はてなキーワード: 素敵だなとは
人はこの世に存在する全ての事象それぞれに、各々様々な思いを持って生活をしているはずである。
無論、ネット上で多くの意見を見てみれば、自分はまさしくこれが言いたかったのだ!と思うような論説に出くわすこともあるだろうが、その論説がこの世にいる全ての人の気持ちに当てはまるわけでは当然ない。
私は小林旭が歌う「證誠寺の狸囃子」の「つ、つ、月夜だ」の部分の発声を聴いた時、この世に生を受けて良かったー!と泣くほど感動したし未だに死にたくなるとそれを聴いては生きてて良かったー!と思うというのに、テレビをつければ「みんなこれが聴きたかったんでしょ?」「お待たせしました!」「みんな大好き!」と囃し立てられて星野源が歌っている。何故だ。
私にとって生きていて良かったと思わせてくれる音楽が小林旭の證誠寺であるなら、誰かにとって星野源が生きていて良かったと思わせてくれる音楽だということは十分理解しているつもりだ。そしてテレビに星野源が出て歌っていることも別にそれが悪いと言っているわけではない。(本当は結構嫌いだからテレビに出てるとなんでだよ!ってなるけど今回は関係ないのでその話はまたの機会にする)
何故テレビが、テレビごときが、我々の意見の代弁者みたいにみんな大好きとか抜かすんだ。20代女性に人気!と範囲を限定しても違う。違うだろ。素敵だなあと思ってる歳上男性に、やっぱり若い女性は星野源とかが好きなのかな〜とか思われてたらどうすんだ!!思われていたとして機会があれば否定して終わりだが思われたくもないんだ私は!
ついでだが政権批判をする人々で「国民は激怒しています!」などと主語が「国民」になる人がいる。数を味方につけなければ弱い力だから仕方ないね。
だがそういう言説を見ると「国民1億人に聞いた!好きなアニメソングランキング!」を見た時の「答えてないけど」と同じような気持ちになる。
どうやら、俺は偉い人からそれなりに評価されていたらしく、色々とお褒めの言葉をいただいた。
もちろん、悪い気はしなかったが、別に自社の上司ではないので、酒の席の世辞だなあ、とも思っていた。
ただ、その中で、ざっくりというと
「会社員やるよりフリーランスの方が稼げるし、君には向いていると思う。年収倍は余裕やよ」みたいな話をされた。
正直、そういうお金や契約の話に、極端に弱いし、お酒を飲むとたださえも緩い頭の中の知識の繋がりが、だだゆるになるので、
はやーそうなんだー、とぼけーっと聞いていた。
そりゃまあお金がたくさんもらえるにこしたことはないけど、当然それに伴って責任も増えるだろうし、面倒なことも多いだろうし、
なにより、今でも結構精一杯だから、これ以上なにかやらなきゃいけないことが増えるのはしんどいなあ、と思った。
一晩あけて、休日なので昼まで寝て、近所の台湾料理屋で麻婆豆腐定食を食べ、洗濯でもしようかなあ、と考えつつ、iPhoneを触りながらラジオを聴いていた。
そうしたら、ニュースが飛び込んで来た。
はっきり言って、そのガシャにお金をつぎ込むことはできない。
なぜなら「0.6%」という確率を見れば、出るまで引くことは明らかに俺の月給では不可能だし、
今貯金もある程度頑張っているが、この貯金は親に借りた金を返すためであり、
好きなアイドルが出るかどうかもわからないガシャにつぎ込むためではないからだ。
何より、自分の中で、そこまでこのコンテンツが好きなわけでもなかった。
他にも好きなコンテンツはたくさんあるし、今日も中学生の頃から好きな城平京というミステリ作家の新刊を買いに行きたい。
XboxOneXも欲しいし、ポケモン本編が出るならスイッチも欲しい。
俺にとって、そのコンテンツは数多くの好きの一つで、
しかも、元祖の声優さんが好きがスタートということもあり、派生は、そこまで思い入れがあるわけでもない。
というか、元祖の声優さんのラジオの構成作家が好き、という紆余曲折を経ているせいで、そのラジオすらも最近はまばらにしか聴いていない。
CDも視聴して気に入ったものを選りすぐって買うだけで、無尽蔵になんでもかんでも買ってもいない。
それでも。
まあそもそもポチポチする方のアカウントの所在がわからなくなってるとか、そういう、うっすい、ペラペラで、他人から見たら
その程度でとか、本当のプロデューサーなら、とか言われてしまう程度の低い思い入れかもしれないけれど、
女の子のやわかい部分が好きだって語るその彼女の生き様を見て、格好いいなあ、かわいいなあ、素敵だなあ、って思って。
だけど、どうしたって、健康保険のお金も、厚生年金も、所得税も、住民税も、家賃も、水道も、電気も、ガスも払わないといけないし、
ご飯だって節約すればそりゃ節約できるかもだけど出来る範疇があって、
けど……
そのゲームはアイドルのお歌やダンスが観れて楽しいゲームだけど、
いっつもセンターにおいてる彼女がほかのみんなと違う彼女だけのお洋服で踊ることは、
やっぱり特別で、
そんな特別な彼女を見ることができるって思えると、すてきだなあって、かわいいなあって、格好いいなあって……
そんな嬉しい気持ちをお金で表現できない自分の今の生活が情けなくて……
彼女に、俺はプロデューサーだからプロデュースさせてください、って言えない自分が情けなくて……
辛くて……
愛海に……
え?
スカ……チケ……?
なんですか、それは?
恒常SSRの好きなアイドルと交換できるチケットで、年に何回か開催されるイベントのときだけ売ってくれる?
なにそれ、そんなすごい仕組みがあるんだね!
で、愛海は恒常なの?
恒常なんだ!
えーーーー、まじで、すごいじゃん、そんなのあるなら、今ここでアホみたいにお金使わなくても我慢すればいいじゃん!
そりゃ、ほかの人がコミュを読んだりSSR衣装でプロデュースしたりするのに遅れちゃうけど、いつかそれが来れば決められたお金を払うだけでプロデュースできるんだ!
しゅごいね!
バンダイナムコゲームズってもしかしてユーザーのことをこんなにも親身に考えてくれる超優良企業じゃん!
そっかあ!
うんうん、そっかあ、楽しみだね!
わー、よかったー!
お金なくてもよかったー!
はーあ、悩んで損したー。
よおし、悩んで損した分、ポケモンのガチャにお金使っちゃうぞー! なーんちゃって!(てへ)
ないない! そんなのないない!
世紀末だって過ぎれば昨日だし、恋もできないで死ねるわけないもんな!
はーあ、気分が落ち着いたし、Amazonでもながめようかなー
このあいだのポイント祭りでポイントがちょっとあるから、何かかおうかなー
おっ、咲-saki-の実写映画のディスクが出るんだー、へードラマ版とまとめ買いしちゃおっかなー!
それとー、そうやあカオチャのファンディスク買うの忘れてたんだよねえ、One版だせっちゅうの! もういっそPS4proごと買っちゃうー? いやいやーさすがにそれはやりすぎかー! Vita版かっちゃおー!
あ、それで思い出したけど、YU-NOとデザイアは積んじゃってるなあ、ここはいっそPS4版のソフトとPS4買っちゃう〜? いやいやー、ないない! やりすぎー!
あー、げらげらー!
久しぶりに中学の頃好きだった子の名前で検索したら結婚してた。一瞬頭がぐらっときて吐き気がした。
大学生のときにも調べたことがあって、mixiやFacebookやサークルのホームページで彼女の神々しい名前を見た。高校時代に付き合いはじめた男とずっと付き合ってるらしかった。
その男と30になってやっと結婚したみたい。相手は慶応の医者。一人の男としか付き合わずにそのまま結婚したんだからその点は素敵だなと思った。いまどき珍しい純愛。とても素敵なカップルだ。
でも今回とにかくびっくりしたのが、彼女が思ったよりはるかにブスだったということ。原型がない。会っても誰なのかまったくわからないはず。
中学の頃はものすごい美少女で異次元の存在だと思っていたのに。いまはもうその辺にいくらでもいるただの幸せそうなおばちゃんだった。
大学生時代のmixiやFacebookやサークルの写真見たときも、「あれ?」って思った。記憶よりはるかにブスだったので。自分の記憶では、キモオタの自分がちらと見るのも犯罪的なのではと思うくらいの聖なる光を放つすさまじい美少女だったのに、ネットに掲載されている写真ではその辺にいる普通のブスでしかなかった。でもmixiの友達からのコメントでは彼女のことを「美女」などといっている紹介文も書かれていたりした。うーんよくわからない。まあでもネットのやりすぎで美醜の判定基準が厳しくなってるんだろうと思うことにした。実際ネットではそれほどブスでも不細工でもない男女が嘲笑される傾向にある。自分はそういうのに染まっていないとは思いつつやはり気づかぬうちに染まってしまったんだなと反省すらした。これが世間の「美女」基準なのだ。美女は多いほうがいい。
でも今回夫婦の写真や検索して出てきた企業ページ見てさらに衝撃を受けた。まだ30歳超えたばかりなのに、40代でもおかしくないような容姿。幸せ太りなのか妊娠なのかなんなのか、だらしない姿。その姿はまさに人間そのもの。
いままでの自分の中の彼女はいったいなんだったんだろう。中学の頃から30歳過ぎる今日に至るまでずっと彼女のことが好きだった。ずっと憧れてた。大学のときの写真を見てもまだ揺るがなかった。でも今日すべてが終わってしまった。何もかも無かったことになった。すべては嘘だった。自分が見ていた世界はただの幻だった。存在しなかった。彼女は世界のどこにも存在しなかった。かつて一度も存在したことがなかった。
じゃああなたは一体誰なんだ。記憶の中のあなたは。弱い心が作り出した幻想。何もかも虚構。現実など自分は見ていなかった。何も知らなかった。盲目だった。
世界は汚いものだと思っていた。そんな世界の中で彼女だけが輝いていた。でもその彼女も現実に吹き消されてしまった。彼女もまた現実へと戻った。こんな世界でどうやって強く立って生きていけるだろう。この醜い世界で、醜い人間たちのささやかな幸せを見ながら。
今まで好きで好きでつらかった。生きてたらいつか会えるんじゃないかと思って自殺もしなかった。でもあなたはあなたではなく、あなたはあなただった!
彼女は羊水のような穏やかな愛のある声で笑っていた。あの声はその辺のおばちゃんになった今でも変わらないんだろう。すべてを包んでくれる大いなる海のような深い声。うふふと笑う美少女だった。
中高時代からずっと仲が良い集まりのうち、自分ともう一人だけ今まで彼氏がいたことがなかったのだけれど、ついに、そのもう一人に彼氏ができた日が来た。
でも知ってたんだよ。その子は明るくて人との付き合いを大事にしてておもしろくてたくさんの人を集める太陽のような存在で、ただ今までは友達関係との境界線とかそういう問題でうまく恋愛に発展しなかっただけだと思う。
ショックとかじゃなくて、実際「彼氏ほしい〜」とか「片思い中でしんどい〜」とかそういうこともよく聞いていたからこそかなり嬉しくて、その子がこれからも幸せでいてくれたらいいなあと思うんだけど、それはその子がいつも人を幸せにしてきた人間だからだな、って思った。
私は彼氏がほしいという強い思いがなくて、ただ周りがいろんな人とお付き合いしているのを見て、いろいろな経験ができていいなあとか、人のために何かが出来るって素敵だなあとか、そういう興味はある。けれども私には人と付き合う自信がない。
これは性別に関わらない話だけれど、そもそも人といてその人が自分といて楽しいと思ってくれる自信がないし、その人の貴重な時間を割いてしまっているという気持ちが強いし、そんなこんなで人付き合いがうまくできない。
なんだか書いてて目が潤んできた。なんでこんなに自信がないんだ。こんな自信のない人間と一緒にいて楽しい人間なんているわけない、当たり前だ。
いままで"彼氏いない仲間"の彼女と、ほんとうに仲間だとはいっさい思ったことはない。人間の出来が違いすぎる。太陽のような彼女に憧れていた。楽しい人間になりたい。人を幸せにできる人間になりたい。そうすれば自分も絶対楽しく生きられるのに。
友達へ
私もアプリ4つやって計40人くらいの男性と会った。1度だけ会ってバイバイって人が30人くらい。ちゃんと数回~十数回デートを重ねて人間関係を構築したのが10人くらい。お付き合いしてほしいと言ってくれた人が2人。そのうちの1人と付き合って先月その人と結婚した。
初めたばかりのころは条件が良くてこちらへの食いつきの良い男性に惹かれて、彼らがこっちに本気なわけなくただの娯楽として消費されてることに気づかなかった。
中には、10回以上プラトニックなデートをしてこちらへの誠実な態度を見せてくれていたのに、お付き合いする直前で実は既婚者だったことが分かったこともあった。
でも、自分が素敵だなと思って相手も私を素敵だなと思ってくれる人と出会う確率なんてそんなに高くないんだから、とにかく会う人数を増やすしかないと思って諦めないで会い続けてみたよ。私の場合は打率が1割にも満たないってわかってたから打席数が10とかじゃ出会えなかったんだよね。
今は傷ついて、もう男性と話すのも嫌だと思うけど、続けていればきっといい人に当たることもあると思うから、元気出して!今回みたいなひどい男性にたまたまあたったみたいに。
お疲れ様でした。
東京って、遊ぶ「結果」はたくさんあるんだよね。
エントリの中のこの言葉が印象的だった。数年前に東京に移り住んだ自分が感じていた違和感を、みごとに言語化してくれていた。色んな人によって作られたコンテンツという「結果」を消費するだけの街。そこに生きる意味は何があるのだろうと、そんなことを考えることが増えた。だけれども、最近はそれだけじゃないと思うことが増えた。山形でも福井でもなくて、東京だからこその景色が素敵なんだよと。そのことがようやく言語化できたので、この素敵なエントリを書いてくれた方に対して、自分なりの「東京」を伝えられたらなと思って、増田に書くことにした。
私にとっての東京は、たくさんの人の想いによって造られた街だ。どこに行ってもそう思う。そして、それはすごく素敵なことだと思う。
新宿の街を歩く。ネオンが輝き、景観とは何かと問いたくなるほどの広告が目に入る。でもこれは、「何かを伝えたい」という人たちの想いの結果だ。自分の作った製品やサービス、自分のお店、そんなものをどうやって伝えたらいいかを「誰か」が必死になって考えた結果だ。それを考えたのは本人だけじゃない。広告代理店の人や印刷会社の人、裏側のシステムを作っているエンジニアの人、そんな人たちみんなの想いがひとつの広告になっている。そしてそれらが、どこを見渡しても存在している。そこには、人の想いがいやというほど溢れている。誰かに何かを伝えたい。たったそれだけのことなのに、そんなことを必死に考えている人がこんなにもいるという事実が、「東京」なんだと思う。
中目黒の街を歩く。30年前は何もなかった場所なのに、今では多くの人が訪れる素敵なお店や、歩くだけで楽しめる街並みが造られている。でもそれは、街に人を呼ぼうと、街を活気づけようと、当時の役場の方たちが知恵を絞り、地元の人間を説得し、施設を誘致し、ランドマークとなる建物を作り、そして様々な手段でプロモーションを行った結果だ。当たり前のように通っている道のタイルの一つ一つにまで想いが込められていて。そこにどれだけの人間が、それこそ自分の人生をかけて関わっていたのか。そんな街が素敵じゃないわけがないと思う。自分の好きな街を、守りたいと思った街を、見事に守り抜いた当時の彼らのことを思うと私は頭が上がらない。ありがとうといいたい。そんなことは「結果」だけを見ると気付くことはない。だけれども、ふと周りを見渡したり、歴史を見返したりすると、そこには色んな人たちの大切な想いが溢れている。
東京駅で降りる。田舎に帰る前に、人の多さにうんざりしながらも「東京」の縮図を満喫する。これでもかという土産物の多さ。壁に貼られた広告。駅ナカの食べ物屋さんや雑貨屋さん。その全てが、誰かの想いの結果だ。東京駅という、日本で一番利用される新幹線の駅で勝負していくという彼らの強さ。そこに至るまでのオトナなやり取りや、経営面での苦労、お客さんの笑顔。そんなものが詰まった場所が、東京駅だ。地方から来た人が一番最初に触れる東京であり、一番最後に触れる東京にも、人の想いが敷き詰められている。そんなことを思いながら新幹線に乗り、地元に帰る。降りても何もない駅に。その代わり、迎えに来てくれる誰かがいる駅に。
地方とは比べものにならない量の「人の想い」が、東京にはどこの場所にも存在している。そこに迎えに来てくれる誰かはいなくても、たとえ「結果」だけしかないと言われても、コンテンツという形に変えた人の想いが私たちを包んでいる。一人じゃない。どこを歩いても、どの街に行っても、そう思わせてくれる場所が「東京」なんだと思う。「何処かの誰か」が想いを込めて造ってくれた何かが私たちを見守ってくれている。そんなことを思わせてくれる東京の街を、私は素敵だなと思いながら、先人たちに「ありがとう」を伝えたいなと思うのです。
最近twitterでキャンメイク云々で炎上したり、マジョマジョががらっと方向転換したりするのをみてて、まあなんとなく思うことをつらつら書いていこうかと。
スペックは96年生まれ20歳、中高大と女子校。都内在住実家住。そのほかは文章から察してほしい。
メイク自体するようになったのはほんとうにここ数ヶ月。去年の秋口くらいからで、通ってるところで発表会があったのと、バイトで接客してて、たまにくるメイクばっちりの人や同じ職場の人に刺激を受けたのが最終的な動機だと思う。
ちょっといいところで働いてるから、秋なのにフューシャピンクのアイカラー乗せてくる人とかいるし、ビューラーやつけまつげでまつげばっちりくるんとさせてくる人も多くて、しかも私は人より背が高い(170cm)から割と見放題で。それをしばらく続けてて、あ、そうか、男の人ってこういう視線の高さから女の人を見るんだな、って気づいた。今までメイクって女の子側が楽しくて、自分に自信があるからするんだって思ってたんだけど、それをみる男の人(をはじめとした相手)を楽しませるためにもするんだなって。現に私がそういうのを見て楽しんでいるようにね。
あと通ってるところ、ってぼんやり書いたけど、その先生が男の人なんだよね。今ふっと思ったけど、人生で男の人に外部でなにか習うのはじめてだ、もしかしたら無意識の中でそれも関係してたのかも。まあそれはそれとして、一応大学生が素顔で彼のところに出向くのはどうなのかな、って薄々感じてたのもあって。それまでは美術館でもどこでもほいほい着た服のままで出かけてたのにね。
で、メイクをするようになった話だ。
発表会で一応人前にたつから似合ってない色つけてたらやだな、って思って慌てて駆け込んだのが百貨店のちふれ。いわゆるデパコスと違って、ちふれだけ別フロアなことが多いから、当時ドラッグストアの化粧品売場をダッシュで素通りするような私がめっちゃがぐぶるしていくってことはなかった。それでも十分緊張はして、普段はおしゃべりな方なのにBAさんと一問一答、みたいな感じになってしまったけどね。お財布も傷まないし必要以上にひよらなくて済むから同じような状況に陥ってる子にはとりあえずちふれをすすめたい。
ともあれ彼女のおかげで無事私は人前に出るときと、習い事の日だけだけどメイクをするようになったわけです。問題も抱えてるけど後述。
で、どうして今までお化粧できなかったのかってついでにぼんやり考えてみたの。
今まで自分の顔立ちとかについても全然考えた、気にかけたことがなくて、それこそ中2の時から「化粧映えする」「もっとメイクしたらいいのに」とか「ハーフっぽい顔立ちだよね」とか「大学デビューしたらいいのに」とか言われまくってたけど、それひとつひとつにどう反応していいのかほんとうにわからなかった。羽目外せるところは外しまくってたから目立ってたけど、基本的にはいい子ちゃんしてたからそういうの興味あるって表明するとなんかアウトだと思ってしまってたんだと思うのと、どれだけそういうことを言われても、自分には装うだけの価値がないと思ってた。メイクを、自分自身の防御力をあげるもの、仮面をつけるものだっていう認識があった気がする。
今は違うんだ、メイクって自分をちょっと拡張する、自分が受け入れられるものを増やすような儀式の気がしてる。甘いメイクをしたらかわいいおんなのこっていうものを受け入れられるし、ギャルっぽく盛ったらいわゆる若者文化を受け入れられる。ロトムがフォルムチェンジするような感じとか、まだ途中までしか追えてないけどまほプリが力を借りる宝石によって違う姿になるとか、そう考えるとしっくりくるところがあるのでは。
多分メイクにひよるような同世代って、少なからず「自分に装う価値がない」「自分にそんなかわいいものは似合わない」と思ってしまっているんじゃないかなっていう私感。少なくとも私がそうだったから。でも、やるきっかけとする場所、ちゃんと見てくれる人さえ見つかれば、思ってるよりも簡単に壁は越えられる気がする。運よく私はそれが重なっただけって話。それができれば苦労しないって叫びが聞こえそうだけどいったんここで。
とまあ偉そうに言ってるけど、してるかしてないかくらいのうっすい化粧だけど、母親の前で化粧できないんですよ、私。外に出るときはメイクポーチもって駅前の多目的トイレにこもらないと化粧ができないし、同じところで落としてからじゃないと家に帰れない。ポーチは棚の奥に隠してる。
これはちょうど1年くらい前、色付きのリップクリーム買って帰ったときに見つかって、「あかくち○○○(本名)www」みたいにいじられたのが遠因だと思うし、成人式の前撮りで濃い化粧されたときに「清水ミチコwwww」みたいな風に言われたのも一因だと思う(私は眉をやたら濃くされた以外はプロにしてもらうとこんな感じなんだー、って楽しかった)。年離れすぎてる(去年還暦)なのもあるけど、そういう親の前で化粧する、した顔をみせるのはしんどいっす。彼氏できたとか思われてまた一通りイジられるのもほんっとやだし。
なんだか思いの外長くなってしまった。今でもキャンメの語尾にハートついた商品説明苦手で展開してる前で長く立ち止まれないし、ピンクのコスメに手が出せないけど、まとめると、装うことは楽しいぞ、っていうことです。
あ、あと、自分の好きなキャラクターがこの化粧品つけてたらかわいいよな、素敵だよな、っていう視点が入ると買うのちょっと楽になるかも。私もそれで最後の背中を押してもらった覚えがあるし、今でもちょいと助けてもらってる。そういう考え方を意外とバカにしちゃいけない。
以上。なにかあればブコメまで。できる限り答えます。記事にするのだけは勘弁。
2/22 0:46時点から拾えるところだけ拾って追記
>死んでください
そうか、人間生きてたら必ず死ぬんやで。私が死ぬ時はあなたも一緒に死のう♡
上にも書いたように私は身長が高くて男性の平均身長並みだから、男の人はこんくらいの高さからこういうの見て楽しんでるんだー、って思った次第。メイクしてる人を見てかわいいとか、素敵だな、とか思ってるので、それは物理的には男性と同じ立ち位置からみてるってだけで、ある意味で女性的な視点なのかもね。
>一回親をビンタすべき
そうかもね。一瞬このブコメみて反射で涙が出た。
前撮りの時、一応素敵だよ、とは言ってくれたけどね。
何年も見てきたけど、何人もいる中のひとりで、特別応援してたわけじゃない。
特別何かが上手いわけでもなかったし、がんばっているように見えない時もあった。
でも、それがとても人間らしくて、そういう生き方も素敵だなって思ってた。
自分とは違う人生を歩んでる人を見るのって、なんか楽しいよな。
で、その人が卒業する。
もう二度と会うことはないし、もしどこかで出会っても気づけないと思う。
でも見ていたかったような気もする。
ぼんやりと悲しくて、この気持ちなんなんだろうなって考えてた。
俺さ、この人にしあわせになって欲しいんだよ。
特別じゃないこの人に、しあわせになって欲しいんだ。
だって、ずっとみてたんだよ。
二度と会わないけど、どうしてもしあわせになって欲しい。
文章が得意ではないので書こうかやめようか何度も悩んだのですが、でもこれが理由で悩んでいる人を沢山見てきたので、やっぱり頑張って書いてみることにしました。
好きなことが仕事になったらいいなって思っている人が結構いると思うんです。
そうやって好きなことを仕事にして輝いている人を見ると素敵だなって思うし、目の前の仕事が自分の好きなことだったらもっと頑張れるのになって思ってるかもしれません。
でも、多分それはやめたほうがいいです。
なぜなら、好きなことを仕事にするということは、自分の魂を切り売りするのと同じだからです。
例えば好きな絵を仕事にしたくて、書いた絵を売りに出すとします。
しかし、その才能にニーズがなければ、その絵には大した価格はつかないでしょう。
その絵が、どれだけ大切に情熱を込めて作り上げたものだとしてもです。
でも、生きていく以上はその絵を売らなくてはいけません。
この瞬間に生まれる自分が思う価値と売れたときの価格との差額が、あなたが生きるために魂を売った価格です。
売りたい価格を付けることは自由ですが、売れる価格は世の中が主導権を持っています。
どんな価格を付けたとしても売れなければ価値がないのと同意です。
好きなことを仕事にする以上、この事実からは避けて通ることはできません。
これが情熱と希望を胸に、好きなことを仕事にしようと社会に漕ぎ出した自分に待っていた現実でした。
成功者の多くは、ただ好きというだけでなく、人よりもずば抜けた才能を持っているか、たまたま時代が求めるものに一致した場合かのどちらかです。
好きなことができれば貧しくても幸せだなんていうのも嘘です。
生きていくために自らの魂を切り売りすることは、生きていく意味を見失いかねないほどにむしろ苦痛でしかありませんでした。
もし好きという思いが強ければ成功できるなら、世界中には成功者が溢れているはずです。
このままでは暗い話で終わってしまいますが、それからいろいろあって、今では自分が好きなこととは全くかけ離れた業界で働いています。
全く見ず知らずの業界で働きながら、好きなことに価格をつけることは苦痛でしかなくても、得意なことに価格がつくことはむしろ喜びであることに気が付きました。
そうはいっても得意なことを仕事にしようとこの業界に入ったわけではありません。
働いている途中で気付いたことが、自分の得意なことがこの業界でも役に立つかも知れないということでした。
得意なことと言っても、それだってずば抜けた才能が沢山あるわけではありません。
人よりも少し得意な程度のものが2つ3つあるだけで、一つ一つの分野だけで言えば社内には自分より得意な人間がいます。
ただ、それぞれを組み合わせた仕事への取り組みは自分にしかできないものでした。
それによって生み出せるものを、私以外には作れる人はいませんでした。
それが会社の中で唯一無二な価値になり、今では無くてはならない存在と言われるまでになるようになりました。
多分に運の要素も多かったのだと思います。
ただ、それをわかった上でお伝えしたいことは、一つ一つが誰よりも優れていなかったとしても、それぞれを組み合わせることで人には真似出来ないものを生み出すことが価値になることもあるということです。
沢山の人が沢山の個性を持って生きていく世界の中では、何かに一番になることと同じくらい、唯一の存在であることでも活躍できるのだと思います。
今では生活に少しの余裕もでき、自分の好きなことに再び没頭する時間を持つことができるようになりました。
あの時、好きなことで生きていくことを諦めていなければ、好きなことを好きなままではいられなかったかもしれません。
http://anond.hatelabo.jp/20170204103326
ガチ無能からすると、この人は一社目がおかしかっただけで(そこで有能な人のほうが少ないだろうよ…)二社目でちゃんと進行管理として業務をこなし評価も得れたのなら、無能ではないのでは…と言いたい。コミュニケーションもできてたんだろうしな。
ブコメでもちょこちょことツッコミがあったけど、特に「仕事が合っていない人と、そもそも能力が足りない人を分けて考えないといけないのでは。」に激しく同意。
『この人は仕事が合っていなくて、変えたら良かった! いい仕事に出会えた運もあった!』という話しだと思うのだけど、ブコメの感じだとこの記事が大絶賛されててすごくもにょる……。
確かに努力してるし、耳障りいい話だとは思うんだけど…。それはそれだけの能力と運が合ったからでしょ。
(運を引き寄せるのも努力のたまものだとはおもうよ。だから増田も頑張ってるし素敵だなとは思う。思うんだけども…)
この増田の話を読んで、トピシュのこのエントリーで書かれている近い気持ちになった。
http://topisyu.hatenablog.com/entry/nikkei_dual_policy
『誰もマネできない方法を解決策としたりするのは、好ましいとは思いません。』
この増田は「不満を言うのは甘えているなどと自己責任論を展開」しているわけではないけれど、ガチ無能勢からするとこの増田が言ってる『大丈夫。無能な人間はいない。無能にされてしまう場があるだけだから。』という言葉は救いに聞こえてこないし、「そういうことじゃないんだよ…」という気持ちになってしまうんだ。
そもそもの悩み・持っているものが違う感じがすごくするんだよ。
先日「仕事ができない社会人って案外キツいんだよっていう話 」に対して自分がトラバした「http://anond.hatelabo.jp/20170203223816」に対して、自分と同じように「仕事できない」ことに対して共感してくれるブコメがついて、とてもうれしく思ってる。
その人達にはこの気持ち、わかってもらえるような気がしてるんだけど…。
転職をしていくのも方法の一つだとは思うんだけど、それをメインで考えるのではなく転職の前にできることを知ったり試したりしていきたいんだ。
(さらに、自分が書いた文章にも言及してnenesan0102さんがブログを書いてくれた。
http://nenesan0102.hatenablog.com/entry/2017/02/04/110054
すごくありがたい。
●結論:最近みる『夢女子』って単語は、『夢者』とはまた違った歩き方をしてて楽しいぞ。
●本文ここから
たぶん、夢小説を読まない人はこの『夢者』っていうのを知らないと思う。まぁ一部界隈で使ってるだけだから別に夢を好んで読む人も知らないかも。でもとりあえず知名度の話はいいや。関係ないし。
で、最近『○○の夢女子』っていうタグが流行ったよね。流行ったんだよ。○○にはいるのは特に女性キャラが多かったかな。私が見た限りではね。
で、『○○の夢女子』を見ていて思ったのはわりと『○○にこう振り回されたい(私が)』『○○にこう言われたい(私が)』っていう感覚があるなぁっていう。
別に「私が」「私が」って自分が無理矢理出張って来てるとかそういうことを言いたいんじゃなくて、何だろう、等身大のままで、キャラと触れ合ってる感じって言うのかな。
ちょっと美化したアバターなりなんなりを使っているけれど、基本は自分っていう感じ。
これね、すごく素敵だなぁって思ったんだよ。
◇
このブログの文章を読んでくれてる人がどれほど夢小説の歴史や内情を知っているかは知らないけれど(まぁ自分もよくは知らない方だとは思うんだけど)、
偏った自分の立場から一応説明しておくと夢小説はたくさんあって、いろんな人がいる。
『夢小説は自己投影がメイン、オリキャラ夢主は邪道!』っていう人がいたり、
全く逆に『自己投影なんて気持ち悪い。自分を入れてその妄想を形にして他人に読ませるの?は?』っていう人もいたりする。
それが自己投影かどうかオリキャラかどうかってのは、まぁ人によっては楽しさに関わってくるかもしれないけど、それ個人の問題じゃん。
『自分が楽しく読めないから、これは夢小説じゃない』なんてすっごい排他的!いやたぶんそうは言わないんだろうけど!
でも根本的な考えはそういうことなんじゃないかって思う。自分が歩んできた道じゃないから、自分の中にはなかったから、だから『本来の夢小説ではない』って言っちゃうんだろう。
今まで見なかったって言うのにウソはないと思う。きっと本当なんだと思う。
でも、自分が見てなかったからって、それ本当に無かったってどうして言えるんだろう。証明できる?
なかったことを証明するのかなって思うよ。
あと『無機物は邪道』『オリキャラは邪道』『男主は邪道』とかまぁたまに聴こえてくるけど、たとえば夢が二十年ぐらいの歴史のものだとして、十五年ぐらいそれらがあったとしよう(というかまぁ夢が発生してそれぐらいにはもうあったでしょ)。
それでも邪道なのかな。概念が存在してから半分以上存在していたものを邪道だって追いつめていく理由、ある?なくない?っていうか夢の本道って何なのさ。私は分からない。知らない。誰か知ってたらこれにTBして書いてくれ。
っていうか邪道があっちゃいけない理由って何?邪道で迷惑かけた?迷惑かけられたって思った事例があるなら、それはその人があなたに迷惑をかけただけで、別に『それ』が『あなたが好きな夢小説』を傷つけたわけじゃないよ。大丈夫。
まぁそんな感じで、『夢が好き、夢小説が好き、夢創作が好き』って想いがあってもその在り方は多種多様で、いろんな人間が『あれは夢』だの『あれは夢じゃない』だの言ってる世界なんだよ。
閑話休題。話を戻そう。
◇
すっげープリミティブで、でも(いやだからこそかな)わりといろんな人に受け入れられてて、あぁそう、こういう世界が良かったなって思った。
夢が嫌いな人がいてもいいし、夢が好きな人とわかりあえなくてもいいけど、こうやって『あぁそうそうそういうことされたいよね』って、オタク同士で笑いたかった。
(わりとね、一般人的には『ワンピースの誰それと結婚したい』って話は受け入れられやすいし話題にもされやすいんだけど、違うんだよー。もっと突っ込んで話したい。だからオタク界隈でも話したい。タブーみたいじゃなくて)
ただ、だからこそ『夢女子』と『夢者』は異なる概念なんだろうなーって。
ほんといきなり自分の話をして申し訳ないけれど、私はね、どうしたら私がしたい行動込みの物語で彼が振り向いてくれるだろうっていうだけを原動力にしたしぬほど自己投影の夢も書いたことあれば、こんな幼女を拾ってくれ!!!!ってめちゃくちゃ傍観者気取りで書いた夢もあれば、神さまのつもりで書いた夢もあれば、男になってこんな風にこいつらと笑いたかったって書いた夢もある。
人形をあやつる人間にもなれれば、原作CPをながめてもいられる。
その世界の取るに足らないふつうの人間にだってなれるし、獣にもなれる。
だから、『女子』っていう性別と、ある意味で『自分』という縛り?で独り歩きしてる『夢女子』っていう概念とは、私は相容れない。あくまで、私はね。
でも、『もしも私がこの物語の中に入れたなら』『もしもこの人の隣にいられたなら』っていうのを、嘲笑じゃなくて、『こういう創作もアリなんだ!』って思える人がいたら、増えたら、それはすごく素敵なことだし、そうあれる可能性がすごく高い概念だと感じてる。
自分が好きなことを他の人が既にしてて、間接的に肯定してくれるってめちゃくちゃ救われるんだ。私はそうだった。
だから逆に嘲笑をみたらとても悲しくなるし、一部の意見だったとしても、それが初めてみる他者の意見だったとしたら「これが世間の評価なのか」と苦しくなると思う。そんな思いはさせたくない。
だから、夢小説を黒い歴史のように扱われるのは嫌いだし、夢小説あるあるで笑いをとるのも嫌い。
夢小説に出会った時、私は「こんな世界があったのか」って感動した。
「私が考えてたことを、先人たちはもう名前まで変えられる形にしてたのか!」って嬉しかった。
だから、まぁこういうと夢女子もきっと夢創作の一部なんだと思う。
ただ『夢創作を好む人間』という性別も何も含まないフラットな呼び方の『夢者』とイコールの呼び方ではないし、そうはなってほしくないなって思うから、酒の力を借りてこんなエントリーを書いたよ。ねむい。終わる。
Twitterで、なんとなく他の人と壁があるなと感じてる。
呟きもこのキャラのこういうところが好き~っていう萌え語りしかしてないし、同人活動のあり方とかを説いて学級会を開こうとかもしてない。
政治や宗教の話もしないし、私生活の話もしない。愚痴をいったりもしてない。何かを批判するような攻撃的なツイートもしてない。人を不快にさせるツイートはしないように気をつけてるつもり。
○○が可愛いかっこいい、○○×▲▲が萌える~って呟いてるだけなのに、周りの人と違って交流が出来ない。
TLを見てると、萌え語りに対して「わかります!○○って可愛いですよね~」 「私も○○×●●好きです!」とかやり取りしてて、なんで私はこうやって人と仲良く出来ないんだろうかと思う。
そして、フォロワーとご飯行った~とか、イベント一緒に行った~遊んだ~とかを見てると、いいなあと思って見てしまう。
自分より後に相互になったフォロワー同士がTLで、遊びましょうよ!詳細DMしますねとかやり取りを見てると、羨ましくて仕方なくなる。
「そんなの、自分から行動しないでウジウジ言ってるからだよ」 と指摘されてからは、素敵だなと思った作品やツイートには、積極的に感想やリプライを送ってる。重たくならないようにさらっと、とんちんかんだったり馴れ馴れしくしないように気をつけて、素敵です、面白いですって。
でも何も変わらなくて辛い。
感想を送った人からは「ありがとうございます、うれしいです」って返信は来る。でもそこから何も続かない。仲良くなれない。
でも、一人で黙々と絵を描いてアップして、萌え語りしてるだけなのが辛い。
同じ作品やキャラが好きな人とどこが好きなのかとか、このシーンが好きだとかそういう話がしたい。スカイプで萌え語りがしたい。オフ会にも参加したい。遊びたい。
淡々と萌え語りとイラストを上げ続けているから話しかけにくいって言われたことがある。描く機械みたいと言われたこともある。
高尚様なんかじゃないつもりなのに、気をつけてるつもりなのに。
教えてほしい。
(私は寝ても覚めてもTehuくんのことばかり考えている。これはもしかして・・・)
http://anond.hatelabo.jp/20160919100234 で、Tehuくんに医学部を受験しろ、と書いた。
今回はどうしてTehuくんがデザイナーなどのクリエイティブな職業に向いていないかを書く。
デザインにしてもプログラムにしても、極論すれば人を思い通りに動かすためのものだ。
素敵だなぁ、綺麗だなぁ、怖いなぁ、便利だなぁ・・ 突き詰めれば単純なことだ。
Tehuくんは今まで様々なメディアで情報を発信してきて、多くの人を不快にしてすさまじいヘイトを集めてきた。
もし、これが意図したものであったならば大したものだ。デザイナーとしても大成功するだろう。
でも、違うだろう?
本当はTehuくんは天才として一目おかれ、みんなにちやほやされて女の子にモテモテになりたくて、そういう自分を演出するために情報を発信してきたんだろう?
0点です。
Tehuくんは人の心がわからない。自分の言動が他人にどういう影響を与えるかがまったくわかっていない。
だから珍妙な自動販売機のデザインを恥ずかしげもなく公開できるし、読み手のことを全く考えていない現代ビジネスのリニューアルができるのです。
Tehuくんがこのままプログラマーの能力を磨いたとしても、未来は仕様どおりのプログラムを書くだけの誰にでも置き換えられる低賃金コーダーになります。断言できます。
でも、クリエイティブな能力や他人の感情を推し量る能力って、必ずしも必要ですか?
灘中、灘高での勉強のように、必ず答えがあって、勉強すれば必ず達成できるものを極めてもいいんじゃないですか?
革新的なことは他の人に任せて、Tehuくんは誰かが作ったものを使って人の役にたったらいいんじゃないですか?
私はTehuくんが心の底までクズのダメ人間だとは思っていません。
せっかく人の役に立てる能力があるのに、無責任な大人たちに人生を狂わされただけなのかもしれません。
得意な勉強を生かして、人のために役に立てる仕事をし、結果としてその姿勢に惹かれた女性に愛されて欲しいと思っています。
自分を捨ててまで人々に奉仕できる人間になれば、例え意図的に人の心を操れなくても、Tehuくん自身の生き方が人を惹きつけるようになるのです。
今から慶応SFCに復学して、本来であれば後輩たちである若い子たちに混じって体育をしたりするのは苦痛でしょう。
勉強してください。
鼻くそのようなアプリを作っただけなのにマスコミに大きく取り上げられて大人たちから天才扱いされて、人生なんてチョロいと思ってしまったかもしれません。
でも、そんな幸運は何度も来ないし、本当に人の役に立つことはできません。
勉強してください。
立派なお医者さんになって、苦しんでいる人たちを救ってください。
アイドリッシュセブン。通称アイナナ。
女のオタクでツイッターをやっていたら、知らない人はいないんじゃないだろうか。
女性向けリズムゲームアプリ。内容的には、最近多くあるアイドルもの。プレイヤーは彼らのマネージャーで、現在は二章まで公開されている。
私はこのアイナナをリリース当初からプレイし、一章まではクリアしたが、
・せっかちゆえに二章公開が待てない
・絵柄にありなっちを感じすぎてきつい
・ノーツがパチンコ玉に見えてしまい「私何やってるんだっけ…?」となり気が散る
これらの理由でアンインストールしてしまった。完全に私事、あまりにも余談すぎる。特にノーツと絵柄、クソどうでもいい話である。
好きな声優が出ていたので始めたけど、最終的にはまったくノーマークだった子を好きになっていた。
曲もキャラクターも好きだった。あのとき二章も公開されていたら、きっとまだプレイしていただろう。
ツイッターをしているオタクなら知っているとは思うが、少し前から、アイナナが炎上している。
キャラデザ公開のときあたりから、うたプリに似ていると言われていたし、原案はあの有名なありなっちだし、いつか炎上するだろうなとは思っていた。まさか本当に炎上するとは…。
最初は軽い気持ちだった。「ソシャゲ好きだし、ちゃんと知っとかないとだよね」そのくらいのテンション。
私は現在、わりといろいろなソシャゲをしている。特に男性アイドルものが好きだ。その中でもアイドルマスターSideMが大好きで、こんなにハマったのはエムマスが初めてだった。ちなみに、私はソシャゲ界隈で言うところの「無(理のない)課金兵」である。
もともとアイドルマスターという作品は好きだったが、しっかりがっつり手を出したのはエムマスが初めて。エムマスは私にとって、初めて尽くしの大切なジャンルだ。
担当アイドルや推しアイドルのために課金をし、疑問に思ったことは運営に手紙を書き、毎日P業を楽しくやらせていただいている。
私の担当アイドルは鷹城恭二くん。ハタチの元コンビニアルバイター。Beitという王子様系ユニットに所属している。
恭二くんはスカウト当初のNカードだととてもぼんやりした雰囲気で、「やる気ならある……これでいいか?」とか言っちゃうような子だ。だがイベントなどを通して、同じユニットメンバー、他のキャラクターやP、ファンの人達に支えられ、きらきら光るスポットライトへと向かってゆく。
その姿が、とても綺麗だで素敵だなあと感じる。一緒に頑張っていきたい。鷹城恭二くんは私にとって、そう思えるような存在だ。
初めてイベントSRになったとき、初めて声がついたとき、初めて歌を聴いたとき。そのどれもが嬉しくて嬉しくて、泣いたりだとか、友達とお酒を飲んだりして騒いだこともある。
あまりのショックに言葉を失った。大きな石で、頭をガンッと殴られたような衝撃。「嘘でしょ…?」と思った。
しかも、よりにもよって、おそらく多くの新人Pたちが初めて見るであろう、彼のアイドル姿のカード、N+のイラスト。私だって例外ではない、彼のアイドル姿はこのN+が初めてだった。
初めてこのカードを見たとき、ぼんやりした顔から一変してとてもかっこよくて王子様みたいで、まさにアイドル!のような姿に、私は恭二くんのPになることを決意した。そんな思い入れの深いカード。
それを、トレパク?それに、もしかして彼のことを初めて見る人は「鷹城恭二くん=トレパク元」という認識になってしまうのでは…?
とても悲しい。そして、とても悔しい。担当アイドルをトレパクされることが、こんなにもショックだなんて。
暫く呆然とアイナナ炎上のまとめを眺めていた。鷹城恭二くんは、そんなとこにいていい人なんかじゃないのに…とさえ思った。
アイナナのキャラクターも、今現在プレイしている人も、そのどちらも悪くない。特に、最近よく見かける「アイナナ好きだったのに…」と悲しんでいたり問題に向き合ったりしているプレイヤーは、本当に報われてほしいと思う。
こんなにもわかりやすく構図パクやトレパクを堂々と行うイラストレーター、そしてそれを放置して肝心なことにはだんまりな運営。私はその二つが許せない。
アイナナ運営は私たちの担当アイドルや好きなキャラクターたちを、言い方は悪いがオモチャにしているのだ。自分たちの仕事に労力をかけず、元のキャラクターたちだけに考えられた魅力的なポーズをパクって、「どうです、うちのアイドル、最高ですよね?だったら課金しますよね?」とでも言いたげな態度。
私たちはアイナナ運営に楽をさせるために担当アイドルや推しアイドル、キャラクターを応援しているわけじゃない。
これ以上、鷹城恭二くんがあのまとめにのっているという事実を受け入れたくない。
鷹城恭二くんに、悔しい思いをさせたくない。彼は、もっと綺麗な場所で輝くアイドルなんです。
お願いだから、運営はもっとこの問題に向き合ってほしい。きちんと謝罪してほしい。どう見たって、トレパクや構図パクは明らかなのだから。
丸25年間彼女がいないのですが、ひさしぶりに彼女がほしくなりました。
きっかけは、先日友人が「やっぱり恋人いるといいよ、うん」と言っていたからです。
そのとき私は「あっそういえば恋人っていいものなんだったな、最近2ちゃんやはてなの男女の話でちょっと毒されすぎてたな」と思い直し、つきましては命つきるまでには誰かとつきあってみたいと考えるに至ったわけです。
どうやら世間では正社員なら割と簡単に彼女ができるらしいですね。
じゃあなんでできなかったのでしょう。ひとりでも満足できちゃうからとか、身近だった女性(母親や同級生)に対してあまりいい思い出がなかったからとか、性格が女性向けでないとか、自信がないからとか、言い訳ならたくさんあるんですけど。
ともあれ色々言ってたってしょうがないので、最近はオナニーの回数をちょっと減らして肌をつるつるにして街コン参加のタイミングを伺う毎日を過ごしています。
なんとか今年中に彼女できたらいいな。
来年の春先にクレヨンポップの「FM」を聴いて、心に思い描く人ができてると素敵だな。
できれば気取らずに、くだらないことでわははと笑える相手だといいなー。
丸25年間彼氏がいないのですが、ひさしぶりに彼氏がほしくなりました。
きっかけは、先日友人が「やっぱり恋人いるといいよ、うん」と言っていたからです。
そのとき私は「あっそういえば恋人っていいものなんだったな、最近2ちゃんやはてなの男女の話でちょっと毒されすぎてたな」と思い直し、つきましては命つきるまでには誰かとつきあってみたいと考えるに至ったわけです。
じゃあなんでできなかったのでしょう。ひとりでも満足できちゃうからとか、身近だった男性(父親や同級生)に対してあまりいい思い出がなかったからとか、性格が男性向けでないとか、自信がないからとか、言い訳ならたくさんあるんですけど。
ともあれ色々言ってたってしょうがないので、最近はご飯の量をちょっと減らして肌をつるつるにして街コン参加のタイミングを伺う毎日を過ごしています。
なんとか今年中に彼氏できたらいいな。
来年の春先にクラムボンの「家族の風景」を聴いて、心に思い描く人ができてると素敵だな。
できれば気取らずに、くだらないことでわははと笑える相手だといいなー。
補足
私は25歳で恋人いたことがなくて、最近は男女関係のネガティブな情報ばかり耳にしてたけど、友人の言葉で「本来恋人って素敵なものなんだ」と思い直した話です。
少し前からオタクアカウントのほうに、同人やめました系の記事がいくつかRTされてくる。
当方オタク歴はそれなりに長く、どちらかといえば一人で考察と妄想を繰り返しのめり込む内向き型。キャラに対してキャーキャー言ったり、流行のネットスラングを羅列するような交流は苦手なので、RTされてきた記事を読んで、うんうんそこは昔のほうがよかったよね、と思うこともある。
近頃はまったジャンルにて、私はようやく同人活動やイベントの醍醐味みたいなものが分かってきて、今とても楽しい。
過去色々なジャンルにはまったものの、今まではネット上で見たり書いたり、昔からのオタク友達に話を聞いてもらうくらいで満足していた。
twitterで交流しよう、オンリーに行ってみよう、自分でも本作ってみようか、というところまで手を出すほどになった作品はこれが初めてだ。
なんでなのか?ちょっと振り返り5点。
ハマるのと同時期くらいに生活環境が変わり、時間に余裕ができた。これが一番大きいかも。元々面倒くさがりなので、寸暇を惜しんでまではきっとここまでやってない。忙殺されて余暇がほとんどなかった時期にハマっていた別ジャンルは、それはそれで生きる支えになったものだが、交流や創作にかけられる時間は少なく、落書きで欲求を消化するのみだった。
学生時代はサイトにこもってたので、オフ活動にもっと早く興味持ってたら違ってたかも。
ハマったのは息が長くファンの多い作品で、ファンの年齢も傾向も幅広い。キャラ萌えしてる人からひたすら原作の考察する人まで色々。流行のピークは過ぎて久しく、今や大手さんの解釈が公式扱いされているような風潮は薄いし、個々の解釈も否定されにくい気がする。が、これは体感なので単に私が鈍感なだけかも。
もちろん作品自体の素晴らしさが第一にある。それに加えてこの界隈の自由な雰囲気がいいなと思う。
そういう雰囲気に浸かってると、同士さんたちの詳しい活動や語りを追いたいという欲求がわいてくる。
そこで主にtwitterを利用するわけだけど、様々なファンがいるのと自身が万人ウケするタイプではないので、交流する際には特別注意をはらう。元々アカウントを取ったのは同士さんアカの鑑賞兼独り言用だぞ、それが第一だぞと常に言い聞かせる。それを曲げて交流しまくれば承認欲求が加速して本来やりたい創作や考察ができなくなる。だからいくらいいねやRTがほしいと思っても決めた期間以外鍵は開けないし、フォローフォロワーの関係には気持ち悪いぐらい用心する。最近のやめました系記事にもSNS疲れがよく言及されてるし、対人関係が原因で作品を好きでいられなくなるみたいな本末転倒な事態は絶対に避けたいので、慎重すぎるくらい慎重に。
結構経ったがまだそれなりに守れている…と思うし、この前提があるからこそ色々割り切ることができているんだと思う。
具体的な自分ルールもまとめてたんだけど、すごい長くなってしまったのでカット。
で、いろんな自分ルールを遵守しつつ厳選したTLは、自分と波長の合う人たちと情報アカ程度で構成され、とても穏やか。交流相手を絞ることで私のような面倒くさがりでも続けることができ、時々リプをし合ったり、タグ系の遊びを一緒にやったりしてくれる存在ができた。そしてその信頼できる方々のご好意により、イベントやオフ会に足を運ぶきっかけをいただいた。
年齢層が幅広いためか、息が長いからか、他と比べ空気がゆったりしているように感じた。(といってもこれまで全ジャンル合わせて片手で数えるほどしか参加したことがないんだけど)
一番安心したのが、エロの公開度が低いこと。前にハマっていたジャンルもそれなりの規模・年数で、以前オールジャンルの際にそのエリアに立ち寄ってみたのだが、カッコイイ男性キャラがたいへん色っぽい感じになってる大きいポスターがたくさん並んでいていたたまれず、なんかもう本を買うどころではなかった。エロは全く、BLもほとんど嗜まない者なので、あの空間は耐えられなかった…
今回もそんなだったらどうしよう、とドキドキしながら参加してみたところ、主流はBLでR指定ものも多数あるが、過激な掲示はさほど目に付かなかったので安心した。男女CPやコメディ傾向の作品もそれなりにあり、買い物も楽しめた。サークルの皆さんは、うろうろと挙動不審な私にもよかったら見ていってください、とやさしく声をかけてくれた。またネットで見知っていた方や、既刊を拝読させていただいた方に感想を伝えたり、少しお話をしたりもできた。作家さんとのお話ってこんな普通にできるんだ、これが話に聞くイベントの醍醐味か…!!と感動してしまった。(今まで買い物の会話以外交わしたことがなかった)見れば他にも立ち話をしている人たちは結構いる。このジャンルではいわゆる古き良き(?)即売会の姿が面影を残しているのかもしれない。いやしらんけど。
そしてイベントでこんなに居心地がよかったのは初めてで自分でも驚いている。今まで一般だと落ち着ける場所がなくて何となく居づらかったのだが、今回はそういうこともなく。また行きたいと思った。
自身の二次創作は、基本的に自己満足だ。いいねやブクマなどはもちろんうれしいが、それを得るためだけの創作はしないのだと心に決めている。なので本をつくりたい!となったのも最初は「皆さんの本素敵だな。私もここまでのめり込んだ作品は初めてだから、記念に自分なりの解釈をこういう形にしてみたいな」というのがきっかけだった。
どこへ出す予定もなく書き始めたのだが、少しその話をした際に思いがけず、ほしい、見てみたいというお声をいただいた。
ものすごいエネルギーを与えられた気分だった。この自己満足の塊を、まさか楽しみにしてくれている人がいるなんて!
さらに、4のイベントでお話させていただいた方にも「本は出されないんですか」とお言葉をいただいた。嬉しすぎた。本を作るというのは大変な作業で、もし本当に一人きりで進めていたら、延び延びになって結局頓挫、みたいなことになりかねないなと思った。ここまでに散々他人に主体をおかない的なことを書いておきながらなんだけど、それでもやっぱり、こういう身に余る挑戦をするときには、3で得た信じられる人の言葉の力を少しお借りしてもいいかな、と思った。
自己分析のつもりが途中から感想文みたいになってしまった。分けて書こうかとも思ったけど、その良い思い出とかもひっくるめて要因だし、まあいいや。
今のジャンルじゃなくても、これまでもこういう体験ができる機会はあったのかもしれない。
でもこの引きこもりで、心配性で、人見知りな私をここまで連れ出してくれたのは、いろんなタイミングの重なり、そして魅力的な作品と素敵なファンの皆様だろうと思う。
僕はスポーツとかバトルみたいな「勝ち負け」のある漫画が好きなんですが、
「勝ち負け」の中の「負け」の妙を書いてる作品その中でもたまらなく好きなんですよね。
しかもその表現は難しいんですけど「勝ちのための負けイベント」みたいなのは、ちょっと苦手なんですよ。
そりゃまあ、漫画なので、最終的には勝つんですけど、明らかに勝つためのタメとしての負けは、萎えちゃいます。
ちなみに、僕の漫画史最高の負けシーンは、じゃじゃグルの最終巻のヒコのダービーです。
とまあ、関係ない話しましたけど、ジャイアントキリングもその「負け」の面白みを書いてて、面白かったです。
キャラは村越さんが好きです。
ルミ子さんが可愛いですね。
お仕事漫画も好きだけど、ライブラリに加えるほどかって言われると微妙なので、よく漫画喫茶で読みます。
ブラック企業? の上司さんが奥さんに諭されて意見を変えるところは、漫画って素敵だな、って思いました。
はへー、物知りだおー。
野球漫画。
が、リハビリ編終わってなかった。
他にも色々読んだ筈なんですが、思い出せないのでこれぐらいで。
という研究結果があるらしい。
周りの大人を見ていると、
たしかにそういう人が多いなと思う。
そんな人が多いんじゃないだろうか。
ぼくは、そういう音楽の聴き方があってもいいと思う。
宝物のように、生涯大切にし続ける。
でもそれと同じくらい、
本当に、素晴らしいと思う。
問題は、
そうは思いつつも、
ということだ。
これは年齢に限った話じゃない。
ぼくは20代だけれど、そういう側面がある。
よく知りもしないくせに、
嫌煙する。耳を閉ざす。
例えば、
「みんなが勧めるから素直に認めたくない」
「見た目が苦手」
こんな具合に。
意外とこういう人は多いんじゃないだろうか。
そして、もっと厄介なことに、
同じような傾向があるんじゃないだろうか。
そんなくだらない思い込みで、
本当に勿体無いなぁと、じぶんで思った。
初めてちゃんと聴いた。
仲の良い女の子が勧めてくれたのに、
正直に言うと、
聴き始めてからも「やっぱ合わないな」と思っていた。
だけど一曲、
「ん?これいいかも…?」っていう曲を見つけて、
それを繰り返し聴いていたら…
…好きになった。
なんだこれ。
いいじゃん、いいじゃん。星野源。
こうなると、はやい。
声が、リズムが、音作りが馴染んで、
どんどん良いところが見えてくる。
ファルセットの綺麗さとか、
間の取り方とか、
たぶん、そんなものなんだと思う。
きらいなものも、
好きになれない人なんかも、全部。
よく知らない、慣れていない、向き合ってない。
そう思った。
そんな時には、
そうして慣れることで初めて、
ほんとうの魅力が見えるようになる。
慣れていないものと接するのは、本当に疲れる。
でもその先に待っているものが、
いくつになっても、それは忘れないようにしたい。
…もう一回聴こ。
日曜日の夜。都内のとある肉バルで妻と食事。そこは以前から何度か通っていて、リーズナブルで美味しい肉料理とワインが楽しめ、お店の雰囲気も下品でなく、丁度良い華やかさ、賑やかさがあって、程よく手の届く幸せを得られるお店として気に入っているお店だった。
まずはワインをボトルを頼んで乾杯した後、メニューを見たところ二人とも大好きなラム肉の盛り合わせがあったので、テンションも上がり即注文。その他にサラダとディップも合わせて注文。日頃からどのメニューも美味しいことは分かっていたので、二人ともワインを進めつつ話が弾んだ。
サイドメニューが幾つか届き、お酒もある程度進んだところでようやくラム肉の盛り合わせを店員が運んできた。そこで事件は起こった。。程よく盛られていた肉達の一つがポロリと、地面に落ちてしまったのだ。店員、自分、妻ともにその落ちていく肉を見ていて、3人共に「あ…」となった。
おおよそサービスの行き届いたお店であれば、店員が「申し訳ありません、すぐに代わりのものをお持ちします」とか「先ほどお肉を一つ落としてしまったので、こちらお詫びのサービスの一品になります」と別の料理を持ってくるなどの対応が予想できる。こちらもその肉一切れを絶対に食べたいほど空腹なわけではないので、その申し訳ないという気持ちさえ見えれば気持ちは落ち着くし、逆に「あ、気を遣ってくれるお店なんだな、素敵だな」とブランドイメージも向上すると思う。
しかしながらそこで店員は何もなかったかのように料理の説明をしたあとその肉一切れを拾い、別の客の接客に戻ってしまった。それに加えて、その後その店員が再び我々のテーブルにやってきて「今日はあそこの席のお客様がお誕生日なので、このクラッカーでおめでとう!の協力をお願いします」と伝えられた。
私としては、自分の注文した料理を半端な形で提供されたことに加えて、店都合で別の客のお祝いに協力してほしい、という要望を出されたことに対してどうも納得がいかず、申し訳ないがそのクラッカーを鳴らすことはできなかった。未開封のクラッカーは別の店員が持ち去っていったが、そのクラッカーが鳴らされていないことに対して、どう思ったのか、何も思わなかったのか、帰宅後の今になっても非常に気になる。
その後の妻との会話はもっぱらその出来事についての話になった。というのも、その場でその店員に何と伝えるのが、そのお店のファンである客としてベストな対応なのか?ということだった。幾つかパターンがあると思う。
1)その場で感情を伝える
「あの、今肉落としましたよね。今日のおすすめメニューですよね、これ。それに対して何もないんですか?このお店はそういう対応でいいんですか?」と、感じたことをその場で瞬時に言葉にし、ある程度の怒りをぶつけて納得できないことを伝える形。肉一つが惜しくて怒るのではなく、自分が一組の客として大切に扱われていないこと、お店のおすすめメニューを完全体でない形で提供してしまうことを許すという、プライドの無さについて言及するパターン。このクレームは正論ではあるが、日曜日のせっかくの楽しいディナーの時間、妻に対しても他の客に対しても、悪い空気を出してしまうこと、言った自分も「そんな小さいことで目くじらを立ててしまう俺って…」という自己嫌悪に陥るなど、非常にデメリットが多いと思う。
「ここのお店はおすすめの肉を落としても、誠意のある謝罪も代替えのサービスもありませんでした。もう2度と行きません。」と食べログに書くパターン。これはこれで書いた側はすっきりするかもしれないけど、自分が好きなお店がたまたま犯した失敗に対して、後々非常にマイナスになる負の遺産を、相手の手のとどかない場所から投石のごとく、ズルい形で攻撃するようで、やはりあまり気乗りはしない。またここでも「自分は正々堂々と伝えもせず、ズルい奴だ…」と自己嫌悪に陥ってしまいそうだ。
3)何も言わない
「海外ではそういうことはよくあることだし、いちいち目くじら立てない方が結果的にみんなハッピーなんじゃない?」と考えるパターン。仕事に対する自分の哲学として、それをよしとするならそれでも良い。しかし自分も仕事をする身として、自分の客に知らず知らずのうちにそういう我慢を強要していると知ったり、考えたりしたら、非常に申し訳ないと思う。なのでやはり、できれば何かの形でその気持ちは伝えたいと思う。
と、ここまで色々と納得できない気持ちをモヤモヤとさせながら色々と考えていたが、ベストな対応としては下記の4番ではないかと結論づけている。
「あの、今日おすすめメニューの肉を一切れ落とされたんですけど、それについて何も無かったんですよね。私はこのお店が好きだったので、とても残念でした。私としてはまたこのお店の料理を食べたいと思っていますので、次、期待していますね」
妻や他の客がいないところで、帰り際にコソッと当事者の店員にこの形で伝える。そうすれば、自分は自分で思った気持ちを正々堂々と相手に伝えることができるし、妻はその場を見ずに楽しい週末を過ごせるし、他の客も嫌な思いをせずに済むし、店員は店員で自分のサービスに対しての行動を振り返ってくれるのではないだろうか。
日頃から人に対して正直に自分の意見を堂々と伝え慣れていないせいか、帰宅後の今になってこの答えにたどり着いたことがもどかしいが、その場でこういう形でお店に対してフェアに、自分の気持ちを伝えることができたら、とても気持ちが良いと思う。こういう判断を瞬時に、正々堂々とフェアにできる自分でありたいと思う。