はてなキーワード: 退職とは
40歳過ぎたあたりで、突然気づいたんだけど
「転職してない人」を見かけなくなったなと気が付く。
なんというか、「年取っていくと求人が減っていく」という現象は見受けられるんだけど、1〜3社くらい転職している人がごく当たり前。
就活を終えて年を取りいろいろ経験すると、何か特別だと思っていた新卒企業もこのままいるとヤバいと気づき、
上司もいい人ではあるんだけど「まあ、人生ってそんなもんだよな」とあきらめて、転職をする。そんな過程をイメージしてた。
んだけど、たまには生き残ってしまう人間というのもいるわけで、そういう人間とたまたま話す機会があった。
誰でも知っているあの有名なFから始まる総合電機メーカーを新卒入社後23年勤めて、弊社で2社目。
ハローワークの職業訓練でJavaを習って実務経験はなし。働き方改革がうんたらかんたらでジョブ型雇用がうんたらかんたらで、うちの会社では定年まで働きたいらしい。
「へー、なんかこういう感じの人久々に見たな。」と思ったらOJT担当から「『クラスって何ですか?』って質問された...」とSlackが来た。
さすがに前職や職業訓練でもやるんじゃないのかと思ったけど、俺は何も聞かなかったことにして、なるべく一緒の案件が振られないことを願った。
そんなこんなでコロナ禍がやってきて、人々はリモートで働くことになった。彼はというと、JIRAのチケットも特に割り振られることもなく、
全体のMTGでも特に何をやっているわけでもなく、Zoomでの進捗報告の場でも「本を読んでいます。今日は何章まで進みました」しか言わない。
「あの人大丈夫ですか」と上司に聞いてみたら、「gitの使い方が分からんらしいので自習してもらっている。今度人事と面談して部署替えを検討する」という話だった。
なんか不憫だな。。。と思っていたら、いつの間にかSlackにログインしなくなっていた。定例ミーティングにも顔を出さないし、勤怠もつけていない。
人事から連絡はしたらしいが、連絡はつかなかったらしい。「4X歳なのにバックレとかないっしょw」と思っていたが、
1社で23年働いてて、職業訓練通ってうちに来た。という人だしな。。と思うと、何も意外性はなかったのかもしれない。
ある日、全体ミーティングで彼が退職した旨が部長から伝えられ、面接にコーディングテストが追加されたという話が同時にされ、部署内で爆笑が巻き起こった。
俺はなぜか笑うことが出来なかった。
まあ、冷静に考えると痛い中途が入ってきてバイトみたいな辞め方したってだけの話だと思うんだけど、
彼が会社に来なくなってから色々と考え事をしてしまうようになった。
会話のパターンが4つくらいしかない人だった。「F通の話」「日経新聞の話」「松下幸之助の話」「松下電器の話」
松下幸之助の本は読んだことないらしいけど、「天才だ」「天才だ」とあがめて、当時の富士通がいかにヤバく、松下電器がいかにヤバいのかを教えてくれる。
率直な感想として、「コピペみたいだな」って思った。話も。人生も。
自分で語りえるものはなく、情熱をもって成し遂げることもなく、「終身雇用ストーリー」を純粋に夢見て行動を続ける彼は、まるで課長島耕作のコピペみたいな人生。
日経新聞を購読し、プレジデントを購読し、養分として過ごした自分に気づいたときには、元F通のプライドが邪魔をしてもう抜け出せない。
じゃあどうすれば良かったのかってことも考えたんだけど、たぶん彼の振る舞いはある一定の時期においてはプラスに働くこともあったんだと思う。
よかれと思ってやっていたし、それがきっと良いことだとも思っていた時期もあるんだと思う。
多分、ピュアに彼は「終身雇用は続く」って信じてたんじゃないかなと思うし、行動してなかった。
それが深くアイデンティティと結びついた状態でなにも成長しないとああいうキメラが生まれてしまう。というのが事の顛末なのではなかろうか。
言動と能力は年々差が開いているなかで、年齢を積み重ねてどこかでまたクソ高い購読料の新聞や雑誌をまた契約するのだろうかと思うと、変な声が出そうになる。
そして、現在完了進行形で養分になっているのだ。この広い世界のどこかで。こんなにしんどい話があっていいのかと思うが、ある。
4X歳で突然Javaを習い始めても、技術者になるのはかなり難しいし、隠れた才能が突然開花する! みたいな異世界転生ものみたいなことも起きえない。
きっとアイデンティティと結びついた、彼の行動を変えることはもう誰にもできない。
①独学ではなくスクールに在籍することで支援者や家族を安心させることができる
社会のどこかに所属ができる安心感、前進している感、やってる感がわかりやすい
講師や他の生徒、道中の駅員なども
世界はそれぞれにあって、それぞれの苦悩に声を上げればいいのだと思うわけですよ、極論。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20201001/1601515800
シロクマ先生のこれを読んで、あとブクマでよく見る家庭教師の人とか、そこにtopisyuさんが話を広げるのとかを見てぼんやり思った。みんなそれぞれの世界でそれぞれのことを語ってるなあと。
それが悪いわけじゃないですよ。むしろもっとやれと思う。自分の知らない世界が見えるのって楽しいじゃないですか。ミュークルドリーミーを満面の笑みで毎週キャッキャ視聴するヒゲ面のおっさんとか観たら楽しいですよ。こいつエンディングを完コピで踊ってやがる、とか驚愕ですよ。それはさておき、知らない世界で知的好奇心をくすぐられるの、俺は楽しいです。たぶん多くの方も楽しいと感じることだと思います。もっとも一人一人の人間が語るそれは世界の片隅であり、そこから業界全体とか社会全体とかの批判につなげるときは、本当にそうなのかと自問すべきだと思うし、家庭教師の人はちょっと古くせえ見識で今の受験業界を斬っててそれは悪手じゃろとか思ったのも事実ですが、それでも自分の見てきた世界を語るのはやはりいいことだと思うのですよ。その点だと、こないだの竹書房退職エントリーは抜群に面白かった。あれはすげえ。
ただ、シロクマ先生の文章とそれに対する反応を見て気になったのは、共感を得られすぎるのもあんまりよくねえのかなあと思うわけですよ。それはただ俺がシロクマ先生とは違って、そもそも育ちがいいとか上流階級とかいう人間をマンガの中ぐらいしか知らないから、あんまり共感できないってのもあるかと思います。そういうのってどこに見られんの。高級レストラン? って発想しか浮かばないことですら階層の違いを痛感するわけですよ。いやまじどこで出会うのか分からん。
繰り返すけれど、俺に見えないからそんな世界はないとか否定したいわけではないんですよ。それは俺の見えないどこかにあるし、多くの人が実体験として上流社会との格差を感じてるから賛同のコメントが多くつくのだと思う。俺に見えてる世界はっていうと、たとえば偏差値的にすげえ頭の悪い高校生が身近にいるんですが、コロナで家に籠もっていたそいつがしばらくぶりに出てきて「海外留学する」とか言うわけですよ。聞いてみたらYoutuberに影響されたと。バカじゃねえか。と正直思ったんですが、聞いてみたらけっこう計画がしっかりしている。数日単位とかの留学ってあるのおっさんの俺が知らなかった。バイトでそこそこ貯めていたのもあって聞けば聞くほど十分に実行可能だなと感心した。で、俺の見えてる世界はその子が海外留学したら地方紙の記事になりそうな感じのとこです。たぶん壮行会とか開かれそうな勢い。
でも、留学の話を聞いてすげえとひたすら感心していた。たとえ偏差値が低くても頭の回転が速い子ってのが相当な数がいて、ただ周囲に情報がないってだけで足を止めていて、そういうのがYoutuberとかをきっかけに動き出す。俺も試しに見てみたら留学したくなったし。情報の調べ方とかも説明文でくわしくある。数万再生行ってるから、その子だけでなくかなりの人数が影響されるかもしれない。こんな動画が俺の高校時代にあったらイギリスに行ってアリス・カータレットちゃんと運命の出会いをしていたのに。
そこの地方で生まれ育ったわけでない俺にも、高校生で海外留学ってのはそれこそ上流社会の世界のイメージがあります。それがネットの広がりで、とくにYoutuberの活躍で、活字を読むという幼児体験を得られなかった層にも多くの情報が伝わっていて、今のネットってのはこれまでのあり方をぶっ壊してんな、今の子供らが大きくなったときってけっこう面白いかもな、とか思っていました。上流社会との格差とか、そもそも育ちのいい人間が身の回りにいないから分からねえし。それが俺の身の回りの現実です。なお、別にこれをもって社会には格差がないとかを言いたいわけじゃないのは、念を押して繰り返しておく。
正直なところ、シロクマ先生が挙げた本のタイトルを見てもそれほどヤバいとは思えませんでした。上流社会の生活をハックするって感じで育ちの悪い人間がどんどん入りこんでいけば面白いんじゃねえのぐらいにしか感じられない。その上で記事を見て、まあ育ちのいいってのがもてはやされるのに不安を感じるのも分かるなと納得はした。
しかし、俺はけっこう特殊な人間で世間からは忌避される方に入ると思うのだが、生涯の中で言葉をかわした育ちのいいっぽい人間の方が俺を受入れてくれていた。表面上だけの話かもしれないが、積極的に攻撃された覚えがない。まあそんなもの個人の経験なんだが、そういう上流の人間は相手を直接には排除しないイメージが俺の中にはあり、そうであるなら育ちのいい人間ってのが増えるのはありがたいことだと思えてしまうのが本心。
俺の問題は、俺が社会から異質な存在だと認識されたとき、それを認識した人間が排除するか見逃してくれるか、という点だ。
これはシロクマ先生の結論とも共通する話で、何をするにもマナーでごたごた言われたら息苦しいし、そういう不幸せな世界は望ましくないなと思う。育ちの良さが絶対視される社会は俺みたいな人間を簡単に排除するだろうから避けねばならない。でも、育ちのいいってことってそこまで槍玉にあげることかとも思う。極端な話、俺が俺のまま生きていけるのなら上流社会があろうが格差があろうが関係はない。もちろん、極端な話であって、そういうのが進みすぎたら社会がゆがみ、そのゆがみが俺の生活をおびやかすことになるだろうから、程度問題で格差が広がるのはよくねえよなと思う。そのぐらい。
敵は育ちとかを重視する社会の傾向とかぼんやりしたものじゃなく、直接的に俺を排除しようとする考え方だ。
該当の本は読んでいないが、「育ちのいい人は変な人とも仲良くしましょう」って書いてあったんなら喜ぶし、育ちの悪い人間をさげすむような表現が見られるなら、よくないんじゃねえのと思うぐらい。ただまあ、こんなのは俺の問題意識の話であって、シロクマ先生がそこに問題を感じるなら訴えればいいんだと思う。そういういろんな主義主張で社会はできあがってるんだろうし。ただ社会傾向そのものに気持ちを向けすぎるのはあんまよくねえんじゃないかなと感じはしましたけどね。
で、俺にとっての問題は上流とか格差とかじゃないんです。そもそも実体験がないから語れない。
問題意識に共感が集まりすぎるのもよくねえのかなあと感じただけです。
ここはふと感じただけなので、共感するなという話でないのは前提としておいておきます。ちょっとうまく言葉でまとまらないんですが、「共感の横に自分には見えない世界があるという意識を置く」って感じですかね。俺も同じような世界に生きていたら純粋に共感していたと思いますし、えらそうに言えたもんじゃないんですけどね。
ただ俺は地方の片隅で、問題視される上流社会のかけらもないような世界で生きているんで、思うんですわ。
今ここでネットに向かって言葉を書きこめてる大半が上流の人間じゃねえの、と。
俺の見える世界にはあまりいない大卒生やきちんとした企業勤めの人らが格差を語るとき、その人たちは自分を階層のどこに置いているんだろうなとよく思う。これは、「偏差値50の大学」と聞いて浮かべるイメージを考えればいい。そう簡単な話ではないんだろうが、ざっくり偏差値50の大学を真ん中と考えてみてほしい。それなら普通のランク、決してバカではない、なんて思うなら俺とはイメージがかなり違う。たとえ名前を書くだけで受かる大学であろうが、そこに通える大学生は高校卒業後に働くことが当たり前の世界にはいない。勉強することに金を出す親がいる環境で育った、それこそさっきの言葉を借りるなら、育ちのいい人間だ。
そう思えるのなら、すでに見えない格差が心の中にある。
今調べてみたら短大もふくめた大学進学率は2019年度で54.67%らしい。進学を考えない45%あまりの子供たちを思い浮かべながら、偏差値50の大学を考えてほしい。その上で聞く。今のあなたは自分を階層のどこに置いているのだろうか。
俺の周りにいる、車で数十分かけないと小さな本屋にすらたどり着けない環境で生まれ育ち、親類縁者からは勉強を勧められることもなく自身も大学に行くことすら思いつきもしないでいる子供たちはどの階層だろうか。ある子は都会の生活を考えることもなく地元にある自分たちの世界で生き、ある子はYoutubeで知った海外留学になんか楽しそうだからと独力で行こうとする。彼ら彼女らを、俺やあなたは、どの階層に当てはめようとするんだろうか。
何度も繰り返しておきますが、お前も実は上流の人間だから格差を語る資格はない、とかそういうことが言いたいわけじゃないです。自分の目に映る問題を言葉にすることはすごく大切だと思うし、俺は経済とか不勉強なのだけど肌感覚として金が金を産むのは分かっているつもりだから、格差は広がるとマズいよなあという認識はあります。あと、お前に見えない世界があるのに安易に共感するな、とかって話でもないです。俺は逆に55%ぐらいの大学進学者の世界がイメージできてませんし。むしろそっちの方が過半数ですしね。
だからすげえ言葉にするのは難しいですし、なにが結論かってのもないです。ただたまたま俺の環境だから気づけたことがあって、それを言葉にしてみただけです。はてなの環境はたぶん日本全体で見ると優秀な部類の人が多く存在していると思うので、こういう知らない世界が見られるのもちょっと面白いかなと思うので。そういう自分にはない世界の話を見聞きすることが、巡り巡って、俺みたいな人間が生きていても許される社会に近づくんじゃないかと夢想しています。
だから、世界はそれぞれにあって、それぞれの苦悩に声を上げればいいのだと思うわけですよ、極論。
とりあえず俺は今、輸入食品のフライドポテトスティックの端に芽っぽい異様に青い部分があってそれを食ったら激烈に腹が痛くなりながら、ごまかすためにこの文章を書いてるんですが、病院に行くべきか苦悩しております。よし、行ってくるか。
あと似てる境遇ではありますが俺とコンビニの店長とは無関係です。あの人の文章が大好きなので影響を受けているところが多々あると思いますが、もし最後まで誤解してくれた人がいたんなら光栄であります。
30歳過ぎたあたりで、突然気づいたんだけど
「意識高い系」を見かけなくなったなと気が付く。
なんというか、野球バカは野球する側から見る側になって、オタクはアニメ見ずにVtuberのラジオ聞いてるし、キラキラ系女子は子育てマウントに移行してる
みたいな「年取っていく過程で元気がなくなっていってる」という現象は見受けられるんだけど、
相も変わらず、野球バカは野球好きだし、オタクはかわいいアニメの女が好きだし、キラキラ女子はずっと誰かと何かと戦い続けているっていう根底は変わっていない。
けど、どうも大学3年生くらいに雨後のタケノコかってくらい湧いて出てた「意識高い系」がどこにもいない。
若さ特有の自意識に飲み込まれている感覚も、就活を終えて年を取ると同時に消えてしまい、何か特別だと思っていた自分は超ドドド級の凡人だと気づき、
クソみたいな上司に叱られながら「まあ、人生ってこんなもんだよな」とあきらめて、一般の人々に紛れていく。そんな過程をイメージしていた。
んだけど、たまには諦められずに生き残ってしまう人間というのもいるわけで、そういう人間とたまたま話す機会があった。
田端オンラインサロンとNewsPicksに課金をしつづける3X歳。
誰でも知っているあの有名なHから始まる広告代理店を新卒入社後3ヶ月で辞めて、弊社で5社目。
プログラミングスクールでRubyを習って実務経験はなし。ポートフォリオがうんたらかんたらでマーケティングがうんたらかんたらでサービスを作って世界を変えるらしい。
「へー、なんかこういう感じの人久々に見たな。キツ」と思ったらOJT担当から「『gemって何ですか?』って質問された...」とSlackが来た。
さすがにプログラミングスクールとか派遣でもやるんじゃないのかと思ったけど、俺は何も聞かなかったことにして、なるべく一緒の案件が振られないことを願った。
そんなこんなでコロナ禍がやってきて、人々はリモートで働くことになった。彼はというと、JIRAのチケットも特に割り振られることもなく、
全体のMTGでも特に何をやっているわけでもなく、Zoomでの進捗報告の場でも「本を読んでいます。今日は何章まで進みました」しか言わない。
「あの人大丈夫ですか」と上司に聞いてみたら、「gitの使い方が分からんらしいので自習してもらっている。今度人事と面談して部署替えを検討する」という話だった。
なんか不憫だな。。。と思っていたら、いつの間にかslackにログインしなくなっていた。定例ミーティングにも顔を出さないし、勤怠もつけていない。
人事から連絡はしたらしいが、連絡はつかなかったらしい。「3X歳なのにバックレとかないっしょw」と思っていたが、
4社とも1年続いたことが無くて、派遣で働いていた後にプログラミングスクール通ってうちに来た。という人だしな。。と思うと、何も意外性はなかったのかもしれない。
ある日、全体ミーティングで彼が退職した旨が部長から伝えられ、面接にコーディングテストが追加されたという話が同時にされ、部署内で爆笑が巻き起こった。
俺はなぜか笑うことが出来なかった。
まあ、冷静に考えると痛い中途が入ってきてバイトみたいな辞め方したってだけの話だと思うんだけど、
彼が会社に来なくなってから色々と考え事をしてしまうようになった。
会話のパターンが4つくらいしかない人だった。「H堂の話」「オンラインサロンの話」「落合陽一の話」「Googleの話」
落合陽一の本は読んだことないらしいけど、「天才だ」「天才だ」とあがめて、当時の博報堂がいかにヤバく、Googleがいかにヤバいのかを教えてくれる。主に年収の話。
率直な感想として、「コピペみたいだな」って思った。話も。人生も。
自分で語りえるものはなく、情熱をもって成し遂げることもなく、「一発逆転ストーリー」を純粋に夢見て行動を続ける彼は、まるでYoutube広告のコピペみたいな人生。
オンラインサロンに通い、プログラミングスクールに通い、養分として過ごした自分に気づいたときには、元H堂のプライドが邪魔をしてもう抜け出せない。
じゃあどうすれば良かったのかってことも考えたんだけど、たぶん彼の振る舞いはある一定の時期においてはプラスに働くこともあったんだと思う。
よかれと思ってやっていたし、それがきっと良いことだとも思っていた時期もあるんだと思う。
多分、ピュアに彼は「世界を変えられる」って信じてたんじゃないかなと思うし、アクションはクソほど誤っていたけど行動はしていた。
それが深くアイデンティティと結びついた状態でなにも成長しないとああいうキメラが生まれてしまう。というのが事の顛末なのではなかろうか。
言動と能力は年々差が開いているなかで、年齢を積み重ねてどこかでまたクソ高い会費のオンラインサロンやプログラミングスクールにまた通うのだろうかと思うと、変な声が出そうになる。
そして、現在完了進行形で養分になっているのだ。この広い世界のどこかで。こんなにしんどい話があっていいのかと思うが、ある。
3X歳で突然Rubyを習い始めても、技術者になるのはかなり難しいし、隠れた才能が突然開花する! みたいな異世界転生ものみたいなことも起きえない。
きっとアイデンティティと結びついた、彼の行動を変えることはもう誰にもできない。
もちろん、自分のことだ。
まぁ、生きれない。バカなので。
今日だけじゃなくて、色々あったなぁ。生きれない証明ばかりだった。
来年、二度と何も無いように、終わりにしてもいいんじゃないかなぁ。
1月になったら退職して、3月には終わりにしよう。
その時には、もう誰もいなくなる。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 98 | 9157 | 93.4 | 43 |
01 | 38 | 9238 | 243.1 | 49.5 |
02 | 27 | 8072 | 299.0 | 45 |
03 | 33 | 4510 | 136.7 | 74 |
04 | 14 | 596 | 42.6 | 30 |
05 | 18 | 3122 | 173.4 | 19.5 |
06 | 19 | 1501 | 79.0 | 64 |
07 | 36 | 2337 | 64.9 | 43 |
08 | 64 | 7803 | 121.9 | 31 |
09 | 47 | 8187 | 174.2 | 53 |
10 | 105 | 10464 | 99.7 | 46 |
11 | 85 | 13254 | 155.9 | 49 |
12 | 128 | 11815 | 92.3 | 36.5 |
13 | 99 | 13058 | 131.9 | 58 |
14 | 137 | 13951 | 101.8 | 44 |
15 | 86 | 10448 | 121.5 | 43.5 |
16 | 122 | 12737 | 104.4 | 63.5 |
17 | 153 | 14642 | 95.7 | 60 |
18 | 159 | 16790 | 105.6 | 43 |
19 | 143 | 12695 | 88.8 | 33 |
20 | 127 | 12177 | 95.9 | 32 |
21 | 124 | 13607 | 109.7 | 32 |
22 | 227 | 58922 | 259.6 | 94 |
23 | 419 | 61820 | 147.5 | 92 |
1日 | 2508 | 330903 | 131.9 | 59 |
石原さとみ(19), 東証(16), 原則論(8), 破ける(3), PTS(3), 夕張メロン(3), 蟲師(3), 破く(3), 個体識別(3), エンタテイメント(3), システム化(3), 不治(3), スパム(31), 女性専用車両(22), 任天堂(14), 痴漢(54), フライパン(7), 安泰(6), GOTO(6), ダンス(10), 詭弁(11), ナンセンス(5), post(9), ポケモン(14), 障碍者(8), 品質(7), 取引(8), 返信(15), 虐待(15), 涙(14), 野菜(14), 動物(15), 予約(10), 子育て(13), ヤバい(17), 平日(9)
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じゃあ別の業務で働けれと言われても何もできるがしない。
このままじゃダメなのは知っているけどどうにかできる気がしない。
このままだとネットもできなくなりそうな気分なので初めてここに書いておく。
誰か教えて下さい
お願いします
ナントカ給付金が もらえるのが 1ヶ月後か 3ヶ月後か ってほかに 何かあるの?
何か問題があった時に
他にもあるの?
そしてその内容をネット上で知るためには
どこを探せばいいのですか?
厚生労働省や総務省など、Wikipediaではない正式な電子文書の在りかを
どなたか御存知ありませんか?
以下、思いのままに書いてるから誤字脱字あったらすまん。
年齢は30代後半。もうすぐ40代に突入しそう。4人家族で子供は2人、小学生と幼稚園。
別に会社は赤字でもなくむしろ黒字。業界は不況に割と強いがコロナの影響で他社は大変みたい。
社内では集客に関わる部署に在籍してて、主にデジタル領域で俺が関わってる部門は十数名くらい。俺は主に自社サイトの運用周りを手広くやってて、専門的じゃないがseo領域にも一部入る感じ。
担当してる自社サイトだが数年前まではseoであらゆるキーワードで上位獲れてたが年々緩やかに低下、今じゃ1ページ目後半くらいを彷徨ってる状況。
社内では当然ながらあらゆる対策を施し、コンサル入れたり色々やってきた。だが思うような改善には至っていない。
去年、部長から『来年までに改善しなかったらチーム解散するかも』と言われ踏ん張ったけど求められる結果が出せなかった。
で、上層部で協議の結果、これまで社内でやってた大部分を代理店に委託する形に決まった。それに伴いそれまで担当してたコンテンツ周り運用周りも外部委託になった。
当然ながらそこに関わってる連中は仕事が減る想定らしく、一人ひとり統括部長とマンツーマンで話し合いになった。
かいつまんで言うと、
・候補者の中に俺が入ってる
・今後は今やってるような仕事(サイト運用周り)は外部委託に伴い極端に減ってゆく
・今後上層部でポジション候補はいくつか出すが、退職して仕事を探しても構わない
って感じ。
人に言えるようなスキルなんてないが、それなりにプライド持ってやってきた。もちろん結果出てないから会社の判断は正しいと思うけど…正直現実を受け止めるのがしんどい。
かといって転職してまでやりたいことないし、今の会社で収入は落とさずに済む(どうなるかは不明)が、望んでない環境で昇進昇格はあんま見込めない。
この先どうしようかな。
マジで。
追記はしないつもりでいた。
でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。
https://anond.hatelabo.jp/20201001022747
衝撃を受けた。
ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。
でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。
5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。
日記は2つともすべて読ませてもらった。
文系の学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。
企画部門への配属だった。生産管理を希望していたけど通らなかった。
増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。
任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。
気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。
大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学のフリースペース(名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。
どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。
「将来、どういう人生を送りたいのか?」
そして、考えがまとまった。
趣味が大事な人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。
それで、四季報やインターネットを見て、そういう雰囲気の会社を見つけては説明会に申し込んだ。
なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。
後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。
京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活を謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事に内定して、同志社大学のサッカー部のキャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子を口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。
そんなレベルの超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。
俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。
採用試験の内容は述べない。俺の体験談は面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。
書類選考で勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。
本題に入る。
俺はプロの世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。
プランナーというのは、ファミコン時代のマリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。
大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。
超すごい人達がゲームのデザインをして、レベルの高い人たちが上記のプランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。
ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。
たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。
任天堂の社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。
実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。
でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分の意見をはっきり言えて、他人の意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。
2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事。レベルの高い同期は本格的な企画の仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトルの制作会議に20代の若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。
当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。
なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分のアイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日に趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。
毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。
先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。
実力が足りていなかった。あるゲームの操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。
ゼロの状態から仕様書と設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。
上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないから上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。
それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって。自分では何ひとつ創造していないんだって。再確認させられた。
今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルそのものなのに。
結局、納期をオーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなたの記憶の中に、あのゲームの操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的に謝罪する。
今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビに登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。
ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械系メーカーや化学系メーカーの事務職のオファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。
今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要な経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険の手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。
もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。
それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究と対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。
退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。
「せっかくモノになりかけてるのに」
「ストレスに耐える力は一人前だから、もっと時間をかけてみれば」
「あと1年だけでも働こうよ」
一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。
社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。
あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事を馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。
あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。
最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観をベースにちょっと書いてみる。
問.どんな人が内定を取れるのか?
答.ホームページの採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。
①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代に部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。
面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。
自分の場合は、大学生や専門学生だけでプロの歌手やバンドを呼んでライブを実行する学際サークルで活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。
卒業生のためのプロムパーティーを実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすがイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。
俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きのポジションで部分リーダーをしていた。
創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程で他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分の言葉で話せるはずだ。
ただし、アピールは忘れないように。自分の経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。
②のゲームへの情熱は言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。
想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。
そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分のアイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。
ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンとアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達も必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日も関係ない。
夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。
あなたが志望する会社に採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。
例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。
③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に、英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外の販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。
企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲームが社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームをプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。
だから、学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識や技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。
書き過ぎた。反省している。
今でも思うことがある。俺はあの会社に感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。
時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。
ここまで読んでくれた人に感謝する。
個別の喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初は自分が我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手の地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。
もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気だけが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。
で、子供が生まれて物心がついてきたのを機に、お互いに真正面からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。
実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女が毒親(母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親、自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体的虐待もあったし、ネグレクトも罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児を成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休みの自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親が課題を制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己の付属物であり、自分の能力と努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。
そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴の人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社の腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値な人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安と強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後はメンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。
その後いろいろあって彼女は自分と結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的にチャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネットの情報や心理学の書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間は能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体を否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。
頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーはちゃんと実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルールが適用されない。だから親族や家族の中に(彼女の基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈な言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準を相手にも課し、それを満たさない相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。
ついでに言うと、彼女の母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神的身体的DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情のコントロール欠如という点では似たもの同士だった母親と彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒の応酬にエスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせた自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。
ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女と母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女の母親が過去も今も彼女の自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分は母親の承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女は最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待のパターンのど真ん中に自分がいたことを知り、自分の感情コントロールの難しさが個人の資質というより関係の病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差し向かいではなく、その関係自体を第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのときに情報や考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身の自己探究の道のりだった。
それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんはアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分の希望や意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮は他人でしかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親だから近しくしなければいけないという「演技」からもちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。
…というわけで、うちの場合は子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供がいるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田の場合、子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係の健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだんと建設的な方向に向かえるかもしれないよ。
さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女の病理というより関係の病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田の奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。
久々に怖かった書き置き
年上全部が駄目な訳じゃない
無害な人や味方になってくれる人は大丈夫だけど
おそらく父が怒鳴るし軽く手も出るタイプだったので、心のどこかにそれが残っているんだと思う
今いる部署はBtoCもやってるからお客さんから問い合わせが来ることがある
普通はカスタマーサポートにご案内するけど、ややこしい人とかは受け付ける
そんで今日運悪くややこしい人につかまって怒鳴られた
普通の問い合わせならなんて事はないし、自分が悪いと思うときは聞き入れる
でも悪くなくない?ってときに怒鳴られたら受け入れられなくて途端に萎縮してしまう
頭は至って冷静、なのに心と体がついていかない
もちろん電話のあとは担当部署に取次いで対応お願いしたり普通に仕事をしたんだけど、
久しぶりに怖くなったからか、引き継いだあとひと息ついて気付いたときには歯がガタガタいってた
これも時間経てば戻るし、今日みたいにトリガーがなければなんともないのになあ
今の会社は2社目なんだけど、前の会社で上司に理不尽に怒られまくったのも無理だった
そんでその上司をかばって何も動いてくれない上長も無理になった
ふたりとも怒鳴ったり暴力はなかったけど、あ、敵だって思って受け入れられなくなった
決定打は違うけど、それもあって退職した
こんなん言うと豆腐メンタルかよ!って思う人多いのかな
ほんまメンタル強い人羨ましい
メンタル屈強な人にこういうのどうやって克服したらいいか教えて欲しい
男だったらどんなに無能でも、入社してすぐに課長、係長のポジションにつく。女は仕事を大量に押し付けられ、誤字脱字などのミスを一切せずに3年やりきってはじめて昇進するかどうか。女でも昇進させてます、役職につけてますっていうアピールのためであることが見え見えの人事。格好はきれい目のOLスタイル(どんなに薄給でもね)、女っぽくきれいに見えれば茶髪もOK、でも流行りの服やオジサン世代に理解できないファッションはだめ。さらに若いうちに結婚してることが女が出世する条件という職場がある。それでも主任になれるのが30過ぎで、40代まで若手扱いという時代錯誤なところなんだけど。そういうところでのし上がった女は、自分がえらいと勘違いして態度は大きくなり人を見下すようになる。ここ以外に転職できるはずもない、と思い部下に仕事を詰め込み、敬う言葉遣いを一瞬でも忘れれば個室で「指導」だ。そんな職場に対する切り札が「退職」
「おまえらなんかクソくらえだ」という思いをこめて退職届を突きつけつつも、「勉強になりました。本当にありがとうございました」と笑顔でのたまう。それが女の世渡りなんだ。
退職ではなく、今の会社でやってる事業が大企業に持っていかれることになって、うちの社員は全員そっちに転籍することになった。
今は社員数数百の中小で、あれもこれもそれもどれも私はお前のママじゃねーよってことまでいちいち聞かれて疲弊していたんだけど、転籍先は組織が大きいが故の超縦割り文化。
「これはうちの仕事じゃないんで」が普通に言える!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
それだけでもどれほど楽になるか。
ペーパーとはいえ元の会社が残る以上法的にやらないといけないことはあって、転籍先に会社の残務処理部署ができることになったんだけど、私はそこの配属を免れた。
10月以降も色々と問い合わせが来ると思うけど、ぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんぶ「旧社のことは残務処理部署に聞いてください、私はそこの配属じゃないんで」って突っぱねてやるわアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
あー新しい配属先の仕事楽しみ
( ※ 元増田の内容にほとんど触れず自分の話ばかりするのでご了承ください…)
10 年前から難治性の病気持ち。病気を抱えつつもなんとか働いてきたが、悪化により 2 年前に退職。現在は障害年金と、足りないぶんは貯金を切り崩して生活している。
生活費を抑えるために、以前住んでいたまぁまぁ広い部屋を解約し、学生時代よりも安くてボロい騒音漏れまくりの部屋に住んでいる。
食べられる物もかなり限られており、お坊さん以上の超粗食をしている。
上記に加えて、病気の苦痛が 24 時間 365 日降りかかってくる。
自分は子供の頃から、常に将来への投資ために現在を犠牲にして生きてきた。学生時代は青春を捨てて勉強した。社会人になってからはスキルアップのために、病気の苦痛に耐えながらも プライベートを削って一生懸命勉強した。「この職業で大成したい」という夢があったから。
そうやって人一倍努力してきた・真面目に生きてきたのに。病院にも欠かさず通って、つらい治療にもずーーーっと耐えてきたのに。幸せに近づくどころか 病気は悪化していくばかりで、ずっと辛酸を舐める年月を送っている。
一方で、若い頃に遊び呆けていた友人たちは、今はそこそこ以上に幸せそうに暮らしている。毎日ちょっといい店で飯食ったり酒を飲んだり、休日は外で散財したり、新しいガジェット買ったり、結婚したり。
あまりにも理不尽だ。真面目に生きるって何だろう。なんで自分はずっと報われないんだろう。そう考えるたびに悔しさで涙が出る。
もしも自分の人生がこのまま好転せずに終わっていくならば、このあまりに理不尽な世の中、真面目に一生懸命生きてきた自分を不幸のどん底に突き落とす世界に、何かしら一矢報いないと 死んでも成仏できる気がしない。
そう思ってふと、「ああ、無差別殺傷事件起こすような無敵の人って、こういう気持ちなんだなぁ」と思った。絶対自分はやらんし、犯罪を決して肯定しないけど。でも気持ちは何となく分かった。世界に復讐したいんだろうな、と思う。
よく RPG とかで、世界に絶望して世界を滅ぼそうとするボスを倒しにいくストーリーあるじゃん? ああいうボスの気持ちが今ならまぁまぁ分かる。
もし目の前に、「世界消滅スイッチ」とか「いい思いしてる奴 全員抹消スイッチ」みたいなのがあれば、押しちゃうかも分からん。だって自分を不幸にする世界に復讐したいもん。でないと悔しくて死にきれんもん。
こういうこと書くと、一人で死ねって言われるんだろうな。
報われたい人生だったよ。自分の人生イージーとか言ってる連中が恨めしいよ。
( ※ 繰り返すが、犯罪は絶対にしない。この理不尽な世界に復讐したいという気持ちを抱えたまま底辺を這いつくばって生きていく。)