はてなキーワード: 證誠寺とは
人はこの世に存在する全ての事象それぞれに、各々様々な思いを持って生活をしているはずである。
無論、ネット上で多くの意見を見てみれば、自分はまさしくこれが言いたかったのだ!と思うような論説に出くわすこともあるだろうが、その論説がこの世にいる全ての人の気持ちに当てはまるわけでは当然ない。
私は小林旭が歌う「證誠寺の狸囃子」の「つ、つ、月夜だ」の部分の発声を聴いた時、この世に生を受けて良かったー!と泣くほど感動したし未だに死にたくなるとそれを聴いては生きてて良かったー!と思うというのに、テレビをつければ「みんなこれが聴きたかったんでしょ?」「お待たせしました!」「みんな大好き!」と囃し立てられて星野源が歌っている。何故だ。
私にとって生きていて良かったと思わせてくれる音楽が小林旭の證誠寺であるなら、誰かにとって星野源が生きていて良かったと思わせてくれる音楽だということは十分理解しているつもりだ。そしてテレビに星野源が出て歌っていることも別にそれが悪いと言っているわけではない。(本当は結構嫌いだからテレビに出てるとなんでだよ!ってなるけど今回は関係ないのでその話はまたの機会にする)
何故テレビが、テレビごときが、我々の意見の代弁者みたいにみんな大好きとか抜かすんだ。20代女性に人気!と範囲を限定しても違う。違うだろ。素敵だなあと思ってる歳上男性に、やっぱり若い女性は星野源とかが好きなのかな〜とか思われてたらどうすんだ!!思われていたとして機会があれば否定して終わりだが思われたくもないんだ私は!
ついでだが政権批判をする人々で「国民は激怒しています!」などと主語が「国民」になる人がいる。数を味方につけなければ弱い力だから仕方ないね。
だがそういう言説を見ると「国民1億人に聞いた!好きなアニメソングランキング!」を見た時の「答えてないけど」と同じような気持ちになる。