか、どのような想いを抱いているのかについて、異なる層の方にも知っていただきく、書かせていただきました。もちろん、わたしの意見が若者の代表というわけではないですし、一個人として感じていることにすぎませんが。どうにもならないことだったとしても、せめて、想いを発信することは許されるべきだと考えています。
また、従来の天災や金融危機と異なる点としては、新型コロナウィルスそのものによる影響というより、新型コロナウィルスへの向き合い方(感染対策に関する政策・世間の風潮等)による影響が及ぼす力が非常に大きいと言う点です。よって、従来の場合よりも、柔軟に対応できる幅は大きいのではないかと考えています。
今回の件に関しては補償や配慮を求めても仕方ないのは分かっているので、せめて、根拠に基づいた工夫がなされた感染対策が行われ、少しでも生活の安心感が向上し、世の中が寛容になることによって、若者が自己決定できる幅や行動を起こせる幅が広がればいいなと思います。
また、「YouTubeや SNSなど、ネット上に活動の場がある時代においてこんなことを言っているのは甘えである。」というご意見もいただきました。これについては非常に難しい点で、皆さんが想像する以上に、インパクトがあってクオリティの高いものを、役者個人の予算、技術力で作ることは困難です。
昨年の緊急事態宣言以降、役者もアーティストも、皆が、いまできること、自分にできることをやろう!と、多くの発信をするあまり、ネットメディア上の芸術は飽和状態となりました。リモートで歌ってみた・踊ってみた、インスタライブ、配信アプリによる配信、等々…。対して、今お客様の口からきかれるのは、「生のエンターテイメント」「生の芸術」を感じたい、映像配信は代替にはならない。ということです。このような状況で、高い評価を得る作品を残すには、相当なクオリティを必要とされます。実際に、本当に自己満にすぎないものや、応援しているファンの方がみて満足する程度にとどまるものがほとんどで、第三者の立場から見たら、無価値なものが多いです。
また、舞台俳優はアイドルと違い、自身の存在そのものに対する価値があるというよりも、役者がもつ持つ技に価値を置かれている場合の方が多いです。よって、お客様の立場からすると、「この人のためならなんでもみる!!」っていうようなもんでもないので、当然、要求されるクオリティは上がります。
わたしが客観的にみて、価値があると思えたもので、かつ素人が出演者の大多数を占めている公式の企画でないものの1つである作品のリンクを貼っておきますが、この規模の作品を個々人で作るのは不可能だと思います。
(西野さんアレルギーらしき方にコメントされたので一応…笑。この作品はとあるダンスラボ主宰で制作されたもので、プペルの本家スタッフや西野さんの息のかかったものではありません。風評被害を避けるためにも書いておきます。また、私は西野さんファンでもなんでもありません。ただ、この作品が、「原作の世界をダンスを用いて表現し、映像作品としても高いクオリティでアウトプットしている」という点で、優れていると思ったこと、また、原作が映画なので、どのようなものが原作となっているのかという雰囲気は一般の方にも分かりやすいと思ったことから、例に挙げさせていただきました。)
しかし、ネットメディアにおける芸術表現が飽和状態となっている中、芸術価値のあるものを発信し、インパクトを残すには、これくらいのクオリティが必要だと思います。
これは、自分が動画の配信などに挑戦した上で感じたこと、周りの役者達の活動を見ていて感じたこと、また、SNSで見受けられるお客様の意見を見ていて感じたことを含め、総合的に検討した結果です。逃げていると捉えられるかもしれませんが、事実でもあります。
こんなに愚痴っといてなんですが、筆者は出来る限り前向きに、今できることを一生懸命考えて活動中です!価値だなんだに関わらず、できることをやるしか道はないので、なんとかもがいています。あきらめたくはないですから!!(まあ、人生そんなもんと諦めて別の幸せを探して生きた方がいいのかもしれないけど…笑)
このお話は駆け出し底辺女優のわたし個人の意見ではありますが、CAを目指していたけど採用がなかった人、テーマパークダンサーを目指していたけどオーディション自体がなかった人、コロナで就職しようと思っていた業界が潰れ、進路変更をせざるを得なくなり、就活がうまくいかなかった人…同じおもいをしている人が、もしかしたら、あなたの周りにもいるかもしれません。そんな、コロナによって人生の選択が大きく変わってしまった人や、コロナによって状況が変わって苦しんでいる人がいたら、温かく応援してあげてほしいです!
ありがとうございました!
自分が書いたのはこれ
https://anond.hatelabo.jp/20201206124933
https://anond.hatelabo.jp/20201207094010
この方の紹介している「人を避ける方法」は正しい。避けテクを学んだ自分もどこかで仕入れたやり方で、とても有用である。
知らなかった方はぜひ試してください。
ただ、この歩き方をしていてもぶつかってくるのが「ぶつかってくる女」なのである。
記事には「目が合っていることで逆にぶつかってしまう」という話が出てくるが、自分が書いた「目が合っているのに避けない」はそれとは違う。
この方のいうように、避ける段階で相手の行動がわからなくて目を見てくるわけではない。
それより前の「進行方向に障害物がないか」の確認の段階で目が合っているという話だ。
人混みを避けながら歩く人なら、「相手の空気」もある程度読めると思う。
「ああ、相手はこちらの進路や避け幅を認識したな」というのも何となくわかるものだ。
その状態、こちらの進路や避け幅に意識を向けている状態でも、躊躇せず直進してくるから「ぶつかってくる女」なのだ。
「進路も変えず、体もそらさず、歩調も緩めずにそのまま突っ込んでくる。」はそういう意味である。
なんなら、こちらが避けていることを確認したらスマホを見出したりするのだ。
(一応書いておくとそういう時は残りの0.3もなるべく避けた)
ブコメやトラバにいた「最初から0.7じゃなく1.0よければいい」「避け切っていないお前がぶつかり男だ」と言ってくる人の話。
まず、人混みで1.0よけるのは0.7の二倍くらい負担が増えるものだ。実際にやれば体感できる。
ひと一人分の歩行スペースを完全に一個ずらすには、自分の進路変更だけではなく、前後の人混み三、四人の進路や歩調にも注意を配る必要が出てくるのだ。
0.7のような曖昧さは許されない。
極端に大げさな例を言えば、「初詣のもみくちゃの混雑」で1.0も横に避けたら周りにどれほど迷惑がかかるか、という話でもある。
普通の人混みはあそこまで混んではいないが、それでも1.0は負担が大きい。
こちらとしても、避けられる状況なら最初から1.0避けている。記事にも書いた通り、可能なら普段は2.0や3.0で避けているのだ。
普段から「避けない奴」だからこの程度のことも理解できないのである。
https://anond.hatelabo.jp/20201205155542
上記の記事は、おそらく女性と思われる人物が、道ですれ違う時の回避行動の男女での違いについて個人的に検証した結果である。
元増田は記事の中で女性が道で回避行動を行わない(または遅い)理由について、
「女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない」のが理由と考えられると述べている。
・男性はたいてい20~30m手前の段階で0.7避ける。たまにこちらを睨みつけたまま肩を張って直進してくるのもいる。
・女性は残り2~3mとギリギリのところでやっと0.3避ける人と、まったく避けない人が半々くらい。
この結論も上記記事の増田と変わらないのだが、私が男性だからか、女性の回避行動について元増田とはまた少し違った特徴を発見した。
それは私がガードレールの無い道で、20mくらい手前でより安全な方向(車道とは逆の道の端側)に回避した場合は、数秒遅れて、女性も道の端側に進路変更した後、直進してくることがかなりの頻度であったということだ。
元増田のいうように女性がただ避ける気がないだけなら自分が端側に避けた時点で、進路変更をする必要はなくなる。にもかかわらず、わざわざ自分と同じ方向に進路変更する。これはどういうことなのか。
思うに、女性は対男性に関しては、避ける気がないだけでなく、「男がより危険が側(車道側)を歩くべき」という考えがナチュラルにあるのではないだろうか。
だから、私が安全な方向に避けた場合は、それが気に入らず、「お前は車道側を歩け」と進路変更してきたわけだ。こうでも考えないと明らかに不自然な行動だ。
(ちなみにその時、車道に車が来ているかどうかにかかわらず、このような行動の変容は発生する。)
空間認識能力が低く、ギリギリまでこちらに気づかないタイプの女性ももちろんいるだろう。ただ、そういう女性は20m手前ではまったく目が合わないので、こちらを認識してないのが大体わかる。
上記に述べた女性のタイプは20m手前から明らかにこちらを認識したうえでそういった行動をとっている。
女性と思われる元増田も、最後に「女性が避けない結果ぶつかるのはわかるけども、男と女がぶつかったらダメージが大きいのは女性だから、男性が避けてほしい」と述べている。
このように女性の道での回避行動には女性の男性に対するジェンダーロール意識もかかわっているのではないかと思った。
この結論は自分の考察に過ぎないが、それはそれとして、男性が危険な役割を背負うべきと考えるジェンダー規範は糞だと思う。さっさと廃れてほしい。
別にこのような結論が出たからと言って、私は行動を変えるつもりはなく、相手を問わず人ととして車道側に0.7避ける人間でいようと思う。
大学入試センター試験(おそらく現行の大学入学共通テストも)は、近年「クラス全員受験」を義務付ける高校が増えており、問題となってるんだよね。その傾向にも地域差があることが想定され、特に国公立大学志望率が高い地方でそのような取り扱いがあることが指摘されている。そのため、センター試験志願率で比較するのはどう見ても適切ではない。センター試験志願者=大学入学志願者という構図が崩れているのだから。
学力中間層以下では「大学に進学しようとしていたけど失敗したから専門学校に切り替えた」という進路変更がある程度いるので精密な比較は難しいが、実際の進路(結果)で比較した方がまだ現実を反映していて良いと思う。素直に学校基本調査を使おう。
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&toukei=00400001&tstat=000001011528
盆だし、コーヒーの飲みすぎで眠気が来ないので自分語りを投げる。カジュアルにでも死にたいなあと思う人は読まない方がいいと思います。
1桁歳の頃、通学路に踏切があった。
カンカン鳴りながら降りた遮断機の前で電車が通り過ぎるのを待つ時、なぜ自分は毎回素直に待っているのか、なぜ1度も鳴り響く踏切の中に入って電車に跳ねられるという選択をしないのかを不思議に思うことがあった。
もちろんそれは私に意思が、思考があるからだが、私に意思というものがなければ、踏切の警告音が鳴り響く時、1/2の確率で私は遮断機の中に入り、電車に跳ねられて死ぬ。
この仮定の場合、私が今まで1度も死なないでこれたのは、1/2の、今までの人生で踏切の警告音が鳴った回数分乗の確率で起こる奇跡であるわけで、私の「死にたくない」という意思ははたしてそんなに強いものだろうかと、大学生になっても思っていた。
警告音が鳴り響く踏切の前で素直に待つ時、私はいつも踏切に自分が立ち入らないように必死だった。明確に死にたいというわけではなく、ただ、ほぼ無意識のうちに積み重なっていった、「私は生まれてから1度も死ぬほうの選択肢を選んでいない」という奇跡が奇妙に感じられて、ぶち壊したくなるのだ。
死なないように必死に踏みとどまるといっても、明確に「死にたくない!」と思えはしないから、死なない方がいいらしいよという規範を意識する程度のことしかできない。スカートを腰元でたくさん折らなくても短い丈にできるよう裾を切ってしまいたいが、式典とかで教師の目が厳しくなった時に取り返しがつかないから切らないでおこうと踏みとどまる、みたいな軽さだった。その軽さに生死がかかっていることに対する妙な緊張感はある。不快である。
こういう状況が発生するのは踏切に限ったことではなく、自転車に乗っている私を右後ろから大型トラックが追い抜こうとするときも、いきなり右に進路変更しないようにするのに必死だった。
私は幸い死の危険を感じずに生きてきたし、私が物心ついてから死んだ知り合いも100歳越えの曾祖母1人だけだから、死というものに対する具体的な恐れを知らないことも、上記のような状況を生む原因だったと思う。
これは希死念慮でない気がする。
なお、刃物を持った時に周りの人間を1度も刺しに行ったことがないのも自分にとっては奇妙な奇跡で、誰かを刺してこの奇跡を壊したいという気持ちが発生していた。別に誰かを殺したいほど憎んでいる訳ではなかった。
大学生の頃、適応障害になった時期があり、その際は上記の現象に加えて、死ねる環境を見るとそこに吸い寄せられるような感覚があって苦労した。
具体的には地下鉄のホームや落ちたら死ねる高さのマンションの共用廊下及び部屋のベランダでそれが発生した。
地下鉄のホームにホームドアが設置されていく時期と被っていたのだが、最寄り駅にはなかなか設置されずつらかった。
やはり単に1歩踏み出せばいいいいのと乗り越えなければいけないのでは必要とされる「死にたいという意思の量」が違う。ホームドアを乗り越えてでも死にたい人はいるだろうが、私はそこまでではなかった。ここで「私はホームドアを乗り越えないという選択を常にしている」などと考えると乗り越えたくなってしまうので、考えを逸らす必要はあったが。
当時の心境としては、死にたいか死にたくないかでいえば死にたかったのだが、死にたいというよりは、生きるのを休憩したいという表現が正しかった。しかし一度死んでしまうと二度と生きることができないので(いやほんとのところは誰も分からないが、二度と生きることができない可能性はたしかにある)、死なない方がいいだろうとは思っていた。私は幸せに生まれ育ったから漠然と未来に少しは楽しいことがあるだろうと思えたのでよかったが、そうでない人は大変だろうと思う。
生きるのを休憩して、今関わっている人間がみんな意識を私から逸らしてからなら、もう1回生きるのを再開したいな、という気持ちだった。これを縮めると、生きていたくない、死にたい、にならんこともなかったし、実際つらさが瞬間的に来た時は「死にたい」「死のう」「死ね(自分に対して)」と小声で口に出すことで感情の圧を逃がしていた。
精神科で薬が出たことで自分が今メンタルを悪くしている人であると自覚し、色々検索できるようになり、界隈の語彙も増えて、「希死念慮」という言葉を知った。
果たして私は希死念慮持ちなのか?そうだとしたらいつからなのか?そもそもどこからが希死念慮であるとか明確なラインを定めようとするのが無意味なのかもしれないというか、おそらくそうなのだが。
自殺するために首をくくる用の縄を買ってくるとかは明確な希死念慮な気がする。
私のあれは希死念慮だったのだろうか。
それとも、希死念慮にならずに済んだ、ただの幸運な願望だったのだろうか。
こんなところに書いても答えは得られない。私はただ単にどこかにこの疑念を吐き出して、限られた思考時間を他のことに使いたいだけである。それだけ何度もこのトピックについて考えてしまっているのだ。
今は適応障害も治ったし、通勤ルートに踏切はなく、大通りはひとつあるが併走ではなく横切るだけで済むから信号さえ守ればよいので気が楽だ。地方であることもありたまに使う電車はゆっくりとホームに入ってくるから、身投げしても死にそうにないので私の気持ちも穏やかである。穏やかな気持ちでいるために、身投げしても死なない速度だと思い込もうとしている節はある。バイクはまだ乗れないかな。ちょっと進む向きを変えただけで死ねるので。
自分に希死念慮があるかとか、希死念慮があったかとか、もう考えなくてもいいと思えるとこまで来た気がするので、ここに投げておしまいにしようと思う。感情の墓場みたいな使い方だな。おしまいです。生きているうちにやりたいことを考える方に舵を切りましょう。面白い漫画を作りたいな。面白い漫画を作って、架空のキャラの架空の人生エピソードで人を泣かせてみたい。
更に言うと、ついさっき再申込みをしたら試験科目を間違えた。キャンセルも科目変更も不可能だそうだ。
俺はもう終わりかも知れない。
私も中学の頃から東京藝大デザイン科志望で、別の理由で高校へ進学しなかった者です。大学受験資格は大検で取りました。
大手の美術研究所に高一の歳から通い続けましたので、あなたが考えているようなことを実行したことになります。
絵が下手だったからという訳ではなく、家族は全員美術系で、私自身も小さい頃から周囲が驚くような絵を描いていて受賞経験もありました。
では何故藝大受験に失敗したかというと、理由は主に2つあります。
藝大受験の一次試験の石膏像は埃ひとつ付いていない真っ白なものが並びます。
陽が当たると白くとんでディティールが全く見えません。
運悪く3列目になってしまった場合、眼が悪いと非常に不利です。
池田満寿夫さんはこのクジ運が悪く、毎回遠くて東京藝大受験に3回失敗したのは有名な話です。
一次試験では眼がすべてを決めると言っても過言ではありません。
2つ目は、3年間描き続けて受験のための美術に飽きがきてしまったことです。
高校に行かなくても学べることはたくさんありますし、時間を有効に使えば後々無駄にならない貴重な経験ができるでしょう。
ただ、15か16歳で周囲は浪人生ばかりになるので友だちを作るのにやや馴染みにくいかもしれません。
社会に出てしまえば歳の差は関係ないですが、その年頃では3歳以上の差は大きいです。
それよりアドバイスしたいのは、もし志望する任天堂に入れなかったり、入ったけれど任天堂が合わなかったり、他にもっと興味を惹かれるものを見つけたときに進路変更できる柔軟性とキャパシティーは持ち続けた方がいいということです。
人生は必ずしも思い描いた通りにならないことが多々ありますし、私自身も進路変更して幸せになりました。
道はひとつではないです。
悔いのないように頑張ってください。
「強い台風くるって散々言われてるのにイベントの心配とかラグビー決勝の心配とかもうやめなよ日本…
ひきこもれよ…そういうときに引きこもるクセつけよ…クソ会社に出勤しなくて済む流れにつなげよ…」
っていうのをTLで見て、週末1年ぶりのイベントでめちゃくちゃ気合いれていた私は
平日だったら仕事の心配なんぞせずに速攻有給とって引きこもるわ。
くっっっそ楽しみにしてたものが潰れそうなのに
ギリギリまで開催を心配したり、急に台風進路変更してくれって願うことくらいは良くない!?!?
と、ものすごい反発心が生まれて脊髄反射でミュートしてしまった。
仕事なんてどうにでもなることと生きがいを一緒くたにしないで!?と思ったのだけど
いっしょなの…?
私が楽しみにしている事がなくなってしまうかもしれないことを心配するのは
クソ会社に出勤しないといけなくなることに繋がるの…??と自分のこと自体を否定されたみたいに感じて泣けてきてしまった。
って気付いたので、これも台風のせいってことにしといたろ!!!
高知県の人口が70万人を切ったニュースで思い出した話がある。
超少子高齢化と人口減と都市地方間格差が進んだ結果、進学への情熱が薄れてきているという話。
そのためには私立進学校に行く。」というのがエリートのセオリーみたいなものだった。
だが今は、そんなセオリーが崩れている。
いや正確には「無理してまで良い大学に入らせようとは思わない」「そのために私立進学校に行く必要はない」
その前に、高知県の大学と高校(及び中高一貫校)の事情を説明しておく。
まずは高校。
土佐>=学芸>土佐塾(ここまで私立中高一貫)>追手前(県立)>その他県立高校とか明徳とか
であった。
それが今はどうだろう。
県立西高校と県立南高校が統合され、南西高校になるかと思いきや公立中高一貫の高知国際中学高校になった。
しかも母体の西高校の色もあり、英語教育に力を入れているスーパーなんとかハイスクールに指定されている。
昔ながらのThe私立進学校は、特色ある公立校に押されつつあるとみられる。
次に大学。
高知県にある4年制大学は国立大学法人高知大学と、高知県立大学、そして高知工科大学の3つしかない。
かつては高知医科大学があったが、高知大学と合併して高知大学医学部になっている。
更に機械や電気、情報といった工学系となると高知工科大学しかない。
受験難易度の点で見れば偏差値46程度の高知工科大学であればわざわざ難関私立進学校に入らなくても良い。
筆者は土佐高校の卒業だが、当時人気だった進学先のひとつは岡山大学であった。
同級生や年の近い先輩後輩の進学先ら帯広畜産大学から琉球大まであったし、海外留学していったのもいた。
ほぼ100%が進学志望なのは今も昔も変わらないと思うが、志望大学がバラエティに富んでいた。しかし今や地元志向が強すぎる。
もちろん地元高知大学の人気も高かったが、今はそれ以上に高知大学志望が増えているという。
「もうちょっと頑張れば、もっと良い大学に行けるのに」と先生が勧めても、
生徒や親が浪人を嫌がり、より確実性の高いところで落ち着こうとするのだ。
あるいは、「もうちょっと頑張れば」というなら理学部から医学部に進路変更する。
でも本当に医者になりたいのか?安定した職業を求めているのではないか?
言っておくが国立高知大学も高知工科大学も、決してチンケなFラン大学ではない。
だが、やれハーバードだMITだスタンフォードだ、東大だ京大だ、早慶だ阪大だ、
そして環境。圧倒的に人が少な過ぎて、異なる価値観に触れる機会が都会とは雲泥の差なのだ。
月とトイレの方のスッポン。多感な学生時代を、世田谷区人口にも満たない県人口の田舎で、刺激の少ない学生時代を送ることになる。
たとえば高知から東京の大学に進学するとなると、それだけで大変だ。
平均世帯収入の低い高知から、物価の高い東京で一人暮らしとなれば、不景気ないまおいそれと出せない。
筆者なんか6年も通ってしまったのだ、どれほど親に金を使わせたか。
余裕がないのだ。
一年浪人させて県外の良い大学にいくよりは、現役で高知大か工科大に行き、
県庁か市役所に勤めることこそが、堅実な将来であることに疑いはない。
でもそれで新しい時代が切り開けるか?
消耗しないように高知に残り、消化試合の人生は「負け」ではないが
超少子高齢化と取り返しのつかない人口減に対応するため、私立進学校も変革の時を迎えている。
ちなみに、土佐高校は昭和半ばからずっと1クラス50人×6クラスである。
どう考えても多すぎる。
学費を上げてでも人数を減らし、きめ細かい教育ができるようにすべきだ。
脱藩マインドが低い者は公立校に任せ、県外や海外へ送り込める少数精鋭の人材育成校に転換した方がいい。
冠する土佐藩の名に叶って欲しい。