はてなキーワード: ストリートファイター2とは
※追記
「長い。読まない。」
ごもっともです。ごめんね!
今北産業。
スト6のオーバードライブシステムは、今までのゲージシステムと似てるようで大きな違いがあるよ!
格闘ゲームにおける攻撃と守りと同じくらいに勝敗に影響があるのに今まで数値化が難しかった重要な”くずし”にとても強く関係しているよ!
それを今のesports時代に合わせて見た目にわかりやすく、更に実際の格闘技と同じ解釈ができるいわばキャラクターの「無理をしている量」が数値化された画期的新システムだよ!
つまりこれを読むと、スト6を観戦する上でとても重要なポイントがわかるようになるかも!
それでは!いってみましょーーーー!!!
※追記2
もう見てる人いないかもしれないけど補足。
「スタミナじゃないの?」
そこが味噌なんです。スタミナのようでスタミナとは違うんです。
そういうゲームは、基本的にスタミナが切れると行動できなくなるということが多い。
ダクソ系はこれ。
無理ができなくなるだけ。
その代わりに無理ができないと返せない技とかがでてくることでピンチに陥る。
今までのパワーアップゲージは、「あればあるだけ強化できる」だったのが、オーバードライブゲージは「あれば無理はできるけど無理しすぎるとピンチだよ」という点が一番に異なる。
「彼らはアスリートだからスタミナは無限にある。だけど、無理しすぎたら無理はできなくなって当然だよね。」という、とても自然に状況が理解できるのがすごいというお話でした。
くずしとオーバードライブでできることを詳細に語らなかったのは、それを語って面白いと思ってもらえたなら今までと変わらないよねという理由から。
そういうことが理解できなくても面白いと思えなければ意味がない。なので面白いと思えなかった人には申し訳ない。
あとトラバに偽物湧いてるな。俺のかわりに誤ってくれてありがとう。
※追記終わり
ストリートファイター6が売れてますね!
売れている理由はプロモーションのうまさとか色々あるのだけど、その点について言及したい内容ではありません。
今回声を大にして言いたいことは、スト6は格闘ゲームを再発明した!という点。
もちろん世界中に存在するすべての格闘ゲームを熟知しているわけではないので他ではすでに存在していたかもしれないけど、その部分をここまで掘り下げてなおかつ自然にゲーム性として取り込めているという点においてはやはりこのスト6がはじめてだと思う。
それがオーバードライブという要素。
これが本当にすごい。
今まで必殺技を強化するようなシステムというのは沢山あったのだけど、オーバードライブのすごいところは生身の格闘技との差を一気に詰めることに成功したという点。
格闘ゲームの元祖といえばストリートファイター2。
大きなキャラクターが向かい合って、大中小の通常技と必殺技を組み合わせながら相手の体力ゲージ(体力メーターとも言う。以下ゲージ=メーターのことを指す)を0にする、もしくはタイムアップ時に多く残ってたら勝ちというシンプルなルールで世界的なブームを巻き起こした。
そしてその進化系にして完成形なのがスーパーストリートファイター2X。
新たにスーパーコンボという超強力な必殺技が加わったことで、逆転要素が更に高まりゲームを白熱させるものに進化させた。
このときにはじめて、スーパーコンボゲージという体力とは別のゲージがつけられるようになった。
(他のゲームではすでに取り入れられていたりするので、あくまでスト2シリーズで初という意味。)
キャラクターの状態を操作する人が視覚的に捉える必要のある格闘ゲームにおいて、状況を量として捉えられるゲージというのは非常に理にかなったシステムだった。
こうしてスーパーコンボゲージに始まった体力以外のゲージというものが、それからの格闘ゲームの多様化のために不可欠なものとなっていった。
ゲージを増やさなくてはならない理由は、ただ単にゲームを面白くするという理由以外にも格闘ゲームというゲームの特性上もう一つある。
格闘ゲームは対人戦を前提に作られているために、勝つことが何よりも正義とされる。
ここでありがちな誤解を一つ。
その勝つための行動としては”攻め”が強いと思われがちなのだが、実は格闘ゲームこそ”守り”が強いゲームであるといえる。
どれだけ攻めが強くても、守りが弱ければいつかは逆転されてしまうし、最初に体力リードを奪われてしまったらば、守りが弱いキャラが逆転することは非常に難しいからだ。
かといって、守りが強いからとお互いが何もしなければ決着もつかない。
そのために取り入れられた要素が、攻めと守りを三つ巴にするための”くずし”という概念だ。
くずしは守りに強く、守りは攻めに強く、攻めはくずしに強い。大雑把に言えばこんな形の三つ巴ができていると思ってもらえれば良い。
くずしの代表格と言えば”投げ技”がそれにあたる。
同じダメージを奪う行動なので攻めと思われるかもしれないが、相手のガードに関係なくダメージを奪うことができるためにこれはくずしと考えるのが妥当だ。
初期のスト2から存在しているものだが、その時はまだこの”くずし”が概念として確立されていなかったため、投げハメという言葉が生まれてしまうくらいに強すぎてしまった。
これについての説明をするだけでものすごい文字数を必要としてしまうが、大雑把に言えばそれから研究が進むことでくずしという概念は確立されることになる。
それくらい格闘ゲームには様々な”くずし”が存在していて、まさにこのくずしの研究こそが格闘ゲームの進化の歴史と言っても過言ではないだろう。
そうして生み出されたのが、体力ゲージ、スーパーコンボゲージに加えた、第三のゲージである。
第三のゲージとは言いつつもそれは第三にとどまらず、ガードゲージ、スタンゲージ、テンション、怒り、、、etc様々な活用のされ方をし、また、ゲームによっては同時に何本も登場することとなった。
当然UIは分かりづらく複雑になり、そうなれば使いこなせるのは一部のやり込んだプレイヤーのみとなってしまい、新規とベテランの溝は一層深くなることとなってしまった。
もちろん格闘ゲーム業界も努力していなかったわけではなく、頑張って減らそうとしたり、一部は不可視化してみたりと努力はしたが万人に受け入れられると言われるものまではなかなか生み出されなかった。
コアなプレイヤーは面白さを追求するために複雑でもついてきてくれる。
しかし、新規プレイヤーの獲得には高い障壁になってしまうという、いわゆる市場衰退の図式が格ゲー業界できあがるきっかけとなってしまったのだ。
(格ゲー衰退の理由はもちろん他にも数えきれないくらい沢山あるので、ここで衰退を語りたいわけではないです。)
すでにニッチ業界となってしまった格ゲー業界としてみれば、今いるやりこみプレイヤーを手放すわけにも行かず、ジレンマを感じながらも必要悪となっていたことは否めないだろう。
誰もが一度は耳にしたであろう、esports時代の到来である。
これからの世界で格闘ゲームが生き残るために、このesportsの存在を無視するわけにはいかなくなってしまったのだ。
唐突だが、esportsが成功するために絶対に欠かせない要素はなんだろう。
その答えは、「知識ゼロで見ても面白いと思えるもの」であるかどうかだ。
しかし、「知識がないと楽しめない」では、絶対に成り立たないのだ。
なぜなら、プロスポーツは賞金や報酬がなければ成り立たないからだ。
そしてその賞金は、興行なくしては成り立たない。
そしてその興行を支える観客は、直感的に面白いと思えるものでなければ、業界を維持できるほど最大化できないのだ。
しかし、どれだけ競技として完成していても、選手として優れていても、プロリーグ発足後に収益で苦しむプロ選手は後を絶たない。
esportsにおいてもそうしたことは容易に起こり得るし、そして実際にこれでもかというほどおきているのが現実だ。
たとえば、「知識ゼロで見ても面白いと思えるもの」とはどういったものか。
総合格闘技のようなでかい男たちが素手で殴り合い最後に立っていれば勝ちというルールは誰もが楽しめる。
しかし、例えば競技性に重きをおいたオリンピック柔道は、きれいな投げ技が決まった時以外ではいまいちポイントが掴みづらく盛り上がりに欠けてしまう点は否めないだろう。(あくまで競技の完成度ではなく、プロスポーツとしての成功の話である。)
これを格闘ゲームに置き換えてみれば、”複雑なUI”、”解説を聞いても分かりづらい複雑なシステム”、”体力と残り時間以外に、直感的な理解が難しい戦況”というゲームシステムは、全く持ってesportsには不向きである。
唯一、「最後に立っているキャラクターが勝ち」というシンプルなルールが残されているのだが、それさえもゲームとしての演出が見るものを困惑させることになっている。
格闘技の美しさは、死力を尽くしあった選手同士が、相手を打ちのめそうと最後の最後まで力を振り絞る姿にある。
筋力、体力、精神力、その全てが全身から溢れ出て、まさに生命同士がぶつかり合うリアルがそこにある。
キャラクターたちはKO寸前まで試合開始と同じ様子で技を振り、体力がゼロになったとたんに吹き飛んで倒れる。
そこにリアリティがないと言われてしまえばそれまででしかなかった。
もちろん実際にプレイしている人間にしてみれば、体力ゲージ以外の様々な要素がもたらす戦況の変化によって実際の格闘技に劣らないほどのドラマが起こっていることだってある。
ただ、知識のない人間にしてみれば、画面上の情報だけでそれを直感的に判断することは難しかった。
スト6といえど、そうした問題をすべて解決できたわけではない。
しかし、その解決に向けて重要で大きな一歩を踏み出したと言える。
スト6は、体力ゲージとSAゲージ(スーパーコンボゲージ)に加えて、オーバードライブゲージというものが一つあるだけだ。
スト5のときで、体力ゲージ、EXゲージ(スーパーコンボゲージ)、スタンゲージ、Vゲージと4本のゲージがあった。
それ以外にもプレイヤーが選択したVスキルとVトリガーの種類を表示するアイコンなども含めれば、戦況を判断するための情報はスト6に比べてかなり多かったことがわかる。
ただ、スト5でさえ当時は洗練していると言われていた。
「格闘ゲーム UI」などで検索してもらえればわかると思うが、何の説明も無ければ何のために使われるかわからないゲージやアイコンで溢れたゲームを沢山見ることができる。
それ自体の賛否は別として、ゲームをどうやって面白くしようかという開発者の努力を見ることができるはずだ。
そうした上で、スト6の対戦画面を見ればそれがどれだけシンプルなのかが分かってもらえるだろう。
見るところが少ないということは、すなわち観戦する上での見どころがわかりやすいということを意味している。
これだけでも、スト6がどれだけ観戦する側の立場にたって作られているかが伝わってくるはずだ。
しかし、今まではシンプル=ゲーム性を犠牲にすることと考えられてきたために、なかなかそこに踏み出すことは難しかった。
それを見事に解決したのがこのオーバードライブという要素なのだ。
なぜここまで力説したかったのかの理由を感じてもらえただろうか。
最初に述べた通り、このオーバードライブゲージの面白さは、その使い方が生身の格闘技と非常に優れた形でリンクしていることにある。
オーバードライブとは、車で言うトップギアのことで、要するに「無理をする」ことを意味している。
スト6のキャラクター達は、このオーバードライブゲージを使うことでゲーム内において様々な無理をすることができ、また、無理をする行動をすればこのオーバードライブゲージが減っていくようになっている。
そうして何らかの形でこのオーバードライブゲージが0になってしまうと、「バーンアウト」と言われる状態に陥ってしまう。
ゲーム上では色々な不利を背負うことになるのだが、この言葉だけですでにこれ以上説明が必要ないくらいにわかりやすい。
これの何がすごいのかを改めていうと、今まで概念としてとても捉えづらかった格闘ゲームにおける「くずし」の要素が、見る側にとって一目瞭然になったといえるからだ。
実際に画面上でも、バーンアウトしたキャラクターは色彩を失い立ち姿はオドオドとした様子に変化することで、ピンチに陥っていることが視覚的に表現されている。
(バーンアウト状態は時間と一部の特定条件によって解除されるが、観客はそこまで理解する必要はなく、なくなればピンチ、沢山あれば有利ということが直感的に判断することができる。)
体力ゲージ以外の要素において、この「くずされている」という状態を視覚的にこれほどまでわかりやすく表現した格闘ゲームは今までなかったのではないか。
ゲージがあるだけ無理ができる。ゲージがなくなれば燃え尽きる。
ただそれだけのことだ。
いままでの格闘ゲームは、この「無理できる」という要素を、様々なゲージを使って表現してきた。
それぞれの無理を別々の概念として捉えて、別々のゲージとして表現してきたのだ。
それをスト6は「無理できるゲージ」の一本にまとめてしまった。
すでに登場したものを評価しているからこれだけシンプルに話ができているだけで、スト6の登場以前ではあり得なかった解釈である。
なにせこれは格闘ゲーム30年の歴史で誰一人としてなし得なかったことなのだ。
これがどれだけesportsとして観戦する上でわかりやすい要素になるかは説明するまでもないはずだ。
いままではそれぞれのゲージをゲームシステムとともに説明が必要だったところを、「無理できるゲージ」の一言で説明できるようになってしまったのだ。
「無理できる」中身についてはもちろん別途知識をつける必要がある。
ただ、その知識がなくても、キャラクターの行動によって増減するゲージを見ているだけでもある程度戦況を掴むことができるということは、観戦する上でこの上ないほどわかりやすい要素であると言える。
見る側にとってシンプルであることを、プレイヤーにとってもできることの選択肢を狭めずに、尚且つ格闘技という肉体同士がぶつかり合う上で矛盾の無いシステムとして採用した。
esports全盛と言われるこれからの時代に向けて、スト6が格闘ゲームを再発明したと言いたい意味がわかってもらえただろうか。
スト6がesports競技として完成されたものであるかはわからない。
esportsとして未だかつてない取り組みもあれば、残された課題も数多くあると思っている。
それ故、今回はこのオーバードライブという要素に限っての話にすることで、それだけ切り取っても今までの格闘ゲームとは違うということを感じて欲しかったのだ。
この興奮を誰かと分かち合いたくてオタク早口で文章を書き上げてしまった。
乱筆乱文で申し訳ないが、今後なにかの折に格闘ゲームの歴史がスト6前と後で変わったということを思い出してもらえたならこの上ない喜びである。
もしどこかでスト6を観戦する機会を得たときは、体力ゲージの下にある黄色いゲージに注目してほしい。
プレイヤーがどの程度無理をしながら戦っているのか、体力の優劣以外にも見えてくる戦況を楽しんでもらえるはずだ。
ストリートファイターだけは初代=ストリートファイター2(無印)を指すよね
そんなことよりストリートファイター2や、いっきの話しようぜ
今の時代でストリートファイター2をやってるやつがどんだけいるとおもってんの?
まだ増田があげているLoLやレインボーシックスのほうが人いそうだわ。
しかも場で考えたら、どうせそのおっさんも現在もストリートファイター2やってないだろうか0人だろうなw
追記ここから
詳しくは追記2へ
追記ここまで
そりゃ一応、名作と言われるものは触ってますよ。バーチャルコンソールとかで。
でも、いまさらストリートファイター2やら、いっきやらの話しないでくれますか。
おっさん共にとっては若かりし頃の青春なのはわかるけど、今の20代は64やGCのほうが触れている時間が長いし、触っただけで別に楽しいと思ったことはありません。この時代のゲームにしてはしっかりしてるなとか思うだけです。
懐古おっさんは「ゲームが好き」なんじゃないです。「ゲームが好きだった頃の自分が好き」なだけです。
ゲームが好きというならせめてPS4やSWITCH、もしくはWiiU、後はPCゲーで話をしてくれませんか。最悪、スマホゲーでもいいです。
はっきりいって話が合わないです。
もちろんですが、バリバリ最新ゲームの話ししてくるおっさんや、TRPGが好きで毎週やっているようなおっさんはこのおっさんに含まれません。しかし、ネット上にしかこのおっさんが居ない。
追記
なんか変なやつに言われるかなと思ってたいたら案の定言われたので言っておきますが、プレイをしまくれってわけじゃないです。
ただ、昔のゲームの話を延々とするのをやめてくれって話です。例えば、ポケモンが好きなんですよって人のところに「リザードンが空を飛ぶ覚えないのはおかしいよなw」みたいなノリで入ってきたら、マジレスしていいのかわからないです。だって、年齢だけ重ねていらっしゃるのでネットのように「おっさん今はそれ違うで」とは言いづらいです。
せめて話の時間軸を今に合わせて話してくれっていうだけの話です。そんなレベル高い話ですか?
追記2
本質的な話は
https://anond.hatelabo.jp/20180622124748
これが大正解。
「ゲームが好きです」みたいな自己紹介をしたら勝手に頭の中で「ファミコンやスーファミの話ぐらいできるだろう」と考えて話をふってくるおっさんに「せめてゲームの話をするなら現行機で話をしてくれ」と言っているだけ。
「君もそうなるぞ」みたいな話をする人がいるけど、「脳が退化して新しいものを受け入れられなくなる」って意味ならわかるけど、いきなり昔話をぶっこむようになるって意味ならハッキリとNOであると言いたい。
追記3
普通に上司・先輩から食事中や休憩中に話を振られること無いの?
いい会社ですねぇ。
あと、別に邪険に扱ってはないよ。上司や先輩だもの。適当に話合わせて、最終は「いや~、今のゲームもおもしろいっすよ」で終わる感じですわ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
頭の中は啓発者。
でも心はチーマー。
ストリートファイター2の種類くらいかな。
ああ、ちなみに海賊版は除く。
例えば茶色と一口に言っても、実際の配色次第で名称が細分化されているだろう。
茶色、薄い茶色、濃い茶色、まつざきしげる色、茶色みたいな色、ウンコみたいな色、といったようにな。
つまり我々は普段それを便宜上は茶色と言っているだけで、全く同じ色だとは思っていないのである。
ストリートファイター2もそう考えるとよい。
私は全てのソーシャルゲームを「阿漕な課金ゲー」と評しているが、それはこの茶色理論に則って言っているだけで、全く同じ阿漕だとは思っていないので誤解なきよう。
そして、その茶色理論に則って色覚異常がやるゲームだとも評したことはあるが、当然ユーザー全てが同じ色覚異常とも思っていないのでそこも誤解しないでくれたまえ。
ウィスキーだ。
「身の程をわきまえるのが、自分のためだと思うがなあ」
「何事も挑戦だよ。早速食べてみようっと……!!」
「辛そうだな」
「~~~~っ」
「辛そうだな」
「辛いっ! 辛いっ!」
「辛い辛いといって喚く位なら、最初から激辛などと大言壮語を吐くな」
「まだヒリヒリする。辛い」
「で、美味かったのか?」
「ヤバいっ!」
「どっちの意味だ?」
「え~、違うよ」
「なんでだ」
「それって、2+2=6 だって言ってるのと同じってことだよ」
「俺の答えが間違っているかどうかはともかく、1+1=3 と 2+2=6 は同じじゃねえよ」
「手抜きだね」
「手抜きは構わないが、まるで新しく作り直したみたいなフリをするのが癪なんだよなあ」
「ストリートファイター2みたいな?」
「数ある例の中から真っ先に出てくるのがそれか」
GW半ば過ぎで暇があるので、
ライトなSF好きが皆で見て楽しめると思うエンタメ映画をあげていきます。
ちなみにライトなので、SFじゃないのもあげてます。(ギミック好きなのかもしれない。)
下記基準で選びました。
■バックトゥザフィーチャー
これ以上の映画は見たことがない。
タイムスリップして、自分の身内とかと関わってあーだこーだする話。
1は過去へ、2は未来へ(今や去年だが)、3は西部劇時代へ行く。
面白い。
1,2ありきの3だけど、MR.M(マイケル・ジャクソン)は注目。
ドコドコドコドコ…
ちょっと怖い。
時期外れだけどw何度見てもギミックが面白い。泥棒2人に愛しささえ感じる。
アニメやドラマじゃなくて、ジャッキー・チェン主演のシティハンター。
ストリートファイター2のコスプレバトルは永久保存もの。
ひとまずこれだけ。全体的に古くて済まない。他にもあれば教えてほしい。
議論してたら面白くなってきたから、トラバせずに俺も語ってみる。
例えば、「月明かりに照らされて」というクエストは
ハーシーンというNPCを殺すか殺さないかによって、クエストが分岐する。
結果として貰えるご褒美が変わるわけだけど、一回目のプレイは確かに自由度が高いと感じると思うんだけど、
少なくとも三回目以降のプレイでは、自由度を感じなくなってしまうと思う。
何故なら、殺すか殺さないの二択で、三回目ではどちらがいいかを天秤にかけるから。
じゃあ、どんなのが自由度なんだよ? と言われたら
俺は「ストリートファイター2」でダウンをとったあとのリュウを動かす俺が自由度が高い例だと思う。
これはリュウのとれる選択肢が、NPCを殺す殺さないの二択よりも多い
表中段、表下段、めくり中段、めくり中段すかし下段、投げ、の五択だから、ではなくて。
「俺のテクニックでは、表中段ヒット確認からのコンボがしょぼいのしか出せないから、表下段の中足波動にしておこう」みたいな日和プレイができるから、俺は自由だと感じる。
うーん、なんかまとまらないなあ、誰か助けて。
実際のところ、マリオ、ゼルダ、マリオカート、スマブラ、そいつらは面白いゲームというだけじゃ許されないからなぁ。
革新的、そのジャンルで最初の作品にして最高傑作、誰も思いつかないし、パクろうとしても、劣化コピーにすらつくれない、そういうレベルのクォリティを要求されてる気がする。
一世を風靡したストリートファイター2以降、スト2ライクな格ゲーがあっちにもこっちにも出てきて、けっこう肉薄するものがあったけれど、ゼルダライクな作品がゼルダに並んだかというと、かなり疑問符がつく。
聖剣伝説はゼルダにあこがれて作ったのがはじまりとかなんとか。
なるほど、だから初期はムチを向こう岸の杭に向かって振って、川を渡ったりする仕掛けとかがあったのか。
呪文乱発するだけのFFになり、殴り倒すだけのファイナルファイトになり、ゼルダとは全く別方向のよくわからない作品となり、ついに4でシリーズごと黒歴史としてなかったことになってしまったのは残念だが。
大神、ワンダと巨像、いずれも悪くない作品ではあるけれど、頭ひとつ以上ゼルダが上だったと思う。
面白いことゲームを考える人というのは、それこそ呼吸するように面白いゲームを考えられるのだと思う。
子供が新しい鬼ごっこのルールを考えるように、なにもないところから、唐突になにかが生まれる。
面白いだけでいいなら、今すぐに作れるんじゃないかな。
スーパーマリオブラザーズ3を思い出してほしい。
例えば自分が開発者だとして、「ファイヤーマリオで火を出したから、次は水とか雷でも出させるかなぁ」って思っちゃうと思うんだ。
そこを、しっぽマリオとか、クツマリオ、地蔵マリオ、凡人には考えつかないし、俺が上司だったら企画書破り捨てるね。
悔しいことに、スーパーマリオブラザーズ3は超面白かったんだけどさ。
話を戻して、ニンテンドウ64以降、ただ面白いだけじゃ済まされない、レジェンド級のソフトであることを要求されてる。
64、GCではゲームを変えること、Wiiでは遊び方を変えることを宿命付けられていた。
WiiUでは、リビングを変えたり、生活を変えるほどのなにかをしたいんだろうね。
残念ながら、僕みたいな凡人には、そんなゲームが思いつかない。