はてなキーワード: 激情とは
従業員同士がもめていて胸糞悪い。お前ら、『話し合い』っていうことができんのか。
年いくつだ?自分の胸に手を当ててみろ。この世に生を受けて半世紀程のおっさん同士のケンカを眺めてやきもきする。マジ卍ぞっとする。現代におけるホラー卍。
ろくに話し合い出来んならラップでバトってくれ。韻を踏んでくれればまだ許せる。
女なら許せる。PMSだと思えば許せる。だがおっさん同士だ。何につき動かされてケンカという手段を取ろうとするのか。頭を抱える。
一人は営業。カッとなりやすいタイプで激情のまま他人を非難するタイプ。何かと理由をつけて感情のコントロールをしない。気楽に生きれてうらやましい限りと言いたいところだ。所かまわずため息を吐き続ける。怒鳴る。いわゆる昭和モーレツ時代の残り香の強い職場の害虫みたいなおっさん。
もう一人は事務方のトップ。御年、上記営業と同じくおよそ半世紀。冷静なのかふわふわしているのか、いわゆる「ゆるキャラ」。もちろん半世紀もたてばホラーであることは言うまでもない。話すことはすべて「ゆるキャラの戯言」。こいつと会話していると、釈迦に説法を説いているのか、暖簾に腕押し状態なのか、考えあぐねる。意思表示が希薄なので忖度もしかねる。
いや、すげーわかんのよ。双方のイライラっていうか主張っていうか、職務上の立場の違いとかそういうのじゃない、人をイライラさせる能力。キャラクター。どっちもわかるのよ。俺は。
だってスゲーテンパってるときにホラーみたいなゆるキャラ目に入った瞬間イラっと来る気持ち、わかるし。
感情でカッと来られてもさ、よくわかんねーもん。クソ忙しいなか怒鳴りこまれてもな、ふんふんてかわすしかねんだわ。やばいときこそ冷静にいないと事故るしな。わかるわ。
お前らもわかってんだろ。キャラあってねえんだわ。キャラで話しててもケンカになる。揉める。わかってるのにわかってないふりで季節を重ねる。
なんでなんだろうな。ほころびた蕾が春の萌芽を呼ぶように、鳴き始めの蝉がこれから始まる夏を強く予感させるように。繁忙期を迎えます。
今日行ってきたんだが、
何だあのふざけた動線。
外で40分待ちの後、中で70分待ちだったのはまあ良い。
目玉である祭姪文稿の前は立ち止まらずに通らなければならないのも承知していたから、それも別にいい。
ただ、その70分待ちは、「祭姪文稿を皆がゆっくり見たがるから発生している待ち」じゃなかった。
っつーか、祭姪文稿の前はガラ空きだった。
がら空きの状態で更に「間隔を開けずに前の人に続いて歩いてください」と誘導されるから、
速足で駆け抜けさせられたのだ。
祭姪文稿の並びの列は、牛歩戦術のような遅々とした歩みで2列になって進むのだが、
祭姪文稿の前に来ると速足なのだ。70分牛歩して、目的の前は速足。
なぜそんな事になるのかというと、展示の仕方が非常に悪いから、としか言いようがない。
70分の並びの最後に祭姪文稿があるのだが、その直前に祭姪文稿についての力入った説明が壁面にドーンと並んでるのだ。
するとどうなるかというと、それまでロクすっぽ見る物がない列をただ牛歩してた人達は、その説明を熱心に読み込んで、祭姪文稿の実物に備えるわけである。
俺もそうした。
70分の渋滞の原因は、ここだったのだ。
祭姪文稿じゃなくて、その直前の壁が作る70分待ちだったのだ。
で、その壁を過ぎると祭姪文稿の実物があり、その前は「止まらずに」「前の人と間隔を開けずに」歩かなければならない。
祭姪文稿を過ぎたら見る必要も無いような説明がチョロチョロあってすぐ出口であり、そんなところで立ち止まる人はロクにいない。
つまり、祭姪文稿の先はガラ空きであり、必然的に祭姪文稿の前もスッカスカで、そのスッカスカを間隔を開けずに歩かなければならないのだ。
その流れる速度たるや、その速度で待機列が流れるなら、70分待ちなんて全く必要ない。5分で見られるレベルの流れの速さだった。
5分で見られるはずの物を見るのに70分並ばされたのだ。
「立ち止まるな」と誘導するべきなのは、「祭姪文稿の前」じゃないんだよ。
「祭姪文稿の直前の説明が書いてある壁の前」なんだよ。
国立博物館の係員は、拓本取り過ぎで脳みそのシワが摩滅してんのか。
せめて、実物の前を牛歩待ちと同じ速度で通れたなら納得できた。
それだけじっくり見られるなら、70分待ちもしょうがない。
自分もじっくり見た分、他人もじっくり見たかろう。それなら待つのも仕方ない。
だが、実際は速足通過である。大書家の激情に乱れた文書を味わう余裕など一切ない。
こう呼んでる。
例えば服を脱ぐシーンがあったら歓声が大きくなったり
でも、笑顔とか、眉を顰めるような苦しげな表情を見たら
すぐ隣でこの表情を見たいなあと思ったり
手とか首とかを見ながら、
近づきたい、触りたい、と強く思ってしまう。
体温のせいで手にもったオペラグラスが曇る。
出番が少ないとかせりふが少ないとかはどうでもいい。
舞台上にいてくれれば私は視姦を繰り返せる。
優雅な表情で踊っていても
顔も名前も知らない客席側には
ごめん。
やめなきゃやめなきゃと思っているのに手元に半券が増えていって
単純にどこも触らずに目の前の対象物を見ながら脳で自慰してるんだよね。
終演後お手洗いでクロッチがべっとりとしているのを見ると
きっと来年も通うんだろうなあ。
ベンチャーで働いてる。30代が主力の会社で、まぁそれなりにわいわいしてて、それなりに良い給料を貰っている。
そんな中、半年ほど前に、とある部門に経験者が欲しいというトップの判断で60代後半の人間が参加することになった。Aさんと呼ぼう。私の会社では、お昼ご飯を一緒に食べるメンバーがいるのだけど、Aさんも一緒に入ってご飯を食べるようになった。当然二倍も年齢が違うので、話題が噛み合わないことも良くある。その人はテレビと新聞は情報源として価値があるものという考え方をお持ちで、若干話題が古かったり、つまらなかったりもするけれども、まぁそれはそれで良かった。
最近、Aさんが慣れてきたせいか、私生活に踏み込んだ話をしてくる。ここで強烈なカルチャーショックを受けた。
Aさんは、まさにステレオタイプなじじいだった。
私の場合の話を書くと、私(既婚男性)は、家庭で料理とお洗濯が担当なので話題になることがある。社員同士で昨夜の料理の話をしたときに、Aさんは「○○さん(私)は、料理が趣味なんですね!多趣味ですね」という。「いや、趣味じゃ無くて家事です」と返事しても、Aさんは「男が料理すると、女性にはできない凝った料理をするんでしょうね!」とか言い出す始末。そこには女性社員もいるので、場が凍り付く。
もうAさんは「料理は女の仕事」という巨大な先入観があるために、私が家事として料理をすることを全く理解してくれない。夕方になって帰る時刻になったときに、会議をしたいとか言い出すのだけども「嫁が帰宅するまでにご飯用意しなきゃいけないので帰ります」と伝えても、Aさんは「そんなの嫁に任せればいいんですよ、旦那は仕事の方が大事でしょ」と大声で言い出す。もちろん、そんな馬鹿らしいことを言われても振り切って帰るんだけど。だいたい、会議の内容は無意味な事が多いので。翌日に同僚に「私さんは、趣味があるから帰るって言われちゃいました〜」なんて言う始末。
文章で書くと大したことないんだけど、本当に理屈が通じない。Aさんなりの哲学なんだろうが、もうすこし世の中多彩である事を理解して欲しい。相手が理解してくれないと感情的になってしまうことが人間には少なからずあると思う。たしかに、私もこういった話題をAさんとすると、少し怒りの感情を持っている。これが激情的になると、あたりにまき散らすフェミに発展するんだろう。私は今まで、フェミがそうやって当たり散らす事を馬鹿馬鹿しく見てたけど、今ではなんとなくそうなってしまうことも理解できる。
少しでも気に入らない事があるとすぐに怒鳴る上司が嫌で転職しましたが、
ここもまたすぐに怒鳴る社長がいました。
「前職はすぐに怒鳴る人がいたので。論理的に解決策を探せなくて苦労しました。」って。
そしたら「ウチはそんな事ないですよー。むしろ、静かすぎるくらいで。」って。
前職との唯一の違いは、直接怒鳴られない事。
でも、誰かが怒鳴られています。
私は、誰かが怒鳴られてるのも嫌です。
怒鳴る人がいると周囲がおとなしくなっていくようで。
ついでに、二度も騙された気分で、もう不信感しかないけど、
うおあーこれはありがたいです。
ちょっと例の増田のせいで印象を捻じ曲げられかけていました。長く彼を見ていた他の人が書いたまとめや(勿論それはどうしても簡素なものではあるものの)、私の元エントリへの言及でも、確かに今トラバしてくれている増田と同じような印象を持っていた方が多かったという感じを受けます。
ただ一方で彼を本当に迷惑だったと思っていた人が相当数いるのも事実に見えたので(idコールを除いて純粋な増田内での話)、昨日の唾を吐きかけるような言及のせいで低能先生氏もやっぱりそういう人だったのかなぁとちょっと傾けかけてたところでした。
きっと低能先生氏は、他人に唾を吐きかけることを厭わないような人ほど歪んだ鏡を覗き込んでいるようで苛々して迷惑極まりない存在に見えるんだろうなぁと彼への印象を修正しておきたいです。勿論彼が実際にはそこまでそういう人間ではないという印象を保った上でですが。ありがとうございます。
追記:
でだな。増田の話し相手は最初からからかうき満々だったじゃねーか
それに気づかないのは増田の非でもあるぜ。
そういうのはさっさと逃げる。それでいいんだ。
これはマジでその通りで、相手にもう私をからかう意図しか無いのは分かっていました。。。マジレス続けてる自分が馬鹿なんだろうなという感じです。。。凄く激情的な性格で、自分でもこの性格やめたいです。。。こんな事に時間を奪われるなんて辛さしかない。。。(この増田と話してる時間じゃなくて例の増田に返信してた時間ね)
でも、そういう一般常識ではやらない無茶苦茶な会話ができるってのは、
発想の枠を広げるんだよ。
ここはそういう酷いところだと思ってたのしみな。
昔2chにいた頃は(当時はまだ2chでした)こんな感じだったなぁと思って懐かしんでます。ぶっちゃけあの元エントリの後に結構ノリノリで色々1行エントリ書いてたり言及付けてたりして、楽しかったです。結構来ること多くなるんじゃないかなと思います。あんな真面目に長文書くことは、まぁ多分二度としないものの。
そしてそれと同時に存在する、普通に会話もしちゃう増田達のお陰で自分や、今回の事件で一時的に増田に流れてきた他の人間が助かってる面があるので、普通に感謝します。今もトラバもらえて安心してますし。ありがとうございます。
追記2:
まぁまとめだけ見てても実際低能先生氏もまともな人間には到底見えたもんじゃなかったですね……。ただそれと今回唾吐きかけてきた増田とまで同じレベルだったかはちょっと別問題ということで。いや実際同じくらいひどかったのかも分からんですが、ただそれについてはちょっと具体的なログが無い以上は「自分もキチガイだと認識してない、余計質の悪い自治厨 VS どこにでもいるよくいる粘着キチガイ」という程度に印象は留めておきます。あ、自分は自分がキチガイだってのは認識してます、元エントリの通りで。。。
元増田だけど、現実に人間が何か逸脱的な行動を起こすときって複数の要因が絡んでるものなので、赤の他人に伝えたい時は仕方なく何かの側面に絞って書くけど、近しい事をしている人間が読んでしまった場合、何か一つのせいにして自分の逸脱的な行動の原因にして怨んでしまうのはいい結果をもたらさないかもしれないというのは伝えておきたい。
自分だって元記事ではああ書いたし、確かに箱庭療法のような復讐の意味合いは強かったけど、だからといって承認欲求を満たしたいという願望がなかったかと言われたら、それは絶対嘘になってしまう。
低能先生氏や自分や言及してくれた貴方と価値観や動機が全く合わないような赤の他人が少しでも理解する助けにはなるかもしれないけど、逆に近い位置にいる人間が読んで原因を一個に絞るのは危険だ。
ちょっと違う例になるけど、昔アメリカで『毒になる親』(邦題)という本が出た。今でいう「毒親」の語源になった本で、この本が出てから自分の逸脱的な行動や歪んだ性格の原因を親の教育にする人が沢山出て社会問題になった。暫く経って、実際問題親がどれくらい子供の人格形成に影響を及ぼすのか調査した結果、親の教育は子供の人格を逸脱的には変えられないどころか、有意差が存在するかどうかも疑わしかったという報告が1つ発表されてしまっていたりする。(5年くらい前で1個だと思ったので、今はもうちょっと増えているかもしれないけど、こういうのをきちんとした結果を求めてやろうと思ったら長い年月と資金が要るのであまり調査出来るものではないんだ。)(ただし虐待は性的非性的問わず有意に悪影響を及ぼすことが大昔にハッキリしている。)研究自体の数も少ないので真偽はまだ実のところ不明で、単に難儀な性格が親から遺伝しただけなのではないかという見方も相当ある中、それにも関わらず、「自分の人格が歪んでいるのは親の教育のせいだ」と全て教育のせいにしてしまって、間違った憎悪を抱えてしまっている人も本当にたくさんいるんだ。これは凄く悲しいことだと思う。
繰り返し、元のエントリはこういう事に全く縁のない他人に向けて書いたので、現実に荒らしを行っている人が読んだときには「原因は本当にそれだけか?」と考え直す必要があるとは思う。
まぁ、個人的には、無関係だとは絶対思わない。そしてよーーーく考えてみてやっぱりあの頃の行動を自分が繰り返していると思ったら、それはそう思って良い。でも、一回は絶対に考え直して欲しい。
あともう一つ、原因が特定できたからと言って、それが治すことに繋がるとは限らない。長期的には、ブコメで言ってくれた人もいるけど、認知行動療法や、新しい趣味、全く知らないサイトでゼロから始めてみたりするのがとりあえず一番の手助けになると思う。
がんの原因なんてとっくに治っているけど患者ががんの発生理由を生物学的に理解したからと言ってがんが治るわけではないのと同じ。肺炎にかかった時に必要なのは治療薬であって医学書ではないんだ。小さい頃のいじめに原因があったからとしても、分かったところで逸脱的な行為の解決には繋がらない。
勿論やめなくてもいいし、自分みたいに激情的な性格を受け入れて暮らしていくことだって出来るし、それも選択肢の一つだし、そもそも治す事を望んでいなくて、増田はただ自分の奇妙な行動に一つ折り合いがついて納得が得られただけなのかもしれない。それならとても幸いに思う。
ちょっと不安だなと思って書いておいた。言及してくれてありがとう。似たような人がいて嬉しかった。少しでも幸せになれるのを祈ってる。
しかしTwitterを中心に「言論の自由ガー」とか「ネットウオッチャーガー」とか「いい人だったのに」とか、変な論調にずっと違和感を感じているのでここに書き留める。
これはフィリピンの例だけど、''公衆の面前で人を馬鹿にする''ってのは「殺されてもおかしくない問題である」ということを日本人は知らなさすぎる。
「公での罵倒は、多くの国で強い報復を呼ぶ」「日本人と韓国人が、フィリピンで多くこれで殺害される」
https://togetter.com/li/1226566
日本だって同じだよ。この国ではたまたま法的な力・家族にかかる迷惑など、負のインセンティブが強いからそうならないだけであって
本来、''公衆の面前で他人をバカにするというのは、いつ殺されたっておかしくない''という事。負のインセンティブがかからない「無敵の人」なら尚更。
で、hagexは通報だけに飽き足らず、それをわざわざ記事にしてしまった
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/02/112825
いわば、低能先生は「公衆の面前で晒された」訳だ。しかも文末にはご丁寧に「福岡でイベントやるよ」というリンクまで添えて。激情に駆られるにも無理はないだろう。
正直、ざまあとしか思えないし人の心理的な面に疎すぎる。人を軽く見すぎている。
ネットウォッチャーって横文字にしてるからわかりにくいんだろうけど、そもそもネットウォッチャーってネットストッカーとネットリンチを併せ持っている訳だろ?
ネットいじりじゃなくてそれはもうイジメ。まずここを把握してほしい。
日常的にはあちゅうやイケハヤ、梅木やLINEのハゲまで叩いてた、いわばあらゆる面々に自分から喧嘩を売り、いじめていた。
ネットだけでの行動に飽き足らず、はあちゅうのサロンにまで入って揚げ足を取ってやろうだなんて普通にネットストーカー超えてリアルイジメだからねそれ。
で、それを見た周りの連中どうなるか。
はあちゅう・イケハヤなどを嫌ってる連中は、叩きの記事を上げれば喜ぶとしても、彼らに無関心で、かつhagexの矛先が自分に向けられた人はどう思うだろう?
「あらゆる面々を叩いている→それに迷惑している人がいる→矛先が自分に向けられた→排除せねばならない」
という正当化に結びつかないだろうか?
まともな神経なら「何を馬鹿な」と思うかもしれないが、殺人を行うまで追い詰められた人が既にまともな神経でない前提でもう一度考えてほしい。
「ネットの言説の度が過ぎてるということと、殺されるというのは全然違う次元の話」なんて書いてる人がいるけど、それはメンタルが平静を保っているからそう言えるだけだ。
「当然の報いだわ」ってさっき書いたけど、そう思ってる連中少なくないんじゃないか?
デスノートでもあっただろ?世間的には人を殺すのはいいことだなんて言う人はいない、だが内心はそうではないって
はあちゅうやイケハヤだって表向きは哀悼の意を出してるけど、実際はどうだろうか?
あれだけねちねち、執拗にネットストーカー・リンチをしていた人がある日、ぽっくりいなくなる。ストレスの根源が消える。
決して口に出さないけども、嬉しくてたまらない、もしくは安堵しているのではないのか。
https://anond.hatelabo.jp/20180625202047
ここでも書かれているけど、本人だけではなく周りの家族や性的なことまで、およそ正当性のないようなイジメをhagexは日常的に行っていた。
あまりにもカジュアルに他人をバカにしていくうちに、超えてはいけない一線がわからなくなったのだろうか。
仮にも他人を不愉快にさせるようなネットウォッチャーが、それを自称しているのであれば
他人の攻撃に身を守るためにも、そういった配慮は必要だったように思う。
相識のあるやまもといちろう氏が
>> 散り際は無念だったろうし、彼のことだから心の中で「すいません」を連呼していたんじゃないかとすら思う。https://lineblog.me/yamamotoichiro/ <<
と書いているけど、殺される局面にまでなってやっとそれがわかるような鈍い・臆病な人間だったのだとしたら、
'どれだけ社会的に弱い人間でも、人は殺せる'という大前提を忘れ、あまりにも人を舐めていたとしか思えない。合掌。
予想以上にたくさんの人に読んでもらっていて驚いてる。はてブコメなどから何件か気になったところをレスさせてもらう。
>どんなに追い詰めようがテロは絶対に許されない。擁護も絶対ダメだ。
それは理想論だよ。そりゃ建前としてはそう言わないといけないだろうけど、実際に殺人は起きている。
擁護がダメというのはちょっとよくわからないな。あまりに起こった現実から目を逸らし過ぎているのではないのか。
>命を取られるほどの原因とは言えないし暴力はダメだとおもうけど。
冒頭で書いたように「公衆の面前で人を罵倒する」なんていうのは、普通に命を取られる原因になるんだよ。
暴力はダメという姿勢を作るのはまぁ理解出来る、が実際に暴力は起きている。hagexは命を奪われても仕方がない。
まぁ少なからず何かしらのIDが付いてると、「いい子ちゃんなコメントしか出来ない」のもよくわかってる。捨てIDだとしても何かしら足がつくしね
私もこういう場じゃないとこんなことは絶対に言えないや。
>Hagexもまたネット中毒だったということで、シャブ中がポン中殺したようなもん
まぁこれが思ってることと一番近いかな。他人を軽く見下して攻撃する人間って、本当「自分は絶対にされない」ってある種の安全神話を信じてるからな。
そういう意味では、今回の出来事はネットで目立つ人を軽々しくいじめるような人間にはいい薬になったんじゃない。
>大体件の容疑者氏が何をどのようにしていたか考えて、公衆の面前以外に何か対処し得たか?
だから言ってるじゃん。公衆の面前で晒し上げることなく粛々と通報だけしていればよかったって
室町時代だろうが平成時代だろうが、人の根幹的なところは同じ。
いかにそれを法や社会でセーブするかってところで時代の差は出るだろうけどね。
インターネットでの煽りに負けないように、ロジカルな思考をいくら構築したところで、この問題の本質はわからない。
何度も言ってるけど、足りないのは「感情面での配慮だ」って言ってるの。
これとは直接的に関係ないけど、事実一つを指摘するにしてもトゲのない言い方や傷つけにくい出来ないのか?っていつも思うわ
人を追い詰めるなら、その相手はもうロジカルさがない、感情だけの世界になるんだってことも考えに入れないといけない。
Hagexさんの「いじり」は度がすぎていた
一つ大きく思えるのは単に当時自分が若かったからで生徒生活・学生生活に支障をきたしていたからと、居場所が出来てしまったからだ。でも低能先生氏にも年齢を考えれば多分ゼロ年代インターネットにいたはずだし居場所の一つくらいはあったんじゃないかと思う。じゃあ更生できたかどうかの違いはなんなのか。それは多分、彼がいわゆる無敵の人で生活に支障をきたすもクソもないから止まれなかったからとかそういう事には無いと思う。
単純に脳が破裂しそうで物理的に辛かった。そして鬱病で死にそうだった。だからやめた。自分は今でも顔の見える煽りが怖い。本当に怖い。そこでラップみたいとか言及してる有象無象はどうでも良いんだが今でも顔の見える人間(顔ってユーザーidとかのことな)に煽られるのが本当に怖い。未だに復讐心で壊れそうになる。マジで勘弁してほしい。怒りで頭が破裂しそうになるのが本当に辛いんだよ。煽られた瞬間の条件反射で何週間も引きずるから辛くてそういうサイトを使用するのを徹底的に避けてた時期もあった。やっぱり鬱病が一番大きいと思う。鬱病じゃなくてもなんでも良いけど、死を感じるくらいの大病。
あの時のことを今でも覚えてる。大学何年生かの時に(大検で入ったよ)、酷く理不尽な理由で教授に怒鳴られた。それだけで2週間が一瞬で過ぎた。2週間、頭の中はずっとその教授をどうやって殺害するかという事でいっぱいだった。[ここにどうやれば無罪で殺せるかの当時の妄想が垂れ流されていたのだけど流石に恥ずかしいので消してから送信することにする]。たった一回怒鳴られただけで頭がずっとぐーるぐるぐーるぐる。2週間ずっと。辛いんだよ。何が辛いって実行に移すほどの能力も無いチキンだから辛いんだよ。だからずっと怒りで頭が煮え滾って壊れそうになる。解放されるにはたった1回怒鳴られただけで2週間耐えるか、相手を刺し殺すかしかない。それでもうこういうの無理だなって思ってインターネットで積極的に人と関わるのをやめた。当時既に鬱病がかなり進行していただけで、別に更生したんじゃなくて単に体が保たないから続けられなくなっただけだった。それに自分は運良く当時の2chという場所的にも年代的にもどう足掻いても相手の素性が知れない本当のanonymousの中にいてそこでいじめられっ子としての刑期を終えていた。だけど今でも激情的な性格は残ってしまっている。自分がもし低能先生氏と同じことを続けていたらいつか自分も刺してたと思う。自分は運が良かっただけ。
人生の何処かで重い鬱病になって頭マジで壊れそうになってたら死が怖すぎて脳がそれ以上壊れそうな事は低能先生もしなくなっていたかもしれない。何か疾患を抱えている人なら分かってくれるかもしれないけど、体の内側から忍び寄る死って本当に怖いんだよ。言葉になんか出来ねえよ。刑務所や死刑なんかよりずっと怖いよ。小さい頃からずっとやってた事や、復讐なんてどうでもよくなるくらい、自分の過去なんて全部どうでもよくなるくらい、もうあと1時間生きてられたらどうでもいいって思えるくらい、この苦しみから解放されるならもう何を捨てても良いってくらい、脳がそれ以上壊れるのが怖かった。病気は頭と心臓に近ければ近いほど怖い(他の疾患を抱えている人がご不快に思われたら申し訳ない)。単に激情的なだけだったら自分もやめてなかったと思う。
結論をこの行に書いてしまうと自分みたいな人間が更生する方法は頭か心臓の病気になって自分の激情的な性格に物理的に耐えられなくなる以外に自分は知らない。
よかった。
色々あったけど生きてきてよかった。
突然わけのわからない怖いのに襲われても笑顔で歌を届けるフレイアで泣いた。
ハヤテがフレイアに助けられた、と最初から一貫して言ってるなんかこう支え合いみたいなアレに泣いた。
生きてるとどうしようもない生活の垢がたまるし、時間はたつし、昔は感動できていた色々なものに「もうみた」と思いがちだけど、
劇場のスクリーンで、ワルキューレのライブが観れて、劇場でかがやくフレイアが観れてよかった。
カナメさんの歌を聴けてよかった。
激情のワルキューレは、テレビ版をみていたときの若かった私の、そのときの気持ち、もう失われて日常の中では絶対に思い出さない大事な気持ちを呼び起こしてくれた。
一話のライブシーンを見て、これはすごいアニメが始まったぞとワクワクした気持ちと、
バアル化した兵士を撃っちゃいけんとフレイアが命がけで守って、フレイアが歌えるように守ったハヤテの優しさや絆と、
ハヤテが飛べるように歌を届けるため飛んだフレイアの勇気と愛と、
テレビ版を追いかけて毎回感動してた私の気持ちが、劇場中盤の一話リバイバルなライブシーンで爆発して、「生きててよかった」と思った。
ワルキューレの歌は、次元を超えて、時間を超えて、ずっと私を支えてくれたんだと分かった。
美雲さんがみんなと歌いたいって言って泣かない人いる〜〜!?!?
ミラージュさんもかわいくてとてもよかったです。
マキマキはいつでもみんなを明るくしてくれて、テレビ版では女子親子にもサービスシーンが喜ばれてたけど本当に老若男女に親しめるかわいいアイドルだと思うし、
レイレイがそんなマキマキとかかわって柔らかくなるまでの軌跡も劇場で観れてとても贅沢でした。
前情報でカナメさんとメッサーくんが好きな人は観たらいいと言われていたけど、本当によかった。
カナメさんがメッサーくんを遠くの空で見送るだけでなく、受け止められて、よかった。ありがとう。
ひくほど泣いた。鼻も出た。
観終わった後「最高」「どう考えても最高」としか言葉が出なかった。
すばらしい物語、そして歌、命でした。
いいね。アルドノア・ゼロが良い作品だったのは自分も同感だ。ネットでは整合性やらをネチネチつついて喜んでいるアスペだらけだったが、戦記ものとして、群像劇として、生き方を鮮やかに描いた作品だった。スレインやイナホの境遇、どんな思いであの行動を起こしたのか、そういう人物を中心に見ていたからか幾度となく涙腺を刺激された記憶がある。物語の世界観に没入させ、涙が滲んでくるくらいに感情を揺さぶってくるアニメというのは例外なく傑作だ。そういう意味では、PSYCHO-PASSなんかもそうだったし、ラブライブやアイドルマスターシンデレラガールズもそうだった。ただ、没入できるかどうか、キャラクターの激情に共感できるかどうかは、観る人にその素地があるかどうかに依るところが大きい。ネットのどこの誰が大声で酷評しているか分からないような評価につられて、自分の受け取った感動を、感性をねじまげてはいけない。どちらかというと、ネットで批評ぶったことを言う人間ほどねじまがっていて、まともに創作を評する素地のある人間ではない事のほうが多いのだ。なぜだか「自分には合わなかった」と言って素直に去れない人たちが、独り善がりな「俺の考える『正しい』展開」を叫び続け、作品や作家を勝手に断罪してエゴを肥やす遊びをしてるのだが、付き合う義理はない。だいたいそういう精神性に留まっている人間は共感性に乏しいので作品鑑賞自体が苦手なのだ。それゆえ、取り沙汰する必要のないシーンで躓いて、頓珍漢なことを考えるうちに物語に置いて行かれてしまい、勝手に恨みをつのらせてしまうのだ。残念なことに。ただそうやって頓珍漢な取り沙汰をすることで、それを読んだ普通の人までも悪意的な視点に囚われてしまうので害悪でしかない。
ともかく、思い当たる良作が少し前のものばかりなのも同感で、自分の実感としても確かに最近、涙が滲むほどの作品には出会えていない。先期はいろいろ見ていて、宝石の国、キノの旅、クジラの子あたりは良かったのだが個人的には目頭が熱くなるほどのスマッシュヒット感はなかった。だが佳作には違いないと思うし、原作はどれもすばらしいものだ。宝石の国に関してはこれ以上ない幸せな映像化だったとは思うが、一般に、アニメ放送枠という限られた時間と編成の中で十分にカタルシスを引き出すのはそれだけ難しい事なのだろう。それにボロ泣きできるものだけが良作なわけでもなく、決定的な場面がなくとも心臓を掴んでくるような良さがある作品もある。デビルマンcrybabyを引き合いにだして、主戦場はNetflixや劇場に移っているという論を言う人がいたが、それにも同意できる。でも、良いものは見たいけれどそこまででも…という、あくまで日常のルーティンの範囲で楽しめる娯楽作品を探す人がまだ多いのだろう。自分もその例に漏れず、今期はポプテピピックは惰性でみている。おそ松さんと同じで、いつ切ってもいいのだけれど惰性で見れるシリーズという感じ。あれはいろんな面で業界的な「お決まり」をぶち壊してくる作風で、アウトサイダーだからこそできるアバンギャルドな仕掛けには目を見張るものがある。コンテクスト消費の塊のような作品だ。ただやはり自称クソアニメだけあって「次が見たい!」となるような構成力があるわけでもなく、飽きたころに見切りをつけてもいいよ、と言わんばかりの懐の広い作品のように感じる。それ以外でひとつ今期のTVアニメで注目しているのを挙げるなら、宇宙よりも遠い場所を推す。青春ドラマなので、増田の好みに合うかは分からないが、引き込まれる、感動できそうな作品だと思う。完結していない物語作品を評するのは避けたいので現時点ではこれ以上言えることはないけれど。
バーチャルYouTuberを追っているのも自分と同じで、去年の夏頃からキズナアイだけは追っていたが、最近になってシロにもハマり、月も興味深く見ている。一つ一つの動画は他愛のない癒やしや元気を貰える動画に過ぎないが、最近の隆盛で「親分」と慕われるようになりVtuberのメンター役を演じるようになったキズナアイを筆頭にVtuber同士の交流が増え始め、現在進行系のドラマだかサクセスストーリーだかを見ているかのようだ。Vtuber全体がひとつの「物語」的コンテンツの域になっている。この感じはμ'sの奇跡的な躍進劇をリアルタイムで追っていた時と似ている。アニメにVtuberにと追うようになって、スマホゲームも断捨離が進んだ。増田はアズレンかと推察するが、自分は一時期デレステ/ららマジ/スクフェス/バンドリ/崩壊3rdと並行してどれも相当やりこんでいたが、前2つを残してログボすら辞める決意をして消した。これだけ並行できる時点でお察しの通りニートだけれども、それでもスマホゲーを続けるのは時間的にも気力的にも辛い。継続している2つも、最低限のプレイしかできなくなっている。その点でららマジはすばらしいゲームだ。あまり時間を奪わない作りだし、ストーリーがメインのゲームなので、更新が遅いアニメを見ているような感覚で続けている。プレイ人口は多くないが、思春期の少女たちの心の傷を解き明かして救いを取り戻す、その筆致が素晴らしいので万人に勧めたい「作品」だ。デレステを続けているのも、結局のところ、リアルタイムにアイドルたちに声がついていくストーリーに参加したいだけなのかもしれない。サービス開始からやっているが、正直リズムゲームの周回部分は飽きていて、必要以上にプレイする気にはならない。そういえばもっと以前はグラブルをランク100過ぎまでやっていたが、メインストーリーで詰んでからはやらなくなった。日課が重すぎるのもあった。結局自分はスマホゲーに対しても、物語体験を求めているんだろう。コンテンツ自体がもつ物語、プラス、ライブな体験が大事だと感じる。両方ないと、より深い充足感を得られない。よく考えればVtuberの動画だって後からイッキ見してもいいのだが、小ネタを把握してSNSなどのフロー上の話題をキャッチアップし、ライブ感からくる楽しさを得るためにはオンタイムで見ておく必要がある。そういった性質に注目すると、今見ておく必要があるコンテンツと、そうでないコンテンツが切り分けられる気がする。ただ悩ましいのは、「後で見よう」と思って積んだものは、結局何年経っても「よし見よう」という時がやってこない事だ。なので小難しいことを考えず、「今すぐに見たい!やりたい!」と思うことだけをやっていくのが一番幸せなんじゃないかと思い始めている。
https://anond.hatelabo.jp/20180130030322
夢追うのやめたけどあきらめきれないシンパシー。自分は絵じゃないけど。
いま25歳。小中高と吹奏楽部でトランペットやってきた。周りと比べるとうまい方だった。
高校は毎年地方大会出るような強豪だったけど一年でレギュラー取った。
完全に調子乗ってた。
毎日居残り練してもレギュラー取れない同級生や先輩たちを見てせせら笑って過ごした。
追われる立場のもろさも知らず。
今思うと成長期で口が変わってたのもあったし、そのため無理やりアンブッシュア変える訓練を強いられていた(アンブッシュアとは吹く口の形。要するに投球フォーム変えるようなもん)のもあったし、当時心酔していた先輩からペダルトーンっていう練習法(古く最良のトレーニングと言われてきたけど最近の研究ではあまりよろしくないとされてるもの※諸説あり。気になる人はググれ)を教えられてたのもあった。
バカにしていた同期はぐんぐん上達し、高校三年の夏、ついにトップの座から陥落した。
それで意気消沈なんてしてられるか。自分はまだまだこんなものじゃない。まだやれる。今は調子悪いだけで、大学行けば、また昔みたいにふける。ダブルハイベーだって出る。と言い聞かせて、現状への不安や迷いは見て見ぬふりして昔からの目標だった音大への進学を決めた。
この時点で今思うともう完全に周りも自分も見えてない。強迫観念と執着心だけだったと思う。
ところで、中学生のころから師事していたトランペットの師匠がいた。学校とは別に、個人レッスンに
通っていたのだ。
中学の時はまだそんなガチガチになっていなかったので、受験の季節に高校でも吹奏楽を続けるか迷っていた。それを師匠に相談したら、「続けなよ。そして、僕が講師をしてる音大にもおいで」と言ってくれた。それに胸を打たれて、ちょっと無理して遠く私学の強豪校を選んだ。
そんなこんなで師匠が待つ大学に入学したものの、メンタルも演奏もコンディションの悪かった。当時おそらく鬱だったためか記憶があまり残っていないが、吹いても吹いてもうまくならない。思った音が出ない。音大つったってもちろん吹いてばかりじゃない。ソルフェージュ、和声、副科声楽、ドイツ語、フランス語。どれも集中できなかった。思い通り吹けない焦りに覆い尽くされて目の前が真っ暗だった。
ほどなくして、音大をやめた。
なんで辞めたの、なんて聞かれても一言じゃ答えられない。
そりゃ食ってけなささも続けんの無理と思った理由の一つではあるかもしれないけど、そんなの承知の上で飛び込んだ世界だし、それが理由とは言い切れない。
スランプで思い通り吹けなかったことかもしれないけど、それこそとしかたないことだし、乗り越えなければならないことだから、理由にならない。
しいて言えうなら、あの時はもう精神的に続けられる状況じゃなかったということが理由かもしれない。
まあそういう精神状態に追い込まれた背景としては上記のようなしがらみにさいなまれたこともないとは言えない。
しばらくは楽器見んのもいやだった。長い付き合いだったbachの180MLは箪笥の肥やしどころか忘れ去られた過去の遺物だった。
大学中退後、わたしは適当なデザイン専門に入り、ヘラヘラ学生をし、順当に卒業・就職し、4年。
今はwebデザイナーとしてそれなりにやってる。
(webデザイナーを選んだのは、グラフィックより求人もあるし給料もよかったから)
(元々オタク時代に同人サイトを少しかじってたのでとっつきやすかったのもある)
残業もたいしてないし、自分がデザインし構築したサイトが世に出回ってるのは、なかなかやりがいも感じる。
もうすぐ社会人五年目に突入というのもあり、社会人と呼ばれることにも慣れ、バランス感覚というのがようやく身についてきた気がしたと思ったら、トランペットが無性に恋しくなった。
実家から楽器ケースを引っ張り出し、久々に吹くと音色はひどいものだったが、当時の嫌悪感は完全になりを潜めていた。
幸い高校にOBOGによる一般バンドが存在したため、数年ぶりに顔を出した。
当時のい比でないほどひどい音にはなってしまったけど、随分と夢からは遠くそれてしまったけど、今は吹くのがとても楽しい。
これから先の人生ではもう投げ出さないで、周りと比べたり焦ったり嘆いたりせず気楽に楽しく吹いて、少しでいいから学生の頃より上達して、いい演奏をして、当時の自分への餞になればと思ってる。
たまに大学時代の友のfacebookやツイッターを覗くと、自己研鑽のためドイツ留学した先でのレッスン中の写真、T●Lの鼓笛隊になるべくオーディションを受けた所感、バイトいくつも掛け持ちしながらフリーランスとして講師やエキや小さなハコでコンサートのセルフ主催などしながら演奏活動を続けている様子など、あいかわらず音楽に当時と寸分たがわない情熱を傾けている様が見られる。(こういうのも最近になってようやく受け止められるようになった)
今の暮らしは不自由もないし、それなりに楽しくやっているが、それでもやはり苦労やコストもなりふり構わず夢を追う彼らを見ると、憧れと羨望と嫉妬で少しだけ胸がざわつき、当時の激情を思い出す。
某Hあちゅうラブラブまとめ記事に米をしたら熱いIDコールをいただいた。
死ねだのクソだのというアレなメッセージだが、この送り主は絨毯爆撃よろしく多数のユーザーにクソコメ…じゃない、熱いコールを送りまくっていた。しかも2日続けて。
この熱量に本当に感動している。
あなたの貴重な時間を、何の実にもならない事に費やせる激情と行動力に感動している。
自分が望んだ事とは言え、私の日常は計画の立案と行動が全てである。
到着地点の確認とタイムテーブル、運動や休憩も計画の内。イレギュラーは嫌い、でももう慣れた。
私はこの送り主に感動している。
そして時には感情に委せた行動も良いかもしれない。己の激情をもって行動したい。
そんなことを思いました。ありがとう。
大きな違いはあるが一つだけ言えるのは界隈が面倒って事だ
なんでこうなったんだろうか
そういえば小島秀夫もそうだ
そういえば小島秀夫問題もたつき問題も、真相がそこそこわかってくると「あれ?これどっちも糞じゃね」みたいな感じになるのも多い
糞かどうかはおいといて、とりあえず距離をとるか・・・みたいな人が多くなってくる
まぁ小島秀夫はまだ界隈が面倒ではないので保留
とにかくこいつら界隈は何かあったらtogetterだ
とにかく馬鹿みたいにまとめる
アイドルなのに〇〇してる~だとか
それアイドル馬鹿にしてね?みたいな糞みたいな持ち上げ芸をしている
そんでたつきだよ
たつき先生~とか言って、12.1話のときとか最高に気持ち悪かった
TOKIOと似てるんだよね
さすが~しびれる~って感じで
親戚のおじさんが子供の相撲でわざと負けてあげて「いや~きみすごいね~」なノリ
なんなんだろうね
気持ち悪いけど迷惑かけずに楽しんでたならおれは何も言わないけど
たちき界隈は角川に食って掛かったり
TOKIO界隈は掃除せずに帰ったという報告ツイッターに食って掛かったり
とにかくいよいよ、あの界隈独特の嫌な感じが漏れ出してると思うんだよ
きもちわるいじゃすまされなくなった
ということでここ10年のノーベル文学賞受賞者の受賞理由をご紹介します。
ドリス・レッシング 「女性の経験を叙事詩的に描いた。懐疑と激情、予見力をもって、分裂する現代社会〔分断された文明〕を吟味し、題材にした」
ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ 「新しい旅立ち、詩的な冒険、官能的な喜びの作家であり、支配的な文明を超越した人間性の探」
ヘルタ・ミュラー 「韻文の濃密さと散文の率直さをもって疎外された人びとの風景を描き出している」
マリオ・バルガス・リョサ 「権力構造を明確に描き出し、個人の抵抗と反抗、挫折を鋭く描写した」
莫言 「幻覚を伴ったリアリズムによって、民話、歴史、現代を融合させた」
25歳位から6年付き合って結婚した彼女と、6年の結婚期間の末に離婚した。子供は一人いる。親権は元妻側。
面会交流は月一程度で会えるようになった。まるで会えない時期が一年ほどあったので子供と会えるのは嬉しい限りだ。
子供はパパと(も一緒に)住みたいと言う。これが辛い。
元妻はいわゆるボーダーというやつで、機嫌が悪くなった時の俺に対する攻撃性は尋常じゃなかった。自分が無くしたものを子育てに忙しいことにかこつけて探せよ!と叫んだり、俺が口答えしてしまうと、泣き叫びながらあんたのせいであんたのせいで!と叩いてくるのを繰り返した。極め付けは子供がいるのにも関わらず、睡眠薬を大量に飲んで半自殺行為をした。救急車を何回か呼んだ。子供は何が起きてるのか分かっておらず不安そうだった。もちろん元妻は浮気もしていた。浮気相手に電話して警告したりして、俺は何をしているのか分からなくなり、あの頃は俺自体が深刻なうつ状態に陥っていた気がする。マインドフルネスや仏道にはまって、諸行無常であったり一切皆苦であることを受け入れようとした。相手の男は俺と同じ会社(元妻も)で別の部署だったが会社を辞めた。いづらくなったのだろう。それは俺も変わらない。俺も色々ありすぎた会社にいるのがしんどくて辞めて転職した。表向きはステップアップで給料も二百万くらい上がったが、本当は現実逃避だった気がする。
一切皆苦であることを受け入れることはできなかった。人生がこうやって妻の激情にビクビクしながら生き、そんな妻をなんとかお茶を濁すが如くに喜ばすことだけが俺の人生なのかと思い悲しかった。それが何年も続いていた。どうにかしてこの終わりゆく世界から出られるだろうか考えた。世界は終わっていた。恐怖の中で奴隷のように生きる世界とはこのようなものなのか。隣の芝生は青いというが、私には現実に青かった。夫婦はお互い正直な気持ちを話し合えるのに、私は正直な気持ちは置いてけぼりだった。正直な気持ちで話すと私のことをあなたは絶対理解しない!!と激怒されるだけだった。その割には腹を割って話したいと言われていた。腹を割って話すと激怒された。冗談でもなく、もうイヤァァァ!!!離婚するーー!!!と大声で叫ばれた。マンションなので恥ずかしかった。エヴァンゲリオンで言えばアスカみたいなものだった。そして一週間以上何も話してくれない、ということが何回もあった。
自殺することは実際にはないだろうと思っていたが、半自殺にかこつけて妻実家に頼ることにした。少し距離を作る必要があると思った。
ある日仕事が終わって夜遅くに家に帰ると泣いていて、理由を聞いても何も言わず、子供には強く当たってしまうと言っていた。これはもう実家に頼るしかないと判断し、義母に電話し事情を説明し「強制送還」した。強制送還された妻は激怒した。私のことをなんだと思ってる!!と言っていた。精神不安定だよ、心の中でつぶやいた。そして帰ってこなくなった。夫婦カウンセリングを受けた。カウンセラーも妻の圧力に困っていた。私のことを理解しない!そんなことでは結婚生活を続けられない!という主張から一歩も譲歩がなく話にならなかった。カウンセリングは妻側から突然打ち切りになった。
義母の様子もおかしくなってきた。明らかに私を攻撃しまくってきた。あんたのせいで娘はうつ病になった。あんたが根暗だからこんなことになった。離婚しろ!と言ってきた。
離婚については子供のことを考えてするとは思っていなかった。でも心の奥では離婚したかったとは思う。幸せはここにはないと悟っていた。子供が生まれて子供からはたくさんの幸せがあった。お世話は大変だったけど一通り一人でなんでもできる。寝かしつけとかたくさん抱っこしてたからか分からないが子供は俺のことが大好きであるのは手に取るように分かる。
離婚すべきかは分からなかった。そして離婚調停が開始された。数ヶ月立って決心はついていた。だが中々離婚させてくれなかった。面会交流させないというめちゃくちゃなことを言ってきた。調停委員も奥さんが落ち着くまでは子供と会わないのも選択肢として良い、と言ってきた。全く許せない。完全に他人事だった。なぜ親子愛のうちにいる俺たちが、妻の精神不安定で会ってはいけない事になるのか。馬鹿げている。ずっと争った。普通は二、三回で終わるところが10回以上続いた。最終的には月に一度会えることになった。回数が少ないのが私には許し難いので、一年後に見直しとなった。
それからは元妻と三人で面会交流することになった。子供がいるとかであるのと月一ということもあり、妻の激情は発露せず、一見普通の親子三人のようになった。ただ面会交流の日時を決めるやりとりなどでは激情に駆られたメッセージが書かれており、俺をコントロールする意思をビンビン感じるので、実態は何も変わってないのだろう。そして今に至る。
一人暮らしして2年になった。妻と争っていた時はそればかり考えていたから寂しくはなかった。だがこうやって落ち着いてきて思うのは寂しいということだ。もしまたなんとかなるなら三人で暮らしたい。そんなことも思ってしまう。なんともならないと分かっているのに。子供には申し訳ない。一生つきまとう悲しみを与えてしまった。苦しい。だが俺が死ぬわけにもいかにい。
俺はこの先どうやって暮らしていけばいいんだろう。友人やお世話になっている人は自分を優先して自分の人生を生きろという。でも子供を置いてけぼりにしてるようでそんなことできない。俺はどうすればいいんだろうか。子供を言い訳にして現実を変えることを拒んでいるのだろうか。そんなことはない。仮に俺が新たな家庭を見つけてもしも幸せになったら、子供はどう思うだろうか。辛い。
プロット自体は、入学したての主人公たちが部活を選ぶまでの過程を描いているだけだが、登場人物たちの掛け合いや主人公の心情描写が丁寧。
フキダシとかの多さは姦しさの演出に一役買っているけれども、文字の情報としては興味深いことは書かれていないので、読んでて多少かったるい印象もあるかな。
肝心のハンドボール部分での構図も寄りすぎていて、あまり躍動感がないのは残念だけれども、消極的な主人公の視野の狭さを表現していると前向きに解釈できなくもない。
あれこれ言語化しようとするのも、理屈っぽいことも必ずしも悪いことではない。
私は「語るより見せろ派」だけれども、だからといって分かりにくいのはダメだとも思っているし。
けれども、これは読んでてゲンナリするだけだ。
かかえている問題が複雑だから、主要人物の性格なりの補完が必要なのは分からなくもないんだけれども、もう少しバランスどうにかならなかったのかなあ。
情報の過不足の是非なんて明確にあるわけじゃないけれどもさ、いくら言語化をして理屈っぽいことを並べても、読者が100%理解できることなんて稀なわけで。
削る勇気がないなら、せめて構成バランスを意識して描いたほうがいいんじゃないかなあ。
テーマやプロットなど、作者の表現したいものがはっきりしていると、それだけで読んでて苦じゃなくなるから助かる。
荒い絵ながらも登場人物の所々鬼気迫る激情はポイントを抑えているし。
構図とか、演出とか、擬音の使い方とか。
ジョークも小気味よい。
話のテーマ性が希薄というか、読んだ後「何の話だったの?」ってなる感じはちょっと気になった。
合間に合間にギャグを挟んで飽きさせないようにする工夫は感じられる。
設定に反してテーマ性が希薄だから舞台装置的だし、起承転結あって構成や展開も筋は通ってはいるけれども強引であることは否めない。
終始楽しく読めたけれども、私が語れることは少ない。
すごい絵が荒いなあ。
下手だけど味があるって感じでもないし。
そんな明らかなマイナスポイントを抱えながらも受賞したんだからスゴいんだろうなあ。
話に起伏があまりないけれども、主要人物のキャラクターがちゃんと出来ているから読んでて楽しくはある。
私はあまり表面的な表現技法については高く評価しないタイプだけれども、ちゃんとした演出意図も含まれていると感心してしまう。
序盤でそれを持ってきて読者をまず引きこもうとする目論見が上手い。
中盤でちょっと中だるみするんだけれども、終盤でまたハッとするような表現をしてくるのも良い。
表現したいことや読者に伝えたいことを絵で抽象的に、かつ分かりやすく見せるのって並大抵のことではないだろうからね。
個人的には読んでて面白いかといわれるとそこまでじゃないんだけれども、まあ大賞を取るに足るレベルの作品だっていうことは分かる。