はてなキーワード: 疑問符とは
ええー?
はてブの人達当たり前だからあげてないだけなのか? それとも最近のブックマーカーはこの作品知らないの? そんな複雑な思いを抱いてしまった。
自分で1個前に書いたことを忘れるのか、とぼけられると思ってるのか、
あとそれとさ、最近流行りのシドニアの名前はしってるけどバイオメガを知らないって、にわか扱いされても仕方ないと思うけどどうなの?
そして、やっぱり
「俺は知ってる自慢」
「俺が知ってるこんなのも知らない奴をバカにしたい」
じゃんお前のモチベーションは。
1個前どころか同じエントリで否定したことをすぐさまやってどうする。
いや無理があるだろ。
疑問符つけてるでしょ。ブックマーカーがあえて挙げてないだけなのか? ってな。
バイオメガの項目も挙げられていないから挙げておく、と丁寧に誤解を解くように書いてる。
ほら、こうして丁寧に誤解のないようにだよ。
しょっぱい保険かけようとするティキンだけど
それが保険にもなってない低能さ。
お前には確かな器があるよ。
ニコニコ動画においてマリオメーカーの実況動画がランキング上位を占拠し、それがニコ動全体を衰退させるのではないかという意見を表した動画が投稿されて、現在賛否両論の嵐で炎上中である
しかし、私はこの騒動自体がそもそも虚構、厳密にはその虚構が騒動として祀り上げられているのではないかと考えている
大百科スレ内6966においても言及したが、普段からyoutube及びニコニコ動画を利用する身として、騒動自体に疑問符が付く点が幾つかあるのだ
・ランキングから動画を見ている層は果たしてどのくらい存在するのか
・ランキングが占拠されて煩わしいのなら合算以外や他ジャンルを見れば済むのではないか
・騒動自体ある実況者が「問題」として話題に出さなければここまで騒動にならなかったのではないか
・過去にも存在した「ランキング制圧」で済んでいた程度の事態がわざわざ「マリオメーカー問題」と祀り上られたせいでいつの間に「ランキング制圧騒動」として発展していったのではないか
と様々な疑問点が思い浮かぶ。
結局のところ、匿名ダイアリーで言うのもアレな気がするが自分の気に入らないものが占拠されているという事自体が気に入らない人々による炎上というある種の「お祭り」ではないのか
http://www.tv-tokyo.co.jp/index/timetable/index_after.html
新番組のみ
(注意書きない限り前期番組も同様)
(・10月4日-日曜07:24 PEANUTS スヌーピー-ショートアニメ-)
・10月4日-日曜07:30 ディズニー・サンデー「ちいさなプリンセス ソフィア」
・10月4日-日曜08:00 ポケモンの家あつまる?(疑問符までが番組タイトル)
・10月3日-土曜10:00 妖怪ウォッチ もんげーセレクションズラ!
・10月11日-日曜10:00 カードファイト!!ヴァンガードG新シリーズ?
・10月1日-木曜18:00 かみさまみならいヒミツのここたま
・10月6日-火曜18:30おそらく火曜日のアニメと草津枠2枠目
・10月某日-金曜20:00? [金曜8時のドラマ]某ハマちゃんとスーさんの漫画←追記9.26
・(10月2日-金曜21:54 緑の中の詩)
・10月3日-土曜23:55-24:50 家、ついて行ってイイですか?
(前期番組にはついていないので+55分)
・10月2日-金曜24:12-24:52 ドラマ24 孤独のグルメSeason 5
(枠がここになったので)
・9月28日-月曜23:58-24:45 ニュースなハローワーク 檀蜜 武井壮
-----
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150903/k10010215341000.html]
募集→審査→内定(→変更→再審査)→発表というのが一般的かと思います。
また、応募者とやり取りをするのは事務局(今回は組織委員会の担当部署)です。上記の最初の審査で見られた問題点(場合によっては、応募者からの変更願における問題点)を応募者に伝えます。その問題点をどう変えるかというのは応募者ですので、そこまで指示しては意味がありません。もちろん内定のまま進んだほうがいいに決まっていますので、うまいこと進むよう少し詳しく応募者に知らせることはあります。
審査委員と応募者が審査の過程において仲良くやることは、審査というものの性質上、よいことではないと思います。事務局もそうではあるのですが、応募者に対してそこを取り持つ役割が求められます。今回、取り消されはしましたし彼のこれまでの活動の中でやったことで悪いことがあったことも事実ですが、裏でしっかりフォローしてあげていることを願います。
こういったことためにはカウンシル的組織がいい意味で独立していることが重要なのではないかと思いますが、文化系の事業ではPDクラスのいい人材が不足していることが浮き彫りになったと思います。
審査委員に進捗が知らされていなかったこと。これはありえません。事務局として失格です。
また、再審査の資料が発表1週間前にきたら、検討してどうにかする時間はありません。どうせすぐに上がってくるわけがないのだから、急かさないとダメです。悪い用法として執行するためのゴリ押し手段として用いられるのだから、そうした下衆の勘ぐりの誘発を防ぐためにもです。ただし、今回は規模が規模なのでそれだとは言えません。
加えて、あの理由で取り下げたことや一連の流れにおいては、組織委員会側は何かしら責任をとる姿や通すべき筋を通したという姿を見せるべきです。
門戸を開くことは悪いことではありませんが、これに合致しているかといえば疑問符がつきます。特に今はいたずらが行われる恐れがありますし、永井の発言は妥当です。「そんなことされて当然だ」という思考が蔓延っている界隈のおもちゃになるでしょう。こちらには既にレプリカのおもちゃがあるので、オリジナルのおもちゃを与える必要性は皆無です。下読みに代表される一次審査の経験者ならばこの危うさはご理解いただけるのではないでしょうか。
それに、今回のものが理解されないのは当然としても、多数のみんなに選んでもらいましたで終わらせることの危険性も大きなものです。これは理想であり、人類のアップデート後に行ってください。
「理解が得られない」ではなく、理解させるのがデザイナーの仕事であり、各委員会メンバーの仕事です。特に委員会はクリエイターを守るために全うしてください。
「現在の常識では不可能です」終わりになってしまうので、本来なら説得力のあるガジェットを用意しなければならないはずだが「ある日、目が覚めたら異世界にいた。」これだけで終わってしまい以降その現象について付言する作家は極端に少ない。
■言語
いきなり異世界に訪れたとして、偶然言語が同じであったというのは不自然極まりない。言語と文化は渾然一体である。話が通じるならそれなりのバックグラウンドを説明する必要があるが、
異世界と現代日本の妥協点は皆無であり。「なんだかわからないが、話は通じるようだ。」で終わってしまう。
そのわりには、単語を知っている知らないという茶番は多いのだが。(特にネットスラング関係)
そもそもエルフなんかの場合、外見から可聴域で会話していない可能性もあるのだが。
純ファンタジーである場合はこの問題はそれほど難点ではないが、旅をする場合、日本のような狭い国土でさえ東北弁に字幕が必要であったりするので言語にリアリティを求めるならば行く先々で言語学習というステップを踏んだほうが良い。
でなければ「カタコト」程度の意思疎通ぐらいしか望めない。大陸共通語等の便利な定義は可能ではあるが、文化的背景が同じであるのだとすればこの異世界は恐ろしく狭いことになる。(四国ぐらい?)
識字はさらに難しくなるが会話ができる状態なら識字については物語の進行上それほど問題にならない。
■単位
いきなり異世界ではこの点は問題にならない、素直にメートル、キログラム、で記述して問題ない。
逆に純ファンタジーでは格段に難しくなる、キログラムがポンドに、メートルがマイルになっただけで何がなんだかよくわからないのに、数値を使わず何がどれくらいの大きさでどれくらいの距離にいるのか説明するのはものすごく面倒であり。
また、正しく読者に伝えられるかどうかと言うと疑問符が付く。
馬ほどのモンスターというのがどれくらいの大きさなのか普段馬に接していないと感覚的にわかりづらい。家ほど竜といってもその世界の家がどれほどの大きさなのかをまず説明せねばならず、「どこそこ街まで馬車で3日の距離」馬車の速度を知っている読者は少ないだろう。
いきなり異世界では、主人公の独白で物語が進む場合これはさほど問題にならないが、異世界人と交流する際、相互の認識のずれを修正する描写を毎回挟まないとならない。いきなり異世界であってもやはりその異世界には独自の単位が存在しているのは自明であり、5kmをkmを知らない人間に説明する描写が不可欠である。これは逆でも可。
■食料
いきなり異世界では現代の日本人が異世界に赴くパターンであると思う。
だが、現在の日本人は虚弱であり異世界の食生活になじむのには相当に時間がかかると思われる。そもそも食材が異世界産であるので食べられないという指摘もあると思うがハビタブルゾーンを考慮してある程度地球に近い食べ物があるという推測は一応立てられる。
異世界の技術水準が中世である場合、日本人の胃腸が耐えられる可能性は非常に低い。飲み水の確保すら難しいと思われる。
インド人ならいけそうな気もする。
■病気
異世界の歴史が数千年を超えている場合、未知の感染症、寄生虫のリスクがあるのはほぼ確定的であり。耐性をもっていない現代人は即死の可能性が高い。
インド人でも無理だろう。
■暦
異世界の年単位、昼夜の間隔、さらに言えば時間間隔が偶然地球と同じであることは想定しにくい。
その相互の違いの説明無しに時間制限を設けたりするとリアリティと言う側面では違和感が残ってしまう。
異世界人の年齢をいちいち10代に設定してあるのは何基準なのだろうか。
本来なら最も異文化を象徴し、十分に説明しなければ異世界の世界観を説明できないのでは無いかと思うが。
あいまいなままなんの説明も無く、貴族や国王といった地球由来の価値観で定義してしまっている。(それも地球産のものよりも、すごく雑な形で)
大体において貴族、国王、ギルドという言葉だけで理由は無いがそういうものだということで説明を放棄し、これらが前提として話が進む。
※白熱光を読んだけどもうね、何一つ理解できなかった。
細川政権でわかったのは、社会党に与党は出来ないということだった。
何かと政策に対して原理主義的に主張をし、まだ足場の固まってない政権基盤を崩しまくっていた。
村山政権では自民党がうまく御していたけど、社会党の態度軟化を見れば、足場の硬さからくる交渉力の差だったのは明白だった。
だから交渉力をつけてから政権につかなければ、スグにまた崩壊するのは目に見えていたのに、鳩山政権でもこりもせずに同じ現象が見て取れた。
今度は社民党だったが、政権基盤を盤石にしたい民主党首脳部は社民党に配慮した結果、沖縄で大ゴケし、その後の崩壊は目を覆うばかりだったと。
正しい政策判断をするには政府内の情報が欠かせないのに、その殆どが自民党内部にしか無かったということ。
自民党は部会を作り、そこに官僚が積極的に関与して長い時間を掛けて政策を練っている。
そうやって、内部調整をしてから表に出さないと、組織としてのまとまりに疑問符は付けられるし、国民からウソを言っているように見られると。
それが故のグダグダは、かなり見てきたよね?
この問題については、事前に解消する動きはあったと思う。
多分だが、小沢一郎あたりはその辺を熟知していたので自民・民主の大連立を目論んだのだろう。
じゃぁどうすればいいのか。
このまま自民党に任せる案が一つ。
しかし、いざという時に替えがきかなくなるリスクがつきまとう。
他は大連立をしてからの政界再編か、もしくは野党の部会にも官僚が積極的に参加できるように部会に法的根拠を与えるか…。
どれもイマイチ。
パッキャオ・メイウェザー戦も近くなり世間のボクシング熱が盛り上がってまいりました。
メディアではパッキャオは貧民上がりのアジアの英雄で、メイウェザーは金の亡者でヒールキャラという構図がされてるようですが、パッキャオが練習をサボって遊びまわっていた事などは誰も触れない。
まあ先の話は置いておいて、先日の井岡・レベコ戦でも振り返ろうかと。
この試合、完全に井岡の作戦勝ちでした。まずマッチメイクから振り返ると、井岡は階級を上げてまだ数戦でレベコは長期政権を築いていました。
井岡は前々回にアムナットに完封されたわけですが、アムナットの特徴は足を使ったアウトボクシングで、クリンチなどのダーティーな技も多用。リーチでは井岡より上で、井岡のガードの間を破るアッパーが得意でした。
今回のレベコは基本的にファイターよりで好戦的なスタイルを好み、身長では井岡より10cmほど低く、またパンチはフック系のパンチが多くいです。
このように正反対の特徴で、井岡が苦手な点を尽く潰してのマッチメイクになっています。井岡陣営のマッチメイクは強化版亀田とか、メイウェザーに近いものがあって、苦手なタイプであったり圧倒的な強者との試合を避ける傾向にあります。
実際の試合では、序盤の動きのクオリティーではレベコが良かったものの、井岡は慎重に戦います。懐を深く構えて、身長差を活かしたリードジャブ中心の攻撃でレベコの射程を徹底的にさけていました。
レベコも井岡の左ジャブを避けてからのボディフックなど考えてはいたものの、攻撃の多くは届かず、逆に責めるところをジャブでカウンターを取られる形が多かったです。
そのまま試合は流れて、中盤でポイント差を気にしたレベコが攻勢をかけるも、井岡はカウンターのジャブとガードで相手にせず、最後までポイントアウトしていった形です。
レベコの研究不足もあったと思います。一つ前の前哨戦でも井岡はガードの間を打たれていましたし、その間を通すアッパー系のパンチとか、体を寄せて自分の距離で戦える戦法を準備していなかったように思えます。
試合としては、八重樫井岡戦に近いものがありました。ミニマムからの井岡の相手を見てもそうですが、このタイプの選手には井岡は強いです。距離感がいいので、リードジャブを使いながら自分のペースで戦えます。
でも、選手としての戦い方の幅が広がったのかと言われると、疑問符がつかざるを得ないでしょう。この戦い方では軽量級塩決戦を制したアムナットはおろか、ゾウシミンにすら勝てない気がします。
軽量級の日本のスターは完全に井上尚弥で、今後この路線を続ける限り井岡がスター街道に返り咲くのは無理でしょう。
さて、パッキャオ・メイウェザーの予想ですが、メイウェザーがパッキャオを塩漬けにして12R大差~中差の判定勝ちと予想します。
今までのパッキャオの動きではメイウェザーを捕らえられるとは思いません。かと言ってメイウェザーが攻撃的になるとも思えないので、パッキャオは捨て身で攻撃的になるしかないでしょう。
両者ともに耐久力がある選手なので、あまりKOという展開は考えられないです。
一昔まえの、クロッティやコットをガードの上からめった打ちできたパッキャオならロープ際まで追い込んで優位に立てたかもしれませんが。
2014年12月、注目業界のクラウドワークスが上場を果たした。同業界において日本ではランサーズが2008年から事業展開していたが、後発の先行IPOとなった。そして2月、最初の四半期決算(2014年10月~12月)が発表。前四半期ではダウンするものの、発表資料においては、前年同四半期比での発表となり、好印象に映る。そもそも赤字計画であることからも、業績においては大きな違和感はない。先日話題になったgumiとは違うところだ。
一方、明るい兆しも見えている。積極的な広告投入により、大幅に会員数を伸長。2015年1月は、月間新規登録数を3万人に伸ばし、累計30万に至ったようだ。10月~12月四半期の発表で、2015年1月の状況をサマリー(2ページ目)や、かつてないペースで成長と記載(8ページ目)しているところを見る限り、大きなアピールポイントとみえる。とはいえ事実だから、全く問題ないだろう。
まずは以下をみてほしい。ユーザー名は、「hjytut6uuthgfgb」だ。
http://crowdworks.jp/public/employees/375663
クラウドワークスのURL構造は、会員番号順に並んでいる。URL末尾がおそらく会員番号だと思われるがそれをみると、実際に会員数は大幅に伸びている。2015年1月に3万人の新規登録数だが、2月以降はさらに加速しているようだ。
しかし、やはり疑問が浮かぶ。通常、Webサービスに登録する場合は、名前と誕生日の組み合わせ、ニックネームなどが多い。もちろん個人情報の観点から判別しづらい名前をつけるケースもあるだろう。ただ、とはいえ、限度はあるだろうし、「hjytut6uuthgfgb」のようなケースが多すぎるのだ。試しに末尾の番号を順番に検索していくと、かなりの確率で前述のような、不規則な文字列のユーザー名にあたる(もちろん普通の名前のユーザーも多数いる)。ほんの10分程度で、暇なら試してみるのも面白い。
https://crowdworks.jp/public/employees/419948
https://crowdworks.jp/public/employees/419953
https://crowdworks.jp/public/employees/419767
https://crowdworks.jp/public/employees/419912
https://crowdworks.jp/public/employees/419834
https://crowdworks.jp/public/employees/419960
https://crowdworks.jp/public/employees/419993
ちなみに、IR発表でアピールしている「2015年1月に会員数急増」とあるので、暇ついでにユーザーを調べてみると、昨年12月以前には、上記のような不規則な文字列のユーザーはほぼいない。
昨年は一般的。今年に入り急に不思議と言っても過言ではないユーザー登録が現れる。果たしてこれは何なのか。
赤字上場の是非は賛否両論ある。ただ、あらかじめ赤字と伝えたうえでの上場だけに、その点は真摯といえよう。だからこそ期待から投資している。短期的ではなく長期的にみていきたいと思う。
ただ、前述のような会員数を「高い成長性」とアピールするのは甚だ疑問だ。注目業界、注目企業の動向としてはあまりネガティブに考えたくないが、gumiの件もあっただけに、ついつい脳裏を過ぎってしまう。
実が伴っていればよいが、仮に、実が伴っていなければ、いかに会員数が増えようとも、そもそも広告投資に疑問符が浮かぶ。通期計画は予定どおりのようだが、それでは通期計画自体のヨミがどうなのかという話に発展する可能性は否定できない。
そこでふと思い出すのが以下だ。ベンチャー業界に明るければ記憶にあるだろう。
実態は内側に入れば当然把握できるはずだ。次回の決算発表次第では、個人投資家としては繭を潜めざるを得ないかもしれない。そのときは、株主の端くれとして実際に問い合わせてみるか検討しようと思う。
この業界は日本の大きな課題を解決する可能性がある業界。専業では最初に上場したクラウドワークスには個人的には大きな可能性があると考えているし、おそらく多くの人が同様の想いを抱いているのではないだろうか。だからこそ、誠実に、着実に、成長してほしい。大きな期待をしているだけに、記憶に新しいgumiの二の舞にはなってほしくないからこそ、あえて疑問を投げかけてみたい。
2014年12月、注目業界のクラウドワークスが上場を果たした。同業界において日本ではランサーズが2008年から事業展開していたが、後発の先行IPOとなった。そして2月、最初の四半期決算(2014年10月~12月)が発表。前四半期ではダウンするものの、発表資料においては、前年同四半期比での発表となり、好印象に映る。そもそも赤字計画であることからも、業績においては大きな違和感はない。先日話題になったgumiとは違うところだ。
一方、明るい兆しも見えている。積極的な広告投入により、大幅に会員数を伸長。2015年1月は、月間新規登録数を3万人に伸ばし、累計30万に至ったようだ。10月~12月四半期の発表で、2015年1月の状況をサマリー(2ページ目)や、かつてないペースで成長と記載(8ページ目)しているところを見る限り、大きなアピールポイントとみえる。とはいえ事実だから、全く問題ないだろう。
まずは以下をみてほしい。ユーザー名は、「hjytut6uuthgfgb」だ。
http://crowdworks.jp/public/employees/375663
クラウドワークスのURL構造は、会員番号順に並んでいる。URL末尾がおそらく会員番号だと思われるがそれをみると、実際に会員数は大幅に伸びている。2015年1月に3万人の新規登録数だが、2月以降はさらに加速しているようだ。
しかし、やはり疑問が浮かぶ。通常、Webサービスに登録する場合は、名前と誕生日の組み合わせ、ニックネームなどが多い。もちろん個人情報の観点から判別しづらい名前をつけるケースもあるだろう。ただ、とはいえ、限度はあるだろうし、「hjytut6uuthgfgb」のようなケースが多すぎるのだ。試しに末尾の番号を順番に検索していくと、かなりの確率で前述のような、不規則な文字列のユーザー名にあたる(もちろん普通の名前のユーザーも多数いる)。ほんの10分程度で、暇なら試してみるのも面白い。
https://crowdworks.jp/public/employees/419948
https://crowdworks.jp/public/employees/419953
https://crowdworks.jp/public/employees/419767
https://crowdworks.jp/public/employees/419912
https://crowdworks.jp/public/employees/419834
https://crowdworks.jp/public/employees/419960
https://crowdworks.jp/public/employees/419993
ちなみに、IR発表でアピールしている「2015年1月に会員数急増」とあるので、暇ついでにユーザーを調べてみると、昨年12月以前には、上記のような不規則な文字列のユーザーはほぼいない。
昨年は一般的。今年に入り急に不思議と言っても過言ではないユーザー登録が現れる。果たしてこれは何なのか。
赤字上場の是非は賛否両論ある。ただ、あらかじめ赤字と伝えたうえでの上場だけに、その点は真摯といえよう。だからこそ期待から投資している。短期的ではなく長期的にみていきたいと思う。
ただ、前述のような会員数を「高い成長性」とアピールするのは甚だ疑問だ。注目業界、注目企業の動向としてはあまりネガティブに考えたくないが、gumiの件もあっただけに、ついつい脳裏を過ぎってしまう。
実が伴っていればよいが、仮に、実が伴っていなければ、いかに会員数が増えようとも、そもそも広告投資に疑問符が浮かぶ。通期計画は予定どおりのようだが、それでは通期計画自体のヨミがどうなのかという話に発展する可能性は否定できない。
そこでふと思い出すのが以下だ。ベンチャー業界に明るければ記憶にあるだろう。
実態は内側に入れば当然把握できるはずだ。次回の決算発表次第では、個人投資家としては繭を潜めざるを得ないかもしれない。そのときは、株主の端くれとして実際に問い合わせてみるか検討しようと思う。
この業界は日本の大きな課題を解決する可能性がある業界。専業では最初に上場したクラウドワークスには個人的には大きな可能性があると考えているし、おそらく多くの人が同様の想いを抱いているのではないだろうか。だからこそ、誠実に、着実に、成長してほしい。大きな期待をしているだけに、記憶に新しいgumiの二の舞にはなってほしくないからこそ、あえて疑問を投げかけてみたい。
当方168cm、47kg。
顔見知りの人間に、「ちゃんと食べてる?」とことあるごとに言われる程度の体型。
まあ、ちゃんと食べてる。少なくとも見た目よりは。
痩せ体質の人間ならわかると思うけど、たくさん食ったところで、そのまま下に出ていっちゃうんだよね。腹痛を伴って。
家系で麺300gを平らげ、食後のデザートでみたらし団子とドーナツを食べても(多分少ないと言われるのだろうな)、なんの影響もない。
となると、太るためには消化を良くするサプリメントを毎日摂取して、栄養を吸収できる胃腸に作り変え、その上で適度な運動をこなさないといけないのだ。
正直、めんどくさすぎる。食費がかさむ分、ダイエットより大変じゃないか。痩せていることにコンプレックスがないわけではないが、そこまでして太りたいかというと疑問符がつく。
なんだかんだ、「そんだけ食ってその体型?」と言われることに快感を覚えるようになってしまったのだ。その言葉がたとえ侮蔑を伴おうとも。
あらぬ誤解を招く危険性があるため作品名は伏せておくが、自分はこれらの(深夜)アニメや漫画に興味がある。
しかし以下の3点より、自分は深夜アニメに手を出すべきではないと考えている。
中学生時代、自分は年甲斐もなくある特撮ヒーロー番組にはまってしまい、そこからテレビの特撮ものをとりあえずチェックする悪習がついてしまった。
その後もずるずると特撮ものを見続けている。しかし、特撮ものの放映は週に数本程度である。
自分は特撮もの以外でテレビを見ることはないため、これらの放映を全部チェックしたところで大した労力にはならない。
一方アニメは新作だけでも週に数十本のペースで放送されている。特に一部の独立U局では日に数時間アニメを流しているところもあるという。
また、筆者の特撮ものの視聴スタイルを踏まえると、「とりあえず全部チェックするか」ということになりかねない。
そうした場合、かなりの時間をアニメ視聴に奪われることとなるが、それが果たして健康的・文化的な生活か疑問符がつく。
かなりの数の深夜アニメが制作されていることは先述したが、これらのアニメを制作するクリエイターの労働環境は非常に劣悪であるという。
この背景としては、教育社会学者の本田由紀氏が指摘した「やりがい搾取」があると考えられる。
さて、劣悪な労働条件下で制作された深夜アニメを視聴し、それを視聴し買い支えることは、結果として「劣悪な労働条件なんて問題ではありませんよ」
「クリエイターの待遇なんかより自分の快楽が重要ですよ」というメッセージをクリエイターに向けて発することに他ならないのではないか。
そしてそれが劣悪な労働環境を温存せしめ、ひいては日本全体の労働環境をも劣悪化せしめる結果にもつながりかねないように思える。
古今東西、多くの創作物にはメッセージ性が込められている。そしてそれ自体は問題でもなんでもない。
しかし中には、著しく偏ったイデオロギーがメッセージ性の中に内包されている創作物も存在すると聞く。
この際、作品に込められたメッセージ性が作品ごとに多様であるならば、たとえ著しく偏ったイデオロギーがメッセージ性の中に内包されていても問題とは思えない。
しかし作品に込められたメッセージ性がどれも似たり寄ったりであるなら、創作物は瞬く間に洗脳装置に堕してしまうだろう。
つまり著しく偏ったイデオロギーを内包した創作物に継続的に接触することで、最終的にはそのイデオロギーを内面化してしまうのである。
さて、深夜アニメの現状を鑑みた場合、作品に込められたメッセージ性に多様性が担保されているかについては疑問が残る。
この理由としては深夜アニメのマーケットはほかの映画やテレビドラマと比べて小さく、その需要者層が限られた層であるということがあげられる。
また、深夜アニメの情報をキュレートするwebサイトの中には、排外主義を扇動するものも存在している。
これらの点より、作品に込められたメッセージ性に多様性が担保されているかについては疑問が残るとともに、結果として特定のイデオロギーを知らず知らずのうちに
自分は深夜アニメに手を出すべきではないということは頭では分かっているが、深夜アニメの誘惑に負けそうになる。
勿論深夜アニメの誘惑に負けることは法律違反ではない。また、人の道に反するとも一般的には認識されていない。
しかし自分の場合、何らかの方法で対処をしなければ深夜アニメに手を出し、そして自分や周囲、社会に様々な害悪をまき散らすと考えている。
違法薬物などのように誘惑に打ち勝つ方法が体系化されているわけでもない。しかし深夜アニメの誘惑に打ち勝つ妙案はないものかと思う。
なんですぐに白か黒か決めたがるんだろうな。
元増田にとっては、名作SFというのはどうなんだろうという意見で、それはそれであってる。
いやいや名作だろSFだし、面白いじゃん、という反論意見も、それはそれであってる。
ただそれだけの話。
いちいち、こいつ馬鹿か、とか、こいつの考察は間違ってるとか、いうやつはなんだ。
どんな名作で広く一般的に認知されていても、良しとしないやつは絶対いるし、別にそれでいいじゃないか。
かくいう俺も、プラネテス自体は面白いとおもうが、名作かというと微妙な所だ。
SFって、こうあるべき、というのが逆になかったりするジャンルだし、
作者がこれSFなんですよっていえば、SFになるわけだし、批評家がSFだといえばSFになるし。
そう考えると、SF作品なんてたくさんあるわけで、小説も合わせるとそれはすごい数になるわけで
その中で、一番ベストがプラネテスです、といわれると疑問符も浮かんでくるというものだ。
だいたいさ、周りの人がすすめてるから、面白いっていってるやつも多いだろ。
これが一般的にはまったくおもしろくない作品だと言われまくっている状況でも、
いやこの作品は名作だ!って言えるやつがどんだけいるんだよと思う。
ちょっとおかしくないですか? 若干旧聞ではありますが、やまもといちろう氏との一件でもやっと感じたことが、なんとなく形になってきたんで。
もともとリフレ派ってのは、リフレ政策に賛同することが唯一の要件であって、その余の話は問わない、ってーのが定義だったはず。リフレ政策の定義は、矢野浩一氏(が引く岩田規久男氏)の定義によれば、インタゲ+無制限長期国債買切りオペ。すなわち、インタゲ+無制限長期国債買切りオペに賛同するなら、他の政策についての賛否がどうであれ、リフレ派のはず。ところが最近では、消費税増税に賛成していると、反リフレ派扱いじゃん。やまもと氏もそうだったけど、黒田東彦氏や山本幸三氏も、消費税増税に賛成しているというだけで、彼らは皆リフレ政策には賛同しているというのに、よくて疑問符を打たれ、多くの場合確定的に、財務省の回し者の反リフレ派として扱われるばかりです。
百歩譲って、リフレ派=景気重視なんだから、前述の矢野・岩田両氏定義を拡張して、景気に悪影響を及ぼす政策に反対することをその定義に含めるのは合理的としましょう。でも、それなら、消費税増税+その悪影響を相殺するだけの財政出動だっていいじゃないですか。ところが、リフレ派と自認してツイートしたりブログを書いたりする人々は、その全員が消費税増税延期か、増税反対を主張するばかりで、消費税増税は必要だという人に対しては、じゃあ財出を増やさないとね、などと言うことなく、ひたすら景気悪化に目をつぶるバカと悪罵を投げるばかり(こちらのアンテナの感度が悪く、そうでない意見を見落としていたらごめんなさい)。いや、もちろん消費税増税に反対したっていいんだけど、それは「消費税増税反対派」として、リフレとは独立した議論としてやって欲しいんですよね、リフレ以外の話は不問だという甘言にも惹かれてリフレ派な自意識を持つようになった身としては。
世論調査の数字などを見る限り、世の中に相応に消費税増税に賛成な人々はいるはずで、もともとの定義通りのりフレ派であるなら、その中に一定の消費税増税に賛成な論者がいてもおかしくないはず(前述の拡張定義に従って、財出強化を合わせて主張することを求めるにせよ)。にもかかわらず、消費税増税反対一色に染められているようにしか見えない現状は、すごく不健全なんじゃないですか? リフレ政策に賛同さえするなら、本当にリフレ派になれるんですか? リフレ政策に賛同しているけど、消費税増税反対には意見を留保したい僕は、リフレ派なんですか?
believemeimaliarとkurahito3の消滅直後に突如現れた(が1週間前を最後に活動停止している)believemeimakurahitoはbelievemeimaliarなのかkurahitoなのか第三者なのかについて、両者のブコメに関する記憶を便りに考えてみた。記憶違いがあったらごめん
believemeimakurahito 黒人女性に擬人化はよ
believemeimakurahito 契約書はよ
believemeimakurahito はてフェミ突撃はよ
これらはいずれもタグ。どのタグも、kurahitoがしょっちゅう使っていたはず。believemeimaliarも使ってたかもしれないけど
believemeimakurahito 参考になる 膣トレの賜かな?
believemeimakurahito はるかぜちゃんかな?
kurahitoは「○○かな?」をよく使っていたが、believemeimaliarは基本「○○かな」と疑問符無しで使っていたはず。
believemeimakurahito 三十路中古未婚力 今回の騒動、あくまでも断定ではなく疑いではあるが、お互いに体調不良や精神障害(人格障害?)を抱えていたかもなので?病を憎み人を憎まずと言ったところでこれにて閉経かな?参考URL:http://goo.gl/qbpKrB
「三十路中古未婚力」というワードはなんとなくkurahitoっぽい気がする。
believemeimakurahito 豚まんじゅう
これは http://kyoumoe.or-hell.com/Entry/9/ へのブックマークだが、id:kyoumoeに対しては、believemeimaliarはここ最近を含めて何度も言及していた(d:id:kyoumoeの閉鎖のお知らせの記事のブックマークで、このブログのURLを貼っていたし)が、kurahitoは、kurahito3になってからは言及してない気がする
believemeimakurahito …
believemeimaliarは「…」だけのブコメをしたことがある(確か複数回) 一方kurahitoは記憶の限りではない
質問1
残虐な行為に対する抵抗度を考えるときに、質的な違いがあるとこに区切り入れるとすると、
a)対虫 | 対動物 | 対ヒト
b)対虫 | 対動物・ヒト
どっちを想定します?
その場合、件の女子高生がネコを解体していたからといって、ヒトを解体することは時間の問題ではなかったよね?
なんか、父親の責任追及のネタにしてる人いるけど、変だなーと思ったので。
その場合、(家畜はともかくとして)野生動物を食べることに対して抵抗はないの?
僕自身は捕獲して殺して食べるってたとえ家畜であっても残虐だよなーと思うんだけどね。
あと薬物混入もちょっと気になってる。僕の小中学生時代は、僕も周りも、理科で使う薬剤の危険性に対してひどく鈍感でした。
水酸化ナトリウム水溶液(水ナトって呼んでた)を触って、「なんかぬるぬるする〜w」「ちょwやべえ指紋薄くなったw」とかしてましたし。
なので、クラスメイトの給食に塩酸を入れるのが普通ではなさそうなことはわかるんですけど、ヒトに残虐性を向けた行為だったのかは疑問符です。
「みんながなんとなく超えない一線を超える性質」と「ヒトに対する残虐行為を実行する性質」は必ずしも一致しないと思います。
例えば花火の火薬集めて鉄パイプ爆弾つくる、っていうのは前者に当てはまるけど後者には当てはまらないよなあ、とか。
混入の件はサーベイ不足なんでおまけです。
インターネット上では、失言やスキャンダルを追及すると、追及した側にも失言やスキャンダルが発覚し、
しかし、ここでいうブーメラン効果は心理学の効果についてです。
ある人が、他の人を説得しようとした結果、その相手が説得する側の意図する意見と
そのブーメラン効果を利用した情報操作の手法が、ソ連共産党の手法としてWikipediaに取り上げられています。
つまり、官制マスコミの報道への不信感や反体制派への同情を逆手にとって、
逆説的に体制にとって都合のいい方向に誘導するという手法というわけです。
俺は遠隔操作ウイルス事件の片山祐輔被告の最近の動向を見て、この「ブーメラン効果」を思い浮かべたからだ。
「真犯人からのメール」が荒川の河川敷にスマートフォンを埋めた上での片山被告の自作自演だと報じられた。
それが警察の捏造だというなら堂々と反論すればいいはずなのに、片山被告は記者会見をすっぽかして逃げた。
俺も片山被告は冤罪だと信じていたけれども、以降はクロだったんじゃないかと疑い始めるようになった。
そしてその翌日、片山被告はあっさり遠隔操作ウイルス事件の真犯人だと認めてしまった。
さらに前日の会見で、河川敷のスマホを「味噌樽のズボン」と袴田事件を引き合いに出して警察による捏造だと
強く示唆したはずの弁護人でさえ、あっさりと無罪主張から手を引いてしまった。
その結果どうなったか!?
警察や検察の取り調べや捜査の手法に批判的な人が大勢釣られ、面目は丸つぶれだ。
もちろんこれで警察、検察の手法が正しいということにはならないが、
片山被告の冤罪を主張してきた人々の主張の信憑性に疑問符が付く印象が付くように操作される結果となった。
警察や検察は、まさにマスコミや警察、検察への不信感を逆手にとって、
まんまと多くのジャーナリスト、ネットユーザーらを釣ったことになる。まさに入れ食いだ。
「好きな男以外に性的な目を向けられるのなんてむしろ苦痛」だったり
「お洒落をするのは女性の目を気にするから。男性受けは二の次」なんて言い方は昔からされてるような気がする。
「性的対象になる」ことと「愛される」ことは、伝統的な女性の価値観じゃイコールではないような。
「性的対象として見られたい。それによって自分の価値を確認したい。そのためならば相手は問わない」
承認欲求の満足度を、『質的(=誰に認められるか)』より『量的(=どれだけたくさんに認められるか)』に計るというかね。
(女性ならこう、男性ならこうって決め付けるわけではなく、“伝統的に言われている”男性的・女性的な価値観で言うと、だけど)
ただ、「愛されたい」=「“勝者になりたい”ではなく、“勝者による被庇護者になりたい”」だったり
「よき支配者に、被支配者として可愛がられたい」みたいなニュアンスであればわかる気はする。
つい先日クリミアが独立宣言を行い、さらにロシアが併合を決定しました。
ここはてなでも一連の流れを受けて様々な議論が巻き起こっていますが、本稿ではクリミアがウクライナから独立した件に絞って、国際法の観点から分析していきたいと思います。併合の是非については触れません。あくまでも、分離独立した件についてのみです。なお、筆者はこの分野に明るくないので、間違いがあれば遠慮なく指摘してください。
「旧ソ連時代以来ウクライナ共和国内の自治共和国として存在していたクリミアが2014年3月11日に行った独立宣言の是非について」
新たな国家が成立するためには、(i)領土(ii)住民(iii)実効的な政府(iv)外交能力の四つが必要であるとされています(この内(iv)は(iii)の一部として考えられることがよくあります)。とは言え、これらは絶対的なものではなく、第二次大戦後の非植民地化の過程において、実効的政府要件に関しては「自決権」の名の下で緩和されることがよくありました。「自決権」とは何かというのはまた難しい話なのですが、国際人権規約共通第一条は、すべての人民がその政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する権利と定義しています。これに関連して、1960年に「植民地独立付与宣言」が国連総会で採択されましたが、その中で、植民地は、植民地住民の意志によって独立することが可能であるとしており、植民地住民の自決権を否定する"国家"は、たとえ上記の四要件を充足していても、"国家"として認められないこともありうるのです。この文脈において自決権は、政治的独立・自治達成のための根拠としてとらえられているので「外的自決権」とも称されます。
外的があるなら内的もありそうな話なのですが、実際にあります。「内的自決権」とは、植民地住民ではなく、独立国家内部の人民の自決権です。ここで注意しておきたいのは、分離独立は、元の国家が存在しているという点において分裂と異なり、植民地支配からの脱却のための自決権行使ともまた違うということです。
さて、国連総会が1970年に採択した友好関係原則宣言の中の一部を、少々長いですが、見てみましょう。注目すべき箇所は3/4あたりからのくだりです。
国際連合憲章にうたわれた人民の同権及び自決の原則によって、すべての人民は、外部からの介入なしに、その政治的地位を自由に決定し、その経済的、社会的及び文化的発展を追求する権利を有する。いずれの国も憲章の規定に従ってこの権利を尊重する義務を負う。
いずれの国も、共同の行動及び個別の行動を通じて、憲章の規定に従って、人民の同権及び自決の原則の実現を促進し、また、
(b)当該人民の自由に表明した意思に妥当な考慮を払って、植民地主義を早急に終了させること、
を目的として、かつ、外国による征服、支配及び搾取への人民の服従は、この原則に違反し、また基本的人権を否認するものであり、したがって憲章に違反するものであることに留意して、この原則の実施に関して憲章により委託された責任を遂行することについての国際連合に援助を与える義務を負う。
いずれの国も、共同の行動及び個別の行動を通じて、憲章に従って人権及び基本的自由の普遍的尊重と遵守を促進する義務を負う。
主権独立国家の確立、独立国家との自由な連合若しくは統合、又は人民が自由に決定したその他の政治的地位の獲得は、当該人民による自決権の行使の諸形態を構成する。
いずれの国も、この原則の作成にあたって上に言及された人民から自決権並びに自由及び独立を奪ういかなる強制行動をも慎む義務を負う。かかる人民は、自決権行使の過程で、こうした強制行動に反対する行動をし、また抵抗をするにあたって、憲章の目的及び原則に従って援助を求めかつ受ける権利を有する。
植民地その他非自治地域は、憲章上、それを施政する国の領域とは別個のかつ異なった地位を有する。憲章に基づくこうした別個のかつ異なる地位は、植民地又は非自治地域の人民が、憲章とりわけその目的及び原則に従って自決権を行使するまで存続するものとする。
前記パラグラフのいかなる部分も、上に規定された人民の同権及び自決の原則に従って行動し、それゆえ人種、信条又は皮膚の色による差別なくその領域に属する人民全体を代表する政府を有する主権独立国家の領土保全又は政治的統一を、全部又は一部、分割又は毀損しうるいかなる行動をも承認し又は奨励するものと解釈してはならない。
いずれの国も、他のいかなる国又は領域の民族的統一及び領土保全の一部又は全部の分断を目的とするいかなる行為をも慎まなければならない。
この中でも、
前記パラグラフのいかなる部分も、上に規定された人民の同権及び自決の原則に従って行動し、それゆえ人種、信条又は皮膚の色による差別なくその領域に属する人民全体を代表する政府を有する主権独立国家の領土保全又は政治的統一を、全部又は一部、分割又は毀損しうるいかなる行動をも承認し又は奨励するものと解釈してはならない。
の部分は、実は独立国家による領土保全を、自決権主張に対して正当化するために書かれているところなのです。独立国家の人民にも外的自決権を認めようという考えもあることはあります。たとえばケベック分離事件において判示されたように、内的自決権を否定されている人民には、(i)当該実体が自決権行使主体である「人民」であり、(ii)「内的自決権」行使の否定が存在していれば、独立国家からの分離独立が正当化される可能性があります。しかしながら、この二要件の充足は難しい上に、上記の友好関係原則宣言の規定(実はほかに所属国家からの分離独立に関する権利に触れた文書はありません!)や国家実行(チベットやビアフラなど)を考慮したら、内的自決権は、実質的には、まだ国際法上の権利として明確に認められていないといえそうです。とは言え、禁止されている訳ではなく、事実として分離独立が発生する可能性は大いにあり、実際にバングラディシュや旧ソ連諸国などの例があります。
当然のことですが、独立国家から分離独立する際に制約は存在しています。
新国家が独立する際によく参照される国際法上の原則にウティ・ポシデティス・ユリス原則(principle de l'uti possidetis juris)があります。これはローマ法の法原則であるところの「汝の占有する状態で占有を続けよ」に由来するもので、国際法においては中南米諸国の独立において、植民地時代の行政区画の境界線を、独立後の国境とするために用いられました。一見すると明確に思える原則ですが、実際には形式上の行政区画とは異なる実効的支配が行われていることもあるので、なかなか厄介な問題もはらんでいます。とは言え、この点に関しては既にブルキナファソ・マリ国境紛争事件で、法的根拠が実効支配に優越するという形で決着が着きました。また、旧ユーゴスラヴィアを巡る問題では、この原則は独立国家にも適応されうるという見解が示され、さらに民族区分によって国境を画定することは許されないとの見解も出されました。ここに、一つの制約が出てくるわけです。
また、独立主権国家は自国の領域に関して領土保全原則によって守られています。この原則は、領土・領域の状態がそのまま維持されるというもので、植民地以外の国家の一部領域における独立は保障されないとされます。国際秩序の安定性の維持がここで出てくるわけです。
ただ、先述したケベック分離事件を踏まえたら、内的自決権の否定が存在していたら分離独立が正当化される可能性は存在しています。
ここまでつらつらと書いてきましたが、結局最後は政治の問題になります。分離独立が権利として認められていようが認められていまいが、国家承認によってすべての関係性が決定されてくるからです。分離独立が元となる国家の承認を得ていたのなら大きな問題になりませんが、そうでない場合は第三国による承認が政治問題に発展することは容易に想像がつくところと思われます。コソボがまさにそうでした。
国家承認には、第三国が承認して初めて国家として認められるとする創設的効果説と、国家の成立要件を充足さえすれば国家として認められるとする宣言的効果説の二種類の学説がありますが、現代においては後者が通説となっています。なので、たとえある国が新独立国を国家として認めていなくても、当該国家は国家として法的に存在していることに変わりはありません。あくまでも、国家実行としての国家承認は、既存の国家が新国家の成立を確認する一方的行為なのです。しかしながら、それでも国家実行上、国家承認は重要な役割を果たしていますし、国家としての要件を充足していないのに国家承認したら「尚早の承認」であるとして国際法違反になります。かつて日本も満州国を巡り、尚早の承認であるとみなされたことがあります。
やはり欧米の分が悪いかなと。というのも、ウクライナはクリミア自治共和国に対して内的自決権を否定するかのような行動をよく取ってきたからです。また、クリミア自治共和国という行政区画単位での独立を行いましたし、国家としての要件は十分に満たしているように見えます。なので、結局のところ国家承認が問題になってきます。よくコソボが引き合いに出されますが、あれは政治的理由によって国家承認がされる/されないの好例です。国連の暫定統治下にあったとはいえ、当時のコソボは国家の要件を充足していたと一般(欧米社会)には評価されています(したがって国家承認を行っても「尚早の承認」にはあたらないので国際法に則ってる)。今回のクリミアの分離独立もやはり同様の構図と言えるでしょう。理論的に考えたら今回のケースにおいてもクリミアの分離独立を認めるのはもっともな話ですが、国際社会がそれをどうとらえるかはご覧のとおりです。もっとも、ロシアが介入を行っているため、正当性の観点からまた別の問題が存在していることも事実です。また、その後の併合の動きを見ても、結果論ではありますが、果たして分離独立が正当なものだったかは疑問符がつくでしょう。が、あくまでも繰り返しになりますが、本稿は分離独立にのみ焦点をしぼっているので、これ以上は触れません。
実際のところ、マリオ、ゼルダ、マリオカート、スマブラ、そいつらは面白いゲームというだけじゃ許されないからなぁ。
革新的、そのジャンルで最初の作品にして最高傑作、誰も思いつかないし、パクろうとしても、劣化コピーにすらつくれない、そういうレベルのクォリティを要求されてる気がする。
一世を風靡したストリートファイター2以降、スト2ライクな格ゲーがあっちにもこっちにも出てきて、けっこう肉薄するものがあったけれど、ゼルダライクな作品がゼルダに並んだかというと、かなり疑問符がつく。
聖剣伝説はゼルダにあこがれて作ったのがはじまりとかなんとか。
なるほど、だから初期はムチを向こう岸の杭に向かって振って、川を渡ったりする仕掛けとかがあったのか。
呪文乱発するだけのFFになり、殴り倒すだけのファイナルファイトになり、ゼルダとは全く別方向のよくわからない作品となり、ついに4でシリーズごと黒歴史としてなかったことになってしまったのは残念だが。
大神、ワンダと巨像、いずれも悪くない作品ではあるけれど、頭ひとつ以上ゼルダが上だったと思う。
面白いことゲームを考える人というのは、それこそ呼吸するように面白いゲームを考えられるのだと思う。
子供が新しい鬼ごっこのルールを考えるように、なにもないところから、唐突になにかが生まれる。
面白いだけでいいなら、今すぐに作れるんじゃないかな。
スーパーマリオブラザーズ3を思い出してほしい。
例えば自分が開発者だとして、「ファイヤーマリオで火を出したから、次は水とか雷でも出させるかなぁ」って思っちゃうと思うんだ。
そこを、しっぽマリオとか、クツマリオ、地蔵マリオ、凡人には考えつかないし、俺が上司だったら企画書破り捨てるね。
悔しいことに、スーパーマリオブラザーズ3は超面白かったんだけどさ。
話を戻して、ニンテンドウ64以降、ただ面白いだけじゃ済まされない、レジェンド級のソフトであることを要求されてる。
64、GCではゲームを変えること、Wiiでは遊び方を変えることを宿命付けられていた。
WiiUでは、リビングを変えたり、生活を変えるほどのなにかをしたいんだろうね。
残念ながら、僕みたいな凡人には、そんなゲームが思いつかない。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2013/12/21/093819
こういうヨタ話を、真偽定かでない、という前提で広めることは、遠まわしな化学へのディスリスペクトであると思うので突っ込んでおく。
元記事を要約するとこうである。
20年前、学生実験で、アルカリ金属の爆発事故が起こり死人が出た。この学生実験は、学生自身がテーマを決めて行う形式で、アルカリ金属の水への反応速度を測定することを目的としていた。アルカリ金属は本来石油中に保管するべきものであるが、石油が蒸発してなくなっており、蓋を開けると発火したためあわてた学生が水をかけた。この水は発生する気体の体積を水上置換により測定するために用意されたものであった。爆発がおこり、巻き込まれたり戸棚のガラスがささって、複数の負傷者が出た。一人が後に亡くなり失明した人もいた。この事故は今でもアルカリ金属の危険性を示すために話されている。
もう書くのも面倒になるくらいデタラメで突っ込みどころが多いのはおわかりだと思う。
まず事故の事実関係であるが、おれは90年代に大学で化学のお勉強をしており安全なんちゃら講習会にも毎年ちゃんと出席していたにもかかわらず、この事故の話を聞いたことがない。また、大学で実験がらみの爆発事故がおきれば事例集( 田村昌三編「化学実験における事故例と安全」など。この本は化学屋なら誰しも背中がぞわぞわする怖い本である。google booksで読めるよ!)に掲載されそうなものだが、この事故は未掲載、検索しても2ちゃんのまとめスレばかりがヒットし、実際の記録が見当たらない。ちなみに、これも20年前に起きた北大の液体窒素事件は「液体窒素 窒息」でちゃんとヒットする。
だからこれは作り話、でいいのだが、ディティールがあまりにも不自然なために突っ込みたくなる。そもそも、学生が自分でテーマを決めて実験するなどという学生実験はない。だってそうでしょうそういうのは卒論だよ。いくつか用意されたテーマの中から学生が選ぶという形式なら有り得るが、アルカリ金属と水の反応なんてのは水素と酸素が生成する例の奴なわけで、反応してできるのは水なのに何をどう水上置換するというのか。また、気体の体積を正確に測定するのはものすごく面倒であり、それを基に反応速度を決定しようというのは労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。こんな実験を一応プロである教官が用意するとは非常に考えにくい。
次に、アルカリ金属の保管であるが、アルカリ金属は本来石油に保管するものではない、というか、石油とかアルカリ金属というのは概念であって、こんなところでこんな書き方をしては「迫力無し練習しとけ!」と言いたくなる。まともな記述能力の持ち主なら、当然、金属ナトリウムは灯油に保管する、と書くところである。もちろんMSDSにもそう書いてある。
そして、石油が蒸発してなくなっており、という記述であるが、金属ナトリウムの保管に使われる「石油」が蒸発してなくなることはない。まあ戦前の試薬を発掘したとかなら別だが。この部分からも書き手の理解の曖昧さがうかがえる。思うにこの書き手は、水をかけると発火するベリー危険物であるアルカリ金属をわざわざ灯油などという可燃物に浸漬するのは何故であるか全く注意を払っていないのではないか。灯油の方がまだしも安全だからだよ。そんな蒸発してなくなってしまうような低級炭化水素に漬けたら危ないだろうが。
きりがないのであとは手短にまとめるが、「蓋を開けたら発火した」という記述も突っ込みどころである。かりにむき出しの金属ナトリウムで湿度100%であったとしても、室温ではそんなに素早く反応しないし、発火してもまわりに可燃物がなければ燃え続けることはない。また、戸棚のガラスがささるのも爆発の方向を考えたらおかしいし、いくら20年前でも金属ナトリウムを扱うときは防護眼鏡をつけていた筈なのにそういった記述もなく失明したことになっているのも無理がある。
以上を要するに、これは内容のほぼ全ての部分に疑問符をつけたくなる出来の悪い作文であるが、実をいうと最近これと同じくらいウソ臭い文章を見かけたので紹介する。
これから数ある企業をエントリーしなくちゃいけないのに「その企業が大好きで大好きでたまらない!!その企業じゃないと就職したくないんです!!」なんて人は極稀だし、採用側も、数あるエントリーした中の一つだろう程度で見ている訳で、「その企業じゃなきゃいけない志望理由」という定義で書くとまず詰むし、ましてや知名度のない企業だと、薄っぺらい理由になってしまう。
ならどうすりゃええねんってことだけど、具体的にその「企業の良いポイント」をピックアップして羅列するといい。
つまり、「適当にエントリーして、適当に面接したワケじゃないんだよー、ちゃんと御社のことをすごく調べて、こんないいところがあるから、エントリーしたんだよー」ってのをアピールすることが志望理由になるんだと思う。具体的には、ちょっと調べないと分からないような仕事の実績だの、アピールポイントだの。そういうのに興味を惹かれて、また自分もしてみたいだの言っとけばいい。
志望するならそれくらいは調べられるよね?
学生風情にそんなもの期待してないっての。たかが学生なんだから。あとよく言われるけど、正直何をしたとか、実績だけ言われても、それが本当に会社に役立つか疑問符だしね。「全国大会行きましたー」って、うちIT企業なんだけど、何か役に立つのそれ?って感じ。あと学生ウソつくし。
まあ面接の中で、自己PRするだけの論理力と、ちゃんと意図を掴められるコミュニケーション力、自分を表現できても、どうせ自己満足で終わって、相手が何を欲しているかなんて考えてないんでしょ?あと笑顔とかの愛想がいいかどうか、最低限の身なりはなっているか、その辺は気にするところだろうけどね。自己PRになるポイントくらいは、ちゃんと自己分析して、論理立てて説明できるようになったらどうか。